NENOMETALIZED

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日常を取り戻すと言うことの意義〜 ねこはっしゃ。の『ふたり、静かに』を観劇して

 0. はじめに

まさかの不意打ち。それは、大阪は日本橋にある小さな劇場インディペンデント・シアター1stでの空晴主催による『ふたり静かに三回目の鑑賞時、本編終演後の一言挨拶の時に起こった。

*1

ついぞ、さっきまで70分ほど舞台上で「静か」を演じた演劇ユニット「ねこはっしゃ。」のメンバーであり、演劇集団キャラメルボックスに所属している、俳優・林貴子が終演後の一言挨拶の中で、胸一杯な気持ちを抑えようにも抑えられないといった風に、時として声を詰まらせながら、でもしっかりと、瞳の奥に溢れ出るものを抑えられずにせきを切ったようにこう捲し立てたのだ。

「去年、コロナ禍で自粛期間に入ってしまって、全く演劇ができない状況が次々と続いて行ってもう腐ってしまいそうになりました。だけど今、こうして舞台の上に立っている私がいる。ここで役を演じたり、皆さんの笑顔がふと見えたり、セリフの一つ一つを放つ瞬間が愛しくて仕方ありません......」

.....もはやこれは単なる終演後の舞台挨拶とか言うレベルではなく、今放たれた言葉の一つ一つがここずっと続いているこのコロナ禍の闇を経て、ようやく舞台に立つことができた、四人の役者たちのドキュメンタリーを観ててその最もクライマックスシーンに立ち合っているようでもあった。

私もマスク越しに泣いた.......あの〜、事前に断っておきますが、私は本来冷酷かつ鈍感な体質で、舞台にしろ、映画にしろ、音楽LIVEにせよ、その会場などでぱっと様々な感慨を抱くことはほぼほぼなくて、あくまで当時は客観的に観てて、ある程度時間が経過してから徐々にその噛み締めるような傾向にある人なので、その場で「涙を流す」と言う行為はほぼない。そんな私ですら彼女の嘘偽りなき「セリフ」に思わず、私も目の奥の洪水を抑えられずついつい貰い泣きしてしまったのだ。

いや、これはゲリラ豪雨的な不意打ちだった。

そして気づいた「そう、この感覚を忘れていた!」と。

冒頭部分、舞台上で、役者たちが笑っている光景を観て感動の鳥肌が立ってしょうがなかった。

しかも、2005年に初めて演劇に触れた初演ver.の『クロノス』以来ずっとサンケイホールブリーゼ辺りに観に行っている、あの演劇集団キャラメルボックスの主要メンバーである原田樹里が、林貴子が、森めぐみがテーブルの上にある○○○○○○○を指差して笑ったかと思えば、それからゴミ箱に入っている〇〇を取り出してはそれをほうり投げて、腹を抱えて爆笑している。

 

そもそも、コロナ禍以降、私達は何度、腹を抱えて笑った事があっただろうか?

 

これこそが、演劇であり、舞台であり、ライブであり、そしてその全てでもあり、更にそこに止まらぬこれがエンターテイメントのあるべき姿を一気に取り返した瞬間だったのだろう。

Evanescence風にいうならBring me back to life!(言う必要もないけどw) 

 

そう、本記事はインディペンデントシアターにて開催された空晴特別公演『ふたり、静かに』を東ver.を2回、そして西ver.を一回観劇したレビュー、キャストの魅力、そして演劇とは何か、更にはエンタメとは何かにまで考察を拡張したルポルタージュである。

本記事の構成は以下の通りである。

 

table of contents 

1.『ふたり、静かに』 レビュー

2.『ねこはっしゃ。』におけるCa(s)tたち

1st Ca(s)t 森めぐみ
2nd Ca(s)t原田樹里

3rd Ca(s)t 林貴子

4th Ca(s)t 空晴と西ver.

