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Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

『#サマーフィルムにのって』&『#由宇子の天秤』二つまとめて総合レビュー!

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Ⅰ.『サマーフィルムにのって』レビュー

「スクリーンは過去と今とを繋ぐ。そして私はこの映画を未来へ繋げたい。」
そんな思いを胸に勝新マニアの女子高生が仲間達を集め、時代劇を撮ろうと奮闘するまで、という展開を予想していたら、更なる異次元へとぶっ飛ばされた。
去年は『アルプススタンドのはしの方』『のぼる小寺さん 』などがあったが、2021年夏、また新たな青春映画傑作の誕生を確信した。


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本作でのポスターにある通り3人の仲良し女子高生を中心に展開され、その内訳は映画監督ハダシ(伊藤万理華)以外にビート板)、ブルーハワイ(祷キララ)という濃い仲良し3人組がいるのだが、特に推したいのがブルーハワイである。優勝常連の女剣士でありながらもラブコメへの憧れをも抱く、その二面性のもたらすギャップ萌え感に悶え死んでしまった。

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そしてつくづく思う事だけど本作は演劇集団キャラメルボックスの舞台を観た感覚に本当近いと思う。当然タイムトラベラー的なSF要素を使ってるっていうのはともかくとして、泣き要素と笑い要素の絶妙な配合とか、テンポの良さとか誤差ない。『時をかける少女』をビート板が読書するシーンとかあったが少しは影響受けてるのかなぁとかぼんやり思ったりもした。

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少し内容から外れるが、鑑賞当日パンフレットが大絶賛売り切れ中で補充再販が決まったら買うついでにもう一度は観るだろう.......っと残念に思ったが同時にもう一度観ざるを得ないこの状況に少なからず嬉しかったのも事実。それぐらい一回の鑑賞では済まされない作品である。
あとこの『サマーフィルムにのって』演劇集団キャラメルボックスが好きな人にはトコトンハマると思う。タイムトラベラー要素があるからという訳だけではないがキッチリ伏線回収してテンポよく笑わせるとこは笑わせて泣かせてそれを含めて泣き笑いさせる的な時代を跨ぐ意味で『truth』とか『時をかける少女』等の感覚とめちゃめくちゃ近いと思う。

それから二週間後、パンフ購入をきっかけに2回目を観たが、

以下3点に改めて感動する。

❶ハダシの身体能力の高さ。
コメディな動きを軸にしつつキメるとこキメるなど一筆書きのように演じ切る感に舌をまく

❷優等生役かと思われたビート板の微妙な乙女心の揺れに涙する。

❸そんな友人の心情の全てを享受し包容するブルーハワイの懐の深さに再び感動する。

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【付記】

3度目の鑑賞の末以下の点に気づく。
①「はだし」は物語の半分以上は終始「渋い顔」をしている。確かに同じ映画部ながらも花鈴率いるリア重恋愛映画の撮影隊に少し閉口したり、邪魔されたりだの状況もあったりするのだがどうにも渋い。冒頭の刀振り回すシーンだとか、台本を前のめりで捲るシーンだとか、全体的に猫背というか肩をいからせている体躯をなしているのだが、これは彼女に時代劇の面白さを教えてくれた「おばあちゃん」の影響によるものではなかろうか、と。体育館でマシュマロだポテチだ食ってるシーンがあるのだがビート版だか、ブルーハワイだかが「はだしはおばあちゃんそっくりなんだよ。」と言ってたのだ。【そっくり】というのはもちろん「顔の作り」ってことなんだろうけど全体的な雰囲気、所作とか、表情とかも含めてのそれなんじゃなかろうか?だからああいう渋い顔なのではないか。ややこしい言い方になるが勝新時代劇にハマるおばあちゃんに影響を受けた「渋い顔」ってこと。

②今回はビート板視点に立って見てみると物語がガラッと変わって見えるのが興味深い。彼女視点に立つと色んな意味で我々鑑賞者に色んな「気付き」と「フォロー」を与えてくれる正にストーリーテラー的な立ち位置だという事実に気づく。
 それは正に剣道の試合でトロフィー抱えて戻ってきたブルーハワイへの「優勝してんじゃん」というツッコミにも似たセリフから風呂場での花鈴への「私たち、負けないから。」まで全て視聴者の気持ちさながら代弁していることがわかる。それはさておいても(置いとくんかいw)ビート板目線のラブストーリーとして見ていくと親友はだしの気持ちを優先して自分は一歩引いて凛太郎との距離を近づけようとする彼女の一途さに泣ける、てか作品違うが3回目直前に次章でも触れる『由宇子の天秤』観た後だから尚更河合優実の演技力の幅の広さに圧倒される。

