2021年の最強の殺し屋『#ベイビーわるきゅーれ』爆裂レビュー!
TABLE of CONTENTS
Ⅰ. 2021年のインディー映画代表作とは?
Ⅱ. 『ベイビーわるきゅーれ』を5回観賞後の記録
Ⅲ. 映画史上最も憎めないヴィランとは?Ⅳ. 「ヴィラン」の定義
The origin of Villain
Villain1; Barbara (from『WW84』)
Villain2; ムスビル教団(from『スペシャルアクターズ』)
Villain3; 進藤サチ(from『アルプススタンドのはしの方』)
Ⅴ. 『ベビわる』ちさと、まひろ、ひまりのcharacterizationAppendix.と言う名の本音
Ⅰ. 2021年のインディー映画代表作とは?
去年の夏のスタンダード映画ダントツ一位邦画部門は個人的に通算13回ほど映画館に観に行った『アルプススタンドのはしの方』がダントツだった。というのも未だにTwitterのオフィシャルアカウントからいいねがくる事もあるし、まだまだ円盤発売以後も現役感が半端ないのだ。多分劇場公開とかあったら行くだろうなぁってくらいだから相当なもんだ。
そして一年後の2021年今年の夏、これぐらいのレベルで盛り上がってる映画はなんだろうと考えた時に、この二つ、松本壮史監督作品『サマーフィルムにのって』と阪元裕吾監督作品『ベイビーわるきゅーれ』が浮かぶだろう。*2
個人的な考えでは、現時点での世間の盛り上がりとしては『ベイビーわるきゅーれ』の方がかなり優勢であるように思う。とはいえ内容的には『サマーフィルムにのって』も既に3回ほど映画館で鑑賞してて、負けず劣らず素晴らしい作品であることは付記しておきたい。*3
まぁ一方は時代劇の映画撮影に直向きに打ち込む一途な女子高生、もう一方は殺し屋稼業に専念する女子高生二人組、どちらも主人公は偶然にも同じ女子高生であると言うこの両極端な柄も寮クオリティの2作品だったわけだが、これはひとえにTwitterオフィシャルアカウントによる日頃の「努力」の差が大きく出てるのではないだろうかと思う。*4
先に述べた『アルプススタンドのはしの方』ではないが、映画鑑賞者のツイートに対して多少なりともネガティブ入ってようとガッツリと「観ていただいて有難うござました!」という感謝の意を伝えるには「いいね」或いは「RT」ってめちゃくちゃ有効だと思うんだけどどうなんだろう。この辺り他のエンタメ全体にも思うんだけど、もっと活発に動きかけば良いのになと思ったりする。
それはともかく今回の記事のメインテーマである『ベイビーわるきゅーれ』のストーリーは以下のようなものである。
Rough Story of 『ベイビーわるきゅーれ』
女子高生殺し屋2人組のちさととまひろは、高校卒業を前に途方に暮れていた・・・。
明日から“オモテの顔”としての“社会人”をしなければならない。組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たち。
突然社会に適合しなければならなくなり、公共料金の支払い、年金、税金、バイトなど社会の公的業務や人間関係や理不尽に日々を揉まれていく。
さらに2人は組織からルームシェアを命じられ、コミュ障のまひろは、バイトもそつなくこなすちさとに嫉妬し、2人の仲も徐々に険悪に。
