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ポスト・サブカルのゆくえ〜#バーペガ「#神会黙契(しんかいもくけい)」が示唆するエンタメの未来

ポストサブカルのゆくえ

〜バーペガ「神会黙契(しんかいもくけい)」が示唆するエンタメの未来

1.サブカルとは何か?

2.「サリーの自転車」に見るサブカル要素

3.「神会黙契」から見えたクロスカルチャーな光景

Case(1)白神さき

Case(2);Saika(吉田彩花) 

case(3) Nana(なっち)

case(4)古郡翔馬(群像ピカタ) 

4.サブカル is DEAD and...

A. Definition

B. Alternative

Almost always, the creative dedicated minority has made the world better.

 

常に世界を変えてきたのは創造的で直向きな少数派だ。

Martin Luther King jr.(1929~1968)

*1

 

1.サブカルとは何か?

最近よく思うんだけども、サブカルってもう虫の息レベルでめちゃくちゃ立場弱くなってないですか?

一昨年の東京オリンピック前ぐらいの90sの音楽シーンの旗手とも言えるCorneliu小山田圭吾(Cornelius)のいじめ発覚事件みたいなところから確信したんだけど、いわゆる90年代ぐらいから台頭してきた『Quick JAPAN』だとか『Rockin' on Japan』などのサブカル誌、或いは休刊にまで追い込まれていた『映画秘宝』などのサブカル映画雑誌的なものにあった前衛性はおろか存在価値ですら悉く否定されていわゆる「イタイもの」として糾弾されているのをヒシヒシと感じる。*2しかも、サブカル側はサブカル側で「どうもサーセンサブカルさせて頂いてます💦」みたいな、ちょっと肩身が狭いみたいな感じすらある。で、何がその代替えになってるかっていうと特に何もなくて、空虚な穴がぽっかり空いてなんとなーく埋め合わせされてるような。でも、私の思っていた「サブカル」とはどこかサブ(sub)という接頭辞があるからこそ顕著な「メインではないけれどカウンターパンチ的な反骨精神としたから突き上げるようなパワー」があってそれらがカルチャー全体の燃料と化している気がするのだ。

 ちなみにサブカルについてはロマン優光氏著90年代サブカルの呪い』(ロマン優光)が示唆的である。*3

本書をざっと紹介しとけば「90年代以降のいわゆる「サブカル」とはカルチャーの副次的(sub)な位置付けにあるのではなく【サブカル】という特定の期間の特定の領域における一つの現象に過ぎない。」という事を鬼畜系・メンヘラ・エロ文化・漫画など様々な側面から論じてくれる非常に読みやすい本である。

 この本を読みながらそふと思った。以前から色々なシンガーソングライターであるとか、バンドであるとかの好きなものが共通する人たちと話すことがあるが、実は話してて多少なりとも「ズレ」のようなものを感じる時があるのだ。アーティストなり作品なりその対象は共通してその話題になるんだけど、その辺をぐるぐるぐるぐる駆け巡ってて、なかなか中心をつかないようなもどかしさを感じることがある。やはり好きなものっていうのは共通していても、あまり意味は無いのだとすら思う。

だから最近ではその辺り諦めててSNSでもリアルで人と話す時でも「誰々の音楽が好き」という誰々の部分で共通するのはさほど重要じゃなくて、ひたすら本質的な「音楽とは」「ライブとは」「サブカルとは」などのテーマ自体ではなくコアを語れる事に意義があるのだと思うから。その意味でサーキュレーションの範囲が被ってようがそれほど意味をなさないんじゃないか、などと思ったりもする。  だが逆も然りで、感覚レベルだがそう多くを語らずとも「相手の意図がわかるorこちらの意図が伝わる」人に出会ったりすることが稀にある。ほんと固有名詞をポンポン出すだけで「あ〜それそれ、で、これですよね、ハイハイそうなんですよね。で....」みたいな不思議なテンポ感がある人にごく稀に出会ったりする。もうあれってホント不思議なもんで例えばこちらがAnlyというアーティストが好きだったりして向こうはAriana Grandeあたりが大好きだったりと同じものをそっくりそのまま共有してなくても(....いやこれはむしろ共有していない方が)話通じたりするんだよね。

そんなことを思っていた矢先のまだ年末の空気感漂う2023 年12月27日の東京は中野新橋にあるアトリエ・ペガサス。

あの本ブログではすっかりお馴染みの吉田彩花氏主催による神会黙契」というイベントが開催されたが、そこでふとそんなサブカルの塊のようなSSWと出会ったものだった。それが今回のブログのテーマ、サリーの自転車というソロの女性アーティストである。

