NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

【抜き刷り記事】 What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

抜き刷り記事】

What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

本稿では「ライブハウス・バンド・音楽」という3点のプリミティブな議題に立ち向かって音楽のもたらすステイタスについてさらに考察していきたい。

 

Case(1);ライブハウスとは?

まずはライブハウスについてで、以前書いた記事『ビッチフェス2020』にて出演者であるWho the Bitchボーカリストであるehi氏の「新宿ロフトめちゃ好きです!」という魂の叫びにも似たMCが印象的だったが、バンドマンにとってのLOFTって非常に大きい意味があるんだろうなと思ってた所偶然、このビッチフェス2020の翌日だっただろうか書店にて今年出版された面白そうな書籍に出会した。
 そう、ちょうどビッチフェス2020が開催された新宿LOFT中心に世界規模で「loft系イベント/ライブハウス」として展開しているライブハウス「ロフト」創立者である、平野悠氏の主に創設から今に至るまでの布石を描いたいわば「まんが道」に準えると「ライブハウス道」ともいえる青春期を主に描いた著書『定本ライブハウス「ロフト」青春期』である。

定本ライブハウス「ロフト」青春記

定本ライブハウス「ロフト」青春記

  • 作者:平野悠
  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 単行本
 

この本の中でとても興味深いことが書かれているので一部引用すると、

 

【結局のところ、私がロフトという空間でやってきたことは、ただ一つなのだ。それはつまり、内なる感情が爆発して、とても五線譜には乗りきらない音を紡ぎ出す表現者を支持して、その歌声をライブハウスという空間でお客さんと共有し、一緒になって感動すること。ミュージシャンやお客さんとの有機的なコミュニケーションこそ日本のロックの、そしてロフトの原点がある】(p.p.304-305)

 

というまさにライブハウスの原点のようなことが記されているが、この一節を見てふと思い出すことがある。Who the Bitchの単独ライブ「攻めビッチ将軍」が終わった後の打ち上げ配信での一コマである。その中でehi氏は以下のように述べている。

 

「それぞれの生活の中から、このライブハウス を選んでくれてっていうこう言う繋がりや、肩を触れたことすら無いお客さん同士が繋がっていくと言う事を大事だと思ってて。」

 

ここで言うまさに平野悠氏の述べる所の【ミュージシャンやお客さんとの有機的な繋がり】とehi氏の言う【お客さん同士の繋がり】の意味とが全く同じニュアンスで発せられていると言うことに気づく。更にこれに関係して言うのだが、『ビッチフェス2020』しかり、「攻めビッチ将軍」然り、他の配信ライブでも実感してる点なんだけどWho the bitch が登場した瞬間、PCが一気にステージへと変貌していくのを感じるし、演奏は激しくなっても、ラウドなサウンド展開に埋まらずに歌詞の言葉もMCで言いたいこともシッカリ伝わってくるのだ。これは別に、2人のボーカルのバランス関係や曲間のタイミングの絶妙さという技術的な面ばかりではなく、顔面シールドやスクリーンを超えてライブ空間をオーディエンスと共に作り出そうという気概が充分に伝わっているからだと思う。十分に配信ライブでも「繋がり」は生まれるし、配信ライブにおいても Who the Bitchのアクトからはビシビシ伝わってくるものがあるのだ。だからこそ今回『ビッチフェス2020』を妥協案としてではなく真っ向勝負モードで開催できたのではないだろうか?*1

 

Case(2);バンドとは?

さて、先ほど「(有機的な)繋がり」という言葉が出てきたが、次にbandとは何か、について考察してみよう。そもそも単語としての【Band(バンド)】とはどういう意味だろうか調べてみると興味深い事実が出てきたのだ。以下のブログ記事を参考にされたい。

blog.livedoor.jp

抜粋すると以下のような記述がある。

 

「band」というのはもともと「bond」から来ているそうだ。
「bond」には「結びつき」という意味がある。

そこに「band」、つまり、それらをくくりつける帯(ベルト)の意味をニュアンス的に「bond」に上乗せしたのが、「バンド」である。

つまり、バンドっていうのは、あらかじめ確立された集合体ではない。ひとつひとつの別々なものを、一人一人の別々な個人を、ただ、帯で結んでるだけの集合体なのだ
あらかじめ同じ箱に入れられるために、同じ製法で作られた商品のワンケースじゃなくて、勝手にいろいろな場所で知らず知らずに出来上がったものを、ひもでくくって一つにまとめただけなんだ。

 

そう考えると、bandと一口に言っても必ずしも我々が常日頃からギター・ベース・ドラムなどのいわゆる楽器や音楽的センスに秀でた集団だけを指すのではないことが分かる。例えば、あるバンドがライブをするということになれば、そこに集いし【音楽に魅せられ、熱狂する者】たち全てが広い意味で「band」という風に解釈できるのではないだろうか。これは半ば強引な結論のような気もするが、そう確証できるのがまさに今回11バンド、熱狂的なオーディエンス、そして音楽の神が絆で結ばれる一日限りの【バンド】が結成されたと断言して良い。これは「ビッチフェス2020」を体感したからこそそう強く思えるのだ

そして更にこのビッチフェスにて一人一人を結ぶ帯として機能するbandlerとは何かというと答えははっきりとしていて、勿論ehi氏が配信やMCでも時折口にしている「絆」に他ならない。

*2

 

Case(3);音楽とは?

さて、ここで音楽というテーマにぶち当たってきたがここでは1960s辺りのビートルズの出現から50年以上に渡る音楽史を述べてライブやライブハウスのあるべき姿について語り尽くそうとかやってたら多分ブログの収集がつかんと思うので(当たり前じゃw)この節では音楽リスナーとして音楽やバンドをいかに盛り上げなければならないかについてやや暴論めいたものをかましたいと思っている。

私個人の音楽遍歴を申し上げると、90年代以降、洋邦問わず、POPsを中心に皮切りにいろんな音楽を聴いてきたように思う。幼少期に聞いた童謡などを除いて初めて聴いた好きな曲は、おそらく中学校時代に英語の授業で聴いた『We are the worldで、始めた購入したCDがWham!の『Last Chistmas』などの収録されたクリスマスコンピレーションアルバムだったと記憶している。*3そして最初にドハマって購入した(俗にいうヒット曲として人につられて、ではなく)【自分のアイデンティティとしての音楽】はコーネリアス『69⚡︎96』というコンセプトアルバムである。それから世間にあふれる小室哲哉ブームが起ころうともあの辺のエイベックス系の音楽は忌み嫌っていた。自分の中ではそう流行り物などせせら笑いながらロッキンオンジャパンの提唱するサブカルロックにのめり込み、ミッシェル・ガン・エレファントサニーデイ ・サービス、フィッシュマンズAIRスクーデリア・エレクトロなどを聴きあさってライブにも行くようになり完全にメジャー方面には目もくれず、むしろ彼らが影響を受けてきた60年代〜70年代の王道ロックから90年代以降のニルヴァーナradioheadmy bloody ValentineSonic Youthなどなどイギリス、アメリカ問わずオルタナティブ・ロックもかじつつ「サブカル視点と音楽センスとを持ち合わせている音楽マニア」のまま邁進していたと自覚している。(←字面にするとホントイヤなやつ&恥ずかしい事かぎりなしw)

.....とここまで書いてきて私って今まで結構な数と種類の音楽を聴いてきているではないかということに気づかされる。しかもこれだけに留まらず、2000年代になろうとも2010年代になろうとも2020年代になろうとも未だに良質な素晴らしい音楽を発掘し続けているのだ。しかも、最近は70sのマイルス・デイヴィスのエレクトリック期にこそ最も過激なロック魂を見出したり、ここ最近かなり台頭してきたBiSHなどのアイドル勢にこそ普通のロックバンド以上にオルタナティブ性を見出したすなど独自の音楽的視点で考えたりもしている、いや、当然のように誰も反応していないんだけど(爆笑)。

でもこれは私だけの自己満足から派生した自慢だけではなく、同じような、いや私などよりももっと無限大に聴いてるミュージックフリークスって数限りなく多いと思うのだ。

にも関わらず音楽のフイールドっていつの間にかロッ◯ンオンなどのような音楽誌などが一押しの彼らが思う大名盤総合ディスクレビューなどで絶賛したり、或いは彼らの批評眼でもってマズいものはマズい、と断罪したりで賛否両論巻き起こし、ある種のムーブメントを起こしていたものだが、あの頃(1990s後半~2000s初頭)とは違って単なる広告屋に成り下がってしまった印象を受ける。そういう批評家達による真剣勝負の音源等をジャッジする機構が欠如してる今のこの状況では、音楽のレベルを著しく格下げしてしまうし、現状音楽シーンを彩っている音楽にはそういう側面も否めないのではないだろうか。

 さて、ここで暴論かまします。ガンガンインプット量の多く、決してそこに溺れることのない飽くなきまで探究心を備える音楽マニア達は「もっと大きな声で、色んなところで彼らの思う良質な音楽を本音語り尽くし、シーン全体に影響力を及ぼす実力がある」と思うのだ。

 だって考えても見てほしい。他にも趣味としてカウントされるスポーツでも、料理でも、釣りなどでも、或いは読書でも、カメラでも、絵でも良い。どの世界でもそれを生業としているプロフェッショナルとは別に「マニア」がいるでは無いか。そうしてそう行ったマニア的存在を目の前にそれらのマターに手を染め始めた所謂「ビギナー」達はその存在価値すら打ち砕かれてしまうではないか。でもそうした壁に立ち尽くし、辞めるか、粘っていくか、その人の趣味人生の有無が決定するではないか。

 それに引き換え音楽フィールドに話を移してみよう。

 

「音楽なんて初心者もマニアもないんだよ。」

「音楽にごたくは要らない。"好き"なものは皆平等だ。」

「音楽なんて、楽しけりゃ良いじゃんね。」

 

 などと、例えば途端にある曲のギターフレーズに60年代のある音楽の引用を見出すようなことを言ったらそういうトーンのようなことを返されてしまうのが関の山である。

 言い換えれば、こちらが音楽の聴き方の話をしようとしてるのに「音を楽しむ=音楽、って良いよね」というプリミティブな音楽自体の話へと引き摺り下ろされてしまうのだ。何よりもろくに音楽媒体に一円たりとも投資することがなく動画サイトのストリーミングのみしか音楽を聴いた事のない人間と、ここ何十年とiTunesデータをテラ単位+ヴァイナル何百枚と所有している人間が同じ「音楽ファン」というフィールドで並べられるのはどう考えても異常だと思う。

これは誤解してはいけないのは、これは別にマニア側が初心者にけしかけてマウントを取れと言っている話ではない。ただただ、初心者は初心者、として温かく見守り(というかほぼ無視しても良いんだけど、助けを求めて来れば手を差し伸べれば良いしね)こちらは音楽ヘヴィーリスナーとして堂々と構えていればいいだけの話。こちとら目利きの音楽マニアだ。ジャケット見るだけで、チラッと演奏シーンの動画を見るだけでそのバンドの良し悪しがすぐ分かるではないか。言っちゃあ悪いが、タイムラインで「これだよ、このバンドだよ!みんな聴いて。」って紹介してたあのビジュアル系崩れのバンド、ものの1秒で地雷だと分かったし、一生聴く事はないだろう。あと最近武道館まで行った某若手バンドのギタリストよ、君らは今でこそ、そこそこ売れているが「レッドツェッペリンばりのギターリフを彷彿とさせる、ってよく言われるんだけど全く聴いた事ないんです。」ってそれを堂々と言ってるのを聞いたことがあるがそれって無知ってことなんじゃないの? その道のプロフェッショナルの癖になぜ大先輩のレジェンドの音を聞いたことないってもう致命的ではないか。これは賭けても良いぐらいだが、多分君らはこの先5年も持たないと思う。君らよりもずっと深くインプット量の凄まじい音楽リスナー達は、すぐそう言った度量の浅さってか薄っぺらさなんてものはすぐ見抜いてしまうよ。だから音楽リスナーよ、もっと自信を持とうではないか。

もっと熱く語って、シーンに猛威をふるうべき価値はあると思う。

最高のミュージックとそれを奏でる音楽家には最高の評価をする】権利があるのだ。

だから長々と言ってきたが、この節のGrand Conclusionとしては『ビッチフェス2020』に出演している全11バンドの全てが私が辿ってきた全音楽人生の中で経験してきたライブの中で最高・最強のフェスだと結論付けられる権利があり、これから我々はここに集いし全11バンドを、今後も熱く語っていく事によって更に伝説にする義務があるのだ、ということである。

*1:先日の2015年リリースされたDVD配信後、飲み会配信と化したのだが、ehi氏は興味深いことを言ってて配信ライブというスタイルにそろそろ人は飽き始めている空気を感じるらしい。そこで新たな試みが展開されなけれならない、と言っている。そういう意味ではこの人のアンテナの広さは凄いものがあると思う。

*2:ふと本題から外れるが、この「ビッチフェス2020」では様々な対バンの人達が放つ「ビッチ姐さん』「ビッチ先輩」っていう呼称ってなかなかインパクトありますよね笑

*3:英語の教科書付属のCDに『We are the world』が収録されてて九州の田舎中学生(私)は「 アメリカンはお洒落バイ!」とCDを死ぬほど聞きまくってたら、某日ラジオで流れた歌声と違う事に気づき、よくよく教科書を見てみるとトムやナンシー等の会話担当者達の歌声だったと知り激しく萎えた件を思い出す。

ようこそ、ここは映画『#ひとくず 』の名セリフ・名シーン・ネタバレありのディープな感想etc...を語り尽くす #おいくず 様達のリビング・ルームです!

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 さて、前回の記事にて映画「ひとくず 」の13000字以上にのぼるレビューを執筆した。

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去年(2020年)の11月の公開以来、もう半年以上もの間舞台挨拶を敢行してその努力が実ってとうとう2月には初のシネコン舞台上映までにたどり着き、ここ最近はあの日本映画界の巨匠山田洋次監督から高評価をゲットしたまさに「令和における叩き上げの傑作」ともいえる監督から脚本から何から何まで手がけた上西雄大率いる劇団テンアンツ による『ひとくず 。』

この映画が素晴らしいからという理由に尽きるんだけど、記事発表当時、本ブログ開設以降最高アクセス数を記録した。あと結構Facebookのブックマーク数も過去最大級に上り、そういう意味で私にとっても超絶記念すべき有難い映画であると断言できる。

nenometal.hatenablog.com

 そしてこの映画の勢いは止まるところを知らず、来月6月には東京にて再再度の上映がなされさらに今後も様々な地域での上映が予定されているらしい。

で、今回またその辺りを書いてしまうと13000時以上超えてしまってはマズいので(笑)それと同時並行して実はこういう企画が持ち上がっているのだ。

 

こういうのって音楽文脈だと、ツアーが終わったらネタバレOKってな感じでセトリを公開できるだとか、仕掛けなどもガンガンツイートしても良いっていうある種の区切りがあるものなんだけど、映画の世界は特にヒットしてロングランしてしまえば、ストーリー展開は愚か、台詞の一つ一つがネタバレの範疇に入ってしまい、もう言ってしまったらネタを書いたり話しりするようなチャンスがこの上なく0になってしまうのだ(笑)

だから、オフ会などを設定して実際にお会いして語り合う以外にも、最近ではclubhouseとかスペースであるとかファンダム同士で話し合う媒体はあるっちゃああるんだけど、ジックリと書きこめて互いに返信したりし合うような媒体ってブログのコメント欄か、5ちゃんねるみたいなああいう掲示板ぐらいしかないんだな。

そんなことを思って今日以下のような事を提案した。

 

 

そこで先の記事の掲示板だとそこにたどり着くのは長いスクロールを要するのでこの場を新たに設定して、lineのセリフとして候補にな理想なもの、ネタバレ本音トークなどもできるステーションをここで開放しようと思いたったのだ。

(これはもはや懐かしい掲示板文化の復活かもしれませぬw

で『ひとくず 』のような素晴らしい映画好きな方々だったらあーだこーだ特に細かいルールなど定めなくても良いので、良識の範囲内であればもうどうぞご自由に書き込んでくださいませ! という企画である。

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さぁ!Let's write your opinion, with your feeling, freely!

映画『ひとくず』爆裂レビュー〜エンタメの未来を見据えて〜

1. 映画『ひとくず 』〜概観とレビューの狭間で

気に入った映画は何度でもリピートしたいものだ。これは映画好きなら誰しも経験のあることだろう。私の場合2度目以降はストーリーやネタ云々は既に頭の中に入っているので、むしろ自分の好きな場面、気に入ったセリフにもう一度再会したい、この空気感に浸っていたいという思いの方が強い。もっと言えばこれでこの作品を観る事に関してこれで最後にしたくないから何度もリピートしてしまうのだ。

その意味では、ここ最近では劇場での鑑賞という事での洋画部門一位ではダントツで『Wonder Woman1984』の11回、邦画部門では『アルプススタンドのはしの方』が13回という最高回数を更新している。この数値はいずれの作品も円盤や配信がリリースされているのでもはや記録が伸びる可能性はあまり残されていないのだが、今後特別上映だからでチャンスさえあればできるだけ映画館で観たいと思っている。と言ってもこの回数は「熱心な映画ファン」というフィルターをかければそこまで多い方ではない。というのも30回以上とかザラで、中には100回以上とかいうとんでもない鑑賞回数の人に出会ったりする。でもよくよく考えれば10回以上鑑賞できるってのは奇跡に近いのだ。だって上映期間は例えば普通のインディーズ映画の場合2週間くらいってのがほとんどで、上映期間中全日程映画館に通わなければならない。この偉業を成し遂げるには、ほぼほぼ映画館に同時間帯に通いづめでなければならない。

これは社会人ならともかく割と時間に拘束されない学生などであっても達成不可能だと思う。

では一体何がこの奇跡の「10回以上鑑賞」を可能にするのか。

もう答えは明らかで、ズバリ一重に「ロングランからの拡大上映」に尽きると思う。この最強コンボさえあれば観たい時にいつでも映画館に足を運んで観に行くことができるだろうし、今日午後の劇場がダメなら明日の夕方の隣町劇場へみたいに非常にフレキシブルに鑑賞することができるではないか。

その為には映画をある程度ヒットさせる為に舞台挨拶やラジオ出演、チラシ配りその他諸々などのプロモーション活動も必要とさせるんだろう。その意味で驚くべきことに何と去年(2020年)の11月の公開以来、もう半年以上もの間舞台挨拶を敢行してその努力が実ってとうとう2月には初のシネコン舞台上映までにたどり着いたまさに「叩き上げの傑作」ともいえる映画作品が存在するのだ。

それが今回レビューする『ひとくず 』である。

まずは予告編とあらすじをご覧いただきたい。


www.youtube.com

hitokuzu.com

【Rough Story】

生まれてからずっと虐待の日々が続く少女・鞠。食べる物もなく、電気もガスも止められている家に置き去りにされた鞠のもとへ、犯罪を重ねる破綻者の男・金田が空巣に入る。幼い頃に虐待を受けていた金田は、鞠の姿に、自分を重ね、社会からは外れた方法で彼女を救おうと動き出す。そして、鞠の母である凜の恋人から鞠が虐待を受けていることを知る。

虐待されつつも母親を愛する鞠。
鞠が虐待されていると確信した担任教諭は、児童相談所職員を連れてやって来るが、鞠は母の元を離れようとせず、保護する事ができずにいた。金田は鞠を掬うため虐待をする凜の恋人を殺してしまう。凜に力ずくで、母親にさせようとする金田。
しかし、凜もまた、虐待の過去を持ち、子供の愛し方が分からないでいた。
そんな3人が不器用ながらも共に暮らし、「家族」の暖かさを感じ本物の「家族」へと近付いていく、、、。

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 本作品の5回ほどの鑑賞の中で、初回を観てまずインパクトを放ったのは、空き巣を生業とする金田匡郎(かねだまさお、以下、「カネマサ」と呼称する)が侵入したこの家の少女のあまりにも痛々しい姿。彼よりも一足先に我々が目にしたのは心と身体に傷を抱える孤独な少女・北村鞠(まり)だった。実際にこういう状況下に置かれてる子供を実際に撮ったんじゃないのか?と思ってしまうぐらいに生々しかった。

 朝方のまだ薄暗い部屋の中で空腹に耐えかねて空っぽになったマヨネーズやマーガリンの容器をしゃぶっている様に一瞬目を逸らしかけてしまった。本来ならば、金品かなんか強奪して足早に逃げ去って行くはずだった彼はふと足を止めてしまったのは、その彼女の逃走しようにも逃げられず膝を抱え涙を浮かべるその姿を見たから。かつて同じように義理の父親から殴る蹴るなどの虐待を受けた傷痕の痛みと家族愛の渇望に耐え続けた自らの少年時代がオーバーラップしてしまったのだ。

 そんな彼の失われた家族愛に満ちた少年時代を取り戻すかのようにカネマサは彼女に服を買い与え、食事を与えるなど、鞠に惜しみない愛情を注ぎ続けようとする。そう、「血の繋がり」だけが家族ではない。かつてそう言う題材は何年か前に日本アカデミー作品賞を受賞した『万引き家族』にもあったテーマだったと思うが、まさにそんな事を教えてくれる、これは鑑賞者の多くが感じるように最強に柄悪き“ダークヒーロー”だったことを強く印象づけられたものだ。

 そしてこれは特筆すべき点であるが、本映画はそもそもテーマがテーマなだけに涙を誘う作品でもあるが、その鑑賞者の涙の50%以上の水分を持っていくのが北村鞠ではなかろうかと思う。それだけこの鞠を演じた、いや演じられた💦、この子役俳優の小南希良梨ちゃんさんの演技はものすごく惹きつけられた。先ほど空き巣でガラス割って入ってきた大人の男に「食べたい物は何か」と聞かれ「ラーメン!」と即答で自己主張したり、そのカネマサに対して「泥棒のおじちゃん」とついつい言ってしまうピュアさと、逆に虐待を受けた手首の根性焼きの跡や、胸のアイロンの傷跡を隠してしまうナイーブさとが共存するあの素人目から見てもわかる困難を極めるあの役柄を見事に演じ切っていたのだから。

*1

 

あと2回目鑑賞以降は、焦点になったのは以下2点。

❶まず一つは、登場人物の心象風景が更にクリアになってきて、カネマサと凛とが罵詈雑言をぶつけ合いながらも徐々に二人の距離感が縮まっていく感じが個人的にはとてもリアルに感じた。これは近い将来の話だが、『ひとくず 』は小説化されるらしいが、だとしたらもっとカネマサと北村凛との心理描写や心情の変化その他諸々知れそうだからこれは自分含め、観た人ももっと内容を深く楽しめそうだと思う。

❷もう一点は、彼を少年時代から知っている同年代のベテラン刑事、桑島利康(空田浩志)がいるのだが、彼がわざわざ髭剃って臨もうとする娘の結婚式の前日にカネマサの元を訪れ、再就職先を紹介したりと、もはや刑事vs犯罪者」という立場を超え、この人こそ、カネマサの家族的存在に限りなく近い彼の唯一の理解者だったのかも思ったりもする。

 

 そして3回目鑑賞以降ぐらいになるとどうやら妄想味が帯びてきているので、主に気づいた点を❶〜❸と更に三点ほどに細かく箇条書きすると

❶まず、青年カネマサがある事になって留置所に入って、少年時代からほとんど愛情を注ぐことのなかった母親が彼と面会するシーンがあるのだが、ここでの青年カネマサが完全に上西雄大ヴァージョンのカネマサになっているのに驚愕する。いやほんと、この青年期を演じてるのは山本真弘という若手の俳優さんなんだけど口調から表情から何もかもあの上西氏の姿が透けて見えるのだ。これほんとビックリする。あの面会シーンでのもう一人のカネマサである山本真弘を通じて、完全に上西雄大ver.のカネマサと口調や空気感だとかが完全に符号している瞬間に立ち会うの何度観ても鳥肌ものだった。あと、更にもう一人のカネマサこと、少年時代のを演じた中村むつき君という子役の演技もヒリヒリとして凄かったな。彼が青木健次(城明男)なる(多分私的映画鑑賞史上最も憎たらしい役だと断言できるほど)憎たらしいあの義理の父から根性焼きやら殴り蹴るの暴行を受ける場面で、泣き叫ぶ姿はもう驚くほどリアルで何ならあの引き詰めたような叫び声はい未だに脳内再生できるほど深く記憶に刻まれている。

❷もう一人(私的映画鑑賞史上先ほどの青木健次に次いで二番目ぐらいに)憎たらしい役が、あのいたいけな鞠にアイロン押し付けたり、我々の知らぬ所で数限りない非常なる暴力と虐待の限りを尽くしてきたであろう加藤博(別所篤彦)こと、ヒロ(彼もあまりにも憎たらしすぎて君付けしたくございません笑)という名の凛のボーイフレンドが出てくる場面について論じたい。彼が鞠へ別に行きたくもないであろう別荘に連れていくとか行かないとか言う話の中で「ありがとうございますと言え!(これがめちゃくちゃ舌ったらずな口調なのだ。多分彼はラリってると言う設定なのかなとか個人的に思ったんだけど)」とかめちゃくちゃな論理で感謝の言葉を強要する場面があるのだが、そのシーンの回想場面でちょうどラスト付近で凛が鞠へのこれまで愛情を注がなかったことへの謝罪の「ごめんなさい」という言葉とがドンピシャにスクリーン上でオーバーラップするのだ。

「理不尽な感謝と心からの謝罪」このような場面がクロスする編集は果たして意図的なものだろうか?