そんな中でも殺し屋の仕事は忙しく、さらにはヤクザから恨みを買って面倒なことに巻き込まれちゃってさあ大変。
そんな日々を送る2人が、「ああ大人になるって、こういうことなのかなあ」とか思ったり、思わなかったりする、成長したり、成長しなかったりする物語である。
Ⅱ. 『ベイビーわるきゅーれ』を5回観賞後の記録
「超絶コミュ障であるまひろ(井澤彩織)&超絶気分屋杉本ちさと(高石あかり)が実は殺し屋家業を請け負っている」という今まで見たことのあるようなないような斬新なアクションだ。
確かに、高石あかりと伊澤沙織のコンビネーションに関して言えば、殺し屋以外の日常生活の場面での二人のうち一人がソファに座って、かたや足乗せて寝っ転がってゲームやスマホなどに興じる様子はどちらかが他の役者だったら全然印象が変わるんだろうなと思わせるこの二人にしかなし得ない絶妙な空気感を生み出していた。あと、恐らく本作品に共感する人の多くはまひろのコミュ障っぷりなんだろうか。彼女がボソボソと「〜なんです、はい。」「....ぁ、〜すいません。」「ちさとさんのこと割と大事な人だと思ってるんで。」と完全に他者へ向けて喋る感じではなく内なる自己に語りかけるような妙に敬語混じりのあの話し方は紛れもなくSNS内にいる「僕たち、私たち」のようなキャラクターであり、それを察してかネット界隈でも実際に彼女に共感している人も多く見られるように思われる。
そして彼女らの二人の話の内容も「推しの芸人がまた炎上したよ。」であるとか「自分からは何もしないで文句ばっか言うツイッタラーみたいで嫌いだわ〜。」的な会話内容だったりとか、当然リア充傾向ではなくどちらかといえばやはり常日頃からネットに親しんでいる「僕たち、私たち」に近い感じがあると思う。
そしてそして、そんなチルアウトというよりももっとダルな方向にいがちな彼女たちが殺し屋稼業に勤しむ時のまさにポスターのビジュアルイメージさながらの二人銃を構えた時のカタルシスがもたらすギャップも魅力の一つなのだろうと思う。別段触れずともこれも鑑賞者にとっては周知の事実だろうけど、まひろ役の伊澤沙織さんは現役のスタントウーマンらしくって数々のアクションをこなしてるらしくて本編のアクションシーンも代役を立てることなく本編でも本人自ら見事な迫力あるガチなアクションシーンをみせてくれてるのだ、というのも多くのファンを得ている理由にもなっていると思う。
.....と意気揚々と紹介してみたものの私、実は1回目を観て10feetの主題歌のような、確かに初期衝動に満ちたThe Clashの1stみたいなパンクロック的な爽快感があったものの、残念ながら「どハマり」までは行かなかったのだ。
本作を鑑賞した当時はすでにSNS界隈では結構盛り上がっていてその熱狂ぶりはわかるんだけど、感情移入に程遠かったってのが正直な感想だった。
というのも今思えばあまりにも二人のコンビネーションがどハマりすぎてて「こういう感じがサブカル好きなあなた達は好きなんでしょ?カッコいいでしょ?」的なナルシシズムが散見したように感じてしまってそれが妙に鼻についたからというのが大きい。
でも、人間とは現金なもので「プレゼント」とやらに弱いのだ(爆)。これだけTL上で盛り上がってると競争率ハンパなかったろうに、私のツイートが全世界3名のうちの1人として貴重なサイン入りポスターとして当選したのだった!
