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What is live?〜「#吉田彩花 (Saika)2023/2/11(土)、ピカソ降臨LIVE in 鑪ら場」爆裂レビュー

What is live?〜「#吉田彩花 (Saika)2023/2/11(土)のピカソ降臨LIVE in鑪ら場」爆裂レビュー

Ⅰ.What is Live?(Presuppostion)

Ⅱ.ピカソ降臨LIVE in 鑪ら場

Ahead of Session

1st Session;🪲(コガネムシ)

2nd Session;🤡(道化師の部屋)

3rd Session;(二度寝)

4th Session;(サニー)

5th Session;🌀(余計だ)

6th Session;🎶(イントロ)

7th Session;☀️(まる)

Ⅲ.What is Live?(Definition)

Previous and Future Sessions 

Ⅳ.Appendix(おまけ)

Ⅰ.What is Live?(Presuppostion)

ここ最近コロナも落ち着いてか、以前にもましてライブに行く機会を飛躍的に増えてきたし、それに比例して違和感を感じることも増えているのだけど、顕著な例が2点ほどあるのでそれをここで紹介しよう。

一つは、4人か5人ぐらいの様々なシンガーソングライターが集うそして2時間なら3時間ないしを構成する1つのフェスとまではいかないがイベント的な対バン形式のライブによく行く事があるが、良い加減パターンが同じすぎるのでもはや一般化した形でそれを示したいと思います(笑)

CASE(1)

体 1人が30分程度のライブで、5曲ほど演奏して、それから1曲目は手馴しっぽい感じの曲をやって2曲目位でアップテンポ目の曲に入る。ここ早い人でイントロ付近、遅い人で間奏ぐらいから「拍手できますか? 」とか何か言って拍手を促すのだ。一旦休憩飲みタイム。そしてMCに入ってちょっと会場リラックスさせつつのバラードに入ってミドルテンポで巻き返す。それから1ヶ月先ぐらいのLIVE告知をして、チケットやら物販のCDをひとしきりして、それから最後アップテンポ目の曲で締めてまたもや手拍子やら極端な場合には謎の歌詞に合わせた振り付けを半強要しライブが終わる、チャンチャン。

いや、そのやり方が一番無難ってか、もう有無を言わさず形式的に場が成り立つって事なんだろうけど、何かそこには予定調和感以外の何物でもない気がしてならないのだ。そして客席も客席で演者に「皆さん、振り付け上手にできました〜💗」なんか褒められてへらへら笑って拍手したりする始末。私は音楽を聴きにきたのだ。ここは幼稚園か遊園地かメイド喫茶でか地下アイドル(あ、後者二つは演者次第では半分似たようなニュアンスあったりもするんですが)じゃないんだ!そう言う時は思わず、その時私は正に去年観て衝撃を受けたあのライブハウスの実情を描いたインディーズ映画『辻占恋慕』のあの衝撃のラストシーンを思い出してしまう。

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そして二つ目は比較的最近行った某イベントライブでの出来事である。この日あるパフォーマンスグループのライブのやり方に大いに疑問と怒りを抱いたのだ。いや、こっちはあまりに呆れ返ってしまったので永久保存版としてここに記録しておきたい。

CASE(2)

某関西中心で活動している大所帯のダンスパフォーマンスグループの40分ぐらいの持ち時間の中での中間あたりの出来事。彼らのオリジナル楽曲に「〇〇裁判」というタイトルの裁判にまつわる曲があってその前振りに唯一「ノリが悪い客を一人設定して、後ろで腕組みしてる”地蔵客”を探してその人を前方へ寄せて椅子に縛り付けて裁判する。」という演出があった。これはいわゆる客を肴にして吊し上げてウケを取るパフォーマンスなのだが、その一人の客は素直に座ってお行儀よく縛られ(笑)抵抗しなかったので大いに盛り上がり結果的に盛り上がったのだが私は当然納得いかなかった。多分私がその立場にあったらブチ切れて帰ってたよね、ってこと。

注意すべきはこの某グループのこういう演出はもしかしてコアファンにはお馴染みのノリで人によってはそれこういう演出を成立させる点にこそ魅力を感じてる人がいるかもしれんので完全に否定はしないが、私はこんな事せずに彼らはステージ上で歌とダンスとパフォーマンス力だけで勝負できる実力があるのに勿体ねえとハッキリ思ったし、私はその翌日に彼らのTwitterアカウントのフォローをガッツリ外している。だから彼らの2度とライブに行くことはないだろうが、でも縁を切るってのもお互いのためだろう。

