NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

今年最強の歴史的名盤となるか?鈴木実貴子ズ『外がうるさい』全曲レビュー!!!

0.歴史的名盤とは

唐突だけど「歴史的な名盤」の基準って一体何なんだろうか?

f:id:NENOMETAL:20200406220428j:plain

いや、こういう風に大それた命題を掲げてみたものの多分話はそう単純でなものではないだろう。例えば、シングルヒット曲を数多く放ったアーティストがそれらの曲を軸として、残りは新曲や未発表曲などをかき集めて10〜12、13曲ぐらいコレクションしたアルバムをリリースしたとしようか。それが、例えかつて90年代CD全盛期のような100万枚だのバカ売れの仕方をしようとも必ずしもそう呼ばれるとは限らないと思う。何というか、そういうパッケージングであるとか、周りの期待に煽られてとか、そういう前もって取って付けたようにリリースされるものではなし得ないことだと思う。

 それを何というか、もっと次元の違うものなのだ。いや、次元すら感じさせないようなスッと世の中の必然に呼び込まれて出てきたような時代の産物的なものが「名盤」としてカウントされるのではなかろうか。更に言ってしまえばもはや運命としてそうなるように決まってるんじゃないか、時代が時代を呼び込むようなもの、更に言えばむしろ時代がその作品の後に追従してしまうようなものではないだろうか。

では具体的に60年代辺りからいわゆる名盤として考えられているものを挙げてみようか。

*1

【世界の名盤クロニクル〜主に7のつく数字編】

1967 The Beatles『sgt. pepper's lonely hearts club band』

     The Velvet UndergroundVelvet Underground & Nico

1977 Sex Pistols 『Never Mind The Bollocks 』
1987 New OrderSubstance』/ U2 『Joshua Tree』etc...
1997 Radiohead 『OK computer』

   The Chemical Brothers『Dig Your Own Hole』

   Björk『Homogenic』 etc...
2001 Radiohead 『KIDA』etc...

 世の中に蔓延る、名盤ディスクガイド的に例をここで挙げるのはかなりのスペースを割いてしまうのでかなり的を絞った形でここで提示したが、まさにこれらのアルバムを見てみると驚くほど「シングルヒット」の影が少ないことに気づく。というよりもむしろ、曲単位というよりもアルバム全体として解釈されるべきものが多く、中にはリリース当時賛否両論があろうとも、或いはそれほどセールスに影響してなくても、じわじわと評価されてきたものが多いようにで見受けられる。

 これはどういう事だろうか。

話が複雑化してきたので少し方向性を変えて、映画フィールドでそれを分かりやすく説明してみようか、あの2018年度の日本アカデミー賞を制覇した万引き家族を。

あの作品の公開直後、実は世間は思うもよらぬ偶然にざわつき始めていて、実はあの作品の公開1週間前くらいの時期を狙い定めたかのように登場人物と全く同い年の女児の虐待事件が起こったのだ。映画作品ではよく観た人が話のキモをバラしてしまう、ネタバレ禁止問題が取り沙汰されたりするが、それは観たものがSNS上で撒き散らされたものではなく、現実に起こった残忍な事件自体がまるでネタをあげてしまっているというこの歪な恐ろしさよ。こういうのってもう何だか、諦めるしかないのだと思う。もうの作品が傑作であるほど必然的に時代の空気を丸ごと背負わされざるを得ない「カルマ」のようなものなのだ。

結局何が言いたいのかもう断言してしまおう。そのカルマ的名盤が生まれてしまったのだ。

今起きているこの令和2年になって間もなく、全世界を圧倒しているこのコロナという得体の知れないウイルスで包まれて、世の中の誰しもが今陥っている混沌と混乱の状態の中でインターネット、テレビ、新聞、街の噂、政府のアクションなどが飛び交うこの喧騒の中で、様々なこの騒々しすぎほどの声、声、声、声、.....に対して我々が今直感的に思っている事をものの見事に言い当てたようなタイトルを有するアルバムがこの4月頭という絶妙なタイミングで生まれてしまったのだ。

 

 

 

 

 

