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時代を投射する鑑となれ、令和四年の夏を象徴する超弩級の傑作『#ビリーバーズ』ネタバレ爆裂レビュー(^_^)

時代を投射する鑑となれ、令和四年の夏を象徴する超弩級の傑作『#ビリーバーズ』ネタバレ爆裂レビュー*1

時代を投射する鑑となれ、令和四年の夏を象徴する超弩級の傑作『#ビリーバーズ』ネタバレ爆裂レビュー

Table of contents

1.スターピースとは?(^_^)

2.センセーショナリズムを超えて(^_^)(^_^)

3.映画作品としてのリアリティフィルター(^_^)(^_^)(^_^)

4. 劇伴・主題歌について考察する(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)

付記;リピートの果ての光景(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)

 

1.マスターピースとは?(^_^)
唐突だが「傑作(マスターピース)」の定義とは一体なんだろう?

大衆の心を撃ち抜く作品だというマジョリティな作品だという意見もあれば、逆にポピュラリティに惑わされずに、ニッチなファン層にも支持される定番作だという意見もあるだろう。

でも、私個人的に用意している答えは、常々「時代を投影する鑑(かがみ)」とならなければならないものだという理想の高さも必要だと思っている。
 具体的には、あの2018年、是枝裕和監督の万引き家族が公開する直前ぐらいの出来事。あの作品の公開を狙い定めたかのように登場人物と全く同い年の女児の虐待事件が起こったりと、傑作であるほど時代の空気を必然的に投射する映画は多いが正にああいう感じ。他にも、新海誠監督の『天気の子』も然り。あの作品における大雨が全世界をお覆い尽くし不要不急の外出が憚れる様子って紛れもなくコロナ禍を予見しているようにも思えるし、他にも岩井俊二監督『チィファの手紙』『ラストレター』にまるでコロナ禍を予見していたかのように疫病を患った女の子がマスクを取って初めてその子の素顔を知って一目惚れする、みたいなシーンがあったでは無いか。あれはまだ今考えるとコロナのコの字もなかった2019年の出来事である事にも驚きを隠せない。あとは、他にも岩井俊二監督作品文脈で言えば『リリイシュシュのすべて』でも今や廃れ切った掲示板の描写がまんまTwitterにおけるタイムラインにトレースできるという意味でも何気に時代にっ寄り添っているのが凄い。

❶『万引き家族』予告編


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❷『天気の子』予告編


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❸『ラストレター』予告編


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(映画『ラストレター』より)

❹『リリイシュシュのすべて』予告編


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そして、ここ最近、ある事件とカルト宗教の洗脳問題が取り沙汰されているが、そこに照準を合わせるかのようなこの公開のタイミングに前述した作品群同様の時代とのシンクロぶりに偶発的事象以前にカルマめいたものを感じざるを得ない爆弾のような作品が振って落とされたのだ

それが今回のブログのテーマ、山本直樹原作、城定秀夫監督作品の

『ビリーバーズ』である。

 

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2.センセーショナリズムを超えて(^_^)(^_^)

映画『ビリーバーズ』あらすじ*2

カルト宗教、ニコニコセンターの信者3人の男女がある孤島で共同生活を送っていた。

男の一人は「オペレーター」(磯村勇斗)、もう一人は「議長」、女は「副議長」と互いに呼び合い、同じデザインのTシャツを着ている。ニコニコ人生センターという宗教的な団体に所属する彼らは、「孤島のプログラム」と呼ばれる無人島での共同生活を送りながら、安住の地へ旅立つためにさまざまな日課をこなしていた。

(^_^)オペレーター( acted by 磯村勇斗)

オペレーター:本名、丑山(うしやま)。『孤島のプログラム』における『第一本部』との通信担当。禁欲の修行生活で、遵守し続けたがふとした事がきっかけで....