 ❸あと最後にこれはかなり妄想の極地なのだが(笑)ラーメン屋然り、焼肉屋然り、カフェは意外と大人しかったが、飲食店の店員への塩対応っぷり、怒らせっぷりの甚だしいカネマサに対して唯一全く動じずクールに対応したケーキ屋の女店主だが、彼女も実は幼少時代から暗い過去に起因する心の闇を抱えてて、彼の瞳の奥の深い哀しみを感じ取ったからこそ冷静でいられたのかも知れないなんて思ったりしてね。まぁそれはまたいずれ来るべき「ひとくずスピンオフ」にて楽しみにしておこう(多分ありませんが笑)。

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....という訳での他の細かい人物描写などは後述するとしてこの『ひとくず』が児童虐待・殺人等ヘヴィな内容を含んでるにも関わらずセンセーショナルすぎず、人の優しさに触れた時に溢れる喜怒哀楽どれにも属せぬ感情に起因する涙を誘うようなセンチメンタルになりすぎない、大きな意味でのヒューマニズムを感じる作品に仕上がっているのは一重に役者たちの演技力のもたらすところが大きい。

 ただ一点思うところがあって付記するが、公開から現在もtwitterのタイムライン上では『ひとくず 』の関して「リアルな演技」「リアリティがある設定」「ドキュメンタリーのようだ。」という意見が大半なんだけど個人的には少し異論があって、リアリティとは言ってもあくまで映画におけるリアリティを遵守してはいるが、その「映画リアリティ」を鑑みたとしてもやや一歩誇張した演技が主体である、と個人的には捉えている。

もっと噛み砕いて言えば本作品には舞台演劇的な演技と設定が下地にあるのではないかと思ったりもするのだ。

 本作はそもそもが劇団テンアンツが主体として制作や運営しているだろうからそれも当然なのかもしれないが、本作は全キャストの演技が各々200%以上は全力投球した形で炸裂してる点も見所だと思う。

 本記事では主に本作出演役者と、彼らの展開しているプロモーション活動に焦点を当てエンタメの果たす役割とは、或いは今後のエンタメのあるべき姿などについて模索していきたい。本記事の構成は以下の通りである。 *2

[:Table of CONTENS

1. 映画『ひとくず 』〜概観とレビューの狭間で

2. 『ひとくず 』ここに注目

2.1 舞台挨拶〜役柄と素顔の狭間で

2.2 演技論〜役柄と役柄の狭間で

2.3 演出論〜作品と作品の狭間で

【Case1;アイスクリーム】 

【Case2;観覧車】

【Case3;舞台版を見据えて】

3.エンタメ論〜過去と未来の狭間で]

 

2. 『ひとくず 』ここに注目

2.1 舞台挨拶〜役柄と素顔の狭間で
これまで、私が鑑賞した回数は計5回。そのうちの4回が最早彼らの本拠地ともいえるシアターセブンで、もう一つはかなり華やかに行われたなんばパークスシネマでの出演者木下ほうかさんもゲストに迎えて開催されたのだが、全ての映画上映終了後にリモート含めて必ず舞台挨拶が行われている。その中でもいつも印象に残るのは、監督であり、主演であり、脚本などこの作品に関する事全て担当しているこの上西雄大さんの「カネマサじゃなさっぷり」にいつも驚かされてきた。何せ、人の家にズカズカ入って金盗むはラーメン屋の店員にブスだ、皿持ってこいだなど理不尽な注文をしたり、ある時は人を殺害してしまったりと、あのはた迷惑極まりない人道外れた男、カネマサ演じる上西雄大さんが、もう事もあろうになんと舞台挨拶立った時に「ものすごくソフトで腰の低いご丁寧な紳士」だった日にゃもうのけぞってしまった。

個人的にもっとビックリするのがあの育児ネグレクトの母親・北村凛を演じた古川藍さんも圧倒的なギャップを感じた方である。いや、これは確かにもう一人の女優、昔のカネマサ の母、金田佳代を演じた徳竹未夏さんも役柄とは違って実際もの凄く愛想のいい方でそのギャップたるや半端ないのだが、古川さんの場合、もう全くと言って良いほど雰囲気が違いすぎて、最初観た時、本人が壇上に出てこられて「北村凛を演じました古川です。」と自己紹介しても「え?こんな人いたっけ?あの清楚な感じからすると凛って先生役の人だったっけ?」とか少々混乱してしまったものだ。

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なお、舞台挨拶では主にこの映画のテーマが「児童虐待」になぜ上西氏が行きついて今回脚本化したのかというきっかけや、テーマがテーマなだけに子役たちへの心理的影響に配慮しつつ行われたなどの撮影裏話・苦労話や、この作品のキャストや制作の支柱をなしているこの劇団テンアンツの役者として他にもどのような現在作品に取り掛かっているかなども話されていた。ちなみに本作と同時並行でもう7本ほど作品ストックがあるらしい。なんという才能の嵐よ、上西氏、これ本気で思うが、ここまでプロパーレベルに留まらず、マルチな才能を見せる感じは、今を生きる令和の「ウィリアム・シェイクスピア」か「ウォルト・ディズニー」に匹敵するのかもしれない、これは大袈裟ではなくマジでそう思う。

 あと本作の一つ前のテンアンツ中心の作品である人情コメディ『恋する』舞台にもなっている焼肉屋『さしの花』も経営しているそうで、帰り際に鑑賞者限定で1000円割引券なども配布している。*3

そうそう、配布ついでにもう一つ付け足すと、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」が記された映画名場面バッジなども無料で配布していたりするこのキメの細かさってかサービス精神の素晴らしさ。一体、何者なんだ上西さん、というか劇団テンアンツの方々よ。*4

 とにかくこの20~30分の舞台挨拶では治らない濃い話も尽きることなく、本当こうした点も「おいくず」と称されるいわゆるリピーターが数多く存在している要因であろう。

ただ2月19日に開催されたなんばパークスシネマでの初日の舞台挨拶は、セブンシアターで普段行われているもの以上にかなりセレモニアルな雰囲気で開催されててこの辺り以下の記事が詳しく書かれているので以下、あげておこう。

https://cineboze.com/2021/02/21/hitokuzu_20210219/

それにしてもこの日、上西氏は以下の写真でもわかると思うが、この華々しい舞台で序盤無表情だったのだが、「あれ?連日の撮影やプロモーション活動でどこかご体調でも悪いの?」とか意外に思ってたんだけど挨拶にたった瞬間その理由がわかった。

そう、最初に放った挨拶で

「みなさま...本当に(声が震えている)....このような折に......こんなにたくさんの方に劇場に来ていただきまして...本当にあの.....心からお礼申し上げます。有難うございました。」

おお、「有難うございました」がこれほどエモーショナルに響く事など最近あっただろうか?
そう、隣にいた木下ほうか氏に即座に「あれ?泣きそうになってない?」と突っ込まれてたが、上西雄大氏は完全に感極まっており溢れる感情を押し殺すかのように終始無表情を保っていたのである『ひとくず』はテンアンツ の人々がコロナ禍にも対峙し、闘争し続けたからこそのロングランかつ今日の舞台挨拶上映だったのだ。兎にも角にも音楽に例えると、LIVEハウスを中心にやってきたバンドがとうとうホール級のコンサートツアーできて、その初日のMCかってくらいぐらいのセレモニアルな感動的な舞台挨拶でございました。

この日の勇姿を見て、あのカネマサなら例のぶっきぼうな調子でこう言うかもしれない。

「お前ら、なかなかやるじゃねえか。」

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2.2 演技論〜役柄と役柄の狭間で

本記事はどちらかと言えば『ひとくず 』一辺倒というよりもっと映画やドラマなどの役者の演技や演出などにも包括的に語っていきたいので役者論みたいな感じで語らせていただくと、何と言っても主演・監督の上西雄大さんの演技面に行ける幅の広さについて述べていきたい。二回目、それこそ2月19日のなんばパークスシネマで観た翌週だっただろうか、私は個人的に円盤出たら絶対買うぐらいハマっているドラマに『孤独のグルメ』があるが、孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』をたまたま視聴していたのだ

ここが凄いこと、かつ重要なことなのでもう一回言っておく。

孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』をたまたま」視聴していたのだ

当然びっくりしますわね。な、なんと上西雄大さん、しかも同じテンアンツかつ夫婦になりかけた凛さん役の古川藍さんまで思いっきり出てるやんけ!!と言うことに気づいたからだ。
この時あのカネマサとは違った柔らか〜い関西弁のトーンで五郎さんに

 

京都の上西はん「お酒、飲まれないんですか?」

井之頭五郎「私、下戸なんです。」

京都の上西はん「え〜、(酒を)めちゃくちゃ飲みそうやのに。」

 

こう文字で起こしてみると初対面の人に対して結構失礼なこと言っている気がしないではないが、でも決して嫌味にもなっていなくてむしろ気品すら漂わせていて視聴者は「京都っぽい人だ」という印象を受けたに違いない。多分カネマサだったら五郎さんと殴り合い上等の喧嘩になって....ってか松重さんも大概喧嘩強そうだもんな。作風も打って変わって『ゴジラ対コング』ではないが、『カネマサVS五郎』みたいな展開になってしまったのかもしれない。

でもここではもう佇まいから喋り方から、若女将から上品に料理皿を受け取るその姿からもう『ひとくず』の【皿持ってこい】【ブス】と言い放ったあのカネマサの片鱗もなく京都在住の穏やかな中年夫婦にしか見えなかった。もうカネマサにブスだのなんだのボロカス言われて気の毒なラーメン屋や焼肉屋の女性店員たちが観てもあれが同一人物だとは信じられないだろう、って完全に作品同士が錯綜してるんだけどさ。

 そうそう、あと因みに古川さんも最初に空腹で頭の中の200%ぐらい鰻(丼)で占められている井之頭五郎さんが鰻屋に行こうとしてたのに「本日閉店」の烙印を押すサッパリとした女性店員さんに徹してたのも更に驚きだった。

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(from『孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』)

で、数年前に既に放映してしまっているものを「予言」とい言い切ってしまうのは非常に厚かましい話なのだが、実は私は密かに『ひとくず 』と『孤独のグルメ』に共通点を感じていたのだ。以下の私のツイートを見てみよう。*5

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これ微妙に凄くないすか?孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』を観て彼らを発見する前のツイートである。しかも「うなぎ」と「女性店員」と言うキーワードをものの見事に当てているのだ。でもなんとなく『恋する』も観てて思ったけどテンアンツと『孤独のグルメ』の空気感はすごく似ている。今後も誰か出演しないだろうか?あの刑事さん役の空田浩志さんが中華料理屋店主とか、先生役の美咲さんがイタリアンの店員とかも良さげな感じ。*6

あともう一点。個人的に色んな映画を観てきて「役者の演技が上手いか否か」がどういう場面で分かるか?を考えた時にその最大の基準は「朝起きて目覚める演技」にあると思う。
何せ実際には寝ていないのに、まるで夢から覚めたかのように振る舞うのは至難の業だろう。

その意味で上西雄大氏の「起床」は至高を極めていると思う。

 

❶『ひとくず』冒頭で目覚める(起こされる)カネマサ
❷『ひとくず』中盤で朝起きるカネマサ
❸『恋する』冒頭で目覚める高橋勇司

 

❶〜❸全部同じ起床シーンなのに全てリアルでかつ表情なども異なって、全て各々の夢から目覚めたんだろうと思わせるこのバリエーションは凄いと思う!これはちょっと悔しいんだけどここ4年ぐらいずっと推してると言うか憧れてる私の大好きな某ハリウッド女優さんの起床の演技シーンより遥かにリアルで圧倒的完全圧勝でございました。恐るべし上西雄大

 そうそう、『孤独のグルメ』が話題に出たついでに、もう一つ両作品の役者におけるリンク点を述べさせて貰うと、『ひとくず 』に運送業上司役で田中要次氏が出てるが彼の演技の振り幅にも毎回圧倒される。
個人的に度肝抜いたのは『孤独のグルメ1』の吉野役。かつて堅物な五郎の友人だったが、時を経てリサイクルブティック営んでる彼を訪ねるとなんとオネエ様に変貌してたというシーズン屈指の衝撃回があるのだが、これめちゃくちゃ面白いので是非ご覧いただきたい、って特に運送業上司との関連性は皆無ですが(笑)*7

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(下二つ=from『孤独のグルメ』season6【中野区鷺ノ宮のロースにんにく焼き】)

 

2.3 演出論〜作品と作品の狭間で

【Case1;アイスクリーム】

もう一節ここで『ひとくず』で更に印象的だったのは演出に関して述べていきたい。『ひとくず』ではカネマサ の母が「嫌なことがあったらアイスを食べな。何もかも忘れるから。」と少年時代から譫言のように言われてきて、それがある種彼にとってトラウマのようになる、みたいなシチュエーションがあるんだけどこれも偶然なんだけど、ここ最近観た『三月のライオン』や『あのこは貴族』でも【アイスクリームを食べる】という行為が割と象徴的かつ重要な場面で使われている点が印象的だった。そう考えたら『Wonder Woman』(2017)でも敵地に向かう緊張感のあるシーンでソフトクリームを頬張りあまりに美味かったからか、店の人に「You should be proud of yourself(あなた、自分の仕事を誇るべきよ🍦)」かなんか言うシーンもあったし、更にそのシーンは『ローマの休日』のオマージュだって言うし、映画作品におけるアイスクリームの役割も見逃せない。

日常生活では個人的には「別に食べなくても生きていけるけど、まぁあったら食べるかな。」っていうステイタス程度のこのアイスだけど、ある意味映画界のバイプレーヤーだったりしてその辺り今後追求すると面白いのかもしれない。

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(上 from『三月のライオン』(1991) 下 from『Wonder Woman』(2017))

【Case2;観覧車】

2月半ばぐらいに観て今尚大ヒットを続けている作品の一つに『花束みたいな恋をした』という作品がある。ここでは本記事の趣旨から、特に詳しい言及は避けるが、本作も非常に面白買ったのだが『ひとくず 』同様に「観覧車」という意味で共通項がある。

『花束〜』では、友人の結婚式を終えた別れる寸前のカップルである絹と麦が何年も一緒にいるのに観覧車にはじめて2人で乗るシーンがあるが、その中でお互いの付き合っていた期間に抱えていた鬱憤や秘めた思いなどを吐露してスッキリとした気分で別れようというある種重要な役割を担っていることが分かる。当然『ひとくず 』においても最初は鞠と二人で乗ってこれまで久しく事のなかった綺麗な夜景を見た鞠も少しは心を開き笑顔になって「綺麗(な景色)」「ラーメンを食べたい」と自己主張するようになったり、二回目はカネマサ 、凛、鞠の3人で観覧車に乗って「気持ち悪い⇄気持ち悪くない」だの他愛のない会話で盛り上がるシーンがあるが、両作共々どこかギスギスしがちだった人間関係を一旦リセットしたり、緩和したりする効果がある点で共通している。

後このシーンで、鞠が「ママ、気持ち悪くない!」と言った瞬間私の頭の中で全身タトゥーの下ったらずのアイロン持ったまさに気持ち悪いイカツイ男がパッと浮かんだのだが私だけだろうか?
それはともかく、観覧車の独特の空間は想像以上に非日常的で無限の可能性を秘めているのかもしれない

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*8

【Case3;舞台版を見据えて】

実は『孤独のグルメ』の件のみならずもう一つ自慢なのだが(笑)『ひとくず』は舞台を呼ぶ作品だと思ってて、前節で「リアリティよりも一歩誇張した舞台演劇的な演技で本作は全キャストの演技が各々200%以上全力投球した形で炸裂してる点も見所だと思う。」と主張し

以下のようにツイートしたことがある。すると上西雄大監督が以下のようにリプライされてて見事に私の予言が当たったのだ。

そう!本当に『ひとくず 』にはいずれ舞台バージョンが準備されているらしい。

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そうなると様々なシーンが舞台版ではどう表現されるんだろう?という興味が尽きない。

...だとしたら、あの刑務所での「アイスに対する本音独白シーン」は完全に大人カネマサの口調なので大人版と高校生版両バージョンの両人出てきて同じセリフをリエゾンする演出とかあればかなりカッコ良いだろうなと思ったりする。

 それに関して去年観た作品群だとテーマのヘヴィさをドキュメンタリーチックに寄せるのではなく役者の演技力で表現する感じがあって『凪の海』とか『タイトル、拒絶』にシンクロするものがあった。実際『タイトル、拒絶』の方は舞台化されていたし、そちらは観ていないんだけれど、映画本編だけでも舞台的なエンターテイメントに寄せた感じがシンクロすると言うか。

とにかく予告編で垣間見える虐待や血の描写などがありつつも、そもそもが劇団テンアンツのオリジナル脚本だけあって映画ですら舞台を思わせる演技と演出が組み込まれていたように思う。更に舞台版では魅せる場面と泣かせる場面とでメリハリハッキリしてて、ヘヴィーさを引きずり過ぎないもっとライブ感覚漂うドラマティックなヴァージョンになるのではなかろうかと思ったりする。*9

 

3.エンタメ論〜過去と未来の狭間で

第一章では『ひとくず 』と概観とこれまで5度に渡る鑑賞記録レビューを、次なる第二章では 『ひとくず 』の注目点としてプロモーション活動である舞台挨拶において、役者に与えられた役柄とその素顔とのギャップに関して述べてきた。次なる第三章ではさらに具体的な作品に根ざした形での演技論と役柄と役柄に関して論じてきたように思う。次に「演出論」と称して、他の作品との比較を通じて「アイスクリーム」「観覧車」などの様々なシチュエーションや小道具との関連を述べてきた。で、映画『ひとくず』がなぜここまでロングランを続け、今後どのような展望を開けるようになるだろうかについて考察して本記事を締め括りたいと思う。

 で、話は4/29(木)に梅田Lateral(ラテラル)という所で開催された『田中宗一郎×宇野維正。いきなりピークがやってきた2021年ポップカルチャーを語り倒す』の話に移行しよう。

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話し手は田中宗一郎(編集者・DJ)×宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)の二人。

日本のインディロック&映画を主食に生きてる私にとって、海外の映画・音楽・ドラマなどのポップカルチャーなど多岐に及んでいて、個人的には未知の分野の話もあったんだけどこのタナソーさんと維正ちゃん(そちらも愛称、カネマサ にみたいなもんですw)多岐に及ぶカルチャーへの視点と愛情と突き詰め方に息を呑むような一瞬の2時間半だった。

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(左;宇野維正 右;田中宗一郎)

*10

今回の話の中で特に興味深く、今回のテーマである「インディペンデント映画の未来」という観点から希望の光として結実できそうなのが、ここ最近、海外のメジャーな映画でさえもガラパゴス状態を維持しようとする点である。具体的には(タイトルはうろ覚えだが)ある超メジャー級の海外の作品のオフィシャルアカウントでアカデミー賞などの賞を受賞したことを一切触れようとしない、というのだ。いやこれは落ち度でもなく、意図的にそうしているらしい。しかも宇野氏によればその意図的にやっているスタッフはわりと賢い部類に入る連中だから勝算は確かであるとのこと。つまり、これはガラパゴス状態のままグローバリズムを突き進もうとするムーブメントの示唆であり、今後映画界でもともすればポップカルチャー界全体に主流となるアティチュードになるのかもしれないと思ったものだ

でも、これを都合よくとらえると、ガラパゴス状態ってある意味インディーズ界隈とほぼイコールでもあると思うので、ある種インディー音楽や映画などと相通じる姿勢って事に繋がってこないだろうか?と思ったりするのだがいかがだろうか。

だとしたら非常にインディー界隈に都合の良い未来が見えるのだが....ってこれは拡大解釈かもしれないが自分のやりたいこと、伝えたい事を何も介在せずにダイレクトに作品へと反映させることに関してはインディー界隈の方が商業主義的な媒体ありきでやっているメジャーフィールド以上に長けていたりするのだろうから。

そう言えば、この時タナソーさんは「未来を掴むには過去から始めなければならない」と言う名言を放ったが、それに倣い、未来をポジティブに掴むためにも、過去の格言を引用しよう。

ddnavi.com

そう、「井の中の蛙大海を知らず」という小学生でも知ってる諺があるが、これは「君は井の中の蛙だね。」と言われたならば、それは「視野が狭くて見識のない人だね」とネガティブなニュアンスに囚われがちなのは言うまでもない。

でもこの諺は「されど空の深さ(青さ)を知る」と言う文が後続するらしい。

つまり「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができる。」

更にここでのインディーズ・ポップカルチャー文脈に飛躍すれば広い視野をもって世界を見渡すメジャーフィールドの方が強いのかもしれない。だが、たとえインディーズなどの限られた人間から成る世界だったとしてもその道を究めていけばその世界の深いところまで達することができることもあるだろう、と。

その意味でもこの映画『ひとくず』がいまだにロングランを続け、更に後続していく7月公開の赤井英和と上西雄大主演&監督作『ねばぎば新世界』や、さらに先に『西成ゴローの四億円』などなどもうタイトルから完全に大阪を舞台としてるでろう新作群と共に今後も走り続けていくだろう。

これはPerspective(展望)やExpectation(希望)の話ではないではなく、むしろConfirmation(確信)でありRealization(実現)でもあると思う

と言うことでまたまたまたまた超大作の13000字超えしてしまった本記事を締め括るべく吉村ビソーさんと言うSSWによるテーマ曲に沿ったこの映画『ひとくず』のpvを載せて本記事を締め括りたい。

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www.youtube.com

6日吉村ビソーさん「ひとくず」テーマ  

 

 

 

 

*1:ダークヒーローといえば本作と『JOKER』との比較論が浮かび上がるだろうが、主人公アーサーの極悪非道の限りを尽くした果てに生まれるあのピュアネスと、極悪非道なカネマサから滲み出るヒーロー像とは全くもって異質。後者はむしろ真っ当に正義で、まぁ殺人云々のエピソードは置いといて、同じDCコミックスでも、もっと黒みがかってるものの、ダイレクトなヒーロー像である『Batman』に匹敵する感じがする。

*2:ここまで書いといて今頃目次というこの暴挙...w

*3:一応上西氏が経営している焼肉屋『さしの花』のHPの掲載ときますか。

控えめに言って美味そうである。『孤独のグルメ』の五郎さん来ないかな🐂🥩

www.3487.jp

*4:前作『恋する』に関して紹介しておくと「スイマセン」が口癖の頼りない焼き肉屋店主、勇司を取り巻く人間模様がテンポよく描かれる痛快コメディ。要するに『ひとくず』とは真逆のベクトルなのだがカネマサ@観覧車の「ハンバーグか?」という台詞を思い出したり佳奈へのプレゼントの中身にハッとしたり、両作比較すると色々楽しい。あの刑事がヤクザだったり、あのホステスが純粋そうだったり...今年度『ひとくず 』キャストがほぼ真逆のベクトルででてるのが興味深いです(笑)私は逆に『恋する』は『ひとくず 』とのギャップをそれほど感じなくて『恋する』もヘヴィなエピソードもあったりしてむしろ両作品の根底に共通するバイブを感じた。
だから『ひとくず 』におけるseriousnessとコミカルのメリハリがはっきりしたかな。
しかしつくづく両作共々「眼鏡男」の扱いが散々である(笑)

*5:ここで更に孤独のグルメ』と『ひとくず』の共通点として実は『孤独〜』の主役五郎さんには漫画原作版と松重さん版とで「フィギュア」なるものが存在するのだが、ふと思ったんだけどカネマサの【カネマサフィギュア】って絶対どハマるんじゃないか、と思いません?革ジャンのフォルムとか想像がつく。勿論花束とプレゼントも付属で。FIGMAさん検討宜しくお願いします(笑)

*6:『ひとくず 』と『孤独のグルメ』のもう一つのシンクロとしてはseason7の中野区「泪橋」という地鶏店で働く「なっちゃん」の愛称で生き生き働く女性店員とルックスが驚くほど似てる。まぁ別人だしただ作品内における2人のテンションは真逆なんだけど。

*7:孤独のグルメ』よくよく考えれば10年近く人気を保っているドラマだけど初期Season1-3辺りはドラマ部分に焦点が当てられ濃いエピソードが多い。中でもこの回は濃密にも程がある。

*8:因みに舞台挨拶では『ひとくず 』の観覧車は万博記念公園の近くのexpocityで撮影したらしい。

*9:舞台挨拶でも言ってたが3時間のディレクターズカット完全版もあっていずれ公開予定とのこと。本当ネタに尽きない作品だ。

*10:この種のトークイベントに私が行くのは3回目。ずばりその理由は客観性と審美眼が養われるからである。どうにも特定のバンドの音源やLIVEなどに没頭しすぎると周りが見えなくなって狂信的信者になって、ヤバイ目つきになって話が通じなくなった人を数人知っている。未知の分野の話でも本質は同じだと思う。これこそがクロスカルチャーって事だと思うから。

映画『スーパーミキンコリニスタ』妄想レビュー!〜Who Succeed this Super Success Story ?〜

1. Overview Of 『スーパーミキンコリニスタ』

ここ最近劇場で観た映画作品をざっとあげるとロングランの社会派傑作『ひとくず 』や、伝説のSF『平成ガメラ3部作』だとか、あの緻密な世界観の話題作『JUNKHEAD』であるとか、少し前のハリウッド超大作『Wonder woman1984』とか、どれもジャンルは違えど、ここ最近はヘヴィーかつ壮大な作風の「お腹いっぱい」な映画鑑賞が続いていたように思う。まぁそれはそれでいんだけどそんな中、ふと日常の何気ない光景の中で、ほんのり明るい光をくれるような、まるで砂漠の中でふと見つけたオアシスのような心温まる作品というものに久しく飢えていたものだった。コッテリしたものを食えばさっぱりしたデザートが欲しくなるように。

.......と思ってたらハッと、運命的にそういう種の作品に出会ったのだった。

それがこの作品!その名も『スーパーミキンコリニスタ』

は〜い、(いや、ここは「あーい」というべきかw)これが今回シアターセブンにて4月13日、4月30日と、2度にわたって鑑賞した「あの〜この『スーパー...ミ、ミキンコリニスタ』?を一枚ください。」というチケット売り場の受付でタイトル言うのに噛みそうになるためちょっとした覚悟のいる妙なタイトルの作品である。

そもそもこのタイトルの由来はあの元Judy and MaryYUKIが自らのファンダムを「スーパーユキンコリニスタ」と呼称して、更に本作の草場尚也監督の学生時代の同級生がミキという名前で「スーパーミキンコリニスタ」と自称していた事に由来しているという。

*1


www.youtube.com

rlushbunny0302.wixsite.com

 

公式hpに掲載されているあらすじを紹介すると以下の通りである。


​エキストラ女優のミキは、いつか主演になることを夢見て日々猛進していた。
25歳を迎える今年こそ結果を出したいと意気込むが、
大事な撮影現場で失態を犯し、所属事務所をクビになってしまう。
フリーになったミキは、芸名を『スーパーミキンコリニスタ』と名乗り、我が道を突き進んでいくが...