そうなりゃ「これはまだまだ、劇場に行って盛り上がりに貢献させて頂きます〜!商品到着大絶賛楽しみにお待ちしてます♪」
などとtwitterオフィシャルアカウントにリプライし、即座に2回目のチケットを予約する始末。
で、ハイ、当然2回目いきますよね〜、で、あれ?今まで思っていた違和感がどんどんプラスに転じていくような感覚を覚え始めてこの物語がスッと私の中に入ってきた感じがしてきたのだ。要するに面白いじゃねえかと(早よ気づけよ)
で、シネリーブル梅田にて翌週、坂元祐吾監督と高石あかりさんが舞台挨拶ですという情報を知ってハイ、3回目行きま〜す、となりますよね。
と言うことでもはや1回目の酷評部分はどこへやら、2回目、3回目以降
『ベイビーわるきゅーれ』 がどうにも愛しくなってしまってもう本作が公開し続けるまでは観続けようモードになってしまったのだ。
しかも本パンフには10分近い3編の会話劇収録のCDが付属してるが普通この種のオマケは一回聞いて「ハイ終わり!」な事が多いのだが、本CDも延々リピートしまくってる始末である。
で、なぜ2度目以降これほどハマったかと言えば、登場人物たちの心象風景を深読みできると言う余裕ができたというのもあるんだと思う。超絶コミュ障であるまひろ&超絶気分屋杉本ちさとの名(迷)コンビの織りなす絶妙な関係性や、社会に対する怒りや苦悩をぶつけまくっている事を示唆するような「増税するし、バイトクビになるし、日本も終わりだわ」みたいなセリフやそれに関連したシーンにふと感じ取って以降、理屈も論理も倫理もへったくれもないやっちまえ感満載のアクションシーンへ突入した時のカタルシスに心の底からダイブする感覚を覚えたものだ。
これは1回目では味わえなかった感動でもあった。
これは別に暴力アクションシーン自体を詳細に描いて二人のかっこよさを際立たせる為に描かれた作品ではなく、これらのゆるゆるの日常シーンもバキバキのアクションを総動員して社会への鬱屈した思いを抱える若者たちのアングストや怒りを伝えたかったパンクのようなスタンスを維持しつつも、どこか自分のやっている事に闇と不安や将来の人生への意義とを問いかけつつ自分が本当に指向するべき理想の大人像とは何かを模索している二人の女の子のストーリーでもあるんだろうとも感じ取ることができた。
そう思い始めてから俄然この映画が楽しくなったという訳である。
場面で言えば本作でのメイド喫茶のくだり、1回目からどのシーンもどのセリフも満遍なく何度思い返してもジワりまくるのだが、にしてもあの893の親分・北岡一平のメイドに対して「お前を本当の冥土(メイド)に連れて行ってやるよ」と言うあの決め台詞は、日本の「萌え文化」と「任侠文化」とをクロスさせる正に日本映画を代表する最強のセリフになるかもしれないと思ってたりする。まぁ何を代表するのかは分からないが。
あともう一つ言えば、本作は「続編化」「シリーズ化」の声が止まない作品でもあるんだけど、仮に続編にて2人の過去に触れる事があればまた本作を観て、色々と再解釈ができると思ったりもして...『ベイビーわるきゅーれ』の感想の中で「『ブラック・ウィドウ』で何と無く残ったわだかまりを本作が払拭してくれた。」というのがあったがその意見はとても興味深く思った。これはMCU作品に思い入れの強い人に特化する意見かもしれんが、ある意味「アメコミ的女性ヒーローもの」が日本でも誕生したのかも、って事なのかもな。
まぁ「ヒーロー」というよりこの二人は完全に人殺しで悪役的要素な訳で、でもそんな彼女らにも敵役とかいるからどうなんだろう?ってな訳で次章では彼女らの悪役について考察したいと思う。
Ⅲ. 映画史上最も憎めないヴィランとは?
