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映画『#ひとくず』爆裂レビュー〜エンタメの未来を見据えて〜

1. 映画『ひとくず 』〜概観とレビューの狭間で

気に入った映画は何度でもリピートしたいものだ。これは映画好きなら誰しも経験のあることだろう。私の場合2度目以降はストーリーやネタ云々は既に頭の中に入っているので、むしろ自分の好きな場面、気に入ったセリフにもう一度再会したい、この空気感に浸っていたいという思いの方が強い。もっと言えばこれでこの作品を観る事に関してこれで最後にしたくないから何度もリピートしてしまうのだ。

その意味では、ここ最近では劇場での鑑賞という事での洋画部門一位ではダントツで『Wonder Woman1984』の11回、邦画部門では『アルプススタンドのはしの方』が13回という最高回数を更新している。この数値はいずれの作品も円盤や配信がリリースされているのでもはや記録が伸びる可能性はあまり残されていないのだが、今後特別上映だからでチャンスさえあればできるだけ映画館で観たいと思っている。と言ってもこの回数は「熱心な映画ファン」というフィルターをかければそこまで多い方ではない。というのも30回以上とかザラで、中には100回以上とかいうとんでもない鑑賞回数の人に出会ったりする。でもよくよく考えれば10回以上鑑賞できるってのは奇跡に近いのだ。だって上映期間は例えば普通のインディーズ映画の場合2週間くらいってのがほとんどで、上映期間中全日程映画館に通わなければならない。この偉業を成し遂げるには、ほぼほぼ映画館に同時間帯に通いづめでなければならない。

これは社会人ならともかく割と時間に拘束されない学生などであっても達成不可能だと思う。

では一体何がこの奇跡の「10回以上鑑賞」を可能にするのか。

もう答えは明らかで、ズバリ一重に「ロングランからの拡大上映」に尽きると思う。この最強コンボさえあれば観たい時にいつでも映画館に足を運んで観に行くことができるだろうし、今日午後の劇場がダメなら明日の夕方の隣町劇場へみたいに非常にフレキシブルに鑑賞することができるではないか。

その為には映画をある程度ヒットさせる為に舞台挨拶やラジオ出演、チラシ配りその他諸々などのプロモーション活動も必要とさせるんだろう。その意味で驚くべきことに何と去年(2020年)の11月の公開以来、もう半年以上もの間舞台挨拶を敢行してその努力が実ってとうとう2月には初のシネコン舞台上映までにたどり着いたまさに「叩き上げの傑作」ともいえる映画作品が存在するのだ。

それが今回レビューする『ひとくず 』である。

まずは予告編とあらすじをご覧いただきたい。


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【Rough Story】

生まれてからずっと虐待の日々が続く少女・鞠。食べる物もなく、電気もガスも止められている家に置き去りにされた鞠のもとへ、犯罪を重ねる破綻者の男・金田が空巣に入る。幼い頃に虐待を受けていた金田は、鞠の姿に、自分を重ね、社会からは外れた方法で彼女を救おうと動き出す。そして、鞠の母である凜の恋人から鞠が虐待を受けていることを知る。

虐待されつつも母親を愛する鞠。
鞠が虐待されていると確信した担任教諭は、児童相談所職員を連れてやって来るが、鞠は母の元を離れようとせず、保護する事ができずにいた。金田は鞠を掬うため虐待をする凜の恋人を殺してしまう。凜に力ずくで、母親にさせようとする金田。
しかし、凜もまた、虐待の過去を持ち、子供の愛し方が分からないでいた。
そんな3人が不器用ながらも共に暮らし、「家族」の暖かさを感じ本物の「家族」へと近付いていく、、、。

 

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 本作品の5回ほどの鑑賞の中で、初回を観てまずインパクトを放ったのは、空き巣を生業とする金田匡郎(かねだまさお、以下、「カネマサ」と呼称する)が侵入したこの家の少女のあまりにも痛々しい姿。彼よりも一足先に我々が目にしたのは心と身体に傷を抱える孤独な少女・北村鞠(まり)だった。実際にこういう状況下に置かれてる子供を実際に撮ったんじゃないのか?と思ってしまうぐらいに生々しかった。

 朝方のまだ薄暗い部屋の中で空腹に耐えかねて空っぽになったマヨネーズやマーガリンの容器をしゃぶっている様に一瞬目を逸らしかけてしまった。本来ならば、金品かなんか強奪して足早に逃げ去って行くはずだった彼はふと足を止めてしまったのは、その彼女の逃走しようにも逃げられず膝を抱え涙を浮かべるその姿を見たから。かつて同じように義理の父親から殴る蹴るなどの虐待を受けた傷痕の痛みと家族愛の渇望に耐え続けた自らの少年時代がオーバーラップしてしまったのだ。

