0.11/17/2019 尼崎TORA
「やめなくても良い音楽を探している。」
この日、そのフレイズを歌い出した瞬間に、まさにこの上でもないタイミングしかない、とでも言わんばかりに、絶妙に後ろのライトがビカっと光った瞬間に、もう全てのロックンロールであるとか、音の女神(muse)であるとか、音楽にまつわる全てが彼女に味方するのを感じた。
その鳴らされた曲のタイトルは『音楽やめたい』。
バンドマンとしてはやや、いや、かなり絶望的に虚しく響くそのタイトルだが、それとは裏腹にまさに全てが肯定性に導かれるようなこの光が幾分眩しく感じたのは、その光の強度に負けじと崖っぷちから這いつくばり、目の前の敵にでも立ち向かって食らいつくような必死の形相の、バンド・ボーカルである鈴木実貴子が、既存の音源の音量と熱量とを遥かに、パワフルに更新する激しいそのボーカリゼーションにうちのめされていたからってのもあるのだろう。
「わかった!もうこのライブは自分にとって最高の伝説であり、最強の思い出になる。」そう確信してからはこのライブを1秒たりとも見逃さず、ただこの音に打ちのめされ続けようと思いたった。
個人的に今まで何十アーティストものライブ、コンサートなどの類を経験してきたが、ここまで喜びと怒りと多少の感傷と強さと儚さが共存するライブはもうこれが初めてだったと断言しても良いというぐらいには感動した。
そう、この記録は日本のロック史の一部として残しておかねばならない、だからこそ今こうして筆をとっているのだ。
そして、これは「鈴木実貴子ズ」と言う日本屈指の最強のロックバンドへ捧げる、ある意味"音楽を決してやめない"二人への応援歌である。
1. 鈴木実貴子ズとは?
音楽を長年聴いているとその楽しみの一つに、新たなアーティストの素晴らしい音楽との出会いということがある。その意味で令和元年最大の出会いは今回の記事の主役、「鈴木実貴子ズ」である。
と言ってもギター・ボーカル担当の鈴木実貴子氏と、ドラム担当のいさみ氏(別名;ズさん)のバンド編成と、鈴木実貴子名義でのソロの2バージョンとで、それぞれ3枚ずつアルバムをリリースしており、もはや立派な中堅とも言えるキャリアのある人たちではあるが、この期に及んでに来て遅まきながらも、満を辞して、というか、会うべくしてようやく出会えた、と言った所なのだ。*1
で、そのきっかけは何かと言うと、話は単純で、今年の夏北海道で開催されたライジング・サンロックフェスの台風による初日開催中止と言った無情な現実を突きつけられた後の彼女らのリアクションにもう素直に感動したから、である。「別に北海道に観光に来たんじゃない。私達はライブをしに来たのだ!」そう思い立って当日急遽ワンマンライブを開催してくれるライブハウスを呼びかけて、とうとうその日(ライジング会場とは規模が違う事であろうが)2度ものライブアクトをソールドアウトでやってのけたと言うあのニュースだ。
もうこれって、元ロキノン信者である私からすればもう字面だけでもご飯おかわり3杯ぐらいいけそうな素晴らしいロックアティテュードではあるまいか!*2
そうなると次の展開としてはどんな曲を演奏するバンドなんだろう、聴いてみよう、と思いますわね、で早速観ましたよ、『音楽やめたい』のMVを。
ハイ、もうなんの欠損もなく素晴らしいロックバンド、もうこれは間違いはございませんでした!!!!、どハマり決定!!!!
このMVの中で、
【ステージを組み立ててある金具に怪我をしないようにガムテープを貼ってある事とか全てが行き届いている、そんな空間で歌える事をとても有り難く思ってます】
と言った後、彼女は本編ラスト曲であろう本曲の演奏をロックの衝動のあらんかぎりの全ての魂を演奏にぶち込んだのだ。もうこれは個人的にドンピシャなパフォーマンスだった!!!!!その時、私の目からは感情の洪水が溢れ出てたんだ(←泣いたってハッキリ言いなさいw)、しかしもうこれってハマらない理由がびた一文たりともなく、このアーティストの全音源を聴き漁り、そして行けるライブには全て行こう、とを決意したまでである。
2. Scene1-明石に響く咆哮
そう思い立って早速ライブ日程を調べてみると直近かつ自宅付近では9/08(日)に行われた、兵庫西明石barTRASH2nd明石でのイベントでの出演があるではないか!!!
