NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

『恋する小説家』上映イベントレポート~19人目のスペシャルアクターズ、岡本裕輝氏のトークから見える原風景とは?

0.憧れのシネマ・ロサ

もう言うまでもなく連日、個人的に大絶賛して最近では音楽方面のフォロワー各位からも遠ざかっている感のあるここ最近のワタクシの『スペアク』ブームである。もはや音楽アカ含め、そのツイート内容の99%以上は『スペアク』関連、いいね、RTもほぼほぼそっち関連という今日この頃。

そしてやはりこれも連日のように発表されるシネマ・ロサでのイベント情報や、出演者が待ってるだの怒濤のお見送り情報に、最近は嫉妬と羨望と焦燥感とがないまぜになったような気持ち。何と、あろうことか、チクチクと胸が痛んだりするのだ(笑)、もうこれって恋である、何に恋してるのだ?? 多分シネマ・ロサに恋してるのだろう。

 

.......ああ、シネマ・ロサよ、あのスペアクの赤ステッカー貼ってあるドアの入り口はどこにあるの?あの出演者達から囲まれてあのムスビル本部的なとこは一体どこだ?

で、ガゼウスポッドは先々週は大阪に出張してて偶然お目にかけたんだけど、ロサでは一段と素晴らしく見えるんだろうね、ってあれ爆発したんじゃなかったっけ??などなど、もう考えれば考えれるほど、握り拳に爪が刺さり手の中で血が滲んでしまうほどの狂おしさなのである!!!*1

ひょっとして唐突だが、多分これは遠距離恋愛(経験ないんだけど笑)の狂おしさに近いのかな、とか思ったりしてね(爆)?

 今すぐに会えないからこそ思いが募り、いつか行かねば、できれば年内、いや11月以内にでも赴き、出演者の中でもまだお会いしていないorしたい方々に「いや〜お忙しい中、いいね、RTなど有難うございます!ワタクシ、twitterで結構クドイ文体でツイートしておりますネノメタル でございます!」とTwitterアイコンを名刺のようにお見せしたいものだ。

にしても、それ見て認知されてるだろうかね、ここじゃ言わんが、あの人とあの人とあの人くらいは「あっ!あなたでしたか?」と認知して頂いてる謎の自信があるんだけどね、、、w

 

1.大阪でイベントですと!??

まあ、それはさておき、この日前の週の水曜日ぐらいだったと思うが、上田慎一郎監督のツイートで「大阪の方是非!」とコメント付きでこんなイベントの情報を目にしたのだ!

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......『恋する小説家』。確かにこの作品には色々と思い当たる節はあった。

本作品は昨年か今年頭に予告編か何かでチラッと見たことあって『カメラを止めるな!』にてヒロインで出演していた秋山ゆずきさんが、当時女子高校時代にまさに高校生役で出演していたことからも何と無くこの写真は認識してたし、更に『スペシャルアクターズ』でも登場人物たちが映画を観覧してわざとらしくサクラ役として笑うシーンで、そのスクリーンでこの作品がチラッと写っていたという記憶もあったからこの「恋する小説家」には少なからず関心があったのだ。

ということでこの作品は未見だし、その日は日曜日だし、ってことで行ってみることにしましたとさ٩( 'ω' )

で、ここがワイルドバンチってところです。 *2

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...ちなみにワイルドバンチってとこは初めて行ったが、入り口から企画情報やこれまでの映画のチラシが一面に飾られていたほんと素晴らしい映画好きのオアシス的な所であった。

入り口で『スペシャルアクターズ』ポスターが結構デカデカと飾られてたのが印象的で、内部も映画、音楽、小説を中心とした古本やパンフレットなどが沢山売られてて、それを読みながら昼はカフェ、夜はバーなどで飲食できるのだ。とはいえ、雑然としたぎゅうぎゅう詰めの状態にしてるんじゃなくて椅子なども結構あって気軽にお茶やアルコールなどもサラッと飲見ながら読書などができる環境で、映画や読者好きには時を忘れるようなうってつけの空間なのだ。

 全体的に中でかかっているBGMも結構バラバラで『誰もがアクター』も殊更に今日のイベントに合わせてわざとらしくかけてってんじゃなくて自然に『スワロウテイル』主題歌あたりと共存して、かかっていたのもすごく印象的だった*3 あと物販に上田慎一郎監督書籍・DVDコーナーみたいになってて、各プレス誌に送ったであろう彼の『スペシャルアクターズ』の紹介文などの非売品の数々もファイルされてたし、上田慎一郎監督の作品がこのカフェ兼バーのワイルドバンチにて自然と共存してる感じがとても良かった。*4

まぁ、上映までに1時間以上時間もあるし、ビールも一杯飲んで、我がテンションはかなり上がって『花とアリス』のリーフレット的なやつ(多分非売品)とジャズの名盤紹介本とそれと『ドーナツの穴の向こう側』(上田監督の印鑑とサイン入り)をまだ購入していなかったのでそちらも購入。その時には帰り際にさらに勢い余ってDVD『上田慎一郎ショートムービーコレクション』を購入する事になろうとは予測だにしていなかった(当たり前じゃw)

 

 2.そして上映は始まる

で、今回初めて観た『恋する小説家』 

荒筋はざっとこんな感じである。

 

恋人にも愛想尽かされつつある売れないミステリー小説家の岩佐辰夫が、設定やアイディアに煮詰まっていたそんなある日、インターフォンがしつこく鳴る。仕方なしにそのドアを開けると見知らぬ女子高生の姿が....彼女の名は南川奈緒

それはなんと、彼が現在執筆中の主人公と同姓同名だった!

そんなことがあって以来、他の小説の個性的な登場人物も次々にやって来て、誰もが口々に小説内容へのダメ出しを始める...

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というストーリーで、どうにも、この突如として主人公の目の前に現れた夢か現実か分からないこの仮想世界(Virtual World)のような世界で、そんな世界に対峙することを余儀なくさせられる彼の姿は 『スペシャルアクターズ』 大野和人とどうにもシンクロするのだが。その辺の細かい分析はまたいずれ考察してみたいな。 

そんなことを思いながらも、映画も無事上映が終了し、明かりもついた後、本作品中で血まみれのシャツを着た(写真左)被害者・根本さん役を演じた岡本裕輝さんが登場した。

 

3. 被害者・根本明は語る

そう、彼はあの映画のままの【被害者、根本明】の姿でやって来た!

話聞けば、撮影時のではなく、舞台挨拶専用らしき血まみれシャツで、しかも裏返ったあの声の調子で喋り出した時、会場ではどよめきにも似た笑いが起こる。おお、彼はこのままのトーンでしゃべり続けるられるのだろうか、と心配をしていたらそれは、本人的にも「喋りづらい」というごくごくシンプルな理由で(当たり前かw)、普通のトーンで喋りだすと、実際は腰の丁寧な穏やかな紳士という雰囲気の方だった。「僕は喋りがあまり得意じゃないのでこう言うものを用意させていただきます。」と、この日のために用意したであろうスケッチブックをおもむろに取り出して、「撮影中止事件」と「ゆずゆずドキッ!?事件」という主に二つのエピソードを語り始めた。

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【エピソード❶「撮影中止事件」

まさに、タイトル通り撮影が中止されかけた、と言うエピソードである。

そもそもはこの話は主人公の家が中心で起こるために撮影のロケ地自体、普通のマンションの部屋を中心に行われたという。

さあ想像してみよう。その一人暮らしの部屋の男の一室の中に居る小説の登場人物たちの姿を。

❶制服を着た女子高生、❷革ジャンと変に髪を追ったてた犯罪者風の男、そしてもうこれは極め付けと言ってもいいであろう❸血塗れのシャツを着た岡本氏達が、休憩中などに交互に外でうろうろしている姿を。近隣住民からすると、もうそれだけで大事件である。女子高生時代の秋山ゆずきさん*5は当時それよりももっと若く見え、華奢だったであろうから、女子中学生か何かの監禁事件の疑いを持った住民もいたらしい。

とにかく誰がどう見てもただものじゃない❶〜❸(+α)の連中がマンション付近をうろうろしてるものだから、ある住民がそのマンションの管理人に通報したらしくて、結果当然管理人は激怒する羽目になり、一定期間は撮影中止状態になってしまったのだ。

 

その後、上田慎一郎とふくだみゆき夫婦は菓子折などを持って管理人のところに謝罪に行ったりして、何とか次第に打ち解け、そんな彼ら夫婦の人柄のよさなども相まって、何とか撮影強制終了、警察に通報される、という最悪の事態は免れ、撮影は続行して『恋する小説家』は完成したのだそう。

ちなみに岡本氏の血塗れシャツはマンション外に出るといろんな意味で誤解を生むので冬用のロングコートを着ての移動だったという、てか真夏にそれって逆に目立ちまくる気がするんだけどw

つくづくこういう撮影裏エピソードすらももはや上田監督作品の一部のようである。

 

しかし、こう言ったエピソードを踏まえるとこの予告編も非常に味わい深いものがある(笑)


短編映画「恋する小説家」予告編/Short Film"Dreaming novelist" Trailer

 

以上が「撮影中止事件」の全貌である。

 

【エピソード❷ゆずゆドキッ!?事件」】

さて、お待たせしましたw、ここはちょっと尺を取って事の詳細を申し上げます!

そもそもことの発端は出演者である秋山ゆずきさんはブログで共演時の二人の2ショットの写真をあげたことから始まる。そのブログ内でゆずきさんは最後の一文を「岡本さんだーいすきーっ!!!」というアツい告白で締め括ったということから始まる。

 

それで、なんと驚くべきことに岡本さんはその最後の文を見て「えっ?えっ??ひょっとしてこれって本気なのか?じゃなくても一体どういう意図で大好きって書いたのだろうか?」と思ったのだという。それで翌日の撮影中もずっとわだかまりのように「昨日、ブログに【だーいすき!】って書いてたよね?あれはいったいどういう意味だったの?」とかその意図を聞こうにも聞こうにも、何度か勇気を振り絞ってチャンスを伺ったが、結局それは敵わず、映画の撮影自体が終わってしまったのだと言う。

 

.....そしてその思いをずっと胸に残したまま、3年の時が経つ。

 

なんと、2014年の夏、岡本裕輝は秋山ゆずきと運命の再会を果たすことになるのだ。

そう、『恋する小説家』が今度は舞台として陽の目を見る事になったのだ!


モラパン 『恋する小説家』絶賛上映中

 

当然その時にも二人は同じ役でキャスティングされ、岡本氏はゆずき氏と3年後の再会を果たす。そうしてあの時の意図を、もう一度勇気を持って聞こうとするが、不意打ちを喰らうことに。

ゆずき氏から更に波紋を呼びそうな以下の挨拶が解き放たれたのだ。

 

ゆずき「岡本さん、久しぶりなんだけど、全っ然、時間が経ったような感じがしませんよね〜♡!!!もうず〜っと一緒にいたような感じ。

と言われ、事もあろうに岡本氏はまたもやドキッとしてしまうのだ!

そして稽古など本番などを含む舞台公演中もずっとあのブログの真意についてまたもや聞けずじまいになってしまったのだ。

 

 

.......しかし再びチャンスは訪れる。

 

 

そう、2018年夏、「カメラを止めるな!」の空前の大ブレイクである。あのブレイク以後、上田慎一郎監督の奇才・天才ぶりに世間は気づき始め、過去の映像作品も次々と陽の目を見始めたのだ。当然『恋する小説家』もその例外でなく池袋シネマ・ロサでの映画館での上映が決定した。

となると、出演者による舞台挨拶も当然ついてくる訳で、またもや岡本氏は運命の悪戯のようにゆずき氏に出会うチャンスを得てしまったと言うわけで(笑)。

映画から7年、舞台から4年を経て、またまたあの時の意図を聞くチャンスが彼にまたまた巡って来てしまったのだ。

 

そこで、岡本氏はある重要な事実に気づく。

 

「そうか!素の状態で聞こうとするから照れるのであって、舞台挨拶の時にでも舞台上で聞いてしまえば開き直ってなんでも聞ける。」のではないかと。

そうなればこっちのもので、舞台挨拶の前に楽屋でゆずき氏に「今日、舞台で隠し球投げるから覚悟しといてね!」と予告したのだと言う。

 

ゆずき「ええーー楽しみ!!!私そう言う隠し球みたいなの大好きなんです!!打ち返しますよ!!」 

 

さて、その時はやって来た!

 

岡本「『恋する〜』の撮影の時、ゆずきさんはそのブログで「岡本さんだーいすきーっ!!!」って書いたでしょ?あれは一体どういう意図だったの?」

 

ゆずき「え?私、そんなこと書きましたっけ?でも岡本さんのことはず〜〜〜〜っと大好きですよ❣️!!!

