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Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

エンタメの「座席運」に関する一考察〜"爆毛男"降臨編〜

エンタメの「座席運」に関する一考察〜"爆毛男"降臨編〜*1

1.「当たり」と「ハズれ」の境界線

2.座席運とは?
参考資料;アフロ時代の葉加瀬太郎とパパイヤ鈴木

3.爆毛男、爆誕と降臨の果てに
Appendix;  爆毛男における「アフロ検証論」

❶Typical Afro(典型的アフロ)
❷ Classical Afro(古典的アフロ)

❸ Avant-garde Afro(アヴァンギャルド・アフロ)

1.「当たり」と「ハズれ」の境界線

我々は、日常の彩りとして映画、音楽ライブ、演劇、イベントなど様々なエンターテイメントに接することがある。そしてそれらに触れるにつれて「あれは面白かった(↔️面白くなかった)」と言う重要な「当たり」と「ハズレ」の境界線についてのジャッジを下したりするものだ。大雑把に言ってそれが良かったり、面白かったりすればもうチケット代など軽く取り返したところがもはや得したような気分になるし、逆の結果だったりすると本当に金返せレベルにまで怒りが込み上げることもある。いや〜、でも、ほんとにひどい音楽ライブなんてほんとに酷いからなぁ。

 今回の記事は本題ではないので私の経験上で一例にとどめとくが、今でもハッキリ覚えてるのは去年の5月半ばぐらいに心斎橋の繁華街の一角にある小さなライブハウスで開催された女性SSWが4人ぐらいが集まってのいわゆる「対バン形式の企画ライブ」での出来事である。その中の1人の若手のシンガーがどうやら「MCでオヤジギャグを絶対に放つ」と言うことにこだわりを持っている不思議なSSWだったのだ。

そもそも「親父ギャグ」自体が世間的に敬遠されがちな存在で中には聞けたものではないものも多いのだが、その中でも本当に酷い部類のものを会場の空気を読まずにガンガン解き放つタイプのSSWだった。
もちろん具体的なギャグの例は忘れたが「布団が吹っ飛んだ」とかそのぐらいの最下層レベルのゴミみたいな部類だったと記憶している。 
 そしてさらにタチが悪いことにそれを彼女に関して前から知ってるであろうファンというか取り巻き連中がこともあろうにそれにゲラゲラ笑って囃し立てると言う地獄絵図もそこで当然のようにあったていうのもあって、だからこそ、あろうことかこのSSWは「この芸風はウケている」と勘違いした結果の副産物としてこういうスタイルに陥ってしまったのだろうとも予測できた。いや、何が凄いって曲の途中でも演奏止めて親父ギャグをカマしてたもんな。
当然ライブ最後の締めくくりの挨拶でも親父ギャグで締めてたし。
 私としてはもうこんな親戚のアホの集まりみたいな内輪ウケのライブにもうウンザリだったし、ここまで演者がイタいライブもなかった。もはやこの人のパフォーマンスしているその20分間は正に(大事な事だから二回書くが)客席のノリも含め全てが地獄絵図だった。
 そもそもが彼女が演奏する歌も良くも悪くも頭すっからかんで聴けるような応援歌がセトリの中心で、客に左右手を振ってみたいな振り付けを強要するようなライブでパフォーマンス自体も私はそんなに好きではなかったんだけど、でも百歩譲って全体的に可もなく不可もなくって感じでこういう内輪ノリさえなければ明るい女の子って感じでそんなに印象は悪くはなかったんだけどね。*2
以上の特徴をまとめると

❶ 小柄なボーイッシュな明るい女の子
❷ 変な振り付けの入る深みのない応援歌
❸ 客層ターゲットの主流である中年男性が言いがちなギャグの連発
❹ 姓名合わせてひらがなというキャッチーなアーティスト名

何気に❹において新情報ぶっこんでるんだが「ひらがな名のSSW」てのは日本では鬼のようにいるからまさか特定はできるまい。
あ、全部ひらがなつっても「ぽてさらちゃん。」ではありません(笑)
にしてもこうして正に❶〜❹をざっと眺めると本当にSSWおじさん御用達のプロトタイプて感じがする。多分私は2度とこの人のライブを目にすることもないしこの人について言及することすらないだろう。せいぜいこの人界隈のコミュニティで物販で手土産でチェキだの交換ごっこでも私の目に触れない程度でやってくれ。

で、次からが本題。


第2章は、今回のブログの本題である演劇における「座席運」もまつわる話である。

 

2.座席運、とは?
さて、ここからが本題である。本記事では演劇を中心に語りたい。私は意外と演劇に関しては自分の趣向性が違ったなっていうのが幾つかある程度で概ね満足して会場を後にしている。極端な「ハズレ演目」は3年前の5月に開催された某インディーズ映画を土台にした某神戸で開催された公民館のようなとこでの某舞台の一例ぐらいしかない。あれもホント酷かったなぁ、詳細は省くけど。それはともかくとしてこの演劇界隈では「座席」にまつわる当たりハズレが非常に多い世界だなとも思ったりしている。いわゆる「観やすい(↔️観ずらい)席」という対立構図ね。これはもう面白いだの、面白くないとか言う感想以前の問題で、最悪の座席に着いたらほんとにもう演目内容まで頭に入ってこなかったりするものだから本当にタチが悪いものだ。
そして今回こうした「座席運」について是非考察してみたいあるエピソードを一つ紹介してみよう。

これは去年の12月29日の劇団「鵺的(ぬえてき)」というユニットが主催している『天使の群像』と言う下北沢711で開催された演目での出来事である。

www.nueteki.org

こちら、今回個人的に初めて行ったのだが、かなりコアファンも演劇自体の世界観も確立していて評判の良い演目だった。その証拠に千穐楽以外にも連日客席ぎっしりのいわゆるソールドアウト状態だったと記憶している。この711という小劇場は狭いながらもぎっしりとお客がいて、その2段目の真ん中ぐらいの客席で開演の30分ぐらい前に指定座席にて待機していた。すると、私より5列位前にある母娘がいるのにふと気づいたのだ。30代半ばぐらいの母親と小学校3〜5年生位の娘さんという組み合わせで、このサブカル演劇の聖地にある小劇場にしては珍しくて結構目立っていたようにも思う。でもまあ演目自体は基本的に高校が舞台の「学園もの」だったから過激な表現もない健全な演目ってことで親子で観にきたのだろうとも予想できた。
そこでちょっとした事件が起こった。
開演20分前の出来事である。
この母娘2人が座っていた座席の女の子の目の前に割と背の高い大柄な50〜60代以上ぐらいのおじさんが座ってきたのだ。当然その小学校の女の子は前が見えないので舞台も目に入らなくなるということを鑑みてお母さんがふっと目くばせをして席を変わってやっていたのだ。

これは正に親子愛であり家族愛。もうこれで万事解決である。
母親が「大丈夫?見える?」みたいなニュアンスで娘に目配せをしていた模様が一段差ある私からの位置からでもはっきりわかった。ああ、ホッとした。
…………….....あの〜、ところで読者はなぜ私がこんなにこの親子を凝視し、彼女らの心理描写まで想像しながら見つめてるんだろうと思ったのかもしれないが、時はもう開演前でスマホの電源も完全にオフにしてるし、パンフレットも本演目にはなかったしで何もやることもなかったし、かといって後ろを見たりしたら意図せず座っている他人と目が合うしで(演劇・映画あるある)、ふわっと前の方しか見るものがなかったからである。

そして、開演5分前になって、劇団側から観劇マナーにまつわる注意事項などの説明があって、それからいよいよ開演の3分前「始まるまでしばらくお待ちください」のアナウンスが!
(あ、*ちなみにこの「しばらく」は言うほど「しばらく」じゃないよねっていつも思う。「しばらく」というけどすぐに始まりますよ的な謎に謙遜のニュアンスを感じるのだ。これも演劇あるあるである。)

そして開演2分ぐらい前だろうかもう直前の直前に今回の目玉となる大事件が起こった。
そう、その大柄なおじさんの隣、その女の子のいる前の席にまたまたキャップを被ったやはり50〜60代ぐらいの男が新たに座ってきたのだ。*3
あれ?もうそうなってくると私の関心事は「果たして女の子は舞台が見えるのか?」の一点ばりで私は心配になったが今回に関しては「大丈夫」だったのである。と言うのも、その男は先ほどのおじさんほど大柄ではなかったし、そのおかげでこのおじさんと男との間にはちょっとした距離が生まれて、その二人の隙間から女の子は無事に舞台を観れるようになっているのだ。
正にこの二人のおじさん同士の華麗なる連携プレー!!
って基本的にこいつらは何にもしてないんですけどね(笑)
そしてこの時も母親がもう一度娘に「大丈夫?」みたいな確認をして女の子も「うん。」とうなづいている様子が見て取れた。
よし、これで安心だ。
私も謎の親子へのおせっかいコーナーもこれで終わって、いよいよ、舞台が始まるということでワクワクして待っていた。
そして1分後、いや、1分もなかったかもしれない。
1分〜30秒前正にその時にその事件が起こったのだ
その彼女の前にいるそのおじさんがおもむろに被っていたキャップを脱いだのだ。

そこでなんと驚愕の出来事が!!
その時私は思わず「あ!!!!」と声をあげそうになった。
このおじさんがなんとものすごい目を見張るような剛毛だったのである!!
いや、具体的にいうならば、今は知らんが一昔前、世界的に有名なバイオリニストの葉加瀬太郎氏とかコメディアン兼ダンス振付師のパパイヤ鈴木氏だとかあの辺の人たちはブレーク当時ものすごい大爆発したようなアフロヘアを施していたがあの状態の髪型のまま就寝について5度寝ぐらいしてものすごい寝癖を帯びていて、その状態のまま外に出たらものすごい台風ど真ん中にぶちのめされた位の物凄い爆発力を誇る髪型だったのだ。

参考;アフロ時代の葉加瀬太郎(上)とパパイヤ鈴木(下)、こうして並べてみて初めて気づいたんだけどこの人達割とよく似てるよなwww

 

言うなれば剛毛以上の「超剛毛」とでもいうべきか、こういう言葉は世の中に存在しないだろうが的確なので言うがいわば「爆毛(ばくもう)」だったのだ。
以下、この爆毛の男を「爆毛男(ばくもうおとこ)」と呼称する。
そして残酷にもそのまま舞台は暗転してその演目は始まったのだった。

*4

 

3.爆毛男、爆誕と降臨の果てに
そうだ、ここでこの演目について軽く整理しよう。
この『天使の群像』に関しての感想として、12/29の私ネノメタルのXより以下のポストを引用したい。

 

 

と言う以上の当時の私のポストが示唆しているように割とシリアスな学園ものでとても見応えがあったのがわかる。しかもテーマがかなり深いシリアスな演目だったとも言えよう。ここでいっている内容に関しては今読み返してみてもほぼ偽りはない。現にものすごく面白かったので帰りにDVDなどのグッズもいくつか購入したほどだ。
だが、一点だけこのポストにはがある。
そう、「180分間圧倒されまくった」と言うフレーズである。
物語に惹き込まれたのは多くとも140〜150分間ぐらいである
なぜなら、この冒頭20〜30分間ぐらいの私の視線は舞台ではなく5列目先の母娘と爆毛男との壮絶な戦いにもはや釘付けだったからである。
この爆毛男は先述したような髪型ゆえ、一寸でも顔を動かそうものなら、手の位置を変えようものなら、肩を動かそうものなら、足を組み返そうとしようものなら正に台風の時の樹木のようにバッサバッサと爆毛も同時に上下左右に揺れてしまうのだ。

そうなってくると、この女の子が不憫極まりなくて爆毛男が揺れるたびに、その女の子にとって舞台上の視覚がかき消されてしまうので男の動きに合わせて顔の位置を変えることを余儀なくさせるのだ。爆毛男が右に揺れると髪型は当然右に揺れるのと同時に左側の上部も揺れるので女の子は爆毛男の頭の左側下部に顔の位置を変え、左方向に揺れると髪型は左に揺れるのと同時に今度は右側の下部が揺れてしまうので女の子は男の右側上部方面に顔の位置を変えなければならないのだ。
 そして左右のどちらかの足を組んだ時、或いは左右どちらかの肩を動かそうとした時も同様のメカニズムが適用されるので女の子も同様の対策が必要だってことも覚えておきたい。

てかこの爆毛男、静かに一点に止まってれば良いようなものの本当に落ち着きなくひっきりなしに動くのだから益々タチが悪いのだ。
これもし、私の目の前にいたらもはや「サツイ」以外の何者でもない怒りと憎悪の感情が巻き起こっていただろう。
そして極端なケースとしてはこの爆毛男が左右両サイド同時に首をひねったりした時で、これを台風に例えると風速五十メートルぐらいの台風を真っ向から受ける大木さながら左右上下全てが揺れに揺れるのだからどんな大惨事が起きるのか、と思いきや、この場合は「全てが揺れる=小康状態」とイコールになるらしくて意外と大丈夫だったりするのだ。現に女の子も顔を動かさずに済んでいた。
これはどう言うことなのかというと、台風になぞらえればわかりやすいのかもしれない。だってよくあるじゃないですか。「台風は直前と直後の方が荒れて、直撃ど真ん中の時は逆に静か」って…まさかの台風の本質を下北沢の劇場で名も知らぬ中年男の爆毛から再確認することになろうとは思いもよらなかったよ(笑)
という訳で私は残念ながら『天使の群像』に関しては前半20~30分の「生意気な教え子たちに問い詰められる苦悩するある新米教師の心象風景」が描かれたこのシリアスなシーンに関しては記憶が一部抜けてしまっている。
 なぜならこの間はそれどころか「存在自体が台風のような爆毛男に翻弄される1組の母娘の物語」という別の群像劇に惹きつけられて(気の毒に思いながらも)もう可笑しくて可笑しくて仕方なかったし、しかも舞台上でのシーンがシリアスなだけにもう笑うに笑えず痙攣しまくっていたからだ。
 それ以後は人間薄情なもので、あまりその母娘と爆毛男との対決に関しては気にならなくなって集中して演目を観劇できたのだが、それでもよくよく思い返してみれば、この女の子は物語のクライマックスから終盤ぐらいになると完全に爆毛男の挙動パターンに関して要領を得たらしくて男の動きに合わせて、臨機応変かつ速やかにサッと顔を移動して「爆毛男避け」のエキスパートと化していたような気がする。

正に子供の適応能力の可能性とは無限大のものがあることを実感した次第だ。まあでもこれはこの先彼女の今後続いていく人生で一ミリたりとも役に立たない技術だけれども。

 それにしてもこの娘さんが今回の演目が初めての演劇体験とかだったらトラウマレベルの演劇体験だったわけで、本当に胸がキリキリ痛む思いすらする。

(↑てかあんたは笑いを堪えるのに必死だっただろw)
 しかし劇場側も「他の客様の視界を遮るので帽子を取ってください」という注意アナウンスはたまにすることもあるんだろうけど「他のお客様の視界を遮るので帽子を被っててください」というのはなかなか言えないよななどと思ったりもして。
だってもっとストレートに「あんたの髪型は爆毛なんで帽子被っておいてくださいね。」という訳にもいかないし丁寧に回りくどく言える術がないというか、でも敢えてここを丁寧に言うならば「お客様が今現在なされているそのヘアースタイルは総量や形状が通常我々が想像するヘアースタイルの範囲以上に及ばれていらっしゃいますので観劇中にもし少しでもお客様が動かれたら時折後ろにいらっしゃるお客様の視界を遮ってしまう可能性があるのでむしろお帽子を着用して頂けると助かります。」という長台詞を爆毛男に面と向かって劇場スタッフは言わなければならないだろう。
まあ私だったらこの長台詞を最後まで言い終わらないうちに間違いなく吹き出してしまう自信がある。むしろ序盤の「通常我々が想像するヘアースタイル」あたりで笑死してしまいそうだけど。
 ということで、なんとなく軽〜い感じで書いた記事だったが、実はこういう「座席運」ってのは今後のエンタメを考える上で由々しくも非常に難しいある意味シリアスな問題提起だったりしてね。

気づいたら7800字を超えてしまってるしで本記事をここで一旦打ち止めとしたい(笑)

果たして続きはあるのか??

Appendix;  爆毛男における「アフロ検証論」

❶Typical Afro(典型的アフロ)

実際はこれより小ぶりなものもカウントされるが我々がパッと想像できる典型的なアフロ。本記事に出てくる爆毛男の場合こんなに小綺麗にまとまっていなかったので、現物は更に凄かったのだ。これから更に寝癖がついて台風が来たり爆発したりしてカオス化した感じ。

❷ Classical Afro(古典的アフロ)

こちらは厳密に言わなくてもアフロではないし、前述した「小綺麗さ」でいえばこれが一番爆毛男に程遠いんじゃないかと思われるが私が実際に見た毛量というか「ありのまま感」という意味ではこれが一番近かったんじゃなかろうか。①と被るがこれから更に寝癖がついて爆発してカオスになった感じ。

❸ Avant-garde Afro(アヴァンギャルド・アフロ)

 

きましたね(笑)こうなってくるとこれは爆毛男というよりも単なる迷惑なヤツという感じなのだが本記事から醸し出される一人の少女の鑑賞体験の邪魔する迷惑ものという意味では一番近いのかもしれない。正に爆毛男のアバンギャルド性を言い当てた本質がここにあるのではなかろうか。

 

*1:本記事は以下のnoteの記事に加筆・修正を加えたものである「座席運」についての一考察|ネノメタル

*2:記事アップ後日談;妙に気になってこのSSWについて調べてみたら20代前半のノリとか思ってたら結構キャリアがあるじゃないか!益々腹立ってきたぞw

*3:新たにきた男も同じような年代のおじさんなんだけどおじさんとおじさんがと言うのも紛らわしいので便宜上「男」と呼称する。

*4:まあこれぐらいの毛量だったらまだマシなんですが w

映画『#ブルーを笑えるその日まで』(武田かりん監督)爆裂レビュー〜エンタメ比較を中心に(ネタバレあり)

映画『ブルーを笑えるその日まで』(武田かりん監督)爆裂レビュー

〜エンタメ比較を中心に(ネタバレあり)

 table of contents

1.ファーストインプレッション

2.セカンドフィーリング

3.サードパースペクティブ

4.フォーカス

①ハルカトミユキ『Vanilla』比較論

②劇団アンティークス『時を超えて』比較論

③ハルカトミユキ『水槽』

敵と味方と君と
世界中にそれだけ
言葉なんて空っぽだった
哲学は風の中

部屋は水槽のようだ
音も消えて
部屋は水槽のようだ
揺れて

たったひとつ欲しいだけなのに
たった1つ守るだけなのに
大人になる時は
少しだけ痛いよ
痛いよ
痛いよ

こんな静かな夜に君
はじけて溶ける緩いカーブを描き
溢れ出すように泣いて

 

『水槽』ハルカトミユキ

 

1.ファースト・インプレッション

今回は映画『ブルーを笑えるその日まで』(武田かりん監督)について映画・舞台・音楽など色々と様々な文化を比較することにフォーカスした形で考察したい。*1


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あらすじ
安藤絢子(アン)はひとりぼっちの女の子。唯一の居場所は薄暗い立ち入り禁止の階段。不思議な商店で、魔法の万華鏡を貰ったアンは、同じ万華鏡を持った生徒、佐田愛菜(アイナ)と出会う。二人はすぐに仲良くなり夢のような夏休みを送るのだが、屋上には昔飛び降り自殺した生徒の幽霊が出るという噂があり…アイナはその幽霊なのではないかという疑念を抱きながらも、お互いにとってかけがえのない存在になっていく二人。そんな楽しかった夏休みも終わりに差し掛かるのだった―。

あらすじにもある通り女子中学生の安藤絢子(アン)はいつも寡黙かつ孤独な少女だ。友情の証として持っていた色違いのクマの人形を無くしてしまったという事がキッカケで友人同士だったグループからも仲間はずれにもされてしまい、両親や姉などの家族にも心を塞ぎ込んでしまっている状態。そう正にアンは学校にいる水槽の中の金魚のようなそんな閉塞的な世界を生きている。アンはそんな世界から現実逃避するかのように「何でも屋(鶴亀商店)」のババからもらった万華鏡をクルクル回してその中で美しく刹那に変わる光景に没頭してしまう。と、同時に同じクラスメートだという亡霊か幻のようなアイナという不思議な少女がふっと現れ、屋上行ったりゲーセン行ったり図書館に行ったり.....などなど何気ないようでもかけがえのない心通わせる友情の日々。そんな今だかつてなかったようなクルクルとキラキラした日々を過ごす事によってアンの瞳にいつしか輝きをもたらされ今までなかったような微笑みをもたらすようになる。ある日、アイナは言う「"銀河"に連れて行ってあげる。」と。そして実際に連れて行かれた所は当然宇宙空間などではなくて小さな鳥居のある神社。でもその鳥居の前に立って目の前に広がる木漏れ日から漏れる太陽の光はとても煌びやかに輝いていて本当にまるで銀河のようなのだ。やがてアンはその銀河のような木漏れ日と万華鏡の景色のキラキラした光景とがオーバーラップする感覚を覚える。と同時に本を借りにいった時に図書館司書から聞いた話をきっかけに万華鏡の筒から見えるその光景は木漏れ日や銀河の星たちと同じように2度と同じものは見えないのだというある意味普遍的かつ残酷な事実を知るようになる。
そしてアンはふとアイナとはこの夏休みも過ぎたら2度と会えなくなるのではという不安も同時によぎるようになる。

「アイナはいなくなっちゃうの?」 アイナは答えないが、その予感は当たる。彼女は「9月1日にこの屋上から飛び降りるのだ。」と言う。

そう、二人がこうして会えるタイムリミットは夏休みが終わるまで。

アンはアイナと過ごした夏の終わりをカウンドダウンするかのようにカレンダーに×を付けていくにつれ、8月29、 8月30 日、8月31日と徐々にアイナとの別れの日が迫ってくるのをまた実感するようになる。
そんな万華鏡からの景色のような儚げな日々もいつか終わり、アンもいつしか成長して、大人になる階段を上り、いなくなった幻のようなアイナを思い出しつつみたいなほろ苦い青春ストーリーに収束する.......と

思うじゃないですか、普通。

あの〜合っているとも言えるんだけど合っているようで違います問うべきか(笑)
これがまあ大げさではなく、異次元にぶっ飛ばされる感覚を覚えた。
いや、ただただビックリ!!何せ本当に鶴亀商店のババからダイナマイトを買い取って本当に学校の屋上に忍び込んで爆発させようとするのだから!彼女らはテロ行為に走るのだ!!
本作はある意味これまでこう言う青春映画において邦画界(洋画でも言えるか)が定番としてテーマとしてきたものの風穴を空けたと思ったし、ある意味これはパンキッシュな作風だと断言したい。これには異論はあるかもしれないが私はそう感じた。
 とは言え、それには根拠があって予告編を見たときに「そうか、どうりでRCサクセションの『君が僕を知っている』という曲が主題歌として使われる訳だ。」とも妙に納得したものだったから。この映画、途中までの展開では、割と静かなアンビエントな感じのインストルメンタルの音楽が挿入されてたりするので、もうこのまままったりとじんわりと寂しいながらも最後はふっと光が差し込むような終わり方をするのだと思わせてしまう効果があるのだ。それは例えば劇団四季のロングラン公演ミュージカル『夢から醒めた夢』のようなドラマティックだけれども最後はセンチメンタルに収束する展開を予想していたから。*2

その儚げなインスト音楽がどこか夢のようなアンとアイナとの邂逅の物語を占めていて突如あの素っ頓狂なキヨシローのあのボーカルがバシッと入ってくるから目の覚めるような感覚を覚えるのだ。あの曲が入ると音量もこれまで以上に大きくくっきり聴こえてくるような気さえする。だから正直鑑賞前に予告編を見た段階では「何でこんなに静かな作風なのに、ましてや爽やかな青春モノっぽいのに最近のあいみょんとかではなくてJ-Popとしてはかなり懐かしい部類に入る"RCサクセション"の曲なんだろう??」と不思議に思っていたのだが本作を鑑賞する事によってもっとエッジが効いているような印象を受けたからこそ納得したのだ。
 具体的に言うとあの落書き&ダイナマイトリベンジを実行する場面では忌野清志郎のあの独特の歌声がこの上なくバッチリハマっているのだ。確かに本作のビジュアルイメージであるとか二人の女の子の佇まいであるとかフラジャイルな青春を扱った映画なんだけども、どこかタフで、どこかシュールでパンキッシュな怒りにも満ちていていると思わせたりするのがこの映画の斬新さであり、魅力の一つだと思う。

