NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

映画『ジョーカー:フォリア・ドゥ』レビュー

1.Impression
狂気と正気、愛と憎悪、人間・アーサーと道化師・ジョーカー、シリアスネスとエンタメ性、これら二つの両極端な要素が交互に交差し錯綜しトグロを撒き、やがて訪れる壮絶な結末へと雪崩れ込む展開に「鑑賞」というより「目撃」したとでも言おうか、正に期待通りの見応えある作品だった。


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 ただトレイラーで予測されたような「ジョーカーが牢獄から抜け出してハーレクインと組んで更に信望者を巻き込んでバンバン悪い事しまっせ!」みたいなエクストリーム要素はほぼゼロで、カリスマとなってしまったパブリックイメージと人に愛され愛する事に目覚めることとのギャップを意識し始めやがて苦悩することになる「人間アーサー」の心情が浮き彫りになる事に終始していくような展開が意外......というかちょっと拍子抜け感はあったのも事実。
 で、ふと思ったけど個人的に2020年にリリースされた松本大樹監督『みぽりん』好きな人にはハマるかもとか思ったり。あの作品も世間における【アイドル】という虚像に理想を描きながらもそこに向き合いことごとく否定されて、やがて破滅してしまうミホ(みぽりん)の姿と世間から求められるダークヒーロー(=ジョーカー)という虚像に苦悩するアーサーとがどうしてもダブってしまうのだ。あ、でもその意味ではあっちの方がクライマックス付近の盛り上がりカタルシスはあったな。

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それと趣旨は違うかもしれないが、本作のパンフレットに本作にはインディーズ映画っぽい的な記述があったが人間ドラマを鈍臭く描こうというアティテュードがあって、それは正に私が本作にインディーズ映画要素を感じた所在の一つなのかもしれない。

2.Focus
 私は本作のトレイラーから今回当然のようにひっかかったのが所謂「ミュージカル」部分で、さあここからシリアスな展開に突入しそうな場面になろうとした瞬間に突如アーサーやハーレクインやらが歌い出す、というシーンに多少興醒め感が感じたのも事実。いくらなんでも裁判中に歌い出したのはナシだろ(笑)あれには否応なしに興醒めしてしまった。まあでも後々考えれば映画もファンタジー性を保つ為の手段としてああいう華やかな歌唱シーンを演出するいわゆる妄想と捉えれば納得のいく話ではあるんだけどやはり実写映画でそれは無理が出てくるものではないだろうか。
そこへ行くとあの今年の夏に観た『ルックバック』というアニメ作品における妄想描写はめちゃくちゃ神がかってたなぁ。あれも規模は違えど本作に負けず劣らずのシリアスなシーンのある作品なんだけどあの妄想描写で一気にエンタメ性を取り戻したから。


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あとこれは特筆すべきだと思うがハーレクイン役のレディ・ガガが本当に素晴らしい。本作ではひたすら「推し」であるジョーカーに恋するかなりぶっ飛んだ前科ありの女性を演じてるんだけど、にも関わらずそう感情を表に出していないんだけど画面に彼女が立っているだけで完全に映画としてのドグマが成立する感じとか本当凄いと思う。今回アーサーは前作ほどエクストリームに走らないので、事実上の主役は彼女なのかもしれません。


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それにちょっと関連して最後に一言だけ。
この『ジョーカー:フォリアドゥ』全世界で賛否両論巻き起こっててまあ私は絶賛サイドなんですけども、グッズ展開の「あり得なさ」にはもうゲンナリしたよね。

.....というかアメコミ風のジョーカーやらハーレクインで溢れてて今回のフォリア・ドゥ要素は全くもってゼロ。正確に言えばサントラCDのみなのだ。
そもそもDC系MCに比べグッズ展開における力の入れなさげはデフォルトなんだけど、今作ではレディー・ガガ演じるハーレクインが凄くいいのは間違いないので最低限彼女のポストカードぐらいあっても良いと思った。

S-igen企画pre.オムニバスショートコント×LIVE「#悶々と愚問」レビュー #エンタメは心の太陽

本作は、『歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?』『悲劇のアルレッキーノ』に続く今回の出演者吉田彩花によるS-igen企画による第三弾公演『悶々と愚問』 である。


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本公演もオムニバスになっていてタイトルは以下の通りである。

一話「本番前」
二話「ポイちゃん」
三話「じゃない方」
四話「いいね」
五話「連帯責任」

....という5本もの1本につき7〜10分ほどの短編コント作品と、長谷川小夏と吉田彩花自身による(交代制の)アコースティック・ライブで構成された演劇公演というかイベントのテイを成した新たなエンタメのスタイルを提示したものとなっている。ちなみに演目後に演奏された20分のLIVEは通常モードではなくあくまで 『悶々と愚問』のシーンの一環としてのストーリーテラー的なモードだと感じで役柄と切り離された通常スタイルのライブとは異質のものだと言う印象をもった。

『悶々と愚問』においてはタイトルと同じグループ名お笑いコンビ「悶々と愚問」を中心として様々なマネージャー、後輩芸人、アイドル、女優など様々な人々との会話劇の中でTV番組にバラエティ等とは異質のコンテクストの中で生み出される制約や緊張感から解き放たれる独特な「笑い」に包まれているオムニバス・コントであるあらかじめ言っておくと、これは巷でよくある単なる「ショートコント」ではなかった。

普通【コント】というとお笑い芸人を中心に「ウケを取る」言葉ありきである設定上ボケたり突っ込んだりという漫才の延長線上にある出し物を言うが、今回作品も全く異質のものだったのも『あくわら』と類似している。こちらも演劇特有の【台本だ、台詞だ、リアルタイムで客の目の前で演じている】だと言う限定されたコンテクストが与えられていて、その枠からはみ出さずに生み出される笑いが中心である。これはお笑い芸人達がテレビ番組等で披露するコントとは違って驚くほどストイックなもので、お笑いで出てくるように楽屋でのネタやその演者のプライベートなどに触れる事はほとんど無い。むしろ舞台上のその限定された空間で時間制限すらある事を客席の我々は承知しているからこそ緊張感があってそこから生まれる笑い、それこそが『悶々と愚問』を支えるコアになっているように思う。この緊張感から生まれる笑いとはどう言うものか具体例を用いると、

例えば

おじさんが舌を出して「なんちゃって」とセリフを言う状況

にしても、いつもニコニコ愛嬌の良いおじさんよりもグラサンで傷だらけのいかにもヤクザ風情のコワモテの男が言う「なんちゃって」の方が格段に笑いを産みやすいのだ。なぜなら

ヤクザ風情+コワモテ+グラサン+キズだらけと言う要素が人々にある種の緊張感をもたらすからである。

よって「悶々と愚問 」というトータルタイトルで名付けられ展開される短編全5話は、テレビ番組のバラエティ等とは異質のコンテクストの中で生み出される制約や緊張感から解き放たれる独特な「笑い」に包まれている。
まあ「笑い」と言っても関西の某新喜劇的なコテコテのそれではなく演劇特有の会話と会話の間(ま)を重視した腹の底からクックックッと漏れる笑いが多々あって、その点は個人的な趣向にピッタリで非常に好ましくもあった。
そして本作は演劇分野で闘い続けた s-igen 企画主催である吉田彩花氏による【新たなエンタメのあり方】を掛けた宣戦布告であると断言できよう。
この辺りの「お笑い」「演劇」はたまた「音楽」とさまざまなエンタメ要素を一つのステージで盛り込むスタンスは少なからず中野新橋のライブバー・アトリエペガサス(バーペガ)で時に展開されるs-igen企画とのコラボ・アクトが大いに貢献しているように思う。


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そして、彼女が主催するs-igen 企画がこの3作目においてある種の「到達点」を感じたのは『悲劇のアルレッキーノ』のサキ的な存在が、今回以前の『歌えピエロ』で主役を演じた長谷川小夏によって「ポイちゃん」というキャラクターによって更にエクストリーム化してパワーアップした印象があったからだ。それにしてもポイちゃんは凄い。「何を経験してるとかしてないとか関係ないです。その人の感受性とかキャパシティの問題なんだから。経験値と心の豊かさと乏しさはイコールじゃないです。」2022年鑑賞時より、ポイちゃんの破壊力が殊更に響く。時空を超えて真理というナイフを翳して突き詰めてくるポイちゃんが今蘇る。あと「年上に敬語使えない奴が礼儀ってwwww」と言ってるセリフがあって何もかも今話題の「フ○ちゃん」と超絶リンクするではないか。S-igen企画、時代を読んでます!!

ぼけちゃんやぽてさらちゃんなどこの人に似た感じのSSWを関西でも何名かいるし、それにとどまらず映画『みぽりん』主人公的であったり、漫画『コジコジ』的であったり、なんかこの人はもうコロナ禍を経たエンタメが抱えてきたフラストレーション含め全てを象徴する最大公約数的アイコンだと思う。
ポイちゃんよ、この夏をかき回せ!!

あとついでに言えば、人気映画「ベイビーわるきゅーれ」の「ちさと&まひろ」のキャラも元々は「ある用務員」という別作品の脇役だった。しかも敵役。でもそこからキャラが好評だったため主役として大ブレイクした。
私はポイちゃんにそれと同じ雰囲気を感じる。
今後のS-igen企画公演で彼女の再登場は大いにアリだと思う。

では、他の登場人物についても一部言及しよう。

朝川優氏演じる「カサブランカ藤野」然り、「月9女優」然り登場人物達は今後s-igen企画でスピンオフ的に出てきそうなキャラの濃さに溢れている。
更にs-igen企画主催者であり出演者である吉田彩花氏もある種の進化を果たしたのではないかと思うのは、演目後に演奏された20分のLIVEは通常の「吉田彩花」或いは「Saika」としてのモードではなくあくまで 『悶々と愚問』のシーンの一環としてのストーリーテラー的なモードでのライブだったから。分かりやすく言うと『世にも奇妙な物語』でのタモリ的なスタンスであったりとか、もう一つ身近な例で言うとGahornz Creationでの即興芝居前の朝川優のようなあの素のようであって実はもう演目内にいる人が出てきてる、みたいなあの絶妙なスタンスというか。


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そして、今回「悶々と愚問』は間違いなく3人のお笑い芸人と女優とアイドルを手のひらで転がしていたのはその朝川氏演じる「カサブランカ藤野」だった。
思えば過去のs-igen企画作には『ピエロ』『アルレッキーノ』など常に「道化師」的な存在が示唆されていたが、今回は間違いなく彼がその役割を担っていたように思う。
そしてこうした「ピエロ要素」は(本演目鑑賞時点ではもちろん気づかなかったが)次作であり、同時に8月いっぱいこのチャンネルにて公開中の『すうぷ』にて主催である吉田氏自らが一人芝居という形で一心に背負うことになろうとは本演目の鑑賞時点ではもちろん気づく由もなかった。


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そちらも、あとこの前作に当たる『悲劇のアルレッキーノ』も合わせて鑑賞したらいろんな発見があると思う。


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もうそこには、S-igen企画のエンタメは心の太陽ワールドが広がりを見せている。

 

混沌が奇跡へと変わる時 ~#白神さき 主催『#バッカスと踊る月夜に金星が歌って』爆裂レビュー

混沌がコンセプトへと変わる時 ~ 白神さき 主催バーペガ イベント『バッカスと踊る月夜に金星が歌って』爆裂レビュー

Table of Contents

Ⅰ. バッカス前夜の遠吠え

Ⅱ. バッカスと踊る月夜に金星が歌って

Focus 1. 古郡翔馬(群像ピカタ)

Focus 2. 白神さき(トータルパフォーマー)

Focus 3. 「異国情緒」と「芸術的混沌」

 Scene1; 是枝みき(昭和歌謡スペイン語曲)

 Scene2; 彩野(中国古典舞踊)

 Scene3; 悦永舞 (向田邦子短編朗読、舞踊)

Ⅲ. バッカスの奇跡とは

0. バッカスの奇跡(definition)

1. バッカスの奇跡(1st miracle)〜家族家十入(落語)
2.バッカスの奇跡(2nd miracle)

3. バッカスの奇跡(3rd miracle)

4. バッカスの奇跡(4th miracle)

5. バッカスの奇跡(5th miracle)

Ⅳ. 混沌が奇跡へと変わる時

 

Making the simple complicated is commonplace;

making the complicated simple, awesomely simple,

that's creativity.

 

単純なものを複雑にすることはありふれたことだ。

複雑なものを単純に、驚くほど単純化すること、それこそがクリエイティブのなせる技だ。 

                                           -Charles Mingus(1922-1979)

 

Ⅰ. バッカス前夜の遠吠え

どんなに素晴らしいLIVEアクトがあってもそれを評論しなければ意味がない、と常々考えている。確かに音楽に”意味”を過剰に押し付けてしまうのは問題ある側面もあるが、個人的に忌み嫌うのが「楽しけりゃ良い。」と音楽を熱心に語ろうとする人達を「評論家ぶって」と一蹴しようとする手合いの輩であってそいつらよりは100億倍マシだとも考えている自分もいる。この種の考えが蔓延すると明白な駄曲ですら誰も指摘できず音楽家は露頭に迷って最後はそのコンテンツを死に至らしめると考えている。その証拠になんなんだあの最近の、てかここ10年ほど日本の音楽のメインストリームを占めているもの「ワチャワチャ盛り上がればOK」みたいなゴミバンドばっかじゃないか。*1なんで硬派なロックファンや、ガチな自称パンク野郎などはあんなもんにさばらせてなんの感慨も抱かないのだろうか。私はあいつらがハッキリ言って大嫌いである。私は常々最近のエンタメに欠如しているものは「歴史・文化に根ざした知性」だと思っていて彼らには一切それがないから。それはSNSでのコメントやレビューなんかでも同じようなことが言えて、蛸壺の如き身内だけでわちゃわちゃわちゃわちゃ薄いキラコメでデコり合って何がエンタメだよって話だ。ロック老害みたいな懐古主義ではないが昔の「ハイロウズ」や「タイマーズ」などにあって今のワチャ系バンド勢に決定的に欠けてるのは知性である。この人達はふざけてるようで実は参考文献や引用が非常に多いのだ。そういうものを見極めなければならない。だからここで重要なのはそれをただ闇雲に褒め称えるのではなく、歴史や文化と照合し、共通項とオリジナリティを見つけ、あくまで客観性とエモーショナル度の配合を絶妙にしつつ語り尽くすことである。とにかく今はサブカル的視点というのは危機的な印象があるのは、映画でも音楽でも或いは演劇ですら評論家ぶった意見をバカにする傾向あるけどそれは語彙力に劣等感を持ったバカの遠吠えに過ぎない。

*2

ちなみに私の音楽的ルーツはオアシスでもビートルズでもRadioheadでもなく評論家・田中宗一郎なのである。私は彼の影響無くしては未だに音楽など聞いていないのではないかとすら思うのだ。音像を聴き言葉で語ると言うパフォーマンスこそ私のアイデンティティであって、最早それはある種の言語パフォーマンスであると思う。あと数年前「音楽家評論家のレビューよりもTwitter(現X)で音楽アカ見てた方が役に立つ」みたいなポストを見たことああるが、多分そいつは単に勉強不足でまともな評論文を読んでないからだと思う。数年前某バンドの古株ファンのお姐さまから「あなたは何万字もブログ記事書いてるけど私には正直意味がわからない、でも音楽好きなのだけはわかるw」と軽く牽制された事があったがコイツらには不可能で私にできるのは熱狂的状況を作り出せる事、最早音楽ジャーナリズムは死んだ、今は個人でそれを演出できるのだってことを理解してないのだ。大体そう言う輩に限って理屈で音楽をゴタゴタ語るななどと、言い訳がましく主張するわけだけれど私は君たちそんなんだからワチャ系バンドとその取り巻き如きに舐められてるんでございますよ、と冷静にキレておく(笑)。そう、言葉こそが最小かつ最強のエンタメツールなのだと私の感性がもう体感として知っている。もう長くなりそうなので、もっと乱暴に言えば「言語を舐めるなアホ。今後もガンガン風穴あけてやる。そしてそれが伝説になるのだ」ってこと。

.......以上、前提は終わり!

 さて、本題に入ろう。ここで「伝説」を自分なりに定義したい。伝説とはただただ能動的に「存在している」ものではなくて自らの手で「成し得ていく」ものだと思う。

では最初に以下のテーゼを設定しておきたい。

As for a concept of legend, the definition of it is not passively "there are" but positively "making it", that is the truth.