といったストーリーなのだが、実際に観てみると非常に熱量のこもった作品で、予告編から醸し出されるユルさ以上に、また上記のあらすじから伝わるニュアンス以上に、この「いつか売れっ子女優に!」そんな夢を抱くエキストラ役のミキの過剰なまでに我が道を突き進むぶっ飛び具合がひたすら痛快だった。

 その辺りのエピソードをストーリーの核(コア)に触れない程度に軽く紹介すれば、エキストラと言うドラマや映画では主演、助演などの主要キャストに比べるまでもなくカーストで最も最下層に位置するのにも関わらず、収録前になぜか楽屋が用意されていると勘違いしたミキがさも大物女優ぶって楽屋入りしてしまうシーンであるとか、その収録中にたまたま同じエキストラとして居合わせた瞳と言う若手の女優にやたら饒舌かつ上から目線なアドバイスかましたりとか、最も個人的にツボだったのは、ある学園ものの映画作品収録中に、ビンタされる役を自ら買って出るシーンがあって、まぁそのシーン自体結構グッとくる良いシーンなのだがビンタされる直前になぜかウォーミングアップのような準備運動をしたりするのだ、なぜ君はビンタされる側なのに準備運動するんだよwと当時爆笑こらえるのに必死だった*2

要するに特に主演の高山璃子さんのあの、過剰なんだけどリアルさもありつつの絶妙なバランスの演技してな演技に魅了された90分なんだけど、短編エピソード込みのドラマが10本以上はギッシリ詰め込まれたような非常に満足のいく作品だったと思う。

*3

本当繰り返しになるが、良い意味で予告編に裏切られた作品である。

この予想外にも感じた本作からほとばしる「熱量」の所在は一体どこにあるのだろう? 

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2. The Synchronicity of 高山璃子 &ミキ

その作品における熱量の所在、そう、その答えは4月13日シアターセブン にて開催された主演高山璃子さん単独の舞台挨拶にて知ることができた。

何せ、彼女の実際のキャラクターから、動作から、話し方から、その境遇から何もかもスクリーンから出てきたんじゃないかってくらいミキとリンクしすぎてビックリしたのを覚えている(ご本人はそうでも無い面もあると言われてたが個人的には雰囲気まんまやね、と思ったのでした。)。

いや、同じ人が演じてるんだからこれって普通じゃないの?って思う人がいるかもしれないが、映画を観た後に本人が舞台挨拶で出てきてここまでリンクする人って実は逆に稀じゃないかってくらい驚くほど少ないのだ。

 話は脱線するが、最近驚いたのが同シアターでロングラン上映している『ひとくず 』キャスト勢。中でも人の家にズカズカ入って金盗むはラーメン屋の店員にブスだ、皿持ってこいだ、ぬかしたり、人を〇〇したり....(ネタバレ防止で伏せておく)、あのはた迷惑極まりない人道外れた男、カネマサ演じる上西雄大さんが、もう事もあろうになんと舞台挨拶立った時に「ものすごくソフトで腰の低いご丁寧な紳士」だった日にゃもうのけぞったもんな。*4

他作に関してはまぁ良いとして本作に戻せば実はこの作品では何気に偶然にして出来過ぎな不思議なエピソードがに溢れてて、例えばこの監督・脚本・編集まで行なったこの草場尚也監督が、『スカっとジャパン』と言う再現ドラマ中心の番組があるけれども、何年か前に彼は当時ADをしていた時にちょうど高山さんも同じ現場にてエキストラとして出演していた時に知り合ってて、その後ある程度の年月が経過して、「いざ映画を作ろう!」ってなった時にふとその時のことが思い出して高山さんに出演依頼の声をかけた、と言うエピソードがあったと言う事。もう一つ面白かったのがミキの母親である夢島由樹役の櫻井美代子さんと言う方もいらっしゃるのだがこの方は実際に物語の舞台同様長崎出身だったり、しかも高山さんの実際の母親のお名前が「美代子」だったりと....二つのエピソード共々映画と現実が偶然リンクしててとても驚いたな。

そう言う意味で、この現実とのリンクっぷりは、まるで舞台挨拶上でも『その後の スーパーミキンコリニスタ』という続編第二弾でもここで観てるんじゃないかってくらい不思議な感覚だったし高山さんが舞台挨拶終盤で「この作品が私を引き寄せたんだと思う。」と仰ってたのも物凄い納得性があった。

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3. My Focus point of 『スパミ』

さて、本作は実は略称として『スパミ』とも呼称されるが、主演、高山璃子(aka ミキ)さんのぶっ飛びつつも憎めないキャラクターがガンガンツボった作品であるというのは前述した通りであるが、ここでは別視点というか、話のネタに触れずに私なりのフォーカスポイントを絞った形で3点ほど見所となるFocus1~3を述べていきたい。

 

Focus 1

さて、本作には以下のような台詞がある点に注意したい。

「僕は、皆(他のファン)と一緒なの?僕だけが特別じゃないの?」
さて、今現在アイドルなり女優なりSSWなり【推し】がいる人で上の台詞に心当たりのある人はいないだろうか?

まず、そういう人は全員正座して観るべき作品だと断言して良い。

これはどういう場面で放たれたセリフなのかというと、ミキが自分の「生誕祭」と称して、今度は女優としてではなくカメラの写真モデルとして自らのファンダム10人を募って誕生祭&撮影会を一頻り行なった後で最後に残った最も古参のファンの中年男性がミキに放った一言。Twitterなどのアカウント上では多くの人の「推しへの愛」が綴られてて時にめまいを起こしそうになるがこれほどまでにその種のファンダム心理における「自意識過剰」と「承認欲求」を悍しくも具現化したセリフはないであろう。

いや、全編さらっと観れる作品ではあるんだけどこのセリフを聞いた瞬間背筋が凍った。この辺りのある意味壮絶な展開はちょっとしたホラーであるので詳細は言わないので是非ご覧いただきたい。中年オタ、伊良林邦夫を好演した金時むすこ(現在、改名されて「もりたかお」さん)さんなる役者さんがソフトながらもどこかジトッとしててとてつもなくリアルなのだ。彼もほぼほぼ高山さん同様、同じ自分のドキュメンタリー感覚で演じてたりして、そんなことないか、失礼しやした(笑)

Focus2

あと最後に、本作品は大変失礼ながら思ったのがそれほど予算をかけられていないんだろうなと思った。その理由は、数場面で出てくる助監督の存在である。その助監督はどの場面でも別人として配役されても良さそうなんだけど、全て一條恭輔さんという役者さんしかキャストされていないのだ。でもこれも舞台挨拶にてそれ以外の理由があってのことだったそうだが、まぁそれは置いといてこの映画は予算とか規模とかを超えて実にフォトジェニックなのだ。

では、予告編からスクショ抜粋した以下の4つのシーンを見てみよう。

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ね??これ凄くないですか、全て何かポストカードとして発売されても何の違和感の無い完璧な美しいシーンでは無いか!特に❶とか❸とかTwitter界隈でよくみる

#ファインダー越しの私の景色

#写真好きと繋がりたい

などの写真好きがよくツイートするようなハッシュタグとともに出てきそうな写真としての完成度を感じてしまうし、❷とか❹とかって何かの映画作品のオマージュだったりするのだろうか、とも勘繰ったりするほどにバシっと決まっている。私個人の意見では、直感的にこの2枚は90sの映画というよりドラマの匂いがするのだがどうだろうね。

或いは❹とかって岡崎京子作品に出てきそうなシーンなんだがどうなんでしょうね?これは超個人的観測なんですが、多分草場尚也監督は撮る前から実際に青写真として❶〜❹までのシーンを絵コンテ化かなんかして描いてたのでは無いかとも思っている。

例えば岩井俊二監督の全作品の印象的なシーンが元々絵コンテで作り上げられているそうだが、そのイメージをちょっと思ったりするんだけどね。

この辺りは憶測だらけで全然違う可能性も大だけど、でもそれぐらい印象的な名シーンの数々が散見される。本編中他にも色々あったから是非ご覧になった方は色々な名シーンが色々と見つかるのではないかと思う。

 

Focus3

そしてそしてこの作品が面白いのは先に述べたように、高山璃子さんが「作品が私を引き寄せた。」と言っているように作品上映終了後に、ミキの「売れたーーい!!!!」と言うマインドをそっくり彼女が引き継いでいるような気分にさせられる半ばドキュメンタリーのような作品なのだ。実際エキストラをしていた高山璃子という女優は、この映画で主役に抜擢されて、もうミキのその後のサクセスストーリーをも引き継いでいるように活躍されているのだが、同時にミキ同様に今もなおミキのようにオーディションにアプライしまくっているらしい。

そうした意味で先のリモート舞台挨拶時に仰ってたように

「作品が私を引き寄せた。」→「私がこの作品を続けていく」事にもつながってくると思うのだ。そしてそれが象徴しているのが、是非是非このタイトル「スーパーミキンコリニスタ」が本編中どのタイミングで出るのか是非とも注目していただきたいと思う。

私は割と映画作品を観ててその作品タイトルがどこで出るのか、そのタイミングに意識的なタイプなんだけど、本作のタイミングは私的ナンバー1か2ぐらいに位置付けするくらい気に入った。

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【付記】

あ、そうそう、ではでは最後に本映画作品らしいほのぼのしたエピソードを二点ほど披露して案の定5255時を超えてしまった本記事を締め括ろうか。

そもそももこの作品を観たきっかけってのがまた面白くって、実は鑑賞前日の4月12日はまだはっきりと行くかどうかは迷ってて、「この映画面白いのかな?」とツイートしてて、高山さんが「ぜひ見に来てください!」とリプライしたと言う事もきっかけだった。

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あと、本作品にはオリジナルグッズとして「ステッカー」が存在してて偶然それをツイッターにアップした所高山さんから本人自ら愛用者であるみたいな裏話をリプライして頂いた

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こういうエピソードもこの映画作品の一部になっているようで凄く面白いなとも思います(笑)*5

 

【付記のまた付記...】

.....と本記事を書いて二日後『スーパーミキンコリニスタ』のオフィシャルアカウント様とあのミキさんの女優としての才能と美貌をいち早く発見し、発見したがためにえらい展開になった古参オタを怪演された、金時むすこさん改め、現「もりたかおさん」から素晴らしいリアクションを頂いた。

 



 

*1:1度目は4月13日、2度目は4月30日で最初の時はタイトルを言えずに「こちらを観ます」。

2度目はキチッと「スーパーミキンコリニスタ」とはっきり言えたというどうでも良い情報w

*2:舞台挨拶後その点についてお聞きしたが、「あの準備運動シーンオッケー貰ってよかったです。」と仰ってたよね。

*3:あと個人的に凄く興味あるのが憧れの先輩俳優のサイン会に行ってあれこれあるのだが、」帰り道にボソボソ言ってるセリフ最高でしたな。「ああいうのが日本映画をダメにする。」とかなんとかかんとか言うやつ。あれはっきり聴き取れなかったから全部読んでみたいな。

*4:『ひとくず』関連ではあの育児ネグレクト母親・凛を演じた古川藍さんもその点は圧倒的よね。もう全っ前雰囲気が違いすぎて本人がいて自己紹介しても別人と思うほど。この作品もいずれレビューしなくちゃね。

*5:あと今回本作のステッカーを二枚購入したのだが、目を寄せたら3Dになるんじゃね?というどうでも良い情報。ほら、目を寄せたらミキさんの靴が飛んで見えるよ👟 

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Saika(吉田彩花)1stシングル『余韻』レビュー!!〜全てのエンタメよ、太陽に笑え☀️〜

 

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1.吉田彩花 (Saika)と音楽

思えば、私にとって、吉田彩花の周りには常に「音楽」が存在しているように思う。まぁ私もここ2年ぐらいなのでそれほど長く彼女を認知しているわけではないが、個人的に知っている範囲で言えば、前の記事でも触れているように2年前に初めて観た彼女の主演作舞台『遥か2019』では1997年へタイムリープするという設定もあり、開演前のBGMは華やかな90年代J-Popsのヒット曲で彩られてたし、同じく今年の主演舞台『雨雨』の開演前も雨にまつわるスタンダードナンバーがかかっていた。そして両舞台共々、彼女が歌唱するシーンもフィーチャーされていたように思う。また、彼女がファンダムとのコミュニケーションの為に定期的に配信しているSHOWROOM(以下、SR)でもカラオケ熱唱コーナー、そして自らギターを抱えての弾き語りのコーナーも必ず予定されており、あとYoutubeにカバー動画を公開していたり、本ブログでもガッツリ触れたリモートドラマ『GCM動画日記』においてもロックバンド・メメタァの名曲『東京スカイツリー』のカヴァー演奏動画を披露したり、SNSで #弾き語り女子 のタグでオリジナル曲を公開してたりと、あと最近ではライブ配信でも出演したり......枚挙にいとまがない。

流石と言おうか元・バンドマンという肩書を持つということもあってか「音楽を奏でる舞台女優」というスタンスで、舞台オンリーの役者以上に自然に彼女の音楽的センスとパフォーマンスを披露するチャンスに触れることも多いのではなかろうか。

*1

*2

ちなみにこの二つの舞台作品のレビュー、また両作品にまつわるBGMなどに関する考察は前記事を参照にされたい。

nenometal.hatenablog.com彼女は確かにあるバンド活動を経た後に、舞台を中心とする女優としての道を歩んで以降、歌を「歌う」ことは多々あってもそれらを音源作品という形をリリースする事はこれまでなかった。だが、ここにきて、満を辞してというか、とうとう彼女の誕生日である2/21にフライングして、前日の2/20の日付が変わるや否やソロとしては1stとなる新曲2曲が、彩花ではなくSaika名義にて配信されたのだ。

 

 本シングルのタイトルは『余韻』。

各種配信サイトにて配信中である。

linkco.re

....と言っても『余韻』というタイトル曲はなくシングル全般のタイトルとなっていてこのシングルの収録曲は『余計だ』と『優しく生きよう』という計2曲が収録されている。ちなみになぜ曲タイトルではない『余韻』というフレーズが使用されているかというと『余計だ』の歌詞のキーフレーズに「余韻」という言葉が使用されている事と、これは単純に2曲を収録したものではなくて(2曲連続で聞けば分かるが)『余計だ』〜『優しく生きよう』には一連の流れがあって、一曲目の『余計だ』が終わった後の『優しく生きよう』との曲間にほぼインターバルはなくサウンド的にも地続きで聴く事ができるようになっている。
故に、歌詞的にintrovert(内省的)な側面のある『余計だ』とextrovert(外交的)な側面のある『優しく生きよう』 という一聴した所対照的なこの二曲で一曲という対をなす構成になっていて、両曲足してサウンド的にもそしてリリックとしても『余韻』というフレーズが自然と浮かび上がるような極めてコンセプチュアルなシングルとなっている。*3

次章では曲単位でそれぞれ分析していきたい。

 

2.『余計だ』と幸福論

余計だ

余計だ

  • Saika
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

  『余計だ』はここ最近世の中で流行しているヒット曲群から照らし合わせても珍しいくらいに、『今、コロナ禍において芸術の立場はいかにあるべきか』についての内面を吐露したような歌詞と、オルタナティブな歌詞とどストレートなロック・サウンドとダイナミックなアレンジに乗って展開されている問答無用のロックである。彼女のフェレットか何かのような愛嬌のある小動物的な可愛いルックスからするとこの力強い歌声とそれに付随するアレンジに少なからず驚く人もいるかもしれない。

 以下のSaika『余韻』歌詞サイトから各楽曲に曲それぞれ取り上げて各々の印象的なフレーズを検証していきたい。

linkco.re

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 さて、まず前半の4行のフレーズを見てみると

「あと数分で追いつきそうだが届かない何か、いっそ消えて欲しい何か」は今の世の中からするといろんなものに準えられようが何だろうか?

まぁそれは例えば、決して可視化されないものだが、確かにこの世の中に存在している人間の憎悪、嫉妬などの悪しき感情の心の根源、そしてこの一年以上も我々のこの生きる世界を汚染していくCOVID-19なる病原菌の存在がなんとなく見えてくるようだ。そう考えると正にこの曲は去年のステイホーム期に作られたことを象徴しているフレーズであると言えるだろう。

そして後半部分だが、

【音楽に励まされたって美味いもん食べたって何かが変わるわけじゃない

の箇所にて励まされても「変わる」の部分を「代わる」とも言い換えているが、これは恐らくは「今置かれている状況を変えたい」という変化への思いと「これまでの培ってきて守ってきた状況を維持したい」という代替えできない思いという、相反する二つの複雑な思いが同時に交差しているのではないだろうか。

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そしてここでは重要な、ある種この曲並びにこのシングルタイトルの決め手になったであろう

【"幸せ"は一瞬のことで僕ら余韻を生きてるんだ、よね?

というフレーズに含組まれている意味には止めどもなく深いものが隠されているような気がするのだが実際どうなんだろうか。

敢えて私の解釈をここで述べるとするならば "幸福"を感じる瞬間はほんの数秒以下程度のもので、それ以外は案外、平坦で、どうしようもない荒野だらけの日常を生きている。だけれど、その一瞬程度の幸せだからこそ人はそれをお守りのように大切にして生きていけるのではないだろうか?そんなことを思ったりもするのだ。...と私なりの解釈をして見たものの、これは恐らくSaika自身の深層心理の中での「ザ・幸福論」が定義されているので、更に深淵な部外者の知る由もない事実が潜んでいるのかもしれない。でも、ふとここで"幸せ"というものに対して同じように定義した作品群を思い出したのでこれらを上げ比較検証してみる価値はあるのではなかろうかって事で以下詳細に論じていく。

まずは岩井俊二監督の2015年の傑作リップヴァンウィンクルの花嫁』における、AV女優である真白(Cocco)が、心許せる主人公七海(黒木華)に対して、自分の幸福論を吐露する一連のセリフである。

真白は幸福の所在に関して以下のように述べている。

 「わたしね コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき、

お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれるときにさ 

わたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ 

わたしなんかのために 御菓子や御惣菜なんかを袋につめてくれてるわけ 

それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる  わたしには幸せの限界があるの 

誰よりも早く限界がくる ありんこよりも早く だってこの世界はさ 幸せだらけなんだよ  

みんながよくしてくれるんだ 

宅配便のおやじは私がここって言ったところまで運んでくれるし  

こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから 

だから せめておカネ払って買うのが楽 おカネってそのためにあるんだよ 

人の真心ややさしさがはっきり見えたら ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ 

だからそれをおカネに置き換えて 見なかったことにするんだ 

だからこの世界は本当はやさしいんだよ


『リップヴァンウィンクルの花嫁』予告編

因みに個人的にこのセリフを上映当時の映画館で聞いて「ヘェ〜、そんなもんかねえ」と意外な感じがしたのを鮮明に覚えている。それは、あまりにも真白が「AV女優」という華やかなかつ派手目な生活を好んでしてそうな彼女の放つその「幸福のありか」が「コンビニの店員」であったりとか「宅急便の配達員」であったりとか、意外と所帯染みているというか、ほんの些細なワンシーンで彩られるものだったからである、しかも両方フィジカルな物ではなく、メンタルな意味での幸福感に起因するものだったし。でも、この些細なワンシーン達っていうのもこのコロナ禍では当たり前に存在していた事象が次々に当たり前でなくなっているという事と照らしわせると、今となってはこの真白の言う幸福論も実感を込めて理解できるようだ。

 ちなみにこの映画における真白の「幸福論」は以下(このブログでも頻繁に登場する)ハルカトミユキが2016年にリリースしたアルバム『LOVELESS/ARTLESS』内の楽曲『永遠の手前』においてもシンクロするかのように歌われている事にも注目したい。

 

【ただ一度輝いて見せた夢は 目の前で消えてった

幸せは泣きたいほどに怖くて 今くらいが丁度良い

(『永遠の手前』by. ハルカトミユキ)

永遠の手前

永遠の手前

  • ハルカトミユキ
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

さて、この幸せは泣きたいくらいこわい。」というフレーズに注目すると、先ほど真白が放ったセリフと上記の全く同じニュアンスと捉えられないだろうか。まぁハルカトミユキにおける幸福の度合いである「幸せのアビリティ」は真白のそれとは違い、上限のないものとしている点で映画とは異なるのだが、それを前提にしても、自分の本当に見定めるべき【幸せの限界】を限りなくミニマル値に設定すると言った意味においては限りなく近いと言える。

そこでSaika『余計だ』の歌詞に話を戻りたい。

この幸福に関してのくだりの後にSaikaは

ファンタジーみたいに優しくてキラキラした奴ら」や

泥臭くたたきつけるようなとげのある奴ら」は「苦手」であると断定している。

これはどういう事かと考えると先にあげた通り「何を持って幸せだと感じるか」という基準というものは、こうした一見日常の些細なネガティブにも感じられる物たちが存在し、それらとの相関関係によってようやく測られ、得られ、感じられるものだという事が前提にあると思うのだ。

更に論理を詰めていくと、そんなネガティブな事象を彼女は嫌いじゃない」とも断定している点にも注意したい

なぜかというと「キラキラした奴らもとげのある奴らが苦手だと思う事」こそが日常生活のあるべき理想の姿だし、逆に言えば、このコロナ禍でそういう苦手だと感じる事もできないという今の状態自体が不自然なのだ。

キラキラした奴らやトゲのある奴らは「余計なもの」ではあるのだけれど、だからこそ心が明るくなった瞬間にこそ一層幸せを感じる事ができるのだ。

だから今現在、世間ではコロナの感染対策など様々な物事への「対策」を重要視するのは当たり前だと思う。だけれども、その根底として重要なのはかつて以上に何が必要であるか、何が余計であるかという事への選別する事へあまりにも躍起になりすぎてしまっているのではないか。そんな中、今の世の中でのエンターテイメントの置かれている状況がまさに「余計」と「必要」の天秤にかけられ、結局「余計」の部類に追いやられて排除されようとすらされてしまっているのではなかろうか。

音楽や映画、演劇などのエンタメの現状に関しては次曲『優しく生きよう』で比較したい

 

 3.『優しく生きよう』とエンタメ論

優しく生きよう

優しく生きよう

  • Saika
  • ロック
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

さて2曲目『優しく生きよう』である。本曲は彼女の現在のファンダムと交流できるプラットフォームの一つであるSRにおける弾き方りコーナーにて最終曲として披露されるとても明るくキャッチーな曲である。何がキャッチーかってサビの歌詞が「おはよう、おやすみ、さよなら、またね、お疲れ様とありがとう」という我々が日常生活でよく口にし、耳にするフレーズがさながらサビだという今までありそうでなかったタイプの曲だからである。確かにコロンブスの卵的な楽曲だけども、今ではふとした時に自然に思い出し、かつ口ずさんでしまう、そんな意味では本当不思議な感触の曲である。 

では、以下のSaika『余韻』歌詞サイトから次は2曲目『優しく生きよう』の歌詞を検証していきたい。

linkco.re

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こうして歌詞を見て眺めてみると新鮮なのはSRで見せるあの吉田彩花ワールド全開!という曲だともいう思い込みがどんどん薄れていくのを感じる。このスタジオver.だとテンポを比較的落とす事でよりロックダイナミズムを増したアレンジになっている為か、あの印象的なサビに至るAとBメロの歌詞中見えない不安」「不機嫌な朝」もあるだろうが、でも耐えなくちゃそれぞれの場所で」などなどネガティブな状況下でもこの世の中を侵食していったこのコロナ禍での日常生活をリアルに反映した歌詞である事がわかる。

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先述した前後関係を踏まえ、この歌詞全体の根底にあるのは「かけがえない日常の大切さ」である。「何も出来ずに過ぎゆく日々」にでも耐えなくちゃ それぞれの場所で」は先ほどの『余計だ』同様決して可視化されずとも、この世の中に立ちはだかる悪しきCOVID-19という存在によってステイホームを余儀なくされている現状への思いを図り知れる事ができる

そこでまたふと思い出す節がある。この曲に限らず主観なんだけど、『余計だ』もそうだが、この2曲を聴いてふと浮かんでくるアーティストがいる。

その名も中村一義

彼はかれこれ20年以上も第一線で活躍しているシンガーソングライターである。

詳細等は長くなるので以下のウェブサイトを挙げておこう。

www.kikagaku.com

*4

彼は1997年のデビュー以来、ここ20年以上活動してリリースする曲やアルバムなどコアなファンから一般層まで信頼高く定評のある音楽家だと思うが、彼の初期の曲に『ここにいる』という名曲がある。実は本曲は個人的に『優しく生きよう』とのシンクロニシティを感じてしまうのだが、メロディさながらとても良い歌詞なので以下、全編掲載する。


中村一義 (Acoustic) - ここにいる

 

小さな灯り消して、真っ暗にしてみる。
すると、解るよ。「僕は、今、ここにいる」。

小さな灯り消すと、みんな、何見える?
遠い先の自分が、ほら、今日に手を振る。振る?

まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。
闇を抜けると、そこは、優雅な今日だ。
ただの平々凡々な日々に埋まる、
宝を探す僕が、今、ここにいる。

どうだっていいや。カッコとか、そんなのは。
僕は、ただ、変わるここで暮らすんだ。

小さな自慢消して、みんな、何見える?
巨大な四本の矢を背に、僕は真実を知る。知る?


まだ、大きな無限大が、みんなを知ってる。
トンネルを抜けると、今日は、解放記念日だ。
ただの平々坦々な生活に潜む、
敵を越え行くみんなが、今、そこにいる。

見えないし、行けない。
けど、僕等、今、ここにいる。

ほら、ここにいる。

 

ここで重要なのはこの1997年リリースされた本曲の歌詞がいかにこのコロナ禍の状況を予見してたかのようにマッチし過ぎているのではないかという事だ。

「灯りを消したからこそ自分の存在がわかる。」

「闇を抜けたからこそ分かる優雅な今日」

「見えないし、行けない」からこそ気づく「僕等、今、ここにいる」という紛れもない事実。

この辺りのフレーズは確かにこの時期の中村一義の他の歌詞もそうだし、あの90sサブカルチャーを代表する漫画家、岡崎京子の傑作『リバーズ・エッジ』などにも言えるんだろうけど「平坦な日常という戦場でいかに戦っていくか。」というテーゼが前提にあるのだ。だから別にここで中村がコロナ禍を予見していたなどという話ではなく別段コロナ禍ではなくとも、いつの時代も我々は常に戦いを強いられては立ち尽くし、立ち尽くしては戦いを強いられる連続なのではないだろうか?

その戦い抜く為の我々の心に火を灯す太陽として活躍するのが、それこそロックンロール・ミュージックを始めとする音楽であったり、素晴らしい映画であり、演劇などのエンターテイメントではなかったろうかとも思ったりする。

そして、そういったエンタメは、先ほどの繰り返しになるだろうが、このコロナ禍において特に余計な物と必要な物との常にその狭間に立たされて、かなり苦境に立たされているという現実もあり、中には排除さえされてしまっているものもあるだろう。このような現実を見るにつけ、我々の心情として重要なのは。かつてコロナ以前以上に一体何が必要であるか、何が余計であるかという事への選別する事へあまりにも躍起になりすぎてしまっていることへの危惧さえ覚えるのだ。

だからこそ、ここでSaikaが生んだ『優しく生きよう』のみならず先の『余計だ』もまさにそうした日の沈みがちなエンタメ業界に笑いかける、太陽の光であると結論づけたいし、どちらの曲もそうした彼女なりのエンタメに対する心情を如実に表現した楽曲であるのだろう。

だからこそ先月1月に開催された『雨雨』公演の下北沢「劇」小劇場のロビーにおいて以下のように記したのだと思う。

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【エンタメは心の太陽☀️ S-igen企画】

*5

そんな言葉を胸に今後もますますリリースされるであろうSaikaの歌声に耳を傾けたい。

そして音楽のみならず、演劇、映画など我々の心を支える全てのエンターテイメントに対して、以下の祈りのような願いを込めて本章を締め括りたい

 

To everything that is contributing to the entertainment,  

be together under the sun and keep laughing 

to shine the hear of people who are enjoying it.

 

全てのエンタメに関わるあらゆるものよ、

太陽のもとに集え、そして笑い続けよ

そこに集いし人々の心を照らし続ける為に

 

 

4.結びにかえて

さて、いきなりここにきて言い訳だが(爆)、当初この記事は2000字程度のライナーノーツ的なレビューにする予定だったがやはり長尺の記事になってしまった(笑)。

というのもこのブログを執筆してる今日の日付は2/21(日)という吉田彩花の29回目のバースデイで、さらっとした記事を今日中にアップしてささやかなるプレゼント(というのもおこがましいので)というよりは、今回のリリース記念に何らかの記憶の取っ掛かりにでもなれば幸いであると思ったまでである。

でも、そうは問屋が下さなかったのは2曲を聴いて行くにつれ、映画のセリフを思い出したり同一テーマの歌詞と比較したくなったりと色んな検証めいたものを始めてしまったのだ。

でも一つのカルチャーがもう一つ別のカルチャーを呼び、更にもっと違う何かが広がっていく。でも逆に言えばこれがカルチャーのあるべき理想の姿ではないのかな、とも思ったりするのだ。一人のアーティストの一つの音楽、一人の監督の一つの映画、とか一辺倒に排他的にひたすら没頭できるのってそんなに面白いものだとは思えないのだよね、広がっていかないものは。

あ、そうそう、とにかくこの記事はこのままでは終わることはないだろうと注記しておく。

今後Saikaが本楽曲の動画をあげるなり、新曲をあげるなりのアクションすれば、更に本記事へのextensionも十分に考えられる。だからいずれにしろ長尺のブログにはなるだろうと思ってたのだ....ってかもう10200字を超えてるんですけどね(笑)

それはともかく昨日リリースされた本曲も自分含めリスナーの反響がすごく良のだ。

という訳で最後の最後に、本曲を聴いたリスナーの感想ツイートなど載せて本ブログを締め括ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

Happy Birthday to Saika Yoshida!!!

*1:吉田彩花のホームページを再度ここに記載しておこう。

shiki-sai.amebaownd.com

*2:あと『GCM動画日記』で吉田彩花がガッツリ出演しているのはこちら。

nenometal.hatenablog.com

 

*3:言い換えると後者が前者のアンサーソングになっているような、或いは二曲が一つの曲として繋がってるプログレ感覚も感じたりもする。

*4:ここではここに注釈しておくがこの『余計だ』を初めて聴いた時に思ったのはアレンジのロックっぽさやメロディーなどが『新世界』という曲を少し彷彿とさせた。ライブver.を乗っけておこう。


中村一義 - 「新世界」

*5:ここにS-igen企画という文字があるがこれは彼女が独自で立ち上げた演劇プロジェクトである。

9484839322.amebaownd.com

東京弾丸ツアー前編〜東京が産んだ最高傑作、吉田彩花との出会いとその主演舞台『雨雨』レビューを中心に

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0.東京弾丸ツアー、ふたたび

1月10日の日曜日、今の時刻は18:00。

 いよいよ、明日か。

もう今後の人生で、これほどまでに行くか行かないか最後の最後まで迷ったこの「旅」はこの先恐らくないだろうってくらいまで未だに迷っていた。確かに、明日の夕方には既にチケットを入手してて整理番号も最強の「7番」というラッキーナンバーのついた『アルプススタンドのはしの方』高校演劇ver.のチケットは手元にあるのだが、ちょうど今東京都は緊急事態宣言を受けている為、前日とはいえまだまだチケットの払い戻しができる状態ではある。そしてそもそもが舞台前日の今日、ここ関西にいる筈ではなかったのだ。というのも本来泊まるべき池袋駅近くのビジネスホテルの予約と、この日18:00から開演される予定であった吉田彩花主演舞台『雨雨』の観劇共々キャンセルのメールを出してしまっていたからだ。

とはいえ東京都の感染状況は年明け以降ひどさを増していって2000人越えが何日も続いているから東京から望まれぬお土産を持ち帰ってしまうことも十分考えられる訳で、ここは行かないという選択をするべきか、ここは思い切って行くべきか...要するにギリギリまで迷える状況までに自分を追い込んでいたのだ。

 そんな時、一昨年の年末、丸1日かけて池袋のシネマロサから渋谷へと駆け抜けたあの上田慎一郎監督の『スペシャルアクターズ』のイベントに参加すべく弾丸東京旅行をかました時のことをふと思い出した。

nenometal.hatenablog.com

 この時は今のようにコロナのコの字もなかったのだが、「朝早く起きれるか起きれないかという」今考えれば、幾分呑気かつプリミティブな理由で迷っており、その時に行くか行かぬかの判断基準に関して以下のような事を記述している。

前日土曜日に翌朝早起きできるように入浴剤「BARTH」を3錠ほど風呂桶に突っ込み、目覚ましも4:30ぐらいにセットして、バタバタ準備して在来線乗って7:30くらいの「のぞみ号東京行き」に乗って行きましたよ!

 これはどういう事を意味してるかというと【一応行ける準備はしておいて、もし早起きできれば行ってしまえ作戦】を敢行していたということだ。

よし、今回もその作戦で行こう、と。

一応着替えも枕元に置いといて、お土産などもカバンに詰めての準備万端にしておいて、10:00ぐらいには東京に到着できるぐらいスッキリと早く起きれるだろうかというある種の「人体実験」(笑)の敢行だったのだ。

さて、おやすみなさい。

🛌..................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................🛌................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................🛌.............................................................................................................ハイ、6時間経過

さぁ!!!!!起きたぞ!!!さて今は何時だ!!!!

多少寝ぼけ眼を擦りつつ時計を見ると午前5:30だった。これは今から準備して新大阪駅まで行って少なくとも7時台の新幹線には乗れそうだ、となると、10:00台には東京(品川)到着からの小田急線やらJRやら駆使して13:00から開演される『雨雨』当日券販売12:30ぐらいに下北沢には到着できる!!!!

よし!!!!!行こう!!!!!

今回、こういう関東・関西共々大変な時期で、今日1/11という日は、今回下北沢で開催される吉田彩花主演の『雨雨』と、『アルプススタンドのはしの方』が二つとも1日で梯子できるという事で色々と自問自答と検討と早起きの末、今日(1/11)は【不要不急】どころか【必要不可欠】な日という事でやっと自分の中で「Go To 演劇 サイン」が出たのだった!

.....という訳で東京へと向かったのであった。

そう、これが今回時短要請などが無ければ泊まる予定だったが九州出身の田舎者が複雑な東京の交通事情をクリアして演劇2作品観れたという魂の記録のドキュメントである。

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本記事の構成は以下の通りである。

Table of contents

0.弾丸ツアー、ふたたび

1.女優、吉田彩花との出会い

2.『雨雨』レビュー

2.1.『雨雨』概要

2.2 雨とカラーと音楽と...

3. 吉田彩花と鈴木実貴子ズ

3.1 One more mission

3.2 答えはきっと『イントロ』にあり

4. 女優から表現者へ〜吉田彩花の未来

 

1.女優、吉田彩花との出会い

今回の旅のタイムテーブルはこんな感じである。今回泊まりなしの丸1日の弾丸ツアーだからめちゃくちゃ大雑把でありながらも、実の所超過密スケジュールである事に気づく(笑)

❶品川着:10:45

 移動(新宿まで行って本屋に寄って小田急線乗って大体30分ぐらい)

❷下北沢:#雨雨@下北沢『劇』小劇場13:00〜15:00

 移動(小田急線からjr乗ったりなんたりして40分ぐらい)

❸浅草:『アルプススタンドのはしの方』@浅草九劇17:00~18:00

 

しかしながらよくよく考えれば、春から今までGCM配信やshowroomで自分の生活の一部になっている吉田彩花さんの主演舞台と夏以降何度も観まくった『アルプススタンドのはしの方』の舞台版が開催されるという事はもはやこれは、我が「2020年カルチャー縮図そのもの」なのだ。この二つの舞台がたった1日のうちに開催される、しかもいずれも同じ時期に開幕されていずれもこの日に千秋楽っていう偶然も偶然にしては出来過ぎ。っもはや「不要不急」ではなく、これは「必要不可欠」なのだろう。

そんな事を考えながら行きの新幹線の中で、今回の最初の舞台『雨雨』の主演女優である「吉田彩花」という女優さんを知ったキッカケについて色々と想起していた。

で、本当これが驚くほど偶然に偶然が重なったまさに綱渡り状態の「奇跡」的なシチュエーションなのでここで改めてご披露したい。

*1 

 【以下は、2年前の回想です...】

2019年の4月28(日)〜29(月)のゴールデンウィーク前半のことだった。

この時、東京は中野にて当時はよく東京にまでライブ遠征していた女性二人組ロックバンドである「ハルカトミユキ」が「中野フェス」という中野駅付近の中野市役所前の広場にて、様々なバンド(他にも神聖かまってちゃんもいた。)などをはじめとして様々なアーティスト続け様に出る無料フェスの野外イベントが開催される事になっていて、ちょうど私個人もその時休みも取れたので1泊2日の泊まりがけで上京する事にした。

で、前日からの泊まりにしたのは、たった1日だけ東京滞在ってのも勿体ないというのが主な理由で、中野駅付近のビジネスホテルを2週間ほど前から予約していた。

その品川駅を降り、中野駅に到着したのが12:00ぐらい。15:00時以降のホテルのチェックインまで時間がまだまだあるので、荷物だけはホテルに預けて中野の町をぶらぶらする事にした。

とはいえ、割とホテル付近は住宅街が多くて逆方向の中野ブロードウェイなどに比べてもあまり目立った物はなかったのだが、偶然一際目を引く建物に出くわした。

そう、本当に偶然に、あの演劇劇場のメッカである「中野ザ・ポケット」が目に飛び込んできたのだ。

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当然私は感動した。「ヘェ〜、これがポケットか!!あの演劇集団キャラメルボックスが本拠地のように公演しているあのポケット!!以外とこじんまりしてるけど劇場の作りはとても見やすそうだな。」とか思いながら入り口付近の公演ポスターを見て見ると「遥か2019」の文字が...。

おお、これが公演演目タイトルか...。

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 *2

で、時間を見ると今から3時間後、ちょうどチェックインが済んだ後ぐらいに千秋楽公演があるではないか!しかも遥(はるか)って人の話....明日のメインアクト、ハルカトミユキと同じ名前じゃん、話のネタにもなるし、チェックインまでにちょっと観てみようっとって感じで当日券を買って観た演目の主役が私が吉田彩花という舞台女優を初めて見たきっかけである。

 その時の感動を以下のようにツイートしている。f:id:NENOMETAL:20210115162210j:plain

 ねぇ!にしてもすごくないですか、この一歩でもズレたら決して吉田彩花という女優と決して出会えるじことはなかったこのギリギリ感。この日は大千秋楽ということもあって「ご縁袋」というのをもらったんだけど「人の縁」というものは不思議なものだという事を実感した訳で。

そもそもこれがハルカトミユキメンバーである福島遥と同じ名前である『遥か2019』という演目名じゃなかったら果たして私は観劇していたのかどうか甚だ疑問であるし、そもそものそもそもが翌日の中野フェスはそのハルカ氏が中野出身であることもキッカケで呼ばれたのだという事らしいので、彼女が中野区以外で生まれていたらあのフェスに出演していたかどうかも甚だ疑問であるし、だとしたら私も当然中野区に行くこともなかったろうし、更にこの演目は宝塚の如く月組星組と区分けされるダブルキャストである事にも注意したい。この時の出演が吉田彩花主演以外の女優さんである可能性もあったわけで、そうなるとその吉田さん以外の女優さんにここまでハマっていたのかどうかは分からない。究極的にこのブログ自体も生まれていなかったであろうし。

 あとこれが最も重要な事だが、この演目が個人的にとても良くて感動して大当たりだったのだ。

 

The Brief Story of『遥か2019』

「宇宙は、人が遠くを目指すためにある。」

2019年に生きる主人公の大学生「山村遥(はるか)」は、幼馴染の3人と今後の進路について話し合っていたところ、
なぜかタイムスリップ!やってきたのは1997年。遥たちが生まれた年だった。

遥が生まれた富士見町は、当時「宇宙開発の町」として知られていたが、現在その事業はとん挫。遥の母は、遥を産んですぐに病死している。

宇宙開発とん挫の謎と、母の死の謎を、4人は目にしていく。

 

結論から言おう。この時観劇中、もう止めどなく泣いたのだ、なんとこの私が!!

普段どんな感動ものの作品を見たり聴いたりしてもあまり「涙を流す」と言う行為をしない冷酷な私なんだけど、この時はもう溢れる涙を止める事ができなかったのだ。

「未来から来た者は過去を塗り替えられるのか?」

と言う命題自体、これまで演劇というジャンルが宿命のように突き付けられてきたテーマだったが、誕生年1997の主人公・遥の対峙すべき生い立ちは個人観劇史上最大級なヘヴィーさだった。この辛い運命を受け入れ、更に遠い未来へと飛び込もうとする遥。

もう【タイムリープ】の真の意味を知った瞬間であった。

あと本演目は、開演前BGMとして90年代の曲が数多くかかっていて何曲かは認知してるのだが、本編内で使用された楽曲を激しく知りたくなった位にハマった。Pet Shop Boysによる『Go West』は認知できたがその他も良い曲ばかりだったが何の曲か分からないので、もう2年前の演目で可能性薄なんだけど、是非読者の方でご存知の方いたらどなたか教えて欲しいくらい。 *3

で、当然その主人公の遥を演じた吉田彩花のTwitterのアカウントをフォローする様になり、いつしかShowroomをやっているという事実を知るようになって、初めはなかなか配信時間と自分の都合が合わなかったのだが、コロナをキッカケにこちらも自宅にいることが多くなり色々と配信に参加したり、コメントしたり、Twitterでリプライしたりするようになっていった。それから、極め付けはこの人の演技する姿に再会できるチャンスを得られたことで、それが去年の4から6月辺りまでのまさにコロナ禍第一波から二波のあの時期ぐらいに世界最速でエンタメを届けてくれた遠隔撮影ドラマ『GCM動画日記 case1』にも繋がってくるのだ。

nenometal.hatenablog.com

その舞台から1年9ヶ月。次章ではとうとう吉田彩花との演劇舞台での再会・この演目のレビューなどについて述べていきたい。

 

2.『雨雨』レビュー

2.1.『雨雨』概要

そして予定より早く、下北沢「劇」小劇場は一昨年の夏以来2回目なので迷わず12:00ぐらいに無事到着した。

 

『雨雨〜雨に唄えば。そこにはやがて雨は降らなくなるだろう。』

日時:2021年1月7日(木)〜11日(月・祝)

会場:下北沢「劇」小劇場

脚本/演出:マスダヒロユキ(ルート33)

 

corneliuscockblues.amebaownd.com

 

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話の内容はこんな感じである。

 

The Brief Story of『雨雨〜雨に唄えば。そこにはやがて雨は降らなくなるだろう。』

 

急に雨が降ってきたが傘を誰も持ち合わせていない。

そこにいるのは色々な状況の傘を誰も持ち合わせていない人々。

入院中のお笑い芸人水野とその姉妹。

彼の見舞いにきた後輩芸人とそのファン。

そして何となく将来のやりたい事に迷いつつある女子高生達

とその一人の子を狙っていると普通の大学生風の男子二人組。

会社勤めをしながら実は役者になりたいと願う女性。

そして少し影がありつつも歌うことが実は大好きな若い女性。

それぞれがこの雨宿りをする中で、挨拶したり、他愛もないことを話したり、

人生について話し合うようになったり、といつしか心通じ合うようになって

それぞれの登場人物たちが自分にとってどのように生きるべきなのか、

それぞれの本当に生きる指針を見つけ出すようになる。

 

そしてこの中で、今回の主役が吉田彩花演じるどこかミステリアスな影のある女性、雨宮薗子である。

 そんな彼女らが、雨宿りをしながら不意に話しかけたりしてのぞかれる人間模様と人生観が垣間見えるといった風情の作品だった。とはいえ、別にシリアスに止まらず、脚本と演出担当のマスダヒロユキ氏が吉本出身であるということからか、普通の演劇に比べかなり新喜劇を彷彿とさせる笑いの要素も多く取り入れられていたと思う。

とはいえ、個人的に印象に残ったのは、人生晴れの日だけではなく、必ずこの世界では雨が降らない事はないという残酷な事実の中で垣間見え、照らし出される彼らの人生観の部分。

「彼ら」といったが、別に劇中だけの話ではあるまい。これは当然僕らの状況にも当てはまっていて、喜びや、成功や楽しみだけではなくて、時に怒りや後悔や惜念の思いに満ち溢れる事がある。いやむしろそっちの方が多いのかも。でもそんな時に必要なのは案外ギラつく太陽光ではなく、雨音を聴きながら様々な事を考える時間ではないだろうかと思ったりしたものだ。

 そんな雨宿りの中で時折挿入される様々な「歌」がとても美しくも力強く心に響いてきたものだ。

ところで、話は変わるが、雨宮薗子という女性は、先にも触れた通り水野兄妹はじめ他の登場人物達に比べ世俗感がないというか、ミステリアスな存在だったんだけど、長年演劇集団キャラメルボックスの幾分ファンタジー入った設定に慣れ親しみまくっている私的には、観劇しつつも彼女の設定として以下のような妄想をしたものである。

 

❶(歌手を目指す女子高生の未来の姿であり、実際に歌手になっている)タイムトラベラー

❷(彼らに生きることの素晴らしさを伝えたかった不緒の事故かなんかで死んでる)亡霊

❸ (雨降りの)神、雨女の神

❹ (または音楽の女神)ミューズ

 

....という妄想。

このような妄想をかました理由は、雨宮薗子が「今友達はいないけど、昔はいた。」的な台詞があって歌手志望の女子高生と一緒に歌い出した瞬間にあったからだ。

❶にもある通り過去の自分に歌う事の大切さを教えに来たんだなと一人納得してたものだった。あと、登場人物全員に生きる事の大切さを教えてくれる❷亡霊的な役目か、或いは雨宮は一旦死んでるが何かの魔法で生を受けて生きているんだけど、水野兄が死にそうな状況なので彼に命を与えてまた元に戻っていく、とかも思ったり。

だが、その後雨宮さんが水野姉妹と思いっきり『アンパンマンのテーマ』を歌っていたのを見るにつけ半ばズッコケそうになりつつ観てて、別段そういうことでもなかった....という自爆はさておいて(笑)。

 

2.2 雨とカラーと音楽と...

『雨雨〜雨に唄えば。そこにはやがて雨は降らなくなるだろう。』という作品は【色、音楽、そしてメッセージ】という3点に焦点が置かれていたように思う。その証拠として、制作チームである演劇ユニットCorneliusCockBlue(s)(CCB)による一連のツイートを提示したい。

 

 

 

そう、確かに雨に唄えば。そこにはやがて雨は降らなくなるだろう。】と登場人物達が言った後で、上演前にこのキャスト名の入ったチラシを見てて、そのクロスワードのように連なる「そこにはいつか虹がかかる。」というセリフを雨宮が発した瞬間に後ろの照明が水色黄色....とまさに虹色になってビカビカと放たれたので「うぉ〜!!!」と思わず鳥肌が立ったものだ。

そうそう、水色といえば、場面転換の時に『水色の水』(by. Thee Michelle Gun Elephant)のイントロがかかったが、個人的にTMGEの音楽が演劇で使われるの初めてだったけどここまで物凄いハマるかと驚いたものだ。この『水色の水』は死ぬほどカッコいい楽曲なので一応上げておこう。


水色の水 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

そういえば本劇団のブレーンであるマスダヒロユキ氏の肩書きに「DJ」というのもあったので1990s以降の日本のrockに造詣でもあるのだろうか。劇団ユニットCorneliusCockBlue(s)のcorneliusってのはあの小山田圭吾のプロジェクトを意識してそうだし....。

*4

 あと本劇を見てもう一つ(というかめちゃくちゃ)驚いた点があった。そもそもが『雨雨』吉田彩花以外キャストに関して何の前情報もなく行ったのだけど、あの映画『アルプススタンドのはしの方』の宮下恵役で出てた中村守里が主演の『書くが、まま』というこれまた傑作映画があるのだが、そこでのいじめっ子役の子(松原瑚春)が出てたのにはめちゃくちゃビックリした。主人公をいじめる役というからには決して良い人では無いが、どことなく少女の無邪気さも感じられる不思議な役柄で個人的にかなり印象に残っていた。

 以下の予告編では0:36~0:38に出てる目のクリッとした女の子である、まぁ目がクリッとした可愛い女子なんだけどこれが結構なヒール役なんです(笑)


映画「書くが、まま」予告編

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(上の写真では真ん中の目のクリッとした(←しつこいわっ)女の子です。)

映画とは違って、本舞台では彼女の役柄は映画での中学生役から年齢的にワンランクアップしての女子高生役だった。歌手を目指そうとするもう一人の女子高生である友人を応援しつつも何となく自分の将来の目標を見つからずにいるんだけど、最後の最後にようやくダンスをもっと極めよう、と決意を新たにする今回は全くヒール要素のない役柄であった。

 

あと、これが最後の最後なんだけど、本演目で気になった点を二点以下で述べたい。

❶一つは、吉田彩花演じる雨宮薗子に関してで、薗子は前半から中盤にかけて他のキャストに比べ、それこそ幽霊説も芽生えるくらいに終始ミステリアスな影のある女性を演じ切っていたのだが、終盤あたりから突如高速ツッコミモードキャラクターに変貌するのだ。というかこのツッコミの速さは、私の中では雨宮薗子の姿ではなく、Showroomやコミカルな演技モードの時などで見せる「素に近い吉田彩花」のキャラクターそのものなのである。この薗子と吉田彩花のギャップを脳内で埋め合わせられる私のような吉田ファンだったら問題ないと言うか逆に拍手喝采だったのだが、彼女を初めて見た人や真面目に演劇を分析するタイプの人が見たら少なからずのキャラクターに関しての違和感があったのではないだろうか。

❷さらに二点目は、主催のマスダヒロユキ氏がしきりに「昨日に比べ、客席のリアクションが乏しい(薄い)」事を指摘していたが、これはハッキリ言って舞台のストーリーに没頭して見たいタイプの私のような人間には逆に現実に戻されたようで集中力が削がれてしまったのも事実。実はそういう客のリアクションが薄く感じる時っていうのは(私も人前に立つ仕事をしているからわかるが)別に大人しい人が多くて白けている、というわけではなく、寧ろ真剣に見ようと全力で受け止めようとする人が多いとも考えられるし、逆に言えば、リアクションがないのはプレゼン側にも少なからず問題がある時でもあるのは身にしみてわかっているからだ。

そこは"Tomorrow is another day"という言葉がある通り、昨日起こった全く同じ事が次の日にも起こることはまずないし、その辺りのライブ感は、フレキシブルかつ臨機応変に臨むべきではないかとも正直思った。だからこそ生の舞台の醍醐味があるのだからとも思うし。

 以上、気になったのは二点だけで、全体的に兎にも角にも素晴らしい舞台でとてもスッキリした気持ちで最後の拍手を送る事ができたように思う。その後もその余韻を引きずるようにもっと下北沢界隈をもっとうろうろしたかったくらいだった。が、その後次の舞台のある浅草駅ヘと向かわねばならず、物販を少し購入して、小田急線へと急ぎ足で飛び乗ったものだ。

そして、その電車の中で早々と吉田彩花の以下のツイートがアップされたのを確認する。


 

3. 吉田彩花と鈴木実貴子ズ

3.1 One more mission

さて、ここで前章の吉田氏は「死ぬほど嬉しい差し入れを頂いた。」とツイートしているのに気づかれただろうか?