(^_^)副議長(acted by 北村優衣)

本名は菱子(ひしこ)。暴力夫から逃げ落ち、『孤島のプログラム』に参加する唯一の女性。修行に没頭する生真面目かつナイーブな一面があるが、どこか天然っぽい一面もある。

 

(^_^)議長(acted by 宇野祥平)

『孤島のプログラム』の責任者。のち、要注意人物として『副議長』に解任される。禁欲まみれの修行生活だが、どこか煩悩を覗かせる一面も...。

ストーリーの内容はほぼほぼ原作通りで3人のあるカルト宗教、ニコニコ生活センターに所属して、完全に頭がやられた議長・副議長・オペレーターなどと本名ではなくホーリーネーム的、役割的な(?)分担名で呼称し合う3人の男女(磯村勇斗、北村優衣、宇野祥平)が世俗から断ち切られた禁欲生活を余儀なくされる無人島での修行生活をする最中、日々の“夢の内容を報告し合う事で修行に磨きをかける日々、ふとある事がキッカケで外れてしまったタガがキッカケでそこから堰を切ったように3人の人間関係に歪みが生まれ、我慢の極限にまで達していたフラストレーションが爆発して破滅の末の崩壊の過程へと導かれていく様がこれでもかと容赦なく描かれている。本作を彩るものは
「カルト」「宗教」「信仰心」「洗脳」「解脱」「煩悩」「食欲」「性欲」「性衝動」「嫉妬」「軋轢」「暴力」「殺害」「聖地」「涅槃」「死」
ーなどなど本編を覆い尽くす要素は悉く生々しくドロドロしそうなものばかりである.....にも関わらずである。なんなんだこの鑑賞後のこのなんとも言えぬセンチメンタリズムとある種のスカッとした高揚感で胸が一杯になってエンドロールを迎えてしまうこのcontradiction(矛盾)よ。

ああ、そうか!思い出した。

この感触は紛れもなく城定秀夫監督作品のあの空気感に他ならないではないか。

2020年、一昨年のコロナ禍初期のあの夏を思い出した。というのも城定監督の(全く趣きが異なるように思える青春高校野球群像劇)「アルプススタンドのはしの方」を鑑賞後のエンドロールを迎えたときのあのセンチメンタル込みのスカッとした感覚と全く同じだったからである。

nenometal.hatenablog.com*3

城定監督関連作では当然というか要素としてR15指定などが入ってエロティックな描写などがあったりするが、正直『愛なのに』『猫は逃げた』ではその要素がどこかなくても良いとは言わないが少しストーリーに対する集中力から気を逸らさせてしまうように思えて仕方なかった。特に『愛なのに』の方は、あの今泉力哉監督特有の「古本屋」という半ばインテリ入ったサブカル領域の空間から、突如生々しいラブホでの性行為の描写とのギャップに少なからず違和感を覚えたし、『猫は逃げた』に至ってはあの種のラブシーン一才抜きでも、会話群像劇だけでも十分、いやむしろ下北「劇」小劇場あたりであのメンツで演劇など上演したらもっと楽しめるのでは、と思ったほど。まあ実現の可能性はともかくとして。

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そこへいくと、今回の『ビリーバーズ』ではその濡れ場というものに余剰どころかむしろ必然性を感じてしまう。というのもやはりこの話は「カルト宗教」が舞台だからというのが大きい。正に本編でもあるようにカルト宗教の下地にあるのは洗脳という概念があってそれに至るための仲間同士の結束、そして修行やお布施という行為へと行き着いていて、その裏には必ずといって良いほど煩悩との訣別という概念が背後にあるではないか。

現にセックスと教団の教えなどとを結びつけたものは多いし、ってか昔世を騒がせた某鳥の名前の教団の愛人作りまくってたあの教祖なぞ鑑みてもそれが全てのような気もするぞ。

それにしても、先で述べたように、この種の作品を見た後の「コンテンツテーマのヘヴィさをひきづらなくて、いやむしろサッパリする感じ。」がする理由はなんだろう?