 

伝説とはただただ能動的に「存在している」ものではなくて自らの手で「成し得ていく」ものだと思う。

そしてそれこそが真実であると。

そして私は7/28で目撃したこの「バッカスと踊る月夜に金星が歌って」というイベントには本当に希望の光を見たのだ。

上記のフレーズを土台にして、本記事を執筆することでそれを立証して本イベントを「伝説」にしようというのが本記事の趣旨である。

 そしてそんな思いは既に6月30日からすでに決まっていたのかもしれない。6/30辺りのポストがそれを完全に証明している。今回のイベントの主催者は白神さき氏。ここ最近バーペガでのイベントやライブを皮切りとしてエンタメ活動のフィールドを広げ続けているボイストレーナー、シンガー、表現者、役者など様々な肩書きを持つトータル・エンターテイナーである。

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Ⅱ. バッカスと踊る月夜に金星が歌って

本イベントが素晴らしかったのは中国舞踊だったり昭和歌謡だったり朗読や落語だったり、バレエや前衛アートだったりマジもんのカルチャーだったけどあくまでポップフィールドでのコンセプチュアルなLIVEだった事。全体として、コンセプトバランスから何からハッキリ言って、2024年私が行ったライブ中で、或いは私が参加した中でバーペガアクトの中でもダントツ一位の掛け値なく素晴らしいイベントだった。

Focus 1. 古郡翔馬(群像ピカタ)


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set list

1.人間もどき
2.金星の一面通過を見逃した
3.閃光星
4.アイアイ

そしてこの人。一曲目、当然のようにイベントタイトルに呼応するかのように『金星の一面通過を見逃した』をぶっ放したバーペガ店長、古郡翔馬。

そして『閃光星』からのまたもMCでゴッホの名が登場する。
正に宇宙とアートの邂逅。「混沌はカオスではない。」という言葉がフッと私の頭の中で閃く。本イベント にある「混沌」というキーワードに最も符号するパフォーマンスをするだろうと予想してたが予め弦が切れて悉く混沌でカオスでKaosな展開。おまけにこの日の東京の気温上昇っぷりが半端なくてクーラ効きが悪いのなんのでかなり暑かったが、そういう意図せぬ演出効果(?)も相まってアコギなのにシューゲイザーサウンドでもカマされているような灼熱のグルーブに拍車がかかる。

でもこんな書き方をすれば誰しも、プログレッシブ・ロックかジャズのインプロビゼーションでも聴いてるような長尺の演奏を彷彿とさせるだろうが、驚くべきことに彼の演奏タイムはなんとキッチリパフォーマンスタイムの20分を遵守してて「20分03秒」だったのだ。

もう、これは単なる「混沌」ではない。

混沌がコンセプトへと変わった瞬間を見た思いだった。

Focus 2. 白神さき(トータルパフォーマー)


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set list

1.命のリズム

2.幸せの在り処

3.この声が世界を変えるならば

次に一アクト挟んでトリであり主催者である白神さきのパフォーマンスである。セトリ的には3曲だが、この二曲目と三曲目との間にはものすごいコンテクストが存在するのを記述しておかねばなるまい。二曲目の後、弾き語りを一旦止めて憂鬱な表情で上着を脱ぎ前方へ歩み足に絵の具をつけ絵を描き花びらを撒き散らし再び歌い始める、という見たものにしか何が起こっているのか伝わらないライブであり、アートパフォーマンスであり、はたまた舞台演劇の一場面でもあるかのような事件が怒ったのだ!

これぞ正に「混沌」の世界である。

だがこれに以下のコンテクストをつけよう。

一度声を失った少女が歌を歌う事ができずに、何か別の手段で表現しようと葛藤した末にダンスを覚え、絵画を覚え、そうしてようやく声を取り戻すことできた末の奇跡の光景の物語

するとどうだろう。先の混沌性は消え失せ、ある種の演目レベルの物語が形成されることに気づくだろう。

その瞬間、またもや混沌は概念へと変貌するのだ

ここでまたもやカオスがコンセプトに変わる瞬間を見る。

正に白神さきとは混沌という怪物を見事に操るという奇跡を増し遂げたのだ。正に概念の魔術師なのかもしれない。

1950年以降に活躍したアメリカのジャズベーシストであり思想家でもある、チャールス・ミンガスによる以下の言明がその符合性を見る。再度またここで引用したい。

Making the simple complicated is commonplace;

making the complicated simple, awesomely simple, that's creativity.

 

単純なものを複雑にすることはありふれたことだ。

複雑なものを単純に、驚くほど単純化すること、

それこそがクリエイティブのなせる技だ。          

 -Charles Mingus(1922-1979)

私はここで「バッカス」という混沌とした概念をアトリエペガサスの限られたスペース(空間)を一つの大きなスペース(宇宙)へと具現化した白神さきという表現者喝采したい。企画者の努力とセンスに敬意を最高のアクトでありバーペガが「アトリエ」の名を背負ったからこその"境地"だとも思ったりもして。確かに彼女の声は7月29日、誰よりも世界を変えたのだ。

 

Focus 3. 「異国情緒」と「芸術的混沌」

主催者、白神さきはこのイベントを「異国情緒」と「芸術的混沌」という二つの流れを汲んだアクトを集めその呼称に相応しく国際色豊かな演目が繰り広げられたのも大きな特徴である。そのうちの幾つか印象的だったものを概観していきたい。

Scene1; 是枝みき(昭和歌謡スペイン語曲)

 思えばバッカスの奇跡の軌跡の始まりはこの方のパフォーマンスからだった。スペイン語の歌や昭和歌謡ウクレレでまるでオルタナティブロックのように鳴らすその姿は本当に圧巻だった。私が以前寄贈した浅川マキのレコードも良い演出効果も発揮していた。


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Scene2; 彩野(「中国古典舞踊」)

彩野という主に時代劇などの芝居や、日本舞踊(花柳)などをされている方らしいが、この日は中国古典舞踊をされていて、このジャンルは人生で初めて観たけどこれもまた凄かった。

20分という枠の中で時代区分事に曲目が分かれて進行していくのだ。それぞれの曲目が独立した世界観を内在しつつもどこか一貫しているようなストーリー性も見え、個人的には全曲トータルで輪廻転生のようなものを感じたりもした。  


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Scene3; 悦永舞 (向田邦子短編朗読)

次は役者のみならずナレーター、ダンサーなどもやられている悦永舞 氏による向田邦子短編朗読があった。後日「バーペガで本の朗読は初めて」という事実を店長の翔馬氏から聞いて少なからず驚いたものだ。去年の今頃、私はKAORIN氏による同じスタイルの朗読会に参加しててしかもその時の著者は数時間前個展でお話しした久住昌之氏だったのも奇跡だった。


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Ⅲ. バッカスの奇跡とは

0. バッカスの奇跡(definition)

しかも【バッカス】とは何か?起源を辿っていくと「ローマ神話の酒神」を意味するらしい。

*3

そしてこの「バッカス」とは、酒の神、豊穣の神でもあり、混沌や熱狂を生み出す神様だと言う。ちなみにローマ神話でのバッカスは、ギリシャ神話でのデュオニソスに相当し、両者は同一視される。

(グイード・レーニ《酒を飲むバッカス》)

(カラヴァッジョ《酒を飲むバッカス》)

それで、以下、音楽作品としてはバッカスにちなんだ「バッカナール」と呼ばれる曲が存在するのでついでに紹介しよう。 


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クラシック音楽にあまり造形の深くない私だが、正に曲を聴く限りにおいてどこか混沌と饗宴と熱狂とが共存している感は理解できる。これを基に以下5つものバッカスの奇跡を定義したい。

 

1. バッカスの奇跡(1st miracle)〜家族家十入(落語)
バーペガに来る前にあの『孤独のグルメ』原作などで有名な久住昌之氏の個展で手拭いにサインして頂いててステージ脇に飾ってもらったのだがその絵柄が久住氏が切り絵で描いたという古今亭志ん生の絵と『親子酒』の一節をあしらったものである。
手拭いに書かれている『親子酒』の一節はこちら。

酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色をみない。
貧乏人も金持ちも同じように酔わしてくれるんだ。

というフレーズがシンクロするのだ。そして落語といえば、ここバーペガでもレアな家族家十入氏による落語アクトがあったのだ。これぞ正に「バッカスの奇跡」である。


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2. バッカスの奇跡(2nd miracle)

白神さき&古郡翔馬らを主体としたパフォーマンスを見て宇宙とはビッグバンから生まれるものだとか思ってたらある事に気づいてハッとした。実はこの日、バーペガにElectric Mama(通称:エレママ)の新曲のポスターにサインをつけてもらっていたのをお土産に持って行ってたのだが、何とその新曲のタイトルが「Astro Dancer」だったからだ。

*4


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*5

その他にもバッカスと踊る月夜に金星が歌ってというイベントには様々な奇跡が起こった。

以後、これを「バッカスの奇跡」と呼称し紹介していこう。

 

3. バッカスの奇跡(3rd miracle)

ポスターに関してのもう一つの奇跡が。この日2枚目の『ボールドアズ、君』のポスターも貼ってもらったのだが、本作が最初に東京で7月半ばに試写上映されたの高円寺のミニシアターの名が『シアターバッカス』なのだ。

*6

逆に言えばバッカスでしか本作はまだ上映されていないのだ。これも完全な偶然。バッカス】は言霊のように色んなものを誘き寄せた。


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*7

 

4. バッカスの奇跡(4th miracle)

更にもう一つのバッカスの奇跡を紹介しよう。
白神さき氏の渾身のバレエを踊りつつ足に絵の具を付けて書いた絵はこちらである。

だが右側の矢印部がどこか飛翔する「ペガサス」に見えないだろうか?そして左矢印は立っている人の背中から翼が生えているようにも見えるではないか。そして更に古郡翔馬氏によると、ゴッホが描いたとされるペガサスとほぼ羽の色もボディの色も同じだというのだ。

 

5. バッカスの奇跡(5th miracle)

そしてこれは後日談になるのだが、バッカスより5日後の8月1日、白神さきはバッカス以来のインターバルをほぼおかずにパフォーマンスをしているのだ。

「クローン対策は我々の心」というイベントのトリでバッカスの混沌を経たからこその次のヴィジョンを見据えたかのようなパフォーマンスが繰り広げられた。

この日のパフォーマンスは配信で観たのだが、「ダンスに始まる→その後ピアノ弾き語り」というあの時とは真逆の構成なのも新鮮だった。 ところで彼女のパフォーマンスが終了後、アイスランドのバンド、Sigur Rosの『Hoppípolla』がかかっていたのに気づく。


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なぜこれが奇跡なのかと疑問を持たれるかもしれないが、実はこの曲幸せへのキセキ(We bought a zoo)』という映画での主題歌でもあるのだ。そう、邦題のタイトルは「キセキ」とカタカナであるが本編を見ればわかるが、「奇跡」と「軌跡」とをかけたつけられたなかなか秀逸なセンスの邦題なのだ。これを把握した上での選曲だったのだろうか? と思うほどの偶然に驚いた。

*8


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Ⅳ. 混沌が奇跡へと変わる時

ここまで、コンテンツと見解とを分けて7/29にアトリエペガサスにて開催された白神さき主催イベント「バッカスと踊る月夜に金星が歌って」についてレポートを試みた。本イベントが本当に素晴らしかったのは中国古典舞踊だったりスペイン語の曲だったり、昭和歌謡だったり朗読や落語だったり、バレエや前衛アートだったりで所謂サブカル領域のそれではなく歴史に根付いた文化そのものだったけど、あくまでそれらを用いつつも高尚なアカデミックな雰囲気を翳すわけでもなく、あくまでポップフィールドでのコンセプチュアルなLIVEだった事だと思う。


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その要因は何だろうか、と考えた時にやはりこれまで述べてきたようにさまざまな奇跡の存在であると共にさまざまな演者達によるパフォーマンスの混沌性という体をなしておきながら敢えてそこからのコンセプチュアルな流れがあるものと予期した白神さきの先見の明によるところが大きいのではないかと思う。そして私は、京都のバンドユニットであるpod’zの記事において私は彼らの音楽を通じて「未来を掴むためには過去からはじめないといけない。」という一つの結論を得た。彼らも以前のキラキラしたエヴァーグリーンな6曲ものポップミュージックを詰め込んだアルバムタイトルに敢えて『classical』というタイトルをつけているのだ。そう、だからこそバッカスのイベントはポップミュージックのような煌めきとリアリティを秘めているのだと思う。伝統芸能も文化も歌謡曲もパフォーマンスもオルタナティブもロックも前衛アートも全てが共存するジュークボックスのようなイベントだったのだ。混沌がコンセプトになり、そして奇跡を生んだのだ

*9

だからこそ、このイベントはポップカルチャーの範疇に組み込まれるべきライブなのだ。

Ⅱ章のバッカスと踊る月夜に金星が歌ってのFocus 2.における 白神さき(トータルパフォーマー)でも触れたように、そうした思いは1950年以降に活躍したアメリカのジャズベーシストであり思想家でもある、チャールス・ミンガスによる以下の言明がまた別にの視点でその符合性を見る。

再度またここで引用したい。

*10

Making the simple complicated is commonplace;

making the complicated simple, awesomely simple,

that's creativity.

 

単純なものを複雑にすることはありふれたことだ。

複雑なものを単純に、驚くほど単純化すること、それこそがクリエイティブのなせる技だ。 

                                           -Charles Mingus(1922-1979)


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そう、正にcreativity(創造性)の賜物がここにあったのだ。

そしてここではcreativityによってシンプルにする事こそポップカルチャーの果たすべき使命があるように思うし、混沌であったかのようなこのバッカスイベントが全体として実は一貫したコンセプトを産んだのも全てのパフォーマーたちのcreativity(創造性)のなせる技ではないか、とも考えている。

 そう思ってたらふと思い出す節がある。実はもう一つの6つ目の奇跡があったのだ。実は私はこのバッカスイベントの翌日7/29に場所は同じくバーペガにて「しょまちゃん(古郡翔馬)×たいちゃん(神田泰輔)2MAN SHOW!! 昼間から酔っ払ってあいつがやってくる"」というツーマンのイベントに参加していたのだ。そこで正に偶然にも私は「クリエイト」というワードに出くわしたのだ。

それがこちらの前日に続き古郡翔馬の『人生クリエイト』のパフォーマンスである。


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この『人生クリエイト』という曲は古郡翔馬氏によるオリジナル楽曲の中で1、2を争うぐらいで好きな曲で、個人的に久々に聴けた喜びに浸ると同時に、ここ最近のバーペガを取り巻く様々な流れを如実に言い当てていることに驚く。

目に見えるもの拾うのは目に見えた奴の特権...

人生クリエイト 創作生活真っ最中

動き回ってる芸術を素手でそのまま鷲掴み

ここで「目に見えるもの」「動き回る芸術」だったりは正にアトリエペガサスという空間で日々様々な芸術やパフォーマンスが繰り広げられたり日々のインプットなどから得られるものだったりと様々な要素が垣間見える。そうしたぬらぬらと命を燃やしながら動き回っている鮮度抜群なイキの良いものを鷲掴んで調理していくatteitude(姿勢)、behavior(行為)そしてcompetence(運用能力)こそがバーペガの核であり、こうした姿勢の成果として今回の素晴らしいバッカスイベントだったり、この所は関西におけるインディーズ映画界との繋がりだったりと様々な形でさ次々と萌芽し続けているのだ。

私もここに来るたびに現在在住している関西におけるイキの良いエンタメ要素を注入して微力ながら加担していて、とある計画も企んでいる。もう、準備はできている。

 そう、まとめに入ろう。伝説とはただただ能動的に「存在している」ものではなくて自らの手で「成し得ていく」ものだ。

As for a concept of legend, the definition of it is not passively "there are" but positively "making it", that is the truth.

