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No2.5 STAGE『悪事身に笑い変える(#あくわら)』大阪公演爆裂レビュー〜演劇論を超えて〜

本ブログ記事は、先週末9/3(土)と9/4(日)の二日間、本ブログにも登場する吉田彩花氏も出演しているという日常のストレスを笑いにかえるストレスコント、『悪事身に笑い変える(あくわら)』大阪公演における極々個人的主観に基づいたレビューである(てかいつもだろw)

『悪事身に笑い変える(#あくわら)』大阪公演爆裂レビュー

〜演劇論を超えて〜

0. OVERVIEW

1.『悪事身に笑い変える』大阪公演レビュー

Case1「遺伝子レベル」

Case2「日曜日」

Case3「れゆにおんおん」

Case4 Bonus Track~ Saika(吉田彩花)「あくわらLIVE」

2.『あくわら』総評と『悶々と愚問』比較論

3.『あくわら』長編拡張への模索

4.下北沢の空気を世界に

 

0. OVERVIEW

このNo2.5 STAGEという劇団の劇団員でもあり、今回の主催や脚本などを担当している緋奈子氏が日常で感じている【イラッ】とする瞬間や言葉にフォーカスしたコメディタッチのギャグマンガ色強めの30分のオムニバス形式の話×3である。*1どの話もオチも会話のテンポもあって永久に観ていたい思いにかられたが、中でも個人的に一話目の『遺伝子レベル』のテーマは30分枠では収まりきれぬほど壮大すぎて長編化して欲しいと思ったほどだし今回の「あくわら」は東京で好評だった演目を関西でも凱旋上映的ニュアンスで一定期間上演するみたいな形だったので、それだけ東京の演劇の底力を見せつけられた感じがあった。

そして逆説的にここ数年関西発の映画でも演劇でも音楽でもなんでも良いのだが、エンタメ見てて感じた違和感にも気づいたりした。やはりここ関西の悲しい宿命なのか、良くも悪くも某新喜劇の影響が強すぎて「ウケをとる」事に拘泥しすぎなのではないかと思う。

これは舞台演劇でもスクリーンでも何でも当てはまるのだが「楽屋ネタ」「客いじり」「後輩いじり」「絶望的な昭和(オヤジ)ギャグ」「スリッパで叩く」「舞台本番中に今ウケた(引いた)などと言う」「上から金物が落ちる」「小学生レベルの下ネタ」そんな使い古されたカスみたいなネタがあまりにも多すぎるのだ。そんなもん必要ない。我々が演劇鑑賞する上で必要なのはもっと真っ向勝負に劇なり本編に没頭させてくれるテンポ感やリズム感や本気度やある種のパッションだと思うから。確かに演劇鑑賞には笑い、涙、カーテンコールはあるが音楽ライブほどの一体感はない。だが、観客は各々の人生観を持ち寄り目の前の舞台に対峙することでいかに生きて来たか、いかに生きるべきかを確認し、そこで生まれる一体感を知る。もはやライブであり勝負なのだ。

こんな関西エンタメ回全体に喝を入れるというか、刺激を与えるというか、レベル底上げのためにガンガン東京発の公演も関西に進出してくれないだろうか。それはもはやチケット代高くても良いと思う、これはあくまで理想論だけどという思いを込めて本演目へのリスペクトと更なるご縁を願って綴りたい。

 

1.『悪事身に笑い変える』大阪公演レビュー

Case1「遺伝子レベル」

あらすじキラキラネームの真珠(パール)は幼き日に父親が蒸発した悲しい過去を持つ。そんなある日パールが日課である日記帳を喫茶店で書いて過ごしていると一体何が起こったのか?

