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『#辻占恋慕』(大野大輔 監督)をオルタナティブ・パンキッシュ・フォーク映画として音楽的に分析する。(ネタバレあり)

『#辻占恋慕』(大野大輔 監督)をオルタナティブ・パンキッシュ・フォーク映画として音楽的に分析する。*1

TABLE of contents

1. ド直球にフォークだけどパンクな作品

2. ライブハウスのリアリティ

3. 「月見ゆべし」から写像されるSSWたち

CASE1; Cocco

CASE2;植田真梨恵

CASE3;マリアンヌ東雲(キノコホテル)

CASE4;ハルカトミユキ

CASE5;鈴木実貴子ズ

CASE6;月見ゆべし

4. オルタナティブ・パンクについて再考する

 

1.  ド直球にフォークだけどパンクな作品

今回のブログのテーマはこちらである。


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話の内容は、ある売れない女性SSWが主人公で以下のストーリーとなっている。

ロックデュオのボーカルの信太(大野大輔)は、ギターの直也にライブをすっぽかされてしまう。そこにシンガー・ソングライターの月見ゆべし(早織)が手を差し伸べる。売れないミュージシャン同士の二人は、同じ30歳ということもあって意気投合。信太はゆべしのマネージャーとなり、恋人同士となる。しかし、二人の間には徐々に方向性の違いが生まれ始める。

今時流行らない昭和風のフォークサウンドを主軸に、物販でもCDはおろかカセットテープでしか販売せず、チェキ販売や3枚買ってサイン付きなどのような音楽業界にありがちな販売形態に強い拒否反応を示す硬派フォークシンガー「月見ゆべし」とその同棲相手であり、元バンドマンでありマネージャー信太を中心とした恋愛要素は極力抑えた人間ドラマといった所である。

では主な登場人物をあげよう。*2

🎸月見ゆべし/富岡恵美( acted by. 早織)言わずと知れた主人公。硬派なフォークシンガーとしてのスタイルを貫き通す。ライブの後エゴサをして逐一チェックするなど意外と現代的な思考なのかも。*3

🎤信太(acted by. 大野大輔)

主人公。元・二人組ユニットのボーカルながらも実力不足で活動にピリオドを打ち、ゆべしのマネージャーとなる。神経質で細やかな性格かと思いきやラストシーンのあれは圧巻....。

🎙菊地あずき(acted by. 加藤玲奈)

おじ様に人気のアイドル系シンガーソングライター。めちゃくちゃ計算され尽くしてて客層に合わせてフェイスブック中心に更新し続けたりとしたたかだ。でもヴィラン的存在ではない。

🎹一里塚郷(acted by. 濱正悟)

ゆべしの音楽の編曲を担当することになった音楽プロデューサー。リプペクトやらサジェスチョンやら英語をやたら使うよくいるタイプの業界人かと思いきや、ある種この人が一番ヤバいかも。

👘西園寺琴美(acted by.川上なな実)

ゆべしと同じレコード会社に所属する演歌歌手。介護職員兼業して、訪問して歌を聞かせる場所もそういう系統の所ばかり。「出会ってもすぐにお別れだから。」って名言だと思う。

 このメンツに加えて、映像劇団テンアンツなどでお馴染みのあの激渋ベテラン俳優、堀田眞三もゆべしと西園寺琴美の世話をするレコード会社の社長(と言っても二人だけだけど)としていい味を出した演技をしている。ちなみにこの堀田社長、スタンガンをよく持ち歩いているのだが、これが最後にいい伏線になっているのだ。個人的に最初に彼が出てきて次に花見のシーンでは車椅子に乗っていたから多分亡くなる役だろうなと不謹慎な予測をしていたがそうはならなかった。てかこの物語自体そんなにヴィラン的な役の人は皆無である。

 そして、誰もがポスターのビジュアルイメージや予告編の印象から察するように拘りを捨て切れずに世間と折り合いのつかぬSSWとその恋人兼マネージャーを題材にした今作は、今泉力哉監督の『街の上で』や、松居大悟監督の『ちょっと思い出しただけ』などの過去のヒット作に相通ずる、日々、下北沢辺りを徘徊してお洒落なスープカレー屋などで食事して、古着屋巡りをした後にK`s cinema辺りで映画を観にいくようなおしゃれカップルや、ベレー帽かぶって当然丸眼鏡の自称映画マニアをも唸らせるスタイリッシュでよくできた『サブカル映画』だろうなと思ったものだ。

.....あの〜訂正いたします。

ここまで書いといてなんですが、ほぼ上記の作品群とは違いました!!!

