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君が笑うあの青空へ〜Who the Bitch『泣きビッチ』大妄想ディスクレビュー!

0.初めに

前回の「ビッチフェス2020」の記事でも触れた通り、Who the Bitchと言うバンドは、もうハッキリ言うがこのコロナ禍に真っ向から対峙して向かい合って戦い続けてきたもう国内では10本の指に入るぐらいと言って良い稀有なバンドだ思う。何せミュージシャン自体の活動がままならないこのコロナ禍なのにも関わらず、活動を続けていて、むしろしっかりと彼女らの音楽とはどういうものなのか、何たるかなどの本質をリアルタイムでしっかりと私のような新参者リスナーの脳内にしっかりと叩き込んでくれたからである。

具体的には、二月のコロナ全盛期にメンバー・ehiさんの「#私が知ってるライブハウス」「 #私の好きなライブハウス」のタグ運動でWho the Bitchの名を知って徐々に音源を聴き初めたものだ。そして当時そう主流ではなかった配信(ライブ・トーク含む)を重ね、ようやく緊急事態宣言が解除しかかった頃に最初のベストコレクションアルバム『攻めビッチ』がリリースされる。このアルバムの存在意義は実は大きくて既存曲が中心ではあるもののこれで何となく朧げであった初期・活動休止前・そして活動再開以後の彼女らの楽曲のありようを時系列を覆って知る事ができた。

その後、ようやく現時点で世の中に流通している『Toys』『MUSIC』『VOICE』などの全てのアルバム、ep、シングルなどの音源を聴く事ができて、MVなどもチェックして、幾度かの配信ライブで彼女らのライブスタイルを配信という形だからこそ客観的な視点で予習することができた。そうしてこれらのリスナー活動の到達点の様でもあった「ビッチフェス2020」の開催。そして、ようやく8月19日に大阪でknaveでのVanityyyとのコラボ有観客ライブにも行けるようになって....って言うこのタイミングの良さである。更に、本記事の主役であるベストコレクション・アルバム第二弾『泣きビッチ』がリリースされて、9月26日には大阪でのワンマンライブ、ってもうこの上ないタイミングなのだ。ほんとまさに自分のような「タグ運動以降」に彼女らの存在を知るようになった人たちには予習復習バッチリのフルコース堪能みたいな感じで彼女らの音源をほぼコンプリートできたって奇跡に近い事だと思う。

でも、ここで注意したいのはこれは単なる偶然ではないという点。先ほども触れた通りの、様々な有観客・無観客含めたライブ含む配信であるとか、ehiさん独自で配信しているpodcastラジオ、そしてSNSなどでも常にリスナーとの繋がりを絶やさぬようリンクし続けようとする彼女らのアティテュードがあってこそのなせる技だと思う。もっとハッキリいうと彼女らほどリスナーもスタッフも全てを引っくるめて活動を促す「バンド活動」を継続する努力を怠らない人はいないのではないか。勿論、これは特定のバンドなりを攻撃してダメ出してるわけじゃないんだが、コロナ禍以後、メジャー・マイナー問わずほんとに「君ら、活動してんの?息してる??」って心配になってくるバンドやシンガーソングライターって一般的に見ても本当に多いではないか。まぁこれはこのご時世ゆえに仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど。

そしてそうした姿勢が一つの大きなうねりを見せ形作られた象徴が先の配信による(と言う冠すら不要なのかもしれない)「ビッチフェス2020」だった。 この辺りの詳細に関しては前回の記事を参照されたい。

nenometal.hatenablog.com

そして本稿はそんなWho the Bitchと言うバンドがこの上ないタイミングでリリースした第二弾ベストコレクションアルバム『泣きビッチ』を楽曲紹介というスタイルではなく過去の幾つかのディスコグラフィーを踏まえた壮大なディスク・レビューを展開していきたいと考えている。構成は以下の通りである。

[Table of contents

1.『泣きビッチ』と『攻めビッチ』

 2.『泣きビッチ』楽曲検証

   Case1;『青い舟』に乗る『OBLIVION

   Case2;『カナリア』の『声』を聴け

  Case3; Artworks of WtB works

 3.『Bridge』の先にあるもの ]