あと本作観れば観るほど飽きるというよりも登場人物への感情移入がどんどん半端なくなる作品でもある。2回目見た後ぐらいだろうか、個人的にどハマりの超逸材を見つけてしまったのだ。それは、もう完全に目がイってしまったかのようにブチ切れてゲラゲラ笑いながらも銃を放つヤクザの娘・浜岡ひまり(秋谷百音)の狂気とその奥底にどこか感じる孤独感にどハマりしてしまった。親の職柄からも推測される通りこれがもう悉くヤンキー一家の典型的な娘だろう。メイド喫茶でオムライスにケチャップで「極道」だ、「仁義」だ書かせようとするくらい、或いは中年店主の営む大阪の飲食店を中心に繰り広げられる「○百万円ね」と言うお釣りジョークに「200万円おつりをくれるのか?」とマジで問いただすタイプの非常に扱いづらいタイプのガチガチの父親と、そんな父親にやや愛想尽かし気味ながらも件のメイド喫茶にて「案外こういうとこも楽しいな。」と言ってしまう従順で愚直などこかバカ素直な長男と、そして日頃はパパ活の斡旋に勤しみその成果や内情はよく分からないんだが少なくとも長男よりは「成果をあげている」らしいこの長女こそが、今回私が本作にて激推しキャラとして掲げる「浜岡ひまり」その人である。*6
映画を観た範囲でざっと述べるととにかくこの子が登場した瞬間から醸し出されるインパクトが半端ない。
多分我が地元修羅の国北九州の体育会かなんかで応援団が来てるようなコテコテにカラフルなジャージタイプのジャケットを羽織り、その格好に劣らぬくらいのテンションは高すぎるぐらい高くて、(初回は気付かなかったんだが)酒の入った水筒を常に常備しているというある種のアル中なのだろうか?、そしてこれが最も驚きなのだがここまでの狂った要素のある役柄を担っときながらもそれが全然どハマっていて、ある種のキレやカタルシスがあってとにかくカッコいいのだ。
普通こういう極端な悪役を、しかもそれを可愛らしい女の子がやるともなるとある種の「無理しちゃって感」が出てきて痛々しさが伴うものだが、この人に限ってはそういう感じが一切皆無なのは彼女の演技力に所在するのかもしれない。しかもこの秋谷百音さんという役者自体、プロフィール写真など見ても分かる通り、決して悪人役が似合う顔ではないのだ。
それどころか、どこか岩井俊二監督『リリイシュシュのすべて』時期の伊藤歩さんに似たタイプの正統派女優の面持ちをしているのだ。何なんだこの正統派美人なのに狂ってる人ってこれまで見た事ないぞ。総合化すると全てが奇跡的なバランスで成り立っている奇跡的に成立したヴィランであるといえよう。
いや、でも作品の中で更にこの奇跡のバランスを成立させている象徴的なエピソードがある。それは家族がいない場面でふと父親を「ああいう風に(893としての)見栄でも切っとかないと自分を保ってられないんだろ。」と評する場面がある。これには結構ビックリした。それまで「パパ、私頑張る!」だの「任しといてや!!」なんだの父を慕っている健気な娘の体を見せといて、この客観的かつクールな視点の鋭さに思わずハッとした。
しかも父親と兄貴の死体を目の前にそんなにどころかびた一文悲しんでなかったしな。
要するに彼女も893一家の一人娘として生まれて日々の稼業に勤しむ中である種の孤独感を感じているのかもしれない。この孤独感の所在についてはⅣ章にて触れたい。
Ⅳ.「ヴィラン」の定義
The origin of Villain
Ⅲ章では浜岡ひまりに関して見てきたが、ここでは以下二つのサイトを参照にして「悪役」「敵役」、「ダークヒーロー」などという表現に代わってここ最近盛んに聞かれるようになったこの「ヴィラン」とはいったいどう言う意味合いのあるものなのかについて考察したい。
ヴィランとは「悪役」という意味です。英語では「villan」と綴ります。
一般的に、物語の作中世界において悪しき存在であり、なおかつ主人公と敵対する存在であるというキャラクターを「ヴィラン」と呼びます。すなわち、主人公が悪人であり正義側と敵対する存在である場合は、いずれの勢力も「ヴィラン」には該当しません。むしろ、主人公の方を皮肉を込めてヴィランと呼ぶ人もいます。同じような意味の言葉に「ヒール」「ダークヒーロー」などがあります。「ヒール」は、もともとはプロレスで悪役を演じるもののことを指す言葉でした。パフォーマンスとしてラフプレーをする悪役レスラーが「ヒール」でしたが、広く悪役の意味で使われるようになりました。「ヴィラン」よりは格下の悪役であるというイメージが強いです。「ダークヒーロー」の意味はかなり幅が広いです。
ディズニーヴィランズなどの「ヴィラン(悪役, villain)」の語源はラテン語のvillanus
