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日常の何気ない光景が「普遍の真理」に変わる時〜 #Anly「Homesick」、 #天野花「渚」、#タカハシリツ「たそがれメリーゴーランド」を中心に

日常の何気ない光景が「普遍の真理」に変わる時〜#Anly「Homesick」、 #天野花「渚」、#タカハシリツ「たそがれメリーゴーランド」を中心に

The Table of Contents

1. Anly sings『Homesick』

2.「Homesick」と共時する楽曲3選

❶Taking My Time

❷Rainbow

❸VOLTAGE

 

3.日常を普遍化するポップス

case1 天野花『渚』『おじいちゃんの歌』

case2 タカハシリツ『たそがれメリーゴーランド』『宇宙飛行士になりたい』

 

 4. The origin of Anly

 

1. Anly sings『Homesick』

これまで、私はこのブログ内でSSW、Anlyに関する記事は他のアーティストに比べても数多く書いてきたように思う。

以下、ライブレポからメディア進出論に至るまでざっと過去の彼女に関する6つの記事を一挙に挙げておく。

nenometal.hatenablog.com

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なんというか、このAnlyというアーティストはある意味つかみどころがない人で、これだけ多くの字数を費やして語っても未だにはっきりとは定義できていないのが実情である。言うなれば、楽観的とでも形容しても良いくらい明るい人かと思えば、ふと「KAKOOII」「DAREDA」などの歌詞の一部分において内省的な側面も窺えるし、更にライブアクトでベテランアーティスト化ともわせるような余裕と天才的なプレーで観客を魅了するかと思えば、ステージ上で着ているトレーナーにテニス・プレーヤーが描かれているからと言って「テニおじ」などと言ってはしゃぐキュートな一面なども垣間見せたりと、本当プロフェッショナリズムとヒューマニズムの塩梅が本当に絶妙すぎるのだ。いわば、アイコンとしてのキュートさとプレーヤー的かっこよさとイノヴェーションとの共存.......こんな音楽家もしかしてザ・ビートルズとかあの辺以来なんじゃなかろうか?こうしてAnly の音楽を3年ほど聴いてきて、例の人気音楽番組「関ジャム」でのループペダル演奏でのトレンド入り以降徐々にではあるが知名度だとかライブキャパシティーが順調に上がってきているのをSNSや会場の熱気などからも十分に感じるし、それに反比例して逆にどんどん歌詞や歌声がより自然体かつニュートラルになっているのも同時に感じたりもして、現在続行中の47都道府県49公演という壮大な弾き語りツアー「いめんしょり」においても客との近さをアピールしたライブを開催しているのも少なからず影響しているように思える。

  そんな絶妙のタイミングで、日常的な光景を世界レベルのサウンドプロダクションに当てはめる事で普遍的なグローバルポップスとして成立させようとする野心的な試みを仄めかしているような新曲が5/18に配信という形でリリースされた。

この『Homesick』、パッと聴きそう派手さはないものの様々な要素を内包している曲だと思う。どこかアレンジの洗練性は言わずもがな、どこかメロディに泣きの要素もあったりどこか地元沖縄を思わせる感じもしたり、全体としてグローバルなポップスであらんとする意識もしっかりと見え隠れするのだ。いわば、「コンテンポラリーなR&B要素含んだJ-pop」といった趣のいろんな要素を含んだ楽曲だといえる。

 そしてJ-popといったが、Anly 『Homesick』のイノベーションは既存のJPOPが洋楽コンプレックスかれ見よがしに英語を紛れ込まれるものが多かったのだが、日本語もしっかりと言葉として組み込まれている。

この多要素感の所在を確かめるべく配信日と同時に公開されたMVを観てみよう。


www.youtube.com

最初正直「ハイハイ、一人暮らしの女の子のスタイリッシュなMVですね。」と先入観バキバキでを括って望んでいたが、これがもう観てみると良い意味で大きく予想を超える代物だった。