 

 

............................ここで重要なのは「ゆずゆずドキっ!?」事件で撮影時(2011)から、3年後の再会時(2014)、そしてカメ止めブレイク時の舞台挨拶時(2018)の7年間を経ても終始ドキッとしっぱなしだったのはあくまで岡本裕輝氏であってゆずゆずは尚一切ドキッともビクッともしていないと言う事である

しかしまぁ、なんと魔性の女、ゆずゆずだろうかw

 

だから今回の結論として、

ゆずゆずドキっ事件!?」

を省略せずに、詳細に述べれば

(魔性の女である)ゆずゆ(こと秋山ゆずきに出会うたびに何かと)ドキっ(とさせられてきたある意味、その魔性のトリックの被害者である根本明を演じた岡本裕輝)事件!?という事になる。*6

 

4. 岡本裕輝、上田慎一郎をアツアツに語る

...という訳で思いもよらぬスケッチブック「2部構成」という形でトークは終わるかに見えたが、岡本氏は「最後に...」と上田慎一郎監督と作品について熱く語り始めた。
以下、彼が語った事を自分の言葉に置き換えつつ述べたい。

 

本当に今回の『恋する小説家』がこうして改めてスポットライトを浴びる事になったのは確かに『カメラを止めるな』の一大ブレイクの賜物でもあるだろう。
 あのブレイクがあったからこそ『恋する小説家』を含む他の作品群も『上田慎一郎ショートムービーコレクション』とDVD作品としてリリースされ、多くの人の目に彼の初期作品が触れる事になったのだ。でも、おそらく理由はそれだけではあるまい。『恋する小説家』以前に発表された『お米とおっぱい』という作品が全く脚光どころか注目すら浴びることがなく、物凄く悔しい思いをしたその苦い経験も『恋する小説家』、果ては『カメラを止めるな!』へと大きく繋がっているのだ。

そして岡本氏はこう続けた。

上田慎一郎は『恋する小説家』の台本読み合わせか何かで全てのキャストを集めて以下のように問いかけたと言う。

 

「皆さんには夢はありますか?何かをしてやろうという夢はありますか?夢は何もしない事には決して実現しないのです。一緒に夢を叶えましょう!」

 

この部分を語り出した時、ふと、岡本氏の声が少し高くなった、と言うか、少しうわずったように感じた。でもそれは別に気のせいではなかった。

 

「僕は上田君のこのエピソードを語り出すともう、ダメなんです。」

 

と言って熱い感情の洪水が涙腺から溢れ出るのを抑えながら、時に肩を震わせて語り続け、上田君は本当に素晴らしい映画監督です、と言い切るのが精一杯の様子だった。

 

....って書いてるがこの辺りの記憶は正直あまり鮮明では無い(笑)。

 

何せこれまでのゆずゆず事件やら血塗れシャツ事件やらのエピソードで全般的に笑い溢れるこのトーク中、ここに来てあわや、もらい泣きするかってぐらいこちらもひどく感動する事になろうとは思わなかったからだ。

 

先の上田監督の夢のくだりを聞いて、『恋する小説家』の中にこんなやり取りがあった事を思い出す。

 

岩佐辰夫「またどうにもなんなかったらどうすんだよ?」

南川奈緒「どうにもなんなくたっていいじゃん!なんにもなんなくたっていいじゃん!そんなことにビビってやめんだったら夢とか言うな!」

 

まさにこのセリフのエッセンスと何のずれる事なく全く一致しておりそのものズバリを言っている。まさにこれが上田慎一郎作品を支える原動力なのだろう。

別の言い方をすると「夢への渇望とそれを叶える原動力。」まさにこのセリフの中に全ての上田慎一郎作品にある核(コア)が潜んでいると思う。
 

でもこういう「夢」のやり取りって『カメラを止めるな!』でも『スペシャルアクターズ』でも全キャストを集めて行われたなのだろうなとは容易に想像できる。

最後は、

「根本は“さようなら”と言うのが苦手です。なので…

『恋する小説家』この映画は3度始まる!
皆様が主演の物語で、またお会いしましょう!」

という希望の言葉でこのトークは締めくくられた。

 

 

5.エピローグ

上映会、トークなど全てが終了した後、20分ほどだろうか、岡本さんと直接お話できる機会を頂いた。

そこでお話しした事で印象に残ったのは『恋する小説家』は『カメラを止めるな!』以上にむしろ『スペシャルアクターズ』の方が共通するヴァイブを持っていると言う事である。

 

 どちらの作品も主人公はうだつの上がらない毎日を過ごしている。

方や恋人に愛想尽かされながらも、実家に見栄を貼りながらも、毎日明太子ご飯をまぜまぜしながらも生きている小説家の卵、もう一方は緊張し過ぎて気絶してしまう変なクセを持ちながらも役者オーディションを繰り返す役者の卵と、どこか二人の境遇がオーバーラップすることに気づく。

 だけれども、ここで重要なのは、2人は決して「生きること」を諦めようとしていない点である。何度も挫折を味わっているから、少し夢に対して億劫になってしまうことはあるが、岩佐辰夫にも大野和人にも共通しているのは、なんとか必死に生きようともがき苦しむその姿であり、何よりもそこにリアリティを感じ、心打たれるのだ。

 両作品共々、まさに何度でも何度でも失敗してある種精神的にズダぼろ状態になりかけるんだけど、やがて目の前の夢に向かおうとする物語である。

そうした意味で、両作品とも希望の物語である事には違いない。

ちなみに私は『恋する小説家』も『スペシャルアクターズ』も3回観ているのだが、その時の心の原風景は驚くほどに以下の点で共通している。

 

❶一度作品を観た後で、2回目を観る。

❷もう一度観ると映画の風景が徐々に変わってくる。

❸そして、全てのセリフの持つ意味までもが変わってくる。

❹そしてもう一度、3回目を観る。

❺更に映画の風景や背景までもが変わってくるのが分かる。

❻そして、全てのセリフの持つ意味までもさらに深くなってくる。

❼やがて、全てのセリフの意味が自分自身に降りかかってくる。


そして三度目にして、その映画の全ての風景と全てのセリフが登場人物のものだけではなくどこでもない自己に向けられていくのを感じてくる。そう、この映画の主人公は決してエンドクレジットに記された演じているその役者だけではないという衝撃の事実を知る。これらの映画の主人公は紛れもなく自分なのだ。

 

そう、3度目からやっと自分の中で真の意味での映画が始まったのだ。まさにそれはその作品が人生の一ページに色濃く刻まれた瞬間なのだろう。

 

スペシャルアクターズ』を観た時に以前のブログ記事にて「【一つの作品の中で二度始まる】のが『カメラを止めるな!』だとしたら本『スペシャルアクターズ』は「二度目からもまたはじまる」」作品である、と一応の決着を試みたが、岡本裕輝氏の言葉を借りて、上記の一部を消しゴムの残骸と化し、以下のように訂正したい。

 

「『スペシャルアクターズ』も『恋する小説家』も、それを含めたあらゆる素晴らしい映画作品は、1度や2度観ただけでは終わる事はない。3度観た時にこそようやくその物語は見た者の心に芽吹き始める。そこからが本当のスタートだ。だから、決して席を立ってはいけない。良い映画は、三度始まるのだから。」  

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【付記】

そう言えば元The BeatlesメンバーのJohn Lennonが、まさに岡本裕輝さんのトークで触れた上田慎一郎監督が語った「夢の定義」にピッタリな名言を残している。

その彼の言葉でこの長い長い計8507文字のブログを締めくくろう。

 

 

 

A dream you dream alone is only a dream.

A dream we dream together is a reality.

 

ー1人で見る夢は単なる夢に過ぎない だけど皆で見る夢は現実になるー

 

Jonn Lennon(1940-1980)

 

*1:中島みゆき『ファイト!』の歌詞をふと思い出す

*2:

www.cinepre.biz

*3:そういや『スワロウテイル』と『スペアク』ってすごく愛通ずる部分あるんだよね。登場人物が押し並べて魅力的って言う点で特に。

*4:トイレもポスターやグッズあったりで広くて結構凝ってたな、写真撮ればよかったんだけどトイレだからねえ😅

*5:当時彼女は橋本柚稀の芸名だったが便宜上こちらで通します。

*6:後で分かったのだが、このエピソード披露する際、更にスリリングだったのは何とこの日岡本氏の奥様が後ろで座って見てたことだw いや、女性客がいるなとは思ってたんだがまさかの奥さん、この話一体どういう気持ちで聞いてたんじゃろかねw

QBB(久住昌之& 久住卓也)著『#古本屋台』review!

 

本著は「一杯100円の芋焼酎のお湯割りを出してくれる、とある古本屋台」を舞台に、そこで切り盛りする謎の親父店主とそこに通う常連客達とのホンワカしたやり取りである。

....とまあこのように文字に起こしてみても、過去に映像化されたゲキ渋の人気漫画「深夜食堂」、さらにこの本の著者の一人である久住昌之氏の代表作といっても過言ではないあの「孤独のグルメ」をもはるかに凌駕するような、「超」が5つつくぐらいつくような激シブな設定である。

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あの「孤独のグルメ」(ドラマ・原作漫画両方含めて)がどちらかといえば、主に、関東圏を中心として和・洋・中・その他と様々な美味いものを食す井之頭五郎の孤独かつ好奇心あふれるグルメ紀行を通じて、その街の活気や人情をどこかフワッと映し出してくれるのに対して、この作品におけるこの謎なぶっきらぼうな屋台の親父さんは時に、やたら写真を撮りたがるインスタ映え好きの女子、紙媒体の温かみからは程遠い昨今の電子書籍などの端末、妙に細かい所に固執するメンヘラ気味の若者をバッサリ断罪することもあり、そこから垣間見えるある種の『キレ味』を隠し持っていて、それによって我々が忘れていた大切な何かをフワッと想起させてくれるのが大きな違いと言うべきか。

で、その基本思想の根底にあるのは「煙草をふかして酒でも少し飲んであとは寝転がって好きな本を読んで眠っちまえりゃあとはナンもいらんよ。」という親父さんならではの人生観そのものである。

ホント電子書籍派の私でも今回はそれだけは猛反対するぐらいの、手元に置きたい一冊だよなあ、とか思ってたらアレよアレよと言う間に第2刷そして8/14(火)の久住氏ご本人のツイートによればなんと第3刷が決定したという、、、そうか、誰もがこの古本屋台の常連になりたいと思っているのだろう。

我々日本人が忘れてしまった何かを取り戻すために。

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なんと来るべきドラマ化より先にもうpvと言うものが既に存在しているのだ!


『古本屋台』PV

で、こちらが彼が率いるThe Screentonesのライブバージョン!


TheScreenTones『古本屋台』

久住昌之さんが2019年の4月に行われたトークショーでこういう名言を残している。この言葉で本レビューを締めくくろう。

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 最近食べログ等で【お客様は神様】トーンで偉そうに評価する奴がいるがそう思うなら行かなきゃ良い。
店はそれぞれが独立国家なのだ。
だからある程度その国のルールに従い自分に合う、合わない店を判断せよ。失敗を重ねてこそ自分にとっての【故郷(くに)】が見つかる」

 そうだ「お客様は神様だ。」という考えは客商売する人たちの間では長い間息づいていて、それは完全に否定されるべきではない、という意見は間違いないとは思う。

だが、忘れてはならないのは「お店にも神様はいる。」という確固とした事実である。

 

その時『世界』が鳴り響いた〜キャラメルボックス 「時をかける少女」とハルカトミユキ を結ぶものとは

0.はじめに*1

私がキャラメルボックス観劇の際に必ず行うことは「トーク&フォトブックの購入」である。ここ10年くらい年2回~3回程キャラメルボックスの演劇を観劇しているのでもうかれこれ30冊ほどコレクションしている。その理由は劇が始まるまでのちょっとした時間潰しができることと、観劇記念に形(お土産のようなもの)として残しておきたい、というシンプルな思いからである。今回も例外なく当演目のトーク&フォトブックを購入し、劇場の座席に座り、ふと本の背表紙を見るとa girl who leaps through time という英語表 記に気付く。ああ、これが「時をかける少女」の英訳なのかと思って「時をかける」の「かける」に相当するleapという動詞にはどういう意味があるのだろうと思い電子辞書を引い てみることにした。するとそこには「躍進する、ジャンプする」など、前へ向かって飛躍 的に前進する語義が元になっている事が分かる。
さらに次のページをめくると「未来が待 ちきれなくて走り出してた。」というセンテンスが飛び込む。
そうか、これがこの物語の本質なんだなと思うと同時に、快活な少女が時を飛び越え、未来へ向かってジャンプする細田監督のアニメのヴィジュアルイメージがぱっと浮かんだ。そのような事を考えているうちに、上演が開始され、劇中ではleapは動詞というより、time leapという表現で名詞として使われることを知る。そしてあの劇中何度も繰り返さ れるあの圧倒的なtime leap演出で、そして何度もそれを目撃することで、もはやtime leapをその場で体験しているようだった。

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1. TIME LEAPって何??
 ところが、私の中でふとある一つの疑問が浮かびあがってきた。それは主人公まなつがtime leapによって行く方向が本来leapという表 現の持つニュアンスと噛み合わないのではないかという疑問である。なぜならまなつが行く方向は時間単位であろうと日数単位であろうと全て過去であり、その過去というある種時間軸としては後ろに向かうような気がしたからだ。さらにその証拠としてleapという表 現はあくまで前向きに跳躍するという意味がありforward(前へ)などの前置詞と共起することが多い。

 以上の理由からたとえ1分先、1秒先であっても未来という前向きな時間軸 に向かって行く場合にのみtime leapという表現が使用されるのが自然で、過去に戻る時 にはleapを用いるのは不自然なのではないか、という結論に至ったのだ。(あえてこの場合はtime turning back、time-going backという表現の方が適切なのではないかと捻くれた事も考えてしまった。役者さん達は台詞として極めていいにくそうだが...)