 

1.『泣きビッチ』と『攻めビッチ』

結論から言うと、本アルバム『泣きビッチ』は、過去のライブでの代表曲であるとか、シングルなどをコレクションしたいわゆるベストアルバムという範疇を超えた、オリジナル・アルバムのような趣を成していると断言しても良い。全体的な曲構成と、本アルバムの非公式ではあるがとてもキャッチーに作られたCMは以下の通りである。 

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1.赤いレモンティー
2.Chicken Heart*1
3.sadistic
4.マシュマロ
5.怪獣とジェンガ
6.OBLIVION
7.Nebbia
8.青い舟
9.カナリア
10.Hello Again
11.声
12.始まりの証

13.的

14.Bridge

15.You’re the way 

 

 

まず、4月にリリースされたこの『泣きビッチ』と双璧をなすと言おうか、姉妹版と言おうか『攻めビッチ』とを比較してみると、あのアルバムのイメージカラーであった「赤色」に呼応するかのように、本アルバムは『赤いレモンティーでスタートを切るのは偶然にしても興味深い。

本曲で【I don't say Goodbye】という力強いフレイズで締めくくられるあの曲は活動休止前のライブで最後に歌われた「約束の歌」である事はファンの間でもよく知られた事実であるし、活動休止前と今とを結ぶ重要な意味合いを持つ本曲を最初に持ってきた意味合いの重要性も同時に知ることができよう。

更に、これも偶然なのかどうか分からないが、今回のアートワークのイメージカラーである「青色」を象徴するかのようにセレクトされたタイトル楽曲である『青い舟』がちょうど全15曲中のど真ん中である8曲目に位置している。このように何となく曲構成だけ辿っていっても両アルバム『泣きビッチ』は前回のアルバム『攻めビッチ』とは何らかの共鳴点というか、地続き感を示唆しているような気がする。


【MV】Who the Bitch『赤いレモンティー』 Official Music Video

そして、もっと重要な事に、今回アルバム内のCore(核)となるよう重要な役割を担っているのがこのコロナ禍の最中で制作され、さらには「ビッチフェス2020」のテーマ曲と化していったといっても過言ではない新たな曲『的』の存在感である。

本当にこの曲だけでも聞いてもらえればわかるが、この曲の鳴りの強さは凄まじいもので、アルバムの(もっと言えば『攻めビッチ』の曲もこれまでリリースされたオリジナルアルバム、楽曲、全て含めてのことだろうが)全曲がこの力強い以下のフレーズへと一気に収束していく様な強烈なカタルシスすら感じるのだ。

   ためらうな 人生は一度きり 

   ためらうな  がむしゃらに鼓動が今鳴る     (『的』) 

 

何とまぁ力強いフレイズなんだけど彼女らが歌うとそこに偽りや何の大袈裟感がないのだがそれも当然だと思う。このわずか短いこの二つのセンテンスの意味合いの持つリアリティは、このコロナ禍に真っ向から対峙してきた彼女らのこれまでの活動をざっと振り返ってみただけでも計り知ることができるだろう。

また、この曲の役割は以下の結論にも結びつけることができよう。この『泣きビッチ』というアルバムには人間の感傷を促す「泣く」という表現が含まれているが、単に「センチメンタル」な意味においての「泣ける曲たち」を集積しただけのアルバムではないことを教えてくれる。

そもそも、この「的」という表現は人生においてやり遂げたい事柄、例えば音楽文脈で言えば、ビッチフェスしかり、ライブ然り、アルバムリリースしかり、何か物事を達成したいというときに用いる「目的」の意味にも捉えられようし、或いは、これまでコロナ禍を皮切りに全世間からライブハウスというものが散々スケープゴートとしての「標的」にされてしまった事へのある種怒りにも似た意味をも内包されているのかもしれない。

そう考えれば、この『的』という曲の存在によってこの15年もの間音楽フィールドで常に闘争を続けてきた彼女らの培ってきた他の楽曲にも何らかの相互作用を引き起こし、新たな解釈をもトリガーする事になるであろうし、この『泣き』の中にもどこか拳を握り締めつつ浮かべるヤケクソの涙もこの中には窺い知ることができるのもあながち間違いではないように思う。