とにかく本作を観てて気になったのは本演目のテーマである「蒸発」という現象。演劇作品を劇団問わず長らく観ているとどうしても浮かび上がってくるのが「幽霊ネタ」。よくこのケースありがちな展開としては、父親は実際亡くなっていて、娘との再会をする為に化けて出たみたいな演劇ではこれまで5パターンぐらい見たようなみたいな展開が待ち受けているのではと勘ぐりながら観ていたがまさか【その父が蒸発後に再婚して既に娘もできていて、その娘も蒸発癖がある】という展開を知ってこれはただもんじゃないなと。しかもその娘の名は真珠(ダイヤ)という名前で喫茶店で働いていて、メニューなどの指し方が父と全く同じという事実に正真正銘の親娘だと気づいたのは2回目の鑑賞でのこと

どの作品ももっと長尺の長編にして観てみたいと思ったものだが、本作が最も拡張可能性があるような気がする。全体的にコメディ調なのでパールが父親をコミカルに殴ったりするシーンなどもあるのだが、その中でも象徴的なシーンがある。店員もいなくなった喫茶店で二人座席に座って着いて少しセンチな感じで「私だって大人だから分かるんだけど、もう再婚してるんでしょ?」という、もう本当の親子にはなれない事を示唆する会話シーンは真剣に見入ってしまった。もうこれは長編化したら感動巨編になりそうな予感がビシビシする。(この辺りは3章の【『あくわら』長編拡張への模索】にて詳しく触れていく。)ちなみに前の記事にて群像ピカタ×s-igen企画の屈指のMVドラマ『人生名画』についてレビューしたがあの中でも超重要キーパーソンである今回の喫茶店店員役の月代彩佳さんが割とセリフもあって無表情ながらもコミカルなトーンで娘役を好演。勿論終演後、お話しさせていただいたが、バーペガでの『人生名画』MV視聴会もしかしたら来れてたかもしれないとの事だったが、でも会うべくして会う人はいつか会うもんなんだなとも思ったな、次の『日曜日』出演の福永莉子さんも含め。*2

Case2「日曜日」

個性や独特を尊重しどんなことでも実際に経験してみないと気が済まない麗は今流行の出会い系アプリにチャレンジする。そこで知り合った豊と直接会うことになったが?

個人的にマッチングアプリなどの経験でないが「プロフの写真と全く違う人間と出会う」という悲劇に関しては男女双方からも起こっているという事例はよく聞くし演劇分野においては格好のネタとなるだろう。まさかの「サッカーをするジョーニー・デップ」として認知していた男である加藤雄太氏演じる竹中豊が割と丸顔かつ色黒で両サイド刈り上げた「いわゆるチャラい領域」にいるタイプが現れた時の衝撃たるや計り知れないだろう。他の作品も3〜4と全体的にキャスト数は少ないんだけど、最もここでの人物相関図的にもマッチングアプリで知らないもの同士の初対面、という緊張感ある設定だったのである種サイコサスペンス的な視点で鑑賞できたと思う。

だからこそ綾波麗を演じた福永莉子さんは普通の感覚を持っていそうで、実は本性は結構ヤバい人なんじゃないかみたいな絶妙かつ複雑な特性をに気づく面白さがあったように思う。その証拠に、あの一見Tシャツとブルーのダメージジーンズという地味そうに見える服装でも、よくよく足元を見れば金色にキラキラに光るスニーカーを履いてたりするのだ。そこから彼女の中にある素の部分が潜んでいるのかと思ったりもしたがそれは考えすぎだろうか。あと本作含め3作全て出演しているLUYさんが今回は竹中豊のお姉さん役で出てて、これがめちゃくちゃミステリアスで最初『遺伝子レベル』のパールと同一人物って気づかなかったほど。グラサンで女子アナ風のウィッグを付けてコンサバティブなファッションでいるという見た目の変化はあるもののここまで微妙に変化するとはさすが女優だと驚愕した。はっきり言ってこの役での彼女を見た瞬間に「あ、明日もあるから2回目見に行こうかな。」とふと思ったぐらいだから。*3

Case3「れゆにおんおん」*4

SNSで偶然内から大学サークル時代の憧れていたヤスタカと再会するどうしても今の安田家に入った湯川同じサークルの綾香と柚木のお誘いサークルの同窓会を開くことになるが...