 そんな彼の失われた家族愛に満ちた少年時代を取り戻すかのようにカネマサは彼女に服を買い与え、食事を与えるなど、鞠に惜しみない愛情を注ぎ続けようとする。そう、「血の繋がり」だけが家族ではない。かつてそう言う題材は何年か前に日本アカデミー作品賞を受賞した『万引き家族』にもあったテーマだったと思うが、まさにそんな事を教えてくれる、これは鑑賞者の多くが感じるように最強に柄悪き“ダークヒーロー”だったことを強く印象づけられたものだ。

 そしてこれは特筆すべき点であるが、本映画はそもそもテーマがテーマなだけに涙を誘う作品でもあるが、その鑑賞者の涙の50%以上の水分を持っていくのが北村鞠ではなかろうかと思う。それだけこの鞠を演じた、いや演じられた💦、この子役俳優の小南希良梨ちゃんさんの演技はものすごく惹きつけられた。先ほど空き巣でガラス割って入ってきた大人の男に「食べたい物は何か」と聞かれ「ラーメン!」と即答で自己主張したり、そのカネマサに対して「泥棒のおじちゃん」とついつい言ってしまうピュアさと、逆に虐待を受けた手首の根性焼きの跡や、胸のアイロンの傷跡を隠してしまうナイーブさとが共存するあの素人目から見てもわかる困難を極めるあの役柄を見事に演じ切っていたのだから。

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あと2回目鑑賞以降は、焦点になったのは以下2点。

❶まず一つは、登場人物の心象風景が更にクリアになってきて、カネマサと凛とが罵詈雑言をぶつけ合いながらも徐々に二人の距離感が縮まっていく感じが個人的にはとてもリアルに感じた。これは近い将来の話だが、『ひとくず 』は小説化されるらしいが、だとしたらもっとカネマサと北村凛との心理描写や心情の変化その他諸々知れそうだからこれは自分含め、観た人ももっと内容を深く楽しめそうだと思う。

❷もう一点は、彼を少年時代から知っている同年代のベテラン刑事、桑島利康(空田浩志)がいるのだが、彼がわざわざ髭剃って臨もうとする娘の結婚式の前日にカネマサの元を訪れ、再就職先を紹介したりと、もはや「刑事vs犯罪者」という立場を超え、この人こそ、カネマサの家族的存在に限りなく近い彼の唯一の理解者だったのかも思ったりもする。

 

 

 そして3回目鑑賞以降ぐらいになるとどうやら妄想味が帯びてきているので、主に気づいた点を❶〜❸と更に三点ほどに細かく箇条書きすると

まず、青年カネマサがある事になって留置所に入って、少年時代からほとんど愛情を注ぐことのなかった母親が彼と面会するシーンがあるのだが、ここでの青年カネマサが完全に上西雄大ヴァージョンのカネマサになっているのに驚愕する。いやほんと、この青年期を演じてるのは山本真弘という若手の俳優さんなんだけど口調から表情から何もかもあの上西氏の姿が透けて見えるのだ。これほんとビックリする。あの面会シーンでのもう一人のカネマサである山本真弘を通じて、完全に上西雄大ver.のカネマサと口調や空気感だとかが完全に符号している瞬間に立ち会うの何度観ても鳥肌ものだった。あと、更にもう一人のカネマサこと、少年時代のを演じた中村むつき君という子役の演技もヒリヒリとして凄かったな。彼が青木健次(城明男)なる(多分私的映画鑑賞史上最も憎たらしい役だと断言できるほど)憎たらしいあの義理の父から根性焼きやら殴り蹴るの暴行を受ける場面で、泣き叫ぶ姿はもう驚くほどリアルで何ならあの引き詰めたような叫び声はい未だに脳内再生できるほど深く記憶に刻まれている。

❷もう一人(私的映画鑑賞史上先ほどの青木健次に次いで二番目ぐらいに)憎たらしい役が、あのいたいけな鞠にアイロン押し付けたり、我々の知らぬ所で数限りない非常なる暴力と虐待の限りを尽くしてきたであろう加藤博(別所篤彦)こと、ヒロ(彼もあまりにも憎たらしすぎて君付けしたくございません笑)という名の凛のボーイフレンドが出てくる場面について論じたい。彼が鞠へ別に行きたくもないであろう別荘に連れていくとか行かないとか言う話の中で「ありがとうございますと言え!(これがめちゃくちゃ舌ったらずな口調なのだ。多分彼はラリってると言う設定なのかなとか個人的に思ったんだけど)」とかめちゃくちゃな論理で感謝の言葉を強要する場面があるのだが、そのシーンの回想場面でちょうどラスト付近で凛が鞠へのこれまで愛情を注がなかったことへの謝罪の「ごめんなさい」という言葉とがドンピシャにスクリーン上でオーバーラップするのだ。

「理不尽な感謝と心からの謝罪」このような場面がクロスする編集は果たして意図的なものだろうか?