3.いつか観た演劇

Focus1『 明日もう君に会えない』

Focus2『無伴奏ソナタ

Focus3『Focus3 ナッポスユナイテッド系列作品』

4. 日常を取り返せ〜エンタメの果たすべきロールとは]

 

1.『ふたり、静かに』 レビュー

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まずは『ふたり、静かに』。

この演目は演劇集団キャラメルボックス*2所属する原田樹里、林貴子、森めぐみによる、特にヒロインになったり、時に重要な役割を担ったりと、演劇集団キャラメルボックスのあらゆる演目の屋台骨となっているといっても過言ではない3人組の派生ユニットである、ねこはっしゃ。・による3回目の舞台である。恐らくではあるがこの話の脚本を書いたのが今回の主催劇団となっている空晴の中心人物である岡部尚子であると言う経緯から今回彼女らはゲストで呼ばれたのであろうと容易に想像できる。

 この辺りの経緯や紹介などは公式ホームページに記してあるので参照されたい。

www.karappare.com

*3

 

The Brief Story of『ふたり、静かに』

ここは、深夜のある、「シャルマン」と言うマンション305号室での出来事。

ふとそこに入ってきたのはどこか浮かない表情で小さな買い物袋を机に置く妙齢の女性、ともえ(森めぐみ)。

買い物袋には封筒とカップ麺。

そうこうしているうちにピンポーンとインターホンが鳴る。

「なぜ、こんな時間に!??」訝しげな表情のともえ。

思わず怖くなって知り合いに電話をかける。

覚悟が決まってドアを開けるとあっけらかんとした同世代の「シズカ」と名乗る女の子(原田樹里)がズカズカと家に入ってくる。

そしてまたまた眼鏡をかけたやはり同世代の女性(林貴子)が。え、この女性も「静か」と言っている!???こうして集まったお互い見知らぬ者のようで見知っているような三人の奇妙な会話劇が展開する....

 

 

....と記述するとちょうど女性三人がメインキャストであったりとかユニット名の繋がりから90年辺りで人気を博したあのテレビ番組やっぱり猫が好きのような、シチュエーション・コメディ的な軽い感じのものを彷彿とさせるかもしれないが、冒頭の深夜の部屋で「ピンポーン」インターホンが鳴ってともえがビクッとして知り合いに電話をかけるシーンなどは物凄いドキドキさせ、本格的な緊張感ある殺人ありのサスペンスでも観ているようだった。

 さらにシズカの謎の「フォッ」みたいなくしゃみとセリフの入るタイミングや、遺書でも遺言でもなく「遣言(けんごん)の入るタイミングの絶妙さで笑をとる感じであるとか、ともえがLINEを送るシーンに最初はノリノリだった二人が次第に飽きてきて「もう、長ない?」と突っ込むタイミングなんかも絶妙で、ものすごくハイレベルなコントを観ているようであった。

途中、静かが恋愛に疲れているともえに自らの人生経験を思い出し、ついつい自分の人生経験とのオーバーラッピングから感情移入してしまって自分の情けない身の上話を機関銃のようにエモーショナルに放つ様は、まるでチャップリンの「独裁者」の演説に匹敵するほど(いや、これは大袈裟でもないよ笑)のど迫力だったりと、一つ一つのシーンがすべてエッジが際立っていて極めてハイクオリティさを感じるのだ。

そしてこれは特筆すべきことだが、演劇集団キャラメルボックスに所属している彼女らだけあってどこか「人が人を想う気持ちの大切さ」に触れる温かさであるとか、一旦泣かせといて笑わせるようバリエーションに富んだ演技の妙も遺憾なく発揮されている