 実はその中の差し入れの中に私が彼女に差し上げたものも含まれているのだ。

それはズバリ、今回上京する際に満を辞して準備しておいた以下の二枚の大名盤CDである。

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その差し入れとはズバリ、このブログでも何度も紹介している名古屋の二人組オルタナティブバンド、「鈴木実貴子ズ」関連のものである。
❶ 吉田彩花さん宛のサイン入り名盤CD『外がうるさい』*5

❷ 現時点で配信などされていない通販オンリーでしか聴けない鈴木実貴子ソロ傑作
   『さびつく』(こちらも彩花さん宛にサインが入っている。)
❸ あと、鈴木実貴子ズの本拠地「鑪ら場」やライブ物販で必ず販売されている「手ぬぐい」
    である。

*6

このキッカケというのも彼女は元・バンドマンということもあってとても音楽のセンスがとても良くて、時折Showroomツイキャス配信などでのカラオケやBGM楽曲のセレクトにピンとくるものが多いのだ。

で、別に私はバンド経験も音楽センスが別段良い訳ではないが、偶然なんだけど吉田彩花との音楽の趣味が合うのではないか、センスが近いという事にいつしか気づき始めたのだ。

そこで私は絶対にこの人は鈴木実貴子ズの音楽が好きだと思い、以下のようなリプライを送ったのだ。

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そう、直感は当たった!まさにドンピシャだったのだ。

そうこうしているうちに実貴子ズのLIVEに行った時に、メンバーである鈴木実貴子、いさみ(ズ)の両メンバーと話してる時に、時折彩花さんの話題になって「アカペラで『問題外』をカバーしたり、ツイキャスラジオ配信で実貴子ズの音楽を熱く語って、かなり愛聴してくれてる舞台で中心に活躍してらっしゃる女優さんが東京にいる。」という話をこちらから降るようになって二人ともとても喜んで下さっていたのだ。
まぁズさんの方は何故か「えぇ?女優さんが、僕らの音楽を!演技に支障はないんですかね??」と何故か心配しているが...笑

 そんな話の流れの中で、私の中である考えが浮かんだ、いずれ近い将来、吉田彩花関連の舞台であるとかイベントかのどこかのタイミングで両者のファンである私がこのこれらの音源をフィジカルCDという形でサインをしても頂いて直接お渡ししよう、という話になって(ってほぼ私が独断で決めたのだが...笑)今回の差し入れ企画へと連動して行ったのである。

 

3.2 答えはきっと『イントロ』にあり

そう、ここで『イントロ』という言葉があるがこれは先にも触れた通りま切れもなく彼女が鈴木実貴子ズの楽曲を聴く中でインスパイアされてできた楽曲タイトルである。

これがそのきっかけツイートである。

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そして1月18日の未明、彼女はこの『イントロ』とタイトルされた曲をアップした。

彼女はこの曲の中で以下のように歌う。*7

*8

 

【あきらめていこうぜ そんな歌を聞いて 期待していた自分に気づく

ぶっ壊れていこうぜ そんな歌を聞いて 守っていたんだって嫌気が差す 

あきらめたいけど あきらめられない あきらめられないけど あきらめてないな

こんな夜には あの歌を聞いて 確かめてみるんだ 僕の心  Oh..

(中略)

何にもないけど誰かがいて、何にもないけど 笑っていればって

思う朝には あの歌を流し 確かめてみるんだ今の僕をOh...Oh...

寂れた弦は変えずに弾いた 削れたピークは逃げるように滑る

覚えたコードはあれから増えない 擦れた指に血が滲む

寄り添う歌など 僕にはいらない 励ます歌などまぶしくて聴けない

優しいうたを作る前に聴こう あの歌はぼくを吐き捨ててくれる 

余計な心を吐き捨ててくれる  『イントロ』より抜粋

 

この歌詞にある「そんな歌」「あの歌」とは、紛れもなく 実貴子ズの『あきらめていこうぜ』の事であり、あの曲へのアンサーソングである事がわかる。*9

この新曲『イントロ』Showroom配信で2度聴いたことがあるが、ポジもネガも全てひっくるめて先ヘ行かんとする人生という発火装置に対する起爆剤のような歌で本当に素晴らしい曲だと思う。本曲は『あきらめていこうぜ』以外にも『なくしたもん』『アホはくりかえす』などの、荒野にポツンと立ち尽くし何もない地点からスタートする事への悲壮なまでの覚悟が窺える意味でのシンクロニシティを感じる。

ちなみに『あきらめていこうぜ」以下は6:31辺りから聴く事ができる。


鈴木実貴子ズ at 鑪ら場6/7(日)【リハビリワンマン 二日目】本編最後〜アンコール編

正にこの曲を聞けば、『イントロ』は鈴木実貴子ズの遺伝子を継承しつつの吉田彩花 オリジナル楽曲である事を認識できよう。 これがもうお節介な事に、既に先方に伝えてるし、実貴子氏も興味津々目に『あきらめていこうぜ』という曲のチョイスに注目してて是非聴きたいと言っていたし、実貴子ズマニアの私も名曲太鼓判を推してるしで、これは間違いない。

いずれ何らかのリリースという形でこの曲が世の中に出る事を期待している。

 

4.女優から表現者へ〜吉田彩花の未来

今回は残念ながら吉田彩花との面会は果たせず、実際にお会いできなかったのだが、1日のうちで二つも演劇を観に行くことができ、尚且つこのミッションを達成できたのは我ながら奇跡だった。あとコロナ感染の可能性もなきにしもあった中での上京だったけど、あれから1週間経とうとしてる今現在特に何の症状もなく至って健康である、まぁ大丈夫&大成功ってことだ。本当に行ってよかったと思う。*10

そしてそして最後になるが、私が吉田彩花という女優のなぜ、そしてどういう点に惹かれるのかというと、やはり根っからの東京人ならではの人情深さとある種それに根差した芯の強さを兼ね備えている事が大きい。そしてそんなパーソナリティを武器に、この大都会・東京という地でしっかりと立って生きている、そこに限りなく惹かれてしまうのである

何となく日々更新されるTwitterの文面で彼女はよく独自の言葉を用いる。
【おはこんにち】

【行ってき!】
などなどの独自で編み出したであろう「サイカ語」と呼ばれる言葉たち(スイマセン今作りましたw)を武器に稽古だ、収録だ、撮影だ、企画会議だの日々表現者としての道を突き進んでいる様子が想像できるのだが、本当に素直にカッコいいし、本当にリスペクトを込めて支持できる素晴らしい女優であると思う。TVはあまり観ないが、それ以外の映画作品や舞台演劇などと割と人以上に色々と観ている自分だからこそ思うが、もう最高の女優であり、彼女は東京が産んだ最高傑作女優と断言しても良い。このブログタイトルには1ミリたりとも誇張はない。

しかも、もっと楽しみな事に、彼女は去年の夏ぐらいだったと思うが、「S-igen企画(さいげんきかく)」と言う名の独自のエンターテイメント演劇企画を打ち上げたのだ。

9484839322.amebaownd.com

 

コンセプトは以下の通りである。

 

S-igen(さいげん)企画とは…

小・中劇場の舞台を中心として活動をする
女優・吉田彩花が主宰のプロジェクト。

”頭で思い描く【夢】を再現する”
“やりたいことに際限を作らない“
”小劇場(=S)でも威厳を持て”
をコンセプトにエンターテインメントを
創っていく。

 

公式hpなど見れば、もう早々と次回公演「歌えピエロ〜movie by youtu部?」と言う名の演目も今年4月に予定されている。今後はまたこのフォーマットをもとに何か新たなことをやろうとしているのだろう。

*11 

 

....と言うわけで、最後にこの吉田彩花の今後ますますのご活躍を期待すべく、バンド時代を思わせる歌声とバック演奏とともにパフォーマンスされるELLEGARDENの『風の日』のカバー動画を公開してるのでまたまた15000文字を超えての長尺記事になってしまった(←うそつけ確信犯だろw)本記事を締め括りたい。 *12


【ELLEGARDEN】風の日【カバー】

 
 

*1:shiki-sai.amebaownd.com

*2:www.aube-girlsstage.com

*3:しかも遥というキャラクターのみならず美幸という女の子も舞台に出てきてたよな。もうハルカトミユキじゃん。本当どこからとっても偶然が重なった舞台である。

*4:

corneliuscockblues.amebaownd.com

*5:本CDは時を経ても消えないようサイン部分にカバーも被せている。

*6:『外がうるさい』全曲レビュー

nenometal.hatenablog.com

*7:この日、1/18偶然にも鈴木実貴子ズの新曲『正々堂々、死亡』もMVとダウンロードが開始されたのは驚いたね。

*8:本歌詞はShowroom配信当時でメモをとった歌詞なので漢字などの違いはあるかもしれません。中略の箇所は個人的にどちらの表現なのか自信がなかったから省略しておきました、という点を付記しておく。

*9:ここに脚注を書きます

*10:二つ目の演劇『アルプススタンドのはしの方』に関してはいずれ「東京弾丸ツアー後編」にて後述する予定である。

*11:S-igen企画公演 vol.1

「歌えピエロ〜movie by youtu部?」

脚本/演出 吉田彩花

2021年4月13日(火)〜18日(日)全10公演

@高田馬場ラビネスト

*12:で、これはボーナストラックとして1/21にアップされたこの曲にて注釈も締めくくろう。こういう明るい曲も彼女の魅力でもある。

師走になればコケシは〜松本大樹監督『コケシ・セレナーデ』妄想レビュー

0. 失われた夏

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 世界の三大喜劇王と呼ばれる、イギリス出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)が以下の名言を放っている。

 

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。)

 

この言葉って以前からなんとなく頭の中にあって「人生は喜劇であり悲劇....まぁそんなもんだろうな。」ぐらいに思ってたけど世界史の一部として「コロナ禍の年」として語り継がれるであろう2020年をクローズアップした時にある種実感と絶望感を持ってこの悲劇をかみしめることができる。

でも、同時に多少懸念もあって、いつの日かこのコロナ禍が完全に収束した時に"ロングショット"でこの2020年を振り返った時にこの世の中はキチンと「喜劇」として解釈さているのだろうか?と疑問に思ったりもする。

確かに元総理大臣のなんちゃらマスクとか、現都知事のフィリップ芸はリアルタイムでも怒りを通り越して笑いの境地に入ってていずれ平和な世の中になれば「壮大なコント」として解釈されるかもしれないが、もはやそういう域に達することができるのか不安感すら感じる。

まぁ深いことは置いといてそれだけこのチャップリンの言葉には今後の全人類の運命を背負うかの様な重みがあると思うし、まさに今その悲劇と喜劇の狭間に立たされた様な2020年12月30日の現在であるし、この言葉が立証された時に希望の光が立ち昇る。

そんなことを思わざるをない。

それに関連して、コロナ禍に塗れた「2020年の夏」は本当に特殊な夏として我が人生に深く刻まれることだろう。

 こういうご時世ゆえに洋画の大作が日本でも公開されていない現状なので、逆にインディーズ映画が数多く公開されていて、かなり注目できた点は良かった。ほぼ私は毎週末になると第七芸術劇場、セブンシアター、塚口サンサン劇場、元町映画館などミニシアター系映画を渡り歩いていた寧ろ例年よりも映画充な夏を過ごせた様に思う。

しかも座席もソーシャル・ディスタンスを保たれて隣に誰もいない状態で座席に座れるし、それはそれで楽しかった気がする。

 でも、とはいえそもそもが私は夏はフェスとか花火大会とかキャンプなどに行くタイプではないし結構夏の定番行事に無関係の男にも関わらずどこか特殊な夏を過ごしてるなぁと言う感じがあったのはやはりコロナ禍によって「何かが失われていた」感覚は否めない

 そんなアウトドア派でも何でもない私にも夏の恒例行事として「美術館鑑賞」というのがある。これは特に私がアートに詳しいとか美術館巡りが好きだとかそういう意味合いは全くなく「避暑」という事となんとなく真夏の蝉の泣き声のうるさいさ中のうだる様な暑さの中で様々な作品の中に没頭できるあの異次元感覚が堪らないからだ。もっと言えば夏のあの暑さと別次元のようなあの美術館との雰囲気とのギャップがたまらないってのもある。だから冬の美術館にはさほど興味はない(笑)。でも今年は少し事情が違って、そういう美術館も事前に電話なりで予約がいるだの、検温が必要だの、しかもこんなご時世だから目玉展示もなさそうだしという事で完全に行く気をなくしていたのだ。

今年は美術館巡りは諦めよう。そんなことを思っていたそんな時に、ふとこんな葉書が送られてきた。

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.......何と『みぽりん』の松本大樹監督自ら丁寧な文字と感謝の言葉とともに書かれている新作『コケシ・セレナーデ』の試写会の案内では無いか。しかも驚くべきことに私が毎年のように行っているその夏の象徴ともいえる兵庫県立美術館」内のホールではないか(笑)。

これは運命だ。行くしかない。

これは、この奇妙なタイトルの映画は、きっと「失われた夏」をほんの少し取り返してくれようとしているのだ!

 もはや二つ返事でものの数秒でDMにてOK!行かせていただきます!!!の返信を送った。

 

そう、そしてこのブログはそんな「失われた夏」と徐々に公開されつつある本作品とを結ぶつける言わばリンクエイジの様な記事であって欲しいと思っている。


映画『コケシ・セレナーデ』予告編

 

本ブログの構成は以下の通りである。

1. All About "コケシ・セレナーデ"

1-1. Overview of 第一小節

1-2. Focus;はるかの『空』

 2. December comes, KOKESHI will...

2-1. Overview of 第二&三小節

2-2. Focus;無伴奏ソナタ

2-3 Focus;みぽりん

3 まとめ

 

1. All About "コケシ・セレナーデ"

1-1. Overview of 第一小節

時はきた!8月15日(土)、記念すべき全世界初公開となる『コケシ・セレナーデ』関係者試写会は本作のキャストのみならず、前作『みぽりん』の出演者の方々、そして【みぽらー】と呼ばれる『みぽりん』以来の松本大樹監督作品を愛してやまないリピーターも遠征組も含めて数多く参加していた様子でかなり華やかな試写会だったと思う。

そんな中試写室が暗くなって、いよいよ公開された画面上にはまさに必殺技であるかの様なジャズ・ナンバーから穏やかに始まるオープニング。前作はエラ・フィッツジェラルド『I'm in Love』だったが今回はグレン・ミラーのスタンダードナンバー『ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)』

そ、そうか!!!!『コケシ・セレナーデ』だから【セレナーデ】なのか!!

このあまりにもど直球なタイトルに今作に対する余裕すら感じさせた。

 以下は公式ホームページからの引用である。

【Story of コケシ・セレナーデ 】

新型ウイルスが蔓延する中、
兵庫県三田市に住む桜井夫婦は自宅で自粛生活を送っていた。
仕事を完全に失ってしまい、落ち込む作曲家の夫。
そんな夫をよそに、妻は外に出られないストレスを紛らわすため、
夫のクレジットカードで一体の"こけし"を購入した。

それ以来妻は次々と新しいこけしを買い続け、
家計は圧迫されるばかり。
夫は大量のこけし達との共同生活にも辟易し始めていた。
しかしある時、こけしによる不思議な出来事が訪れる。

買った覚えが無いのに、気が付けば増えている新たなこけし
置いた覚えのない場所で、ひっそりと佇むこけし

まるで何かを伝えているかのような奇妙なこけし達に導かれ、
夫婦が向かった先は...。

 引用:公式サイトより

kokeshiserenade.com

 第一印象で観てまず思ったのは当時このコロナ禍においても数多くの映像作品がリリースされており、とは言え、世の中の多くの作品は「このご時世リモート撮だから、そこは多めに見てね」的なZoomスタイルが主流なのに対して、この『コケシ・セレナーデ』 は真っ向勝負の【長編作】だった点に少なからず驚いたものである。

まぁ一瞬だけだけど、主人公が友人達とzoomで語り合っているシーンがあったりするのだが、これと言った特別感はなく日常のワンシーンとして溶け込んでるし、出演者がマスクをしているシーンも皆無、というより一人霊媒師のスタッフ役で『みぽりん』同様「某」氏が黒のマスクをしているのだが多分あの方はコロナ関係なくてもマスクしているだろう(笑)。

....という訳でで松本大樹が凄いのは、世の中の多くの作品が「このご時世リモート撮だから、そこは多めに見てね」的なZoomスタイルが主流なのに対して『コケシ・セレナーデ』 は真っ向勝負の【長編作】だった点である。あの衝撃と混沌と狂気のクライマックスで、映画の既成概念をぶち壊したパンク作長編『みぽりん』の次男としてカウントしても何の欠損もない。

 それにしても、本作公開前にも、TwitterなどのSNS上のメイキングでのワンシーンとして膨大なコケシ写真を目にしてきたが、これが一体物語とどう関係するんだろう、と疑問に思っていたものだが、この全てのコケシがラストでその存在意義を持つようになるのは恐れ入った。

正に我々が今まで人生で培ってきた【コケシ観】が根底から覆るとも言えようが、このファンシー過ぎず、はたまたリアル過ぎずの絶妙な愛おしさを誇るコケシに目をつけるとは松本大樹監督の発想力は恐るべしと思ったものだ。

よって、『コケシ・セレナーデ』を敢えて定義すれば、どんどんコケシが増えていくという意味でホラーであり、実は衝撃のラストで知るあの事実によってどこかファンタジック入ったヒューマンドラマでもあるのだろう。最後のクライマックスシーンで大勢のコケシを目の前にして萌々かがすすり泣きながら夫の作った渾身の新曲『コケシ・セレナーデ』を熱唱するシーンなどは素直に感動したし、場内でもすすり泣く声が聞こえてきたほどだ。

あと、その霊媒師と主人公のあの衝撃の〇〇シーンなどはコメディ(いやあれが寧ろホラーかw)全て...いや、寧ろそのようなジャンル分け自体が無意味だと言う実感が、観賞後もじわじわとボディブロウのように効いてきたものだ。

 そしてそういった感情はいつになるのかわからないが、劇場公開初日まで付き纏うのだろう、あの日見た大量のコケシのように日々私の身体で増殖するのだろうと思いつつ、

夏の美術館を後にしたものだった...

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1-2. Focus;はるかの『空』

本作『コケシ・セレナーデ』の重要なファクターとして「音楽」があるのだが本作では最後に奏でられた主題歌『コケシ・セレナーデ』という曲がとても印象に残ったものだ。

本曲の魅力を語る上で比較対象としてうってつけなのが『みぽりん』のキャストによる、コロナ禍に晒された今の我々の揺れ動く心理をリアルに浮き彫りにしたリモート作である『はるかのとびら』主題歌『空』である。

合計して30分くらいある作品で26:03辺りからこの曲が聴こえてくる『空』にふと耳を傾けてみよう。


リモート短編映画『はるかのとびら』

『はるかのとびら』を概観すると

【ステイホーム期間の中で数多くの不安な気持ちに苛まれた本人役の津田晴香が未来からzoomで現れた『みぽりん』出演者達による励ましを受けるも、津田の精神的ダメージは殊の外大きくて仲間達の励まし虚しく全てが玉砕に終わってしまう。そんなある日、津田春香のPCスクリーンに出てきたのは、少し先に生きる未来の津田春香だった。】と言った『みぽりん』の続編というよりもどちらかというと『コケシ・セレナーデ』に寄せた感じを受けたのはコロナ禍を意識した設定だったからだろう。

そして次に音楽について概観すると、これはいつの未来だろうか。コミュニティ・ラジオかなんかの仕事に行こうと、津田が晴々した気分でドアノブに手をかけた瞬間の爽風と太陽光を彩るかの様にパァッと広がる青空の様にリフレインされる片山の奏でるピアノの音。

そんなシチュエーションでこの曲はこんな歌詞とともに聞こえてくる。

*1

 

【未来は不確定で 不安な夜もあって それでも私は信じて生きる また未来で待っててね】(from『はるかのとびら』メインテーマ『空』)

 

 これドアノブに手をかけた瞬間の爽風と太陽光を彩るかの様にパァッと広がる青空の様にリフレインされる片山の奏でるピアノの音の鮮やかさ。

まさに『空』というタイトル通りの青空を突き抜けるような清涼感がそこにあった。

 

そして今回の楽曲『コケシ・セレナーデ』についてもみていこうか。

本楽曲もピアノから始まる。ただ、そこから一歩踏み込んだ光景があって『空』にあった様な清涼感はそのままにどこか内省的な思いも共存する不思議な感触の曲だったという印象があった。あと少し違うのは前作よりもゆったりとしていてどこか、しんみりとしたオープニングなのは妻・桜井萌々香のすすり泣く声がイントロから歌詞の出だしから聞こえることが象徴している。*2

 

【もう一度会えたら何を伝えようか 単純だけども愛してるから 離れても歌うよ

あなただけのメロディー 永遠に響き渡る セレナーデ 

(from『コケシ・セレナーデ』メインテーマ『コケシ・セレナーデ』)

 

 

このフレーズの印象は本作を観る前と観た後とでは180度以上違うニュアンスで持って響いてくる。本作を観たものなら誰しも「離れても」「永遠に」「もう一度会えたら」...もっといえばセレナーデというタイトルすらも歌詞一つ一つから醸し出されるニュアンスが大きく深く変わってくることに気づくだろう。敢えてこそのこの歌詞を歌い放つ桜井大輔のどこぞ感じるヤケクソ感をも含んだ愛情の深さに我々は感動を覚えるのだ。

『空』は未来の自分から今の自分へ解き放つメッセージ・ソングであり『コケシ・セレナーデ』は今の自分から過去のあの人へ送るレクイエムという意味で大きく異なる本当に対照的な2曲である。

 

2. December comes, KOKESHI will...

2-1. Overview of 第二&三小節

あれから4ヶ月。場所は神戸OSシネマズ神戸ハーバーランドにて、12月10日から1週間の念願の「劇場上映」という形にてあのコケシ達は帰ってきた。この日の感想は、ハッキリ言って超がつくぐらいシンプルで、とにかくこの映画は音響や広いスクリーンでの設備が整った映画館の方が、美術館の視聴覚室よりももう数百倍も面白さが伝わる映画だという事がわかった。

*3

前節で触れた、桜井大輔の奏でる魂の叫びの様なボーカリゼーションのみならず、霊媒師のお祓い事にバックで流れるややアンビエントがかった曲であったりとか、チャイコフスキー「バレエ組曲くるみ割り人形》」などと言ったクラシック音楽の重低音をはじめとするサウンドクオリティ以外にも、妻・桜井萌々花の笑い声の残響音に至るまでとかく音も凄く印象的だったのだが、これは試写会室と映画館とでは音の響きが大きく異なるからだろう。

後、もう一つ個人的に思うところがある。第一小節めに思っていた以前抱いていた「少しホラー入っている様にも見えるけど実はファンタジー要素も含んだヒューマンドラマ」という印象から大きく変わった。

 どのシーンかといえば、LIVEが息の根を止められていたあの頃を経て音楽が鳴り始めた今日に観るとあのラスト近くでこれまで妻が購入した大量のコケシを集め物言わぬ客として並べて歌うあのシーンである。

あの拳を振り上げることもなく、声援を上げることもなく、ただひたすらうっすらと笑みを浮かべて並んでいるコケシ客の姿は紛れもなくコロナ禍以降のライブの観客の表情そのものであり、コケシ達が黙って耳を澄ませるシーンも今のLIVEの様子をリアルに彷彿とさせるのだ