そして2/11、そんな2点のCaseにぶち当たってその疑問に対してポーンと風穴を開けるような最高のライブをやってのけた人がいたのだ。そう、本ブログでは最多掲載の我らがエンタメは心の太陽、というかエンタメの照らす太陽光そのものである吉田彩花(以下、Saika)。彼女が正に最高最強のコンセプチュアルなライブをやってのけたのだ!!!!しかも彼女が(私もだけど)敬愛してやまない「鈴木実貴子ズ」が経営するライブスペース「鑪ら場」で、彼女が最初に鑪ら場にてライブをした記事とそのライブの模様を記録した動画を以下に挙げておく。

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Ⅱ.ピカソ降臨 LIVE in 鑪ら場

 2023/2/11の「音のホームルーム第三回履修登録」という企画で演奏されたセットリストとその日の動画は以下の通りである。*1

音のホームルーム第三回履修登録

1.コガネムシ
2.道化師の部屋
3.サニー
4.二度寝
5.余計だ
6.イントロ
7.まる


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Ahead of the Sessions

まず、このライブの前、実は吉田彩花アクトの前にとトイレに行こうとしてたらあるデカい「おじいさん」がふっと入っていったのでしばらく待ってたのだ。....だが中々出てこない。アレ?とノックしても出てこないか空けると無人だった。当然会場にもそういう人はいない。

 という出来事があった事を記しておこう。

後から重要な意味を帯びてくる伏線として...

1st Session;(コガネムシ)

一曲目『コガネムシ』のイントロを奏でると同時に以下の言葉を放った。

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」
「なに、彼女の方で段々絵に似てくるさ」

そう、これは紛れもなく楽曲を演奏することのみならずパブロ・ピカソの言葉から本ライブをスタートさせることにより、どこか今までs-igen企画での演目やバーペガでの試みが結実した瞬間を見た思いがしたものだ。

本曲は「意に反して光に反射する色彩を放つカルマを背負ってしまった黄金虫」の悲しくもどこか共感すら覚える不思議な歌詞だが、今思えば、この曲から最後の『まる』からの流れを考えるとコガネムシも実は太陽なのではないかと思えてきた。正に小さな虫も捉えようによっては光り輝く生き物なのだ。先読みになるが太陽光を浴びてこそ輝けるエンタメそのもののような存在ではないかと思う。

それにしても個人的にはチリヌルヲワカの曲調をも思い出すような良いメロディを有する楽曲である。


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2nd Session;🤡(道化師の部屋)

鏡の前の自分は不器用に笑う

そして私は道化師となった

そう言ってSaikaは『道化師の部屋』を歌う。思えば過去のs-igen企画作には『歌えピエロ〜movie by youtu部?』『悲劇のアルレッキーノ』『悶々と愚問』『すうぷ』など常に「道化師」的な存在が示唆されていたが今曲では間違いなく彼女自身がその役割を担わんとする事をマニフェストするかのように思えた。この時ふと彼女が去年の5月に行ったパフォーマンスを思い出した。


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これは「本能のまま赴いた新たな芸術の扉、星を求めた少年、一つの物語を。」というテーマのもとバーペガで開催されたイベントで「夜空に輝く星を求め走り続けてきた少年がズダボロに傷ついていたある日、人に踏みにじられようとも咲き誇る一輪の花を見てもう一度走り続けよう、と決心する」物語に『カウントダウン』『余計だ』『不敵な迷子』などの楽曲が更にドラマティックに盛り上げる、そんな今まで観たことあるようで誰もやってこなかった新基軸のパフォーマンスであってまさにこれは音楽家Saikaと役者 吉田彩花 とのコラボだったのだが本ライブもそういう意味合いがあるのを感じたりした。


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3rd Session;(サニー)

天井から音がする。

見上げると天窓から覗くのは太陽だった。

ツイート元を見れば分かるとおりギターのボディを叩きながら天上の音を演出するSaika。本当に「誰か」が天井にいてそこから音を鳴らしているようなこの不思議な臨場感。そして「太陽」というキーワードにふっといろんなニュアンスが含まれるのではと感じたりして。実際にその後演奏されたLIVEレパートリー『サニー』も際立って素晴らしすぎた。本曲『サニー』はライブでも頻繁に演奏され、それを目撃するたびに徐々に狂想曲のような混沌性を増していく化け物であると思う。まるでトグロを巻いて突き進む大蛇のような非常に更新性の高い曲で、ライブでは主に勢いよく一曲目に演奏されることが多いが今回は割とゆったり目のトーンで3曲目っていうのも新鮮だった。