 ❸あと最後にこれはかなり妄想の極地なのだが(笑)ラーメン屋然り、焼肉屋然り、カフェは意外と大人しかったが、飲食店の店員への塩対応っぷり、怒らせっぷりの甚だしいカネマサに対して唯一全く動じずクールに対応したケーキ屋の女店主だが、彼女も実は幼少時代から暗い過去に起因する心の闇を抱えてて、彼の瞳の奥の深い哀しみを感じ取ったからこそ冷静でいられたのかも知れないなんて思ったりしてね。まぁそれはまたいずれ来るべき「ひとくずスピンオフ」にて楽しみにしておこう(多分ありませんが笑)。

 

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....という訳での他の細かい人物描写などは後述するとしてこの『ひとくず』が児童虐待・殺人等ヘヴィな内容を含んでるにも関わらずセンセーショナルすぎず、人の優しさに触れた時に溢れる喜怒哀楽どれにも属せぬ感情に起因する涙を誘うようなセンチメンタルになりすぎない、大きな意味でのヒューマニズムを感じる作品に仕上がっているのは一重に役者たちの演技力のもたらすところが大きい。

 ただ一点思うところがあって付記するが、公開から現在もtwitterのタイムライン上では『ひとくず 』の関して「リアルな演技」「リアリティがある設定」「ドキュメンタリーのようだ。」という意見が大半なんだけど個人的には少し異論があって、リアリティとは言ってもあくまで映画におけるリアリティを遵守してはいるが、その「映画リアリティ」を鑑みたとしてもやや一歩誇張した演技が主体である、と個人的には捉えている。

もっと噛み砕いて言えば本作品には舞台演劇的な演技と設定が下地にあるのではないかと思ったりもするのだ。

 本作はそもそもが劇団テンアンツが主体として制作や運営しているだろうからそれも当然なのかもしれないが、本作は全キャストの演技が各々200%以上は全力投球した形で炸裂してる点も見所だと思う。

 本記事では主に本作出演役者と、彼らの展開しているプロモーション活動に焦点を当てエンタメの果たす役割とは、或いは今後のエンタメのあるべき姿などについて模索していきたい。本記事の構成は以下の通りである。 *2

映画『ひとくず』爆裂レビュー〜エンタメの未来を見据えて〜

Table of CONTENS

1. 映画『ひとくず 』〜概観とレビューの狭間で

2. 『ひとくず 』ここに注目

2.1 舞台挨拶〜役柄と素顔の狭間で

2.2 演技論〜役柄と役柄の狭間で

2.3 演出論〜作品と作品の狭間で

【Case1;アイスクリーム】 

【Case2;観覧車】

【Case3;舞台版を見据えて】

3.エンタメ論〜過去と未来の狭間で]

 

2. 『ひとくず 』ここに注目

2.1 舞台挨拶〜役柄と素顔の狭間で
これまで、私が鑑賞した回数は計5回。そのうちの4回が最早彼らの本拠地ともいえるシアターセブンで、もう一つはかなり華やかに行われたなんばパークスシネマでの出演者木下ほうかさんもゲストに迎えて開催されたのだが、全ての映画上映終了後にリモート含めて必ず舞台挨拶が行われている。その中でもいつも印象に残るのは、監督であり、主演であり、脚本などこの作品に関する事全て担当しているこの上西雄大さんの「カネマサじゃなさっぷり」にいつも驚かされてきた。何せ、人の家にズカズカ入って金盗むはラーメン屋の店員にブスだ、皿持ってこいだなど理不尽な注文をしたり、ある時は人を殺害してしまったりと、あのはた迷惑極まりない人道外れた男、カネマサ演じる上西雄大さんが、もう事もあろうになんと舞台挨拶立った時に「ものすごくソフトで腰の低いご丁寧な紳士」だった日にゃもうのけぞってしまった。

個人的にもっとビックリするのがあの育児ネグレクトの母親・北村凛を演じた古川藍さんも圧倒的なギャップを感じた方である。いや、これは確かにもう一人の女優、昔のカネマサ の母、金田佳代を演じた徳竹未夏さんも役柄とは違って実際もの凄く愛想のいい方でそのギャップたるや半端ないのだが、古川さんの場合、もう全くと言って良いほど雰囲気が違いすぎて、最初観た時、本人が壇上に出てこられて「北村凛を演じました古川です。」と自己紹介しても「え?こんな人いたっけ?あの清楚な感じからすると凛って先生役の人だったっけ?」とか少々混乱してしまったものだ。