 その辺りの演劇集団キャラメルボックスの人気演目『時をかける少女』に関して詳細に論じたレビューに関しては以下をお読みいただきたい。

*4

nenometal.hatenablog.com

 そういう意味でも本演目は演劇のエッセンスに満ちて溢れた、言わば演劇界におけるシングル・ベスト盤的な意味合いがあるのではないかとすら思えるほど。

更に時間もコンパクトに「70分」とケツが痛くならない程度の時間に濃くもキチッとまとまっているので演劇に初めて触れる初心者にうってつけではないだろうか。 

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2.『ねこはっしゃ。』におけるCa(s)tたち

1st Ca(s)t 森めぐみ(as ともえ)
 恐らく、ではあるがキャラメルボックスの演劇鑑賞歴で個人的に彼女を最もよく観ているのでは無いかと思うぐらい私の中では非常に安定感が半端ない女優である。ヒロインでも、脇役でも。2枚目寄りの役にもどれもバッチリハマるんだけどどこかぶれない支柱というのがあるが、敢えて一点に絞って彼女の魅力を述べるならば「声」のバリエーションの豊かさというか聴き心地の良さである。
あの穏やかながら抑揚のある、しかも自然に発せられる声は演劇がもたらす敷居を軽く飛び越える力があると思う。そもそも「演劇が苦手だ」という人の多くは「役者のセリフ回しが演説口調で大袈裟すぎる」特に女優のキンキン叫び倒すようなセリフ回しが耳障り」とはよく言われるし、そこに関しては共感せざるを得ない部分も否めない....と言うのもいくら演劇が好きな私でも「もうちょっと気張らずに、リラックスして自然に演技できませんか?」みたいな人は少なからずどこかにいたりする訳だけれど、この森めぐみには一切そういうのが無くて、めちゃくちゃ自然に入り込める。

具体的にはボーイフレンドと思っていた男に突如別の女との結婚を突きつけられてダウナーになってしまった心理状態から、そんな気持ちを振り切って「あんな男はクソ」と言えるまでの微妙に変化する女心をとても自然に演じきっている。あと今回は東ver.の2度目は直前の予約当日券狙いで言ったはずがキャンセルが出たらしくてA-1というどまん前というめちゃくちゃ良い席だったが、思わず恋に敗れ傷ついた心を抑えきれず泣くシーンがあるのだが、本当に涙を流してるのを知って驚いた。まぁ台本では「そこで泣いてるシーン」として書かれてるんだろうから、プロの役者としては当たり前かもしれないがとても心打たれた場面だった。

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2nd Ca(s)t 原田樹里(as シズカ)

本当に表情豊かな人だ。まるで安野モヨコ辺りのマンガで描かれるようなヒロインがさながら飛び出してきたようなクルクルした目が印象的で、喜怒哀楽などの感情を多彩に表現できる役者だと思う。そして見た目がスマートでショートカットというルックスなので後述する『明日もう君に会えない』などの女医役のようなキリッとした役柄(いえ、シャレではありませんw)もさる事ながら、逆に三枚目な役割もこなすことができ、関西ネイティブ特有の高速ツッコミモードへの切り替えも鮮やかなので優等生とコメディモードとを両モードこなしても自然にやってのけるバランス感が絶妙である。
今回はどちらかと言えば今回大人しめな役所のともえ(森めぐみ)や、どこか陰キャラ入ってミステリアスな側面のある静か(林貴子)達に比べ観ててとても安心できる安定感のある役所で、このマンションシャルマン3人(+1)の奇妙な空間感を仕切るリード的役割を担っている。

そして本公演の初演の時のDVDと比較してわかる事だが、例のアレルギーでくしゃみをする場面があるのだが、前回普通のくしゃみだったのに対して、今回くしゃみのバリエーションが低く「フォッ」と放つスタイルに更新されてて、その奇妙なくしゃみが笑いを呼ぶタイミングがものすごく絶妙ですごく面白かった。まさに笑いと会話の絶妙なインターバルを呼ぶ「フォッ」。*5

そういう意味でも本演目は「え?」とかいう間投詞が絶妙に入る感じとか、このくしゃみや「遣言」が台詞の間に出るタイミングとか絶妙すぎて、ものすごく細部まで楽しめる舞台だと思う。てか「絶妙」めちゃくちゃ使ってるな。でも絶妙という言葉がこの女優には絶妙なのだ。

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3rd Ca(s)t 林貴子(as 静か)
ものすごくざっくり言うと、役者には2通りのタイプがあると思う。
一つはその人の本来持つキャラクターを生かした演技をするタイプ(極端に言えば田村正和とか木村拓哉とかああいうザ・その人みたいな感じ)と、役柄が取り憑かれたかのように憑依する天才タイプとがあるように思うのだが、恐らくこの林貴子は紛れもなく後者。