私はいつもこの曲のこのフレーズがどう歌われるかに注目している。

喜怒哀楽ほど簡単に言葉に収めたとしても感情は

余白ほど渦巻いてる

それはなぜか。これは以前「うぇらっぷ」というLIVEイベントでこのようなことを言ってた事に由来している。「人間の感情は喜怒哀楽と4つに分けられるのってとってもシンプルだけど、色んな事情でそう断言できない余計な感情が芽生える事もある。そんな時にこの曲ができた。」この曲とは実は『サニー』ではなく5曲目で出てくる『余計だ』のことなのだがこれらはSaika曲を構成するコア要素ともなっていると思う。

4th Session;(二度寝)

2曲目に入る前に彼女は以下のように呟きながらチューニングを行った。

6弦の音は虚しい
5弦の音は悲しい
4弦の音は情けない
3弦の音は...見て見ぬふり
2弦と1弦は...合っている

ふとこれを見て3年前にAnlyがアコースティック弾き方りオンリーの「いめんしょりツアー」を思い出す。ある曲を演奏する前にチューニングが異常に長引いて、客席が響めき始めた時に「今のはチューニングという曲でした!」と言って逆に盛り上がって沸かせた事があったがこれは最早それを超えて何かの演目の台詞ようなモノローグっぷりである。あと、或いはここ最近彼女の音楽性における昭和歌謡的な要素から鑑みて、どこか浅川マキ的歌謡曲の幻影も見えたりするのだが。*2時折私個人として二度寝に突入する瞬間だかに既聴感のない美しい音楽が聴こえる事がある。あの夢であり現実のような不思議な日常の光景を、キャンバスでラフスケッチを描くような Saika 曲史上最も嫋(たお)やかなボーカルが窺える一曲である。


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そして本曲のスタジオ版について今までのブログ上全く触れていなかったのでここで触れておくとCornelius『CHAPTER 8』を思わせる康士郎 の編曲も自然に共存している。*3


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少し話は逸れるが、アレンジャー康士郎氏による今までの『むらさき』『まる』『きまぐれ』などなどSaika曲の編曲とは彼独自の「解釈」であると同時にリスナーへの「返信」としての機能を有してる。「LIVEでこの曲聴いている皆さんこうお感じでしょ?」というこの天才アレンジャーからのリスナーへのメッセージ。だが『二度寝』に関しては編曲自体が無邪気なギミックと化し歌詞世界に没頭している。これは驚くべき変化だし、『二度寝』は単に「良い曲」の枠組みを超え、ましてや常日頃からSaikaや群像ピカタやバーペガでの音楽等に触れているいわゆる音楽(live)フリークスの層を超えて更に大きなマスにポーンと届く力を有している生粋のPOPSに分類されると思う。真のPOPとは今世の中に蔓延している予定調和な音楽にはない、まだ見ぬ景色を魅せてくれるものだと思うから。

5th Session;🌀(余計だ)

1st sessionにて芸術性とコンセプチュアル性とが融合したエンタメの「奇跡」と言ったが、ここで正にそう断言しても良い奇跡が起こった。本曲『余計だ』の前に吉田彩花 は以下のようなモノローグを放っている。

重い腰を上げてお風呂場に向かう鏡を見ると

そこで初めて気づく。

化粧を落とさずに寝てしまった。

なんだか鏡に映るそれを雑に扱いたくて

洗顔石鹸で顔をゴシゴシと...まだ落ちていない。

何度も何度も顔を洗う

何度鏡を見ても落ちていない

だんだんと顔が痛くなってくる

ヒリヒリとヒリヒリと赤く腫れ上がっていく様子

を見てとても情けなく思う

そうかこれが私か化粧を落としても

化粧をしているようだ 

ただため息より先に言葉が出た...