 

伝説とはただただ能動的に「存在している」ものではなくて自らの手で「成し得ていく」ものだと思う。

そしてそれこそが真実であると。

この、冒頭で打ち立てたテーゼはこのイベントにとって何がどう変わっただろう。

ここまで12126文字を経た今となってはバッカスと踊る月夜に金星が歌って」というイベントの存在価値は読者にとってもある種の変貌を遂げたであろう。そう、伝説として語られるべき主体として。そしてこの伝説は金星が歌った月夜の果ての次の景色として継承されるだろう。またそれは別の伝説への布石として...*11

 

 

*1:所謂ワチャ系と言われるバンドたち。Tシャツだったり果物だったりw

*2:この辺りのサブカル論に関する過去記事はこちらを参照に。

nenometal.hatenablog.com

*3: 「バッカス」の定義としては主にこちらの記事を参照とした。

ontomo-mag.com

*4:エレママに関する過去記事はこちら

nenometal.hatenablog.com

*5:最近のエレママ新曲群は宇宙とリアリティとは常に地続きである事を教えてくれる。そう、「Space」が空間と宇宙を意味するように。今回もAstroDancer とは決してAndroidではなく生身の人間だとでも言いたげな本MV。これほどスケールのでかいラブソングを他に知らない。

*6:

シアターバッカス近くで路上ミュージシャンに合わせてアバンギャルドなラジオ体操風ダンスをするシーンで人々が面白がって見物してるシーンとか正に高円寺って感じ。
クールな街だとササっと皆去っていきそうだから。
あと本シーン含めウイカ氏がこんなに役に徹する人なのかってのも驚き。#炎上する君 https://t.co/ULYMX5t7zM pic.twitter.com/KUtdfwJYgB

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年8月13日

*7:『ボールドアズ、君』に関して;来年本格公開の音楽映画。監督は『ディスコーズハイ』の岡本祟。スルムース、アシガルユース、P-90、そして後藤まりこを中心とした映画オリジナルバンド、「翳ラズ」ととにかくLIVEハウスでのバンド勢の演奏シーンが美しすぎて涙が出た。本作は日頃主に心斎橋周辺で血と汗を流しパフォームしている彼らに光を当てている音楽映画であり、今後音楽を愛する全ての者達を祝福するアンセムになるだろう。

*8:幸せへのキセキ(We bought a zoo)』に関して。

ja.wikipedia.org

*9:京都のバンド、pod’zに関する過去記事はこちら。

nenometal.hatenablog.com

*10:チャールス・ミンガスについて。ちなみに大阪地下鉄御堂筋線梅田駅近くにある「ミンガスカレー」の由来てこの人からきてるんだろうか?

ja.wikipedia.org

*11:

S-igen企画pre. #吉田彩花 一人芝居『すうぷ』YouTube夏期限定公開記念レビュー

S-igen企画pre. #吉田彩花 一人芝居『すうぷ』YouTube夏期限定公開記念レビュー

いつだっただろうか、そもそも『soup』の語源を調べてみると【汁物】ではなく【煮汁に添えるパン】だったとの事を聞いた時結構驚いたのを覚えている。


結構、というより最早根底からひっくり返されたようだったいった方が近いのかもしれない。
だって「スープの飲み方一つで…」と言うよりも我々のスープに関する既成概念自体が遠い過去からすると「スープを飲むこと自体がもう普通の行為じゃない」という事だからだ。
そんなことを思いながらこの演目を鑑賞した。


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そして本演目の主題歌であるなみたすゐ『soup』は本演目が上演される半年ほど前ぐらいから既に知っていたのだが、最初に聴いた時に「普通でいる事」の窮屈さの所在は多様性へと希求せんとする本能にこそあるものだと解釈していたが、本演目の焦点は少し違ってて「自由に生きる事」へとシフトチェンジしている点に脚本の吉田彩花のオリジリティを感じたりして。
いずれにせよ、人は『すうぷ』『すーぷ』『スープ』『soup』を飲む度に何かを絶えず何かをリセットしているのかも知れない。
私個人も舞台演劇が好きで今まで様々な演目を見てきたがこの『すうぷ』に関して数多くの既視感のあるシーンや心理描写に出くわしたものだ。

その象徴としての「一人っ子」という設定。
そう、というのも私自身も一人っ子だった為に幼い頃から他者から常にプロトタイプとバイアスを突き付けられてきたから、というのもある。

だが不思議と一人でいても孤独では無かったし、むしろ親戚一同の集まりみたいな大勢いる会合がすごく苦手だったくらいだ。親戚一同の集まりで他の子供たちが兄弟姉妹同士でつるんでる中当然私は黙ってると「やっぱり一人っ子は大人しいわねえ」かなんか言われがちで「そりゃ一人でブツブツ喋ってたらおかしいやろ💢」などとアングストしてたのを思い出したりして(笑)
 常に私の中に第2の私が心のチューニングしてくれる音を鳴らしてくれたからむしろ孤独であることの方が心地よかったものだ。
ちょうど今回演目でのなみた氏のように。

そして、本演目がS-igen企画における最大の挑戦作だと思ったのは曲『soup』はジェンダー論などを含めた多様性が下地にあってこその普通への違和感が吐露されてると思うが本作は「普通」を日常生活さながら使う「普通」に焦点化しており人によっては絶望の物語と捉えかねない危険性を孕んでいる点でもあるそれでも私はラストの台詞で希望と受け取ったがそこに本演目のコアがあるのかもしれない。

ギリギリの状況で見える希望の光が差し込むのだ。

そこが良い。

少し話は脱線するが吉田氏がSaikaとしてリリースしている『不敵な迷子』というオリジナル曲があるがこういうフレーズに出くわす。

良いものは少しで良い 植木を一つだけ磨いた

当初、本フレーズは喧騒の毎日から心の安らぎを求めようとする歌詞世界であってポストコロナへ向けた希望の歌だと思っていたが、こうして『すうぷ』とを比較してみるとここにパンクスピリットにも似た美学を感じ取ることができような気がしてならない。

さて、ここから更に妄想力を逞しくするが、もし海外で本作がリメイクされるならば恐らくracism(人種主義)がテーマになるだろう。
『soup』とは多様な具材を煮込み生成される暖かい液体。
それはさながら人類の歴史で多様な人種が配合した上で育まれる血潮とも準えられる。それをあくまでドメスティックな物語へと落とし込めた所に本作の独創性がある。

そんな思いを抱きながら2年前に見た記憶を重ね合わせながらこの演目に向き合おうと思う。
また2022年とは違った味わいがあるだろうから。

正にこの歌の響きのように。


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インディーズ精神が世界を変える!『#温泉シャーク』(井上森人監督) ネタバレなしレビュー♨︎🦈!

インディーズ精神が世界を変える!『#温泉シャーク』(井上森人監督) ネタバレなしレビュー♨︎🦈!


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本作、界隈で話題にはなってるのを知ってたが、8月2日テアトル梅田にてようやく鑑賞。

もうハッキリ言って凄かった。
どれぐらい凄いかって「中華そば頼んだら麺とスープが無くなったからってんでウニとイクラと鮑と鮪とキャビアが乗っかった海鮮丼がドーンときた。」ような唐突な展開予測不能さ。

(なんのこっちゃw)

これを「アバンギャルドB級映画」として片付けるのは簡単だがインディー精神をここまで極めると迷いなき金字塔が完成するのだ。

もう内容云々よりそういうアティテュードに惹かれる♨️

敢えて本記事ではストーリーの詳細には触れないが公式HPからストーリーは以下のようなものである。

S県暑海市では 温泉客がこつぜんと姿を消す連続失踪事件が発生していた
しかも被害者はその後
海でサメに襲われた遺体として発見されるのであった
捜査に乗り出した察署長は 古代から蘇った猛なサメが暑海各地の温泉を行き来し
人々を襲っている事実を突き止めるのだが・・・
戦いは温泉地VS凶暴サメに!

 それを象徴するのがエンドロールの話だ。その中で本作はクラウドファンディングを通して制作しているのだが、そのクラファンに参加している人の膨大な数にはほんとに驚いた。
かくいう私もクラファンなるものに参加した経験あるからわかるんだけど、普通だったら参加者合計してエンドクレジット10行位で終わるところが、本作では50行ぐらい物凄い数のXアカウントらしき名が羅列してるのである。

それもそのはず、HPにおいてクラファンについての達成率が半端ないのだから。ここで引用してみる。hotspringshark.com

SNSで話題をさらった怪作がついに全国劇場で公開 2023年に実施したクラウドファンディングでは
開始からわずが5時間で目標金額100万円を達成!
最終的には、1278人の支援者と
1支援ごとにサメが増えるプランで432匹が登場決定 全国自主怪獣映画選手権2連覇の鬼才・井上森人監替が
特撮と温泉とサメの大群で
日本から世界のサメ映画界に殴り込みをかける

こうした事実からこの映画はかなりの人々の協力と熱意を持って制作されたのがわかるし、本作のところどころに垣間見える熱量の濃さの理由もわかる気がする。
もうそこに感動する🦈

 イタリアの有名すぎる前衛画家、パブロ・ピカソ「熱狂的状況は作り出せる」というようなことを言ったらしいが、正にその名言を彷彿とさせるし、そうした意図のもと製作されたのだろうという事は想像に難くない。

少し話は脱線するがこのようなインディーズ精神に関してもうちょっと定義したい。過去記事(『ポスト・サブカルのゆくえ〜バーペガ「神会黙契(しんかいもくけい)」が示唆するエンタメの未来』)で群像ピカタというバンドの『No.9』という曲の一節とキング牧師の名言とを組み合わせて定義している。

 

nenometal.hatenablog.com

以下の引用をみよう。

この曲を象徴する以下のフレーズとの邂逅を見る。
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アンダーグラウンド
ぐつぐつ煮えたがっている oh oh oh
地中からのアッパーカット
下からぐらつかせてうなづかす
ー『No.9』群像ピカタ

 そして第1章の冒頭に立ち返ろう。かつて1960年代にワシントン大行進や公民権運動などで人種差別撤廃に多大なる貢献をしたMartin Luther King, Jr.(キング牧師1929~1968)はこのように言った。

Almost always, the creative dedicated minority has made the world better.
常に世界を変えてきたのは創造的で直向きな少数派だ。

そしてこの言葉は8割方は彼を奮い立たせるものであって彼の業績の象徴となったが残りの2割程度は不運にも志半ばのものとなった。なぜならキング牧師は38歳の時、テロリストの放つ銃声と共に非業の死を遂げたからである。しかしここで残されたスプリチュアルな言葉は生き続け「言霊」となり、今もなお多くの人の心に訴えかけ続けている。ここで音楽文脈に当てはめていくと生きるか死ぬかのライブハウスという戦場で世界を変える為の革命者たちはいつも「Minority」である。ビートルズだってオアシスだってグリーンデイだって最初のステージは小さなライブハウスで恐らく100人もいなかったのではないかというのは想像に難くない。だが確実にその日から世界は変わったのだと思う。そして、大事なのはそういう事をはっきり意識してそれを実行できる音楽家はごくごく一部に限られるのだ。

 

そう、正にこの『温泉シャーク』の本質はここだと思う。正にダーグランドから煮えたってぐつぐつ突き上がってくるパワーがこの作品にはあるのだ。そんなグツグツ煮え立つマグマのような温泉の源から突き上がってくるものの象徴としてのサメが淘汰されたのだろう。だから温泉♨︎」と「シャーク🦈」が組み合わさってこのようなパワーある作品が産声を上げたというのも偶然ではなく必然だと言えるのではないだろうか。あと同じような場面・場面で垣間見える確信犯的なギャグのかまし方として類似していると感じる作品としては小野峻志監督『野球どアホウ未亡人』が好きな人は『温泉シャーク』好きだろうな〜とも思ったり。

ついでに軽く『野球どアホウ未亡人』も触れておけば野球映画と言っておきながらほぼ野球の定義というよりもメチャクチャな根性論だったり和田ラジヲ的なシュールな笑要素もふんだんに盛り込まれている未だはっきりと定義できない(それが狙いなのだろうが)異色の怪作である。その文脈で言えばタレントの関根勤あたりどっちの作品も好きそうな気がする。

多分あの人観たら笑いながら「くだらね〜w」とか涙目浮かべつつ言いつつ喜ぶのが容易に想像できる。もちろん彼にとっての「くだらねえ」は最高の褒め言葉だろうから。

いずれにしてもこの二作はそういうコアな所でシンクロするからだ。


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あともう一つの衝撃はこの映画のテーマ曲で、エンドロールと共に流れる壮大すぎるメタルシンフォニーなプログレ曲を聴いて今までの映画本編へのツッコミどころが全部ぶっ飛んで否応なしに感動してしまった。ある意味ひっくるめられる感があったのかも。Storytellingsというユニット(?)の『灼熱の戦歌』という曲である。


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いやいや、これがエンドリールでかかってこの暴力的なまでの感動の説得性に納得せざるをえなかった。
そして、そういう姿勢はパンフレットの細かいところにまで及んでいたりもするのだから2200円とやや高めなのだがぜひ手に取って読んでいただきたく思う。

個人的にはラスト付近の広告ページの抜け目のなさにハッとしたものだ。
本当に凄まじい映画だ。
今後も本作はインディーズ映画がインディーズ精神をこれでもかと極めた金字塔的作品として君臨するだろう。もしかして続編などもあるかもしれないけど...ととある場面見て思ったかな。

とにかく心して観よ、そして震えて刮目せよ!!!!!

あと例のカードの裏、「マッチョ」さんだった。ある意味「当たり」なのかもしれない。

 

ぼけちゃん(#ヒミツノミヤコ)のいちばんおうた楽団「呪いは、にせもの」レビュー!〜ストーリーテリング・パフォーマー、ぼけちゃんの魅力に迫る〜

The flower that blooms in adversity is the rarest and the most beautiful of all. 
(逆境の中で咲く花こそが最も貴重でかつ美しい)
ーWalt Disney(ウォルト・ディズニー、1901 -1966)

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7/14日曜日、16時10分、「お魚フェス」というフェスにて初披露されたこの新曲『呪いは、にせもの』が途轍もなく素晴らしかった。
序盤でSmashing Pumpkinsの名曲『1979』のような坦々とした90sのインディー・オルタナティブロックなトーンの曲かと思いきや、徐々に熱量とバンドダイナミズムが上がる展開に圧倒された。


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本曲の根底にはあるのは「POPミュージシャンとしての理想への果てなきロマンティシズム」だと思う。
個人的にぼけちゃん の好きな点は音楽シーンにおける現在の立ち位置を踏まえながらもそれでも壮大なサクセスストーリーの主人公であり続けようとする点である。
こう言う視点から曲を放つシンガーソングライターは私の知っている限り皆無である。
そのことを証明するかのようにライブレパートリー曲である『宇宙感情線』の演奏直前直前、ぼけちゃんがフロアに向かって「歌になって下さい!」と言い放った瞬間、彼女をありきたりのSSWならぬストーリーテリングパフォーマー足らしめている理由が分かった。
もはや彼女の頭の中に自らを主人公に携えた壮大な物語のシナリオがあるのだ。
それは例えば、「いちばんおうた楽団」名義での最初に放たれた「 いとなみの中に流る音楽 」における

僕を知らない そんな事実がきもちわるいよな 

イヤホンから流れ出す音楽にも僕はなれたはずなのに

この始末さ

と言う一節にも如実に現れている。


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 断っておくが私はこの一節は決して現状否定の「自虐」ではなくサクセスストーリーへの伏線として捉えている。
我々はそんなミュージカルのような物語の歴史の目撃者でありそんな物語の加担者でもあるのだろう。
そして話を7/14の「お魚フェス」に戻すと、「嬉しい時も悲しい時も君の世界で私の音楽が鳴ればいいと思っている。君よ僕の歌になれ。」
要約するとこの日のMCで彼女はこんな風な事を言ったと記憶している。「呪いは、にせもの」と名付けられた本曲はそんなリアリズムとロマンティシズムのせめぎ合いから生まれた正に言霊のような名曲である、と断言したい。

 

Appendix;

ぼけちゃんソロワーク『みんなきらいだよ』レビュー

 本EPを聴き倒して思ったのは全曲が決してファンタジーではなく現実世界そのものの鏡だという事。僕らは日常という名の戦場を生きていて「全てぶっ壊れてしまえ」という思いに苛まれる事がある。そんな日々のアングストに立ち向かうぼけちゃんの強いアティテュードが垣間見える極めてオルタナティブ精神に満ちたアルバムであると思ったりして。だからこそ彼女がリアルと物語とを架け橋に突き進んでいるサクセスストーリーへの伏線がここにもあるのだ。ノローグと抒情的な歌が印象的な一曲目の『メンヘラポップの国』以下のフレーズがある。


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生きたいくせに、私は、死んでいる

このフレーズには実は既視感があって、それは90年代末期に鮮烈デビューした中村一義の名曲『ここにいる』の

見えないし、行けない。けど、僕達、ここにいる

とのリンクとその果ての光景を見る思いすらするのだ。
だが、ここにこそこの2024年の世の中を生きる上での光があるようにも思えるのだ。
安直な応援歌もラブソングも不要だ。この歌があれば生きていける。


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そしてこのアルバムは正に現代の【マザーグース】とも称すべき、キャッチーながらも全曲ある種の【毒】と【メルヘン】とのバランス関係が絶妙で何度も聴いてしまう中毒性にも溢れているがそれを象徴しているのが『友達なんてゆるさない』であったり、或いは『きらいきらい行進曲』であったりでそれを感じ取ることができる。


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『きらいきらい行進曲』に関して2023年10月から上演された映像劇団テンアンツ「探偵かねだはじめたがやすけ犬噛唐草殺人事件」で本曲を推薦し選曲に採用されたことがあるのだが、数ある選曲群の中でも特にこの曲のキャッチーさや中毒性や歌声などがなべやかんさんなどの出演者も観客問わず概ね好評だった。

この中毒性のある🐈ソング。聞けば聞くほど根底から滲み出る「全部○してしまえ」というアングストに共鳴してしまうが、劇中どう解釈されるのか?と興味があったのだが、ピュアながらどこか世の中を見透かす聡明な面が両者驚くほどリンクする、はるちゃん(古川藍)にはテーマ曲があるがもう一つイメージにピッタリだった。そして何気にはるちゃんのルックスがぼけちゃんとダブったりするように感じるのは気のせいだろうか。台本段階とは違って新たに『きらいきらい行進曲』の一節を彼女のセリフに加えたようだったし。

そして最後に話を「呪いは、にせもの」に戻そうか。

この曲の後半でぼけちゃんは歌うという範疇から外れもはやアジテイトするかのように叫ぶ。その時に我々はストーリーテラーとしてのぼけちゃんの歌の旅の途中のウォッチャーであり、加担者でもあるのだ。

そんな思いを込めてこの記事を終わらせたい。

僕が街に鳴る音楽になって
君を苦しめたい!
君を苦しめる雑踏を僕の音楽でかき消したい!
僕は音楽になって、夢になって、
君から、きっと離れない!
僕が音楽になって、夢になって、風になって、時になって、愛になって君を、この街にする。

 

 

pod'z(ポッズ)全楽曲爆裂レビュー〜流れつぐ歴史が伝えるポップミュージックの真髄とは〜

pod'z(ポッズ)全楽曲爆裂レビュー〜流れつぐ歴史が伝えるポップミュージックの真髄とは〜

0章. ポップカルチャーのあり方とは?