『外がうるさい』


鈴木実貴子ズ 2ndアルバム『外がうるさい』ティーザー

この偶然に我々は驚きを隠せないでいるのだ。本タイトルは紛れもなく折に触れて、本ブログでも大絶賛している2ピースオルタナティブロックバンド鈴木実貴子ズが令和2年4月3日にリリースしたニューアルバムに付けたタイトルなのである。*2 因みにこのタイトルは自分の記憶が確かならば、タイトルが発表されたのはまだ2月の頭くらいまだまだ新型コロナウィルスなど、それどころかそういう言葉自体もまだそれほど猛威を振るっていない頃で、ライブなども普通に行われていたある意味牧歌的とも言える時期に発表されたものだ。だから本人達がこの言葉を生み出したのは更にもっと前のことだろうということは当然察しがつく。そうだ、別に現在のようにライブハウスが疫病の諸悪の根源のような扱いをされ、世の中のライブというライブが中止延期に追い込まれている世間に対して放っているのではないのだ。だが世の中を見回してみよう。自粛だ、反自粛だ、緊急会見だ、星野源の動画問題だ、まさに世間は、世界全体が喧騒で満ち溢れている、本当に「外がうるさい」状態そのものなのである。

もうこの時代の流れに偶然にも引き寄せられているようなこのタイトルを見るにつけ、その図らずも偶然に一致しまっているという事実に驚愕と賛辞に思いをこのバンドにぶつけてしまう。本アルバムを聞いた直後の小生のツイートも興奮しきっていることがわかるw

 

 

『外がうるさい』

1. 問題外
2. 口内炎が治らない
3. 限りない闇に声を
4. 夏祭り
5. バッティングセンター
6. 音楽やめたい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)
7. 都心環状線 (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)
8. ばいばい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

Soto Ga Ulusai

Soto Ga Ulusai

  • 鈴木実貴子ズ
  • ロック
  • ¥1528

  本盤は全8曲という曲数ゆえ、パッと見、ミニアルバムの体をしているのかと思いきや、全くそういうことはなく前半は新曲を中心としたスタジオ録音と後半はライブハウスで一発録りで録ったライブバージョンとで構成されて非常に作り込んだ形となっている。前半の1〜5曲目まではこれまで時折ライブで披露されてきた新曲や、実貴子ソロで披露されてきたもののバンドスタイルでは初レコーディングとなるバンドアンサンブルを高めたスタジオversionと、後半の6〜8曲目は既存音源を更にライブハウス録音によってより実貴子のボーカルのエモーショナル度を高めた加速度LIVEバージョンという二部構成となっている。本記事では前半を1.スタジオversion、後半を2.妄想 LIVE house versionとして全曲を過去に行ったライブで実際に聞いた感想と歌詞の一部を取りあげたりして論じていきたいと思っている。

 

1.スタジオversion

❶問題外


鈴木実貴子ズ「問題外」(Official Video)

多分去年秋ぐらいからではないかと思うのだが、確信は持てぬものの、本曲は元々仮タイトル『宗教』というタイトルで鈴木実貴子ソロでもライブで披露されていた曲である。以前ライブ後実貴子ズメンバー・ズ(いさみ)氏によれば、当然のことながらこの時世に『宗教』というタイトルでは少しまずいだろうということで『問題外』に落ち着いたのだという。

以下、本曲の出だし最初と、曲全体が終わる直前のラストフレーズを上げてみよう。

宗教なんて関係ない金銭なんて関係ない

...

❷性別なんて関係ない感性なんて問題外 

宗教なんて...】から始まって問題外で曲は終わるのだから最初の言葉ではなく最後の言葉をタイトルに付けたと考えれば世の中の権力に屈しなかったなって思うとしっくりくるではないか笑。でも本曲を聴けば『宗教』という元々のタイトルだと、実貴子ソロとして切々とアコースティック・スタイルで演奏するイメージに適している感じがするが、『問題外』と言う風にタイトルが明るみに変わった事によって、一層バンドサウンドとしてのサウンドスケープがふわっと広がっていくような気がする。*3

