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「好き」に勝るものはない〜『#さかなのこ』( #のん 主演、#沖田修一 監督)ネタバレ爆裂レビュー

「好き」に勝るものはない〜『#さかなのこ』( #のん(能年玲奈) 主演、#沖田修一 監督)爆裂ネタバレレビュー

*1

1. OVERVIEW🐟

2.Two Aspects🐠🐡

3.Focus🐡🐠🐟

A.キャラクター・作品論

B.演劇論

4.MUSIC🐡🐠🐟🐙

1.OVERVIEW🐟

 本ブログ記事は、のん主演・沖田修一 監督による今年ナンバーワン傑作の呼び声の高い『さかなのこ』を2度に渡って鑑賞した末の極々個人的主観に基づいた爆裂レビューである(てかいつもだろw)

 ϵ( 'Θ' )϶『さかなのこ』(2022)予告編


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『さかなのこ』brief story

毎日魚を見つめ、その絵を描き、食べ続けても飽きないほど魚が大好きな小学生の“ミー坊”。わが子が少々変わっていることを父親が心配する一方で、母親は彼を温かく見守り応援している。高校生になっても相変わらず魚に夢中なミー坊は、町の不良とも仲が良く、いつの間にか周囲の人々の中心にいるのだった。やがて、一人暮らしを始めたミー坊(のん)はさまざまな出会いを経験し、自分だけが進むことのできるただ一つの道を突き進んでいく。

sakananoko.jp

と言うストーリーなんだけど、これは観た者にしか分からない不思議な感触の作品だと断言して良い。このさかなクンの役をのんがミー坊と言う役名で演じてるのだが決して再現VTRみたいなニュアンスもなくもっと自然に物語に入り込めるし、無輪ミー坊と言うのが男の子(男性)ではあるんだけど演じてるのがのんという女性にも関わらず違和感にカケラもないのだ。それどころか逆に性別の差をニュートラルにした事で一途に「自分の好きなこと」を続けようとする一人の男でも女でもない【さかなのこ】と言うピュアな人物にめちゃくちゃ感情移入できるのだ。結論から言うともうこれほどめちゃくちゃ笑えて、めちゃくちゃ泣ける作風でもある。あとTwitterで誰かが書いてたがほんと舞台演劇を観ているような気分になる作品だと思う。これは主演のんをはじめとする役者陣の魅力的な演技と構成によるものだろうがこの辺りはいずれ詳細に後述したい。

「のんさんがさかなクンとはまたまた突拍子もねえ役やってるな」ぐらいの認識で軽い気持ちで鑑賞に挑んだが、只者じゃなかった。
もともと私自身のんさんの女優としての力量であったり、創作活動へのリスペクトも多分にある、「のんファン」の一人でもあるので元々期待はしていたのだが、その期待の1億倍以上は面白かった。彼女の演技の天才ぶりが最高に遺憾無く発揮されあるし、あともう全キャストがどハマりの超絶感動感涙爆笑の傑作ではないだろうかとも思う。もう褒めまくりである。

では以下主なキャスト(と言ってもこれじゃ足りないぐらいなのだが)を紹介していきたい。

Main Characters

🐟ミー坊(acted by のん)

子どもの頃から魚好きであり、何事にもひたむきであり、そのせいか時に何もかも見えなくなってしまう、愛すべき主人公。将来は「さかな博士」になりたいと願うものの...。

 

🐟ミー坊・子ども時代(acted by 西村瑞季)

水族館には毎週行くのを楽しみにしている子供時代のミー坊。その帰りにお母さんに買って貰った「魚貝の図鑑」は肌身離さない一生の宝物。でも雨の中読むと本がボロボロになっちゃうよ。

 

🐡ギョギョおじさん(acted by さかなクン)

「魚の研究」に勤しむ本人いわく昔は金持ちだったらしい謎のおじさん。ミー坊以外にとってほぼほぼ不審者として小学生連中に知られている(笑)あと本作には彼に関して超絶衝撃のシーンがあったな。