本MVにおけるツボをいくつか羅列すると

0:46で、洗濯物のカゴを足で蹴飛ばし避けたり、お茶飲むのに沸騰した鍋から直接マグカップティーバック入れてお茶飲む感じとか、前の晩にカレーだかシチューだか作って食べてその容器がなおざりにされていたり、一人暮らしを始めたばかりの「あるある」事項ものの見事に細かく描写されている点。
本MVを制作している吉田ハレラマ 氏はいつもリリックと映像との融合ぶりに独特のセンスを感じるのだが、今回も1:10辺りでトースターからパンの出る瞬間に【いつも自問自答 これで良いんでしょう?という歌詞のでるタイミングのシンクロしている点や、かと思えば0:49辺りの【溜まってた洗濯物と格闘している土曜日】のくだりでリリックの出すタイミングを微妙に遅らせる絶妙感だったりある意味映像とリリックとが同時に語っている感覚を覚えるものだ。(付記;このリリックvideo初めて観た5/18〜5/23日の本ブログ執筆時には確かに遅れてたのだが今日(5/24)観るとリリックのでるタイミングがしっかり治ってる。絶対ここは遅らせてたという自信がある、だって何度も観たもん(笑)。もしかしたら修正を施したのかもしれないが、その時私はそう思ったのでこの時のリアルな気持ちをここに記しておく。)
2:31で足で洗濯機の上の洗濯バサミがバタっと落ちるシーンがあるが、こちら設定上歌詞に出てくる「あなた」が死者だったとしてふとその人が彼女の元にやって来て【見守っている】て事を知らせてくれた、と解釈が可能なのかもしれない。この時彼女はふっと焼きあがったトーストを頬張りながら気づいたような微妙な表情を浮かべるようにも思える。
❸と連動するかもしれないが、ラスト風船が飛んでいくシーンも【霊的なるもの】のメタファーではないかと思ったりして。「霊としてのあなた」と言うよりもこのmvではあくまでリリックビデオなのでここで一切姿を見せない歌い手Anlyだったする事も考えられる、というのも『VOLTAGE』においても彼女自身が黒い風船を飛ばすシーンがあって、そう言う場面とのシンクロがのちに大きな意味を持つように思えるから。

その他、晩飯に食ったカレーだかの食器の汚れ具合にリアリティーあってトータルで「一人暮らし始めたばかりの女の子がホームシックになって...」て話なんだけど、恐らくは地元沖縄から離れて上京することになったAnlyの実体験がモチーフとなってから生まれた楽曲だとは容易に想像できるし、実際本曲の原型が披露されたのは割と初期のデビュー当時のリリースイベントでのライブだと記憶している。

一人暮らしには慣れたけど
一人ぼっちには慣れてないそっちの天気はどうですか
蝉はもう鳴いてるのかな都会は日陰を歩いても
ちっとも涼しくならないどのくらい経つのかな
あなたにサヨナラと手を振ったあの日から(あなたにただいまと抱きついたあの日から)恋しくて恋しくて眠れない
なんて言えない 私Home sick

注目するべき点はこの「恋しくて恋しくて眠れない なんて言えない  私Home sickというフレーズでパタリとエンディングを迎えるのが特徴である。普通こういう「一人暮らしを始めて1人寂しい5月病のあなたへ」というテーマの曲だとどこか歌い手側から「寂しくないよ、もう大丈夫。」とダイレクトに語りかける歌詞が垣間見えるものだが本曲の

真面目に生きてればもう大丈夫

というフレーズは【あなた】からの間接的なメッセージとして歌の中で客観的なメッセージとして示唆されている程度である。

.............も関わらずである。本曲の行間から溢れてくるポジティヴィティが感じられるのは「太陽系シンガー」或いは「白く明るいCocco」はたまた「Anly晴れ」なる言葉は存在する様に天性の外交的な(extravert)資質のあるAnlyというミュージシャンが歌っている事がとても大きいのではなかろうか。ここで「もう大丈夫だよ」など逆に取ってつけたようにポジティブなフレーズを挿入すると曲のリアリティが瞬く間に崩れてしまうとすら思えるからだ。
その点から考えて、本MVにもハッと気づく点がある。

