NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

なぜ今「スペシャルアクターズ」に私は狂いまくってるのか??? 完結編

0. 『スペアク』3rdシャワーの焦点!

今もなお個人的『スペシャルアクターズ』旋風は止むことはなくて早くも3rdシャワーである。とは言え世の中TLを巡れば10シャワーだなんだかんだ、二桁以上超えてる人ってザラにいるし別に取り立てて凄い数字じゃないと思うんだが、兎にも角にも3回も劇場で観る事自体は我が人生では史上初でなのである。そもそも一回行ったけど舞台挨拶あるんならという邪な理由きっかけだったから純粋に内容を吟味しようと思って2回以上観たのはこの映画が初めてである。

ちなみに初めて2回以上劇場で観た作品はカメラを止めるな!

....上田慎一郎監督よ、なぜあなたはいちいち私の映画鑑賞経験史上初記録を樹立するのだ笑

もうこうなりゃ多分スペアク関連でイベントでもあって、こっちの予定とがバッチリ合えば東京に遠征するよ、てかライブならともかく映画関連で遠征って史上初なんだよね、もう絶対パンフレットに残りのキャスト全員分のサイン埋めてもらう任務があるのだから。

だってよくファボとRTをくださるこの方々のこの辺まだまだ隙間あるんだもんよ...w!

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なんでここまでハマったんだろう......というのも理由は明らか。 コチラのTwitterの通知欄を見ても分かるとおり彼らのリアクションがもう半端なく凄いからってのもある。ハッシュタグで #スペシャルアクターズ と呟けばとにかく出演者、関係者などのファボやRTが素早くくる。

特に出演者でも仁後亜由美さん、南久松真奈さん、櫻井麻七さん、津上理奈さんなど、特に女性陣のリアクションは時間帯によってはとにかく速い。11/3の津上さんなど多分ツイートして15秒後ぐらいだったぞ!音楽界隈の某フォロワーなど素人のくせになかなかリプライしても反応がないいわゆる「リプ蹴り」する事だってままあるこんなしがないSNSという仮想社会で、しかもカップ麺すら完成しない15秒ですぞ!

で、この通知欄の写真見るとこの出演者でワンシーンでも撮れるんじゃないかってくらい壮観な光景ではないか。基本的に私は本映画には肯定派だから彼らにとってポジティブな意見しかツイートしないんだけど、中には批判的な意見も出てくることがあってそういうのにもちゃんと反応してたりするのも凄い。真摯に意見を聞こうとする彼らが、ここまで反応してくれる、とこっちだって真摯に作品に向き合おうと思うもんな、そりゃ3回だって4回だって観るってなもんだ。*1

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 というわけで今回は3rdシャワー後の光景として前回触れなかった点をかなりマニアック目に考察し、更に今後の『スペシャルアクターズ』に関してどうあるべきかについても触れていきたい、と考えている。

 

1.「スペアク」における舞台性

今回の3rdシャワーではストーリー展開含む内容云々は既に知ってしまっているので、以下の当時の3rdシャワー直後に放ったツイート通り役者一人一人の演技に注目して鑑賞することにした。

感想もこんな感じで、私的テーマは「もしもスペアクが舞台作品だったら。」だった。

 

 

ほんとこの観方はキャラメルボックス などの演劇によく行く自分の経験からすれば、一人一人のセリフの妙や演技、動きなどを検証する意味で映画というより演劇のそれに近いと思う。

という訳で今回個人的にピンときた3つのシーンに絞って検証していきたい。

 

1.1. シーン❶;津川里奈のカリスマ性

まずはこのシーンって凄く印象に残りますよね。これは主人公和人が津川里奈の部屋に侵入して色々とやりとりをする箇所があるのだが、その内容云々はともかくとして、この時のシーンというよりも津川里奈の佇まいがとにかく岩井俊二作品を彷彿とさせて『リリイシュシュのすべて』の久野陽子(伊藤歩)と『花とアリス』の有栖川徹子(蒼井優)の正面アップを足して2で割った様な印象を持ったものだ。なんか画面の映り方も独特のフィルム加工されてるよ様な気がして、岩井映画っぽくない??と思うくらいとにかく独特な場面である。でも、これは別に根拠がないのではなく、なんとなく理由があって、「彼女にはセリフが無い」からであるというところに起因するのではないかと思う。そう、岩井作品でも、アリスにしたって、久野陽子にしたってとにかくセリフを最小限度に絞って表情であるとか、光の写りや全体の色などによって彼女の心象風景を映し出す場面が結構あったように思う。