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なお、舞台挨拶では主にこの映画のテーマが「児童虐待」になぜ上西氏が行きついて今回脚本化したのかというきっかけや、テーマがテーマなだけに子役たちへの心理的影響に配慮しつつ行われたなどの撮影裏話・苦労話や、この作品のキャストや制作の支柱をなしているこの劇団テンアンツの役者として他にもどのような現在作品に取り掛かっているかなども話されていた。ちなみに本作と同時並行でもう7本ほど作品ストックがあるらしい。なんという才能の嵐よ、上西氏、これ本気で思うが、ここまでプロパーレベルに留まらず、マルチな才能を見せる感じは、今を生きる令和の「ウィリアム・シェイクスピア」か「ウォルト・ディズニー」に匹敵するのかもしれない、これは大袈裟ではなくマジでそう思う。

 あと本作の一つ前のテンアンツ中心の作品である人情コメディ『恋する』舞台にもなっている焼肉屋『さしの花』も経営しているそうで、帰り際に鑑賞者限定で1000円割引券なども配布している。*3

そうそう、配布ついでにもう一つ付け足すと、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」が記された映画名場面バッジなども無料で配布していたりするこのキメの細かさってかサービス精神の素晴らしさ。一体、何者なんだ上西さん、というか劇団テンアンツの方々よ。*4

 とにかくこの20~30分の舞台挨拶では治らない濃い話も尽きることなく、本当こうした点も「おいくず」と称されるいわゆるリピーターが数多く存在している要因であろう。

ただ2月19日に開催されたなんばパークスシネマでの初日の舞台挨拶は、セブンシアターで普段行われているもの以上にかなりセレモニアルな雰囲気で開催されててこの辺り以下の記事が詳しく書かれているので以下、あげておこう。

https://cineboze.com/2021/02/21/hitokuzu_20210219/

それにしてもこの日、上西氏は以下の写真でもわかると思うが、この華々しい舞台で序盤無表情だったのだが、「あれ?連日の撮影やプロモーション活動でどこかご体調でも悪いの?」とか意外に思ってたんだけど挨拶にたった瞬間その理由がわかった。

そう、最初に放った挨拶で

みなさま...本当に(声が震えている)....このような折に......こんなにたくさんの方に劇場に来ていただきまして...本当にあの.....心からお礼申し上げます。有難うございました。」

おお、「有難うございました」がこれほどエモーショナルに響く事など最近あっただろうか?
そう、隣にいた木下ほうか氏に即座に「あれ?泣きそうになってない?」と突っ込まれてたが、上西雄大氏は完全に感極まっており溢れる感情を押し殺すかのように終始無表情を保っていたのである『ひとくず』はテンアンツ の人々がコロナ禍にも対峙し、闘争し続けたからこそのロングランかつ今日の舞台挨拶上映だったのだ。兎にも角にも音楽に例えると、LIVEハウスを中心にやってきたバンドがとうとうホール級のコンサートツアーできて、その初日のMCかってくらいぐらいのセレモニアルな感動的な舞台挨拶でございました。

この日の勇姿を見て、あのカネマサなら例のぶっきぼうな調子でこう言うかもしれない。

「お前ら、なかなかやるじゃねえか。」

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2.1.1 2021/8/5 北村鞠役 小南希良梨さんも舞台挨拶に来たよ

ここでめっちゃ久々に本記事更新!第一節でめっちゃ褒めた北村鞠を演じられた小南希良梨さんの舞台挨拶が行われた事も付記しておきたい。

と言うのも多分彼女は本記事を読んでいないであろうとの目論みから、実際にお会いした時に本ブログの記事を宣伝しようと言う目的も兼ねて、舞台挨拶に参加した。でもそれはさておいてもまあ今日彼女が出てきた瞬間のカタルシスは凄かったね。彼女が現れた瞬間一瞬客席がどよめいた。もう「天使降臨」とはまさにこの事だろうと思う。個人的に人を見て「この人天使じゃねえか。」と思ったのは2人目。最初は高校生の時に見たThe Alfee高見沢俊彦以来だ。てかあの時あの人天使のコスプレして天使のギター持って出てきたから「俺を天使としてみろ!!」みたいな押し付けがましい天使だったので反則っちゃ反則だったんだけど(笑)、普通に出てきて「あ、これ天使だわ」と思ったのは小南さんが初めてかもしれない。この後シアターセブン下の広場で少しお話しできる機会を得たのだが、本記事の宣伝もできましたよ、読んでるか知らんけど(笑)