そう考えると本作は2022年ののん(能年玲奈)監督の『Ribbon』におけるクライマックスの夜中に校内立ち入り&〇〇〇〇壊しシーン(ネタバレ回避)を彷彿とさせる。

その辺りはこちらの過去記事を参照されたい。

nenometal.hatenablog.com


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因みに本作では授業をサボってアンが屋上にいくシーンはRCの名曲『トランジスタ・ラジオ』ともリンクしたりして。

Woo 授業をサボッて Yeah
陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ
屋上でたばこのけむり
とても青くて

トランジスタ・ラジオ』

RCサクセション

 まあ本作では屋上でタバコを吹かすどころかむしろ屋上でダイナマイトぶち撒けようとしてるんだけど(笑)

 でもどことなくRCサクセションはロックあるいはパンクとして解釈されがちなんだけど根底にある青春期特有のナイーブさだとか人間味だとか優しさだとかが根底にあるのかもしれない。そもそも忌野清志郎という人がそういう人で、あの放送禁止事故を起こした過激志向のタイマーズですらデビューはヒューマニズム溢れる『デイ・ドリーム・ビリーバー ~Day Dream Believer~』から始まったのだ。だからこそ武田監督は本作のメインテーマに採用したのだろうとも思う。


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 本章のラストとして、去年の年末12/14にアップリンク吉祥寺で開催されたトークイベントの模様を紹介したい。

武田かりん監督が本作を撮影したきっかけなどを質問形式で答えたものだがこれほど監督が真摯に質問に答える舞台挨拶は初めてだと思う。


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 武田監督は辛い学生時代の過去を思い出したからだろうか、途中目に涙を溜めながらそれを堪えつつも以下のように語った。「一番の友達は"人間"じゃなくていい、それが私にとって絵を描くことだったり本を読むことだったり。でもそれで良かったなって。」そう、これがきっと彼女の学生時代と同じように不登校やいじめで悩む学生に見てもらいたいと願う彼女が伝えたいポジティブなメッセージの一つなのだろう。

そういえば、インディーズ映画界では毎年口コミで徐々に拡大上映してロングランする作品が存在する。それは2018年の『カメラを止めるな』だったり2020年の『アルプススタンドのはしの方』だったり、2021年の話題を独占した『ベイビーわるきゅーれ』だったり、あと昨年大ヒットした『茶飲友達』だったり....今年は紛れもなく本作がそれに当たると思う。

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.comそう、もう半年経てばアンとアイナが過ごした暑く儚げでキラキラした季節がやってくる。8月31日になっても、いや、9月1日以降になってもまだまだ全国で上映されている事を願ってやまない。

 

2.セカンドフィーリング

本章は2回目を元町映画館にて鑑賞した際のフィーリングを中心に述べていきたい。((2回めはここで観ている。

))もはや本作のストーリーを知ってしまっているので今度は登場人物の情緒的な部分に気持ちがフォーカスされる。

とにかくこの時アンの大人になる事への不安や焦燥をさながら具現化したようなあの表情が切なかった。あとは何でも屋である鶴亀商店のババの「今はね、夢見たって良いんだよ」などなどのぶっきらぼうながら愛に満ちた台詞に共感し眼から洪水が溢れ出たものだ。
ここでもうハッキリ言うが『アルプススタンドのはしの方』や『サマーフィルムにのって』に匹敵する歴史的な青春もの映画の傑作だと断言できる。いわゆる「傑作」という言葉はあまり軽はずみに使ってしまうとその説得性が薄れるのであまり使わないようにしてるのだがもうこれはやはり傑作である。 あと気になったのがアンのお姉さんで、お母さんが朝ごはんの時にアンは「絢子」と呼び捨てで、お姉さんであるカナには「ちゃん付け」だった点。

そういえば「安藤絢子(あんどうあやこ)」というフルネームは姓と名が同じaの母音で何となくアンバランスな気もするし、これは割と複雑な家庭の事情があったりするんだろうか?

*3

あと鶴亀商店のババと図書館司書である佐田愛菜との10年前の関係も極めて気になったりする。これはかなり妄想がかった深読みになるがあの二人も実は同一人物だったりして。

いや、まさかそれはないか現実に両者共に存在しているのだからなとも思ったりして。

 

3. サードパースペクティブ

そして3回目をみに行く機会に恵まれた。この日、3月9日の12:50の回は京都アップリンクにおける武田かりん監督の舞台挨拶回だったのだ。

上映後、『ブルーを笑えるその日まで』への思いや拘りだとかを真摯かつ真剣に語る様子に物凄く心を打たれた。正に前章で掲げたように、12/14の吉祥寺アップリンクでの舞台挨拶を彷彿とさせるようだった。 

それにしても話はズレるが、私は個人的にここ5年ほど舞台挨拶には割と行ってきた方だと思うが人数だけやけに多くてウケ狙いのトークショーに逃げるケースが多すぎると思っている。これは由々しき事態でせっかく感動して自分で物語を反芻しながら感想などを綴ったりしたいので登壇者たちの楽屋オチトークショーでこちらの感動がズダボロになる瞬間に何度も立ち会ったことがある。これは長くなるから具体例などは置いといて映画ファンは誰しもそんな経験があって意外とそんなもオプションなどは望んでいないのではないか。
その作品に対して監督がいかに作品に賭けててどのシーンに力を入れたか、何を受け取って欲しいかコンセプトをガッツリ語ってもらえれば十分、てのを改めて武田かりん監督の舞台挨拶で実感した。これぞ舞台挨拶です。そしてこの時この映画の中のラストシーンでアイナの呼びかけに少し微笑んだ後の安藤絢子があれから約10年経て自分の好きな事を見つけ映画監督になってここに立っている続編に対峙しているような錯覚すら覚えたものだ。はっきり思った。

正に安藤絢子(アン)とは武田監督その人だったのだ。

 あのアイナとアンが二人して川に飛び込むシーンは何度観ようがヒリヒリするのだが、これは2回目ぐらいから思っているんだけど、一旦水中に沈んで水面から顔を出した時にアンの制服の赤リボンがふと頬にかかるのだけど、それがちょうど赤い涙が伝ってるように見えるのだ。これは熱い血潮煮えたぎる感情をぶつけられる友人に出会った事への象徴ではないかと勘繰ってしまう。
 これは監督に聞いた所、3テイクを一気に無我夢中で撮ったらしくてそういう風な演出できる余裕は無かったそうでこれは晴れて私の妄想だったことが判明した訳だけど(笑)それにしても様々な考察が可能な傑作だと思う。あと本作に関して「不登校の中学生・高校生達へのメッセージ」というものが大きな主題となっていて、そこを感想で強調するのはとても大事だと思うけど私はむしろエンターテイメント方面のサブカル視点を軸に論じていきたいと考えている。単純に個人的にそっちの方が面白いってのもあるし、こういうメッセージ性を持った作品ほど論点を多角的に散らばらせていく方が普及という意味でも重要だと思うから。あのAnlyがここ最近ブレイクしたのもブレイク寸前に『manual』というブラック校則撲滅へのメッセージを綴った楽曲をパフォーマンスしつつも別に「社会派アーティスト」である事に固執せず、あくまでエンタメフィールドのポップミュージシャンとしてのスタンスを維持したってのも大きいからだ。

本論から外れるのでこの辺りに関しては以下の過去記事で述べているので参照にされたい。

nenometal.hatenablog.com

あとこの舞台挨拶では本作が自宅で気ままにアクセスできるようにフィジカル(配信)化についての可能性への質問があったがもうこれは絶対やるべきだと思う。それについては不登校気味の子どもたちが映画館、ましてやミニシアターなぞに行くのは敷居が高すぎるゆえ自宅で観れるという利点もさることながら、こうしてパンフレット二冊並べてみるとある面白い点に気づく。

なんとなんと右側のアン1人の世界線とアンとアイナの2人の世界線とが一つに繋がっているではないか。それにしてもこの仏を並べた写真、よくよく見ると雲の流れや建物やガードレールなどがつながっているのだが安全ミラーが不自然な距離であったりとあと道路のマンホールなどもあったり無かったりと不思議な点が多かったりもする。これらの事実がどういう事を示唆しているのかは現時点では保留だけど色々と検証してみるのも面白いと思う。

それより何より、深い検証などは置いとおいて、この二つの遷都線が繋がったかのようなこの写真、何よりもDVD等の表裏ジャケットにピッタリではないか。表ジャケットが上の写真でディスクが入っている中ジャケも透明仕様にして全て繋がっている風な仕様が可能じゃないか。しかも下の写真のように中ジャケでアンが筒を覗いてディスクの穴からアイナの顔がひょこっと見えるみたいな仕様も考えられたりして。

4. フォーカス
①ハルカトミユキ『Vanilla』比較論

あと音楽関連で個人的にツボったのは個人的に「ハルカトミユキ」という今も尚活動している2人組の女性バンドにハマっていた時期があるのだが、彼女らの初期の名曲『Vanilla』のMVや歌詞世界とのシンクロニシティを感じさせた点である。


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例えば
❶「屋上」に二人の女性がいて上から下を見たりする場面があったり、MVでは煙筒や映画ではダイナマイト(事実上は花火)をかざすシーンだったり

❷「カレンダー」に主人公が終わりの日に向けてバツをつけていくシーンが全くリンクしてたり

❸「水」の中へと女性が入水するシーンがあったり(MVは海で一人だけ、映画は川という違いはあるけども)

❹そして極め付けはMVの方の歌詞を引用すると、

許せない
許せない
許してあげたい
あの頃の僕たちを

(『Vanilla』ハルカトミユキ)

というフレーズがあって正にこれはアイネのというよりも彼女の現在の姿である図書館司書・佐田愛菜の心象風景ともリンクする部分がとても大きいと思ったりして。

兎にも角にもこの曲の世界観が好きな人はハマると思う。
きっとあの曲も本作も【過去の自分と向き合い、過去の自分に対して現代の自分が優しく肯定性へと導き出し、過去の自分がそのメッセージを受け取るといったようなrecursiveness(回帰性)】といった意味においてはものすごく共通してると思うから。

②劇団アンティークス『時を超えて』比較論

 

あと『ブルーを笑えるその日まで』は去年末に下北沢711で観た舞台『時をこえて』とリンクする事に気づく。*4

antiquesvintage31.wixsite.com

本演目について述べておくと

なまえがなかったあたしになまえをつけてくれた
あなたをずっとわすれない
記憶をもたない少女が「この世界」に存在した
数十年に渡る「ものがたり」

という紹介文からもわかるように「けけけ!」という謎の言葉しか話さない不思議な少女がとある事情を抱える女性の元に娘として暮らし始め、その娘も言葉を覚え成長していき本当の家族のように心通じ合う....という話で【血の繋がりだけが家族じゃない】という趣旨の演目は今まで数多く観てきたけどこれほどヒリヒリとしたリアリティとどことなく漂うフェアリーテイル感とのバランスが絶妙にブレンドされつつスッキリした涙でエンディングを迎えられる作品はなかった。

 とにかく心の何処かに闇や苦悩や愛情の欠如を抱えている人々に近づいてはポッと光を灯してくれる不思議な存在である「さっちゃん」がどうにも「アイナ」と重なるのだ。そうなると更に本作のキーワードである「万華鏡」がこの演劇のキーワードである「押し花」とも自然と重なってくるような気もする。どちらも美しいものを時を超えるかのように閉じ込めておくオブジェクトとしては共通している。

 更に特筆すべきは当初私は「さっちゃん」という存在は家族愛を失った人にしか見えたり聞こえたりしない幼い日々の自分そのもののような【座敷わらし的な子ども】として解釈していた。その証拠になっちゃんの友人のお母さんが「私には(もう大人になってしまったから)さっちゃんは見えないんだね。さっちゃん、有難う。」などというシーンがあるからだ。しかし考えてみるとこのさっちゃんの母朋美はもう既に大人なのだから矛盾が生じる。朋美は実の母ではなく海辺を彷徨っていたなっちゃんを身寄りのない可哀想な子供だと思い一緒に暮らすことにした血の繋がりのないみなし母となるので到底座敷童子とは言い難い。そこで私は座敷童子ではなく冒頭で心の何処かに闇や苦悩や愛情の欠如を抱えている人々に近づいてはポッと光を灯してくれる存在としてさっちゃんを拡大解釈することによってこの矛盾を打ち消した。そして『ブルーを笑えるその日まで』に話を戻そう。本作ではアイナは図書館司書「佐田愛菜」の幼き日の分身だった訳で愛菜の本体は成長したのだけれど子供の頃の心はまだ中学校時代の屋上に置いてきぼりだったと捉えるのが妥当である。そしてこの論理を『時をこえて』にも当てはまると考えると見事に先ほどの拡大解釈の必要性がなくなるのだ。朋美は幼い頃から実の両親から家族愛を受けることなく(実際にDVの義理に父に悩まされ殺人を犯して逮捕されている)その空虚な心は小さい時のなんとなく記憶にある海へと置いてきたのだ。そこでその時の子供だった頃の友美の姿が「さっちゃん」として具現化したのだと考えると拡大解釈の必要はなくなる。まあこれが正解かどうかは不明だが、別作品ながらも演劇の疑問が映画によって何らかの糸口が見える気がしてハッとしたものだ。演劇と映画がジャンルという垣根を超えてリンクする正に奇跡の瞬間だと思う。

そう、万華鏡の光とは、単に中のカラフルなビーズのようなものがくるくる回して様々な光景を構築するだけでなく、それと同時に過去も現代も時間軸をもクルクルとキラキラと回転させ写像する事ができるのだ。そうして過去のアイナから現代の愛菜を通じてアンへとメッセージが行き渡せることができるのだ。そして本演目のキーである押し花も同じ。花の最も綺麗な瞬間をまるで永遠の時間のように閉じ込める魔法があるのだ。本作も保年もくもオカルト現象やらタイムリープのオプションなど使わずにこの時間軸を超える点にこそこの物語のコアがあるようにも思ったりもする。

③『水槽

そういえば、先ほどハルカトミユキの曲で思い出したが、彼女らのもっと初期の曲には『水槽』というタイトルの曲もあったなぁ、ということに、そしてこの曲の一節が本作とものすごくシンクロする事にも気づく。

 正にアンが小さな川の中に飛び込み、泣きながら自分の苦しみをアイナに打ち明け、心の中にポッカリと空いた穴を埋めようともがいている様子はさながら水槽の中の金魚そのものである。これは正に思春期における大人になる事へのアングストなのだろうか?

そこに言葉など、ましてや哲学など無力である。
ただこれだけは言える、いつかきっとそんな青春が醸し出す憂鬱を、ブルーを笑いとばせる日がきっと来る。

そこでタイトルへと辿り着く。

『ブルーを笑えるその日まで』
最後に本作の核の部分とシンクロするような『水槽』の歌詞の一部を引用して本レビューを締めくくりたい。


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敵と味方と君と
世界中にそれだけ
言葉なんて空っぽだった
哲学は風の中

部屋は水槽のようだ
音も消えて
部屋は水槽のようだ
揺れて

たったひとつ欲しいだけなのに
たった1つ守るだけなのに
大人になる時は
少しだけ痛いよ
痛いよ
痛いよ

こんな静かな夜に君
はじけて溶ける緩いカーブを描き
溢れ出すように泣いて

 

『水槽』ハルカトミユキ


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*1:本記事はシアターセブンで鑑賞した後にfilmarksでレビューしたものに加筆修正を加えたものである。ブルーを笑えるその日までのネノメタルのネタバレレビュー・ 内容・結末 | Filmarks映画 https://filmarks.com/movies/109995/reviews/169287331 #Filmarks #映画 #ブルーを笑えるその日まで 

*2:劇団四季『夢から醒めた夢』に関して

ja.wikipedia.org

*3:この辺りの謎は妄想で、3回目の時に本作を13回ほど観ている方に聞いて分かったのだが姉妹のエピソードもあったかもしれないとの事。実の姉妹で、心開いてくれる姉、と心閉じた妹と母親は認識していてその差が呼び名として出ているのかもしれない。

*4:

ポスト・サブカルのゆくえ〜#バーペガ「#神会黙契(しんかいもくけい)」が示唆するエンタメの未来

ポストサブカルのゆくえ

〜バーペガ「神会黙契(しんかいもくけい)」が示唆するエンタメの未来

1.サブカルとは何か?

2.「サリーの自転車」に見るサブカル要素

3.「神会黙契」から見えたクロスカルチャーな光景

Case(1)白神さき

Case(2);Saika(吉田彩花) 

case(3) Nana(なっち)

case(4)古郡翔馬(群像ピカタ) 

4.サブカル is DEAD and...

A. Definition

B. Alternative

Almost always, the creative dedicated minority has made the world better.

 

常に世界を変えてきたのは創造的で直向きな少数派だ。

Martin Luther King jr.(1929~1968)

*1

 

1.サブカルとは何か?

最近よく思うんだけども、サブカルってもう虫の息レベルでめちゃくちゃ立場弱くなってないですか?

一昨年の東京オリンピック前ぐらいの90sの音楽シーンの旗手とも言えるCorneliu小山田圭吾(Cornelius)のいじめ発覚事件みたいなところから確信したんだけど、いわゆる90年代ぐらいから台頭してきた『Quick JAPAN』だとか『Rockin' on Japan』などのサブカル誌、或いは休刊にまで追い込まれていた『映画秘宝』などのサブカル映画雑誌的なものにあった前衛性はおろか存在価値ですら悉く否定されていわゆる「イタイもの」として糾弾されているのをヒシヒシと感じる。*2しかも、サブカル側はサブカル側で「どうもサーセンサブカルさせて頂いてます💦」みたいな、ちょっと肩身が狭いみたいな感じすらある。で、何がその代替えになってるかっていうと特に何もなくて、空虚な穴がぽっかり空いてなんとなーく埋め合わせされてるような。でも、私の思っていた「サブカル」とはどこかサブ(sub)という接頭辞があるからこそ顕著な「メインではないけれどカウンターパンチ的な反骨精神としたから突き上げるようなパワー」があってそれらがカルチャー全体の燃料と化している気がするのだ。

 ちなみにサブカルについてはロマン優光氏著90年代サブカルの呪い』(ロマン優光)が示唆的である。*3

本書をざっと紹介しとけば「90年代以降のいわゆる「サブカル」とはカルチャーの副次的(sub)な位置付けにあるのではなく【サブカル】という特定の期間の特定の領域における一つの現象に過ぎない。」という事を鬼畜系・メンヘラ・エロ文化・漫画など様々な側面から論じてくれる非常に読みやすい本である。

 この本を読みながらそふと思った。以前から色々なシンガーソングライターであるとか、バンドであるとかの好きなものが共通する人たちと話すことがあるが、実は話してて多少なりとも「ズレ」のようなものを感じる時があるのだ。アーティストなり作品なりその対象は共通してその話題になるんだけど、その辺をぐるぐるぐるぐる駆け巡ってて、なかなか中心をつかないようなもどかしさを感じることがある。やはり好きなものっていうのは共通していても、あまり意味は無いのだとすら思う。

だから最近ではその辺り諦めててSNSでもリアルで人と話す時でも「誰々の音楽が好き」という誰々の部分で共通するのはさほど重要じゃなくて、ひたすら本質的な「音楽とは」「ライブとは」「サブカルとは」などのテーマ自体ではなくコアを語れる事に意義があるのだと思うから。その意味でサーキュレーションの範囲が被ってようがそれほど意味をなさないんじゃないか、などと思ったりもする。  だが逆も然りで、感覚レベルだがそう多くを語らずとも「相手の意図がわかるorこちらの意図が伝わる」人に出会ったりすることが稀にある。ほんと固有名詞をポンポン出すだけで「あ〜それそれ、で、これですよね、ハイハイそうなんですよね。で....」みたいな不思議なテンポ感がある人にごく稀に出会ったりする。もうあれってホント不思議なもんで例えばこちらがAnlyというアーティストが好きだったりして向こうはAriana Grandeあたりが大好きだったりと同じものをそっくりそのまま共有してなくても(....いやこれはむしろ共有していない方が)話通じたりするんだよね。

そんなことを思っていた矢先のまだ年末の空気感漂う2023 年12月27日の東京は中野新橋にあるアトリエ・ペガサス。

あの本ブログではすっかりお馴染みの吉田彩花氏主催による神会黙契」というイベントが開催されたが、そこでふとそんなサブカルの塊のようなSSWと出会ったものだった。それが今回のブログのテーマ、サリーの自転車というソロの女性アーティストである。

 

2.「サリーの自転車」に見るサブカル要素

こちらはその時に撮った20分ほどあるライブ動画だけど歌が始まって冒頭1分05秒ぐらいで構わないのでちょっとこのSSWに注目して欲しい。


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そうですよ!これ!彼女のアーティスト名は「サリーの自転車」(別名称「サリチャリ」らしい。こっちの方が執筆を進めやすいので以後、そう呼称する)。このイントロのギターからブルーハープからもこのたゆたうようなこのメロディからもう「こういうのが好きな人は好き」なサブカルチャーな空気感に満ちていることに気づくだろう。こういうのは皮膚感覚ってかセンスの問題なのでこれが的確なのかわからないが全てが絶妙なバランスで成り立っているのだ。その象徴がこのアーティスト名。パッと見た目にみた感じ穏やかな優しそうな感じのソロの女性シンガーなのだが、「ユリカ」とか「そよか」とか「みきこ」などなど...女性SSWの「名前」とは程遠い「サリーの自転車」という...これがサブカルオタクにとってなんとも惹きつけるセンスがあるのだ。私は個人的にBonnie Pinkだとかあの辺の「ソロなのにバンド名?」みたいな90年代J-Popでもどこか渋谷系文脈に顕著な確信犯的なセンスをも感じたりするのだが。

もうこれだけでサブカル好きにとってはピンとくるものがあると思う。

セットリスト

1.うた
2.救世主
3.群青
4.Sunday Sally Bicycle

こちらもどこかサブカル味を感じている後藤まりこのソロワークにフォーク味を増した音像とでも称するべきだろうか、それよりも何よりもこの音楽から私には東京が、サブカルが浮かぶ、そしてあの東京サブカルの聖地、下北沢が浮かぶのだ。

例えば一曲目の音像はサニーデイ・サービスが96年代にリリースした金字塔的な名盤『東京』に収録されている『いろんなことに夢中になったりあきたり』を彷彿としてしまう。


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答えがないならないでいいんだ

いつかは夜が明け朝がきて

忘れてしまった頃に思い出すよ

 

ー『いろんなことに夢中になったり飽きたり』

この曲とふと共時する、というかアンサーとなっているような一節が一曲目『うた』にもある。

以下で、そのフレーズを見てみよう。

少し霞んだ日々の歌

いつまでも残る思い出

 

ー『うた』

これは別に確認などもしていないので偶然なのかもしれないけど全体的に初期のサニーデイ・サービスの影響が少しあるのかなとも思ったりした。ちょっとこちらのアートワークもみてみようか。

サニーデイ・サービスの実質的な1stアルバム『若者たち』のアートワークだけどどこかサリーの自転車の音楽のイメージと付合するような感覚を覚えるのは私だけではないだろう。

そして、例えば下北沢にある古本屋の聖地であり今泉力哉監督『街の上で』などの映画のロケ地にもなった「古書ビビビ」さんだとかあそこでかかっている音楽が好きな人なら必ずハマるだろうと確信している。

先ほどのライブ動画でかかってても何の違和感もない。ちなみに先日ここを訪問した時に「世田谷ピンポンズ」というこれまたソロのこちらは京都出身の男性アーティストなのだが、この方もよくこの古書ビビビで開催されるライブで演奏している、いわゆるそういう系列の音楽を奏でるアーティストをビビビ系SSW(造語)と呼称するが、ここにMVを紹介しておきたい。


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なんとなくだけどフォークの持つノスタルジーサニーデイ感というか古書ビビビで好まれる種の音楽であるのは明らかであろう。いや、今後サリーの自転車もここでライブをすることがあるかもしれない。またサリチャリ@神会黙契に話を戻すと、最後に歌われた『Sunday Sally Bicycle』もまた少しテイスト違っていい曲なのでXのポストで一部抜き出してみよう。

