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僕は今日を救う、君は明日を救え。-『ワンダーウーマン』(2017)review


WONDER WOMAN - Official Trailer [HD]

予め断っておくが、この話の主人公、ダイアナ・プリンス(ワンダーウーマン)は我々が想像するいわゆる従来の「正義のために戦うヒーロー」という範疇を軽く超えてしまっている。もはやヒーローとしての概念がもはや規格外にぶっ壊れているのだ。
なにせあの丸くデカイ「シールド」は自分の身を守る為だけに用いるのではなく、駆け抜けながら弾丸をピンポンのように跳ね返す単なるラケットと化してしまっているし、締め付けると本音を言わざるを得なくなるあの光る縄は人を痛めつける「武器」というよりもコミュニケーションの手段としてしか用いていない。そう、この人の持っている武器は必殺技としてではなく、別にあってもなくても良いオプションにしか過ぎないのである。
 さらに、(これはもっとも重要なことなのだが)、【正義】に関して、「闘うことのできない弱者を救うには正義ですら邪魔になることもある。そんなもん目障りな建前に過ぎないのだ」と一蹴してしまうのである。

はい、ここで普通戸惑いますよね。正義...が邪魔、目障り、ですと????

そう、時として何か大事な人(もの)を守るにあたって、彼女にとっては正義すら【敵】と化してしまうのである。
そんなぶっ飛んだヒーロー、ライバル会社のマー○ルとか、日本のレンジャーとかライダーとかウルトラとか、どこを探してもそんなヒーロー(ヒロイン)が他にいただろうか?

だからこそ。何もかも捨てて勇壮に何百人もの敵に仲間が引き止めようとも、立ち向かって行くその戦闘シーンが余りにも華麗すぎて、美しすぎて、かっこよすぎて、勇ましすぎてふっと目に涙が出てしまったほどのカタルシスがそこにあったのだ。
(これも断っておくが)別に私はアメコミオタではない。
むしろこれまでの人生で、アメコミ映画なぞほぼほぼスルーしてきた私がそう感じていることに一番驚いているくらいである。

で、そんな規格外ヒーローであるワンダーウーマン。いつしかその視線の矛先は本土で繰り広げられる醜き争い(戦争)を食い止めることに向けられる。
だが、彼女が根絶すべき真の敵は何百万もの敵に打ち勝つ事でも、大量殺戮ガスを撒き散らすボスを殺ることだけではなかった。そこで悟る真の敵とはまさに【人間同士が憎み、殺し合う理由そのもの】という命題であることにいつしか気づかされるのである。
 そう、そのようにして迷いながらも、苦悩しながらも困難を乗り越えていくそのリアリティは我々が常日頃生きていって行く上で幾度となく眼前に立ちはだかり、逃げてしまいたくなるあの人生の困難の壁と同じ。だからこそ、危険を顧みず、逃げもせず、まさに一人対1000人ぐらいいる敵に立ち向かおうとするワンダーウーマンことダイアナ・プリンスの勇姿に打ち震え、涙するのだ。
 因みにワンダーウーマンの【wonder】という単語には「天才」「驚異」以外にも「迷える。」「不安に思う。」のようなややネガティブな動詞の意味もあり、そこに苦悩を乗り越えながらも突き進んで行く新たなヒーロー像の姿を垣間見ることができる、というのは考えすぎだろうか。

とにかく観るべし、表題のセリフが聞こえた時、ワンダーウーマンワンダーウーマンとして存在し得る本当の理由がわかった気がした。