 そしてこの曲を最初パッと聞いた時に、特にメロディー面で「鈴木実貴子ズ必殺技」と言った趣で真っ向勝負の曲だなぁと思ったものだが、その箇所は特に個人的に

【助けての声は聞こえない 雑踏の中じゃ聞こえない】

のメロディにそこをとても強く感じたものだ。もはや、この辺りのメロディって鈴木実貴子ズ特有の必殺技的な、少しフォークっぽい感じの穏やかだが耳に残るメロディだし、更に、ズ(いさみ)氏のドラムがドン、どん、とまるでワルツの様に入ってくる箇所とが合わさった瞬間に感じる絶妙な安定感がほんと2ピースバンドならではという感じがするのだ。そしてこれは1-5曲のスタジオでの前半パート全体に言えるのだが、とにかくバンドサウンドがカッコ良すぎるのだ。彼ら二人の土台を更に後押しし、畝るようにギュインギュイン入ってくるエレキ・ギターのサウンドが印象的だし、ベースにも言えるんだけど、本当によくサポートギターやベースが二人のサウンドや詞の世界をしっかりと理解して享受してそして先へ更新していってるのだと思う。それに後押しされて、鈴木実貴子のボーカルもこれまでリリースされてきた(ミニ)アルバム中で、最もライブで見せるような、腹の底から絞り出すような激しめなヴォーカリゼーションが更に導き出されているように思えるのだ。もうほんとにこのアルバムは間違いなく彼らのキャリアの中でも最高傑作に位置する、と断言して良い。

*4

 

口内炎が治らない


鈴木実貴子ズ「口内炎が治らない」(Official Video)

先ほど大人の事情を鑑みて『問題外』に修正した、と前述したが、その割には、本曲の歌詞のエッジの鋭さには狂気すら感じてしまう。よくよく見たら描写としては、ポップミュージックとして換算するには表現スレスレ感のパートが散見するのだが、もうライブ披露当時から何ら一切変更を加えていない点は凄い、もう良くやった!とさえ思う。でも鈴木実貴子ズってバンドはつくづくそういう強かさのみならず、柔軟性をも兼ね備えたバンド絵もあるということも魅力の一つであろうし、アルバムでもこの曲の持つピリッとしたスパイス感はとても重要だ。それにしても、まるで90年代のオルタナティブを象徴するバンドであるニルヴァーナの『About a girl』辺りの不穏な曲でも始まるようなイントロに続いて、

❶メンヘラ女 自信に満ちた目ん玉 左ボールペンでさして

❷嘘を重ねて商売道具を灯油をかけて燃やしたい

というフレーズで始まるこのギャップのもたらす、この何ともザマァミロな感じのカタルシスがあってとにかく小気味がいい。それにしてもライブ披露中もずっと思っていたが、歌詞にある口内炎って一体何だろう。最初にこの曲を聞いた昨年夏の終わりの明石でのライブの時からずっと個人的に思うのは、口内炎とは別に口の裏側にできるアレのことだけを言及しているだけじゃなくて、以前から【何も考えて無さそうな人】の中にも知らず知らずのうちに蝕んでいる的な、まさに今全世界を圧巻しているコロナ疫病のようなものであり、もっと抽象的な見方をすれば何か人間の根元にある感情のヒダ、のようなものだと捉えている。その意味でも本アルバム自体には『外がうるさい』という楽曲こそ収録されていないが「口内炎が治らない」というフレーズ自体が最も、その直感に近いニュアンスを持つタイトルではなかろうかとも思ったりする。鈴木美貴子ズはとにかく口内炎にしろ環状線にしろ具体的に存在するものから抽象的に自己の中にあるものへの転換する歌詞が多い。そこで歌詞を読み込んでいくと、或いはアルバム全般を聞いていくにつれ、なんとなく本曲が「外の世界」に対する批評性とそれに対する自分自身のズレという点にも終始していてシニカルに聞こえてくる。

また話は逸れるが、ここ最近、人が言語獲得する上で最も高度な表現と言われるアイロニック(=皮肉的)な響きをする表現が、音楽分野のみならず様々な面で撲滅されていっている気がしているのだが、その意味でもこの曲の存在はとても貴重だと考えている。

 