 

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で、「台詞がない」っていったいどういう効果があるんだろうって考えると、どこか神秘性を増す効果があるのではなかろうかと思う。荻上直子監督作品のレギュラーである、もたいまさこ出演の「めがね」「トイレット」にも顕著で、とにかくセリフを最小限に抑える、或いは全く喋らせないことによってその登場人物の神秘性が高まるのである。最初にこの津川さんがあのTシャツで出てきた瞬間、信者の中の信者的なオーラが物凄くて「あれ?この人もしかして教団幹部的なポジションに近い人??」って真っ先に思ったもん。あとムッスーのポーズを無言で決めたときのあの圧倒的な「この人はもう完全に洗脳されている感」の圧が凄かった。あと先の場面に話を戻すと、着物着ているシーンがあるからという相乗効果も相まって信者を超えて幹部というよりちょっと教祖っぽいんだよね。

そこで、多分旅館明け渡していずれ教団幹部とかになったらこんなこと起きるんじゃないかと妄想したりして以下....

 

【津川理奈が教団幹部にまで上り詰めた後、旅館の経営などを巡って徐々に津川が口出しをするようになり、次第にムスビル内部でそれに反対する大和田親子サイドの保守派と、日頃から津川になんらかの神秘性、カリスマ性を見出して、彼女を持ち上げようとする河田&七海サイドの急進派とで対立構造が発生。

その対立構造はますます激化し、後者は津川を教祖に仕立て上げ「新ムスビル」を立ち上げる。やがて信者間でも対立が見られ、挨拶方法も従来のムッスー派と常にボールを常備してそれをにぎにぎしながら挨拶するオニギリ派とで分裂する様になる。】

 

 という『スペアク・アフターストーリー』、上田さん、次回作かスピンオフにでも如何すか??とか思ったんだけど彼女は基本的に信者でいる間は「断口」してるので口出しも何もできないんじゃないかという超重要なバグに気づくw

はい、お後がよろしい様で、、、、*2

 

1-2.シーン❷;ムスビル帝国崩壊直前の瞬間

で、妄想ついでにもう一個、個人的大スクープであり、あるいは誇大妄想でもここらでブチかましときましょうか。

そう、例の旅館めぶきでの客室のシーンである。このシーンは映画の中でも結構な緊迫感あるシーンが続くのだが、特に前回の記事で触れた真奈役の南久松さんの「3人の写真撮ってたよ」アクトもさることながら、今回の3rdシャワーで分かった事実を幾つか書き連ねたい。

まずは、この時の山下一世さんの演技がすごいって事。前の場面では七海幹部に誘惑されて、あのバカ高い480000円ものするガゼウスポッドなるものを見せられて、ビクビクして購入寸前にまで追い込まれてた時期とは違うのだ。この「こいつを捕まえましたよ!」の時って完全に洗脳されて目の色と顔つきが変わってたのを3回目にしてようやく確認できた。南久松さんの写真撮ったぜアクトが凄かったから2回じゃ気づかんかったよ。

次に、この後色々とバタバタとする訳だが、霊能者(丹後真由)まで入ってきてオバケが出るだのなんだので、大騒ぎになって、電灯が点滅したりで教祖様はもう人並み以上にビビりまくって、最終的に霊能師がムスビルの4人を追い詰めるシーンがあるのだが、この時のムスビルの4人がそれでも、なんとかまだ「教団」としての威厳を保とうと四苦八苦しようとしている描写が示唆されるのだ。

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 そう、ハッキリ言いましょうか、あの追い詰められて4人が固まっている姿をシルエットにするとちょうど三角形になるいわばこれがガゼウスポッドの継体まんまなのだ。