第一楽章: アルバム『106』レビュー

1.『クロヨア』

2.『ペアカップ

3.『レイダー』

4.『kona』

5.『Bull』

6.『つくりもの』

7.『ねえ。』

8.『声』

9.『Berry』

10.『ワッツ・ライク・ミー』

11.『アイアイ』

12.『Oh!』

13.『ヤサシイウタ』

第二楽章: Sg『シェルティ』レビュー

1.『シェルティ

2.『アイビー』

3.『すき』

第三楽章: Sg『when I』レビュー

1.when I

2.san

3.ひとつだけ

第四楽章: Sg『ヤサシイウタ』レビュー

1.ねえ。

2.BGM

第五楽章: Sg『レイダー』レビュー

1.レイダー

2.つくりもの

3. yo-eb

第六楽章: Sg『ケミー』レビュー

最終章:  ポップカルチャーのあり方ふたたび〜mini album『-classical-』へ

Appendix; pod'zフリーライブCOLLECTION

🎤2024.3.9(土) KYOTO TOWER SAND 

🎸2024.3.16 @京都立誠ひろば 

🎹2024.3.17/pod‘z @梅小路公園


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0章. ポップカルチャーのあり方とは?

4月28日に梅田ラテラルにて開催された「戦時下のポップカルチャー最前線」という配信ありのトークイベントでの出来事である。そこで映画・音楽評論家の田中宗一郎(通称;タナソー)氏がポップカルチャーに関して以下のように定義した。

19世紀後半から映画でも音楽でも演劇でもそれについて書かれた書物、原稿、評論というものがあって、それにアクセスできる観客の存在があった。その観客と評論家と作家が一つの作品というもので結ばれたトライアングルというものが成立していて、その一つが欠けたら素晴らしい豊穣な作品は生まれなかった。その意味においてものを作るときに大事なものは歴史への尊厳だ。

いや〜、最高なるほど!!!これもうもう死ぬほど納得した。

正に音楽文脈では音源として残ったものをガッツリ聴いてそれを言葉で表現する事の重要性。予め言っておくとLIVE、コンサートの類は作品ではないと思う。

一概に「伝説のLIVE」とは言ってもその「伝説」の基準は極めて曖昧だけどアルバムにおける「名盤」の基準はハッキリ定義できるからだ。私は常日頃からそこには拘りを持っていきたいと思っていて、音源を客観的に語る事はポップカルチャーの歴史を語り継ぐ事とイコールだから。SNS社会になって「音楽なんて楽しく聴けりゃ良い。言葉は不要。」等という輩が急増しているが私はそれは大きな間違いだと思うなぜならポップミュージックとは「過去の遺産の積み重ね」だから、時代が進むにつれ益々多くの引用や文献が積み重ねられていて、それらをより享受するには殊更に言語化が必要とされる。暴論かませば言語化も音楽の一部なのだ。そもそも、我々の日常に密接・共存する「ポップミュージック」とは、ジャズやクラシックや環境音楽などの他のジャンル以上に、ある種の中毒性をトリガーすることがある。脳内アドレナリン分泌させ快楽をトリガーする合法ドラッグとしてのポップスである。だからだろうか、ポップシンガーとはパンクやアバンギャルド志向の人達より変人が多いんじゃなかろうかとか思ったりする。60年代から例を挙げれば、ポール・マッカートニー然り、マイケル・ジャクソン然り、ジョージ・マイケル然り、レディ・ガガ然り、あと日本でも井上陽水桑田佳祐ASKAも、椎名林檎、宇多田ヒ...(以後省略....誰でも名前をご自由に入れて下さいませ。ほぼあってるからw)古くからポップミュージックを作るものほど全員全員一癖も二癖もある連中ばかりである。その意味で最近思うのが「尖った姿勢を見せる」とか「過激な歌詞を歌う」とか「アバンギャルドなパフォーマンスをする」音楽だとか演者達ってのは実はそれほど重要ではなくて「無意識に何度も聴いてしまう精神的快楽を促すポップミュージック」ってのが実は最も過激でアバンギャルドで尖った音楽なのではないかという事。そして正に今回はそんな日常に寄り添う中毒性を促すポップバンドの音楽を全てレビューしたい。

 そのバンド名はpod'z(ポッズ)という。京都出身、アコースティックトリオと称され、ボーカル、ギター、キーボードというシンプルな編成ながらPOPSの煌めきとROCKのダイナミズムとalternativeの批評性と音楽がもたらすメッセージ性という全てを兼ね備えている、正に音楽にジャンルがあるならば彼ら自体がジャンルである。

そんな彼らについてオフィシャルホームページとbiographyである。

podz.jp

エネルギッシュなボーカルのhanna(写真真ん中)
リズミカルなギターと迫力あるコーラスのimai(右)
時に優しく、時に力強くリードするピアノのkai(左)
それぞれ違う個性をもった3人から生まれるポップでもない、ロックでもない、新しくどこか懐かしい音楽は唯一無二。
楽しい曲から、シリアスな曲まで多彩な表現力で聴く者を引き込む圧巻のライブパフォーマンスは必見!

そして2024年内にこのpod‘zというバンドが今まで以上に大飛躍して更にブレイクスルーを果たす気がしてならないのだ。
そして本記事では5月29日にリリースされる新譜『classical』に至るまで、現在リリースされている音源全25曲全てのレビューをしようと思う。
*1

  (左から kai (key) hanna(vo.) imai(g&ch.))

第一楽章: アルバム『106』レビュー

身近な他者、自己、世界と視点は様々だがどこか真っ直ぐに語りかける13もの視線の強さが印象的で一曲目『クロヨア』からラスト曲『ヤサシイウタ』に至るまで一曲たりとも飛ばす事のできない現時点でのpod‘zの代名詞的スタンスとなる傑作フルアルバムである。或いはキラキラした感情の断片を写像したような全13曲。本当に凄いALだ。何のギミックにも頼らずに声と鍵盤とアコギだけのシンプルな編成なのに、だからこそ曲のエッジが引き立つのだろう、とにかく聞き飽きる事のない13もの音像達。ドラマティックでグルーヴ感のある演奏と日常に生きる僕らを土台としながらも時折突き刺すようなフレーズが織り込まれひたすら心地よい。

 なんて事ない日々だからこそどこか苛立ちや不安に満ち溢れていてそれでも立ち向かわざるを得ない強さをも秘めたこの曲を喰らいこのバンドは今後とも聴き続けようと思った。『kona』で全ての音が鳴り始めた瞬間誰もが脳天を稲妻で撃たれたような衝撃を覚えるだろう、正に探していた音像がここにある。


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1.『クロヨア』
この曲はライブ一曲目でもラストでもいけるLIVEアンセムである。

いつかキミとくだらない話でもしたいし

LIVEではこの何気ないようで、だからこそかけがえない日常のワンシーンを全力で肯定するかのように歌う。
そこに途轍もなく感動する。いかに『クロヨア』がLIVEで重要な曲か「私達に会いにきて!!っちゅう曲やります!」と紹介し、間奏でメンバー紹介がフィーチャーされている事からも明らか。因みに【クロヨア】というタイトルは「Close your eyes」を言い換えた表現である。ただ目を閉じてこの音像に耳を澄ませたい。更に『クロヨア』【くだらない話をしたいし】の「したいし」に関して「したいよ」や「したいな」だとありきたりなJPOP構文になるのだが敢えて「し」という京都ルーツの接続助詞を選択にした所にリアルな口語的表現を音階にのせようという拘りがあるような気がする。「したいよ」とか「したいな」という語尾だといかにもありきたりなjポップ構文て感じなのだがこの「したいし」が口語的で凄く心地良い。

この「し」に京都出身のHanna氏の人間性がギュッと凝縮されてる気がする。あと後述するが奇跡的に凄いと思うのが『シェルティ』の「もっと大切にもっと過ごせたな...」の「もっと」が強調されてて「MOTTO」よりむしろ「MAT(マット)」に聴こえる点。「もっと」より「まっと」があのメロディーに符号した時のカタルシスがたまらない。

 

2.『ペアカップ

コーヒーカップに詰め込まれた

私のこの気持ちはどうすんの?
いつまでたってもあんたは

どこぞの女とどったらこったらしてますの?

冒頭のもの悲しい感じからスリリングなアレンジに急展開する事によって「折角の休日。どこぞの女に浮気をされてしまった女性の複雑な心情」を描いたと言うpod‘zの幅の広さを堪能できる一曲。哀しくもどこかユーモラスに響く。

 ちなみに3月に開催された梅小路公のフリーライブにて「ペアカップ 」に関してちょっとした奇跡が起こった。ライブの開始前その辺で遊んでた子供達がスタッフに「ラップは歌いますか?」と聞いてて「pod‘zはヒップホップじゃないからな笑」とか思ってた矢先にテンポ良い本曲に彼らは喜んでいた。
正に podz 曲のポップ性を裏付ける事実だ開始前その辺で遊んでた小学生グループがスタッフに「ラップ(演奏)する?」などと聞いていたのだ。そのやり取りを側から聞いて「pod'zはヒップホップじゃないからな〜。まあ”ペアカップ“ならラップっぽいけど。」とか思ってたら本当に演奏してたのめちゃくちゃビックリ(笑)。
現に彼らも飛び跳ねてたのだ。
これを 【podz マジック】と呼ぼう。

 

3.『レイダー』

現実の重みにふと押し潰されそうになった時に立ち止まり、ふっと肩を叩いてくれる過去の自分を写像したような楽曲である。

退屈なキレイ事 
くだらないし聞きたくない
ダサい姿は見せられない
でもちがった 

ちがったな

昔小学校の中庭だったこの立誠ひろばでのLIVEでは、そんな情緒ある場所にいて、内省から光を紡ぎ出すような本曲はpod‘zに成しえない音空間を構築している。最新曲『ケミー』の振り切った心象風景の前夜の光景とでも言おうか、pod‘z曲の中でも特に内省的な部類だと思う。

再録したアルバムver.では「ちがったな」のくだりがエモーショナルに力強く心に響く印象がある。

実は『レイダー』はシングルバージョンも存在してて、ここでは3曲ながらpod‘zのポテンシャルを十分に堪能できる。表題曲は『106』バージョンより以前にレコーディングされたのが【違ったな】という一節の歌い方からも分かる。


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4.『kona』

穏やかな歌声から始まり、序盤で荒野で新芽が息吹き、太陽光を浴び新緑の候を経て一気に花が咲き誇っていくような壮大なアレンジにただただ圧倒される。

不意に見つけた
その作った笑顔のこと
今日は何を想うの?
そっと横顔のぞいた
心の中がもっともっと
知れたらいいのに

このくだりは何億回聴いてもエモい。

話は脱線するが演劇集団キャラメルボックス演目のオープニング曲にピッタリだと思う。壮大な展開になる所で役者全員颯爽と現れたダンスしたら感動100億倍増し。と、ということを時々妄想して勝手に鳥肌立たせて感動してるくらいだ(笑)
そして、本曲は天野花のオリジナル名曲『girlfriend 』にも相通じる「分かり合えないからこそ人は歌を歌うことに意味を見出す理由」が内包している。

*2


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そしてさらに本曲の以下の歌詞を検証したい。

ねえ、聞いて
言葉は軽くて
想いの半分すらも
届けれないけれど

このフレーズは、70年代末辺りから日本のポップミュージック界の第一線を走り続けているASKA(ex.Chage&ASKA)の『月が近づけば少しはましだろう』というライブでもレパートリーになっている壮大なバラードのこのフレーズを彷彿とさせるものだ。


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角を曲がると

いつも 消え失せてしまう言葉だけど

心の中では 切れて仕方ない
この指の先でそっと拭きとれるはずの

言葉だけど積もり始めたら

泣けて仕方ない

『月が近づけば少しはましだろう』も『kona』も言葉における儚さやフラジャイルさに気づきつつも実はその言葉が持つパワーをも同時に感じていると言った意味においてシンクロする。そして『kona』は間違いなく現時点でのpod’zの代表曲であり日本のPOPSの頂点に君臨する大名曲である。

そんなpod’zの代表曲『kona』はMVもまた素晴らしいので概観していきたい。 

本曲の歌詞は【日常における他者との対話】がモチーフにあっりつつも曲全体としてそこにとどまらないある種の普遍性を有しているものだが、MVでもそんな楽曲の魅力を最大限に引き出している。pod'zが恐るべしなのは客とステージを一体化させる盛り上げ曲もありつつ静かに壮大に歌い上げる本曲のような大曲も存在するのだ。

  そういえば3月の京都でのフリーライブにて本曲を演奏した際、通りがかりの欧米系の外国人が真剣に聴いてたが、もしかしたら彼らには80年代の大名曲Kansas『Dust in the wind』のメロディの美しさを思い浮かべたのかもしれない。


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5.『Bull』

pod‘z曲には「内省的な問いかけ」からの視点の歌詞が存在するが本曲も例外ではない。

守るべきものは心の中の

誰にも分からない場所で

知られずに取り残されて

見捨てられ憂い嘆くの

だからこそイントロから全力で振り切ったドラマティックなアレンジが世界を引き立てる。「何かに挑戦する人に送ります」と言って放たれたLIVEでは音源以上にキーボードやギター等の個々の楽器が一層際立って聴こえる。その時私はpod‘zとは単なる音楽の集合体ではなくHannna、Imai、Kaiという3人のプレイヤーによる音像がもたらすケミストリーだと悟ったものだ。そして次にフレーズを見てみよう。

未来(さき)の僕は無事かい?

ここでいう未来とは或いは podz 革命前夜の光景かもしれない。


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6.『つくりもの』
 突然だが「批評」について定義したい。私が思うに、批評の出発点とは、ただ闇雲に仮想敵を攻撃するのではないのだ。今自分が立っているその地点にこそ救いがない事を認識する事が重要だと思う。今この地点にいる俺はゴミのようだ、でも思らはもっとゴミだからなというヤケクソ感にも似た感情の塊から何かが生まれるものだ。

そしてこの曲はそんなことを思わせてくれる。

ラストエンドロールめちゃくちゃでジャスト

ルールなんかしょせんないし

下手くそでいい

ここにいるんだからマスコミのように粗探して

悪ノリで今日も審査員席

いらない、いらないよ

そんな絶望の地点から世の虚像達に「No!」を突きつけた本曲は、pod’z最強のパンク曲。ちなみに本曲にはシングル『レイダー』に収録されているバージョンも存在して曲展開のダイナミズムは同じだがもっと初期衝動荒削りさに満ちている気がする。正に「うた」とは「音楽」とは決して本曲で歌われる虚像(=作りもの)ではない事を示唆しているのかもしれない。

 

7.『ねえ。』

話をしようよ

どんな言葉も

話をしようよ

何も聞こえず塞いだ

その耳ちょうだい

pod’z曲に一貫しているのは【他者への問いかけ】。それは『kona』の「キミ」であったり、『声』における「世界」であったり、『すき』の「内なる他者」であったり。
そして本曲は「問い」にフォーカスし、メランコリックに音像化する事に成功している。

 

8.『声』

『声』は出だしの部分にハッとしてしまう。

「虐待の疑いがあります」

今日もニュースで聞こえた

満足するのはただ一人王様気取りで支配かい?

小さな命はあなたが容易く壊していいのですか?

まるで児童虐待育児放棄などに正面から立ち向かった2018年の名作映画『ひとくず』(上西雄大監督)を思わせるセンセーショナルなフレーズから始まる。*3この曲はpod’z曲でも、シリアスな現代社会の世相を写像した楽曲と言えよう。「(あなたの代わりに)私が叫び歌うよ」本フレーズの意義はとても深い。

 

9.『Berry』

淡々と鳴るアコースティックギターと深夜に呟くモノローグのようなウィスパーがかかったボーカルというpod’z曲でもミニマル編成による静謐さを極めたような楽曲である

愛しく笑ってほてった

顔見せてよ

私をみて

覚えてる?