さて、次の節ではさらにオリジナル・アルバムやミニアルバム単位の楽曲をいくつか引用してこの『泣きビッチ』を詳細に検証していきたいと考えている。

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2.『泣きビッチ』楽曲検証

Case1;『青い舟』に乗る『OBLIVION

 時折、ベスト盤でもないのにこのバンド自体の活動が集大成化されていると思わせる集大成的な作品に出会う事がある。例は古いが、Flipper's Guitar『ヘッド博士の世界塔』Oasisの3rdアルバム『Be here now』Smashing Pumpkins『メロンコリーそして終わりなき悲しみ』スパイラルライフ『Flourish』などがその好例である。*2

お分かりいただけるだろうかこの単なるアバンギャルド性のみならず、もっとキャリア全部ひっくるめて提示されるこの「集大成的な大作感」。*3 でもこれは何も90年代レジェンドに限ったことではない。ここ最近では2013年にリリースされたサニーデイ サービスやソロでも多くのキャリアを残している曽我部恵一の、曽我部恵一バンド曽我部恵一バンド』であるとか、2017年にリリースされた、二人組オルタナフォークバンド、ハルカトミユキ『溜息の断面図』、そして今年はソロのシンガーソングライターの植田真梨恵『ハートブレイカー』などはまさに上記で述べたような「もうこれでキャリアまとめてこのまま終わってしまうんじゃないだろうか?」とまで思わせてくれる素晴らしいアルバム郡だと思う。

そしてここで紹介するWho the Bitchの2nd fullアルバム『MUSIC』もその例外ではない。

もしも私がリアルタイムにて本盤を聴いてたらに上記のアルバムたちにも存在する、ある種の「到達点」を確信できる系譜にあるタイプのアルバムではないかと思う。

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1.OBLIVION
2.アルゴリズム
3.TOKIO
4.blow
5.気づくもの
6.旋律のリアル
7.You’re the way
8.アウトサイダーミュージアム
9.everyday everyday
10.リンドンリン
11.青い舟
12.gift

ギューイーンと歪んだギター音に続いてメランコリックなメロディーに乗せて【目を閉じて振り返る忘却の橋】と言う印象的なフレーズで始まる一曲目OBLIVION

で、そもそもこの「oblivion」という単語これはどういう意味かと言うと、ウィズダム英和辞典によると

1 忘却(されること), 記憶の彼方(へ追いやられること)(obscurity)、忘れ去られる.
2 昏睡状態(に陥ること).

と言った具合に記憶喪失的なニュアンスで用いられることが多いようだ。

このアルバムは、もしかしたら曲目に辿っていくとするならば、

【記憶を失った1人の人間が都会にてアルゴリズム算法を叩きつけられ、魂に触れるような旋律に出会い、音楽や人の愛に触れ日々を過ごしていくも、日常生活にどこか寂しさ、限界をも感じ、再びあの忘却の橋を渡ろうとするべく旅路に出る事を決意し最終的に命尽き果て、花束という贈り物が備えられるというストーリー】

 

が浮かんだのだが、いかがだろうか。

とここまで言ってしまったからにはもっと妄想かませば、このアルバムの下地になってるのってダニエル・キイスによる小説『アルジャーノンに花束を』ではないだろうかと密かに思っているのだがいかがだろうか?

ja.wikipedia.org

あらすじをざっと引用すると以下の通りである。

 

知的障害を持つ青年チャーリイは、かしこくなって、周りの友達と同じになりたいと願っていた、大きな体に小さな子供の心を持った優しい性格の青年。

ある日、大学教授・アリスから、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。先に動物実験で対象となったハツカネズミの「アルジャーノン」は、驚くべき記憶・思考力を発揮し、チャーリイと難関の迷路実験で対決し、彼に勝ってしまう。

彼は手術を受けることを快諾し、この手術の人間に対する臨床試験の被験者第1号に選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇し、数ヶ月でIQ185の知能を持つ天才となり、知識を得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。

