0.はじめに*1
私がキャラメルボックス観劇の際に必ず行うことは「トーク&フォトブックの購入」である。ここ10年くらい年2回~3回程キャラメルボックスの演劇を観劇しているのでもうかれこれ30冊ほどコレクションしている。その理由は劇が始まるまでのちょっとした時間潰しができることと、観劇記念に形(お土産のようなもの)として残しておきたい、というシンプルな思いからである。今回も例外なく当演目のトーク&フォトブックを購入し、劇場の座席に座り、ふと本の背表紙を見るとa girl who leaps through time という英語表 記に気付く。ああ、これが「時をかける少女」の英訳なのかと思って「時をかける」の「かける」に相当するleapという動詞にはどういう意味があるのだろうと思い電子辞書を引い てみることにした。するとそこには「躍進する、ジャンプする」など、前へ向かって飛躍 的に前進する語義が元になっている事が分かる。
さらに次のページをめくると「未来が待 ちきれなくて走り出してた。」というセンテンスが飛び込む。
そうか、これがこの物語の本質なんだなと思うと同時に、快活な少女が時を飛び越え、未来へ向かってジャンプする細田監督のアニメのヴィジュアルイメージがぱっと浮かんだ。そのような事を考えているうちに、上演が開始され、劇中ではleapは動詞というより、time leapという表現で名詞として使われることを知る。そしてあの劇中何度も繰り返さ れるあの圧倒的なtime leap演出で、そして何度もそれを目撃することで、もはやtime leapをその場で体験しているようだった。
1. TIME LEAPって何??
ところが、私の中でふとある一つの疑問が浮かびあがってきた。それは主人公まなつがtime leapによって行く方向が本来leapという表 現の持つニュアンスと噛み合わないのではないかという疑問である。なぜならまなつが行く方向は時間単位であろうと日数単位であろうと全て過去であり、その過去というある種時間軸としては後ろに向かうような気がしたからだ。さらにその証拠としてleapという表 現はあくまで前向きに跳躍するという意味がありforward(前へ)などの前置詞と共起することが多い。
以上の理由からたとえ1分先、1秒先であっても未来という前向きな時間軸 に向かって行く場合にのみtime leapという表現が使用されるのが自然で、過去に戻る時 にはleapを用いるのは不自然なのではないか、という結論に至ったのだ。(あえてこの場合はtime turning back、time-going backという表現の方が適切なのではないかと捻くれた事も考えてしまった。役者さん達は台詞として極めていいにくそうだが...)
ただ、ここで誤解しないで頂きたいのはその一点だけがふわりと疑問に感じたのであって決して「面白くない劇だ。」と思っていたわけではない。何よりも主人公演じる木村玲衣の、単に清純なありきたりのヒロインではなく「time leap使えちゃうんだよーへっへー😄 」みたいな少々茶目っ気のあるけどどこか憎めないこのキャラクターが魅力的でとにかく観ていて心地よくて仕方なかった。
あとこれはキャスト構成なのか、演出によるもの なのか分からないのだけれど今回特に全体的に演劇独特のやや不自然ともとれる言い回しや設定がなく、実に自然かつ素直に物語に感情移入する事ができた。もはや本劇は私にとって「時空を超える少女のSF物語の舞台。」という枠を超えたリアルな人間ドラマとして成立していた。だからこそ先の疑問のみがふわりと浮かび上がっていたのかもしれない。
2. まなつが「世界」を駆け抜けた!
そんな疑問を抱えたままいよいよ舞台は感動的な記憶消しのシーンを経てクライマックスへと進行していく。
そして、最後のまなつのとあるセリフを聞いたまさにその時、私はハッとある重要な事実に気付いてしまった。
ああ、この瞬間か!
この時か!!
今か!!!
そう、今まさにこの瞬間にこそようやくまなつは真の意味でのtime leapという特殊技を取得できたのだ!!!
これまで幾度もなく彼女が過去へと時間軸を超えてきたいわゆるtime leapというものは私の予測通り真の意味でのtime leapではなかったのだ。
そう、まさにこれこそが「時空 を超えたtime leap forwardの達成」の瞬間!
あるいは「未来が待ちきれなくて走り出してた」瞬間!!
まさにこれが。。。「時をかける少女」!!!
全ての疑問符が感嘆符に変わり、興奮醒めやらぬ私の気持ちに対してさらに追い打ちをかけるように、エンディング曲として鳴らされたハルカトミユキの『世界』の歌詞の冒頭部分がストレートに耳に飛び込んでくる。
君に甘えてた 全部だめにした 好き勝手夜を かき回して
まだまだ大丈夫と言って いつまで子供のつもりでいたんだ
(ハルカトミユキ『世界』より)
この歌詞の「好き勝手夜をかき回して」の部分は劇中では過去へのtime leapと符合する。 さらに「いつまで子供のつもりでいたんだ」の部分はこの場合のtime leapにはまなつが 「少女から大人への心の成長」を遂げたという解釈が可能であることをも示唆する。
何よりも今私の中で大好きな演劇集団と、一押しのアーティストとが共鳴しあって、コラボレーションするようなその瞬間は私の中では最高のハッピー・エンディングだった。
3. 時を「かけた」少女
この観劇の二日後、京都のとあるカフェで行われたハルカトミユキのアコースティック ライブに参加した。
そのライブの前日(私が観劇した翌日)、ハルカ氏がスケジュール上の 都合で「『時をかける少女』を観にいけない、残念!」とのツイートを目にしていたので、 ライブ後お話できる機会がもしあったら(お節介ながら大エンディング曲記念に)「トーク &フォトブック」を手渡し、いかにその時「世界」が鳴らされたか、と伝えようと考えていた。その直前に電車の中でふとフォトブックの背表紙をふと見るとa girl who leapt through time と、leapが実は過去形だったことに気付く。
あれ???これじゃ、「時をかける少女」ではなく「時をかけた」になってしまうのでは...いや、いいのだ、少女まなつは2015年8月21日木曜日午後9:00頃サンケイホールブリーゼにて、本当に時を駆け抜け、その時約2000人ほどいた観客である私たちもそのtime leapの瞬間を目撃かつ体験できたのだから。