キャラメルボックスの公演でも『トリツカレ男』(2012)や『彼女は雨の音がする』観る度に印象が変わっているし、何なら今回の「静か」と初演の「静か」とですらかなりキャラクターにメリハリとある種の「濃さ」が加わっているように思う。この、シャルマン305号室に偶然上がり込んでしまった、このちょっと真面目そうだけど、陰キャラ入ったような謎多き存在は最後の最後まで我々を翻弄させた。しかも彼女のどこか内に秘めたエモーションが見え隠れするこの役柄は、プロフィール写真などで見受けられる愛想の良い柔和な表情とは明らかに違うのだ。まるで役柄が「乗り移った」かのような印象を受ける。

 特に凄かったのは初めてあの部屋に上がった部屋への緊張感がビシビシ伝わってきたし、あの封筒の『遣言』の文字に怯えたあのビクビクするあのシャイネスと、後半の自分の浮気者の夫との離婚話をする件でのあのチャーリー・チャップリン『独裁者』的なキレっぷりとの落差はとても迫力があった。

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4th Ca(s)t 西ver.と空晴

ここでは敢えてねこはっしゃによる東ver.に焦点を絞って論じてきたが、実は西ver.も一度ではあるがしっかりと真前の座席で鑑賞している。これまた濃いキャスト陣でこれもまた同じ脚本演出でこうも変わるのかという発見に満ちていた。キャラメルボックスのメンバー東ver.以上に3人のキャラクターのエッジがよりエクストリーム&ソリッドなものに仕上がっていおり、東ver.にあった感傷的なニュアンスをよりコメディに振り切った印象があった。

特に印象に残ったのはねこはっしゃでは林貴子が演じた「静か」役の是常祐美(写真上)の演技は圧倒された。

前の章で林貴子ver.の静かに対して

静かが恋愛に疲れているともえに自らの人生経験を思い出し、ついつい自分の人生経験とのオーバーラッピングから感情移入してしまって自分の情けない身の上話を機関銃のようにエモーショナルに放つ様は、まるでチャップリンの「独裁者」の演説に匹敵する、と述べたが、こちらはそれ以上のど迫力。チャップリンというよりあの映画が元ネタになっている本物のヒトラー級のど迫力である種観てて時空を超えた感すらあったものだ(笑)。

そして、もう一人ここで紹介しよう。

こちらは東ver.の方の話だけど、空晴に所属している古谷ちさ(写真下)お好み焼きの出前かなんかで、深夜シャルマンにマンション名を間違えて入ってくるその名も「誰か」を演じててこちらも関西人特有の迫力ある演技を見せてくれたと思う。

「豚玉チーズモダン、こちら関西産だから、もうキャベツは多めです。いや、もう全部キャベツです。」という(これは体感するに限る。文字だと面白さは伝わらないんだけど笑)辺りのあの機関銃級の畳み掛け方はもう絶品で某難波にある新喜劇も顔負けの大爆笑を生んでいた。

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この二人の存在のみならず、東ver.から溢れ出るキャラメルボックス風味の味付けを主体にしたヒューマニズムが溢れる雰囲気とは異なり、もっとこちらはエモーショナルな感じから滲み出る人情味が溢れ出ていたのが西ver.の特徴なのかもしれない。

ここまで主に東ver.にフォーカスを当てキャスト紹介をしてきたが、インディペンデントシアターのようなこじんまりした小劇場でキャラメルボックスの役者を観るのは2019年の夏以来だった事を思い出す。

次節では『ふたり、静かに』にゆかりのあるともいえる主にキャラメルボックスに関連する演劇作品について触れていきたい。

 

3.いつか観た演劇

Focus1『 明日もう君に会えない』

小劇場で、かつ原田樹里繋がりでふと、2年前の演劇のメッカ下北沢での劇『小』劇場にて開催された、山口ちはるプロデュースで、原田さんも出演された明日もう君に会えない』と言う演目のことを思い出す。 