だが、頭が良くなるにつれ、知りたくもない事実を理解したり、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままで、突然に急成長を果たした天才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。周囲の人間が離れていく中の孤独感と苦悩の日々。

そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変が起こる。

チャーリイは一時的に知能を発達させることができたが、性格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能は、やがて失われ元よりも下降してしまうという欠陥を自ら突き止めてしまうのだ。

彼は失われ行く知能の中で、退行を引き止める手段を模索するが、知能の退行を止めることはできず、チャーリイは元の知能の知的障害者に戻ってしまう。自身のゆく末と、知的障害者の立場を知ってしまったチャーリイは、自らの意思で障害者収容施設へと向かう。

そしてあの寿命が尽きてしまったハツカネズミ、アルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージとして、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」と締め括る。

 

....と、あらすじを引用してみたけど本アルバムと『アルジャーノン』とを融合すると以下のようになる。記憶喪失者(OBLIVION)であったチャーリーは、実験によって得られる記憶・思考力の実験によって様々な算法(アルゴリズム)を取得するようになる。

ちなみに本曲中で

 エゴイズムのような落書きをして 

 傷つけてるケミカルな愛情  (『アルゴリズム』) 

って件はまさに科学的進化によって培われた知能とのバランスが取れない実験そのものを示唆しているような気がする。さらにこのOBLIVIONに加えて『泣きビッチ』のラスト曲である『You're the way』の歌詞を一部引用してみようか。

 枝分かれしたふたつの道は 時を超えて交わる いつか重なる

 その時は必ず 強がらず笑える   (『You're the way』) 

このくだりから、チャーリーによる、どこかこの「天才」として尊敬される日々が永続的なものではなく、やがてここから去っていかねばならないのではという予感と、彼がいつか生を全うしたときに来世にて新たにあのハツカネズミであるアルジャーノンとの出会いを示唆するフレーズが両曲ともどもに垣間見えるように思えるのだ。*4

  そして、『MUSIC』では更に本アルバム収録曲である『青い舟』OBLIVIONとの間には10曲ほどのインターバルを要するので時間にしてかなり長い隔たりが伴うものだが、『泣きビッチ』ではわずか間に一曲『Nebbia』しか介在していないため、割と歌詞カード的にも近距離で検証することができるが、実は両曲の歌詞世界にシンクロする点が多い事に気付く。

具体的に以下の引用を見てみよう。

OBLIVION  忘却の橋を 渡り辿っていく

    OBLIVION  僕らいつだって 口ずさんだ歌 (『OBLIVION 』)

 

前方に見えるのは何? 僕らが悩み 愛し創る時代 

 前方に進め 君に誓って歌うフレーズ (『青い舟』)

OBLIVIONで忘却の橋を渡っているこの主人公は紛れもなく舟に乗っていて、何らかの歌を口ずさんでいる情景が浮かぶ。更に同様に『青い舟』でも舟に乗った主人公が、やはり同じように何らかの歌を歌っていることが分かるだろう。

それだけではない。

他にもOBLIVIONにおける

「流れてる音楽は 懐かしい色 時を超え胸を打つ」

『青い舟』「君がくれた腕時計は何度回り続けてから僕を慰めただろう」に

更にOBLIVION』の

「自分の甘いところまだなおってません」は

『青い舟』の「やりきれない悲しみ抱いて 溢れ出すその涙も」にそれぞれパラフレーズが可能であり、同じ様に時間の経過の流れの中でこそ圧倒的に何かを失っていく事象などに対するセンチメンタリズムが表現されているという意味においてこれらの二曲は対をなしていると結論づけられる。

 *5

 

Case2;『カナリア』の『声』を聴け

では、更に楽曲検証をしていく事にする。

この中で取り上げるアルバムは3rdミニアルバム『Voice』と5thミニアルバム『Letters』内の楽曲である。

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1.声
2.Merry-go-round
3.Stand up
4.Door
5.Birthday
6.青い舟

 

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1.Lettter
2.枯れない花
3.Over the wind
4.リフレイン
5.sister
6.カナリア 