 これは意識的か無意識的かはわからないが、その時の七海幹部の手の形がセミナーなどで教祖が信者の前に登場する時の河田と七海が両端にいて誘導する時のペンギンの様な手の形まんまだったのである。しかもその七海幹部は、一度ふらっとよろめいてから、さらに体制を立て直そうとしている描写があったのも見逃さなかった。これは急所を撃ち抜かれて、一瞬怯みながらもガゼウスポッドの三角形の形にと、立て直そうとしている様に感じ取れたのである。まさに真奈信者が包丁を主人公に対して向け、刺そうとしたのと同じ空間において、むしろムスビルサイドの方が本当の意味で彼らの心臓部を打ちぬかれた瞬間、だったのではないだろうか。これは、妄想を極めた私的見解といえばそれまでだが、この場面によってある意味話の内容が一区切り決着がついてて、後は安心モードで鑑賞できた気がしたものだ。

音楽のライブで言う所の中盤戦になるハイライトが終わってあとは終盤からアンコールへ向けてのお馴染みの盛り上がり曲の花火を打ち上げる直前の光景というか。その真意はさておきこれは一回目を観たときの印象から変わらない。

でも、ほんとこれ具体的な写真がないのがもどかしいんだけど、まあ、また作品を観に行く予定のある方は是非確認して頂きたく思う。

 

1-3.シーン❸;「カメ止め」におけるリマインド効果 

前回のブログでは「カメ止め」と「スペアク」に見られる違いを検証したがここでは逆に「スペアク」に見られる「カメ止め」性について検証するべく「*リマインド効果」という観点から述べていきたい。

(*リマインド効果=【単にあるものを思い出させる】という意図のもとちょっとカッコつけた浅い考察でも深く見せるための造語w、)

 

まずは以下の写真をご覧いただこうか。


【リマインド効果❶】

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ね、もうソックリですよね!?

右側は今回旅館めぶき男衆の一人(広瀬圭祐さん)なのだが、見た瞬間、誰もが「カメ止め」のあの主人公である濱津隆之さんのルックスを彷彿としたはず。いや、これは単に両人とも髭面&濃い顔の組み合わせってだけでなく。どこか見た目の割にはこの人は絶対良い人であろうというテイスティな印象を残す意味でも同じ。そう言えばこうして比較してみれば二人の目の光の度合いや輝きが似ているね。どこか悲しげとか深い海の様な目をしている。

 話は脱線するが、よく「モーガン・フリーマンは目で演技する。彼の目は深い海の様だ。」ってレビューを目にするがまさにあんな感じなのか。*3

ま、こういう一見濃いんだけど望まれぬテイスティさを残す人っていう記号を残しといて視聴者にリマインド効果を促し、ある種安定感&安心感を受け付けるというか。

そう考えると『カメラを止めるな』と『スペシャルアクターズ』はどこか対称的ってか表裏一体が感あってあとはほんとポジションは同じでもキャラの方向性が違う人は多い。

*4

今回の上田作品には欠かせないというか。その意味で彼が唯一『カメ止め』と『スペシャルアクターズ』とを結びつけるリンク的存在なのかもしれません。

 

【リマインド効果❷】

リマインド効果という観点でさらにもう一つ具体例を挙げてみようか。

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ま、今度はあんまりソックリじゃないすけどね笑

カメラを止めるな!」にメガネ女子というキャラクターが存在していた。これがカメラ助手役をしていた松浦早希という人で、とにかくこの人はどこか「トーテムポール何度も滑ったり、「メールしたんですけど!」などと文句言うスキンヘッドのナイーブな男の対応の仕方など、とにかく鈍臭くも素朴な感じがあって、でも憎めない、癒し効果を醸し出していた印象だった。

そして今回「スペシャルアクターズ」でもそんなメガネ女子が満を辞して存在する。ズバリ、劇団員の激情型演技派、清水八枝子である。この人が出てきた瞬間松浦早希を彷彿としたものだが、

❶ 「一回縛られてみたかった。」と告白→そのまま猛ダッシュする、

❷ 「猿轡をしてみたかった。」と告白

❸ ナイフ持って鼻血垂らして叫び倒す

 

などなど、、、、あげればキリがないがもはや予めキャラクターの初期設定自体があらかじめブチ切れモードなのが分かる。

これは『カメラを止めるな』を観たものに、「メガネ女子」という既視感にも似た記号を与えることで軽くあの作品をリマインドさせ、そのギャップでそのインパクトがさらに加速するそんな効果がここでも見られるかもしれない。

いずれにせよそう考えると『カメラを止めるな!』と『スペシャルアクターズ』はどこか対称的ってか表裏一体が感あってそれぞれ両作品のキャラクターを比較してみるのも良いかもしれない。いずれネタができたらやろうかな?