それはとても小さく小さく小さくお風呂場に響き渡った

「嫌だなぁ」

この「風呂場」「洗い流す」というワードを放った瞬間、先ほどの一曲目頭と同じようにてっきりピカソ『全ては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、貴女がお湯に溶けてしまわないことだって』という名言の引用かと瞬時に思ったのだ。

それを思って真っ先に終演後、彼女にその真意を聞いてみたものだった。

で、なんとこれが全くの偶然だと言う。そう、正に鑪ら場にあの天才画家の霊が降臨したのだと確信した瞬間だった。

本曲の細かい歌詞分析に関して、或いは本曲の細かい歌詞分析に関しては以下の記事で12000字ほどで語っている。


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6th Session;🎶(イントロ)

そしてここ鑪ら場でこの『イントロ』が放たれる意味と意義は途轍もなく大きい。この鑪ら場という音楽スペースのオーナーである鈴木実貴子ズの屈指の名曲『あきらめていこうぜ』へのアンサーソング*4

あきらめていこうぜ 

そんな歌を聞いて 

期待していた自分に気づく

ぶっ壊れていこうぜ 

そんな歌を聞いて 

守っていたんだって嫌気が差す 

あきらめたいけど 

あきらめられない 

あきらめられないけど 

あきらめてないな

こんな夜には あの歌を聞いて 

確かめてみるんだ 

(中略)

寄り添う歌など 

僕にはいらない 

励ます歌などまぶしくて聴けない

優しいうたを作る前に聴こう 

あの歌はぼくを吐き捨ててくれる 

余計な心を吐き捨ててくれる  


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この歌詞にある「そんな歌」「あの歌」とは、紛れもなく 実貴子ズのライブレパートリー曲『あきらめていこうぜ』である。『イントロ』はポジもネガも全てひっくるめて先ヘ行かんとする人生という発火装置に対する起爆剤のような歌で本当に素晴らしい曲だと思う。本曲は『あきらめていこうぜ』以外にも『なくしたもん』『アホはくりかえす』などの、荒野にポツンと立ち尽くし何もない地点からスタートする事への悲壮なまでの覚悟が窺える意味でも鈴木インスパイアな意味でのシンクロニシティを感じる。そう、紛れもなく 吉田彩花 は真っ向勝負に出たのだ。恐らくはこの曲ありきでセットリストを組んだのだろうと予想される。それにしてもこの曲が演奏された時、厨房にいたアンサーソングの大元である鈴木実貴子はどういう気持ちでこれを聞いていたのだろう。

7th Session;☀️(まる)

そしてラスト曲は「まる」だがここでようやくMCに入った

ここで注目すべき点は第一章のWhat is Live?(Presuppostion)に触れたような、

2曲目で手拍子させ3曲目前で水飲んでバラードで4曲目

ミドルテンポで盛り返しMCで告知して最後アップテンポ

な曲で変な振り付けを強要する

的な並のSSWがやる「LIVEの雛形」を悉く無視して拍手すらさせぬLIVEをやってのけた点である。

そして再び『まる』という歌に触れよう。変な言い方だけど、本曲は本当に「歌」、いや「歌」というよりもっと大きな「うた」だと思う。

以前のブログ記事でも同様に述べているのでここではそれを引用する。

LIVEの度に、どんどんまるく初めは小さな点だったのかもしれないが、やがてひまわりの大きさとなり、そしてそんなひまわりは太陽光へと目指すべく、大きくなっていく、本当の意味での「うた」だという意味で。本来持っていたスケール感がそれこそ新緑が太陽光を浴びて芽吹くかのように更にグングン成長していくのを感じ、思わず目頭が熱くなる時がある。そしてこの曲は【エンタメは心の太陽】をスローガンに掲げることを象徴しているかのようにSaikaの2022年のライブで最も歌われた気がする。彼女は本曲を歌う前にこう言っていた。「偶然古道具屋の前を通って小学校の時に家にあったでっかい時計が置いてあってびっくりして家に連絡した。」というエピソードを披露したが、本当に偶然すぎてビックリする。

正にこのエピソードはいろんな偶然を引き寄せる不思議な力があることを意味しているのだが、正にこの『まる』を演奏するような事を予見するような事をあのパブロ・ピカソは言ってたのだ。

太陽を黄色い点に変えてしまう画家もいれば

黄色い点を太陽に変えてしまう画家もいる

この名言で特に重要視されるのはさて、今回のライブでは最初は小さなコガネムシ(🪲)ほどの小さいものやがて🤡となり、時間(🕘)となり様々な感情にぐるぐる(🌀)と渦を巻き、やがてそれがどんどん大きくなって🌞へと導かれる。正にピカソの言葉通り小さな点から太陽に変えたようなLIVEだった。