7.トオリアメ

そもそもがWho the Bitch はバンドサウンドが主体なのに「泣き」を呼ぶバンドである事は、SNSなどでの彼女らのライブに行った際のオーディエンス達のリアクションでもハッキリそういう意見が多いし、『攻めビッチ』リリース時に次なる未だタイトル未定のベストアルバム・タイトル予想として既に当てている人が多かったことからも明らかである。これには色んな要因があろうが、どんなギターサウンドやドラムが荒ぶった展開の曲であろうが、彼女らの「声」がハッキリと聴こえるからというのも大きいのではないか。それは英詞であろうが日本語であろうが同じ。

そんな彼女らの魅力を凝縮したアルバムが『Voice』であり、『泣きビッチ』収録曲はそのズバリ『声』という曲である。Who the BitchオフィシャルTwitterアカウントによれば、

「2012年のシリアのアレッポにて銃弾に打たれ亡くなったジャーナリスト山本美香さんへのレクイエムとして捧げられた楽曲で、その彼女が伝えたかった戦場に生きる"声なき声'をテーマに作られた反戦曲。内戦の地から見える空は日本の空にも繋がっている。」という事らしい。

*6

本曲には「何かを”奪われてしまった”状況から、いかに先を見据え、立ち上がるべきか。」というメインテーマがあるわけだが、比較的ポジティティに溢れた曲が多いWho the Bitchの楽曲内でもこの様な内省的な曲という観点からもう一曲、ふと思い当たる曲がある。

『泣きビッチ』では『青い舟』の次の第9曲目に収録されており、カナリアという曲である。一部を引用してみよう。

    飛べないカナリア

 誰を思い

 諦めずに

 飛ぼうとするのか  (『カナリア』)

この辺りの歌詞を見て、ストレートに思うのがおそらくは飛び立つための「翼」を何らかの要因で奪われてしまったその鳥の悲しいまでの運命である。でも、この曲の良いところは絶望に止まらずに、そこから何かを見出すべく飛び立たたんと再生をかける思いがカナリアに溢れている点なんだけれど、本曲が収録されているアルバムはオリジナルとしては最も新しい『Letters』(2018)からの楽曲であって、年数的には少し『Voice』との時間の経過隔を感じない事はないんだけれどどこかしら両曲に対する印象はかなり近距離だと思う。

もっと言えば『声』において、「争いがまだ続く街で 誰かも空を見上げている」のは紛れもなく広い青空へと自らを自由に放とうと願うあの鳥の姿であり、この中で歌われる「声なき声」というフレーズもどことなく「飛ぶことのなき翼」を有しているあのカナリアの姿がオーバーラップしてしまうのだ。そしてそうしたことを象徴するかの様に、偶然にも『Voice』のジャケットアートワークにまさに飛び立とうとしている鳥のシルエットが施されている点も尚更そのように思わせるのかもしれない。
 

Case3; Artworks of WtB works

さて、先ほどアートワークの話が出てきたが、この節では少し視点を変えてこれまでのWho the Bitchがリリースしてきたアルバムアートワークの進化過程を見ていく事によって、今回の『泣きビッチ』というアルバムがいかに位置付けられるのかを検証していきたいと考えている。

まずは、1st full アルバム『Toys』のアートワークを見てみるとパッと見一昔前に流行った『ウォーリーを探せ』の様な趣のイラストであるが、よくよく見てみるとスピーカーや楽器などもあるし、とても楽しそうな何かの音楽フェスの様な、まさにタイトル通りの玩具箱の様な言っても良い賑やかなイラストである。

次に、その混沌的なアートワークから次の❷3rd miniアルバム『Voice』を見てみると先ほども言及した様に花や植物などを模した全体像からふっと一羽の鳥の姿が浮かび上がる洗練したデザインになっている。

そして次に❸ではMacか何かのお洒落な壁紙にでも出てきそうな、色彩豊かな絵具の塊の様にも見えるし、或いはこれは「細胞」の様なイメージを抱いているのだがいかがだろうか。