これはきっと、城定監督特有の持ち味というか、カルト宗教を土台にしようが、過激な濡れ場がトドメのように多発しようが、応援する対象が甲子園という舞台でバットを振って直向きに頑張る爽やかな球児ではなく「修行」と称して副議長の全裸フェラチオというむしろ相手のバットを咥えて耐え抜く信者仲間に対しての声援であったり....とその趣きは大きく異なるものの、パッと開けたエンターテイメントとして軸がしっかり成立してそれをストレートに受け取れる感じってのがあってそれは城定英夫という表現者の核なのかもしれないのかもとか思ったりしている。

 

3.映画作品としてのリアリティ・フィルター(^_^)(^_^)(^_^)

 ....にしても、である。3人のメインキャストの演技が凄すぎて本当に彼らは洗脳されてるんじゃないかと思ったほどである。特に副議長が淫夢を見てしまっただかなんかで、残りのの二人が「修行が足りない!!!!なんで今まで隠してたんだ!!!!!!!!」などと喚き散らして責めたてる場面など*4、鬼気迫るほどのど迫力であった。いや、ホントのカルト宗教でああいう事よくあったりしてそうだもんなって思うぐらいのリアルさ。

人はとくよく体を張った演技とか迫真の演技力とか言われるが多分彼らは撮影していく中で原作漫画の登場人物が取り憑いてしまっていたのだと思う。
 ほんとに3人ともメイキングや舞台挨拶やインタビューの写真を見てもとても丁寧で物静かな印象すら受けるくらいで表情や仕草がまるで違うのに驚く。

以下の舞台挨拶時の動画にてご確認いただきたい。


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 特に、メインキャスト中唯一の女性信者である副議長役ってか、ヒロイン役を演じた北村優衣氏の役者根性ってか身体を張った迫真の演技には圧倒されたものだ。
彼女のどこか宗教に簡単に洗脳されやすいナイーブさや人間としての弱さや緩さを持ち合わせといて「私(服を)脱いじゃいました^_^」みたいに素っ裸になってぶっちゃける天真爛漫さも共存してるキャラクターってのも世界中どこ探してももうこの人しかいないんじゃないかってくらい適役である。あともう言えばキリがないが宇野祥平氏の演技なども熱弁余って唾液が髭にかかるあの感じや執拗に相手を追い込む様子からもうリアル過ぎて迫真すぎてヤバすぎるし、主人公の磯村勇斗の、副議長が時に見せる「女性」としての仕草や表情に、押さえ込んでいた性欲が堰を切ったように大爆発するまでのハッとしたあのクールに抑えたあの表情も逆にリアルである。

まとめていうと、メインキャスト皆どこか感情移入ポイントを持ち合わせていて魅力的なんだな、本作はキャラクターの照準に合わせて観れる極めてリピータブルな作風だと思う。

もうこれは私がここで断定せずとも誰もが思っている事だろうだが、多分この彼ら3人(磯村さんはもう既に売れっ子の域にある人なのかな?彼のファンであろう女性ファンも多いし)は今後はこれを機にもっともっとメジャーストリームに躍り出る存在となるだろう。

そう、城定監督文脈で言えば『アルプススタンドのはしの方』の主演小野莉奈が今や大河に出演するまでの売れっ子女優になったように。

それはそうとこうした映画としてのリアリティを考えたときに思い出すことがある。2020年の9月13日、それこそ『アルプススタンドのはしの方』シアターセブンでのリモート舞台挨拶にて監督は鑑賞者からの「なぜ真夏の話なのに全員そんなに汗だくじゃないのか?」みたいな質問があって城定監督は【夏の球場での熱さのリアリティを追求すると全員が汗びっしょり状態になってしまう。そこは映画として成立するリアリティを優先した。】と答えられてたのは大いに納得がいったものだ。これ通常の40度近い暑さだと、宮下さんが貧血になって倒れた瞬間のあの一筋の汗の意義が成立しなくなるものね。