登場人物名があーちゃんにのっちにかしゆかで、3人の憧れの先輩の名がヤスタカ先輩。はい、紛れもなくチームPerfumeです。紛れもなく3種類のオムニバス中真っ向勝負感はあるし、会話劇や感情の起伏などのテンポ感が圧倒的だったのは主催緋奈子氏がキャストの一人として3人中最高のキレキレのキレっぷりを披露してることからも明らか。そして、今回初めて観たLUYさんは3役全作品においてエモーショナルだったり、ちょっとシャイだったり、突拍子もないキャラだったりと各々印象が違いつつもどこか「クールでサバサバ」というエッセンスだけはしっかりと残っているのには感嘆したものだが、全体的に個人的印象で言うと90sを代表する漫画家・岡崎京子作辺りの漫画から飛び出してきたような異次元感があったが本作が一番岡崎分脈に近いような気がする。例を挙げれば。『危険な二人』辺りのサバサバ系だが本当は恋愛経験がなく今だに少女漫画のような恋愛を夢見ているセーコにルックス・キャラクターともども類似しているように。

(参考:こちらが岡崎京子著『危険な二人』他にも登場するセーコ(上)。こうしてみるとヨーコの方は二話の『日曜日』に出てくる綾羽麗に似ている気がしないでもない。)

そしてそして、本演目では最高にスパイスとなっているのは「人生絶対損している」というフレーズ。やすたか演じる朝倉利彦氏のあのムカつくトーンが半端なかった。これ無理やり書き起こすと「じぃんせいぜっったい(含み笑意を混ぜつつ)そぉんしてるぅ」て感じ。もう初回のこのセリフで想いを寄せていた筈の八重樫由香はもう既にキレてたし。*5そして更に当然彼女にも触れねばなるまい。エンタメは心の太陽こと吉田彩花である。この中で一見清楚というか、あざと系というか「自分はあんまり可愛くないし...皆と一緒にいるのが忍びないし....。」みたいに自分を散々下げておきながらも決してそうは思ってないだろ的な超絶ハイテンションな子守唄を披露したり、ラップ調の告白をしたりともう役柄の次元を超えているというか吉田彩花がツイキャス配信で時折見せるとあるモードではないかと。ここで役柄を超えた「吉田彩花」のエッセンスである素が垣間見えるのがもう彼女の総合芸術としての価値観が劇団内でも成立しているのが分かった。もうこれだけでもう私の中ではもうチケット料金3500円満たしたし、翌日の2回目鑑賞もほぼ確定したのでした(笑)*6

Case4 Bonus Track~ Saika「あくわらLIVE

0.いつか君にとって(ワンコーラス)

①サニー
② 余計だ
二度寝
④ むらさき

本公演『あくわら』では演劇に関わった音楽アーティストによる LIVEパフォーマンス「あくわらlive」も一人3−4曲ほど20分×3=60分ほどの長さで行われた。最終曲である『むらさき』を聴きながらLIVEでも演劇にも映画でも、同じ演者と同じ観客が一堂に会す事はあり得ないんだなとしみじみしたものだ。正に本曲は一期一会の演劇というものを象徴する曲だということに気づく。あと完全に余談だが、個人的に嬉しかったのは彼女のライブにおけるセトリ予想がほぼ当たっていた件。

セトリ予想(当たりは赤文字
サニー
余計だ
二度寝
むらさき
⑤ 気まぐれ

本予測では演奏時間が20分ゆえ珠玉の5曲を投入している。いずれにせよここ最近のバーペガ×s-igen企画モード色薄めで「悶々と愚問」の時のアフターライブのようなベスト選曲になるのではないか?と予想し、ちょうど九州から帰郷時に考えたものだが、新幹線小倉〜広島駅の間に10曲に絞り込んで出演時間20分ってのを姫路駅付近で知り、そこから更に神戸から新大阪の間に 5曲まで削りましたと言う613kmのドキュメントだった。『気まぐれ』はひょっとしてアンコールがあったら??とか思って付け足したので本編ほぼ正解で謎に達成感があった。

*7

*8彼女はもう殿堂入りとして色んな役者の方との出会いも演劇の醍醐味の一つだが、「あくわらライブ」というLIVEタイムにてパーペガで一度パフォーマンス拝見した航海さんが出演されたが、MCでシンプルに「テレビ番組観て面白かった」って内容なのにめちゃくちゃ惹きつけられたし最初のヤツ演劇本編かっつうくらい笑った。あの人の世界にも独特の宇宙があるので今後も注目したい。

 