ネノ「13000字のブログ書いてて小南さんについても絶賛してるのでぜひみてください。

小南「え〜!!!!(^^)有難うございます」この時の「え〜!!!」の時の笑顔があの観覧車でラーメン食べに行くの決定の時のあの笑顔まんまだったのが嬉しかったな。


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将来の夢は長澤まさみのようなああ言う美しさと可愛さとが同居する女優さんらしい。兎にも角にもこの人のオーラは半端ないものがあったからああいう感じの素晴らしい女優さんになるであろう。あ、上西雄大監督は朝ドラ狙ってるらしいけど。

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 2.2 演技論〜役柄と役柄の狭間で

本記事はどちらかと言えば『ひとくず 』一辺倒というよりもっと映画やドラマなどの役者の演技や演出などにも包括的に語っていきたいので役者論みたいな感じで語らせていただくと、何と言っても主演・監督の上西雄大さんの演技面に行ける幅の広さについて述べていきたい。二回目、それこそ2月19日のなんばパークスシネマで観た翌週だっただろうか、私は個人的に円盤出たら絶対買うぐらいハマっているドラマに『孤独のグルメ』があるが、孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』をたまたま視聴していたのだ

ここが凄いこと、かつ重要なことなのでもう一回言っておく。

孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』をたまたま」視聴していたのだ

当然びっくりしますわね。な、なんと上西雄大さん、しかも同じテンアンツかつ夫婦になりかけた凛さん役の古川藍さんまで思いっきり出てるやんけ!!と言うことに気づいたからだ。
この時あのカネマサとは違った柔らか〜い関西弁のトーンで五郎さんに

京都の上西はん「お酒、飲まれないんですか?」

井之頭五郎「私、下戸なんです。」

京都の上西はん「え〜、(酒を)めちゃくちゃ飲みそうやのに。」

こう文字で起こしてみると初対面の人に対して結構失礼なこと言っている気がしないではないが、でも決して嫌味にもなっていなくてむしろ気品すら漂わせていて視聴者は「京都っぽい人だ」という印象を受けたに違いない。多分カネマサだったら五郎さんと殴り合い上等の喧嘩になって....ってか松重さんも大概喧嘩強そうだもんな。作風も打って変わって『ゴジラ対コング』ではないが、『カネマサVS五郎』みたいな展開になってしまったのかもしれない。

でもここではもう佇まいから喋り方から、若女将から上品に料理皿を受け取るその姿からもう『ひとくず』の【皿持ってこい】【ブス】と言い放ったあのカネマサの片鱗もなく京都在住の穏やかな中年夫婦にしか見えなかった。もうカネマサにブスだのなんだのボロカス言われて気の毒なラーメン屋や焼肉屋の女性店員たちが観てもあれが同一人物だとは信じられないだろう、って完全に作品同士が錯綜してるんだけどさ。

 そうそう、あと因みに古川さんも最初に空腹で頭の中の200%ぐらい鰻(丼)で占められている井之頭五郎さんが鰻屋に行こうとしてたのに「本日閉店」の烙印を押すサッパリとした女性店員さんに徹してたのも更に驚きだった。

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(from『孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』)

で、数年前に既に放映してしまっているものを「予言」とい言い切ってしまうのは非常に厚かましい話なのだが、実は私は密かに『ひとくず 』と『孤独のグルメ』に共通点を感じていたのだ。以下の私のツイートを見てみよう。*5

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これ微妙に凄くないすか?孤独のグルメ・シーズン8スペシャル京都編』を観て彼らを発見する前のツイートである。しかも「うなぎ」と「女性店員」と言うキーワードをものの見事に当てているのだ。でもなんとなく『恋する』も観てて思ったけどテンアンツと『孤独のグルメ』の空気感はすごく似ている。今後も誰か出演しないだろうか?あの刑事さん役の空田浩志さんが中華料理屋店主とか、先生役の美咲さんがイタリアンの店員とかも良さげな感じ。*6

あともう一点。個人的に色んな映画を観てきて「役者の演技が上手いか否か」がどういう場面で分かるか?を考えた時にその最大の基準は「朝起きて目覚める演技」にあると思う。
何せ実際には寝ていないのに、まるで夢から覚めたかのように振る舞うのは至難の業だろう。

その意味で上西雄大氏の「起床」は至高を極めていると思う。

❶『ひとくず』冒頭で目覚める(起こされる)カネマサ
❷『ひとくず』中盤で朝起きるカネマサ
❸『恋する』冒頭で目覚める高橋勇司

❶〜❸全部同じ起床シーンなのに全てリアルでかつ表情なども異なって、全て各々の夢から目覚めたんだろうと思わせるこのバリエーションは凄いと思う!これはちょっと悔しいんだけどここ4年ぐらいずっと推してると言うか憧れてる私の大好きな某ハリウッド女優さんの起床の演技シーンより遥かにリアルで圧倒的完全圧勝でございました。恐るべし上西雄大

