0. ハルカトユウ、運命の共演
そう、10/17(木)ほど関西圏と関東圏との間に歴然と立ちはだかる高いThe Wall(壁)を感じ、嫉妬した事はない。何せ個人的に、非常に興味深い歴史的なライブが東京で開催されていたのだから。
ユウ(チリヌルヲワカ)とハルカ(ハルカトミユキ )という二大アーティストが同じステージに立つという対バンイベントがあったという。*1
ハルカソロのセットリストは以下の通り。
ハルカ(ハルカトミユキ)@新代田FEVER
1.赤くぬれ
2.Pain
3.バッドエンドの続きを
4.長い待ち合わせ
5.グッドモーニング、グッドナイト
6.17才
7.LIFE2
ちょっとこのセトリを見て、おおっとビックリした事があった。
3rd『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』(以下『そんなこと〜』)に収録されている『赤くぬれ』というライブ演奏としてはかなりレアな曲が最初に演奏されたのだ。
この曲がLIVEで観たのは一体いつ以来だろう?と、時間軸を遡れば、個人的にこの曲をLIVEで最初に聴いたのは2015年のタワーレコードでの3rd『そんなこと〜』インストア以来だと記憶している。
で、その当時特に印象的だったのは、本曲は終盤はバンドサウンド大爆発のままフィニッシュするのだが、ここはギターとキーボードの2人編成ゆえに途中で潔くパッと区切って「.....とまぁバンドの演奏がCDでは続いていきます。続きはCDでお聴き下さい(会場爆笑)」的な事を言ってた事を含めてもレア度高い演奏だったなぁと思う。今だったら2人編成ものすごいパフォーマンスしそうだけど。
あと10/17では4曲目で『長い待ち合わせ』も演奏されているが、やはり4年前のタワレコイベントのリハーサルの時に「イベントまでもうちょっと待って下さい、ということで『長い待ち合わせ』を一曲歌います。」と言って披露された記憶がある。
いずれにせよ両曲が合わせて演奏されたのは4年前、って訳でそう考えると、なんとなく2015年が懐かしく浮かんでくるような。もっと言えば『そんなこと〜』という盤がリマインドされるとも言えるこの日のアクトである。
ということで本記事ではチリヌルヲワカの現時点での最新作『太陽の居ぬ間に』とこのアルバム『そんなこと〜』との間に何らかのシンクロニシティがあるのではないか、と言う事を検証していきたいと考えている。
1.『太陽の居ぬ間に』のオルタナ性
さて、このチリヌルヲワカのア現時点での最新アルバム『太陽の居ぬ間に』は、以前ライブに行ったときにもユウさん自らMCでも触れていたが、この盤はこれまで計8枚ものヲワカ・サウンドを確立以後、次の章へと駒を進め切ったと言う意味で彼女らのキャリアの中でも極めてオルタナティブなステイタスがあり、なお世間に対してもオルタナティブ・ロックの金字塔を打ち立てたという意味で二重の意味でオルタナティブなアルバムだと思う。
これまでライブこそ最近行きだしたものの、チリヌルヲワカの全音源を聴いてきた者としては、ロックダイナミズムと、狂乱の部分と疾走感と(ユウ前キャリアバンド時からあった)和風要素とが絶妙の塩梅で配合されているにだけれど、どこかさっぱり無駄な要素は削ぎ落とした『粋(いき)』な要素がどのオリジナルアルバムにも見受けられたように思う。だが、本アルバムはどこか感触が違って、これら上記で挙げた要素以外でも90年代初期グランジなどに見受けられたヒリヒリ感や、途方にくれる感じ、更にメランコリアな感傷も同時に表現され、彼らの全ディスコ・グラフィーの中でも最も切迫感のある、とてもリアルなロックとして響いてくるのだ。
例えばそのようなリアリティは『太陽の居ぬ間に』トップチューンを飾る『トライアングル』がとても顕著である。
今年は3度彼らのライブを体験して、バンド、アコースティック編成問わず全て本曲が最初に披露された。LIVEバージョンではよりグルーヴ感に揺らぎを増したバンド演奏となるため、ユウの言葉はよりサイケデリアを増して聴こえる。『トライアングル』はそんな彼らの今現在のモードであるのだろう。
更に切迫感、リアリティという観点から他曲にも触れてみようか。それを最も象徴する事実として、『太陽の居ぬ間に』のアルバム表題曲『太陽の居ぬ間に』に以下のようなフレーズがある。
未来に進んでいるのか
過去に戻っているのか
昨日の自分を恥じらって
信号をただ見つめてる
そこに浮かんでいるのか
そこに沈んでいるのか (『太陽の居ぬ間に』)
前キャリア含め20年以上の最前線に立ち、常にポップとロックの絶妙の間(ま)を鳴らしてきた孤高のロック・アーティスト、中島ユウの偽らざる言葉としては何と切なくも、苦悩にも満ちた、行き止まった言葉達であろうか?
