NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

加藤昌史著『10秒で人の心をつかむ話し方』レビュー

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この本の著者、加藤昌史氏は日本を代表する人気劇団の一つである演劇集団キャラメルボックスの製作総指揮、いわば劇団内での総合プロデューサーを担当されている方である。
他にも劇場で使用される音楽の選曲などの音楽プロデューサーであったり、劇団会社の社長でもあったり、当初は俳優もされていたり、あとラーメン研究家(!)であったりと、そんなウィリアム・シェイクスピアウォルト・ディズニー級のマルチな才能を持つ彼が 、なんと劇団創設(1985)以来、(本書の言葉を借りるならば「責任者出てこいって言われる前に前に出てる」をモットーに)演劇が始まる前の説明係、いわば「前説」をず〜っと担当しているのだ。
 これまでの劇団創設以来32年にわたるギネス級な数を誇る前説数(なんと合計4000回!!!)の中で培われた前説の破壊力は一言で言えば、「すごい」、「圧倒的」、「もはや演目レベルのエンターテイメント性」(←最後のは一言じゃないけどw)を誇るといっても過言ではない。
 個人的にはこれまで演劇集団キャラメルボックスの舞台は『クロノス』の初演(2005)以来約10年間以上、20回ほど様々なタイプの演目を観劇してきているのだが、まだ開演前の、役者のいないセットだけの無味乾燥な無人の舞台袖から少し照明が明るくなって、彼が「どうもっ!!!、ようこそいらっしゃいましたーっっっ!!!!!!」とハイテンションな高めの声で走りながら出て来た瞬間から劇場の雰囲気がものの見事に一瞬でキャラメル色に染まっていく。そう、あの舞台を観に行かれた人ならわかると思うのだが、あのキャラメルボックスならではの「あの何かが始まるようなワクワク感・ドキドキ感溢れるあの空気」へと一気に変化するのだ。ストップウォッチで測るとすればそれはわずか10秒程度の一瞬の出来事。
 
そこでハッとあることに気付く。

このいわゆる「前説」とやらは従来我々の頭の中で考えているいわゆるお笑い芸人の漫才であるとか、イベントなどでのオープニングアクト、注意事項伝達などの種の通常我々が想像する「前説」とは全く異質のものであるということである。ましてや携帯・スマホのスイッチオフモードにしたりするためだけの時間でもない。
 もはやこの前説が始まって数十秒たった時点でキャラメルボックスの演劇を見に来た観客の大半の心が「演劇に、いやキャラメルボックスに心ワシづかまれモード」となってしまっているのだ。また、言い換えるならあの時間は、演目の一部の中でも観客と舞台との間で交わされる貴重なコミュニケーションの時間と捉えた方が適切なのかもしれない。
こうしたコミュニケーションがあってこそ、観客は皆、前説の後に続いて行く約2時間もの長丁場となる舞台に安心して集中して没頭でき、時に笑い、泣き、怒り、共鳴し、最後に役者たちに惜しみない拍手をおくることができるのだ。そればかりでなく、観客の多くはカーテンコールの際に必ず客席の先頭付近に立って(前説の時とは違って)ひっそりと客席と舞台とをしっかり見守って一礼してくれる誠実な彼にも拍手の手を向けることも忘れない。そして終演後、余韻冷めやらぬ(演目内容によっては涙止まらず!?)の数多くの観客がロビーに立って見送りをしてくれる彼と何かを伝えたくて、何かを共有したくて話しかけに行く光景が頻繁にみられるのももはや自然な流れなのだ。

 そうなってくると、そんなわずか10秒程度でここまで人の心をつかむ達人である、ミスターキャラメルボックス加藤昌史氏の脳内って一体どうなっているのだろうか、とふと疑問に思ったりする。本書は、そんな我々の素朴な疑問に答えるかのように、彼がこれまでの舞台で培ってきた前説経験を含んだ様々な舞台人生の中から、人とのコミュニケーションに必要なあれこれを、タイトル通り主に「話し方」に焦点をしぼって分かりやすく教えてくれる指南書である。

この本の構成は、第1章「声」、第2章「顔」、第3章「姿」、第4章「テクニック」など様々な側面からいかに我々が「人の心をつかむ話し方」に近づけることができるか具体的なアドバイスがなされ、さらに後半ではもっと具体的な自己紹介法や、実際に劇団内で行なわれているトレーニング法など実践の仕方までが詳細に述べられている。また、架空の若手社員、畑中トモユキさん(←どっかで聞いたことある名前だけど、まあいいか(^^;;)との「コミュニケーション人生相談」のような対談コーナーを通して、自己の話し方次第でいかに他者が心を開いていくかに関して、時に具体的に、時に加藤氏独特のユーモア溢れる表現などによってこれまたわかりやすい説明がなされているので読み物としても十分楽しめるものである。

 いずれにせよ、我々読者がこの本を読み終える頃には、例の「どうもっ!!!、ようこそいらっしゃいましたーっっっ!!!!!!」というあのハイテンションな叫びって実はテンション任せそのものではなくて彼の脳内で巧妙に練られたひとの心のど真ん中、そう某ゴルゴ氏並みに正確に心臓部を撃ち抜くバズーカ砲だったということに改めて気付かされるのだ。

 恐るべしミスターキャラメルボックス

また、本書は、最近「コミュ障」「メンヘラ気味」「非リア」「腐女子」などといったネガティブ要素を自己紹介に盛り込む人が身近でもSNSでもホントに数多く見受けられるのだが、そんな自己を自虐視しがちな最近の風潮に対して「そんなことでは人の心は掴めませんよっっ。」とゲキを飛ばしてくれるそんな現代人への「メッセージ」としても有効なのかもしれない。

で、例によって長々と綴った本レビューであるが、最も言いたいことは全て表題に集約しているんだけどね。

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こんな時代だからこそ〜日常生活に鳴り響くシンガーソングライター・エナのポップネス

0. SSWたちのリアル

今現在、住んでいる関西地域において、トータルすると一体幾つのSSWやバンド、アーティストなどの集う所謂「フェス」なるものが存在しているのだろうか?

例えば、神戸のトアロード・アコースティック・フェスティバル、ミナミホイール、FM802などラジオ局主体のイベントや大阪駅前でたまにやっている路上でのSSWイベントなどなど....全て含めると指折り数えても数えきれないほどの物凄いイベント数になる事だろう。

そして更に思うのがその数多くのフェスにも拘らず、決してスカスカにならずにむしろギチッギチにタイムテーブルに収まるもう膨大なSSW達の膨大な数、数、数よ!

全日本国民一億人以上いるこの日本の中で、SSW達の割合を出すと、現在私が個人的に支持しているAnly、ハルカトミユキ、鈴木実貴子ズ、ヒグチアイ、AmamiyaMaako、仮谷せいらなどなど.....も含めてこれが結構なパーセンテージを占めるんじゃないかと思ったりする。まぁこれが全国民の10%とまではいかなくても5~8%ぐらいの人が何らかの形で人前でギターを弾いたりするいわゆるアーティストだったりするのだろうか?

そこで、この膨大な数のSSW達の中から頭ひとつ抜けていって初めて【ブレイク】と言える訳であってやはりこういう時は地上波テレビにでも出演して大々的に取り上げられなければならないのだろうかと、と途方もない気分になる。

ふと、そんな事を考えて過去の地上波にまつわるAnlyの記事を思い出したりして。

nenometal.hatenablog.com

でも言うまでもなく、テレビってのは、今の所は最強効力を保っている一大権力なんだろうけど、即効力はあっても、そのアーティストなりSSWなりの活動におけるsustainability(サステナビリティ、持続可能性)までは保証されるものではない。これは今まで多くの「流行(はやり)もの」としてテレビで消費されては、ハイ、これにて終わりって、ハイ次、って感じで消えていくアーティストを見たら一目瞭然ではないか?

だってほら、あれだけ子供達の帰り道のふざけネタになったピコ太郎など誰も見向きもしないじゃないか、もうパプリカですら完全に消費され尽くされてきた感もあるし。もうSuchmosもあれだけ時代を背負ったカリスマだ煽っといて、今やほぼ無視じゃないか、King Gnuよ、予防線貼っとけよ。あと考えられるのが、タレントとしてではなく、あくまで「ポップアイコン」としてのきゃりーぱみゅぱみゅにはもはやお役目が終わった感すらあるよね。彼女の運営サイドはきっと中川翔子小倉優子など過去の先人達に倣っていかに「文化人」への転身にはかろうか知恵を振り絞りつつ水面下でバタバタしていると思うんだけどね、知らんけど(笑)。*1

 

1. 北国のミューズ、エナのチャレンジ

そんな時いつも思うことがあった。このところのミュージシャンと、それを取り巻くファンダムとの関係って90年台以降のJ-POPの流れから換算していっても、ここ最近10年ぐらいだろうか、物凄く距離的にもメンタルな面でもaccesibility(接近可能性)が極めて高くなっていて、それをうまく利用することがブレイクスルーへと繋がるのではないかと。多分、2010年代に入ってから顕著な「会いに行けるアイドル」をコンセプトとしたAKBなどをはじめとするアイドル勢の握手会・特典会などのいわゆるリリースイベントなどの多発しているその影響下で、ミュージシャン(若手のみならずベテランも問わずもうポップスからロックからクラシックとかまでいわゆるオールジャンル)の活動にも積極的に取り入れられるようになってきたではないか。個人的にこうした流れが、距離的にもメンタルな面でもアーティストとファンとのaccesibilityが極めて高くなっている事へと連動している。あと落ちぶれた歌手の独断場というイメージがあったバーや小さなカフェでのライブも、そういうイメージは全く無く、むしろ「お洒落なライブ」として頻繁に行われるようになってきたしね。*2

だからこそ、上記の我が支持するアーティストがブレイクする為のしっかりした活動基盤ってか、土台を構築するには、こうしたファンからなる支持団体(ファンクラブ的なあれ)に協力を呼びかけることではなかろうか、と思ったりして。そういった意味で以前からクラウド・ファウンディングってのは絶対に有効無手段ではなかろうかとは前々から思っていた。

*3

これは前述した全てのSSWたちのみならず、最近ハマっているインディーズ映画界隈などに対しても最もアクションを起こして欲しい活動形態、いわゆるファンダム・ベーシス、もっと極端な言い方をしてしまえば、ファンダム・シンジケートとしてフルに機能できるものになるだろうとずっと確信していたのだ。

 そんなことを思っていた矢先、こういうニュースがタイムラインに飛び込んできた。

motion-gallery.net

そう、北海道中標津町出身の女性シンガーソングライターである、エナさんにおけるクラウドファウンディングへの果敢なる挑戦である。

このクラウドファンディングの目的、をかいつまんでいうと、

【目的を達成するとライブ実施からライブPV製作を行い、事務所所属/レーベル契約までの挑戦を皆さまに共有し、共に達成することです。】

とある通り、彼女の熱心なファンとともに本来は裏方でやるような活動基盤をも公開して、シェアすることによって皆で構築してみようという野心的な試みがそこにあるのだ。そしてそれらの目標の一つ一つが達成した際にはアーティストサイドから「リターン」という形でお礼をするというものだ。

そしてこのチャレンジ発足したのは去年の秋ぐらいの出来事で、結構前だからもうクラファン活動は終わっていることがわかる。そしてこのページを見て貰えば分かるとおりという目標金額である「1,000,000円」をはるかに超え何と、「4,916,611円」という目標の300%以上超えて達成してしまっているのだ。いやいや、クラファンってもっと「やっと到達、95%!!あともうちょい!!!あ、でも日数がない💦」みたいに結構ギリギリ感漂うもんじゃないのか??

そして、そのクラファンの最初のチャレンジとしてある企画が、今執筆現在2020年3月3日からするともはや明日にまで迫った渋谷eggmanにて開催されるワンマン無料ライブである。*4

 

 

明日行われるライブ....この言葉を聞いて人によってはこのコロナ感染で賑わっている世の中、「なぜこの後に及んでライブを開催するのか?」

「誰かがこのハコでコロナに感染したらどのように責任と取れば良いのだ?」

などなど、きっと消極的な意見や、場合によっては批判的な声を浴びせるものもいるだろう。でも彼女は演ることを決意したのだ。そこに彼女の音楽を希求するファンがいるから、その音を鳴らすためのステージがあるから、共に音を鳴らしてくれるバンド仲間がいるから、そして何よりもそこに「音楽」があるからに他ならない。

あとはこの彼女のキャリア史上ターニングポイントになるであろう「伝説」となるライブが実施すれば、そしてそのLIVEが成功して、そしてその伝説となるLIVE videoが無事に撮り終えられることができれば彼女はきっとアーティストとして次のフェイズに進むことができるだろう。

......などなど思惑を巡らしてたら、3/3の 18:00ぐらいにこういうツイートが飛び込んできた。

 

 ここで分かったことは当初ファンの誰もが恐れていた「全面的に公演中止」という最悪の事態は免れた模様。ただ、この日は当初から「無料ライブ」という設定であり、開催日などは全てクラファン支援者によって賄われてた為、主催者側としても比較的ノーダメージのまま3/4(水)のライブアクトはYouTubeによる配信ライブ、そして公演自体は未定ながらも延期、という体裁になったのは幾分助かった面もあったのかもしれない。ハッキリいうと、こういうアクシデンタルな事態に際して如何に対処するか、どういうアティテュードで対応するかという姿勢も既にアーティストとしての価値が問わると思うのだが、この決断には何の落ち度もないと断言できよう。しかも有り余るほどの彼女らしいとても、誠実な対応であると思う。

 でもここで、キャリア史上ターニングポイントとなるLIVEまでは少し時間的余裕がができたのではなかろうか。まだまだ彼女の楽曲に触れていない新規の人らがLIVEへ足を運ぶチャンスがでてきた、とも言える訳で、次章では、彼女の楽曲の世界観にジックリと触れてみようと思う。

 

2.名曲「ゆらゆら」の世界

本ブログではおそらくは初登場となるエナさんであるが彼女の楽曲の良さにも触れておこう。

こちらは前の章で触れた、3/4に渋谷eggmanにて無観客で行われた「wonder」ライブの模様である。


エナ - ワンマンLIVE「wonder」生配信@渋谷eggman(無観客ライブ)

特に私が個人的に好きな曲はこのライブで披露されている一曲目の「ゆらゆら」と言う曲である。この曲に個人的に素晴らしいと感じた点は、大まかに分けて以下の3点である。

❶:全体的に【だだっ広い荒野で新芽が息吹き、太陽光を浴び新緑の候を経て一気に花が咲き誇っていくあの自然のサークルを高揚感とともに鳴らした】感じが破格値に素晴らしい。でもそんな花や自然を美しく感じられるのは【悩み、痛み、涙】というリアリティに揺れるからこそである、そこまで描かれている素晴らしい曲だと思う。

 

❷:しかも更に個人的にツボだった点は【綺麗な花が咲いていたんだ】と言うフレイズが途中のブレイクを挟んで言い直されるのだ。だって「同じフレーズを言い直す」ことは日常生活ではままある現象だがそれを歌として成立させたのを聴いたのは人生初。はっきり言おう。このリフレインは「魔法」である。その瞬間、情景は広がり、燻りし感情は吹っ切れ、聴く者の心に訴えかけるポップスの魔法、である。このリフレインの背景に、登場人がおかれている人間ドラマだとか、その人を取り囲む情景だとか、儚くも力強くあろうとする感情などが、そのフレイズ以上のニュアンスを持ってパノラマのように広がっていく印象を持ってしまうのだ。

 

❸:更に❷のリフレインという概念に焦点を絞って述べると、人が(1)conviction(確信)と(2)emotion(感情)とが交差してその中で揺れ動きながらも前へ向かっていくと言うポジティヴィティに満ち溢れている。きっとこの歌の主人公は二度目の【綺麗な花が咲いていたんだ】を謳った時(1)conviction(確信)と(2)emotion(感情)の狭間でゆらゆらと揺れ何もかも振り切ったのだろう、そんな登場人物の心象風景まで垣間見えるのだ。

 他にも『星が鳴る道』という曲があるのだが、この曲の高音域の凄く響き渡る様はまさに北の大地さながらゆったりと壮大に響き渡るのだ。同じ道民で松山千春という超ベテラン歌手も 『大空と』という名曲があるが、あれにも勝るとも劣らぬほどの壮大に響き渡る歌声は、北海道の懐の深さすら思わせる。まさにエナは、このようにゆらゆらと揺れ動く様々な感情の幅を声で表現できるからメリハリのきいたメロディアスな美しい曲が多いのだとも思う。*5

 

 で、余談ではあるが、私ネノメタル はこの種の【前向きに力強く進みながらもどこか不安げな気持ちも垣間見える、でも全体的にポジティブに鳴り響く系の曲】にめっぽう弱い。でここらでそういう『ゆらゆら』とある意味シンクロすると考えているネノメタル フェイバリット曲でも紹介しとこうか。

 

☆例えば、石田ショーキチ(当時、石田小吉)のポップ・クリエイター編成ユニット、

Scudelia Electroの名曲『水虎の涙』とか、

www.youtube.com

☆「水虎の涙」と同じ作詞作曲は石田さんが在籍していた二人組バンド、

Spiral Lifeの人気曲『20th century Flight』とか

www.youtube.com

☆後はハルカトミユキで個人的に最も好きな曲『光れ』

www.youtube.com

 実は、これらの3曲ってどれも共通点があって現在活動休止中であるが、人気劇団である【演劇集団キャラメルボックス】の演目におけるオープニング・ダンスチューンになっているのだ。その意味でエナ『ゆらゆら』或いはエナの楽曲が近い将来、キャラメルボックスが復活した際のオープニングチューンにでも採用されることを物凄く心待ちにしてたりするのだが、それは可能性高き今後の夢として心待ちにしておこうか。

 

で、話はエナさんに戻るが彼女のその他のディスコグラフィーや活動内容、グッズ情報などはこちらを参照されたい(丸投げかw)。

ena-official.com

 

3.日常に鳴るべきポップスがここに...

