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Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

映画『#ディスコーズハイ』ネタバレ爆裂レビュー〜全ての音楽フリークス必見! 本作はスクリーンの壁をぶち抜いたライブ復活へのアンセムだ!

0.地獄のライブ

それは人生最悪のライブ観戦だった。

忘れもしない7月16日のとある神戸の生田神社近くのライブハウスでの対バンイベントの事である。*1 はっきり言ってこのコロナ禍という時期ならでは感染対策も事前にあった筈なのに、それらを全く無視したかのような完全な詐欺イベントだったのだ。事前にスペースも確保しながら楽しみましょうとかとか言っておきながら客もギッシリ入れた超過密状態で、その粗大ゴミにでも入れしまえとしか思えないようなカスみたいな客どもも顎マスクで叫ぶ者続出だったりで演者バンドもそんな客連中を煽りまくってたし、その中に出演していた同じく大したメッセージがないもんだからコールアンドレスポンスで誤魔化したようなこれまたカスのような駄曲・ゴミ曲しか書けないような粗大ゴミの方がまだ再利用できるだけマシに見える自称パンクバンドのボーカリストもMCで

ゴミカスバンド「コロナなんて単なる風邪よ、そうでしょ?みんな?」

バカカス客「イェーイ!!!!(爆笑)」

などと言い放って笑い飛ばしてウケをとったりでもう散々だったのだ。もはやこれは完全にハコ側の現状認識が甘すぎとしか考えられないようなイベントだった。そしてライブが進行して行く度に顎マスク連中がビール片手にLIVE中ギャーギャー叫び倒して、そのビールが飛び散ってこちらにかかりそうになったりしたもんからもうそこでもう限界が来たね。私の中で何かがプツッとブチ切れたのだ。

私も外見上穏やかそうに見えるそうだが、元々血の気の多い九州男児、しかも北九州市小倉南区というある種、パンチパーマ発祥の地であり、いまだに成人式にヤンキーなるものが生息するいわば修羅の国で人生の大半を過ごしてきた人間だ。温厚な性格などでこのまま終わるまでニコニコやり過ごそうという人間では決してないのだ、ブチ切れたら止まらない、沸点はおそらく2℃ぐらいだと思う、もう途中で抜けようと決意し、人並みをかき分けてライブハウス特有の重い扉をこじ開けた。

いやいや、私個人はまだまだ今の世の中そういうフェイズじゃねえだろと。今後コロナのコの字も消え失せて収束してマスクも必要なくなって、もっとバッチリなタイミングになってなんでもやって良い日が来るんだからそこまで耐えてやりゃ良い事じゃんか。
そもそも運の良いことにメインアクトも既に見たしで、もう気が済んでるっちゃ済んでるんけど、途中で抜けたのは人生で初めてだったな。

ちくしょう、神戸アー○ハウスなどもう二度と来るか💢とか思ったけどこの日は閉店イベントなんだったからまあ誰しも来ることできないんですけどね(笑)

....と言うのも、そもそもがライブハウスでのライブに心から楽しめない自分がいたのに気づいたのはほんの最近でこのライブイベントに限定した話ではないのだ。

どこかコロナ禍以降、バンド側・SSW側も無理矢理テンションあげて気を使ってるような気がするし、かと言ってここまで極端でないにしてもノーマスクで叫ぶ輩なども出てきては妙に気になるし、自分のいくLIVEの演者にはいないが、ダイブ・モッシュを公然とやっているゴミバンドもあったりするしで...とはいえ今回のようにあまりに事前のライブハウス側の感染対策マニュアルと違うという理由で途中で帰ったのは初めて。

極端な話、もうライブに行くと言う行為から一切合切撤退してインディーズ映画と演劇に自分のエンタメ享受拠点を絞ろうかな、などと思ったそんな矢先にこの映画に出会ったのだった。

そう、その映画のタイトルであり、本ブログのテーマが

『ディスコーズハイ』である。

 


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映画『#ディスコーズハイ』爆裂レビュー〜全ての音楽フリークス必見! 本作はスクリーンの壁をぶち抜いた本作はスクリーンの壁をぶち抜いたライブ復活へのアンセムだ!*2

Table of contents

1. Everything in its right place

2. 音楽映画比較論〜『辻占恋慕』『犬ころたちの唄』

3.『ディスコーズハイ』とミュージシャンたち

4. 岡本祟論〜鑑賞後の舞台挨拶からの光景

5.ディスコーズ・コケシ・ハイ

Appendix;

『コケシ・セレナーデ』とのシンクロニシティ

 