以下3つの点で大ウソです(爆)  

❶詳しくは確かに上記の通り、終始穏やかなトーンが下地になっているんだけど、詳細は敢えて言わぬが、途中序盤から中盤ぐらいで物凄い展開がきて驚愕するシーンが極めて痛快だってのがある、という意味での1ウソ。

 

❷そして中盤から後半ぐらいだろうか更にすごいのがきてこりゃゲラゲラ笑うしかねえな只事じゃねえ展開がドーンと来る、という意味での2ウソ。

 

❸そしてラストシーン、もうこれがとある人物から放たれる行動や一つ一つのセリフやカメラ割だなんだが脳みそ掻き乱されるぐらいぶち壊されまくってアイデンティティを丸ごとブチのめされるほどの事態になる程の今までの展開は何だったんだこりゃ??!!ってくらい驚愕するエンディングがあるという意味での3ウソ。

てかウソばっかり言って申し訳ないが、ハッキリ言ってトーンは静かなんだけど、本質的にめちゃくちゃパンクな作品なのだ、まぁ流れてくる音楽は尽く直球勝負にフォークなんだけどってセリフがあってそれ自体矛盾してるんだけど、更にフォークな上にパンクって事は更に矛盾を重ねてって事になるんだけど、そこまでカオスな作品ではない。

これは本当に実際に観なければわからない境地である。


2. ライブハウスのリアリティ
私は今現在ここ数年で割と月に数回はライブハウスに足繁く通っているタイプのライブオタタイプのだからこそわかる状況というものがあるが、本作を観ててここで描かれているライブハウスの様子にはもはや「既視感」しかないのに驚く。
舞台挨拶でも言ってたけど監督さん相当ここ最近のコロナ禍前後関係なく、ライブハウスの事情をものすごく調査&研究してるよね。
 ここを具体的に自分お経験談も交え紹介すると、まさに本編に出てくるような、曲の始まる前に長々と人生論なんだか歌詞の一分か曲だか見分けのつかぬものを唱えて数分ぐらいしてやっと曲に入る叙情フォーク系シンガーや、やたらLIVE中に客に手をこっちに振れだの揺らせだのアイドル系のリアクションを要求する、ルックスと愛嬌だけは良いキラキラ系女子SSW、あとこれみよがしにマーチンの底の厚いブーツ履いて顔色悪そうなメイクしてる自称メンヘラ系女ボーカルバンド、そしてそして、フロアの5〜7割ぐらい(この辺りの割合は演者によって変動するが)を占めるのは見た感じ、到底音楽好きとは思えない(失礼!)どこかゴルフかパチンコの帰りにふと寄ってきた風情の恐らく演者(主に上記のキラキラ系女子SSW目当て)の「娘」どころか「孫」に当たるんじゃないかってくらいの年季の入ったオーディエンス。
 もうこれが私の記憶の一部をこの監督さんが持っていって切り取ったんじゃないかってくらいまざまざとリアルな光景がそこにあったのだ!!

ほんと終演後の物販のチェキの売り方とか「俺のこと認知してる?」と女性SSW言ってくる客がいたりたりとかもう先週行った名古屋の某ライブハウスの光景そのまんますぎて軽いデジャブ感に襲われたほど。
 まぁ、かくいう私も本編でゆべしのセリフとして出てくる基本的に全身黒づくめで(黒しか持ってないんだもん)、物販でやれサインに日付やアカウント名書いてくれだのお願いしたり、ライブ終演直後におけるSNSではやれ「このサウンドにおけるカタルシス」だ「この気迫の歌声がメジャーフィールドを予期させる」だのツイートを連発する、まさに本編で出てくる典型的なSSWオタ・音楽フリーク要素を具現化したクリーチャーなのだが(注;あ、でもSSWやライブパフォーマンスへの理不尽なダメ出しなどの類はしたことありませんし、チェキでハートマーク作ったりは一切致しません笑)だからこそ早織氏演じる「月見ゆべし」のリアリティには稲妻が頭に落ちるレベルでうち震えたのだ。