 

🍳モモコ(acted by 夏帆)

ミー坊の小学生時代からの同級生。子供の頃しっかりしてる風だったが、大人になって色々あってかスナックでホステスとして働いていたこともある。現在一児のシングルマザー。

 

🐕ヒヨ(acted by 柳楽優弥)

彼もモモコと同様にミー坊の小学生時代からの同級生。案外真面目でストイックな一面もある。本名とは裏腹に「狂犬」の名でツッパリ仲間から恐れられていたが...。

 

🛵総長(acted by 磯村勇斗)

彼が出てきた瞬間なんとなく弱....いや「優しそう」「人が良さそう」な雰囲気がビシビシ伝わってくるヤンキーのリーダー格。観ていくうちにある意味ミー坊をリスペクトしてるのかもしれないと思ったりして。

 

🦑籾山・カミソリ籾(もみ)(acted by 岡山天音)

ミー坊とは別高校にいるふと出会ったマイルドなヤンキーのリーダー格。そう強そうには見えないから知性派ヤンキーなのだろうか?網目の入ったシャツがトレードマークだがこれが思わぬ将来への伏線に。

 

🐙ジロウ(acted by 三宅弘城)

ミー坊の父親。ミー坊は魚を愛してる割には案外ばっさりと魚を絞めたり捌いたりするのだがあの思い切りの良さは彼の遺伝子を受け継いでるのかなと思ったり、件の🐙のエピソードを見てつくづく思う。

 

👒ミチコ(acted by 井川遥)

ミー坊の最高の理解者である実の母親。時に優しく、時に強く彼を守ろうとする姿勢は泣ける。ミー坊がずっと「魚好き」を続けられたのは紛れもなく彼女の子育てへのこだわりにおかげだろう。最高かつ理想の母親像なのかも。

こうしてメインキャラクターをざっと挙げただけでもミー坊子役の焼きタコの食らいついて離れなさっぷりから、

ヤンキー一派の青鬼の無駄に緻密なナイフ捌きから、
放任主義とは違うミチコの大海原を包み込む波のような優しさから、
理髪店前にいるあのそっけなさすぎるタバコ店主から、
一時期流行った「マイルドヤンキー」ではなく本当に「マイルド(穏やか)なヤンキー」を演じ切った岡山天音とか、あとは演出レベルで言えば、全体的にトーンは穏やかなのに妙にリアリティを突き止めたタコの造形とか......もう上げればキリがないが、もう全てが魔法がかかったように魅力的なのだ。
そして最も重要なことだろうが、更にそれら全てを一つの物語が成立するように我々を導くミー坊を演じるのん(能年玲奈)の瞳の輝きの説得性たるや.....これ程爆笑しつつも感涙しつつもまた爆笑しつつも感涙しつつもみたいなrecursive(回帰的)な感情の浄化を促す映画作品があっただろうか?
次の章では本作での二つのAspectについて述べていきたいと思う。

2.Two Aspects🐠🐡
本作には二つのAspect(側面)から成り立っている作品だと思う。まず一つは至っては冒頭でも、或いはパンフレットでもバーンと出てくるように