1.Everything in its right place

では、本記事のテーマである『ディスコーズハイ』のストーリーと登場人物等を紹介しよう。

Brief Story

音楽事務所ヤードバーズにコネで入社した瓶子撫子(田中珠里)は、売れないバンド「カサノシタ」を担当していた。予算もロクに下りないカサノシタは、次回作のミュージックビデオを撫子自身が制作し、その反応でリリースが検討されることになる。撫子は同僚の別久花(下京慶子)へのライバル意識に駆り立てられながら、ミュージックビデオ制作を成功させようと奔走する。

plisila.wixsite.com

 

Charactors of this movie”Discordshigh”*3

🎙瓶子撫子(へいしなでこ acted by. 田中朱里)

レコード会社ヤードバーズに勤める主人公。口と態度は悪いが心の中は熱い。

売れないバンド「カサノシタ」をなんとかメジャーフィールドに乗せようと苦戦する日々。

🚗別久 花(べっく acted by. 下京慶子)

レコード会社ヤードバーズに勤める瓶子のライバル的存在。P-90という売れっ子バンドを担当しているだけあってめちゃくちゃ優秀ってか上司稲葉よりもしっかりしてる

🥁瓶子結衣子(acted by 後藤まりこ)

瓶子の母親であって元カリスマ的ミュージシャン。実はすでに鬼籍に入っているが生前娘に与えた影響は数知れず。どこか病的な影がある感じはこの映画を深みにあるものにしている。

🎧稲葉孝弘(acted by 川村義博)

瓶子の叔父。彼女は彼のコネでヤードバーズに入社できたのだろうか、にも関わらず彼の頼りなさっぷり舐められっぱなしな感じは不憫でならない。

🌂カサノシタ

瓶子撫子が担当している今や売れ行きもバンド内人間関係も崖っぷち解散寸前のバンド。新たなMVを作って起死回生を狙うが...

🎸P-90

別久 花が担当する飛ぶ鳥を落とす勢いの超売れっ子バンド。あるメンバーが瓶子撫子に想いを寄せてたりとか全員実は趣味が同じでロックスターらしからぬ一面を持ってたりする。

 本作のポスターやパンフレットのビジュアルイメージだとか、冒頭から序盤にかけて約10分ほどのコメディ調のドラマ・シーンを経て音楽事務所ヤードバーズに叔父のコネで入社した瓶子撫子(へいし・なでこ)と同僚の別久(べつく)という二人のヒロインによる、売れないバンドを一丁前に仕立て上げるプロモーション奮闘記みたいな作品かな。」と軽い気持ちで観てたら大きく違った。 

これは恐れ入りました!!
最高!あ、最高じゃなくて最高裁判所(←これは本編観たらわかります笑)!

主人公、瓶子のバンドマンでもあり、すでに他界した母との過去の回想シーンと現在とを交互に行き交いつつも怒涛のシーンから散りばめられた伏線の数々を以下に示す。

①母親である結衣子が、撫子が人前に出て歌うことに躊躇してしまう時に御呪いのことばとしてそっと耳をしたあの四文字の言葉

②実は幼馴染であって奈愛間疎遠になってしまっていた別久花から小学校時代別れ際にもらった不気味なあのブレスレット

③瓶子撫子が誕生会にて誰しもが歌ってほしいとリクエストしながらも人前では目はパチパチ・口元はピヨピヨとなってしまう現象に見舞われるも、①を聞かされることによって美しい歌声を披露できた「ハッピーバースデイ」エピソード。

④そしてバンドマンかつ既に亡くなった母への憧れと人前で歌うことへの歌手になることへの憧れと、人前で立って歌う事への畏敬の念

そしてクライマックスで①から⑤までの全ての伏線がFUCKの四文字へと集約されて行くのだった。

もう正に我々は鑑賞時に第七藝術劇場という映画館ではない正にライブハウスへと気持ち丸ごと持ってかれるこのカタルシスの半端なさ。これは正にオルタナティブ・ロックシーンの革新であり続けるRADIOHEADが20年以上前にリリースした『KIDA』というアルバムの一曲目のタイトルに付合する感覚を覚えるのだ。*4

"Everything in its right place 
(すべてはあるべき場所へ)" 


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ラスト、ライブステージの幕が上がり、主人公がFUUUUUCCCCCKKKKK!!!!というおまじないの言葉を取り返して以降、はっきり言って既に2回観ているがあまり記憶にない。だって演奏が始まった瞬間もう映画の中のストーリーがストーリーではなくなってここ(映画館)が完全にライブハウスになってしまうから。その後エンドロールが導かれるがこれはこのエンドロールはエンドロールではなく、何かの始まりである。そう、ここでライブが始まったのだ。