そして今日、この歌はエンタメの光に、心の光に、そして太陽の光となったのだ。

あと、対バンとの絡みで敢えて言うがもう3組の中でも彼女は「圧勝」だった。音楽に勝ち負けはないと言われるがこういう対バン形式だと明らかにそれはあるのを経験上知っている。というか、今までにこれだけ対バンに圧倒的勝利なliveを見たことない。心から彼女の提示するエンタメに出会って良かったと思う。もう圧倒的勝利てか完全優勝てか殺傷力ってかこれがLIVEです!っていうLIVEをSaikaはやってくれたのだ。私の中でわだかまっていたLIVEにおける既成概念をぶち壊し求めていたLIVEの理想像全てがここにあったと断言して良い。*52月11日の18:40から19:40までの40分のアクトだけでも神戸から名古屋にわざわざ行った価値はあったのだ。

Ⅲ.What is Live? (Definition)

この3章では再び比較的Case(1),(2)を取り上げこの日のSaikaの行ったライブパフォーマンスとどう違うのか比較検証してなぜピカソ降臨という事態になったのか論じていきたい。それぞれのCaseをここに再掲する。

CASE(1)

大体 1人が30分程度のライブで、5曲ほど演奏して、それから1曲目は手馴し言った感じの曲をやって2曲目位でアップテンポ目の曲に入る。早い人でイントロ遅い人で間奏ぐらいから「拍手できますか? 」か何か言って拍手を促す。一旦休憩飲みタイムとMCに入って会場リラックスさせつつのバラードに入ってミドルテンポで巻き返す。それからLIVE告知をして、チケットやら物販MCをひとしきりして、最後アップテンポの曲で締めてまたもや手拍子やら極端な場合には謎の歌詞に合わせた振り付けを半強要しライブが終わる。もうこのパターン誰もがやりすぎて一部の人たちを除いてもはや誰のライブだか記憶にございませんwww

CASE(2)

関西中心で活動しているダンスパフォーマンスグループの40分ぐらいの持ち時間の中での中間あたりの出来事。彼らのオリジナル楽曲に「〇〇裁判」とかいう裁判にまつわる曲があって前振りに「ノリが悪い客を一人設定して、後ろで腕組み地蔵な客を探してその人を椅子に縛り付けて裁判する。」的な演出。客を肴にして吊し上げてウケを取るゴミのようなパフォーマンス。その一人の客は素直に座ってお行儀よく縛られ(笑)抵抗しなかったので結果的に盛り上がったのだが私は納得いかなかった。多分こいつらのライブ一生行きません、固定ファンの結束も無駄に強いしwww