❸限りない闇に声を


3/14(土) at 京都スタジオIZ 鈴木実貴子(鈴木実貴子ズ)ソロLIVE 対バン;北小路直也(MILKBAR) 村島洋一

本曲は2019年にリリースした鈴木実貴子のソロ・アルバム『しみつく』にも収録されている。*5

あの『しみつく』と今回の『外がうるさい』とでは印象が大きく違うが、既出のアコースティック・ギターのみでかき鳴らすソロバージョンの方がより鋭利でヒリヒリ感が高く、ボーカルの声の張り具合も引けを取らない点が特徴である。これは本アルバム内では非常に珍しい現象で、この曲以外は、既出バージョンより新バージョンの方がよりストレートに訴えかける様なアレンジとボーカリゼーションが施されているのだがこの曲に関しては全くの逆現象になっていると言って良い。いやむしろ『しみつく』バージョンの方がよっぽどオルタナティブなのだ。だからこそ、本アルバムのバンド編成サウンドでは静のイメージのある前半と、サビで一気にドラマティックに展開する後半とのメリハリを感じられるアレンジの元、実貴子ボーカルが安定してバンドという母艦に乗っかって進んでいるような印象に仕上がっている。

❶限りない闇に声を 塞ぎ込む君に愛を愛を

❷我が物顔で歩く正義を壊せよ今 壊せよ今

あと因みに、9月の明石でのアコースティックライブイベントの際にも第一曲目、最初に鳴らされた時にも思ったが、声のキーの高さからすれば彼女はよくリハーサルでの声出しにはこの曲が下地にあるのではと思ったが実際はいかがだろうか。

いずれにせよ、ライブの始まりを鳴らす「闘争宣言」というイメージのある本曲も、今回のアルバムでも同様に何らかのアジテーションをなす役割を担うものとしてうまく良い味を発揮している。

 

❹ 夏祭り

ここで触れておきたいのは鈴木実貴子のライブにおける「表現力」の凄さである。鈴木実貴子ズの音楽はとかく演奏であるとかを聴き、涙ではなく心の奥底から湧き上がる感情の洪水が溢れ出る感覚に襲われるのは、演奏を超えた嘘偽りなき「表現者」としての力にも魂ごと揺さぶられるからである。

以下の『夏祭り』のライブシーンの途中映像を見てみよう。


『夏祭り』performed by 鈴木実貴子ズ 2019/11/17 尼崎TORA

 まず前提として鈴木美貴子はよくLIVE中のMCで、「死生観」について触れることが多い事を念頭において頂きたい。しかも生きる側じゃなくて、死の方へもっとフォーカスを置いた感じの死生観である。本曲が生まれたきっかけも、まさにそう言う死に直面した彼女の経験から来ていて、2019年の11/17での尼崎toraでの本曲を演奏する前に披露した「友達というより、知り合い、がいて、最近Twitterの更新がないなと思っていたら、後々知ったんだけど、その人はもう死んでしまっていて...」というエピソードに基づいてる。この映像を見て分かる通り、彼女はまるで泣きながら歌ってるんじゃないかってくらい絶叫に絶叫の限りを尽くした咆哮で、歌い上げ、ふとギターにキスをするのだがその表現力に深く感銘を受けたりするのだ。先のMCで述べた通りの、亡くなってしまったその知り合いへの惜別の感情を抱くかのようにも取れるそのアクションに、この日のライブに対峙していた私はもう何とも言えぬ胸を締め付けられるような気持ちになったものだ。彼女には驚くほど夏の曲が多いが、それも蝉の泣き声、ギラつく日差しと共に生命力溢れる夏という季節の終わりを、夏光線で尽く死んでいく蝉の姿と人の一生の儚さに重ね合わせる鈴木実貴子自身の視点にも深く起因しているように思う。*6   本曲も紛れもなくきっかけは死んでいくものに対して、生きとし生ける側からの惜別の思いのみならず、死後の世界にいるであろう側の人々の気持ちに立ったフレーズがある。

「本当はもう一回やり直せるはずだった」

このフレーズの殺傷力は字面で受け取る以上に重い。偶然だが、今死ぬべきではなかったはずなのにというこの言葉って3月末に亡くなってしまったベテラン・コメディアンを偲んで寄せられたTwitter上で寄せられた多くの言葉の数々と偶然にもオーバーラップするのはまぁ余談として置いておこう。

 

