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【抜き刷り記事】 What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

抜き刷り記事】

What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

本稿では「ライブハウス・バンド・音楽」という3点のプリミティブな議題に立ち向かって音楽のもたらすステイタスについてさらに考察していきたい。

 

Case(1);ライブハウスとは?

まずはライブハウスについてで、以前書いた記事『ビッチフェス2020』にて出演者であるWho the Bitchボーカリストであるehi氏の「新宿ロフトめちゃ好きです!」という魂の叫びにも似たMCが印象的だったが、バンドマンにとってのLOFTって非常に大きい意味があるんだろうなと思ってた所偶然、このビッチフェス2020の翌日だっただろうか書店にて今年出版された面白そうな書籍に出会した。
 そう、ちょうどビッチフェス2020が開催された新宿LOFT中心に世界規模で「loft系イベント/ライブハウス」として展開しているライブハウス「ロフト」創立者である、平野悠氏の主に創設から今に至るまでの布石を描いたいわば「まんが道」に準えると「ライブハウス道」ともいえる青春期を主に描いた著書『定本ライブハウス「ロフト」青春期』である。

定本ライブハウス「ロフト」青春記

定本ライブハウス「ロフト」青春記

  • 作者:平野悠
  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 単行本
 

この本の中でとても興味深いことが書かれているので一部引用すると、

 

【結局のところ、私がロフトという空間でやってきたことは、ただ一つなのだ。それはつまり、内なる感情が爆発して、とても五線譜には乗りきらない音を紡ぎ出す表現者を支持して、その歌声をライブハウスという空間でお客さんと共有し、一緒になって感動すること。ミュージシャンやお客さんとの有機的なコミュニケーションこそ日本のロックの、そしてロフトの原点がある】(p.p.304-305)

 

というまさにライブハウスの原点のようなことが記されているが、この一節を見てふと思い出すことがある。Who the Bitchの単独ライブ「攻めビッチ将軍」が終わった後の打ち上げ配信での一コマである。その中でehi氏は以下のように述べている。

 

「それぞれの生活の中から、このライブハウス を選んでくれてっていうこう言う繋がりや、肩を触れたことすら無いお客さん同士が繋がっていくと言う事を大事だと思ってて。」

 

ここで言うまさに平野悠氏の述べる所の【ミュージシャンやお客さんとの有機的な繋がり】とehi氏の言う【お客さん同士の繋がり】の意味とが全く同じニュアンスで発せられていると言うことに気づく。更にこれに関係して言うのだが、『ビッチフェス2020』しかり、「攻めビッチ将軍」然り、他の配信ライブでも実感してる点なんだけどWho the bitch が登場した瞬間、PCが一気にステージへと変貌していくのを感じるし、演奏は激しくなっても、ラウドなサウンド展開に埋まらずに歌詞の言葉もMCで言いたいこともシッカリ伝わってくるのだ。これは別に、2人のボーカルのバランス関係や曲間のタイミングの絶妙さという技術的な面ばかりではなく、顔面シールドやスクリーンを超えてライブ空間をオーディエンスと共に作り出そうという気概が充分に伝わっているからだと思う。十分に配信ライブでも「繋がり」は生まれるし、配信ライブにおいても Who the Bitchのアクトからはビシビシ伝わってくるものがあるのだ。だからこそ今回『ビッチフェス2020』を妥協案としてではなく真っ向勝負モードで開催できたのではないだろうか?*1

 

Case(2);バンドとは?

さて、先ほど「(有機的な)繋がり」という言葉が出てきたが、次にbandとは何か、について考察してみよう。そもそも単語としての【Band(バンド)】とはどういう意味だろうか調べてみると興味深い事実が出てきたのだ。以下のブログ記事を参考にされたい。

blog.livedoor.jp

抜粋すると以下のような記述がある。

 

「band」というのはもともと「bond」から来ているそうだ。
「bond」には「結びつき」という意味がある。

そこに「band」、つまり、それらをくくりつける帯(ベルト)の意味をニュアンス的に「bond」に上乗せしたのが、「バンド」である。

つまり、バンドっていうのは、あらかじめ確立された集合体ではない。ひとつひとつの別々なものを、一人一人の別々な個人を、ただ、帯で結んでるだけの集合体なのだ
あらかじめ同じ箱に入れられるために、同じ製法で作られた商品のワンケースじゃなくて、勝手にいろいろな場所で知らず知らずに出来上がったものを、ひもでくくって一つにまとめただけなんだ。

 