本当に観れば観るほど味のある「スルメMV」だと思う。

都会は日陰を歩いてもちっとも涼しくならない

という歌詞にも最初個人的に韻を踏む歌詞が好きだったのだが最近はこのフレーズが心の琴線に引っかかっている。単に地元沖縄と東京の気候事情の相違を歌っているのではなくて都会の人に単に地元沖縄の気候事情ってんじゃなくて都会の人にありがちな「本音と建前」を示唆してるんじゃないかと思ったりもするのだ。

 そしてラスト、風船がふっと飛んでいくシーンである。ここにこれまでAnlyの投影のような一人暮らしの女の子が抱えていた寂しさであるとか鬱屈とした思いこの風船の中に閉じ込めて、フワァっと解き放たれた瞬間それらの思いが一気に昇華される感覚を覚えるのだ。そしてそう思ったもう一つのキッカケはアニメ主題歌としてもお馴染みのバキバキのポジティブソングである『VOLTAGE』のMVのラストで、Anly自身が黒い風船を解き放つ場面ともどこかシンクロニシティを感じる。

🎈  バルーン飛ばし『Homesick』ver.

🎈  バルーン飛ばし『VOLTAGE』ver.

このシンクロは一体何を意味しているのだろうか?恐らくはこの「バルーン飛ばし」は今後4曲連続配信リリースされる全てのMVに統一されるオプションかもしれないのだが、あくまで『Homesick』は地元から離れて東京に暮らすAnlyのパーソナルな側面を歌詞として反映させている一方で、MVの中の他者にも同様の行為をさせることで単なる個別のパーソナル・ストーリーの域を離れて様々な人々の様々なケースへと普遍化させようとしたのではないだろうかと思ったりするのだ。だってこのMVを何度も目にする度にこれを聴く人によってこの「あなた」なる対象が親なのか恋人なのか、或いは生き別れた人なのかニュートラルに設定しているのではないかと個人的に思ったりする。

にしてもここで描かれている世界観のなんとリアルな事か。そしてこの日常の何気ない光景が「普遍の真理」に変わる時ポップミュージックの存在理由と果たすべき役割が内包するのではないだろうか

*1

 因みに本MVの中でこのAnly自身の投影ともいえるリアルな一人暮らし経験者を演じているのは「平田みやび」さんという今は舞台を中心に活躍している俳優である。

michabiyo.amebaownd.com

プロフィール見てたら映画出演歴に「テロルンとルンルン」がある事は個人的に良い意味で驚いた。

*2あのルンルンが通ってた学校の同級生の一人だったんだろうか。


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自分の好きなものの、こういうリンク見つけるの非常に楽しいものだが、あともう一つのリンクはこのリリックvideoを制作したのは私的ライブ絶対行くアーティストの一人である鈴木実貴子ズのMVを制作していることで有名な吉田ハレラマ氏が本MVを担当していることである。

この吉田氏のリリックと映像との融合っぷりに独特のセンスにも注目したい。『Homesick』では比較的リリックの出方は曲調に合わせて淡々としていると思うが、彼の真骨頂はリリックもまるで生き物であるかのように表現している点である

それを象徴しているのが以下は鈴木実貴子(ソロ)楽曲「裸を着ながら」とバンド編成曲「口内炎が治らない」を挙げてみよう。

*3

❶鈴木実貴子『裸を着ながら』


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口内炎が治らない


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両曲ともどもリリックがリリック以上の化け物と化し、Anly「Homesick」のリリックとは対照的に画面上で果たす役割が大きいことに気づく。