音源バージョンのアレンジがまたドリーミーなレゲエテイスト入ってこれも良い。この牧歌的ながらどこか郷愁あるメロディーは個人的に『孤独のグルメ』でサウンドトラックを担当しているザ・スクリーントーンズの『リアスの海』とのリンクを感じたり。この二曲とも連ねて聴きたい珠玉の曲である。*4

①サリーの自転車『Sunday Sally Bicycle』

soundcloud.com

②ザ・スクリーントーン『リアスの海』


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別にDJのセンスがどうこういう訳ではないがやっぱりこの二曲は並べて聴くと相性が良いということに気づくだろう。①→②と連続して聴くとテンション上がってまさに自転車乗って海岸線走るイメージがあるものだ。さて、ここで話をまとめよう。このサリーの自転車さんを観た瞬間いろんな要素が頭に浮かんだのだ。ブルースハープ、マフラー、フォーク、意味深なバンド名、サニーデイ古書ビビビ、世田谷ピンポンズ、そして孤独のグルメいろんな要素を喚起させるアーティストだと思う。ルーツ等は全くもって知識入れずに聞いただけなので詳細は不明だが2月末におけるバーペガでの吉田彩花氏生誕祭などでのイベントで深堀りしてもいいのかもしれない。

 

3.「神会黙契」から見えたクロスカルチャーな光景

その意味では2023 年12月27日アトリエ・ペガサスにて開催された「神会黙契」は様々なカルチャーが混合するという意味で興味深いイベントだったように思う。

神会黙契とは以下の四字熟語である。

ここで、印象に残ったものを厳選して挙げていきたい。*5

 

Case(1);白神さき

白神さきさんは最近バーペガで頻繁に聞く名前でエネルギー溢れる表現者というイメージがあった。で、この目で観てそれを確かめなければならない表現者だとはずっと思っていたが、この日目の前で観て間違いなかった。
ここで披露されたのはいわゆるアニソンの数々で、単なる音源の再現に留まらず全身全霊で表現する様に惹きつけられものだ。


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セットリスト

1.アイドル(Cover version of YOASOBI)
2. メフィスト - Mephisto (Cover version of 女王蜂)
3.サインはB -アイ Solo Ver.-(Cover)

LIVEを聴いてて音源を演奏すると言うよりも最早この人自体が音楽の一部なんじゃないのかと思うほどの天性の音楽人がたまにいるが、最近バーペガ界隈でよく聞く名前No.1ぐらいの怒涛の勢いの白神さき さんも例外ではなかった。彼女のパフォーマンスは前半と後半に分かれていて前半のアイドルに扮したパフォーマンス10分とは思えない濃密なパフォーマンスは本当に圧倒的だった。

そして後半のパフォーマンスはこちら。


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セットリスト

1.余計だ (Cover version of Saika)
2.サニー (Cover version of Saika)

そして、後半の10分で披露されたのはSaika曲『余計だ』『サニー』のカバーで構成されている。思えば本曲を最初に聴いた時の感想は【喜怒哀楽どれにも属さない狂気一歩手前の感情】だったのだが更に加速した印象でそんなギリギリ感を身体全体を使って表現していた。*6

PJ.Harveyや初期Cocco等にも通じるオルタナ要素を見たような気がした。このオルタナティブに関しては後述する。

 

Case(2);Saika(吉田彩花) 

次はこの「神会黙契」の企画者でありメインアクターであるSaika(吉田彩花)である。


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セットリスト

0.星を探し求めて走り続ける少年と言葉を失った毛皮の少女との邂逅の物語
1.視線の先 
2.瑠璃色  

この2023年の年末、アトリエ・ペガサス(バーぺガ)で紡がれた小さな一つのでも大切にしておきたい演目のような物語が紡がれた。そこでふと思ったのは私には2022年の5月にあの少年が星を掴みかけた瞬間の続きの物語を見た気がした。彼女が着ている衣装はオーバーオール、黄色のニット帽、星を追いかける少年.......そう、紛れもなく2022年5月にここバーペガで開催された同じスタイルでのパフォーマンスである『五味夢中』の少年を彷彿すると共に、新たに「言葉なき世界」に生きる少女との邂逅の物語が展開されたのだった。


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この中では『視線の先』という曲も歌われたがに、神会黙契という命題への答えが内包していた。そして話は脱線するが2023年は私が以前から望んでいた劇団テンアンツと吉田彩花との邂逅という記念すべき年となった。その象徴としての『サニー』と『瑠璃色』という二つの色彩の違う楽曲があの舞台上で鳴らされた。これらはテンアンツの舞台に今まで感じた事がなくてしかも個人的に欲しかった空気を携えて各々の舞台を鮮やかに彩ったものだ。...と開演前ぐらいに思っていた矢先のSaika氏ラスト曲が偶然にも緑川瑠璃子の『瑠璃色』だったのだ。とは言え正直それほど驚いていない私もいたりして。
思えば『遥か2019』以来ずっと奇跡の連続だった。
偶然とリアルとが織りなす奇跡のコラボレーション、この方とはそんな答え合わせする瞬間(これって神会黙契てことじゃないか?)をいつも楽しみにしている。

case(3) Nana(or なっち)

次は『悲劇のアルレッキーノ』などの舞台をきっかけに数々の舞台、映像作品などでもかなりの頻度でお見かけすることの多いNanaさん(pocochaなどでの配信上ではなっちという名前もある)のアクトを観てみよう。


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初オリジナル曲 『星のゆくえ』を初めて聴いた訳だが奇跡の曲だと思った。(作者はSaika曲を多彩にアレンジすることでお馴染みのD.Koshiro(康士郎)である。)*7

  歌詞は後のアクトでSaika演じる【星を追い走り続ける少年】の心象風景を描いているようであったりとか、壮大なメロディーは本人のルーツでもあろうミュージカルバラードのようなのだがなんとどちらも偶然らしい。
 これは神会黙契というイベントがバーペガに新たな伝説が刻んだ瞬間である。そしてもう一つこういうパフォーマンスもあった。


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こちらのパフォーマンスは「"エンターテイナー"にまつわる一人芝居〜私と姉と歌とそしてあの人と〜」とでも称するべきか。全体的にNanaさんのパフォーマンスが斬新だったのは『アナと雪の女王』などの要素を付加したミュージカル要素があった事。これは私の知る限り観てきたバーペガアクトでは彼女しかいない。前半の「エンタメとは私にとっては何?」というテーゼからジャズスタンダード『My Favorite Things』へと導き出すセンスは物凄くツボだった。

 

case(4)古郡翔馬(群像ピカタ) 

次はこちらアトリエペガサスの店主でありツーピースバンド「群像ピカタ」のボーカルでもある古郡翔馬氏のアクトである。


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セットリスト

1.コーラル
2.憂いを(yellow)
3.覚醒前夜に音楽をくれよ(朗読パフォーマンス)
4.脆くて儚い人のうた(朗読パフォーマンス)

LIVEを観てきてハプニングを逆手に取ってモノにできる演者がいるが古郡翔馬 も正にその一人だ。病み上がりかつ演奏中に弦が切れるという状況でもLIVEを止めずに誰にもマネできない音と言葉とあの場の空気という色なき絵の具を全てキャンバスに塗りたくるアートパフォーマンスを展開した。

「覚醒前夜に音楽をくれよ!」

彼が突如紡ぎ出したこの言葉は正に2023年の私にとって心臓部ど真ん中を貫くと共に全てのエンタメに対するメッセージのようにも聞こえるほどのインパクトを放つものであった。
私はこの言葉を胸に秘め生きていきたい。そして近い将来この言明をどこかで使いたいなとも思う。その時が楽しみだ。

 さて、ここで読者はシンプルにある1点に関して疑問に思う事だろう。このイベントで何故に私はサリチャリのみポコっと取り上げて他のアクトをこうして別にレビューしたのかって事。これはある点でサリーの自転車のみがサブカル要素を放っているからである。
 この点を詳細に論じてみよう。
まず、白神さきのアクトはと共に現代大ブレイク中のアニメ主題歌である事であると同時にいわゆる【ダンスパフォーマンス】込みの音楽である。そしてperfumeのようなコンテンポラリー入った要素のダンススタイルではなく真っ向勝負のダンスパフォーマンスだったように思う。

 また次のSaika(吉田彩花)、Nanaのアクトは音楽を奏でる(歌を歌う)と共に台本ありきの一人芝居の演劇要素が含まれている。という事はやはりここにもサブカル要素は皆無だ。そして古郡翔馬のアクトは前で述べた二人と類しているようだが、台本ありきの一人芝居ではなく普通の朗読というよりインプロビゼーションパフォーマンスのようなもので、これは常日頃から彼独自が展開しているMCの箇所のライブスタイルを更に発展させたものである。

 ちなみにMCとパフォーマンスとのバランスでいえばこの古郡翔馬がピカイチだと思う。
MCが燃料タンクみたいにどんどん曲の熱量を上げていく感覚は圧巻。全ライブやってるアーティストは参考にすべき。

少し脇道に逸れるがこちらをご覧いただこう。

Case(1)~(5)をまとめると以下のようになる。

ここでお分かりだろうか?

 ここで述べたCase(1)~(4)のアクトはサブカル要素は皆無で、演劇だったりダンスだったりライブだったりと真っ当なカルチャーがあるのだ。これは別にどこに良し悪しがあるという問題ではなく、サリーの自転車のアクトのように様々なサブカル要素が自然と滲み出るケースは異質だったからだ。

これはアトリエ・ペガサスというカルチャーであり、サブカルではないカルチャーだとかアートに素直に向き合ったエンタメ空間で見受けられるのはとても興味深い事実だと思う。

 これは何を示唆するのだろう?

次章ではそれを追っていきたい。

 

4.サブカル is DEAD

A. Definition

ここで改めて「サブカル」を定義したい。ロマン優光氏著『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』から引用してみよう。

サブカルチャー(プロトサブカル)愛好家の中にいる、ミーハー的に情報の表層部分をすくっているだけのくせに妙にスノッブな態度の人、それを使って一目置かれたいだけで実際は対して知識があるわけではないようないような人を対象に愛情がない不快な人物である。

....とまあ散々な言い方だがまあ事実なのだろうと思う。でもそうした態度は今でいう「前衛的で尖っている」「メジャーへのカウンターパンチ」という解釈もなし得るものだし、ネガティブである事は批評の原点だとも思うから。だからやはり『映画秘宝』的な雑誌は必要だな。今現在あの雑誌にあって他の映画誌にないのは作品への批評的視点。冒頭で触れた通り毒気含んだサブカルが撲滅されつつあるけど、サブカルには古い価値観を茶化したり笑い飛ばすというやり方が中心だったんだけど実は古きぶち壊し新たな価値観を模索する批評的視点もあった。

それにしても「サブカルは死んだ」んだと思う。正確に言えば90年代文脈で幅を利かせていたサブカルというものが完全に効力を失ってしまってそれらを構成してた要素のみが抽出されそれが今もなおサブカルとしてカウントされるのだと。

その象徴としての「サニーデイ・サービス」であり「古書ビビビ」であり、「世田谷ピンポンズ」であり、『孤独のグルメ』であり「下北沢」であり「サリーの自転車」なのだろう。

でもこれは90sサブカルという特定領域の問題ではなくてエンタメ業界の権威がことごとく崩壊していくことからも明らかでもはや色々な価値観が変わっていってるんだと思う。だって今でこそ重大問題として取り沙汰されてるが去年のジャニーズ社長の問題や宝塚のいじめ問題や今年の松本人志に関する問題ってのは大昔から半ば暗黙の了解だった訳で、それでもなんとなく黙認されても良い雰囲気があった筈だ。だがそういう権威あるから許されたものが全て音を立てて崩壊していく様が可視化されたのは90年代自体の価値観が死んだのだと思う。当然、90年代から効力を保っていたサブカルを武器に振り翳していったものも死んでいる訳で。先ほど触れたようにこうして残存しているサブカル要素は今もなお点在していて時折点滅しては灯台の光のように点滅しては我々のサーキュレーションを先に進めさせてくれる役割を果たしてくれるのだろう。私がサリチャリを見てハッとしたのはそうした事実を反映したのだと思う。

 今現在、ライブハウスにしたってインディーズ映画にしたって90年代にギラギラしていたサブカルのようなカウンターパンチ的存在が無いと思う。どれもこれも「なんとなく良い」無難なものだらけで受け手はベタベタと美辞麗句で飾り付けて体裁を保っているのが現状だと思う。ほんとにくだらないものだ、だからSNSでの批判めいた言葉だけでもすぐ壊れるのだ。*8

 

B.Alternative〜ポスト・サブカルのゆくえ

海外に存在していて日本にはないもの、ずばり【オルタナティブ】というジャンルである。過去のS-igen企画『悲劇のアルレッキーノ』の爆裂レビュー記事におけるオルタナティブに関する定義を再度引用したい。

nenometal.hatenablog.com

90年代中期にカート・コバーンの死によってオルタナティヴは終焉をむかえたわけではなく、その後シーンの顔に躍り出た3組のバンドが挙げられよう

・Nine Inch Nails (ナイン・インチ・ネイルズ)

・Beck (ベック)

・Smashing Pumpkins

上記全てのバンド、実は全てキーワードは悉く「自虐」なのだ。NINのボーカルトレント・レズナーはヘヴィなギターと機械の音とノイズを駆使し更に泥まみれでパフォーマンスするわ、スマッシング・パンプキンズのボーカリストビリー・コーガンは自意識過剰であったり、ベックもベックで「俺は負け犬さ 殺っちまったらどうだ」などという身の蓋もない自虐的要素を歌詞として全面に押し出したりすることで内面的苦悩や怒りなどを体現している。


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 その辺りの言明としては以下の記事において明言されている。 

 ここでいう【オルタナティブ】の定義を日本の音楽業界に当てはめてみよう。ハイ、ハッキリ言って今現在世の中にそういうものは存在していません。この「自虐」を批評性と拡大解釈したところで同じ事。90sのflipper‘s guitarの斜に構えたようなデカすぎる態度だったり(笑)とかそれ以降のあの辺りを巡る音楽がそれ以前の80sライクなものへの何らかのアンチテーゼを持ったものとして機能していた事を鑑みて今2024年の世の中においては日本ではオルタナティブの欄がポッカリ空いている状況だ。*9

 そう、だからこそこうも言えよう。

アートも演劇もアイドルポップスもアニメもミュージカルも、そしてサブカルさえも同列に共存するあのイベントこそ、アトリエ・ペガサスというライブ空間にこのようなブランク・スペースを埋め合わせるポテンシャルがあるのだ。

僕らは日々音楽を聴いていてロックを転がしたい訳でもなくポップスを愛でたい訳でもなくパンクやニューウェーブを気取りたい訳でもないのだ。
もはやそれら自体が目的ではなくて、ただそれらを使って演者のアティテュードを感じたいのだ、リアリティが欲しいのだ、そしてそれらをアイデンテンティティとして享受し、日常という名の戦場を戦い抜くことができる武器として鳴らしていくのだ、もちろん爆音で

そんな言葉や音や絵や映像を超えた何かが2024年以降のエンタメに求められる。これは超難題だが今後のエンタメに求められる宿命でありカルマだと思う。

我々はそんな時代を生きているのだから。
「超えた何か」それは正に神会黙契(しんかいもくけい)って事じゃないのか?

まさにこの言葉はキング牧師以降、60年以上の時を超えてアトリエペガサス店長・古郡翔馬の所属するバンド、群像ピカタの『No.9』の歌詞とシンクロする。本曲もバーペガ現地でも配信でも死ぬほど聴いたキラーチューンだが今回のアルバムver.を聴いてハッとしたのがイントロだとか全体のアレンジに感じるどこか感じるジャズ的なライブ感があるのだ。そもそもこのアルバム全体に感じるミクスチャー要素の由来はこういうとこにあるのかもと感じさせる曲である。

この曲を象徴する以下のフレーズとの邂逅を見る。


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アンダーグラウンド
ぐつぐつ煮えたがっている oh oh oh
地中からのアッパーカット
下からぐらつかせてうなづかす

 

ー『No.9』群像ピカタ

 そして第1章の冒頭に立ち返ろう。

かつて1960年代にワシントン大行進や公民権運動などで人種差別撤廃に多大なる貢献をしたMartin Luther King, Jr.(キング牧師1929~1968)はこのように言った。

Almost always, the creative dedicated minority has made the world better.

 

常に世界を変えてきたのは創造的で直向きな少数派だ。

そしてこの言葉は8割方は彼を奮い立たせるものであって彼の業績の象徴となったが残りの2割程度は不運にも志半ばのものとなった。なぜならキング牧師は38歳の時、テロリストの放つ銃声と共に非業の死を遂げたからである。

しかしここで残されたスプリチュアルな言葉は生き続け「言霊」となり、今もなお多くの人の心に訴えかけ続けている。ここで音楽文脈に当てはめていくと生きるか死ぬかのライブハウスという戦場で世界を変える為の革命者たちはいつも「Minority」である。ビートルズだってオアシスだってグリーンデイだって最初のステージは小さなライブハウスで恐らく100人もいなかったのではないかというのは想像に難くない。だが確実にその日から世界は変わったのだと思う。そして、大事なのはそういう事をはっきり意識してそれを実行できる音楽家はごくごく一部に限られるのだ。

そうだ、アトリエ・ペガサスよ、バーペガよ、この言霊というシナリオを胸にして、ポスト・サブカルの光となれ、

そして、新たなオルタナティブであれ。

今だ。

*10

Nothing is true. Everything is permitted.

(真実などない。なにもかも許されている)

 

 

*1:Martin Luther King jr.に関して

ja.wikipedia.org

*2:

mainichi.jp

*3:

ebookjapan.yahoo.co.jp

*4:

Twitter(X)を「やめる人」に関する一考察(完全版)

僕らは日々生きていて圧倒的に腹が減っている。

塩や醤油や豚骨や味噌と味を変え、麺を啜り具をむさぼりながら生き永らえている。

そんな食の根源である衝動のマグマをストレートにぶつけ、空腹の導火線に火を灯す「ラーメン」があるから生きていけるのだ。

ーネノメタル(2024)

長年SNS(てかほぼほぼTwitter(X)の事なんだけど)をやってるとある不思議な現象に出くわす事がある。
その第一位に君臨する現象が【「Twitter(X)を金輪際一切やめます」とかわざわざ宣言する人に限って100%の確率で戻ってくるし、逆に全くやめるだなんだ前触れが全くない人に限ってパタっといなくなるあの謎現象】である。

いや、でも「謎」とは言ったものの前者はなんとなく事情的に理解できる気がする。要するにその人の心理構造はズバリ「かまってちゃん」で「え?なんでやめるの?」「寂しいです、続けて下さい。」などのリアクションがあるかどうか確認したいだけの事。これを例えれば恋人同士の愛情確認的なやつ?に近いものだろうがそう考えると心底ややこしい&めんどくさい&鬱陶しくなってくる。しかもこういうことやってんのって自分の身の回りの経験上別にティーンエイジャーの若い女の子とかじゃなくて結構な年季の入ったいわゆる「おっさん」や「おばさん」らが拗らせてるんだからますますタチが悪いのだ。
で、私などは元々性格が悪いので(☠️)その種の「拗らせBBA」や「かまってGGI」らの無駄に濃い情念と加齢を帯びた腐臭を帯びて放たれる「辞める辞める詐欺ツイート」に対峙した時大抵「ふーん、じゃさっさとやめりゃ良いじゃんかよ w」かなんか密かに思ってサッと蓋をして当然そいつには何のリプライもせず、早よやめんかい、てな感じでいつ辞めるのかほくそ笑んでワクワクしてたりするんだけど(☠️)世の中には博愛主義の優しい優しい世界の人々がいるもので「え、〇〇さんのツイート大好きなのに、やめないでください!」「△△さんがTLにいないと寂しいです!」と引き止める輩も数名は必ず一定数いるものである。
てか、まあそういう人の存在ってかそういう現象自体も個人的には大いに謎なんですけど....。
でもあれそういう引き止める種の人がいなかったら一体どうなるんだろう?とか思ったりもするが「拗らせBBA」や「かまってGGI」等は当然「大丈夫」なのだ。*1そう言う場合「〇日間Twitterから離れてみて思い直した結果、寂しいのでやっぱり戻ってくる事にします。」とか(誰も聞いてねえのに)自己完結してケロッと復活したりしてたりするものだ。
もう結論としては「勝手にやっとれ、もう知らねえよ w」というのが前者の件だが、今回本記事を書くことになった最大の謎は後者の「前触れなく消滅するパターン」である。これは本当にSNS七不思議であると断定しても良いので、ここでこの件について無謀にも真剣に考察し、決着を付けてみようと思う。(注:あ、ここでは消滅するアカウントの人は「今現在、「生命体として生きている人」の運営しているアカウント」のみを対象とみなします。)
 正にこれは90sを代表するサブカル漫画家である岡崎京子の『リバーズエッジ』での有名なフレーズではないが

「惨劇はとつぜん起きる訳ではない。そんなことがある訳がない。それは実はゆっくりと徐々に用意されている、進行している。アホな日常、たいくつな毎日のさなかに、それは。そして、それは風船がぱちんとはじけるように起こる。ぱちんと弾けるように起こるのだ。」

岡崎京子『リバーズエッジ』より

....って事で正に風船がぱちんとはじけるようにアカウントが停止するって事なんだろうか?でもなんとなく想像するにSNSなりTwitter(X)に対するわだかまりみたいなのはその人の中で表立って出さないものの蓄積してあってなんとなくその人の中で密かにカウントダウンが始まっていて何かのタイミングがその人の中にあってそれが来たらふっと消えていくのだろうとも思ったりする。しかも周りから詮索されないような絶妙なタイミングってのも当事者は密かに用意してるのかもしれない。その証拠に、その抜け殻になったアカウントのラストツイートを見てみると消して「断末魔感」はなく絶対次がありそうな些細な内容だったりすることが大半なので、案外それもまた狙いだったりなのかもしれない。

 

で、先ほど述べた前者の「辞める辞める詐欺」のGGIやBBAの部類はどうでも良いからほっといて(ほっとくんかいw)後者の「ふっと消滅パターン」な人らがしばらくツイートもないが為にシレッと戻ってくる事に周りから逆に注目浴びずにどうやったら再浮上することってできるのだろうか?(てかもしこういう風に再浮上できたとして「久しぶりです!おかえりなさい!戻ってきたんですね!心配してましたよ!」みたいにリプするデリカシーのない奴が絶対いるんだよなあ、当事者はそういうノリが嫌で一旦SNSから遠ざかろうと思ったんだと思うよ...)。で、そう言う一旦抜けた人が万が一Twitter(X)に新アカウント作ったりせず誰にも詮索されずにふっと戻って来たいと思った場合どうすれば良いのだろう、という解決策をお節介ながら考える事にした。

そんな都合の良いものなどあるのだろうか?