 ただ、ここで誤解しないで頂きたいのはその一点だけがふわりと疑問に感じたのであって決して「面白くない劇だ。」と思っていたわけではない。何よりも主人公演じる木村玲衣の、単に清純なありきたりのヒロインではなく「time leap使えちゃうんだよーへっへー😄 」みたいな少々茶目っ気のあるけどどこか憎めないこのキャラクターが魅力的でとにかく観ていて心地よくて仕方なかった。
 あとこれはキャスト構成なのか、演出によるもの なのか分からないのだけれど今回特に全体的に演劇独特のやや不自然ともとれる言い回しや設定がなく、実に自然かつ素直に物語に感情移入する事ができた。もはや本劇は私にとって「時空を超える少女のSF物語の舞台。」という枠を超えたリアルな人間ドラマとして成立していた。だからこそ先の疑問のみがふわりと浮かび上がっていたのかもしれない。

 

2. まなつが「世界」を駆け抜けた!
そんな疑問を抱えたままいよいよ舞台は感動的な記憶消しのシーンを経てクライマックスへと進行していく。
そして、最後のまなつのとあるセリフを聞いたまさにその時、私はハッとある重要な事実に気付いてしまった。
 
 ああ、この瞬間か!
 
 この時か!!
 
 今か!!!

そう、今まさにこの瞬間にこそようやくまなつは真の意味でのtime leapという特殊技を取得できたのだ!!!
これまで幾度もなく彼女が過去へと時間軸を超えてきたいわゆるtime leapというものは私の予測通り真の意味でのtime leapではなかったのだ。
 
 

そう、まさにこれこそが「時空 を超えたtime leap forwardの達成」の瞬間!
 
 

   あるいは「未来が待ちきれなくて走り出してた」瞬間!!
 
 
 まさにこれが。。。「時をかける少女」!!!
 

全ての疑問符が感嘆符に変わり、興奮醒めやらぬ私の気持ちに対してさらに追い打ちをかけるように、エンディング曲として鳴らされたハルカトミユキの『世界』の歌詞の冒頭部分がストレートに耳に飛び込んでくる。
    
   

            君に甘えてた 全部だめにした 好き勝手夜を かき回して
    まだまだ大丈夫と言って いつまで子供のつもりでいたんだ  

     (ハルカトミユキ『世界』より)

この歌詞の「好き勝手夜をかき回して」の部分は劇中では過去へのtime leapと符合する。 さらに「いつまで子供のつもりでいたんだ」の部分はこの場合のtime leapにはまなつが 「少女から大人への心の成長」を遂げたという解釈が可能であることをも示唆する
何よりも今私の中で大好きな演劇集団と、一押しのアーティストとが共鳴しあって、コラボレーションするようなその瞬間は私の中では最高のハッピー・エンディングだった。

 

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3. 時を「かけた」少女
 この観劇の二日後、京都のとあるカフェで行われたハルカトミユキのアコースティック ライブに参加した。
そのライブの前日(私が観劇した翌日)、ハルカ氏がスケジュール上の 都合で「『時をかける少女』を観にいけない、残念!」とのツイートを目にしていたので、 ライブ後お話できる機会がもしあったら(お節介ながら大エンディング曲記念に)「トーク &フォトブック」を手渡し、いかにその時「世界」が鳴らされたか、と伝えようと考えていた。その直前に電車の中でふとフォトブックの背表紙をふと見るとa girl who leapt through time と、leapが実は過去形だったことに気付く。
 
 あれ???これじゃ、「時をかける少女」ではなく「時をかけた」になってしまうのでは...いや、いいのだ、少女まなつは2015年8月21日木曜日午後9:00頃サンケイホールブリーゼにて、本当に時を駆け抜け、その時約2000人ほどいた観客である私たちもそのtime leapの瞬間を目撃かつ体験できたのだから。

 

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*1:本レビューは2015年8月21 日木曜日実際にこの演目『時をかける少女』を観劇した時に書き溜めていた感想である。
ただし、セリフの重要な部分&クライマックスの重要なシーンに関する描写は省略している。

ハルカトミユキ『LOVELESS/ARTLESS』ディスクレビュー!

0. とりあえず『LOVELESS/ARTLESS』!

2017年6月28日より、3rdフルアルバム『溜息の断面図』が絶賛リリース中の彼女らであるが*1このアルバムはその僅か約十ヶ月前にリリースされた2nd フルアルバムである。あくまで個人的な意見であるが、本アルバムの方が『溜息〜』に比べるとトータルタイムが短い(37分)こともあってさらに曲順がすっきりとコンパクトにまとまっており、途中ドラマティックな展開もあってなかなかにして飽きさせない構成になっている。しかも『奇跡を祈ることはもうしない』『Drag&Hug』『光れ』などのシングルチャート上位に食い込んでも不思議ではないようなキャッチーかつドラマティックなライブ映えする曲が随所に満遍なく散りばめられているため、彼女らの楽曲に初めて触れるハルミユ初心者には、まずはこちらを聞いていただきたくお勧めしている次第である。
 本レビューではそんな珠玉の名曲揃いの『LOVELESS/ARTLESS』に関して、主に初めてこのアルバムを手に取った時の気持ちを思い出しつつも、なぜこのアルバムは未だに何度も何度もリピート、いやループ再生してしまうのか、その巧みな曲順とそのループ性を中心に述べたいと考えている。

 

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1. 『LOVELESS/ARTLESS』その限りなきループ性

 本アルバムは2016年の8/16(火)にフライングゲットした。最初にパソコン取り込んで表示されるそのトータルタイムを見た時正直「え、37分?結構短くない?」と多少不満に思ったものだ。それならアルバムに入ってない他の配信曲等を足して60分以上ぐらいにしてくれたらもっとアルバムを楽しめるのに、と思ったからである。
 しかしながらそれは大きな間違いだった。というのも1曲目「光れ」から始まり、ラスト曲「夜明けの月」まで全曲1回リスニングすることではこのアルバムは終わらないのだ、いやむしろ完結してくれないとでも言おうか。何せ「夜明けの月」のラスト文は「今会いに行くよ」と言い残し、「光れ」の最初の文で「早すぎる電車に乗って」となっているため明らかにこの歌の登場人物の時間軸は「夜明けの月(が先)→光れ(が後)」となるのだ。最後の曲の次に最初の曲が 追いかけてくる不思議な現象。またサウンド面にも上記の連続性が見られるような気がする。具体的に「光れ→奇跡→...踊れ→…永遠→夜明け→光れ→…踊れ→夜明け→光れ…」という感じでどうにも止まることはなく、アルバム38分を一度聞いて終わりというわけにはいかないのだ。そう考え出すと最後、永遠の無限ループから抜け出せなくなるのだ。

*2

よくよく考えるとこのアルバムの全体の流れは「光れ=朝早い時間」「見る前に踊れ=午前0時の深夜」「夜明けの月=まさに夜明け」という風に人間が生活していく中での、1日の流れのように展開していて、1日が終わり、また次の日が来る、そしてまた次の日が、という風に連続循環していくようにアルバムを聴いてしまうのは当然の流れであるように思える。更に言えばこの曲順自体に「生活→人生→生命」という自然における連続循環システム(life)が内包されており、このアルバムにこそある意味「LIFE」と名付けられる要素が存在しているのではないかとも。
(ちなみにその理由で当時の47都道府県LIFEツアー後半ツアータイトル曲である「LIFE」が演奏されなくなったのかなというのは妄想的憶測だけど。)

 

2. 『LOVELESS/ARTLESS』に存在する "愛とアート"
これまでミュージック史上最強の無限ループアルバム『LOVELESS/ARTLESS』に関して色々と分析してきたが本章では、ハルカトミユキの音楽は今後どのようなものになるのかアルバム文脈 で考察することで今後のハルカトミユキというアーティストの展望を予測したい。
 本アルバムリリース当時私ネノメタルも出来うる限りお二人の出演するラジオ、雑誌 等の様々な媒体に触れることによってインタビュー、メッセージに触れ、よりアルバムの本質に近づこうとしてきたが、その結果、やはりどの媒体でも一貫して述べられてきたハルカさんの 「"less=欠けている"私たちから、同じく"less=欠けている"あなたたちが必要としている音楽を作って演奏していきたい。」というコメントが非常に印象に残ったものだ。確かにこのアルバム『LOVELESS/ARTLESS』の楽曲群にあるのは様々なネガティビティ溢れるless達。
前に進もうとしているのだけれど未だ触れられない「光れ」、愛への希求心を持ちつつも どこかネガティヴな感情を引きづってしまう「Drag&Hug」、主人公が君の足元照らす月の光になろうと決意するもその人の未だ傷の痛みが消えない「夜明けの月」など全ての楽曲群においてどこかポジティビティだけでは終わらないネガティヴな側面が必ず伴ってくる。
 しかし、ここではそんなネガティヴ性とは逆の視点で考えよう。これらの欠けている(less)の数は タイトルではLovelessArtlessと2回出てくる。また楽曲全てにlessがあると考えると出てく るlessの数は10個。総計するとこのアルバムには計12個ものlessが内包されることになる。

ということは、このアルバムは歴史的名盤たり得る何か(something)重要な要素{がない(1)ことがない(2)ことがない(3)ことがない(4)がない(5)ことがない(6)ことがない(7)ことがな い(8))がない(9)ことがない(10)ことがない(11)ことがない(12)。}ことは否定できないのだ。前文{}内のlessを数えると合計12もの「ない(less)」が存在する。「~でないことはない」という 「二重否定」は「~であるという肯定の意味」と解釈するとこの「十二重否定」も当然肯定と解釈され、やはりこのアルバムは何か(something)重要な要素を肯定するのだと断言できる。

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3. 『LOVELESS/ARTLESS』の世界観
以下が本アルバムの世界観を構成化したものである。

🌛 『LOVELESS/ARTLESS』🌜 の構成 

(1) 今はまだ/触れられない「光」を
(2) 引きずりつつ/愛溢れる温かい「hug」で
(3) やがて/愛を知ることのできる「奇跡」や
(4) 愛の存在を/問いかけようとする「愛しい人」が
(5) 常に/携えておくべき「belief」は
(6) 少年少女が/手にする自分たちだけの「パラダイム」、
(7) 運命を/変えるための「ユートピア」の
(8) Y字路で/決心した大事な「約束」を
(9)「I」を導く/一瞬の光を教えてくれた「you」こそが
(10) 瞬間に/君の足元を照らす夜明けの月の「光 」

 

(1)-(10)の「」は、各楽曲のキーワードを示唆し、/で区切った左半分の句は縦読みすると一文 として解釈可能である。

 

Pattern1(left side)

今はまだー引きずりつつやがて愛の存在をー常にー少年少女がー運命をーY字路で「I」を導くー瞬間に

 

Pattern2 (Right Side)

触れられない「光」を愛溢れる温かい「hug」で愛を知ることのできる「奇跡」や
ー問いかけようとする「愛しい人」が携えておくべき「belief」は手にする自分たちだけの「パラダイム」ー変えるための「ユートピア」の決心した大事な「約束」を
一瞬の光を教えてくれた「you」こそが君の足元を照らす夜明けの月の「光 」

 

さらに(1)-(10)は全てless要素が存在しつつも全体として肯定的ニュアンス が感じられる。ゆえにこのアルバムを聴いた我々は、全曲から滲み出る光に触れた瞬間にそれぞれのLove&Artを取り戻す(bring back to life)ことができるのだ。よってこの『LOVELESS/ARTLESS』という歴史的名盤は「2016年の夏」の代名詞であるとともに、今現在のハルカトミユキをリアルに表現したRe-albumだ、と結論づけることでこの「狂いたいけど、狂えない、狂ってしまえない(なんじゃそらw)」この長いアルバム考察レビューを締めくくりたい。
あ、realといえば偶然L/A+ ER(比較級lessの反対)=LAER→で、これを反転するとREALとなるってのは偶然の一致だろうか?

では最後に、            

                      

ハルカトミユキよ
            
             
                       

LoveとArtが生んだ
             
              
            
                       

軌跡であり奇跡である

                    
                    

この『LOVELESS/ARTLESS』とともに

       
                
                           

光れ

 

www.youtube.com

*1:amazonレビューの数が60!半端ないこと!

*2:一時期私のSNSのアカウント名は「無限ルーパー」だったw

ハルカトミユキ『溜息の断面図』ディスクレビュー!