特に『裸を着ながら』において

拳銃で撃たれても気づきやしないぜ

の箇所で文字の塊が銃と化し実貴子氏を撃ち抜くシーンなど最初見た時からものすごいインパクトである。更に『口内炎が治らない』でも敢えて歌詞の一つ一つを辿って行きその文字が多くなったり小さくなったりする感じを見るにつけ言葉も生き物ではないかとの錯覚すら覚えるのだ

次節・次々説では「Homsick」的とどこか共時する楽曲を追ってみることでより日常の何気ない光景が「普遍の真理」に変わるポップソングのありかを追っていきたいと考えている。

 

2.「Homesick」と共時する楽曲3選

❶Taking My Time


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『Homesick』を聴いた時パッと浮かんだのが『Taking My Time』である。どこかTake one’s time(ゆっくり行こう)という意味のタイトルと「五月病のあなたに」というメッセージとがリンクする感覚もあるし、或いは海外のR&Bポップスのような雰囲気がありつつも日常にあるありふれた光景をポップスとして普遍化する試みを本曲にも感じたりする。

そういう意味でそれと近いイメージを想起したのがまだ音源化されていないものの『KOMOREBI』という楽曲であの曲も淡々としつつもどこか日常の何げない光景に小さな光を照らすような素朴な温かい仕上がりの曲になっている。

❷Rainbow

「雨の弓」と書きRainbowを名乗る本曲はポジティブなメッセージを郷愁的な編曲で彩られた Anly 要素100%のパワーソングである。FM802の企画でファンの声や拍手などを集積して作られたらしいが。、ここで注目すべき今回は沖縄風のアレンジとコーラスがインターナショナルポップスに拘泥しない、どこかAnlyならではのヒューマニズムを感じさせ、彼女ならではのオリジナリティある曲に仕上げているものだ

Rainbow

Rainbow

  • Anly
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
そっちの天気はどうですか
蝉はもう鳴いてるのかな都会は日陰を歩いても
ちっとも涼しくならない

そしてこの「Homesick」にも地元沖縄から離れて住むことを示唆している歌詞がこちら。

繰り返しになるが、やはり沖縄の夏の到来の速さを蝉と言う夏の季語を用いている事と「都会は日陰を歩いてもちっとも涼しくならない」と言うフレーズは湿気の多い都会の夏を意味しているのと同時にどこか「当たり障りの良い表向きをしていても人の心は読めない」と言うようなメンタルな面も同時に表現している様にも思えるのだが。

❸VOLTAGE


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曲タイトルはズバリ『voltage』で、本単語自体にエレキギターを思わせる【電圧】の意もあれば、LIVEを思わせる【熱狂】の意も兼ね備えている。先のツアーで披露された新曲群が割と優しいトーンの曲ばかりだったから『FIRE』を思わせるこういう真っ向勝負感のあるニュアンスの曲は純粋に楽しみ。先に触れた通り『VOLTAGE』においても彼女自身が黒い風船を飛ばすシーンがあって、そう言う場面とのシンクロがのちに大きな意味を持つように思えるからである。2曲目の『大切なものはいつも歌の中にある』ほどコロナ禍以降、エンタメの価値観が軽視されてきた事に対してここまでハッキリと立ち向かって音楽家としてマニフェストした曲を他に知らない。そう、Anly というSSWはこの二年、配信だろうが有観客だろうがそういう稲妻のようなVOLTAGEを与えてくれたものだ。そんな頃中に生まれた象徴のような曲だ。*4

 

3.日常を普遍化するポップス

case1 天野花『渚』『おじいちゃんの歌』

4/23(土)@大阪 真心場
4/24(日)@大阪 心斎橋knave の
二日間は個人的に「天野花フェスティバル【花フェス】と呼称するほど天野花氏のライブを堪能できた土日の夕方だった。大阪ではミナホ、LIVE自体は一月の下北ワンマン以来という最高のインターバルでの天野花さん。本セクションではこの二日間のライブで披露されたAnly『Homesick』とあい通ずる日常を普遍化するポップスについて検証してみようと思う。