……………..実はあります!
なんの当たり障りもなく誰からも詮索されず極めて自然でふわっとTwitter復活できる唯一の手段があるのです。

そう!ズバリラーメンにまつわるツイート」である。
それはもう店舗で食ったものであろうがカップ麺だろうが何でもいい。
あとそれが究極うまかろうが不味かろうが豚骨だろうが味噌だろうが塩だろうがどうでも良いのだ。

もうテーマが「ラーメン」であれば何でもいいじゃないか。

そうだ、みんな口々に「ラーメン」と発してみよう。
「ラーメン」「らーめん」「らうめん」「らう麺」「らぁめん」「Ramen」「拉麺」「🍜」....
そう、この言葉を発した時の響きの持つ平和さや牧歌的なニュアンスは異常であることに気づくだろう。
 もうこれほどまでにキャッチーなのに自然でしかも当たり障りのないテーマのツイートが他にあろうか?
これが高そうなフレンチとか叙々苑の焼肉とか銀座の寿司屋だとわざとらしさってかあざとさが出てしまいそうだし、かといって他のB級グルメである「カレー」や「うどん」や「そば」や「たこ焼き」「お好み焼き」などだと「なんか違う」のだ。ここはもう絶対「ラーメン」!!「ラーメン」が絶妙なのだ。

ここで我がTwitterアカウントからラーメンにまつわるポストを10ポストほど県名別に羅列してみよう。

実例①;東京・中野編 

実例②;東京・下北沢編 

実例③;東京・吉祥寺編 

実例④;名古屋編

実例⑤;金沢編 

実例⑥;京都編 

実例⑦;兵庫・西宮編

実例⑧;福岡・北九州編

実例⑨;カップ麺・感想がポジティブ

実例⑩;カップ麺・感想がめっちゃポジティブ

実例11;カップ麺・感想がネガティブ

 

例外;生産自体を辞めてしまったラーメン、いや、らあめん

画像

ほら、ね。全国に散りばめられたこのラーメンの光景の凄みよ!!正に『#孤独のグルメ season6』10話での五郎さんのセリフを一部もじると

うまいラーメンはどうやって食っても上手い

薔薇の花がどこで咲いても美しいように

とでも言わんばかりの正にエヴァーグリーンな光景がそこにあるではないか。余談だけど、このセリフの元ネタはラーメンの部分はアジ・フライなんですが、原作者・久住昌之氏が「ふらっとQusumi」のコーナーでラーメンを食べるからよしとしよう。

*2

で、今日の結論
Twitter(X)を休みたいけど浮上する時期を逃しそう。」
という人へ、

休みたい時は休めば良い。
もし、浮上時期に迷うならは格好のネタがあるでは無いか。
当たり障りもなく、キャッチーでさりげなく復活できるネタが...
そんな時にこそのラーメンツイートなんですよ、とか言って既に前者タイプの「拗らせBBA」や「かまってGGI」 らがTwitter(X)の復活に常套句として既に使いまくってたりして🍥

 てな訳でSNSもラーメンも気まぐれにいきやしょう!っていう事で「胃袋にとんこつラーメン♪」というフレーズが印象的なSaika氏のこの『気まぐれ』で締めくくりたいと思います🍜


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*1:ふとGGIの文字みて思ったけど某スーパーの毎月15日は55歳以上のお客さまがおトクな「G.G感謝デー」て絶対「ジジイ」と「GG」かけてるよな。よく苦情出ないよな。

*2:ラーメンをはじめいろんなグルメ系の話題を書き連ねた過去記事はこちら。nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

#優利香 メジャーデビューメモリアル🎉 インディーズ全曲(+α)爆裂レビュー!!

 #優利香 メジャーデビュー記念メモリアル🎉

 インディーズ全曲(+α)爆裂レビュー!!

#優利香 メジャーデビュー記念メモリアル🎉インディーズ全曲(+α)爆裂レビュー

Case 0.メジャーフィールドで闘う事の意義

Case1; アルバムレビュー

Full Album『Humanity』

1. 輝く未来へ

2. 感情渋滞高速道路

3.もしも私が

4.ブバルディア

5.僕らはきっと普通じゃない

6.カナデザクラ

7.やりたい事

 

Mini Album『Newestrong-EP』

1. 眩しい朝日

2. ハートレス人間

3. ノスタルジーラムネ

4. 勇者

5. escape

 

Case2; シングル曲レビュー

single『世界はロック』

1. withallmyheart

2. 世界はロック

 

single『夢デハオワラナイ』

1. 三角マーク

2. ユメビカリ

3. 君に借りたパーカー

4. 神様の悪戯(青いクジラ)

 

single『開花』

 

single『須磨浦公園バス停前で』

1. 須磨浦公園バス停前で

2. いつかの未来

 

Case3; メジャーデビュー曲最速レビュー

1. Phostep

2.Lends

 

Final Case. 優利香の未来, 音楽シーンの未来

 

Appendix「ストリートライブの光景」

 

Case 0.メジャーフィールドで闘う事の意義
我々はミュージシャンの奏でる音楽「だけ」を聴いていることはあり得ない。やはり楽曲なり音源なりライブなりミュージシャンの背後にあるストーリーあって初めてポップスなりrockなりの音楽を聴くことは完成するのだと思っている。時に音楽界隈のSNSで飛び交う「推し」「応援」「〇〇担」などという言葉がそういう事実を示唆していて、そのミュージシャンの歩み寄っていくストーリーに加担していて、我々はその歴史の一過程の中で様々なライブアクトや音源などを通じて一喜一憂したりする事も音楽を享受する事に含意されると思う。だからミュージシャンの奏でる「音楽だけ」を聴いて判断している訳では決してないのだ。例えばここ最近盛り上がっているあのビートルズの新曲『Now and Then』を取り上げてみようか。確かにあの音源はビートルズのオリジナルメンバーによって構成された"新曲"なんだけれど決して彼らのバンドマジックによって生み出した曲では決してないのは一聴しただけでも明らかだ。あの音源にあるのはジョンの声とポールやリンゴののアレンジとコーラスとジョージのギターと過去音源が少しサンプリングがフィーチャーされたいわゆる【ビートルズ要素】によるサンプリングレヴェルの「音のコラージュ」であて60〜70年の活動期に一世を風靡していた未だ色褪せぬあのギラギラした楽曲群とは一線を画しているではないか。極端な話『Tomorrow Never Knows』と『Now and then』を聴き比べてみよう。あ、『Tomorrow 〜』はバキバキのオリジナルの極致すぎるからカバー曲『Money』でもいいや。もうあのカバーですらもうハッキリ言って『Now and then』はもう曲としての瑞々しさは敗北していてどこか漂白されていて「ミイラ化」している音像であるのがわかる。やはりその要因はどんな大物バンドであろうともこの曲の中に同時代にメンバーが寄り集まって音のセッションによって産み落とされた「バンドヒストリー」或いは「バンドマジック」なるものが欠如しているからだ。*1

そう考えると今現在色んな音楽が街を溢れていて、様々なバンドマジックやヒストリーがその一つ一つに感じられるものだ。しかしまあハグロックやらミナホやら色々あってに限らずだけど単体の女性SSWの異常なまでの膨大な数の多さにはびっくりする。もはやバンド系とかより特にこの分野は多い。もう知らん人がバンバン出てくる飽和状態な音楽シーン。しかしこれで頭ひとつ抜きん出るってのはよっぽどの爪痕残さないとブレイクスルーは難しい。だからこそそこをなんとか抜きん出ようとするSSWも中にはいてこのCD業界冬の時代だ不況だライブに若者が集まらないだ色んな絶望的状況がある中で希望の星のようなincidentを届けてくれる人もいたりして。そだからこそ、そこをなんとか抜きん出て自らが希望の星をとなりうたを届けようと奮闘しているこの人には頭が下がるものだ。

そのSSWは教えてくれた「アティテュードもまた重要な音楽の要素なのだ」と。

そう、そのSSWの一人の名は優利香である。*2昨年はインディーズフィールドに在籍しつつもABCホールという大きな会場でワンマンソールドアウトという快挙を成し遂げた彼女がまた更に11/14にとうとう徳間ジャパンというレコード会社から「メジャーデビュー」という華々しい目標を射止めたブレイキング・ニュースが飛び込んできたのだ。

そこで、本記事では現在アップルミュージックなどで配信されている優利香オリジナルの全25曲を全て私の独断と偏見で時に冷静に、時に暑苦しくレビューしたいと考えている。どの曲もインディーズ時代の象徴でもあり輝かしいメジャーデビュー を駆動する軌跡であり、どの曲も広い荒野で新芽が息吹き太陽光を浴び新緑の候を経て一気に花が咲き誇っていくような瑞々しい高揚感に溢れている。

さあ始めよう、世界はロック、世界は優利香だ!

さあ、優利香よ、メジャーフィールドを駆け巡れ!*3

Case1; アルバムレビュー

Full Album『Humanity』

本盤は苦悩や葛藤しようとも未来を見据え光を見出そうとする 優利香 という一人のSSWのドキュメントであり、#メジャーデビュー という一つの目標を勝ち取った「戦友」のようなALだと思う。ここに収録された7曲は全て彼女のインディーズ時代を象徴し、メジャーデビューしようとも決して色褪せる事はないだろう。

1. 輝く未来へ

LIVEでは一曲目かラストという重要な曲順に放たれる正にその祈りのようなタイトルに象徴される 紛れもない優利香印のポップチューン。メジャーデビュー目前の今、以下のフレーズがより一層輝きを増して響いてくるようだ。

今までの足跡恋しくなるけれど

振り返らず真っ白な世界へ


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*4

そういえば昨年のABCホールワンマン本編ラスト曲はこの『輝く未来へ』だった。今回の11/15のメジャーデビュー決定ワンマンではどのタイミングで鳴り響くのだろう?

 

2. 感情渋滞高速道路

まずはMonoサウンドからStereoへと変化するイントロが示唆しているのはこのSNS社会に対する暗闇を撃ち抜くのは音楽のもたらす希望の光である」というメッセージなのだろうか。
ABCホールでは一曲目に解き放たれた問答無用の優利香爆上げの一曲。

そういえば、メジャーデビュー 後彼女は何を【destruction】するのだろう。


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2022年11月14日19:04、満員のABCホールではバンドメンバーがSEと共に颯爽と登場し、黄色い衣装を着た優利香が現れ『感情渋滞高速道路』が鳴り響いた瞬間。何かが崩壊し新たな始まりを感じたものだ。この曲はコロナ禍で誰もが感じた絶望感と、希望の光を示唆する「ライブ復活」を告げるドキュメンタリーである。

 

3.もしも私が

SSWとしての夢と女の子としての理想とを天秤にかけた複雑な心情が綴られていながらロックチューンとして昇華されているのが #優利香 曲ならでは。
【深夜2時にギターを背負って飛び出す女の子】

とは紛れもなく自身の投影であり音楽に対するアティテュード(姿勢)の投影だと思う。


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4.ブバルディア

聴けば聴く程フレーズの一つ一つが心に染み渡るスルメ曲があるが私にとって『ブバルディア』がその系譜に当たる。


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そして本曲は

一番綺麗な花(感情)を一番綺麗な時に

音像化する事に成功している。正にポップミュージックの理想の姿がここにあると言って良い。そして本曲はある種『世界はロック』と対極にある印象を受ける。極めて局所的であり原点にしてどこか力強い覚悟すら伝わってくるような。もしかしたら優利香哲学の原風景のような曲なのかもしれない。

 

5.僕らはきっと普通じゃない


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近いけど遠い
切ないけど愛しい
苦しいけど楽しい

明るい曲調ながら綴られているのは一人の女の子の人間関係への葛藤とも取れるし個人的には遠距離恋愛をモチーフにした曲ではないかと思ったりしている。
いずれにせよ人は「分かり合えない」からこそ狂おしいほど愛おしく思えるのかも。そんなポップスの真髄がここにある。

 

6.カナデザクラ

「カナデザクラ=奏咲春」と漢字で記述する。コロナ禍の深い闇の中で足元を見つめて歩きながらも挫折も絶望も希望も一つ一つの音符に願いを馳せて歌い続けんとする力強くも壮大な桜ソング。「痛みも音にして」辺りの歌詞のくだり本当に素晴らしい。

咲くまで歌うから満開の春よ

正に11/15 メジャーデビュー LIVEを目前に正にそんな光景が実現しつつある。


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7.やりたい事
正にどのライブにおいても、いや、ストリートでもライブ空間が静寂に包まれ誰もが歌詞の一言一句真剣に耳を澄ますハイライトチューンである。


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正に今回のメジャーデビュー が告知された

ステージからの景色も音もこの耳でこの目で

これから見たいんだよ

というフレーズが一層ポジティブな光を放って聞こえてくるのは気のせいだろうか。そして、この部分を聴くとどうしようもなく拳を握り締め魂が震え溢れ出る感情を抑えきれない。ズバリ「感極まって〜」のくだり。

*5

マイクを通さずともビシビシ伝わるこんな言葉があるからこそ私は音楽を愛する事から一生卒業できない。

 

Mini Album『Newestrong-EP』

5曲ながら『眩しい朝日』や『ハートレス人間』等LIVEレパートリーのみならず『escape』『ノスタルジーラムネ』などの #優利香 楽曲に顕著なポジティブと詩的な郷愁とのバランスが絶妙な濃密な一枚。 私的には本盤が現時点で最高傑作だと思っている。メジャーデビュー 後も名盤として君臨し続けるだろう重要な一枚である

 

1. 眩しい朝日

彼女にLIVEの行くようになって一年、路上・イベント・ライブハウス・ホール関西関東問わず全LIVEで響き渡ったのが『眩しい朝日』。おはよう朝日です』のテーマとして認知されてる曲であると同時に【新章始まりの歌】だと思う。


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*6

 

2. ハートレス人間

自分の本当の気持ちとは裏腹に愛想笑いを浮かべてしまう、私はそんな空虚な「ハートレス人間」、そして私に立ちはだかる得体の知れぬ「怪物」の正体とは? 

勝手に本曲を私なりにまとめてしまったが、そんな内省的な心情をこのポップスフィールドで綴ったこれまた珠玉の名曲である。後の「ABCホールアフタートーク」を聴きつつふと思い出したけど『ハートレス人間』辺りからそれまでの盛り上がりを更に助長するような物凄い盛り上がりが起こったのは驚きだった。或いは世界が滅びようがどうにでもなれ的なヤケクソ感にも似た覚醒感。正に「ライブマジック」と呼びこんだ曲だ。優利香楽曲の中でも、いやJpopのフィールドでも内省的な部門に入る本曲がなぜここまで起爆剤となったのは、ややトートロジカルな言い方になるがこの歌詞が「内省的」だからだろう。
誰もがこのコロナ禍において内なる【怪物】を意に反して育んでいたのを認知しているのだ。そしてその存在の正体も無意識に知っているからだ。そう「鏡の中の自分」。

 正にこの曲に対するある種の共感と感情移入の表れからライブマジックを呼び込んだ曲であると断言して良い。

他人の気持ちに敏感な癖に
自分の気持ちに鈍感なんだよ

私の中の他人の声。その正体とは?そんな内省的な心情を綴った歌詞にも関わらず不思議とLIVEでは起爆剤と化して盛り上がるオルタナポップ。これは本当にメジャーデビュー 後も歌い続けて欲しい。


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余談だが、7/2のグランフロント大阪にてアコースティックver.では初聴きだった本曲を聴いて

怪物は他の誰でもない鏡の中のもう一人

というフレーズが奇しくも是枝監督による傑作映画『怪物』とオーバーラップしている。そんな内省的心情をポップスの文脈に昇華した本曲がとても良い。*7

或いはこう言う一節も印象的だ。

傷付けられても
何食わぬ顔をして
笑って隠れて泣いたって
変わらないのは分かっていた
他人の気持ちに敏感な癖に
自分の気持ちに鈍感なんだよ

自己の中の他者からの独白。私の中の他人の声。これらの概念はどこかキャラメルボックス『嵐になるまで待って』を思い出す。

 

3. ノスタルジーラムネ

AKB48グループへの作曲や、Four Tripsのメンバーとして一世おを風靡した成瀬英樹氏は「名曲は懐かしい気持ちにさせるがノスタルジーに起因するものではない。」と名言を放ったが『ノスタルジーラムネ』も正にそんな一曲。


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いつもの空き地でした
ドッジボール覚えてる
僕は最後まで苦手だった
上手くキャッチできない
そのボールが今では
人の言葉に変わっている
上手くかわせもしない
投げ返せもできないままさ

そう、優利香楽曲で個人的に好きな点はポジティヴィティのみならず「内省的な心情」も絶妙な塩梅で配合されている所である。この『ノスタルジーラムネ』にしても単なるノスタルジーに留まらず郷愁とリアリティとを結びつけるような一節がポーンと投げかけられる。もう特にこのくだりには共感しかない。この『ノスタルジーラムネ』で歌われる光景は「二度と帰ってこないあの夏」である。これは今でこそ思う後付けかもしれないが、今年灼熱の暑さの中ABCホールワンマンを発表して駆け抜けたこの2022年の夏への郷愁的な思いへとさながらトレースバックして聴いてしまうのだ。
当然のことながらABCホールで本曲のイントロが流れた途端感動の鳥肌が立って仕方なかった。内省的な歌詞ながら優しい歌声がポジティブな光をもたらす珠玉曲。ラムネ、ビー玉、田園風景、風鈴、僕達だけのルール...ど直球までに子供の頃にしか味わえない夏の終わりの歌だ。
今の時期に聴くと一層染み入るものがある。
あと岩井俊二監督『打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか』を思い出したりして。夏は終わり、新たな季節へと誘う曲である。*8

 

4. 勇者

優利香曲でも聴く度に深みを増していくヴィンテージ曲。 ドラマティックなイントロからアレンジからメロディーから浜田麻里文脈でのHRをJPOP文脈へとうまく解釈している。

この身削ってでも見せたい景色  

メジャーデビュー を前に本フレーズが具体性を増してくる。


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5. escape

優利香のLIVEで好きな点は大マジだからってのもデカい。
時にステージ上で光に包まれるようなポジティヴィティを感じるが裏で壁にぶち当たり泣き腫らしたからこその賜物。

マジじゃない奴の目から涙は出ない

Escape はそんな姿勢が滲み出ている。


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Case2; シングル曲レビュー

single『世界はロック』

『感情渋滞高速道路』『ノスタルジーラムネ』『ハートレス人間』の他にwithallmyheart』『世界はロック』と優利香曲にはミニアルバム2枚+αシングルという曲数の中に名曲率が高い。

1. withallmyheart

優利香曲史上最高に尖っていると思う『withallmyheart』それを象徴する一節がある。

過去の栄光なんて今があってこそでしょ?

過去に拘泥するのではなくあくまで未来を志向しようとする正に彼女らしいアティテュードの現れ。


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そして今年の9月3日にストリートで聴いた時に思ったが、音源では気付かなかったんだけど、結構尖った歌詞なのにグルーヴ感がある曲なので観にきてたお子ちゃまがノリにのってクラップしてたのが印象的だしラテン的なグルーヴ感がマシマシになる気がする。数人ほど観てた外国人オーディエンスも結構ノってた。アレンジ次第で色々変化しそう。思えばビートルズ然りポリス然りスタンダードにポップな曲て割とダークな歌詞多いもんなとか思ったりして。

*9

この『withallmyheart』の中にこういう一節がある事に注意したい。

過去の栄光なんて今があってこそでしょ?

この言葉はあの「ジャズの帝王」ことマイルス・デイヴィスが全く同じような事を言っていたのを思い出す。

A legend is an old man with a cane known for what he used to be. I'm still active until I die.

伝説とは杖にしがみついてるジジイどもの事さ。俺は死ぬまで現役を続けるよ。

自らが伝説としてカテゴライズされるのを最も嫌ってあくまで革新性を追求するジャズの帝王らしい言葉である。優利香がこの言葉にインスパイアして本曲を構成したか、あるいは無意識なのかはまあ別としてこういう「マイルス的なもの」をポップスとして昇華できた曲はこの曲だけだと思う。ちなみに本曲は『優利香Presents ABCホールまでの盛り上げ企画!vol.1』で演奏されたのを初めて聴いたが物凄くライブ映えする曲である。ライブ当時のツイートでも語っているがとにかく魅せ方やグルーヴ感がヤバくて目から汗が流れたほどだ。

メジャーデビュー 後もガンガン歌い続けるだろう。

 

2. 世界はロック

個人的に「優利香11/14にメジャーデビュー」 のブレイキングニュースを聞いた瞬間、頭の中で『世界はロック』のイントロが鳴り響いた。


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心のLOCK(鍵)を解き放ち、ROCK(岩)のように強く邁進し、何があろうともrock'n'rollのように転がり続けんとする決意のアンセム。 正に今、新章の扉が開くこれほどストレートかつポジティブで心臓部ど真ん中に突き刺さり元気を与えるポップミュージックが日本にあったとは!というイノセントな感動を伝えてくれる超絶大名曲。去年の11月14日満員のABCホールでは2曲目に鳴り響き大熱狂の嵐になった思い出を昨日のことのように思い出す。

 本曲は何度も言っているが、非の打ち所の無い完璧なポップミュージックだと思う。メロディ、歌詞ともにストレートかつポジティブなのにこれほど心臓部ど真ん中に突き刺さるようなポップミュージックがあるのか、と目から鱗のイノセントな感動を伝えてくれる超絶大名曲である。ワンコーラスサビでブチまけられたネガティブな感情はツーコーラスサビで全てが力強く払拭されポジティヴィティに導かれる瞬間に何度聞いても感動してしまう。

ここまで私が感動する所在は何なのか。本曲に関してはタイトルにあるように「ロック」を定義することで詳細に述べていきたい。Weblio英和辞書によると本曲の意義に適合すると以下のよう3つの意義に分類される。

ロックの定義
①(lock)
(かぎ で開閉する)錠、錠前、輪止め、銃の発射装置
(交通などの)身動きもできない状態、
②rock(1))
岩,岩石; 岩盤,岩床,岩壁 
③(rock(2)
ロック音楽=rock 'n' roll.

この定義を本曲のワンコーラス目のサビに当てはめていく事にする。

恋の定義はロックと同じ 唱られやしない

君への思いはロックみたいに 感情に支配されている

この場合支配され、唱えられないがんじがらめの「ロック」という意味で上の定義上①のlockになる。

次は2コーラス目のロックを見ていこう。

僕の夢はロックと同じ 

ヤワなもんじゃない叶えたい思いがロックするんだ 前しか見えないくらいに

ここでは「ヤワなもんじゃなくロックする」という意味では正に岩の意味でのロック。スペルもLからRへと変わり、定義上②となるのだ。そしてクライマックスである。

僕の歌よロックみたいに 世界へ轟け...(略)...
つまり世界はロックンロール 毎日がロックンロール
歌おうぜ笑おうぜ 共に叶えようぜ

そして最後の「ロック」は正に我々音楽好きが最も馴染んでいるロックでありロックンロールとしてのRockであり定義上③であると同時に『世界はロック』というタイトルにおけるRockそのものであると断言できよう。このように一曲の中でも様々に感情の変化がタイトルの解釈にもあるようにネガティブに解釈されがちな「lock」から岩の如く強固な「rock」、そして「rockn'roll」におけるロックンロールへと導かれる様は正にポップミュージックの原点であり理想郷がそこにあるものと結論づけられよう。

 

single『夢デハオワラナイ』

7年前にリリースされたEPだが、時の流れを感じさせないどころか 優利香 SSWとしての表現の核が既に確立されている事が分かる。どんなに壁にぶち当たってズダボロになろうともタイトル通り 夢デハオワラナイ 珠玉の6曲。メジャーデビュー 後もこの姿勢は変わらないだろう。

 

1. 三角マーク

優利香 哲学の込められた珠玉曲。


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とにかく世の中◯か×か、良いか悪いか明確な答えを求められがちだが時に「中庸である事=△」もあながち間違いではない。去年の満員のABCホールでは300もの△が舞った。
それはもう圧倒的に正しい光景だった。

 

2. ユメビカリ

7年前にリリースされた曲だが世界を変えようとするアティテュードと未来へ向けた視線は一貫している。
特に祈るように捧げられた以下の

情熱を消さないで
無くさないで照らしていてよ

というフレーズが正にメジャーデビュー を目前に現実味を帯びて響く。

 

3. 君に借りたパーカー

初期Taylor Swiftを思わせるカントリー調のイントロから始まる恋に頑張る女子の健気な片想いラブソング。
最初「パーカーを返してしまったらダメなんじゃないか。」と思ってたが貸し借りの関係が成立した時点でこの恋は成就しているのかもしれないなとも思ったり。ABCホールの時のドラマティックな曲調のものが続く中、ほっと一息入れたような安心感があったのを記憶している。

 

4. 神様の悪戯,(青いクジラ)

【大切な人がいなくなっても来世で必ず会える。それまでこの想いをあの青空の光に託して生きていく】

という彼女自身の死生観が垣間見える珠玉のバラード。


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去年の静まり返ったABCホールでのスピリチュアルな歌声がとても印象的だった。

個人的にあの叙情的な『神様の悪戯』へのアンサーソングが『青いクジラ』だと解釈している。続けて見てみよう。

痛い 苦しい 悲しい は君をいつか救う

どんな絶望にも希望が隠れている。


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「そんなあくなきロマンティシズムを胸に、この音楽よ、7つの大海に響き渡れ。」ここにも優利香の理想の音楽への愛情のようなものがビシビシ伝わってくる。

 

single『開花』

ずぶ濡れでも泥まみれでも飽くなき夢へ突き進もうと決意する本曲の主人公は彼女の姿そのもの。そしてメジャーデビュー が決定した今、本曲の【暗闇を潜り抜けたからこそ見える光の強さ】がより強い説得性を帯びて伝わってくる。