1.『溜息の断面図』とは
前作の 『Loveless/Artless』は、リード曲「早すぎる電車に乗って」(“光れ”)スタートし、ラスト曲で「今会いに行くよ」(“夜明けの月”)と告げられるループ性の高い曲構成になっている。それは日々生活していく中で心のどこかに持っている「欠けている(less)要素」をどこか引きずりつつも「奇跡」「信念」「運命」といったパラダイムを手に入れ、自らが「愛する人」の足元を照らし続ける光となろう、と決意するまでの過程が描かれた、いわば早朝から夜明けまでの一人の生活(life)にフォーカスが当てられたコンセプト・アルバムにカテゴライズされるものである。
では、その 『Loveless/Artless』からわずか10ヶ月というインターバルでリリースされたハルカトミユキ3作目のオリジナルアルバム 『溜息の断面図』とは一体どのようなアルバムなのだろうか。前作同様にリード曲「今日は何曜日」(“わらべうた”)という問いかけからスタートし、「永遠に今日を探して」(“種を蒔く人”)と言う言葉で締め括られる、やはりこちらもループ性を保つ曲構成となっている。 ただこの2作の決定的な違いは、一人の主人公に焦点を当てた前作とは異なり、今作では12曲中それぞれの世界で生きている主人公がふと漏らした溜息の中身が12通りの様々な感情で彩られ、コンセプト・アルバムというよりどちらかといえばオムニバス・アルバムに近いものとなっている。とは言え、これは従来のオムニバス形式のアルバムにありがちな、一作品ごとに物語が完結した “短編小説集”的な枠に留まってはいるわけではない。
それどころか全ての曲のストーリーが進んでいくと同時に全体のテーマある核(コア)部分が曲中に存在しており、かつその核部分のストーリーも段々と進化していく、という二重構造になっているのである。その核の部分とはもちろんこのアルバムのテーマ「溜息」である。

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2. 「溜息」の正体
その溜息の正体を具体的に検証してみよう。二曲目“Stand Up, Baby” では「か弱く可愛い馬鹿」を演じなければ上手く渡っていくことのできない世の中の現状に立ち尽くしてふと鳴らす舌打ちのような溜息が聞こえてくる。続く “終わりの始まり”ではそこからさらにエスカレートしていった怒りの感情の極致に達した人の「もういいよ」と言う半泣きまじりの溜息が聞こえてくる。
 さらに想像を巡らせば、このアルバムには過去楽曲に出てきた登場人物の溜息も聞こえてくる。例えば“Sunny, Cloudy”に出てくるのはかつて現状を打ち破ろうと新たな「世界」に飛び出し、その後「光」を見出そうともがきつつも未だ触れられない我々リスナーがよく知っている“あの女の子”による、夕立前の曇り空のような溜息が聞こえてくるし、“インスタント・ラブ”ではその割り切った恋愛関係に甘んじつつもどこか感じてしまう空虚感とともについて出るその溜息はかつて “tonight”という曲中で出てくる「あんたみたいな女」のことを指すのだろう。さらに、ずれ落ちる眼鏡を直しながら必死にオンライン上で誹謗中傷に明け暮れる青白きゾンビはかつて “プラスティック・メトロ ”と言う名の地下鉄で男、女に混じって発見されるその一人(?)がネット疲れからかついぞ漏らしてしまったうめき声にも似た溜息なのかもしれない。

3.  歌詞のどこで「溜息」が漏れるか
次に、このアルバムの中で主人公達は歌詞のどの部分で溜息をつくのかを検証したい。
 以下1-6はその溜息まじりに呟かれると予測される歌詞の一部である。

1.「子供のふりしなきゃここじゃ生きていけないこと」(“Stand up, Baby”)
2.「子供にも大人にももうなれない僕らの歌」(“宝物”)
3.「大人になっても従うばっか」(“近眼のゾンビ”)
4.「大人ってことばを履き違えた子供だから」(“インスタント・ラブ”)
5.「今の私には死ぬ価値すらない」(“嵐の舟”)
6.「最後の祈りを次の誰かがすくって捧げる」(“種を蒔く人”)

本アルバム内で1→6の順番に曲が進行していくわけだが、注目すべきはその溜息まじりに呟かれる子供、大人などのフレイズの持つニュアンスが徐々に変化している点である。

 1-2の中の「子供」というのは、主人公はまだ「子供としてもカウントされ得る大人」であり、彼らの中に依然内在している子供像を指す。

 次に、3では主人公が既に大人になったことを自覚しており、1-2の意味での子供像はその大人の中には既に内在していない。

 次に4の意味する「子供」はこれまでの意味での子供像ではなく、あくまで比喩的な意味での「子供のようなメンタル」を指している。

さらに5からはもはやそのような4のメンタルな意味での子供像ですら消え失せ、大人としての自己に向き合った死生観すら示唆されている。
 最後に6では大人、というよりも人として生きることの役割を終え、生を全うしてからの次の世代に生きる後継者としての「次の誰か」に対する期待を込めた祈りが捧げられるものとなっている。ここでの「次の誰か」は巡り巡って最初に述べた1-2の「子供像」に近いものになるのだろう。

 このようにアルバム楽曲を聴き進んでいくうちに12人もの溜息ストーリーに触れるだけでなく、聴き手は同じ「大人、子供」という表現でも随分とそのニュアンスが変化して行き、溜息という概念もだんだんと子供から大人、さらにその先の未来へのそれと変化していることも感じることができるのだ
 まさにこのアルバムは曲のストーリー、と溜息の進化、とで二重の側面に堪能できる二重構造の作品なのである。

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4. 溜息の「断面図」とはどの様に作えられるのか
ここではその「溜息」の「断面図」とはどういう事なのか考察してみよう。そもそも「溜息」という言葉は英語では"sigh"と綴られ、形や実体などが伴わない水や空気のようなものなのに、なぜかdog(s)、cat(s)、octpus(es)、baby(-ies)などの生命体と同様に「数えられる名詞」に属する極めて不思議な単語なのである。しかもそんな不思議な溜息の「断面図」というのは一体どういうことなのだろうか。
だが、このアルバムを聴き込んでしまった今となっては容易に想像できる。「溜息」は人の口から発せられた瞬間、生まれ落ちる生命体、いわばわらべ(BABY)のようなものなのだ。そして人が子供から大人として成長するとともにその都度発せられるその溜息もまた進化していき、やがては次の世代への橋渡しとなる新たなる種のような溜息を生み出していく
そんな12人の中で様々な形で存在している溜息という生命(life)は一人の詩人によって「ことば」というナイフで真っ二つに切り取られ、もう一人の奇人によってその表面が様々なカラーのペインティングで彩られる。そんな断面図の数々は、ここ20年以上今だに世をのさばり続けるカラオケ対応インスタントポップ・ミュージックやパフォーマンスありきのアイドル合唱曲等にずっと翻弄され続けていて「いい曲をガチで歌う」アーティストに出会う喜びを忘れていたことに気づかされる珠玉の名曲達でもあるのだ。このアルバムの破壊力はそんな長い間忘却していた我々の記憶の隙間を埋めるには十分なインパクトがあり、「(マンネリ化したミュージックシーンの)終わり(から)の(新たな革命の)始まり」に値する、という結論にてこの本レビューを締めくくりたい。

付記; と、実はこの記事はamazonレビューが土台となっているものだ。当時ここまで書いて「これは果たして一般的なamazonレビューとしてはどうなのか。」という疑問が自分の中でも正直あるのは事実である。なにせ、あまりにも長すぎるからだ(笑)。

でも、そうせざるを得なかったのだ。たかだか2-3行の感想では自分お気持ちが収まりきれなかった、それぐらいの大名盤なのである、歴史的名盤なのだ。
 
以下のこれまで約50年にわたる名盤ラインアップの一部を見てみよう。

1967 the Beatles 『sgt. pepper's lonely hearts club band』

  / The Velvet UndergroundVelvet Underground & Nico』etc...
1977 David Bowie 『Low』/ Television 『Marquee Moon』

  / Sex Pistols 『Never Mind The Bollocks 』etc...
1987 New OrderSubstance

  / U2 『Joshua Tree』etc...
1997 Radiohead 『OK computer』

  / The Chemical Brothers『Dig Your Own Hole』/ Björk『Homogenic』 etc...
2007 RadioheadIn Rainbows

  / M.I.A. 『 Kala』etc...
2017 ハルカトミユキ 『溜息の断面図』←NEW!

偶然にも7のつく年は大名盤豊作の年である。上記の名盤以外でも洋邦問わずもっと多くの様々な名盤アルバムが挙げられることだろう。でそして今年はその7のつく2017年。この年に ハルカトミユキ 『溜息の断面図』はこれら大名盤の数々に全く引けを取らない名盤に属すると断言して良い。『sgt. pepper's lonely hearts club band』から50年ぶり、『OK computer』から20年ぶりの大名盤がここ日本で誕生した事にテンションが上がってしまい、これに敬意を評し、これだけの長文レビューを書かざるを得なかった、ということでご了承願いたい。

では最後に、一言
 
このアルバムを手にすべき全世界60億人の溜息の断面図達よ

光れ

そして

ハルカトミユキよ、
 

光れ、もっと光れ

 


Fairy Trash Tale-ハルカトミユキ

 

なぜ今「スペシャルアクターズ」に私は狂いまくってるのか??? 完結編

0. 『スペアク』3rdシャワーの焦点!

今もなお個人的『スペシャルアクターズ』旋風は止むことはなくて早くも3rdシャワーである。とは言え世の中TLを巡れば10シャワーだなんだかんだ、二桁以上超えてる人ってザラにいるし別に取り立てて凄い数字じゃないと思うんだが、兎にも角にも3回も劇場で観る事自体は我が人生では史上初でなのである。そもそも一回行ったけど舞台挨拶あるんならという邪な理由きっかけだったから純粋に内容を吟味しようと思って2回以上観たのはこの映画が初めてである。

ちなみに初めて2回以上劇場で観た作品はカメラを止めるな!

....上田慎一郎監督よ、なぜあなたはいちいち私の映画鑑賞経験史上初記録を樹立するのだ笑

もうこうなりゃ多分スペアク関連でイベントでもあって、こっちの予定とがバッチリ合えば東京に遠征するよ、てかライブならともかく映画関連で遠征って史上初なんだよね、もう絶対パンフレットに残りのキャスト全員分のサイン埋めてもらう任務があるのだから。

だってよくファボとRTをくださるこの方々のこの辺まだまだ隙間あるんだもんよ...w!

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なんでここまでハマったんだろう......というのも理由は明らか。 コチラのTwitterの通知欄を見ても分かるとおり彼らのリアクションがもう半端なく凄いからってのもある。ハッシュタグで #スペシャルアクターズ と呟けばとにかく出演者、関係者などのファボやRTが素早くくる。

特に出演者でも仁後亜由美さん、南久松真奈さん、櫻井麻七さん、津上理奈さんなど、特に女性陣のリアクションは時間帯によってはとにかく速い。11/3の津上さんなど多分ツイートして15秒後ぐらいだったぞ!音楽界隈の某フォロワーなど素人のくせになかなかリプライしても反応がないいわゆる「リプ蹴り」する事だってままあるこんなしがないSNSという仮想社会で、しかもカップ麺すら完成しない15秒ですぞ!

で、この通知欄の写真見るとこの出演者でワンシーンでも撮れるんじゃないかってくらい壮観な光景ではないか。基本的に私は本映画には肯定派だから彼らにとってポジティブな意見しかツイートしないんだけど、中には批判的な意見も出てくることがあってそういうのにもちゃんと反応してたりするのも凄い。真摯に意見を聞こうとする彼らが、ここまで反応してくれる、とこっちだって真摯に作品に向き合おうと思うもんな、そりゃ3回だって4回だって観るってなもんだ。*1

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 というわけで今回は3rdシャワー後の光景として前回触れなかった点をかなりマニアック目に考察し、更に今後の『スペシャルアクターズ』に関してどうあるべきかについても触れていきたい、と考えている。

 

1.「スペアク」における舞台性

今回の3rdシャワーではストーリー展開含む内容云々は既に知ってしまっているので、以下の当時の3rdシャワー直後に放ったツイート通り役者一人一人の演技に注目して鑑賞することにした。

感想もこんな感じで、私的テーマは「もしもスペアクが舞台作品だったら。」だった。

 

 

ほんとこの観方はキャラメルボックス などの演劇によく行く自分の経験からすれば、一人一人のセリフの妙や演技、動きなどを検証する意味で映画というより演劇のそれに近いと思う。

という訳で今回個人的にピンときた3つのシーンに絞って検証していきたい。

 

1.1. シーン❶;津川里奈のカリスマ性

まずはこのシーンって凄く印象に残りますよね。これは主人公和人が津川里奈の部屋に侵入して色々とやりとりをする箇所があるのだが、その内容云々はともかくとして、この時のシーンというよりも津川里奈の佇まいがとにかく岩井俊二作品を彷彿とさせて『リリイシュシュのすべて』の久野陽子(伊藤歩)と『花とアリス』の有栖川徹子(蒼井優)の正面アップを足して2で割った様な印象を持ったものだ。なんか画面の映り方も独特のフィルム加工されてるよ様な気がして、岩井映画っぽくない??と思うくらいとにかく独特な場面である。でも、これは別に根拠がないのではなく、なんとなく理由があって、「彼女にはセリフが無い」からであるというところに起因するのではないかと思う。そう、岩井作品でも、アリスにしたって、久野陽子にしたってとにかくセリフを最小限度に絞って表情であるとか、光の写りや全体の色などによって彼女の心象風景を映し出す場面が結構あったように思う。

 

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で、「台詞がない」っていったいどういう効果があるんだろうって考えると、どこか神秘性を増す効果があるのではなかろうかと思う。荻上直子監督作品のレギュラーである、もたいまさこ出演の「めがね」「トイレット」にも顕著で、とにかくセリフを最小限に抑える、或いは全く喋らせないことによってその登場人物の神秘性が高まるのである。最初にこの津川さんがあのTシャツで出てきた瞬間、信者の中の信者的なオーラが物凄くて「あれ?この人もしかして教団幹部的なポジションに近い人??」って真っ先に思ったもん。あとムッスーのポーズを無言で決めたときのあの圧倒的な「この人はもう完全に洗脳されている感」の圧が凄かった。あと先の場面に話を戻すと、着物着ているシーンがあるからという相乗効果も相まって信者を超えて幹部というよりちょっと教祖っぽいんだよね。

そこで、多分旅館明け渡していずれ教団幹部とかになったらこんなこと起きるんじゃないかと妄想したりして以下....

