【ネブワース1996(2021)】
予め断っておくが本作は1996年におけるネブワースでの模様2日間を丸ごと収録した、いわばLIVE体感型music video映画ではない。
というよりも、この計25万人にも上る当時参加したファンダム、いわば「歴史の目撃者」達の証言も挿入する事で当時のoasis現象の輪郭を浮き彫りにするドキュメンタリーと受け取ったほうが適切であろう。
確かに、本作を観てなぜ曲の最中にファンやプロデューサーの声を被せたのか、純粋に曲オンリーに集中したい、などという不満な人もいるかもしれないし、事実そういう声はSNSでいくつか散見されていた。
だが、oasisのメンバーがこの作品にexecitve producerとして参加しているから、彼らにとって「ファンもoasisという巨大なバンドのメンバーなのだ」という思いの元製作されたのだと推測している。
そしてバンドがLIVEをするという事は、そこに集いし【彼らの音楽に魅せられし熱狂している者】全てが広義で「band」と解釈できるのだと。
このネブワース1996 は演者、聴衆、音楽の神が絆で結ばれる2日間の【oasisメンバー+ゲスト+25万人からなるバンド】が結成され、熱狂と興奮の渦を巻き起こしたたという歴史的事実を証明するものとしての極めて貴重なドキュメンタリー・フィルムなのだろう。
ただこのライブをよりよく堪能し、本作に至るまでの紆余曲折の過程だとかノエル伝説のMCの真の意味を理解するには『supersonic』を観ておくのを激オススメする。
あの映画のレビューでも書いたが、彼らが本作でも言っている「全世界制覇の瞬間を観た」「最高のライブは中毒になる。」という証言からも伺える通り、何よりも覚醒を増す最高の【drag&alcohol 】のようなもんなんだろうし、ここまでやらないと世界最高の勲章を掴めない、それが世界制覇できるバンドの必須条件ということなら世の中に現存している幾多のバンドが存在意義を失うくらい断定しても良いだろう。そして『supersonic』はそんな紆余曲折な活動遍歴と栄光と挫折と苦悩とそれに収まらぬ様々な感情とが交差するような波乱に満ちたバンド活動においてひとつの頂点を極めたものがこの『KNEBWORTH1996』における二日合わせて25万規模ライブなのだという事がより説得性を持って理解できる作品だし、あの作品で前もって予習しておいたからこそノエル・ギャラガーは25万人もの大観衆に向かって放った「これは歴史だ!歴史的瞬間だ!!!」の真の意義を知ることができるのだ、って『supersonic』のレビューみたいになってるけど(笑)
でもあの2作品も彼らギャラガー兄弟ではないが言ってみれば「兄弟」みたいなもんだろうし是非ご覧になって頂ければと思う。しかしあの言葉は鳥肌モノで思わず目から感情の洪水が溢れて出てしまった。これぞロックのダイナミズムだ。正にオアシスとは怒りの音楽なのだ、言わば「アングスト」なのだ。この種の言葉はニルヴァーナやマイブラ界隈でよく形容される言葉なので意外と誰も言わないがオアシスの音楽こそ最高最大最強最恐最狂のオルタナティブバンドだと思う。もう出てこねえよこんなバンド。
にしてもその後のあれこれであるとか、昨年の今頃公開されたリアムのドキュメンタリー映画『As it was』辺りであれだけギャラガー兄弟の不仲っぷりが露呈されてた訳だけど、本作では2人仲良く(と言っても実際に会ってないんだろうけど)executive producerとして関わってるという事は、ひょっとして今後...などと色々な妄想と期待が止まなかったりする自分がいるのだが実際どうなんだろうか?
【オアシス:スーパーソニック(2016)】
イオンシネマ心斎橋にて、マンチェスターのアンセムバンド、oasisの話題の映画『#KNEBWORTH1996』に先駆けての過去作2週間限定上映にて『supersonic』改めて観たが壮絶すぎてため息が出た。
兄弟喧嘩、仲間割れ、バンド内いじめ、兄弟喧嘩、ドラッグ、毒舌、問題発言、兄弟喧嘩、脱退、失踪、兄弟喧嘩.....もうこれはもう刃の上を裸足で渡っていくような、いつ崩壊するかわからぬスレスレの状況かつ人間関係の中で続けていくこのバンド活動....なんだけど、それらのネガティブな要素を超えて唯一とも言ってもいい繋ぎ止めてくれている奇跡のような唯一の希望の光が「音楽」なのだ。
しかもその光が織りなす音楽的衝動であり喜びでもある「最高の音を鳴らすこと」から得られる代償がとてつもなく大きいらしい。というのは彼らが「全世界制覇の瞬間を観た」「最高のライブは中毒のようだ。」という証言からも伺える...いやもう(経験なしだから知らんけど)何よりも覚醒を増す最高のドラッグのようなもんなんだろうし、ここまでやらないと世界最高の勲章を掴めない、それがバンドの必須条件ということなら世の中に現存している幾多のバンドが存在意義を失うだろう。
そしてそんな紆余曲折と栄光とを交差するようなバンド活動においてひとつの頂点となる『KNEBWORTH1996』のライブ。
ノエル・ギャラガーが25万人もの大観衆に向かって放った「これは歴史だ!歴史的瞬間だ!!!」これはもう全身から鳥肌が出て止まらなかった。これがロックだ。オアシスとは怒りの音楽なのだ、アングストなのだ。ニルヴァーナあたりでよく語られる言葉なので意外と誰も言わないがオアシスの音楽こそ最大のオルタナティブだと思う。
とここまで堅いトーンで綴ってきたが彼らや彼らの音楽が本当に愛されている理由の一つは本当にファンを大事にしていること。全盛期の2nd直前ぐらいの時にもアイドルのリリイベかってくらいファンの声援に応えようとし、彼らの差し出すレコードやCDにしがみつくかのように一生懸命サイン書いたりしてる姿に思わずハッとする。でそういや、2回目の『ネブワース1996』の時にも思ったんだけど、あれだけの大観衆を目の前にしときながらノエルが会場に行くことができずラジオでチューニングを合わせたりカセットのタイミングに気にかけているリスナーのことを意識していたり、リアムが演奏途中でタンバリンわとで渡すといった少年を終盤で記憶していたりだとか、この(今風にいうと)神対応っぷりにびっくりする、まぁ全て彼らの本質なのだろうし、こういうのはSNS全盛の昨今では掘り起こされなかったあろうエピソードなんだろう。音楽からフリーダムを奪ったのは我々リスナーなのかもしれない。
あと何かの賞を受賞した時にも授賞式にて兄が「こんなレコード会社のブタの勲章なんかいらねえ、嬉しいのはファンからの絶賛だ。」と最高の悪態を吐いてたしこの人達の音楽に向かう姿勢は本当誠実なのだ。
だから20年以上経とうが未だに彼らの音楽は愛され続けているのだと思う。
余談だが、このoasisの愛すべき、かつ破天荒極まりねえドキュメンタリー映画ガッツリ観たから尚更思うが、某日本人バンドがたった一度のスキャンダルでここまで世間から責められるわ、味方であるファンも傷付いただファンやめるだ嘆いてて、本当ミュージシャンにとっちゃ生きづらい時代だよねとも思ったりして。
【フィッシュマンズ(2021)】
この『フィッシュマンズ』はこれは音楽ドキュメンタリーであると同時に一つのバンドの中で若者達が葛藤する青春映画でもある。それと同時に90sというディケイドを駆け抜けたこの孤高のバンドのヒストリーでもあって1人の天才音楽家の話でもあって一つのバンド活動を通じて人生にとって音楽とは何か命題を見いだす人間ドラマでもある。