そう考えると、この話の主人公桜井大輔は、実際の片山大輔と同様ミュージシャンである。この映画のロケ地が実際に彼が住んでいる三田市ということも関係あるのかもしれないが、正に彼自身このコロナ禍においてもライブなどの音楽活動がなかなかできない状況にあるだろうし、この中の台詞のいくつかに正にここの所、彼が感じていたリアルな言葉もあったことも予測できる。結論づけると、本作はある意味片山大輔という一人の音楽家のドキュメンタリーであるのかもしれない。

本作がコメディかサイコホラーか暖かいヒューマンドラマか或いは残酷な悲劇か一人の音楽人のドキュメンタリーか未だに判別できないのだが、きっとその全てが内包されていてもうこれはコケシ・セレナーデ』 という一つのジャンルであるという事は間違いない。

『コケシ・セレナーデ』はもっと大きな、そして多くの映画館で鳴り響くべき傑作であると確信したものではあるが、スタンダート作品としてある演劇のスタンダードな演目が頭の中でパッと浮かんだ。

 

2-2. Focus;無伴奏ソナタ

さて、その演劇の名は演劇集団キャラメルボックスの人気演目『無伴奏ソナタである。

本作はもうDVDでも、劇場でも何度見たかしれんキャラメル個人的観劇史上ベスト3に君臨する傑作演目である。自宅鑑賞レベルですらクライマックスに巻き起こる客席とか舞台とか演出とかあらゆる次元を超えたある瞬間に打ち震え涙した、4D映画でもなし得ぬ演劇ならではの奇跡の様な話である、と言って良い。*4

【Story of 無伴奏ソナタ 】

孤高の天才音楽家であるクリスチャン・ハロルドセンはある規律を破って

音楽を作ることを禁じられてしまう。

だが音楽を愛してやまない彼は罰せられては指を切られ、罰せられては声を失ってしまう。

でもそんな、音楽を奏でる全ての術を剥奪され、ボロボロになった果てに生まれた彼の渾身のオリジナル曲「シュガーの歌」。

その歌が全世界に鳴り響いた時、彼は生まれて初めて喝采を受ける。

彼を包む喝采はこんなにも希望と称賛と肯定に満ち溢れていた。


という話で、とにかく泣いた。涙でグチャグチャになりながらも希望と絶望の入り混じった拍手って生まれて初めてだった。

多分あれはきその舞台上からはこの喝采の中彼の生き様を肯定する観客一人一人の顔で涙の光がキラキラ輝いていただろう。クリスチャンは確かにこの舞台に降臨し光輪(こうりん)に包まれた。キャラメルボックスは本当に彼を降臨させ真の「シュガーの歌 」を響かせた。そんな演技や演出を超えたリアリティがあったのだ。

が演劇を愛す事を卒業できない理由は全てこの演目にあったと断言して良い。

キャラメルボックス アーリータイムスVol.3『無伴奏ソナタ』

 で、なぜ私がここで演劇作品を持ち出したのか。紛れもなく『無伴奏ソナタ』の主人公クリスチャン・ハロルドセン本作品と『コケシ・セレナーデ』の主人公桜井大輔とのシンクロニシティである。以下。それを表にまとめたのでご覧いただきたい。

 

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上記の表をご覧いただければ分かるように、二人とも天才音楽家であるのと同時に音楽を奏でられない境遇に置かれているにも関わらず、音楽に向き合うことを余儀なくさせる様になるという境遇において共通している。だが、この二人の大きな違いは「愛する人」の有無の相違で、クリスチャンの方は天涯孤独のという立場ではあって桜井大輔は奥さんはいたが、現実的には孤独である点でもシンクロニシティを感じる。

更に数多くの楽曲を生み出すもコケシ達にボツを食らってしまう大輔と音楽を作ってしまったばかりに何度も罰を食らってしまうクリスチャンとの相違が明らかである。

次節では『みぽりん』を比較してみよう。

 

2-3 Focus;みぽりん

松本大樹監督作品で最初に知ったのはちょうど去年の今頃、池袋シネマロマまで出向き、『スペシャルアクターズ』とともに2度ほど観に行ったことがすでに懐かしい『みぽりん』である。この辺りのレビューは去年の今頃、シネマロサに行った時にみっちりと過去記事にしておりこの辺りをご参照いただきたいのだが、ここでは『コケシ・セレナーデ』との比較というテーマで論じていきたい。

両作品は個人的にみぽりんは【混沌】、コケシは【洗練】と捉えていて、音楽アルバムで擬えるとすると、the beatlesのアルバムではコンセプチュアルながらも後半である種のカオス的な感覚をもたらす意味合いで『Sgt.peppers lonely club hearts band』であるとか『white album』が『みぽりん』で、割とすっきりと全面的なコンセプチュアリティを維持してて無駄ない構成になっていると思う『Rubbor soul』や『Abby road』は圧倒的に『コケシ・セレナーデ』だと思う。あと個人的には最もしっくり来てるのだが例えばコーネリアスの名盤に例えると『1st questionaward]      『69⚡︎96』だとすると今回の『コケシ・セレナーデ』は『ファンタズマ』ってぐらい真っ向勝負感を感じている。

*5

ちなみに私は音楽でも初期衝動任せの1stアルバムよりも、より焦点を絞った感のある2ndアルバムの方が圧倒的に好きで、『カメ止め』からの『スペシャルアクターズ』みたいに
「衝撃作以後に生み出される次の作品」ってその作られる過程までもドラマになってるようで惹かれてしまうんだな。

それはともかく、この「カオスティック的展開」と「真っ向勝負感」の相違が最も顕在化してるのがラストシーンである。

 

さて、以前『みぽりん』記事で触れたラストシーンを再度掲載する。

赤の部分は私の見解である。) 

nenometal.hatenablog.com

 

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

→ここ最近の自分の実力はさておいて、運営に注文をつけいかに口パクやルックスの表面面やキャラクターで自分を可愛く見せようとしがちなアイドル事情を示唆

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

→自分のスキャンダルがバレたときに内部告発したり、時に突如該当アイドルが丸坊主になったりと意外な形でレジスタンスに走りがちな最近のアイドル事情を示唆

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

内部告発後、原告サイドも被告サイドも自己保安の為に必死になり、事実をもみ消したりありもしない事実をでっちあげたり更に泥沼化していくアイドル事情を示唆

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

→スキャンダルや内部告発後、泥沼化していくアイドル事情に対して「〇〇ちゃんに限っては違う。」とひたすらサイリウム攻勢を続けなければならないファンの悲しさを示唆

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

→❶−❹のプロセスを経てこれまでみぽりんが理想として掲げてきたアイドル像の象徴がこの巨大幼虫である。ここからまさに古くから崇められてきたアイドルのような、美しき蝶のように舞っていくのか、様々な可能性を秘めている幼虫であるが、その後全ての人々が撤収し、木下里奈が現れ、アイドルと言う名の栄冠を奪回するよう決心する場面でのみぽりんは絶望し、巨大幼虫は全てのものをバッサリと断罪する刀へと変貌する。そして.... 

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

もはやこの場面は全てのみぽりん がアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊したことへの象徴である。アイドルは終わるのだ。いやもうとっくに終わっているのかもしれない。いっそそんな曖昧な状況ならみぽりん自身の青春の象徴でもあったアイドルを終わらせようではないか、と決心するのだ。青春ってのは終わるもんじゃない、終わらせるもんなんだって誰かも言ってたし。

「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」という言葉とともに。

 

凄い。今こうして見ても壮絶すぎるではないか(笑)

 

 

次に、『コケシ・セレナーデ』における感動のラストシーンを再度掲載してみよう。 

❶これまで購入してきた大量のコケシを「お客さん」として観客席に並べる。

→ここ最近ライブが殺されてしまったコロナ禍第1〜2波を経てようやくライブが日常に戻ってきた様子を示唆している。物言わぬコケシの表情が様々であることは今現在のライブハウス等での歓声を上げられない観客の様子を示唆しているようだ。

❷大輔もスーツを着てビシッとした格好でピアノに座る。

→妻の衝撃の事実ということから鑑みてこのスーツはある意味何かの決意表明なのかもしれない。これが新たな結婚相手を見つけるという妻への別れの意味なのか逆に妄想を続けるというセレモニーのようなニュアンスなのか。でも最後に彼は指輪をはめた事から考えて恐らく後者なのだろう。

❸萌々香も挨拶を経てマイク前に立ち、歌い始めるも号泣する。

→❶の事実を踏まえて、やはり人によっては一年近くぶりにライブで歌える状況において感極まって歌えない事になることもあるだろう。この場面はそうした歌い手の気持ちをそのままトレースすることができよう。

❹号泣の洪水を抑え、歌い始める。大輔も伴奏を彼女に合わせつつもピアノを奏でる。

→この辺りは純粋に音楽の奏でられる喜びとそれを聞くことのできる喜びとが交差する日常にライブが戻ってきた様子さながらである。観ながら音楽に純粋に耳を傾けた。

❺隣の奥さんが、警察官に愚痴る。そこで桜井家の夫婦事情を知っている警察は驚く。

→❶−❹のプロセスはライブハウスは敵であるというコロナ禍第三波になった今でも鳴り止まぬ風評被害風な象徴としての隣の苦情の奥さんだが、警察がなぜ驚いたのか次のコメントに電流が走った。

❻なんと奥さんである萌々香は亡くなっていたらしい!

あの部屋から聞こえてきたハイトーンな歌声は大輔の歌声へといつの間にか変化して行った。

ここでサーっっと血の気が引いた。びっくりした。驚いた。驚愕した。のけぞった。前作『みぽりん』ではアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊した点がミソだったのだが、本作ではこの話全体が既に破綻しまくっていたからである。今までの奥さんとのやりとり、コケシ大量購入の件、ジェットコースター映像大騒ぎからの苦情、霊媒師の出現、某が差し出したアベノマスク、霊媒師との大輔との接吻(笑)、もう何もかもが奥さんがいない状態で巻き起こってたのか、もうこれ大輔のサイコサスペンスであり、ホラーであり、愛憎劇であり、大輔と霊媒師のBLか(コラコラw)もう訳がわからなくなったのだ。恐るべきコケシ・セレナーデ、恐るべし松本大樹監督!!!!!

 

これはもう一回観なくては....そう思った兵庫県立美術館での初見からこの12月になって2回見ている。今現在、第三小節目。またまた観たくなってきている自分がいる。 

 

3 まとめ

  本ブログでは8月15日(土)記念すべき全世界初公開となる『コケシ・セレナーデ』関係者試写会を経て、あれから4ヶ月。神戸OSシネマズ神戸ハーバーランドでの12月10日から1週間の念願の劇場上映を経て3度の鑑賞を通じて『はるかのとびら』であるとか無伴奏ソナタ』との比較を通じてそのシンクロニシティを検証した。そして更に、松本大樹監督作品で『みぽりん』との比較を通じ主にラストシーンを比較検証を試みた。

ここで改めて思うのが、ようやく日常に映画は戻ってきたという事実である。

そう言えば2-2で比較した『無伴奏ソナタ』に関してふと付記すべき点がある。

というのも2017年6月にこれをサンケイホールブリーゼで観劇した時、ちょっとした奇跡が起こったのだ。

それはラストシーンで、腕も声も罰として奪われたクリスチャンは老いさらばえたものの、ようやく自由の身になるのだが、その時街のあちこちで自分の作ったオリジナル曲「シュガーの歌」が流れている事に気づく。「ああ、間違っていなかったのだ!私のやってきたことは!!」そう思った彼を取り囲むように舞台上にいる全ての登場人物が彼に拍手を送る場面がある。まぁそれだけでも感動の場面なのだが、意図せずに、観客席にいる我々からも物凄い拍手が起こったのだ。これは別に演出でも劇団からの指示でもない全くのアドリブ、しかも観客からのアドリブであり、喝采であり、最高のプレゼントだった。

舞台上にいる主演の俳優(多田直人)も涙を流していたのだが、あれはマジ泣きしてたことだろう。

....って何が言いたいのか。

実は密かに望んでいることがある。この『コケシ・セレナーデ』でも最後の曲のパフォーマンス場面で、大輔が歌い終え、ピアノを弾き終え、そして立ち上がり、一礼をしたあの瞬間に観客からいつか拍手が起こるのではないだろうか、という事である。

まさに

これは別に演出でも劇団からの指示でもない全くのアドリブ、しかも観客からのアドリブであり、喝采であり、最高のプレゼントとなるだろう。

もし、そうなったら最高ですよね、もうその瞬間を今から、期待してやまない。

それこそがきっと僕らが映画を愛することを卒業することのできない理由がある気がするのだ、という言葉で締め括って12000字を超えてしまった本記事を終えたいと思う。

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*1:本論から外れるが特に衝撃だったのは映画『みぽりん』で小悪魔的地下アイドルを演じたmayuさんの「ダジャレで元気付ける」という衝撃的な発想とそのダジャレの絶望的なまでの響き。あ、これあえて書かないので未見の方は是非ご覧いただきたい。内容もとてもいい作品で、最初のギミックで、最後の最後でようやくぶっ飛んだファンタジーの世界って構造であり、このエンディングの持って行き方はまんま『みぽりん 』を彷彿とさせる。

*2:すすり泣きが聴こえる曲ってもしかしてマイケル・ジャクソン『Man in the Mirror』以来だったりして笑

*3:ジェットコースターのシーンで思ったが本作はimaxで観たら面白いだろうね(笑)

*4:無伴奏ソナタ』は実際原作ものでオリジナル脚本ではないのだがもう再再演もしておりもはやオリジナルの様な輝きを放っている。

*5:この辺りの議論は理解されてるとは到底思え難いがこだわりなので本文に載っけておく

抜き刷り記事「みぽりん」レビュー

抜き刷り記事「みぽりん」を目撃した!

[Focus❶ みぽりんはホントに狂気なのか]

自分にとって最初のレッスンである『みぽりん』。

その気になるあらすじは以下の通り。

 

地下アイドル「Oh!それミーオ!」のセンター神田優花は、人気投票1位を獲得し、ソロデビューする事に。 しかし、大の音痴である優花の歌声にプロデューサーの秋山とマネージャーの相川は頭を悩ませていた。 そんな中、同じグループのメンバー里奈のツテで、優花はボイストレーナー・みほのボイトレ合宿に六甲山の山荘へ参加する事に。 初日に契約書にサインをさせられると、翌日からいよいよ恐怖のボイスレッスンが始まる。優花に「みぽりん」と呼ばせ、狂った高笑いや怒り狂った猫の真似をするように自らも演じて見せつつそれらを強要するみほ、いやみぽりんの異常性は次第に狂気の狂気を更新していく。 


映画『みぽりん』予告編

 

.....と言うものだが、このあらすじを見ると一見『みぽりん』はどこかサブカル界隈の映画マニアにしか分からない作品のような印象があるかもしれない。だが本作をよくよくみてみると、昨今のアイドルを取り巻く話題、それこそ昨年のNGTを取り巻く問題や、ここ最近やたら現役アイドルが結婚したり、先輩格的なアイドルが腕を組みつつ「最近私たちの運営陣はどうかしてしてますね。」と偉そうにコメントしてる様子であったりとか、神田優花に男(夫)がいたとされる場面で「丸坊主にでもなるか、いやでもそんなことしても許されるわけないけどな。」のセリフなど、あの何がどうなっているのかわからない実際に起こったアイドル界隈に蔓延る内情をもうこれでもかとばかりにぶちまけてまくっているのだ。

 そして、そのまるでバズーカ砲から放たれる銃弾のようなみぽりんが放つほとんど、いや全てのセリフは、はっきり言うと音痴なアイドルでありながら人気投票でセンターに立ってしまう神田優花へのダメ出し一辺倒なんだけど、それと同時に、上記で触れたようにここ最近の運営だ、物販に立つ事への不満だ、キャラクターで人気が出ただの、我々オーディエンスからの立場を度外視した、いわゆる業界内部からの視点ともなっていて、夢も希望も高嶺の花もないここ最近の全アイドル達のいわゆる心臓部を射抜く役割をも担っているのである。*1

 ただここで誤解してはならないのが、これがリアリティを基盤としつつも決してそこにシリアスさや重厚なトーンはほぼなく、どこかギリギリのエンターテイメントとして成立しているある種のバランス感がある事に注意したい。これは一重に神田優花演じる津田春香のどこか愛嬌のあるルックスや絶妙にシリアスに走りすぎない演技や、時に小気味よく挿入されるクラシックを主体とした音楽がそうした根底に潜むシリアスさを緩和する効果をもたらし、全体としてコメディーとしての色合いを残していると言って良い。別にこれは、優花や音楽など演出効果の話だけではない。このような要素は垣尾麻美演じる狂気のボイストレーナーみぽりんにしたって同じ事だ。確かに彼女の「ギャハハハハ!!!!!!!!」などと高笑いする様や、あのサカりがついたような狂った猫のものマネや、銃を構える様にはある種の狂気を感じさせるのだが、その狂気のの核にまでは及ばぬ一歩手前感があると言うか、「この人は優花を殺す事はないだろう。」と言うどこか安心感にも似た哀愁が見出せるのだ。*2

 それを最も象徴していたのがクラシックのカノンを奏でるオルゴールを目の前に「だいぶ冷えてきたわね。テンション下がるわ。」と言いつながらみぽりんがぼうっと佇むシーンがある。このシーンは何か意識の糸が途切れてたようにこれまでの狂気のみぽりんの姿は一切なく、優花ですら「どうしたんですか?」とツッコミを入れるぐらいだから本編中で最も気持ちを休められる、特殊なシーンかもしれない。

 そこで彼女は、優花に対して自らのライフストーリーを語り出すのだ。自分をアイドルにさせようとスパルタ教育していた母のことを。まさに自分をアイドルにさせようとレッスンだ、歌だ、ダンスだ、もはやトラウマ急に追い込もうとするみぽりんのスパルタ教育ばりに彼女をアイドル足らしめようとしたまさに今現在優花を追い詰めて精神崩壊のギリギリ一歩手前にまで追い込もうとするみぽりんの姿さながらの彼女の母の姿を語り始める。

この場面を見た時ふと思い立った事があった。親とのトラウマ....!?

 

そう、言うまでもなく一時間ほど前に観たあの映画のワンシーンがふわっと浮かんでくるではないか。

 

[Focus❷ スペシャルアクターズとの相補分布性]

スペシャルアクターズ』主人公大澤数人もある種トラウマを抱えている。

『みぽりん』とは逆に「アイドルになれるわよ!」ではなくて「お前は役者になんかなれない!」とまさに彼を罵倒する父の姿が幾度もフラッシュバックする事によって「大人の男の人に詰め寄られると気絶してしまう。」と言う病を抱えているのだ。 この奇妙な一致はこれだけではない。

スペシャルアクターズ』でガゼウスポッド崩壊のシーンを経てその時ちょうど数人が彼自身のトラウマになっている父親の姿がハッキリと見えた時点と時を同じくして多磨璃が思わず信者の前で「パパー!!!」叫んでしまうくだりも思い出してほしい。もうこの場面以後、全てが崩壊し、全ての信者が洗脳から解き放たれ、現実に目覚める瞬間があろう。

この時信者にとってもはや彼が教祖様でなくなった瞬間であり、数人が1人の大人(役者)としても目覚めた瞬間でもある。思えば、“ヒーロー”としての力を身に付けた数人と神としてのメッキが剥がれてしまった多磨璃教祖の姿が顕になってしまうあのシーンはあの作品のハイライトとでも言って良い。

そのシーンと否が応でもオーバーラップするシーンが『みぽりん』での最後の最後でみぽりんが妹でもあり「Oh!それミーオ!」のメンバーである里奈に「里奈、本物のアイドルって全然わかっていない。いや、みんな分かっていない。アイドルは、そうじゃないの。アイドルはこの世で一番美しいもの。この世で一番神聖なもの」と言いつつ刀を取り出し、「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」と切腹し、某が背後から介錯するシーンである。

 前者は【目覚める】事、後者は【死】と言う逆のベクトルを指向していると言う違いはあれど、どちらもこれまでのムスビル教とみぽりんにとってのアイドル理想郷なる世界が崩壊し、現実へと我々の視線が向けられるのが分かる意味ですごく共通しているし、それらの世界崩壊執行スイッチを押したのがムスビル教教祖の多磨璃と、みぽりんにとってのアイドル理想像をサポートする生きた亡霊、某と言う本編中全くセリフ然というセリフが全くないこの二人だというこの共通点も非常に興味深い

さらにこの両作品を相補分布的なもの足らしめているのが偶然にもそれらタイトルである。いずれも親子関係でのトラウマを引きずる共通点はありつつも、『みぽりん』は頭文字Mから始まるタイトルとは逆に、アイドル優花をとことんまで追い詰めていくS気質のみぽりんが主役であり、『スペシャルアクターズ』は【サディスティック】のSから始まるタイトルにも関わらず【マゾヒスティック】のM気質であろう数人が主役となっているというこのまさに相補分布性的偶然が交差するのだ。

 このようにこの両作品って恐ろしく相通ずる物がありつつ、全ては正反対の方向に向かっていると言う見方も可能で、逆に正反対の方向に向かっているようでどこか相通ずる点があるという見方をもまた可能である。この2作品が今現在池袋シネマ・ロサに看板映画として梯子観覧できるように集結しているというのはある意味奇跡だとも位置付けるべきだと思う。 

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*ここからがネタバレゾーン(観た人のみ読んでください笑)

 [Focus❸ みぽりんラスト10分論]

そしてここで、『みぽりん』と言えば多くの人が触れるであろう「ラスト10分論」に触れたい。本記事はネタバレ前提とした記事だからぶちまけるが、確かに物凄い事になっている。

この10分のカオス、に至るプロセスを説明すると、

「最後もはや拉致監禁状態になった優花の行方を追って六甲山の山荘へ乗り込んだ秋山プロデューサー・相川マネージャー、優花押しのファン(加藤、通称カトパン)らは彼女を救う事に失敗する。結局全員手足を縛られ監禁状態になってしまう。銃を構えるみぽりん、絶体絶命。そこでプロデューサーはみぽりんが優花の代わりにソロデビューするように提案する。まんざらでもないみぽりん 。そこでそのソロデビュー曲のミュージックビデオを撮影する」

そして件の問題のシーンはここからである。

 

更にこのカオスシーンを整理すると

 

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

 

......ともしも映画を見ていない人がこれを見てしまったらなんのこっちゃかわからない、いや、本作を二度観た私ですらいまだに判断がつかない側面があるこれらのシーンである。

ハッキリ言うとここから繰り広げられるシーンは夢見ているのか、現実で起こっているのかその設定の軸が大きく曖昧になっておりどうなっているのか2回みてもまだ曖昧であるってのが正直な所(笑)。でもなんとなく思うに、この辺りの現実なのか非現実なのかの曖昧な世界の件って『ブラック・スワン』のクライマックスシーンを想起させるのだがいかがだろうか。あれもお母ちゃん結構スパルタだったしね。

  でも思うに、大多数のみぽりん評と違うんだろうが、2回目観た時に、個人的にこの「ラスト10分」をここ最近のアイドルを取り巻く現状をシニカルかつ物悲しくダイジェスト化した風刺絵だと捉えて見るとある種の整合性に満ちて感じたのも事実である。

これまでみたあの10分の景色が以下のようにも読み取れやしないか?

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

→ここ最近の自分の実力はさておいて、運営に注文をつけいかに口パクやルックスの表面面やキャラクターで自分を可愛く見せようとしがちなアイドル事情を示唆

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

→自分のスキャンダルがバレたときに内部告発したり、時に突如該当アイドルが丸坊主になったりと意外な形でレジスタンスに走りがちな最近のアイドル事情を示唆

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

内部告発後、原告サイドも被告サイドも自己保安の為に必死になり、事実をもみ消したりありもしない事実をでっちあげたり更に泥沼化していくアイドル事情を示唆

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

→スキャンダルや内部告発後、泥沼化していくアイドル事情に対して「〇〇ちゃんに限っては違う。」とひたすらサイリウム攻勢を続けなければならないファンの悲しさを示唆

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

→❶−❹のプロセスを経てこれまでみぽりんが理想として掲げてきたアイドル像の象徴がこの巨大幼虫である。ここからまさに古くから崇められてきたアイドルのような、美しき蝶のように舞っていくのか、様々な可能性を秘めている幼虫であるが、その後全ての人々が撤収し、木下里奈が現れ、アイドルと言う名の栄冠を奪回するよう決心する場面でのみぽりんは絶望し、巨大幼虫は全てのものをバッサリと断罪する刀へと変貌する。そして.... 

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

もはやこの場面は全てのみぽりん がアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊したことへの象徴である。アイドルは終わるのだ。いやもうとっくに終わっているのかもしれない。いっそそんな曖昧な状況ならみぽりん自身の青春の象徴でもあったアイドルを終わらせようではないか、と決心するのだ。青春ってのは終わるもんじゃない、終わらせるもんなんだって誰かも言ってたし。

「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」という言葉とともに。

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*1:だから全アイドル必見だと思うんだよね、この映画は。松本監督もアイドル系の人々に見にきて欲しいって嘆いてたし。

*2:猫の物真似で優花にもどこかみぽりん気質っていうか要素があると思うんだがどうだろうね。

Keep on singing 'til the day〜グローバル・ポップスの先駆者、Anlyが歌い続けることの意義

0. And Anly said...

2020年11月25日、東京・渋谷のduo MUSIC EXCHANGEで開催されたAnlyのメジャーデビュー5周年を記念して開かれた「Anly 5th Anniversary Live」の最終曲『Venus』を目前にして、彼女は流暢な英語で以下のように世界中のリスナー達へ向けて以下、決意表明のようなスピーチをした。

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 So, the next song will be the last one for the night. 