初めて交わした言葉

「僕と同じ所にほくろがあるね」

他者への追憶の果てにあくなき語りかけ。これはあの『kona』の心象風景のようでもあり、後述するが『すき』とどこかシンクロするようだ。この曲にはライブ用の疾走感バージョンというものがある。5月28

日の心斎橋での夜を灯してでの初聴きだったけど、あのテンポだからこそのエモさが増してくる感があった。

 

10.『ワッツ・ライク・ミー』

仕事終わりにコンビニのビール買ってさ

なんかベランダで月を眺めてみたんだ

「中年サラリーマンの心象風景」をまるで小沢健二『ラブリー』のようなテンポでソウルフルに歌いあげる、というpod‘z曲にしては珍しい歌詞世界の曲だが、LIVEでは高確率で放たれる。
本曲ではこの中年男性が思いを寄せているらしき「事務のマリ」さんが出てくるんだけどこの運命はどうなるんだろう。

本曲の私的ツボは「大人の世知辛い歌」と前置きしつつも
「この歪んだ景色や荒んだ意識もそんなに悪くないなって」というポジティブな光も忘れない点である。そう、世の中全て完璧である事が正解だけではない事を教えてくれる。人間は黒白付けたがるがその中庸である事の大切さも存在するのだ。

 

11.『アイアイ』

「1、2、3、hey!」という元気の良いカウントから始まるpod’zでも珍しいカントリー調のhanna ~imaiのツインボーカル曲である。

何気なく過す日も
もう全部に意味あるとか
くしゃくしゃな笑顔で話すから
信じてみるよ

そんな中「何気なく過す日も、もう全部に意味ある」という日常生活におけるPOPSの役割が何気に歌われる所が彼ららしい。

12.『Oh!』

LIVEではラストを締めくくる事の多い、『クロヨア』に匹敵する盛り上がり必須のLIVEアンセム
歌詞はオプティミズムを全面に出しつつも

Grim face oh NoNo!

kindly smile 指を鳴らして

Funny face oh Awesome

Happy!声を重ねてけ

広がる空気満たしていこうか

の辺り突如pod‘z特有の美メロにハッとする。今後も大化けしそうな曲だ。『Oh!』はpod‘zとオーディエンスとのコール&レスポンス&シンガロング曲の一つ。
そして曲演奏の合間にHanna氏はこう言った。
「いつでも気軽に会いに来てもらえたららその都度その都度皆んなに届く歌を歌っていきたいと思います。」
正に本曲は再会への約束の歌なのだ。


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13.『ヤサシイウタ

pod’zが普通のバンドと一線を画す点は、聴き終わる頃に何とも言えぬ高揚感と圧倒感に溜息をついてしまうほどドラマティックかつ壮大に広がっていくようなサウンドスケープを有する点だと思う。正に本曲はそんな彼らの魅力を象徴している。本曲のコアは「静寂」と「ダイナミズム」との融合にあって、間奏でピアノとアコギに見守られ眠るように俯いていたHanna氏が徐々に演奏のテンポやスケールが増していくにつれ歌い始める。

誰かが唱えた壮大な平和

僕にはちっとも馴染めないもので

僕ら日常で語り合う平和

どこもかしこも歪みがあるもので

平和への祈りが込められた歌詞に添えられるコーラスも力強い。「何を持って正義と成す?」と静かに問いかけるのは昨今のSNS上でも度々巻き起こる議論の命題そのもののようだ。


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第二楽章: Sg『シェルティ』レビュー

3曲ながらもinternalな心情を歌った『すき』、externalに放たれた『アイビー』、そしてその中庸をいく『シェルティ』とpod‘z曲のバリエーションを全て表現しきっていて、シングルというよりミニアルバムばりの濃さを感じる。

 

1.『シェルティ

ピアノのイントロ、郷愁的な歌詞、美メロを包み込むようなストリングス...全てが絶妙なバランスで成り立ち聴衆者の心のひだをえぐってくる紛れもなくJPOP史に深く多くの人の耳に残るべき大名曲である。

ずっと覚えてる大事な記憶と

ちょっと忘れたいあの日があって

「大事な記憶」と「忘れたいあの日」に揺れて生きていこう。淡々としたイントロから徐々に体温が上がっていくメロからノスタルジー溢れる歌詞からストリングスから全部私の胸の深い所をえぐってくる。
人は皆「大事な記憶」と「忘れたいあの日」に揺れて歯を食いしばって生きていく。そんなPOPSの理想が鳴っている。#シェルティとは【シェットランド・シープドッグ】の愛称を指す。
歌詞の内容から登場人物がかつて家族の一員として暮らしていた愛犬「シェルティ」との思い出がモチーフとして綴られていると解釈できるのだがどうだろう。

そして本曲のMVが本当に素晴らしいので概観してみよう。
ある女の子が日常のあれこれにちょっと疲れてあの頃いたあの地へ赴き、大事な過去の記憶たちと再会するいわば「日常のロードムービー」とでもいうべきちょっとしたインディーズ映画のワンシーンのようになっている。個人的ツボは2:41〜のピアノソロと映像とがリンクする点である。


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2.『アイビー』

昨年末、西梅田公園でのフリーライブで「ロックでもポップスでもなく新しくどこか懐かしい唯一無二の音楽」とアナウンスされたが正にそれを象徴しているような2分間のpod‘zマジックがここに。

窓際に飾るかわいい葉っぱが

あの棚についた時に言おう

これは個人的にいつも思うのだがFM802のパーソナリティ加藤真樹子の番組にとても似合ってて、特に「ランランラン🎵」のコーラス部分など「アップビート」の定型コーナーのBGMにピッタリではないか。それはともかく本曲の威力が音源を超えて最大限に発揮されるのはLIVEにおいてこそだと思う。冒頭の手拍子や後半の【もっと もっと…】での客席との一体感を構築する事で本曲のトータルタイムが2分間に満たない事が信じられないくらいの奥行きが感じられる。正にpod’zマジックだ。


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3.『すき

自分がきらい

自分がきらい
そんなこと思って
過ごしている
愛したいな
愛せないな
そんなこと思って
過ごしている

こちらもモノローグのような一曲。
ただ『Berry』と違う点は【ただ一緒にいていたかった】という繊細な恋心を綴りながらも【今心臓えぐって時間を止める】という言葉のエモーショナリティがpod‘z特有のドラマティックさへと結実している。

 

第三楽章: Sg『when I』レビュー

『when I』も『san』も『ひとつだけ』も視点は異なれど伝えたいメッセージは同じだと思う。

1曲目「世界と私」
2曲目「他者と私」
3曲目「私の感情」

という徐々にマキシマムからミニマムなテーマに移行する3曲の流れはさながら夜空の雲に霞む朧月のようであり朝方のフライパン上で揺れる目玉焼きのようにも見えるこの以下のアートワークにも表れている。

それが世界に向けられようとも他者だろうと内面だろうと大事なのは日常に寄り添う「うた」である事、それをpod’zは一貫して表現している。そもそも音楽とは安らぎをもたらしてくれるだけでなく「戦友」でなければならない側面もあるだろう。
音楽とは社会がもたらす矛盾や人間関係の亀裂や自己内で湧き起こる怒りなどの敵達に向き合い共闘してくれるこの戦友に何度救われたことか。

そんなことを思い起こしてくれる新たなアンセムが誕生した。そんな3曲である。


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1.when I

音楽とはただ安らぎをもたらだけではなく社会や人間関係がもたらす矛盾や亀裂や感情の歪み等の「敵」に向き合ってくれたりもする。


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そして本曲は

you’ll be fine, I’m with you

そんな事を囁いてくれる戦友のような存在である。

音楽とはただ安らぎをもたらだけではなく社会や人間関係がもたらす矛盾や亀裂や感情の歪み等の「敵」に向き合ってくれたりもする。
そして本曲は
「you’ll be fine, I’m with you」
そんな事を囁いてくれる戦友のような存在である。

To those who fight in invisible places
見えない所で闘う

と言うフレーズはそれこそ我々がいる「この地」のみならず物理的な戦いが繰り広げられている海を超えた「あの地」に至るまで多様なニュアンスを持って響いてくるように思えてならない。

 

2.san

一年前までいたあの場所、あの日々。ノスタルジックな思いにかられるからこそ「ただ変わらずそこにあるもの」に気づけるものなのかも。

そっぽむくあの日でも 

あの日でもやけに腹が立つ日も

いつも変わらずあったからさ

個人的にどこか『シェルティ』の世界と相通ずるように思えたり。正にpodz 印の真骨頂がここにある。本曲はLIVEでの演奏率は割と高い。先ほど触れた『シェルティ』の前後に置かれることから【あの頃から今へ繋ぐノスタルジック姉妹曲】であると解釈しているがいかがだろうか?昨年の11月に開催された植城微香(Ueki Soyoka)とのツーマンMCで触れてたが因みにタイトル『san』は文字通り3番目という意味らしい。san』 は先月京都での野外ライブ「なかなか素直になれないんですけど大切なあの場所を思って作りました」と前置きして放たれたが、【あの場所】の所在を知る由もない。だが、誰にも心の拠り所となる【あの場所】はどこかに存在するものだ。

このような普遍性こそPOPSの役目だと思う。

 

3.ひとつだけ

『when I』 が「世界」に対峙した曲とすると本曲は
「私」に向き合ったミニマムな世界をピアノと語りかけるようなボーカリゼーションが印象的な内省的な曲。『#whenI』のドラマティックなマニフェスト曲に比べピアノと語りかけるようなボーカリゼーションの静謐な曲という印象だがだからこそ

僕の声が誰かの肩叩けるならここにいてよ

というフレーズは強く響く。
本曲もまた日常という戦場で生きる為の歌である。

 

第四楽章: Sg『ヤサシイウタ』レビュー

1.ねえ。
pod’z曲に一貫しているのは【他者への問いかけ】。それは『kona』の「キミ」であったり、『声』における「世界」であったり、『すき』の「内なる他者」であったり。
そして本曲は「問い」にフォーカスし、メランコリックに音像化する事に成功している。

 

2.BGM

3曲入りsg『ヤサシイウタ』にのみ収録されている隠れた名曲。夏の終わりを追憶する歌詞にそっと寄り添うような中期ビートルズのような逆回転サウンドが穏やかに寄り添うサウンドスケープ。これまで個人的には聞いた事はないが、LIVEでも時折夏あたりに演奏されるらしいとか持ってたら、「心斎橋夜を灯して」にて開催された5/28の新譜『classical』リリース前夜のレア配信イベントで初聴きした。夏の終わり、ひぐらしの鳴き声と共に聴いてみたいものだ。

 

第五楽章: 『レイダー』レビュー

1.レイダー

ここでは3曲ながらpod‘zのポテンシャルを十分に堪能できる。

この表題曲『レイダー』は『106』バージョンより以前にレコーディングされたのが【ちがったな】という一節の歌い方からも分かる。そして特筆すべきは3曲目の荘厳さすら感じる『yo-eb』。いつかLIVEで聴きたい珠玉の名曲だ。


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2.つくりもの

pod’z曲に一貫しているのは【他者への問いかけ】。それはこの『つくりもの』にはシングル『レイダー』に収録されているバージョンも存在する。曲展開のダイナミズムは同じだがもっと初期衝動荒削りさに満ちている気がする。「うた」とは「音楽」とは決して本曲で歌われる虚像(作りもの)ではない事を示唆しているのかも。

 

3. yo-eb
3曲入りSg『レイダー』に収録されている未配信曲だがpod‘z曲の中でもベスト5入りは必須であろう大名曲。どこか『kona』に垣間見えた人生を俯瞰するような彼ら独特の視点と、あと後半の壮大なコーラス展開は完全にHARUKA NAKAMURAが教会で開催するライブの世界観。

ゴスペルっぽい曲調を彷彿とさせる神秘的なコーラスとが融合したケミストリーに圧倒される。

 

第六楽章: Sg『ケミー』

ずっとみてきた想像で描く先へ

どこまでいける?

追い風よ吹け

この曲はpod‘zというバンドを知る(であろう)全ての人に対するメッセージであると共に、新譜とツアーを目前に更なるメインストリームに駆け抜けようとするpod’z自体をも象徴しているようだ。2024年を代表する応援歌になれば良い。


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pod'zは今正に「追い風よ吹け」というフレーズに最も説得性があるバンドだと思う。この曲調や歌詞やアレンジの多彩さ、ライブパフォーマンスのエモーションなどの全てがもうバキバキにきているから。

2024年の夏を本曲が爽やかに駆け抜ける事だろう。

 

最終章:  mini album『-classical-』へ

コロナ禍で有効だったプロセスエコノミーという手法論も限界がきている。だってエンタメてどんなにポップであっても決して気軽に連絡できる友達じゃないもの。重要なのは19世紀以降の歴史を経て生まれた作品であり演目でありパフォーマンスなりにしっかり向き合う事。エンタメとは闘争の記録なのだ。

だからこそ5月になって立て続けに出くわす作品群に対峙できる事を嬉しく思うのだ。

これらのアルバム達を紹介しよう。

1.チリヌルヲワカの『バイヲロジー

鹿・魚・羊・鷹・蟻・狐・蛙とタイトルが全て動物名で占められ一つの輪廻転生を繰り返すようにまるでバンドサウンドが憑依する曲構成からなるコンセプトアルバムだと受け取った。本盤に続きがあるとしたらタイトルは『人-human-』だったりして。

「なぜ輪廻転生なのに鷹から蟻にグレードダウンするんだろう?」等と真剣に考えていたが重要な事に気づく。これは中島優美(ユウ)という天才音楽家の思考回路のなせる技なのだ。かつてPaul McCartneyは『RAM』という羊をコンセプトにALを作った。それぐらいのレベルだと思う。


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2. RAYSAの『一人、一頻り』

「名盤」という言葉を乱用するとこの言葉の原義がスポイルされるので無闇に書かないようにはしてるんだけれども今日何度も聴いた結果断言します。これは名盤です。 特に『Quark』、『青春』『月風船』には日本のオルタナティブロックが表現すべきだった原風景がある。3年前から密かに音源化を望んでいた『Quark』からスペーシーな世界の『月風船』に至るまでの全6曲、何気ない日常の光景から人生観に至るまでとにかくボーカルの表現力の幅がとても広い。
インディーズ時代のきのこ帝国が好きな人は絶対ハマるだろう。


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3. すてばち『すてばち』

2月末に古書ビビビで購入した すてばち というバンドのこのミニアルバムが破格に素晴らしい。もう世の中に蔓延るヤケクソな空気感をガレージロックで燃やし尽くさんとする感じ!!紛れもなく『Rumble』期のガレージロックバキバキ期のミッシェル・ガン・エレファントが好きだと100%ハマるだろう。前のアルバムだと『たそがれ族』が狂ってて最高!

コレです!これぞROCK!
爽やかで耳障りの良いポップロックではなくTMGE文脈では『キャンディ・ハウス』辺りのパブロックやらブルースやら少し文学的な香りすらを染み込ませた腹の底から「カッコええ〜!」とうなり声を上げるあのROCKの復権
いつかLIVEで会おう!

4. WtB(Who the Bitch)『Stories-EP-』

最近WtBに表記が変わってからカジュアルに突き抜けた印象が3人のビジュアルからもびしびし伝わってきてる今日この頃だが、正にそんなバンドイメージを象徴しているようなパワフルなパンキッシュソングが表題曲である。
或いは新たな「卒業アンセム」の爆誕なのかも。WtBの魅力はパンクバンドとしてのスタンスを有しながらラウドでパワフルなサウンドの中に飽くなきロマンティシズムをブチ込む瞬間があってそこがいつも泣けるのだが本盤では正にそれを『車輪』という曲に感じた。
リード曲『明日また答えを』における「変わりたい訳じゃなくて自分の足で立ってたいんだ」本フレーズに限りなく惹かれている。
時代の求めるセオリーをぶち壊してまでも守るべきものがある。そう言いたげな3人の表情がとても晴れやかだから。
これは新たなアンセムの誕生なのかも。
生き抜いた末の揺るぎなき傑作の誕生 。


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いやはや、どれもまごう事なき傑作だ。そして本日、5月29日、我々の日常を照らす事になるであろう太陽のような新たな音源が新たにリリースされる。そう、この曲を含め初のmini albumとしては初の『classical』という新譜がリリースされるのだ。

*4


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私はpod'zの音楽を「日常に寄り添うサウンドトラック」と定義しているが本盤では更にそこから未来へと誘ってくれるような壮大な6つの光景がここにある。あと本タイトルは田中宗一郎氏の「未来を掴むには過去から始めなければならない」という名言を思い出す。

本盤におけるラスト6曲目の『classical』という曲の

流れゆく歴史が伝え積み重ねた

受け継がれ君が僕と出会ったから

というフレーズを聞いてハッとした。

冒頭で紹介した、田中宗一郎(タナソー)氏を引用してポップカルチャーのあり方を模索したがそこでの彼による「ポップミュージックとは歴史の積み重ねである」という言明を思い出す。再喝する。

19世紀後半から映画でも音楽でも演劇でもそれについて書かれた書物、原稿、評論というものがあって、それにアクセスできる観客の存在があった。その観客と評論家と作家が一つの作品というもので結ばれたトライアングルというものが成立していて、その一つが欠けたら素晴らしい豊穣な作品は生まれなかった。その意味においてものを作るときに大事なものは歴史への尊厳だ。

正に時代が進むにつれ益々多くの引用や文献が積み重ねられていて、それらをより享受するには音を奏でる者とオーディエンスとの関係性があるのだ。そう、流れつぐ歴史とはポップカルチャーそのものであり、「君」と「僕」というのは「ミュージック」と「オーディエンス」なのだ。まさかのまさかでなんとここにきてタナソーとpod'zがリンクしてしまったのだ。


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 そしてこの『classical』には『iro』という素晴らしい曲も収録されている。そもそもタイトルの「iro=色」とは🟦や🟥や🟨が存在している訳ではなく脳の認識によって判断されるのだという。それは音楽を聴いて自分に合う(↔︎合わない)と思う感性と似ているかもしれない。

きっとずっと欲しかったものは

不確かでカタチのないもの

このカタチのないものこそが色であり、音楽なのだと思ったりしている。本日リリースされたこれらの新たな6楽章にわたるpod‘zの色とりどりのフラワーのような音像達は人の心にどのような「iro」を灯すのだろう。

そして順番は前後するが『フラワー』にも触れよう。

僕らは日々「言葉合わせと目線合わせて答え合わせとそれに伴う辻褄合わせ」に追われている。そんな少し疲れた帰りの電車でつく溜息のようなリアルな心象風景が歌われている。

でも軽快なアレンジと駅の意味合いが変わる時ハッとする。

ワンコーラス目での

眺める景色

過ぎていった駅は 

前に虚しくなって泣いた駅だ

からツーコーラス目になると

眺める景色

過ぎていった駅は 

前に嬉しくなって笑った駅だ

このように歌の登場人物における「駅」の意味合いが変わる瞬間に心の中でぽっと小さな花が咲くようなポジティティもブレンドされている。もしかして何気にこの曲は「新境地」かもしれない。

 そして本稿のブログ記事のタイトルは『クロヨア』の歌詞の一部をとって「いつかくだらない話をしよう」にするつもりだったが、ここにきて『classic』の壮大な調べは明らかにpodz がネクストチャプターに突入したことにインスパイアされ消しゴムの残骸へと消えてしまった。そしてこの記事のタイトルは「流れつぐ歴史が伝えるポップミュージックの真髄とは」というタイトルへと変わっていった。そして本ブログも相変わらず17510字を超える壮大な記事になってしまったがそれも仕方あるまい。もはやそれぐらいここに鳴っている6曲はとても強いのだから。最後に、私は本記事を通じ「音楽に言葉は必要ない」「音楽なんて楽しければそれでいい。」という意見を持つ奴らに真っ向勝負を挑みたい。

 

 

得てして優れたpop musicとは100年に渡るClassical Heritage(古典的遺産)と時代とのケミストリーの賜物であり、新たな色彩を持つ作品が生まれる度に再解釈が必要だと思うから。

そう、全ての私の支持するポップミュージックよ、私の愛してやまないポップカルチャーよ、

今こそ時は来た、追い風よ吹け。

# podzを世界へ

 

Appendix; pod'zフリーライブCOLLECTION 

🎤2024.3.9(土) KYOTO TOWER SAND 


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2024.3.9(土) KYOTO TOWER SAND 

1.ケミー 

2.アイビー 

3.レイダー 

4.when I 

5.kona 

6.クロヨア

7.Oh!