 非常に乱暴な言い方になってしまうが、映画ではなくライブ、ライブよりもライブである、そういう映画だとしか言いようがない。あと本映画は監督・岡本祟がウパルパ猫というバンドのボーカルであるということから音楽好きが気づいてふっと笑う瞬間にも溢れていて、レコード会社の「ヤードバーズ」とは紛れもなくエリック・クラプトンジェフ・ベックらの超有名なバンドからの派生であり、瓶子撫子(へいしなでこ)の「へいし=ジミー・ペイジ」だったりとか別久 花(べっくはな)の「ベック=ジェフ・ベック」だったりするのだろう。あと叔父の「稲葉孝弘」の名はB'zメンバーからの引用だったりするのだろうか、ってまあこちらはj-popだけど。

とにかく我々は生きている限り、学校・会社・人間関係・他人の人生・自分の人生などなど色んなものを卒業していくものだが、音楽を、映画を、演劇を、LIVEを、エンターテイメントを卒業できない全ての理由が本作にあったと言っても過言ではない
それぐらいのどカーンと打ち上げたでっかい花火ぐらいのEnthusiasm(熱狂)がそこにあった。そういえば中間ぐらいで普通の花火が打ち上がるシーンがあるがこれも偶然ではないと思う。ホントラストのガチのライブのシーンは映画史上でも最上級最高の光景だと断定したい。

 

2.音楽映画比較論『辻占恋慕』『犬ころたちの唄』
そして作品比較論になるが、『ディスコーズハイ』はLIVEの理想のあるべき姿を、同じく現在公開中の『辻占恋慕』はLIVEハウスにおけるリアリティにフォーカスして各々描き切った点で一見対称的、ってかむしろ正反対の思考性があるようだが前者はネタバレになるから言わんが本作キーワードである某四文字に、後者は信太の独白部分にあるように、いずれもコロナ禍以降、次々とライブイベントを行うチャンスが殺されまくっている現状への「怒り」や「苦悩」などのAngstが根底にある意味でシンクロしているような気がしてならない。*5Music Movie, Case『辻占恋慕』


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Brief Story
ロックデュオのボーカルの信太(大野大輔)は、ギターの直也にライブをすっぽかされてしまう。そこにシンガー・ソングライターの月見ゆべし(早織)が手を差し伸べる。売れないミュージシャン同士の二人は、同じ30歳ということもあって意気投合。信太はゆべしのマネージャーとなり、恋人同士となる。しかし、二人の間には徐々に方向性の違いが生まれ始める。

Music Movie, Case❷『犬ころたちの唄』


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Brief Story
30代半ばを過ぎた山尾家の長男森男(ミカカ)、次男林蔵(Jacky)、三男三樹(のっこん)の3兄弟の共通点は音楽だが、それぞれの音楽へのアプローチはさまざまだった。30年以上前に亡くなった父の法事を理由に、彼らはときどき森男の部屋に集まっては酒を飲みながら歌っている。ある日森男は、およそ30年間音信不通だった異母妹の川瀬葉月(前田多美)からの手紙を受け取る。

『辻占恋慕』に関しては散々ブログ記事で書いてるので割愛するが『犬ころたちの唄』に限定してコメントすると、多分3回ぐらい観て記憶に留めておきたいくらいには、めちゃ五感に訴える作品でもあると思う。あの古本屋の店主が謎にカッコよく映ってるシーンや、冷蔵庫に貼ってある某PCブランドのシールや、質屋独白シーンのどシリアスな筈だけどコントっぷり等【ツボったもの勝ち】な説明不可能な面白さにも満ちている。世代も人生観もバラバラだが飲みっぷりと音合わせのチューニングだけはバッチリな中年3兄弟。ある日義理の妹が現れて...という話だが突如飛び出す衝撃の事実に驚愕したり感情の暴発ぶりに爆笑した。特にミカカ氏の酔っぱらいの演技が迫真すぎてスクリーンから日本酒の香りがしてきたほど。*6

この3つの音楽映画に関して共通する点を考察したい。バンドやアーティスト名に関する考察である。

『ディスコーズハイ』=カサノシタ

『犬ころたちの唄』=深夜兄弟

『辻占恋慕』=見ゆべし

『ディスコーズハイ』における「カサノシタ」というバンド名はの傘の下って事は「雨天」を示唆してるし、「月見ゆべし」というアーティスト名の月といえば「夜」を示唆してるしで、更に、これまた偶然の一致だけど『犬ころたちの唄』 の「深夜兄弟」にも言えて、彼らの(バンド)名からも無意識なのかもしれないが「コロナ禍さながらの太陽光なきシビアな状況」を窺わせることが分かる。それぞれブルース・ロック・フォークとジャンルはバラバラだけど、いずれも太陽光を閉ざされたコロナ禍から光を見出そうとする潜在意識の現れだったりして。現に岡本監督はTwitterのリプライにて「雨の中、人混みの中でも傘の下ってすごい孤立した空間というイメージ」で命名されたとコメントして頂いた。でも、ここからが大事で、そこからも一筋の光明を追い求めるようなロマンチシズムをも感じたりするのだ。そこに我々は共鳴し、これらの作品群に心を打つものがあるのだと思う。これらの作品に潜む要素を探るべく以下のように定義しよう。