 

2.「サリーの自転車」に見るサブカル要素

こちらはその時に撮った20分ほどあるライブ動画だけど歌が始まって冒頭1分05秒ぐらいで構わないのでちょっとこのSSWに注目して欲しい。


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そうですよ!これ!彼女のアーティスト名は「サリーの自転車」(別名称「サリチャリ」らしい。こっちの方が執筆を進めやすいので以後、そう呼称する)。このイントロのギターからブルーハープからもこのたゆたうようなこのメロディからもう「こういうのが好きな人は好き」なサブカルチャーな空気感に満ちていることに気づくだろう。こういうのは皮膚感覚ってかセンスの問題なのでこれが的確なのかわからないが全てが絶妙なバランスで成り立っているのだ。その象徴がこのアーティスト名。パッと見た目にみた感じ穏やかな優しそうな感じのソロの女性シンガーなのだが、「ユリカ」とか「そよか」とか「みきこ」などなど...女性SSWの「名前」とは程遠い「サリーの自転車」という...これがサブカルオタクにとってなんとも惹きつけるセンスがあるのだ。私は個人的にBonnie Pinkだとかあの辺の「ソロなのにバンド名?」みたいな90年代J-Popでもどこか渋谷系文脈に顕著な確信犯的なセンスをも感じたりするのだが。

もうこれだけでサブカル好きにとってはピンとくるものがあると思う。

セットリスト

1.うた
2.救世主
3.群青
4.Sunday Sally Bicycle

こちらもどこかサブカル味を感じている後藤まりこのソロワークにフォーク味を増した音像とでも称するべきだろうか、それよりも何よりもこの音楽から私には東京が、サブカルが浮かぶ、そしてあの東京サブカルの聖地、下北沢が浮かぶのだ。

例えば一曲目の音像はサニーデイ・サービスが96年代にリリースした金字塔的な名盤『東京』に収録されている『いろんなことに夢中になったりあきたり』を彷彿としてしまう。


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答えがないならないでいいんだ

いつかは夜が明け朝がきて

忘れてしまった頃に思い出すよ

 

ー『いろんなことに夢中になったり飽きたり』

この曲とふと共時する、というかアンサーとなっているような一節が一曲目『うた』にもある。

以下で、そのフレーズを見てみよう。

少し霞んだ日々の歌

いつまでも残る思い出

 

ー『うた』

これは別に確認などもしていないので偶然なのかもしれないけど全体的に初期のサニーデイ・サービスの影響が少しあるのかなとも思ったりした。ちょっとこちらのアートワークもみてみようか。

サニーデイ・サービスの実質的な1stアルバム『若者たち』のアートワークだけどどこかサリーの自転車の音楽のイメージと付合するような感覚を覚えるのは私だけではないだろう。

そして、例えば下北沢にある古本屋の聖地であり今泉力哉監督『街の上で』などの映画のロケ地にもなった「古書ビビビ」さんだとかあそこでかかっている音楽が好きな人なら必ずハマるだろうと確信している。

先ほどのライブ動画でかかってても何の違和感もない。ちなみに先日ここを訪問した時に「世田谷ピンポンズ」というこれまたソロのこちらは京都出身の男性アーティストなのだが、この方もよくこの古書ビビビで開催されるライブで演奏している、いわゆるそういう系列の音楽を奏でるアーティストをビビビ系SSW(造語)と呼称するが、ここにMVを紹介しておきたい。


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なんとなくだけどフォークの持つノスタルジーサニーデイ感というか古書ビビビで好まれる種の音楽であるのは明らかであろう。いや、今後サリーの自転車もここでライブをすることがあるかもしれない。またサリチャリ@神会黙契に話を戻すと、最後に歌われた『Sunday Sally Bicycle』もまた少しテイスト違っていい曲なのでXのポストで一部抜き出してみよう。

音源バージョンのアレンジがまたドリーミーなレゲエテイスト入ってこれも良い。この牧歌的ながらどこか郷愁あるメロディーは個人的に『孤独のグルメ』でサウンドトラックを担当しているザ・スクリーントーンズの『リアスの海』とのリンクを感じたり。この二曲とも連ねて聴きたい珠玉の曲である。*4