ところで、先月末東京旅行した際の初日、2月21日(金)に、木場駅を降りた所のイトーヨーカドー付近に設置してある「レインボータウンFM」というコミュニティFM番組にてエナさんが生主演して、トークのみならず、曲を演奏もあるというという情報をゲットした。ちょうどその時間は空いていたのでまさに彼女の楽曲に直に触れるチャンスという事でいくことにした。

 

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*6

2020.02.21 エナ - 「サヨナラの音」@レインボータウンFM『ふかがわ音Meguri』

www.youtube.com

 ラジオ収録が終わって少しの間ではあるが彼女と話をする機会を得た。今回の直接お話しする最大の目的は前の章で述べたような『ゆらゆら』に関するレビュー・ツイートした所、大変共感かつ喜んでくださって、友人でありTwitterの相互フォロワーでもあるきむしげさんがわざわざ私の為に直接CDを購入して以下のようなサイン(というよりこれはもはや私信ですね!?)を頂いてたので、私が『ゆらゆら』レビューしたその張本人のネノメタルです!ということをお礼と自己紹介を兼ねて伝えたかったからだ。

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いや、そこで、もちろん覚えていただいていたのはとても嬉しかったし、あと、個人的にうろ覚えだったんだが、以前「『片目に涙』の「誰かに伝えたくて〜♪」の辺りってどこか沖縄民謡っぽいうねりつつ徐々に登りつめていく感じが凄くしてやはり心に訴える感はある。ただ北の地域出身の彼女に真逆の南の音楽を感じるのも興味深い。」とツイートしたことがあってそれをハッキリ覚えてくださっていたのだ。

 これはホントビックリしたね、てかなんでツイートした張本人の私の方がエナさんよりうろ覚えなんだよ、という話だがw、ちなみにこれがその去年の夏のこのやりとりである↓

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 そして、私が前々から思っていた事を伝えることができた事も非常に嬉しかったな。*7

 それは、エナさんの音楽を聴くにつれ、彼女の音楽は極めて「日常のサウンドトラック」という感じが常日頃からしていたのだ。

大袈裟なメッセージや、大それた主張などを、ドラマティックにメロディーに託すのではなく、本当にフラット感じである。

言うなれば、

平日の午前から昼下がりにかけてFMラジオからふと流れてくる音楽、本当のポップミュージックのあるべき姿が存在している、と個人的に思っていてまさにエナさんの音楽にはそういうポップネスがある、という歴然とした事実をお伝えしたかったのだだからこそこのコミュニティFMで彼女の音楽が鳴らされたというこの日のエピソードはドンピシャすぎるシチュエーションであったし、先に述べたように、シンプルな舞台で日常の風景でもって構成される演劇集団キャラメルボックスのアコースティックシアターのオープニングテーマにも適していると思ったのかもしれない。

 そんな意味で東京は下北沢という様々なサブ・カルチャーで溢れる街の日常生活のありふれた風景の中撮影した、この『片目に涙』という彼女の音楽キャリア初のミュージック・ビデオをあげることによって、またもや8100字を越えてしまった本ブログ記事を締め括りたいと思う。 

『片目に涙』performed by. エナ 

www.youtube.com 

 

【付記】

どんなに人と笑って騒いで楽しい時を過ごしても、ふわっと塒のような不安がよぎる事ってないだろうか。

「僕らは常に少し悩み、それでも涙を堪えて生きている。」

この歌は、いやこの歌に限らずエナの歌はそんな我々の日常を肯定性に導いてくれる。

そんなポップスがもっと街にあふれますように。

こんな時代に。

いや、こんな時代だからこそ。

*1:そう考えりゃ「あいみょん」って人は凄いよね。時代の流れに消費されることはなく良質なポップスを未だに次々に生産しているんだから。彼女を取り巻く運営陣が優秀だって説があるけどうなずける話だ。

*2:話はそれるが、握手会、リリースイベントでもTwitterで「ガチガチに緊張した」と言っていつつも案外皆しっかりと時に冗談を交えつつコミュニケーションできているよね。やはり身近で会ってしまうってのは肝が座るってか、大きいのだと思う。多分リリースイベントなどとは無縁の超ベテランシンガーとかあってしまうと一言も喋れんぐらい緊張するだろうな、長渕剛とか山下達郎とか中島みゆきとか....

*3:これがクラウドファンディングの全貌である(丸投げ)

ja.wikipedia.org

*4:ちなみにこのライブの開催の可能性に関しては執筆当時は微妙なところがあった。だが、この時点での活動の流れはまだ開催できる可能性のある今の時点のリアルなブログ記事としてこのように公開しておきたいと思う。

*5:ライブを収録した音源を聞いたのだが、ライブには一般的に音源をきっちり再現するタイプと音源の世界観をさらに広げるタイプとがあるが彼女は間違いなく後者。『エナライブ1』『エナライブ2』と称する彼女のライブ盤作品があるが、どちらも音源を超えた表現力に圧倒される。中でも「君がいなくなった朝」のブルーズすら感じる広がりは必聴。

*6:本ラジオ番組をYouTubeにアップして下さっているのは、エナさんの熱心なファンであり、私のTwitterの相互フォロワーである待つぼっくりさんである。彼ともこの場にて初対面だったのだが、彼の存在なくしてはエナさんの音楽を聴いたりする事はなかったかもしれない。

*7:これは彼女の人間性を表すエピソードだと思うんだけど、ラジオ生放送収録中に3-4歳ぐらいの女の子もキャッキャッ言いながら観覧していた。父親もいたが、たまたま通りかかった風で、別に彼も彼女の音楽を知っているわけでもなかったのだが、収録終わって帰り際に「楽しかった(о´∀`о)!!」エナ「楽しかった?有り難う〜!!」とその女の子と会話しててたのがとてもエナさんらしきエピソードって感じで印象的だった、彼女の音楽ってこういう風に日常にふっと浸透するんだろうなとも思った。

孤独の東京ネノグルメ紀行〜渋谷・下北沢・そして、スペアク聖地「エビス参」へ!!

0.東京ネノグルメ紀行

このところ2〜3年ほど結構ハルカトミユキ などのをはじめとする音楽のライブや、最近では『スペシャルアクターズ』『みぽりん 』などのインディーズ映画に関するイベントなどでも東京に遠征に行ったりする事も多くなって、ランチや夕食など東京のお店で食事することも当然必要となるわけで、色んな店に行く事への楽しみも見出せるようになってきた今日この頃。と言うわけで、「この店は素晴らしい!」、「この店は今後遠征したときの常連になってしまえば良いんじゃね?」的な素晴らしい店の数々を、今回は渋谷・下北沢・学芸大学前「エビス参」の順で紹介していきたいと思いまーす!!って次回はあるか知らんけどw

 

Anyway, Here we go!

Let's Eat!!!

 

1. Scene1;渋谷『長崎飯店

この店、実はもうすでに3回目。それまでは『孤独のグルメ』シーズン6のエピソードを観て以来、なんとなく行きたいなと思っていてずっと憧れの店であったのだが、もう場所もすっかり認知して今では自分的にもスッカリと躊躇わずに店に入ることのできる、もはや気分は松重豊ってか、井之頭五郎さん的な、ここ長崎の中華を大都会喧騒の渋谷で味わえるという、中華料理の店、いや大都会のオアシス、「長崎飯店」である。

で、その時のツイート↓

なんと言っても、あの九州は長崎県の「長崎中華街」を彷彿とさせる皿うどんやちゃんぽんなどがメインのお店ってのは東京ではかなりレアなのではなかろうかと思う。この日頼んだのは皿うどんのカタ麺のご飯付きのライスセットをセレクト。ちなみにこの皿うどんには、やわ麺との選択肢があるのだが最初から柔らかい麺よりも餡がかた麺に馴染んでじんわりと柔らかくなった感じが好みなので当然の如くそっちを頼んだ。そしてそしてやはり『孤独のグルメ』にて五郎さんが頼んでいた「春巻き」なるものにも興味があって、今回初めて食べてみたのだがツイート通りパリパリ食感がツボでとても美味かったんだけど、ご飯とのランチセットが980円ということを考えると正直「670円」という価格設定も割が合わんことはないけれども(笑)、まぁ美味かったんだから良しとしましょうか😅。*1

と言うのも、この店テレビにも出てかなり有名な店であるはずなのに、店のおばちゃんやおばあちゃんやそして孫の大学生ぐらいの女の子が皆驚くほど愛想が良くて接客が丁寧なのだ。あとテレビに出たことを誇示するかのような自己顕示欲のカタマリのような「サイン色紙」とかも全くなかったしな。下手したら近所のマクドすき家のおばちゃんの方がよっぽど愛想が悪いではないかwと思ったほど 。そういや2年前だか、最初にこの店にきた時に、その夜ハルカトミユキのバンド・ワンマンライブの会場である「渋谷クアトロ」の場所がわからず店のおばちゃんに聞いてみた所、この孫の女の子(当時高校生だったと思う)が出てきてまぁ懇切丁寧に親身になって店の外にまで出てナビゲートして頂いた事を思い出したのだ。*2

 ちなみに、以前2回目に去年の夏あたりに来た時は、ちゃんぽんを食べたんだったな。最近は【長崎ちゃんぽん・リンガーハットなども東京、大阪などにも点在しつつあって、だいぶちゃんぽん文化がラーメンに引けを取らないくらいに並ぶ全国区フードだったと思うのだが、一般的にちゃんぽんはかなり色彩豊かな賑やかな麺という印象があると思う。でも長崎の皿うどん、ちゃんぽんってあまり色彩に拘らずに驚くほど地味なのであるという事実は実はよく知られていない。*3

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写真を見ても分かる通り、それほど色彩的には目を見張るものではあるまい。だが、見た目は地味ながらも味はしっかり九州人好みらしく濃い目な味付けで、ここ最近にしては珍しく量もシッカリとしてコストパフォーマンスも優れている。そういや最初か、2度目か忘れたが、最初に来た時会計時、店のおばあちゃんに「ここの店、ホント安くて美味しいですねえ!!」と大絶賛して、彼女も「ありがとう、また来てね」と心底嬉しそうにお釣りを渡してたのを思い出す。

tabelog.com

2.Scene2;下北沢『Soup Curry ポニピリカ 』&眠亭

 さて、次はスープカレーの店下北沢にある「ポニピリカ 」である。

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この店は一昨年の冬以来2回目である。その時にも思ったが、「スープカレー」ってなぜに全国区にもっと広がらないんだろう、って考えた時に、いやいやもうこれは考える必要など全く無いくらいシンプルに答えが出た。これは単に【手の込んだご馳走】だからである。そもそもが「ご馳走」というものの定義は単に高級食材が用いられているとか、美味いものがある、そういう問題だけではなく「こんだけ手間暇かかった料理、そんなに手軽に食べることなどできんだろ。」という単純なアンチ・ファーストフード的なステイトメントにも起因していると思う。

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しかし、是非この店に行った時体感して貰いたいのは、もうホントこの時ツイートした通り店員さんがお盆に乗せてスープカレー&ライスを運んできた瞬間の「うわっ!!!!!ご馳走が来た!!!!!!」というあの驚異のカタルシスたるやもはや尋常ならざるものであった。そこでスッとスプーンですくってみて口につけるカレースープの温かくも深いホッとする味わいの感じや、スプーンでさくっとじっくりと煮込みに煮込んだであろうあのレッグ部分のチキンをすくった瞬間にパリッとすぐにほぐれる感じや、ジャガイモや人参などの大振りに切った野菜類のホクホクとした柔らかみ温かみの素晴らしさよ。ホント人に優しい、全てが人に優しい人に優しくなれるののがここのスープカレー『優しさによる優しさのための優しさによる手の込んだ料理』それがきっとスープカレーというものの最高の定義なのだろうだから先ほど「ご馳走」とは何かを定義したが、きっと思いやりや人の優しさなども、きっとその中に含まれるに違いない。

あと前来た時にも思ったが、(おそらく当時とは違う人だったが)店員さんの対応がものすごく丁寧なのだ。

あとこういうCDとポップを何気に置いてあるのもサブカルチャーの街、下北沢って感じでいいですね。

 

  そしてそして、ついでにこちらも紹介しとこう。今回は行かなかったのだが、この店の下の階には伝説の中華料理屋があるのを知ってる人も多いだろう。そう、かつて甲本ヒロトやそれこそ『孤独のグルメ井之頭五郎を演じている松重豊さんらがバイトしてたという伝説の店「眠亭(みんてい)」である。こちらは昨年末に行った時のものなんだけど。

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ここは独特のピンク色のチャーハンがとても有名で一口食べればパラパラっとする自分好みのものでとても美味しかった記憶がある。ただ、ラーメンはとりわけ普通だったというよりもちっと麺が柔らかかったかなというのが残念な所。実は、人気店の運命か、一階席は人がギッシリでお座敷のある二階席に行ったのだがそこでもほぼほぼ人が埋まっていて出るラーメンの量も半端ないのだろう、やや麺もフニャッってしまったのである。だから個人的にはラーメンはご遠慮いただいて、「チャーハン」を前面に出した定食などをお勧めしたい。

 

ponipirica.in

komuken.com

3.Scene3;『エビス参 学芸大学店

ここはもう人生初めてである。とは言ってもインディーズ映画界の聖地、というか『スペシャルアクターズ』界隈の上田慎一郎監督映画のフォロワーさん並びに、出演者様がよく行ったり、シネマ・チラリズムという配信番組も収録される場所という事でなんとなく気になっていたし、これは行かねばとは結構前から思っていたのだ。そして、「まみぞうさん」という女性店主の方が大のインディーズ映画ファンで至る所にスペアクやカメ止め愛に溢れているこの店の内装から起源として聖地になっていったんだろうなとは前々から認識していたし、これはインディーズ映画ファンとしては行くしかないよねと。

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で、完全に行こうと思ったキッカケの切り札が、今年の初めぐらいに、シネマチラリズムのプレゼント企画で、映画『みぽりん』の映画ポスターとCDが各2枚分、サイン付きのものがめでたくも当選してて、郵送なるオプションはないから直接店に取りに行くようになっていたからだ。

そうかい、それで、店に来たからには食事もせんとね、という事で行ってみたらこれがまた破格の美味さだった!!

 まずは駆けつけ大ジョッキビールとマカロニサラダで軽くウォーミングアップするというツイートでここに来た事を知らせるとすでに常連であろうフォロワーさんから次々にオススメニューのお知らせがちょいちょい来る。

これは有難かったね!大絶賛参考にしました!

まずはこのもつ焼きお任せ5点セットである。私は個人的に串焼き系は、その店がいかに伝統のタレとかでタレを前面に出そうともほぼ無視する方針で、圧倒的に塩派を選択するポリシーがある人なのでやはりここでも「塩」でいただくことに。でもこれがこれらの肉片のプリップリの食感を十分に堪能できて美味かった!隣にあるカラシ、こういうのも九州・関西の串焼きにはない発想だったので意外な組み合わせとして堪能できた。

あとこの写真の一番左側にいるトリ皮なんだけど、普段私はあまりぶよぶよすぎるタイプのは大いに苦手とするのだが、この日のは大例外だった!十分に焼きが通ったタイプのやつでその歯応えを楽しみながらしっかりと美味しく頂きましたとさ。

これは大事なことだから、何度も言うが肉の歯応えがプリップリなのだ。

もつ焼き店を名乗っている以上このメニューは100%外せまい!

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そしてさらに続いていくこの「孤独のネノグルメ・エビス参篇」これは誰かが言ってて気になってた「ゲタカルビ焼き」というものである。これが分量が結構あるっていうのでハーフサイズを頂いたがそれでも十分に盛り付けてあって、ワサビだれ、焼肉だれっぽものなどいろんなタレを牛の旨みとともに十分に堪能できるものであった。 

そして極め付けがこちら....!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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こちらの牛もつ煮込みである。一言で言えばこちらは、モツ、野菜、豆腐など博多のもつ鍋とかの具材を彷彿させるものが入っているのだが、このスープが博多の割と醤油ベースのあのこってりした感じのとは違う気がする。どこかさっぱりしているんだけどコクのある凄く人に優しい味、なぜかその時この店に来る直前に観たアップリンク渋谷で観た『COMPLY+-ANCE コンプライアンス』 の「優しい優しいサイたち」というフレーズを思い出して、吹き出しそうになったのだが、まぁそんなことは置いといても五臓六腑に染み渡るとはまさにその事で、また行けるチャンスがあったらこれだけは外すまいと、と心に誓った。あと悔いの残る点といえば隣の常連っぽい人が頼んでいた少量の「つまみカレー」とかいう一品だが、注文するともう売り切れてたそうでこれは次回の課題という事で。
で、最後はこちらで締めましたとさ!

焼酎水割りに寄り添うような馬刺しでござい!(ぶれまくりw)

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yebisusan.com

4.Grand Conclusion〜グルメとは何か?

という訳で東京に行ってきて素晴らしいお店の数々に行ってきた訳だけどどれもこれも「ただ単に食べ物が美味しい」という理由だけに止まらないという共通点がある。

皆さん誰しも渋谷の「長崎飯店」しかり、下北沢の「ポニピリカ 」や「眠亭」しかり、学芸大学前「エビス参」しかり「人気店なのにも関わらず、そこに溺れる事なく、店の人の人間性がすごく良い!」という事である。

 ごくごく当たり前のことを言ってるようだが、「食事」とは別にものを食べるだけではないのだ。食事に店へと行く事でその店の文化に触れる、その店という国に触れる、その店の人間性に触れるということとイコールなのだなぁという事を改めて実感したのだ。

そういや、あの『孤独のグルメ』原作者でお馴染みの久住昌之さんが去年4月に行われたトークショーでこういう名言を残している。このグルメブログを彼の言葉で締めくくろうかな。

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 「最近食べログ等で【お客様は神様】トーンで偉そうに評価する奴がいるがそう思うなら行かなきゃ良い。
店はそれぞれが独立国家なのだ。
だからある程度その国のルールに従い自分に合う、合わない店を判断せよ。失敗を重ねてこそ自分にとっての【故郷(くに)】が見つかる」と。

 

 

そうだ、「お客様は神様だ。」という考えは客商売する人たちの間では長い間息づいていて、それは完全に否定されるべきではない、という意見は間違いないとは思う。

だが、忘れてはならないのは「お店にも神様はいる。」という確固とした事実である。

*1:因みに隣の客が餃子かなんか他のでチラッとみたけどあっちの方が大皿に豪快に盛られてたな。まぁあっちの方が見た目的なカタルシスがあってオススメかもしれない、というか今度頼んでみようかな。

*2:今回そのお礼を言おうと思ったんだけどますます忙しそうになってきたので止めました笑、カメラクルーも準備してたし。

*3:実はここちゃんぽん・皿うどんともにちょっと海鮮類などの具を豪華にしたスペシャル版もあるのである。若干高くなるのだが、隣のサラリーマン風の客も結構頼んでたし、今度はちょっと豪勢にそちらをいってみようかな??

ハルカトミユキは何をcontinueするのか?ーハルミユづくしの関西2 daysから考察する

1. バンドにおけるアイドル化現象

最近twitterなどを見て、たまに違和感があるのが「推し」「課金」いうあの独特の言い回し。あれって元々アイドルとか声優兼シンガーとかあの辺のオタクっぽい連中あたりから頻繁に発生しているイメージがあるのだが、今やゴリゴリのロックバンドや超ベテランのシンガー・ソング・ライターにも適用されている気がする。まぁ、それはそれで良いのだが、それに伴いライブ自体の客の求めるクオリティも限りなく低レベルな判断基準がまかり通っている気がするのだ。

「"推し"にCDを"課金"して次の活動資金になってくれたらそれで良い。」

「"推し"のあのギター間違えたところの笑顔が可愛かった。」

っていう感じでこの【推し】【課金】という表現自体、オーディエンスの態度としてへり下っててものを言ってる印象になるせいか、バンドのパフォーマンスを限りなくアイドルチックな方面へと導いているような気がするのだが。

だってこれ逆に言うと、 

推しの最後の曲の激しいギターディストーションで前オーディエンスを震撼させた。」

とか

推しが最後ドラムぶっ壊しーのギターの弦をはぎーの物凄い狂気のパフォーマンスターだった。」

など本格的なロック方面のパフォーマンスとは結び付きづらいだろうと思うし、現にそういうパフォーマンス自体も限りなく減りつつあるのではないだろうか。これって何となく感覚的なこと言ってる気がするが、その辺りをうまいこと言い当てたフレーズが鈴木実貴子ズの『音楽やめたい』で言う所の【キャバクラになってしまったライブハウス】なのかもしれない。実貴子ズのこの【世界の心臓部を貫いた感】を言い当てた件に関しては別の記事で書こうと思うのだが、とにかくオーディエンスは折角金を払って人によっては決して安くない遠征費を払ってライブを観に来てるのだからもっと声を上げても良いと思うのだ。

 その証拠に最近どこのライブハウスに行っても『アンケート用紙』というものが全くないではないか。いや、あの『アンケート用紙』って演劇なんかでたまに劇場に行ったりするからよくわかるんだけどあれは「思ったままの正直な意見」や「辛辣に書かれた感想」を浮き彫りにする効果があるのだ。つまり『アンケート用紙』を配らないという姿勢はマイナスな意見からは目を逸らしていきますよという姿勢とイコールだと思う。残されたものは140字のSNStwitterではほぼほぼ細かいことが書けないから逆にプラスの意見だけが浮き彫りにするのだ。あるいはバカっぽい意見だけが浮遊するとかね。ましてやオフィシャルがそういう意見ばかりRTしまくればこっちのもの。結果ふわふわした意見ばかりがタイムライン上に浮遊して、いつしかアイドルを押そうというアイデンティティと融合してロックバンドも「推し」の一つになってしまったのだろう。そんなこと思ってたらこういうツイートに出会った。

 

やはりちゃんとしたロックバンドでもステージパフォーマンスのレベルって劣化の一方を辿ってるのだろうか。そういえば心震えるワンマンにおけるライブを経験したのは2018年の3月にサニーデイ・サービスで、曽我部恵一がギターをぶっ壊した時か、あるいはその年の9月にハルカトミユキのゾンビアクトあのパフォーマンス以来か。

 

 2. ハルカトミユキ TRIADのモードとは?