(A)ジャンル=土台となっている音楽
(B)アングスト=登場人物の怒り・苦悩が色濃く表現されているか
(C)カタルシス=クライマックス或いはラストシーンにおいて感じられるか
(D)メッセージ=作品全体を通じて何を伝えたいのかが表現されているか

と言う(A)以外の(B)~(E)の定義でスター(☆)数に対する評価は以下のようなものである。

☆☆☆☆☆=大いに当てはまる
☆☆☆☆=当てはまる

☆☆☆=適合する

☆☆=曖昧

☆=ほぼ当てはまらない

と言う基準の比較検討してみようと思う。

(Results) Music Movie Works比較論

まず、『ディスコーズハイ』のサウンドはロックだ。真っ当にストレートなパンクにも通じるゴリゴリのロックサウンドである点は、『辻占恋慕』『犬ころたちの唄』とは一線を画している。そして(B)のリアリティという観点で行けば主人公が目をホヨホヨ&ピヨピヨさせる描写があったりとか、どう見たって線の細い体型のライバルの5人前ぐらいの焼肉を食うシーンがったりとかコメディのテイを成している。

だからこそラストシーンでマジ演奏してるシーンはリアリティが倍返しし、その(C)のラストシーンではカタルシスっぷりが半端ないのだ。次にこの種の映画にありがちなコロナ禍以降に顕著に見られる「怒り」をぶつける要素が意外と少なくそうした思いはラストライブシーンの大爆発に巻かれていく印象がある。その点では同じライブハウスを舞台にした『辻占恋慕』でのライブハウスステージでのマネージャーの独白から醸し出される怒り要素が半端なく思える。次は『犬ころたちの唄』の話にいくと、本作のスクリーンから酒の匂いがしてくるんじゃないだろうか、実際にドキュメントでも取ってるんじゃなかろうかというリアリティが半端ないのだが、法事での兄弟の怒りのぶちまけ方は極めて内向的なもので世相への怒り要素は皆無である。そして最も大きいのは(E)メッセージ性。これが繰り返しになるが『ディスコーズハイ』ではそれがもう圧倒的なのだ。ラスト、ライブステージの幕が上がり、主人公が『FUUUUUCCCCCKKKKK!!!!』というおまじないの言葉を取り返して演奏が始まった瞬間もう映画の中のストーリーがストーリーではなくなって映画館は完全にライブハウスになる。もはやエンドロールはエンドロールではなくライブが始まるのだから。この世界に埋もれてしまいたいくらい楽しめた。因みに『犬ころたちの唄』のメッセージ性に関してであるが、古本屋の看板に

Nothing is true. Everything is permitted.

真実などない、何もかも許されている。

という1950年代のビート・ジェネレーションを代表する作家であるウィリアム・バロウズの名言が記されているが特にそれがテーマでもないだろうし、だとしても我々に何かを強要するタイプのものでもないだろう。*7

3.『ディスコーズハイ』とミュージシャンたち

あと本作は、サーキットフェスなどのライブハウスに頻繁にいく人ならお馴染みの、後藤まりこ氏や、ぽてさらちゃん。などなど様々なミュージシャンが出てくる作品でもある。個人的には、去年の名古屋だとか今年の5月に東京中野新橋にあるライブバー、バーぺガサスにて本人のど真ん前でパフォーマンスを聴いた事のある鈴木大夢氏が売れっ子バンド「P-90」のボーカリストとして出てたのが個人的に物凄く新鮮だった。


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あの実際に聴いたソロでの魂を削ぎ落とすカート・コバーンを思わせるような(ベタな例えですいません笑)ヒリヒリした歌声とはまた違う、このP-90というハードなバンドでのどこかしらクールネスを保ちつつギアをグイグイ加速していくような、スリリングなサウンドに乗っかっていくボーカリゼーションが印象的でとても良かった。端的に言えばギャップ萌えってやつかも。*8
あと、長年(ってほどでもないが)音楽聴いたりLIVE行ったりしてるとどこか表情ってか面構えを見ただけでロック魂を感じて、その後音源聴いて案の定間違いないって顔の人が一定数存在している。大昔だと車谷浩司さんとか、ここ数年だと鈴木実貴子さんとか、今回のP-90の鈴木大夢さんにも同じことが言えよう。先日の第七藝術劇場での舞台挨拶で見た未遂ドロップスの「ペつさん」も例外じゃなかった。