男か女かなんてどっちでもいい

と言うキャッチコピー。
そしてもう一つはストーリー全般で貫かれている

好きなものを続けていくことの重要さ

と言うテーマである。
前者に関しては、過去ののん関連作品では、コミカルテイスト込みのジェンダーレスな登場人物が出現すると言う意味は、一昨年と今年の夏に出演していた渡辺えり主催の舞台演劇『私の恋人』での成果が結実していると思ったし、後者のテーマに関してはのん自身の監督作品『Ribbon』(2022)での【(アートは)ゴミじゃない】というテーマとの地続き感があったようにも思えるのだ。ちなみに不良たちが喧嘩してぶつかり合うシーンでミー坊だけがカブトガニを抱えてヒョコヒョコ歩いてい久野だがあれまさに『私の恋人』で得たコミカルな演技の賜物だと思ったりするし、Ribbon』平井さんの「”何やってんだよ”じゃないよ、ずっと絵を描いてたんだよ!!」て死ぬほど沁みる台詞があるが『さかなのこ』の母による「広い海に出てごらんなさい」に匹敵する名台詞である。*2そして今回そういう2つの側面が融合された最も最近の彼女のワークが総合化され結実した成果がこの『さかなのこ』に見出せるような気がするが如何だろうか(あと本編中「ギョギョギョ」と言うセリフがあるが、これはさかなクンのある種代名詞的なキャッチコピー。彼女の存在を一気にスターダムに押し上げたあの朝ドラでの「じぇじぇじぇ」に似ているのだ。もしかしたらのん主役抜擢の決定だったりして)。*3

渡辺えり主催のオフィス3OO舞台演劇『私の恋人』*4


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 ❷『Ribbon』(2022)予告編


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更に過去の映画作品とのシンクロでいうと2010年に公開された荻上直子監督『トイレット』での

「みんな、ホントウの自分でおやんさい」

と言うキャッチフレーズであるとか、最近では『ディスコーズハイ』の

「その『好き』が才能」

と言うフレーズとガッツリとシンクロするのだ。てか「その『好き』が才能」て『さかなのこ』のキャッチフレーズ以上にメッセージを要約してる気がするのだが。
 とにもかくにも、『さかなのこ』も上記の両作品共々エンターテイメントとしてのベクトルがとても近い系譜に位置していると思うので好きな人は全てハマるだろう。

実際全てにハマっている私がそう言うのだから間違いない。

❸『トイレット』(2010)予告編*5


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❹『ディスコーズハイ』(2022)予告編


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3.Focus🐡🐠🐟

A. キャラクター・作品論

確かに本作品はのん自身のキャラクターだとか、「さかなクン」自身が持つあのリアルとファンタジーを彷徨うような「取り止めのなさ」を上手くのん自身に内在している「不思議ちゃん」なキャラクターとがうまく融合し調和した事も大きな要因だろう。
ラスト付近のあのテレビ番組に出て大騒ぎする所なんかさかなクンの幻影がのんに乗り移っていたもんな。あれは鬼気迫るほど凄かった。
あと、先にも触れたが他のキャラクターもどハマっていたことも大きい。
特に井川遥さん演じるミー坊の母親ミチコによる以下のセリフを以下で引用する。

「何でも好きなことはやりなさい。」
「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だから、それでいいんです」
「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんな一緒だったら先生、ロボットになっちゃいますよ」
「ミー坊、広い海に出てみなさい。」(あ、全てうろ覚えですw)

などの全てのセリフがとても暖かくて優しくてどこか信頼に満ちていて見終わった今でも思い出しては泣けてしまう。
井川さんは本作の最優秀助演女優賞だと思う。
しかも場面によってはのんに表情がふっと似てたりするのだよね、普段井川遥さんとのんさん自体「美人」という共通点を除いてそんな似てると思わないんだけど。
それにしてもラスト付近の「ミー坊、私は実は魚が苦手なの。お父さんもお兄ちゃんも。」って台詞はもう爆弾発言レベルでドギモ抜かれましたけど💣ちなみに母ミチコがさかな嫌いと知ってから彼女がさんまの塩焼きや子魚の唐揚げを食べている場面をもう一度観ると「魚が苦手なんだけど無理して食べてる。でもミー坊にはそれを悟られないようにする」という超難易度の高い表情を的確にこなしているのに驚きを隠せない。本当にそう見えるもの。