心斎橋・真心場 セットリスト(2022・4・23)

透明なブルー
カーテン(新曲)
ブーイング
freesia
かさぶた

 

大阪 心斎橋knave「start me up vol.2」(2022・4・24)


群青
さよならカラー(カバー)
ガールフレンド
アップルパイ
おじいちゃんの歌
カーテン(新曲)
スターライト

改めて思ったが彼女はまるで弓を射るかの様に全身全霊でギターを奏でる姿がとてもしなやかである。しなるようにギターを弾く人はよくよく考えればあまりいなくて、個人的には元スパイラルライフだとか元AIRなどで知られる車谷浩司(Laika Came Back)を彷彿とさせるものだ。で、この2日間で共通して演奏されたのが『渚』と言う曲で、本曲のモチーフは彼女のお母さんに捧げられた(と言っても健在なのだが)曲で、地元八丈島に帰った時の以下のエピソードを教えてくれた。

花「子供の時私をぎゅっと抱きしめてくれなかったよね。」

母「あの時は恥ずかしかったからね。」

花「(恥ずかしい、と言う理由ってのも天然のお母さんらしいな)」

と思ってた所、東京に飛行機で帰るって時に帰りの空港にてこの時のことをふと申し訳なく思ったのか、

母「おいで!!今抱きしめてあげる!!!」と母が高らかに宣言し

花「もう今はいいよwwwww」

と思ったという空港での母との爆笑MCから曲に入った瞬間にこのエピソードが感動エピソードに変わったという『渚』である。

渚

  • 天野花
  • J-Pop
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

今回 天野花 さんのLIVEを2日連続観て気付いた点は特に彼女のピアノ曲におけるメロディーにはどこか「第三の旋律」が存在していてそれが曲世界を体感する上でえもいわれぬ余韻を与えてくれる事である。 だからこそパーソナルな主題のテーマでもそこに留まらずどこか普遍性を持って響いてくるのだろう。

ワンマン含め 天野花 氏のLIVE個人史上最高値を記録した曲が『おじいちゃんの歌』である。*5この日語られたエピソードは「祖母がいない時に私にいつも馴れ初めなど自慢したりするくせに、祖母がいる時はいつでもつっけんどんな態度をとってしまう、そんな不器用だけれど愛情表現がいつも下手で祖父に変わって歌います。というMCのあと放たれた問答無用の最近亡くなられた彼女の祖父へのレクイエムである。

すみっこに見つからないように 
やさしく置いておいたから
あなただけが僕を抱きしめて
「やっと見つけた」と笑えばいい
それだけでいい
それだけでいい

この普遍的に美しいメロディーに彩られライブ印象的なサビの部分の歌詞にふと気づくが、これは生前の話を再現したものではなくあくまで今、天国に行って愛すべき祖母を見守っているような慈愛に満ちた歌詞に注目したい。「自分の祖父を思って歌った曲」でありというパーソナルな視点を起点としつつもどこかファンタジックな側面のある歌である。
そして更にメロディーについて語ろう。本曲の歌詞のみに注目すると儚さ、温かさ、優しさと言う極めてヒューマニズムな印象を受けるだろうが【すみっこに】の辺りの壮大なまでの伸びやかさであったり【置いておいたから】のクールな着地の仕方であったりとか極めてドラマティックに響くのだ。ここに私が天野花の曲ポップミュージックとして定義できる所以である。