2.『あくわら』総評と『悶々と愚問』比較論

さてさて、ここまで『あくわら』私の観た午後の分に関して私感を織り交ぜつつレビューしてみたが、そ蘊蓄垂れる優男も蒸発しがちな父もシスコン男も回りにはいないのになぜ共感込みで笑えてしまうのか?という事について考察してみたい。それは答えは簡単に脚本家・主催の緋那子氏が日々感じている「怒り」という感情が個人レベルではなくある種の普遍性を持って響いてくるから。分かりやすく言うと「怒り」をテーマにした曲を作るにあたって別にグランジっぽく陰鬱に叫び倒すニルヴァーナ・スタイルではなく最近大ブレイクしているAdoの『うっせえわ』に似たJ-ポップ・スタイルで表現しているような感じがある。そう考えれば槇原敬之の『どんな時も』がセリフで使われてたり『日曜日』では昭和歌謡曲の領域になるがLUYさん演じるお姉さん『世界は二人のために』がさらっと歌ったり『れゆにおんおん』の4人+1人の設定がもろポップグループのPerfumeのチームだったり、保育士であるあーちゃんの子守唄のセリフでそれこそAdoの歌が土台となっていたりとどことなくJ-ポップス・歌謡曲要素が散りばめられていたのも偶然ではあるまい。そして単なるお笑いのショートコントではなく、あくまで演劇フィールドを遵守した上でのコメディである、と結論付けたところでどうしても比較したい演目がある。
そう『歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?』『悲劇のアルレッキーノ』に続く今回の出演者吉田彩花によるS-igen企画による第三弾公演『悶々と愚問』 である。*9

本公演もオムニバスになっていてタイトルは以下の通り、

一話「本番前」

二話「ポイちゃん」

三話「じゃない方」

四話「いいね」

五話「連帯責任」

という5本もの1本につき『あくわら』より短か目の7〜10分ほどの短編コント作品と、長谷川小夏と吉田彩花自身による(交代制の)アコースティック・ライブで構成された演劇公演というかイベントのテイを成した新たなエンタメのスタイルを提示したものとなっている。ちなみに演目後に演奏された20分のLIVEは通常モードではなくあくまで 『悶々と愚問』のシーンの一環としてのストーリーテラー的なモードだと感じ今回の『あくわら』で役柄と切り離されたライブとは異質のものだと言う印象をもった。

『悶々と愚問』においてはタイトルと同じグループ名お笑いコンビ「悶々と愚問」を中心として様々なマネージャー、後輩芸人、アイドル、女優など様々な人々との会話劇の中でTV番組にバラエティ等とは異質のコンテクストの中で生み出される制約や緊張感から解き放たれる独特な「笑い」に包まれているオムニバス・コントである。普通【コント】というとお笑い芸人を中心に「ウケを取る」言葉ありきである設定上ボケたり突っ込んだりという漫才の延長線上にある出し物を言うが、今回作品も全く異質のものだったのも『あくわら』と類似している。こちらも演劇特有の【台本だ、台詞だ、リアルタイムで客の目の前で演じている】だと言う限定されたコンテクストが与えられていて、その枠からはみ出さずに生み出される笑いが中心である。
 これはお笑い芸人達がテレビ番組等で披露するコントとは違って驚くほどストイックなもので、お笑いで出てくるように楽屋でのネタやその演者のプライベートなどに触れる事はほとんど無い。むしろ舞台上のその限定された空間で時間制限すらある事を客席の我々は承知しているからこそ緊張感があってそこから生まれる笑い、それこそが『悶々と愚問』を支えるコアになっているように思う。

この緊張感から生まれる笑いとはどう言うものか具体例を用いると、例えば【おじさんが舌を出して「なんちゃって」と言うコンテスクト(前後関係)がある】にしても、いつもニコニコ愛嬌の良いおじさんよりもグラサンで傷だらけのいかにもヤクザ風情のコワモテの男が言う「なんちゃって」の方が格段に笑いを産みやすいのだ。なぜならヤクザ風情+コワモテ+グラサン+キズだらけと言う要素が人々にある種の緊張感をもたらすからである。