 

2. 2019年10月16日のなんばパークスシネマにて

そういえば、まだこの映画を観る直前、と言うかそのキッカケとなった出来事にも触れてみようか。そう、映画公開二日前(10/16(水)のなんばパークスシネマでの出来事。

この映画観る最大のキッカケだった上田慎一郎監督、大澤数人さん、三月達也さんらが手売りで目標枚数300枚売り上げ達成をかけて前売り券を販売していたあの日、のことである。

 当時のツイートは以下の通りだ。

 

この日私は最初に2枚購入し、その後一枚知り合いのために引き返しもう一枚購入という合計3枚ものムビチケを購入した。

私はその時に、上田監督、今考えれば主役である大澤数人さん、とムスビル教祖の親である三月達也さんという物語の超重要キャストにこういう事を伝えている。

 

「上田監督の映画は観終わった後、最初は知らない人でもヒーロー、ヒロインになっている。この作品もそういうふうになるのではという予感がひしひしと伝わってきます。」

 

いや、もはや予言したかの様に当たっているではないか!

しかも、その予言をさらに上まる形で実現してしまっていることは言うまでもない。

 

それどころか、なんて私はこの二人に堂々と「❶最初は知らない人でも」などと失礼な事をいえたのだろうw、更に「❷こういうふうになるのではという予感」とまで言っているではないかw、もっと確信があるとか絶対そうなるぐらいの自信があるぐらいの事は言っといてくれ、当時の自分。

でも❶はほんとに彼らを知らなかったんだから仕方ないんだけど、あと❷に関していえばこういう風に反省して、こうして日々twitterやブログで大絶賛を綴っている自分が今いるってことで許してほしい(笑)。

それにしてもこの時の写真を見て思うが、それと比べて三月達也さんもそうなんだけど特に大澤数人さんは、ここ最近のお写真を見てもずいぶん引き締まったというか、俳優としてのオーラが出てきた気がする。いや、彼ばかりでなく、他のキャストの方々も時々オーディション当時の写真や集合写真など見るにつけ、本当皆しもSophisticate(洗練)されてきてるのだなあと、お世辞抜きで、ファン目線抜きでも思う。

まさに彼らが今時を経て公開を経て、様々な局面において人前に出てアクターからスペシャルアクターへの道を走っているってことだろう。

 

これは間違いない真実だ。

 

3. 終章「スペシャルアクターズ」たちへ送る歌

さて、これで終章。一応これで前回の記事と今回でなんとか言いたい事の大部分は言えた気がするので、多少シビアなことも含めてまとめねばなるまい。

今現在「スペシャルアクターズ」はどういう評価に晒されてるのだろうって事で、それを最も端的に表しているのが以下のレビューとそのタイトルである。

movies.yahoo.co.jp

いや、本当それ。まさにこのレビューが言っていることに何ら反論するところはない。

映画の評価はスターマーク×5なのにほんとお客の数に尽きる。正直自分が行った回は初日公開初日金曜日の夜と、木曜日の夜、そして土曜日の朝と行った風に、平日と休みの朝というあまり条件の良い日程ではなかったものの、すべての日程の観客を足しても20人程度だったのはほんと残念な話だ。要因としては多分『JOKER』や『マイフィレセント2』など大ヒット作が軒並み同時期に公開され、テレビなどの媒体はそっちに流れたのかとか、宣伝効果の意味でもいろいろ要因はありそうだが、こんな素晴らしい邦画作品と観客動員数は割が合わなすぎるのだ!