①サリーの自転車『Sunday Sally Bicycle』

soundcloud.com

②ザ・スクリーントーン『リアスの海』


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別にDJのセンスがどうこういう訳ではないがやっぱりこの二曲は並べて聴くと相性が良いということに気づくだろう。①→②と連続して聴くとテンション上がってまさに自転車乗って海岸線走るイメージがあるものだ。さて、ここで話をまとめよう。このサリーの自転車さんを観た瞬間いろんな要素が頭に浮かんだのだ。ブルースハープ、マフラー、フォーク、意味深なバンド名、サニーデイ古書ビビビ、世田谷ピンポンズ、そして孤独のグルメいろんな要素を喚起させるアーティストだと思う。ルーツ等は全くもって知識入れずに聞いただけなので詳細は不明だが2月末におけるバーペガでの吉田彩花氏生誕祭などでのイベントで深堀りしてもいいのかもしれない。

 

3.「神会黙契」から見えたクロスカルチャーな光景

その意味では2023 年12月27日アトリエ・ペガサスにて開催された「神会黙契」は様々なカルチャーが混合するという意味で興味深いイベントだったように思う。

神会黙契とは以下の四字熟語である。

ここで、印象に残ったものを厳選して挙げていきたい。*5

 

Case(1);白神さき

白神さきさんは最近バーペガで頻繁に聞く名前でエネルギー溢れる表現者というイメージがあった。で、この目で観てそれを確かめなければならない表現者だとはずっと思っていたが、この日目の前で観て間違いなかった。
ここで披露されたのはいわゆるアニソンの数々で、単なる音源の再現に留まらず全身全霊で表現する様に惹きつけられものだ。


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セットリスト

1.アイドル(Cover version of YOASOBI)
2. メフィスト - Mephisto (Cover version of 女王蜂)
3.サインはB -アイ Solo Ver.-(Cover)

LIVEを聴いてて音源を演奏すると言うよりも最早この人自体が音楽の一部なんじゃないのかと思うほどの天性の音楽人がたまにいるが、最近バーペガ界隈でよく聞く名前No.1ぐらいの怒涛の勢いの白神さき さんも例外ではなかった。彼女のパフォーマンスは前半と後半に分かれていて前半のアイドルに扮したパフォーマンス10分とは思えない濃密なパフォーマンスは本当に圧倒的だった。

そして後半のパフォーマンスはこちら。


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セットリスト

1.余計だ (Cover version of Saika)
2.サニー (Cover version of Saika)

そして、後半の10分で披露されたのはSaika曲『余計だ』『サニー』のカバーで構成されている。思えば本曲を最初に聴いた時の感想は【喜怒哀楽どれにも属さない狂気一歩手前の感情】だったのだが更に加速した印象でそんなギリギリ感を身体全体を使って表現していた。*6

PJ.Harveyや初期Cocco等にも通じるオルタナ要素を見たような気がした。このオルタナティブに関しては後述する。

 

Case(2);Saika(吉田彩花) 

次はこの「神会黙契」の企画者でありメインアクターであるSaika(吉田彩花)である。


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セットリスト

0.星を探し求めて走り続ける少年と言葉を失った毛皮の少女との邂逅の物語
1.視線の先 
2.瑠璃色  

この2023年の年末、アトリエ・ペガサス(バーぺガ)で紡がれた小さな一つのでも大切にしておきたい演目のような物語が紡がれた。そこでふと思ったのは私には2022年の5月にあの少年が星を掴みかけた瞬間の続きの物語を見た気がした。彼女が着ている衣装はオーバーオール、黄色のニット帽、星を追いかける少年.......そう、紛れもなく2022年5月にここバーペガで開催された同じスタイルでのパフォーマンスである『五味夢中』の少年を彷彿すると共に、新たに「言葉なき世界」に生きる少女との邂逅の物語が展開されたのだった。


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この中では『視線の先』という曲も歌われたがに、神会黙契という命題への答えが内包していた。そして話は脱線するが2023年は私が以前から望んでいた劇団テンアンツと吉田彩花との邂逅という記念すべき年となった。その象徴としての『サニー』と『瑠璃色』という二つの色彩の違う楽曲があの舞台上で鳴らされた。これらはテンアンツの舞台に今まで感じた事がなくてしかも個人的に欲しかった空気を携えて各々の舞台を鮮やかに彩ったものだ。...と開演前ぐらいに思っていた矢先のSaika氏ラスト曲が偶然にも緑川瑠璃子の『瑠璃色』だったのだ。とは言え正直それほど驚いていない私もいたりして。
思えば『遥か2019』以来ずっと奇跡の連続だった。
偶然とリアルとが織りなす奇跡のコラボレーション、この方とはそんな答え合わせする瞬間(これって神会黙契てことじゃないか?)をいつも楽しみにしている。

case(3) Nana(or なっち)