再鑑賞する人は是非あれは再確認して欲しい。

その他、共に絡むことはないけれど『ビリーバーズ』で狂気と迫真の演技を見せてくれた磯村勇斗宇野祥平の例の宗教信者コンビが180度感触の違う役どころを演じてたしで、特に磯村氏に至っては彼だと気づくのに時間がかかったほど。あと先に触れた個人的には『テロルンとルンルン』の引きこもりのナイーブな青年が印象的だった岡山天音氏がマイルドなヤンキーだったし『四月の永い夢』での名演が印象的だった朝倉あき氏もこれまた今回はめちゃくちゃ短い出演だったが、ローカル番組のアシスタントのアナウンサー役というドンピシャのピッタリの役で出てたのも何だか得した気分だった。

❺『四月の永い夢』(2018)予告編


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❻『ビリーバーズ』(2022)予告編


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❼『テロルンとルンルン』(2021)予告編


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2回目は他の登場人物、特にモモコ(夏帆)にフォーカスして、彼女の人の愛に飢えているが故に強がってしまう感に涙してしまった。あの割と千葉県の海など存在し得ない事を冷静に親友に教えていた少女時代を経て、あれからどんな人生を歩んで、なぜミー坊と家族になる事を諦めるような決断をして、その後どうなるんだろうなど色々考えながら観ていたものだ。
いやはや、正に本作の描く色んな人生模様は魚図鑑のようだ。相変わらず理髪店前のあの暇そうなタバコふかしてるオヤジの存在の謎は解けずじまいだったがw
そして、そして、最も重要なのは、本作品はさかなクン原作の物語だからもはや彼が主役つっても差し支えないぐらいなのに今までありがちな偉そうに居座る「スーパーバイザー的ポジション」ではなくあくまで映画に自ら参加しつつ魚の生態なのの解説などもしているといういわゆる一キャスト・一アドバイザーとしてのスタンスだったのが彼の人柄の所以というか、本作全体をヒューマニズム溢れるものにしていたと思う。

.....とはいえ、彼の最初に登場してきたシーンで「お魚の話、しようぎょ!」と幼きミー坊ら小学生等に近づいていく様の「不審者」っぷりには少し殺気立ったオーラを発していたのは事実である。しかもさかなクン氏、原作者なのに逮捕されてしまうという異常事態だしで、あれは物語全体に光を与えるべく敢えて狂気を纏った演技に徹しようという気迫の現れなのか!!!というのは半分冗談で、半分本気だったりする。

 

B.演劇論

次に本作はどこか演劇的な魅力に満ち溢れている作品だと思うが、その理由は「笑って、泣ける」「泣きつつ笑える」という様々な感情のコンビネーションが2時間超える時間の中で繰り返される映画にしては珍しい部類に入る作風だと思う。大まかに言うと映画の方が演劇よりも淡々としたトーンで進行していくことの方が多いからだと思うがその点に関して、笑い要素とセンチメンタル要素の両側面から論じていきたい。

そこで、本記事の一つ前のNo2.5 STAGEという劇団による『あくわら』に関する私の記事の中で以下のように演劇における感情論について述べているが過去の私の記事から引用してみよう。

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こちらも演劇特有の【台本だ、台詞だ、リアルタイムで客の目の前で演じている】だと言う限定されたコンテクストが与えられていて、その枠からはみ出さずに生み出される笑いが中心である。これはお笑い芸人がTV番組等で披露するコントとは違って驚くほどストイックなもので、お笑いで出てくるように楽屋ネタやプライベートな話題などに触れる事はほとんど無い。むしろ舞台上のその限定された空間で時間制限すらある事を客席の我々は承知しているからこそ緊張感があってそこから生まれる笑いが舞台演劇を支えるコアになっているように思う。

この緊張感から生まれる笑いとはどう言うものか具体例を用いると、例えば【おじさんが舌を出して「なんちゃって」と言うコンテスクト(前後関係)がある】にしても、いつもニコニコ愛嬌の良いおじさんよりもグラサンで傷だらけのいかにもヤクザ風情のコワモテの男が言う「なんちゃって」の方が格段に笑いを産みやすいのだ。なぜならヤクザ風情+コワモテ+グラサン+キズだらけと言う要素が人々にある種の緊張感をもたらすからである。