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 【Brief Story of 明日もう君に会えない 】

ここはとある田舎町。

両親を災害で失いお姉ちゃんと二人で暮らすなつ
いつものように親友のさきとあかりとわかと川沿いの堤防を歩いている4人
なつは誰にも言えない、秘密があった。

なつは産婦人科のドアをノックする。

ここは堕胎が禁止された世界。その世界で生きる女性たち。

一つの選択を禁止された世界で起こる圧倒的絶望の中で彼女たちはその問題にどのように向き合っていくのか 彼女たちは歩み続けるだろう、ひと時も止まることなくただひたすらに前を向いて歩き続ける 何で世界はこんなにも不合理で残酷で救いがないのだろう。

 

小劇場に入ってみて驚いたのは舞台セットは一面の水、水、水!!!!

その羊水とも三途の川とも取れる人生の縮図のような水槽の中で【新たな生命を体内に宿す】という命題に直面した様々な女性達の間で繰り広げられる肯定と否定と葛藤の物語である。

感情が揺れる度に水飛沫も共鳴する、その瞬間に何度も涙した。 しかも、映画『リリイシュシュのすべて』の『回復する傷』や、Haruka Nakamura『カノン』を彷彿させるノスタルジックな曲達と、登場人物達が歩く度に聞こえる水飛沫や照明の青空、雲、ヒグラシの鳴き声達とと共鳴するように時折鳴らされる楽曲群が素晴らしい空間を演出していた。

本舞台は当時の東京旅行2泊3日の予定のところを、1日延長してまでも観た訳だが、中でも直前に見た舞台では『スロウハイツの神様』で大好評を博していた原田樹里 さんが、人の生命を左右する本演目のキーパーソンである女医役を演じてる事がとても大きかった。

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 また、繰り返しになるが、個人的に映画・音楽・演劇に感動する事はあれど所謂【泣く】事がないのだが今回例外的に涙腺を刺激したのが田中文乃(写真右)演じる主人公なつの親友さきだった。

狂ってしまった親友を優しく諭すさきの気持ちに感情移入した。彼女自身も多くの劣等感を抱えながらも敢えてその闇を閉ざし親友達にポジティヴィティを与えようとするあの健気さは号泣ものだった...。終演後、実は直接原田さんとお会いできる機会に恵まれ、その時ちょうど『スロウハイツの神様』のDVD作品についての感想や、本演目での、水槽の役割とは何なのかなど色んなことをお話しできたのを覚えている。本作は未だに心の奥底に深く刻まれている。是非円盤化してもう一度本作に向き合いたいとも思うが、劇場での一期一会感が逆に刹那的で良いのかなとも思ったり映画の中にも様々なジャンルがあるが、時に人生観を突きつけてくる素晴らしい作品や直接演奏者によるパフォーマンスによって音像を体感できる音楽ライブにはそれぞれ、映画館なりライブハウスなり、そこでしか味わえない魅力があるが、直に人生観に向き合う事を余儀なくさせる演劇は持って帰る「何か」が特別である

その意味でちょうど2年前の今の時期に自分内最高傑作を維持している不動の未だ鳴りやまぬ演目について思い出した。

 

 Focus2『 無伴奏ソナタ』

さて、その演劇の名はねこはっしゃ。のメンバーも所属している『演劇集団キャラメルボックスの人気演目『無伴奏ソナタである。

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本作はもうDVDでも、劇場でも何度見たかしれんキャラメル個人的観劇史上ベスト3に君臨する傑作演目である。自宅鑑賞レベルですらクライマックスに巻き起こる客席とか舞台とか演出とかあらゆる次元を超えたある瞬間に打ち震え涙した、4D映画でもなし得ぬ演劇ならではの奇跡の様な話である、と言って良い。*4

 