 そうそう、『孤独のグルメ』が話題に出たついでに、もう一つ両作品の役者におけるリンク点を述べさせて貰うと、『ひとくず 』に運送業上司役で田中要次氏が出てるが彼の演技の振り幅にも毎回圧倒される。
個人的に度肝抜いたのは『孤独のグルメ1』の吉野役。かつて堅物な五郎の友人だったが、時を経てリサイクルブティック営んでる彼を訪ねるとなんとオネエ様に変貌してたというシーズン屈指の衝撃回があるのだが、これめちゃくちゃ面白いので是非ご覧いただきたい、って特に運送業上司との関連性は皆無ですが(笑)*7

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(下二つ=from『孤独のグルメ』season6【中野区鷺ノ宮のロースにんにく焼き】)

 

2.3 演出論〜作品と作品の狭間で

【Case1;アイスクリーム】

もう一節ここで『ひとくず』で更に印象的だったのは演出に関して述べていきたい。『ひとくず』ではカネマサ の母が「嫌なことがあったらアイスを食べな。何もかも忘れるから。」と少年時代から譫言のように言われてきて、それがある種彼にとってトラウマのようになる、みたいなシチュエーションがあるんだけどこれも偶然なんだけど、ここ最近観た『三月のライオン』や『あのこは貴族』でも【アイスクリームを食べる】という行為が割と象徴的かつ重要な場面で使われている点が印象的だった。そう考えたら『Wonder Woman』(2017)でも敵地に向かう緊張感のあるシーンでソフトクリームを頬張りあまりに美味かったからか、店の人に「You should be proud of yourself(あなた、自分の仕事を誇るべきよ🍦)」かなんか言うシーンもあったし、更にそのシーンは『ローマの休日』のオマージュだって言うし、映画作品におけるアイスクリームの役割も見逃せない。

日常生活では個人的には「別に食べなくても生きていけるけど、まぁあったら食べるかな。」っていうステイタス程度のこのアイスだけど、ある意味映画界のバイプレーヤーだったりしてその辺り今後追求すると面白いのかもしれない。

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(上 from『三月のライオン』(1991) 下 from『Wonder Woman』(2017))

【Case2;観覧車】

2月半ばぐらいに観て今尚大ヒットを続けている作品の一つに『花束みたいな恋をした』という作品がある。ここでは本記事の趣旨から、特に詳しい言及は避けるが、本作も非常に面白買ったのだが『ひとくず 』同様に「観覧車」という意味で共通項がある。

『花束〜』では、友人の結婚式を終えた別れる寸前のカップルである絹と麦が何年も一緒にいるのに観覧車にはじめて2人で乗るシーンがあるが、その中でお互いの付き合っていた期間に抱えていた鬱憤や秘めた思いなどを吐露してスッキリとした気分で別れようというある種重要な役割を担っていることが分かる。当然『ひとくず 』においても最初は鞠と二人で乗ってこれまで久しく事のなかった綺麗な夜景を見た鞠も少しは心を開き笑顔になって「綺麗(な景色)」「ラーメンを食べたい」と自己主張するようになったり、二回目はカネマサ 、凛、鞠の3人で観覧車に乗って「気持ち悪い⇄気持ち悪くない」だの他愛のない会話で盛り上がるシーンがあるが、両作共々どこかギスギスしがちだった人間関係を一旦リセットしたり、緩和したりする効果がある点で共通している

後このシーンで、鞠が「ママ、気持ち悪くない!」と言った瞬間私の頭の中で全身タトゥーの下ったらずのアイロン持ったまさに気持ち悪いイカツイ男がパッと浮かんだのだが私だけだろうか?
それはともかく、観覧車の独特の空間は想像以上に非日常的で無限の可能性を秘めているのかもしれない

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【Case3;舞台版を見据えて】

実は『孤独のグルメ』の件のみならずもう一つ自慢なのだが(笑)『ひとくず』は舞台を呼ぶ作品だと思ってて、前節で「リアリティよりも一歩誇張した舞台演劇的な演技で本作は全キャストの演技が各々200%以上全力投球した形で炸裂してる点も見所だと思う。」と主張し

以下のようにツイートしたことがある。すると上西雄大監督が以下のようにリプライされてて見事に私の予言が当たったのだ。

そう!本当に『ひとくず 』にはいずれ舞台バージョンが準備されているらしい。

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そうなると様々なシーンが舞台版ではどう表現されるんだろう?という興味が尽きない。