こちらCase1、2とSaikaの今回のライブには当たり前ながらこれらの要素は一切含まれていなく真逆のベクトルを内包している事がわかる。Case(2)の方は大所帯グループとソロアコースティックという形態が違いのだから当然なのだが、ここで違いを明らかにする事に私は意味があると考える。なぜならここにエンタメのにおける本質的な部分が隠されているように思うから。ざっくりと言えば演劇でもお笑いでもライブでもエンタメには多く分けてintrovert(内省的)typeextrovert(外交的)typeとが存在するように思われるのだ。私がここ最近関西発のエンタメに数多く触れて随所に感じるのは後者の「外交性」を帯びたもので極端な話、演劇でもLIVEでも頻繁にある「〇〇(後輩、若手、客)いじり」と称して他虐的な視点で笑いを取る危険性も孕んでいる点である。だが、これは明らかに関西人のマインドに長い間蔓延っている某新喜劇等の影響があるように思えるのだ。これは勿論いうまでもなくCase2のライブの演出がピッタリとそれに符合するのだ。ここまで大袈裟でなくても客のリアクション、ウケ、楽屋落ちのようなネタ話などは演劇でも見受けられる現象である。*6そしてこうした現象は別に大所帯だろうがソロだろうがそのライブの構成(脚本)を作るのは究極的には一人の脳内なので他虐性を帯びたライブはソロだろうが大所帯だろうがどのような体制でも存在することも付け足しておきたい。一方、前者のintrovert(内省的)とはどういうものだろうか。これが他者を介在せずにひたすら自己に向き合い、自己の中の物語を構成させ、それを完結していくスタイルで関西では少なく、主に関東発のライブや演劇に多いように思える。その証拠として、最も身近な例を紹介すると、実は彼女自身が企画から脚本から全てを手がけたS-igen企画『悲劇のアルレッキーノ』(2021)にある。本編において、LIVEを終えたばかりの二人組バンドのミュージシャン(Saika)と彼女の知り合いである藍と初めて演奏を聴き感動したその友人茜とで物販で語り合った後、藍と茜との間で以下のようなやりとりがある。茜はいう「ミュージシャンとして一本でやっていけば良いようなものの、脚本やったりあっちこっち取り留めのない活動をするのはどうかと思う。」と。この台詞の意図とは一体何だろうか。過去記事でも触れているが、この言葉を聞いた瞬間、吉田彩花を認知している誰もが今現在、SSW、女優、脚本、動画サイトなど様々な形でエンタメを届けようとする吉田彩花自身の状況そのものであると悟ったのだ。そしてひょっとして他人からはこういう事を外部から言われている事もあるだろうと予測できる故に、そういうある種の内省的な自虐ネタとも取れる言明をポーンとセリフとして打ち込むことによって怒りをぶちまけているという極めて自虐を含んだオルタナティブな性質を持つパンク特性が背後にあるのだ。*7そしてそのオルタナティブなパンクの背景にあるのはこの【キュビズム】であるとか【アフリカ彫刻の時代】と言う彼のスタイルを確立する以前、ピカソが人生史上最も孤独で最も燻っていた時代で憂鬱の「blue」そしてその青とは若干、苦悩(アングスト)要素も入り混じった【青=ブルー】の時代におけるパブロ・ピカソである事は言うまでもない。そう、ここで初めてSaikaにピカソという要素が一致する。そう、このライブはCase1やCase2に顕著だった安易な拍手や客いじりなどのなどのコミュニケーションを要さず、自己に向き合い演劇におけるストーリー性と音楽のダイナミズムがあったからこそ、あの世からピカソが舞い降り、彼のアート性とが見事に融合したLIVEだったのだ。そう、ネノメタルさんとうとう頭おかしくなったのねと思われても良い、てか最初から頭おかしいってか詳細は省くがこれまでの私の人生色んな面で他人と違う点が多いってことを思う事が多いからまあ普通じゃないってことはわかりきっている。もうハッキリ断言しよう!!正にここ、鑪ら場に天才画家パブロ・ピカソの霊が降臨したのだ!!!!!!!!

そしてそう言えるに値するこの2月11日において、このピカソに関して不思議な出来事があったのだ。

先ほどのライブレポ直前のAhead of Sessionを思い出してみよう。

実は吉田彩花さんアクトの前にトイレに行こうとしてたら「おじいさん」がふっと入っていったのでしばらく待ってたのだ。....だが中々出てこない。アレ?とノックしても出てこないか空けると無人だった。

当然会場にもそういう人はいない。

そう、ここで再度「おじいさん」とは誰か検証してみよう。一曲目の頭で名言を取り上げ、2曲目では偶然名曲とシンクロするモノローグを引き出し、太陽と言うキーワードを導くというこの日のライブのこれまで述べた数多くの奇跡の中身を鑑みた所、紛れもなく1973年4月8日に92歳でこの世を去った「天才画家」パブロ・ピカソの姿が浮かんでこないだろうか?いやこれ考えようによってはめちゃくちゃオカルトチックな話だけど、これだけ偶然が起これば彼は本当に降臨してたのかと思っても何ら不思議ではない...私はこの日のliveをピカソ降臨LIVE in 鑪ら場』と定義し、タイトル通りこれはもはや【ピカソとのセッション】がそこにあったと結論づけよう。

.....とここまで11541文字。以上がこの日の2023/2/11(土)のピカソ降臨LIVEの爆裂レポートである。

Previous and Future Sessions

ここで今回のピカソ降臨LIVEと共有する過去の彼女のパフォーマンスを2点ほど紹介したい。

❶「言葉と音と三つ編みの私の絵を。」

一つは去年の2/20 S-igen企画pre.として開催された「言葉と音と三つ編みの私の絵を。」 去年の今頃開催されたバーペガでの45分の演劇と音楽とライフストーリーとが組み合わさったもはやカテゴライズ不可能な「概念」と称すべきパフォーマンスである。私がバーペガや吉田彩花の音楽が好きなのは「トータルアート」だから。暴論かませば絵画も映画も演劇も音楽だ。
そこに境界線は無い。