この日実は九州の実家から帰るのに新神戸で降りる予定だったのだが、敢えて西明石で途中下車し、ライブハウス近くのホテルに宿泊予約すると言うかなり万全な体制で臨んだ。
18:30ぐらいから始まったこのイベント、今回はソロでのアクトで、順番としてはほぼラスト出演の20:20からのスタートだった。で、これまで他の人のアクトの時に真ん前ちょこんと体育座りみたいな体制でじっくり観ている実貴子氏は目撃していたが、人前の出てきたのを観たのは個人的に初めて。
MVやライブ動画認識してたけど、いや、小柄な方だとは思ってたどもう思った以上に小柄で華奢な方なのね、これであのパワフルな声が出るもんなんだ!!とか思ってたらとうとうリハーサルの声出しを始めた。
もう、完璧だった!!!!ただただ「おおおおーーーー!!!」と声を上げるだけの数十秒、これだけでこの人の実力がわかった。もうそこに歌とか曲とか歌詞とかのないただただ咆哮があったわけだが、もうそう言う楽曲になければならぬそれらなど、心底どうでも良いとすら思わせる「感情と魂のマグマ」が冴え渡ったのだ!その間わずか0.001秒!彼女が第一声を発したこの0.01秒で、一気に何かが目覚め、この瞬間にこのライブ物凄い事になると確信した。
その後の当時のツイートの異常なまでの熱さがそれを物語っている。
で、ライブ本編がこちら。もうこの日の全パフォーマンスの凄みは、あーだこーだ言うより、私ネノメタル が撮影したこちらを観て貰えば一目瞭然である。
鈴木実貴子(鈴木実貴子ズ)ソロ@西明石barTRASH2nd 9/8
彼女の後ろにいる「ボブ・マーリー、シド・ビシャスのポスターを背後に演奏するのはプレッシャーがかかる。」と冗談まじりに言った後に、一曲目、『限りない闇』の第一声のある種の闘争宣言のような含みのある咆哮にやられ、二曲目の「夏をくりかえす」における夏のあの果てしなく続くうだるような暑さにを称える咆哮にやられ、三曲目『明日こそ』における現状の絶望から何とか希望を見出し咆哮するその姿にやられ、四曲目の世の中の様々な矛盾に抗いながらも自己懺悔に苦しみ咆哮する姿にやられ、五曲目の『朝が来る』で、「海の家の朝」と言うイメージの曲の割には残酷な世界を描き切って咆哮する姿にやられ、六曲目『ポカリ』の「僕は君を守らない」と歌いながらもどこか最後に一筋の光明がさすフレーズ「君以外じゃ守れない」と言う言葉を咆哮するその姿にやられた。まぁここでのGrand Conclusionとしては、とにかく「咆哮」にやられたってことだ!
その後、物販にて実際にお二人に話す機会に恵まれたのだが、これが驚くほど気さくな人達だった。ちなみに実貴子氏のライブスタイルは、通常のMCとは別に演奏曲に繋げるややシリアスかつリリカルな攻撃的なMCの後に、曲を始めるスタイルなのだが、そのMCの表情が驚く程シリアスだったので、余り物販では話さないタイプなのかな、とか勝手に思ってたのでこりゃ、ほんと意外だった。二人とも(語弊はあるかもしれんが)最高のアスリートのような良い笑顔でこちらの質問や意見などに返事を返してくれる。*3
あ、そういや、ラスト曲『ポカリ』の前に自分に言い聞かせるようにこんなことを言っていたな。
「正直、物販のCDは買って欲しいです。明日新幹線で帰りたいと言う思いがあります。でも皆さんには、そんなことは関係ない。いいライブをすれば、 CDは売れる。」と。
...............そりゃここまで素晴らしいライブ、そりゃ全部買うに決まってるじゃないか!!
てかもう人生初じゃなかろうか、物販にある全てのディスクを制覇したのは。
因みにズさんもその時「えっ?えっ???全部買ってくださるんですか???」って驚いていた(笑)。*4
で、お二人には夏のライジングサンロックフェスの初日開催中止と言った現実を突きつけられた後の二人のリアクションに素直に感動したと言う二人の音楽に初めて触れたキッカケの件を無事に伝え、会場を後にしたのだった。
3. 鈴木実貴子ズの「あるべき場所」とは?