...だとしたら、あの刑務所での「アイスに対する本音独白シーン」は完全に大人カネマサの口調なので大人版と高校生版両バージョンの両人出てきて同じセリフをリエゾンする演出とかあればかなりカッコ良いだろうなと思ったりする。

 それに関して去年観た作品群だとテーマのヘヴィさをドキュメンタリーチックに寄せるのではなく役者の演技力で表現する感じがあって『凪の海』とか『タイトル、拒絶』にシンクロするものがあった。実際『タイトル、拒絶』の方は舞台化されていたし、そちらは観ていないんだけれど、映画本編だけでも舞台的なエンターテイメントに寄せた感じがシンクロすると言うか。

とにかく予告編で垣間見える虐待や血の描写などがありつつも、そもそもが劇団テンアンツのオリジナル脚本だけあって映画ですら舞台を思わせる演技と演出が組み込まれていたように思う。更に舞台版では魅せる場面と泣かせる場面とでメリハリハッキリしてて、ヘヴィーさを引きずり過ぎないもっとライブ感覚漂うドラマティックなヴァージョンになるのではなかろうかと思ったりする。*9

 

3.エンタメ論〜過去と未来の狭間で

第一章では『ひとくず 』と概観とこれまで5度に渡る鑑賞記録レビューを、次なる第二章では 『ひとくず 』の注目点としてプロモーション活動である舞台挨拶において、役者に与えられた役柄とその素顔とのギャップに関して述べてきた。次なる第三章ではさらに具体的な作品に根ざした形での演技論と役柄と役柄に関して論じてきたように思う。次に「演出論」と称して、他の作品との比較を通じて「アイスクリーム」「観覧車」などの様々なシチュエーションや小道具との関連を述べてきた。で、映画『ひとくず』がなぜここまでロングランを続け、今後どのような展望を開けるようになるだろうかについて考察して本記事を締め括りたいと思う。

 で、話は4/29(木)に梅田Lateral(ラテラル)という所で開催された『田中宗一郎×宇野維正。いきなりピークがやってきた2021年ポップカルチャーを語り倒す』の話に移行しよう。

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話し手は田中宗一郎(編集者・DJ)×宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)の二人。

日本のインディロック&映画を主食に生きてる私にとって、海外の映画・音楽・ドラマなどのポップカルチャーなど多岐に及んでいて、個人的には未知の分野の話もあったんだけどこのタナソーさんと維正ちゃん(そちらも愛称、カネマサ にみたいなもんですw)多岐に及ぶカルチャーへの視点と愛情と突き詰め方に息を呑むような一瞬の2時間半だった。

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(左;宇野維正 右;田中宗一郎)

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今回の話の中で特に興味深く、今回のテーマである「インディペンデント映画の未来」という観点から希望の光として結実できそうなのが、ここ最近、海外のメジャーな映画でさえもガラパゴス状態を維持しようとする点である。具体的には(タイトルはうろ覚えだが)ある超メジャー級の海外の作品のオフィシャルアカウントでアカデミー賞などの賞を受賞したことを一切触れようとしない、というのだ。いやこれは落ち度でもなく、意図的にそうしているらしい。しかも宇野氏によればその意図的にやっているスタッフはわりと賢い部類に入る連中だから勝算は確かであるとのこと。つまり、これはガラパゴス状態のままグローバリズムを突き進もうとするムーブメントの示唆であり、今後映画界でもともすればポップカルチャー界全体に主流となるアティチュードになるのかもしれないと思ったものだ

でも、これを都合よくとらえると、ガラパゴス状態ってある意味インディーズ界隈とほぼイコールでもあると思うので、ある種インディー音楽や映画などと相通じる姿勢って事に繋がってこないだろうか?と思ったりするのだがいかがだろうか。

だとしたら非常にインディー界隈に都合の良い未来が見えるのだが....ってこれは拡大解釈かもしれないが自分のやりたいこと、伝えたい事を何も介在せずにダイレクトに作品へと反映させることに関してはインディー界隈の方が商業主義的な媒体ありきでやっているメジャーフィールド以上に長けていりするのだろうから。

そう言えば、この時タナソーさんは「未来を掴むには過去から始めなければならない」と言う名言を放ったが、それに倣い、未来をポジティブに掴むためにも、過去の格言を引用しよう。

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そう、「井の中の蛙大海を知らず」という小学生でも知ってる諺があるが、これは「君は井の中の蛙だね。」と言われたならば、それは「視野が狭くて見識のない人だね」とネガティブなニュアンスに囚われがちなのは言うまでもない。