そう、『さかなのこ』でどうしようもなく笑いが起きるのは正に本作が極めて「舞台演劇」的である事がわかる。まず、鑑賞者はのんと言う女優がさかなクンと言う男性を演じると言うことで生まれるある種の「コンテクストによる制約」を共有するのだ。この「コンテクスト制約」とはわかりやすく言えばこの人はやもすれば不利な立場に追い込まれるほど冒険的な役どころを与えらているという「緊張感あるチャレンジ」だと思って頂ければいい。いや、この制約があるのは彼女だけではない。総長である磯村勇斗や、カミソリ籾を演じる岡山天音らのコスプレ然としたヤンキースタイルにも同じ様な「コンテクスト制約」が発生する。鑑賞者はこうした枠組みの中で緊張感を無意識にも感じ、ふっとそれが解かれた時に笑ってしまうのだと思う。

 正に引用にある通りヤクザ風情のオジさんに笑ってしまうのと同じ現象が起きるからだと思う。

 では次に『さかなのこ』がなぜこのようにコメディの体裁でありつつもどことなく泣けてしまう「センチメンタリズム」要素が内包されるのかについても演劇的側面で検証したい。

私がこれまでさまざまな演劇を見てきた純粋な演劇における「センチメンタル」要素がどこに散りばめられているかと言う最大公約数的プロセスを書き記すと以下のようになる。

こちらも舞台『あくわら』に関する前記事からの引用である。

【2時間ぐらいの大まかな演劇の流れ】

1.序盤
[笑い要素]
[笑い要素](この数は演目による)
.....

2.中盤
[泣き要素](←new)(この数は演目による)
[笑い要素]....

3.終盤
修羅場[泣き要素]

伏線回収

クライマックス[泣き要素]のみ
[泣き要素]or[笑い要素]混在パターン

4.エンディング[泣き&笑い要素]
カーテンコール💐

例えばこの構図に「さかなのこ」を適合させるとこの構図に驚くほど当てはまる事がわかる。

1.序盤のミー坊の子まで供時代において、特に父親のタコ絞めエピソーなどが象徴するように笑い要素に溢れてている事がわかるが、序盤の終わり際(ほぼ中盤)に次第にギョギョおじさんの家(研究所)にお邪魔するかしないかの家族会議のあたりからセンチメンタル要素が垣間見える。

そして完全に2.中盤になってミー坊がのんになってからの高校時代にも笑い要素は多分にあるものの、三者面談辺り「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか。みんながみんな一緒だったら先生、ロボットになっちゃいますよ」発言辺りで少し雲行きが変わってくる。ミチコにおける子供への下手すると甘やかしだとか放任主義のように見えたものがある種の強さだとか拘りのようなものではないかと感じられるシーンなどは象徴的である。

さらにミー坊が大人になって「広い海」へ出てから割と数々の失敗や挫折を繰り返すのだが、この辺りから笑いとセンチメンタル要素とが混在し始めてくる。要するに鑑賞者は笑ったり泣いたりの感情の入れ替えにとても忙しくなるのである。

そして終盤、本作には「修羅場」のような叫び倒すようなシーンはないもののあのモモコがミー坊の家からそっと出ていく辺りから一気にシリアス度合いが増してくるのだ。そしてかつての仲間である総長だとかカミソリ籾などと再会したりとか、クライマックスでの寿司屋の外装の壁の絵のデザインを仕事として任されたりとかのシーンでは一気にこれまでの伏線回収のニュアンスを帯びていく。ほんのこのくだりは演劇的なドラマティックさに満ちている。そしてTV局勤のヒヨによる熱心なオファーを受け、魚好きテレビタレントとしてのブレイクを経たあのエンディングの子供たちに追いかけられる辺りからは、まるで舞台でのエンディングからカーテンコールのような感覚すら覚えるほどである。正に泣いたり笑ったりそして、泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたり....かくしてこのような笑い要素とセンチメンタル要素の混在がどこか『さかなのこ』は映画というよりもあの演劇集団キャラメルボックスなどのような演劇を観ているような気分にさせるのだと思う。*6