 では、次の章では私の頭の中で浮かんでくる月見ゆべしに類した数々の女性SSWを例示して以下の劇中歌『じゃがいも』との比較を試みようと思う。*4


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3. 「月見ゆべし」から写像されるSSWたち

ではここで、私独自のライブ鑑賞経験から、どこか月見ゆべしを彷彿させる女性SSWたちを紹介したい。ただ注意してほしいのは彼女らは音楽活動の基盤はしっかりしていて、本編におけるゆべしのようなどん底状態ではないことを付加しておくってか別にいう必要もないか。

CASE1;Cocco

第七藝術劇場でも元町映画館でも舞台挨拶での質問時「憧れているアーティストはいるか?」という質問に彼女はこう答えている。「Coccoさんがとても好きで...」と。この発言を聞いた時私は非常に驚いた。なぜなら偶然にして鑑賞中どこか、その彼女が憧れてるという沖縄出身の押しも押されもせぬロックアーティストであるCoccoの持つナイーブさと真の強さを併せ持つ感じをベースにしている時期的には『Raining』辺りの印象を受けたから。

*5


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CASE2;植田真梨恵

植田真梨恵の福岡久留米市から単身で16歳ぐらいから大阪に在住して音楽活動を続け、メジャーデビューを果たして今もなお活動する意志の強さは正に月見ゆべしと共有するものがあると思う。あとパッと見からそう思ったけどどこかゆべしのルックス的に植田真梨恵のような少年のような凛とした強さとアンニュイさを併せ持つ感じがどこかゆべしのルックスとシンクロする。更に、太陽のような明るいポップスを中心とする音楽性のように見えて、実は古き良き『勿忘(わすれな)』などの美しい日本語の響きも歌詞に多様させるスタイルが類似しているのかもしれない。*6


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CASE3;マリアンヌ東雲(キノコホテル)

言わずとしれた昭和歌謡とガレージロックを融合させたキノコホテルのリーダー(or 支配人)であるマリアンヌ東雲である。*7

月見ゆべしのどことなく低めの声で喋る所とか、ラジオDJにギターで殴りかかったりとか割とSっ気のある振る舞いだとかが類似している。あと自分の高い理想を維持する上でメンバーチェンジを繰り返すなど拘りを持ったりだとかプライドの高さだとか、気品も併せ持ってたりする点があくまでフォークというフォーマットにこだわる感じが類似していると思う。*8


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CASE4;ハルカトミユキ

次に月見ゆべしの音楽性に関してはこちら、二人組ユニットであるハルカトミユキがうまく付合するように思う。あと曲調に関しては本編では「山崎ハコを湯掻いたような」という極めて絶妙な比喩が用いられたが、個人的には湯掻いていない山崎ハコやあるいは初期の中島みゆきというよりは『アパート』であるとか『絶望ごっこ』だの『僕たちは』だの歌ってた初期のインディーズデビュー当時のハルカトミユキなども彷彿とさせたりする。曲調としては断然完全フォーク調の『アパート』なのだが、MVとしての雰囲気がなんとなく『Vanilla』に近い気がするので上げておこう。*9


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CASE5;鈴木実貴子ズ

最後に、月見ゆべしの「世間に媚びない姿勢」であるとか「あと自己を表現する上でのこだわり」であるとか音楽自体というよりは「音楽性に対する確固としたアティテュード」は本ブログでも幾度か登場してレギュラー化している鈴木実貴子ズがそれに近いと思う。この辺りの記述は以下の過去記事で散々論じているのでここで繰り返す必要はないが、バンドとしての鈴木実貴子ズというより鈴木実貴子ソロワークの原点に近く、それらは恐らくフォーク主体ということもあって彼女とゆべしとを重ねざるをえない。

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そう、以上の考察から「月見ゆべし」とは今まで私が見てきたSSWの要素を全部そこに総合化というか具現化した印象を受けるに値するものだと結論づけたい。*10


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CASE6;月見ゆべし


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では、CASE 1~CASE5を踏まえ、月見ゆべしの楽曲で劇中歌として使用されている『じゃがいも』を検証したい。この曲の出だしからのボーカルの声がCASE3においてマリアンヌ東雲特有の低めのボーカリゼーションを下地にしつつ、更にファルセット気味に高音域に行く感じがどこか、CASE4のハルカトミユキのボーカルスタイルを彷彿させる。そして、歌を歌う時の真っ過ぐな視線飲む気は紛れもなく植田真梨恵に似ているのだ。以下の歌詞を見よう。

小さな小さな私の世界

平らな土地がないくらいのジャガイモみたいな愛しい星は

凸凹私の心みたい...