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❷「五味夢中」 

もう一つは去年の5/3 S-igen企画pre.としてやはりバーペガにて開催された「五味夢中」というタイトルでどちらかといえば一人劇に中心を置いたアクトで「夜空に輝く星を求め走り続けてきた少年がズダボロに傷ついていたある日、人に踏みにじられようとも咲き誇る一輪の花を見てもう一度走り続けようと決心する」物語に『余計だ』などの楽曲が更にドラマティックに盛り上げる、そんな今まで観たことあるようで誰もやってこなかった新基軸のパフォーマンス。まさにこれは音楽家Saikaと役者吉田彩花 のコラボでどこか2/11の鑪ら場でのピカソアクトと相補分布をなすような気がする。

1.カウントダウン
2.余計だ
3.不敵な迷子

そんな物語であると同時に、コロナ禍で闇に閉ざされてしまったエンタメに光明を見出そうと模索するs-igen企画 #吉田彩花 のアティテュードとも解釈可能だ。
パーペガという音楽LIVEスペースが一気に演劇舞台と化し『不敵な迷子』でエンディングを迎える展開は新たなエンタメのあり方を提示してくれる。


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❸「有象夢象」

そして今、 Saika はもう次なる挑戦段階に突入しようとしている。来る 3/21(火)、というもう直ぐ冬が終わりかけ、チラホラ桜が見え隠れしているかもしれないであろうこの時期にファースト・ミニアルバムとなるをCD盤としてリリースするのだ。(先行配信は2/21)そのリリースパーティを名目上にバンドでのワンマンという形にてソロキャリアで最大規模のLIVEにくそみそに言われたい」というライブを開催する予定である。

そこで彼女はまた、どんなセッションをして、そんな円を描き、どんな絵を描き、どんな輪を描くだろう、あと1ヶ月後の景色が楽しみで仕方がない。

Ⅳ.Appendix(おまけ)

....ところで私は当日こういう差し入れをSaika氏にプレゼントしている。このツイートに上げられた右下の黒い手榴弾風の容器の写真である。*8

【速報】 本日鑪ら場にてS-igen企画主催者氏に送る差し入れが過去最大に意味不明な件 https://t.co/WNNKSzNfnt

こちらの中身は様々な私がここ最近関西近郊で足で稼いだエンタメデータ30GBぐらい詰め込んだものだとかが中心になっている....が実は私はこの手榴弾の中に更にオマケがある事を伝え忘れているのだ(ウソつけwwwわざとだろw)。この容器の最初のチャックを開け、更に奥にもう一つファスナーがあるのだがそれを開けるとなんとなんと......そちらはこの記事がアップされて3日後の2/21の生誕の日でも明らかにして頂きたく思いまするという締めにてまたもや大長文となる13701字にも及んだ本爆裂レビュー記事を締め括らせて頂きます。

あ、これ手榴弾だけど見かけによらず爆発はしませんのでご心配なく(笑)

 

*1:【オマケ】 あとYouTubeに「文字起こし」の機能があって人昔前は酷かったもんだが、今現在は歌詞とかMCとか結構正確に聴き取ってくれるのだがここを間違えちゃいかんだろwww #齋藤ではありません #しかも斉じゃなくて齋… https://t.co/3CwyDu8F7q

*2:浅川マキ『夜が明けたら』参考までに。


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*3:Corneliusの『CHAPTER 8』。アレンジの立体感にすごくシンクロニシティを感じる。


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*4:鈴木実貴子ズ名曲『あきらめていこうぜ』


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*5:昨日の対バン二組とも初めてだったが鑪ら場に凄く馴染んでいる感じがあったな。しかしこの「#アバンdeモーダン」という仲睦まじい夫婦ユニット、100人規模のライブ企画してると言ってるしで地元でかなり知名度があるんだろう。 個人的にこ… https://t.co/iu3Z8Z37lm

*6:この辺りの演劇にのみ焦点を絞った関東と関西の特徴は階下の過去記事が示唆的である。

nenometal.hatenablog.com

*7:この『悲劇のアルレッキーノ』を詳細に分析したこの記事ではパンクとオルタナティブパンクと呼称しているがここでは割愛する。

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*8:これも差し入れ。以前から薦めてた鑪ら場名物念願のホタテっぽい揚げものである