次は『悲劇のアルレッキーノ』などの舞台をきっかけに数々の舞台、映像作品などでもかなりの頻度でお見かけすることの多いNanaさん(pocochaなどでの配信上ではなっちという名前もある)のアクトを観てみよう。


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初オリジナル曲 『星のゆくえ』を初めて聴いた訳だが奇跡の曲だと思った。(作者はSaika曲を多彩にアレンジすることでお馴染みのD.Koshiro(康士郎)である。)*7

  歌詞は後のアクトでSaika演じる【星を追い走り続ける少年】の心象風景を描いているようであったりとか、壮大なメロディーは本人のルーツでもあろうミュージカルバラードのようなのだがなんとどちらも偶然らしい。
 これは神会黙契というイベントがバーペガに新たな伝説が刻んだ瞬間である。そしてもう一つこういうパフォーマンスもあった。


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こちらのパフォーマンスは「"エンターテイナー"にまつわる一人芝居〜私と姉と歌とそしてあの人と〜」とでも称するべきか。全体的にNanaさんのパフォーマンスが斬新だったのは『アナと雪の女王』などの要素を付加したミュージカル要素があった事。これは私の知る限り観てきたバーペガアクトでは彼女しかいない。前半の「エンタメとは私にとっては何?」というテーゼからジャズスタンダード『My Favorite Things』へと導き出すセンスは物凄くツボだった。

 

case(4)古郡翔馬(群像ピカタ) 

次はこちらアトリエペガサスの店主でありツーピースバンド「群像ピカタ」のボーカルでもある古郡翔馬氏のアクトである。


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セットリスト

1.コーラル
2.憂いを(yellow)
3.覚醒前夜に音楽をくれよ(朗読パフォーマンス)
4.脆くて儚い人のうた(朗読パフォーマンス)

LIVEを観てきてハプニングを逆手に取ってモノにできる演者がいるが古郡翔馬 も正にその一人だ。病み上がりかつ演奏中に弦が切れるという状況でもLIVEを止めずに誰にもマネできない音と言葉とあの場の空気という色なき絵の具を全てキャンバスに塗りたくるアートパフォーマンスを展開した。

「覚醒前夜に音楽をくれよ!」

彼が突如紡ぎ出したこの言葉は正に2023年の私にとって心臓部ど真ん中を貫くと共に全てのエンタメに対するメッセージのようにも聞こえるほどのインパクトを放つものであった。
私はこの言葉を胸に秘め生きていきたい。そして近い将来この言明をどこかで使いたいなとも思う。その時が楽しみだ。

 さて、ここで読者はシンプルにある1点に関して疑問に思う事だろう。このイベントで何故に私はサリチャリのみポコっと取り上げて他のアクトをこうして別にレビューしたのかって事。これはある点でサリーの自転車のみがサブカル要素を放っているからである。
 この点を詳細に論じてみよう。
まず、白神さきのアクトはと共に現代大ブレイク中のアニメ主題歌である事であると同時にいわゆる【ダンスパフォーマンス】込みの音楽である。そしてperfumeのようなコンテンポラリー入った要素のダンススタイルではなく真っ向勝負のダンスパフォーマンスだったように思う。

 また次のSaika(吉田彩花)、Nanaのアクトは音楽を奏でる(歌を歌う)と共に台本ありきの一人芝居の演劇要素が含まれている。という事はやはりここにもサブカル要素は皆無だ。そして古郡翔馬のアクトは前で述べた二人と類しているようだが、台本ありきの一人芝居ではなく普通の朗読というよりインプロビゼーションパフォーマンスのようなもので、これは常日頃から彼独自が展開しているMCの箇所のライブスタイルを更に発展させたものである。

 ちなみにMCとパフォーマンスとのバランスでいえばこの古郡翔馬がピカイチだと思う。
MCが燃料タンクみたいにどんどん曲の熱量を上げていく感覚は圧巻。全ライブやってるアーティストは参考にすべき。

少し脇道に逸れるがこちらをご覧いただこう。

Case(1)~(5)をまとめると以下のようになる。

ここでお分かりだろうか?