という訳で2020/2/15(土) 個人的に夏以来、久々のハルカトミユキのワンマンライブ 「Live 2020 “Triad”」が大阪は福島と言う所の高架下にある大阪・LIVE SQUARE 2nd LINEというライブハウスで行われた。

セトリは以下の通り。*1

open.spotify.com

 まぁ結論を言うと、ドラムが加わった効果によって、既存曲に関してはドラム・リミックスによって再解釈を施したアレンジになっている印象を受けた。『プラスティック・メトロ』や『振り出しにもどる』は「ダンスリミックスによる再解釈」によってよりダンサブルに、更に『Vanilla』や『ニュートンの林檎』はよりバンド・ダイナミズム度を増している印象で。これまでの二人編成でのヒリヒリ感であったり、ベースやギターを更にフィーチャーしたフル・バンド編成のガチガチにコンセプトを掲げた【ショー的】な感覚とは違う、もっとバンドライクと言ったらいいだろうか。例えるなら曽我部恵一のソロともサニーデイ・サービスとも違う、曽我部恵一バンドにおけるバンドにおける一体感、」バンドダイナミズムを楽しむモードと言ったら良いだろうか。

 例えば、『トーキョー・ユートピア』でハルカが途中の歌詞を飛ばしてもそのままスッとばしてガンガン行くあの感じ。あるいは『ニュートンの林檎』でイントロからミユキのキーボードが遅れて途中ストップがかかってハルカ「オイオイオイ!!!一人ニュートンやる所だったよ!」(場内大爆笑)みたいな感じで本当に楽しんでるんだなと思った。

 

で、話は変わってその前日、心斎橋KNAVE において、モバイル会員限定イベント(HARUKATOMIYUKI.Lab vol1)が行われた。これは名前の通り、まぁハルカトミユキ と言えば心のひだを抉るヒリヒリ感とメロディアスさとが融合した音楽を奏でるイメージだが2人のトークも何とも言えない味があるのだ。その素の部分をフィーチャーした本イベントともいえる。

*2

 今回ミユキボーカルデモ音源やハルカ的語彙獲得の過程を披露したりと天才音楽家達の脳内を窺い知れたものだったが、triad編成ライブとほんとに地続き感のあるものだったと思う。ほんとにこの二人のモードは「音を楽しむ=音楽」と言う原点に立ち返っているんだなと言う事が両日のイベント並びにパフォーマンスから窺い知れたものだ。

 もうこうなりゃいずれ是非このTRIAD編成でセルフカバーALでも一発リリースして欲しいいなと思う。

 

 3. 新曲『Continue』を分析する

春には音源リリースで6月東名阪ツアー!YouTubeもボチボチ公開らしいヨライブ本編も無事終了し、アンコール。そこで披露されたのは、『Continue』と言う新曲である。こちらは去年末の「7doors」で披露されたため個人的には初聴きだった。もうこれ正直に思ったのでハッキリ言っておくが、聴いた感じがものすごく意外過ぎて拍子抜けしてしまった。具体的に言うとヴォーカルもメロディーも歌詞もいつもと違って聴こえたし、こんなに彼女ららしくない謎曲は初めてだ、と感じた。

まぁここまで言ったら更に以下のはてなブログにおいて、この曲のタイトルContinueの語源を見てみようか。

blog.hatena.ne.jp

continue /kəntínjuː/ : 続ける

continueの意味は「続ける」で、語源はcon(一緒)とtenere(掴む)に由来します。

原義はラテン語のcontinuare (繋がっている)です。

 

まあこの引用からその語源を辿っていくと「共にこのままの状態を維持する。」と言う事だが、この『Continue』と言うタイトルに関して以下二点において焦点化していく事にする。

❶ continueの接頭辞の「一緒に=together」が一体ど何(誰)と一緒になるのかと言う事だ。ここで予測とされるのが前日のイベントにおける【現状の彼女らを肯定してくれるファンダム】を中心として現状維持+アルファでの活動を続けていくと言う宣言ではないだろうか。

更に

❷ バンドの根底を覆す意味で『change』をスローガンに掲げた2015年と真っ向に対峙するタイトルかつ誰が聴いても保守的なサビの歌詞はもはやこの人たちはメインストリームに躍り出るのを諦めてしまったのではないか、とすら思ってしまうのだ。

別に批判だとかじゃなくて前述した通りLive自体は非常に良かったが、ただひたすらこの『continue」だけフワッと浮いてて解釈できなかっただけなのだ。第一章で述べたバンドのパフォーマンスを限りなくバンドを甘やかす方面へと導いているような現象の余波みたいなものがここでも起こっているのではないかというお節介にも似た懸念に近いのかもしれない。現に肯定的な意見も多いし。

 でももう一度聴いたら印象が変わるのだろうか?

そう、私にはもう一度チャンスがある。そう、ハルカトミユキtriadは本日、2/21に新代田FEVERにて「なきごと」 「可愛い連中」を迎え入れて自主企画イベントを行うのだ。

そこで演奏されるかどうかは不明だが、もうこの曲に一度向き合いたい、対峙してみたいと思っている。

 

答えはすぐそこ。

  

 

 

 

*1:新曲である『扉の向こうに』『continue』はもちろん除外してある。

*2:これって次回あるのかわからないが、仮定して率直に思った点は二点

 ❶質問コーナーは普段のラジオと被るので更に絞って「楽曲にまつわる質問」とかテーマを統一した方が良いのでは?

❷2人でも十分だがクイズの点数を付けたり時間を知らせたり介在して円滑に進める司会者がいた方が良いのでは?

インディー映画よ、今こそ光れ!『ミドリムシの夢』『みぽりん』そして『恋する小説家』!

1.夢にまで見た"ミドリムシの夢"

やっとのことで『スペシャルアクターズ』に出演している富士松社長、いやボスこと富士たくや氏が主演している事もあって、以前から観に行きたかった真田幹也監督作品「ミドリムシの夢」が大阪は阪急十三駅から5-6分ぐらいの所にあるインディーズを中心とした映画館「シアターセブン」でも上映される事になり、ようやく観ることができた。*1

よくよく考えれば、『スペシャルアクターズ』が公開された10月18日(金)以後に制作された出演者様の作品を観る事自体は初めての経験だったと言って良い。

孤独のグルメ』とか金スマ上田慎一郎再現ドラマ、とか公開前にってのはちょくちょくあったんだけどね。

 

で、この『ミドリムシの夢』ネタバレ抜きに話の流れをざっというと、

[STORY]

駐車監視員であるちょっと女にだらしないバツイチ男シゲ(ほりかわひろき)と、何事もキッチリしなければ気が済まない実家暮らしのマコト(富士たくや)の凸凹コンビ。*2

彼らはガンガン街に駐禁している車を取り締まりまくっている。プロポーズ成功したカップルだろうが、仕事中の現場作業員だろうが容赦無く...ってもこれはマコトの方だけだけどね。

 東京新宿は、西新宿にて深夜勤務に形態が変わった事をキッカケに次から次へと出くわす、そこで出会った様々な人生模様を絶妙な音楽や主題歌と共にテンポ良くかつコミカルに描く群像劇である。

  

 まずは本作、予告編がホントによくできているので是非観て頂きたい。


映画『ミドリムシの夢』予告編

 

予告編を見ていただいてなんとなく分かる通り、本作のテーマである、「大人になったあなたにはまだ夢があるのか?」という命題へと収束すべく、ミュージシャンになると言う夢を諦めかけた者、落ち目のアイドルとして将来的にどう苦境を乗り越えて行こうか悩んでる者、そして駐車監視員としてどのような夢を抱くべきだろうか、もう不倫はやめて家庭に向き会おう、今後の人生設計はどうしようか、etc...と総じて「現状を変えなければ。。。。!」と願っている主要な登場人物が全速力で駆け抜けていくシーンがあるのだが、このシーンがまるでスポーツかなんかを題材にした青春物語を見たような爽快感に溢れているのだ。ちなみに、予告編で流れているように落ち目のアイドルみうさんの歌う主題歌『ミドリムシの夢』がその駆け抜けるシーンとマッチしてて、主題歌と映画作品の雰囲気がこれほどピッタリとくる作品ってこれ以外探しても滅多にないんじゃんじゃないかって思うくらい。映画見た感じと曲を聞いた感じが全く同じ、というか。

*3

 

ちなみにこの二人以外の主要キャストはこんな感じである... 

 みう(落ち目のアイドル):今村美乃
 八重樫(アイドルのマネージャー):長谷川朝晴
 幸恵(見送りに来た主婦):吉本菜穂子
 翔(田舎へ帰る男):佐野和真
 春日部(主婦のバイト仲間):歌川椎子
 矢花(サラ金屋):戸田昌宏

 

 そして上映後間も無く、真田幹也監督とこの素晴らしきバディの主演の一人であるほりかわひろきさんが登壇して舞台挨拶が全体的に和やかな大阪らしいあったかい雰囲気で行われた。

 中でも撮影裏エピソード、ほりかわさんの「滑舌に難アリではないか疑惑トーク」に関して(笑)、また、「続編はあるのか?それははたまた大阪十三が舞台ってのもアリなのか!?」などの期待以上に踏み込んだ濃くも面白いトークの応酬で、50〜60席ほどあった館内はほぼぎっしり入っていて、ホント舞台挨拶の20分間がアッという間の大爆笑の連続だった。

 ちなみに私はド真前の座席に座ってたんだけど、そこから動画をフルで撮っているので是非ご覧頂きたい。

 この二人のやりとりがもうめっちゃ面白いので。

*4

『ミドリムシの夢』大阪初日舞台挨拶@シアターセブン 登壇 監督:真田幹也、ほりかわひろき

  中でも、この舞台挨拶の中で個人的にハッとした点は、そうした息の合った大爆笑トークから【本音】が透けて見えた事。ズバリ真田監督からはインディーズ映画を作って東京のみならず、色んな所でプロモーション展開していくことの重要さと大変さ】が吐露され、ほりかわ氏からは良いことでも悪いことでも良い。今、SNSの力は本当に凄いのでどんどん発信していって欲しい」と言うかなり切実な二人の言葉である。そうした面を考慮すると、本作『ミドリムシの夢』においても、ある程度のプラス以上になる興行収入を上げないと、いくら作品の質が良くても続編が作れないのは当然の話なのだろうから。そのためにも是非今後も、東名阪以外の他の地域でもガンガン上映して欲しいと思う。

 監督はしきりにこの駐車監視員(ミドリムシ)なる職業が東京以外に存在しないのではないか、という点を気にしておられたが大阪では駅前とかによく目にすることも多いし、こうしてTVなどでも東京や大阪の様子などが伝えられると思うので地方でも大丈夫だとは思うんだけどね。

 ちなみにミドリムシの夢-returns-』があるとすればメインはキャスト変えずに、ほりかわひろき&富士たくやコンビでやって欲しいなとも思ったりもする。というのも、本作の後半のあるシーンで、この凸凹コンビが人混みに紛れてトボトボ街中を歩く所に、東海道中膝栗毛のヤジさん、キタさん的な、あの凸凹コンビにどこか彼らにしかなし得ない何とも言えない「情緒」が感じられるのだ。*5

 あと、これは偉そうに聞こえたら申し訳ないんだけど、続編があるとすれば、本作以上にもっと二人の"間合い"とか、"会話劇"とかにフォーカスして欲しいなと思ったりする。意外と二人の絡みシーンって卵焼き云々の所しかなかったような気がするので、今回のようにあまり周りの人間模様を入れない方が、きっと、もっと二人の面白い化学反応が生まれると思うからだ。

 ほんと舞台挨拶でも触れてたけどほんとこのポスターの二人には何とも言えない深い味わいがあるんだな。 ↓

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2.「みぽりんの夢と恋するミドリムシ」????

ところで、ふと思ったが富士たくやさんが『スペシャルアクターズ』に出演してたり、内容的に性質上はちょっと違うんだけど「アイドル」を一つのモチーフにしたという意味で前記事でレビューした、インディーズ映画令和最大の前衛作品『みぽりん』と被ってたりと、ここ最近観てきた【シネマ・ロサ系】*6の作品群とのシンクロニシティがどことなく感じられるのだ。更に、『ミドリムシの夢』の根底にあるのは「君にとっての人生の夢って何??」というこの人類普遍のテーマで、これは『恋する小説家』の「軽々しく夢をあきらめるな!」というテーマと被ってたりするから、個人的にはなんとも偶然にも恐ろしく『ミドリムシの夢』ってなんと他の作品とのシンクロ要素の強い作品なんだろう、と実感させられている。しかも個人的にはこれらの作品を「スペアク→恋する→みぽりん→ミドリムシと間を挟まずもう連続で見てるしね。*7

 しかもこれらって、全てがバラバラの監督の作品なんだよね。

 そういや、以前、上田慎一郎監督『恋する小説家』と『スペシャルアクターズ』とを結ぶイベントが関西で行われたがこの時の模様と一つ前になるが『みぽりん 』の詳細ネタバレレポート過去記事で詳細にまとめてある。

以下で再掲するので、もし良ければご覧になって頂きたい。

 ついでながら、これまでのこの二つのインディー映画記事とそれぞれのあらすじはこんな感じである。

nenometal.hatenablog.com

 

[STORY]

地下アイドル「Oh!それミーオ!」のセンター神田優花は、人気投票1位を獲得し、ソロデビューする事に。 しかし、大の音痴である優花の歌声にプロデューサーの秋山とマネージャーの相川は頭を悩ませていた。 そんな中、同じグループのメンバー里奈のツテで、優花はボイストレーナー・みほのボイトレ合宿に六甲山の山荘へ参加する事に。 初日に契約書にサインをさせられると、翌日からいよいよ恐怖のボイスレッスンが始まる。優花に「みぽりん」と呼ばせ、狂った高笑いや怒り狂った猫の真似をするように自らも演じて見せつつそれらを強要するみほ、いやみぽりんの異常性は次第に狂気の狂気を更新していく。 

 

nenometal.hatenablog.com

 

[STORY]

恋人にも愛想尽かされつつある売れないミステリー小説家の岩佐辰夫が、設定やアイディアに煮詰まっていたそんなある日、インターフォンがしつこく鳴る。仕方なしにそのドアを開けると見知らぬ女子高生の姿が....彼女の名は南川奈緒

それはなんと、彼が現在執筆中の主人公と同姓同名だった!

そんなことがあって以来、他の小説の個性的な登場人物も次々にやって来て、誰もが口々に小説内容へのダメ出しを始める...

 

よくよく考えたらこの『恋する小説家』って作品に関して、上田慎一郎の監督作品もあまり認知されていなくて、ましてやインディー映画という言葉も今ほど使われてはいなかったであろう約10年も前に製作されているのに、この時代に全く色褪せていないこの感じってなんなんだろうか?

 時に笑えるシーンもありつつ、時にホロリともさせられ、さらに人生とは何か?夢を叶えることってどういう事なんだろうか?という人生の命題についても深く考えさせられるこの人間ドラマが、わずか40分に凝縮されているという...『恋する小説家』は、上田慎一郎作品のコアであると同時に奇跡的に凄い作品だなと感心する。*8

何せ、2019年に作れらたこれらの作品群と並べても何の違和感もないのだから。

 

3.ドリパス運動で壁を壊せ!

そう、「夢」といえば、「ドリーム」。「ドリーム」といえば「パス」というわけで(適当かよw)、まさに【ドリーム・パス】という映画ファン参加型の映画上映公開運動というものに今、この『恋する小説家』はその戦いに真っ向勝負で挑んで中々健闘をしていて、当然私も微力ながらポチポチ運動を日々、日課のように続けている。*9

勿論この運動を誰よりも応援している【リーダー】は紛れもなく被害者・根本明役を演じていた19人目のスペシャルアクターである岡本裕輝さんだ!

 

 

 

こんな投稿をしている我々に、毎日お礼のリプライをくださる岡本、いや被害者根本明様の誠実かつまあ丁寧なこと。これってたまたま一回とかではなくドリパス投稿をリンクつけてツイートした人達に全てこんな感じでリプライしてるからね。

 

 

で、最近このドリパス運動をしながら常々思ってるのは、一つの映画作品が上映されるか否か、というだけの問題だけではないような気がしている。

そこには、カルチャー全般を担う問題というか、もっともっとコアな問題を潜んでいるような気がしてきている。 

というのはそれはズバリ、これまで個人的な事情として、映画なり音楽なり舞台なりなんでも良いが、自分の好きなものっていつでもメジャーカテゴリーではなく特殊なカテゴリーに押し込められてきたように思うのだ。そう、よく言えば(と言ってもそんなよくはないが笑)【マニアック】【知る人ぞ知る】、もっと口の悪い言い方をすれば【一般受けしない】【メジャーではない】というあのレッテルに根差したタチの悪いカテゴライゼーションである。

  でも本当にそうだろうか?『恋する小説家』にせよ、『みぽりん 』にせよ、今回の『ミドリムシの夢』にせよ、カメ止め以前の初期の上田慎一郎監督作品にせよ、テレビドラマ時代の岩井俊二監督の『INITIAL』辺りに収録されている低予算で作られたという作品群にせよ、或いは音楽の分野になるが、私が大ファンなのだがだがまだ一般的に世間には認知されていない「鈴木美貴子ズ」にせよ、「ハルカトミユキ」にせよ、自分内、或いはそれを愛するファンの中では多大なる超メジャー級の感銘を心の底から受け取れるものばかりである。いや、むしろど真ん中である。その証拠にそれらを愛するものたちは口を揃えてこう言うではないか。「もっと売れても(認知されても)良い筈なのに。」と。これは間違いなく我々ファンの偽らざる普遍の心理である。

ぶっちゃけた話、これまで本ブログで何度ともなく記事で取り上げた『スぺシャルアクターズ』にしたってちょっとこの世間のリアクションのあまりの緩さに唖然として呆れてたりするぐらいだ。あれは前作以上に作り込まれ、練られた作品だと個人的には思ってるし、前作と同等以上のリアクションが伴わなばならないはずだ、もっと言えば前作を観た人間みんな観たら大絶賛する、とすら思っているくらいだ。

 このままでは映画界は「泣ける⇔泣けない」「笑える⇔笑えない」「伏線を回収する⇔回収しない」と言ったモノトーンなバイアスで語られまくり、テレビでお馴染みの人気者とされる無難に構成されたキャストで塗りたくられ、「お涙頂戴」か、「壮大なラブストーリー」か、「感動巨編」とか言ったありきたりの言葉で埋め尽くされたステマ映画だらけになってしまうではないか。ついでに言うと音楽業界も同じ事だ。観客をモッシュ風情の全体運動をさせて「ハイハイ、皆んなお上手〜」とかバカ学生のコンパ程度の芸当しかできぬパリピ御用達バンドや、声すらマイクに通して歌うことすらできぬ口パクだけで何の主張もヴィジョンもないコンサバティブなアイドル紛いの自称アーティストなどで蔓延してしまうではないか。
 

 心底僕らが求めていたのはこんなもんじゃないはずだ。

そんな安い精神安定剤かアルコール度数だけは高い発泡酒程度のものにまんまと騙され続けて何も悔しくないのか。何が、感動巨編だ、何がフェス・ロックだよ、単にどうつもこいつもタピオカの粒々以下程度のゴミを寄せ集めただけじゃねえか!!!!ほんとしょうもねえ!!!こいつら全部が全部今中国で流行ってるなんとかウイルスでやられてしまえ!!!!!!!!