*6それにしても、だ。『群青』『スターライト』の光刺すようなポップネスも『Girlfriend』『おじいちゃんの歌』の崇高なメロディーも殊更スピリチュアルなレベルで心に響いた。天野花さんの「どうもすいませんね〜💦」かなんか言って自己肯定感低いのに『群青』『おじいちゃんの歌』『ある日のこと』みたいな有無を言わさぬ名曲さらっと歌う感じにかえってアーティストみを感じる。大袈裟ではなく彼女こそ過去のブログでも触れているようにこういう何気ない日常の風景を普遍的に美しいメロディーという壺に閉じ込める、正にPOPSの魔術師だと思う。この人も今後ともまだまだ目撃せねば。

*7*8

 

case2 タカハシリツ『たそがれメリーゴーランド』『宇宙飛行士になりたい』

最後にもう一人のSSWの本テーマにぴったりなSSWの楽曲を紹介したい。先ほど天野花さんも出演していた大阪 心斎橋knave「start me up vol.2」(2022・4・24)でも共演したタカハシリツさんの楽曲「たそがれメリーゴーランド」と「宇宙飛行士になりたい」で、この二曲はつくづく「日常のサウンドトラック」だと思う。特に『たそがれメリーゴーランド』は破格値に良くて

毎日は戻れない一分一秒と世界は色を変えてゆく
毎日は もう戻れない
だからこそ毎日が愛おしくて

我々は生きている限り色んな事にサヨナラしないといけない。それは人であったり物であったりそして今日の自分でさえも。そんな儚げで残酷な日常で笑っていける強さを本曲は与えくれるの曲だと思う。黄昏(twilight)歌った曲に名曲多い説が私の中であるがこれ本当だ。

 

❶『たそがれメリーゴーランド』 Short version


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❷タカハシリツ生誕ライブ


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『たそがれメリーゴーランド』は(39:51~)辺りで披露され、『宇宙飛行士になりたい』(17:01~)で演奏されているが、後者はデモ一聴で好きになった曲だが本曲は最近リリースされたC Dに収録されているバンドver.を聴いて更に好きになった曲でもある。デモver.の遥か何倍も徐々に曲のヴォルテージが増して最高潮に達し、クライマックスのギターソロとスキャットとのコラボはまるで宇宙空間 にいるZERO GRAVITYな1曲である。

 

 

4. The origin of Anly

最近特に思うのが今日、最近リリースされた色んな人達の新譜を聞いて思ったがやれ「リスナーの心に寄り添った。」だとか「応援ソング」だとか、変にリスナー目線に媚び売った曲が多すぎて呆れてくる。

そういうものてかそんな体たらくだから若者連中にギターソロ聴き飛ばされたりされるんじゃないのか。音楽がどんどん舐められていくのではなかろうか。

www.j-cast.com

あえて名は伏せるが、長年好きだった某バンドの新譜に関して、本来彼らは怒りや苦悩や狂気等の感情を音像化するのが最大の魅力だったのだが、人畜無害のPOPSアルバムに成り下がってしまった。時代による必然的な要請によるもので「正解」なのかもしれないが、魂は揺さぶられない。魂に訴えかける事を止めるのはバンドの死に等しいと思うのだが。

それと関連して唐突にAnlyに話を戻そう。今現在Anlyが続行中の一人アコースティックツアー、「いめんしょり」の英語表記は「Imensholy Tour 」になってての語尾が本来のri(リ)ではなく、ly(リィ)と綴られて何気にAnlyのlyとかけているのだが、これは別にそう単純な話ではないと思ったりする。

なぜなら「Anly」というアーティスト名を言語学的に分析すると「An+ly」となり 「あるもの」の意を現す不定冠詞「A(n)」とhopefully, usually等の副詞語尾につけ「〜のような」の意を示す副詞に付けられる「ly」との複合体なのだ。

だから強引に訳せば全体的な意味は「存在するもののようなもの」

正という意味になり、ルールペダルだろうが、バンドスタイルだろうが、「いめんしょり」ギターオンリー・スタイルだろうが、その演奏スタイルに拘泥しない彼女の音楽性に付合するものだ。