4.MUSIC🐡🐠🐟🐙

最後に本章では主題歌・挿入歌・劇伴など本作を飾る音楽を紹介していきたい。CHAIという海外などでも人気の高い女性グループによる『夢のはなし』という曲である。

www.sonymusic.co.jp

❼『さかなのこ』(2022)主題歌『夢のはなし』CHAI


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彼女らの曲は本編では出てこないので当初1回目の鑑賞時に聴いた時、最新のデジタルポップス的な曲調がいきなりエンドロールで出てきたので正直映画のテンションと違う気がしたのだが、よくよく本曲のサビにあたる歌詞の部分を読んでみれば

私の「好き」に何が勝てるというのだろう
あなたの「好き」で見たことない場所に飛んでいけ

というサビの歌詞と映像にも本編とのテーマとのリンクが見られることに気づく。そうなると2回目の鑑賞時には自然と馴染んでいったものだ。本主題歌以上に先ほど本編との貢献度の高いのがパスカルズというインストゥルメンタルによるポップス・グループで、彼らによる楽曲の役割がとても大きいと思う。

www.pascals.jp

どこかノスタルジックなんだけど郷愁に浸りすぎずにユーモラスなファンタジー要素をも忘れない彼らの楽曲は正に本編にぴったりである。

以下に挙げる本動画でも分かる通り原作者であり、ギョギョおじさんを演じたさかなクンクラリネットで参加している。


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本作を観たのは2週間ほど前だけど、本記事アップ時点(9/19)ではまだまだ【不思議な感触の傑作】【今年最高の感動作】などの絶賛評価がSNS界隈では日々高まっているのを感じている。*7それはまるでさかなクンやのんのキャラクターをまんま反映したような不思議な感触である。

今後とも本作はガンガンロングランしていく事だろう。そして時代を写像する名画となるそんな願いを込めてこの9735文字にも及んでしまったこのブログ記事にピリオドを打ちたいと思う🐟*8

 

*1:本記事はFilmarksの本作に関する該当記事を土台に大幅に加筆・修正を加えたものである。

filmarks.com

*2:いやほんと二作同時上映とかどっかの劇場様やってくれ!

*3:その朝ドラ『あまちゃん』のラストシーン。筆者はほぼほぼ見た事ないんよね。だから注釈にひっそりとおいておく(笑)


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*4:2019年の夏に西宮芸術文化センター 見にいった。クロマニヨンから第二次大戦から現代まで10万年もの時の流れの中で のん ・渡辺えり小日向文世 という主要キャスト3人で30役全て演じ切ってしまった!何よりも四季も宝塚も朗読劇も演劇も全て引き連れて客観視すらできる3人のタフさに驚いた

*5:かれこれ12年前とは思えないほどテーマとして先陣切ってた作品だったな。女装としてのスカートを履くことに憧れる青年が出てくるが、今となっては当時はトランスジェンダーやLBGTなどという言葉も一般的ではなかったし。

*6:演劇的....そう考えると『さかなのこ』は城定秀夫監督文脈で言うと『アルプススタンドのはしの方』にセンスが近いと思う。あれが好きな人だともうとことんハマるだろうな、まあ出演者としては『ビリーバーズ』のあの二人がガッツリ出てるけど。

*7:本作のヒットの原因の一つにミニシアター中心に上映前のマナーでフィーチャーされてたことがあると思う。あれはめちゃくちゃ宣伝になったと思うし、で作品を観るというハードルはだいぶ下がったように思うんだよね。「総長だって絞めたりするでしょ?」のくだりは初見で見たかったけどw

*8:3回目感想