そこで彼女の所属するバンド「未遂ドロップス」のオリジナルとカバー楽曲をそれぞれ紹介しよう。


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 彼女は『ディスコーズハイ』で存在感ある役で出てて初回見た時からただならぬ何かを感じて、今日舞台挨拶での某エピソード聞いて確信に変わった。ご本人に「音源絶対聴きます」と宣言したがこれがもうドンピシャハマった。
Ado氏の例のヒット曲のカバーも良き。個人的には本家より好きかもしれません(笑)

舞台挨拶であの『みぽりん』『コケシ・セレナーデ』の松本大樹監督がぽてさらちゃん。を大絶賛していた。彼女は本編では割とブチ切れやすい主人公を「まぁまぁ落ち着いてくださいよ。」みたいに宥めるシーンの多い、比較的冷静なキャラクターだったので舞台挨拶での天真爛漫なキャラクターに驚いたってか、大いに笑った。


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ぽてさらちゃん。のなはなんとなくライブイベント等で聴いたことがあったが基本的に「ディスコーズハイ」観た後で知った訳だが、この人知れば知るほどキャパシティの計り知れ無さに圧倒されてる。


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そして最後に紹介するのが本作監督・岡本祟が中心となっているウパルパ猫による楽曲群である。『当たり前だろ』シンプルに研ぎ澄まされたギターとボーカルが印象的でだからこそ日常の光景を写像する素晴らしい楽曲だと思う。そして『そろそろおやすみ』の方はもっとサウンド的にドラマティックさが加えられていてどこか本編主題歌とも共有する感覚がある。


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映画『ディスコーズハイ』 打ちひしがれるような感動に包まれるのは何万字でも語り尽くしきれないが主題歌が破格値に素晴らしい。 本曲があの場面であのタイミングでかかるカタルシスよ...もう一回観たい。 以下は元々の映画版ではなく岡本監督が所属するウパルパ猫dogプロペラ猫dogいぬ(以下、ウパルパ猫)による『じゃあね。さよなら』である。


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本曲を聴くと伏線回収だ、オチだ、愛だの恋だの友情なの長年日本映画に呪縛のように取り憑いていた概念を『じゃあね。さよなら』と軽く吹っ飛ばしてくれる魔法がある。
喜怒哀楽ではない感情の塊のような涙が溢れ出るアンセムっぷり。ハッキリ言って本曲は日本の『Don’t look back in Anger』にも似たアンセム性である。更にいうと、カサノシタバージョン(映画版) 『じゃあね。さよなら』の壮大に広がる感はThe BeatlesというかGeorge Harrisonの傑作『All the things must pass』の『Isn’t it a pity』を彷彿とさせる。
浮遊感がある編曲もさる事ながら「誠に遺憾である」というフレーズも、まんま「Isn't it a pity」というタイトルと
シンクロするし。


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*9

4.岡本祟論〜鑑賞後の舞台挨拶からの光景
初回で見逃したあの伏線がどう回収され、あのミュージシャンが出てるってのを聞いててそれを確認したりとか、登場人物の心象風景をじっくりと、とかいうそういう次元の話ではなかった。もはやこれはコロナ禍で幾多のLIVEが中止の憂き目に晒され、LIVEそのものへの楽しみ方を忘れかけていた音楽ファン達への【LIVE復活へと誘う映画】でもあるのだ。
こりゃ本作出演の全バンドの全音源聴くしかねえなと強く実感した次第でもあった。
....と言うのも正直、ということで話は0章での「地獄のライブ」でのブチ切れて出ていった話へと戻っていく。そこに戻らなくても良いように(当たり前じゃw)ここで再度引用しよう。

ここんとこライブハウスでのライブに心から楽しめない自分がいたものだ。どこかバンド側も無理矢理テンションあげてる気がするし、かと言ってノーマスクで叫ぶ輩なども出てきては気になるし、自分のいくLIVEの演者ではいないのだが、ダイブ・モッシュを公然とやっているとこもあったりするし、あまりに事前のライブハウス側の感染対策マニュアルと違うので途中で帰った事もあった。極端な話、もうライブに行くと言う行為から完全撤退しようかと思ったほどである。

だが、この映画は「そんな事もうどうだって良いじゃんか。そもそもLIVEのダイナミズムっちゃあこう言うもんだよ。今ある困難な事や複雑なことをとてもシンプルにする事、それこそがライブの良いところでそれに代替えの効くものはライブ以外には考えられないものだ。」と教えてくれたのだ。そういえば