 はっきり言おう、これはもはや、我々の良いもの、もっと言えば「文化を守る聖戦」である。まずは『恋する小説家』が上映にこぎつなければならない。これをトリガーとして、今後色んな「メジャー⇔マイナー」の壁がとっぱらわれる気がするのだ。是非この聖戦に勝たねばなるまい!

そんなことを思ってたら令和2年1月28日の夕方ごろ、こんな情報が飛び込んできた。

 

 

 

そうご存知の通り、最近北海道だ、金沢だ、大分だ、結構意外なところで拡大上映されているこの『みぽりん 』だけれど、とうとうまた関西に戻ってきたのである。

単なる上映ではない。そう、『みぽりん 』は関西(神戸)で作られた作品であるため姫路で上映する事によってようやく【凱旋上映】と呼称できるのだ。

しかも1日に3回上映して3回連続舞台挨拶である。

 

これって結構でかくないすか!?もうこれ世界を変えられるかもね。

 

と、言う訳でまとめると、ミドリムシの夢』も良い作品だったし、『恋する小説家』も再上映(これこそ凱旋上映だよね)に日々一歩近づいてるし、『みぽりん 』も最近徐々に広まりつつあるしで「インディーズ⇔メジャー」を間に阻むデッカイ壁が徐々に崩壊する音が聞こえつつあるように思える。 

これが無くなるのは時間の問題なのか?

これこそが間違いなく僕らの夢である。

 

 【付記】

最後の最後ににまたしつこいぐらいにJohn Lennonの引用だが(別にそんなファンじゃないけど彼このブログによく出てくるなw)、これがまた今回のドリパス運動にぴったりくるから再引用して、軽い感じの記事にしようと思ってたけど案の定というかまたまた8000字になってしまった本記事を締めくくろう。

 

 

A dream you dream alone is only a dream.

A dream we dream together is a reality.

 

ー1人で見る夢は単なる夢に過ぎない  だけど皆で見る夢は現実になるー

 

 Jonn Lennon(1940-1980)

*1:一応公式ホームページなどここであげておく。

www.midorimushinoyume.com

*2:スペアクボスの役柄とはちょっと若い設定なんだろう。同級生が落ち目とは言えアイドルだから28,9~30代前半ぐらいだろうな。となるとボスの年代設定って40後半〜って感じか、あの娘だもんね。

*3:ちなみに物販になかったのだがあれ、CD販売してたら紛れもなく買ったよね。あとパンフレットも欲しかったなぁ、ってここで言ってもしょうがないけど。

*4:ほりかわ氏、前飲みしてたらしくホント滑舌滑らかでしたよ、って初対面だから滑舌悪い時をよく知らないんだけどw

*5:いやいや、ここは舞台挨拶でも触れてる通り『相棒』的な、と言ったほうが良かったかな汗

*6:私が付けましたw

*7:あ、みぽりん とミドリムシの間に『ラストレター』(岩井俊二監督)観てたわw、まぁみぽりん (中山美穂)も出演してたという繋がりでおまけという事で(何だそれ)

*8:本作はわずか15万円で制作されたってのも信じられないです。

*9:『みぽりん 』の方もファン登録しててこちらも順調な伸びを見せているようだ。まぁこっちは今絶賛公開中でどんどん上映会場も増えているので、私は『恋する〜』の方に比重を置いて投票している次第です。

ロサ巡礼アゲイン〜映画「みぽりん」レビューを中心に

0. 3週間ぶりのシネマ・ロサ

つくづく2018年の夏あたりから大ブレイクを果たした上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』の出現は革命だったんだな、と思う。あの作品が我々にもたらした効果は、「一つの映画作品の構成の妙を堪能する。」という映画自体の内容を楽しむことだけに留まらず、作品公開と同時に連日の様に開催された全員総出演の舞台挨拶、ティーチイン企画、「絶叫上映」「応援上映」「コメンタリー上映」などはただ単に【映画は一度見て面白ければもう一度くらいは観るかも。それか円盤のリリース待ち】程度のライトな映画ファンの意識を底上げして「何度も何度も見てその楽しみ方を更新する事。」へとその意識を変貌させた点にあると思う。そうした【上田イズム】は、2019年10月18日に公開された『スペシャルアクターズ』へと引き継がれ、やはり連日の様に全員総出の舞台挨拶、ティーチイン企画、「絶叫上映」「応援上映」などが次々と企画され、リピーター、熱狂的ファンをもさらに拡張させることに貢献した様に思うのだ。そう、このインディーズ映画の聖地である、池袋シネマ・ロサにて。という訳で、今回またまた冬季休暇を利用して12/27〜12/30までまた再び池袋シネマ・ロサに行っていた。

まだクリスマスの盛り上がりがあるこの時以来だった。

nenometal.hatenablog.com

今回の目的は、スペシャルアクターズの方は6th-7thシャワー、そして今回『みぽりん』を未見だったのでその鑑賞とそれに伴い開催される二つのイベント『カメラを止めるな』&『スペシャルアクターズ』感謝DAY(12/27(金)開催)『みぽりん大感謝祭』(12/29(日)開催)の両日に参加する事がいちばんの目的でもあった。スペシャルアクターズの方は、大概話の流れを知っているので個人的に確認したい点を自分で確認したり運良ければ監督並びにキャストの方々に聞いてもみたいなと思ったまでである。

 

でもまぁ12/8(日)に行ってるけどスペシャルアクターズの上映前・上映後のキャストさん達のウェルカミングな撮影会やお話できるお時間の対応っぷりや今回もお見事でございました!

で、今回お会いできた方々はこの6人

 

三月達也( as ムスビル創設者・大和田克樹役)

櫻井麻七( as ムスビル幹部・七海役)

原野拓巳(as 精神科医原田拓巳)

山下一世(as ヒラメ顔の童貞、ムスビル信者・山本)

広瀬圭祐(as 旅館めぶき・番頭役)

上田慎一郎監督(as 『スペシャルアクターズ』監督!!!)

 

いやこれ自分が行った3日間だけでも十分凄いのに何だこ2ヶ月近く誰かが、キャストによってはほぼ毎日欠かさず上映後に居るんだから凄いよね。何かギネスかなんかに申請できないものだろうか?演劇なら本人達が舞台にいたからそこに出演者がいる、のはまだ分かるが、この場合舞台挨拶とかいう名目もなく、だから大したものだ。12/27(金)にはそんな彼らに敬意を評して、いやそんな努力に及ばないだろうが差し入れを贈らせて頂いた。*1

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この下の写真の上田監督とは、ちょうどこの日『カメラを止めるな』&『スペシャルアクターズ』感謝DAYに向けて早めに来られていた所、ちょうど通りかかって監督自ら「あ、みんなでお写真でも撮りましょうか?」という事だった。コレってすごく無いですかw、コレ向こうからそう言ってただけるなんてもうサービス精神の凄さよ。出演者の皆さんも一度写真撮ったりしてるのに当然の様に元の位置に戻って撮り直したしもう何だか有り難うございますという感じだった!!*2

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そうそう、で、話は脱線したが、全編関西の神戸によるロケーションにて誕生したそんな上田慎一郎監督の【上田イズム】を引き継いだかの様なティーチイン企画、「絶叫上映」「応援上映」など公開と同時に次々と企画し、みぽらーと呼ばれる熱狂的なファンを関西で築き上げいざ、この東京に乗り込もうという訳で3週間かけてこの池袋シネマ・ロサに乗り込んできた松本大樹監督による映画が誕生したのだ!

それが今回自分のとってファーストレッスンとなる『みぽりん』だったのだ。

 

2.「みぽりん」を目撃した!

[Focus❶ みぽりんはホントに狂気なのか]

自分にとって最初のレッスンである『みぽりん』。

その気になるあらすじは以下の通り。

 

地下アイドル「Oh!それミーオ!」のセンター神田優花は、人気投票1位を獲得し、ソロデビューする事に。 しかし、大の音痴である優花の歌声にプロデューサーの秋山とマネージャーの相川は頭を悩ませていた。 そんな中、同じグループのメンバー里奈のツテで、優花はボイストレーナー・みほのボイトレ合宿に六甲山の山荘へ参加する事に。 初日に契約書にサインをさせられると、翌日からいよいよ恐怖のボイスレッスンが始まる。優花に「みぽりん」と呼ばせ、狂った高笑いや怒り狂った猫の真似をするように自らも演じて見せつつそれらを強要するみほ、いやみぽりんの異常性は次第に狂気の狂気を更新していく。 


映画『みぽりん』予告編

 

.....と言うものだが、このあらすじを見ると一見『みぽりん』はどこかサブカル界隈の映画マニアにしか分からない作品のような印象があるかもしれない。だが本作をよくよくみてみると、昨今のアイドルを取り巻く話題、それこそ昨年のNGTを取り巻く問題や、ここ最近やたら現役アイドルが結婚したり、先輩格的なアイドルが腕を組みつつ「最近私たちの運営陣はどうかしてしてますね。」と偉そうにコメントしてる様子であったりとか、神田優花に男(夫)がいたとされる場面で「丸坊主にでもなるか、いやでもそんなことしても許されるわけないけどな。」のセリフなど、あの何がどうなっているのかわからない実際に起こったアイドル界隈に蔓延る内情をもうこれでもかとばかりにぶちまけてまくっているのだ。

 そして、そのまるでバズーカ砲から放たれる銃弾のようなみぽりんが放つほとんど、いや全てのセリフは、はっきり言うと音痴なアイドルでありながら人気投票でセンターに立ってしまう神田優花へのダメ出し一辺倒なんだけど、それと同時に、上記で触れたようにここ最近の運営だ、物販に立つ事への不満だ、キャラクターで人気が出ただの、我々オーディエンスからの立場を度外視した、いわゆる業界内部からの視点ともなっていて、夢も希望も高嶺の花もないここ最近の全アイドル達のいわゆる心臓部を射抜く役割をも担っているのである。*3

 ただここで誤解してはならないのが、これがリアリティを基盤としつつも決してそこにシリアスさや重厚なトーンはほぼなく、どこかギリギリのエンターテイメントとして成立しているある種のバランス感がある事に注意したい。これは一重に神田優花演じる津田春香のどこか愛嬌のあるルックスや絶妙にシリアスに走りすぎない演技や、時に小気味よく挿入されるクラシックを主体とした音楽がそうした根底に潜むシリアスさを緩和する効果をもたらし、全体としてコメディーとしての色合いを残していると言って良い。別にこれは、優花や音楽など演出効果の話だけではない。このような要素は垣尾麻美演じる狂気のボイストレーナーみぽりんにしたって同じ事だ。確かに彼女の「ギャハハハハ!!!!!!!!」などと高笑いする様や、あのサカりがついたような狂った猫のものマネや、銃を構える様にはある種の狂気を感じさせるのだが、その狂気のの核にまでは及ばぬ一歩手前感があると言うか、「この人は優花を殺す事はないだろう。」と言うどこか安心感にも似た哀愁が見出せるのだ。*4

 それを最も象徴していたのがクラシックのカノンを奏でるオルゴールを目の前に「だいぶ冷えてきたわね。テンション下がるわ。」と言いつながらみぽりんがぼうっと佇むシーンがある。このシーンは何か意識の糸が途切れてたようにこれまでの狂気のみぽりんの姿は一切なく、優花ですら「どうしたんですか?」とツッコミを入れるぐらいだから本編中で最も気持ちを休められる、特殊なシーンかもしれない。

 そこで彼女は、優花に対して自らのライフストーリーを語り出すのだ。自分をアイドルにさせようとスパルタ教育していた母のことを。まさに自分をアイドルにさせようとレッスンだ、歌だ、ダンスだ、もはやトラウマ急に追い込もうとするみぽりんのスパルタ教育ばりに彼女をアイドル足らしめようとしたまさに今現在優花を追い詰めて精神崩壊のギリギリ一歩手前にまで追い込もうとするみぽりんの姿さながらの彼女の母の姿を語り始める。

この場面を見た時ふと思い立った事があった。親とのトラウマ....!?

 

そう、言うまでもなく一時間ほど前に観たあの映画のワンシーンがふわっと浮かんでくるではないか。

 

[Focus❷ スペシャルアクターズとの相補分布性]

スペシャルアクターズ』主人公大澤数人もある種トラウマを抱えている。

『みぽりん』とは逆に「アイドルになれるわよ!」ではなくて「お前は役者になんかなれない!」とまさに彼を罵倒する父の姿が幾度もフラッシュバックする事によって「大人の男の人に詰め寄られると気絶してしまう。」と言う病を抱えているのだ。 この奇妙な一致はこれだけではない。

スペシャルアクターズ』でガゼウスポッド崩壊のシーンを経てその時ちょうど数人が彼自身のトラウマになっている父親の姿がハッキリと見えた時点と時を同じくして多磨璃が思わず信者の前で「パパー!!!」叫んでしまうくだりも思い出してほしい。もうこの場面以後、全てが崩壊し、全ての信者が洗脳から解き放たれ、現実に目覚める瞬間があろう。

この時信者にとってもはや彼が教祖様でなくなった瞬間であり、数人が1人の大人(役者)としても目覚めた瞬間でもある。思えば、“ヒーロー”としての力を身に付けた数人と神としてのメッキが剥がれてしまった多磨璃教祖の姿が顕になってしまうあのシーンはあの作品のハイライトとでも言って良い。

そのシーンと否が応でもオーバーラップするシーンが『みぽりん』での最後の最後でみぽりんが妹でもあり「Oh!それミーオ!」のメンバーである里奈に「里奈、本物のアイドルって全然わかっていない。いや、みんな分かっていない。アイドルは、そうじゃないの。アイドルはこの世で一番美しいもの。この世で一番神聖なもの」と言いつつ刀を取り出し、「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」と切腹し、某が背後から介錯するシーンである。

 前者は【目覚める】事、後者は【死】と言う逆のベクトルを指向していると言う違いはあれど、どちらもこれまでのムスビル教とみぽりんにとってのアイドル理想郷なる世界が崩壊し、現実へと我々の視線が向けられるのが分かる意味ですごく共通しているし、それらの世界崩壊執行スイッチを押したのがムスビル教教祖の多磨璃と、みぽりんにとってのアイドル理想像をサポートする生きた亡霊、某と言う本編中全くセリフ然というセリフが全くないこの二人だというこの共通点も非常に興味深い

さらにこの両作品を相補分布的なもの足らしめているのが偶然にもそれらタイトルである。いずれも親子関係でのトラウマを引きずる共通点はありつつも、『みぽりん』は頭文字Mから始まるタイトルとは逆に、アイドル優花をとことんまで追い詰めていくS気質のみぽりんが主役であり、『スペシャルアクターズ』は【サディスティック】のSから始まるタイトルにも関わらず【マゾヒスティック】のM気質であろう数人が主役となっているというこのまさに相補分布性的偶然が交差するのだ。

 このようにこの両作品って恐ろしく相通ずる物がありつつ、全ては正反対の方向に向かっていると言う見方も可能で、逆に正反対の方向に向かっているようでどこか相通ずる点があるという見方をもまた可能である。この2作品が今現在池袋シネマ・ロサに看板映画として梯子観覧できるように集結しているというのはある意味奇跡だとも位置付けるべきだと思う。 

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*ここからがネタバレゾーン(観た人のみ読んでください笑)

 [Focus❸ みぽりんラスト10分論]

そしてここで、『みぽりん』と言えば多くの人が触れるであろう「ラスト10分論」に触れたい。本記事はネタバレ前提とした記事だからぶちまけるが、確かに物凄い事になっている。

この10分のカオス、に至るプロセスを説明すると、

「最後もはや拉致監禁状態になった優花の行方を追って六甲山の山荘へ乗り込んだ秋山プロデューサー・相川マネージャー、優花押しのファン(加藤、通称カトパン)らは彼女を救う事に失敗する。結局全員手足を縛られ監禁状態になってしまう。銃を構えるみぽりん、絶体絶命。そこでプロデューサーはみぽりんが優花の代わりにソロデビューするように提案する。まんざらでもないみぽりん 。そこでそのソロデビュー曲のミュージックビデオを撮影する」

そして件の問題のシーンはここからである。

 

更にこのカオスシーンを整理すると

 

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

 

......ともしも映画を見ていない人がこれを見てしまったらなんのこっちゃかわからない、いや、本作を二度観た私ですらいまだに判断がつかない側面があるこれらのシーンである。

ハッキリ言うとここから繰り広げられるシーンは夢見ているのか、現実で起こっているのかその設定の軸が大きく曖昧になっておりどうなっているのか2回みてもまだ曖昧であるってのが正直な所(笑)。でもなんとなく思うに、この辺りの現実なのか非現実なのかの曖昧な世界の件って『ブラック・スワン』のクライマックスシーンを想起させるのだがいかがだろうか。あれもお母ちゃん結構スパルタだったしね。

  でも思うに、大多数のみぽりん評と違うんだろうが、2回目観た時に、個人的にこの「ラスト10分」をここ最近のアイドルを取り巻く現状をシニカルかつ物悲しくダイジェスト化した風刺絵だと捉えて見るとある種の整合性に満ちて感じたのも事実である。

これまでみたあの10分の景色が以下のようにも読み取れやしないか?