「農場の使用人」からきているそうで、次第に意味が下落し、→「田舎者」→「悪いことをしそうな人」と言う変換を遂げていったらしい。余談だけど、そういえば海外ではクリスマス時期の12月あたりにKrampus(クランプス)というなぜか英語圏では悪魔の象徴とみなされるgoat(山羊)を前面に打ち出した古くはドイツから派生された祭りがトレンドだという話だし、世の中の傾向としてただ悪いからと言ってそれが人に嫌われる対象にはならないということなのだろうか。では次節ではここ最近個人的に観た映画の中で登場してきた様々な「ヴィラン」を紹介し、ビランとはどう言うものなのか私なりに「ヴィランの定義」をしたいと考えている。
Villain1; Barbara (from『WW84』)
まず紹介したいのはこの『ワンダーウーマン1984』と言う作品の中でヴィランを演じるバーバラと言う女性。この辺りのヴィラン論に関しては過去の記事に書いてあるのでザックリと述べることにする。
nenometal.hatenablog.com彼女は当初は、ヒールすら履いたことのないであろう冴えない勉強一筋のオタク系メガネ女子だったのだが、研究者として、スミソニアン博物館で仕事をする事になったワンダーウーマンことダイアナ・プリンスと知り合い→友人になるにつけ、彼女の洗練された美しさとか強さにある種の憧れを抱くようになるのだ。自分と同年代の女性人が聡明で、ルックスも良くて、強さも持っているのがいればそりゃ憧れどころか嫉妬すら抱き我々誰しもが持っている他者への憧れ、そうそういう真理が具現化したのがこの作品におけるヴィラン、バーバラなのである。
Villain2; ムスビル教団(from『スペシャルアクターズ』)
2018年の上田慎一郎傑作『スペシャルアクターズ』でも悪役は存在していた。
この辺りも過去記事において詳細に述べている。
このムスビル教団については本編中詐欺だのぼったくりだの犯罪レベルでそれほど悪事があからさまになる事は皆無だが、自らの信者を「あの手のカサカサなババア」だの「あのおっぱいばっか見てくるヒラメ顔の童貞」だの呼称したりする事から相当にタチの悪い悪い奴らだという事が伺えるし、後に明るみになる宗教マニュアルなるデータの中での言ってることが完全に詐欺な事から紛れもなく「ヴィラン」に属するのだろう。
とは言え、確かに悪い集団だが、何なんだろうあの憎めなさっぷりは。これは2年前ちょうど本作公開時の自分含め鑑賞者のリアクションから意に反してかどうか知らんが「ムスビル教団最高だわ!!!大好き!!!」的なリアクションが結構多かったように思える。物販もスペアくサイドよりもムスビル信者が着てるロングTシャツやらガゼットポッドのメモ立てとか完全にムスビルサイドのグッズが大半だったし写真撮影でもこんな感じ(👐)の「ムッスー」という信者のやるポーズを誰もがやってたしほぼ正義サイドを食う勢いだった印象。
結局あの作品オチから考えると「悪い人達」どころかむしろ「良い人達」だった訳で完璧なヴィラン要素を持った実は憎めない人達であるといえよう。
Villain3; 進藤サチ (from『アルプススタンドのはしの方』)
さて、次のヴィランは『アルプススタンドのはしの方』で登場する進藤サチである。彼女に関しても過去記事においても触れている。
それにしても、散々メガネ優等生、宮下さんに嫌味言った後でスナック菓子食べながら友人と「何あれ」「感じ悪...」と呟いた瞬間、観客の誰もが「いやいや、それは間違いなくあんたらだろwwwwwwww」と突っ込んまれたであろうあの青春映画にして唯一のヴィラン進藤サチ、その人である。それだけにラスト付近の号泣シーンは驚愕だったし、「もう分かったよ!」とブチ切れながら帽子を引っ被るや否や演奏に取り掛かる進藤サチ(平井珠央)にプロフェッショナリズムを感じたりもした。そして忘れてはならないのがラスト付近のシーンのまさかの誰よりも先に「大号泣事件」、いやもうあれは観てて事件でしたよ、本当に要するに全然いい人じゃんかと鑑賞者全員ズッコケさせたものだった(笑)