 ここで述べたCase(1)~(4)のアクトはサブカル要素は皆無で、演劇だったりダンスだったりライブだったりと真っ当なカルチャーがあるのだ。これは別にどこに良し悪しがあるという問題ではなく、サリーの自転車のアクトのように様々なサブカル要素が自然と滲み出るケースは異質だったからだ。

これはアトリエ・ペガサスというカルチャーであり、サブカルではないカルチャーだとかアートに素直に向き合ったエンタメ空間で見受けられるのはとても興味深い事実だと思う。

 これは何を示唆するのだろう?

次章ではそれを追っていきたい。

 

4.サブカル is DEAD

A. Definition

ここで改めて「サブカル」を定義したい。ロマン優光氏著『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』から引用してみよう。

サブカルチャー(プロトサブカル)愛好家の中にいる、ミーハー的に情報の表層部分をすくっているだけのくせに妙にスノッブな態度の人、それを使って一目置かれたいだけで実際は対して知識があるわけではないようないような人を対象に愛情がない不快な人物である。

....とまあ散々な言い方だがまあ事実なのだろうと思う。でもそうした態度は今でいう「前衛的で尖っている」「メジャーへのカウンターパンチ」という解釈もなし得るものだし、ネガティブである事は批評の原点だとも思うから。だからやはり『映画秘宝』的な雑誌は必要だな。今現在あの雑誌にあって他の映画誌にないのは作品への批評的視点。冒頭で触れた通り毒気含んだサブカルが撲滅されつつあるけど、サブカルには古い価値観を茶化したり笑い飛ばすというやり方が中心だったんだけど実は古きぶち壊し新たな価値観を模索する批評的視点もあった。

それにしても「サブカルは死んだ」んだと思う。正確に言えば90年代文脈で幅を利かせていたサブカルというものが完全に効力を失ってしまってそれらを構成してた要素のみが抽出されそれが今もなおサブカルとしてカウントされるのだと。

その象徴としての「サニーデイ・サービス」であり「古書ビビビ」であり、「世田谷ピンポンズ」であり、『孤独のグルメ』であり「下北沢」であり「サリーの自転車」なのだろう。

でもこれは90sサブカルという特定領域の問題ではなくてエンタメ業界の権威がことごとく崩壊していくことからも明らかでもはや色々な価値観が変わっていってるんだと思う。だって今でこそ重大問題として取り沙汰されてるが去年のジャニーズ社長の問題や宝塚のいじめ問題や今年の松本人志に関する問題ってのは大昔から半ば暗黙の了解だった訳で、それでもなんとなく黙認されても良い雰囲気があった筈だ。だがそういう権威あるから許されたものが全て音を立てて崩壊していく様が可視化されたのは90年代自体の価値観が死んだのだと思う。当然、90年代から効力を保っていたサブカルを武器に振り翳していったものも死んでいる訳で。先ほど触れたようにこうして残存しているサブカル要素は今もなお点在していて時折点滅しては灯台の光のように点滅しては我々のサーキュレーションを先に進めさせてくれる役割を果たしてくれるのだろう。私がサリチャリを見てハッとしたのはそうした事実を反映したのだと思う。

 今現在、ライブハウスにしたってインディーズ映画にしたって90年代にギラギラしていたサブカルのようなカウンターパンチ的存在が無いと思う。どれもこれも「なんとなく良い」無難なものだらけで受け手はベタベタと美辞麗句で飾り付けて体裁を保っているのが現状だと思う。ほんとにくだらないものだ、だからSNSでの批判めいた言葉だけでもすぐ壊れるのだ。*8

 

B.Alternative〜ポスト・サブカルのゆくえ

海外に存在していて日本にはないもの、ずばり【オルタナティブ】というジャンルである。過去のS-igen企画『悲劇のアルレッキーノ』の爆裂レビュー記事におけるオルタナティブに関する定義を再度引用したい。

nenometal.hatenablog.com

90年代中期にカート・コバーンの死によってオルタナティヴは終焉をむかえたわけではなく、その後シーンの顔に躍り出た3組のバンドが挙げられよう

・Nine Inch Nails (ナイン・インチ・ネイルズ)

・Beck (ベック)

・Smashing Pumpkins

上記全てのバンド、実は全てキーワードは悉く「自虐」なのだ。NINのボーカルトレント・レズナーはヘヴィなギターと機械の音とノイズを駆使し更に泥まみれでパフォーマンスするわ、スマッシング・パンプキンズのボーカリストビリー・コーガンは自意識過剰であったり、ベックもベックで「俺は負け犬さ 殺っちまったらどうだ」などという身の蓋もない自虐的要素を歌詞として全面に押し出したりすることで内面的苦悩や怒りなどを体現している。