でもこの諺は「されど空の深さ(青さ)を知る」と言う文が後続するらしい。

つまり「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができる。」

更にここでのインディーズ・ポップカルチャー文脈に飛躍すれば広い視野をもって世界を見渡すメジャーフィールドの方が強いのかもしれない。だが、たとえインディーズなどの限られた人間から成る世界だったとしてもその道を究めていけばその世界の深いところまで達することができることもあるだろう、と。

その意味でもこの映画『ひとくず』がいまだにロングランを続け、更に後続していく7月公開の赤井英和と上西雄大主演&監督作『ねばぎば新世界』や、さらに先に『西成ゴローの四億円』などなどもうタイトルから完全に大阪を舞台としてるでろう新作群と共に今後も走り続けていくだろう。

これはPerspective(展望)やExpectation(希望)の話ではないではなく、むしろConfirmation(確信)でありRealization(実現)でもあると思う

と言うことでまたまたまたまた超大作の15145字超えしてしまった本記事を締め括るべく吉村ビソーさんと言うSSWによるテーマ曲に沿ったこの映画『ひとくず』のpvを載せて本記事を締め括りたい。

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6日吉村ビソーさん「ひとくず」テーマ  

 

 

 

 

*1:ダークヒーローといえば本作と『JOKER』との比較論が浮かび上がるだろうが、主人公アーサーの極悪非道の限りを尽くした果てに生まれるあのピュアネスと、極悪非道なカネマサから滲み出るヒーロー像とは全くもって異質。後者はむしろ真っ当に正義で、まぁ殺人云々のエピソードは置いといて、同じDCコミックスでも、もっと黒みがかってるものの、ダイレクトなヒーロー像である『Batman』に匹敵する感じがする。

*2:ここまで書いといて今頃目次というこの暴挙...w

*3:一応上西氏が経営している焼肉屋『さしの花』のHPの掲載ときますか。

控えめに言って美味そうである。『孤独のグルメ』の五郎さん来ないかな🐂🥩

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*4:前作『恋する』に関して紹介しておくと「スイマセン」が口癖の頼りない焼き肉屋店主、勇司を取り巻く人間模様がテンポよく描かれる痛快コメディ。要するに『ひとくず』とは真逆のベクトルなのだがカネマサ@観覧車の「ハンバーグか?」という台詞を思い出したり佳奈へのプレゼントの中身にハッとしたり、両作比較すると色々楽しい。あの刑事がヤクザだったり、あのホステスが純粋そうだったり...今年度『ひとくず 』キャストがほぼ真逆のベクトルででてるのが興味深いです(笑)私は逆に『恋する』は『ひとくず 』とのギャップをそれほど感じなくて『恋する』もヘヴィなエピソードもあったりしてむしろ両作品の根底に共通するバイブを感じた。
だから『ひとくず 』におけるseriousnessとコミカルのメリハリがはっきりしたかな。
しかしつくづく両作共々「眼鏡男」の扱いが散々である(笑)

*5:ここで更に孤独のグルメ』と『ひとくず』の共通点として実は『孤独〜』の主役五郎さんには漫画原作版と松重さん版とで「フィギュア」なるものが存在するのだが、ふと思ったんだけどカネマサの【カネマサフィギュア】って絶対どハマるんじゃないか、と思いません?革ジャンのフォルムとか想像がつく。勿論花束とプレゼントも付属で。FIGMAさん検討宜しくお願いします(笑)

*6:『ひとくず 』と『孤独のグルメ』のもう一つのシンクロとしてはseason7の中野区「泪橋」という地鶏店で働く「なっちゃん」の愛称で生き生き働く女性店員とルックスが驚くほど似てる。まぁ別人だしただ作品内における2人のテンションは真逆なんだけど。

*7:孤独のグルメ』よくよく考えれば10年近く人気を保っているドラマだけど初期Season1-3辺りはドラマ部分に焦点が当てられ濃いエピソードが多い。中でもこの回は濃密にも程がある。

*8:因みに舞台挨拶では『ひとくず 』の観覧車は万博記念公園の近くのexpocityで撮影したらしい。

*9:舞台挨拶でも言ってたが3時間のディレクターズカット完全版もあっていずれ公開予定とのこと。本当ネタに尽きない作品だ。

*10:この種のトークイベントに私が行くのは3回目。ずばりその理由は客観性と審美眼が養われるからである。どうにも特定のバンドの音源やLIVEなどに没頭しすぎると周りが見えなくなって狂信的信者になって、ヤバイ目つきになって話が通じなくなった人を数人知っている。未知の分野の話でも本質は同じだと思う。これこそがクロスカルチャーって事だと思うから。