❶MV撮影で寄りがダメだ、右斜めから撮れだの色々と注文し出すみぽりん

→ここ最近の自分の実力はさておいて、運営に注文をつけいかに口パクやルックスの表面面やキャラクターで自分を可愛く見せようとしがちなアイドル事情を示唆

❷撮影中ぶち切れた優花がミポリンの愛猫の写真を焚き火に打ち込む。

→自分のスキャンダルがバレたときに内部告発したり、時に突如該当アイドルが丸坊主になったりと意外な形でレジスタンスに走りがちな最近のアイドル事情を示唆

❸当然みぽりんもぶち切れ。二人はもみくちゃの流血まみれの争いとなる。

内部告発後、原告サイドも被告サイドも自己保安の為に必死になり、事実をもみ消したりありもしない事実をでっちあげたり更に泥沼化していくアイドル事情を示唆

カトパンが応援を頼まれるもサイリウムを振り出し、ある種応援に走る(笑)

→スキャンダルや内部告発後、泥沼化していくアイドル事情に対して「〇〇ちゃんに限っては違う。」とひたすらサイリウム攻勢を続けなければならないファンの悲しさを示唆

❺相川と秋山は一度男女の関係を持ってたからか、突如相川が出産。なんと巨大幼虫を生む。

→❶−❹のプロセスを経てこれまでみぽりんが理想として掲げてきたアイドル像の象徴がこの巨大幼虫である。ここからまさに古くから崇められてきたアイドルのような、美しき蝶のように舞っていくのか、様々な可能性を秘めている幼虫であるが、その後全ての人々が撤収し、木下里奈が現れ、アイドルと言う名の栄冠を奪回するよう決心する場面でのみぽりんは絶望し、巨大幼虫は全てのものをバッサリと断罪する刀へと変貌する。そして.... 

❻その巨大幼虫の中にある刀で切腹を図る

もはやこの場面は全てのみぽりん がアイドルに対して掲げてきた理想郷が完全に崩壊したことへの象徴である。アイドルは終わるのだ。いやもうとっくに終わっているのかもしれない。いっそそんな曖昧な状況ならみぽりん自身の青春の象徴でもあったアイドルを終わらせようではないか、と決心するのだ。青春ってのは終わるもんじゃない、終わらせるもんなんだって誰かも言ってたし。

「会いたくても、会いに行けない。それが本当のアイドルよ。」という言葉とともに。

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3.上田慎一郎監督登壇イベントにて

その『みぽりん』1st レッスン後、『カメラを止めるな』&『スペシャルアクターズ』感謝DAY上田慎一郎監督登壇が開催された。この時は初『みぽりん』だったので正直本記事のようなブログをまとめるほど整理できてはいなく、また2回目観たとしてもどこに照準を定めるべきかなど個人的に非常に曖昧だったので、このトークでの上田監督による「みぽりん評」はもの凄く分かり易くて見所に落とし前をつけてくれるものだったと思う。

一応ほぼフルで撮ってるのでどうぞご覧あれ!


『みぽりん』12/27(金) 『カメラを止めるな』&『スペシャルアクターズ』感謝DAY登壇者:上田慎一郎監督、垣尾麻美、津田晴香、合田温子、井上裕基、近藤知史、篁怜、片山大輔、松本大樹監督

 

もうこの日のトークは見て頂いたら早いのだがあのカオスの10分を「連載終了が決まった漫画の最終回」とか言う例えとか、爆笑を誘う上にものの見事に分かりやすいですよね。或いは途中寝落ちしてしまったかと思ってたとか言うコメントもホントこれ『みぽりん』だからこそ洒落として成立する最大の褒め言葉だと思う(笑)。

 このトークの中でもとにかく上田氏によるみぽりん評で最も印象に残ったのは【本作品における初期衝動性】である。ここ最近の映画では、兎にも角にも「伏線回収」と言う言葉に囚われてしまう傾向があるのだが、それらの概念を全て取っ払った所にも映画の良さがあるのではないかと。ある意味ロックバンドのコンセプト・アルバムのような映画ではなく、パンク・ロック的な作品があっても良いのではないかと言うと良い例えなのかもしれない。

まぁでもこの作品にもある種のコンセプチュアルなまでに整合性を見出した事がきっかけで本記事を書いている自分がいるわけなんですけどね(笑)

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付記;注釈でも書いたが、東京3拍4日の旅行から実家福岡に帰ってぶっ倒れてほとんどTwitterにも向き合いたくない珍しい日々を過ごし、外出も全くしてなかったのだがようやく落ち着いて頂いたサインなど整理してたがほんと皆様心のこもったサインやメッセージも添えてくれてた事に気付く。

 

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スペシャルアクターズ』『みぽりん』にしろこんな素晴らしい映画が同時に上映される映画館がインディーズ映画シーンの拠点であるシネマ・ロサってのも素晴らしいではないか!

 

A Happy New Year to

     『スペシャルアクターズ』,

     『みぽりん』

 and 池袋シネマ・ロサ

*1:鈴木実貴子ズさんのCDも入れました笑、スで始まりズで終わる繋がりで

*2:今までブログでもtwitterでも自分お顔写真出すのって止めておいたんだけどここまで素晴らしい写真撮ってくださるんならねえ!と解禁しました笑、スペアクメンバーのおかげです笑

*3:だから全アイドル必見だと思うんだよね、この映画は。松本監督もアイドル系の人々に見にきて欲しいって嘆いてたし。

*4:猫の物真似で優花にもどこかみぽりん気質っていうか要素があると思うんだがどうだろうね。

AnlyのLIVEを熱く冷静に分析する〜”Sweet Cruising Tour 2019”の景色から

 

0. はじめに...

いつしかSNS、ことtwitterってなんてカッチリと礼儀正しくせねばならぬものになったのだろうって最近よく疑問に思う。本来twitterって「極端な誹謗中傷や、法に触れたりとや余程のことがない限りは、ちょっとハメはずしても何を言っても寛容にスルー奨励!」ってのが大前提だったはずで、その後で何か心に引っかかるものがあればあくまでもオプションとして「いいね」「RT」「QT」「リプライ」などがあった、そんな気楽なツールだったじゃん。多少ブチ切れようとも、何を言おうが「また、あいつ言っちゃってるな笑。」ぐらいの認識程度で割とフォロワー周りも寛容な気持ちで見守り、そして見守られつつのある種信頼できる関係があったように思う。

何ていうかかつては「遊び」があったように思う。

 それがいつしかここ2、3年ほど様子が変わってきて、割とTwitterの目的が本来の意味での「本音をつぶやいている事」から「本音を世界に発信している事」へ、とその重要性が徐々にシフト・チェンジしている傾向になってきたような気がする。

 例えば、最近話題の某男性演歌歌手が、急にイメチェンをし始めて「だいじょうぶ♪」とかいう新曲を出して、その様子があまりにも異様に感じたから「ありゃどう考えても『だいじょうぶ』じゃねえだろw」とtweetした所、時間にしてものの数分で、その彼(彼女?どっちだ笑)の見も知らぬ大ファンと名乗る女性から「き◯しさんは、前からずっと変わってません!!!大丈夫です!!💢大きなお世話です!!」みたいな血相変えたようなリプライが飛んできたもんな。

 いやいやいや。そう思ったんだからそう思ってていいじゃんよ(笑)、私はこう思う、あなたはこう思う、でいいじゃんね、無視しときゃいい話。いつからこんな殺伐とした世の中になったんだ。

でもこれってよくよく考えれば本末転倒で、「全世界にこんな個人の些細なことやくだらない事を自由に発信しちゃっている面白さ。」が本来のTwitterのあるべき姿であって、誰もそこに修正や口封じを強要する義務などしない所に面白さがあったと思うんだけどな。

 そういう、ここ最近のSNS事情にちょっと嫌気が差してきたからこそ、このブログというフォーマットで自分の言いたいことを言っていこうと思っている節もある。だからここでは結構「攻め、或いは毒舌口調」でものをいう事も時にはあるかもしれない。ってか自分は元々気の短い九州男児だから、しかも喧嘩っ早い北九州の人間なので、結構腹の中では毒舌めいたものが渦巻いていることが人一倍多いと思うのだ(笑)。今後もここでは、ゴミはゴミ、キモいものはキモい、アホなものはアホ、と思ったことはここではガンガン言っていく所存である。聞いたか2ちゃんねるの底辺どもw

*1

 という訳で(いきなり唐突だが)、前置きはさておいて、2019.12.15.に梅田Shangri-Laで行われたAnlyのバンドスタイルのライブである「Sweet Cruisin Tour 2019」に行ってみて、今まで考えてること含めて、色々思うとこもがあったので本ライブのレビューも含め、正直なありのまま感じた事もブチ込んでいきたい、と考えている。  

 

1. Anly 's 6th performances 

さて、本題本題。

このブログでも過去記事で、何度もお目見えしているAnlyのライブであるが、これまで4月の神戸アコフェスでのトリで心を掴まれて以来、今回を入れて6回ほど観ていることになる。

 

4/14、初めてのAnly @神戸アコフェス (with 竹内アンナ、番匠谷紗衣...)

5/19、初のワンマン LOOP tour vol.2 @神戸Varit

6/15、二度目のワンマン LOOP tour vol.2 @梅田BananaHall

9/27、百花繚乱@心斎橋Big Cat

       (対バン形式 with 番匠谷紗衣、片平里菜、LOVE)

10/4、いめんしょり @心斎橋Janus (アコースティック・ワンマン) 

 

そして今回は初のバンドセットである。

12/15、Sweet Cruising Tour 2019 `梅田シャングリラ(バンドセット)←New!

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 お、[Thank you! sold out!]の文字が!!!!

ミュージシャンになったら誰しもこの文字に憧れ、実現化したらきっと心ときめくのだろうな。もうこの「ソールドアウトするか、しないか。」ってステイタスの有無が、会場の熱気とか雰囲気に物凄く反映されるのだなぁと思う

これは会場によってはその差ってほんの数十人、場合によっては数人ぐらいの差なんだろうが、結構いっぱい入っている会場であってもソールドアウトという事実がなければ、会場の熱気というかボルテージの上がりっぷりは全然違う。

 

 

 で、前回のアコースティック弾き語り「いめんしょり」の時からヒシヒシと感じたが、若い学生、しかも高校生ぐらいのファン、いや、もっと若い小学生ぐらいのお客さんが目立つようになってきた。これは予測するに、5、6月のLOOPツアーの時はほとんどがいかにも90年代のJ-Pop最盛期を通過したであろう、音楽が好きそうな30~50代ぐらいの大人のファンが大半だった訳で、それ以降の10月に若者が激増したということは、今年の夏でかなりの若年層の客が心を摑まされた事がわかる。*2 おそらく「あいみょんくるり/SIRUP/Superfly/ナオト・インティライミなど」錚々たるメジャーアーティストと共演したFM802のライブイベントMeet The World Beat 2019」から彼女のアーティストバリューが格段に上がった、と予測されるのだがいかがだろうか。*3

  そしてここ最近お世話になることの多い、梅田Shangri-La。左端に位置するスピーカー側を陣取ったが、ってチリヌルヲワカの2週間前とほぼ同じ位置なのだが、ぱっと見区別つかないのだが。*4

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問:突然ここでクエスチョン!どっちがチリヌルヲワカでどっちがAnlyでしょうか?

(答えは注に!)*5

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2. Anly Sweet Cruisin Tour 2019 at 梅田Shangri-La

そして、開始時間である17:30から5分ほど過ぎたあたりだろうか、クルージングがスタートした!

 この日のセットリストは以下の通りである。

set list

  1. Taking My Time
  2. COFFEE
  3. ENEMY
  4. カラノココロ
  5. moonlight
  6. Sleep
  7. dream on
  8. distance
  9. Tranquility
10. この闇を照らす光の向こうに
11. 愛情不足
12. KAKKOII
13. Do Do Do
14. MANUAL
15. Not Alone
16. We'll never die

En1 笑顔

 

 もう一言で言えば、とても良かったと思う。

ホント余裕で一時間半がもう30分ぐらいに感じる相対性理論が証明されたような密度の濃い掛け値なしに完璧なまでに素晴らしいライブだった、もう何もかもケチのつけようのない内容だった

 もはや一曲目に始まる前のSE音がデカくなってきたところからもはやクラップが最高潮レベルにまで響き始め、もうバンド・メンバーからの、Anly本人が出てきた時にはもうこれってアンコールの時の拍手?と錯覚してしまうほどの割れんばかりの拍手が沸き起こった。

それにしても、一曲目で『Taking My Time 』が奏でられた時ちょっと意外だった。

何せこれまで体験してきた彼女のライブは歌詞からも分かるように、

さあさあ お待ちかねの Showtime 特別 V.I.P 席へご招待 知りたい?

 そう私の正体...

と、これまで行ったライブは全て「このショーはこの曲から始まる」という宣戦布告宣言『COFFEE』からのスタートだったから、それをすっ飛ばして出たばっかりの最新曲をいきなりカマすこの姿勢にまず痺れる。形式にとわわれずに、リアルタイムの一番新しい今のAnlyを届けたいんだな、という彼女の強い意思を感じる。

 それにしても毎回驚かされるのが観客のノリの素晴らしさである。普通、どんな固定客のついた人気アーティストでも、本人が促さない限り拍手ですらなかなか起こらない場合ってのもままあって、促してようやくパラパラ、というパターンが散見される状況が多い中、彼女のライブは4曲目『カラノココロ』までずっと自主的なオーディエンスのアツいクラップが鳴り止むことはなかった。しかも、この後スローな聴かせる曲が何曲か続くのだが、5曲目の『moonlight』辺りから10曲目の『この闇を照らす光の向こうに』などのスローな曲を除いてはずっとクラップが鳴りっぱなしであった。*6ホントライブ中の印象としてはライブ中ず〜っとクラップやヒップホップの人らがよくやるようなプチョヘンザを終始やっていた気がする。

 ちなみに『Moonlight』はAnlyにしては珍しくジャジーなアレンジが印象的で、これも彼女の持っている引き出しなのだろうか?ジャズっぽいアレンジの曲もやったら面白そうよね、と新境地的ニュアンスを感じとても気に入った。

 あと、前の東京公演の時に参加した人からなんとなく聞いていた「声の調子があまり良くなかった。」という問題点も完全に克服してた、それどころかむしろ声の伸びと張りがものすごくて、もはや絶好調レベルだったのか、と思うほどだ。 

 では次にこのライブ中特に、個人的に印象に残った3曲をループペダル・スタイルでのパフォーマンスとの比較することによってレビューしたい。

まずはこの日に8曲目に演奏された『Distance』があげられよう。

 この『Distance』のループペダル・スタイルでのパフォーマンスの場合、まるで蜘蛛の巣をその場で生成し、その緻密な糸を張り巡らした巣の上を綱渡りするような物凄い緊張感が伝わってくるものだ。一歩間違えれば地上にまっしぐらぐらいの繊細かつ至高の世界観がこの曲にある。だが、今回のバンドセットではその綱渡り緊張感の部分はやや薄れて、その代わりにその中でもこの楽曲の中盤付近のドラマティックな展開とラスト付近のサビの転調箇所がものすごくフォーカスされており、よりエッジのあるシャープな聴き心地のある『Distance』として生まれ変わったと断言できよう。

 次に印象に残ったのは13曲目『Do Do Do』というループペダル・スタイルでもお馴染みの超アゲアゲ・ヒップホップ曲である。

こちらはループペダル・スタイルでは先程の「静」を表現する『Distance』とは対照的なこちらは「動」を体現するそれこそプチョヘンザを要するキラー・チューンである。この『Do Do Do』ループペダル・スタイルはまるで刃を研ぎ澄まし、それをこちらに突き付けられるような攻撃性が突き付けられる印象があった。だが、今回のバンドスタイルでは、攻撃性の部分は幾分薄れて、よりバンドならではの重厚なダイナミズム部分にフォーカスが当てられ、そこを特に拡張したような印象だった。ナイフの鋭利な感じからブルドーザーでズカズカと攻め込んでいく感じというか。やはりこのバンド・セットでしかあり得ない『Do Do Do』が楽しめた。

 最後にこ14曲目の『MANUAL』の時にも同じようなことが言える。こちらもループペダル・スタイルだと曲のメッセージ性を伝えようとするAnlyのアティテュードが彼女の歌詞ののみならず、ギターをくるっと背後に回したり、ピックを加えたかと思えばパッと床に捨てたりといった表現力の部分にも焦点が当てられるのだが、こちらも『Do Do Do』と同様にバンドサウンドを立てるというにフォーカスされていたように思う。*7

 後に、これは自慢ではないが、今私がここで主張しているバンド・アコースティック・ループペダルの各スタイルに見られるアレンジの多様性に関しての考察は全く的外れではないことが分かった。

 というのも彼女のプロデューサーであるNash氏が私のツイートに以下のようにリプライしてくれたからだ。

 

 

そしてこれがある意味最も重要なことかも知れないんだけど、彼女の、沖縄という南国育ちゆえか、あの太陽の光を放つような明るいキャラクターも魅力の一つだ。

 今回のMCで特に思ったのはよくある「今日始めて私のライブに来た人は?」というやり取りだが、挙手させて数十人ほど手が上がって「わぁ、こんなにいる!」と言った後で普通そこで終わるのだが、「じゃあ何回も来ている人は?」と更に質問を被せ「ほとんどじゃん!(笑)」と客席を盛り上がりに転じさせたのだ。これって初めての客以外の常連客ってこういう時「初めてじゃなくて悪かったよなw」みたいなちょっと置いてきぼりを喰らうのだが、そこをうまくフォローしてて、ホントこういう所に音楽パフォーマンスにも通じるアドリブ力あるっていうか機転がきく人だと思う。

そういや10月の「いめんしょり」の時、チューニングがてこずり、割と時間がかかってしまってチューニング音をずっと聴かせてしまった事を逆に利用して「あ、今のは"チューニング"という曲でした。」といって客席大爆笑だったし。

 まとめると、このバンドセットではループペダル・セットでのその場で音像が構築されていっては壊していくあの緊張感も、アコースティック弾き語りで見せた彼女の中に潜む叙情性も、MC時で見せるあの太陽のような底抜けに明るいキャラクターから発せられる陽性のオーラも、ここでは全てCruisinの名の如く、バンドスタイルという大きな船上というフォーマットに詰め込んで進んでいく安定感があったAnlyの曲は人の心のど真ん中を貫く純度100%のポップ・ミュージックな音楽である、という事を実感するには最高の形態とでも言おうか、それが今回のAnlyのバンドセット・スタイルでのライブであったのは間違いない。

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3. あなたはBand派?  or Loop派??

と、そこでフォロワーさんと飯食って無事家に帰りました、チャンチャン♪と終われば良いのだが更にここで言いたいことを言わせてもらおうか(💣)。

 ある意味これが本記事のテーマと言っていいだろう。冒頭で「本音をブチまける」といった0章での主張がここで生きてくるのだが、このバンドスタイル・セットが、果たしてこれまで見たAnlyのライブで最高のシチュエーションの元で行われた、最高に心突き刺さるライブだったかというと、個人的に行った彼女の6回のライブの中で2位、3位と争うことはあれど、決して心に響いたぶっちぎり優勝1位のライブだった訳ではない。

 なぜかというと、以下3点のようなある種、不満とまでは言わないがわだかまりのようなものが生じたからだった。

 

❶ バンドセットだともっと音像が突き抜けるような会場がベストだったのでは?

❷ 観客の心の真髄を貫くにはLOOPペダル・コーナーも取り入れるべきでは?

❸バンドセットにおいても「動画拡散」を促しても良かったのではないか?