そう考えると、bandと一口に言っても必ずしも我々が常日頃からギター・ベース・ドラムなどのいわゆる楽器や音楽的センスに秀でた集団だけを指すのではないことが分かる。例えば、あるバンドがライブをするということになれば、そこに集いし【音楽に魅せられ、熱狂する者】たち全てが広い意味で「band」という風に解釈できるのではないだろうか。これは半ば強引な結論のような気もするが、そう確証できるのがまさに今回11バンド、熱狂的なオーディエンス、そして音楽の神が絆で結ばれる一日限りの【バンド】が結成されたと断言して良い。これは「ビッチフェス2020」を体感したからこそそう強く思えるのだ

そして更にこのビッチフェスにて一人一人を結ぶ帯として機能するbandlerとは何かというと答えははっきりとしていて、勿論ehi氏が配信やMCでも時折口にしている「絆」に他ならない。

*2

 

Case(3);音楽とは?

さて、ここで音楽というテーマにぶち当たってきたがここでは1960s辺りのビートルズの出現から50年以上に渡る音楽史を述べてライブやライブハウスのあるべき姿について語り尽くそうとかやってたら多分ブログの収集がつかんと思うので(当たり前じゃw)この節では音楽リスナーとして音楽やバンドをいかに盛り上げなければならないかについてやや暴論めいたものをかましたいと思っている。

私個人の音楽遍歴を申し上げると、90年代以降、洋邦問わず、POPsを中心に皮切りにいろんな音楽を聴いてきたように思う。幼少期に聞いた童謡などを除いて初めて聴いた好きな曲は、おそらく中学校時代に英語の授業で聴いた『We are the worldで、始めた購入したCDがWham!の『Last Chistmas』などの収録されたクリスマスコンピレーションアルバムだったと記憶している。*3そして最初にドハマって購入した(俗にいうヒット曲として人につられて、ではなく)【自分のアイデンティティとしての音楽】はコーネリアス『69⚡︎96』というコンセプトアルバムである。それから世間にあふれる小室哲哉ブームが起ころうともあの辺のエイベックス系の音楽は忌み嫌っていた。自分の中ではそう流行り物などせせら笑いながらロッキンオンジャパンの提唱するサブカルロックにのめり込み、ミッシェル・ガン・エレファントサニーデイ ・サービス、フィッシュマンズAIRスクーデリア・エレクトロなどを聴きあさってライブにも行くようになり完全にメジャー方面には目もくれず、むしろ彼らが影響を受けてきた60年代〜70年代の王道ロックから90年代以降のニルヴァーナradioheadmy bloody ValentineSonic Youthなどなどイギリス、アメリカ問わずオルタナティブ・ロックもかじつつ「サブカル視点と音楽センスとを持ち合わせている音楽マニア」のまま邁進していたと自覚している。(←字面にするとホントイヤなやつ&恥ずかしい事かぎりなしw)

.....とここまで書いてきて私って今まで結構な数と種類の音楽を聴いてきているではないかということに気づかされる。しかもこれだけに留まらず、2000年代になろうとも2010年代になろうとも2020年代になろうとも未だに良質な素晴らしい音楽を発掘し続けているのだ。しかも、最近は70sのマイルス・デイヴィスのエレクトリック期にこそ最も過激なロック魂を見出したり、ここ最近かなり台頭してきたBiSHなどのアイドル勢にこそ普通のロックバンド以上にオルタナティブ性を見出したすなど独自の音楽的視点で考えたりもしている、いや、当然のように誰も反応していないんだけど(爆笑)。

でもこれは私だけの自己満足から派生した自慢だけではなく、同じような、いや私などよりももっと無限大に聴いてるミュージックフリークスって数限りなく多いと思うのだ。

にも関わらず音楽のフイールドっていつの間にかロッ◯ンオンなどのような音楽誌などが一押しの彼らが思う大名盤総合ディスクレビューなどで絶賛したり、或いは彼らの批評眼でもってマズいものはマズい、と断罪したりで賛否両論巻き起こし、ある種のムーブメントを起こしていたものだが、あの頃(1990s後半~2000s初頭)とは違って単なる広告屋に成り下がってしまった印象を受ける。そういう批評家達による真剣勝負の音源等をジャッジする機構が欠如してる今のこの状況では、音楽のレベルを著しく格下げしてしまうし、現状音楽シーンを彩っている音楽にはそういう側面も否めないのではないだろうか。

 さて、ここで暴論かまします。ガンガンインプット量の多く、決してそこに溺れることのない飽くなきまで探究心を備える音楽マニア達は「もっと大きな声で、色んなところで彼らの思う良質な音楽を本音語り尽くし、シーン全体に影響力を及ぼす実力がある」と思うのだ。