でもこれは映画だけではなく日頃聞いている音楽なんかでも「こんな良いミュージシャンなんでもっと世の中に浸透しないんだろう。」ってのはよくあるのだ。

そもそも「割が合う」って言い方には語弊があるのかもしれないが、ほんとに素晴らしいもの、評価されるべき作品や人となりなども含めてきっとそこに収まるべき枠組みがあるのだ、まさに英国のオルタナティブロックバンド、Radioheadの曲名を借りるならば「Everything in its right place(全てはあるべき場所に)収まるべきものだとと考えている。

 

因みに、まさにそんなことを考えて今回私が新たに作ったスペシャルアクターズ専門のTwitterアカウントにもその言葉を載せている。*5

そういえば、鈴木実貴子ズという自分がここ夏ぐらいに最近ハマって大好きなバンドの今の時点での代表曲の一つで「アホはくりかえす」という曲があって、その歌詞の中身が、まさに先ほど言ったEverything in its right placeということを謳った素晴らしい楽曲なのだ。 

 

個人的にこの曲の歌詞ってどうにも今回の『スペシャルアクターズ』に対する私の思いとダブりまくるのだな、この歌詞の部分とか特に。

  

何が悪いとかの話じゃなくて

あるべき場所にあることが

どんなに素晴らしいことなのか

それを僕は知っておきたい

 

あるべき場所にあるだけさ

あるべきものがあるだけさ

なるべきものになるだけさ

やるべき事をやるだけさ

 


アホはくりかえす / 鈴木実貴子ズ

 

この曲のコアは実は後半にあって前半で

 

「キャバクラに変わってしまったライブハウス」、

「虐げられて犯罪に走ってしまうロックスター」、

「こんなにも繊細だ自慢のシンガーソングライター」、

「ワンタッチ見た目だけのロック」

 

などの現状をぶちまけそれらを全部、ランドリーにぶち込み、最終的に歌詞の引用部分を歌うことによってそれら全ての中で、どれが本当にしかるべき評価を受け、しかるべきステイタスを得るべきである、本当にあるべき姿のものは肯定性に導かれるべきという祈りにも似た思いを歌っているのだ。

 

この曲を聴きながらふと、思い出す事があった。

上田慎一郎監督が『スペシャルアクターズ』のファンの総称を「アクターズ」と呼ぼうと言った事を。その呼びかけもあって、実際にそう呼び合っているコミュニティも存在している。これは紛れもなく、あの映画があの言う結末を迎え、エンドロールの後で本当に彼らがマジモンのスペシャルアクターズとして活躍する、そんなストーリー展開を構築する手助けをする余地が与えられているのは他ならぬ我々ではなかろうかと思うのだ。

彼らはほんとに連日のトークイベントやゲリラで舞台挨拶をやったりで本当に素晴らしくホスピタリティ溢れるプロモーションを展開している。でもまだまだこの作品が置かれるべきあるべき場所には程遠い気がするのだ。まさにこれからも、本気で我々もスペシャルアクターズ達が本当のスペシャルなアクターズになるシナリオを考え、ストーリーを実現させる番なのかもしれない。

 

これは勿論、別に彼らに対する情け、であるとかボランティア精神、だとか、サインや写真をとってもらったからだとか(笑)そう言う建前的なものでは決してなく彼ら一人一人へのリスペクトに根差したものである。

大事な事なのででっかくだすが、

 

上田慎一郎監督率いる『スペシャルアクターズ』の面々がこの作品を通じて「僕たちが人生でこれからも映画を楽しむ事を卒業できない本当の理由」を教えてくれたことに対する感謝の気持ちだからだ。

 

 

 

 

 

This article is dedicated to Ueda Shinichiro, Special Actors and Actors.

 

[Fin]The Movie Must Go On....

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:Togetterで集めてて思ったが、批判的な意見と言ってもそれほど辛辣なものがないのが特徴。せいぜい「『カメ止め』ほどインパクトに欠ける。」とかその程度のものが多い。ほんと誹謗中傷の類は全くないのが、ネガ・ポジどんな意見持とうが良い視聴者に恵まれてるんだなと思う。

*2:でもここそういうことになるのを狙って断口させたのだとしたらムスビルの悪賢さっぷりは凄いよね

*3:筆者はモーガン・フリーマンの良さが全然わからんのだがw

*4:前作のどんぐりさんの役目は、物語を進行する上で重要だったのだが、これは確実に今回では麻奈さんに値するだろう。でもこの2人のキャラクターのベクトルが見事になまでに真逆ってのも興味深い。

*5:勿論Radioheadの曲名からの引用だが歌詞の意味内容的にはむしろ鈴木実貴子ズの方がしっくりくる。