さて、ライブは終わり、一気に鈴木実貴子ズのディスコグラフィーがソロ、バンドもろとも加わった。もちろん、全てのディスクを拝聴したが、もうかけねなく全アルバムの全ての曲が最高で、もう一気に私の中で第一次文献アーティストへと昇格したのは言うまでもない。
翌日、9/9に帰宅して、全盤をiTunesに取り込んで、聴いた直後に鈴木実貴子ズサウンドのその時の印象では【初期きのこ帝国に顕著だったどこか生活感溢れる歌詞と、かつての橘いずみ(現:榊いずみ)にあった自虐込みの感情のぶちまけ具合が混在した感じ。あと、ハルカトミユキがバンド編成のLIVEで見せるロック衝動を鳴らすなどの要素も十二分にあった】と言うことだ。
でも注意して頂きたいのは、それらを総合化して足算の結果生まれたアマルガンでは決してなく、それぞれの要素のコアな要素だけを研ぎ澄ましたかたちで外連味なく抽出されたものであると言う事が大きな違いである。つまりそのどのアーティストにもない【怒りとブルーズの音塊』がこの中に潜んでいるのである。
ほんと、ここ最近特に昨年あたりから色んなアーティストのライブに行ってるけど決して無節操に増やしてる訳ではない。一度圧倒的な音に出会うとライブに行く価値のないSSWも同時に現れる訳で、その意味で鈴木実貴子ズを知ったのはデカかった。僅か30分のライブでライブレパートリーと定義していたアーティストが、彼女らの出現のために何人ものアーティストの存在意義が抹消されてしまった。もう、彼(女)のライブに行く事は無い。だって鈴木実貴子ズを超える存在では無い限りはこれらを聴く価値は全く無いからだ、要するに私のハードルを上げまくったんだね、彼女らは。
いや、それにしてもなぜ私は鈴木実貴子ズになぜ今の今まで気付けなかったのだろう。自責の念ばかりか、その存在に無頓着な世間の鈍感さにも疑問を隠せないのだ。
この悔し涙に溢れた絶望と怒りのブルーズを生き様と言う名の勲章にまで昇華したロックって僕らがここ10年以上ずっと求めてきたほんまもんのロックンロールのあるべき姿である。
そう、あるべき姿、といえば.....
かつて自らの頭にライフル銃をぶっ放したグランジ・アーティスト、ニルヴァーナのボーカル、カート・コバーンも1994年に非業の死を遂げ、また国内でも偶然にも銃(gun)の名の付くガレージ・ロック・サイコビリー・パンクバンド(ややこしいわw、もうミッシェル・ガン・エレファントでいいだろw)も2003年に解散して以来、本当に怒りの術を忘れてしまっていたようだ。
今の世の中、音も歌詞も(スカではなく)文字通りスカスカの口先だけのロック・バンドや、いい歳こいて社会人としてロクなことも喋れもしない厨二病お年寄りロックバンドや、繊細さを売りにしたはいいが単なるTwitterかどっかで拾っただけのメンヘラな歌詞をなぞっただけの自称生き様シンガー・ソングライターや、客をモッシュ風情の全体運動をさせて「ハイハイ、皆んなお上手〜」とかバカ学生のコンパ程度の芸当しかできぬパリピ御用達バンドや、声すらマイクに通して歌うことすらできぬ口パクだけで何の主張もヴィジョンもないコンサバティブなアイドル紛いの自称アーティストなどが蔓延し、日本の音楽業界は90年代のJ-POPS全盛期の頃に比べて(とは言ってもあの頃も別に立派だったわけじゃないが)ますます酷いことになっているではないか。
そうだ、それにしても2000年代に入ってから特に僕らはろくな音楽を聴いていないのだ、いってしまえばこの20年は騙され続けていたもう「失われた20年」と呼称しても良いようなものではないだろうか。
そう、キャバクラと化したライブハウスも繊細自慢のSSW達も全て僕らの敵だったはず。
だから今「ヤッちゃった」も「殺っちゃった」も同時に歌詞に盛り込んだこの生(or性)も死も綯い交ぜに全てを掻き鳴らす、鈴木実貴子ズの歌を聴き、そしてヤケクソの涙を流すのだ。
さてさて、相変わらずの長さになってしまったが、ここらで一区切り、「鈴木実貴子ズは世界最高のロックンロールをかき鳴らすのか?」当記事はタイトルに前編とあるようにまだまだ続いていく事にしよう。
次回、後編においては初の二人編成ライブとなった11/17/2019 尼崎TORAでのアクトに重点を置いてさらに検証していきたいと考えている。