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モチーフが桜ソングだから『開花』以降の心象光景を描いたかのような歌詞とサウンドは『眩しい朝日』を思わせる切ないポップチューン『須磨浦公園バス停前で』とどこかシンクロする感覚がある。後者は日常的でローカルなタイトルだからこそ普遍的なポップスとして浸透していく可能性を秘めている。LIVEでは去年の9月13日が初聞きだったけどこれがまた素晴らしかったのを覚えている。ずぶ濡れでも泥まみれでも飽くなき夢へとひたすらに突き進もうと決意するこの歌詞世界は、今思えば正に2ヶ月後に叶えるホールワンマン成功を目指す彼女の姿そのものだったのだ。大袈裟でなく震えて聴いた*10

 

single『須磨浦公園バス停前で』

1. 須磨浦公園バス停前で


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ホール以降の新境地でありインディーズラストにして 優利香 心象風景の原点でもあり普遍的な桜ソングでもあるコンテクストの深い曲。

そんな過去と未来が交差する景色を【ハイタッチでまたね】というフレーズで表現している。本曲『須磨浦公園バス停前で』は実質インディーズラスト曲なんだけど敢えてご自身の原点に立ち返ったテーマで締めくくろうと思ってリリースしたのですか?」と以前聞こうと思ったけどなかなかの灼熱の暑さの中でする会話じゃなかいやろと思ったので次回涼しいライブ会場かどこかで尋ねようと思っている。

*11

 

2. いつかの未来

優利香中でも内省的な歌詞の一つ。 中盤エフェクトがかかったボーカルが一層内面迷いを表現しているような。 だが彼女特有ふわっと優しい歌声と

それでも自信はないけどいつかいつか

という歌詞によって我々を肯定性に導びく。

以前サイン会時にお聞きしたが『いつかの未来』はヴォーカルに拘ってて歌詞における「迷い」を表現すべくロボ声に加工を施した模様。だが天性として持つボーカルのふわっと優しい歌声が聴き終わる頃には曲世界をポジティティに導くのだと。
本曲も新たな #優利香 スタンダードになるだろうあとこの『いつかの未来』は『須磨浦公園バス停前で』が未来志向の曲ならば、本曲は『ブバルディア』『ハートレス人間』『ノスタルジーラムネ』らの既存曲の世界を繋ぐ役割があると思う。

 

未発表曲『(タイトル未定)』

 

Case3; メジャーデビュー曲最速レビュー

1. Phostep

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聴いた瞬間正に優利香そのものだと思い、思わず「やった!」とほくそ笑む。

「でっかくなります、口だけみたい。」

て悔しくて泣いた夜を朝日が照らすドラマにしたい。  

この歌詞のくだりはメジャーデビュー を経てまだまだ闘争を続ける事へのマニフェストではないだろうか。ここで出てくる「朝日」とはまさに代表キラーチューン『眩しい朝日』の事を示唆しているだろうし、「でっかくなります」とは以前Big Cat などでのワンマンのタイトル「巨大化計画」を思わせる。この人は何も本質を変えようとしない、ありのままの優利香を続けていくのだあと思ったものだ。本曲はそんな彼女のアティテュードが垣間見える。それにしてもメジャーデビュー曲ってんで妙に洗練して「当たり障りのないラブソング」などというコンサバティブな展開にならずあくまで『眩しい朝日』と地続きの「優利香」であり続ける事にこだわった点はもはや感動的ですらある。まだまだ彼女の闘争は続いていく。

今後もコンサバティブになる事もなくメジャーフィールドを転がり続けるだろう。

2. Lends

心斎橋歌う魚にて『乗風破浪で日進月帆! ~2023波乗り企画 Vol.1~』という優利香企画のイベントで初披露されたもう一つの新曲『Lends』に関して記憶の許す限り解説したい。*12

この時に聞いた「レンズ」の印象が強くて既存曲中ベスト5に君臨するくらいの超絶名曲だったと思った。恋愛などの人間関係で生じるある種のズレは、タイトル通りどこにフォーカスを絞るかに依存すると言いたげな内省ソングだとう印象。ただその歌詞のシリアスさを超えるような壮大なサビメロに何度も魅了された。もしかしたら本曲こそが『Phostep』以上にメジャーデビュー 後の新境地曲かもしれない。*13

 

Final Case. 優利香の未来, 音楽シーンの未来

本記事ではアップルミュージックで配信されているインディーズ時代を象徴する全25曲に加えて、メジャーデビュー曲である『Phostep』『レンズ』に至るまであくまで、私の独断と偏見とこの一年半以上にも及ぶライブ観戦記録を踏まえてアルバム・曲単位でレビューしてきたが、どの曲もインディーズ時代の象徴でもあり輝かしいメジャーデビュー を駆動する軌跡であり、どの曲も広い荒野で新芽が息吹き太陽光を浴び新緑の候を経て一気に花が咲き誇っていくような瑞々しい高揚感に溢れているのは先にも述べた通り。やっぱメジャーデビューするだけあっての礎がしっかりしていて、ポップミュージックとしてのクオリティーが高いのだ。そこで本節では優利香の今後の展望を未来のミュージックシーンとの展望とを突き合わせて論じていきたい。

はい、ここで断言いたします。

私の予言は当たります。

何せ私は今年の6月にあのAnlyと植城微香がステージ上で対バンすることを当てているのだ。

これがその証拠です↓

まあ植城微香のほうはまだOAなのでまだ共演というほどまでいていないのかもしれないが今後も共演ということが大いにあり得るだろう、現に心斎橋BCでのワンマンも別日だが決まってるし。ズバリ今後の予測として、ミュージックシーンは優利香以前・以後とで大きく分断されていくのではないのかなと思う。バンドでもユニットでもそうなんだけれどSSWにも実は2種類あってコロナ禍以降激増した「ビッグサクセスは諦めてファンクラブでも作ってコアファンの支持だけで細々と活動したい。」的なタイプのミュージシャンと、それこそ植城微香とかエレママとかそして優利香などに顕著な関西のミュージシャンに勢いを感じるの曲やパフォーマンスが素晴らしのみならず、限られたファンダムコミュニティの中での内輪受けじゃなくてガンガン世界へ向けてコマを大きくしようていうアティテュードを鳴らしていくタイプのミュージシャンとである。まあどちらが面白いかと言えばもう一目瞭然である。*14

もう一度言おう。今色んなSSWが世に溢れていて、ハグロックやらミナホやら色々あって特にソロの女性SSWは異常なまでの飽和状態である。だからこそ、そこをなんとか抜きん出て自らが希望の星をとなりうたを届けようと奮闘しているこの優利香というSSWには頭が下がる。この辺りは前の記事での私の優利香というSSWに惹かれる理由が綴られててそれが未だにリーダブルなのでまんま引用する。

私がここまでこの優利香というSSWに楽曲の良さ以外で惹かれる理由はなんだろうかと考えた時にやはり所謂レコード会社に所属していないインディーズアーティストでありつつも「ライブハウスという狭い領域にとどまらずメインストリームへ行こう」と宣言して実行しようとするそのアティテュードに他ならない。てかここ最近、とりわけコロナ禍以降こういう上昇志向のマニフェストを掲げるアーティストってメジャー・マイナー問わず少ないように思えるのだ。それどころか、近年目立つのが規模縮小をコアにしたファンクラブ・メンバーシップを立ち上げコアなファンを中心に楽曲提供やイベントの開催などが非常に多い。そういう傾向を反映してメジャーレコード会社に所属しているアーティストでも独立したりするケースが目立つようになってきている。

 いや、確かにこういったアクションは音楽活動としての地盤を固める上で必要で堅実なやり方だと思う反面、ファンダムコミュニティの広がりという意味ではほぼ絶望的なのではないかと思うし、何よりも内へ内へと向かってもはや外の世界へと音楽を放つ事をしないアーティストのアティテュードに何の魅力も感じないのは私だけだろうか?その意味で優利香の今回のアクションはintrospective(内向的)志向にあるこの音楽シーンにおいて極めて貴重な存在である。そういうアティテュードは、先に検証した彼女の全ての楽曲群に共通するexternal (外向的)志向性がどこか大衆の心ど真ん中を射抜くポップネスという要素に反映されているのではないかと思うのだ。
そしてこの優利香のABCホールワンマン以降、数多くの若手SSWが影響力受けてそこを目指すようになるかもしれない。というわけで私は正に【優利香以降】と呼称されるSSWシーンの到来を望んでいるのだ。そうなればもっと音楽界隈は活性化する。観客はデカいハコでゆったり聴きたいと思っていてライブハウスにはそれほど拘りはないのだ。コロナ禍を経て多くの音楽家が規模縮小を余儀なくされている状況で大きな目標を設定し成し遂げた優利香氏のソールドアウトは快挙だ。この勇気こそがアティテュード。ライブハウスという閉じられた空間からメインストリームへ。本当に私は音楽を、とりわけポップスというジャンルの音楽を聴いてきて彼女のようなアーティストを希求していたのかもしれない。

そう、彼女はステージ上で、ストリートで我々に教えてくれたのはこれなのだ。音楽へのアティテュードもまた重要な音楽の要素なのだと。そして多くのインディーズデビューしたてでメジャーデビューを狙っているSSW達はやがて彼女の開けてくれた風穴に続きそしてそこを更に大きなメインストリームにしていくだろう。

そしてそれこそが夢のある音楽、夢のあるエンタメ、そして鳴らすべき音楽、そしてかざすべきアティテュードなのだろうと信じている。

そして私の役目はそんな音楽を【世界にリンクする】事であって正に私が今やりたい事はコレ。
「このアーティストの音楽最高だからみんな聴いて〜!」とかいう言葉の特に【みんな聴いて】という言葉には何の中身も意味もなくて単なる概念にすぎない。真に知名度普及を狙うなら共通項を見つけたらそこに【的を絞り、狙い定める】事だと思う。私はそこに加担したいし、勝算はいくらでもある。

そんな熱い思いと敬意とメジャーデビューへの祝福と期待を込めて優利香というSSWにこのレビューを19222文字の差し入れとして贈りたい。

*15

 

Appendix「ストリートライブの光景」


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「路上ライブ1st ステージ」@大阪駅ルクア前 2023/2/25

1. 眩しい朝日

2.CRAZY FOR YOU (Cover song from Kylee's)

3. 須磨浦公園バス停前で


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「路上ライブ2ndステージ」@大阪駅中央南口 2023/2/2

1. CRAZY FOR YOU (Cover song from Kylee's) with #やましたりな
2. 眩しい朝日
3. #須磨浦公園バス停前で (2/28発売!渾身のニューシングル!)

秋以来聴くこの二人の合同路上。
『Crazy for you』のカバーもめちゃくちゃ二人組バンドなんじゃないかってくらい息が合ってる。高校生っぽい人もめちゃくちゃダンスしてたし最高なライブだった。
朝の定番2を挟んで、3曲目『須磨浦公園バス停前で』は、卒業時期にそれぞれの進路を歩む中で再会を誓う歌であるが、今日たまたま彼女の同級生二人が路上に観に来られてたのだ!
正に本曲通り「ハイタッチでまたね!」の世界線て感じでビックリした笑

 

 

*1:青盤赤盤がリリースされてその流れで聴くとちょっと印象変わった。先週曲単体で聴いた時「あれ?ビートルズじゃなくね?元メンバーからの素材をかき集めただけのサウンドコラージュじゃん。」とか思ってたが今AL通して聴いたらゴッソリ印象が変わった。これ紛れもなく生粋のthe Beatles だとw

*2:オフィシャルサイトはこちら。

yurikamusic.aremond.com

yurikamusic.aremond.com

*3:過去記事nenometal.hatenablog.com

*4:#優利香5/13(土)の『歌う魚』での対バンLIVE時に今後の展開についてとある重大告知があるという。
そういえば去年の8月半ばにほぼこの近辺にてABCホールの発表をしたのを思い出す。
「輝く未来へ」向け何が飛び出すのか?
関西出身の女性SSWの勢い目覚ましい昨今、彼女も壮大なサークルを描くだろう🐳 https://t.co/rhXDWJ2kO4 pic.twitter.com/JjEIGueHUU

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年5月4日

*5:ルクア前で歌おうとしたもののたまたま音楽に関心がない👮達に出会ってしまったのでここでリベンジ。全ミュージシャンの思いを集大成したようなスピリチュアルバラード『やりたい事』メジャーが決定した今改めて聴くと更に言葉の一つ一つが伝わってくる。
👮達よ、今度は最後まで聴きなさい!#優利香 https://t.co/vMJmJmJLIX pic.twitter.com/JPcwGi3B0i

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年9月3

*6:これぞプロ根性!

『眩しい朝日』どころか『眩しすぎる灼熱光』に照らされつつメジャーデビューLIVEの告知もしっかりして #前田琴音 さんとの交代でストリートLIVEをこなした我らがクイーン・オブ・ポップ #優利香
ちょうど去年「パンとタビスル」と言うイベントでそん時も暑かったなw#MusicBusker https://t.co/7pPFftECun pic.twitter.com/UC4EJ6XG1w

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年9月17日

*7:家族愛もイジメも虐待も性への目覚めもどこか淫靡体質な世相を風刺したような描写もあちこちに散りばめておいて最後の最後に「で、あなたはどう思う?」と私の心の奥底に全て丸投げされたような久々に重厚な何かを受け取った怪物作。因みに #優利香 氏『ハートレス人間』が好きな人は必見です。#怪物 https://t.co/x4I9rryu4w pic.twitter.com/jzDfv7egaw

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年6月7日

*8:そういや8月のFM802企画の時にも『ノスタルジーラムネ』のLIVEの動画撮ってたなと今更気づく。いやこの方ポップスターとしての華もあるけどほんっと曲が良いんだな。ローカルに逃げずに真っ向勝負に曲が良い。ABCホールまでのこの2ヶ月1日一曲 #優利香 さんツイートします!目指せソールドアウト! https://t.co/iTsMcDFJFa pic.twitter.com/llg9GVtjJy— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2022年9月13日

*9:#withallmyheart

ストリートで聴いたのは初。#優利香 さんも演奏直後に言ってたが結構尖った歌詞なのにグルーヴ感がある曲なので観にきてたお子ちゃまがノリにのってクラップしてたのが印象的。思えばビートルズ然りポリス然りスタンダードにポップな曲て割とダークな歌詞多いもんなとか思ったりして https://t.co/jeZESFcEYx pic.twitter.com/0qALuzDUdw

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年9月3日

*10:

#開花
ずぶ濡れでも泥まみれでも飽くなき夢へ突き進もうと決意する本曲の主人公は彼女の姿そのもの。
そして #メジャーデビュー が決定した今、本曲の【暗闇を潜り抜けたからこそ見える光の強さ】がより強い説得性を帯びて伝わってくる。
梅田クアトロsold outへGo!#優利香https://t.co/TbsL4LFYvL https://t.co/JnljmRmCii pic.twitter.com/rfan4b5nYM

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年10月4日

*11:優利香#須磨浦公園バス停前こちらはポリちゃんが気づく前のルクア前でのアクト。本曲を聴いて思い出すのは高校卒業式。浪人生活が決定してブルーな筈なのにこの日だけはどこか晴々しくもあり寂しくもあり不思議な1日だった記憶がある。そんな人々のノスタルジーをも掘り起こす新曲来週リリース! https://t.co/hPQosEc6BZ pic.twitter.com/ZgrU8daI4v

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年2月25日

*12:このイベント、他に植城微香、HONEBONE、Pod'zという濃すぎる面々が集った、もはやフェスです。

*13:初のHONEBONEもクールなルックスをいい意味で180°裏切るパフォーマンスだったしで。てことで何もかも凄いLIVEだったんだけど写真類が全くないんだよw

*14:この二組のレビューはこちら。

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

*15:今回#優利香#メジャーデビュー ライブポスターを貼ってきた #縁ン貯メ酒場達磨 について。

映画のみならず音楽ライブや朗読会なども頻繁にやっている総合エンタメ飲み屋。ここは演者もファンもボーダーなく正に【縁を繋いで貯めておく場所にしたい】という店主(#海道力也)の熱い思いが込められている https://t.co/pDV8PhIqxv pic.twitter.com/CrdGZcdwJM

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年10月9日

【速報レビュー】岩井俊二監督最新作『#キリエのうた』レビュー(ネタバレなし)

【速報レビュー】

岩井俊二監督『#キリエのうた』(ネタバレなし)

1. Impression

いやもう、一言でいうと(全然一言じゃないけど)最高で最強で最狂で最幸すぎる作品である!これは一晩寝かせた今でもまだ思うからこう断言したい、本作『キリエのうた』は岩井俊二監督作品の現時点での最高傑作である!!!

 

kyrie-movie.comhttps://kyrie-movie.com

 


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いや、あらかじめ断っておくが岩井俊二作品に関しては初期の『見知らぬ我が子』『夏至物語』辺りのドラマ群から『スワロウテイル』から『四月物語』やら『リリイ・シュシュのすべて』から『花とアリス』やら『リップヴァンウィンクルの花嫁』からここ最近の『ラストレター』まで枚挙にいとまがないがほぼ全通してて全作品最低10回位以上は観てるくらいのサブカル抉られ野郎である私がこう思っているのだ。


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そんな面倒くさいマニアぶってる私がまさかの岩井監督に作品で過去の傑作群をブチ抜いてここまで真正面に向き合って、しかも真っ向勝負で感動するとは思いもよらなかった!!!ともうそんな事を思っている自分が一番驚いているのだから。いや〜もう人間生きてりゃ良いことあるわ、まさか岩井俊二監督作品でリリイシュシュに匹敵するどころかそれを超えるのではないかってくらいの超絶傑作に出会うことになろうとは!!!!

2. ストリートライブの今

某シーンのヒリヒリ感やこれまた某シーンでのカタルシスが半端なくこれでもかってくらい泣かされた。
主演のアイナ・ジ・エンドさんの演技も歌声も1ミリたりともブレも妥協もなく凄まじくて凄すぎて壮絶だった(て同じ言葉の繰り返しやんけw)


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しかしBiSHなどもそこまで興味なかったのでアイナさんを凝視するということはなかった私だけれど、彼女のふと見上げた水晶のような瞳の綺麗さが半端ない。まるで彼女の瞳の奥にどこか悲しみを超えてでも人を信じようとする美しさと慈しみを讃ているとでも言おうか。正に彼女の瞳には大海原が広がっているようだ。その意味では彼女は日本のモーガン・フリーマンと言っても過言ではない(てもう感動しすぎて訳わかりませんw)。
そんなこんなで観終わった後電車内でしばらく放心状態であった。
 これはストリートを中心としたインディーズ界隈の音楽映画であり宮城県出身の監督自ら描いた東日本大震災に向き合った魂の記録でもあり、その震災を経た13年にも渡る一人の女の子の人間ドラマでもありその全てでもありと言った感じで、それにしてもリリイの絶望的美しさも花アリやリップヴァンのアンニュイ感も初期作品に顕著な残酷さも総動員しつつベスト盤にならずむしろ全てを使って岩井俊二監督の人生哲学を3時間という尺に魂削ってぶち込んだ感がある
よくあるファンだけしか知らないマニアなコミュニティを作ってしたり顔でテイスティング合戦に興じるようなマルチバースだとか知ったような言葉だけ折り込ませて好きな奴しか分からんやんみたいなどこぞのMがつく(注:Dがつく方のアメコミは好き、ちゃんと絶望とか闇を描いてくれるから)アメコミ漫画を土台としたSFアクション映画だとか、あとはシモキタだとか丸眼鏡に古本屋だとかシネフィル界隈が喜びそうなキーワードだけ散りばめているあのIがつくサブカル監督界隈だとかイタい方向ではない万人に向けられたエンタメとしても成立しているのがとてもとてもとても嬉しく思ったりする。
本作を別の言い方で定義するならばヒリヒリとした痛い涙と感動の涙が交差する壮観な映像ランドスケープとでも呼称しようか。
あと補足的に私見を述べると『キリエのうた』は路上ミュージシャンの物語でもあるから、実際に優利香や植城微香などの現時点でインディーズで活動している女性SSWたちによるガチな路上も数多く観てる私にとって「その描写は少しファンタジー入ってるね。」とか「神の歌声だろうが神曲だろうがなかなかどんなに良いパフォーマンスしてもなかなか人々は足を止めて聞いたりしねえもんだよ。」とか「場所取り一体どうしたんだろ?」とか「そんな都合よくグッズ販売とかうまくいかないもんだよ。」とか私がこれまで現場で目撃してきた数多くの現実に照らし合わせてチェックするかの如く(笑)この辺りのシーンには正直ツッコミ入れつつ観てたんだけど敢えて言わんが最後の最後になってドドーンとした路上ライブでは必ず起こりうるリアリティある「あの」場面があってもう心ブチのめされたものだった!

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敢えてこの為にリアリティを取って外したんだろうか?

凄いわ。

てかむしろ、もう岩井監督は全てお見通してる。

松坂珈琲というミュージシャンがライブ自主企画を持ち込むシーンとか私がよく行ったりする中野新橋のライブバーであるアトリエペガサスのミュージシャン達のやり取りを彷彿させたりイッコ(広瀬すず)が緑色のウィッグをつけて闊歩する姿とか関西中心に活躍してるSSWぽてさらちゃんを彷彿とさせたりもしかしたらインディーズ界隈をバキバキ調査してるんじゃないだろうかとか思ったりして。

これは濃すぎる妄想だけど。

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3. Iwai's reality

最後にこの種のリアリティに関してふと思い出す節がある。
岩井俊二監督がのん(能年玲奈)監督の『ribbon』に美術学校の先生役で出演していた場面のことである。
彼はコロナ禍で親だか保護者だかの「授業はいつ再開するのか?」という問い合わせに「いや〜こればっかりはよく分からないんですからね〜。」と応対に困る演技をした時のセリフである。
流石だと思った。見よ、この「分からないんですからね〜」のリアリティよ。


「分からないんですよね」だったら馴れ馴れしいし「分かりません」薄情すぎるしで、「分からない」をうまく丁寧に着地させる為に「ですから」を急遽挿入したから生まれるこのギクシャク感、てか我々日常生きててよくやってしまうこのフレーズこそ正に岩井俊二監督作品に一貫しているリアリティである。でももうこういうキメの細かいとことか一つ一つの表現の妥協のなさとかほんと昔から一貫してるんだよな。

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【号外】#吉田彩花、映像劇団テンアンツの超絶新作舞台 『#探偵かねだはじめたがやすけ犬噛唐草殺人事件』に出演決定!!!!

前記事からの吉田彩花 関西弾丸ツアーから1週間が経過した。

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私はこの13000字にも及ぶ超尺記事の最後の章で以下のように記述している。

今年頭から続いているアレ関連で実ったコレがあって更にそれが12月に続いててそれ関連であの企画を大阪でやって更にあの人たちが東京でライブやったり何かに出演したりして...などと本当に凄いことが起こりそうなのだ、マジで。吉田彩花氏やその周辺に関して、この楽しくもクソ熱い夏などとっとと終わって欲しいと思うほど秋にはデカいムーブメントを少なくとも3つ起こす準備がもうできているのだ。

この中の「今年頭から続いているアレ関連で実ったコレ」という言葉があるがこれがまさに吉田彩花が映像劇団テンアンツの舞台に出演決定である。というブレイキング・ニュースである。

そう、その出演作タイトルは多分テンアンツ史上最長なんじゃないだろうか、と思う
探偵かねだはじめたがやすけ 犬噛唐草殺人事件である。

*1いや〜、でも死ぬほど長いタイトルだ。

発表して4日ほど経過してるがいまだに覚えてません(笑)

脚本・監督 上西雄大
■公演期間:
2023年10月12日(木)~10月22日(日)


■会場:「劇」小劇場

■日程:吉田氏は夏春出演なのでにしてます。
10月12日(木)       
18:30(※春)
10月13日(金)
13:30(夏) /18:30(春)
10月14日(土)
12:30(※春)/17:30(※夏)
10月15日(日)
12:30(※秋)/16:30(※冬)
10月16日(月)
13:30(※冬)/18:30(※秋)
10月17日(火)
13:30(夏)/18:30(秋)
10月18日(水)
13:30(春)/18:30(秋)
10月19日(木)
13:30(※冬)/18:30(夏)
10月20日(金)
13:30(※夏)/18:30(冬)
10月21日(土)
12:30(秋)/17:30(※春)
10月22日(日)
13:00(千秋楽SP)

彼女が演じるのはどんな役なのか?それはまだ誰も知り得ない。だが、この人は客演だろうが主催だろうが即興だろうがいつも吉田彩花オリジナリティというものを損なうことはなかった。きっと彼女らしい役柄が与えられテンアンツの大所帯の舞台でも足跡を残してくれることだろう。そしてそう、「劇」小劇場といえばテンアンツにとっては『ヌーのコインロッカーは使用禁止』に続いての小劇場である。

実はこれには伏線があって春の下北沢「劇」小劇場での『ヌーのコインロッカーは使用禁止』で私がなんと一部ではあるが4曲ほど選曲などというお仕事をテンアンツサイドより仰せつかっていて、その中にSaika曲『サニー』も候補として入れさせてもらっていたのだ。

これが次なる展開として出演に繋がって言ったという訳。

【朗報】
ふとした事がキッカケで劇小劇場で上演中の舞台#ヌーのコインロッカーは使用禁止
私ネノメタルが以下楽曲使用を推薦させて頂いてます!