❺バッティングセンター

本曲は個人的には『夏祭り』が死というものに目を向けた曲なのに対してこちらはひたすら「生きていく事の難しさ」にひたすら向き合った曲と言う意味で相補分布的と言おうか、表裏一体の曲だと思っている。また今回、収録されていないが『名前が悪い』という彼ら2ndミニアルバムの中に『チャイム』という曲があってあれは小学校時代から17:00のチャイムで帰っていたあの頃と違って

【仕事 お金 通帳 ケータイ 保険 しがらみ 支払い つきあい...年金 けっこん 介護】

などなど様々な事情を抱える大人になってしまった今の現実に立ちはだかり

【戻れないよなぁ 分からないけどやるしかないんだろう】

と何とか生きながらえていこうとするニュアンスが非常に近いのではないかと思う。そういう意味で『バッティングセンター』は『チャイム』とシンクロすると言えるのだが、次に前述した「表現力」という文脈では本曲『バッティングセンター』でも十分それが堪能できる。これも尼崎toraで4曲目に披露された時の抜粋だが、特にこの辺りに注目して聞いてみよう。

❶今夜はバッティングセンターに行きたい

❷やるべきことを見逃してめんどくさいこと見逃して

❸今夜はバッティングセンターに行きたい

❹悲しみなんか見逃して憂鬱なんか見逃して


『バッティングセンター』performed by 鈴木実貴子ズ 2019/11/17 尼崎TORA

 特に❷❹を歌っている時の表情に注目してみよう。歌詞に合わせたように❷の箇所では誰かに嘆願するような複雑な表情、さらに❹においてはまさに悲しみに満ちた表情をしたりとまるでこの曲が演劇か映画か何かを見ているような気分になるのは私だけだろうか。何よりも、本曲の笑顔も泣き顔も希望も絶望も綯い交ぜにした表情で歌い上げるその姿はどんな映画より演劇りも感動的である。

 

2.妄想 LIVE house version

さて、後半3曲は【無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN】と称された、無人のライブハウスで演奏されたバージョンである。なぜ、ライブ版なのかは、歌詞カードに以下の記述があることに注意したい。

f:id:NENOMETAL:20200406153439j:plain

【今ライブハウスにいるという妄想に浸る用】の3曲である。ここ最近ライブが中止になりまくっってるという現実問題を鑑みてこのような記述があるのだろうか。

 

❻-1 音楽やめたい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN 


鈴木実貴子ズ@京都nano『戦場のメリークリスマス-唇噛み締めて口の中血の味するやつ-』25/12/2019

確か個人的に鈴木実貴子ズ歴はこの曲から始まった。この曲はちなみにライブ最後に放たれるMVを観ていたのでラストに締め括られるイメージがあったので、11月17日の尼崎toraや12月25日の京都nanoのライブでは「一曲目」であった事に個人的に凄く驚いたことを覚えている。そしてこの曲でも❹と❺曲でも触れた「表現力」について触れておこう。

その代表的な箇所は以下のくだりである。

❶安心欲しさに否定して自分がまだまだマシだって
❷自己暗示の自信じゃ終わりがもう見えているわ

 この曲はこの下に至る少し前の「あいつと自分を比べてさ」辺りから彼女は少し笑い出す。いや、笑うというよりも、感情の高まりが高まって思わず声が震えてしまう感じといおうか、その怒りとも狂気とも何ともカテゴライズし難い何とも言えぬワナワナとした感情の高まりが沸点に来るこの中盤の最もオルタナティブに盛り上がりを見せるこの箇所で聴いてて最も力の入る箇所である。ここでの実貴子ズの「やめたい」というのはズダボロになりがらもそれでも、音楽表現者として立ち向かわなけねばならんライブステージという戦場へ立ち上がる心の持ちようを描写してて、その文脈から「(音楽)やめたい」というこの一見ネガティブに響くタイトルは、後半んへ行くにつれて実はポジティブな光を放っていく事に気づく奇跡のような曲だと考えている。そこで、今回のアルバムタイトルでもあり、タワーレコードのボーナスディスク曲のタイトルでもある『外がうるさい』の持つニュアンスと最も近いのは、本アルバムではこの曲なのではないだろうかとさえ思う。

その辺りを検証するべく、次はこの曲『外がうるさい』という曲にクローズアップして見ようか。

 