【Story of 無伴奏ソナタ 】

孤高の天才音楽家であるクリスチャン・ハロルドセンはある規律を破って

音楽を作ることを禁じられてしまう。

だが音楽を愛してやまない彼は罰せられては指を切られ、罰せられては声を失ってしまう。

でもそんな、音楽を奏でる全ての術を剥奪され、ボロボロになった果てに生まれた彼の渾身のオリジナル曲「シュガーの歌」。

その歌が全世界に鳴り響いた時、彼は生まれて初めて喝采を受ける。

彼を包む喝采はこんなにも希望と称賛と肯定に満ち溢れていた。

 

 

....という話。

だが、この舞台はそこでとどまらずにある奇跡が起きる。耳も、声も、自らの指も音楽には必要とされるであろうものの全てを喪失して、ようやく彼を監視するウォッチャーから解放されたときに彼の作ったオリジナル楽曲『シュガーの歌』が人々の中で歌われ続ける事を知ったのちに、彼を称える街の人からの万感の拍手を受ける場面で、客席からも物凄い拍手が起きたのだ。製作者のコメントを見るにつけ演出の意図にはなかった事で、客席にいた人はもう必然のように無意識で沸き起こった拍手だった。

涙でグチャグチャになりながらも希望と絶望の入り混じった拍手をするのは生まれて初めてだった。多分舞台上から眺めてみると、この喝采の中で、彼の生き様を肯定する観客一人一人の顔で涙の光がキラキラ輝いていただろう。

クリスチャンは確かにこの舞台に降臨し光輪(こうりん)に包まれた瞬間があったのだ。

キャラメルボックスは本当に彼を降臨させ真の「シュガーの歌 」を響かせた。

そんな演技や演出を超えたリアリティがあったのだ。

が演劇を愛す事を卒業できない理由は全てこの演目にあったと断言して良い。

キャラメルボックス アーリータイムスVol.3『無伴奏ソナタ』

 

Focus3 ナッポスユナイテッド系列作品

かがみの孤城

演劇集団キャラメルボックスのメンバー(多田直人・渡邊安理・原田樹里・木村玲衣)が揃って舞台にいるという事実がサンケイホールブリーゼで何度も観たキャラメルボックスを彷彿とさせた。彼らに演ずる生駒里奈ら中学生達にとっての【大人たち】がもたらす安定感はかつてのキャラメルレジェンド達から脈々と受け継いでいる事をも確信させた。

【他人は自分を映す鏡】

とはよく言われるが、不登校ゆえに自己を投影できない孤独な中学生達が毎日の様に集う鏡の奥の別世界。

飽きさせない高速展開も、劇的かつ感傷的に交差する音楽の絶妙さも成井豊節が炸裂しまくっていた。私にとっての演劇鑑賞とは正に自己を投影する かがみの孤城 そのものである事を確信させた作品である。

 

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『仮面山荘殺人事件』 

計10人で繰り広げられる憎悪、嫉妬、殺意、愛憎など様々な感情が渦巻き錯綜するサイコサスペンス。今思えば冒頭で放った社長の台詞「役者は揃った」というセリフから戦いの火蓋は切って落とされたのだ。

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こちらも成井豊演出で、演劇集団キャラメルボックスのメンバー(原田樹里、畑中智行、坂口理恵、筒井俊作、関根翔太)がブリーゼの舞台に立っているという事実が何よりも嬉しかった。

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しかしこの作品も最後の最後でどんでん返しが来て凄かったなぁ、てかちょうどこの演劇を観た一ヶ月後にスペシャルアクターズ』を観たのだが、あの驚きはまるで一緒。
しかも平野綾の気品の良さっぷり半端なかったし他の人も魅力あるし辰巳琢郎のポロシャツの自分と色被ってる点が地味にウケたっていうのは本当にどうでも良い話ですが...笑

 

そういえばこれを書いている2021年7月7日からあと3日後、このナッポスユナイテッド系列作品としては個人観劇歴3作目にあたる『容疑者χの献身』を観に行くのだ。これまたメンバーが多田直人、渡邊安理、筒井俊作、木村玲衣、大内厚雄、岡田さつき、オレノグラフィティ、山本沙羅....とざっとあげるだけでもザ・キャラメルボックスと言っても過言じゃなさすぎるメンツなのだ。しかもこの演目自体何度も再演されてるししかもキャラメルボックスも活動再開宣言してるしでこれまで観た二作とは違う意味合いと心持ちで観劇できるのでは、と思ったりする。