そして次の❹の4th mini アルバム『UNLIMITED』ではタイトルにもある様活動再開後の光に満ちたアートワークでタイトルに準えるならまさに無限に降り注ぐ光の強さ、或いは無償の愛とも取れるその輝きは復活後の彼女らの勢いを意味しているのだろう。そして❹で全貌を表すことのなかった二人の姿が具現化した❺の5th mini アルバム『Letters』であるが、二人の周りをキラキラと煌めいている光の一つ一つが実は❹と見るべきなのかもしれない。そして今回のベストコレクションアルバムプロジェクトの『攻めビッチ』❻、そいて今回の主役である『泣きビッチ』のそれぞれのアートワークはこれまでのアートワーク❶〜❺をより統一化した印象を受けるのである。これらのアートワークには❶のカオスティックなカラフルさも、❷に見られるアート感覚も、❸に見られるどこか細胞レベルにまで見られるミクロな感じも、❹に見られるビッグバン後の宇宙の様な感覚も、❺の存在にまで拡張して最終的にフォーカスを当てる事によって完成されたイメージがある。

もっと簡潔に言えば「抽象から具体そして、更に存在へ」と接近していくこのアートワークの流れまさに音楽的なピークをアルテレベルにまで高め、一度は活動休止に至ったものの、再度活動の場を広げようとする彼女らの歴史そのものの様なまさに「死からの再生・復活の景色」そのものであると断言できよう。 この事実を踏まえ、次の3節では『泣きビッチ』における曲順とそれに関連する世界観をはっきりと定義していきたいと考えている。

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                    ⇩

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3.『Bridge』の先にあるもの

どんなアルバムにも核となる曲は存在するとは第1節でも述べてきた。アルバムコンセプト全般がその曲を軸として回転していく様な地軸の様なスタンスを持つ全体を取りまとめる役割を担う重要な曲であるが、本『泣きビッチ』ではそんな役割を担う曲は、個人的には実は二曲存在するのではないかと思っている。まず一曲目は先ほど触れた様に新曲『的』である

その証拠に本曲はアルバム全体を前方へと進めていく意味合いにおいて、『泣きビッチ』のみならず、『攻めビッチ』に収録されていても何の違和感もない所謂【攻め】の曲だと思うからだ。だから本曲は攻めビッチ』の曲も含めて、全楽曲がこの力強い以下のフレーズへと一気に収束する役割を担うのだろう。

では純粋に『泣きビッチ』をトータルアルバムとみなした場合、真の意味での核となる曲とは何かと考えた時にズバリ『Bridge』に他ならないという事に気づく。

では、それ確かめるべく本曲のMVを見てみようか。


【MV】Who the Bitch『Bridge』 Official Music Video

A.この橋を渡って 下り落ちたら

 草木茂る 道なき道でも

 本当の自分の橋を作れば

 また歩き出せるだろう

 きっとそうだろう                  

   

 B.歪んだ高架橋 免れた一羽の鳥が

  いつしか気がつけば 二羽並んで飛んでいる      (A-B『Bridge』)

とこのように『Bridge』の歌詞をサビであるAとCメロにあたるBといきなり二箇所引用しているのだが、ここでの主張がが清々しいまでに明るみになってくる。

この曲のこのフレーズの物凄い圧倒的な「"泣きビッチ"要約力」のなせる技である。

Aの【この橋】とは先ほど触れた「忘却の橋」を渡っていたOBLIVION『青い舟』での登場人物たちの心象風景とリンクするし、更に【道無き道】の道が閉ざされた状態とは「聞こえない声」であり、「飛べない翼」であるとも解釈されれば『声』であり、『カナリア』の情景ともシンクロする事であろう。

そしてそうした要約に留まらず、このアルバム全体のストーリーを感動的にも展開していく役割を担うのがBである。そう、あの飛ぶこともままならず、でもひたすら自由に青空を駆け巡ることを夢見てきたあのいつかのカナリア いつしか気がつけば 二羽並んで飛んでいるという事実に我々は気づかされるのだ

 ここでようやく青空に解き放たれた「二羽の鳥」には実はダブルミーニング備えられている事にも注意したい。ここに描かれているのは決してあの日のカナリアの姿だけではあるまい。もっと言えば【君が笑う空へ飛びたい】と願いながら高らかに歌う二人のバンドマン達の姿も含まれている様に思えてならない。