辺りの歌詞に顕著なように、風景を自らの心象風景に重ね合わせる感じはそれこそ『Raining』辺りCoccoに重ね合わせることができる。そしてワンコーラス終わって2番における「小さな小さな私の世界.....」以降明らかに同じメロディーの繰り返しなのにも関わらず徐々に曲の熱量が上がっていくのだが、その感じは明らかにCASE5の鈴木実貴子ズの楽曲にあい通ずる特性である。

 ちなみに神戸元町映画館での舞台挨拶で聞いて驚愕したのだが、早織さんがギターを始めたのが「この話をいただいてから」だったというのに驚いた。2017〜2018ぐらいから数年でギターを弾け、更に私が観てきたSSWのプロトタイプのような雰囲気を纏えるようになってって事か!

付記;これは4回目の舞台挨拶後のトークで知ったのだが、この歌は元々ミュージシャンであったゆべしの母親のオリジナルソングという設定だったらしい。道理でどこかこの世ならざるというか、幻想的なメロディかと思ったな。

あとラストシーンでひとしきり信ちゃんマネージャーがステージでぶちまけた後トボトボと帰るゆべしの姿があるが、あの場面では彼女はギターをもっていないことに気づくだろうか。あれは一旦ミュージシャンとしての活動もリセットさせたことを示唆しているという。そうしてみると最後の『辻占恋慕』という曲調がこの幻想的な『じゃがいも』とは対照的にどこか息を吹き返したかのような瑞々しい生命力に満ちた曲だと思う。それはMVでCocoonを表す段ボールから抜け出てギターを弾く彼女の明るい表情からも明らかである。そうするとライブハウス時に激怒して出ていく観客たちに紛れて去っていく劇団で女優をやっている友人の顔にかすかな笑みが浮かんでいた理由もわかる。

これをひとえに女優魂というのか、それにしても凄すぎる事実だと思う。そしてこの日は一曲のみ、『辻占恋慕』を弾き語りで披露されたのだが演奏直前「私が歌うときは完全にゆべしになりきって歌います。」とおっしゃってたのが印象的だった。その前は映画本編に比べ髪も切ってらっしゃって月見ゆべしの姿はそこにはいなかったのだが、演奏中早織という女優でもなく或いは現在演じようとしている何かでもなく、完全にゆべしがそこにいたのだった。*11

4. オルタナティブ・パンクについて再考する
 で、これは2度観て気づいたのだが、別にSSWや音楽ライブが好きだからという理由だけで本作にハマった訳ではないのだという事。

これはネタバレになるが、マネージャーである信太が、月見ゆべしのワンマンライブに来たライブハウスに来た客に向かって以下のようにぶちまけるシーンがある。

「お前ら全員馬鹿野郎!!!!!、ラジオで紹介されたからってテメエの意思持たずに来やがって!!!!!お前らに聞かせる音楽はねえ!!!テメエらみっともねえな、誰かに見られて生きていくなんて思うよな、家でセンズリでもこいてろ、金なら返すよ、受け取れよ(とお金をばら撒いて)帰れ帰れ!!!!」

などと本音と暴言のかぎりをぶちまけるシーン*12があるのだが、そのシーンを見てもうめちゃくちゃもう感動したのだ。もう映画の枠組みを超えて、スクリーンをブチ抜いてくるその瞬間に震えるのだ。

撮影を止めなかったからこそ映画のプロトタイプを超えた奇跡を成し遂げた『カメラを止めるな!』や、逆に上映を止めたからこそあそこまでのドラマティックな展開と感動をもたらした『サマーフィルムにのって』が、そして芸術(アート)という自らのアイデンティティを守るためにむしろ何もかもぶち壊しにかかったクライマックスシーンが印象的だった能年玲奈ことのん監督の『RIBBON』がそうだったように...。

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あとは映画のみならず、演劇文脈でも同じことが言える。

去年11月末に上演された吉田彩花主催S-igen企画「悲劇のアルレッキーノ」での最後の長田茜の本音(というより作品自体のメッセージ)ぶちまけシーンを彷彿としたのだ。