愚☆図『スローライフ#Saika『サニー』#鈴木実貴子ズ『アホはくり返す』#わたなべ矢的『生活は続く』#バーペガ 度高w!
音楽ファンも下北へGo! https://t.co/vl496oMK5q pic.twitter.com/MsvOySIP5J

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年4月27日


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ここでかかった『サニー』が出演者・観客内でもめちゃくちゃ好評だったけど、とにかくこれが本編中「主人公カーブの娘が電話にすら出ないくらいめちゃくちゃ嫌っていたヤクザものの父親に対して、娘の将来のためにお金を密かに振り込んでくれているという自分への愛情に気づいて父親を認めて自分の為のみならず、父親の愛情に応える形で受験勉強を始める。」という超絶感動のシーンで鳴り始めたのだから。

今でも恥ずかしいのだが、この曲がかかった時あまりにテンション上がりまくってガッツポーズ2回してノリまくってLiveさながら頭揺らし〜のリズム取ったりしてたの舞台上から客の様子を見ていた上西監督に実はバレまくっていたらしいのだ。しかも笑いを堪えるのに必死だったと。

だって嬉しかったんですもんw

あ、あとガッツポーズ2回してましたw

あと真面目なこと言えば本曲における吉田彩花によるエンタメへの熱い思いは

僕らにマイノリティなど本当はないの

という一節にも現れてて小劇場だろうが、インディーズのシンガーであろうともエンタメにかける想いにはメジャーマイナーなどないのだという彼女なりの闘争の火蓋が切って落とされた宣戦布告感に満ちたりてる曲だと思っている。そんなニュアンスめいたものを上西雄大氏は嗅ぎ取って本曲を気に入ってくれたのではなかろうか、とも思ったり。

あと推薦曲の一つである愚☆図さん『スローライフ』もとてもいい場面でかかったな。


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一年前本曲の郷愁的なメロディとどこか「人生色々あるけどゆっくりやろうぜ!」と温かい缶コーヒーを差し出してくれるような歌詞に心撃ち抜かれたのを覚えている。テンアンツの演劇同様普遍的に愛される曲だと思う。

にしてもコロナ禍を経てエンタメの捉え方が変わってきて限られたコミュニティで取り巻きだけ囲って鍵垢的活動する奴らが嫌いになっていったのも事実だ。後先も顧みず世界へ向かって無謀にも突進していくアティテュードこそが至高だと思う。S-igen企画にもテンアンツにもそれがあるのだ。

とにかくS-igen企画とテンアンツがリンクする瞬間に震える。というか私は吉田彩花のS-igen企画も上西雄大のテンアンツも以前から本質的なリンクを感じていた。 演劇も映画も音楽もボーダーもジャンルもなく全てが一つの「エンターテイメント」とに共存しているサンクチュアリ。そこにはメジャーもマイナーもない。『サニー』が両者を結びつけたのは正に宿命にも似た運命だと思っている。

あ、こちらは映画版の予告編で舞台とは違うストーリーが内包されている⇩


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実はこちらどのブログでも取り上げていないのだが7月5日に京橋駅近くの公園で1曲目『優しく生きよう』 2曲目『 サニー』

を歌ったものだが当然のように『優しく生きよう』のクライマックスで空からの飛行機が曲を盛り上げるという最高の演出が!彼女は正にそういう運命の人なのだろう。そしてラスト曲は彼女曰く「大阪を繋いだ曲」となる『サニー』である。

しばしこの曲を聴きながら続報を待ちたい。

そして追っていきたい。


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エンタメの申し子、#吉田彩花 がフライヤー貼ってくれたお礼にやってきたよ〜影のマネージャーによる関西弾丸ツアー爆裂レポ!

エンタメの申し子、吉田彩花 がフライヤー貼ってくれたお礼にやってきたよ〜影のマネージャーによる関西弾丸ツアー爆裂レポ!

エンタメの申し子、吉田彩花 がフライヤー貼ってくれたお礼にやってきたよ

〜影のマネージャーによる関西弾丸ツアー爆裂レポ!

Table of Contents

【Preface; フォロワー拡大フライヤー計画】

【Scene1; 阪急岡本駅〜理容室Echoes】

【Scene2; Blue Parc(ブルーパルク)】

【Scene3; 神戸元町❶元町穴門商店街】

【Scene4; 神戸元町❷元町中華街】

【Scene5; 神戸元町ハーバーランド

【Scene6; 大阪十三❶第七藝術劇場

【Scene7; 大阪十三❷縁ン貯メ酒場達磨】

【Final Scene; 夏は終わった、そして...】

 

【Preface; フォロワー拡大フライヤー計画】

そう、我らがエンタメの太陽光、吉田彩花は今Xアカウントにてフォロワー3000人達成企画というのを東名阪中心にフライヤー配布ツアーをやっている。それに賛同して私も以前フライヤーをわざわざラミネート加工して兵庫県神戸市のEchoesという理容室と大阪は十三にある「縁ン貯メ酒場達磨」というバーに1カ所と合計2ヶ所に渡ってフライヤーを貼りに行っているのだ。で、今回その目標を達成できなかたってんで現地に直接出向いてそのお礼に行くと言うのが行くのが今回の企画である。*1

 

....と言うことは吉田氏は7月6日の京橋以来の関西に降臨するということではないか。やるならトコトンやろうではないか。では私自ら「影のマネージャー」としての案内役を買って出て旅行プランもDMで送ったのだ。

その旅の概要が以下のものである。

ざっくりまとめると...

【神戸岡本→元町→十三】に至る兵庫から大阪までフライヤー巡りをしつつ中華街、ハーバーランドなど観光名所を3〜4時間ほどかけて行く壮大なツアー🚢

である。よっしゃ、じゃあ達磨に寄るついでに第七藝術劇場にも寄ろう!これが全て実現したらもう罰ゲームどころか大成功ではないか!『シン・仮面ライダーの緑川ルリ子ではないが「ところがギッチョン」...やはり一筋縄で行かなかった結果的には波瀾万丈なツアーとなってしまったのだ。

ということで合計6時間にも及んだ今回の関西弾丸ツアーの模様をレポートしたいと思う。

【Scene1; 阪急岡本駅〜理容室Echoes】
8月28日月曜日、阪急岡本駅午後17:00。

遂にあのエンタメの申し子がやってきた!
一瞬S-igenのオリジナルグッズかと見まごうほどのカラフルな帽子とS-igen企画のあの黄色いイラストレーションの入ったTシャツと自撮り棒をもってぶつぶつ話しながらあの 「エンタメは心の太陽」の申し子はとうとうここ神戸岡本にやって来たのだ!

しかも大阪・京都に比べ割と穏やかかつ大人しい人の多い神戸市民から妙にジロジロと注目を浴びまくっている(笑)

 

まあいいか....ということで第一ステージの我が行きつけの理容室Echoesへと突入することに。

よし、配信許可等とっているし、写真も撮るぞ!いざ!!

理容室へ突入するも、あれれ???我々の座る位置がないくらい結構な客が座って待っているではないか。しかも、である。肝心の「机の上に置いてある」と言っていたフライヤーもどこにあるか分からないではないか。
 ....ちょ、ちょっと待て、少しここは腑に落ちないので時間軸を戻そうして状況を掘り下げよう。実のところ、この二日前に念のためってか多少不安要素があったのでこの店に立ち寄っていたのだ。その時
オーナーも「ハイハイ!!あのフライヤーね、覚えてますよ!多分予約ではお客さん一人なので配信も個人的にやられてたらokです。あと最近改装工事もしたのでフライヤーもどこかに片付けてまして、当日それも出しておきます。」と言ってたではないか!

今にして思えば【フライヤーも片付けてますけど】の一節に関して彼にもっと突き詰めれば良かったのだが...

でも前々日は前々日、今は今である、状況が全く変わっていた。吉田氏には一旦外に出てもらい、確認の交渉に入ったのだ。ところが....彼の表情は「すいません...」とスナイパーにでも失敗したゴルゴ13ばりに、或いは敗残兵のような険しく厳しい壮絶な表情を浮かべていたのだ。ちなみにこのオーナーとは映画・漫画・音楽などサブカルの話が合うってんでプライベートでも割と付き合いが長くてコロナ禍の前などは近所や新開地など頻繁に飲み屋に繰り出していくぐらいの(私は)気心の知れた友人だと持っているからこそ信用していたのだが、それにしてもあんなに険しい彼の表情を初めてみた。正直私はほんの少しだが怒りにも似た感情が芽生え「なんで今日前もって言ってくれなかったのか?」と言いかけたのが(笑)、ここでわぁわぁ文句を言っても仕方がない。

いやいやここは冷静になれ、外で待機している吉田氏に現状を伝えて何か良い対策案を考えよう。
.....以下の写真はそんな緊急事態なぞつゆ知らず、もうここで配信する気満々な正に太陽のように明るいエンタメの申し子であった(笑)⇩

そうして一旦音声をミュートにして、現状店内では配信は無理だからってんでこうなったらフライヤーを大量にコピーしてあわよくば近辺の他の店にも配りつつ(←今考えればなんてヤケクソな発想なんだw)そしてここのEchoesに関しては店内での写真撮影のみをやってしまおうという事に。

 そして近くにあるファミマに設置してあるコピー機へと繰り出したのだ。

だが、ここでも一つの事件が起きる。

なんとコピー機数人ほど人が並んでいるのだ
じゃあってんで信号渡って向かいにもセブンイレブンがあるのだがそこに行ってみるとやはり人がコピー機を使っているのだ
いわばなんと二つコンビニがあって2店ともコピー機が大繁盛なのだ
想像してみてほしい、普段のコンビニのコピー機の様子を。

コンビニのコピー機など大盛況どころか、ほぼほぼ使っている人などいないものではないじゃないか。こうなったらもう仕方ないので人の少ないセブンイレブンの方に行って目の前の女子がコピーを済ますのを待とうとする....のはいいが、まあこの女子がおっとりしてるというかもう驚くほど動作が鈍いのだ。コピーする文書をゆっくり機械に差し入れ、出来上がったものをゆっくり眺め、ゆっくりお釣りを一個一個取り、ゆっくり財布に入れ、、、、、、もうこちらは代わりにやってやろうかってくらいイライラ度がマックス。挙げ句の果てになんと彼女の腕からゆっくりと自然に腕時計がポロッと外れてしまったのだ。普段生きていて「腕時計が勝手にポロッと外れる」などあり得ません。何の躊躇もなくお釣りを取るのを中断してこれまた腕時計をつけ始める彼女....笑、、、コラコラコラ!!!!!!!テメエわざとやってんじゃないのかwwwwwwww もうなんとかしてくれ!!!!で、なんとかかんとかこちらに順番が回ってきてフライヤーを10枚ほどコピー。

その後また理容室Echoesに戻ってもうパッと入って店内で撮影敢行!その様子がこちら。

そして出ていくとここのオーナーの奥様がたまたま買い物から帰ってきてたのだ。ちなみにここの奥様、日本語の堪能な海外の方で『Straw Dogs』ていう映画の奥さん役のヒロインに似てるぐらい美人...っていうどうでも良い情報なのだが、もう亭主じゃ信用ならんからってんで彼女にフライヤーを渡してその場に去っていきましたとさ。

そして思ったね、最初から奥さんに頼んどけばよかったと w あ、ここはオーナー一人でやってる理容室だから改修工事もやってたしでいつも忙しいってんで別に不手際だとは思ってません。それどころか2千円という超絶価格で死ぬほど気持ち良い台湾シャンプー付きでヘアカットができるという最高のヘアカットです。シャンプー抜きでも通常価格1500円とバカ安いので割と老若男女問わず人気でござる。

神戸にフラット旅に寄ってシャンプー&ヘアカットっていうのもGood!

⭐️聖地巡礼情報;Echoes(理容室)✂️

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【Scene2; Blue Parc(ブルーパルク)】

この意外と手こずった理容室を経てもう時間は40分ほど過ぎている。で遅れた時間ついでにフライヤー配ろうってんで3分程歩いた所にブルーパルクというオシャレなカフェがある。ここは90sから続いているFour Tripsだとか「ナルソワンキチ」などのメンバーであり、最近ではAKB48系統のアイドルなどへ楽曲提供している作曲家でありミュージシャン成瀬英樹氏が地元時代によく通っていたカフェ、ブルーパルクである。このカフェ実は、そんな彼のソロ活動でのライブレパートリーの名曲『はちみつマフィン』のモチーフにもなっているのだ。あ、こんな感じのSaika曲で言えば『きまぐれ』とか『まる』にも合い通ずる優しい歌声の優しい曲である。


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ではレッツ店内に突入!!!!と思った所だが、、、店に入った途端不意にある記憶がフラッシュバックしたのだ。そう、オーナー様が「ネットは見ない、関心がない」「Twitter(X)アカウントなど全く持っていない。」という情報がフラッシュバックしたのだ。とはいえ、何度か店でコーヒーを飲んだり成瀬さんのライブでお会いして話したこともあって私の顔も覚えられているのでさほど警戒されてはいないのだが、でもこちらが「ツイキャス配信」「フォロワー企画」「エンタメプロジェクト」などなど....の文字が入った次々とフライヤーの中身を説明する度に向こうの顔が死にかけていくようにさぁっと引いているのが分かった。最初は割とニコニコしていたのにこちらが話すたびに囚われた子鹿のように不安げな顔で説明を聞くオーナー様もやはりEchoesの時と同じく正にゴルゴ13のような劇画調になった。もうあの表情は多分一生忘れまい(笑)

...という事で配信云々はもう無理!ということでここは完全に諦めて残りのフライヤーだけ配って店の外で撮影敢行!

⭐️聖地巡礼情報(喫茶店・カフェ)🍵

bleu-parc.jimdofree.com

あ、先ほど紹介した成瀬英樹さんは『はちみつマフィン』も良いけどこの『ドリフター』って曲も個人的に気に入っているのでおまけにあげとこう。


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【Scene3; 神戸元町❶元町穴門商店街】

元町穴門商店街。
あれ??少し荷が軽くなった気がする、てかもう誰も我々をジロジロ見ない。というのも
先ほどの岡本ではこの自撮りでぶつぶつ喋る派手な帽子のお姉さんとそれを扇動しながら撮ってたりしてる帽子から何から全部黒づくめの男という特に後者などは通報されかねないこの怪しすぎる二人組」はもう絶望的にジロジロ見られたものだが、もはやここ元町では外国人客率が高いためかここでは逆に自然と溶け込んでいたようだ(笑)。

で、いきなり余談ついでにちょっと毒吐くが先ほどの理容室でもカフェでに我々の行動がやや「破天荒」「アバンギャルド」志向に思われていたのは正直神戸市という街自体はエンタメ後進地域というか、こと音楽LIVEに関してはめちゃくちゃコンサバティブな街だからだと思う。だって「夜デカい音鳴らすのがうるさい」つってライブ中止にするのも去年の神戸での映画イベントの時に起こったし、もう終演時間が来たからつってオーナーがステージに出て中断したりするのも5年前ぐらいのあるSSWのライブでの出来事だったし、ある百戦錬磨のSSWですらストリートライブに関して神戸では誰も目に止めてくれないしめちゃくちゃ冷たいものだと愚痴ってたし、海沿いの素晴らしい場所にあったライブハウスが近隣住民の苦情の嵐で潰されてしまったのも神戸。全て私の知ってる限りでも色んなネガティヴな出来事が神戸で起こっている、なぜなのかは知らないけど。

 まあそれは置いといて話を元町に戻そう、ちなみにここのちんき堂という古本屋は曽我部恵一久住昌之両氏共々サブカルのレジェンドみたいな人がもはや常連レベルで注目してたのを覚えている。そういやここ中野ブロードウェイにあるタコシェとかいう本屋や下北沢にある古書ビビビとどことなくセンスが近い気がするのでそれも頷ける。

久住さんも昨年秋の神戸でのライブ前の「projector Q」にて大絶賛していた神戸元町にある穴門商店街に位置するこの大衆食堂。
彼も私同様前々からメニューにある「しる120円」について気になっていたのをふと思い出す(笑)

⭐️聖地巡礼情報(商店街)🌃

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【Scene4; 神戸元町❷元町中華街】

....でそっから商店街抜けて元町中華街へ。ここからはもう数々の困難を潜り抜けた我々神が救いの手を差し伸べてくれるような出来事があった。2つの奇跡が起こったのだ。

まずは普段人が多すぎて滅多に座れる事のない中央広場ベンチをゲットできた点である。これはなかなかレア。二つ目。そうして座った我々の眼前には「彩花(香)」という店がそびえ立っているでないか!*2

目の前行ってしっかり撮ったけど2階に行くとちゃっかり彩花に店名変わってるし「絶景カフェ」だし「茶の専門店」の割にはサメの人形を前面に置いて「フカヒレラーメン」や「麻婆ラーメン」などコッテリとしたもん売ってるしカオスすぎるのだ。

次回機会あればここに突入したいと思ったり🦈

そして写真はこの付近にあるブルース・リーのグッズを中心とした専門ショップである。ブルース・リーといえば『サニー』をある演目に使用した劇団テンアンツの上西雄大監督が大ファンってことで個人的に認知してるけどこの人形どことなく上西さんに似てる気がする。あとここにはリーは全く関係ないものの食品サンプルキーホルダーも売ってて東京に中華料理の食品サンプルを喜ぶ方々を約2名知ってるのでその方々に差し入れして事がある。*3

てか一度ここのヌンチャクを『ひとくず』舞台版の時に上西氏にプレゼントしたことあるんだが wてのをふと思い出す。

そしてその後、数多く並ぶ露店からテイクアウトして食べた北京ダックと小籠包と青島ビールと生ビールが異常に胃に沁みたものだ。私はそこで重要なことに気づく。なぜ小籠包の中には熱いスープが含まれるのか。それはそんな熱さをありのまま受け入れるビールというものが存在するからである。織姫と彦星、ロミオとジュリエットのような小籠包とビールとの蜜月な関係。そんな運命的な美味さと旨さのコラボレーションはもう一生忘れまい。

ちなみに目の前にいた飼い犬が我々人間様が食いまくってる様子をチラ見して目を逸らしたりして心なしかハァハァ興奮している。そんな飼い犬がもはや野獣に目覚めかけてイキリ、興奮する様を眺めながら食らう飲茶と酒は格別に美味しい(性格悪っwww)

⭐️聖地巡礼情報(中華街)🇨🇳

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【Scene5; 神戸元町ハーバーランド

ここまで来たら、という事で海辺の方に10分ほど歩いて行ってハーバーランドまで。時間的にはもう19時30分を超えてたと思う。

この辺りは色んな施設があるが 吉田氏のスマホの上部に🎡が見えるが「入場料や物販の値段は全然正義の味方じゃ無いよ」と評判のアンパンマンミュージアムに設置してあるのだ。

良い子たちよ、別にわざわざ親にねだって高い金払わせて向こう岸に行かずともヒーローはここにいるよ。

そう言いたげなこのエンタメの申し子のこの一言が神戸中の海に響き渡ったのだ。そう、あの頭部にあんこの入ったまん丸いパンのキャラクターヒーローを想像しながら目でも瞑って聞いてみよう。


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⭐️聖地巡礼情報(ハーバーランド・海)🇺🇸

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神戸ハーバーランド、オマケ写真集

❶もはや不安感しか煽らないしょぼいハーバーランドの入り口

❷現在改装中のためてっぺんのないレアな神戸ポートタワー

で、これは改装前のポートタワー

❸元町高架下の漢方の店頭にいる二つ頭のシカ(非売品てw)

神戸駅直前の地下道にある記念写真用の天使の羽根の絵

*4

 

【Scene6; 大阪十三❶第七藝術劇場

そして舞台はJRで三宮まで行って阪急にて乗り換えて梅田行きの快速急行に乗ってそのまま一気に十三駅へ。ここまで来たらこっちのもん。駅から降りて5分ほど歩いたところの繁華街ど真ん中に位置している、関西インディーズ映画の聖地、第七藝術劇場へと向かう。第七藝術劇場といえば『群像ピカタのテーマ』に【第0芸術劇場】というフレーズがあるが、アトリエペガサス(通称;バーぺガ)の店長・古郡翔馬氏によるとこの【だいななげいじゅつげきじょう】という映画館の響きが気に入ったからとの事。正に音楽と映画とを「生きる芸術」としてリンクする曲である。


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正にこの瞬間、あの歌が鳴った。ここバーペガでは吉田彩花の表現者としての様々な可能性の息吹きを感じ取ってきたものだ。だからこそ私は是非とも彼女にここ第七藝術劇場に立って欲しかったのだ。この並びは本当に良い写真だと思う。

正に「生きる芸術とは心をバクバク振るわせる瞬間である」そんなことを感じさせてくれるこの歌と映画館と共鳴する。いつか近い将来両者との間で何かが起きるんではないだろうかと予見したりして。 

⭐️聖地巡礼情報(映画館)🎞️

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【Scene7; 大阪十三❷縁ン貯メ酒場達磨】

最後のミッションはその第七藝術劇場から歩いて数分ほどのところに位置している。正にエンタメの聖地「縁ン貯メ酒場達磨」巡礼である。ここでも2枚ほどフライヤーを貼ってもらっていたのだ。

果たしてフライヤーは現存してるのだろうか。

あ、あった!!!同じ所に!!!