 

4. 日常を取り返せ〜エンタメの果たすべきロールとは

ここまで他の演目に触れてきたが、話のテーマを今回の『ふたり、静かに』に舞台を戻そう。

この話は冒頭で三人があれこれいろんな事をしながら腹を抱えて爆笑するシーンで始まり、同じように腹を抱えて爆笑するシーンで幕を閉じるサンドイッチのような構造になっている。

そもそも人が【腹を抱えて笑う】キッカケってどうなんだろう、って考えた時に実はしょうもない事が多くて、別段上質なコメディー映画でも、或いはM1かなんかで賞取ったコントでもなく、面白いギャグマンガでもなく、ごくごくありふれた日常の片隅に転がっているような些細な事だったりする。彼女らが指差して笑っているのはそんな光景だ。

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例えばそれはすっかり伸び切ったカップラーメンや、ツッコミ所満載の誤字だったり、あり得ない聞き違いであったり、或いは他人のしてしまったあり得ない「勘違い」であったり...。

 我々は最近、コロナ禍を経て、そんな些細な光景に我々は出会す事がすっかり無くなってしまった。と同時に腹を抱えて笑う機会がすっかりこのコロナ禍によって殺されてしまったと思うのだ。

我々が想像している以上にこのコロナ禍と言うこの深い闇は我々の日常のありふれた光景や感情のありかまで根こそぎ奪ってしまったのかもしれない。

 そんな事を気付かされたのは、70分ほど舞台上で「静か」を演じた林貴子氏の声を詰まらせながら、瞳の奥に溢れ出るものを抑えられずにせきを切ったようにこう捲し立てたあの終演後の挨拶である。

 

もう一度、引用してみよう。

 

「去年、コロナ禍で自粛期間に入ってしまって、全く演劇ができない状況が次々と続いて行ってもう腐ってしまいそうになりました。だけど今、こうして舞台の上に立っている私がいる。ここで役を演じたり、皆さんの笑顔がふと見えたり、セリフの一つ一つを放つ瞬間が愛しくて仕方ありません......」

そこで改めてこれまで様々な考察をしてきて気付くのは先ほど述べたように、もはや単なる終演後の舞台挨拶レベルではなく、今放たれた言葉の一つ一つもコロナ禍を経て、ようやく舞台に立つことができた、四人の役者たちのドキュメンタリーのクライマックスシーンに立ち合っているようでもあったし、更に舞台上の三人は、そして我々は日常を取り戻しつつあるのだと言う希望の光がそこにあったと思う。

 

思い出してみて欲しい。

金佑龍氏のテーマ曲が流れる中、冒頭の爆笑シーンを見て誰もが不思議に思う筈なのは彼女らが指を指して爆笑する対象物が全く見えないではないか。

 

ゴミ箱の中の遺書の入った封筒も、

っかり伸び切ったカップラーメンも、

猫が好きそうなガチャガチャ暖簾も舞台上には全くの不可視状態。

 

まさに失われた今現在の我々の日常を象徴しているかのような...

 

それから70分の時を経て、この『ふたり、静かに』と言う演目に触れるにつれ、ラストシーンにゴミ箱の封筒も、伸び切ったカップラーメンも、ガチャガチャ暖簾もその全てが明るみになってくるのだ。

 

その時ふと思った。

今回の公演はコロナのコもなかったような2019年の初演の頃とではすっかり初演とは大きく意味合いが異なると思う。これらのものが無意識のうちに、不可視であることから可視化する過程はコロナ禍を経て我々が日常を取り戻しつつある事への希望や願望を写像したかのような演出になっているのだ。

 

この記事を書いている今2021年7月7日時点ではまだ東京公演公演を残しているが私が鑑賞したインディペンデント・シアター千秋楽の模様を撮影・編集した「ふたり、静かに」配信ver.があるらしいが、その時にこの林MCは絶対配信に入れるべきだと思っているがどうだろう。