 ❻-2 外がうるさい(鈴木実貴子ソロ)

これはアルバム本盤には収録されていないが、もし、タワーレコードに行ける環境にあれば数は限られているものの是非ゲットしてもらいたい、鈴木実貴子の弾き語り書き下ろし楽曲であり、その名も『外がうるさい』が収録されているボーナス・ディスクである。

本曲のスタンスは、最近のコロナ脅威以降のネガティヴに解釈されがちな音楽というエンターテインメントの担う役割に関して、彼女自身の置かれている立場や人生観までもが綴られており、非常に興味深いものとなっている。

❶楽しいことたくさん抱えていたのに余分なものまでかかえて燃費が悪いわ

❷容量オーバー、オーバー30 どうかしてよね、オーバー30 どうにもならんかァ

この辺りの歌詞は「売れない芸術に価値はあるかい」と自問自答する『音楽やめたい』と凄く共通する点があるというが、本曲と『音楽やめたい』との共通点はそれだけではない。

 

❸外がうるさい 中もうるさい ボクがうるさい 文句を言うなよ

❹お前もうるさい いちいちうるさい 他人の事に口を出すなよ 放っといてくれよ

❺外がうるさい 中もうるさい 全部うるさい 最高な事かもな

そいうくだりがあり、最も注目すべきは❻の【最高な事かもな】とある意味この曲を肯定性へ導いている点である。これは『音楽やめたい』のラストで「でもそんなの音楽じゃないとも思っている」と、これまでこの曲でぶちまけてきた音楽家としての苦悩を全て肯定の光へ最後の最後に導いてきたあの感じと極めて近いように思えるのだ。

そう考えると『外がうるさい』は『音楽やめたい』とほとんど同義語のように思えてくるのだ。更に言えば前述した『口内炎がなおらない』もこれらと同義として捉えられるかもしれない。鈴木実貴子の歌は絶望と感情の根源を前面に押し出したネガティブな歌詞と捉える人もいるかもしれないが、実は最後に一筋の光明を見出すことができる音楽の希望と可能性とを示唆する側面も兼ね合わせているのだと思う。

 

都心環状線(無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

本曲は以前2016年にリリースされたファーストミニ・アルバム『キミガヨ』に収録されていたが、このバージョンは冒頭でSEやピアノ音もフィーチャーされ実貴子ズディスコグラフィティ内の楽曲では比較的穏やかな印象を持っていた。だが、今回この無人ライブバージョンではピアノ音もSEもピアノ音も排除されたゴリゴリのバンドサウンドのみで形成され、実貴子ボーカルを更にトップギアに導入する効果を生んでいるように思う。

聴きどころはもう問答無用でこの箇所だろう。

❶出口はいたるところにごろごろしとるけど僕の出口はまだ先 嫉妬してけなして

❷攻撃して負けて負けを認めても また攻撃して また攻撃して また攻撃して

❸感情線は繰り返す 感情線は繰り返す

さらに、ここで気付いたことは2016年の以前のバージョンで【出口はいたる所でグルグルしとるけど....】の箇所で多重コーラスとなっていてもう一人の実貴子コーラスが背後でユニゾン的に【都心感情線】とオーバーラップして聞こえるのだ。今回本曲のMVは2015バージョンしかないのでそちらを提示しよう。

鈴木実貴子ズ-都心環状線-

だが、本アルバムバージョンでは当然ライブ1発録りなので、当然そのようなコーラスはない。これはどういう効果があるかというと後述するが2016バージョンは【あくまで個人のみならず他人の視点も意識した世の中全般に照らし合わせた都心環状線とそれを取り巻く人々の感情】が二重に描かれていくように思う。で、逆に本バージョンは【あくまで鈴木実貴子という一人の女性にとっての人生観の象徴としての都心環状線】であるように思う。だからこそ、【攻撃してまた攻撃してまた攻撃...の箇所がより力強く聞こえてくるというか。とにかくあの「環状線」の行き詰まりぐるぐる感と我々が日常で感じる行き止まり感とがいい相乗効果をもたらしているように思える。環状線、の「グルグル回っていく電車が回る環状線から「グルグル様々な思いや衝動に駆られるんだけど結局同じところに戻ってくる感情」へと環状から感情へ同化していく瞬間が感じられる曲である。