とはいえ、あの熱血茶道部教員である、厚木先生に対してハッキリ「暑苦しい」と断定した事からも多分厚木先生にとってのサチは以前からもそしてその後も生粋の「ヴィラン」だったのかもしれないが(笑)
さて、これまでのヴィラン像をまとめると押し並べて「そんなに悪くないやつ」というか、もっと言えば「どこか我々が共感できる要素」が残されてやしないかという事実に気づく。『ww84』のバーバラ然り、『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ然り、完全に我々の日常的にわんさかといる【オタクとリア充】ではないか。あと『スペアク』ムスビルなど完全に普通の良い人たちだったわけで。*10
さてそう考えると本記事のテーマ「ベイビーわるきゅーれ」の浜岡ひまりに関して特殊性を帯びてくるのだ。確かにこの女の子はこれまで述べてきた擬似的ヴィランとは違って本当に悪い奴だ。そもそもが893の娘だし、パパ活斡旋業などに勤しんでたりするし、1人殺して結局すぐに銃は使いこな出た訳だし、あれだけオヤジが生きていた頃は「うんうん、パパ頑張る!!!まかしといてや!!」だの過剰なまでに媚び売ってたかと思いきや実はめっちゃ冷めてたるするしで完全に小悪女である。
それどころか今回の記事のテーマである『ベイビーわるきゅーれ』主役である「ちさと」と「まひろ」自体別に正義の人ではなくむしろ「殺し屋」であってヤクザであるとか性悪な人間を殺すことはあっても、決して純粋に生粋の正義の味方で敵なヒーローであることはなく、むしろ彼女らですら「ヴィラン」にカテゴライズされるべき存在でもあり得るのだ。
そう考えた時に北岡ひまりが初めて彼女にとって運命的好敵手であるちさとに初めて会った瞬間彼女はこう言い放ったことを思い出したのだ。
そう、あの「あんたと仲良くなれそう〜!!」という台詞である。
このセンテンスを聞いた瞬間、これが噂に聞いていた例の殺し屋が意外や意外、自分と性別・歳が近い女の子だったという表面上の共感だけではない何かもっと深い次元でのニュアンスめいたのものを感じ取ったものだ。
要するに、このちさとという子は私と同じように、どこか自分のやっている事に闇と不安意義とを抱えつつ自分が本当に指向するべき理想の大人像とは何かを模索しているのかもしれない、だから同じ瞳の奥にある悲しみのようなものを感じる、との意味での「あんたと仲良くなれそう〜!!」という言葉が発せられたのではなかろうか。
もしかして....ひまりとちさととはどういう共通点があるのだろうか?
そこで杉本ちさと、深川まひろ、そして北岡ひまりという3人のキャラクターを4分類してまとめてみた。
ここで驚くべきはなんとまあ服装のセンス以外での杉本ちさとと北岡ひまりの共通点の多いことという点である。
まず①性格に関していうと「殺し屋」「普段」「バイト」とにモード使い分けるちさとと、「親父」「彼氏」「敵」とで各モードが違うひまりとは振り切れ方が驚くほど一致している。これは社交性という事と連動してくるがちさとのまひろに対して「おでん作ってくれてありがとう」であるとかあのぶっ壊れた洗濯機に「ぐいぐいしちゃダメだよ。」という言葉だとか、「面接どうだった〜?」という言い方が悉く「お母さん」なのだ、これは回数見るごとに感じる。それだけにメイド喫茶での殺しモードにふっと変貌していくギャップに驚いたりするんだな。それに対してひまりのあの従順な犬かってくらいヤクザの父親に愛想振り撒いてる様と、そ例外のふっと見せる冷静な視線とのギャップはやはりちさとのそれに近い。どちらも計算され尽くした感情のコントロールというべきか。
あと②社交性に関してもこの二人は似てて最初は失敗しつつもなんとかうまくいくエピソードとして象徴的なのが先輩の指導を受けてパンケーキ生クリームであり、父の背中を借りて銃をうつそれぞれのエピソードである。
最後に④にまひろをお姉さんか母親かのように擬似家族のように接するちさとと、心の欠乏を埋め合わせるべくアル中寸前に酒に浸るひまり。
この観点から言うとどちらも家族的愛情に飢えていることの現れかと思われる。