 

【津川理奈が教団幹部にまで上り詰めた後、旅館の経営などを巡って徐々に津川が口出しをするようになり、次第にムスビル内部でそれに反対する大和田親子サイドの保守派と、日頃から津川になんらかの神秘性、カリスマ性を見出して、彼女を持ち上げようとする河田&七海サイドの急進派とで対立構造が発生。

その対立構造はますます激化し、後者は津川を教祖に仕立て上げ「新ムスビル」を立ち上げる。やがて信者間でも対立が見られ、挨拶方法も従来のムッスー派と常にボールを常備してそれをにぎにぎしながら挨拶するオニギリ派とで分裂する様になる。】

 

 という『スペアク・アフターストーリー』、上田さん、次回作かスピンオフにでも如何すか??とか思ったんだけど彼女は基本的に信者でいる間は「断口」してるので口出しも何もできないんじゃないかという超重要なバグに気づくw

はい、お後がよろしい様で、、、、*2

 

1-2.シーン❷;ムスビル帝国崩壊直前の瞬間

で、妄想ついでにもう一個、個人的大スクープであり、あるいは誇大妄想でもここらでブチかましときましょうか。

そう、例の旅館めぶきでの客室のシーンである。このシーンは映画の中でも結構な緊迫感あるシーンが続くのだが、特に前回の記事で触れた真奈役の南久松さんの「3人の写真撮ってたよ」アクトもさることながら、今回の3rdシャワーで分かった事実を幾つか書き連ねたい。

まずは、この時の山下一世さんの演技がすごいって事。前の場面では七海幹部に誘惑されて、あのバカ高い480000円ものするガゼウスポッドなるものを見せられて、ビクビクして購入寸前にまで追い込まれてた時期とは違うのだ。この「こいつを捕まえましたよ!」の時って完全に洗脳されて目の色と顔つきが変わってたのを3回目にしてようやく確認できた。南久松さんの写真撮ったぜアクトが凄かったから2回じゃ気づかんかったよ。

次に、この後色々とバタバタとする訳だが、霊能者(丹後真由)まで入ってきてオバケが出るだのなんだので、大騒ぎになって、電灯が点滅したりで教祖様はもう人並み以上にビビりまくって、最終的に霊能師がムスビルの4人を追い詰めるシーンがあるのだが、この時のムスビルの4人がそれでも、なんとかまだ「教団」としての威厳を保とうと四苦八苦しようとしている描写が示唆されるのだ。

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 そう、ハッキリ言いましょうか、あの追い詰められて4人が固まっている姿をシルエットにするとちょうど三角形になるいわばこれがガゼウスポッドの継体まんまなのだ。

 これは意識的か無意識的かはわからないが、その時の七海幹部の手の形がセミナーなどで教祖が信者の前に登場する時の河田と七海が両端にいて誘導する時のペンギンの様な手の形まんまだったのである。しかもその七海幹部は、一度ふらっとよろめいてから、さらに体制を立て直そうとしている描写があったのも見逃さなかった。これは急所を撃ち抜かれて、一瞬怯みながらもガゼウスポッドの三角形の形にと、立て直そうとしている様に感じ取れたのである。まさに真奈信者が包丁を主人公に対して向け、刺そうとしたのと同じ空間において、むしろムスビルサイドの方が本当の意味で彼らの心臓部を打ちぬかれた瞬間、だったのではないだろうか。これは、妄想を極めた私的見解といえばそれまでだが、この場面によってある意味話の内容が一区切り決着がついてて、後は安心モードで鑑賞できた気がしたものだ。

音楽のライブで言う所の中盤戦になるハイライトが終わってあとは終盤からアンコールへ向けてのお馴染みの盛り上がり曲の花火を打ち上げる直前の光景というか。その真意はさておきこれは一回目を観たときの印象から変わらない。

でも、ほんとこれ具体的な写真がないのがもどかしいんだけど、まあ、また作品を観に行く予定のある方は是非確認して頂きたく思う。

 

1-3.シーン❸;「カメ止め」におけるリマインド効果 

前回のブログでは「カメ止め」と「スペアク」に見られる違いを検証したがここでは逆に「スペアク」に見られる「カメ止め」性について検証するべく「*リマインド効果」という観点から述べていきたい。

(*リマインド効果=【単にあるものを思い出させる】という意図のもとちょっとカッコつけた浅い考察でも深く見せるための造語w、)

 

まずは以下の写真をご覧いただこうか。


【リマインド効果❶】

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ね、もうソックリですよね!?

右側は今回旅館めぶき男衆の一人(広瀬圭祐さん)なのだが、見た瞬間、誰もが「カメ止め」のあの主人公である濱津隆之さんのルックスを彷彿としたはず。いや、これは単に両人とも髭面&濃い顔の組み合わせってだけでなく。どこか見た目の割にはこの人は絶対良い人であろうというテイスティな印象を残す意味でも同じ。そう言えばこうして比較してみれば二人の目の光の度合いや輝きが似ているね。どこか悲しげとか深い海の様な目をしている。

 話は脱線するが、よく「モーガン・フリーマンは目で演技する。彼の目は深い海の様だ。」ってレビューを目にするがまさにあんな感じなのか。*3

ま、こういう一見濃いんだけど望まれぬテイスティさを残す人っていう記号を残しといて視聴者にリマインド効果を促し、ある種安定感&安心感を受け付けるというか。

そう考えると『カメラを止めるな』と『スペシャルアクターズ』はどこか対称的ってか表裏一体が感あってあとはほんとポジションは同じでもキャラの方向性が違う人は多い。

*4

今回の上田作品には欠かせないというか。その意味で彼が唯一『カメ止め』と『スペシャルアクターズ』とを結びつけるリンク的存在なのかもしれません。

 

【リマインド効果❷】

リマインド効果という観点でさらにもう一つ具体例を挙げてみようか。

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ま、今度はあんまりソックリじゃないすけどね笑

カメラを止めるな!」にメガネ女子というキャラクターが存在していた。これがカメラ助手役をしていた松浦早希という人で、とにかくこの人はどこか「トーテムポール何度も滑ったり、「メールしたんですけど!」などと文句言うスキンヘッドのナイーブな男の対応の仕方など、とにかく鈍臭くも素朴な感じがあって、でも憎めない、癒し効果を醸し出していた印象だった。

そして今回「スペシャルアクターズ」でもそんなメガネ女子が満を辞して存在する。ズバリ、劇団員の激情型演技派、清水八枝子である。この人が出てきた瞬間松浦早希を彷彿としたものだが、

❶ 「一回縛られてみたかった。」と告白→そのまま猛ダッシュする、

❷ 「猿轡をしてみたかった。」と告白

❸ ナイフ持って鼻血垂らして叫び倒す

 

などなど、、、、あげればキリがないがもはや予めキャラクターの初期設定自体があらかじめブチ切れモードなのが分かる。

これは『カメラを止めるな』を観たものに、「メガネ女子」という既視感にも似た記号を与えることで軽くあの作品をリマインドさせ、そのギャップでそのインパクトがさらに加速するそんな効果がここでも見られるかもしれない。

いずれにせよそう考えると『カメラを止めるな!』と『スペシャルアクターズ』はどこか対称的ってか表裏一体が感あってそれぞれ両作品のキャラクターを比較してみるのも良いかもしれない。いずれネタができたらやろうかな?

 

2. 2019年10月16日のなんばパークスシネマにて

そういえば、まだこの映画を観る直前、と言うかそのキッカケとなった出来事にも触れてみようか。そう、映画公開二日前(10/16(水)のなんばパークスシネマでの出来事。

この映画観る最大のキッカケだった上田慎一郎監督、大澤数人さん、三月達也さんらが手売りで目標枚数300枚売り上げ達成をかけて前売り券を販売していたあの日、のことである。

 当時のツイートは以下の通りだ。

 

この日私は最初に2枚購入し、その後一枚知り合いのために引き返しもう一枚購入という合計3枚ものムビチケを購入した。

私はその時に、上田監督、今考えれば主役である大澤数人さん、とムスビル教祖の親である三月達也さんという物語の超重要キャストにこういう事を伝えている。

 

「上田監督の映画は観終わった後、最初は知らない人でもヒーロー、ヒロインになっている。この作品もそういうふうになるのではという予感がひしひしと伝わってきます。」

 

いや、もはや予言したかの様に当たっているではないか!

しかも、その予言をさらに上まる形で実現してしまっていることは言うまでもない。

 

それどころか、なんて私はこの二人に堂々と「❶最初は知らない人でも」などと失礼な事をいえたのだろうw、更に「❷こういうふうになるのではという予感」とまで言っているではないかw、もっと確信があるとか絶対そうなるぐらいの自信があるぐらいの事は言っといてくれ、当時の自分。

でも❶はほんとに彼らを知らなかったんだから仕方ないんだけど、あと❷に関していえばこういう風に反省して、こうして日々twitterやブログで大絶賛を綴っている自分が今いるってことで許してほしい(笑)。

それにしてもこの時の写真を見て思うが、それと比べて三月達也さんもそうなんだけど特に大澤数人さんは、ここ最近のお写真を見てもずいぶん引き締まったというか、俳優としてのオーラが出てきた気がする。いや、彼ばかりでなく、他のキャストの方々も時々オーディション当時の写真や集合写真など見るにつけ、本当皆しもSophisticate(洗練)されてきてるのだなあと、お世辞抜きで、ファン目線抜きでも思う。

まさに彼らが今時を経て公開を経て、様々な局面において人前に出てアクターからスペシャルアクターへの道を走っているってことだろう。

 

これは間違いない真実だ。

 

3. 終章「スペシャルアクターズ」たちへ送る歌

さて、これで終章。一応これで前回の記事と今回でなんとか言いたい事の大部分は言えた気がするので、多少シビアなことも含めてまとめねばなるまい。

今現在「スペシャルアクターズ」はどういう評価に晒されてるのだろうって事で、それを最も端的に表しているのが以下のレビューとそのタイトルである。

movies.yahoo.co.jp

いや、本当それ。まさにこのレビューが言っていることに何ら反論するところはない。

映画の評価はスターマーク×5なのにほんとお客の数に尽きる。正直自分が行った回は初日公開初日金曜日の夜と、木曜日の夜、そして土曜日の朝と行った風に、平日と休みの朝というあまり条件の良い日程ではなかったものの、すべての日程の観客を足しても20人程度だったのはほんと残念な話だ。要因としては多分『JOKER』や『マイフィレセント2』など大ヒット作が軒並み同時期に公開され、テレビなどの媒体はそっちに流れたのかとか、宣伝効果の意味でもいろいろ要因はありそうだが、こんな素晴らしい邦画作品と観客動員数は割が合わなすぎるのだ!

でもこれは映画だけではなく日頃聞いている音楽なんかでも「こんな良いミュージシャンなんでもっと世の中に浸透しないんだろう。」ってのはよくあるのだ。

そもそも「割が合う」って言い方には語弊があるのかもしれないが、ほんとに素晴らしいもの、評価されるべき作品や人となりなども含めてきっとそこに収まるべき枠組みがあるのだ、まさに英国のオルタナティブロックバンド、Radioheadの曲名を借りるならば「Everything in its right place(全てはあるべき場所に)収まるべきものだとと考えている。

 

因みに、まさにそんなことを考えて今回私が新たに作ったスペシャルアクターズ専門のTwitterアカウントにもその言葉を載せている。*5

そういえば、鈴木実貴子ズという自分がここ夏ぐらいに最近ハマって大好きなバンドの今の時点での代表曲の一つで「アホはくりかえす」という曲があって、その歌詞の中身が、まさに先ほど言ったEverything in its right placeということを謳った素晴らしい楽曲なのだ。 

 

個人的にこの曲の歌詞ってどうにも今回の『スペシャルアクターズ』に対する私の思いとダブりまくるのだな、この歌詞の部分とか特に。

  

何が悪いとかの話じゃなくて

あるべき場所にあることが

どんなに素晴らしいことなのか

それを僕は知っておきたい

 

あるべき場所にあるだけさ

あるべきものがあるだけさ

なるべきものになるだけさ

やるべき事をやるだけさ

 


アホはくりかえす / 鈴木実貴子ズ

 

この曲のコアは実は後半にあって前半で

 

「キャバクラに変わってしまったライブハウス」、

「虐げられて犯罪に走ってしまうロックスター」、

「こんなにも繊細だ自慢のシンガーソングライター」、

「ワンタッチ見た目だけのロック」

 

などの現状をぶちまけそれらを全部、ランドリーにぶち込み、最終的に歌詞の引用部分を歌うことによってそれら全ての中で、どれが本当にしかるべき評価を受け、しかるべきステイタスを得るべきである、本当にあるべき姿のものは肯定性に導かれるべきという祈りにも似た思いを歌っているのだ。

 

この曲を聴きながらふと、思い出す事があった。

上田慎一郎監督が『スペシャルアクターズ』のファンの総称を「アクターズ」と呼ぼうと言った事を。その呼びかけもあって、実際にそう呼び合っているコミュニティも存在している。これは紛れもなく、あの映画があの言う結末を迎え、エンドロールの後で本当に彼らがマジモンのスペシャルアクターズとして活躍する、そんなストーリー展開を構築する手助けをする余地が与えられているのは他ならぬ我々ではなかろうかと思うのだ。

彼らはほんとに連日のトークイベントやゲリラで舞台挨拶をやったりで本当に素晴らしくホスピタリティ溢れるプロモーションを展開している。でもまだまだこの作品が置かれるべきあるべき場所には程遠い気がするのだ。まさにこれからも、本気で我々もスペシャルアクターズ達が本当のスペシャルなアクターズになるシナリオを考え、ストーリーを実現させる番なのかもしれない。

 

これは勿論、別に彼らに対する情け、であるとかボランティア精神、だとか、サインや写真をとってもらったからだとか(笑)そう言う建前的なものでは決してなく彼ら一人一人へのリスペクトに根差したものである。

大事な事なのででっかくだすが、

 

上田慎一郎監督率いる『スペシャルアクターズ』の面々がこの作品を通じて「僕たちが人生でこれからも映画を楽しむ事を卒業できない本当の理由」を教えてくれたことに対する感謝の気持ちだからだ。

 

 

 

 

 

This article is dedicated to Ueda Shinichiro, Special Actors and Actors.