 

 ハイ、ここで❶❷❸とやや物申す的に疑問を呈した形だけど、前章で強調しているようにライブ自体は掛け値なく素晴らしいものだった事を前提とした上での提案(suggestion)である事に注意したい。

 

まず❶。当日のライブハウスである、梅田Shangri-Laには何の罪もないがあそこまで緻密な音が生成される空間を隅々まで堪能するには少し窮屈すぎる気がする。

あの場での突き抜けた音像や、あのバンドメンバー全員を観るべき、広域に広がるパフォーマンスはもっと広い会場でゆったりとじっくりと観るべきである。

具体的にはもっと広い会場、といえば大阪近郊だと「心斎橋BIGCAT」辺りなのかもしれないが、それでもまだまだ狭い、と思う。もう極端な話、ライブハウスという枠を超えて「大阪フェスティバルホール」「大阪城ホール」「神戸ワールド記念ホール」辺りのホールレベル(いや、それ以上か)で十分すぎるほど何百万、何千万もの観客全員の真髄ど真ん中を射抜くに値する通用するライブだったと思う。

でもこれは決して遠い未来の話じゃなく、今の状態だとグングンAnlyの知名度は上がっているし、今後は「ホールツアー」という展開も十分にあり得るので可能性としては極めて高いのでこの辺の問題は案外早くクリアできそう。

 

そして、❷。

 これは❶とも繋がっているのだが、彼女のライブはループペダルセットがもはや至高であり日本国内においては最強のループペダル・パフォーマーであると思う。*8

そう、だから正直Anlyのバンドセット・ライブを見て逆にループペダル・セットのパフォーマンスって物凄かったんだなってことを実感した。バンドセットも確かに素晴らしいんだが、めちゃくちゃ安定しているので、ライブならではのスリル感や、ハプニング性、アドリブ性に欠ける気がするのだ(ってほんとレベルの高いライブだからこそ好こんな感慨も浮かぶんだろうけど。)。彼女がその場で生成する多重コーラスが美しくも折り重なり、音色豊かなギターリフが緻密に積み重なり、重低音となるリズムサウンドが迫力を増していく様はもう言葉では伝わ気切れないほどに凄まじい。そうしたあらゆる【ミーム】が生成され、彼女によって託された瞬間生命が宿り、息吹き始めるのを感じるのだ。もう Anlyが生み出したAnlyを構成するサウンドミームとのセッション。それは時に宇宙を構成する素粒子とも、ミクロを構成する微粒子とも変化し、それが一気に集積するあの音像群の壮大さと言ったら....そしてそれが彼女の手によって一瞬で消え去る刹那をも含め、我々は悲しみとも嬉しみともつかぬ感情の洪水を味わうのだ。

もうあれは、AnlyのようでAnlyではない存在。ループペダルも彼女にとっては重要な1人のメンバーなんだろうな。

 恐らくここ最近増えた若い観客の殆どは、LIVEに行くキッカケになったのはミザワビ辺りで体感したであろう「FIRE」の怒濤のパフォーマンスだったのではなかろうか?と思ったりするし、或いは件のTV番組でのループペダル特集を見てハマったというのもあるかも。いずれにせよ【ループペダルの達人】というイメージを抱いている人って結構多いだろうし、バンドスタイルでもループペダルコーナーを設ける事も必要ではないかと思ったりするのだ。

 

最後に、❸。
 これってどの動画や写真を全面的に禁止している全アーティストのライブで、常々思うんだけど一曲でも良いので動画撮影拡散タイムを絶対設けるべきだと思う。他の我がフェイバリットアーティストであるハルカトミユキやヒグチアイなど実力あって演奏してるシーンがヴォイジュアル的にもカッコ良く映える人に限って全面禁止にしてて、ホント勿体無いと思うんだけどな。Anly文脈においても同様に、その動画拡散曲って別に『MANUAL』にこだわる必要もないのではないか?

 いやそれどころか、むしろあの曲じゃない方が良いのではとすら、と思う。というかあの曲の動画拡散の「ブラック校則撲滅」という意図に関してはすごくキャッチーで分かりやすいんだけど、そのメッセージ自体がどうにも一人歩きし過ぎている感があるのも否めないし、あと正直な意見として言わせて貰えば、彼女のリスナー達が皆その撲滅云々の内情をよくわかっていないままに、言葉尻だけ合わせてツイートしちゃってる感もまた否めない気もするんだけどな、まぁ気持ちがこもっていないと言うか。

 それならいっそ、もう「Anly拡散」「Anlyループペダルのパフォーマンス拡散」という意図で、『FIRE』『Venus』辺りの動画撮影拡散オッケーにしてしまった方が良いのではなかろうか、彼女のカッコよさが世間に認められてしまえば、校則撲滅云々のメッセージ性など後からついてくる、と思うのだが。

 

さて、最近ワタクシ、Youtubeサイト作ったので私がライブ行った時に撮った『MANUAL』神戸と大阪連続でのっけとこうかね🎥


Anly『MANUAL』ライブパフォーマンス@神戸VARIT 2019/5/19(日)

 


Anly『MANUAL』Anly "Loop Around the World" ~Track 2~@梅田Banana Hall 2019/6/15(土)

 

4. Anly 's Next performances 

 という訳でまたまた長いレポートとなってしまったが、この章で締めよう。

Anlyのライブパフォーマンスって、その演奏であるとか魅力もさることながら、この人のライブは次も必ず行こう、またこの人に会いたい、と思わせる絶対的な信頼感があるのだ。これは前の章で触れた、MC時の彼女に垣間見える太陽光のようなキャラクターってのも魅力の一つとして考えられるんだろうが、とにかく彼女は人間味に溢れている。あれだけのパフォーマンス力を備えておきながら、変にカリスマぶったりアーティストとして高い位置にいようとする感じも全くないし。

 個人的事情を言わせて貰えば、Anlyは「ライブを観終わって満足してるのに、その日の終演後に次のライブのチケットを買う。」3回連続記録を樹立しているアーティストなのある(笑)。

 

さて、そう思って購入した次なるAnlyはもう直ぐ春の足音でも聞こえてきそうな来年の2月最後の日。対バン相手はたま〜にその名を耳にするDrop'sとの共演だ。

一体どんな景色を見せてくれるのだろう。

 

そんな思いを抱えつつ、この10291文字にもなる本記事に終止符を打ちたい。

では!

See You Next Anly!!

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*1:あ、それで思い出した。このブログ記事を介して某アーティスト関連でちょい騒いでた2ch (5ちゃん)の住民どもよ、そもそもアーティストに限らずなんでもそれを支持するファンなんて、キモくてイタイものなんなんだよ。

別にアーティストだろうが、アイドルだろうが、それは誰しもあてはまるもんなんだから、誰のファンが特にキモいってってことは皆無であるよ。そういや、アップルの創始者であるSteve Jobsはかつてこう言ったね。

「彼らはクレージーと言われるが、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。」と。このクレージーってまさにキモイってことだと思う。みんなキモくて何が悪いんだ。キモくて上等じゃないかw!そもそもキモい、と言われるくらいなんでも夢中にやってみろよ、君らはもっと勉強が必要だ。君らはたかだか、ライブに行くという行為すらできない臆病者ばかりだからその辺のとこよく分かってないんだよ(ってなんのこっちゃw)。

*2:後Anlyのライブは基本学生はチケット代割引キャッシュバック制度みたいなのもあってあーいうのも功を生してると思います。

*3:確かこれらのアーティストを凌ぐ勢いで満足したパフォーマンスランキング1位だったもんね。

*4:12/1も12/15両日共々ホント実感してたんだが、シャングリラのスタッフってアレやこれや前からこんな注意事項がうるさかったっけ?

*5:上がanlyで下がヲワカね

*6:よくよく考えればイケイケガンガンの曲を連打せず割と早目な段階でスローな曲を演奏しているのはツアータイトル通り「スウィート・クルージング」という意味合いもあるのかもしれない。

*7:この日の『MANUAL』テンポが速いような気がしたが、実際どうなんだろうね。

*8:他に日本では元AIR車谷浩司氏のソロプロジェクト・Laika Came Backのループペダル捌きもお見事。こちらはAnlyのそれとは違ってゆったりと音を重ねるやり方で同じループでもこうも違うものなのかと興味深いものだ。

憧れのシネマロサ、そして渋谷へ〜スペアク・コーリング東京弾丸ツアー

0.コメンタリー上映ですと? 

『なお、このDVD(BD)はオーディオ・コメンタリー付きである』

映画でも音楽でもDVDなどの映像作品にこういう表記があるのとないとのとではその存在価値が月と鼈(すっぽん)ぐらい違う、と常日頃から思っている。

いや、だってコメンタリー仕様って普通仕様の映像作品に比べてなんだかお得感が満載じゃないですか?

何せ、本編を制作なり演じたり監督なり役者なりの事細かい裏エピソードやら何やら詳しく解説してくれたりもするし、何ならしょうもない与太話チックなものも含めて、本編の長さ×2倍は楽しめる事になるだろうし、こう言うのはコンテンツ的にも価格的にも二枚組相当以上の価値がある、と思っているぐらいには『オーディオ・コメンタリー』至上主義だからね。

そんなことを思っている私に、12/5(水)か、12/6(木)ぐらいだろうか、TL上にて、こんな素晴らしすぎる情報が飛び込んできたではないか!!

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うわ〜(°▽°)、これはもう心ときめきましたね。(行けない事がわかってたからかもしれないんだけど)先週の「応援上映」よりも個人的には凄く惹かれる企画であったことも事実だ。だって上述した通り、コメンタリー至上主義だからね(しつこい)w

こりゃ行った方がいいかなぁ、いやいや、これは行かねばなるまいよ、これは!!

そう考えてるうちに、10/18公開初日の1stシャワー上映時の時から、いや、その2日前の10/16に手売りで上田慎一郎監督達らのムビチケ購入イベント時からこの日が来る事はもう初めっから決まっていたのだなどと都合の良い考えまでがむくむくと湧き上がってきたのだ。

 

こうなりゃ神戸から弾丸日帰りツアーで行ってしまえ!

 

その前にシネマ・ロサでの通常上映(11:05~)ってのも行ってみるか。

日帰り東京滞在時間(10:30~19:30)の9時間のうちスペシャルアクターズ視聴時間が4時間、あと写真撮ったりスペシャルアクターズと話をしたりなんたりで1時間は消費するだろうし、あと池袋と渋谷を移動したり、昼食べたり込みで時間にして計6~7時間、残り2時間が自由、と言った風に、ほぼそれ以外を過ごすことのない、こりゃほぼほぼ「スペアクの、スペアクによる、スペアクのための東京弾丸旅行」じゃないか、望む所だ!!!!!もうこれは行くしかねえ!!!!

と、まぁもはや衝動的な思いが先立ったんだけど、そう思い立ったらもうこっちのもんで、前日土曜日に翌朝早起きできるように「BARTH」*1を3錠ほど風呂桶に突っ込み、目覚ましも4:30ぐらいにセットして、バタバタ準備して在来線乗って7:30くらいの「のぞみ号東京行き」に乗って行きましたよ!

 

そう、ようやくこの台詞がようやく言える時が来た、全宇宙よ、ここがスペシャルアクターズの聖地「池袋シネマ・ロサ」だ。

その時のツイートの熱狂ぶりもハンパなくて、こんなこと言ってて、いやもう一寸の違いもないほんとこんな気分だった。

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1.憧れのシネマ・ロサ、そして4thシャワーへ

で、中へ。ヘェ〜、これか、ロサの受付にはホント昔ながらって感じで、1人づつ対応形式でそう愛想の良くないおばさまが、印刷してラミネートかけた座席表を見せて空いてる席を聞くと言う、なんとまぁ古典的な昭和を思わせる古き良き映画館を踏襲したスタイル。そこでチケットを買って、2Fに上がるとありましたがな、あれやこれやのネットで観たシネマ・ロサを象徴する数々がスペアク関連ものの数々が!!!!!!

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おおっ、「ガゼウスポッド」! 彼とは11/2(土)の大阪ステーションシネマ以来の再会w!、やっぱ君はこっちにいる方が風格というか威厳があるように見えるよ!!!

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おおっ、シネマ・ロサ限定、ふくだみゆきさんのイラストによるスペシャル・アクトレスのポスターではないか!!オリジナリティがあるのにそれぞれの特徴がわかるって凄いですよね。

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おっこのバッジと結びの書って大阪ステーションシネマには無かったのかな?あったかも?いやもうそんな事どうでもいいや、ここにいる間は大阪のこと考えるのやめようw

で、こんな感じで他にも色々と物色したかったんだけど、ここに着いたのが10:50ぐらいで上映11:05から考えると完全にギリギリだったのでまたゆっくりと、観るのは次の機会に、と言うことでジンジャーエールを買って劇場内へ入った。

そしてこの日が、この日がForthとかこつけて4thシャワー!だった。

そこで断口スタイルでメモりながら見ていたのだが、、まだまだ個人的に色々発見があった。

これが本記事の脳味噌となってくれたネノメタル 断口メモだ!

*2

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 【断口メモ 12/08】

❶ポスターに【アフロ・ゾンビ』『save  me』の他に、『星まもる魔女たち★』という架空作品ってふくだみゆきさん主演なのね。*3

❷ムスビル三上さんの「口をむすべ。今彼と話してる。」

の言い方が思った以上に威嚇的すぎてびびったw、あと喋るなとか静かにしろとかではなく、?ムスビルにかこつけて「結べ」なのか。

❸ムスビル幹部七海が、おにぎりセッション時の、数人に畳み掛けるように「美味しい?」と言わせてる場面があまりに取ってつけた感満載だったので笑ってしまった。

❹これは多磨璃の真奈信者がポイントカードの件の後にリセッシュ的な霧吹きのかけ方がこれまた前見た時以上に、思った以上にそれはそれは嫌そう〜にかけてて、かつそれがあまりに雑過ぎてびびった。コメンタリー上映の時言ってたけど真奈さんびしょ濡れだったってねw

❺八枝子の刃物さばきが思った以上に鋭敏で、特に振り返った時の感じが思った以上にささっとしてどこか背筋が伸びててスタイリッシュな感じがあったな。

❻津川祐未の「呪い殺す!」の練習の初期は舌っ足らずでハッキリ言えてない感じ(「のぉい殺す」みたいな感じ)が上手い!わざと下手にする演技って難しいだろうなぁ。イベントの時言ってたが、本番ではちょっとわざと拙くやった感じもあってほんとレベル高い芝居ですよね。

❼あと刺された兄に弟がやたら「大丈夫か!!」と肩を揺らしまくって、しつこかった気がする。これって敢えて彼を気絶させたのかなぁ。

❽最後辺りでボス達が「あれはホンモノの警察?」とか言ってる場面でしっかり兄が聞いてる場面を見せるのも抜かりねえなとも思った。後、ボス関連で言えば、誰もが気付いてたんだろうが八枝子はボスが好きなんだな、と。

さぁ、来たる続編ではこの2人の何かが発展するか?これは禁断の愛か!!!

❾『灯りをともせ』、『続・灯りをともせ』って改めてタイトルにやる気あんのか!って突っ込む。むしろやる気ねえのはオーディションする側の方だろw

➓『恋する小説家』に写るのは19人目のスペシャルアクターズである岡本裕輝さんだけど、他に主演2人も写ってるので、この2人も「スペシャルアクターズ」として換算すべきではなかろうか????

 

2.そして渋谷 HUMAXシネマ、コメンタリー上映へ!

そして、池袋のロサ近くの「むてっぽう」とかいうラーメン屋で食事して、後2時間ぐらいあるから余裕かと思ってたが渋谷はめっちゃ人が多くて決行前に進めなかった。だから、当初予定していた、カフェでコーヒーなど飲む時間など更々なくて人多すぎな渋谷の喧騒を潜り抜け、案外ギリギリ目の時間に渋谷HUMAXシネマ に到着した。*4

 

この日のイベントでのキャストは以下の通りである。

上田慎一郎監督&上田君(慎一郎さんのお子様)

櫻井麻七さん(ムスビル幹部・七海役)

津上理奈さん(旅館めぶき若女将・津川里奈役)

鈴木伸宏さん(サウンドトラック等音楽担当)

(三月竜也さんが都合上欠席につき代役)

 

 

【Focus.1~overview

全体的なトークショーの雰囲気は、コメンタリーの収録風景にありがちな、別室のスタジオで声だけ聞こえると言った種のものではなくて、なんと監督と出演者が真ん中付近の座席に行って皆で一緒に観ながらあれこれとコメントを言っていくスタイルだった。

いや、こっちの方が一緒に観てる感じがしてさらにライブ観あっていいですねえ、と言うよりむしろ「上田監督とキャストで観るトークショー!」と言った趣である、何せスペアクが始まる前の「映画泥棒」のCMでも上田監督は既に色々コメントしてたしw*5

因みにコメンタリー上映回時に時々、マイクを通さずともキャッキャッはしゃいでる可愛い子供の声がしたが、なんと上田慎一郎監督のお子さんがいらしてたのだ(笑)!

 

なお、このコメンタリー上映中も...

上田監督「え〜っとこのシーンは数人がですね....」

上田くん (御子息)「うるちゃい!!👶」 

...うるさい(笑)って、、、、あんた、、、w、、いやいや、上田くん(御子息)よ、これ黙ってズ〜っと見てたら単なる普通の上映になってしまって、このイベントの存在意義は愚か、私がわざわざ神戸から3時間半かけてここまできた意味と言うものが全くなくなってしまうのだよw、この可愛いコメンテーターの声は、以後イベント中時〜々お目見えすることになる。

あ、そうそう。そういや三月さんのセリフのところで、

 

上田くん(御子息)「ん〜?この子、誰の声??」

(会場一同大大爆笑)

上田監督「こ、この子って??wwww...」

櫻井「三月さんだよ〜」

 

この辺りめちゃくちゃ後を引きずるぐらいもうめちゃめちゃツボりましたwww、もはや彼も完全に盛り上げてくれたと言う意味で立派なコメンテーターだったな。いずれDVD化されたら彼は出演するのだろうか、むしろ出演してくれと願っている(半ば本気)。

 

【Focus.2~The View of上田慎一郎監督

ではここでコメンタリー上映における上田慎一郎監督の視点を記憶にあるまま思いつく限り掲載させてみようかな。

Scene ⑴

兄が『1人レスキューマン・シミュレーション大会」を冷凍ピラフ*6を食べながらやっている間、彼の部屋には目覚まし時計が止まってるが、この時の止まっている時計の時刻は10時10分である。これはムッスーの手の動きに👐にピッタリと符合するものである。 

 

Scene (2) 

その兄が工事現場での仕事をクビ宣告されている時、その事務所の机にデッカイ焼きそばペヤングが置いてあるのが記憶にあるだろうか。で、その上によもぎ餅みたいなのが置いてるのだが、これはその間にあるメモ用紙が飛ばないようにする為である。このデカイペヤング 誰が食べるんだろうか?