 登場人物の会話や表情の細かいニュアンスに神経を研ぎ澄まし、ふと足枷を外されたように笑いの渦に突き落とし、更に人が人を思いやる暖かさに触れ瞳の奥から込み上げるものが溢れてきた 「最高に泣ける爆笑シーン」をもたらしたこの『ふたり、静かに』

 

....にしても最後の林の一言メッセージの意味.....あの言葉は私が演劇というエンタメに惹かれる理由そのものがそこに君臨していると断言して良いと改めて思う。彼女の言葉に僕らがエンタメを卒業できない理由の全てが内包されているからだ。

そう言えば、私は冒頭で

 

そう、本記事はインディペンデントシアターにて開催された空晴特別公演『ふたり、静かに』を東ver.を2回、そして西ver.を一回観劇したレビュー、キャストの魅力、そして演劇とは何か、更にはエンタメとは何かにまで考察を拡張したルポルタージュである。

 

と記したが少し訂正したい。

コロナ禍で演劇ほど開催への影響をモロに受け、配信スタイルを採用するなど苦悩と挑戦の岐路に立たされたエンタメはない。本記事は ねこはっしゃ。『ふたり静かに』にとどまらず、そんな演劇に対する感謝とエールと希望の光を込めたファンレターとして位置付けたい。

 

【付記】
そもそもこのねこはっしゃ。の『ふたり、静かに』を初めて観たのは直接劇場に赴いた訳ではなく、去年の3月のまだ世間がコロナ禍に晒されて来た衣、DVDを通販購入したのがキッカケである。内容以前に、ちょっと感動したのが封筒のネコの可愛いイラストで、この心のこもった感というか、ホスピタリティに感動し、絶対生の舞台を行こうと誓ったものである。

そして公演当日が一年3ヶ月後の6月26日、土曜日のインディペンデントシアターの正に開演前、少し時間があるので会場前の日本橋公園で休憩していたら偶然目の前をあの時のイラストレーションソックリのネコ 🐈が通り過ぎたのだ。

イラストのネコ、現実のネコ、そして舞台上のシズカという名のネコ。

この三匹の猫がもたらす伏線は、もうすでに舞台の幕は去年の3月から上がっていたというネコオチにて見事に回収される。

さてさて、まるで一年前と今とを結びつける出来事に思わずホッコリしてしまったというネコオチでこのまた12673字にも及んでしまった本ブログを締めくくろうと思う。

*8

 

 

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ふたり、静かに🐈🐈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:空晴のホームページついて以下に記しておく。

www.karappare.com

*2:ここ2年活動休止してて最近活動復活したから堂々と書けるこの喜び笑

*3:ねこはっしゃ。の公式サイトは以下のようなものである。

nekohassya.wixsite.com

*4:ここでなんとなく元劇団の製作総指揮だった加藤昌史氏の現在広報部長やられてる人気ラーメン店「ムタヒロ」を何気に紹介したりして(笑)

nenometal.hatenablog.com

*5:そういえば『スロウハイツの神様』で他の人がソーメンの薬味がどうのこうの熱く語ってる最中で彼女が「どうでも良いわ、そんな事。」かなんか突っ込むシーンがとてもツボだった。で、下北の劇場での『明日もう君に会えない』終演後それを伝えたことがあった事をふと思い出す。

*6:初演の時と違うのはマスクをする場面があったり、あと「ウーバーしちゃう?」というセリフがあったり今回の公演はコロナ禍仕様になっている事が分かる。

*7:確かにキャラメルボックスのメンバー勢揃いのナッポスユナイテッド系列作品だが、どうもわたし的には加藤昌史氏がいないと物足りない感がったのも正直なところ。でも今度復活公演を行うようだがこれは完全に【キャラメルボックス】っていう印象になるんだろうか?

*8:まぁSNSでもYouTubeでも猫出しときゃインプレッション上がるみたいだしね(←元も子もねえ言い方)