米国のジャズ・ベーシストであるチャールズ・ミンガスはかつてこう言っている。*10単純なものを複雑にすることはありふれたことだ。
複雑なものを単純に、驚くほど単純化する、それがクリエイティブな感性だ。 」と。

もう一度LIVEとはこんなに楽しいもんなんだ、と言う原点回帰でライブハウスに足を運ぼうとか思ったりして正にEvanescenceの大ヒット曲ではないが『Bring me to life』ならぬ『Bring me to LIVE』である。*11
あと、今回の舞台挨拶での2回目は特に全員ミュージシャンだったんだけどやっぱりこの空気感が私に合うとも思ったな。
 というのは以前さほど作品に愛着のないのがバレバレで、ネタだけやってウケとってすぐ帰った商魂逞しい某有名芸能会社の芸人ばかりが出てた某映画の舞台挨拶には死ぬほどウンザリしてたから。
作品への溢れんばかりの「愛情」であるとか「知的さ」(←これは絶対あるよ)と(ここが重要なんだけど)どこか溢れる反骨精神とのバランスが最高なのだ。

*12

あと舞台挨拶って言えばご自分の映画の宣伝が一番重要だろうに、チラシ配りなどされてプロモーションを頑張っている『犬ころたちの唄』の前田多美監督の心打たれて、舞台挨拶時に『犬ころ〜』のポスターも自ら大きく持ち上げて「同じ音楽を主題にした映画として一緒に盛り上げて行きましょう!!」とか言うノリも間違いなくミュージシャンならではってパフォーマンスでそういう所も最高すぎるのだ。この話後にバーペガサスにて古郡翔馬氏らに話したらめちゃくちゃ感動してた。。

そして、第七藝術劇場での鑑賞後、舞台挨拶の方も行われて、岡本祟監督の撮影裏話を色々と聞けたけれども彼自身、ミュージシャンだけあってとても繊細な面も覗かせつつ、かつエンタメ精神・サービス精神・ロック魂にも溢れていて、さらに笑いのツボも心得ている方で、とても好感を持った。

こういう映画公開というイベントを、そして舞台挨拶というイベントを一つのムーブメントにしていこうという気概さえ感じられたものだ。これは普通の舞台挨拶にはないライブ感ある雰囲気だったな、さすがミュージシャンである。*13


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...にしてもこの時の松本監督の話がとにかく共感の嵐で尚且つ「そういう目の付け所があったんだ」的な見解も言っておられたのでもう一回観たいかな、てか3回目も観たいなって訳で京都みなみ会館8/20のチケットは抑えてあるのだ。

*14

てな訳で感動の第5章へと続く*15

★8/9 舞台挨拶❷@第七藝術劇場松本大輝監督、片山大輔 他トークショー付)

★8/10 舞台挨拶❷@第七藝術劇場(ぽてさらちゃん。ペつ(from 未遂ドロップス)他

★8/21 舞台挨拶❷@京都みなみ会館(岡本崇監督、森愛渚、バッチくれキャンペーンガールの3人(#森田美希 さん #青山紫音 さん #青山琴音 さん)

5.ディスコーズ・コケシ・ハイ

という訳で、前章にて松本大樹監督の話が出てきたが、この『ディスコーズハイ』もコケシが随所に登場してくるのだがその点で非常に共通している。舞台挨拶時に様々なネットサイトから購入したと仰っていたという意味でも松本監督のこの作品を思い出さざるを得ない、ってな訳で過去の『コケシ・セレナーデ』に関する記事に関しては以下の通り。

nenometal.hatenablog.com

 このコケシに関して最高のエピソードで本ブログを締めくくりたい。実は私は8/11~8/15の間、東京旅行に行っていた。8月14日に、新宿HEISTでの滝口果歩さんらの対バンイベントが終わって、次の中野のビルの一角でのGagornzCreationという朝川優さん主催の演劇ライブの間に数時間ほど時間があったので、当然中野ブロードウェイというあの最高な場所に行く訳だがその時、岡本祟・松本大樹両監督を惹きつけてやまない「コケシ」のバーゲンセールをやっていたのだ。

その翌朝、私は以下のようにツイートをした。

このツイートをして8/14日の午後14時ぐらいだったろうか、このツイートを見て岡本監督が「(一番)左の(コケシ)が良い!」。とリプライしてくださったのだ。

こちらのコケシね。

というエピソードである。......というのを聞いて「それだけ??、単に岡本監督の好みのコケシを聞いただけじゃんか。」と大上段に構えた割にはそっけないエピソードかと思われるだろう。いや、いや、まあ落ち着いて聞いて下さい。