 

Scene (3) 

セミナーで教祖が信者の前に登場する時の河田と七海が両端にいて誘導する時のペンギンの様な手の形も全体三角形だしムスビルが霊能者に追い詰められて4人が固まっている姿をシルエットにするとちょうど三角形になる。いわばこれがガゼウスポッドの継体まんま】というのは以前から唱えている自説なのだが、七海幹部のその時の体制について上田監督が「CDのジャケットか、グラビアにありそうなポーズですよねえ。」とコメントしたのも興味深かった。ガゼウスポッド形になる、というシナリオがなければ不自然な気がするが、これはいつか上田監督に機会があれば聞いてみようと思っている。*7

 

Scene(4) 

精神科医原田先生、実際に会ったからわかるが、結構お若い方で主人公(35)より完全に若い実年齢(28歳)と言うことで、年取った設定なので、髪型を90年台っぽくしたり、ほうれい線をつけたりして、フケ感を出したと言う。あと顔色が前後半に比べ、後半の顔が浅黒く感じるのは「夏季休暇でハワイに行ったから。」と言う設定があるとかないとか。この時、出演者の櫻井・津上両出演者様も言ってたが、「胡散臭い」と言う意見には完全に同意する。もはや個人的にはムスビルと対抗できる存在であると思っているぐらいである。

あと、原田先生が電気を消すシーンは、スター・ウォーズの洞窟シーンで自分と向き合うルークスカイウォーカーの姿にインスパイアされたのだとか言う。 

そういや、原田先生(原野拓巳)にはサイン下にこのセリフを入れてもらっていたのだった

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Scene (5)

これも出演者の櫻井・津上両出演者様も言ってたが、オープニング・テーマ曲の絶妙に挿入されるタイミングのかっこよさはもう異常である。あのテーマが始まる直前のカタカタカタ、という具合にもの音が揺れるカウントダウンな感じもなかなかワウワク度合いを高めてるし、あの場面であれがバーッンと出る事によってこの映画のコアを引き締めていると思う。更に、あのオープニングテーマを観てこの映画が「当たり」であることを予感した人は自分以外にも結構な数で多いと思う。

だが、ちょっとビックリしたのだが、実はこれってもっと前の場面で、オープニング・テーマ曲がかかる予定だったのだと言う。

 

確か、そのタイミングって弟が初めてスペシャルアクターズの事務所に兄を連れていくぐらいで

弟「(ムスビル撃退の話を聞いて)ハーイ、ハーイ!!やります!やります!」

兄「(いやそうな顔をしながら無理やり手を挙げさせられる)」

ぐらいのだったと思うんだけど、上田監督は「ここは粘って見せ場をもっとひっぱるべきではないか。」と思い直し、現行のタイミングになったという。

いやでも、この改編は大正解よ。

何度見てもほんっとこれはもうこの上ないタイミングだ。上田監督作品は、『カメラを止めるな!』でも『イソップの思うツボ』の時も思ったけど、こういう音楽や映像の使い方って映画というより演劇のタイミングのそれに近くて、ほんと絶妙だと思う。

 

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【Focus.3~The View of櫻井麻七&津上理奈

次は、出演者、櫻井麻七さんと津上理奈さんのコメントを中心に概観して行こうかと思っている。

Scene ⑴ー櫻井麻七's point of view

 まず、櫻井麻七さんのコメントっていうか、彼女の基本的な視点は、先述した上田慎一郎監督による演出や、場面の拘りに焦点が当てられていたのとはまた違う方向性である。例えば、多磨璃教祖が、真奈信者にめんどくさげに霧吹きのかけてる時の顔を見て「あの淡梨の表情(笑)」「教祖様夕飯何食べようかな?しか考えてないよね(笑)」と言うこのコメントに象徴されるように、作品自体や出演者への愛情を醸し出しつつも出演者としての客観的視点をも踏まえた絶妙なバランス感がとても独特で面白いのだ。

 あと、これは「かわいい」という表現を大野宏樹の横顔と、津川祐未の真正面ドアップと、富士ボス社長の声と、弟の前髪と、富士松鮎の椅子の座り方と、(あとついでに上田御子息に)との全てに使い、どれも違うニュアンスを醸し出してそれが全部伝わるってのも考えてみれば凄いことだ、流石ムスビル幹部!

で、もう一個彼女の見解で面白かったのは、「ガゼウスポッド」が撃ち抜かれて、てっぺんが無くなった状態になったのはご存知だが、「あの形が富士山に類似する。それは松竹のマークそのものだ、と言った時は皆笑ったりして聞いている、と言ったよりも「ヘェ〜〜〜!!」と感嘆の声が漏れたように記憶している。*8

 最後に、これはクライマックス付近で旅館の方にボスや弟に心配されながらも、数人が遅れそうになりながらもこちら側にヨタヨタと歩いてくるシーンがあるのだが、あれ今後見る時もう一切「アシモ」にしか見え無くなってしまったよ(笑)*9

 

 Scene (2)ー津上理奈's point of view

さらに津上理奈さんの視点っていうのも櫻井さんとはまた違って演出寄りというか、どこか独特の感性に根差した所に目を付ける人だよなぁとこちらも非常に興味深かった。 

 例えば、

【七海幹部が旅館に入る時の靴を脱ぐ所作がどこか女子アナっぽくて美しい。】

【何もかもバレて警察が来て逮捕される時すぐ観念して去っていく七海がツボ。】 

と言ったように日頃から一緒にカラオケ行ったり、仲の良い姿を見せる麻七&理奈の二人だが、撮影時、もっと言えばオーディション後の稽古段階などからお互い役柄としてもリスペクトし合ってるんだろうなと言う関係性とかが計り知れるようだ。

あとは、女将の部屋は4畳ぐらいですごく狭くて、こっそり入ってきた数人の背中をドンッと突くシーンを撮る時など、前にあった写真立てを撤去せねばならなかったそうだが*10、その時不意に「あの家族の写真立て欲しい。」と言う感じとか、津川里奈のクライマックス場面のあのスカートの色や形がガゼウスポッドの三角形を意識してたりとか、普通に見ていると絶対に気づかないであろう点を語ってくれたのが面白かった。

 あとこれは櫻井さんにも言えるのだが、クランクインする前の、数人が救急車に運ばれた後のシーンであるとか、事務所に初めて一人が行くシーンとか、既に撮影状況をずっと見学していたと言うエピソードも、まるで老舗演劇のようなグルーブを醸し出すような本作のチームワークの良さがとても伝わってくるスペアクらしくて興味深かった。

*11

 

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そして最後、作品は終わり、エンディングテーマとなって里奈さんか麻七さんかどちらともなく不意に「誰でもアクター」をその場で歌い出したのだ。*12そして客席からはライブの如く、手拍子も自然と出てきて客と映画とが一体になった感じがあった。これってどこか先週の応援上映ってこんな雰囲気を更にエスカレートした感じなんだろうな、ってのが分かってそういう意味でも、とてもお得感満載のイベントだったと思う。

こんな風に作品を深く理解できるコメンタリー上映って、DVDなどで自宅で見るあの密室感とも違う独特のライブ感があってとても楽しい。「コメンタリー付き上映」という新たなジャンルを確立してもいいぐらいの価値はあるよね。

こう言う趣旨のイベントって今後もガンガン増えてほしいな、別に「スペシャルアクターズ」や上田慎一郎監督作に限った話じゃないけど。

 

3. スペシャルアクターズという伏線

さて、一旦時間軸をシネマ・ロサの上映終演後、13:00辺りに戻そうか。

これは東京在住のリピーターの人にはもはや当たり前の景色と化してるんだろうが、心底感動したのは、館内の職員が「え〜、ロビーには出演者の方々がいらっしゃいます。」とアナウンスがあって、ふとロビーを見ると、ほんと当たり前のように4人のスペシャルアクターズがロビーにいた事である。これはもう本当に感動的な光景であった。

でもこれって考えてみれば、もの凄い事件的なことだ。だって例えば演劇などでは終演後、役者らがロビーでお出迎え、のひと時をお客さんと過ごす、なんてことはよくある光景なんだけど、その演劇の場合その役者はもうその役柄を一旦リセットして、一人の役者という職業を担った人間としての素のモードなのである、明らかにその物語は終わってしまっている

だが、映画、いや、この『スペシャルアクターズ』という作品では、かなり事情が異なってくる。何せ、役柄としての彼らと、今ここにいる彼らの姿って名前もキャラクターもほぼほぼ一致しており、映画もロビーでもどちらもスペシャルアクターズまんまなんだから。

これはどういうことかというと、映画を鑑賞した後に、ロビーに再び作品に巻き込まれる擬似体験をするということとイコールになるのではなかろうか?

そしてそのロビーにいたスペシャルアクターズは、この4人である。

 

櫻井麻七( as ムスビル幹部・七海役)

津上理奈(as 旅館めぶき若女将・津川里奈役)

原野拓巳(as 精神科医原田拓巳)

山下一世(as ヒラメ顔の童貞、ムスビル信者・山本)

 

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この素晴らしきスペシャルアクターズを目の前にした瞬間、もう今回の東京旅行、写真を撮ろうとか、サインをもらおうとか以前に、その時間を割いてまでも、一人一人に伝えたい事があったのだ。*13

櫻井さんは上映後に観たパンフレット見て、『孤独のグルメ』で井之頭五郎さんに店主を通じて色々とコキ使ってしまう清純なOL2人役の一人だったことを知ってかなりびっくりした事、津上さんには特にTwitterでのリアクションが早くていつもフォロアーと同じ目線にいる事、やあと仕事上の関係でなぜか奈良の近鉄事情を話すなどw、原野さんは役の時と今のルックスとが全然違って本当役者ですね〜という事*14、山下さんは映画の中での信者初期となりきってからの表情が全く違うところが凄いという事などなどお伝えしたが、まだまだ話し足りないことは山ほどあった。

で、そんなこんなスペシャルアクターズと話しているうちにふと思ったことがあった

この「スペシャルアクターズ」という作品ってどう考えても終わることのない話であって、何度見ようとも未だなお完結を見ていないという事だ。僕らはとかく上田慎一郎監督作品に対峙する時、やれ伏線だ、回収だ、やれギミックだ、やれ笑いだオチだ、コメディーだ、に注目しがちなんだけど、この作品ってそんなもの全部取っ払った所に真の面白さがあるんじゃないか。

何せ、この目の前にいるスペシャルアクターズの方々は、このプロジェクトが終わったとしてもずっと本当の意味での「スペシャルアクターズ」なんだから、もはや終わる事がないのだ。だから僕らは何度も観てしまうのだろうな。

そんな思いが頭の中をふっと、よぎって帰り際に4人に、以下のように伝えた。

 

「この"スペシャルアクターズ"という本当に素晴らしい映画に出会えて良かったです。映画は伏線回収が大事だってよくいわれるんだけど、実はそれが重要ではなくて、自分にとっては皆さん一人一人もう全てのキャストがこの映画の伏線であると思っています。だからスペシャルアクターズは終わらない。今後も皆さんの物語はずっと続いていくものと思っていて、それを見届けたい。今日はそれを伝えにここに来ました。」と。

 

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そういえば、本当の伏線は物語ではなく全てのキャストの未来にあるとのだ、確か『恋する小説家』イベントの時、こう結論づけた。

「『スペシャルアクターズ』も『恋する小説家』も、それを含めたあらゆる素晴らしい映画作品は、1度や2度観ただけでは終わる事はない。3度観た時にこそようやくその物語は見た者の心に芽吹き始める。そこからが本当のスタートだ。だから、決して席を立ってはいけない。良い映画は、三度始まるのだから。」  

 でも、3度だけで、この映画の始まりは完結しないだろう、と帰りの新幹線の中でハッキリと実感した。

 さて、一体何度始まるのだろう?

それを確かめにまたロサに行こう、月末にでも。

 

4. 付記〜町はメリークリスマス

ふとこのブログの本編を書き終えた12/11、ディズニーストア2階辺り付近の階段にて、午前中にチケット購入の際に手すりに置いておいたこの誰かの落とし物であろう、とってもクリスマスな手袋のことを思い出した。

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で、その約8時間後、コメンタリー上映会が終わって渋谷HUMAXから出ようとしたその時、やっぱりこの手袋は残ってて、拾い主はとうとう現れなかったのだなぁ、という事も同時に思い出す。

クリスマスに近いこの時期、、、といえば、そう言えばこの日12月8日って元The BeatlesメンバーのJonn Lennon(1940-1980)がファンと名乗る謎の男チャーリー・チャップマンによって銃で撃たれた日ではないか?と言うことも重ねて思い出す。多分この日は、クリスマス以外で、世界で最も『 Happy Christmas (War is Over)』がラジオやテレビなんかでかかる日ではなかろうか、知らんけど。 

*15 

 

この歌のこの一節を聞いて思ったんだけどつくづくJohn LennonのChristmas観って上田慎一郎監督による『スペシャルアクターズ』観と似ているのではないか、とふと思った。

 

And so this is Christmas
I hope you had fun
The near and the dear ones
The old and the young

 

そして今日はクリスマス
楽しんでくれるといいな
身近な人も、親愛なる人も
お年寄りも、若者も

 

And so this is Christmas (War is over)
For weak and for strong (If you want it)
For rich and the poor ones (War is over)
The road is so long (Now)

 

そして今日はクリスマス(戦争は終わる)
弱者も強者も(あなたが望めば)
金持ちも貧乏人も(戦争は終わる)
遠い道のりだけど(今すぐに)

(『 Happy Christmas (War is Over)』より一部引用)

 

上田監督映画の根底になるのはほんとこれに尽きると思う。正に「老若男女問わず、楽しんでくれるといいな」というエンターテイメントの真髄だ。つくづく子供の時に体感したクリスマスのワクワク感ってスペアクに似ている。エンディングが終わってロビーに出たらスペシャルアクターズが待っているあの感じも、正にパーティが終わって朝目覚めたらサンタクロースがプレゼントを届けてくれるようなあの喜びに近いのかも。あれ、そういやクリスマス・ツリーってガゼウスポッドに似てるよね???などなど....と考えてたらキリがないのでこの11825文字の本記事を、この『 Happy Christmas (War is Over)』のMVで締め括ろう、っと。

 


John Lennon - Happy Christmas (War is Over)

 

 

 

 

*1:巷で噂の入浴剤、これ3錠ほど浴槽に入れて風呂入ったらほんとによく寝れるんだよ。

*2:ま、解読しづらい文字のためなんて書いてるか読めないものも多数なんだけどさ

*3:ちなみにエキストラで出演されてるフォロワー様(ひげの吉田様)によると演出助手は木村綾菜さん、監督/プロデューサーは橋立聖史さんという。(細かい)

*4:実はチケットは池袋に行く前に渋谷に最初によって買っておいたのだ。だって4thシャワー中にソールドとかなったらシャレにならんからね(^^;

*5:映画泥棒って何パターンかあるよねって話だった。今回は旧バージョン。女性がいるバージョンもあったらしいけど観たことないね。

*6:チャーハンなのかと言う意見もあったなこの時、でもまぁピラフの方がしっくりくるな個人的に。

*7:この考察ってたまにtweetしてるけど、結構出演者のリアクションがあるんだよね。真実は如何に。

*8:ここは実は理奈さん発言かと思ってそうツイートなどしてたんだが、櫻井氏本人より「富士山発言は私です」とのリプライ頂いてここに記すw

*9:でのこの「アシモ類似説」これってでも出所はスペアク絵のコレクションブック見てわかったが、ある人のイラスト発端なんだよね。

*10:上田監督はその時「言えばなんとか貰えるよ」とあっさり返していた、、、

*11:他にも色々とコメントがあって、取り留めないのでここに記すが、服飾や建物関連でいくと❶数人の「SOBA」Tシャツにはこだわりがあったという。❷更に弟・宏樹の革ジャンは完全に私物だと。上田監督「どんな修羅場を潜り抜けたらあんなボロボロの状態になるのか?(笑)」。

❸津川祐未のTシャツに999の数字があるのはレスキューに因んでわざわざ揃えたのではなく、全くの偶然だと。❹あの近辺の建物がガゼウスのような三角形なのも完全に偶然だと言う。

*12:どちらともなく、といえば一応櫻井麻七と津上理奈とでコメント分けてはいるが、入れ替わってるかかもしれん。ハスキーな声が前者で、若干高いのが後者だが、後ろで聞いてたし若干間違ってる場合はご容赦を、てかコメントかリプでも送ってくださいw

*13:とか言いつつ結局サインも写真もバッチリもらっている件w

*14:原野さんってそういや福岡出身だったんよね、お土産で差し上げたネジチョコご存じだったかしらん

*15:更に人生最愛の映画『リリイシュシュのすべて』におけるカリスマアーティスト、リリイ・シュシュの誕生日という記念すべき日でもある。

なぜ、鈴木実貴子ズは世界最高のロックンロールをかき鳴らすのか

0.11/17/2019 尼崎TORA

「やめなくても良い音楽を探している。」

この日、そのフレイズを歌い出した瞬間に、まさにこの上でもないタイミングしかない、とでも言わんばかりに、絶妙に後ろのライトがビカっと光った瞬間に、もう全てのロックンロールであるとか、音の女神(muse)であるとか、音楽にまつわる全てが彼女に味方するのを感じた。

その鳴らされた曲のタイトルは『音楽やめたい』

バンドマンとしてはやや、いや、かなり絶望的に虚しく響くそのタイトルだが、それとは裏腹にまさに全てが肯定性に導かれるようなこの光が幾分眩しく感じたのは、その光の強度に負けじと崖っぷちから這いつくばり、目の前の敵にでも立ち向かって食らいつくような必死の形相の、バンド・ボーカルである鈴木実貴子が、既存の音源の音量と熱量とを遥かに、パワフルに更新する激しいそのボーカリゼーションにうちのめされていたからってのもあるのだろう。

「わかった!もうこのライブは自分にとって最高の伝説であり、最強の思い出になる。」そう確信してからはこのライブを1秒たりとも見逃さず、ただこの音に打ちのめされ続けようと思いたった。

個人的に今まで何十アーティストものライブ、コンサートなどの類を経験してきたが、ここまで喜びと怒りと多少の感傷と強さと儚さが共存するライブはもうこれが初めてだったと断言しても良いというぐらいには感動した。

そう、この記録は日本のロック史の一部として残しておかねばならない、だからこそ今こうして筆をとっているのだ。

そして、これは「鈴木実貴子」と言う日本屈指の最強のロックバンドへ捧げる、ある意味"音楽を決してやめない"二人への応援歌である。

 

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1. 鈴木実貴子ズとは?
音楽を長年聴いているとその楽しみの一つに、新たなアーティストの素晴らしい音楽との出会いということがある。その意味で令和元年最大の出会いは今回の記事の主役、「鈴木実貴子ズ」である。
と言ってもギター・ボーカル担当の鈴木実貴子氏と、ドラム担当のいさみ氏(別名;ズさん)のバンド編成と、鈴木実貴子名義でのソロの2バージョンとで、それぞれ3枚ずつアルバムをリリースしており、もはや立派な中堅とも言えるキャリアのある人たちではあるが、この期に及んでに来て遅まきながらも、満を辞して、というか、会うべくしてようやく出会えた、と言った所なのだ。*1

で、そのきっかけは何かと言うと、話は単純で、今年の夏北海道で開催されたライジング・サンロックフェスの台風による初日開催中止と言った無情な現実を突きつけられた後の彼女らのリアクションにもう素直に感動したから、である。「別に北海道に観光に来たんじゃない。私達はライブをしに来たのだ!」そう思い立って当日急遽ワンマンライブを開催してくれるライブハウスを呼びかけて、とうとうその日(ライジング会場とは規模が違う事であろうが)2度ものライブアクトをソールドアウトでやってのけたと言うあのニュースだ。
もうこれって、元ロキノン信者である私からすればもう字面だけでもご飯おかわり3杯ぐらいいけそうな素晴らしいロックアティテュードではあるまいか!*2

そうなると次の展開としてはどんな曲を演奏するバンドなんだろう、聴いてみよう、と思いますわね、で早速観ましたよ、『音楽やめたい』のMVを。
ハイ、もうなんの欠損もなく素晴らしいロックバンド、もうこれは間違いはございませんでした!!!!、どハマり決定!!!!