 

[Fin]The Movie Must Go On....

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:Togetterで集めてて思ったが、批判的な意見と言ってもそれほど辛辣なものがないのが特徴。せいぜい「『カメ止め』ほどインパクトに欠ける。」とかその程度のものが多い。ほんと誹謗中傷の類は全くないのが、ネガ・ポジどんな意見持とうが良い視聴者に恵まれてるんだなと思う。

*2:でもここそういうことになるのを狙って断口させたのだとしたらムスビルの悪賢さっぷりは凄いよね

*3:筆者はモーガン・フリーマンの良さが全然わからんのだがw

*4:前作のどんぐりさんの役目は、物語を進行する上で重要だったのだが、これは確実に今回では麻奈さんに値するだろう。でもこの2人のキャラクターのベクトルが見事になまでに真逆ってのも興味深い。

*5:勿論Radioheadの曲名からの引用だが歌詞の意味内容的にはむしろ鈴木実貴子ズの方がしっくりくる。

なぜ今「スペシャルアクターズ」に私は狂いまくってるのか????

0.令和に入ってからの邦画って凄くないですか?

とにもかくにも今年は夏辺りから、映画の当たり年である。

 

7月末の兄弟や家族の心のつながりを描いた『こはく』、翌月に公開された一人の中年女性の復讐サイコサスペンス『よこがお 』、今現在の所、今年最大のメガヒットと言っても良いであろう*1『天気の子』ときて、去年のメガヒット『カメラを止めろ!』による上田慎一郎監督共作、『イソップの思うツボ』、に続いて、満を辞してという形で10/18に公開された『スペシャルアクターズ』である。

で、さらに秋以降は『わたしは光をにぎっている』が待ってるし、更に年明けには岩井俊二監督の最新作の『ラストレター』が控えている。

一体どうなってんだよこの邦画業界よ!!

 

でもこれらの作品って一見バラバラ感あるんだけど実は共通点があって程度の差こそあれど多少大衆の最大公約数の「面白い」に突っぱねた感じがあって「分かる人にわかれば良い。」というクリエイターとしてのある程度のこだわりやプライドが根底にある気がする。言って見れば、映画を【泣ける】【笑える】【オチがある】もっと酷い事になれば【ジャ○ーズの誰々が出ている】などの物差しでしか映画を享受できない脳みそスッカラカンな層に一切目もくれてないある種の「美意識」が根底に見受けられるんだけど。*2

まぁもっとも『天気の子』は大大ヒットしただけあって不幸にもそういう層の者達の目に触れて「えっどういうことだったの?オチは何??」とか言ってしまう所謂『能天気』な子らを大量発生させてしまったようだけど...

 

1.『スペシャルアクターズ』と『カメラを止めるな!

何はともあれ、今回のテーマはカメラを止めるな!を監督した上田慎一郎長編第二作『スペシャルアクターズ』である。

 

f:id:NENOMETAL:20191101080333j:plain

話の内容はざっと

 

「ある旅館の女将を洗脳して旅館全体をサティアンのようにして乗っ取ろうとする詐欺宗教団体を、【スペシャルアクターズ】という依頼請負いの劇団員達が阻止するという設定が土台。上田監督特有の随所に散りばめられたギミックふんだんに生かしたコメディー」といったものだがストーリー展開上一癖も二癖もあるものとなっている。

と、ネタバレ要素なしで綴ってみたものの見て観ないことにはなかなか伝わりづらいだろうから予告編どぞ。

 


映画『スペシャルアクターズ』予告 10月18日(金)全国公開

 

ちなみに1シャワー目の感想がこちらのツイート!*3

 

Tweet1

 

Tweet2 

 

なんといつもながら、いや、いつも以上に熱くもクドイ感想ではないか!*4 今思えばこの感想には、多少『カメラを止めるな!』見た人は分かるでしょ?みたいな、そっちの層にも引っかかれよ的なこっち側のあざとさがというか、正直『カメ止め』と熱狂度はなんら変わらないと思い込もうとしてるのもあるんだけど、2回目になるとちょっと待てよ、『カメラを止めるな!』とは質として違うよねという感想になっている。

(あとどうでも良いけどあんだけわんさかいて上田監督作品は最高だなんかぬかしてた『カメ止め芸人』達は一体どこにったのだろうかw 、今や誰一人としてこの作品にコミットしてるような人いないよね。)

 

そして2シャワー目の感想はコチラ↓

Tweet3

 

そう、まさにTweet3から計り知れることは2回目で「カメ止め」との決定的な違いを感じていたということ。あの「カメ止め」が約2時間の枠組みの中で、キッチリと3部構成となっていて、きちんと前半でばらまいた伏線を中間で説明をして、後半で全て滞りなく回収するので観たものは非常にスッキリとした気分で劇場を出ることができるのに対して「スペアク」は観るものにラストのラストでハッと気付かせた形でエンドロールを迎える様な構成なので、スッキリというよりは何かとてつもなくどっしりとしたわだかまりと言えば語弊があるな、そうそう、ライブで言えば最後の曲のギターフィードバックの残響音にも似た余韻を残しつつ終わるのだ。

だから、当然再鑑賞となってくるとその動機も違ってくる。「カメ止め」は突拍子もない動きや、セリフや「ポン!!!」などの必殺技を使っていかに美しくかつ奇跡的に伏線が回収されるかを堪能できる、いわば最初から結果がわかっててでもその答え合わせの妙を楽しむ様に作られていて、あのワクワク感は、少年時代に見たライダーだレンジャーなどのヒーローものか、あとは余り興味は無いが、プロレスの鑑賞の仕方に近いのかな。

 それに対して、「スペアク」の2シャワー目のテンションは極めてクールだ。いや、表面上はクールだけど心の中は非常に熱いタコ焼きの様な、あとは、まるで推理小説の謎解きか、フィンチャー監督の傑作『ゴーン・ガール』の後半の怒涛のエイミーの独白部分でも聞いている様だった。*5

  だからこの作品とあの作品とを比べることに余り意味がない、というかそもそもの土俵が違う気がする。そもそも『カメ止め』は無名の俳優を低予算でここまでのカタルシス映画って触れ込みだったけど今回のこれはそこまで無名観はなく、大多数の無名役者の中でも、ある程度キャリアのある役者を散りばめている印象がある。話が脱線するが、その証拠として、個人的に一番テンション高まったのは、ムスビル幹部役の櫻井麻七さんがあの私的フェイバリットドラマ『孤独のグルメ』での中野区の地鶏専門店にて五郎さんの後ろにいた2人組のOL客役ってのがわかった時だ。

 他にも『誰も知らない』に出てた北浦愛さんもいたし、他にもそれこそ夏に『よこがお』でも好演した小川美祐さんもいるし、あと他にも舞台等で見たあの人とかいろいろな情報をちらほら聞くし、結構キャリアある人たちもしっかりと存在していてこの映画の屋台骨を支えていると思うんだな。

だから『カメ止め』と同一視した状況やテンションで見ることってのは逆に危険なのではないか、別の作品なのではないかと断言しても良い。

 

 

3.『スペシャルアクターズ』〜リアリティとの狭間で

で、何が違うかといえばこの話は単なるコメディではないと言うこと。何せコメディというフォーマットにしては妙に生々しい描写がいくつか垣間見えるところである。

例えば、これ。

ほんとにこの場面は個人的に壮絶トラウマ級なので再鑑賞する際にはぜひ注目して頂きたい。

Tweet4

 

これを解説すればムスビルに完全に洗脳されたこの主婦麻奈(南久松真奈)さんが旅館の一室を借りて集会的な事をやっていて、皆の前で「この宗教に入ったおかげで布団からエステのポイントカードが運良く見つかったんです!!!」と叫び倒し、それを聞いていたその宗教幹部の二人が、クスクスと笑いを堪える場面だ。しかもこれって前の日にその幹部たちは「あのババア信者はころっと騙せる。」的なことを陰で言っていたからこそ尚更引き立つ描写だったのである。

ほんとこのポイントカードアクトはもう震撼だしもはや人間の狂気と情念とが綯い混ぜになった何かだと思う。あと個人的に男女幹部同士の関係性に関しても1回目から「おやっ?」と思ってたのでその辺のリアリティも相まってこのシーンを兼けねなくディープなものにしているんだと思う。

 

だが、上述したリアリティをコメディー領域へと戻してくれる代表格がこの二人の登場人物である。

Tweet5

 

この富士ボスに関していえばあのフラワーカンパニーズもビックリのあの素っ頓狂なハイトーンボイスに驚いてしまった。しかも全体の登場人物の中では「社長」という最も偉い立場にいる人なのにどこかアニメ好きそうなルックスにあの声というギャップがこの映画を一気にコメディへと引き戻してくれる。ちなみに個人的に彼は少し新海誠監督に似ているんじゃないかと思うんですけどw

 

そしてムスビル教祖大和田多磨瑠(淡梨)に関しても同様のことが言える。

Tweet6

とにかくこの人はルックスと佇まいの勝利である。もうこの人が出てくるだけでガラッと空気はコメディゾーンへと一変するのが分かる。あと喋らないという設定もかなりの相乗効果を増していると思う。ちなみにこのツイートした時に結構なRTがあったのでおそらく古谷実漫画キャラへの類似性ってあながち間違ってないのか。あと上田慎一郎作品って特に今回の作品に限らず笑いのセンスとか古谷漫画の影響を受けてる様な気がするのだがその辺どうなんだろうか?

 

4.まとめ

と、ここまで書いて、この映画の面白さを伝えるにはこれだけでは不十分に違いない。まだまだ魅力ある登場人物達たくさんいるし、気になった場面もまだまだあるしで、それはもう一度観ることで、第二弾の記事でまたまたここに書いていこうと思う。

とかく上田慎一郎監督作品って前作「カメ止め」効果もあってネタだ、展開だとにかくギミック面に焦点を絞られがちである。確かにこう言う点は彼らの魅力であり、必殺技であるんだけど、こういう風にまるで舞台演劇の作品の様に演技の妙を楽しむ事にも注目すべきではないかと思っている。

 

まぁ逆に言えばこれは結末がバレたとしても何ら支障のない極めてタフな作品だと思う。もっと言うと「一つの作品の中で二度始まる」のが『カメラを止めるな!』だとしたら本『スペシャルアクターズ』「二度目からもまたはじまる」作品である。

 

ということで明日11/2(土)に、3rdシャワーの『スペアク』を鑑賞したい、更にこの映画の面白さを突き詰めたい。

 

あ、ちなみにこんな感じでネノメタル お得意のツイート収集やっております↓

togetter.com


togetter.com

 

 

 

*1:この様に記述しておく。スペアクが怒涛の巻き返しになるか分からんからね

*2:だから「カメ止め」ってのはホント奇跡な作品だったんだな、あれだけ緻密でサブカル的なのにどの層からも好かれてるって言う意味でも。

*3:ちなみにこの映画では見た回数を「シャワー」と表す。まぁ見たらどう言うことか分かるよ。

*4:こんな熱い感想は去年の夏のハルカトミユキバンドツアーで某メンバーが某曲にてそばにあったマネキンを切り裂いてぐちゃぐちゃにして、マイクスタンド蹴倒してよろめいて拡声器で叫び倒している一方でもう一人の某メンバーが客席へとダイブしていった梅田TRADでのあの伝説のライブアクト以来である。

*5:この作品を観て「スペアク」は「Sting」に対するオマージュだとか、いろんな作品の名がそれこそ鬼の首を取ったように散見されるが余り意味がないと思う。まぁ世の中に星の数ほどある映画作品、そういうオチの作品って探せばいくらでも色々あるだろう。ただ、70年代のThe Whoをフィーチャリングした『Tommy』というロックオペラ作品は見ておいた方が良いと思う。元ネタと言うよりは表裏一体てか相補分布な作品。【予め何かを喪失した主人公が、宗教などのドグマチールに押し付けられ、そこから立ち向かう姿】というストーリーとまんま符号するんだけど。これは是非!「スペアク」の信者はハッとする場面多いので。

チリヌルヲワカとハルカトミユキを結ぶもの

0. ハルカトユウ、運命の共演

そう、10/17(木)ほど関西圏と関東圏との間に歴然と立ちはだかる高いThe Wall(壁)を感じ、嫉妬した事はない。何せ個人的に、非常に興味深い歴史的なライブが東京で開催されていたのだから。

ユウ(チリヌルヲワカ)とハルカ(ハルカトミユキ )という二大アーティストが同じステージに立つという対バンイベントがあったという。*1

 

ハルカソロのセットリストは以下の通り。

 

ハルカ(ハルカトミユキ)@新代田FEVER

 

1.赤くぬれ

2.Pain

3.バッドエンドの続きを

4.長い待ち合わせ

5.グッドモーニング、グッドナイト

6.17才

7.LIFE2

 

ちょっとこのセトリを見て、おおっとビックリした事があった。

3rd『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』(以下『そんなこと〜』)に収録されている『赤くぬれ』というライブ演奏としてはかなりレアな曲が最初に演奏されたのだ。

 

この曲がLIVEで観たのは一体いつ以来だろう?と、時間軸を遡れば、個人的にこの曲をLIVEで最初に聴いたのは2015年のタワーレコードでの3rd『そんなこと〜』インストア以来だと記憶している。

で、その当時特に印象的だったのは、本曲は終盤はバンドサウンド大爆発のままフィニッシュするのだが、ここはギターとキーボードの2人編成ゆえに途中で潔くパッと区切って「.....とまぁバンドの演奏がCDでは続いていきます。続きはCDでお聴き下さい(会場爆笑)」的な事を言ってた事を含めてもレア度高い演奏だったなぁと思う。今だったら2人編成ものすごいパフォーマンスしそうだけど。

あと10/17では4曲目で『長い待ち合わせ』も演奏されているが、やはり4年前のタワレコイベントのリハーサルの時に「イベントまでもうちょっと待って下さい、ということで『長い待ち合わせ』を一曲歌います。」と言って披露された記憶がある。
 いずれにせよ両曲が合わせて演奏されたのは4年前、って訳でそう考えると、なんとなく2015年が懐かしく浮かんでくるような。もっと言えば『そんなこと〜』という盤がリマインドされるとも言えるこの日のアクトである。

 ということで本記事ではチリヌルヲワカの現時点での最新作『太陽の居ぬ間に』とこのアルバム『そんなこと〜』との間に何らかのシンクロニシティがあるのではないか、と言う事を検証していきたいと考えている。

 

1.『太陽の居ぬ間に』のオルタナ
さて、このチリヌルヲワカのア現時点での最新アルバム『太陽の居ぬ間に』は、以前ライブに行ったときにもユウさん自らMCでも触れていたが、この盤はこれまで計8枚ものヲワカ・サウンドを確立以後、次の章へと駒を進め切ったと言う意味で彼女らのキャリアの中でも極めてオルタナティブなステイタスがあり、なお世間に対してもオルタナティブ・ロックの金字塔を打ち立てたという意味で二重の意味でオルタナティブなアルバムだと思う。

これまでライブこそ最近行きだしたものの、チリヌルヲワカ全音源を聴いてきた者としては、ロックダイナミズムと、狂乱の部分と疾走感と(ユウ前キャリアバンド時からあった)和風要素とが絶妙の塩梅で配合されているにだけれど、どこかさっぱり無駄な要素は削ぎ落とした『粋(いき)』な要素がどのオリジナルアルバムにも見受けられたように思う。だが、本アルバムはどこか感触が違って、これら上記で挙げた要素以外でも90年代初期グランジなどに見受けられたヒリヒリ感や、途方にくれる感じ、更にメランコリアな感傷も同時に表現され、彼らの全ディスコ・グラフィーの中でも最も切迫感のある、とてもリアルなロックとして響いてくるのだ。

 
例えばそのようなリアリティは『太陽の居ぬ間に』トップチューンを飾る『トライアングル』がとても顕著である。


「トライアングル」チリヌルヲワカ

 

 


「トライアングル」チリヌルヲワカ

 

今年は3度彼らのライブを体験して、バンド、アコースティック編成問わず全て本曲が最初に披露された。LIVEバージョンではよりグルーヴ感に揺らぎを増したバンド演奏となるため、ユウの言葉はよりサイケデリアを増して聴こえる。『トライアングル』はそんな彼らの今現在のモードであるのだろう。

更に切迫感、リアリティという観点から他曲にも触れてみようか。それを最も象徴する事実として、『太陽の居ぬ間に』のアルバム表題曲『太陽の居ぬ間に』に以下のようなフレーズがある。

 

未来に進んでいるのか

過去に戻っているのか

昨日の自分を恥じらって

信号をただ見つめてる

そこに浮かんでいるのか

そこに沈んでいるのか     (『太陽の居ぬ間に』)

 

前キャリア含め20年以上の最前線に立ち、常にポップとロックの絶妙の間(ま)を鳴らしてきた孤高のロック・アーティスト、中島ユウの偽らざる言葉としては何と切なくも、苦悩にも満ちた、行き止まった言葉達であろうか?

先にも行けず、かと言って引き返せない、ポップ・ロックミュージックフィールドでの自らの立ち位置というものに対するある種の「どん詰まり感」でも感じているとでも言いたげなフレイズ。
この曲の歌詞をパッと読んだ時実は「どん詰まり感」という意味でシンクロしている楽曲をふと思い出すものだ。それが奇しくも『そんなこと〜』に収録されているハルカトミユキの『青い夜更け』である。

 

2. 『青い夜更け』、その叫びの真意は?
リリース時期は逆であるが、まるでそんな上記で掲げた不安げなユウの言葉達に共鳴し、尚且つそこへ呼応するかのような、曲がハルカトミユキの『青い夜更け』である。以下は歌詞の一部である。


誰も知らないまま、

誰も知らないまま、

太陽は死んだ

誰も知らないまま、

誰も知らないまま、

冷蔵庫の中 太陽は死んだ

ぐらりぐらり心臓を揺らす

花瓶の花が静かに腐る

まだ私は息を殺して 

そこだけ青く光った夜(『青い夜更け』)

 


ハルカトミユキ harukatomiyuki haruka to miyuki 青い夜更け aoi yofuke live 2014

 

この曲の5年前のライジングサンであるが、敢えてこの日のアクトを選んだ理由は以下3点である。

❶この歌詞中、【太陽が死んだ】というフレーズが二度最もエモーショナルに繰り返され、しかもタイトルが『青い夜更け』っていうタイトルも『太陽の居ぬ間に』というアルバム(曲)タイトルとほぼ意味的にも同義である。

❷更に本live video内で、4:24の辺りのハルカトミユキのメンバー、キーボーディストであるミユキによるもはや絶叫にも似た叫びと、終盤のハルカの咆哮もアルバム収録力の『トライアングル』にも随所に見られる泣きの遠吠えにも似た顕著なグランジ性が感じられるではないか。

ちなみに彼女らはLIVEでここまで客を煽ることはあれど、ここまでシャウトするのはこのアクト以外では極めてレア。

❸更に最も単純な理由でこの時のサポートのベーシストが現チリヌルヲワカのメンバー、イワイエイキチ氏である、そしてギターサポートも前チリヌルヲワカメンバーであった坂本夏樹氏である、そしてこの2人が本曲を演奏している、というのも面白い偶然である。

さて、もうここまで来て繰り返す必要もなかろう。この『太陽の居ぬ間に』というアルバムと最も共時性を放ち、それと共鳴するハルカトミユキのアルバムは間違いなくこの『青い夜更け』のみならず、更に滅多に演奏されることのなかった『赤くぬれ』がこの日201910/17に、満を辞して演奏された、というの事実も相まって、両方の曲が収録されている『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』という事になるのだろう。

だから今回のfeverでの対バンにてハルカトミユキに興味を持ったチリヌルヲワカファンの感性と最も符合するアルバムはこのアルバムであると考えている。

赤くぬれ

赤くぬれ

  • provided courtesy of iTunes

 

4. 『太陽をつかんでしまった』男たちの行方

ここまで考えてきて、更に時系列を遡って行くとここで不思議な符号性をみる。

そう、90年代後半よりパンク、ガレージロックを武器にスタイリッシュな見た目とサウンドで頭角を現し徐々に拡大して、グランジロッキンブルーズ(造語です)なる独自のサウンドエスケープを確立していった2003年10月に解散した伝説のロックバンドThee Michelle Gun Elephantの後期を象徴する代表作『太陽をつかんでしまった』である。
 

彼らの曲調は後半、もっと言えば解散に近づくにつれて、重厚なシリアスさが色濃く反映されているのだが、まさにこの『太陽をつかんでしまった』という曲がまさに、この時期のミッシェルを象徴している楽曲である。

歌詞の一部を引用してみよう。

 

太陽をつかんでしまった男は

ライオンのついたプールで死んでた

He got sun

(中略)

太陽をつかんでしまった男は

どうしてもそこから動けずにいた

 

 

 

この太陽をつかんでしまった、と言うのはやはりロック・ポップフィールドにおける自分たちの当時の立ち位置の比喩でもあるのだろう。ほんとさっきあげた『太陽の居ぬ間に』における「どん詰まり感」でも感じているとでも言いたげなフレイズが【どうしてもそこから動けずにいた】と言う表現で露呈してしまっている。しかも、だ。そしてハルカトミユキ太陽は死んだ」という詞がリフレインされる『青い夜更け』とも何らかの共時性が見えるのだが。*2

 

【太陽をつかんでしまったその男は死に、太陽も死に絶え、

 そしてそこで亡霊のように浮かび、沈む景色】

 

この3曲が奏でるのはもはやそんな絶望に吹き荒ぶ荒野の景色である。

そりゃちょっと暗すぎやすないか、と言う感じがするのだが 『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』と言うタイトルで最後オチをつけておこうかw

 

 

 

 

*1:実はFinlandsの塩入冬湖さんも参加しているのだが本論を先鋭化するためにちょっと省略しておく。

*2:それにしても今年ギタリストのアベフトシ氏が亡くなってちょうど10年なんだな。ちょうど彼が亡くなったのは皆既日食の日だったと言うことでこの曲とともに伝説化したな

Minami Wheel 2019 レポート!

と、タイトルをつけておきながら個人的には人生初ミナホである。

今回は台風19号の影響で初日と2日目が中止になってしまったと言う異常事態だったのだが、これってかなりの「大英断」だったのではなかろうか。

何しろ初日と2日目で、膨大な数のミュージシャンが公共交通機関など利用して来るだろうし、また大阪オンリーのイベントとはいえども好きなアーティスト目当てに沢山観られるとあって、かなりの大混乱が予測されるからである。

おそらく2日目辺りの関西での天候の様子だと、まっさらに晴れていたので、実行は可能だったに違いない。まあできたとしても何組のアーティストは遠方から来れなくて中止になったり、移動しようも間に合わずといったように、結局のところは大混乱になり、どっち道完全な状態ではできなかったであろうな。

苦渋だっただろうが、本当に良い判断をしたと思う。

 

と言うわけで、この【初日であり最終日であるミナホ3日目】

個人的に観に行ったのは

 

❶AmamiyaMaako(SOMAにて)

❷番匠谷紗衣

❸YAIKO×TAKTAKA

❹カネコアヤノ      (2-4=全て心斎橋Janusにて)

の4組! 

まぁハコの移動の関係で部分的に見れたバンドとか色々あるんだけれども、がっつり最初から最後まで完全に見たのはこの4組ということで絞っておきます。

 

どのアーティストもやはり1日と2日目が中止になったといった事への何らかの思いがあったようでより丁寧に歌っていた者、或いはより気合が入っていた者、より思いを伝えようとするもの、と普段以上に気合いの入っていた演奏だった事は確か。

誰しもこの「失われた2日間」を取り戻そうと言う気持ちがこもっていたステージングだったというのは全般的に出たように思う。

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scene1

で、トップバッターは個人的に初のAmamiyaMaako。キャップを被った小柄でキュートな女の子って感じの彼女だったがステージに出ると、ドラムとギターに囲まれてリズムマシーンを打ち込みながらの演奏はとてもカッコよかった。

これからこういうリズムマシーンやループペダルなどマシーンを使って歌うSSWって増えていくだろうな。そういや開演前に見たホームページのプロフィールの肩書きに【トラックメーカー】ともあるように彼女はかなりアーバンな感じのバックトラックも作っている。そのいかにも東京って感じのオシャレなルックスや肩書きから、東京渋谷のDJイベントに出没しそうなパリピ志向の音楽をイメージしがちだが、聴き心地のいい落ち着いたサウンドが中心になっているのだ。どこか初期のCapsuleのラウンジっぽいサウンドを彷彿とさせつつも、テンション低めのヒップホップ要素を取り入れたという今までありそうでなかった感じがとても気に入った。

殊更、最終曲「City Magic」という曲を気に入った為、終演後、本人にこの曲が入っているCDはどれか、をお聞きして購入したのだった。

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AmamiyaMaako / 『City magic』MV


scene2

次はここんとこ毎週行っている心斎橋Janusに移動しての番匠谷紗衣。彼女は今まで『神戸アコフェス』、『百花繚乱』と特別感のあるライブイベントで2度観てきたが今回もまさにそれ。もはや関西の女性SSWを象徴する存在だと言っても過言ではないだろう。

にしても過去何度行ってもつくづく不思議なのは、彼女のキャラクターである。もっと言えば歌ってる時とMCに入った時のあのギャップよw。『自分だけの空』やら『紫空』やらあれだけ暗い曲(失礼!)、いや内省的な曲を切なく歌い上げた直後に放つあのMCとのギャップは何w????