 

小畑萌とビート板と同じ人が演じてるって言われなかったら一生気づかん人もいるんんじゃなかろうかレヴェル。

③しかし②を引き継いで「負けないから」をうけて花鈴の「勝負しているの?眼中になかった。」ってのはビックリしたね。ビックリというかこの花鈴のヴィラン放棄宣言とも取れるこのセリフによって、この話は別に当初私が予測していた「リア充 vs. 時代劇 映画対決ストーリー」じゃないのだという事にある種の電流並みの衝撃を受けたのだ。
正に最後の涙腺決壊レベルで多分制作サイドはこれをめがけて作ったんだろうと思わせるエンディングが示す通りの「型破り」な作品。
そういえばブルーハワイが二日目の合宿の朝海辺で着てたシャツのロゴがBreak the Mold」これは「既成概念をぶち壊す」てことでつまりそういう事なのだろう。てかあれだけ純朴で天然っぽいのに物語の中枢を握るロゴを着こなしていたとは...本当に勝者はブルーハワイなのかもしれない(なんのこっちゃ。)


兎にも角にも個人的2021年における最高のサマーフィルムは本作なのかもしれない。

 

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主題歌『異星人と熱帯夜』

前の章では「ハダシの身体能力の高さ。」について触れたが、この主題歌ではそれを証明するこのようにキレの良いダンスを魅せてくれるってかこの人元坂道グループの人だから当然っちゃあ当然か(笑)


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Ⅱ.『由宇子の天秤』レビュー

【真実の正体を暴こうとする正義の心とその真実に対峙するための贖罪への意思とが真っ向から対立する】


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そんな二つの相反する概念を天秤にかけ、その二つの狭間で揺れ、苦悩するドキュメンタリー・ディレクター木下由宇子の心臓の鼓動の髄まで伝わってくるような穏やかながらも緊張感あふれる152分。最初は天秤にかける要素は「真実」か「嘘」の二つであったが、徐々にその真実の部分にボロが出始めて、それら二つの要素は「真実」か「嘘」であっても真実として多い被さなければならないものまで拡張し、次第に「嘘のような真実」か「真実のような嘘」へと変貌を遂げていき、最後の最後に全ての嘘を真実へと塗り替えた後にこれら全てを鑑賞者我々へと静かに突きつけるという衝撃の結末が待っているのだ。

まさに今年ナンバーワンとの呼び声も高いまさに時代の空気を捉えたような話題作。

時代の空気、と言ったが、本作はあのアカデミー賞受賞作品『万引き家族』の公開当時を思い出したりもする。
当時、公開日を狙い定めたかのように、あの作品の登場人物と同年代ぐらいの女児の虐待事件が起こった。そして本作も然り。*2

ここ最近世の中を賑わしている残虐極まりない旭川中学生のいじめ凍死問題の中での“加害者”に関してどこまで、そしてどのような形で真実を報道すべきかの是非が問われているこの時期をあたかもピンポイントで予見したかのように、本作の中でも、3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件の真実を追求しているドキュメンタリーTVクルーたちの姿があるではないか。

この偶然にしては出来過ぎのサブジェクトには驚きを隠せない。

でも「傑作」とは時として世の中の空気にある次元において呼応し、その空気感を丸ごとキャッチするものなのだろうと考えれば自然な事なのかもしれない。

だからと言って過激なシーンもセンセーショナルな台詞があるわけでもない、にも関わらず本作は静かながらも片時たりとも緊張の糸が途切れる事が無いのが本作を他に現存する社会派と分類される他の作品群とは一線を画しているように思えるのだ。

ただ本作の「シリアスゆえに笑うしかないシャレにならなさ」という点ではエル・ファニング主演の『ジンジャーの朝〜さよなら、わたしが愛した世界』を思い出したりして。


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いや、そのような緊張の系が解れるようなホッとするシーンがない訳でもない。