それらを考えると二人と全く相反する要素があるのが「まひろ」であり、本編中まひろとひまりとが会うことがないと言うのもなんとなく運命めいたものを感じてそれも頷ける気もするのだ。
ちなみに先に触れたちなみに洗濯機の「ぐいぐいしちゃダメだよ。」シーンが公開されているのでここに載せておく。
Appendix.と言う名の本音
で、最後の最後にちょっと毒を含んだ本音っぽくなるが、本作品の主題歌について触れておきたい。この作品ではちさと役の高石あかりさんと、まひろ役の伊澤沙織さんをフィーチャーした軽快なヒップホップ要素を混ぜたパンクロック曲『らぐなろっく〜ベイビーわるきゅーれ』という曲が主題歌と言うよりも挿入歌として使われている点である。で、実際に主題歌的スタンスのある曲は 『STAY GLOW feat.TAKUMA (10-FEET)』と言う曲なんだけど、正直『らぐなろっく』だけで良くない?と思ったりもするのだ。
別にあの曲自体はパワーがあって、良い曲だと思うんだけれど、あそこで描かれている「Stay Glow it's breaking down」などのポジティヴィティ溢れる英詞がそれほど本編とマッチしてるように思えないのだ。むしろ『らぐなろっく』をエンドロール込みで流した方が良いんじゃないかと思ったり。
この辺りに関しては、もっと深く個人的にも思う所があって最近のインディーズ映画は本作以外でもクオリティ高くて素晴らしいのが多いんだけど如何せん主題歌と映画本編との不均衡みたいなのは感じる所はある。せっかく内容ぶっ飛んだ作品なのに主題歌がコンサバティブなものでエンドロールでテンション下がること本当よくあるんだな。あと全作品映画本編は素晴らしくとも主題歌がどうにも及第点なんだな、「取ってつけた感が満載」というかそのセンスが著しく欠けてると思う。あと超個人的な意見ではインディーズ映画本編と主題歌のクオリティがイーブンだったのは『テロルンとルンルン』における日食なつこの『vapor』ぐらいなもんだと思う。
映画制作者は普段私の聴いている鈴木実貴子ズだ、Boiler陸亀だ、Vanityyyだ、Who the Birchだの、thanだ、インディーズロックバンドをもっと認知して音源聴くなりライブ行くなりでもっと勉強しろと言いたい。
だって彼らを起用すればもっと映画がぶっ飛ぶからだ、と言うここまで誰も読んでないだろうという自分勝手なオチ(笑)でまたまた11600万字をも超える本記事を終わらせたいと思います。
*1:どれだけ熱狂したかといえば過去記事参照
*2:本作におけるネタバレありレビューはこちら。
*3:あと阪元裕吾監督作品では『黄龍の村』もややネタバレありレビューを書いている。
*4:あとちょっと気づいたのが『サマー〜』凛太郎演じた #金子大地 と『ベイビー〜』メイド、姫子を演じた #福島雪菜 の顔の作りがそっくりって事が判明した。
*5:あと更なる余談だが深川まひろさん、茶髪にした時のSSWの鈴木実貴子さんに雰囲気ってか髪型がソックリでアクションシーンのたびに彼女を思い出してしまうのだが、これは多分私だけだろうな。
*6:浜岡ひまりにおける【悪役なのにどこかしら憎めない】この感じ、つくづく去年同じく熱狂した『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ(平井珠央)だなよねとかしみじみ思ってたら二人とも偶然「レプロエンターテイメント」という同じ事務所に所属してたのも妙に納得してしまった。
*7:こういうサイトも参照した。
*8:しかし『ベイビーわるきゅーれ』の浜岡ひまり(秋谷百音)における【悪役なのにどこかしら憎めない】この感じ、つくづく去年同じく熱狂した『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ(平井珠央)だなよねとかしみじみ思ってたら二人とも偶然「レプロエンターテイメント」という同じ事務所に所属してた件
*9:
*10:そう考えると『サマーフィルムにのって』には一切ヴィラン臭が排除されてるのが印象的。花鈴と言う女の子もあっさり「勝負なんて思ってもなかった」と中盤で告白してたし。