 

❽ ばいばい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

こちらも以前のアルバム『現実みてうたえよバカ』にも最後の曲として収録されているもはや、タイトルからしてもはや問答無用のラスト曲である。このアルバムの流れで言うと『夏祭り』において【バイバイは言わないで】と言うフレーズがあるがそれと呼応して【バイバイまたね、言わぬまま過ぎてった】と言うフレーズへとの連動も意識される意味で昨年版とこの曲のスタンスの違いが見受けられよう。また、ライブでも当然最後に披露されることも多く、以下のように長尺のライブだとアンコール明けのラストのラストで披露される、実貴子ズにしては珍しく笑顔と共に歌われる楽曲である。


鈴木実貴子ズ2/1/2020 アンコールのアンコール、鈴木実貴子ズ、わたなべよしくにツーマン@鑪ら場(FULL version)

まぁでも「笑顔と共に歌われる楽曲」とは言っても

❶こんな音楽はいらない媚びて嘘で塗り固められた歌

❷ 有名バンドと知り合いだから有名な振りばかみたい

という実貴子特有のフレーズがガッツリ入っているのが実貴子ズらしさが損なわれないのだが笑。兎にも角にもアルバムラスト曲ってどのアーティストにも言えるのかもしれまいが、エンドロールが見えるのだ。『問題外』の雑踏の中にかき消されてしまう声も、『 口内炎が治らない』の皮を被った暴力と無責任も、『 限りない闇に声を』の打破すべき我が物顔で歩く正義も、『 夏祭り』の生命力溢れるあの夏と人生の終わりの儚さも、『バッティングセンター』

大人になったからこそ見逃したい、悲しみや憂鬱、『音楽やめたい』のズダボロになりがらも表現者として立ち向かわならない思いや、それでも都心環状線でもグルグルと回ってしまう感情のありかも、そしてタワレコ特典ソロ曲『外がうるさい』でのそれらを含めて全てをポジティビティの光へと誘う感じももう、全てがこの曲の中で一斉にクレジットされていくような、そんな感覚を覚える、まさに【ラスト曲マジック】と呼称しても大袈裟ではないほどの最高の余韻を残す曲であると断言しても良いだろう。

 

3. 『外がうるさい』は歴史的名盤になるのか?

さてここまで長々と鈴木美貴子ズ『外がうるさい』のアルバム全曲レビューという形でライブや過去音源との比較という観点で論じてきたが、このアルバムは果たして冒頭で掲げたように「歴史的名盤たり得るか?」ということをこの章では検証していきたい。そもそも、先にも述べたが本アルバムのレングスは全8曲というミニアルバムの長さにも関わらずそう感じさせなないということはこれまで散々述べてきた通りだが、なぜこのような形態になったのかというとやはり昨年夏の北海道で開催されたライジング・サンロックフェスの台風による初日開催中止という出来事が大きかったのではないかと思う。あのいきなり中止という、無情な現実を突きつけられた「別に北海道に観光に来たんじゃない。私達はライブをしに来たのだ!」そう思い立って当日急遽ワンマンライブを開催してくれるライブハウスを呼びかけて、その日2度ものライブアクトをソールドアウトでやってのけたと言うあの日の出来事が下地にあるのではないかと思っている。

鈴木実貴子ズ/夏祭り(ライジングサン台風で中止になって出れなかった。悔しい。緊急ワンマンとツーマンしました。思い出映像)

あの時折角の大舞台でのライブが中止となってしまい、折角北海道まで来といて、ここでライブを行う事で音楽家としての何か、そしてオーディエンスとの新たな繋がりを取り戻した感じがあったああの2019年の真夏の出来事。あの経験から秋を経て、冬を経て、年を越して、そして令和2年になり、コロナという疫病に振り回されている今日(こんにち)までの軌跡。そういう時代の空気までもこのアルバムにコンパイルしておきたかったのではあるまいか。だからこそこういう前半はここ一年で培われてきた新曲を中心とした構成、さらに後半はライブで数多くのライブ演奏を経て強化して行った既存曲のライブパフォーマンスと言った構成になっているのだと思う。この盤がいかにこの後世の中でどのように解釈され、どのように位置付けられ、どういうステイタスを持つようになるのか、その答えへの手がかりを作り出すのは他ならぬ我々ではないだろうか。