鈴木実貴子ズ - 音楽やめたい

 

このMVの中で、
【ステージを組み立ててある金具に怪我をしないようにガムテープを貼ってある事とか全てが行き届いている、そんな空間で歌える事をとても有り難く思ってます】

 

と言った後、彼女は本編ラスト曲であろう本曲の演奏をロックの衝動のあらんかぎりの全ての魂を演奏にぶち込んだのだ。もうこれは個人的にドンピシャなパフォーマンスだった!!!!!その時、私の目からは感情の洪水が溢れ出てたんだ(←泣いたってハッキリ言いなさいw)、しかしもうこれってハマらない理由がびた一文たりともなく、このアーティストの全音源を聴き漁り、そして行けるライブには全て行こう、とを決意したまでである。

 

2. Scene1-明石に響く咆哮
そう思い立って早速ライブ日程を調べてみると直近かつ自宅付近では9/08(日)に行われた、兵庫西明石barTRASH2nd明石でのイベントでの出演があるではないか!!!

この日実は九州の実家から帰るのに新神戸で降りる予定だったのだが、敢えて西明石で途中下車し、ライブハウス近くのホテルに宿泊予約すると言うかなり万全な体制で臨んだ。

18:30ぐらいから始まったこのイベント、今回はソロでのアクトで、順番としてはほぼラスト出演の20:20からのスタートだった。で、これまで他の人のアクトの時に真ん前ちょこんと体育座りみたいな体制でじっくり観ている実貴子氏は目撃していたが、人前の出てきたのを観たのは個人的に初めて。

MVやライブ動画認識してたけど、いや、小柄な方だとは思ってたどもう思った以上に小柄で華奢な方なのね、これであのパワフルな声が出るもんなんだ!!とか思ってたらとうとうリハーサルの声出しを始めた。

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もう、完璧だった!!!!ただただ「おおおおーーーー!!!」と声を上げるだけの数十秒、これだけでこの人の実力がわかった。もうそこに歌とか曲とか歌詞とかのないただただ咆哮があったわけだが、もうそう言う楽曲になければならぬそれらなど、心底どうでも良いとすら思わせる「感情と魂のマグマ」が冴え渡ったのだ!その間わずか0.001秒!彼女が第一声を発したこの0.01秒で、一気に何かが目覚め、この瞬間にこのライブ物凄い事になると確信した。

その後の当時のツイートの異常なまでの熱さがそれを物語っている。 

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で、ライブ本編がこちら。もうこの日の全パフォーマンスの凄みは、あーだこーだ言うより、私ネノメタル が撮影したこちらを観て貰えば一目瞭然である。


鈴木実貴子(鈴木実貴子ズ)ソロ@西明石barTRASH2nd 9/8

【セットリスト】
1. 限りない闇
2. 夏をくりかえす 4:54~
3. 明日こそ 11:12~
5. 朝が来る 19:18~
6. ポカリ 24:43~

 

彼女の後ろにいるボブ・マーリーシド・ビシャスのポスターを背後に演奏するのはプレッシャーがかかる。」と冗談まじりに言った後に、一曲目、『限りない闇』の第一声のある種の闘争宣言のような含みのある咆哮にやられ、二曲目の「夏をくりかえす」における夏のあの果てしなく続くうだるような暑さにを称える咆哮にやられ、三曲目『明日こそ』における現状の絶望から何とか希望を見出し咆哮するその姿にやられ、四曲目の世の中の様々な矛盾に抗いながらも自己懺悔に苦しみ咆哮する姿にやられ、五曲目の『朝が来る』で、「海の家の朝」と言うイメージの曲の割には残酷な世界を描き切って咆哮する姿にやられ、六曲目『ポカリ』の「僕は君を守らない」と歌いながらもどこか最後に一筋の光明がさすフレーズ「君以外じゃ守れない」と言う言葉を咆哮するその姿にやられた。まぁここでのGrand Conclusionとしては、とにかく「咆哮」にやられたってことだ!

 

その後、物販にて実際にお二人に話す機会に恵まれたのだが、これが驚くほど気さくな人達だった。ちなみに実貴子氏のライブスタイルは、通常のMCとは別に演奏曲に繋げるややシリアスかつリリカルな攻撃的なMCの後に、曲を始めるスタイルなのだが、そのMCの表情が驚く程シリアスだったので、余り物販では話さないタイプなのかな、とか勝手に思ってたのでこりゃ、ほんと意外だった。二人とも(語弊はあるかもしれんが)最高のアスリートのような良い笑顔でこちらの質問や意見などに返事を返してくれる。*3

あ、そういや、ラスト曲『ポカリ』の前に自分に言い聞かせるようにこんなことを言っていたな。

「正直、物販のCDは買って欲しいです。明日新幹線で帰りたいと言う思いがあります。でも皆さんには、そんなことは関係ない。いいライブをすれば、 CDは売れる。」と。

 

...............そりゃここまで素晴らしいライブ、そりゃ全部買うに決まってるじゃないか!!

てかもう人生初じゃなかろうか、物販にある全てのディスクを制覇したのは。

因みにズさんもその時「えっ?えっ???全部買ってくださるんですか???」って驚いていた(笑)。*4

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 で、お二人には夏のライジングサンロックフェスの初日開催中止と言った現実を突きつけられた後の二人のリアクションに素直に感動したと言う二人の音楽に初めて触れたキッカケの件を無事に伝え、会場を後にしたのだった。

 

3. 鈴木実貴子ズの「あるべき場所」とは?

さて、ライブは終わり、一気に鈴木実貴子ズのディスコグラフィーがソロ、バンドもろとも加わった。もちろん、全てのディスクを拝聴したが、もうかけねなく全アルバムの全ての曲が最高で、もう一気に私の中で第一次文献アーティストへと昇格したのは言うまでもない。

翌日、9/9に帰宅して、全盤をiTunesに取り込んで、聴いた直後に鈴木実貴子ズサウンドのその時の印象では【初期きのこ帝国に顕著だったどこか生活感溢れる歌詞と、かつての橘いずみ(現:榊いずみ)にあった自虐込みの感情のぶちまけ具合が混在した感じ。あと、ハルカトミユキがバンド編成のLIVEで見せるロック衝動を鳴らすなどの要素も十二分にあった】と言うことだ。

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 でも注意して頂きたいのは、それらを総合化して足算の結果生まれたアマルガンでは決してなく、それぞれの要素のコアな要素だけを研ぎ澄ましたかたちで外連味なく抽出されたものであると言う事が大きな違いである。つまりそのどのアーティストにもない【怒りとブルーズの音塊』がこの中に潜んでいるのである。

 ほんと、ここ最近特に昨年あたりから色んなアーティストのライブに行ってるけど決して無節操に増やしてる訳ではない。一度圧倒的な音に出会うとライブに行く価値のないSSWも同時に現れる訳で、その意味で鈴木実貴子ズを知ったのはデカかった。僅か30分のライブでライブレパートリーと定義していたアーティストが、彼女らの出現のために何人ものアーティストの存在意義が抹消されてしまった。もう、彼(女)のライブに行く事は無い。だって鈴木実貴子ズを超える存在では無い限りはこれらを聴く価値は全く無いからだ、要するに私のハードルを上げまくったんだね、彼女らは。

いや、それにしてもなぜ私は鈴木実貴子ズになぜ今の今まで気付けなかったのだろう。自責の念ばかりか、その存在に無頓着な世間の鈍感さにも疑問を隠せないのだ。

この悔し涙に溢れた絶望と怒りのブルーズを生き様と言う名の勲章にまで昇華したロックって僕らがここ10年以上ずっと求めてきたほんまもんのロックンロールのあるべき姿である。

 

そう、あるべき姿、といえば.....

 

 かつて自らの頭にライフル銃をぶっ放したグランジ・アーティスト、ニルヴァーナのボーカル、カート・コバーンも1994年に非業の死を遂げ、また国内でも偶然にも銃(gun)の名の付くガレージ・ロックサイコビリー・パンクバンド(ややこしいわw、もうミッシェル・ガン・エレファントでいいだろw)も2003年に解散して以来、本当に怒りの術を忘れてしまっていたようだ。

  今の世の中、音も歌詞も(スカではなく)文字通りスカスカの口先だけのロック・バンドや、いい歳こいて社会人としてロクなことも喋れもしない厨二病お年寄りロックバンドや、繊細さを売りにしたはいいが単なるTwitterかどっかで拾っただけのメンヘラな歌詞をなぞっただけの自称生き様シンガー・ソングライターや、客をモッシュ風情の全体運動をさせて「ハイハイ、皆んなお上手〜」とかバカ学生のコンパ程度の芸当しかできぬパリピ御用達バンドや、声すらマイクに通して歌うことすらできぬ口パクだけで何の主張もヴィジョンもないコンサバティブなアイドル紛いの自称アーティストなどが蔓延し、日本の音楽業界は90年代のJ-POPS全盛期の頃に比べて(とは言ってもあの頃も別に立派だったわけじゃないが)ますます酷いことになっているではないか。
そうだ、それにしても2000年代に入ってから特に僕らはろくな音楽を聴いていないのだ、いってしまえばこの20年は騙され続けていたもう「失われた20年」と呼称しても良いようなものではないだろうか。

そう、キャバクラと化したライブハウスも繊細自慢のSSW達も全て僕らの敵だったはず。

 だから今「ヤッちゃった」も「殺っちゃった」も同時に歌詞に盛り込んだこの生(or性)も死も綯い交ぜに全てを掻き鳴らす、鈴木実貴子ズの歌を聴き、そしてヤケクソの涙を流すのだ。


アホはくりかえす / 鈴木実貴子ズ

 

さてさて、相変わらずの長さになってしまったが、ここらで一区切り、「鈴木実貴子ズは世界最高のロックンロールをかき鳴らすのか?」当記事はタイトルに前編とあるようにまだまだ続いていく事にしよう。

 次回、後編においては初の二人編成ライブとなった11/17/2019 尼崎TORAでのアクトに重点を置いてさらに検証していきたいと考えている。

 

*1:彼女らのオフィシャルホームページをここに記しておきます。グッズ・ディスコ情報など充実している。

mikikotomikikotomikiko.jimdo.com

*2:てか他に中止に憂き目を見たバンドって誰かこんなリアクションした人っているのかな?

*3:実貴子さんはあの体型のせいもあるかも知れんがマラソン選手っぽいよね、ライブ後の爽快な笑顔とか42.195km走ったランナーそのものって気がする。

*4:そういや私が宿泊しているホテルがライブ会場激近の所で、翌日の実貴子氏のあげてた写真を見て全く同じ所だったと気づくなどw、この話の続きは次回にて。

7つの扉は本当に開いたのか?〜ハルカトミユキの未来への展望を予測する

 

Scene1~11/23以前

オルタナティブ・女性二人組ロックバンドである、ハルカトミユキは5月末にベストアルバムをリリースして以来、それをフィーチャーしたツアーをバンド形態、とoriginという二人形態との二種類のライブを行なってきた。

そして11/23(土)に、それらを集大成とした、7DOORSというホールという規模から鑑みてLIVEというより「コンサート」と称されるものが開催される雰囲気である。

さて、7DOORSの7(seven)とは何を意味するのだろう?

単純に言えばハルカトミユキの総文字数でもあり、1123という数字を全部足せば7文字と色々考えられるだろうが、この時MCの告知では何か大きな今後の彼女らの未来を暗示する何か、爆弾のようなものが投げかけられそうな気がしてならない。

 

 個人的にハルカトミユキというアーティストを5〜6年ほど熱心に支持してきての率直な感想として、常に肩透かしを喰らわされてきた印象も拭えない。いつも何らかの動きがある度に「運命のY字路」に立たされるような意味深みを誘う動きを見せられ、こちらが深読みをしても、終わってみれば実際はそれほど何もなかったようなあの肩透かし感。

結局いつも、でっかい打ち上げ花火のようなムーブメントは起きそうな示唆があるものの、線香花火程度で終わるような、そんな【脱力感】をいつも味わされてきた。

 

ざっとこれまでの動きを振り返って見ると

(1)

2015年の「change」というコンセプトの元、12ヶ月の新曲配信リリースとそれに伴い展開された47都道府県LIFEツアーを展開する。

(2)

更にそんなツアー終盤のさ中にリリースされた全編オリジナル新曲で構成されたLOVELESS/ARTLESSという全音楽業界をひっくり返すべきと言っても過言じゃない新2ndアルバムのリリース。

(3)

その後の原点回帰かと思わせるような「運命前夜」なるツアーから、一変して突如として2017年半ば辺りに、怒りモードの『終わりの始まり』を投下、その後まもなくテロリズム的にリリースされ『LOVELESS〜』を軽く凌駕するほどの全音楽ファンを震撼させて然るべき『溜息の断面図』ドロップアウト

(4)

今思えば『溜息の断面図』を大きくフィーチャーさせようと試みた二人実験ツアー『解体新章』中に披露された、瑞々しいポップミュージックの原点のような『17才』のような楽曲が初のアニメ主題歌タイアップとなり、いよいよすわ大ブレイク下の予感を抱かせる。

(5)

そしてこれは記憶に新しい所だが、初のこれまでの集大成となるベストアルバムのリリースとそのツアーで「17才」以後を意識したセトリ構成で新規ファンを意識する流れを組んだ対バンイベントなども中心に攻め続ける。

 

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で、結局どうなってるんだ?

ホント(1)-(5)の全てのアクションには花火どころかダイナマイト級の大爆発があるような起爆剤的要素が備わってるのにもう可笑しいくらいに、もういつだって不思議なくらいに何も起こらなかったのだ。

 敢えて言えば2016年の『LOVELESS/ARTLESS』リリースイベント辺りがソングライティング的にも世間の盛り上がり的にも1番勢いがなかったのではなかっただろうかと思ったりもするのだが。何せ、結構今見ても写真やラジオなど聴いてもこの頃って2人ともとてもニコニコと楽しそうだったし、リスナー側としても今後、何か起こるであろうという起爆剤となるムーブメントの予感をヒシヒシと感じてたものだ。

だからこそ、この頃個人的に、あまりやらなかったTwitterを始めて色んな側面でこのアーティストと、そして同じような彼女らリスナーと関わろうと思ったのだ。

だからこそ、だ。今回の11/23以後の展開には幾分ヤケクソ半ばで期待の思いや熱狂の思いぶち込めているのだ。

 

こうなりゃ、もうこっちも意地である。

 

でも、今回の11/23の告知以降、何か大きな革命が起こるものとして、どんな動きがあるのか7doorsに因んで7つの予測を掲げてみた。

 

ソニーから去り、レコード会社移籍。

ソニーから去り、新レーベルを立ち上げる。

小林武史的な敏腕プロデュースとともにチームを組む。

❹ 来年4月辺りから海外で、マジもんのワールドツアーに出る。

❺ バンド名変更(遥と美雪とかもう二人女ってのをアピールするやつに変更)

❻ 新たな形態で活動(完全バンドとしてサポートが正式メンバー)

ソニーから去り、新レーベルを立ち上げ、バンド名もHarukaToMiyukiとして新たに来年4月辺りから海外で、マジもんのワールドツアーに出る

(❷と❸と❹と❺の混在系)。

 

 

個人的には❶いや、個人の願望を含め、❷の可能性が高いように思う。何と無くDoorsから連想するに新たな時代の始まりというイメージがある、

あと、大昔エレカシが❸のようなオファーを受けて断ったという逸話からハルミユもそんなことがありかなという安直な発想より。

あと❹、❺は、意外と有りそうな気がするんだな、オフ会でIkutatoさんとよく話すんだけど。

 

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何はともあれ、理想を言えば、もうそろそろ「LIVEハウスは常にソールドでホールツアーがルーティン」になるぐらいの規模にはなって欲しいと思う。大阪だとフェスティバルホールとか、東京だとサンプラザとか音響も客席もゆったりと音楽を楽しめる空間ぐらいで。彼女らだったらもっと凄い光景を見せてくれる筈だ、これは間違いない。

あとついでに本音ぶちまけると、わざわざ東京に遠征に行ったとして、渋谷7thフロア2daysとかはもう個人的にももう飽き飽きしましたですよw、だって2日間とも周りのお客など、知ってる顔ばっかのほぼ同じメンツばっかだもん(爆)。

別にLIVE始まる前にいちいち会う客会う客全てと目が合っても挨拶する必要性などどこにも無い筈なわけでw、集まった先に知ってる顔ばっかりというのは親戚の法事かよって話で、というか法事ですら2daysもやんないよって話でさ。

 

兎にも角にも、明日の7DOORSでの「コンサート」以後、彼女らは何を我々に見せてくれるのだろう、もう期待と不安がやまない。そんなこと言っておきながら拙者は用事があっていくことができないのだ(泣)。

ガンガンコメントなどお願いしますね!!!!!!!!!!

 

Scene2~11/23以後

で、、、、今日11/24(日)無事にライブは終わった、ようだ。

ようだというのは勿論自分は行ってないからであまり、どんなライブだったのか把握してないんだけど(笑)、世間的には「まるで、映画のようだった。」「泣けた、この7年間の活動にありがとう!」などと結構なエモーショナルなトーンでの感動的な感想があったように思える。

だが、行けなかったからこそ思うんだけど、自分の興味の焦点はそこではなかった。

だってハルカトミユキはそういうもんだもん。常に最高値を更新するような音源作りやライブは当たり前のノルマのようなものだから、最高のライブをするに決まっている。

しかも二人組編成では史上最高動員だそうじゃないか、そりゃ最高で感動的なコンサートになるよ。

故に、個人的に期待してたのはジョブズ在籍期のアップルではないが、「One More Thing」を期待していたのだ。

 

結論から言うと、7doorsの7とはコンサートの構成上に使われる7つのパートをドアに擬えたものであると言う意味だけでこれが別に「彼女らの活動の指針としての7つのドア」と言う意味ではなかったのだ。またも深読みしてしまったようだw、これ黙ラジ感想って自分言ってないんだけどダメもとでサラッと聞いてみようか。

それでこのブログ内で予測したあらゆることが全て❶❷❸❹❺❻❼が物の見事にもう、気持ちの良いぐらいに清々しくも外れたわけでもある。

 

そうまたもや我々は、

運命のY字路」に立たされるような意味深みを誘う動きを見せられ、こちらが深読みをしても、終わってみれば実際はそれほど何もなかったようなあの肩透かし感。 

を味わう事になってしまったと言わざるを得ない。

 

だってその代わりに今後の大展開とは程遠い「ファンクラブイベント」の告知と、小規模な範囲で展開されるライブ2本、あと自主企画一本。

まぁ、結論を言えば、現状維持って事だろうか、そういう事だろうね。

 

まさに新曲のタイトルが「Continue」であることが如実に語っているような気もするのだが。。。

 

我々のハルミユ考察も「to be continue」ってことで、、、、w