このAnlyというアーティストはある意味つかみどころがない人で、これだけ多くの字数を費やして語っても未だにはっきりとは定義できていないのが実情である。

もう極端な話それで良いのだと思う。真のポップス・シンガーとは得体の知れぬわけのわからない分かりやすくあってはならない。真のポップミュージックとはイントロやギターソロを聴き飛ばしてばり立つような代物ではなく「途轍もなく近くあり得ないほど遠い」そんな神秘に満ちた「魔法」ではないだろうか?この人といめんしょり大阪(@心斎橋janus)で披露された『Man in the Mirror』を超絶オリジナル曲として歌うアメリカのこの人を見ていていつも思う、そんなことを思いながら11725 字にものぼる本ブログを終えようと思う。


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*1:Anlyが本記事リリース後、国立競技場で行われたラグビーリーグワン決勝で「君が代」独唱したがこれは凄かったな。某イギリスバンドのドキュメンタリー映画の眉毛兄弟兄のセリフじゃないが、正に「This is history」な瞬間だった。

*2:テロルンとルンルン;個人情報ダダ漏れの田舎町。壊れた玩具を通じ、社会から閉ざすように生きてきた二人の男女のイノセントな出会い...上映時間50分ながら本作に詰め込まれた感情表現や表情のニュアンスが深過ぎて未だ残響音が鳴り止まない、僅か50分ほどの作品なんだけど大傑作だった。勿論ヒロインは小野莉奈で『アルプススタンドのはしの方』キッカケ観に行ったんだけど、もしあの作品を観なくてもやはり小野莉奈 は天才である、と言った事だろう。 予告編から「ルンルン(小野莉奈)がひたすら可哀想な作品」と誤解されるかもだが、実際はあどけなさと気の強さとの狭間に揺れる微妙な心情を保ちつつ演じ切ってて心地良いほどである。そしてそんな彼女を徐々に感情の変化を交えつつ受け入れようとするテロルン(岡山天音)も絶妙である。あと暴論承知で言うが、ツイートで本作は戦争映画だと言った記憶があるが、本作のラストシーンを見るにつけ細かい言及は避けるもののある戦争映画作品をモチーフにしたのかな、と思ったから。その舞台は過剰に怯え、俯き加減に問い詰めてくる大人やクラスメートらが支配する日常という名の戦場である。だからこそそんな破綻した世界に不可視であり続けた2人は魂で共鳴しようとしたのだ。いやほんと、あの日常の言葉が銃声の如く心の奥で鳴り響いている。

*3:吉田ハレラマ氏に関して

pfh-ent.net

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*4:彼女自身大絶賛していたコーダ・あいのうた』観て Anly が『VOLTAGE』のmvで手話を振り付けとして採用したかが分かった。 つまり音楽のもたらすメッセージが空気の振動を超えても伝わり得る事への可能性を信じる(かつて配信LIVEで観衆の顔が見える、とまで断言した)彼女ならではのロマンティシズムの具現化ではないかとも思ったりして

*5:未音源化なので正式タイトルかは不明

*6:さて地味に久々のknave着弾であり天野花さん2日目!15:00開場からのこの長丁場感なw

しかし昨日の『私のハートに火をつけた!』3:30に始まり、トリ天野花さん終演時で8:50という5時間の長丁場ながらドマン前中央の最強の席で体感時間2時間❗️中でもタカハシリツさんのパワフルなパフォーマンスと林愛果さんの『灰色ダックリング』がツボって音源買購入。お得感満載の神イベントだった。

*7:

nenometal.hatenablog.co

*8:天野花 のワンマンで先行発売されてた『渚』。

4曲と短いながらもバラエティーに富んだ良盤。中でも印象に残ったのが3曲目の『two-time』で、途中物凄いゴスペルっぽい展開になるし、歌詞も結構攻めてるし。
リスナー歴浅い私が言うのもなんなんですが(笑)何気に新境地じゃないのだろうか?