 では、我々はこのアルバムを歴史的にいかに名盤として位置付けるべきか、ヒントとしてこの鈴木実貴子ズの根底を支えている核(コア)は何かを述べることでその可能性を検証したい。

 時は戻って、昨年の2019年11月17日20時45分頃、兵庫県尼崎市という所謂下町と呼ばれる昔懐かしい商店街が立ち並び、小さな路地裏にある小さなライブハウス「尼崎TORA」にて、我々がここ60年以上もの間考えあぐねていた、ある命題に対する一つの答えを導き出された。 

 

「ライブには色んな音楽があるから、音楽だけで嫌いを決めてしまったり、人を見ず音楽だけで好きを決めてしまったり、何が正しいのでしょうかって「?(はてな)」と思うことがあります。ただ私の中の音楽の正解・不正解は、好きになってもらおうが、嫌いになってもらおうが、伝わるか伝わらないか、だと思っていつもやっております。」

 

 そうだ。この言葉はもはや「ロックとは何か?」という60年代のザ・ビートルズの出現あたり以降で多くの人がどことなく頭をかすめつつも取り掛かってきた難題に対する一つの答えであるのだ。やれ、革新性だとか、ロック・アティテュードであるとか、アクションだとか、ムーブメントであるとかそういう一過性の現象(phenomena)に焦点が当てられることはあれど、なかなか明確な回答は導き出すことはなかったし、誰もが取り掛かってはいたものの、恐れをなしてかなかなか言語化できなかった一つのロックというものに対する一つの明快な答えをいとも簡単に鈴木実貴子は放ってしまったのだ。何故に、バンドによっては、ギタリストがソリッドかつラウドなギター音と、ゴリゴリのベースライン、そして稲妻が轟くような激しいドラム音を叩き出したとしても「ロック」のロの字も微塵とも感じなかったり、或いは逆にフォークギター一本で日常のありふれた景色を叫び出した時になぜが「ロック」精神湧き上がるシンガーソングライターの音楽があったりするのだろうかがようやくわかった。

しかも鈴木実貴子ズは、無意識のうちにそのようなはっきりとしたロックアティチュードたり得るヴィジョンを構築してし待っているというその事実を素直に祝福したい。

 では、またまたまたまた長くなってしまった。

最後に、この日のライブ映像の全パフォーマンス動画を提示する事で、本ブログでは史上最高字数である計13650文字を超えてしまった、本記事にピリオドを打ちたい。


鈴木実貴子ズ@尼崎tora 11/17/2019

 

セットリスト

1. 音楽やめたい

2. アホはくりかえす 4:10~

3. 口内炎が治らない 10:00~

4. バッティングセンター 14:31~

5. 夏祭り 19:59~

6. ばいばい 24:03~

 

*1:取り留めがなさすぎるので2001以外は、7がつく数字のものだけを羅列することにした。これだけでも十分に名盤っぷりがわかると思う。

*2:前の絶賛記事に関してはこちらを参照してもらいたい。メンバー・ズさんからは「もう、ネノメタル さん、これは褒めすぎです笑!!!」と大絶賛()をいただきましたw いやいや良いじゃないですか、だってこんなにも魂震わす世界最高のロックなんてないんだからさ。

nenometal.hatenablog.com

*3:実際に『宗教』と言うタイトルで主にソロライブで演奏していたようなのでソロではしっくりきたこのタイトルはバンドでは変えた方が良いと言う思いがあったのかもしれない。『問題外』の方がよりバンドっぽい気がする。あくまで個人の意見だけど。

*4:だから前半・後半と記事の書きやすさで今回区分けしているもののそれほどライブ版だ、スタジオ版だとか曲の持つダイナミズムに違いはないと思う。

*5:鈴木実貴子ズのその他のディスコグラフィーに関しては以下のオフィシャルサイトを参照していただきたい。

mikikotomikikotomikiko.jimdofree.com

*6:ちなみに『アンダーグラウンドでまってる』もそういう視点から生まれた曲である。