さて『悶々と愚問』との相違を踏まえた上で再び『あくわら』に関して話を戻すと同じコメディスタイルの演劇でありつつもその「質感」が正反対と言って良いほど異なるのだ。言うなれば『悶々と愚問』は小説を読んでいるような質感であり『あくわら』はどこかマンガ的な質感があるように思う。あとこれは各々のストーリーの上演時間のせいもあると思うが、『悶々と愚問』の方は全ての話がオチとして完結しているのに対して『悲劇のアルレッキーノ』のサキ的な存在が『歌えピエロ』で主役を演じた長谷川小夏によって更にエクストリーム化&パワーアップしたり、藤野然り、月9女優然り登場人物達は今後s-igenでスピンオフ的に出てきそうなキャラ立ち感に溢れているのに対して『あくわら』の方はキャラというより全ての話が「長編としての拡張可能性」に満ちているように思う。

3.『あくわら』長編化への模索論

先ほど『あくわら』における「長編としての拡張可能性」について触れたが、なぜそれを感じたのか。それはコメディでありつつもどことなく「センチメンタリズム」要素が『あくわら』にはあるからである。ここで更に深く「笑い」に関して突っ込んでおくと私がこれまでさまざまな演劇を見てきた純粋な演劇における「笑い」がどこに散りばめられているかと言う最大公約数的(大雑把と言えw)プロセスを書き記すと以下のようになる。

【2時間ぐらいの大まかな演劇の流れ】

1.序盤
[笑い要素]
[笑い要素](この数は演目による)
.....

2.中盤
[泣き要素](←new)(この数は演目による)
[笑い要素]....

3.終盤
修羅場[泣き要素]

伏線回収

クライマックス[泣き要素]のみ
[泣き要素]or[笑い要素]混在パターン

4.エンディング[泣き&笑い要素]
カーテンコール💐

例えばこの構図にCase1で見た「遺伝子レベル」を適合させようか。

【キラキラネームの真珠(パール)は幼き日に父親が蒸発した悲しい過去を持つ。そんなある日パールが日課である日記帳を喫茶店で書いて過ごしている】

と言う序盤に以下の伏線が散りばめられよう。

伏線

❶喫茶店での不思議な名の店員とのやりとり

❷怪しさ全開の拍子の日記

❸謎のおじさんとの奇妙な一致

と言う伏線が散りばめられ、中盤にかけて親子である事がわかってからのおセンチな会話において「センチメンタル(泣き)要素」が生まれるのだ。

そして【「蒸発」という現象に関しての説明がなされ再び都合が悪けりゃ消えたりの現象が続く。更に店員であるダイヤ(真珠)も再婚相手の娘という事が明らかになり、その後、阿修羅の指やら日記の閻魔大王やらドタバタ劇が再開し、再び笑い要素が生まれる。】

 更に終盤である。(ここからは私の妄想のオンパレードなのだが)クライマックスでこの「蒸発現象」の真意を主人公は知るのだ。実はこの父も娘も不慮の交通事故か何かで亡くなっていて...そんな過去のある日父はダイヤにこう告白する。

父:実はママと再婚する前にもう一人お前と同じ歳くらいの娘がいたんだ。
ダイヤ:私もその子に会いたい!じゃあ私は喫茶店の店員になりきって...

.....的な会話があって天国に行く事ができない理由としてもう一人の娘にどうしても会っておきたいと。そして三人親子ようやく打ち解け楽しい時間を過ごすものの、本当の事を話す時がきたのだ....という別れのシーンがクライマックスからのエンディング箇所に繋がるではないか。本当のこと今までの伏線が一気に繋がり、とうとう別れの時が来た!まずダイヤの姿がふっと消え、続いて名残惜しそうに父もふっと消え、そこに転がっていた筈の阿修羅の指も徐々に消え、そしてあの日記だけが残る。もう客席が号泣状態の最中、そしてパールは、そして客席の誰もが悟る。これは蒸発(じょうはつ)ではなく成仏(じょうぶつ)の話だったのね、、、、、というオチで暗転。

ご鑑賞、ありがとうございました!!!からのカーテンコール。*10

 

4.下北沢の空気を世界に...