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こちらは以前5月10日に達磨でライブした時の模様。

前半が本編で後半はアンコール。


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ここで超絶超絶嬉しかったのは以前拘りを持って貼ったフライヤーの位置である。有名アクション俳優、坂口拓氏のサインの隣というベストポジションである。海道力也店長も、こちら貼った時に海道氏が北海道でロケに行ってた時の臨時店長だったモデル兼女優のKAORINさんにも大変感謝している。*5

その後、海道氏らとエンタメの現在、過去、未来をアツく語ったりしたものだ。(漠然としすぎw、だってここでもビール3杯ぐらい飲んでるから覚えてないもん、なんかYouTuberの人と楽市楽座という老舗の劇団の人がいたのは覚えているんだけど。)

 そしてちょっとした事件が起こった、不意に他の客から吉田氏にカラオケのリクエストをもらったのだ。そう、迷わずに彼女の音楽的ルーツであるサザンオールスターズのヒット曲『涙のキッス』を歌った。その時の様子がこちら。


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そしてひとしきり歌い終わった後、私はふとなぜそこまでサザンが好きなのか彼女に聞いた。やはり最大のきっかけは初期のデビュー当時の「歌詞が卑猥すぎる」「コミックバンドのくせに」「絶対にすぐ人気が落ちる」など散々言われながらもスタイルを貫き通すその限りなき反骨精神とそんなアティテュードとは裏腹にある人間味を感じる優しさにこそ惹かれたのだと言う。大胆さと柔軟性。それはどこかS-igen企画のイベントだとかライブ構成や演出などにも合い通ずるところがあると思ったりして。ちなみに私自身実はここ最近のサザンオールスターズ(特にライブスタイルとファンダムの姿勢)に関しては色々思う所があって彼らをそこまで支持していないのだが(まあそれは長くなるので置いといてw)その彼女の意見には完全同意である。*6

 

⭐️聖地巡礼情報(酒場)🍶

注:縁ン貯メ酒場達磨は会員制バーということで住所は載せてません。常連さんに知り合いがいたら連れて行ってもらいましょう。あ、別に全く怖いとこでもなくて映画ファンや関係者など楽しいエンターテイナーの場を繋ぐとても楽しい愉快な空間なのでご安心を。まあその代わりと言ってはナンですが店主・海道力也氏のお写真でも出しておきましょう、ほら、もうこれで安心ですね(^^)

*7

【Final Scene; 夏は終わった、そして...】

そういえばサザンオールスターズには夏の歌が多いイメージがあるが吉田氏が歌った『涙のキッス』も例外なくその一つにカウントされよう。*8

涙のキッスもう一度

誰よりも愛してる
さよならは言葉にできない
それは夏の運命(さだめ)    

SAS涙のキッス』より

しかしSASの『涙のキッス』はこう歌詞をじっと見てみると夏の歌ではなく夏の終わりの曲である事に気づく。もっと言えば夏のと共に始まった一夏のアバンチュールの終わりを愛おしむような切ない歌ではなかろうか、と解釈している。正に8月が終わりを告げ、次の季節を迎えようとしている今の時期の歌である。それにしても2023年の夏が今日8月31日終わろうとしている。

だがその代わりと言ってはなんだがに明日9月1日から2023年の秋が始まる。

この秋は全部が上手くハマれば紛れもなく大革命が起きることだろう。

いや、これは理想論ではなく勝算があるのだ。

今年頭から続いているアレ関連で実ったコレがあって更にそれが12月に続いててそれ関連であの企画を大阪でやって更にあの人たちが東京でライブやったり何かに出演したりして...などと本当に凄いことが起こりそうなのだ、マジで。吉田彩花氏やその周辺に関して、この楽しくもクソ熱い夏などとっとと終わって欲しいと思うほど秋にはデカいムーブメントを少なくとも3つ起こす準備がもうできているのだ。正確にいえば昨日ある件に関しての話が一つ増えたので4つの起爆剤を持っている。

これら全ての発火装置に手持ちの起爆剤をぶち込ん大爆発すればこりゃ物凄いことになる。ついでにニトログリセリンもぶち込んでやる。

話は壮絶に脱線するがイーロン・マスク氏はここ最近完全にTwitter要素を抹消し用としている訳だけど単純に独裁者としてのカリスマ性を誇示してるだけが目的のようにも思える。これが例えばスティーブ・ジョブズだったら彼も同様に無茶振り野郎だったんだろうけどそこには人々の「熱狂」が「未来」があった。そこが二人の大きな違い。スティーブ・ジョブズは革新的な製品のみならず人生訓も残してたんだよね。


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Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.

君たちの時間は限られている、だから、他の誰かの人生を生きることでそれを無駄にするな。

スタンフォード大学卒業式のスピーチより

とか


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Because the people who are crazy enough to think
they can change the world, are the ones who do.

 

自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから。

  ーApple CM『Crazy One』より

彼の自伝映画とか観る限りかなりヤバい人ではあったけど人々を熱狂の渦に巻き込むエンターテイナーでもあった。スティーブ・ジョブズのやってる事には夢があったと思う。
彼の新製品などのキーノートのプレゼンテーションも爆裂的にうまかったし夜中のプレゼンの翌朝に即新型のiPod(iPad)などが店頭に並ぶとか平気でやってたし当時のアップルの中の人らは無茶振りに振り回されてたまったもんじゃなかったろうがひょっとしたら人々が熱狂する様に救われたのではなかろうか。
だが、イーロン・マスクにはエンターテイメント精神というものが全くないような気がする。だが私はこの秋そんな世界の反面教師に逆らってやってやろうと決意する自分がいる。

微力ながらでも吉田彩花を、S-igen企画を、アトリエ・ペガサスを、Gahornzを世界と繋げて宇宙にぶっ放す何かをやってたる。それこそジョブズappleという会社を立ち上げた宣戦布告のようなあの伝説のCM『1984のイメージで。

もう10月以降がもう今から楽しみで仕方ない。もうこれは私が本ブログでもXでも何億回と言ってることだが、映画・音楽・演劇全て言えるが支持媒体に火を付けたいなら「どうせ一般ウケしないだろうけど」などとへりくだって前置きなどする必要はない。
むしろ「ムーブメントは起こっている。」とカブいてしまえばいい。火のないところに煙が立たないのがリアル社会なら、煙なき場所こそ燃え上がるのがネット社会なのだから

 そしてこの戦いは私から今まで様々な形で恩恵を受け享受してきたエンタメに対する恩返しでもあり挑戦でもあるのだ、世界よ、震えて待て!

そんなことを思いながらまたまたさら軽〜い1500字ぐらいのにしようかと思いきやまたまたまたまた超大作13547文字までに及んでしまった本記事にピリオドを打ちたい。


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In this Autumn season, Nenometal will introduce an innovative and sophisticated trigger to this entertainment society, and with device, you will see why this future won't be like "1984".

 

この秋、Nenometal はこのエンターテイメント社会に革新的で洗練されたトリガーを導入します。

このデバイスを使えば、なぜこの未来が「1984 年」の二の舞になることはないかがわかるでしょう。

*1:もはや呼吸をするように執筆している吉田彩花関連過去記事コレクション。今回でキリよく10作目。

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*2:実際はayakaらしいんだけど字が同じなのでOK笑

*3:もちろん吉田氏ともう一人は長谷川小夏さんである。

*4:表情が良い。多分これ背景で撮る女子達の99.99999%がインスタ映えを志向した笑顔やポーズなどを作るであろう所を敢えてのこのオルタナティブな堕天使モードで攻めたってのが吉田彩花の非凡さを物語っている。

*5:KAORINさんの達磨での朗読会もなかなかよい。『孤独のグルメ』原作者、久住昌之先生の名著『食い意地クン』の章を朗読していただいた時のポスト。

今日の #縁ン貯メ酒場達磨 Kaorinさんの定期朗読会では私のリクエストで『孤独のグルメ』原作 #久住昌之(@qusumi )先生の名著『食い意地クン』を取り上げてもらった!
夏の定番食【冷やし中華】の章をテンポよく読んで頂くのを聴くにつれ、久住さんの文章ってまるで音楽のように心地良いんだなと実感。 https://t.co/LhdnfSdhNU pic.twitter.com/dCgz3aIyDS

— ネノメタル𒅒Ahead Of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年7月26日

*6:ちなみにSASのバンド氏に関してはスージー鈴木著「サザンオールスターズ1978-1985」が良い。以前読んだが、デビュー当時→『kamakura』→活動休止まで試行錯誤を繰り返しつつも本格的なアーティストとして確立する初期に焦点を絞った事で現在にも繋がるバンドの本質をも浮き彫りにしていた名著だった。あと成瀬英樹さんの以下のリンク先の動画もわかりやすい、てか本記事での成瀬さん出現率の高さなw

名盤発掘シリーズ vol.1 ehi(Who the Bitch #WtB)『here in my song』 レビュー

1. 隠れた名盤

「隠れた名盤」というものが世間には多数埋もれている。

以下のこれまで約50年にわたる名盤ラインアップの一部を見てみよう。

1967 the Beatles

  『sgt. pepper's lonely hearts club band』

   The Velvet Underground

  『 Velvet Underground & Nico』etc...
1977 David Bowie 『Low』

    Television 『Marquee Moon』

    Sex Pistols 『Never Mind The Bollocks 』etc...
1987 New OrderSubstance

    U2 『Joshua Tree』etc...
1997 Radiohead 『OK computer』

   The Chemical Brothers『Dig Your Own Hole』

         Björk『Homogenic』 etc...
2007 RadioheadIn Rainbows

    M.I.A. 『 Kala』etc...

例えばビートルズにおける一連のアルバムのような燦然と輝く勲章的なものではなく、ましてや、単にマイナーなアルバムというものでもない。なんというか、少数派の人々によって掘り起こされて歴史の流れによって再評価される種類のアルバムの事である。

よくよく考えたらピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』だってビーチボーイズの『ペットサウンズ』だってあと大雑把に言えばnirvanaの一部の作品だってoasisの一部の作品でこそ今でこそ全ディスコグラフィーが普遍の名盤として世間に君臨しているが、リリース当初はそれほど世間に大絶賛された訳ではないような印象がある。これらは徐々に時代の変遷につれて次の世代の人たちによって何となく発見され、リリース当時では見出されなかった色付けがなされていくような言わば「構築されていく伝説」。

 その意味では日本で今こそ伝説化されているナンバーガールとかスーパーカーは当時に空気を知っている者として言わせて貰えばそんなにセンセーショナルなものではなかったなぁとか思ったり。実は大昔福岡のドラムロゴスで解散直前ぐらいの時期に、ナンバーガールのワンマンがあった時、向井秀徳がチケット持って並んでる客の横を睨みつけながらスッとと通り過ぎて行っても観にきた客ですらほぼほぼ気づいている人いなかったし。

時代の流れによって色づけられていった側面は大きいと思う。 

でもそれでも良いのだとも思ったりする。

もはやカリスマ性だけで自然発生的に人が集まる時代は終わった。所詮ムーブメントなど不可視な幻想なのだから。だからこそそれを利用して世間に対しムーブメントが起こった気にさせた者勝ちだと思ったりもして。そう言うロマンチシズムを知っている人こそが天下取ってほしいし、そこに加担する覚悟は十分にできているものだ。

という事で(唐突に)世の中に知られている訳ではないが、個人的に名盤だと思う作品というのものは誰の心にも存在すると思う。本ブログではある種シリーズとして名盤発掘シリーズとして紹介していきたいと考えている。今回紹介する隠れた名盤はLIVEハウスが完全復活したら今最もアンセムを鳴らせるバンド Who the bitch(以下WtB)のgt、ヴォーカルでありフロントマンであるehi氏ソロ『Here in my song』である

 

2.Focus;

『Here in my song』 ehi(Who the Bitch)

1.ドラネコROCK
2.Pass
3.I'm in Heaven
4.夕凪
5.欅
6.危険区域
7.Stay a night
8.Scream
9.Bagded
10.東京

*1

here in my song

here in my song

  • アーティスト:ehi
  • What's Up? Group
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総じてバンドのフロントマンは、そこから離れたソロ作品自体フォーキー一辺倒になりがちだが本作は違う、収録曲の中でも特に『危険区域』に纏わり付くヘヴィーな倦怠感から初期Smashing Pumpkinsの要素の感触に近いのだ。言うなれば本盤は日本のオルタナティブロックに分類されるものなのかもしれない。

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ehiの紹介文

元 PATTY'S OBLIEN、NUDEのヴォーカリスト、EHIのソロ・アルバム。フェイヴァリットにビョーククランベリーズとともに浅川マキ、斉藤由貴を挙げているのもどこか納得できるその歌唱は、ブルージーかつ、ちょっぴりノスタルジックな趣も。情熱的なギター・サウンドにもまったく負けない歌声は、ACOCHARAなども想起させる。聴くほどに、彼女の存在が脳に染み込み、膨張してゆくようなインパクトがある。 

個人的にこのアルバムがSmashing Pumpkins要素」を彷彿とするのは別に似たような曲があるからと言うわけではない。何というかメランコリックな感じも、オルタナティブな怒りも、ポップスの煌めきも、ロックのダイナミズムも全てを手に入れようとする「途方もないロマンティシズム」がそのバックグラウンドに感じられるから。
 早速一曲目「ドラネコrock」に触れよう。このタイトルを見ればスマパン繋がりで彼らの楽曲に「堕天使ロック」という邦題が付与されてた事を彷彿とする。そしてもう一つの要素として本曲は寧ろタイトルにもあるようにドラネコと言うセンスであるとか、以下、

ふらりふらりたどりつくわ

などのフレーズから彼らよりも70年代以降の歌謡曲的なルーツを感じたりして。『プカプカ』という70年代の昭和歌謡がふと頭をよぎったり。


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 だから個人的に「スマパン要素」を感じるのはむしろ2曲目の「Pass」なのかもしれない。どこかアンビエントな感じで始まる展開は確かにMassive  Attack『Blue line』や『Mezanene』辺りが真っ先に浮かぶが、個人的にむしろ『メロンコリー〜』辺りのスマパンが優先して浮かぶのはやはりメロディーラインの「途方もなさ」は断然後者に近いものがあるように思える。
そして3曲目。そんな地平の遥か彼方に連れ込まれる『pass』からなだらかに地上に降り立つようなーこれは狙いかもしれないがそういうランディング感とは正反対のセンスのタイトル『I’m in heaven』のなんと爽やかなロックサウンド然とした鳴りに安心感を覚える。そんな安心感の所在はこの種のタイプの曲はWtBでの演奏も想像に難くないから。
そして本盤をメランコリックな色彩を加えるのが『夕凪』。
ピアノとアコギだけで織り成される静謐な世界。しかもどこかジャジーな印象を受けるのは、Norah Jones『one flight  down』の歌詞世界と相通ずるものを感じるからだろうか?


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そして徐々にアルバムは本曲を境に混沌を増していく事をなんとなく予測でき、図らずもそれは『檸』『危険区域』で的中する。先の配信liveでも触れていたようにこの曲のモチーフは女性関係にだらしない元バンドメンバーをモチーフにした割とサイコスリラー的な世界観。それを差し置いてもこの曲の鳴りは強い。2年前初めて聴いた時に真っ先に思ったのが「これバンドスタイルでライブで聴いてみたいな。」って事だった。
この曲を数年前当時買ったばかりのAirPods proに変えて初めて聴いた印象で個人的に最も曲のクオリティとして【格上げ】したのは『Stay a night 』である。なんと弦楽器と野良猫に優しい眼差しを捧げるかのようなehiボーカルが絶妙に溶け込み、絡み合っていく様はセクシャルな印象すら覚えた。ちなみにここで「野良猫」が登場する事に一曲目のタイトル『ドラネコrock』との地続き感を覚えたりもして。

そして本盤は『scream』で一気にクライマックスに突入する。

探して昔見た空変わっていける 地図のない未来
いつもここで笑ってたい

という歌詞がどこかWtBの『カナリア』辺りとオーバーラップする。というのも、どこかフィナーレを予感させる静かに奏でられるイントロで始まる『bagdat』を経てラスト曲『東京』のもう全てを出し切ってポツンと荒野に残されたかのような感覚がある。

それにしても『東京』というタイトルの曲は世の中に死ぬほど溢れていて例外なくここで収録されている訳だけどここではアレンジの細かさに注目したい。元々『危険区域』が最初から好きだったのだが、『Pass』『夕凪』とか名曲味がマシマシになる。ふとこういうことも思ったりする。ehi氏にとってWtBとソロ活動との棲み分けはどういうものかと考えた時に、個人的に10, 000maniacsとボーカル、Kristin Harshのソロワークを彷彿としたりして。


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そして、ふとこういうことも思ったりする。ehi氏のもう一つの欠かせないプロジェクトとして「絵画」を描く画家としての活動がある。彼女のインスタグラムなどにおいても絵画の数々が上がっているのだがこれがまたグリム童話のようなポップさとどこか社会的背景をも含んだディープなビハインドストーリーをも内包したようなアクリル画などの作品を数多く残している。

こちらは2年前に開かれた個展の模様。

この作品と『Here in my song』との共通点とはなんだろうか。それを象徴したのが以下の絵画である。

おお、パッと見た瞬間【絡みつく毒蛇】が出てくるってだけではないが『Here in my song』の『危険区域』が流れてくるではないか。或いは『メロンコリーそして終わりなき悲しみ 』時期のスマッシング・パンプキンズにある童話性とオルタナティブ要素とを融合させた感じも浮かんでくる。正にこの絵画を見た印象と『Here in my songs』を聞いた瞬間とが符合するのである。

 

3.Final Remarks

最後に自分の思いをここで綴っておきたい。最近というか、ずっと前からであろうが「音楽に理屈はいらない」「文字で語るのに意味はない」等とX(旧twitter)ほざく人をよく見るけどそれは単なる語彙運用能力の欠如してるのを自覚した負け犬の遠吠えだと思う。文字は音楽の魅力をencourageするものであると信じている。更に言えば1991名盤の量産の要因は評論が多くあったからだと思う。もはやジャーナリズムの死は音楽の死そのものである。あと「古参」と呼ばれるオールドファンの欠点は彼らの作り上げてきた応援スタイル以外は認めようとせず、たとえ当該バンドにダイレクトに届く革新的な応援スタイルを持つ新規が出てきたとしても、尽く排除し、自分達レベルにまで引き摺り下ろそうとする点だ。古参とは時にブレイクへの弊害になり得るのでは無いだろうか。分野問わずアーティストの中には10年以上作品に触れ支持している人もいるが、途中肌に合わない作品に出会す事もあった。
だがそこを乗り越え新たなフェイズを支持する「自分内再ブレイク」に至るのはその人のヒューマニティーの果たす割合が大きい。才能は人をattractするがそれをkeepするのは結局人間性だったりもするのだから。そして本題に戻そう。現在廃盤で配信されていないこの隠れた名盤に光を当てたいのだという思いで筆を取ったのだ。アクセス数など知らん(笑)ここから熱狂の光を灯したい。映画・音楽・演劇全て言えるが支持媒体に火を付けたいなら「どうせ一般ウケしないだろうけど」などと前置きする必要はない。むしろ「ムーブメントは起こっている。」とカブいてしまえばいい。
火のないところに煙が立たないのがリアル社会なら、煙なき場所にこそ燃え上がるのがネット社会なのだから

 

*1: Who the bitch関連記事は以下二つ。

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

情熱と衝動とカタルシスと #エレママ と〜日本屈指のNWバンド、 #ElectricMama 爆裂レビューvol.1〜

【超絶速報】12/21 リリースHyper Vegaレビュー


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本記事を執筆して半年経過した今日2023年12月21日、正にタイトル通り銀河系宇宙で最高に光り輝く曲がArisaZombieの誕生日とともに爆誕した。

そう、あのタイトルのこと座で最も光り輝く星であるVegaの如く輝く星のようであれ!と我々にとっても、そして自分自身にも言い聞かせるように歌い上げる爆裂エレクトロダンスロックチューンである。これは断言しても良いがちょうど去年の12月21日にリリースされた『Black Hole Love』に並ぶ、いやもはやそれすらも凌駕しているのかもしれないエレママの新たな風穴をこじ開けてくれるフェイズへの導入だとも言えよう。

もう去年からエレママの加速が止まらない。
もうこのままぶっちぎってしまえ!


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そんな『HyperVega』という曲の持つ爆裂エレクトロックなイメージに加えて、ダンスミュージックならではの煌びやかさと華やかさとどこか和のテイスト漂う要素(これを通称「わっしょい」要素とでも呼称しようか...ってあんただけだろww)を加味したこのMVも素敵だ。
そして、本曲のRunning time 3分の中で終始上と言うより宇宙(そら)を見上げて歌うArisa Zombieがとても印象的である。

まあそう言う事なのだろう。

なぜここまでエレママが『HyperVega』という決定打のような曲を生み出したのだろう。

そこで思い当たる節がある。11月17日の神戸DQでのライブである。


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ElectricMama (#エレママ) @神戸D&Q(11/17)

①Dystopia Parade
②Cosmic Zero
③普通じゃない
④Black Hole Love
⑤The Wall
⑥Zombie

あとこの日のLIVEのテーマを私なりに定義すると『Hyper Vega』だと思った。もう曲としての原型はなくてもこの日のギグが全力で『HyperVega』を示唆していたのだ。これはまんままだ未聴の新曲のタイトルなんだがどの曲も同じ曲であってもどこか違って新たなHyper Vegaモードで炸裂しているような印象を受けた。
全ては来月のArisa Zombie爆誕ライブにて明かされる!心の準備はできている。色んなLIVEに行って心の底からグワァっと何かを掻き立てるようなpassionが欲しいな
と思ってた矢先にジャストタイミングなエレママ。
私も世界もエレママが必要だ。全曲私の身体に浸透している。
そしてこの日のというか定番セトリの常連である『The Wall』も凄かった。疾走感と熱狂を主体としたセトリを象徴すぎるかのように希望も絶望もロックダイナミズムもわっしょいも無い混ぜに「壁をぶち壊せ!」と叫び倒すArisa Zombieと稲妻に打たれたようにギターを弾き倒すKenji Zombieの姿に思わず涙が溢れた。そう、これがRockだ!
これがエレママだ。最終曲『Zombie』が最高の熱狂と共にエンディングを迎えようとする正にその瞬間エレママが神戸DQが放つ最大限の光に包まれた瞬間!!
私は確信した!!我々はこの世界で生きるのに4つのEで始まるワードを必要とすると!
endeavor
encouragement 
enthusiasm
そして
ElectricMama
である!!

情熱と衝動とカタルシスと #エレママ と〜日本屈指のNWバンド、 #Electric Mama 爆裂レビューvol.1〜

Table of Contents

0.introduction

1. 最新レポ; 6/20『Black Hole Love』Release Party

2.エレママとの出会い、そしてライブ記録

Case(1)『Dystopia Parade』Release Party(12/21)

Case(2) 不思議回遊@大阪アメリカ村(2/12)

Case(3) 心斎橋 Pangea rale one stance pre.
『伊豆はどこだ』リリースライブsleeping leon Vol.8(2/17)
Case(4)『Dystopia Parade』Release Tour 4/7@D×Q神戸

3.エレママ 全Album Review &More...