しかも今回は「朝起きたらなんかめっちゃ右目の辺り虫に喰われてて(爆笑)

なんか殴られた後みたいになってるんですが、別に殴られたわけじゃない、ってことは言っとこうかと思って(会場大爆笑)。」ってあんた、それわざわざ自分で言わなきゃ誰も気付かんかったぞ。

そんな彼女もミナホで歌えるという事への熱い思いというものはヒシヒシと感じているようでこれまで3回観た中でも最も伝わるモノが多かったステージだったと思う。あと、終演後物販で是非伝えたかった事がその1点と、前のシングルに収録されている『Beautiful  dreamer』のカバーが殊の外素晴らしいということだった。本論からズレるがオリジナルじゃないかってくらいあの抑揚のあるメロディーとあの歌声とがピッタリと合ってるのだよ。ああ、あの歌ですか?とささっと一小節歌ってくれた時は1人コンサートみたいでとても嬉しかった(笑)。時期的にも是非あれ歌って欲しい。3月にまた新たな出発点としてBIG CATににてワンマンもやるみたいだしまさに「美しき夢追い人」として飛翔するのではなかろうか?

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番匠谷紗衣 - 自分だけの空


scene3

YAIKO×TAKTAKA

矢井田瞳とギター男2人組ユニットという、3人ともどもアコースティックギターというレアな編成だった。勿論矢井田さんのライブ見るのは初めてだったが一曲目からあの『ダーリン・ダーリン』でスタートを切る大出血サービスっぷり!この曲でもって彼女は大ブレイクした訳だがこの曲をハイライト、とかラスト曲とかで気合い込めて歌う感じじゃなく、他のお馴染みのヒット曲も新曲自然と同居させて演奏しているのがとても心地よかっただ。ホント全てがエバーグリーンなポップスで、客とのコミュニケーションってかのせ方の凄い上手いのはキャリア(20周年)のなせる技だろう。あとコレ後々思ったがコール&レスポンス曲のコーラス部分が凄くメロディアスで覚えやすい、ってこれセンスだと思う。

 

ほら、全然知らん人、知ってる人関係なくたまーに「このララ〜♫の部分、結構簡単なんで歌って下さい!」と言うんだけどそのコーラス部分が凄く覚えにくい場合があるんだよなwとか考えたりして...

 


矢井田 瞳 - I'm here saying nothing / Acoustic Live

scene4

ハイ、きました(笑)問題のカネコアヤノです。こちらも初めて拝見するパターンだったがバックバンドのメンバーが濃すぎ。ベースは小太りモヒカン髭メガネだし、ギターはカート・コバーンかDJIwamiさん的な大柄で長髪なちょっとグランジ入った風防。

(バックバンドは皆有名なバンドからゲストで来ている模様)そんな中で大正時代の画家が書いた座敷わらしのような赤い服を着た痩せた少女が前屈みになってチューニングをしている。それこそが今回のJanusのトリ、カネコアヤノその人だった!

とまぁリハーサルまでずっと本人達がそこにいたんだけどベースのPAへの注文がうるさいことw、と思ったらギターもこの音ください、ドラムまでこの音がどうだ、もう皆んなひとしきり音を鳴らしては注文しまくり大会のようになっていた。ま、この時何となく不安がよぎったのだがこの人たちのサウンドへの拘りかと捉え期待を込め直すことにした。

 

.....あの、ハッキリ言いますね、ここは特にTLとは違って人が限られるからまさかカネコファンが荒れ狂って反論かますなどはあるまいので、これは偽らざる自分の感想。

 

先ほどの綿密な音リハをやった意味はあるのかってレベルで音量上げすぎ爆音すぎ煩すぎ。これはもうちょっと脳天が揺れるかってぐらいのレベルでめちゃくちゃ不快でした。もうこれは当時の自分のツイートが何よりもそれを物語っている。

 

 

いや本当これだったアンコールであれだけ長いこと拍手が鳴り止まずも完全無視で終了したってのも何だかなあって感じだし、他のSSW勢に比べ注目度も高いのでちょっと調子乗ってんじゃないかってぐらいは冷静に思ってました、まあ本人たちが調子に乗らなけりゃライブにならないのだけれどね(笑)。

 こういう姿勢が彼女のスタイルっていうのならそれまでだが、やはり音源を二枚購入して後々聴いてみても「ああ、あの曲だ!」ってならないのだ。曲の再現或いは曲の再構築というか曲の原型を留めず爆音大会だったからね、しかも本人たちは満足気な感じだったのが尚更腹たつw

 

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というわけで今回いろんなアーティストとの出会いがあったが個人的にはたまたま入ったAmamiyaMaakoが大当たりで、今回の目玉という心持ちで行ったカネコアヤノがちょっと自分には合わず、ってのは面白かったな。

個人的にこういうフェス系イベントって参加していないので、こういうのも醍醐味なんだろうなと思った。

でもカネコさんに関してはこのステージのみでの感想なので、ちょっと反芻してみても良いかもとも思う。音源も更にあさってもうちょっと聴いて研究してみるかな。

 

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ちなみにJanusのこの展示いつも監獄を思い出すのはわいだけじゃろうかw???
 

 

 

 

 

 

インストアイベントに関する一考察

10/10のヒグチアイさんのニューアルバム『一声賛歌』のリリース記念イベントがタワーレコードNU茶屋町店で行われた。ここの所台風の影響で様々なイベントがキャンセルの憂き目にあるこの状況を鑑みて、通常予定の4曲→5曲とわざわざ1曲増やし、規定時間(30分)を少しオーバーしてでも演奏する大サービスっぷりでそこにいたリスナーを大いに聞かせて、話でも盛り上がらせ、全体として満足させるものだったように思う。

 

 

そして演奏の後、LIVE告知とサイン会といういつも通りのよくある流れ。それにしてもインストアって曲も無料で聞けるしアーティストとの距離感も近くてサイン会で直接話もできるし、ワンマンライブとかと違った良さづくめでお得感あっていいなあと思う(笑)。

思えばここ5、6年色んなインストア・ライブに行ってきたものだ。

人生初のリリイベは2013年の12月(結構最近よね)の曽我部恵一『超絶的漫画』のhmv神戸三宮でのイベント以来だ。

以下は、コレまでに行ったリリースイベント一覧である。

 

❶ハルカトミユキ 4回

植田真梨恵 7回

新山詩織 2回

❹ヒグチアイ 2回

曽我部恵一 1回

❻クアイフ 1回

❼ましのみ 1回

山崎あおい 1回

❾The Yearning  1回

黒沢健一 1回

11丘みどり 2回

 

という感じ。

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植田真梨恵さん異常に多いっw!

それにしても植田さんに少し申し訳無く思ってるのは、ハルミユの場合だとワンマンLive総数が軽く見積もって20回以上は行ってるのに対して、彼女の場合ワンマンLIVEは2回(うち一度は人からチケットを譲り受けて)ぐらいしか行った事ないのだ。だから9回中7回は無料Liveでしか植田さんを見ていないことになる、同じ福岡久留米生まれだってのに...w😅

あと、❺の曽我部恵一さんは渋谷のタワレコとかならサニーデイ含めありがちだけど、関西でのイベントしかもhmvであんまりインストアってやるイメージがなかったから今思えば個人的にはレアだった。

あと珍エピソードでは❽の山崎あおいさんは風邪を引かれてたっぽくて話するときの声が辛そうで辛そうでめちゃくちゃハスキーでとても気の毒だった。でも予定通りの曲をこなしたのは彼女にプロフェッショナリズムを見た思い。

あとレア度で言えばイギリスから翌日のワンマンの宣伝も兼ねて、イギリス発祥のドリーミー・ポップバンド❾The Yearningは店内ではなくマルビル外のテラスでの演奏だった。あと難波タワレコでの➓黒沢健一さんインストアってのは時期的に入院される直前だったのだろうということに今改めて気づく。

最後に11の紅白にも出ている演歌歌手の丘みどりさんはうちの実家の親が熱狂的なファンでサインを頼まれて仕方なく(失礼w)といういきさつから行ったのだけれど、演歌でも行ってみればとても楽しいものであった。

 

...と、これまで合計22回のリリイベの経験を経て十人十色っていうかアーティストの個性がリリイベでのアクトを見るにつけ漠然と2つの特徴が沸き起こってきた。

 

(1)インストアって撮影・動画禁止の所とそうでない所がある。

(2)サイン会のサインはCDジャケットのみ、って所と他のでもオッケーって所がある 

 

具体的には...

 

❶ハルカトミユキ→動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

植田真梨恵 →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

新山詩織 →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

❹ヒグチアイ →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

曽我部恵一 →動画・撮影言及なし、サインにも言及なし 

❻クアイフ →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

❼ましのみ →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

山崎あおい →動画・撮影禁止、サインはジャケのみ 

❾The Yearning  →動画・撮影OK、サインはなんでもオッケー 

黒沢健一 →動画・撮影禁止、サインは言及なし

11丘みどり →撮影OK、サインは言及なし

 

はい、ここで驚くべき事はもうほとんどが動画・撮影禁止、サインはジャケのみという事だよね。

特に❶ハルミユは通常・限定と二枚買うから一枚はジャケット、もう一枚は常日頃持ち歩いているサイン手帳にということで事前にスタッフ氏に交渉したのだがものの見事に玉砕されてしまった。後は、そういう向こうサイドのサイン箇所の指定がなくとも、サイン会の時にスタッフ数名がピッタリとアーティストにくっついて会話の内容もしっかり聞いてるし、あの場で無下に断られるのもアレなんで、サイン帳記帳への要求はしないでおくことにしておいたのだがどこでもダメだろうね。

で、逆に大オッケーだったのはイギリスから来日されたThe Yearningというドリーミーポップなバンドで、サイン手帳用にもう一枚CDを買っておいたのだが、2枚ともサインをして、手帳にもサインしてくれるという大出血サービスぶり。もう演奏中の写真・動画もむしろバンバン撮っていいってことだったし、日本の音楽事情ってどうなってるのだと疑問に思ったくらいだ。

で、本論から外れるが、あまりにもこの時の対応が神だったから「『When I lost you』という曲が素晴らしい、人生の曲だ。」と告げると、喜んで「じゃぁ明日のワンマンでもプレイするから来なよ。」と言うものだからチケットを即購入したという素晴らしいエピソードのあるこの『When I lost you』を紹介してあげよう(笑)。*1


THE YEARNING - When I Lost You [Official]

ちなみに➓の黒沢さんはファンのお姐様がたが幾分暴走気味で、ちっちゃいキーホルダーみたいなのにサインしろだ、健ちゃーんと写真撮りたいだ大暴走ともとれる要求の数々を顔色一つ変えずニコニコと応じていた。あと意外だったのが11の演歌歌手の丘みどりさんで、本人自ら「今日は、撮影OKです!私を綺麗に撮ったら是非SNSに載せて拡散してくださ〜〜い!!」と言うことだったのだ。

で、これはそのときに撮ったもの↓

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全体として見てみると、かなり意外なことではないだろうか?日本のJ-POPど真ん中の系譜にいるべき❶❷❸❹❻❼❽が全てガチガチのルールに塗り固められててサインもジャケのみ、動画撮影もダメってことだし、日本じゃなく、海外に活動拠点などのレーベルがどっしりと構えている❾や、音楽業界としてはむしろガチガチに芸能界げなルールがあって撮影など持っての他だと思ってそうな演歌の方が撮影全然オッケーってなんだか矛盾してないか?

で、そんなことを思ってこうツイートして見たら、結構なリアクションがあった。

 

 

これはもしかしたら、だが90年代以降のCDバブル全盛期の音楽業界人のステレオタイプの考えだけが未だに歪に残っているんじゃないだろうか?

これはあくまで憶測だけれど、売れてないアーティストでもアーティストとしての威厳、というかカリスマ性をもたすために、取り繕わせるべく変に神格化させる為に【撮影禁止】ということにしてるんじゃないだろうか?とすら思ったりもする。

でもインストアっていうのは本来CDを売るってことが第一目的なんだからガンガン拡散すりゃいいのにね、まあ売れたらこうしてインストア自体のイベントがなくなんだろうからそれまでの辛抱(?)ということで。でも丘みどりは結構売れてるのにああいう対応は凄いなってか、この時の様子をTwitterにあげた時インプレッションが殊の外少なくて、お客さんの年齢層的にもSNSやってる人って少ないんじゃないか説があるんだけどw

 

 

 

 

*1:ちなみにワンマンライブ時に本曲を演奏し、そこでも動画撮影全然オッケーだったのだ。