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この辺りのぶちまけセリフ最高すぎるからもう一回本記事でも上げておきたい。

私だって楽になりたいよ、もう考えたくない、

疲れたって言いたい。

クソミソに悪態つきたい。

死にたいとか言いたい。

可哀想だね、頑張ってるね、凄いね、偉いね、そんな時頑張らなくて良いよ。

可愛いねえ、幸せにするよ。そこに生きてるだけで良いよ、とか言われたい。

............んな訳ねえじゃん。

ダッサーって。

私はね、そういう奴が嫌い。

幸せなんて自分で作れよ。

どいつもこいつも人任せにしてんじゃねえよ。

裏切られた?

あんたの理想押し付けただけだろうがよ。

大体人の幸せ望んでる奴なんて「幸せになりたい」なんて言わないんだよ。

幸せじゃない方わざわざ選んで悲劇のヒロイン気取ってんなよ、くだらない!!

向き合う事が怖い奴の戯れ言。

そんな奴一生脇役だよ。

その同類で固まってチヤホヤしてるの見ると反吐が出る。

でもそういう奴を羨ましく思ってる私みたいな奴が一番反吐が出るわ。
何この台詞、めっちゃリアル.....

これらの映画・演劇には全て「怒り」や「苦悩」が下地になっていると思うし、本作含め上記の作品はこれらのシーンありきというよりもはなっからこのシーンありきで、我々鑑賞者にシュートしようとしたのだと思う。

【このシーンを伝えたい事がある作品】って意外と出くわすことがないもんな、ほんと先にあげた作品とかが当てはまるだろうし「Cosmetic DNA」や「ベイビーわるきゅーれ」なども含まれることだろう。
だからこそ我々はそういう映画がもたらす奇跡に驚愕し、やがて共感するのだと思う。

そして言うなれば、90年代にBECKNirvanaといった海外のバンドやアーティストのアティテュードがこの令和の日本の映画というフィールドにて具現化される事に驚きと期待と喜びを隠せない。

という訳で、以後本作をオルタナティブ・パンキッシュ・フォーク映画』と呼称したい。

そして先の「アルレッキーノ」の記事にも共通するが、この作品におけるグランジ素性というよかオルタナティブ性について検証しようと思う。先の記事の引用である。

その証拠として90年代中期にカート・コバーンの死によってオルタナティヴは終焉をむかえたわけではなく、その後シーンの顔に躍り出た3組のバンドが挙げられよう。

Nine Inch Nails (ナイン・インチ・ネイルズ)

Beck (ベック)

Smashing Pumpkins (スマッシング・パンプキンズ)

上記全てのバンド、実は全てキーワードは悉く「自虐」なのだ。

NINのボーカルトレント・レズナーはヘヴィなギターと機械の音とノイズを駆使し更に泥まみれでパフォーマンスするわ、スマッシング・パンプキンズのボーカリストビリー・コーガンは自意識過剰であったり、ベックもベックで「俺は負け犬さ 殺っちまったらどうだ」などという身の蓋もない自虐的要素を歌詞として全面に押し出したりすることで内面的苦悩や怒りなどを体現している。

そう、オルタナティブ性の特徴って自己を客観視出来る自虐性にあると思うんだけど、本作には自虐があるのだろうか。正に本作でも先ほどのマネージャー・信太の客への大暴言シーンを振り返ると明らかに現在の音楽シーンへの皮肉と批判性と自虐が吐露されているのだと思う。

その証拠として、本作を鑑賞後だからこそ尚更思うのだがなぜ日本の音楽業界はインディーズ時代には「尖った音楽家」として受け入れられていたのにメジャーデビューした途端に可愛くダンスさせたり応援歌歌わせたりゴテゴテなj-POP色に塗りたくるんだろうというのは正直に思うし、先ほど3章であげたSSWたちもどこかそういうポップネスとオルタナティブとの壁にぶつかって常に戦っている印象を受けるのだ。現に信太自身「JPOPに毒されてる奴ら」を敵対視しているように思えるセリフがあったりするからだ。

そこで考える。なぜ尖った姿勢の音楽家はその尖った音楽性を原点としてそのまま成長する土壌が与えられないのか、なぜ海外の、ことアメリカやイギリスのアーティストやバンドのようにアナーキズムを持ち合わせたままマジョリティな存在になる事ができ、更にそれを必要としているファンダムも存在するはずなのにどうしてその辺の壁が閉ざされてしまうのだろうか、そこに疑問が浮かんでしょうがないものだ。