Tonight is the night that I will remember for a long long time to come.

 Thank you all for making it possible.

It's been 9months since I last performed it in front of an audience.

It’s nice to see your faces. 

I would like to thank everyone who made it here tonight and also people who are watching via streaming services on the other side of the screen. 

Thank you also to all the staffs, my family and friends, and all the people who came in touch with me.

You all made it possible for me to stand here and song tonight. 

When I debuted 5years ago, I never thought there will a day that I can’t do a live gig in front of an audience.

 But this Corona situation gave me a lot of time to think about many different things and now, so I have several new dreams

So it wasn’t all bad.

It made me realize in an ordinary day is the special one and there are a lot to be thankful for.

There are a lot of people that I would be to meet face to face on the other side of the screen. 

I hope we can all survive this pandemic and to see you all face to face and sing along together in loud voices soon. 

There is where I feel at home.

This stage is my home and you are all family to me.

I’ll keep on singing 'til the day I die.

I hope my song and voice will reach many people and hopefully, it will add a little color to their lives, and help them get through the day.

 

【日本語訳】

次の曲がラストになります。

この日が来るのを私はずっと待っていました。

この有観客という形で、9ヶ月ぶり公演を実現させてくれて本当にありがたく思います。

みんなの顔を見えるのはとても嬉しいことです。

今夜ここに来てくれた皆さん、そして画面の向こう側でこのストリーミングサービスを見ている皆さんにも大変感謝します。

また、スタッフの皆様、ご家族、ご友人、そして私に関わっている全ての皆様、ありがとうございました。皆さんのおかげて私はここで今夜歌うことができました。

5年前にデビューしたとき、このように観客の前でライブが思うようにできない日々が来るとは夢にも思ってもみませんでした。

 しかし、このコロナ禍は、私に沢山色んなことを 考える時間を与えてくれました。

そして今、私は多くのいくつかの新しい夢を叶えることも決意しました。

だからこの状況の全てが悪い事ばかりだとは決して思いません。

ただ、ありふれた日常の中にいることは実は、特別なものだというの事に気づいたのです。

そして、感謝すべきことがたくさんあります。

画面の向こう側で直接お会いたい人がまだまだたくさんいます。

私たち全員がこのパンデミックを乗り越え、皆さんが顔を合わせて、皆で大声で一緒にシンガロングできることを願っています。

私にはまるでこのステージがファミリーのように思えるのです。

そしてあなた達は皆、私の家族のようです。

私は、命朽ち果てるその日まで歌い続けます。

私の歌と声が多くの人に届くことを願っています。

そしておこがましいですが、みんなの生活に彩りを添えてくれるような音楽でありたいといつも願っています。

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.....そう言って彼女は静かにラスト曲である『Venus』のイントロを静かに奏で始めた。

 そう、今回の記事にはこのスピーチの中でも印象的なフレーズ【keep on singing 'til the day we die】の一部を拝借したタイトルをつけ、このグローバル・ポップスの先駆者であるAnlyが歌い続けることの意義を探るべく、11/25、5th anniversary liveを軸に
関ジャム出演、『Do Do Do』ミリオン視聴者突破、アニメタイアップ新曲リリース発表、等と...ここ三ヶ月のAnly を取り巻くドラマティックな流れをまとめたものである。

 

 本記事の構成は以下の通りである。

 

1. 11/25 5th Anniversary Live@渋谷duo 

① 信次レポ;序盤【配信View❶】

② 信次レポ;中盤【配信View❷】

③ 信次レポ;終盤【配信View❷】

④ 信次レポ;フィナーレ〜そして....;【配信View❹】

⑤ 配信View of Grand conclusion

 

2. Three Movement of Anly's

Case 1 ; 関ジャムTV出演とトレンド入り
Case2;『Do Do Do』公開とミリオン視聴
Case3;アニメの主題歌ふたたび
 
3.ライブ論〜音像を超えたその先にあるものとは?

 

1. 11/25 5th Anniversary Live@渋谷duo

そう、この日は、彼女としては長かったであろう約9ヶ月ぶりにもなる有観客ライブであると同時に、或いは有料配信のみならず、海外のオーディエンス向けに日本での配信LIVEを世界中で閲覧できるZAIKOというシステムも同時に設置されていて、世界中の彼女を知る人がこのループペダルのパフォーマンスを固唾を飲んで見守っていた。今日はそんな彼女の集大成であり更にどデカいムーブメントを呼び込むきっかけの日であるのだろう。*1

 

 11/25 Anly 5th Anniversary Live@渋谷duoセットリスト

 太陽に笑え
COFFEE
エトランゼ
FIRE
カラノココロ
Taking My Time
Beautiful
Moonlight
DREAM ON
Tranquility
ENEMY
Do Do Do
DAREDA
Not Alone
We'll Never Die
Venus

(ec)

笑顔

 この日の現場に行かれたAnly繋がりのフォロワーさんである

『★信次★shinji★@taisa_anly104さんのレポート』*2

のツイートを引用し、そこに配信としての私の視点を加えていく【配信View】を付加していくスタイルで行く事にしよう。

 

①信次レポ;序盤

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【配信View❶】

まさにこれは現場だからこそ伝わる臨場感あるレポートである。そのことがハッキリわかったのは私も同様に『Coffee』『エトランゼ』『Fire』辺りのコロナ以前のライブではかなりアッパーに奏でられるであろう序盤の3曲。ここは、あくまで個人的な見解だが、いつものように一気に爆発させるスタイルではなく、当初は感触を確かめながらだったが徐々に高速ギアにチェンジしていくスタイルであるように受け取ったのだがいかがだろうか。

その証拠として、『Coffee』ロングトーンがいつものように永久にどこまでも伸びていくようなあの感じとは少し違ってややひと呼吸置いたように感じられたのだ。まさにこのコロナ禍でのある程度の時間や物理的な距離感が空いたことがAnly自身の頭の中にあったに違いないと思わせたりもする。

だからこそ、あくまで配信LIVEで見ている人たちとの距離感をも意識しながらの「冷静さ」と「熱狂」とのギリギリの狭間を攻めている印象を受けたし、この辺りの感じ方は割とこの日のライブ全体に対して一貫していたようにさえ思う。

 

②信次レポ;中盤

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【配信View❷】

ここでの信次レポ通り、『Moonlight』辺りはゲストとのコラボということもあって、どこか配信組にも伝わるスペシャル感があったように思う。ゲストのななみさんのボーカルはどちらかというとどこか低めのボーカリゼーションで抑揚のあるAnlyの声と対照的だからこそハーモニーが絶妙だったと思う。そして、曲順が前後するが、これは『Dream on』の歌詞とか『Beautiful』の特にサビのメロディラインにどこか国内だけに留まらない彼女のグローバリズムみたいなのをいつも感じてしまうのだが。そして特筆すべきは『Tranquility』。それまで序盤からどこか感じられた目の前の客、配信客との間にあったソーシャルディスタンス感はどこか無くなってこの人は目の前にいるのではないかと思わせるような荘厳なアカペラに震えたと言った意味では上の信次レポと配信体験の我々とでほぼ変わりのない感想だと言えよう。

 そうだ、これは言うなればAnlyはその有観客と無観客配信の間にある垣根を取り払ってしまったのだと思う。何百人、何万人、何千万とオーディエンスがそこにいようがもはやAnlyと個人との一対一のライブだった

そういえば彼女は以前「"無観客"という言葉は嫌い、絶対誰かが画面の向こう側から見ているだろうから。」とツイートしていたのを目にした事があるが、まさにその言葉の真髄を知る思いであった。

 

③信次レポ;終盤

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【配信View❸】

もうこの辺りは『Do Do Do』『DAREDA』におけるループ捌き及びアッパーな演奏は信次レポに何の躊躇いもなく同意。「That's it!!Absolutely, true!!!!! 」って感じ(なぜ英語しw)なので、ここで私の方から新たに記述する必要はないが、ふと彼女の有観客ライブに何度か足を運んだことある経験から、これだけは有観客ライブ会場に足を運ばない限りは体験できない事であり、かつ既視感を覚える出来事がある。そう、MCの時である。彼女のライブではパフォーマンスのみならず、とにかくMC中でも拍手が巻き起こることが多い。

例えばこの日、ピックを補充する時にそばにあったピックをかき集め、マイクスタンドに一つ一つ手際良く突き刺す時に見守り「誰か自動で補充してくれるシステム作っていただけないかしら。」と冗談めかすと、不意に起こる笑いと誰かの勢い良い拍手。で、その勢いよく拍手したその人にパッと反応して「あ、(そういうシステムを)製作していただけるそうで...」と言ってまたまたドカンと起こる観客の笑い。*3

 ほんとこれはいつも感心するのだが、Anlyは若干20代前半とは思えぬほどまるでベテランシンガーのようにこういう客のリアクションに対する切り返しが上手い。ちなみに去年大阪の「いめんしょり」の時にチューニングが長引いてなかなか次の曲に移行する事ができず客もざわめき始めかけた時にアドリブで「今のは“チューニング”と言う曲でした!」と言ってウケを取ってその後のLIVEの流れを完全に自分のものにした伝説があるのだが、それも昨日のことのように記憶に新鮮に思い出す

 そして、次の曲にこじつけるわけではないが、この人はLIVEの女神を呼ぶ力があるのかもしれない、いやこの人自体が音楽に選ばれしVenusなのかもしれない。

 

④信次レポ;フィナーレ〜そして....

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【配信View❹】

ラスト曲は個人的に『Distance』か、『Venus』で来るだろうと予想していたが、本曲が選ばれたのは、あの三味線のような独特のギターの構え方で誰もがハッと悟ったことだろう。

でもまぁもうこの曲にブチ込めるものは半端なかった。この日、全体的に感じたこのコロナ禍でライブをやることの意義を意識したライブで、どこかソーシャルディス・タンスモードを意識したこの日のライブだったが、本曲に関してはそれを踏まえつつも、自身の音楽キャリアの中で今何をすべきか、今後どうあるべきか、どうありたいかなど全ての感情をこの一曲にブチ込んだようなパフォーマンスだった、と断言して良い。

そして更にこの『Venus』が5周年記念ライブのトリを飾る曲であることに感慨深い古いファンも多くいた事だろう。

 というのも、本曲に関して彼女は当初はそれほどループマスターと言えるほど卓越したプレイができなかったのだ。その証拠に以下は2017年の大阪なんばパークスでのリリイベの様子(early loop ver. )と約一年経過後の渋谷でのワンマンにおける『Venus』(advanced loop ver. )とを挙げておこう。

❶『Venus』2017 early loop pedal ver. 


Anly 「Venus」

❷『Venus』2018 advanced loop pedal ver. 


Anly - Venus (with coda) @ Shibuya, Tokyo, 2018.11.15

ね?、❶と❷と進化過程の恐ろしいほどの違い、というか成長ぶりというか、進化ぶりを感じられただろうか。

いや、これ❶でも十分凄いのだが、どこか飛び立つにはまだどこかフラジャイルな物を慎重に扱うような手つきでどこか飛び立つ前の小鳥のような不安げな視線で、Loop pedalの繰り出す音像に時に翻弄されつつリカバーを重ねていくこの初々しい様子に驚きすら覚える。

だってこれまだ10年近く前ならこれともかくまだまだ2020年時点ではごくごく最近と言って良いなんとまだ3年前(2017)の出来事なのだ。

それとは対照的に❷では、もはや逆にこれまで自分の構築した音像を完全に自分のものとしてそこから一気に放たれるコーラス、ギター音、リズム音を全て解き放ち無限のカオス音像を縦横無尽に撒き散らしつつもエンディングでふっと手中に納める音の魔術師と形容するに値する❷とを比べて、誰が❶と❷とが同一人物によるプレイだと信じられるだろうか?ちなみに❷の時の表情は物凄く自信に満ちているしこうして比較すると全くもって別人のようではないか。

 そして更に凄い事に今回11/25でプレイされた『Venus』が❷ですら凌駕するほどの感動を得た点である。でもそれはテクニカルな領域の話ではなく、エモーションの観点が大きく関連させたと言える。

そのヒントは本曲を演奏する直前に放った英語でのMCにこそある。再度載せておこう。

 

I never thought there will a day that I can’t do live gigs in front of an audience.

But this corona situation gave me a lot of time to think about many different things.

It made me realize in an ordinary day is the special one.

 

このように観客の前でライブが思うようにできない日々が来るとは夢にも思ってもみませんでした。しかし、このコロナ禍は、私に沢山色んなことを時間を与えてくれました。

ありふれた日常の中にいることは実は、特別なものだと気づいたのです。

 

この11/25の演奏全般、異論があるかもしれないが全体的にどんなアッパーな曲調のものであってもどこか「大声をあげれないオーディエンス」「配信で自宅で見ているviewer」達を意識気しての完全に盛り上げモードではなくどこか冷静な視点というのもあったと思うのだが、この曲だけは全く違ってこれまでの彼女の『Venus』最強アクトと言っても良いぐらいの物凄い荘厳さとカオスティックさが全開に感じられたのは上のMCの思いまでも丸ごと曲の行間に込めることができたからだと思う。これは別に言葉とか音像レベルでは推し量れない何かスピリチャルな領域でしか感じられないもののようにも思えるのだが、敢えていえばこれまでのコロナ禍以降で培ってきた事故の考えや思いを起爆剤として自らの中にある魂の発火装置に燃料投下してきたそんなパフォーマンスがあったと言えよう。

この辺りは3章の「ライブ論〜サウンドを超えた先にあるもの」あたりで後述していきたい。

 

❺配信View〜Grand Conclusion

 さて、これまで信次レポと配信側から見た私の意見とを掛け合わせてみたが、まとめると信次さんはAnly登場時に目がぼやけてみえ、『カラノココロ』で涙が溢れ、と冒頭で2度涙を流されてて、さらにこの日のハイライト曲と称する『tranquility』においても感涙の涙を、そしてさらに先にあげたmc時でも、そこに至る過程でもいくつかの涙を流してる事は容易に想像できるが、もうその気持ちは痛いほどにわかる。単純に、私ももし現場に居合わせたらそうなるだろうから。そう、AnlyのLiveはセンチメンタルを煽る訳でもないのに涙が出てくる時がある。ただ、ここで注意して欲しいのはそれは決して喜怒哀楽の涙ではなく、圧倒的な何かに突き動かされたからこそ生まれる、言わば「魂の震撼の証のような涙」と例えられようか。にしても、だ。ライブは「配信でここまで凄かったんだから生演奏はもっと凄かったはず。」はもはや定型句だが、それにしてもこの配信は、今まで見てきた中でも『ビッチフェス2020』『無機質の狂気』とか規模のデカいフェス級の素晴らしい配信にも負けず劣らずの素晴らしい配信ライブだったと思う、しかもパフォーマーは彼女一人には関わらず、なのにだ。

あと個人的にAnlyの表情をここまで長尺でじっくり観たのも初めてだったからこれは配信の強みだとも思ったり。視線の座標軸がズレず冷静さを保ちつつプレイする職人の顔を垣間見ることができた。というよりも、これを配信LIVEではないもはや普通のLIVEで得る感動そのものを得る事ができたように思う。

 

 

2. Three Movement of Anly's

case 1 ;関ジャムTV出演とトレンド入り

そう、本ブログでも何度か取り上げてきたように、Anlyとは、彼女を知った昨年以降、彼女は歌声の伸びやかなシンガーであり、洗練したルーパーであり、客を熱狂の渦に巻き込むロッカーとイメージの定着など笑い飛ばすように多彩な面を見せてくれる、もはや歌手、ミュージシャンなどという枠を超えた新たなタイプのグローバル・ポップスの進化形と呼称しても良いSSWであると認識している。

*4

グローバル・ポップスとは私の造語で、日本人のjポップスの遺伝子を引き継ぎながらもどこか国際感覚を持ってて自然と洋楽のニュアンスとか、フレイズなどの引用ができる新たなタイプのシンガーだと分類している。そんな事を思いつつ、彼女がテレビ出演でもしたら物凄いムーブメントを生むんじゃないかと思い、過去、Anlyのテレビ出演熱望に関する記事を執筆している。 

nenometal.hatenablog.com

nenometal.hatenablog.com

そしてそんな願望は打つしか現実へと変わった。

今年の10月5日、『関ジャム完全燃SHOW』なる人気音楽番組においてループペダルを披露するという趣旨のもとで彼女はゲストとしてテレビ出演を果たしたのだ。

この辺りのムーブメントの勢いっぷりに関してはここに記述するまでもない。

特にこの10月以降ある出来事をキッカケに彼女のムーブメントを追いかけるべく、以下のtogetterという形でまとめ上げているのでそちらを参照いただければ一目瞭然である。  

togetter.com

   *5

Case2;『Do Do Do』公開とミリオン視聴

10月18日ぐらいだろうか、古くからのAnlyファンにとっても、関ジャム出演以降のファンにとってもまさに発火装置に起爆剤を打ち込むようなと物凄いlive videoがYouTubeに降臨した。

そう、去年の『Loop Around The World』ツアーのライブ映像から、Anlyにしては珍しいくらいの「人との対人関係において愛想尽かした時の怒り」に根差した最強にライブでは盛り上がり必須のゴリゴリのヒップホップ曲『Do Do Do』のライブ映像が満を辞して大公開されたのである。

もうここでは何も言わずとも、もう見て頂ければ一目瞭然であるが、多重に及ぶギターから、リズムから、ファンキーなコーラスから、突き刺すようなライムから、観客の熱狂から、何なら彼女のイヤリングの揺れ方に至るまでもう一瞬たりとも無駄がない。Anly のループペダルはトラックを綿密に構築しつつも、そのプロセスを魅せ、更にそれら全部放り出してまでも観衆の心のど真ん中を射抜くダイナミズムがある。

 特に3:50辺り〜の真っ赤に染まった照明からこれまで構築してきたバックトラックをフロアの歓声とともに大爆発させた瞬間が凄まじくて、思わず喜怒哀楽どれでもない涙が溢れ出てきたものだ。このライブパフォーマンスは幾度も生で拝見したことがるが、この動画レベルにおいても我々は音楽を、そしてliveを卒業できない全ての理由が存在するのを確信すると言っても過言ではない。本動画は紛れもなく音楽の神、或いは過去のロックレジェンドの亡霊が降臨させた瞬間のを捉えた凄まじいライブドキュメントでもある

そういえば、『関ジャム』出演者の誰かが言ってたが、あのエド・シーランのカバー以上に、これこそが世界に通用するレベルのパフォーマンスであるといえよう。この動画視聴者数が「100万閲覧を突破した」の意義が大きいのは、大型タイアップの力でも、「関ジャム」が宣伝した訳でも、コロナ禍でのスペシャルなLIVEでもなく、去年のツアーの一部を切り取ったLIVEが日常の光景だった頃の動画である事だと思う。

【これは過去の光景ではなく、来るべき未来の姿である】
そんな彼女からのメッセージが聞こえてくるようでもある。

 

Case3;アニメの主題歌ふたたび

 そして本3つ目のムーブメントが今回の5周年記念ライブのタイミングに歩幅を合わせるように発表されたAnlyの新曲『星瞬~Star Wink~』が2021年1月16日から限定上映される「夏目友人帳 石起こしと怪しき来訪者」というアニメ映画の主題歌に決定した。というニュースである。

e-talentbank.co.jp

 

 ここでの本記事内のAnly自身のコメントを引用する。

 

『星瞬~Star Wink~』は私がずっと大事に温めていた楽曲です。

夏目友人帳』は優しい涙が流れてくるぬくもり溢れる作品です。

今回作品の主題歌に選曲して頂き、とても嬉しいです。目には見えない絆や想い。

何気ない風景に重なる大切な思い出。 それらが生きてゆく上で大きな力になることを歌詞に乗せました。音や言葉一つ一つがストーリーと作品をご覧になる皆様の心に寄り添えたらと願っています。

 

ここで彼女の去年のツアー『いめんしょり』に行ったことのある人なら『Star Winkという曲名が記憶のどこかしらにあるかもしれない。以前このツアーでAnly がドキュメンタリーを見て作ったという新曲のタイトルと同一のもので、愛する者と死に別れた事に対し、その運命を受け入れつつも来世での再会を誓う」という一途な想いにあふれた歌詞が外連味のない声でエモーショナルに繰り返されるあのサビに瞳孔開きっぱなしのとても良い曲だった。

真っ直ぐに空と海を見つめる歌詞とインターナショナルに広がるメロディーとの絶妙な調和。当時、これまでルーパー爆裂モードしか見ていなかったので「いめんしょり(いらっしゃい)」という南国に招待されたようなタイトルでのギター弾き語りは新鮮だったが、まさに本曲はAnly史上最も人柄や曲の輪郭が伝わってきたLIVEだった「いめんしょりツアー」を象徴するような主題歌的役割絵を担うものだったと位置付けている。*6

 ちなみに、アニメ主題歌として思い当たる節がある。それは、『NARUTO疾風伝』と言うアニメタイアップ曲であ2017年にリリースされた4th singleの『カラノココロ』

その曲に関して、11/25のライブ前日に彼女は以下のようにツイートしている。

 

ナルト72巻と外伝小説を読みこみ、歴代のOPとED曲を聴き込んで、ナルトとサスケの関係性、そして全てのキャラクターに当てはまるように歌詞を書きました。私の最高傑作です!

 

そう、以上のツイートを見て彼女の熱心なリスナーほど「最高傑作」なる言葉にひっかからなかっただろうか?これまでのAnlyの活動を振り返ってみたら分かるように彼女の視線の先は過去ではなく未来にあったように思う。だから「最高傑作」という名の勲章を過去の楽曲に付するだろうとは到底考えられなくはないだろうか。

だが、少し視点を変えてこうも考えられはしないだろうか。

きっと彼女は最高傑作と言う称号を前回のアニメ作品に敢えて付する事によって、次なる新たなアニメ作品への期待値を高めたのだと思う。言って見ればこの「最高」を超える「更なる最高」が用意されている、という彼女なりの自信に満ちた示唆があるのかもしれないと考えているのだが。

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3. ライブ論〜音像を超えたその先にあるものとは?

さて、これまで11/25の5周年を軸としてここ最近のAnlyのもたらす3つのムーブメントについて考察してきたが、最後に彼女のライブスタイルとはいかなるものか、彼女本来の持つパーソナリティにも関連させて述べていきたい。

 個人的には去年4月の神戸アコフェスにおいて、初めてAnlyの音楽を聴いて以来よく考える事だが、例えば『Fire』のループ・プレイで何が最も感動するかっていうと、技術的な側面を除いて、あのギターボディをボコボコ叩く所にどうしようもなく惹かれてしまうのだ。確かにあのパフォーマンス自体にはメロディや歌詞の流麗さを伴うポイントは皆無である。ただただ、あのパフォーマンス自体に彼女が音楽人という枠を超えて、もはや音楽の一部に化してしまおうととするアティチュードすら感じ取りひたすら感動してしまうのだ。

*7

 

そう言えば、第一章で触れた『Venus』前の英語MCの前に以下のように日本語で丁寧に語っているのをふと思い出す

 

きっと私は色んな形で歌い続けるだろうと思います。

こうやってループでやるのもそうだろうし、

弾き語りもするだろうし、何も持たないで歌ってるかもしれない。

でもやっぱり私死ぬまで歌ってたいなぁって思うので、

その気持ちを忘れずに私の声とか歌が誰かの生きる力になって欲しいなとか、

誰かの1日を彩って欲しいなとか、おこがましいけどそんな風に思ってます。

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.......【死ぬまで歌っていたい】

世の中にはそれこそ『北斗七星』ではないが幾多のミュージシャンなるものが存在するが、こうはっきり断言できる人はそう多くはないだろう。ここ最近は90年代後半辺りからミュージシャンの生活様式もマルチになってきていてどちらかと言うと【音楽無しでも生きていける】と言うアティチュードが主流である中でこの発言は驚くほど外連味のないピュアでイノセントな告白であるように思う。

また更にこのコロナ禍におけるAnlyと以前記事にもなったインディーズ・パンクバンドであるWho the Bitchの自粛期間中の配信ラッシュは群を抜いていた。いや配信のみならず、SNSでの発信であるとか、リスナーとともに拘ろうという意識の高さは、どっちも音やジャンルは違うが多分根底にあるものは同じで、【エンターテイナーとしての今やるべき使命】に満ち溢れている点で共通している。それぞれフィールドは違えど、この二組はコロナ終息を皮切りにスコーンと抜きん出る存在になるだろうと思う。

 で、話は少し脱線するが、最近ライブで個人的に重視してるのは別に良い曲が失敗せずに良い形で演奏されるか、とか綺麗な歌声が聞かれるか、とか、盛り上がることができるか、という事はさして重要ではないのではないという事を、特にこのコロナ禍以降ヒシヒシと感じている。ハッキリ言うと最も重要なのは「魂が震えるか否か」である。これは私が「ライブ行きますレパートリー」としている人たちの中でも特に鈴木実貴子ズにも、曽我部恵一にも、Anlyにもそう言う「圧倒的な何か」を感じとることができるのだ。 

 彼らは皆、ただ音源を譜面通り再生するように演奏するのではなくてLIVEでは(非常に頭の悪い言い方をすれば)曲の沸点がグワァッッッッ!!!!!ってあげている感覚になるような、曲を起爆剤として自らの中にある魂の発火装置に次々と燃料投下しているようなそんなイメージがある*8

確かに音楽は素晴らしいものだ。でもコロナ禍以降、僕らは圧倒的に何かを失ってしまった。

はっきり言ってしまえば、コロナ以前と以降とでは、自分内バンド・ヒエラルキーが大きく変わってしまったってくらい音楽に対して、ライブに対して、ミュージシャンに対して接し方が変わったのだと思う。
それは色んなものへの希望だとか、いろんな物事に対するモラルだとか、信頼性である、とかそれらはあげればきりがないが、でも何よりも重要なのは、そんな我々が常日頃から抱いている絶望や怒りなどの感情のドグマに対して拳を突き上げる姿勢を共有してくれ、自分を前進sせてくれる音楽を渇望しているのだ。
そして、そんな音楽を鳴らす音楽家を心の底から支持していきたいと思う。そしてその先頭部に間違いなくAnlyは立っている。音楽の神よ、彼女にもっと大きく世界を照らせる光を与えよ、そして大きく鳴らせる力を与えよ、いやむしろ、彼女にこそミューズの称号を与えよ、と切に願ってやまない。

 

....さてさて、またもや14000もの文字数を超えてしまった長尺ブログとなってしまった。

*9では本記事を終えわせるべく2019年神戸アコースティックフェスティバルにて個人的に最初のライブにて彼女の音楽の素晴らしさに気づいた『Distance』という曲に、リモート演奏にて壮大なorchestraアレンジで彩られた融合したこの荘厳な『Distance』-Orchestra Version-』にて本記事のフィナーレを締めくくろう。

 

You must keep on Singing 'til the day we die, but we'll never die as soon as you keep on singing.