3-1.『The Wall』(2008)

2-2.『Zombie』(2011)

3-3.『1982』(2016)

3-4.『ELECTRICITY』(2018)

3-5.『Moment』(2019)

3-6.『Dystopia Parade』(2022)

4.エレママを紐解く2つのキーワード

Keyword (1) ;tension

Keyword (2) ;transform

 

0.Introduction

女性のファッション業界に一大革命を起こした、あのCoco Chanel(1883-1971)はこう言った。

 

Don't spend time beating on a wall,

hoping to transform it into a door

 

壁がいつか、扉に変わってくれるだろうと期待して、

壁を叩き続けて時間を無駄にしてはダメよ。

(ココ・シャネル)*1

それにしてもここ最近コココロ(ウパルパ猫)だ、植城微香だ、優利香だ、ぽてさらちゃん。だ、ヤジマX、Rale One Stanceだ、thanなどの関西発のミュージックシーンが東京のミュージックシーンに負けず劣らずとてもアツイのを感じる。*2そんな中で忘れてはならないのはここにもう一つ一際アツイバンドがいる。パッションとカタルシスとダイナミズムと「わっしょい」を共存させるあのバンドである。そう、これぞ今回の記事のメインテーマである、

ELECTRIC MAMA(以下、エレママ)である。二人は2004年あたりから関西を中心に活動しているArisa Zombie(Vocal)

Kenji Zombie(Gt.Vocal)から成る男女から構成されるツーピースバンドである。

 彼らのロックスター然とした佇まいもさる事ながらスタイリッシュさとそれを良い意味で覆すエモさとが共存している唯一無二のバンドであると断言して良い。

electric-mama.jp

なんとなく現在の二人のルックスから察するに同じRock好きでもパティ・スミスエアロスミス辺りにルーツを持つロック姐さんな雰囲気を醸し出すArisa Zomieとナイン・インチ・ネイルズに顕著なオルタナティブロックにルーツを持っているひたすら音像を極めるギターオタク的な雰囲気のKenji Zombieというこの対照的なこの二人のバランスも絶妙である。

この二人の曲作りの構成はどうなっているのだろう。

それは以下のKenji Zombieのツイートが示唆的である。

ふと2人組でエレクトロとロックサウンドとを融合させるバンド」と言えば、個人的には、1993〜1996年の僅か3年間であるが3枚の傑作のオリジナル・アルバムを残し、ブレイク寸前に横浜アリーナをソールドアウトさせて解散した車谷浩司(現;Laika Came Back)と石田小吉(現;石田ショーキチ、ex.Scudelia Electro)から成るSpiral LIFEと符合する。彼らもエレママ同様、主要メンバーがサポートを取らない本格的にギターソロをも弾けるギタリストであるし、LIVEでは音源で聴くクールなエレクトロサウンドを武器としながらも、ライブではそれを乗り越えたロック寄りなパフォーマンスを展開している点が共通していると考えている。


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 或いは1998~2000年初期に数々のアルバムをリリースしたWINOというモロにオアシスに影響を受けたバンドを解散して突如ダンスミュージックを主体としたアルバムをリリースした「JUN」を彷彿としたり。彼はポップスのロマンティシズムをダンスミュージックの煌めきで盛り上げていくあの感じには紛れもなくエレママにも共通しているのはなかろうか。


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あとダンスミュージックに目覚め始めた頃の「ねごと」という女性5人組バンドを思い出す。エレママの「生命のダンス」とかまさに「アシンメトリ」と双璧をなす印象がするし、聴いた時のエモ度数がとても近いようにも思えるのだ。


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以下、エレママのレママとの出会いから全6回に渡るライブレポ、Album Review、そしてELECTRIC MAMAというバンドを紐解くキーワードを見つけ、更に掘り下げていこうと考えている。

 

1. 最新レポ;6/20『Black Hole Love』Release Party

『Black Hole Love』Release Party&ケンジゾンビ爆誕

ELECTRICMAMA Main Act

Set list

1.生命のダンス

2.Ginga

3.Cosmic Zero

4.Dystopia Parade

5. Black Love Hall

6.Planet Nine

7.Zombie


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一曲目、ボーカルのArisa Zombieが抑えられない感情を爆発させるように「祭りだわっしょいしようか〜!!!!イヤェエエ〜!!!!愛をありがとう!!!『生命のダンス』!!!!」と一曲目のタイトルを叫び、新曲のリリースとメンバーの誕生日を祝うこのイベントライブの幕が切って落とされた。正にElectronicなサウンドだとか 拳突き上げるインパルスだとかオーディエンスの熱狂だとか全てが繋がった瞬間がここに始まった。ここ最近のロックバンドでここまでのカタルシスレベルのカッコよさを演出できるバンドは極めて少ないのはライブによく行く人なら誰しも実感することだろう...正にエレママがエレママを極めた26分50秒である。


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そしてこの『生命のダンス』は紛れもなく踊って狂える爆裂ダンスロックチューンである。だが、この曲は単なる生ぬるい共感や盛り上がりだけにとどまらないのは以下のフレーズに示唆されている。

どれだけ多くを語っても

きっと君には届かない

届けない 届けない

という【分かりあえないことは悲しくて、悲しいからこそ美しい。】という常日頃から私自身がポップミュージックになくてはならぬドグマチールのようなものと符合する瞬間もあったりするのも大きなポイントである。人とは決して分かり合えない存在でもある、こう思えることを心底を美しいと思う。

世の中にはポジティブな歌が溢れていてあまりにポジティブなメッセージすぎてそれが逆に自分にとって苦痛なものでないと思うことがあるからだ。たとえ絶望を歌った歌であっても、やるせない悲しみを歌った歌であってもやはり何か光が溢れていたらそこにはポジティビティを感じるものである。そしてやや飛躍するが私がエレママに共感している最大の理由はそこである。彼らの音像は常にディストピア(Dystopia)だとかブラックホール(Blackhole等)のある意味広義な意味での「絶望の地」から鳴らされるからである。そんなアンダーグラウンドから鳴らされる音像は怒りや苦悩に満ち溢れている一方で希望の光を見ださんとするロマンティシズムも共存したりして。 このエレママとしては最も新しいダンスチューン『Black Hole Love』はセトリのどの位置で放たれるかに注目していたが、なんとなんとライブでよくある「お試しに最後アンコールで」というライブではよくあるパターンではなく、正にダイナマイトにニトログリセリンをぶち込むかの如く最も盛り上がりを加速させるような中盤でのパフォーマンスだったのだ。


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そう、彼らは既存の盛り上げ必須曲となっているようなキラーチューンに頼らず真っ向勝負に出たのだと悟った。こうしたアティテュードこそ最高の起爆剤だとにかく今はこの新曲の爆誕を祝したい。最近ワチャワチャやりましょう的ないわゆるワチャ系のバンドが激増してウンザリしているのだが、あれらのバンドにはなくてエレママにあるのは「怒り」「苦悩」「アングスト」が源に発せられる音楽だからだと思う。私は音楽に安易な共感などいらないと思う。 だから私はこの日6曲目に演奏された『Planet Nine』にどの感情にも属さない涙を浮かべひたすら拳を突き上げるのだろう。


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そんな訳で、エレママ は単なるロックバンドではなくその背景に様々な、特に80s以降の引用を感じているがそれが最も顕著に伝わってくるのが本曲である。それはAerosmithであったりJoy DivisionであったりMichael Jacksonであったりとそれをうまく j-Popの文脈に昇華していると思う、と同時に彼らにはどこか日本のrockのニューウェーブ的なスタンスを保持するバンドだとも思ったりしている

この辺りは最終章のキーワードを設定して考察することにして次の章では時間軸を戻してエレママとの出会いから現在に至るまでを軽く振り返りたいと思う。

 

2.エレママとの出会い

思えばエレママとの最初の出会いは2020年11/3(日)の大阪は京橋駅近くでの 「FLOOR 色s 」というライブカフェにある屋上テラス<野楽 -yagaku->での1stアクトだったと記憶している。

その時はアコースティックでの演奏だったので彼らの真骨頂であるエレクトリックなロックサウンドではなかったのだけど、「普段はもっと激しめなスタイルでLIVEをしている。」というMCだったりとかArisa ZombieのtシャツにJoy Dovision の名盤『Unknown pleasures 』のアートワークが描かれていたりとかアコースティックギターを鳴らしていたKenji  Zombieの佇まいなどからどうも今日のアクトとは別ものの何かがあるんじゃないかと思ったものだった。それから帰宅して『生命のダンス』のMVを見て一際曲のエッジが立っていて、「めちゃくちゃカッコいい、これはいつか真骨頂スタイルのLIVEに行かねば。」と思ったものだ。それから2年後の2022年12月、初めて真骨頂のスタイルでのライブを見る事になるのだが、なぜここまで日数が開いてしまったのかと言うと単純に大阪中心で活動しているバンドだし機会があればいつでもライブで会うだろうという気持ちもあったし、正直このアコースティックスタイルのライブにそれほど心打たれなかったというのもあったと思う。まあアコギでは最高峰レベルに感動する曽我部恵一がトリだったってのもあったのだろう。それは置いといても、ここでは省略するが特にこの2年間の私のエンタメをサーキュレートする範囲が莫大に変化しても大きく広がっていった時期であった事も大きく関連している。

だが、やはり時は来る時はやって来るもので2022年秋の出来事。何か突然その瞬間がやってきたのだこの年の6月20日に満を持してリリースされた『Planet Nine』を聴き、そのMVを観た時に正に能天を撃たれたような衝撃を受けたのだ。その時ハッキリ思ったのだ「私の中でエレママがズドーーーンとキタ!!!!!」と。もうこれは抜け目なくカッコいい、平和への祈りを独自のサウンドエスケープに閉じ込めたピースフル・アンセムであるこの曲に本当にやられてしまったのだ。

 なぜ私は彼らを二年前に知っておきながらライブに行かなかったのか恥じるレベルだとすら思ったものだ。

....て事でこの半年で計5回ものライブにいきましたレポをあげておく。

Case(1)『Dystopia Parade』Release Party(12/21)

 

Case(2)不思議回遊@大阪アメリカ村(2/12)

#不可思議回遊 での最高最強最狂アクトは紛れもなく彼らが持っていった。MJもNOもUnderworldPatti Smithもあと「わっしょい」も全てのバックグラウンドを起爆剤として発火装置にぶち込んだ末のケミストリーがこの #ELECTRICMAMA である。『Planet Nine』ほど涙を流しながら拳を突き上げる曲は無い。 https://t.co/UiEK5WZtw8 pic.twitter.com/MWRQe1ptC3

— ネノメタル𒅒Ahead of the TRUTH (@AnatomyOfNMT) 2023年2月12日

 

Case(3) 心斎橋 Pangea rale one stance pre.
『伊豆はどこだ』リリースライブsleeping leon Vol.8(2/17)

 

Case(4)『Dystopia Parade』Release Tour 4/7@D×Q神戸

そして最も印象的だったのはD×Q 神戸での1時間ほどの長尺のライブである。


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『Dystopia Parade』Release Tour 2023/7/4

@D×Q 神戸 Set list
1.Magic
2.生命のダンス
3.Ley Line
4.Ginga
5.Cosmic Zero
6.Planet Nine
7.Dystopia Parade
8.普通じゃない
9.The Wall
10.Zombie

『生命のダンス』が鳴り始めた瞬間エレママの2人が【音源の再現者】という枠組みを超え音の一部になったような不思議な感覚に陥った。大袈裟でなく完全に音楽と一体化しているようだった。勿論物販でハッキリそう伝えた。これは常に真摯に音楽にLIVEに向き合ってきた彼らの境地である。この背景に何があるのか?indie、EDM、HM/HR等様々な音楽的背景を音像に詰め込んでおきながら「そんな事どうだって良いんだ!今ここで踊ろうぜ!わっしょい!」と言ってしまえる潔さが今のエレママの強みだ。そう考えると『Planet Nine』において高らかに歌われる「愛」の意味が一層深みを持って響いてくる。

我々は生きている限り様々なものにさよならしなければならない。昨日の自分さえも振り切って先へ進む事もある。だが、私は音楽を愛する事だけは決して卒業する事はできない。

この41分の【ノンストップ・エレクトロ・ロックンロール・わっしょい・ゾンビ・パーリー】を経てエレママはそう教えてくれたのだ。

次章ではそんなエレママの全アルバムの独断に満ちたディスコグラフィーを時系列を追ってレビューしていきたい。

 

2.エレママ 全Album Review &More...

2-1.『The Wall』(2008)

布袋寅泰のプロデュース曲であり今もなおライブレパートリーでもあるオリジナルバージョンの『The Wall』に始まり布袋寅泰によるプロデュースバージョンの「Solid Beat」と明記された布袋寅泰によるプロデュースバージョンの『The Wall』に終わるという『The Wall』が主体となっている、当時はドラムを担当していたArisa Zombieの荒削りながら初々しいボーカルがとても印象的な1st。全体として現在のモードからはハッキリとは見えないようなローリング・ストーンズレッド・ツェッペリン、AC/DCにジョーン・ジェットなどなど、ロックの王道を前面に出したワイルドなハードロック路線が特徴だけどそれがこれらはどこかLIVEでのRock爆裂モードと連動するようにも思える。どの曲も一発録りとのことだが個人的に気になったのはほぼArisa Zombieが中盤で叫ぶ以外が一切歌詞のない超絶インスト曲『COOKOO-Ⅵ COOKOO-Ⅵ 』である。この曲の中で込められたRock的な衝動が今もなおエレママのコアを支えているような気がしてならないのだ。*3いずれにせよ、このアルバムこそがエレママというバンドの始まりの景色であるのは間違いないだろう。

 

2-2.『Zombie』(2011)

彼らのLIVEにはクールなエレクトロモードとワイルドなロックモードとがあるが紛れもなく後者のモードの原風景が本盤にある。
『AdditionQ』に【情熱と衝動とカタルシス】というフレーズがあるがこれはまさにElectric Mamaというバンドの核(Core)を言い当てていると思う。本盤でも印象的だったのは『Call Me』というシド・バレット在籍時の『夜明けに口笛吹き』辺りのピンク・フロイドのような暗闇から鳴り響くこの濃密な2分間のサイケデリアに息を潜めるように聴いてしまう。これは正に
エレママというバンドの奥行きを感じさせてくれる一曲だ。


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2-3.『1982』(2016)

エモーションとエレクトロの織りなすテンションの華麗なる融合、それがエレママの魅力の一つだとしたら本盤は正にLIVEにおけるElectric Mamaを最もそれを雄弁に音像化している。

以前TwitterKenji Zombie氏とやりとりした記憶を巡れば

このアルバムはぼくがDTMはじめてすぐに制作したので、あとになるほど技とトラック数が増えてきます!
『1982』はダンスミュージックのいろは的な初期衝動のアルバムです。

とのこと。確かにこの初期衝動に満ちた『1982』を聴いてから改めて後にリリースされる『Electricity』『Electricity remixes』『Moment』『Dystopia Parade』辺りを聴くと、あらゆる意味で「研ぎ澄まされた感」を感じる事ができる。本盤はさしずめビートルズ文脈で言うところの『Revolver』でありプライマルスクリームだっったら『Screamadelica』でありMassive Attackにおける『blue lines』であったり過去のレジェンドが「ようやく必殺技を得た」瞬間に生まれたような気づきに満ちた傑作群と同じ匂いを放つように思えるのだ。その証拠として『Ginga』『Zombie』などのライブレパートリーもしっかりと収録されている。そしてそうした文脈を踏まえてラスト曲『Last Summer』を聴くと日本にようやくセカンド・サマー・オブ・ラブのようなビッグ・ムーブメントが到来するのではないかとすら思えたりして。*4 


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2-4.『ELECTRICITY』(2018)

彼らの「わっしょい」モードとクールなエレクトロモードの中で紛れもなく後者の原風景が本盤にあり先に述べた『Zombie』とは対照的なスタンスにある。

だがクールネスに留まらずどこかエモーショナルでノスタルジックなのはArisa Zombieの歌声のなせる技である。そしてノスタルジックという点に焦点を絞ると『普通じゃない』が象徴的で本曲はどこかエレクトロサウンドに歌謡曲要素も色濃くてそれがクセになる曲という印象である。まさかのあの大阪は鶴橋駅前の商店街をぶっ通しワンカットという予想の斜め上をいくMVである。


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ここでのノスタルジーの所在は実は歌詞にあって

少女の前では残酷に子供になるんだ Bye Bye

の辺りにどこか相川七瀬『夢見る少女じゃいられない』のようなヤンキー文化を経た当時の若者が歌うポップスの面影を見る気がするからというのもあると思う。この辺りの影響についてはよくわからないが。

*5ちなみに本盤には『Electricity Remixes』なるオリジナルと曲順をそのままにしたKenji Zombie によるremixヴァージョンなるものも配信のみにてリリースされている。だがremixとは言えNine Inch Nailsの名盤『The Downword  spiral』のremixバージョン『Further Down the spiral』のような原曲をスクランブルするような「再解釈」というニュアンスではなくあくまで原曲のメロディーラインなどのイメージを遵守した形でアレンジの先鋭化している印象。

更に本アルバム『Electricity』は限定でカセットテープもリリースされている。*6

2-5.『Moment』(2019)

本番は『1982』以降のエレママ 特有のRockスピリットとエレクトロのクールネスとの絶妙な塩梅で配合されている

そして更に本盤ではその二つの要素に狂おしいまでのエモーショナルな一面が『裸のマッドネス』や『Rain Fall Down』において表現され本盤を一層深みのあるものにしている。

さて、ここでの「エモ」の要因とはなんなのか?

例えば『裸のマッドネス』における

足の指触れたい 僕は指の間を潜りたい 

触りたい 隠れていたいだけさ

というフェティシズム入った屈折的な愛が歌われていることからも明らかだけど、おそらく私はこうした歌詞のみならずKENJI ZOMBIEのギターのエモさがこのアルバムで大いにフィーチャーされている点にもあると思う。『ELECTRICITY』に比べて、ギターサウンドが数多く加味された本盤を聴くにつけ、エレママ楽曲のスパイスとしてというより、このギターだけに改めてフォーカスして聴くと音色が凄くふくよかで、幻想的で、雄弁で、まるで言葉を放っているかのような印象がある事に気づく。しなやかさと強さと優しさが共存しているこのエレキの音色は、更にArisa Zombieの歌声とエレクトロサウンドとの間に立って両者をうまく調和させる効果があるのだと思う。

正に本盤は感情(emotion)と音像(sound escape)とを絶妙のタイミングで捉えた瞬間(Moment)の名盤だと思う。

2-6.『Dystopia Parade』(2022)

2022年も終わりを迎えようとしていた12月06日にリリースされた最新のアルバム。まずは理屈抜きに『Dystopia Parade』のスタートを飾る同タイトル曲が死ぬほどカッコいい。


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全盛期のMしてそんなロックの衝動とエモさとが混ざり合ってエレママにしかなし得ない【カタルシス】がさながら音像として具現化した象徴のような曲がこの『Dystopia Parade』である。アルバムリードチューンならではのポジティブな光を放つ曲だけれどどこか泣けてしまう曲でもある。だからこのALを何度も聴いてしまうのだろう。映画『Cosmetic DNA』を思わせるめくるめく映像美も印象的な本曲、これがアルバム一曲目ってとこに余裕と自信を感じる。

*7


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Michael JacksonUnderworld『Bornslippy』とが邂逅し、更にSPIRAL LIFEのロックモードも加味したような奇跡の一曲である。15年ほど日本のポップミュージックが忘れていたものがここにある。*8エレクトロとロックダイナミズムとが融合し、それらが単なる方法論ではなく聴き手の懐にバキバキに攻め込んでくる感じ。もしMichael Jacksonが生きていたらこんなアルバム出すんじゃないかなと思ったりする。そして忘れてはならないのが初期の彼らの代表曲であり今だにライブレパートリーの必須曲である『The Wall』がリアレンジンジされて蘇っているのも見逃せまい。私は個人的に「break on through to the other side」と歌ったあの60年代の伝説のバンド、ジム・モリソン率いるThe Doorsに匹敵する「壁をぶち壊せ曲」だと思っている。*9

3.エレママを紐解く2つのキーワード

彼らのステージを観てるとこれ夢じゃないかと目を疑う瞬間に見舞われる。煌びやかなエレクトロサウンドに包まれて全身真っ黒に包まれたスタイリッシュなゾンビ達は時に攻撃的に時に挑発的に大きなサウンドエスケープという名のモンスターを操る様はとてもクールである。本節ではエレママと言うバンドを考察するにあたって2つのキーワードを模索したい



Keyword (1) ; tension

そしてエレママのキーワードについて考えてみたい。彼らの音楽を一言で言うと「テンション」だと思う。テンションとは【Tension】と綴り語源として【ピンと張る[張っている]こと、伸長】から成り立ち、以下のように定義される。

The definision of "Tension"

1. 《物理》引っ張り、張力
2. 〔ミシンなどの〕テンション調整機構
3. 〔文学作品の要素間の〕緊張関係、葛藤
4. 〔文学作品の〕劇的緊張◆【同】dramatic tension
5. 〔精神的な〕緊張、ストレス、不安
6. 〔人やグループ間の〕緊張、敵対意識
7. 《電気》電圧、起電力◆high-tension

この定義を見ると多く人は意外に思われるかもしれない。
何せ多くのアーティストはライブにおいて単に叫び倒したりするだけの行為は「テンションの高いライブ」はよく言うけれど多くのミュージシャンはその意味を誤解していることが分かるだろう。そう、「tension」とは上の定義からもはや「緊張感」に由来するものなのだ。そしてそれをライブ文脈に適合するとその緊張感とは「ヒリヒリ感」であってそうした感覚はライブに必要不可欠な要素だと思ったりしている。馴れ合いのバンドマン同士で肩組んで歌いましょうみたいな対バン形式のライブが本人達的には楽しいんだろうけど観る側はそうでもなかったりするのだ、残念ながら。更に最近ワチャワチャやりましょう的ないわゆる「ワチャ系」のバンドが激増していてウンザリしているのだがあれ系のバンドには「お魚の小骨を全部取ってお子様に食べやすくしました」みたいな媚び媚び感に絶望しかない。あれらのバンドにはなくてエレママにあるのは「怒り」「苦悩」「アングスト」が源に発せられる音楽だからだと思う。安易な共感などいらないのだ。

 

Keyword (2) ;transform

今回リリースされた『Black Hole Love』、私なりの解釈として本曲に限りなく感じるのは「怒り」であり「熱狂」であり「アンダーグランドからの突き上げる拳の強さであり、そうした強さは1stアルバムの一曲目『The Wall』からずっと変わっていないと思われる。


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この『The Wall』の中でArisaZombieは「壁をぶち壊せ」と叫ぶ。確かに彼らはこの曲を15年以上パフォーマンスし、常にそう歌ってきた。

だが、同じように壁をぶち壊すという全く同じ歌を歌っていても、初期のドラムを叩きながら歌っていた上田亜里沙と今現在のArisa Zombie、同じく激しくギターを掻き鳴らしてきた大島健司と今現在のKenji Zombieでは、やはりそのアジテーションの仕方に違いがあると思うのだ。

ただ闇雲に壁を叩くだけでは壁はぶち壊せないしその先へ行くにはどう行けばいいのか何をすればいいのかを知っている。

ここで望むべきはまさに2つ目のキーワードとなるのは変化Transformが必要なのだ、と。

The definision of "Transform"

1. 変える、転換[変換]する
2.〔~の外形を〕変形する

3《数学》〔~を〕変換する《言語学》〔~を〕変形する
4.《電気》〔~を〕変圧する、〔~を〕直交変換する
5.《生物》〔細胞を〕形質転換する

この言葉は正に初期のハードロック・パンク路線である『The Wall』『Zombie』期を経て、エレクトロダンスの要素を音源に取り入れた『1982』『Electricity』、そしてこの二つの要素を融合しようと試みた『Moment』『Dystopia Parade』という大きく分けて3つのモードへとtransformationを繰り返しつつも壁を打ち破ろうとしてきた彼らのアティテュードと符合する。そう、Transformationという言葉でふとおもいだす節がある。

先にもレポーとした4/7にD×Q神戸で開催された『Dystopia Parade』Release Tour での出来事である。この日対バンのTiger&Dragonと言うインストバンドのアンコール時にArisa Zombieが急遽呼び出されセッション行ったのだ。この日のツイートで「エレママはもはやメンバー自体が音の微粒子だ」と断定したがそれを象徴するエピソードがある。

これがその時の動画である。


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そう、インプロビゼーションとは思えないこのパフォーマンス。正に彼女自体が音楽なのだ。そして先に述べた通りKenji Zombieのギターも然り。音色が凄くふくよかで、幻想的で、雄弁で、まるで言葉を放っているかのような印象があるのだ。正にしなやかさと強さと優しさこの三つはギターの音色だ、ボーカルの特質だの話ではなくもっと深い二人の音楽人としての核(コア)に起因しているかもしれない。

 

そしてようやくこここまできた。

このブログ記事もようやくこの二つのキーワード「tension(緊張)」「transform(変化)」とを内包した、正にイントロダクションで引用したこの言葉に立ち返る。

そう、あのファッションの革命王、Coco Chanelによる以下の名言である。

Don't spend time beating on a wall,

hoping to transform it into a door

 

壁がいつか、扉に変わってくれるだろうと期待して、

壁を叩き続けて時間を無駄にしてはダメよ。

(ココ・シャネル)

ここでのシャネルの意図とは恐らくTake an another View(違う視点でものを見よ)であるとかThink Differentだとかいうニュアンス、と捉えるのが正解かもしれない。でも私はもっとそれ以上にもっとオルタナティブな意味合い、いや、もっと情熱と衝動に溢れと、カタルシスを求める姿勢を感じたりするのだ。

そう、やっとこれを言う時が来た。

そう、このココ・シャネルの言葉こそELECTRIC MAMAの音楽そのものを言い当てているような気がしてならないのだ

そしてこの言葉を、全ての怒りに満ちた人に、ロックの神にに、ポップスの神に、音楽の神に、マイケル・ジャクソンに、イアン・カーティスに、パティ・スミスに、Nine Inch Nailsに、オアシスに、カート・コバーンに、ジャニス・ジョップリンに、ジョン・レノンに、そしてこの記事の最高の主役、Electric Mamaに、Arisa Zombieに、Kenji Zombieに最高の差し入れとして捧げたい。そして、この14263文字にも及んだこのブログ記事にピリオドを打ちたい。


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情熱と衝動とカタルシスとエレママ と〜日本屈指のNWバンド、 Electric Mama 爆裂レビュー〜vol.1

【to be continued】

 

*1:

www.chanel.com

*2:関西発の主に音楽に関するエンタメはこの辺りの関連記事を参考に。

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

*3:この時期については以下の記事を参照にした。

tower.jp

*4:

ja.wikipedia.org

*5:「普通じゃない」のmvについてはこの辺のインタビューが参考になる。

jrocknroll.com

*6:エレママには更に唯一のDVD作品『Dual Core』も存在するがこれが死ぬほどカッコ良すぎる。扇町パラダイスで撮影しているが所謂ライブ映像ではなくこれは映像作品としてMVとしても素晴らしいもう至高の一枚。曲目もしっかりまとまっているので敢えて曲はいうまい。実はお土産にバーペガに持って行った。自分用にまたもう一枚買おうw。

*7:本論と全く無関係だが映画『Cosmetic DNA』に関するレビューはこちら。

nenometal.hatenablog.com

*8:Arisa Zombieの曲演奏中の動きとか曲中にて「そうさ!」と掛け声のように入れる場合があるがMJの影響を受けていると個人的に思ったりしている。

*9:The Doorsに関して。

ja.wikipedia.org