これがドラマや映画に対峙する際に用意すべき「リアリティ・フィルター」というべきか。そう考えると本作でも何日も風呂に入っていないであろう信者3人は特に副議長のばっちり綺麗にメイク施したような顔だとか、後裸体の異常なまでの美しさもリアリティに欠けまくっているだろうし、オペレーターの欲望に耐え抜く表情もちょっと冷静すぎるではないかとも思ったりしないでもないが、あの場面では全てが普通のリアリティではなく、映画における「リアリティフィルター」をかければ全て合点がいく。

やはりそこではいくら原作を忠実に再現した作風であっても原作とは違う映画としてのオリジナリティが保たれているのだと思う

そういえば、更に思い出す作品がある。

 ズバリ、2018年ごろだろうか、行定勲監督による岡崎京子氏の漫画を実写映画化した2018年の傑作リバーズ・エッジである。どちらも90sから語り継がれている漫画実写という高いハードルを超えて生まれたものだが、前者はあの淀み切った川、草陰の宝物のあのグロさ、若草さんのしかめ泣きっ面、吉川さんの名セリフのザマアミロ感、山田くんの相手する親父の腹のでっぷり具合からあのエロもこのグロも、まさに考古学者が埋葬されたミイラを発掘して分析するかの如く細部に至るまで忠実に再現されていた


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それに対し『ビリーバーズ』にはそのような原作完全再現作にとどまらず監督の原作への思い入れや拘りが色濃く感じられたように感じた。もう一つの大きな見どころはラスト付近のシーンで、この孤島での結局は実験データと化していたこの3人以外に、ニコニコ生活センターの教祖様(原作者の山本直樹氏だったりする)ともども厳選されたとは言え、物凄い人数の信者が押し寄せてきて、安住の地へ向かう過程の中で、一時的に孤島での共同生活をスタートさせる、という展開になるのだ。

とは言え「孤島での生活」と言うのは表向きの企画で、実はこの宗教自体存続に危機に瀕していてカツカツ状態ゆえに、この島での集団自殺を行うのというのが実情らしいのだ。

そこで、何となくその情報を察したオペレーターが突如反逆を始め、そこからの銃弾戦へと雪崩れこむ。
で、問題はその後。
 結局は教祖様もろとも、あの副議長も撃たれて死んでしまうような描写があるのだが、本当に彼女は死んでしまったのだろうか?それともまだ生きているのだろうか?と疑問視せざるを得ない不思議なシーンがあるのだ。
オペレーターはその後逮捕されて独房にいる場面と彼女がボートを漕いでいる場面が交互に何度も挿入されるのだ。
 容易に推測するにこのボートのシーンは既に三途の川に渡ってしまった副議長がオペレーターと再会しにきたのかとも思ったり、単なる夢オチなのかもと思ったり....でもそもそも夢オチだとすると教祖様が孤島に乗り込んだ後の銃弾戦辺りから例の強制終了の描写もあったりして、どこからどこまでは非現実なのか曖昧な面もあり、めちゃくちゃ混乱してしまうのだ。

更に、である。 その中盤あたりのシーンで議長は副議長から「ポプラン(☜それは違う映画だろw)」を噛みちぎられ死んでしまった、と思っていたのに、実は生きててクーデターを起こしてたりするシーンなどもあって現実と非現実の狭間がよくわからないのだ。
あのシーン観てふわっと『ブラックスワン』のラストシーンにも似たサイケデリック感だと思った。

*5
まだ現時点で本作は一度しか観ていないのでこの辺りもう一度確認してみたいな。
*6

まとめると、とかくカルト宗教だ、洗脳だ、濡れ場だのセンセーショナルな側面が取り上げられがちだな本作だけど、【原作愛と映画作品としてのリアリティとプライドを突き詰めた令和四年の夏を象徴する傑作】だと断言して本レビューを締めくくりたい。