最後に、演劇に関する我が雑観的な想いを綴って本ブログにピリオドを打ちたい。去年の『悲劇のアルレッキーノ』辺りからそうだったし『悶々と愚問』もそう、そして今回の『悪事身に笑い変える』も例外なく、演劇を見る前に役者・ストーリーなどの前情報を一切シャットアウトしてその場で初めて出会う、という事に拘ってきた。これが正解かどうかはわからないが、その真意は「下北沢辺りの住人が時間がああるからってんでふらっと劇場に足を運んでみた演劇が面白かった。」とかたまにツイートされてるの見てそういうダイナミズムこそが演劇であり、それを疑似体験して見たかったってのもあるのかもしれない。現に過去の演劇体験を見てもそういういきなり飛び込みで見た方が感動がひとしお大きかったりするもんな。そもそも吉田彩花氏主演『遥か2019』との奇跡的な出会いもそんな感じだったしね。そして今回の『あくわら』でもその選択肢に誤りがなかった。というよりも正直『あくわら』を観る前は完成しきったポスターのネコのビジュアルやらSNSでアカウントでの役者陣の仕上がってわちゃわちゃしてる感を側から見てて私が常日頃から忌み嫌っている「わかってくれる人だけが喜んでくれればいい排他的な狭いコミュニティ内でのハイソなエセ・蛸壺型マルチバース型のエンターテイメント(もう訳分からんからなんとなく察してくださいwwww)」に属するのではないかという懸念があったものだ。でもそんなもん単なる思い込みでしかなかった、冒頭の0章OVERVIEWでも触れたが、本公演の主催である緋那子氏が日々感じている「怒り」という感情が個人レベルではなく更に普遍的に昇華された万人向けに響くポップスを聴くような真っ向勝負のエンタメの真髄がそこにあったのだ。しかも東京で完膚なきまでに仕上げてそれを更にブラッシュアップして全力で表現しているのも十分に伝わってきた。あとこれは最も大事な事だろうが、演劇のメッカである下北沢で戦い抜いた役者陣の自信と貫禄と余裕と華やかさもプライドをも感じた。正に大阪凱旋上演だったと思う。

本当に最高の舞台だったと思う。

ここに

No2.5 STAGEという劇団とそして劇団員に

『悪事身に笑い変える』に関わった役者の方々に

そして東京は下北沢という聖地に今もなお生息しているであろう演劇の神に感謝の思いを伝えたい。

どうも、ありがとうございました!

....という訳で今度こそ、3000字ぐらいのサラッとした短めのレビュー書こうと予定していたのだが、またまた10137字超えてしまった本記事を終えたいと思う。

*11

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:実はマチネ・ソワレとそれぞれ3話なので計6話だったりするが私が参加した夜の部のみに絞ってレビューする。

*2:物販時にお話しできたが『人生名画』撮影は1日かかったそう。

nenometal.hatenablog.com

*3:その後終演後、Saika様に言われてハッと気づいたのだが福永莉子さんはGahornzに出演されてるではないかとリンクっぷりに感動。GCに出てる人は皆個性あって最高すぎる。朝川優恐るべし。

*4:reunionにonがついてるのはきゃりーぱみゅぱみゅにかけているそう。

*5:

realsound.jp

*6:その日は天王寺近くの動物園前というデンジャラスゾーンで安い宿を見つけたのでそこでの宿泊を決意。これもまた濃いとこだったのでいずれ。

*7:『むらさき』がいかに名曲は以下で述べている。

nenometal.hatenablog.com

*8:そういや『二度寝』の歌詞にもある通り、私は遥か昔の5月、5時55分に生まれたらしいという誰得情報を付して置くw

*9:余談だが、場所は富士見台駅から徒歩5~8分ほど歩いたところにある「アルネ543」というスタジオ的なイベントスペース。ここまでの距離的に前回「アルレッキーノ」の時の学芸大学駅降りて千本桜ホールに向かった時のことを思い出すぐらいめちゃくちゃ似てるんだよね、直前に日高屋とかがある感じとかホント似すぎて笑った。

*10:この話何かに似てるなと思ったらキャラメルボックスカレッジ・オブ・ザ・ウィンド」だな。あと劇団四季「夢から覚めた夢」とかにもある。

*11:という訳で吉田氏との奇跡的な出会いはここに(しつこくも再掲)

nenometal.hatenablog.com