アップリンク京都での映画鑑賞後に京都駅に出てみればLIVEやってたというこの上ないジャストタイミングで #podz ! やはりこの人達は未知の人も関係なく全体を巻き込んでLIVE空間を作るのがめちゃくちゃ上手い。これぞ誰もがコール&レスポンスしたくなる音楽、これぞポップミュージックの真髄だと思う。 現時点で最新曲『ケミー』がLIVEで聴くと一際輝きと疾走感が増してひたすら良い。 一つ一つの小さな花びらが春になれば満開の美しい色彩を誇る桜の光景を生み出すように彼らの一つ一つのパフォーマンスの積み重ねも更に大きなブレイクスルーを生み出すという確信させる珠玉曲だ。

ラスト曲「Oh!」について、全世界に現存するCall&responseのオリジナル曲を有するバンド達よ、刮目せよ!

この完璧なCall&response の7Stepを!

①褒めて

②笑って

③無茶振りして

④ダメ出ししつつも

⑤①〜④全てを盛り上がりに転じさせ

⑥『Oh!』という曲のサビを全員で大合唱しつつ

⑦感動的に締める

これを 「podzマジック」と呼ぼう。

 

🎸2024.3.16 @京都立誠ひろば 

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2024.3.16 @京都立誠ひろば

①アイビー

②クロヨア

③ワッツ・ライク・ミー

シェルティ

⑤ San

⑥ レイダー

⑦ ケミー

家族連れも多い晴天の空の元、昔小学校の中庭だった芝生に座って日光を浴びながらというレアかつ最高のロケーションでのライブ。 特に④〜⑥の穏やかな曲群の流れがひたすら心地よかった。 podz というバンドの魅力を一言で言い表せばズバリ「バランス感覚」ではないだろうか。まるで西島大介氏のイラストから飛び出してきたようなボーカルHanna氏を筆頭に、エモさとユルさと力強さとのバランス感が絶妙なのだ。 正に『シェルティ』はそんな彼女らのバンド性を象徴した珠玉の名曲だと思う。

 

🎹2024.3.17/pod‘z @梅小路公園

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2024/03/17@梅小路公園
①レイダー
② ケミー
③ ペアカップ
④ すき
⑤ san
シェルティ
⑦ when I
⑧ ヤサシイウタ
⑨Oh!

昨日とほぼ被り曲なし。
今日の天気を踏まえ改変されたというセトリ構成。
「何を持って正義と成す?」と静かに問いかける⑦は昨日のSNS上で飛び交った映画館の議論そのものだったな
ここでちょっとした奇跡が。
開始前その辺で遊んでた小学生グループがスタッフに「ラップ(演奏)する?」などと聞いてて「ヒップホップじゃねえぞwまあ”ペアカップ“ならラップっぽいけど」とか思ってたら本当に演奏してたのめちゃくちゃビックリ(笑)
現に彼らも飛び跳ねてた。
これを 「podzマジック」と呼ぼう(2度目)。

 

 

 

 

 

 

*1:本記事は以下のXでのポストを元に拡張したもの 【マニフェスト

2024年内にpod‘zというバンドが今まで以上に大飛躍して更にブレイクスルーを果たす気がしてならない。
5月に迫る新譜までのこの1ヶ月間、現在リリースされている音源1日1曲の全25曲全てのレビューツイートしようと思う。
タグは#今日のpodz曲#podzを世界へ https://t.co/03nUuihYvm

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2024年4月21日

*2:『girlfriend 』を主体とした天野花に関する過去記事

nenometal.hatenablog.com

*3:

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

*4:

映像劇団テンアンツ『#うさぎのおやこ』レビュー

1.impression 


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あらすじ 

軽度の知的障がいを持つ来栖玲(くるす・あきら)は子供に間違われることにコンプレックスを抱いている。母親の梨加は、夫を亡くし玲の生活に精神を病み、ネグレクト状態になっていた。ある日、家賃滞納で追い出されそうなると、玲はデリヘルのアルバイトに応募してしまい……

というストーリーはどこか過去作品の要素を内包しており知的障が持つ女性という意味では舞台化もされている『ヌーのコインロッカーは使用禁止』の主人公を、そして子供に対する毒親育児放棄という面に関してはロングランの傑作『ひとくず』をも彷彿とさせる。そして本作でも、あの親から見放されたように生きてきた『ひとくず』における鞠だとか、『ヌーのこコインロッカーは使用禁止』のヌーのように障害を持って生きる、いわば両作品の要素を持つアキラという女性が登場する。

『ひとくず』といえば、孤独な少女鞠がカネマサと初めてラーメンを食べるシーンがあるのだが、その時「鞠、いちいち食べて良いか訊くな。食いたいものは食やいいんだ、飲みたいものは飲みゃいいんだ...」という台詞がある。 

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それは私には「自分の人生なんだから好きなように生きろ。」って広い意味での人生訓としても解釈されるのだが、この事から、カネマサという存在は鞠にとっての「自分の人生好きなように生きろ。」という事への体現者だと言えるのだが、本作は更にそこからの視点が盛り込まれている事に注意したい。というのも、ラストシーン付近で「もうママと一緒にいるのは嫌や。自由になりたい。」というセリフがあって、それに対して梨加は「ふざけたこというなや!」

その自ら選んだ人生以後の岐路から踏み込んで「だからこそ、我々はどう生きるべきか」を問いかけてくれる作品だと思う。 


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 アキラはポスタービジュアルや予告編などを見ても分かる通りまるで小学生と見紛うような様相をしているが20代の障害者という設定である。いや、設定と言ったが実際に演じているアキラを演じる清水裕芽さん自体が20代の女性である事に注意したい。



 因みに主演の清水裕芽さんの演技は舞台版『ひとくず』でも拝見してるけどこの方の北村鞠役も良かったけどなんと別バージョンではカネマサの少年時代も完全に演じきっていた。当時は彼女を完全に子役と思い込んでいたので何かで実年齢を知って物凄く驚いたのを覚えている。
 実際に清水さんという俳優が今まで舞台で子役を演じる様は何度も観てきたが本来の自己と等身大の20代の女性を演じ切ったのは初めてだろう。
 そして本作は2度鑑賞したが、真の悪人というものが登場しないことがわかる。
 ただ誰しもが心の拠り所に歪みが生じると精神の崩壊へと向かう危険性をはらんでいるだけの事で、だからこそ障害を持ちつつもレオンという心の理解者と出会い、徐々に20代の大人の女性の笑顔を獲得していく玲に希望の光を見出せるのだ。そして自分の障害だとか孤独や家族愛に飢えた寂しさに闘いつつ生きてきたアキラを見つめるレオンの瞳そのもののようにテンアンツ史上最も優しい作品であるという印象を持った。
 
きっとシーンによってはリアリティと演技の狭間に苦悩したのはなかろうか。私は本作はある意味彼女のドキュメンタリーでもあると思う。
そして注目すべき点は今回上西雄大氏の役柄が「主治医」であって今までの893だ、運び屋だ、前科者だのとは一線を画していると言う事。予告編53秒辺りの「はい。」という台詞の放たれ方が幾分『ひとくず』の後半の丸くなったカネマサの「はい。」と驚くほど似ている点から分かるように基本「偏屈だけど良い人」なのだ。
その意味で舞台『探偵かねだはじめたがやすけ』の主人公にも少し類似しているのかもしれない。

2.Focus 
ここで音楽、特に劇中で流れる挿入歌に関して触れよう。
タイトル曲とも言える挿入歌『うさぎのおやこ』を歌唱しているのはSaika(吉田彩花)という役者兼SSWである。
そもそものきっかけは彼女のオリジナル曲が『サニー』は2023年の映像劇団テンアンツの人気演目「ヌーのコインロッカーは使用禁止」の挿入歌にも採用された事からその年の秋の舞台公演『探偵かねだはじめたがやすけ』でも緑川瑠璃子役として出演しオリジナル『瑠璃色』も配信リリースされている、いわばここ最近のテンアンツの鍵を握るニューフェイスである。


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 さて、本挿入歌に関してだが、ある意味物語の一端を担っていると言っても良いほどに曲がセリフとして響き渡ったとも言って良い。タイトル『うさぎのおやこ』とは紛れもなく梨加と玲の母娘を意味するのだが本編で語られない玲におけるママへの心情は挿入歌で情感を込めて歌われている。
その意味ではあの『ひとくず』挿入歌『ひとくずの詩』と双璧をなすかもしれない。


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あと歌い手であるSaika氏曲の中ではここ最近の演劇の一場面のようなポエトリーリーディングスタイルに通常の歌唱を混合させる今現在展開しているLIVEでのスタイルでの成果もあ十分生かされていると思う。

 その『探偵かねだはじめたがやすけ』の『瑠璃色』を思わせるたおやかなボーカルと、後半のアレンジャー康士郎がNanaさんという役者にオリジナル曲として提供した『星のゆくえ』を彷彿とさせるようなドラマティックなアレンジがとが見事に融合した紛れもなき「令和の歌謡曲」となっている。


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 これは所謂ネタバレではないので詳細は省くが予告編でも聴くことができる主題歌が存在するが、この本曲とはある点でコンセプチュアルに繋がっている事が分かり、ハッとした。
その意味でも注目に値すべきだと思う。
 本作は『ひとくず』と配役や役名で共通点も見つけられる。
例えば古川藍氏演じる障害福祉課職員の苗字が「北村」だったり、カネマサを古くから知っている刑事役の空田浩志氏がやはり本作でも刑事役として出てきたりして。(空田氏が同一人物だと考えるとこの2人が親子てのも色々繋がってくるな。『ひとくず』ではこの刑事は娘の結婚式がどうたら言ってたし)相補分布的な両作だと思ったりもして。

エンタメの「座席運」に関する一考察〜"爆毛男"降臨編〜

エンタメの「座席運」に関する一考察〜"爆毛男"降臨編〜*1

1.「当たり」と「ハズれ」の境界線

2.座席運とは?
参考資料;アフロ時代の葉加瀬太郎とパパイヤ鈴木

3.爆毛男、爆誕と降臨の果てに
Appendix;  爆毛男における「アフロ検証論」

❶Typical Afro(典型的アフロ)
❷ Classical Afro(古典的アフロ)

❸ Avant-garde Afro(アヴァンギャルド・アフロ)

1.「当たり」と「ハズれ」の境界線

我々は、日常の彩りとして映画、音楽ライブ、演劇、イベントなど様々なエンターテイメントに接することがある。そしてそれらに触れるにつれて「あれは面白かった(↔️面白くなかった)」と言う重要な「当たり」と「ハズレ」の境界線についてのジャッジを下したりするものだ。大雑把に言ってそれが良かったり、面白かったりすればもうチケット代など軽く取り返したところがもはや得したような気分になるし、逆の結果だったりすると本当に金返せレベルにまで怒りが込み上げることもある。いや〜、でも、ほんとにひどい音楽ライブなんてほんとに酷いからなぁ。

 今回の記事は本題ではないので私の経験上で一例にとどめとくが、今でもハッキリ覚えてるのは去年の5月半ばぐらいに心斎橋の繁華街の一角にある小さなライブハウスで開催された女性SSWが4人ぐらいが集まってのいわゆる「対バン形式の企画ライブ」での出来事である。その中の1人の若手のシンガーがどうやら「MCでオヤジギャグを絶対に放つ」と言うことにこだわりを持っている不思議なSSWだったのだ。

そもそも「親父ギャグ」自体が世間的に敬遠されがちな存在で中には聞けたものではないものも多いのだが、その中でも本当に酷い部類のものを会場の空気を読まずにガンガン解き放つタイプのSSWだった。
もちろん具体的なギャグの例は忘れたが「布団が吹っ飛んだ」とかそのぐらいの最下層レベルのゴミみたいな部類だったと記憶している。 
 そしてさらにタチが悪いことにそれを彼女に関して前から知ってるであろうファンというか取り巻き連中がこともあろうにそれにゲラゲラ笑って囃し立てると言う地獄絵図もそこで当然のようにあったていうのもあって、だからこそ、あろうことかこのSSWは「この芸風はウケている」と勘違いした結果の副産物としてこういうスタイルに陥ってしまったのだろうとも予測できた。いや、何が凄いって曲の途中でも演奏止めて親父ギャグをカマしてたもんな。
当然ライブ最後の締めくくりの挨拶でも親父ギャグで締めてたし。
 私としてはもうこんな親戚のアホの集まりみたいな内輪ウケのライブにもうウンザリだったし、ここまで演者がイタいライブもなかった。もはやこの人のパフォーマンスしているその20分間は正に(大事な事だから二回書くが)客席のノリも含め全てが地獄絵図だった。
 そもそもが彼女が演奏する歌も良くも悪くも頭すっからかんで聴けるような応援歌がセトリの中心で、客に左右手を振ってみたいな振り付けを強要するようなライブでパフォーマンス自体も私はそんなに好きではなかったんだけど、でも百歩譲って全体的に可もなく不可もなくって感じでこういう内輪ノリさえなければ明るい女の子って感じでそんなに印象は悪くはなかったんだけどね。*2
以上の特徴をまとめると

❶ 小柄なボーイッシュな明るい女の子
❷ 変な振り付けの入る深みのない応援歌
❸ 客層ターゲットの主流である中年男性が言いがちなギャグの連発
❹ 姓名合わせてひらがなというキャッチーなアーティスト名

何気に❹において新情報ぶっこんでるんだが「ひらがな名のSSW」てのは日本では鬼のようにいるからまさか特定はできるまい。
あ、全部ひらがなつっても「ぽてさらちゃん。」ではありません(笑)
にしてもこうして正に❶〜❹をざっと眺めると本当にSSWおじさん御用達のプロトタイプて感じがする。多分私は2度とこの人のライブを目にすることもないしこの人について言及することすらないだろう。せいぜいこの人界隈のコミュニティで物販で手土産でチェキだの交換ごっこでも私の目に触れない程度でやってくれ。

で、次からが本題。


第2章は、今回のブログの本題である演劇における「座席運」もまつわる話である。

 

2.座席運、とは?
さて、ここからが本題である。本記事では演劇を中心に語りたい。私は意外と演劇に関しては自分の趣向性が違ったなっていうのが幾つかある程度で概ね満足して会場を後にしている。極端な「ハズレ演目」は3年前の5月に開催された某インディーズ映画を土台にした某神戸で開催された公民館のようなとこでの某舞台の一例ぐらいしかない。あれもホント酷かったなぁ、詳細は省くけど。それはともかくとしてこの演劇界隈では「座席」にまつわる当たりハズレが非常に多い世界だなとも思ったりしている。いわゆる「観やすい(↔️観ずらい)席」という対立構図ね。これはもう面白いだの、面白くないとか言う感想以前の問題で、最悪の座席に着いたらほんとにもう演目内容まで頭に入ってこなかったりするものだから本当にタチが悪いものだ。
そして今回こうした「座席運」について是非考察してみたいあるエピソードを一つ紹介してみよう。

これは去年の12月29日の劇団「鵺的(ぬえてき)」というユニットが主催している『天使の群像』と言う下北沢711で開催された演目での出来事である。

www.nueteki.org

こちら、今回個人的に初めて行ったのだが、かなりコアファンも演劇自体の世界観も確立していて評判の良い演目だった。その証拠に千穐楽以外にも連日客席ぎっしりのいわゆるソールドアウト状態だったと記憶している。この711という小劇場は狭いながらもぎっしりとお客がいて、その2段目の真ん中ぐらいの客席で開演の30分ぐらい前に指定座席にて待機していた。すると、私より5列位前にある母娘がいるのにふと気づいたのだ。30代半ばぐらいの母親と小学校3〜5年生位の娘さんという組み合わせで、このサブカル演劇の聖地にある小劇場にしては珍しくて結構目立っていたようにも思う。でもまあ演目自体は基本的に高校が舞台の「学園もの」だったから過激な表現もない健全な演目ってことで親子で観にきたのだろうとも予想できた。
そこでちょっとした事件が起こった。
開演20分前の出来事である。
この母娘2人が座っていた座席の女の子の目の前に割と背の高い大柄な50〜60代以上ぐらいのおじさんが座ってきたのだ。当然その小学校の女の子は前が見えないので舞台も目に入らなくなるということを鑑みてお母さんがふっと目くばせをして席を変わってやっていたのだ。