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 その辺りの言明としては以下の記事において明言されている。 

 ここでいう【オルタナティブ】の定義を日本の音楽業界に当てはめてみよう。ハイ、ハッキリ言って今現在世の中にそういうものは存在していません。この「自虐」を批評性と拡大解釈したところで同じ事。90sのflipper‘s guitarの斜に構えたようなデカすぎる態度だったり(笑)とかそれ以降のあの辺りを巡る音楽がそれ以前の80sライクなものへの何らかのアンチテーゼを持ったものとして機能していた事を鑑みて今2024年の世の中においては日本ではオルタナティブの欄がポッカリ空いている状況だ。*9

 そう、だからこそこうも言えよう。

アートも演劇もアイドルポップスもアニメもミュージカルも、そしてサブカルさえも同列に共存するあのイベントこそ、アトリエ・ペガサスというライブ空間にこのようなブランク・スペースを埋め合わせるポテンシャルがあるのだ。

僕らは日々音楽を聴いていてロックを転がしたい訳でもなくポップスを愛でたい訳でもなくパンクやニューウェーブを気取りたい訳でもないのだ。
もはやそれら自体が目的ではなくて、ただそれらを使って演者のアティテュードを感じたいのだ、リアリティが欲しいのだ、そしてそれらをアイデンテンティティとして享受し、日常という名の戦場を戦い抜くことができる武器として鳴らしていくのだ、もちろん爆音で

そんな言葉や音や絵や映像を超えた何かが2024年以降のエンタメに求められる。これは超難題だが今後のエンタメに求められる宿命でありカルマだと思う。

我々はそんな時代を生きているのだから。
「超えた何か」それは正に神会黙契(しんかいもくけい)って事じゃないのか?

まさにこの言葉はキング牧師以降、60年以上の時を超えてアトリエペガサス店長・古郡翔馬の所属するバンド、群像ピカタの『No.9』の歌詞とシンクロする。本曲もバーペガ現地でも配信でも死ぬほど聴いたキラーチューンだが今回のアルバムver.を聴いてハッとしたのがイントロだとか全体のアレンジに感じるどこか感じるジャズ的なライブ感があるのだ。そもそもこのアルバム全体に感じるミクスチャー要素の由来はこういうとこにあるのかもと感じさせる曲である。

この曲を象徴する以下のフレーズとの邂逅を見る。


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アンダーグラウンド
ぐつぐつ煮えたがっている oh oh oh
地中からのアッパーカット
下からぐらつかせてうなづかす

 

ー『No.9』群像ピカタ

 そして第1章の冒頭に立ち返ろう。

かつて1960年代にワシントン大行進や公民権運動などで人種差別撤廃に多大なる貢献をしたMartin Luther King, Jr.(キング牧師1929~1968)はこのように言った。

Almost always, the creative dedicated minority has made the world better.

 

常に世界を変えてきたのは創造的で直向きな少数派だ。

そしてこの言葉は8割方は彼を奮い立たせるものであって彼の業績の象徴となったが残りの2割程度は不運にも志半ばのものとなった。なぜならキング牧師は38歳の時、テロリストの放つ銃声と共に非業の死を遂げたからである。

しかしここで残されたスプリチュアルな言葉は生き続け「言霊」となり、今もなお多くの人の心に訴えかけ続けている。ここで音楽文脈に当てはめていくと生きるか死ぬかのライブハウスという戦場で世界を変える為の革命者たちはいつも「Minority」である。ビートルズだってオアシスだってグリーンデイだって最初のステージは小さなライブハウスで恐らく100人もいなかったのではないかというのは想像に難くない。だが確実にその日から世界は変わったのだと思う。そして、大事なのはそういう事をはっきり意識してそれを実行できる音楽家はごくごく一部に限られるのだ。

そうだ、アトリエ・ペガサスよ、バーペガよ、この言霊というシナリオを胸にして、ポスト・サブカルの光となれ、

そして、新たなオルタナティブであれ。

今だ。

*10

Nothing is true. Everything is permitted.

(真実などない。なにもかも許されている)

 

 

*1:Martin Luther King jr.に関して

ja.wikipedia.org

*2:

mainichi.jp

*3:

ebookjapan.yahoo.co.jp

*4: