NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

師走になればコケシは〜松本大樹監督『#コケシ・セレナーデ』妄想レビュー

0. 失われた夏

f:id:NENOMETAL:20201217212037j:plain

 世界の三大喜劇王と呼ばれる、イギリス出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)が以下の名言を放っている。

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。)

この言葉って以前からなんとなく頭の中にあって「人生は喜劇であり悲劇....まぁそんなもんだろうな。」ぐらいに思ってたけど世界史の一部として「コロナ禍の年」として語り継がれるであろう2020年をクローズアップした時にある種実感と絶望感を持ってこの悲劇をかみしめることができる。

でも、同時に多少懸念もあって、いつの日かこのコロナ禍が完全に収束した時に"ロングショット"でこの2020年を振り返った時にこの世の中はキチンと「喜劇」として解釈さているのだろうか?と疑問に思ったりもする。

確かに元総理大臣のなんちゃらマスクとか、現都知事のフィリップ芸はリアルタイムでも怒りを通り越して笑いの境地に入ってていずれ平和な世の中になれば「壮大なコント」として解釈されるかもしれないが、もはやそういう域に達することができるのか不安感すら感じる。

まぁ深いことは置いといてそれだけこのチャップリンの言葉には今後の全人類の運命を背負うかの様な重みがあると思うし、まさに今その悲劇と喜劇の狭間に立たされた様な2020年12月30日の現在であるし、この言葉が立証された時に希望の光が立ち昇る。

そんなことを思わざるをない。

それに関連して、コロナ禍に塗れた「2020年の夏」は本当に特殊な夏として我が人生に深く刻まれることだろう。

 こういうご時世ゆえに洋画の大作が日本でも公開されていない現状なので、逆にインディーズ映画が数多く公開されていて、かなり注目できた点は良かった。ほぼ私は毎週末になると第七芸術劇場、セブンシアター、塚口サンサン劇場、元町映画館などミニシアター系映画を渡り歩いていた寧ろ例年よりも映画充な夏を過ごせた様に思う。

しかも座席もソーシャル・ディスタンスを保たれて隣に誰もいない状態で座席に座れるし、それはそれで楽しかった気がする。

 でも、とはいえそもそもが私は夏はフェスとか花火大会とかキャンプなどに行くタイプではないし結構夏の定番行事に無関係の男にも関わらずどこか特殊な夏を過ごしてるなぁと言う感じがあったのはやはりコロナ禍によって「何かが失われていた」感覚は否めない

 そんなアウトドア派でも何でもない私にも夏の恒例行事として「美術館鑑賞」というのがある。これは特に私がアートに詳しいとか美術館巡りが好きだとかそういう意味合いは全くなく「避暑」という事となんとなく真夏の蝉の泣き声のうるさいさ中のうだる様な暑さの中で様々な作品の中に没頭できるあの異次元感覚が堪らないからだ。もっと言えば夏のあの暑さと別次元のようなあの美術館との雰囲気とのギャップがたまらないってのもある。だから冬の美術館にはさほど興味はない(笑)。でも今年は少し事情が違って、そういう美術館も事前に電話なりで予約がいるだの、検温が必要だの、しかもこんなご時世だから目玉展示もなさそうだしという事で完全に行く気をなくしていたのだ。

今年は美術館巡りは諦めよう。そんなことを思っていたそんな時に、ふとこんな葉書が送られてきた。

f:id:NENOMETAL:20201217151233j:plain

 

.......何と『みぽりん』の松本大樹監督自ら丁寧な文字と感謝の言葉とともに書かれている新作『コケシ・セレナーデ』の試写会の案内では無いか。しかも驚くべきことに私が毎年のように行っているその夏の象徴ともいえる兵庫県立美術館」内のホールではないか(笑)。

これは運命だ。行くしかない。

これは、この奇妙なタイトルの映画は、きっと「失われた夏」をほんの少し取り返してくれようとしているのだ!

 もはや二つ返事でものの数秒でDMにてOK!行かせていただきます!!!の返信を送った。

 

そう、そしてこのブログはそんな「失われた夏」と徐々に公開されつつある本作品とを結ぶつける言わばリンクエイジの様な記事であって欲しいと思っている。


映画『コケシ・セレナーデ』予告編

 

本ブログの構成は以下の通りである。

1. All About "コケシ・セレナーデ"

1-1. Overview of 第一小節

1-2. Focus;はるかの『空』

 2. December comes, KOKESHI will...

2-1. Overview of 第二&三小節

2-2. Focus;無伴奏ソナタ

2-3 Focus;みぽりん

3 まとめ

 

1. All About "コケシ・セレナーデ"

1-1. Overview of 第一小節

時はきた!8月15日(土)、記念すべき全世界初公開となる『コケシ・セレナーデ』関係者試写会は本作のキャストのみならず、前作『みぽりん』の出演者の方々、そして【みぽらー】と呼ばれる『みぽりん』以来の松本大樹監督作品を愛してやまないリピーターも遠征組も含めて数多く参加していた様子でかなり華やかな試写会だったと思う。

そんな中試写室が暗くなって、いよいよ公開された画面上にはまさに必殺技であるかの様なジャズ・ナンバーから穏やかに始まるオープニング。前作はエラ・フィッツジェラルド『I'm in Love』だったが今回はグレン・ミラーのスタンダードナンバー『ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)』

そ、そうか!!!!『コケシ・セレナーデ』だから【セレナーデ】なのか!!

このあまりにもど直球なタイトルに今作に対する余裕すら感じさせた。

 以下は公式ホームページからの引用である。

 

【Story of コケシ・セレナーデ 】

新型ウイルスが蔓延する中、
兵庫県三田市に住む桜井夫婦は自宅で自粛生活を送っていた。
仕事を完全に失ってしまい、落ち込む作曲家の夫。
そんな夫をよそに、妻は外に出られないストレスを紛らわすため、
夫のクレジットカードで一体の"こけし"を購入した。

それ以来妻は次々と新しいこけしを買い続け、
家計は圧迫されるばかり。
夫は大量のこけし達との共同生活にも辟易し始めていた。
しかしある時、こけしによる不思議な出来事が訪れる。

買った覚えが無いのに、気が付けば増えている新たなこけし
置いた覚えのない場所で、ひっそりと佇むこけし

まるで何かを伝えているかのような奇妙なこけし達に導かれ、
夫婦が向かった先は...。

 

引用:公式サイトより

kokeshiserenade.com

 第一印象で観てまず思ったのは当時このコロナ禍においても数多くの映像作品がリリースされており、とは言え、世の中の多くの作品は「このご時世リモート撮だから、そこは多めに見てね」的なZoomスタイルが主流なのに対して、この『コケシ・セレナーデ』 は真っ向勝負の【長編作】だった点に少なからず驚いたものである。

まぁ一瞬だけだけど、主人公が友人達とzoomで語り合っているシーンがあったりするのだが、これと言った特別感はなく日常のワンシーンとして溶け込んでるし、出演者がマスクをしているシーンも皆無、というより一人霊媒師のスタッフ役で『みぽりん』同様「某」氏が黒のマスクをしているのだが多分あの方はコロナ関係なくてもマスクしているだろう(笑)。

....という訳でで松本大樹が凄いのは、世の中の多くの作品が「このご時世リモート撮だから、そこは多めに見てね」的なZoomスタイルが主流なのに対して『コケシ・セレナーデ』 は真っ向勝負の【長編作】だった点である。あの衝撃と混沌と狂気のクライマックスで、映画の既成概念をぶち壊したパンク作長編『みぽりん』の次男としてカウントしても何の欠損もない。

 それにしても、本作公開前にも、TwitterなどのSNS上のメイキングでのワンシーンとして膨大なコケシ写真を目にしてきたが、これが一体物語とどう関係するんだろう、と疑問に思っていたものだが、この全てのコケシがラストでその存在意義を持つようになるのは恐れ入った。

正に我々が今まで人生で培ってきた【コケシ観】が根底から覆るとも言えようが、このファンシー過ぎず、はたまたリアル過ぎずの絶妙な愛おしさを誇るコケシに目をつけるとは松本大樹監督の発想力は恐るべしと思ったものだ。

よって、『コケシ・セレナーデ』を敢えて定義すれば、どんどんコケシが増えていくという意味でホラーであり、実は衝撃のラストで知るあの事実によってどこかファンタジック入ったヒューマンドラマでもあるのだろう最後のクライマックスシーンで大勢のコケシを目の前にして萌々かがすすり泣きながら夫の作った渾身の新曲『コケシ・セレナーデ』を熱唱するシーンなどは素直に感動したし、場内でもすすり泣く声が聞こえてきたほどだ。

あと、その霊媒師と主人公のあの衝撃のダンスからのキスからのビンタシーンなどはコメディ(いやあれが寧ろホラーかw)全て...いや、寧ろそのようなジャンル分け自体が無意味だと言う実感が、観賞後もじわじわとボディブロウのように効いてきたものだ。

 そしてそういった感情はいつになるのかわからないが、劇場公開初日まで付き纏うのだろう、あの日見た大量のコケシのように日々私の身体で増殖するのだろうと思いつつ、

夏の美術館を後にしたものだった...

f:id:NENOMETAL:20201217160146j:plain

 

1-2. Focus;はるかの『空』

本作『コケシ・セレナーデ』の重要なファクターとして「音楽」があるのだが本作では最後に奏でられた主題歌『コケシ・セレナーデ』という曲がとても印象に残ったものだ。

本曲の魅力を語る上で比較対象としてうってつけなのが『みぽりん』のキャストによる、コロナ禍に晒された今の我々の揺れ動く心理をリアルに浮き彫りにしたリモート作である『はるかのとびら』主題歌『空』である。

合計して30分くらいある作品で26:03辺りからこの曲が聴こえてくる『空』にふと耳を傾けてみよう。


リモート短編映画『はるかのとびら』

『はるかのとびら』を概観すると

【ステイホーム期間の中で数多くの不安な気持ちに苛まれた本人役の津田晴香が未来からzoomで現れた『みぽりん』出演者達による励ましを受けるも、津田の精神的ダメージは殊の外大きくて仲間達の励まし虚しく全てが玉砕に終わってしまう。そんなある日、津田春香のPCスクリーンに出てきたのは、少し先に生きる未来の津田春香だった。】と言った『みぽりん』の続編というよりもどちらかというと『コケシ・セレナーデ』に寄せた感じを受けたのはコロナ禍を意識した設定だったからだろう。

そして次に音楽について概観すると、これはいつの未来だろうか。コミュニティ・ラジオかなんかの仕事に行こうと、津田が晴々した気分でドアノブに手をかけた瞬間の爽風と太陽光を彩るかの様にパァッと広がる青空の様にリフレインされる片山の奏でるピアノの音。

そんなシチュエーションでこの曲はこんな歌詞とともに聞こえてくる。

*1

 

未来は不確定で 不安な夜もあって それでも私は信じて生きる また未来で待っててね

(from『はるかのとびら』メインテーマ『空』)

 

これドアノブに手をかけた瞬間の爽風と太陽光を彩るかの様にパァッと広がる青空の様にリフレインされる片山の奏でるピアノの音の鮮やかさ。

まさに『空』というタイトル通りの青空を突き抜けるような清涼感がそこにあった。

 

そして今回の楽曲『コケシ・セレナーデ』についてもみていこうか。

本楽曲もピアノから始まる。ただ、そこから一歩踏み込んだ光景があって『空』にあった様な清涼感はそのままにどこか内省的な思いも共存する不思議な感触の曲だったという印象があった。あと少し違うのは前作よりもゆったりとしていてどこか、しんみりとしたオープニングなのは妻・桜井萌々香のすすり泣く声がイントロから歌詞の出だしから聞こえることが象徴している。*2

 

もう一度会えたら何を伝えようか 単純だけども愛してるから 離れても歌うよ

あなただけのメロディー 永遠に響き渡る セレナーデ 

(from『コケシ・セレナーデ』メインテーマ『コケシ・セレナーデ』)

 

 

このフレーズの印象は本作を観る前と観た後とでは180度以上違うニュアンスで持って響いてくる。本作を観たものなら誰しも「離れても」「永遠に」「もう一度会えたら」...もっといえばセレナーデというタイトルすらも歌詞一つ一つから醸し出されるニュアンスが大きく深く変わってくることに気づくだろう。敢えてこそのこの歌詞を歌い放つ桜井大輔のどこぞ感じるヤケクソ感をも含んだ愛情の深さに我々は感動を覚えるのだ。

『空』は未来の自分から今の自分へ解き放つメッセージ・ソングであり『コケシ・セレナーデ』は今の自分から過去のあの人へ送るレクイエムという意味で大きく異なる本当に対照的な2曲である。

 

2. December comes, KOKESHI will...

2-1. Overview of 第二&三小節

あれから4ヶ月。場所は神戸OSシネマズ神戸ハーバーランドにて、12月10日から1週間の念願の「劇場上映」という形にてあのコケシ達は帰ってきた。この日の感想は、ハッキリ言って超がつくぐらいシンプルで、とにかくこの映画は音響や広いスクリーンでの設備が整った映画館の方が、美術館の視聴覚室よりももう数百倍も面白さが伝わる映画だという事がわかった。

*3

前節で触れた、桜井大輔の奏でる魂の叫びの様なボーカリゼーションのみならず、霊媒師のお祓い事にバックで流れるややアンビエントがかった曲であったりとか、チャイコフスキー「バレエ組曲くるみ割り人形》」などと言ったクラシック音楽の重低音をはじめとするサウンドクオリティ以外にも、妻・桜井萌々花の笑い声の残響音に至るまでとかく音も凄く印象的だったのだが、これは試写会室と映画館とでは音の響きが大きく異なるからだろう。

後、もう一つ個人的に思うところがある。第一小節めに思っていた以前抱いていた「少しホラー入っている様にも見えるけど実はファンタジー要素も含んだヒューマンドラマ」という印象から大きく変わった。

 どのシーンかといえば、LIVEが息の根を止められていたあの頃を経て音楽が鳴り始めた今日に観るとあのラスト近くでこれまで妻が購入した大量のコケシを集め物言わぬ客として並べて歌うあのシーンである。

あの拳を振り上げることもなく、声援を上げることもなく、ただひたすらうっすらと笑みを浮かべて並んでいるコケシ客の姿は紛れもなくコロナ禍以降のライブの観客の表情そのものであり、コケシ達が黙って耳を澄ませるシーンも今のLIVEの様子をリアルに彷彿とさせるのだ

そう考えると、この話の主人公桜井大輔は、実際の片山大輔と同様ミュージシャンである。この映画のロケ地が実際に彼が住んでいる三田市ということも関係あるのかもしれないが、正に彼自身このコロナ禍においてもライブなどの音楽活動がなかなかできない状況にあるだろうし、この中の台詞のいくつかに正にここの所、彼が感じていたリアルな言葉もあったことも予測できる。結論づけると、本作はある意味片山大輔という一人の音楽家のドキュメンタリーであるのかもしれない。

本作がコメディかサイコホラーか暖かいヒューマンドラマか或いは残酷な悲劇か一人の音楽人のドキュメンタリーか未だに判別できないのだが、きっとその全てが内包されていてもうこれはコケシ・セレナーデ』 という一つのジャンルであるという事は間違いない。

『コケシ・セレナーデ』はもっと大きな、そして多くの映画館で鳴り響くべき傑作であると確信したものではあるが、スタンダート作品としてある演劇のスタンダードな演目が頭の中でパッと浮かんだ。

 

2-2. Focus;無伴奏ソナタ

さて、その演劇の名は演劇集団キャラメルボックスの人気演目『無伴奏ソナタである。

本作はもうDVDでも、劇場でも何度見たかしれんキャラメル個人的観劇史上ベスト3に君臨する傑作演目である。自宅鑑賞レベルですらクライマックスに巻き起こる客席とか舞台とか演出とかあらゆる次元を超えたある瞬間に打ち震え涙した、4D映画でもなし得ぬ演劇ならではの奇跡の様な話である、と言って良い。*4

【Story of 無伴奏ソナタ 】

孤高の天才音楽家であるクリスチャン・ハロルドセンはある規律を破って

音楽を作ることを禁じられてしまう。

だが音楽を愛してやまない彼は罰せられては指を切られ、罰せられては声を失ってしまう。

でもそんな、音楽を奏でる全ての術を剥奪され、ボロボロになった果てに生まれた彼の渾身のオリジナル曲「シュガーの歌」。

その歌が全世界に鳴り響いた時、彼は生まれて初めて喝采を受ける。

彼を包む喝采はこんなにも希望と称賛と肯定に満ち溢れていた。

 

という話で、とにかく泣いた。涙でグチャグチャになりながらも希望と絶望の入り混じった拍手って生まれて初めてだった。

多分あれはきその舞台上からはこの喝采の中彼の生き様を肯定する観客一人一人の顔で涙の光がキラキラ輝いていただろう。クリスチャンは確かにこの舞台に降臨し光輪(こうりん)に包まれた。キャラメルボックスは本当に彼を降臨させ真の「シュガーの歌 」を響かせた。そんな演技や演出を超えたリアリティがあったのだ。

が演劇を愛す事を卒業できない理由は全てこの演目にあったと断言して良い。

キャラメルボックス アーリータイムスVol.3『無伴奏ソナタ』

 で、なぜ私がここで演劇作品を持ち出したのか。紛れもなく『無伴奏ソナタ』の主人公クリスチャン・ハロルドセン本作品と『コケシ・セレナーデ』の主人公桜井大輔とのシンクロニシティである。以下。それを表にまとめたのでご覧いただきたい。

 

f:id:NENOMETAL:20201231065814p:plain

上記の表をご覧いただければ分かるように、二人とも天才音楽家であるのと同時に音楽を奏でられない境遇に置かれているにも関わらず、音楽に向き合うことを余儀なくさせる様になるという境遇において共通している。だが、この二人の大きな違いは「愛する人」の有無の相違で、クリスチャンの方は天涯孤独のという立場ではあって桜井大輔は奥さんはいたが、現実的には孤独である点でもシンクロニシティを感じる。

更に数多くの楽曲を生み出すもコケシ達にボツを食らってしまう大輔と音楽を作ってしまったばかりに何度も罰を食らってしまうクリスチャンとの相違が明らかである。

次節では『みぽりん』を比較してみよう。

 

2-3 Focus;みぽりん

松本大樹監督作品で最初に知ったのはちょうど去年の今頃、池袋シネマロマまで出向き、『スペシャルアクターズ』とともに2度ほど観に行ったことがすでに懐かしい『みぽりん』である。この辺りのレビューは去年の今頃、シネマロサに行った時にみっちりと過去記事にしておりこの辺りをご参照いただきたいのだが、ここでは『コケシ・セレナーデ』との比較というテーマで論じていきたい。

両作品は個人的にみぽりんは【混沌】、コケシは【洗練】と捉えていて、音楽アルバムで擬えるとすると、the beatlesのアルバムではコンセプチュアルながらも後半である種のカオス的な感覚をもたらす意味合いで『Sgt.peppers lonely club hearts band』であるとか『white album』が『みぽりん』で、割とすっきりと全面的なコンセプチュアリティを維持してて無駄ない構成になっていると思う『Rubbor soul』や『Abby road』は圧倒的に『コケシ・セレナーデ』だと思う。あと個人的には最もしっくり来てるのだが例えばコーネリアスの名盤に例えると『1st questionaward]      『69⚡︎96』だとすると今回の『コケシ・セレナーデ』は『ファンタズマ』ってぐらい真っ向勝負感を感じている。

*5

ちなみに私は音楽でも初期衝動任せの1stアルバムよりも、より焦点を絞った感のある2ndアルバムの方が圧倒的に好きで、『カメ止め』からの『スペシャルアクターズ』みたいに
「衝撃作以後に生み出される次の作品」ってその作られる過程までもドラマになってるようで惹かれてしまうんだな。

それはともかく、この「カオスティック的展開」と「真っ向勝負感」の相違が最も顕在化してるのがラストシーンである。

 

さて、以前『みぽりん』記事で触れたラストシーンを再度掲載する。

赤の部分は私の見解である。) 

nenometal.hatenablog.com

 

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

→ここ最近の自分の実力はさておいて、運営に注文をつけいかに口パクやルックスの表面面やキャラクターで自分を可愛く見せようとしがちなアイドル事情を示唆

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

→自分のスキャンダルがバレたときに内部告発したり、時に突如該当アイドルが丸坊主になったりと意外な形でレジスタンスに走りがちな最近のアイドル事情を示唆

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

内部告発後、原告サイドも被告サイドも自己保安の為に必死になり、事実をもみ消したりありもしない事実をでっちあげたり更に泥沼化していくアイドル事情を示唆

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

→スキャンダルや内部告発後、泥沼化していくアイドル事情に対して「〇〇ちゃんに限っては違う。」とひたすらサイリウム攻勢を続けなければならないファンの悲しさを示唆

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

→❶−❹のプロセスを経てこれまでみぽりんが理想として掲げてきたアイドル像の象徴がこの巨大幼虫である。ここからまさに古くから崇められてきたアイドルのような、美しき蝶のように舞っていくのか、様々な可能性を秘めている幼虫であるが、その後全ての人々が撤収し、木下里奈が現れ、アイドルと言う名の栄冠を奪回するよう決心する場面でのみぽりんは絶望し、巨大幼虫は全てのものをバッサリと断罪する刀へと変貌する。そして.... 

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

もはやこの場面は全てのみぽりん がアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊したことへの象徴である。アイドルは終わるのだ。いやもうとっくに終わっているのかもしれない。いっそそんな曖昧な状況ならみぽりん自身の青春の象徴でもあったアイドルを終わらせようではないか、と決心するのだ。青春ってのは終わるもんじゃない、終わらせるもんなんだって誰かも言ってたし。

「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」という言葉とともに。

 

 

凄い。今こうして見ても壮絶すぎるではないか(笑)

 

 

次に、『コケシ・セレナーデ』における感動のラストシーンを再度掲載してみよう。 

❶これまで購入してきた大量のコケシを「お客さん」として観客席に並べる。

→ここ最近ライブが殺されてしまったコロナ禍第1〜2波を経てようやくライブが日常に戻ってきた様子を示唆している。物言わぬコケシの表情が様々であることは今現在のライブハウス等での歓声を上げられない観客の様子を示唆しているようだ。

❷大輔もスーツを着てビシッとした格好でピアノに座る。

→妻の衝撃の事実ということから鑑みてこのスーツはある意味何かの決意表明なのかもしれない。これが新たな結婚相手を見つけるという妻への別れの意味なのか逆に妄想を続けるというセレモニーのようなニュアンスなのか。でも最後に彼は指輪をはめた事から考えて恐らく後者なのだろう。

❸萌々香も挨拶を経てマイク前に立ち、歌い始めるも号泣する。

→❶の事実を踏まえて、やはり人によっては一年近くぶりにライブで歌える状況において感極まって歌えない事になることもあるだろう。この場面はそうした歌い手の気持ちをそのままトレースすることができよう。

❹号泣の洪水を抑え、歌い始める。大輔も伴奏を彼女に合わせつつもピアノを奏でる。

→この辺りは純粋に音楽の奏でられる喜びとそれを聞くことのできる喜びとが交差する日常にライブが戻ってきた様子さながらである。観ながら音楽に純粋に耳を傾けた。

❺隣の奥さんが、警察官に愚痴る。そこで桜井家の夫婦事情を知っている警察は驚く。

→❶−❹のプロセスはライブハウスは敵であるというコロナ禍第三波になった今でも鳴り止まぬ風評被害風な象徴としての隣の苦情の奥さんだが、警察がなぜ驚いたのか次のコメントに電流が走った。

❻なんと奥さんである萌々香は亡くなっていたらしい!

あの部屋から聞こえてきたハイトーンな歌声は大輔の歌声へといつの間にか変化して行った。

ここでサーっっと血の気が引いた。びっくりした。驚いた。驚愕した。のけぞった。前作『みぽりん』ではアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊した点がミソだったのだが、本作ではこの話全体が既に破綻しまくっていたからである。今までの奥さんとのやりとり、コケシ大量購入の件、ジェットコースター映像大騒ぎからの苦情、霊媒師の出現、某が差し出したアベノマスク、霊媒師との大輔との接吻(笑)、もう何もかもが奥さんがいない状態で巻き起こってたのか、もうこれ大輔のサイコサスペンスであり、ホラーであり、愛憎劇であり、大輔と霊媒師のBLか(コラコラw)もう訳がわからなくなったのだ。恐るべきコケシ・セレナーデ、恐るべし松本大樹監督!!!!!

 

これはもう一回観なくては....そう思った兵庫県立美術館での初見からこの12月になって2回見ている。今現在、第三小節目。またまた観たくなってきている自分がいる。 

 

 

3 まとめ

  本ブログでは8月15日(土)記念すべき全世界初公開となる『コケシ・セレナーデ』関係者試写会を経て、あれから4ヶ月。神戸OSシネマズ神戸ハーバーランドでの12月10日から1週間の念願の劇場上映を経て3度の鑑賞を通じて『はるかのとびら』であるとか無伴奏ソナタ』との比較を通じてそのシンクロニシティを検証した。そして更に、松本大樹監督作品で『みぽりん』との比較を通じ主にラストシーンを比較検証を試みた。

ここで改めて思うのが、ようやく日常に映画は戻ってきたという事実である。

そう言えば2-2で比較した『無伴奏ソナタ』に関してふと付記すべき点がある。

というのも2017年6月にこれをサンケイホールブリーゼで観劇した時、ちょっとした奇跡が起こったのだ。

それはラストシーンで、腕も声も罰として奪われたクリスチャンは老いさらばえたものの、ようやく自由の身になるのだが、その時街のあちこちで自分の作ったオリジナル曲「シュガーの歌」が流れている事に気づく。「ああ、間違っていなかったのだ!私のやってきたことは!!」そう思った彼を取り囲むように舞台上にいる全ての登場人物が彼に拍手を送る場面がある。まぁそれだけでも感動の場面なのだが、意図せずに、観客席にいる我々からも物凄い拍手が起こったのだ。これは別に演出でも劇団からの指示でもない全くのアドリブ、しかも観客からのアドリブであり、喝采であり、最高のプレゼントだった。

舞台上にいる主演の俳優(多田直人)も涙を流していたのだが、あれはマジ泣きしてたことだろう。

....って何が言いたいのか。

実は密かに望んでいることがある。この『コケシ・セレナーデ』でも最後の曲のパフォーマンス場面で、大輔が歌い終え、ピアノを弾き終え、そして立ち上がり、一礼をしたあの瞬間に観客からいつか拍手が起こるのではないだろうか、という事である。

まさに

これは別に演出でも劇団からの指示でもない全くのアドリブ、しかも観客からのアドリブであり、喝采であり、最高のプレゼントとなるだろう。

もし、そうなったら最高ですよね、もうその瞬間を今から、期待してやまない。

それこそがきっと僕らが映画を愛することを卒業することのできない理由がある気がするのだ、という言葉で締め括って12000字を超えてしまった本記事を終えたいと思う。

f:id:NENOMETAL:20201217211620j:plain

 

 

 

 

*1:本論から外れるが特に衝撃だったのは映画『みぽりん』で小悪魔的地下アイドルを演じたmayuさんの「ダジャレで元気付ける」という衝撃的な発想とそのダジャレの絶望的なまでの響き。あ、これあえて書かないので未見の方は是非ご覧いただきたい。内容もとてもいい作品で、最初のギミックで、最後の最後でようやくぶっ飛んだファンタジーの世界って構造であり、このエンディングの持って行き方はまんま『みぽりん 』を彷彿とさせる。

*2:すすり泣きが聴こえる曲ってもしかしてマイケル・ジャクソン『Man in the Mirror』以来だったりして笑

*3:ジェットコースターのシーンで思ったが本作はimaxで観たら面白いだろうね(笑)

*4:無伴奏ソナタ』は実際原作ものでオリジナル脚本ではないのだがもう再再演もしておりもはやオリジナルの様な輝きを放っている。

*5:この辺りの議論は理解されてるとは到底思え難いがこだわりなので本文に載っけておく