 だって考えても見てほしい。他にも趣味としてカウントされるスポーツでも、料理でも、釣りなどでも、或いは読書でも、カメラでも、絵でも良い。どの世界でもそれを生業としているプロフェッショナルとは別に「マニア」がいるでは無いか。そうしてそう行ったマニア的存在を目の前にそれらのマターに手を染め始めた所謂「ビギナー」達はその存在価値すら打ち砕かれてしまうではないか。でもそうした壁に立ち尽くし、辞めるか、粘っていくか、その人の趣味人生の有無が決定するではないか。

 それに引き換え音楽フィールドに話を移してみよう。

 

「音楽なんて初心者もマニアもないんだよ。」

「音楽にごたくは要らない。"好き"なものは皆平等だ。」

「音楽なんて、楽しけりゃ良いじゃんね。」

 

 などと、例えば途端にある曲のギターフレーズに60年代のある音楽の引用を見出すようなことを言ったらそういうトーンのようなことを返されてしまうのが関の山である。

 言い換えれば、こちらが音楽の聴き方の話をしようとしてるのに「音を楽しむ=音楽、って良いよね」というプリミティブな音楽自体の話へと引き摺り下ろされてしまうのだ。何よりもろくに音楽媒体に一円たりとも投資することがなく動画サイトのストリーミングのみしか音楽を聴いた事のない人間と、ここ何十年とiTunesデータをテラ単位+ヴァイナル何百枚と所有している人間が同じ「音楽ファン」というフィールドで並べられるのはどう考えても異常だと思う。

これは誤解してはいけないのは、これは別にマニア側が初心者にけしかけてマウントを取れと言っている話ではない。ただただ、初心者は初心者、として温かく見守り(というかほぼ無視しても良いんだけど、助けを求めて来れば手を差し伸べれば良いしね)こちらは音楽ヘヴィーリスナーとして堂々と構えていればいいだけの話。こちとら目利きの音楽マニアだ。ジャケット見るだけで、チラッと演奏シーンの動画を見るだけでそのバンドの良し悪しがすぐ分かるではないか。言っちゃあ悪いが、タイムラインで「これだよ、このバンドだよ!みんな聴いて。」って紹介してたあのビジュアル系崩れのバンド、ものの1秒で地雷だと分かったし、一生聴く事はないだろう。あと最近武道館まで行った某若手バンドのギタリストよ、君らは今でこそ、そこそこ売れているが「レッドツェッペリンばりのギターリフを彷彿とさせる、ってよく言われるんだけど全く聴いた事ないんです。」ってそれを堂々と言ってるのを聞いたことがあるがそれって無知ってことなんじゃないの? その道のプロフェッショナルの癖になぜ大先輩のレジェンドの音を聞いたことないってもう致命的ではないか。これは賭けても良いぐらいだが、多分君らはこの先5年も持たないと思う。君らよりもずっと深くインプット量の凄まじい音楽リスナー達は、すぐそう言った度量の浅さってか薄っぺらさなんてものはすぐ見抜いてしまうよ。だから音楽リスナーよ、もっと自信を持とうではないか。

もっと熱く語って、シーンに猛威をふるうべき価値はあると思う。

最高のミュージックとそれを奏でる音楽家には最高の評価をする】権利があるのだ。

だから長々と言ってきたが、この節のGrand Conclusionとしては『ビッチフェス2020』に出演している全11バンドの全てが私が辿ってきた全音楽人生の中で経験してきたライブの中で最高・最強のフェスだと結論付けられる権利があり、これから我々はここに集いし全11バンドを、今後も熱く語っていく事によって更に伝説にする義務があるのだ、ということである。

*1:先日の2015年リリースされたDVD配信後、飲み会配信と化したのだが、ehi氏は興味深いことを言ってて配信ライブというスタイルにそろそろ人は飽き始めている空気を感じるらしい。そこで新たな試みが展開されなけれならない、と言っている。そういう意味ではこの人のアンテナの広さは凄いものがあると思う。

*2:ふと本題から外れるが、この「ビッチフェス2020」では様々な対バンの人達が放つ「ビッチ姐さん』「ビッチ先輩」っていう呼称ってなかなかインパクトありますよね笑

*3:英語の教科書付属のCDに『We are the world』が収録されてて九州の田舎中学生(私)は「 アメリカンはお洒落バイ!」とCDを死ぬほど聞きまくってたら、某日ラジオで流れた歌声と違う事に気づき、よくよく教科書を見てみるとトムやナンシー等の会話担当者達の歌声だったと知り激しく萎えた件を思い出す。