98年8月、まだ全然学生だった頃、福岡ドラムロゴスというライブハウスで観た 『FISHMANS は他のミュージシャンと名乗る人達LIVEとは一線を画していて凄かった。もはや「演奏」というよりはそこで発せられる微粒子のように飛び散る音像の一つ一つからなる無限大の集積を浴びる一つの不思議な音体験だった。
しかしながらこの10年に満たないバンド史の中でも様々な脱退メンバーなどの『男達の別れ』が包み隠さず描かれていてそれに対峙する双方各々の思いが伝わってきてヒリヒリする。
本作での佐藤伸治は幾度も幾度も商業音楽の壁にぶち当たりつつも、敢えてこそ理想音を追求し、更なる高みへと行かんとする茨の道を選ぶのだが、当時も孤高の音楽家というイメージがあったので「売れる」という俗世間の境地とは違う地点にいるイメージがあったのでその辺りは意外ですらあった。兎にも角にもこの映画、当時のメンバーや関係者、ミュージシャン仲間のインタビューや当時の貴重な映像でもって構成される176分なのだがもう全く長いとは思わなかった。
もう目を凝らすように必死に観た「もう終わり?」って印象。音楽とは何だろう、ロックとは、バンドとはなんだろう、そんなプリミティブなことを考えさせられた。
そして、その答えは無人の野音会場に1人佇む茂木欣一の背中が雄弁に物語っていたのかもしれない。
【サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時】(2021)
「1969年」といえば、月面着陸、ウッドストック、ビートルズが実質最後のオリジナルアルバムを出すなど...数え上げればキリがない正に全世界のターニングポイントだった。
しかしながら、そんな重要な出来事に囲まれてか、スティービー・ワンダー(なんと19歳!)、スライ&ファミリーストーンなど当時のR&B,Soul部門でも重要なアーティストらが出演し、更にブルース、ゴスペル、ジャズがごった煮になった正に音楽史にとって非常に重要なニューヨーク、ハーレムで30万人の黒人が集まった大規模な音楽フェス『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』が開催されたという事実はあまり知られてなかったのだ、というか敢えてられてこなかったというべきか。
本作では当時の空気感を伝え、なぜこの事実が封じ込まれてたかを紐解くと、そこにはレイシズムの壁であるとか社会的に潜む問題の数々が浮かび上がる音楽文化と社会問題とを結びつけるドキュメンタリーの傑作である。
とは言え本作は壮大なフェス体感映画でもあるのだ。今回京都のドルビーシネマにてど迫力の音で体感したがまさにここはフェスの会場にいるのではないのかと思う位に凄まじいサウンドescapeが広がる映画でもあった。特に圧巻なのがニーナ・シモン。
上映後後ろにいたおばちゃん連中が「やっぱりニーナ・シモンは女神やわ!」と話してたがそれぐらいに凄まじかった。
やっぱこういう音楽ものはDolbyシネマで観ないとね。
という事でとmovix京都にて鑑賞したが大正解だった。特に現在公開中の『サマー・オブ・ソウル』辺りとはしご鑑賞とか可能であればできたら最高でしょうと言うわけでこちら。
一言「壮絶」に尽きる。本作はアレサ・フランクリンが何億光年の彼方にいる神々に届くかのような凄まじいボーカリゼーションを放った瞬間、全聴衆が熱狂し、踊り出し、号泣する、正に生の祭典と言っても過言じゃないLIVEドキュメント。
これDolby Cinema辺りで爆音上映したら多分失神者が出るだろうな。
アレサ・フランクリン の『Amazing Grace』の歌唱は当然というべきか、単にあのメロディをなぞるだけではない。
彼女は滝のような汗を流し、声を張り上げ、まるで体内から曲を産み落とすかのように歌い上げる。観客は大熱狂&大号泣。これをLIVEの醍醐味と言い切ってしまうには彼女は圧倒的すぎる。それぐらいこの人は圧倒的なのだ。
いやこれもう全音楽ファン必見だと思う。