それは例えば由宇子が体調の悪い小畑萌の為にお粥を作って一緒に食べるシーンぐらいだろうか、とは言えこのシーンの裏にに潜むコンテクストたるや物凄い事になっているのだけれど...。

...という訳で観ていくうち穏やかながらも何度も何度も手に汗握るシーンに出くわすのだけれど、登場人物の心情を煽るセンセーショナルな音楽のみならず、こういう映画にありがちなバイオリンでアレンジされた不穏な劇伴すらも一切封鎖されているし、わかりやすい伏線回収も取ってつけたようなオチも、御涙頂戴の感動の涙も笑いも悉く用意されていないのだ。
はっきりいうと製作者サイドに一ミリたりとも安易なエンタメに落とし込めない意思がひしひしと感じられる。

いやむしろそんな要素など無駄であるかのようにひっそりとしたトーンで塗り固められた152分。大袈裟でなくいうが鑑賞者のふと漏れるため息こそがBGMとして機能しているというか。しかしそれも納得できる話で最後に我々もこの真実を語るドキュメンタリーの当事者になるのだから下手にドラマティックな音楽など不要なのかもしれない。

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それだけ出演者である、瀧内公美河合優実、梅田誠弘、光石研....らの演技力の巧さや凄みってのも大きく貢献している。だからこそ、鑑賞後20日ほど立った今でも由宇子らの、そして他の登場人物たちの心臓の鼓動のフィードバック音が鳴り止まないのだ。
ここで予言しておくが多分、本作アカデミー賞の何らかの部門で賞を取るだろうな、と思う。
とはいえ音楽が鳴らない作品なので音楽賞以外の部門で。あと劇伴音楽が極力抑えられた作品という意味で、この作品がパッと浮かぶ。

今現在関西でのみ公開されている『まっぱだか』(安楽涼 ・片山享 監督)である。東京や大阪における喧騒とは程遠いこの町における元町中華街、路地、モトコー付近、そして商店街などから鳴らされる生活音達は、登場人物の台詞の合間や息づかいを自然と引き立て、正に「音符なきBGM」の役割を果たしているのも見所の一つである。これはネタバレになるから言わないがそういう生活音が一旦シャットアウトされて美しいアコースティック音楽が鳴る瞬間があるのだがあそこは多分全ての喜怒哀楽という定型の感情から解き放たれていくシーンがあるのだけれどあのシーンの為に入場料払っても良いぐらいの最高の光景だった。

ふと毛色は違うが『四月の永い夢』の浅倉あきが浴衣着てヘッドフォンで音楽を聴きながら軽やかにダンスするかのように帰宅するシーンがあるのだがあれをふとそれを思い出したりして。

人の感情とは喜怒哀楽に4つに分類され、その人の個性であるとか性格であるとかはそういう感情から派生される何かで安直に判断されがちな気がする。
(例えばよく怒る人→性格が悪い、とかよく笑う→明るい人、とか)
でも我々がその人を好きになったり愛したりする(まぁ逆も言えるんだけど)真の理由の根源的なものっては「喜怒哀楽などの感情を超えた何か」だったりしないだろうかか?
本映画で繰り広げられるのはそんな「感情のセッション」。登場人物達はこれでもかと叫び合ったり、泣いたり、時には殴り合ったりするが行き着く先はそのどの感情でもない「めんどくさい何か」だったりする。

本作を観てそんな事を考えた。そして本作における重要なバックグラウンドとなっているロケ地のすべては神戸元町

兎にも角にも観る者の心を まっぱだか にしてくれる傑作が在住の地で生まれた事を祝いたい。


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余談だけど河合優美さんは本作とは打って変わって『サマーフィルムにのって』にて全くキャラクターの違うビート板役を好演されてるのだが、本作の主演・瀧内公美さんは、ポスターやインタビューとかだとそうでもないけどスクリーンだとなんとなく祷キララさんに似てるように見えるのだ。
 だから瀧内さんと河合優美さんのツーショットは『サマーフィルムにのって』が超シリアスになったらこんな感じ?タイトル付ければ『ダークサイド・オブ・サマーフィルムにのって』とかふらっと妄想したんだけど、それは多分私だけですが....

 

 

*1:公式サイト

phantom-film.com

*2:公式サイト

bitters.co.jp