Anly 『Distance』-Orchestra Version-

 

 

 

 

*1:このZAIKOってシステム今回Anlyで初めて知ったんだけど、彼女のみならずこういうの他の人もやりゃ良いのにな。

*2:ここから『★信次★shinji★@taisa_anly104さんのレポート』だと長いので以下、「信次レポ」と呼称する。

*3:あ、そうそう、この時のAnlyがこのシステムの製作を任せた勢いの良い拍手主は他ならぬ今回のブログの立役者、信次さんだそうです笑

*4:この辺り、Anlyのみならず、Reiとかiri或いは竹内アンナなど勝手に【グローバルポップス世代】と呼んでいる。そういえば最近、竹内アンナとAnly が偶然同時期に『MATOUSIC』と『sweet cruisin‘』というALを出してるのだが、いずれもフィールドこそ違えど既存のjPOPの枠組みを軽く飛び超えた感じが共通して心地良い。所々垣間見える海外ポップスやR&Bの引用の仕方もとても自然。

*5:「フットペダルを物凄い巧みに踏み倒してたな、あのおねえちゃんは....」
そういえば個人的によく聞いているpodcast番組『くりらじAppleるんるん』でも紹介された。ただ一つ不満を言えば、パーソナリティのBJさんが、アーティスト名を覚えなかった事(笑)

*6:ちなみに『星瞬〜Star Wink』っていめんしょりの時の『Star Wink』と同じなのだろうか?多少詞が変わってたり、アニメ用に何らかのmodificationがあるような気がする。

*7:ちなみに以前記事でも触れた事であるが、Anlyは去年大阪の「いめんしょり」の時にチューニングが長引いてなかなか次の曲に移行する事ができず客もざわめき始めかけた時にアドリブで「今のは“チューニング”と言う曲でした!」と言ってウケを取ってその後のLIVEの流れを完全に自分のものにしたのを忘れない。この人はLIVEの神を呼ぶ力がある。

*8:ちなみに本記事で頻繁に「発火装置」と「起爆剤」という言葉が出てくるがこれは単にあの今をも生きる伝説のパンクバンド頭脳警察のドキュメンタリー『zk頭脳警察50未来への鼓動』の中でしきりにToshiはPantaという起爆装置のための起爆剤の役割をする。また逆も然りみたいなシーンが出てきてこの言葉遣いとても気に入ったからだ笑

*9:いやいや確信犯ですw

誰もがやらないことをやる意義〜映画『#すずしい木陰』における表現者たちのアティテュード

0.その映画の名は

ある日、行きつけの美容院で、よく映画や音楽の話の趣味がこれでもかとばかり話が合うのでいつの間にか飲み友達ともなってしまった近所の美容師(男)に髪を切ってもらっていた時の出来事だ。当然そこでの話は「最近何か面白い映画を観たか。」という話題になった。私は最近、むしろ様々な映画作品を見てるので『アルプススタンドのはしの方』をはじめとして様々なネタを投下したのだが、意外や意外、彼はここ最近あまり劇場以外でもほぼ映画を観ていないのだという。実は近所のTSUTAYAが潰れてしまったのも遠因の一つではあるのだろうが、以下のようなことを言っていた。

「最近は映画というよりも、近所の山の所で焚き火をするのが趣味である。そこで火をぼうっと眺めるながら焼酎のお湯割か何か飲むのが好き。だから、焚き火を見るような感覚で伏線とか泣き所とかストーリーとかがごちゃごちゃしていない映画が観たい。」と。

その瞬間もうここ最近みた映画のタイトルがよぎった。もう余りにもそう言った彼の現在のモードってのがドンピシャ過ぎたのでもう当然の如くこの映画をレコメンドした。

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そう、その映画こそが今回の記事の主役、「すずしい木陰」(守屋文雄 監督 /出演 柳英里紗 )である。 

 

1.「すずしい木陰


映画『すずしい木陰』予告編

これってどう言う映画なのだろう?と問われるとこう情報量はこれだけ、としか言いようがない。結論から言うと、「夏のある暑い日の午後、ハンモックに寝ている一人の女性。」と言うそれ以外にもう何も付け足しようのない予告編の映像そのまんまで延々と続いていくのだ。

ちなみに本予告では以下のナレーションが聞こえてくるだろう。

 

たとえばその中古車屋の娘は、
いつまで経っても子供みたいなヤツで、
もうすぐ30歳になろうというのに、
家でゴロゴロ、昼過ぎに起きて、
朝食だか昼食だかを済ませる間にも、
2、3時間テレビの前でぐうたら、
食ったら食ったでそのまま履き潰したサンダルをつっかけ、
家の裏の雑木林の隅っこにある、
中古車屋の喫煙所みたいになっている一角に何年も吊られっ放しの、
雨曝しのハンモックにぼよんと転がり、
起きるでもなく眠るでもなくボーッと、
生い茂る木々の葉っぱたちを眺めているように見えて、
実は今後の人生に思いを巡らしながら、
ふと頬を風に撫でられた途端、
宇宙のことを考え出し、
夏の空に伸び広がる天気輪の柱を見た気がしたのだが、
やがてそんなこともどうでもよくなり、
いつの間にかうたた寝をはじめ、
今日もまた陽が暮れてゆく。

 

....え、このナレーションがこの映画のストーリーじゃないの?という質問が聞こえてきそうだけれど、いやいや、それも違ってて、このナレーションですらほぼ当てになっていないのだ(笑)。

というか、「もしかしたらこういう設定かもしれませんよ。想像にお任せしますが...」という製作者側のサジェスチョンか手がかりか、はたまた妄想ということでしか機能しないのだ。だって本編ではまっっったくそういう言及がないもの。で、どういう本編かといえば、多分時間として夕方三時〜四時ぐらいの太陽が照りつけるある夏の暑い日、まるで轟音の様に響き渡る蝉の鳴き声の最中、時折吹いてくるが大木に吹き付ける涼しそうな風の音や、その木々に集う様々な種類の野鳥たちのが鳴声が響き渡り、そしてやがては時を経て轟音の蝉からヒグラシの鳴き声へと交代するまでのある日の木陰がメインステージである。そしてそこで、大きなハンモックに横たわりひたすら眠ったり時折起きたりする一人の女性を見守る、もうただそれだけの96分なのだ。で、そんな単調な映画が面白いのか?と言うシンプルな質問も聞こえてくるようだ。でも、これが物凄いインパクトを放ったのだ。

「寧ろ凄い映画じゃないですか、これ!!!」そう、これが私がこの映画を最初に観た偽らざる感想である。

だってそこには回収すべき伏線や泣き所のあるストーリー展開など一切皆無なのだから。

「伏線はどこで回収されるのか?」

「この話にオチはあるのか?」

「どれだけ泣ける?、笑える?」

本作は我々が映画なるものに常日頃から抱いているこういうオプションが必ず映画作品には存在するのだ、というバイアスをもう粉々なまでにぶち壊してくれるのだ。ただ、本作の唯一のキャストであり主演女優である柳英里紗さんがハンモックにて寝たり起きたりする様子を遠巻きに見つめるだけではない点には注意したい。本作を観る、というよりも眺める、というよりも見つめる、というか体感いていく内に、スクリーン状で微妙に光の加減や外の音が変化したりする様子を感じ取ったり、どんどん私の中で脳内でストーリーめいたものが構築される感覚を味わえるのだ。まさに脳内アドレナリン分泌映画とも呼称されるのかもしれない。でもこれって音楽文脈で言うと、ちょうどテクノやアンビエントなどを聴いて心地よくなっていく感じに似ている気がする。

しかも私は本作を大阪のシアターセブン 、神戸の元町映画館と合計二回鑑賞しているのだが、二回目の方が初回よりも「より映画」であり、これは新たな映画表現のスタイルであるとの思いを強くした。蝉と野鳥の咆哮が織りなす轟音のハーモニーに包まれるも、パッと静寂に変わる瞬間にハッとしたり、沈みかけた太陽が降臨したかのような光のオーラで包囲される柳さんの神々しさに固唾を飲んだりする96分、と言った具合に、初回以上にアバンギャルドな作品として心に響いたものだった。

 そこで話はガラッと変わるが、この映画を観た約一週間後ぐらいに『TENET』を観た。本記事ではあの作品についての詳細な言及は避けるが、あの作品における、頭の中グルグル息つく暇のない展開を観てふと思ったんだけど、ここまで徹底して作り込んだ作品でない限りは、大抵はは意外と別の事考えながら映画観てるんじゃないか、と思った。

その意味で、逆に色んな事考えながら観ることを誘発する作品でもある『すずしい木陰』はもはや「究極」の部類に入るアバンギャルドな作品だと思う。*1

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 まさに本作品を"体験"する事に興味のある方は、以下のオフィシャルホームページを参照されたい。

www.suzushii-kokage.com

 

2.『すずしい木陰』リモート舞台挨拶 

ところで、本作品を鑑賞したのは計二回であると先に述べたが、一回目は大阪は阪急十三駅付近のシアターセブン 、二回目は神戸はJR元町駅付近の元町映画館だった。この後、両方上映回ともどもリモート舞台挨拶という企画が用意されててトークセッションが繰り広げられたものだ。そこで興味深かった話は守屋文雄監督と柳英里紗さんともども、どこか映画に対する姿勢が凄く共通している点だった。2人とも映画作品に対する思いや、製作者としてのスタンスや、演じていく事への視点はどこか野心的で、まるで90sのイギリスかどこかのオルタナティブ・ロックのアーティストようなアバンギャルドな姿勢が垣間見えたものだ。

特に守屋監督は「事件の全く起こらない映画」という触れ込みの映画に常々疑問を唱えていた模様で、やはりそうはいうものの、どこかで何らかの形で事件が起こってしまっているではないか、という気持ちがあって、だから本作のような「本当に何も起こらない究極」の作品を志したのだと話していたし、柳さんも「ある女優が体当たり演技をした」とは言っても、演技でどこまでが体当たりなのか、体当たりでないのか、その体当たりの究極系として本作の撮影に臨んだのだという。ほんと究極を目指すという意味では完全に符合している。だからこそこの作品の製作に踏み切ったのだろう。

さらに、両者ともども口を揃えていうのが、

「やらない事をやることの怖さ、その難しさと敢えてそれらをやってみようという事の意義。」である。

ここに本作の最大の核(コア)があり、先に掲げた言葉尻たちに常日頃から疑問を呈し、そこに真っ向から挑んだオルタナティブな姿勢を示す作品として『すずしい木陰』を位置付けているのであろう。

 個人的にもう一点面白かったのがリモート舞台挨拶で 柳英里紗さんはめちゃくちゃハキハキと明瞭に話される方で、本編の台詞の分量をものの数秒で軽く超えてしまっているのだ。

「前日に何にも無い日の演技を心がけていた。」と言ってたが間違っても『凪の海』での何もかもありすぎたあの日の島崎詩織の翌日の出来事では無いよね(笑)

そして余談ではあるが、元町映画館でのリモート舞台挨拶の時だったが、柳英里紗さんいきなり携帯の充電残りが70%から30%ぐらいまで一気に少なくなったり、何度もzoom落ちで画面位置がコロコロ変わったり、外かららしく見知らぬ犬が近づいて来たり、短時間で映画本編の何倍も色んな事が起こり過ぎてるのは、今思えば滅茶苦茶シュールだったな。

*2

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3.映画の未来、映画観の未来

❶ 映画ファンの"総称"

 音楽でも映画でもなんでも良いんだけど、ファンをまとめて呼称する「総称」というものがある。大昔90s後期辺り、現Laika Came Backの車谷浩司が、当時AIRというソロプロジェクトスタイルのバンドを開始して、2ndアルバム出す直前だかに「Kids are alright」という曲をリリースする事によって彼を支持するファンをkidsと呼ぶようになったのが個人的には最も古い記憶。多分The Whoにも同名曲があってまさにそういう事だと思うから起源はもっともっと古いんだろうけど。そこからしばらくそういう呼び名っていう概念に意識的ではなかったのだが、最近になって妙に自分が普段聴いているアーティストにもそういう

胞子(キノコホテル)とか、グリモ(Vanityyy)とか、ビッチーズ(Who the Bitch)、Fanly(Anly)、人々(ましのみ)とかファンの総称的な呼び名って色々あるんだなという事に改めて気づく。*3

実は映画部門にもそういう総称なるものが存在していて、顕著にそういう呼び名が見られるようになったのは、2018年の上田慎一郎監督作品である『カメラを止めるな!』の熱狂的支持者が「感染者」と呼ばれるようになった事が皮切りであると思う。そこから同監督の『スペシャルアクターズ』でもスペアク信者とかムスビル信者とか数多く聞かれるようになり、松本大樹監督『みぽりん』の支持者をみぽらーと呼ばれるようになったのも記憶に新しい。松本監督の次回作は『コケシ・セレナーデ』も既に「コケシスト」という名もチラホラ見られるのだがいかがだろうか?*4....という事でなぜこのようなことを言い出したのかというと、かつての90s以降の音楽に対するファンの支持の仕方はむしろ音楽業界では廃れてきて、ここ最近の映画作品とそのファンのあり方の方がかつての音楽作品への支持の仕方と似ているような気がしてならないのだ。

 実はこれには根拠があって、むしろ音楽分野では、ストリームとかダウンロードとかが動画サイトで音楽を聴く事がメインになって、アルバム作品を一つのストーリー性のあるコンセプトアルバムとして聴く事はほんとに主流ではなくなっているよ。例えばSpotifyapple musicがもう一つのジュークボックスのようなオムニバス・アルバムとなっているので、一人の人間がそのアルバムを全聴きすることは不可能なので、その中で好きなアーティストの好きな曲を部分的に聴くしか方法はないのだ。そう考えると映画のほうが音楽よりも驚くほどにかつての「アルバム作品」への接し方と似ている気がする。だからこういう総称が映画界にも出現するようになったのは映画の観方が、かつての音楽へのアプローチの仕方の限りなく近づいて行っていることの現れなのかなぁとか推測したりしている。 

 これは音楽でも映画でも言えることだろうが、全体を強引にまとめると、兎にも角にもその作品が「当り」か否かは冒頭のものの数分で決定するのだと思う。その時間内で、観賞者は映像や音像表現がもたらす雰囲気の中に自己の居場所の有無を探るのだ。そこに居心地の良さを感じれば後は何が起ころうが、起こるまいが関係なく安心してその作品にダイブできる。

そして今回のメインである『すずしい木陰」はそんな映画や音楽など文化に触れる時の気持ちの原点を思い起こしてくれた作品であると断言しても良い。

 そう考えたら最近鑑賞した以下の作品群にも同様のことが言えるかもしれない。 

 

❷コロナ禍で観た作品概観 

そう考えたら最近鑑賞した以下の作品群にも同様のことが言えるかもしれない。 

『ドロステのはてで僕ら』

『凪の海』

『のぼる小寺さん』

『テロルンとルンルン』

 

この作品群は全て、全貌を見せず、一面だけ映してその余白を観る者の想像力に委ねる傾向が全て共通してて、どちらかと言えば音を聴いて情景を浮かべる感じに近いのかもしれない。これらの映画を観た感想をサラッと述べておこうか。

 

Case(1)ドロステのはてで僕ら

ある日、PC画面を覗いたらそこには2分先の自分が!未来を知る事への罪悪感と好奇心の狭間に揺れながらも、どんどん人を巻き込み混沌の様相を増していく展開はまるで舞台を観ているかのようにスリリングな群像劇。因みに本作の【2分先の未来の自分と会話する】という設定は『テネット』とは逆ベクトルなんだけど、相通ずる点はあって『TENET』の【逆行世界的でタイムリープ】という複雑な世界だったんだけど、これをニュアンス的に理解できたのは2週間ほど前に本作を観てたから問うのもある。

まぁ【2分先の未来の自分と会話する】という設定は テネット』とは逆ベクトルなんだけど、相通ずるは多い。私的ツボはメグミ役を演じた朝倉あきがヒロインながらもスキあらば笑いを取ろうとしてる点。その意味で本当に舞台を呼ぶ作品である。


映画『ドロステのはてで僕ら』予告編

 本作は「塚口サンサン劇場」で観たのだが、その映画館のオリジナル企画で山口淳太 監督が休憩場にいて質問など答えて下さるという「いますキャンペーン」をやっててメグミの最後辺りのセリフがあまりにリアルで自然だったのでその件で質問したら「鋭いですね。」と褒めて下さったのが非常に嬉しかったか(笑) 。

 

Case(2)のぼる小寺さん

ストイックにボルダリングに打ち込む小寺さんとそんな迷いなき彼女につい【見入ってしまう】どこか迷えるクラスメート達との人間模様。

台詞抑えめでニュアンスで示唆される彼らの心理描写を補うかのように挿入されるピアノ劇伴がただただ心地良かった。ちなみに本作は私は二回見ている。1登目では工藤遥演じる小寺さんには達観したアスリート的な印象があって、人工の無機質な岩壁に吸い込まれるかのようによじ登る小寺さんに何故誰もが惹かれてしまうのか疑問があったのだけれど、二回目だとより彼女の魅力と人間味が増し、心象風景もクリアになり、きっとあの熱い視線達は「人生全てをかけて打ち込める何か」を誰もが模索していて、そんな彼女に向けられた羨望と願望の気持ちの現れだとも思っていたけど、誰かを応援する事は自己と向き合う事なのかもと思うようになった。

「なぜ君は登るのか?」

彼女だってきっとその命題の答えは分からない。
だからこそ目の前の壁に挑み続ける小寺さんに誰もが「泣けてくる」のだと思う。

*5


工藤遥と伊藤健太郎共演!映画『のぼる小寺さん』本予告

 

Case(3)凪の海

ミュージシャンを夢見て上京するが思うようにならない毎日を送っていた井上圭介(永岡佑)のもとに、漁に出たまま消息を絶った兄の葬式を行うと田舎から電話がかかってくる。東京で成功したとうそをついていた圭介は、渋々故郷の蒋淵(こもぶち)に帰ることにする。そこには父や、兄を最後に目撃した同級生とその妹らがいた。

...というサスペンス込みの実家もの(そんなジャンルあるのかw)だが、狭いコミュニティ故に何か起きるとすぐ情報が共有されてしまう小さな漁村の感じがヒリヒリする。個人的に漁村なるものに縁がない人生なんだけど、九州の片田舎出身の私からするとこの辺りの描写が超リアルだった。どの場面も修羅場の連続でヒリヒリ感半端なかったが凪の表情がふっと解き放たれるのを見てタイトルの本当に意義がリンクする、実はこれって希望の物語だと思う。 


映画『凪の海』予告編

 

Case(4)テロルンとルンルン

個人情報ダダ漏れの田舎町。壊れた玩具を通じ、社会から閉ざすように生きてきた二人の男女のイノセントな出会い...上映時間50分ながら本作に詰め込まれた感情表現や表情のニュアンスが深過ぎて未だ残響音が鳴り止まない、僅か50分ほどの作品なんだけど大傑作だった。勿論ヒロインは小野莉奈で『アルプススタンドのはしの方』キッカケ観に行ったんだけど、もしあの作品を観なくてもやはり小野莉奈 は天才である、と言った事だろう。


映画『テロルンとルンルン』予告編

予告編から「ルンルン(小野莉奈)がひたすら可哀想な作品」と誤解されるかもだが、実際はあどけなさと気の強さとの狭間に揺れる微妙な心情を保ちつつ演じ切ってて心地良いほどである。そしてそんな彼女を徐々に感情の変化を交えつつ受け入れようとするテロルン(岡山天音)も絶妙である。あと暴論承知で言うが、ツイートで本作は戦争映画だと言った記憶があるが、本作のラストシーンを見るにつけ細かい言及は避けるもののある戦争映画作品をモチーフにしたのかな、と思ったから。その舞台は過剰に怯え、俯き加減に問い詰めてくる大人やクラスメートらが支配する日常という名の戦場である。だからこそそんな破綻した世界に不可視であり続けた2人は魂で共鳴しようとしたのだ。いやほんと、あの日常の言葉が銃声の如く心の奥で鳴り響いている。

あ、そう。私が常日頃から熱狂的に応援している『アルプススタンドのはしの方』もまさそういう系譜の作品なのかもしれない、とあざとく過去の記事を引用しておこうっと(笑

nenometal.hatenablog.com

 

4.『すずしい木陰』みたび...!?

 さて、今回の記事こそさらっと書こうと思ってたがやはりというか案の定8200文字を超えてしまったが、最後に本作品をまたまたまた体感することが確定したニュースが飛び込んできた。10/23(金)京都みなみ会館にて今度はリモートではない舞台挨拶が開催されるそうである。この日の上映時間は19:00。バッチリいけるではないか。直に二人にお会いできるとあって即日ソールドアウトとかならなければ是非伺ってお話を直接聞きたいと思う。

さあ、3度目はあるのか?ってことでこのチャプターは本記事拡張版として余白を残しておこうってそうなるとまたまた更に長文記事になってしまうんだけど、まぁ良いか(笑)

 

 

 前回神戸元町映画館で観たのは10月4日、あれから3週間が経過した。

そして今回第三回めの舞台は近鉄線東寺を降りて数分ほど歩いた所にある京都みなみ会館で、京都インディーズ映画の聖地である。

この映画館には過去、2年前に曽我部恵一さんがゲストで来て、横山やすし主演のバタバタヤクザコメディ映画の後に20分ほど舞台でギター演奏するイベントに参加したり、夜8時頃からぶっ通しで岩井俊二の映画を観るオールナイトイベントやら結構斬新な今考えてみても凄いイベントに参加したことがある。

 

駅に着いたのが4時30分、チケットを購入してモスバーガーやら何やら入り浸ったりで何とか時間を稼いでようやく18:40辺りから入場待ち。守谷文雄、柳英里紗両氏もその頃は既にいらっしゃっていた模様。

 

そして3回目のすずしい木陰、上映。これで大阪(#シアターセブン)、神戸(#元町映画館)

そして今回の京都(#京都みなみ会館)と関西3都を征服する事になったのだが、つくづく思ったのがすずしい木陰 ほど観る度に印象の異なる作品は無いという事。

まず、初回となる大阪、シアターセブンでは今考えればかなり2箇所に比べ音量をあげて映画作品自体の持つ【混沌性】に貢献していたように思う。

そして2度目の神戸ではその後のリモート舞台挨拶での「今までやらなかった事をやる。(柳)」「何も起こらない映画とは言っても何かが起こってしまってる(守谷)」と言うコメントに符号するかのように映画作品自体のもう一つの側面である【野心性】を感じるようになった。

そしてここ、京都では何を感じたか?スバリ【洗練性】である。

蝉の鳴き声や、ピチョンピチョン鳴く鳥の声(あれ何の鳥?)や風が木々にあたり揺れる様々な夏の轟音達が一瞬で無音に変わる瞬間も、中盤〜後半辺りに柳英里紗がハンモックからふと立ち上がった時に、まるでアニメ『言の葉の庭』辺りで描かれてそうなまるで羽衣のような太陽の光に包まれるシーンも全てが自然と偶然が生み出した精巧に作られたシナリオである事に改めて驚愕する。そう、結論を言えば今回3度目にして初めて【起承転結】を感じたのである。

次はどこで何を感じるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ちなみに上がシアターセブンにあったもので、下が元町映画館にあったもの。ハンモックは柳さんが実際に使用したものが展示してあった。

*2:元町映画館でのトークを聞いて守屋文雄監督と柳英里紗 はまた何らかのコラボがあると期待している。シアターセブンの舞台挨拶でも思ったけど、次回作はひたすら暖炉側で女性が眠る『あたたかい暖炉』かな(ないないw)

*3:鈴木実貴子ズにそう言うのがもしあれば紛れもなく「口内炎」だろうか。

*4:アルプススタンドのはしの方=アルピニストってなかなか浸透しないのは野球文脈のアルプススタンドと山登りのアルプスとでは全く意味が違うからかなぁ?

*5:その意味で『のぼる小寺さん』も『アルプススタンドのはしの方』 も「誰かを応援する事で自己を見出す」という点で恐ろしくリンクする。部員や近藤の熱い視線と声援を浴びる小寺さんは、あすは 達にとって矢野や園田だろうし、何なら眼鏡女子の立ち位置から先生が教訓めいたこと言うとこまで本当似てる。