 繰り返しになるが私は8/20(土)の土曜日、岡本監督の登壇される舞台挨拶の開催される京都みなみ会館に行くのだ。

そこでの目的は3つ。

一つは、勿論3度目の『ディスコーズハイ』をかましてさらなる考察を深めるという目的もあるのだが、もう一つの目的は今後の本映画作品の大ヒット並びに、東京凱旋上映の際には岡本祟監督に中野新橋駅付近にあるバーペガサスでのライブをして頂きたく、群像ピカタのテーマの入ったサンプル音源やバーペガサスにて独自で編集&作成しているコンピレーションCDを手渡す事である。

そしてこのブログ記事アップの時間を8/20(土)の京都みなみ会館での舞台挨拶以降、に予定しているのには重要な訳がある。なぜなら、この3つ目の目的を先にここで公開してしまっては我が任務の"ネタバレ"になってしまうから。

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そう、勘のいい人はお分かりかと思うが、8/14の14時ごろ彼からの「このコケシが良い!」レスを受け取って15時ぐらいに私は吉祥寺駅付近にいたのだ。ブロードウェイのある中野駅は10分ほどすぐ近くじゃんって事で、すぐにまたまたその前日と同様に再び中野ブロードウェイにまで赴いてこの無事にそのコケシをゲットしたのだ。

これを岡本祟監督に、いや、『ディコーズハイ』の輝かしい未来へとプレゼントする事も大きな目的であり、それがこの記事公開時には無事に彼の手元に行き渡っている事を信じつつ、この16506字にも及んでしまった本記事にそろそろ終止符を打とうと思う。

Thank you for Bring me to LIVE

and leading stairways to LIVE !

 

Appendix;4回目鑑賞の果てに

コケシ・セレナーデ』とのシンクロニシティ

(*あ、こちら思いっきりコケシセレナーデのネタバレ含んでますので観てない方スルー奨励)

さて、この記事を書き終えて6日後、4回目であり、京都みなみ会館においてはラストの『ディスコーズ・ハイ』を鑑賞した。ここまでくると最早ストーリーや伏線回収の事実を追うなどいう次元を超え、最後のライブハウスシーンにて別久花がノリノリになっている稲葉社長を見るあの突き刺すようなヒリヒリした視線とか、幼少期に出てくる撫子友人の両親のあの絶望的なやり取りなどの細かい描写であるとか、幼少期の二人の別れのシーンであのクローン使ったあのシーンなども殊更に感動したり、2回目鑑賞ぐらいでもツイートしたが中間で花火が鳴るシーンはラストのどでかい打ち上げ花火さながらなライブシーンへのある種の伏線なのかと思ったり。

しかしよくよく振り返ってみると『ディスコーズハイ』にここまでハマったのは1回目松本大樹チームのトーク交えた舞台挨拶がなかったら果たしてまあ2回目はマストにしても4回も観てきただろうかと思ったりもする。それぐらいあの時の松本氏の見解が指針となってその後の鑑賞が深みのあるものになったのは確実である。

松本大樹と岡本祟.....この二人の作品を比較していくとそれでふと思い当たる。これはコケシ繋がりであるとかあるいは死者がキーワーパーソンになっているからという訳ではないけど『コケシ・セレナーデ』とある点で物凄くシンクロしていることに気づく。本Appendixではその辺を深く掘り下げていくことにしよう。両作品共々ライブシーンがクライマックスに位置付けられている。『ディスコーズハイ』はP-90目当てのファン中心のライブハウス、『コケシ・セレナーデ』の方はあの拳を振り上げることもなく、声援を上げることもなく、ただひたすらうっすらと笑みを浮かべて並んでいるという違いはあるものの、紛れもなくコロナ禍以降のライブの観客の表情そのものであり、コケシ達が黙って耳を澄ませるシーンも今のLIVEの様子をリアルに彷彿とさせる。いや、それだけではない。