これは正に親子愛であり家族愛。もうこれで万事解決である。
母親が「大丈夫?見える?」みたいなニュアンスで娘に目配せをしていた模様が一段差ある私からの位置からでもはっきりわかった。ああ、ホッとした。
…………….....あの〜、ところで読者はなぜ私がこんなにこの親子を凝視し、彼女らの心理描写まで想像しながら見つめてるんだろうと思ったのかもしれないが、時はもう開演前でスマホの電源も完全にオフにしてるし、パンフレットも本演目にはなかったしで何もやることもなかったし、かといって後ろを見たりしたら意図せず座っている他人と目が合うしで(演劇・映画あるある)、ふわっと前の方しか見るものがなかったからである。

そして、開演5分前になって、劇団側から観劇マナーにまつわる注意事項などの説明があって、それからいよいよ開演の3分前「始まるまでしばらくお待ちください」のアナウンスが!
(あ、*ちなみにこの「しばらく」は言うほど「しばらく」じゃないよねっていつも思う。「しばらく」というけどすぐに始まりますよ的な謎に謙遜のニュアンスを感じるのだ。これも演劇あるあるである。)

そして開演2分ぐらい前だろうかもう直前の直前に今回の目玉となる大事件が起こった。
そう、その大柄なおじさんの隣、その女の子のいる前の席にまたまたキャップを被ったやはり50〜60代ぐらいの男が新たに座ってきたのだ。*3
あれ?もうそうなってくると私の関心事は「果たして女の子は舞台が見えるのか?」の一点ばりで私は心配になったが今回に関しては「大丈夫」だったのである。と言うのも、その男は先ほどのおじさんほど大柄ではなかったし、そのおかげでこのおじさんと男との間にはちょっとした距離が生まれて、その二人の隙間から女の子は無事に舞台を観れるようになっているのだ。
正にこの二人のおじさん同士の華麗なる連携プレー!!
って基本的にこいつらは何にもしてないんですけどね(笑)
そしてこの時も母親がもう一度娘に「大丈夫?」みたいな確認をして女の子も「うん。」とうなづいている様子が見て取れた。
よし、これで安心だ。
私も謎の親子へのおせっかいコーナーもこれで終わって、いよいよ、舞台が始まるということでワクワクして待っていた。
そして1分後、いや、1分もなかったかもしれない。
1分〜30秒前正にその時にその事件が起こったのだ
その彼女の前にいるそのおじさんがおもむろに被っていたキャップを脱いだのだ。

そこでなんと驚愕の出来事が!!
その時私は思わず「あ!!!!」と声をあげそうになった。
このおじさんがなんとものすごい目を見張るような剛毛だったのである!!
いや、具体的にいうならば、今は知らんが一昔前、世界的に有名なバイオリニストの葉加瀬太郎氏とかコメディアン兼ダンス振付師のパパイヤ鈴木氏だとかあの辺の人たちはブレーク当時ものすごい大爆発したようなアフロヘアを施していたがあの状態の髪型のまま就寝について5度寝ぐらいしてものすごい寝癖を帯びていて、その状態のまま外に出たらものすごい台風ど真ん中にぶちのめされた位の物凄い爆発力を誇る髪型だったのだ。

参考;アフロ時代の葉加瀬太郎(上)とパパイヤ鈴木(下)、こうして並べてみて初めて気づいたんだけどこの人達割とよく似てるよなwww

 

言うなれば剛毛以上の「超剛毛」とでもいうべきか、こういう言葉は世の中に存在しないだろうが的確なので言うがいわば「爆毛(ばくもう)」だったのだ。
以下、この爆毛の男を「爆毛男(ばくもうおとこ)」と呼称する。
そして残酷にもそのまま舞台は暗転してその演目は始まったのだった。

*4

 

3.爆毛男、爆誕と降臨の果てに
そうだ、ここでこの演目について軽く整理しよう。
この『天使の群像』に関しての感想として、12/29の私ネノメタルのXより以下のポストを引用したい。

 

 

と言う以上の当時の私のポストが示唆しているように割とシリアスな学園ものでとても見応えがあったのがわかる。しかもテーマがかなり深いシリアスな演目だったとも言えよう。ここでいっている内容に関しては今読み返してみてもほぼ偽りはない。現にものすごく面白かったので帰りにDVDなどのグッズもいくつか購入したほどだ。
だが、一点だけこのポストにはがある。
そう、「180分間圧倒されまくった」と言うフレーズである。
物語に惹き込まれたのは多くとも140〜150分間ぐらいである
なぜなら、この冒頭20〜30分間ぐらいの私の視線は舞台ではなく5列目先の母娘と爆毛男との壮絶な戦いにもはや釘付けだったからである。
この爆毛男は先述したような髪型ゆえ、一寸でも顔を動かそうものなら、手の位置を変えようものなら、肩を動かそうものなら、足を組み返そうとしようものなら正に台風の時の樹木のようにバッサバッサと爆毛も同時に上下左右に揺れてしまうのだ。

そうなってくると、この女の子が不憫極まりなくて爆毛男が揺れるたびに、その女の子にとって舞台上の視覚がかき消されてしまうので男の動きに合わせて顔の位置を変えることを余儀なくさせるのだ。爆毛男が右に揺れると髪型は当然右に揺れるのと同時に左側の上部も揺れるので女の子は爆毛男の頭の左側下部に顔の位置を変え、左方向に揺れると髪型は左に揺れるのと同時に今度は右側の下部が揺れてしまうので女の子は男の右側上部方面に顔の位置を変えなければならないのだ。
 そして左右のどちらかの足を組んだ時、或いは左右どちらかの肩を動かそうとした時も同様のメカニズムが適用されるので女の子も同様の対策が必要だってことも覚えておきたい。

てかこの爆毛男、静かに一点に止まってれば良いようなものの本当に落ち着きなくひっきりなしに動くのだから益々タチが悪いのだ。
これもし、私の目の前にいたらもはや「サツイ」以外の何者でもない怒りと憎悪の感情が巻き起こっていただろう。
そして極端なケースとしてはこの爆毛男が左右両サイド同時に首をひねったりした時で、これを台風に例えると風速五十メートルぐらいの台風を真っ向から受ける大木さながら左右上下全てが揺れに揺れるのだからどんな大惨事が起きるのか、と思いきや、この場合は「全てが揺れる=小康状態」とイコールになるらしくて意外と大丈夫だったりするのだ。現に女の子も顔を動かさずに済んでいた。
これはどう言うことなのかというと、台風になぞらえればわかりやすいのかもしれない。だってよくあるじゃないですか。「台風は直前と直後の方が荒れて、直撃ど真ん中の時は逆に静か」って…まさかの台風の本質を下北沢の劇場で名も知らぬ中年男の爆毛から再確認することになろうとは思いもよらなかったよ(笑)
という訳で私は残念ながら『天使の群像』に関しては前半20~30分の「生意気な教え子たちに問い詰められる苦悩するある新米教師の心象風景」が描かれたこのシリアスなシーンに関しては記憶が一部抜けてしまっている。
 なぜならこの間はそれどころか「存在自体が台風のような爆毛男に翻弄される1組の母娘の物語」という別の群像劇に惹きつけられて(気の毒に思いながらも)もう可笑しくて可笑しくて仕方なかったし、しかも舞台上でのシーンがシリアスなだけにもう笑うに笑えず痙攣しまくっていたからだ。
 それ以後は人間薄情なもので、あまりその母娘と爆毛男との対決に関しては気にならなくなって集中して演目を観劇できたのだが、それでもよくよく思い返してみれば、この女の子は物語のクライマックスから終盤ぐらいになると完全に爆毛男の挙動パターンに関して要領を得たらしくて男の動きに合わせて、臨機応変かつ速やかにサッと顔を移動して「爆毛男避け」のエキスパートと化していたような気がする。

正に子供の適応能力の可能性とは無限大のものがあることを実感した次第だ。まあでもこれはこの先彼女の今後続いていく人生で一ミリたりとも役に立たない技術だけれども。

 それにしてもこの娘さんが今回の演目が初めての演劇体験とかだったらトラウマレベルの演劇体験だったわけで、本当に胸がキリキリ痛む思いすらする。

(↑てかあんたは笑いを堪えるのに必死だっただろw)
 しかし劇場側も「他の客様の視界を遮るので帽子を取ってください」という注意アナウンスはたまにすることもあるんだろうけど「他のお客様の視界を遮るので帽子を被っててください」というのはなかなか言えないよななどと思ったりもして。
だってもっとストレートに「あんたの髪型は爆毛なんで帽子被っておいてくださいね。」という訳にもいかないし丁寧に回りくどく言える術がないというか、でも敢えてここを丁寧に言うならば「お客様が今現在なされているそのヘアースタイルは総量や形状が通常我々が想像するヘアースタイルの範囲以上に及ばれていらっしゃいますので観劇中にもし少しでもお客様が動かれたら時折後ろにいらっしゃるお客様の視界を遮ってしまう可能性があるのでむしろお帽子を着用して頂けると助かります。」という長台詞を爆毛男に面と向かって劇場スタッフは言わなければならないだろう。
まあ私だったらこの長台詞を最後まで言い終わらないうちに間違いなく吹き出してしまう自信がある。むしろ序盤の「通常我々が想像するヘアースタイル」あたりで笑死してしまいそうだけど。
 ということで、なんとなく軽〜い感じで書いた記事だったが、実はこういう「座席運」ってのは今後のエンタメを考える上で由々しくも非常に難しいある意味シリアスな問題提起だったりしてね。

気づいたら7800字を超えてしまってるしで本記事をここで一旦打ち止めとしたい(笑)

果たして続きはあるのか??

Appendix;  爆毛男における「アフロ検証論」

❶Typical Afro(典型的アフロ)

実際はこれより小ぶりなものもカウントされるが我々がパッと想像できる典型的なアフロ。本記事に出てくる爆毛男の場合こんなに小綺麗にまとまっていなかったので、現物は更に凄かったのだ。これから更に寝癖がついて台風が来たり爆発したりしてカオス化した感じ。

❷ Classical Afro(古典的アフロ)

こちらは厳密に言わなくてもアフロではないし、前述した「小綺麗さ」でいえばこれが一番爆毛男に程遠いんじゃないかと思われるが私が実際に見た毛量というか「ありのまま感」という意味ではこれが一番近かったんじゃなかろうか。①と被るがこれから更に寝癖がついて爆発してカオスになった感じ。

❸ Avant-garde Afro(アヴァンギャルド・アフロ)

 

きましたね(笑)こうなってくるとこれは爆毛男というよりも単なる迷惑なヤツという感じなのだが本記事から醸し出される一人の少女の鑑賞体験の邪魔する迷惑ものという意味では一番近いのかもしれない。正に爆毛男のアバンギャルド性を言い当てた本質がここにあるのではなかろうか。

 

*1:本記事は以下のnoteの記事に加筆・修正を加えたものである「座席運」についての一考察|ネノメタル

*2:記事アップ後日談;妙に気になってこのSSWについて調べてみたら20代前半のノリとか思ってたら結構キャリアがあるじゃないか!益々腹立ってきたぞw

*3:新たにきた男も同じような年代のおじさんなんだけどおじさんとおじさんがと言うのも紛らわしいので便宜上「男」と呼称する。

*4:まあこれぐらいの毛量だったらまだマシなんですが w

映画『#ブルーを笑えるその日まで』(#武田かりん監督)爆裂レビュー〜エンタメ比較を中心に(ネタバレあり)

映画『ブルーを笑えるその日まで』(武田かりん監督)爆裂レビュー

〜エンタメ比較を中心に(ネタバレあり)

 table of contents

1.ファーストインプレッション

2.セカンドフィーリング

3.サードパースペクティブ

4.フォーカス

①ハルカトミユキ『Vanilla』比較論

②劇団アンティークス『時を超えて』比較論

③ハルカトミユキ『水槽』

敵と味方と君と
世界中にそれだけ
言葉なんて空っぽだった
哲学は風の中

部屋は水槽のようだ
音も消えて
部屋は水槽のようだ
揺れて

たったひとつ欲しいだけなのに
たった1つ守るだけなのに
大人になる時は
少しだけ痛いよ
痛いよ
痛いよ

こんな静かな夜に君
はじけて溶ける緩いカーブを描き
溢れ出すように泣いて

 

『水槽』ハルカトミユキ

 

1.ファースト・インプレッション

今回は映画『ブルーを笑えるその日まで』(武田かりん監督)について映画・舞台・音楽など色々と様々な文化を比較することにフォーカスした形で考察したい。*1


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あらすじ
安藤絢子(アン)はひとりぼっちの女の子。唯一の居場所は薄暗い立ち入り禁止の階段。不思議な商店で、魔法の万華鏡を貰ったアンは、同じ万華鏡を持った生徒、佐田愛菜(アイナ)と出会う。二人はすぐに仲良くなり夢のような夏休みを送るのだが、屋上には昔飛び降り自殺した生徒の幽霊が出るという噂があり…アイナはその幽霊なのではないかという疑念を抱きながらも、お互いにとってかけがえのない存在になっていく二人。そんな楽しかった夏休みも終わりに差し掛かるのだった―。

 あらすじにもある通り女子中学生の安藤絢子(アン)はいつも寡黙かつ孤独な少女だ。友情の証として持っていた色違いのクマの人形を無くしてしまったという事がキッカケで友人同士だったグループからも仲間はずれにもされてしまい、両親や姉などの家族にも心を塞ぎ込んでしまっている状態。そう正にアンは学校にいる水槽の中の金魚のようなそんな閉塞的な世界を生きている。アンはそんな世界から現実逃避するかのように「何でも屋(鶴亀商店)」のババからもらった万華鏡をクルクル回してその中で美しく刹那に変わる光景に没頭してしまう。と、同時に同じクラスメートだという亡霊か幻のようなアイナという不思議な少女がふっと現れ、屋上行ったりゲーセン行ったり図書館に行ったり.....などなど何気ないようでもかけがえのない心通わせる友情の日々。そんな今だかつてなかったようなクルクルとキラキラした日々を過ごす事によってアンの瞳にいつしか輝きをもたらされ今までなかったような微笑みをもたらすようになる。ある日、アイナは言う「"銀河"に連れて行ってあげる。」と。そして実際に連れて行かれた所は当然宇宙空間などではなくて小さな鳥居のある神社。でもその鳥居の前に立って目の前に広がる木漏れ日から漏れる太陽の光はとても煌びやかに輝いていて本当にまるで銀河のようなのだ。やがてアンはその銀河のような木漏れ日と万華鏡の景色のキラキラした光景とがオーバーラップする感覚を覚える。と同時に本を借りにいった時に図書館司書から聞いた話をきっかけに万華鏡の筒から見えるその光景は木漏れ日や銀河の星たちと同じように2度と同じものは見えないのだというある意味普遍的かつ残酷な事実を知るようになる。
そしてアンはふとアイナとはこの夏休みも過ぎたら2度と会えなくなるのではという不安も同時によぎるようになる。

「アイナはいなくなっちゃうの?」 アイナは答えないが、その予感は当たる。彼女は「9月1日にこの屋上から飛び降りるのだ。」と言う。

そう、二人がこうして会えるタイムリミットは夏休みが終わるまで。

アンはアイナと過ごした夏の終わりをカウンドダウンするかのようにカレンダーに×を付けていくにつれ、8月29、 8月30 日、8月31日と徐々にアイナとの別れの日が迫ってくるのをまた実感するようになる。
そんな万華鏡からの景色のような儚げな日々もいつか終わり、アンもいつしか成長して、大人になる階段を上り、いなくなった幻のようなアイナを思い出しつつみたいなほろ苦い青春ストーリーに収束する.......と

思うじゃないですか、普通。

あの〜合っているとも言えるんだけど合っているようで違います問うべきか(笑)
これがまあ大げさではなく、異次元にぶっ飛ばされる感覚を覚えた。
いや、ただただビックリ!!何せ本当に鶴亀商店のババからダイナマイトを買い取って本当に学校の屋上に忍び込んで爆発させようとするのだから!彼女らはテロ行為(笑)に走るのだ!!
本作はある意味これまでこう言う青春映画において邦画界(洋画でも言えるか)が定番としてテーマとしてきたものの風穴を空けたと思ったし、ある意味これはパンキッシュな作風だと断言したい。これには異論はあるかもしれないが私はそう感じた。
 とは言え、それには根拠があって予告編を見たときに「そうか、どうりでRCサクセションの『君が僕を知っている』という曲が主題歌として使われる訳だ。」とも妙に納得したものだったから。この映画、途中までの展開では、割と静かなアンビエントな感じのインストの音楽が挿入されてたりするので、もうこのまままったりとじんわりと寂しいながらも最後はふっと光が差し込むような終わり方をするのだと思わせてしまう効果があるのだ。それは例えば劇団四季のロングラン公演ミュージカル『夢から醒めた夢』のようなドラマティックだけれども最後はセンチメンタルに収束する展開を予想していたから。*2