 

4.劇伴・音楽について考察する(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)
 あ、そうそう最後に劇伴と主題歌について触れよう。邦画にしては珍しく不穏な音像で信者たちの心の揺れを描いたり、時に駆り立てたり、にも関わらず映画本編の画を邪魔しない絶妙な劇伴がひたすらカッコ良い。と言うのも以前からの城定秀夫監督のファンでもあると言う音楽家サニーデイ・サービス曽我部恵一が担当しているからだろう。

全曲BELIEVERS1から曲順通り『BELIEVERS1~26』と付されたタイトルのインスト曲の中で、『BELIEVERS2』『BELIEVERS3』と付された曲は、各々初期のBoards of Cabadaかエイフェックス・ツインのようなアンビエント風のものもあったり、アイスランドオルタナティブのような曲もあったり、『BELIEVERS10』のようにジャズ・インプロビゼーションのような曲だったりとソロ・バンド含めあれだけの膨大なディスコグラフィーを誇る曽我部氏であってもここにある音像には驚くほど既視感はなくて、まるで「新境地感」すら漂うほどである。現に私は彼の音源もコンプリートしてて、ライブに10回ほど足を運んでいるので過去の音像のバリエーションは認知しているつもりである。


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そして唯一の歌もののタイトル曲は『僕らの歌』という曲である。


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この、エンドロールの主題歌『ぼくらの歌』では彼のソロのみならず、バンドなどのキャリア問わず持ち味である『Sometime in Tokyo City』などの日常を普遍性へと浮かび上がらせる系譜のextravertな楽曲群とは違って、どちらかと言えばintrospective(内省的)な曽我部恵一BAND「月夜のメロディ」辺りに近い感じがする。

さらにザラついた感じのボーカリゼーションとを披露することで本作の騒ついた混沌の世界から垣間見えるピュアネスが浮かび上がる本作と完全に付合している、というかこの3曲ってどこか曽我部恵一ディスコグラフィーの中でも表裏一体感あるよねとか思ったりしているがどうだろうか。

にしても兎にも角にも映画本編とのこの相性の良さは曽我部恵一にしかなし得ない奇跡のコラボだと断定して良い。本曲を聴いて分かる通り彼の必殺技であるメロディアスな展開の中で。本編で盛んに繰り返されるニコニコセンターの会歌「みんなの歌」のフレーズ「みんなみんなみんなみんなのために頑張りましょう」というフレーズが何気なく、あくまでシニカルなニュアンスながらも自然に挿入されてる所などとても研究され尽くしてるなあと感心してしまった。


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付記;リピートの果ての光景(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)(^_^)

ここ最近9月で閉館の噂ってか公式アナウンスのあったテアトル梅田にて、二回目を鑑賞した。もはや2回目となると様々なシーンのインパクトにはもう免疫があるのでメインキャスト3人の心象風景にクローズアップして鑑賞する事ができた。

中でも副議長(北村優衣)は、最初のDV夫、第三本部長、そして最終的には先生と呼称する教祖様と、人に何度も何度も裏切られ、それでも信じ続けようとする性格だからこそオペレーターにどこか寄りかかるような共感しているような、人懐っこいような表情を浮かべるのだろうなと思ったりしし、そして今回それをとてもヒリヒリと狂おしく感じた。

そして今回更に思ったのは北村優衣という役者は『ビリーバーズ』で際どいシーン連発なのにちゃんと映画としてのリアリティを遵守した上でのエンターテイメントを意識したラブシーン(塗れ場)を展開している点である。個人的に「濡れ場」ってそんなに必要不可欠なものだと思わなくて、それらが多すぎるとどこかストーリー全体が入ってこない気がしていつもそんなに好きではないんんだが彼女に関しては特例中の特例。相当演技の下地のある人だろうな。