そうだ、ようやくここまで来てGrand Conclusionにたどり着いた。

ここまでの『泣きビッチ』における曲順とそれに関連する世界観を構図化すると以下の様になる。

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冒頭でも触れた通り❶において『赤いレモンティーが1曲目に位置している意味は『攻めビッチ』との地続き感と活動休止前のライブラスト曲ということとも関連するのであろう。

そうして【I don't say goodbye】を証明するかの様に割と初期の楽曲(2-5)を鏤めた❷の流れがあるのだと思う。

そしてその後アルジャーノンに花束を的展開となぞらえて分析した❸の流れはアルバム『MUSIC』の要約であると言えよう。

更に❹のパートでは9(カナリア)や11(『声』)などのう言われた光景からの立ち上がろうとする思いの様なものが感じられる。そしてそこからの再生であり、新たな始まりである❺の流れへと連動していくのだ。そしてなぜ『MUSIC』の要約パートである❷に位置するはずの15が最終曲に位置しているのかというと、まぎれもなくこれは「リスナー」の存在を意識した曲だからであろう。

つくづく思うんだけれど、我々は良い音楽に出会うと、もう単にそれだけ音楽だけににとどまらず、いろんなものに出会う事になる。

良い音楽から、良い楽曲を奏でるミュージシャン、その音楽を最良の形で提供してくれるライブとライブハウス、そしてそれらを支えるスタッフ、そしてそれらを支持するファンダムコミュニティという風にもう繰り返しになるんだけどこれらはもう一括りでバンドなんだと思う。そう、我々は何度も何度も『Hello, Again』を繰り返すのだ。それは輪廻転生の如く忘却してしまうのではなく日々の積み重ねとして何度も何度も繰り返すのだ。

そう、この『泣きビッチ』というアルバムは映画である。彼女らのこれまでの活動プロセスをドラマティックなシナリオでまとめあげられたドキュメンタリーであるのと同時に、今までの、そしてこれからのリスナーとの新たな音楽的発見を模索していく青い舟に乗って青空へと誘う壮大な未来へのファンタジーでもあるのだから

そして僕らは生きているからにはいろんなものに卒業して生きていくが、この、音楽を愛する旅だけは決して卒業できないだろう。

 では、最後にまたまた12522字を越えてしまった本ブログの締めくくりにふさわしく、エンドロールもある事だし、今回の主役であるWho the Bitchの『Hello, again』のMVにて本記事を締め括りたい。

 

Who the Bitch [Hello again] live at 2013.12.30 GARDEN

 

 

 

*1:本文では触れないがこの曲って凄い懐かしい感じがする。BridgeとかVenus peterとかあの辺の渋谷系と呼ばれたバンドサウンドを展開した様な感じがする。

*2:oasisに関しては異論があるだろうが集大成的なニュアンスはこのアルバムに色濃く感じたりする。勿論傑作として評価高いのは前の二枚何だろうけど、集大成的重さはあまり感じない。

*3:だからビートルズなども当てはまらないですよね、全て前衛的ベクトルを有していたから。

*4:この『MUSIC』=アルジャーノン説強引に聞こえるかもしれないがラスト曲『gift』というのと小説ラストにも花束が添えられるっていうのも非常にポイントが高いんだな。

*5:その意味で同じくバンド名にWhoを冠する60年代〜70年代を代表するイギリスのロックバンド、The Whoの『Tommy』を思い出す。あのアルバムも視覚・聴覚・感覚を失い立ち尽くすしかなかった少年が「君の声を聴きたい。」と心の壁をぶち破るまでを描いたロックオペラと呼称されたコンセプトアルバムだった。

44年前の映画なのに
❶トラウマと精神病
❷虐待とドラッグ
❸宗教と洗脳
という今尚人間社会で蔓延る問題を題材にしつつ、時にアバンギャルドな切り口でアートの領域にまで高めた映像表現の数々は斬新で鳥肌ものだった。

*6:このニュースはかなり当時話題になったのでその概要だけでもここに引用しておく

ja.wikipedia.org