先にも行けず、かと言って引き返せない、ポップ・ロックミュージックフィールドでの自らの立ち位置というものに対するある種の「どん詰まり感」でも感じているとでも言いたげなフレイズ。
この曲の歌詞をパッと読んだ時実は「どん詰まり感」という意味でシンクロしている楽曲をふと思い出すものだ。それが奇しくも『そんなこと〜』に収録されているハルカトミユキの『青い夜更け』である。
2. 『青い夜更け』、その叫びの真意は?
リリース時期は逆であるが、まるでそんな上記で掲げた不安げなユウの言葉達に共鳴し、尚且つそこへ呼応するかのような、曲がハルカトミユキの『青い夜更け』である。以下は歌詞の一部である。
誰も知らないまま、
誰も知らないまま、
太陽は死んだ
誰も知らないまま、
誰も知らないまま、
冷蔵庫の中 太陽は死んだ
ぐらりぐらり心臓を揺らす
花瓶の花が静かに腐る
まだ私は息を殺して
そこだけ青く光った夜(『青い夜更け』)
ハルカトミユキ harukatomiyuki haruka to miyuki 青い夜更け aoi yofuke live 2014
この曲の5年前のライジングサンであるが、敢えてこの日のアクトを選んだ理由は以下3点である。
❶この歌詞中、【太陽が死んだ】というフレーズが二度最もエモーショナルに繰り返され、しかもタイトルが『青い夜更け』っていうタイトルも『太陽の居ぬ間に』というアルバム(曲)タイトルとほぼ意味的にも同義である。
❷更に本live video内で、4:24の辺りのハルカトミユキのメンバー、キーボーディストであるミユキによるもはや絶叫にも似た叫びと、終盤のハルカの咆哮もアルバム収録力の『トライアングル』にも随所に見られる泣きの遠吠えにも似た顕著なグランジ性が感じられるではないか。
ちなみに彼女らはLIVEでここまで客を煽ることはあれど、ここまでシャウトするのはこのアクト以外では極めてレア。
❸更に最も単純な理由でこの時のサポートのベーシストが現チリヌルヲワカのメンバー、イワイエイキチ氏である、そしてギターサポートも前チリヌルヲワカメンバーであった坂本夏樹氏である、そしてこの2人が本曲を演奏している、というのも面白い偶然である。
さて、もうここまで来て繰り返す必要もなかろう。この『太陽の居ぬ間に』というアルバムと最も共時性を放ち、それと共鳴するハルカトミユキのアルバムは間違いなくこの『青い夜更け』のみならず、更に滅多に演奏されることのなかった『赤くぬれ』がこの日201910/17に、満を辞して演奏された、というの事実も相まって、両方の曲が収録されている『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』という事になるのだろう。
だから今回のfeverでの対バンにてハルカトミユキに興味を持ったチリヌルヲワカファンの感性と最も符合するアルバムはこのアルバムであると考えている。
4. 『太陽をつかんでしまった』男たちの行方
ここまで考えてきて、更に時系列を遡って行くとここで不思議な符号性をみる。
そう、90年代後半よりパンク、ガレージロックを武器にスタイリッシュな見た目とサウンドで頭角を現し徐々に拡大して、グランジロッキンブルーズ(造語です)なる独自のサウンドエスケープを確立していった2003年10月に解散した伝説のロックバンドThee Michelle Gun Elephantの後期を象徴する代表作『太陽をつかんでしまった』である。
彼らの曲調は後半、もっと言えば解散に近づくにつれて、重厚なシリアスさが色濃く反映されているのだが、まさにこの『太陽をつかんでしまった』という曲がまさに、この時期のミッシェルを象徴している楽曲である。
歌詞の一部を引用してみよう。
太陽をつかんでしまった男は
ライオンのついたプールで死んでた
He got sun
(中略)
太陽をつかんでしまった男は
どうしてもそこから動けずにいた
この太陽をつかんでしまった、と言うのはやはりロック・ポップフィールドにおける自分たちの当時の立ち位置の比喩でもあるのだろう。ほんとさっきあげた『太陽の居ぬ間に』における「どん詰まり感」でも感じているとでも言いたげなフレイズが【どうしてもそこから動けずにいた】と言う表現で露呈してしまっている。しかも、だ。そしてハルカトミユキ太陽は死んだ」という詞がリフレインされる『青い夜更け』とも何らかの共時性が見えるのだが。*2
【太陽をつかんでしまったその男は死に、太陽も死に絶え、
そしてそこで亡霊のように浮かび、沈む景色】
この3曲が奏でるのはもはやそんな絶望に吹き荒ぶ荒野の景色である。
そりゃちょっと暗すぎやすないか、と言う感じがするのだが 『そんなことどうたっていいこの歌を君が好きだと言ってくれたら』と言うタイトルで最後オチをつけておこうかw