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そして今回それと同様に気になったのがあの一回目見た時めちゃくちゃストイックな修行一辺倒に見えたあの議長の俗っぷりな。結局最初から副議長に好意を寄せてて、オペレーターにどこかライバル心を燃やしてたんじゃないかって思ったな。現に二人が愛し合ってた場面に遭遇して「最悪の事態が起こった。」とか言ってたし、その前に嫉妬心剥き出しで双眼鏡でも覗き見してたしな。

その議長が最後の最後、役を降ろされ、開き直ったかのように「そんな事どうでも良いんです。」「僕と結婚しましょう!!!!」となどと暴露告白してたのもとても印象に残った。結局彼が欲しいのは信仰心でも日頃のトレーニングによる成果でも「夢の物語」の小説を仕上げる事でもなく【愛】なのだろう。

この映画はテーマやシーンインパクトが取り沙汰されるがその仮面を取っ払えば純粋なまでに真の意味での【ラブ・ストーリー】なんだと思う。

そして結局この展開は、ビリーバーズ の行き着く先となる

「【安住の地】とは何か?」と言う命題に繋がってくるように思う。

もうハッキリ言えば「安住の地」とはなくてあったとしても全くの「無」の世界、もっと言えば「死後の世界」ではないだろうか。

ニコニコ生活センターがあの島にて最終的に選んだ選択肢は【集団自殺】であったのもハッキリそれ、と示唆どころか明言してるようなもんだし、もうそれ以上もそれ以下もない「無」の世界。

そして昨日2度観てハッキリ分かったのは副議長はもう「みんなのために頑張りましょう」という遺言を残して「死んでしまった」という歴然とした事実だ。

そこで独房に入れられたオペレーターが瞑想して唯一逢いに行ける場所があの川辺に浮かんだボートの上なのだ。これは映画にもあるのだけれど、原作を読んでよりハッキリとわかったのだが、あのボートでのシーンは幻である事がわかる。というのもあの場面で副議長(というか菱子さん)は不意に裸になるのだ。その後、漫画の方はボートの上で性行為を行うのだが、それが現実性を超えたニュアンスで描かれているし、オペレーターは独房ではその夢の世界とは違う丸坊主のストイックな姿になっているのだ。この辺りは原作と映画との決定的な違いの一つとも言えそうで「あえて曖昧にしておく事によってどのように解釈するかは鑑賞者の自由」であるという、ここは映画版のオリジナリティへの拘りというか、城定監督の意向なのかもしれないとも思ったり。話は戻るが、ボートを漕ぎながら二人は「ニコニコ生活センターの信者として過ごしたあの頃」について語り合うのだ。海水と貝だけの塩味のうどん的パスタ....などなど過去のニコニコ生活センターでの孤島生活をひとしきり懐かしんだ後で最後の最後に副議長は以下のように問い、オペレーターはこう答えるのだ。

副議長「どこまでいくの?」

オペレーター「向こう岸までさ。」

その彼らの行き着く先にある向こう岸まで到着した後の光景、そこに彼らが求めたエルドラドとも言える【安住の地】がそにあるのではなかろうか?

という憶測にも似た妄想を最後に仄めかすことでこの10047字にも及んだ今回の記事に幕を閉じようと思う。

 

 

 

*1:本エッセイはFilmarksの本作に関する該当記事に加筆修正を加えたもの。

filmarks.com

*2:本作品は一部を除いて山本直樹氏による原作漫画『ビリーバーズ』1・2巻は割と忠実に再現されていると思う。よって映画鑑賞後に読んだほうが個人的にはおすすめしたい。

*3:この時も"超弩級"とタイトル打ってるのね、てか確信犯だけどw

*4:ほんとはあそこ男二人嫉妬か興奮してたんじゃないか説あり

*5:そう考えたら『ブラックスワンて作品は『ビリーバーズ』に近いのかもしれないな。とちょっと思った。


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*6:本記事仕上げて翌日7/20に2度目鑑賞したがこの辺りのシーンほんと深いと思う。