 問題なのはこの物語のエンディングの仕方である。

というより今まで2時間近く観てきたこの物語をことごとく覆すようなランディングっぷり。具体的には『コケシセレナーデ』の方は【桜井の奥さんである萌々香は亡くなっていた】という事実が突きつけられることによってあの部屋から聞こえてきたハイトーンな歌声は大輔の歌声へと変貌し、本作ではこの話全体が既に破綻しまくっていた事実を知るあの感じ。今までの奥さんとのやりとり、コケシ大量購入の件、ジェットコースター映像大騒ぎからの苦情、霊媒師の出現、某が差し出したアベノマスク、霊媒師との大輔との望まれぬキス、もう何もかもが奥さんがいない状態で巻き起こってたのか、もはや大輔のサイコサスペンスであり、ホラーであり、愛憎劇であり、主人公と霊媒師のBLなのか(コラコラw)もう訳がわからなくなったのだ。そう考えたら『ディスコーズハイ』も負けてはいないではないか。既になくなっている撫子の母親における御呪いの言葉を思い出すことで怒涛のライブシーンに突入した途端というか、正確には2曲目の主題歌である『じゃあね。さよなら』が鳴らされた途端にエンドロールが導かれるのだ。そしてその瞬間この物語に関しての後日談である撫子は今後カサノシタのメンバーとしてバンド活動を行うのか、はたまた彼女も他のバンドメンバーもこのライブを機に吹っ切れて音楽とは違う何かを模索するのか、全くの示唆すらされていない。というか、暴論かませばそんなことどうでも良くなってくるぐらい視界がパァッッと開けてくる感覚すらある。

その理由は明らかで、繰り返しになるが我々が『ディスコーズハイ』を鑑賞前は確かに映画館の中にいるのだけど、それを観終わった後にそこはもはやライブハウスという異次元空間に変貌するのだ。その答えは、もはやスクリーン上にはなくてフロアとステージとあの独特の空気感からなるライブハウスでの事件にこそあの物語の答えがあるのだから。

このように『ディスコーズハイ』と『コケシセレナーデ』とでは【エンディングにおける異次元へぶっ飛ばされる感覚】というのは非常に類似していると思う。

そう考えると松本大樹監督の長編第1作『みぽりん』におけるあの全アイドル・ドルオタ必見のぶっ飛んだエンディングにも同様のことが言えるかもしれない。あの作品における狂気のエンディング考察に関しては2年前の過去記事を参照。

nenometal.hatenablog.com

ちなみにそれに関連して私は既に岡本祟監督の所属する「ウパルパ猫」らが出演するライブのチケットを予約している。

そこにはきっとまだまだ未知数の瓶子撫子の、別久 花の、瓶子結衣子の、稲葉孝弘の、カサノシタ、P-90たちの物語が、そして『ディスコーズハイ』の続きがそこにあるからである。

恐らく5回目になる『ディスコーズハイ』の舞台は南堀江Knaveである。

★8/25 舞台挨拶❷@京都みなみ会館(岡本崇監督)

 

*1:このライブハウスは今現在閉店しているから名称言ってもいいんだけど自粛。

*2:本分析はFilmarksの本作に関する該当記事に加筆・修正を加えたものである。

filmarks.com

*3:写真はこちら

ディスコーズハイのフォトギャラリー画像(10/12)|MOVIE WALKER PRESS 映画

*4:RADIOHEADは本編には出てこないがふっと浮かんだので

*5:この辺りの分析は過去記事を参照して頂きたい。

nenometal.hatenablog.com

*6:2回目鑑賞。2回目の方がもっと面白かった。もはあこの世界に埋もれてしまいたい位楽しめた。登場人物の誰もが複雑な事情を抱えてて貴方もそうでしょ?と振ってくるがそれ以上は干渉しないぶっきらぼうな優しさに満ちている。そして最後のギターのくだりは爆笑必須もの。

*7:バロウズに関してはこちら。

ja.wikipedia.org

*8:あと鈴木氏も演技のパートってかセリフのシーンとかも割とあったけど彼の素の姿って、終演後お話した事あるけどライブでの鬼気迫る感じとは違ってホントあんな感じなんだよねとか思い出したり。

*9:ちなみに物販についてだけど、1200円で5曲、というかなりなお得価格でP-90としての音源の入ったCDも販売している。このCDの方がサブスクより収録曲が数曲ほど多くて、サブスク未収録曲の『枯渇ごっこ』という曲が死ぬほどカッコいいからCDの方を購入しておく事をオススメする。パンフと合わせても2000円ちょうどだし。

*10:伝説のベーシスト、チャールズ・ミンガスに関してはこちら。

ja.wikipedia.org

*11:これな、全く本記事に関係ないけど(笑)てかevansecnceて年末に聴きたくなるんよね。


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*12:バーペガ店長、古郡翔馬氏も8/17の配信ライブにて以下のように述べている。

*13:てかなんとなく岡本監督『チキン・ゾンビーズ』リリース期のミッシェル・ガン・エレファントのベーシスト、ウエノコウジ氏に似てるし、と思ったのは私だけかな(笑)

*14:

*15:あと、私的リクエストとしてはカサノシタによる主題歌の音源の発売(配信)と、カサノシタ初期メンバーによるミュージックビデオを全て動画サイトで公開して欲しいな、あれめちゃくちゃカオスティックで面白すぎるので。