 例えば、Lady Gagaを例に挙げてみよう。彼女は一昨年のアカデミー賞受賞を経て、既存のコンセプチュアル方面から遠のいて、オーソドックスなシンガーソングライター路線に行くのかと勝手に思ってたニューアルバムのアートワークや最近行われたライブツアーの模様を見る限り原点回帰、というよりも『Born this way』をさらにアナーキズム全開で進化させた感じの路線に戻っているではないか。あとBeyonceもバキバキに攻めに攻めたアルバムをつい先週リリースしているし、海外のアーティストはいい意味でインディーズ精神がメジャーになっても生きていて、それを受け入れる土壌があるというのはとても羨ましい事だと思うのだ。

この辺りの論は更に突き詰めいずれの記事のテーマにしていきたい、てか『辻占恋慕』から脱線しまくってるじゃないか(笑)

 最後に、本作の流れという意味でもオルタナティブな音楽アルバムとの共通性について述べてこの10779字以上にも及んだ本ブログにピリオドを打ちたく思う。

 この映画を観てて想起せざるを得ない曲は3曲。

まずはMOGWAIというグラスゴー出身のバンドの『Come on Die Young』辺りの初期のサウンドを思い出した。最初に言った通り、物語自体は終始穏やかなトーンで曲を進めていくんだけど、時折思い出したかのように物凄い地響きのような轟音&爆音サウンドに進化してまた戻る感じが本作にはある。


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次にSonic Youthが1999年あたりにリリースした『NYC Ghosts&Flowers』に収録されている正に8分以上にも及ぶタイトル曲『NYC Ghosts&Flowers』だったりだとか、今やアイスランドを代表するオルタナティブバンドであるsigur rosが2002年辺りにリリースした『( )』というアルバムのやはり10分以上にも及ぶ壮大なラスト曲『#8』という無題の曲の流れを思い出したりして。
 とにもかくにも、一つの映画作品を観て、過去のスタンダードな映画作品を思い出して比較するのではなく、そのアティテュードを読み取って、音楽という別ジャンルのものと同一視してそこに共感することができるのは、つまりは映画というジャンルを超越した何か、なんだろうと思う。

そもそも【映画鑑賞】というより一つの音楽アルバムを聴いているようなグルーヴすら感じるのだ。
  というか、そもそも今の世の中で「映画」だの「音楽」だの「演劇」エンタメをジャンル分けする事自体がおかしいのかもしれないとは以前からずっと思っていることだけれど、正に本作品はそういう見方を促してくれるものだと断言して良い。

 

Appendix

3回目・4回目以降にツイートと所感

 

 

 

 

*1:本分析はFilmarksの本作に関する該当記事に加筆・修正を加えたものである。

filmarks.com

*2:オフィシャルHPは以下の通り。

tsujiurarenbo.com

*3:早織さん自体のTwitterアカウントは早織おぼえがきなるアカウントは存在している。月見ゆべしがSNSカウントを持つことは想像し難いが、鑑賞してこういう記事を書いた今、エゴサの為、情報提供のためにむしろこういう感じのアカウントを持ってそうな気がする。

*4:海外の70sのSSWであるキャロル・キングなどを感想にあげる人が多いが敢えてドメスティックな女性SSWにこだわります。

*5:CoccoのオフィシャルHPはこちら。

www.cocco.co.jp

*6:植田真梨恵のオフィシャルHPはこちら。

uedamarie.com

*7:ちなみに私が東雲を「ひがしぐも」と読んで恥をかかずに「しののめ」と読めるようになったのは彼女のおかげである、というどうでもいい情報。

*8:キノコホテルのオフィシャルHPはこちら。

www.kinocohotel.info

*9:ハルカトミユキのオフィシャルHPはこちら。

harukatomiyuki.bitfan.id

*10:鈴木実貴子ズのオフィシャルHPはこちら。

mikikotomikikotomikiko.jimdofree.com

*11:

*12:このくだり結構うろ覚えだが大体こういうこといてる、今度観たらメモして正確バージョンを記録しときたい。まだ2回目に行った第七藝術劇場では今日が終わりなんだけど、シアターセブンでまだ上映するみたいだし。