その儚げなインスト音楽がどこか夢のようなアンとアイナとの邂逅の物語を占めていて突如あの素っ頓狂なキヨシローのあのボーカルがバシッと入ってくるから目の覚めるような感覚を覚えるのだ。あの曲が入ると音量もこれまで以上に大きくくっきり聴こえてくるような気さえする。だから正直鑑賞前に予告編を見た段階では「何でこんなに静かな作風なのに、ましてや爽やかな青春モノっぽいのに最近のあいみょんとかではなくてJ-Popとしてはかなり懐かしい部類に入る"RCサクセション"の曲なんだろう??」と不思議に思っていたのだが本作を鑑賞する事によってもっとエッジが効いているような印象を受けたからこそ納得したのだ。
 具体的に言うとあの落書き&ダイナマイトリベンジを実行する場面では忌野清志郎のあの独特の歌声がこの上なくバッチリハマっているのだ。確かに本作のビジュアルイメージであるとか二人の女の子の佇まいであるとかフラジャイルな青春を扱った映画なんだけども、どこかタフで、どこかシュールでパンキッシュな怒りにも満ちていていると思わせたりするのがこの映画の斬新さであり、魅力の一つだと思う。

そう考えると本作は2022年ののん(能年玲奈)監督の『Ribbon』におけるクライマックスの夜中に校内立ち入り&〇〇〇〇壊しシーン(ネタバレ回避)を彷彿とさせる。

その辺りはこちらの過去記事を参照されたい。

nenometal.hatenablog.com


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因みに本作では授業をサボってアンが屋上にいくシーンはRCの名曲『トランジスタ・ラジオ』ともリンクしたりして。

Woo 授業をサボッて Yeah
陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ
屋上でたばこのけむり
とても青くて

トランジスタ・ラジオ』

RCサクセション

 まあ本作では屋上でタバコを吹かすどころかむしろ屋上でダイナマイトぶち撒けようとしてるんだけど(笑)

 でもどことなくRCサクセションはロックあるいはパンクとして解釈されがちなんだけど根底にある青春期特有のナイーブさだとか人間味だとか優しさだとかが根底にあるのかもしれない。そもそも忌野清志郎という人がそういう人で、あの放送禁止事故を起こした過激志向のタイマーズですらデビューはヒューマニズム溢れる『デイ・ドリーム・ビリーバー ~Day Dream Believer~』から始まったのだ。だからこそ武田監督は本作のメインテーマに採用したのだろうとも思う。


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 本章のラストとして、去年の年末12/14にアップリンク吉祥寺で開催されたトークイベントの模様を紹介したい。

武田かりん監督が本作を撮影したきっかけなどを質問形式で答えたものだがこれほど監督が真摯に質問に答える舞台挨拶は初めてだと思う。


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 武田監督は辛い学生時代の過去を思い出したからだろうか、途中目に涙を溜めながらそれを堪えつつも以下のように語った。「一番の友達は"人間"じゃなくていい、それが私にとって絵を描くことだったり本を読むことだったり。でもそれで良かったなって。」そう、これがきっと彼女の学生時代と同じように不登校やいじめで悩む学生に見てもらいたいと願う彼女が伝えたいポジティブなメッセージの一つなのだろう。

そういえば、インディーズ映画界では毎年口コミで徐々に拡大上映してロングランする作品が存在する。それは2018年の『カメラを止めるな』だったり2020年の『アルプススタンドのはしの方』だったり、2021年の話題を独占した『ベイビーわるきゅーれ』だったり、あと昨年大ヒットした『茶飲友達』だったり....今年は紛れもなく本作がそれに当たると思う。

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.comそう、もう半年経てばアンとアイナが過ごした暑く儚げでキラキラした季節がやってくる。8月31日になっても、いや、9月1日以降になってもまだまだ全国で上映されている事を願ってやまない。

 

2.セカンドフィーリング

本章は2回目を元町映画館にて鑑賞した際のフィーリングを中心に述べていきたい。((2回めはここで観ている。

))もはや本作のストーリーを知ってしまっているので今度は登場人物の情緒的な部分に気持ちがフォーカスされる。

とにかくこの時アンの大人になる事への不安や焦燥をさながら具現化したようなあの表情が切なかった。あとは何でも屋である鶴亀商店のババの「今はね、夢見たって良いんだよ」などなどのぶっきらぼうながら愛に満ちた台詞に共感し眼から洪水が溢れ出たものだ。
ここでもうハッキリ言うが『アルプススタンドのはしの方』や『サマーフィルムにのって』に匹敵する歴史的な青春もの映画の傑作だと断言できる。いわゆる「傑作」という言葉はあまり軽はずみに使ってしまうとその説得性が薄れるのであまり使わないようにしてるのだがもうこれはやはり傑作である。 あと気になったのがアンのお姉さんで、お母さんが朝ごはんの時にアンは「絢子」と呼び捨てで、お姉さんであるカナには「ちゃん付け」だった点。

そういえば「安藤絢子(あんどうあやこ)」というフルネームは姓と名が同じaの母音で何となくアンバランスな気もするし、これは割と複雑な家庭の事情があったりするんだろうか?

*3

あと鶴亀商店のババと図書館司書である佐田愛菜との10年前の関係も極めて気になったりする。これはかなり妄想がかった深読みになるがあの二人も実は同一人物だったりして。

いや、まさかそれはないか現実に両者共に存在しているのだからなとも思ったりして。

 

3. サードパースペクティブ

そして3回目をみに行く機会に恵まれた。この日、3月9日の12:50の回は京都アップリンクにおける武田かりん監督の舞台挨拶回だったのだ。

上映後、『ブルーを笑えるその日まで』への思いや拘りだとかを真摯かつ真剣に語る様子に物凄く心を打たれた。正に前章で掲げたように、12/14の吉祥寺アップリンクでの舞台挨拶を彷彿とさせるようだった。 

それにしても話はズレるが、私は個人的にここ5年ほど舞台挨拶には割と行ってきた方だと思うが人数だけやけに多くてウケ狙いのトークショーに逃げるケースが多すぎると思っている。これは由々しき事態でせっかく感動して自分で物語を反芻しながら感想などを綴ったりしたいので登壇者たちの楽屋オチトークショーでこちらの感動がズダボロになる瞬間に何度も立ち会ったことがある。これは長くなるから具体例などは置いといて映画ファンは誰しもそんな経験があって意外とそんなもオプションなどは望んでいないのではないか。
その作品に対して監督がいかに作品に賭けててどのシーンに力を入れたか、何を受け取って欲しいかコンセプトをガッツリ語ってもらえれば十分、てのを改めて武田かりん監督の舞台挨拶で実感した。これぞ舞台挨拶です。そしてこの時この映画の中のラストシーンでアイナの呼びかけに少し微笑んだ後の安藤絢子があれから約10年経て自分の好きな事を見つけ映画監督になってここに立っている続編に対峙しているような錯覚すら覚えたものだ。はっきり思った。

正に安藤絢子(アン)とは武田監督その人だったのだ。

 あのアイナとアンが二人して川に飛び込むシーンは何度観ようがヒリヒリするのだが、これは2回目ぐらいから思っているんだけど、一旦水中に沈んで水面から顔を出した時にアンの制服の赤リボンがふと頬にかかるのだけど、それがちょうど赤い涙が伝ってるように見えるのだ。これは熱い血潮煮えたぎる感情をぶつけられる友人に出会った事への象徴ではないかと勘繰ってしまう。
 これは監督に聞いた所、3テイクを一気に無我夢中で撮ったらしくてそういう風な演出できる余裕は無かったそうでこれは晴れて私の妄想だったことが判明した訳だけど(笑)それにしても様々な考察が可能な傑作だと思う。あと本作に関して「不登校の中学生・高校生達へのメッセージ」というものが大きな主題となっていて、そこを感想で強調するのはとても大事だと思うけど私はむしろエンターテイメント方面のサブカル視点を軸に論じていきたいと考えている。単純に個人的にそっちの方が面白いってのもあるし、こういうメッセージ性を持った作品ほど論点を多角的に散らばらせていく方が普及という意味でも重要だと思うから。あのAnlyがここ最近ブレイクしたのもブレイク寸前に『manual』というブラック校則撲滅へのメッセージを綴った楽曲をパフォーマンスしつつも別に「社会派アーティスト」である事に固執せず、あくまでエンタメフィールドのポップミュージシャンとしてのスタンスを維持したってのも大きいからだ。

本論から外れるのでこの辺りに関しては以下の過去記事で述べているので参照にされたい。

nenometal.hatenablog.com

あとこの舞台挨拶では本作が自宅で気ままにアクセスできるようにフィジカル(配信)化についての可能性への質問があったがもうこれは絶対やるべきだと思う。それについては不登校気味の子どもたちが映画館、ましてやミニシアターなぞに行くのは敷居が高すぎるゆえ自宅で観れるという利点もさることながら、こうしてパンフレット二冊並べてみるとある面白い点に気づく。

なんとなんと右側のアン1人の世界線とアンとアイナの2人の世界線とが一つに繋がっているではないか。それにしてもこの二冊を並べた写真、よくよく見ると雲の流れや建物やガードレールなどがつながっているのだが安全ミラーが不自然な距離であったりとあと道路のマンホールなどもあったり無かったりと不思議な点が多かったりもする。これらの事実がどういう事を示唆しているのかは現時点では保留だけど色々と検証してみるのも面白いと思う。

それより何より、深い検証などは置いとおいて、この二つの遷都線が繋がったかのようなこの写真、何よりもDVD等の表裏ジャケットにピッタリではないか。表ジャケットが上の写真でディスクが入っている中ジャケも透明仕様にして全て繋がっている風な仕様が可能じゃないか。しかも下の写真のように中ジャケでアンが筒を覗いてディスクの穴からアイナの顔がひょこっと見えるみたいな仕様も考えられたりして。

4. フォーカス
①ハルカトミユキ『Vanilla』比較論

あと音楽関連で個人的にツボったのは個人的に「ハルカトミユキ」という今も尚活動している2人組の女性バンドにハマっていた時期があるのだが、彼女らの初期の名曲『Vanilla』のMVや歌詞世界とのシンクロニシティを感じさせた点である。


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例えば
❶「屋上」に二人の女性がいて上から下を見たりする場面があったり、MVでは煙筒や映画ではダイナマイト(事実上は花火)をかざすシーンだったり

❷「カレンダー」に主人公が終わりの日に向けてバツをつけていくシーンが全くリンクしてたり

❸「水」の中へと女性が入水するシーンがあったり(MVは海で一人だけ、映画は川という違いはあるけども)

❹そして極め付けはMVの方の歌詞を引用すると、

許せない
許せない
許してあげたい
あの頃の僕たちを

(『Vanilla』ハルカトミユキ)

というフレーズがあって正にこれはアイネのというよりも彼女の現在の姿である図書館司書・佐田愛菜の心象風景ともリンクする部分がとても大きいと思ったりして。

兎にも角にもこの曲の世界観が好きな人はハマると思う。
きっとあの曲も本作も【過去の自分と向き合い、過去の自分に対して現代の自分が優しく肯定性へと導き出し、過去の自分がそのメッセージを受け取るといったようなrecursiveness(回帰性)】といった意味においてはものすごく共通してると思うから。

②劇団アンティークス『時を超えて』比較論

 

あと『ブルーを笑えるその日まで』は去年末に下北沢711で観た舞台『時をこえて』とリンクする事に気づく。*4

antiquesvintage31.wixsite.com

本演目について述べておくと

なまえがなかったあたしになまえをつけてくれた
あなたをずっとわすれない
記憶をもたない少女が「この世界」に存在した
数十年に渡る「ものがたり」

という紹介文からもわかるように「けけけ!」という謎の言葉しか話さない不思議な少女がとある事情を抱える女性の元に娘として暮らし始め、その娘も言葉を覚え成長していき本当の家族のように心通じ合う....という話で【血の繋がりだけが家族じゃない】という趣旨の演目は今まで数多く観てきたけどこれほどヒリヒリとしたリアリティとどことなく漂うフェアリーテイル感とのバランスが絶妙にブレンドされつつスッキリした涙でエンディングを迎えられる作品はなかった。

 とにかく心の何処かに闇や苦悩や愛情の欠如を抱えている人々に近づいてはポッと光を灯してくれる不思議な存在である「さっちゃん」がどうにも「アイナ」と重なるのだ。そうなると更に本作のキーワードである「万華鏡」がこの演劇のキーワードである「押し花」とも自然と重なってくるような気もする。どちらも美しいものを時を超えるかのように閉じ込めておくオブジェクトとしては共通している。

 更に特筆すべきは当初私は「さっちゃん」という存在は家族愛を失った人にしか見えたり聞こえたりしない幼い日々の自分そのもののような【座敷わらし的な子ども】として解釈していた。その証拠になっちゃんの友人のお母さんが「私には(もう大人になってしまったから)さっちゃんは見えないんだね。さっちゃん、有難う。」などというシーンがあるからだ。しかし考えてみるとこのさっちゃんの母朋美はもう既に大人なのだから矛盾が生じる。朋美は実の母ではなく海辺を彷徨っていたなっちゃんを身寄りのない可哀想な子供だと思い一緒に暮らすことにした血の繋がりのないみなし母となるので到底座敷童子とは言い難い。そこで私は座敷童子ではなく冒頭で心の何処かに闇や苦悩や愛情の欠如を抱えている人々に近づいてはポッと光を灯してくれる存在としてさっちゃんを拡大解釈することによってこの矛盾を打ち消した。そして『ブルーを笑えるその日まで』に話を戻そう。本作ではアイナは図書館司書「佐田愛菜」の幼き日の分身だった訳で愛菜の本体は成長したのだけれど子供の頃の心はまだ中学校時代の屋上に置いてきぼりだったと捉えるのが妥当である。そしてこの論理を『時をこえて』にも当てはまると考えると見事に先ほどの拡大解釈の必要性がなくなるのだ。朋美は幼い頃から実の両親から家族愛を受けることなく(実際にDVの義理に父に悩まされ殺人を犯して逮捕されている)その空虚な心は小さい時のなんとなく記憶にある海へと置いてきたのだ。そこでその時の子供だった頃の友美の姿が「さっちゃん」として具現化したのだと考えると拡大解釈の必要はなくなる。まあこれが正解かどうかは不明だが、別作品ながらも演劇の疑問が映画によって何らかの糸口が見える気がしてハッとしたものだ。演劇と映画がジャンルという垣根を超えてリンクする正に奇跡の瞬間だと思う。

そう、万華鏡の光とは、単に中のカラフルなビーズのようなものがくるくる回して様々な光景を構築するだけでなく、それと同時に過去も現代も時間軸をもクルクルとキラキラと回転させ写像する事ができるのだ。そうして過去のアイナから現代の愛菜を通じてアンへとメッセージが行き渡せることができるのだ。そして本演目のキーである押し花も同じ。花の最も綺麗な瞬間をまるで永遠の時間のように閉じ込める魔法があるのだ。本作も保年もくもオカルト現象やらタイムリープのオプションなど使わずにこの時間軸を超える点にこそこの物語のコアがあるようにも思ったりもする。

③『水槽

そういえば、先ほどハルカトミユキの曲で思い出したが、彼女らのもっと初期の曲には『水槽』というタイトルの曲もあったなぁ、ということに、そしてこの曲の一節が本作とものすごくシンクロする事にも気づく。

 正にアンが小さな川の中に飛び込み、泣きながら自分の苦しみをアイナに打ち明け、心の中にポッカリと空いた穴を埋めようともがいている様子はさながら水槽の中の金魚そのものである。これは正に思春期における大人になる事へのアングストなのだろうか?

そこに言葉など、ましてや哲学など無力である。
ただこれだけは言える、いつかきっとそんな青春が醸し出す憂鬱を、ブルーを笑いとばせる日がきっと来る。

そこでタイトルへと辿り着く。

『ブルーを笑えるその日まで』
最後に本作の核の部分とシンクロするような『水槽』の歌詞の一部を引用して本レビューを締めくくりたい。


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敵と味方と君と
世界中にそれだけ
言葉なんて空っぽだった
哲学は風の中

部屋は水槽のようだ
音も消えて
部屋は水槽のようだ
揺れて

たったひとつ欲しいだけなのに
たった1つ守るだけなのに
大人になる時は
少しだけ痛いよ
痛いよ
痛いよ

こんな静かな夜に君
はじけて溶ける緩いカーブを描き
溢れ出すように泣いて

 

『水槽』ハルカトミユキ


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*1:本記事はシアターセブンで鑑賞した後にfilmarksでレビューしたものに加筆修正を加えたものである。ブルーを笑えるその日までのネノメタルのネタバレレビュー・ 内容・結末 | Filmarks映画 https://filmarks.com/movies/109995/reviews/169287331 #Filmarks #映画 #ブルーを笑えるその日まで 

*2:劇団四季『夢から醒めた夢』に関して

ja.wikipedia.org

*3:この辺りの謎は妄想で、3回目の時に本作を13回ほど観ている方に聞いて分かったのだが姉妹のエピソードもあったかもしれないとの事。実の姉妹で、心開いてくれる姉、と心閉じた妹と母親は認識していてその差が呼び名として出ているのかもしれない。

*4: