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S-igen企画(#吉田彩花)がこの世界に放つオルタナティブパンク『#悲劇のアルレッキーノ』爆裂レビュー(完全版)

S-igen企画(吉田彩花)がこの世界に放つオルタナティブパンク

『悲劇のアルレッキーノ』爆裂レビュー

Table of CONTENTS

1. preposition~エンタメとは何か?

2. Story&Cast of『悲劇のアルレッキーノ

3. Focus of『悲劇のアルレッキーノ
(A)狂気から共鳴、そして共感へ
(B)たんぽぽとタバコのシンクロニシティ

(C)主題歌『サニー』再分析

4. Further Perspectives 

4-1『悲劇のアルレッキーノ』は演劇のパンクなのか?

4-2 オルタナティブパンクの定義

付記;結びに変えて

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私だって楽になりたいよ、もう考えたくない、

疲れたって言いたい。

クソミソに悪態つきたい。

死にたいとか言いたい。

可哀想だね、頑張ってるね、凄いね、偉いね、そんな時頑張らなくて良いよ。

可愛いねえ、幸せにするよ。そこに生きてるだけで良いよ、とか言われたい。

............んな訳ねえじゃん。

ダッサーって。

私はね、そういう奴が嫌い。

幸せなんて自分で作れよ。

どいつもこいつも人任せにしてんじゃねえよ。

裏切られた?

あんたの理想押し付けただけだろうがよ。

大体人の幸せ望んでる奴なんて「幸せになりたい」なんて言わないんだよ。

幸せじゃない方わざわざ選んで悲劇のヒロイン気取ってんなよ、くだらない!!

向き合う事が怖い奴の戯れ言。

そんな奴一生脇役だよ。

その同類で固まってチヤホヤしてるの見ると反吐が出る。

でもそういう奴を羨ましく思ってる私みたいな奴が一番反吐が出るわ。
何この台詞、めっちゃリアル.....

 

ここ最近、というかここのとこずっと普遍的にエンタメ界隈に関する会話で、「私は人と違って音楽サイドに詳しい人間です。」「私は舞台よりも映画が好きな人。」とか「私は演劇サイドの人間で、あとはアニメが好きかな。」などと言ういわゆるジャンル分けみたいな会話ややり取りが日常で繰り広げられたりする訳だがハッキリ言ってそのボーダーライン分けにはビタ一文たりとも価値がないものと思っている。

何なんだよ、その変なボーダーをわざわざ作っといて各自に与えられたその狭い狭いナワバリの中で「私はこっちの領域だからそっち側の人とは違う。」みたいな小さなコミュニティを作って、その中でまさしく井の中の蛙じゃないけど、私は新規だ、あなた方は古参だのしょうもないヒエラルキー作りやがって、その中で自慢したり落胆したりマウントを取り合ったりして楽しいんですか?

そこに希望はあるんですか??

はっきり言ってもう、そんな蛸壺の中でテイスティングし合ったりする事自体がもうエンタメ界隈全体の崩壊をもたらすアルマゲドンレベルでヤバいんじゃないかと思うのだ。

 そんなもの、人の心臓部のコアのど真ん中をブチ抜きさえすれば、もうそれは音像だろうが、映像だろうが、漫画だろうが、文字だろうが、ライブだろうが関係ないのだ。その証拠に、かつてスリラー直前ぐらいの音楽フィールドの人である筈のマイケル・ジャクソンでさえ、『オズの魔法使』を基にした1978年のミュージカル『ウィズ』では諸手を挙げて引き受けてたじゃんか。

最近だって映画実写版『Cats』でテイラー・スウィフトが完全に猫のコスプレ姿で出てきてたし、更に視点を変えれば、あのアリアナ・グランデだって伝統あるオーディション系バラエティー番組の出演に関して「これは栄誉です」とすら言ってたじゃないか。

この事実が何を意味するかて、彼らははなっから「私は音楽サイドの人です。それ以外は仕事を引き受けません。」なんていう変なプライドの乗っ取ったボーダーが無いのだ。

もはやエンタメには色んなジャンルを作って、不毛なボーダー作って喜んでんのは恐らく日本だけではなかろうか。

そして、そろそろこの国もそう言う壁をぶち壊すべきフェイズに来てるんじゃないだろうかとも思ったりする。

で、そんな事を思ってた矢先、正にドンピシャなタイミングで「演劇という枠を超えた所にあるオルタナティブな姿勢を持つパンクのような演劇」に出くわしたのだ、そう、ここ日本と言う、どうにもサブカル界隈ではガラパゴス化しがちなこの国で。

もうこれぞ、正に私が思ってたジャンルの垣根を超えたエンタメど真ん中である。それが本ブログ記事でも度々登場している吉田彩花(a.k.a.エンタメは心の太陽)が今年立ち上げたS-igen企画による『悲劇のアルレッキーノである。

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1. Story and Cast of

『悲劇のアルレッキーノ

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ではここで、大まかなストーリーと人物構成を紹介しよう。

この話はサキ、愛、茜という3人の女性がストーリーの主軸を担っている。

3人お女性が主役...とは言っても別に女性から3人と聞いて以前本ブログでも触れた森めぐみ、林貴子、原田樹里などキャラメルボックス同期俳優陣から構成されるユニット「ねこはっしゃ」による『ふたり、静かに』みたいな女3人が勢揃いしてシチュエーションコメディ的なやスタイルを彷彿とするかもしれないが、実際は全く違う事に注意したい。

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この茜、愛、サキと名乗る3人の若い女性達は上記のように決して揃うことはなく、ここではサキを中心に携えた状態で、常に1対1の会話に焦点を絞る事で、その時にいる当事者二人による会話を通じ本音の部分がより浮き彫りになるように演出がなされている効果がある。

 その意味で人間同士のドロドロした内情渦巻く物語といえば、吉田彩花自身も本シリーズに出演していた朝川優主催による『GCM動画日記』のこの中のCase3『女の話』にその直感的なもの(intuition)が近い様に感じたりする。

nenometal.hatenablog.com

 あと更に朝川優のGahornz関連で、人間同士のドロドロした内情渦巻く物語といえば、2020年10月30日のGCL(Gahornz Creation Mobile)との作風的なシンクロニシティを感じたりもした。本配信は『遺産相続をめぐる残された親族達の物語』という設定だったが、とにかく出演者である井上ほたてひも演じるフラフラしてるナンパな最低な長男の役柄が、相手の心に隙あらばズカズカ入ってくる感じが、個人的にリアルすぎてやや目眩がするくらいのど迫力だった。中でも序盤では幾分抑え気味だった感情を独白と共にぶち撒けた吉田彩花の迫真の演技が印象的であり、そこで今回「痛快パンキッシュコメディ」と言うコンセプトを持つ本演目にどこかしら連動している様な気がするがいかがだろうか。

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もはやこれは人の欲望と憎悪と咆哮が渦巻く"狂乱のライブ"の様相をなしていたと記憶している。

 

さて、本記事の主役である『悲劇のアルレッキーノ』に関して語っていこう。

ここで3人の主要キャストを紹介したい。

①伊藤愛 (played by. 細川聖加)

元々学校の同級生であるサキにとっては心許せる存在である。しかし茜同様、彼女に対し実際は嫌っている。藍とは一緒に飲みに行ったり、ライブに行ったりと心開いて本音を語り合う友人である(?)。現在、子供を妊娠しているが、誰の子だろうか???

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②清水サキ (played by. Nana(旧;神 無月七))

3人の中で最も要注意人物かも、というかこの演目の爆弾的要素。常に「サクタン」という実在するのか否かが恋人についての思いを吐露する。情緒不安定のいわゆるメンヘラ傾向あるがこれが観ていくうちにこの人の印象が変わってくる。*1

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③長田茜 (played by. 山下ナオ)

「どんとこいや〜!」が口癖かつモットー。清水サキと同居しているが彼女の情緒不安定ぶりにかなり振り回され気味でウンザリしている。だが....。仕事の同僚、茜とは心許せる「どんとこい」な飲み&喫煙仲間である。

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④Saika (played by. 吉田彩花)&廉士郎

更にこの演目主催の吉田彩花と、ギターサポートでお馴染みの康士郎もほぼ本人役として本演目に出演しているここでは詳細は避けるが彼女の存在がある意味Hiddenメッセージになっていると私は考えている。

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Total Perspective

「人間とは決して分かり合えない存在である」

そんな残酷なテーゼを立証するかの如くサキ・愛・茜の女性3人が舞台と狭しと繰り広げる独白と共感と慟哭と咆哮がもたらす本音と建前と真実、そして虚像の部分に圧倒される。

本演目では大衆演劇ならではの説明的な明確さやオチに至る流麗な流れや博愛主義的な結末をはなっからかなぐり捨てられていて、ぶっちぎって突き落とすこの展開は痛快そのものだったこれはもはやs-igen企画の主催者である吉田彩花がコンセプトとして掲げるように、演劇というフィールドを越えた痛快パンキッシュコメディであるのかもしれない。個人的に、今回13:00のみの観劇の予定であったが、急遽二回目も観劇する事になったのだが、本演目みるにつれ3人3様に感情移入のシフトチェンジができるきめの細かい演劇だったからというのもあると断言できよう。

中でも、サキに関しては序盤はとにかく生きてるのか死んでるのかはたまた実在してるのかすら観客にとっては極めて謎な存在の恋人「サクタン」への偏執狂的な思いに正に文字通り「狂気」を感じてきたが、徐々に終盤にいくにつれ彼女の「共鳴」の部分にどこか寂しさを感じ、やがて「共感」してしまうという....ほんとに不思議な役柄で興味深くめちゃくちゃ惹かれてしまった。

そして更に本演目に関してとても興味深かったのはこの公演日である11/21日より以前にこのもう12/1から配信される公演の完成形を先に撮っており、その後有観客公演を明日ブチかますという、まるで楽家がアルバム作ってLIVEやる流れを演劇でやってのけようとしている点だ。

誰もがやっていない事をカマす事、ここに本演目の姿勢があってそういう面からも「痛快パンキッシュコメディ」というキャッチフレーズを主催者S-igen企画は提示していると思うが、この演目における詳細なパンク性に関しては、第4章 のFurther Perspectives にて詳しく論じていきたいと考えている。

そして吉田彩花が上演前から掲げている『人生は壮大なコント』と言うコンセプト。これを聴いてふと思い当たる節がある。世界の三大喜劇王と呼ばれる、イギリス出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)が以下の名言を放っているのだが、果たしてこの名言と本演目がどのようにシンクロしていくのかと言うのも個人的には着眼点として念頭において臨んだ。*2

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。)

 

ーCharlie Chaplin(1889年4月16日 - 1977年12月25日)

そう、本記事は11月21日午後13:00と午後17:00に、私は確かに学芸大学駅付近から歩いて数分ほどのところに位置する千本坂ホールにおいて、劇団EXPO主催によるs-igen企画『悲劇のアルレッキーノ』を二度にわたって目撃したその時の記憶と感動を頼りに、演劇のみならず、映画、音楽など様々なフィールドから全エンタメを見据えて考察した魂の記録である。

更にこの公演には以下のツイートが示してるように、配信versionなるものを別に収録しており、こちらは12月1日から配信がスタートする模様である。

 

 

 

*以下、ネタバレゾーンなので詳しくは12月1日以降の配信バージョンをご覧になってから読まれることをお勧めする。

 

2. Focus of『悲劇のアルレッキーノ

(A)狂気から共鳴、そして共感へ

先ほど3人の主要人物について概観してきたが、この中ででも特筆すべき核となる人物は勿論清水サキである。彼女は【サクタン】という現存しているのかいないのかわからん恋人への惚気であるとか不満であるとか、そういう思いを一見寛容そうに受け入れる愛に心の底から依存しているように見えるのだが、気持ちのぶちまけ方が半端ないのだ。

正に狂気と正気の天秤にかけつつの、狂気要素強めの狂いっぷりである。

だが徐々に話が展開していくにつれてこのサキという人物が気になってくるのだ、というよりも具体的にいうと彼女の発する共鳴にヒリヒリとした共感すら覚えてくるのだけれど、そこで壮絶に個人的なある観劇経験を思い出さざるを得ない。2019年の夏、山口ちはるプロデュース『明日もう君に会えない』という下北沢「劇」小劇場にて上映された演目にて、ある友人の自死に際して精神的に狂ってしまった親友を優しく諭す、偶然にも今回の清水サキと同じ名前を所有する主人公なつの親友さき(田中文乃)を思い出したのだ。

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彼女自身も多くの劣等感を抱えながらも敢えてその闇を閉ざし親友達にポジティヴィティを与えようとするあの健気さに号泣したものだった。

親友の死という絶望的な現実にうまく向き合う事ができずに亡霊か何かと交信するかのように譫言を繰り返す友人に向き合い説得するさきと、3年前に知り合い、2年前にいなくなってしまった恋人(?)に同じく亡霊か何かと交信するかのように譫言を繰り返すサキとが同様にオーバーラップしてしまうのはこれだけ条件が揃えば当然のことだろう

ただし本演目はそこまで「死」というテーゼは用意されておらず、結果的には最後のオチは置いといてもシリアスかつヘヴィな現実ではなかったのだけれど、ある意味「サクタン」はこの時点ではサキの恋人ではなかった訳で【現実を受け入れきれずに妄想に走る】という意味においてはとても近いものがあると思うからだ。

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(B)たんぽぽとタバコのシンクロニシティ

ここでは様々な本演目を彩る小道具について触れたい。その事を象徴するのに彼女の頭を飾っているヘアゴムは「たんぽぽ」のレプリカである事に注目したい。確かこういう感じのものだったとしてリマインドのために参考写真をあげておく。*3

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劇中でも触れている通りたんぽぽの花言葉には『真心の愛』(ほかにも『愛の信託』『誠実』『幸せ』)というポジティブな意味以外にも『別離』という全く真逆の意味をも内包しているが、これは黄色い花として咲き誇っている時と、風で種子が飛ばされる綿毛となったあの真っ白なたんぽぽとでは別れのニュアンスを醸し出すかどうかで区分されるからだ。さて、このサキがタンポポを身につけている事実は何を意味しているのか。勿論これはあくまで予測だけれどサキはいつまでもサクタへの未練を断つ事が出来ず、いつまでも黄色い花の状態に固持して、タンポポの種子が飛び立つ状態つまり別離を許容できない事で、これを頭に身につけ続けることによって正にタンポポとの共依存を示唆しているのではないだろうか。

その「共依存」に関連して愛が血飛沫を浴びた腕を隠しつつラストシーンにて激白する超インパクトのあるシーンがあるのだが、以下のセリフが本演目のSummaryとして機能しててとても象徴的である。

あの子はさあ、私を不幸な奴だと思ってんのよ。

だから一緒にいんのよ。
でも一番可哀想なのは誰だろうね。
2年前の男に振られて、振られたなんて言えなくて未だに作り話で惚気話してくんの。
嘘のカタマリ。
哀しさ埋めるためにあなたの事死んだ事にしてそのショックで頭おかしくなったフリして何の積みもないお人好しの同僚の女捕まえてまた不幸な奴作ろうとしている。
バカだよねえ。
でもさあ作り話はずっと作り話じゃないと実話が入っちゃっダメなのよ。

ねえ、口約束が嫌いで苦手なあなただからこうやって約束したんだよ。

私ほんとに可哀想。タ

ンポポの花言葉って知ってる?「真心の愛」だよ。

でもね、綿毛になったら違うの。

何だと思う?「離別」だよ。面白いね。

可哀想な私。いや待って。

可哀想?

ほんとに可哀想なのは2度も殺されたあなたか。

サクタン....

あと同じ文脈で、劇中では残りの二人、愛と茜はよくタバコを吸うシーンに出くわすものである。そこで「タバコーの銘柄には“ラッキーストライク”や“ピース”などハッピーな名称が多いのはなぜだろう?害じゃん、アンハッピーだろうがよ。」というセリフがあるが、正にこれはタンポポの持つポジティヴィティとネガティブヴィティとの対比を示唆しているように思えてならない。或いは彼女らがタバコを止める事ができないのは表面上明るく振る舞っていてもその奥にはどこか狂気的なダークネスを併せ持っているサキの事を無意識にも暗示しているのかもしれない。
要するに、タバコを象徴する存在としてのサキの存在はイコールであり「嫌いなんだよね」と言っておきながら決して唾棄すべき(死すべき)存在だとは思っていないのかもしれない。そう考えると彼女らが“ラッキーストライク”や“ピース”以外にあげた【ハイライト】というタバコ柄の名称もどこか今後の展開を考えると意味深に聞こえてくるのだが如何だろうか?

 

【配信view】ちなみにこれは配信を観た後に気づいたのだが、同居している茜がもう散々サキに愛想尽かしてシェアルームから出ていくくだりで「あの子(サキ)はどうにも見捨てられないんだよねえ、私がいなくて大丈夫かな。心が弱い子だと思うし。」というセリフがあったのを確認した。やはりサキとは害悪といっておきながらもその実ほっとけない存在なのだろう。そして、愛が煙草を止められないのは表面上明るく振る舞っていてもどこか心の弱さを併せ持っているサキの事を無意識にも暗示しているのかもしれない。
つまり煙草とはサキとの象徴であり「嫌い」と言っておきながら決してほっとけない存在。
いや、むしろ長田は愛の方を嫌っていて、ある種の復讐戦として自分がサキとの同居をやめることによってよりサクタンとサキ都を近づけるべく画策したのかも知れない。

だからあの惨劇となるあの結末へと導くのが腑に落ちてくるのだ。

さらに愛がなぜそれほど好きではなさそうなサキと話し相手になっているのかというとズバリ。サキによると「学校時代孤独で友人がいなかった茜の話し相手になってたのは私だと。」という事である。これは妄想ではなく事実。ということは当初はサキへの劣等感に苛まれていた末の愛の苦悩というものも配信によって深く読み取ることができた。

そう、総じて配信版は更に表情に肉迫したカメラワークにより、3人の表情と感情の変化がより顕著になり、サキへの劣等感に苛まれていた愛の苦悩、サキに対し嫌悪を抱きつつ見捨てきれぬ茜のナイーブな側面を感じ取る。シリアスすぎて笑ってしまう。観れば観るほど悲劇は喜劇へと変貌するのがわかる。

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(C)主題歌『サニー』再分析

また本演目には「痛快パンキッシュコメディ」というキャッチフレーズがあるようにこの主題歌をはじめとした音楽にも注目せざえるを得まい。

本演目ではオープニングテーマでもありエンディングでもある楽曲として吉田彩花(Saika)のオリジナル曲『サニー』が大々的にフィーチャーされている。


www.youtube.com

本曲については過去の吉田彩花(Saika)の楽曲全般にわたって触れた以下の記事において『サニー』についてそのコンセプトに関して詳細に述べているのでここで再喝という形で抜粋したい。

nenometal.hatenablog.com

以下、上記事からの引用である。

 

本曲の『サニー』とはSaikaが最も愛用しているアコギに名付けられた愛称でもある。「サニー=Sunny(太陽の)」恐らくこのフレーズは正に彼女が常日頃スローガンにしている「エンタメは心の太陽」に由来しているのだろう。「もう過去など笑いとばせ!そしてリズムを奏でよ!」そんな事でも言いたげなこの血湧き肉躍るこの曲、それにしても聴いてて胸のざわめきを誘導する曲だ。 本曲はここ最近バーペガなどの配信スタイルのライブでも頻繁に演奏され、それを見るたびに徐々に狂想曲のような混沌性を増していく化け物要素満載の曲である。あの『まる』が広く長く大きく普及すると大海原を巡るカモメのような広大さがあるのに対してこちらは突黒を巻いて突き進む大蛇のような(なんじゃその例えw)どちらも対照的ながらも非常に更新性の高い曲でもある。

喜怒哀楽ほど簡単に言葉に収めたとしても感情は余白ほど渦巻いてる

そしてフレーズを見て思い当たる節がある。これは以前「うぇらっぷ」というライブイベントでこのようなことを言ってたのを思い出す。

人間の感情は喜怒哀楽と4つに分けられるのってとってもシンプルだけど、色んな事情でそう断言できない余計な感情が芽生える事もある。そんな時にこの曲ができた

この曲とは紛れもなく以前デジタルでリリースした『余計だ』のことを示唆し、あの曲の「幸せは一瞬のことで僕ら余韻を生きてるんだ、よね?」という一節とも本曲とリンクするのも頷ける気がする。どちらの曲にも言えると思うのだがそこに込められてるのは #吉田彩花(Saika)によるエンタメへの熱い思いは

僕らにマイノリティなど本当はないの

という一節にも現れてて小劇場だろうが、インディーズのシンガーであろうともエンタメにかける想いにはメジャーマイナーなどないのだという彼女なりの闘争の火蓋が切って落とされた宣戦布告感に満ち満ちたりてる曲だと思うのだがいかがだろうか。

 

そう、ここで奇妙な偶然の符号性を見る。吉田彩花が敬愛する*4 鈴木実貴子ズの楽曲も本編のみならず、会場前のBGMでも数曲ほど使用されているが、人間の感情は喜怒哀楽と4つに分けられるがそう断言できない余計な感情が芽生える事もあるという吉田彩花とシンクロするような事をMCしているのだ。具体的には10:00ぐらいの口内炎がなおらない』を演奏する直前のMCである。

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ここで本動画10:00ぐらいからの鈴木実貴子のMCを引用すると、彼女は以下のように述べている。

「白黒はっきりつ付けたい性格で、嫌いなものは嫌い、それは正しい、私はどうしてもそれを決めつけるタイプでして、でもそれは凄いダメな事、損な事だと最近気づいきました。

グレーでいる事は自分を守れる。全然悪い事じゃない...」

 

そう言って、『口内炎がなおらない』を演奏し始める。

そもそも本曲は平静を装って生きててもいつ何時「皮を被った暴力や無責任がいつ露呈するか分からない」そんな我々の日常は、単なる体調か、命をも奪う大病の前兆にもなり得る口内炎というモチーフを使って本曲を歌い上げたのだが、この鈴木実貴子の「グレーでいることの重要さ」と吉田のいう「喜怒哀楽では片付けられない第五の感情=余白」という量概念がどこかイコール関係で結実するような実感を覚えるのだ。*5

 ちなみに本編中に実貴子ズの楽曲として『常識とルール』が採用されているが、こちらも同様に検証してみよう*6*7

www.youtube.com

常識とルールにのっとって 人格形成し直して

人間らしくなりました 友達もわりあいできたこと

公園のベンチにまたがって 新商品のからあげ食べてる 

コーラにメントス 僕には何が要るの

 

ー 鈴木実貴子ズ『常識とルール』

本演目でフィーチャーされているのはこの歌詞のくだりで、このバンドの特性から別に

【僕には何が要るの】という次のヘヴィーな展開に繋がるある種宣戦布告文以外の文章はとてもアイロニカルな含みがあることに気づくだろう。このどん詰まりのような日常の風景から怒涛のような激しいアレンジが待っているのだが、去年の6月に鑪ら場でのリハビリワンマンだったっけか、その直前の実貴子のどこかに潜む敵を見据えるかの如くギラッと光る眼光の鋭さが、すごく印象的だったのを覚えている。実は次節のキーワードと連動するんだけど鈴木実貴子ズ史上最もニルヴァーナ直系のグランジ込みのオルタナティブ曲かもしれない。*8

まあ話は取り止めも無くなってしまったが、「グレーでいることの重要さ」「喜怒哀楽では片付けられない余白である事の重要性」、この二つのテーゼと対立する概念として『常識とルール』というタイトルがものすごく響いてくるように思える。

 

4. Further Perspectives 

4.1 『悲劇のアルレッキーノ』は演劇のパンクなのか?

さて、ここで個人的な話になるが今回『悲劇のアルレッキーノ』観劇にあたってコロナ禍以降、今年2度目の上京である。1度目は2021年1月12日の劇「小劇場」にて上映されたCCBによる吉田彩花主演「雨雨』、そして今回も2021年11月21日、同様に吉田彩花主催という形での『悲劇のアルレッキーノ』というこの10ヶ月のインターバルがありつつも両イベント共に吉田彩花という共通項のみならず、1と2とが並ぶこの日付における奇妙な偶然性はどこかここへ来る事が最初から決まっているかのようなカルマめいたものを感じざるを得ない。それにしても本公演は13:00〜からの回と17:00〜からの回と2度予定されていて、当初は13:00のみ鑑賞予定であった。*9*10

しかしそこは演劇のもたらすマジックのなせる技で、既に13:00の回のオープニングでの大爆音でかかる『サニー』と3人の紹介映像を目にした途端、もう心は決まっていた。わかったのだ。あ、これもう一回観るわ、と。もうここでS-igen 企画の、そして3人のキャストの今回の劇団EXPOにかける心意気がビシビシと伝わってきたのだ。

実は13:00公演後に色々と予定していた下北沢だ、美術館だ、吉祥寺だの、東京観光のプランを全て取りやめにして2回目を観る事に決意したのだ。結果的に今回遠方から東京に来たお土産は本劇のパンフレット2冊と池袋で出来心でやってみた仮面ライダーのフィギュアのガチャのみだったがこの劇に2回触れた事がなによりのお土産でありもうそれどころか、心の宝物だと思っている。

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*11

 これは演劇に限った話ではないが、映画や演劇などあらゆるエンタメに必要なものはうまくセリフを言うことであるとか声が通るであるとか、あるいは上手に演技ができるであるとかそういう所にあるとは全く思わないのだ。もっと言うと、ここ最近のエンタメはかなりコンサバティブになっていてつまらないものが多いと正直に思う。それは音楽にしたって映画にしたって何したって同じで、これは売れ線であるとかわかりやすい結末であるとかあるいは伏線を回収することであるとか消費者にとってはどうでもテクニカルな所やストラテジーに焦点を絞ってしまってあまり魅力を感じないものは多い。

 しかしこの『悲劇のアルレッキーノ』はそういう所にハナっから重点を置かなかった所に勝利があったのではないかと思う。むしろ「痛快パンキッシュコメディ」というコンセプトの織りなすインパクトであるとか、役者の荒削りながらも思いに満ち溢れていたりとかこれはもっと重要な事だが、作者の現状に対する苦悩や不安、そして怒りであるとかそういう人間本来の持つエモの部分にもにも焦点が絞られていて、繰り返しになるが3人3様各々の角度や視点でもって感情移入ができる作品であると断言できるのだ。

さて、ここでアングストという言葉を用いたがここで更に突き詰めて本作は生粋のパンク作品として成立するのかについて厳密に検証したい。

 この辺りを説明するために二つのインディーズ映画を取り上げよう。『悲劇のアルレッキーノ』を観て音楽以外でどの作品がパンクかって考える時に浮かんできた『佐々木、イン、マイマイン』や『サマーフィルムにのって』のクライマックス・シーンがどうしても筆者の頭の中で浮かぶから。ネタバレは避けるが、前者は映画のラストシーンを突如演劇のカーテンコールへと変換させ、後者はクライマックス・シーンを舞台演劇そのものへと変化させた、いわば映画フィールドから演劇フィールドへとトランスフォームさせる事でライブ的なダイナミズムを呼び込むのに成功している作品である

両作とも監督ははなっからあのクライマックスありきで撮影してたと思うし、あれ観た人は誰しも何かがぶっ壊れる瞬間があったのではと思う。

ゆえに『悲劇のアルレッキーノ』も『サマーフィルムにのって』『佐々木、イン、マイマイン』のように演劇、映画、或いは音楽フィールドにおける既成概念をぶち壊す意味においてパンクに属するものと定義できよう。

 

A.『佐々木、イン、マイマイン』予告


www.youtube.com

 

B.『サマーフィルムにのって』予告


www.youtube.com

 

以下『サマーフィルムにのって』『佐々木、イン、マイマイン』結論部分に触れている箇所である。(ネタバレ含む)

.................

『サマーフィルムにのって』

文化祭において映画部の部員である時代劇の監督でもある主人公が上映会の途中、しかもクライマックスの最中に突如音声と画面を無理やり中断させ、「この映画の結末は違うことに気づきました!今からキャストみんなでここで本物のクライマックスシーンを実演します!」と宣言。映画というフィールドをぶち壊しそこでチャンバラが始まる。

そしてこれこそが私のやりたい結末を秘めた映画だと悟った瞬間に、本作はエンディングを迎える。

*12

 

『佐々木、イン、マイマイン』

佐々木という高校時代より掛け声全裸ゲームみたいな悪ふざけばっかりしてた仲間が10年後社会人としてフラフラしていた彼が突然病死してしまうのだ。その葬儀の場において、生前の彼に対する思いを旧友達が追悼している最中に突然棺桶から彼が飛び出すのだ。そして旧友達もそれを目にして驚くものの、かつての高校生のように悪ふざけモードになり掛け声全裸ゲームするというとんでもない結末を迎えるのだ。

 

両作品の詳細な人物設定などはここでは語る必要はないがここでわかることは『サマーフィルムにのって』においては映画というフィールドから演劇フィールドへ、更に『佐々木、イン、マイマイン』に至っては死んだ人間が生き返るという設定はもはやコントのような様相を示しており、ある種『悲劇のアルレッキーノ』という演劇を見ている我々が突如、映画の撮影風景という現場に移行してしまう事と極めて類似しているのではないかと思う。

 

4.2 オルタナティブパンクの定義

前節にて2つの映画作品と比較し「『悲劇のアルレッキーノ』は演劇のパンクである。」と明確に結論づけられれば本記事は美しくまとまるのだが(この演目へのリスペクトを込めて敢えて言わせてもらうが)実は全てが夢オチならぬ映画撮影オチというスタイルであるとか、ピカソの名言「芸術とは、われわれに真実を悟らせてくれる嘘である。」と言う言明に本演目のテーマが内包されていたりだとか、この演目を完全あるパンクたらしめるには【全てを崩壊へと導くパンク】という過程にまで至っていない様な気がするのだ。

というよりこの演目はパンクと断言するからには全体としてコンセプチュアルで、あまりにもスタイリッシュすぎるのでは無いだろうかと思ったりもするし、もっとパンクならではの人間の「怒り」から発する爆発要素のみならずもっと他の要素が発端になっている様に思えるのだ

違う視点でモノを言えば既存の演劇における概念というより、もうちょっと冷静で既存の演劇のフォーマットに対するオルタナティブとしてのパンクが提示されているのだろうかと思ったり。仮に完全で純粋なパンクを志向するなら、もはやあのラストシーンにおいては、愛やサキのみならず、もう一人の茜にもドグマチールをぶち壊すべき場面が与えられるべきだったと思うし、総論的にいうと、もはやグシャグシャした怒りを燃料とし、それに舞台という発火装置にニトログリセリンをぶち込むような大爆発が起きるようなメタ構造があっても良かったのではないだろうかと思ったりもしている。だから最後の最後のシーンにて、監督助手に神無月七が演じられてたがここは彼女にも更にブチ切れてもらって監督役を直接吉田彩花(あるいは康士郎)が演じた方がわかりやすくもありって感じで良かったのではなかろうかと思ったりしている。

そういう事を思って、私は本演目を鑑賞した後の感想にて「オルタナティブ・パンク」と称している。

 

そう、私がオルタナティブと呼称したいのは単に言葉の響きがカッコいいだけではなくれっきとした根拠があるのだが、その理由をここで提示しよう。

 本演目における一つのハイライトとして主催者、吉田彩花自らギターサポートでお馴染みの康士郎が本人役として出演していて、そこで演奏する楽曲タイトルが『青の時代』なんだけれど、ここでパブロ・ピカソにおける『青の時代』とは何かを概観したい。

以下はWikipediaからの『青の時代』引用である。

青の時代1901年 - 1904年)19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料プロシア青を基調に使い、盲人娼婦乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品群を描いた。現在「青の時代」という言葉は、孤独で不安な青春時代を表す一般名詞のようになっている。

ja.wikipedia.org

そう、この【青の時代】とは後の【キュビズム】であるとか【アフリカ彫刻の時代】と言う彼のスタイルを確立する以前、ピカソが人生史上最も孤独で最も燻っていた時代で、【青=ブルー】の時代である。そのブルーとは青春の「blue」であると同時に、憂鬱の「blue」そしてその青とは若干、苦悩(アングスト)要素も入り混じった「青」ではなかろうかと思うのだ

それを立証するのにこういう場面がある。ここで、LIVEを終えたばかりのSaikaとひとしきり彼女の知り合いである藍と、初めて演奏を聴き感動した茜とでサインくれるだの物販で語り合った後、藍と茜との間でこういうやりとりがあるのだ。

それは茜が「ミュージシャンとして一本でやっていけば良いようなものの、脚本やったりあっちこっち取り留めのない活動をするのはどうかと思う。」というセリフだ。

この言葉を聞いた瞬間、吉田彩花を認知している誰もが今現在、SSW、女優、脚本、動画サイトなど様々な形でエンタメを届けようとする吉田彩花自身の状況そのものであると悟ったはずではないだろうか。そしてひょっとして他人からはこういう事を外部から言われている事もあるだろうと言う事も同時に予測できる。故に、そういうある種の自虐ネタとも取れる言明をポーンとセリフとして打ち込むことによって怒りをぶちまけていると考えれば、この演目はパンクというより、オルタナティブ(ALTERNATIVE)の特性をも更に浮き彫りになってくると考えたい

その証拠として90年代中期にカート・コバーンの死によってオルタナティヴは終焉をむかえたわけではなく、その後シーンの顔に躍り出た3組のバンドが挙げられよう。

Nine Inch Nails (ナイン・インチ・ネイルズ)

Beck (ベック)

Smashing Pumpkins (スマッシング・パンプキンズ)

上記全てのバンド、実は全てキーワードは悉く「自虐」なのだ。

NINのボーカルトレント・レズナーはヘヴィなギターと機械の音とノイズを駆使し更に泥まみれでパフォーマンスするわ、スマッシング・パンプキンズのボーカリストビリー・コーガンは自意識過剰であったり、ベックもベックで「俺は負け犬さ 殺っちまったらどうだ」などという身の蓋もない自虐的要素を歌詞として全面に押し出したりすることで内面的苦悩や怒りなどを体現している。その辺りの言明としては以下の記事において明言されている。

カート死後のUSオルタナ3大バンド – GRUNGE ALTERNATIVE (グランジ・オルタナティヴ)の総合サイト

そう考えると、同様に「ミュージシャンとして一本でやっていけば良いようなものの、脚本やったりあっちこっち取り留めのない活動家をする人がいるのはどうかと思う。」というセリフ極めてクールに響いてくるしパンクスというよりこれらオルタナティブな要素をも含まれている様に思えるのだ。そう『悲劇のアルレッキーノ』自体にはパンク性は備わっているにしても、極めてあくまで演劇としての文体を崩さずに、クールに表現している。

ではこの愛の最後の最後のセリフで検証してみよう。

私だって楽になりたいよ、もう考えたくない、

疲れたって言いたい。

クソミソに悪態つきたい。

死にたいとか言いたい。

可哀想だね、頑張ってるね、凄いね、偉いね、そんな時頑張らなくて良いよ。

可愛いねえ、幸せにするよ。そこに生きてるだけで良いよ、とか言われたい。

 

笑笑。。、、

んな訳ねえじゃん。ダッサーって。

私はね、そういう奴が嫌い。

幸せなんて自分で作れよ。

どいつもこいつも人任せにしてんじゃねえよ。

裏切られた?

あんたの理想押し付けただけだろうがよ。

大体人の幸せ望んでる奴なんて「幸せになりたい」なんて言わないんだよ。

幸せじゃない方わざわざ選んで悲劇のヒロイン気取ってんなよ、

くだらない!!

向き合う事が怖い奴の戯れ言。

そんな奴一生脇役だよ。

その同類で固まってチヤホヤしてるの見ると反吐が出る。

でもそういう奴を羨ましく思ってる私みたいな奴が一番反吐が出るわ

何この台詞、めっちゃリアル.....

このセリフをざっと読んでみて、多くの人はこの既成概念のようなヒューマニズムに満ちた言明たち(「可哀想だね、頑張ってるね、凄いね、偉いね、そんな時頑張らなくて良いよ。
可愛いねえ、幸せにするよ。そこに生きてるだけで良いよ」など)をことごとくぶっ壊す愛に「言いたい事言ってくれた。」的に長台詞にスカッとする感覚を覚えるかもしれない。
*13

もうこれは要するにこれは「パンキッシュ」なセリフではないかと。ピュアなパンクではないと主張する本記事が揺らぐのではないかと。しかしここにも赤のアンダーラインで書かれた「でもそういう奴を羨ましく思ってる私みたいな奴が一番反吐が出るわ」という件にはやはりパンク性であることを提示する「自虐ニュアンス」も垣間見えるのだ。

まとめると
「❶パンク」と「オルタナティブ(ロック)」の違いについて。

❶=物理・概念を含め破壊衝動に重きが置かれる極めてリビドー的な行為を指す。

❷=❶である自己をアイロニカルかつ自虐的に客観視した上でのパフォーマンスであって、ただぶち壊すアティテュードとしてのパンクであって生粋のパンクではないのだ。本演目を個人的に「ピュアなパンキッシュ」というより「オルタナティブ文脈に寄せたパンク」と定義したのはそこにあって、「怒り」や「苦悩」に苛まれる状況まんま打ち砕くだけでなくどこかクールな視点が垣間見える。そのように現状をただ受け入れるだけでなく、笑い飛ばれるフレキシビリティにこそ本演目の掲げるコンセプトである「人生は壮大なコント」の所在があるのではないかと思うのだ。

そこで、本記事の結論として『悲劇のアルレッキーノ』はパンクそのものというより演劇というプロトタイプに対するパンクな姿勢を表現するものであると同時に、そのようなアティテュードを代案(ALTERNATIVE)として提示するものである、と。

それゆえに『悲劇のアルレッキーノ』こそが演劇界初のオルタナティブパンクである、と結論づけてこの記事の骨幹をなす主張部分を締め括りたい。

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【配信view】ちなみにこれは配信を観て気づいたのだが、Saika &康士郎がオリジナルソングであり本演目の挿入歌としても機能する「青の時代」を演奏するシーンにて長田茜がもう曲調とは裏腹にノリノリになってある種伊藤愛を驚かせ(呆れる?)シーンがあるのだが、この「青の時代」のサビ部分を何度も頭の中をリフレインしていくにつれ私の中でかなり高速なバンド・アレンジ映えする曲なのではないかと思ったりもした。曲自体はたんぽぽの綿毛に付せられた花言葉である「別離」がテーマになっており時にエモさを産む、メロコア的なアレンジとがむしろしっくりくるような気がしてならない。

 

付記;結びに変えて

思えば2021年11月21日(日)本演目『悲劇のアルレッキーノ』の為に関西から来た私だが今まで一切S-igen企画の放つSNSを主体としたメイキング情報、ツイキャスだの動画に敢えて触れまいとしてきた。
理由はもう本記事で何度もしつこいくらい触れてる通り「オルタナティブ・パンク」たらしめる何かを既に感じていたから。そもそも演劇とは前置きや先入観や妥協なしでまっさらな状態で向き合う事だと思ってて己の培ってきた価値観との真っ向勝負だと思っていたからだ。そしてそれは大正解だった、そしてこちらの価値観がぐらりと崩壊するほどに
もう「完敗」してしまった。そう、私の価値観は完全にこの吉田彩花に、S-igen企画に、神星月七に、細川聖加に、山下ナオに、康士郎に、悲劇のアルレッキーノに、そしてパブロ・ピカソに完全に持ってかれたのだ。もう清々しいまでの完敗である。

もうそれが最高に悔しくもあり、そして最高に嬉しかった。

 だからこそ当初11/22の翌日ぐらいに自分のツイートをいくつか連結させて1200字ぐらいのサラッとした紹介記事を上げようと思ってたが気づけば合計20105字をも越えようとしているのもやはり受け取るものが多かったからだ。 

そしてもう一つ私には意地があってこの記事は配信版がスタートする12月1日以前には絶対アップしておきたかったからだ。というのも配信ver.が始まってしまって私にじっくり検証してしまう機会が生まれたとしたらもう11月21日にリアルタイムで感じた様々な私見や所感などが揺らいでしまうし、少々荒削ってようが配信以前に記録として残しておきたかったからである。

 勿論配信版を見た後は細かいセリフなどの修正を入れるだろうとは思うが本記事の土台はこのまま残しておくつもりである。

 最後に私が確かに11/22の13:00と17:00の2回リアルタイムで本演目に触れたことを示す証拠がある。そう、あそこに配られてたリーフレットである。これよくよく見るとってかよくよく見なくてもガッツリ全部直筆でメッセージが書かれてるんだなと言う事に、帰りの新幹線でハッと気づき、とても嬉しかったのを覚えている。*14

繰り返しになるが、東京に行って東京バナナや浅草の団子や煎餅などの何の土産という土産を購入しなかった私だが、*15この二冊は本当に「私は11月21日午後13:00と午後17:00確かに千本坂ホールにいて、劇団EXPO主催によるs-igen企画『悲劇のアルレッキーノ』を二度にわたって目撃した。」と言う掛け替えのない宝物のような存在証明だと思っている。*16

そしてそして、最後の最後に、劇団EXPOでの絶大なる評価・成功を祈ってやまない。

*17

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*1:サキのメンヘラ感を感じ取ったのは料理をするという動作で包丁をトントントンというジェスチャーがなんと腕まで切ってしまっているのみて思った。

*2:ここでも引用している通り、satokaさん演じる伊藤愛のあの膨大な台詞がとにかく圧巻だ。これまで人間誰しもが束縛されていたプロトタイプの幸福論に対して暴かれる怒りと本音とカタルシスに満ちたマニフェスト。個人的にふと「人生は長い目で見れば喜劇だ。」と謳ったチャップリンの『独裁者(The Great Dictator)』のラストスピーチを彷彿とさせる。


www.youtube.com

*3:実際演目で使用されたたんぽぽ部分はプラスティック的な硬い素材であったような気がする。配信版と違うんだろうか。

*4:もはやSaika氏も鑪ら場で二度もライブをし、こうして演目の挿入歌としてフィーチャーするぐらいだからこれを言ってもほぼ説得力に欠けるが(笑)、鈴木実貴子ズの音楽を彼女にレコメンドしたのは私ネノメタルだ!!でも、このレコメンがなければもしかしたら『悲劇のアルレッキーノ』の作風がもしかしたら変わってたかもしれない、と言うかなり個人的自慢である。

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*5:鈴木実貴子ズのライブに関する詳細な記事は以下の記事を参照の事nenometal.hatenablog.com

*6:実は会場前SEにも鈴木楽曲が使われている。

*7:このMVの鈴木実貴子よろしく全速力で思うが、『#悲劇のアルレッキーノ』絶対劇団EXPO制すべきですよこれはこの最高にパンクかつオルタナティブな怒りをエンタメに昇華した本作が天下取ったら世界は平和になるぐらい思っている。正にパブロ・ピカソの言うように「大切なことは熱狂的状況を生み出すことだ」と言う名言がしっくりくる。

*8:ちなみに過去記事でいや、もっとミーハーな言い方をすれば鈴木実貴子ズ史上最もニルヴァーナ的な曲だとも言えるかも。あの1994年のカートコバーン 死の直前『MTV Unplugged』のラスト曲『Where Did You Sleep Last Night』で最後「シヴァーーーーーーーーー!!!!!!!!!」と叫ぶ直前に、一瞬銃弾に打たれたかのように目をハッと見開く誰もが見てもあのドキッとするあのシーンを思い出す。と言っている。

*9:【千本桜ホールエピソード1】;本会場に入場する直前、通りがかりの老夫婦から「今日は何をやってるんですか?」と聞かれ、「吉田彩花さんと言う新進気鋭の女優さんのプロデュースする舞台演劇です。」とまるでスタッフのように答える。ちなみに私はなぜかよくどこの会場でもスタッフに間違われる。数年前ユニクロでもスタッフに間違われたこともあった。

*10:【千本桜ホールエピソード2】;この日『悲劇のアルレッキーノ』一回目の千本桜ホール入る時検温機が「あなたの体温は異常です」と出たのでスタッフの方も慌てて降りて来て確かめたらなんと「30.4度」で、2回目測ると32.5と余りにも体温数値が低すぎて異常反応を示した事が分かって係の人と爆笑したものだ。しかしこういう時「あなたは異常」と言われるのね...笑

*11:【千本桜ホールエピソード3】;2回目は『悲劇のアルレッキーノ』と前回のS-igen公演である『歌え!ピエロ』との共通点はどう言うのがあるかとか考えてたら隣に主役を演じた長谷川小夏さんが座ってたことが判明(笑)絶対そうだと思ったけど前列はすぐに退場するシステム上話しかけられなかったのが残念なことで。

*12:

nenometal.hatenablog.com

*13:そういえばこの台詞の件、twitterでのsatoka様本人のリプによると「あの言葉は大好きで 口にするのがとても楽しかったです女性ダンサー! 今もたまに頭に出てきたら つい言ってしまうお気に入りの所です赤くなった顔」だそうだ。

*14:このリーフレットのデザインは『余韻』のジャケットなども手かげたANJU KAWAHARA氏によるものである。彼女のハイセンスなアートワークも演目に一花添えている。

www.r-manworks.com

*15:てか私そもそもそういう甘いもの食わない派なんですがw

*16:先週『悲劇のアルレッキーノ』の学芸大学駅降りて既視感あるなと思ってたが去年の二月モツ焼きで有名なエビス参でしっかり飲み食いしてレポしてんじゃんという事実に気づく。しっかり以下で書いてますので是非笑

nenometal.hatenablog.com

*17:

映画『#ひとくず』ディレクターズカット版🍛、爆速レビュー!ネタバレあり...ってかもはやネタの宝庫です🧸

映画『ひとくず』ディレクターズカット版、爆速レビュー!

Table of CONTENTS

 

1. Three Types of『ひとくず』

2. ひとくずDC版、その全貌

SCENE1~カレー&チョコレートの真実

SCENE2〜コンビニだったという真実

SCENE3〜クマがコマネチでママは綺麗だという真実

SCENE4〜おもちゃ屋での真実

SCENE5〜通常盤&NC版との違い

3. カ行にまつわるcoincidence

[付記]

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1. Three Types of『ひとくず』

ここは十三、第七藝術劇場前である。*1

とうとうこの日がきた。夢にまで観たこの日がきた。*2

今年2021年に最も映画館で観た作品である『ひとくず』だが11月13日から、既に公開済みのシーンに未公開シーンなどを加味したディレクターズカット版(以下DC版)が第七藝術劇場にて先行公開されたのだ。普通こういうDC版って最近では海外の『ジャスティス・リーグ』なんかがそうであるような既に劇場での公開期間が終わってから円盤化などの際に満を辞して4時間以上にも及ぶ長尺のバージョンが公開される事もあるのだがそういうのとは少し、いや大きく事情が違うようだ。

....というのも全体のランニングタイムが通常版やニューカラー版(以下、NC版)の117分に比べ124~129分と増えた時間は約10分近くしかなくて、世に蔓延るDC版に比べそれほど長くないのだ。

だから「劇場で集中力を欠く事なくそれでいて最大限に密度を濃くしつつ全てを観きる」事が前提となっている。というか、要するに真っ向勝負上映をまだまだ続けるという事だろう。

以下は通常版に捧げられた我が長文レビューである。

nenometal.hatenablog.com

 

そしてこちらはテンアンツ全体のネタバレ掲示板記事なのだが、この中ではNC版について言及している。

nenometal.hatenablog.com

この記事内での『ひとくず』NC版に関する言及を再度引用すると以下のようになる

恐らくは当初の制作費では限界があった映像技術や音響技術をreviseする意味でもって各場面の色彩のコントラストや音像の立体感がハッキリする事でよりカネマサの、北村母娘らの、その他さまざまな登場人物の表情も深く読み取れ、彼らの心象風景がダイレクトに伝わるような改訂、ツイートしてる通り「リマスター」的な処理が施されているのだ。

観ながらメモ撮りまくったのでちょっと羅列しておく。

 

①冒頭色彩鮮やかさを感じたのはひとくず」タイトルが3Dのように浮いて見える

②冒頭の鞠の部屋にて黄色であるとか、オレンジの色合いが強く感じる。

③あとNC版以前はそうでも感じなかったが少年時代カネマサの回想シーンがとても淡く感じる。全体的に昔のシーンはコントラストあったが、時間が進んでいくにつれコントラストは無くなったかな

④全体的に鞠ちゃんのみならず、カネマサの血色もすごく良く見える(笑)全体的に。

⑤あとサンドイッチとオニギリの箇所で「食えよ」のセリフが多く感じる。初期版では3回ほど言ってたのがNC版では「食えよ✖️7」ぐらい。とカネマサがブーツ脱ぐシーン初期版ではあったっけな?NC版からではなかろうか*3

⑥あとカネマサがブーツ脱いで置いていくシーン初期版ではあったっけな?

NC版からではなかろうか。

⑦暴君ヒロくんの遺体を毛布で凛が隠すシーンがちょい丁寧な気がする?

あと風呂場での鞠の涙がくっきりしてる。カネマサの焼肉屋の涙もくっきり映ってたな。

⑧多分目玉はこれ!!暗闇の担任教師の顔がクッキリ!!白い!!あと鞠凛の電気つけたバージョンの部屋も白くてハッキリ、意外と綺麗な部屋に変わったな(NCだと家賃1万ぐらい上がった感ww)

⑨凛と飲み屋のお姉さんとのキャットファイトシーンは当初と角度違う(前のはお二人のパンツが見えそうなスリル感が印象的だったから←どこ見とるんじゃw)

⑩カネマサが先生を痛めつけようとするシーンがちょっと省略されてる。

11.ヒロくんを埋めた後の二人の顔が極端に黒い(初期版よりもっと

12.空き巣の金持ちの家は茶色と白とのコントラストが鮮やかね、クマの茶色もコーディネイトされてるかのよう...

13.あの噂のCop Noodleのロゴがハッキリわかる。

14.凸カフェめちゃくちゃ綺麗、他のドンびいてる客もハッキリ見えるな。

15.淫ばい屋に九州飛ばされてさ〜のシーンの徳竹さんが美しい。てか徳竹さん今回のNC版でどのシーンも美しく見える(面会シーンでも、マサオ逃げなのシーンでも)

16.今回のNC版茶色が引き立つんだよね、12でも思ったが焼かれた肉の茶色が完璧に美味そう。

17.運送会社は白と青のコントラストが良かった。本作での部屋って二色のコントラストがクッキリしてるんだけど意識してるのかな。

18.鞠「ママ、行ってきます!!!👐」の時の「あたらしいわたし」のアコースティック・ギター音がこれまた凄くクリアにエッジの効いた音に改良されてた気がした。

19.『愛について』もう鞠に対する凛の懺悔シーン。ひたすら白かった、純白。凛が大袈裟ではなく聖母マリアにえた(NC版になったとか関係ないかもしれませんw)

20.主題歌『Hitokuzu』のアレンジの緻密さってか打ち込み音をハッキリ拾ってた。

こういう所からやはり昭和感ある作風と言われることもあるけど令和以降の作品だと思う、

以上!!

 

2. ひとくずDC版、その全貌

という訳で、本節では『ひとくず』DC版に関Scene1からScene5に分けて合計5シーンに分けて、詳細に述べていくことにする。

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SCENE1~カレー&チョコレートの真実

「家族になんねえか?」の直前に実はなんとカネマサが手作りカレーを鞠凛親子に振る舞うという衝撃のシーンが出現するのだ。カネマサは風呂上がりらしくて髪がいつになくフワッとしてて思いの外日頃の舞台挨拶等での上西雄大要素がある「爽やかなカネマサ」となっていたのも大きな特徴といえば特徴である。
あと手作りカレーと言ってもレトルトにチョコレートを隠し味として入れたモノらしいがそれより何より3人ともめちゃくちゃ「家族」然としてる事に新鮮な驚きも隠せない。

3人ともめちゃくちゃ笑ってるし。

通常版、NC版共に「家族になんねえか?」というセリフに対して、「唐突さ」とまでは言わないが「正直、大丈夫なん?」という不安感もあったのでこのシーンによってスッとこのセリフが溶けていく感覚があったのも事実。あとカネマサが凛に衝撃の台詞を放つのが超驚きであった。何と凛に「丸顔の凛ちゃん」と呼びかけたのだ。バレーボール🏐のようだとも言っていた気がする。そして鞠は「やっと名前で呼んでくれたね。」だとか言ってたが、もうそれどころじゃないだろう笑、確かに凛さんというか彼女を演じる古川藍さんは小顔ながらもきっちりと丸い顔を所有しており、まあそれが魅力でもあるのだが、この丸顔=バレーボールと呼称した事により、より家族的な和が彼らの中で生まれたんだなあと思った。

....にしてもあのシーン観た時、めっちゃ「(ジャワカレー辺りの)カレーのCMに3人が起用されたら」と妄想したのは私だけだろうか🍛🍫あとこ場面で気づいたことは、以下の右側にある、母カヨを演じられた徳竹未夏さんが書かれたバッジが私の中で浮かんだのだ。

あながちこの絵柄は理想を追求し過ぎて現実とは程遠くて切ない絵柄だと初めて観た時は思ったんだけど、こうしてちゃんと一瞬だけど「家族」としての3人もDC版では描かれてて案外この絵柄はかけ離れ過ぎてなかったんだなぁとしみじみ思ったものだ。 

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SCENE2〜コンビニだったという真実

「ヒロ君の死体を埋める」という苦行的ミッションを泥まみれになりながらも遂行した2人(+1人?)だが、その後すんなりと唐突にコンビニでアイスを買いに行った訳ではない。車の中でカネマサ「アイス買ってやろう」鞠「えっ!!本当???🤩」みたいなシーンが存在していたのだ。鞠ちゃんにとっては虐待相手が殺されて死体を埋めるなどというトラウマ級のイベントが重なっただろうからこそアイスの存在は心安らぐ瞬間だったのだろう。
それにしても鞠は「ラーメン」にしても「アイス」にしても「焼き肉(上塩の牛タン)」にしても「クマ持ってカネマサが迎えに来てくれる」にしても「カネマサ、パパになるんだよ」にしても素直かつ無邪気に喜ぶんだよね。よほどそういう「人から〇〇してもらう」という行為に飢えているんだろうなと感慨深く思う。こういうネグレクトとか虐待される子供ってのはそういう愛情に飢えているから逆にすごく有り難がる傾向にあるんだろうかなとかしんみりと思ってしまうシーンでもある。*4

あとこのアイスのシーン、個人的には通常版、NC版共にコンビニ感はなくてどこか地方にぽつんとある何でも売ってる酒屋のようなイメージを抱いていたから結構しっかりコンビニだったのも発見だった。あの舌ったらずのガタイのいい大男の死体を埋め終えてボロボロになりつつも死相みなぎるカネマサと凛を目の前に、「あんたたち泥だらけじゃねえか、しかも裸足じゃねえか、床が汚れるだろう。」などともう違和感と恐怖心がハンパなかったであろうコンビニ店長役の飯島大介さんが出てきたが、彼は今回のDC版で初めてお目見えしたある種、目玉キャラクターの一人である。

あと細かい点だが、青年時代のカネマサが、あの憎き義理の父を殺害するキッカケとも言える母ちゃんの「あの男がヘタ打って九州の淫売屋に飛ばされるんだよ。」の時に、部屋に居た男がカネマサに「九州に行く支度しとけよ。」と言って出て行くシーンがあるがこれはNCにも通常にもなかったシーンである。
さらに既述した通り、そのヒロの遺体を埋めるべくトランクを開けるシーンもなかった気がする。
*5

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SCENE3〜クマがコマネチでママは綺麗だという真実

焼肉屋直前車に乗り込んで凛が入ってくるのを待つシーンが新たに出現。今回車の中のシーンが全体的に増えてるよね。で、そこへオシャレにめかし込んだ凛が車内に入るシーンがあるのだが、バックミラー越しにカネマサがふと彼女を見惚れてるようなシーンがあるのだ。いや、これは驚きだった。で、凛「ママ、綺麗!」とか言ってカネマサがそれに頷くとも頷かないとも思えるシーンがあるのだ。しかしこの「ママ、綺麗!」っていうセリフもよくよく考えればその後の観覧車での「ママ気持ち悪くない!」というあの場面への繋がりもしっくりくる気がする
車の中と言えば凛が車に乗り込む前に鞠にカネマサが熊にぬいぐるみ🧸にあのビートたけしの往年のネタ「コマネチ!」のポーズをさせて鞠がキャッキャ喜んで「コマネチじゃない。」と否定する、多分このDC版最強の衝撃をもたらすシーンの写真がこちらである。

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いやはや参りました、これまで9回ほど鑑賞して来て、慣れ親しんでいるからかもしれないがほんとに衝撃で夢でも観てるかと思ったもの。しかし、だ。鞠は年齢的に遥か大昔の化石のような昭和のギャグなのになぜ「コマネチ」を知っていたんだろうか?

いや知らないからこそ「コマネチじゃない!」と否定したのかもしれないが...
いずれにしても観覧車でのあのカネマサ爆笑シーンでの「ママ気持ち悪くない!」が「ママ綺麗+コマネチじゃない」を混合したセンテンスである事がよく分かるエピソードである。

 

SCENE4〜おもちゃ屋での真実

何となく少し前のDC版の告知ツイートで通常盤にもNC版にもない、以下で掲載してるこの玩具屋でのシーンの写真を目にして「ヘェ〜、こんなシーンがあったんだ!」とビックリしたものだが、ここでようやく最後のカネマサが凛に何よりをプレゼントしたのかが明らかになってくる。おもちゃ屋にて当初店員に「6歳ぐらいに子供は何もらえば嬉しいのか?」と聞かれて「ぬいぐるみ」と答える店員に「もうそれはもってる(ってか思いっきり人の民家たたいて盗んできたモノなんだけどw)」的なことを言ったので、店員「あちらのオモチャ【女の子女の子したピンク色のおもちゃ】(←ニュアンスで分かりますよね w)が人気ですと指さされた途端に他の客に目の前でスッと取られ、「それオレに譲ってくれねえか?娘が誕生日なんだ。」と握ってた札束を無理やり母親に握らせるシーンである。母親はそんなカネマサに恐れをなし、娘に譲るよう促し、更に札束を「こんなお金いただけません💦」と遠慮することすら恐れ慄いて躊躇してしまうの。すげえな、遠慮することすら憚られるカネマサ様のど迫力よ(笑)。次のケーキ屋でも一波乱あるし、「子供にケーキとプレゼントを買う」という行為ですら只事では終わらない彼のカルマを思い知ったものだ。*6

この玩具屋とケーキ屋での買い物は、思えばラストシーンで出所するまでに娑婆で一般人として買い物とした最後の社会活動である。

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SCENE5〜通常盤&NC版との違い

あとこのシーンは当初入ると思われたんだけど予測に反して入らなかったシーンがある。

カネマサが自らの「なぜオレはアイスを食わないか。」という理由を凛に明かした後で、凛が冷蔵庫からアイスを持ってくるのだがこれは「アイス取ってきてくれないか。」と指示するのではなく通常版、NC版と同じくスッと自然に差し出す感じになっている。これは個人的には大賛成で、何も言わないこっちの方が自然だと思うが、舞台版や小説版とかではどうなるんだろうかな。

後このDC版 観て改めて思うのがNC版の特殊性。NC版は、特に部屋などの色彩のコントラストがクリアかつ綺麗だったし、このようなインディー映画をアート志向の強い作品として評価する傾向の強い海外の人にウケそうな気がしている。ざっくり言えばカンヌ受けしそうな感じ。このNC版とDC版の違いに関して11/14(日)の舞台挨拶後凛役の古川藍さんとお話しできたのだが、NC版はまたDCとは違う出所からの制作によるものらしい。だから通常からNCを踏まえてDC版へと改訂したのではなく、あくまで通常からDCへと直接手がけたものだと。だから以下のツイートの如く、NC版のアーティスティックなまでのカラフルさはなくて通常版のリアリティある映像をそのまま生かしている、とのことだ。

 

3. カ行にまつわるcoincidence

そういえばテンアンツの上西雄大監督自ら演じるキャラクターの愛称・名前含めてを羅列してみると面白い事実に気づく。

ネマサ(『ひとくず』)

ーブ(『ヌーのコインロッカーは使用禁止』)

崎(『姉妹』)

ロー (『西成ゴローの四億円』) 

オロギ(『ねばぎば新世界』、『コオロギからの手紙』)

いや、何の事はないんだけど単純に「カ行」が多いのだ。これは他にもテンアンツ作品中他にもあるのか、偶然なのかは製作者に聞かない限りは分からないが他にもそうでない名前も存在するので多分偶然のような気もするが個人的にツボってたのだが今回DC版を観てみて新たに加わったシーンに出くわして、ある意味偶発(coincidence)的な事実に気づいたのだ。

カレーチョコレートを加える事件

玩具屋での「金手渡し」事件

コンビニ汚しまくり事件

マネチを強要されるマ事件

麗なママ事件

ほらやはり今回出現した新シーン全てが「カ行」にまつわる事実ではないか!!!という、多分DC版観た人の中で世界で一人ネノメタルさんしか気づかないトリビア(笑)がそこにある。まあね、これは100%偶然の産物なんだろうけど何となく綺麗に纏まる気がしたし、今日はちょろっと2~3000字ぐらいの軽い記事書こうかと思ったのにまたまた現在ジャスト8000字にまで及んでしまったので、そろそろ本記事を締めくくろうかと思います。

 

[付記]

あ、そうそう、ここでこれまで述べて来た『ひとくず』DC版の真実とか色々他のおいくず様の感想、見解なども色々聞きたいので11/22の11時22分(この数字には深い意図はございません)私ネノメタルがホストとしてtwitter上でスペースを開催しまーす!!

さて、どんな話が飛び出すか、乞うご期待!!

 

 

 

*1:十三という街はB級グルメ天国なのだがここのラーメン屋はおすすめ。

*2:これは嘘ではない。『ひとくず』ディレクターズカット版を観た夢を見た。何と最初に全出演者が舞台挨拶をした後、そのまま舞台で演技が始まり同時にカメラも回してて撮り終えた後「今ラストシーンを付け加えました、ではご覧下さい。」と言って本編が上映開始というなぜか『サマーフィルムにのって』のオチが混在してるが。

*3:twitterでのフォロワー様、ビンさんの指摘によるとDC版では更に一回増えたとの事。計8回。

*4:あとあんな母親でも鞠は凛に対して全然反抗してなくてむしろ慕ってる風なのも凄いね、「ママ綺麗」「ママ気持ち悪く無い」にしてもそうだし、足を洗ってもらって少し嬉しそうな表情もそうだし、通学時手を振ってる感じも無邪気だし、ママが好きなのだろうね、ああいう鞠の母親が向き合ってくれるまで耐えてくれたからこそ素直に育ったのだろうと思ったりして。

*5:『ひとくず』鑑賞数最多記録保持者のビンさんが以下の事実を教えてくれました。

*6:しかしこのシーン観て『ワンダーウーマン1984』でエジプトに逃亡したマックス・ロードを発見したダイアナらが逆走するためにタクシーの運転手に大金を渡し、「この車今から買うから譲ってくれ」と言って運転手置き去りにして車に乗り込むシーン思い出したわ w

『#サマーフィルムにのって』&『#由宇子の天秤』二つまとめて総合レビュー!

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Ⅰ.『サマーフィルムにのって』レビュー

「スクリーンは過去と今とを繋ぐ。そして私はこの映画を未来へ繋げたい。」
そんな思いを胸に勝新マニアの女子高生が仲間達を集め、時代劇を撮ろうと奮闘するまで、という展開を予想していたら、更なる異次元へとぶっ飛ばされた。
去年は『アルプススタンドのはしの方』『のぼる小寺さん 』などがあったが、2021年夏、また新たな青春映画傑作の誕生を確信した。


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本作でのポスターにある通り3人の仲良し女子高生を中心に展開され、その内訳は映画監督ハダシ(伊藤万理華)以外にビート板)、ブルーハワイ(祷キララ)という濃い仲良し3人組がいるのだが、特に推したいのがブルーハワイである。優勝常連の女剣士でありながらもラブコメへの憧れをも抱く、その二面性のもたらすギャップ萌え感に悶え死んでしまった。

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そしてつくづく思う事だけど本作は演劇集団キャラメルボックスの舞台を観た感覚に本当近いと思う。当然タイムトラベラー的なSF要素を使ってるっていうのはともかくとして、泣き要素と笑い要素の絶妙な配合とか、テンポの良さとか誤差ない。『時をかける少女』をビート板が読書するシーンとかあったが少しは影響受けてるのかなぁとかぼんやり思ったりもした。

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少し内容から外れるが、鑑賞当日パンフレットが大絶賛売り切れ中で補充再販が決まったら買うついでにもう一度は観るだろう.......っと残念に思ったが同時にもう一度観ざるを得ないこの状況に少なからず嬉しかったのも事実。それぐらい一回の鑑賞では済まされない作品である。
あとこの『サマーフィルムにのって』演劇集団キャラメルボックスが好きな人にはトコトンハマると思う。タイムトラベラー要素があるからという訳だけではないがキッチリ伏線回収してテンポよく笑わせるとこは笑わせて泣かせてそれを含めて泣き笑いさせる的な時代を跨ぐ意味で『truth』とか『時をかける少女』等の感覚とめちゃめくちゃ近いと思う。

それから二週間後、パンフ購入をきっかけに2回目を観たが、

以下3点に改めて感動する。

❶ハダシの身体能力の高さ。
コメディな動きを軸にしつつキメるとこキメるなど一筆書きのように演じ切る感に舌をまく

❷優等生役かと思われたビート板の微妙な乙女心の揺れに涙する。

❸そんな友人の心情の全てを享受し包容するブルーハワイの懐の深さに再び感動する。

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【付記】

3度目の鑑賞の末以下の点に気づく。
①「はだし」は物語の半分以上は終始「渋い顔」をしている。確かに同じ映画部ながらも花鈴率いるリア重恋愛映画の撮影隊に少し閉口したり、邪魔されたりだの状況もあったりするのだがどうにも渋い。冒頭の刀振り回すシーンだとか、台本を前のめりで捲るシーンだとか、全体的に猫背というか肩をいからせている体躯をなしているのだが、これは彼女に時代劇の面白さを教えてくれた「おばあちゃん」の影響によるものではなかろうか、と。体育館でマシュマロだポテチだ食ってるシーンがあるのだがビート版だか、ブルーハワイだかが「はだしはおばあちゃんそっくりなんだよ。」と言ってたのだ。【そっくり】というのはもちろん「顔の作り」ってことなんだろうけど全体的な雰囲気、所作とか、表情とかも含めてのそれなんじゃなかろうか?だからああいう渋い顔なのではないか。ややこしい言い方になるが勝新時代劇にハマるおばあちゃんに影響を受けた「渋い顔」ってこと。

②今回はビート板視点に立って見てみると物語がガラッと変わって見えるのが興味深い。彼女視点に立つと色んな意味で我々鑑賞者に色んな「気付き」と「フォロー」を与えてくれる正にストーリーテラー的な立ち位置だという事実に気づく。
 それは正に剣道の試合でトロフィー抱えて戻ってきたブルーハワイへの「優勝してんじゃん」というツッコミにも似たセリフから風呂場での花鈴への「私たち、負けないから。」まで全て視聴者の気持ちさながら代弁していることがわかる。それはさておいても(置いとくんかいw)ビート板目線のラブストーリーとして見ていくと親友はだしの気持ちを優先して自分は一歩引いて凛太郎との距離を近づけようとする彼女の一途さに泣ける、てか作品違うが3回目直前に次章でも触れる『由宇子の天秤』観た後だから尚更河合優実の演技力の幅の広さに圧倒される。

 

小畑萌とビート板と同じ人が演じてるって言われなかったら一生気づかん人もいるんんじゃなかろうかレヴェル。

③しかし②を引き継いで「負けないから」をうけて花鈴の「勝負しているの?眼中になかった。」ってのはビックリしたね。ビックリというかこの花鈴のヴィラン放棄宣言とも取れるこのセリフによって、この話は別に当初私が予測していた「リア充 vs. 時代劇 映画対決ストーリー」じゃないのだという事にある種の電流並みの衝撃を受けたのだ。
正に最後の涙腺決壊レベルで多分制作サイドはこれをめがけて作ったんだろうと思わせるエンディングが示す通りの「型破り」な作品。
そういえばブルーハワイが二日目の合宿の朝海辺で着てたシャツのロゴがBreak the Mold」これは「既成概念をぶち壊す」てことでつまりそういう事なのだろう。てかあれだけ純朴で天然っぽいのに物語の中枢を握るロゴを着こなしていたとは...本当に勝者はブルーハワイなのかもしれない(なんのこっちゃ。)


兎にも角にも個人的2021年における最高のサマーフィルムは本作なのかもしれない。

 

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主題歌『異星人と熱帯夜』

前の章では「ハダシの身体能力の高さ。」について触れたが、この主題歌ではそれを証明するこのようにキレの良いダンスを魅せてくれるってかこの人元坂道グループの人だから当然っちゃあ当然か(笑)


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Ⅱ.『由宇子の天秤』レビュー

【真実の正体を暴こうとする正義の心とその真実に対峙するための贖罪への意思とが真っ向から対立する】


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そんな二つの相反する概念を天秤にかけ、その二つの狭間で揺れ、苦悩するドキュメンタリー・ディレクター木下由宇子の心臓の鼓動の髄まで伝わってくるような穏やかながらも緊張感あふれる152分。最初は天秤にかける要素は「真実」か「嘘」の二つであったが、徐々にその真実の部分にボロが出始めて、それら二つの要素は「真実」か「嘘」であっても真実として多い被さなければならないものまで拡張し、次第に「嘘のような真実」か「真実のような嘘」へと変貌を遂げていき、最後の最後に全ての嘘を真実へと塗り替えた後にこれら全てを鑑賞者我々へと静かに突きつけるという衝撃の結末が待っているのだ。

まさに今年ナンバーワンとの呼び声も高いまさに時代の空気を捉えたような話題作。

時代の空気、と言ったが、本作はあのアカデミー賞受賞作品『万引き家族』の公開当時を思い出したりもする。
当時、公開日を狙い定めたかのように、あの作品の登場人物と同年代ぐらいの女児の虐待事件が起こった。そして本作も然り。*2

ここ最近世の中を賑わしている残虐極まりない旭川中学生のいじめ凍死問題の中での“加害者”に関してどこまで、そしてどのような形で真実を報道すべきかの是非が問われているこの時期をあたかもピンポイントで予見したかのように、本作の中でも、3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件の真実を追求しているドキュメンタリーTVクルーたちの姿があるではないか。

この偶然にしては出来過ぎのサブジェクトには驚きを隠せない。

でも「傑作」とは時として世の中の空気にある次元において呼応し、その空気感を丸ごとキャッチするものなのだろうと考えれば自然な事なのかもしれない。

だからと言って過激なシーンもセンセーショナルな台詞があるわけでもない、にも関わらず本作は静かながらも片時たりとも緊張の糸が途切れる事が無いのが本作を他に現存する社会派と分類される他の作品群とは一線を画しているように思えるのだ。

ただ本作の「シリアスゆえに笑うしかないシャレにならなさ」という点ではエル・ファニング主演の『ジンジャーの朝〜さよなら、わたしが愛した世界』を思い出したりして。


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いや、そのような緊張の系が解れるようなホッとするシーンがない訳でもない。

それは例えば由宇子が体調の悪い小畑萌の為にお粥を作って一緒に食べるシーンぐらいだろうか、とは言えこのシーンの裏にに潜むコンテクストたるや物凄い事になっているのだけれど...。

...という訳で観ていくうち穏やかながらも何度も何度も手に汗握るシーンに出くわすのだけれど、登場人物の心情を煽るセンセーショナルな音楽のみならず、こういう映画にありがちなバイオリンでアレンジされた不穏な劇伴すらも一切封鎖されているし、わかりやすい伏線回収も取ってつけたようなオチも、御涙頂戴の感動の涙も笑いも悉く用意されていないのだ。
はっきりいうと製作者サイドに一ミリたりとも安易なエンタメに落とし込めない意思がひしひしと感じられる。

いやむしろそんな要素など無駄であるかのようにひっそりとしたトーンで塗り固められた152分。大袈裟でなくいうが鑑賞者のふと漏れるため息こそがBGMとして機能しているというか。しかしそれも納得できる話で最後に我々もこの真実を語るドキュメンタリーの当事者になるのだから下手にドラマティックな音楽など不要なのかもしれない。

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それだけ出演者である、瀧内公美河合優実、梅田誠弘、光石研....らの演技力の巧さや凄みってのも大きく貢献している。だからこそ、鑑賞後20日ほど立った今でも由宇子らの、そして他の登場人物たちの心臓の鼓動のフィードバック音が鳴り止まないのだ。
ここで予言しておくが多分、本作アカデミー賞の何らかの部門で賞を取るだろうな、と思う。
とはいえ音楽が鳴らない作品なので音楽賞以外の部門で。あと劇伴音楽が極力抑えられた作品という意味で、この作品がパッと浮かぶ。

今現在関西でのみ公開されている『まっぱだか』(安楽涼 ・片山享 監督)である。東京や大阪における喧騒とは程遠いこの町における元町中華街、路地、モトコー付近、そして商店街などから鳴らされる生活音達は、登場人物の台詞の合間や息づかいを自然と引き立て、正に「音符なきBGM」の役割を果たしているのも見所の一つである。これはネタバレになるから言わないがそういう生活音が一旦シャットアウトされて美しいアコースティック音楽が鳴る瞬間があるのだがあそこは多分全ての喜怒哀楽という定型の感情から解き放たれていくシーンがあるのだけれどあのシーンの為に入場料払っても良いぐらいの最高の光景だった。

ふと毛色は違うが『四月の永い夢』の浅倉あきが浴衣着てヘッドフォンで音楽を聴きながら軽やかにダンスするかのように帰宅するシーンがあるのだがあれをふとそれを思い出したりして。

人の感情とは喜怒哀楽に4つに分類され、その人の個性であるとか性格であるとかはそういう感情から派生される何かで安直に判断されがちな気がする。
(例えばよく怒る人→性格が悪い、とかよく笑う→明るい人、とか)
でも我々がその人を好きになったり愛したりする(まぁ逆も言えるんだけど)真の理由の根源的なものっては「喜怒哀楽などの感情を超えた何か」だったりしないだろうかか?
本映画で繰り広げられるのはそんな「感情のセッション」。登場人物達はこれでもかと叫び合ったり、泣いたり、時には殴り合ったりするが行き着く先はそのどの感情でもない「めんどくさい何か」だったりする。

本作を観てそんな事を考えた。そして本作における重要なバックグラウンドとなっているロケ地のすべては神戸元町

兎にも角にも観る者の心を まっぱだか にしてくれる傑作が在住の地で生まれた事を祝いたい。


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余談だけど河合優美さんは本作とは打って変わって『サマーフィルムにのって』にて全くキャラクターの違うビート板役を好演されてるのだが、本作の主演・瀧内公美さんは、ポスターやインタビューとかだとそうでもないけどスクリーンだとなんとなく祷キララさんに似てるように見えるのだ。
 だから瀧内さんと河合優美さんのツーショットは『サマーフィルムにのって』が超シリアスになったらこんな感じ?タイトル付ければ『ダークサイド・オブ・サマーフィルムにのって』とかふらっと妄想したんだけど、それは多分私だけですが....

 

 

*1:公式サイト

phantom-film.com

*2:公式サイト

bitters.co.jp

2021年の最強の殺し屋『#ベイビーわるきゅーれ』爆裂レビュー!

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2021年の最強の殺し屋『#ベイビーわるきゅーれ』爆裂レビュー!

TABLE of CONTENTS

Ⅰ. 2021年のインディー映画代表作とは?

Ⅱ. 『ベイビーわるきゅーれ』を5回観賞後の記録
Ⅲ. 映画史上最も憎めないヴィランとは?

Ⅳ. 「ヴィラン」の定義

The origin of Villain

Villain1; Barbara (from『WW84』)

Villain2; ムスビル教団(from『スペシャルアクターズ』)

Villain3; 進藤サチ(from『アルプススタンドのはしの方』)

Ⅴ. 『ベビわる』ちさと、まひろ、ひまりのcharacterization

Appendix.と言う名の本音

 

Ⅰ. 2021年のインディー映画代表作とは?

去年の夏のスタンダード映画ダントツ一位邦画部門は個人的に通算13回ほど映画館に観に行った『アルプススタンドのはしの方』がダントツだった。というのも未だにTwitterのオフィシャルアカウントからいいねがくる事もあるし、まだまだ円盤発売以後も現役感が半端ないのだ。多分劇場公開とかあったら行くだろうなぁってくらいだから相当なもんだ。

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そして一年後の2021年今年の夏、これぐらいのレベルで盛り上がってる映画はなんだろうと考えた時に、この二つ、松本壮史監督作品『サマーフィルムにのって』と阪元裕吾監督作品『ベイビーわるきゅーれ』が浮かぶだろう。*2

個人的な考えでは、現時点での世間の盛り上がりとしては『ベイビーわるきゅーれ』の方がかなり優勢であるように思う。とはいえ内容的には『サマーフィルムにのって』も既に3回ほど映画館で鑑賞してて、負けず劣らず素晴らしい作品であることは付記しておきたい。*3

まぁ一方は時代劇の映画撮影に直向きに打ち込む一途な女子高生、もう一方は殺し屋稼業に専念する女子高生二人組、どちらも主人公は偶然にも同じ女子高生であると言うこの両極端な柄も寮クオリティの2作品だったわけだが、これはひとえにTwitterオフィシャルアカウントによる日頃の「努力」の差が大きく出てるのではないだろうかと思う。*4

先に述べた『アルプススタンドのはしの方』ではないが、映画鑑賞者のツイートに対して多少なりともネガティブ入ってようとガッツリと「観ていただいて有難うござました!」という感謝の意を伝えるには「いいね」或いは「RT」ってめちゃくちゃ有効だと思うんだけどどうなんだろう。この辺り他のエンタメ全体にも思うんだけど、もっと活発に動きかけば良いのになと思ったりする。

それはともかく今回の記事のメインテーマである『ベイビーわるきゅーれ』のストーリーは以下のようなものである。

Rough Story of 『ベイビーわるきゅーれ』

女子高生殺し屋2人組のちさととまひろは、高校卒業を前に途方に暮れていた・・・。
明日から“オモテの顔”としての“社会人”をしなければならない。組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たち。
突然社会に適合しなければならなくなり、公共料金の支払い、年金、税金、バイトなど社会の公的業務や人間関係や理不尽に日々を揉まれていく。
さらに2人は組織からルームシェアを命じられ、コミュ障のまひろは、バイトもそつなくこなすちさとに嫉妬し、2人の仲も徐々に険悪に。
そんな中でも殺し屋の仕事は忙しく、さらにはヤクザから恨みを買って面倒なことに巻き込まれちゃってさあ大変。
そんな日々を送る2人が、「ああ大人になるって、こういうことなのかなあ」とか思ったり、思わなかったりする、成長したり、成長しなかったりする物語である。


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Ⅱ. 『ベイビーわるきゅーれ』を5回観賞後の記録
「超絶コミュ障であるまひろ(井澤彩織)&超絶気分屋杉本ちさと(高石あかり)が実は殺し屋家業を請け負っている」という今まで見たことのあるようなないような斬新なアクションだ。

確かに、高石あかりと伊澤沙織のコンビネーションに関して言えば、殺し屋以外の日常生活の場面での二人のうち一人がソファに座って、かたや足乗せて寝っ転がってゲームやスマホなどに興じる様子はどちらかが他の役者だったら全然印象が変わるんだろうなと思わせるこの二人にしかなし得ない絶妙な空気感を生み出していた。あと、恐らく本作品に共感する人の多くはまひろのコミュ障っぷりなんだろうか。彼女がボソボソと「〜なんです、はい。」「....ぁ、〜すいません。」「ちさとさんのこと割と大事な人だと思ってるんで。」と完全に他者へ向けて喋る感じではなく内なる自己に語りかけるような妙に敬語混じりのあの話し方は紛れもなくSNS内にいる「僕たち、私たち」のようなキャラクターであり、それを察してかネット界隈でも実際に彼女に共感している人も多く見られるように思われる。
そして彼女らの二人の話の内容も「推しの芸人がまた炎上したよ。」であるとか「自分からは何もしないで文句ばっか言うツイッタラーみたいで嫌いだわ〜。」的な会話内容だったりとか、当然リア充傾向ではなくどちらかといえばやはり常日頃からネットに親しんでいる「僕たち、私たち」に近い感じがあると思う。
そしてそして、そんなチルアウトというよりももっとダルな方向にいがちな彼女たちが殺し屋稼業に勤しむ時のまさにポスターのビジュアルイメージさながらの二人銃を構えた時のカタルシスがもたらすギャップも魅力の一つなのだろうと思う。別段触れずともこれも鑑賞者にとっては周知の事実だろうけど、まひろ役の伊澤沙織さんは現役のスタントウーマンらしくって数々のアクションをこなしてるらしくて本編のアクションシーンも代役を立てることなく本編でも本人自ら見事な迫力あるガチなアクションシーンをみせてくれてるのだ、というのも多くのファンを得ている理由にもなっていると思う。


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.....と意気揚々と紹介してみたものの私、実は1回目を観て10feetの主題歌のような、確かに初期衝動に満ちたThe Clashの1stみたいなパンクロック的な爽快感があったものの、残念ながら「どハマり」までは行かなかったのだ。
本作を鑑賞した当時はすでにSNS界隈では結構盛り上がっていてその熱狂ぶりはわかるんだけど、感情移入に程遠かったってのが正直な感想だった。

というのも今思えばあまりにも二人のコンビネーションがどハマりすぎてて「こういう感じがサブカル好きなあなた達は好きなんでしょ?カッコいいでしょ?」的なナルシシズムが散見したように感じてしまってそれが妙に鼻についたからというのが大きい。

でも、人間とは現金なもので「プレゼント」とやらに弱いのだ(爆)。これだけTL上で盛り上がってると競争率ハンパなかったろうに、私のツイートが全世界3名のうちの1人として貴重なサイン入りポスターとして当選したのだった!
そうなりゃ「これはまだまだ、劇場に行って盛り上がりに貢献させて頂きます〜!商品到着大絶賛楽しみにお待ちしてます♪」
などとtwitterオフィシャルアカウントにリプライし、即座に2回目のチケットを予約する始末。

で、ハイ、当然2回目いきますよね〜、で、あれ?今まで思っていた違和感がどんどんプラスに転じていくような感覚を覚え始めてこの物語がスッと私の中に入ってきた感じがしてきたのだ。要するに面白いじゃねえかと(早よ気づけよ)
で、シネリーブル梅田にて翌週、坂元祐吾監督と高石あかりさんが舞台挨拶ですという情報を知ってハイ、3回目行きま〜す、となりますよね。

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と言うことでもはや1回目の酷評部分はどこへやら、2回目、3回目以降
『ベイビーわるきゅーれ』 がどうにも愛しくなってしまってもう本作が公開し続けるまでは観続けようモードになってしまったのだ。
しかも本パンフには10分近い3編の会話劇収録のCDが付属してるが普通この種のオマケは一回聞いて「ハイ終わり!」な事が多いのだが、本CDも延々リピートしまくってる始末である。

で、なぜ2度目以降これほどハマったかと言えば、登場人物たちの心象風景を深読みできると言う余裕ができたというのもあるんだと思う。超絶コミュ障であるまひろ&超絶気分屋杉本ちさとの名(迷)コンビの織りなす絶妙な関係性や、社会に対する怒りや苦悩をぶつけまくっている事を示唆するような「増税するし、バイトクビになるし、日本も終わりだわ」みたいなセリフやそれに関連したシーンにふと感じ取って以降、理屈も論理も倫理もへったくれもないやっちまえ感満載のアクションシーンへ突入した時のカタルシスに心の底からダイブする感覚を覚えたものだ。

これは1回目では味わえなかった感動でもあった。

これは別に暴力アクションシーン自体を詳細に描いて二人のかっこよさを際立たせる為に描かれた作品ではなく、これらのゆるゆるの日常シーンもバキバキのアクションを総動員して社会への鬱屈した思いを抱える若者たちのアングストや怒りを伝えたかったパンクのようなスタンスを維持しつつも、どこか自分のやっている事に闇と不安や将来の人生への意義とを問いかけつつ自分が本当に指向するべき理想の大人像とは何かを模索している二人の女の子のストーリーでもあるんだろうとも感じ取ることができた。

そう思い始めてから俄然この映画が楽しくなったという訳である。

場面で言えば本作でのメイド喫茶のくだり、1回目からどのシーンもどのセリフも満遍なく何度思い返してもジワりまくるのだが、にしてもあの893の親分・北岡一平のメイドに対して「お前を本当の冥土(メイド)に連れて行ってやるよ」と言うあの決め台詞は、日本の「萌え文化」と「任侠文化」とをクロスさせる正に日本映画を代表する最強のセリフになるかもしれないと思ってたりする。まぁ何を代表するのかは分からないが。


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あともう一つ言えば、本作は「続編化」「シリーズ化」の声が止まない作品でもあるんだけど、仮に続編にて2人の過去に触れる事があればまた本作を観て、色々と再解釈ができると思ったりもして...『ベイビーわるきゅーれ』の感想の中で「『ブラック・ウィドウ』で何と無く残ったわだかまりを本作が払拭してくれた。」というのがあったがその意見はとても興味深く思った。これはMCU作品に思い入れの強い人に特化する意見かもしれんが、ある意味「アメコミ的女性ヒーローもの」が日本でも誕生したのかも、って事なのかもな。
まぁ「ヒーロー」というよりこの二人は完全に人殺しで悪役的要素な訳で、
でもそんな彼女らにも敵役とかいるからどうなんだろう?ってな訳で次章では彼女らの悪役について考察したいと思う。

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Ⅲ. 映画史上最も憎めないヴィランとは?

あと本作観れば観るほど飽きるというよりも登場人物への感情移入がどんどん半端なくなる作品でもある。2回目見た後ぐらいだろうか、個人的にどハマりの超逸材を見つけてしまったのだ。それは、もう完全に目がイってしまったかのようにブチ切れてゲラゲラ笑いながらも銃を放つヤクザの娘・浜岡ひまり(秋谷百音)の狂気とその奥底にどこか感じる孤独感にどハマりしてしまった。親の職柄からも推測される通りこれがもう悉くヤンキー一家の典型的な娘だろう。メイド喫茶でオムライスにケチャップで「極道」だ、「仁義」だ書かせようとするくらい、或いは中年店主の営む大阪の飲食店を中心に繰り広げられる「○百万円ね」と言うお釣りジョークに「200万円おつりをくれるのか?」とマジで問いただすタイプの非常に扱いづらいタイプのガチガチの父親と、そんな父親にやや愛想尽かし気味ながらも件のメイド喫茶にて「案外こういうとこも楽しいな。」と言ってしまう従順で愚直などこかバカ素直な長男と、そして日頃はパパ活の斡旋に勤しみその成果や内情はよく分からないんだが少なくとも長男よりは「成果をあげている」らしいこの長女こそが、今回私が本作にて激推しキャラとして掲げる「浜岡ひまり」その人である。*6

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映画を観た範囲でざっと述べるととにかくこの子が登場した瞬間から醸し出されるインパクトが半端ない。
多分我が地元修羅の国北九州の体育会かなんかで応援団が来てるようなコテコテにカラフルなジャージタイプのジャケットを羽織り、その格好に劣らぬくらいのテンションは高すぎるぐらい高くて、(初回は気付かなかったんだが)酒の入った水筒を常に常備しているというある種のアル中なのだろうか?、そしてこれが最も驚きなのだがここまでの狂った要素のある役柄を担っときながらもそれが全然どハマっていて、ある種のキレやカタルシスがあってとにかくカッコいいのだ。

普通こういう極端な悪役を、しかもそれを可愛らしい女の子がやるともなるとある種の「無理しちゃって感」が出てきて痛々しさが伴うものだが、この人に限ってはそういう感じが一切皆無なのは彼女の演技力に所在するのかもしれない。しかもこの秋谷百音さんという役者自体、プロフィール写真など見ても分かる通り、決して悪人役が似合う顔ではないのだ。
それどころか、どこか岩井俊二監督『リリイシュシュのすべて』時期の伊藤歩さんに似たタイプの正統派女優の面持ちをしているのだ。何なんだこの正統派美人なのに狂ってる人ってこれまで見た事ないぞ。総合化すると全てが奇跡的なバランスで成り立っている奇跡的に成立したヴィランであるといえよう。

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いや、でも作品の中で更にこの奇跡のバランスを成立させている象徴的なエピソードがある。それは家族がいない場面でふと父親を「ああいう風に(893としての)見栄でも切っとかないと自分を保ってられないんだろ。」と評する場面がある。これには結構ビックリした。それまで「パパ、私頑張る!」だの「任しといてや!!」なんだの父を慕っている健気な娘の体を見せといて、この客観的かつクールな視点の鋭さに思わずハッとした。

しかも父親と兄貴の死体を目の前にそんなにどころかびた一文悲しんでなかったしな。
要するに彼女も893一家の一人娘として生まれて日々の稼業に勤しむ中である種の孤独感を感じているのかもしれない。この孤独感の所在についてはⅣ章にて触れたい。

 

Ⅳ.「ヴィラン」の定義

The origin of Villain

Ⅲ章では浜岡ひまりに関して見てきたが、ここでは以下二つのサイトを参照にして「悪役」「敵役」、「ダークヒーロー」などという表現に代わってここ最近盛んに聞かれるようになったこの「ヴィラン」とはいったいどう言う意味合いのあるものなのかについて考察したい。

imi-nani.fenecilla.com

do-you-imi.net

ヴィランとは「悪役」という意味です。英語では「villan」と綴ります。

一般的に、物語の作中世界において悪しき存在であり、なおかつ主人公と敵対する存在であるというキャラクターを「ヴィランと呼びます。すなわち、主人公が悪人であり正義側と敵対する存在である場合は、いずれの勢力も「ヴィラン」には該当しません。むしろ、主人公の方を皮肉を込めてヴィランと呼ぶ人もいます。同じような意味の言葉に「ヒール」「ダークヒーロー」などがあります。「ヒール」は、もともとはプロレスで悪役を演じるもののことを指す言葉でした。パフォーマンスとしてラフプレーをする悪役レスラーが「ヒール」でしたが、広く悪役の意味で使われるようになりました。ヴィラン」よりは格下の悪役であるというイメージが強いです。「ダークヒーロー」の意味はかなり幅が広いです。 

ィズニーヴィランズなどの「ヴィラン(悪役, villain)」の語源はラテン語のvillanus

「農場の使用人」からきているそうで、次第に意味が下落し、→「田舎者」→「悪いことをしそうな人」と言う変換を遂げていったらしい。余談だけど、そういえば海外ではクリスマス時期の12月あたりにKrampus(クランプス)というなぜか英語圏では悪魔の象徴とみなされるgoat(山羊)を前面に打ち出した古くはドイツから派生された祭りがトレンドだという話だし、世の中の傾向としてただ悪いからと言ってそれが人に嫌われる対象にはならないということなのだろうか。では次節ではここ最近個人的に観た映画の中で登場してきた様々な「ヴィラン」を紹介し、ビランとはどう言うものなのか私なりに「ヴィランの定義」をしたいと考えている。

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Villain1; Barbara (from『WW84』)

まず紹介したいのはこの『ワンダーウーマン1984』と言う作品の中でヴィランを演じるバーバラと言う女性。この辺りのヴィラン論に関しては過去の記事に書いてあるのでザックリと述べることにする。

nenometal.hatenablog.com彼女は当初は、ヒールすら履いたことのないであろう冴えない勉強一筋のオタク系メガネ女子だったのだが、研究者として、スミソニアン博物館で仕事をする事になったワンダーウーマンことダイアナ・プリンスと知り合い→友人になるにつけ、彼女の洗練された美しさとか強さにある種の憧れを抱くようになるのだ。自分と同年代の女性人が聡明で、ルックスも良くて、強さも持っているのがいればそりゃ憧れどころか嫉妬すら抱き我々誰しもが持っている他者への憧れ、そうそういう真理が具現化したのがこの作品におけるヴィラン、バーバラなのである。

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Villain2; ムスビル教団(from『スペシャルアクターズ』)

2018年の上田慎一郎傑作『スペシャルアクターズ』でも悪役は存在していた。

この辺りも過去記事において詳細に述べている。

nenometal.hatenablog.com

このムスビル教団については本編中詐欺だのぼったくりだの犯罪レベルでそれほど悪事があからさまになる事は皆無だが、自らの信者を「あの手のカサカサなババア」だの「あのおっぱいばっか見てくるヒラメ顔の童貞」だの呼称したりする事から相当にタチの悪い悪い奴らだという事が伺えるし、後に明るみになる宗教マニュアルなるデータの中での言ってることが完全に詐欺な事から紛れもなく「ヴィラン」に属するのだろう。

とは言え、確かに悪い集団だが、何なんだろうあの憎めなさっぷりは。これは2年前ちょうど本作公開時の自分含め鑑賞者のリアクションから意に反してかどうか知らんが「ムスビル教団最高だわ!!!大好き!!!」的なリアクションが結構多かったように思える。物販もスペアくサイドよりもムスビル信者が着てるロングTシャツやらガゼットポッドのメモ立てとか完全にムスビルサイドのグッズが大半だったし写真撮影でもこんな感じ(👐)の「ムッスー」という信者のやるポーズを誰もがやってたしほぼ正義サイドを食う勢いだった印象。

結局あの作品オチから考えると「悪い人達」どころかむしろ「良い人達」だった訳で完璧なヴィラン要素を持った実は憎めない人達であるといえよう。f:id:NENOMETAL:20211022184307j:plain

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Villain3; 進藤サチ (from『アルプススタンドのはしの方』)

さて、次のヴィランは『アルプススタンドのはしの方』で登場する進藤サチである。彼女に関しても過去記事においても触れている。

nenometal.hatenablog.com

それにしても、散々メガネ優等生、宮下さんに嫌味言った後でスナック菓子食べながら友人と「何あれ」「感じ悪...」と呟いた瞬間、観客の誰もが「いやいや、それは間違いなくあんたらだろwwwwwwww」と突っ込んまれたであろうあの青春映画にして唯一のヴィラン進藤サチ、その人である。それだけにラスト付近の号泣シーンは驚愕だったし、「もう分かったよ!」とブチ切れながら帽子を引っ被るや否や演奏に取り掛かる進藤サチ(平井珠央)にプロフェッショナリズムを感じたりもした。そして忘れてはならないのがラスト付近のシーンのまさかの誰よりも先に「大号泣事件」、いやもうあれは観てて事件でしたよ、本当に要するに全然いい人じゃんかと鑑賞者全員ズッコケさせたものだった(笑)

とはいえ、あの熱血茶道部教員である、厚木先生に対してハッキリ「暑苦しい」と断定した事からも多分厚木先生にとってのサチは以前からもそしてその後も生粋の「ヴィラン」だったのかもしれないが(笑)

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*8

*9

Ⅴ. 『ベビわる』ちさと、まひろ、ひまりのcharacterization

さて、これまでのヴィラン像をまとめると押し並べて「そんなに悪くないやつ」というか、もっと言えば「どこか我々が共感できる要素」が残されてやしないかという事実に気づく。『ww84』のバーバラ然り、『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ然り、完全に我々の日常的にわんさかといる【オタクとリア充】ではないか。あと『スペアク』ムスビルなど完全に普通の良い人たちだったわけで。*10

さてそう考えると本記事のテーマ「ベイビーわるきゅーれ」の浜岡ひまりに関して特殊性を帯びてくるのだ。確かにこの女の子はこれまで述べてきた擬似的ヴィランとは違って本当に悪い奴だ。そもそもが893の娘だし、パパ活斡旋業などに勤しんでたりするし、1人殺して結局すぐに銃は使いこな出た訳だし、あれだけオヤジが生きていた頃は「うんうん、パパ頑張る!!!まかしといてや!!」だの過剰なまでに媚び売ってたかと思いきや実はめっちゃ冷めてたるするしで完全に小悪女である。

それどころか今回の記事のテーマである『ベイビーわるきゅーれ』主役である「ちさと」と「まひろ」自体別に正義の人ではなくむしろ「殺し屋」であってヤクザであるとか性悪な人間を殺すことはあっても、決して純粋に生粋の正義の味方で敵なヒーローであることはなく、むしろ彼女らですら「ヴィラン」にカテゴライズされるべき存在でもあり得るのだ。

そう考えた時に北岡ひまりが初めて彼女にとって運命的好敵手であるちさとに初めて会った瞬間彼女はこう言い放ったことを思い出したのだ。

そう、あの「あんたと仲良くなれそう〜!!」という台詞である。

このセンテンスを聞いた瞬間、これが噂に聞いていた例の殺し屋が意外や意外、自分と性別・歳が近い女の子だったという表面上の共感だけではない何かもっと深い次元でのニュアンスめいたのものを感じ取ったものだ。
要するに、このちさとという子は私と同じように、どこか自分のやっている事に闇と不安意義とを抱えつつ自分が本当に指向するべき理想の大人像とは何かを模索しているのかもしれない、だから同じ瞳の奥にある悲しみのようなものを感じる、との意味での「あんたと仲良くなれそう〜!!」という言葉が発せられたのではなかろうか。

もしかして....ひまりとちさととはどういう共通点があるのだろうか?

そこで杉本ちさと、深川まひろ、そして北岡ひまりという3人のキャラクターを4分類してまとめてみた。

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ここで驚くべきはなんとまあ服装のセンス以外での杉本ちさとと北岡ひまりの共通点の多いことという点である。 

まず①性格に関していうと「殺し屋」「普段」「バイト」とにモード使い分けるちさとと、「親父」「彼氏」「敵」とで各モードが違うひまりとは振り切れ方が驚くほど一致している。これは社交性という事と連動してくるがちさとのまひろに対して「おでん作ってくれてありがとう」であるとかあのぶっ壊れた洗濯機に「ぐいぐいしちゃダメだよ。」という言葉だとか、「面接どうだった〜?」という言い方が悉く「お母さん」なのだ、これは回数見るごとに感じる。それだけにメイド喫茶での殺しモードにふっと変貌していくギャップに驚いたりするんだな。それに対してひまりのあの従順な犬かってくらいヤクザの父親に愛想振り撒いてる様と、そ例外のふっと見せる冷静な視線とのギャップはやはりちさとのそれに近い。どちらも計算され尽くした感情のコントロールというべきか。

あと②社交性に関してもこの二人は似てて最初は失敗しつつもなんとかうまくいくエピソードとして象徴的なのが先輩の指導を受けてパンケーキ生クリームであり、父の背中を借りて銃をうつそれぞれのエピソードである。 

最後に④にまひろをお姉さんか母親かのように擬似家族のように接するちさとと、心の欠乏を埋め合わせるべくアル中寸前に酒に浸るひまり。

この観点から言うとどちらも家族的愛情に飢えていることの現れかと思われる。

それらを考えると二人と全く相反する要素があるのが「まひろ」であり、本編中まひろとひまりとが会うことがないと言うのもなんとなく運命めいたものを感じてそれも頷ける気もするのだ。

ちなみに先に触れたちなみに洗濯機の「ぐいぐいしちゃダメだよ。」シーンが公開されているのでここに載せておく。


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Appendix.と言う名の本音

で、最後の最後にちょっと毒を含んだ本音っぽくなるが、本作品の主題歌について触れておきたい。この作品ではちさと役の高石あかりさんと、まひろ役の伊澤沙織さんをフィーチャーした軽快なヒップホップ要素を混ぜたパンクロック曲『らぐなろっく〜ベイビーわるきゅーれ』という曲が主題歌と言うよりも挿入歌として使われている点である。で、実際に主題歌的スタンスのある曲は 『STAY GLOW feat.TAKUMA (10-FEET)』と言う曲なんだけど、正直『らぐなろっく』だけで良くない?と思ったりもするのだ。 


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別にあの曲自体はパワーがあって、良い曲だと思うんだけれど、あそこで描かれている「Stay Glow it's breaking down」などのポジティヴィティ溢れる英詞がそれほど本編とマッチしてるように思えないのだ。むしろ『らぐなろっく』をエンドロール込みで流した方が良いんじゃないかと思ったり。

この辺りに関しては、もっと深く個人的にも思う所があって最近のインディーズ映画は本作以外でもクオリティ高くて素晴らしいのが多いんだけど如何せん主題歌と映画本編との不均衡みたいなのは感じる所はある。せっかく内容ぶっ飛んだ作品なのに主題歌がコンサバティブなものでエンドロールでテンション下がること本当よくあるんだな。あと全作品映画本編は素晴らしくとも主題歌がどうにも及第点なんだな、「取ってつけた感が満載」というかそのセンスが著しく欠けてると思う。あと超個人的な意見ではインディーズ映画本編と主題歌のクオリティがイーブンだったのは『テロルンとルンルン』における日食なつこの『vapor』ぐらいなもんだと思う。

映画制作者は普段私の聴いている鈴木実貴子ズだ、Boiler陸亀だ、Vanityyyだ、Who the Birchだの、thanだ、インディーズロックバンドをもっと認知して音源聴くなりライブ行くなりでもっと勉強しろと言いたい。

だって彼らを起用すればもっと映画がぶっ飛ぶからだ、と言うここまで誰も読んでないだろうという自分勝手なオチ(笑)でまたまた11600万字をも超える本記事を終わらせたいと思います。

 

 

 

*1:どれだけ熱狂したかといえば過去記事参照

nenometal.hatenablog.com 

*2:本作におけるネタバレありレビューはこちら。

filmarks.com

*3:あと阪元裕吾監督作品では『黄龍の村』もややネタバレありレビューを書いている。

filmarks.com

*4:あとちょっと気づいたのが『サマー〜』凛太郎演じた #金子大地 と『ベイビー〜』メイド、姫子を演じた #福島雪菜 の顔の作りがそっくりって事が判明した。

*5:あと更なる余談だが深川まひろさん、茶髪にした時のSSWの鈴木実貴子さんに雰囲気ってか髪型がソックリでアクションシーンのたびに彼女を思い出してしまうのだが、これは多分私だけだろうな。

*6:浜岡ひまりにおける【悪役なのにどこかしら憎めない】この感じ、つくづく去年同じく熱狂した『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ(平井珠央)だなよねとかしみじみ思ってたら二人とも偶然「レプロエンターテイメント」という同じ事務所に所属してたのも妙に納得してしまった。

*7:こういうサイトも参照した。

screenonline.jp

*8:しかし『ベイビーわるきゅーれ』の浜岡ひまり(秋谷百音)における【悪役なのにどこかしら憎めない】この感じ、つくづく去年同じく熱狂した『アルプススタンドのはしの方』の進藤サチ(平井珠央)だなよねとかしみじみ思ってたら二人とも偶然「レプロエンターテイメント」という同じ事務所に所属してた件

*9:


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*10:そう考えると『サマーフィルムにのって』には一切ヴィラン臭が排除されてるのが印象的。花鈴と言う女の子もあっさり「勝負なんて思ってもなかった」と中盤で告白してたし。

#天野花『girlfriend』が日本のポップミュージックの心臓部を撃ち抜く神曲として語られるべき理由

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Ⅰ. 2021年の神曲は間違いなく『girlfriend』

 


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いや、この神曲という言葉はすでに多くの人によってもう使い古された言葉だし、やもすれば大袈裟に聞こえてしまう側面もあるので使う際にはある程度の注意が必要なのだが、これ以上の形容が当てはまる言葉はないので敢えて使わさせて頂く。

そう、まさに天野花の『girlfriend』の事でこれは紛れもなく神曲である。*1

詳しいオフィシャルサイトはこちら。www.lavaflowrecords.co個人的には「神曲」という言葉は一時期48だかなんだかの秋葉原系統のアイドルグループが神7だ、総選挙だかで調子こいていたあの頃に多発していたアイドルオタク達、つまりケミカルウォッシュのジーンズに、青と茶色のクロスしたチェックシャツを羽織り、靴流通センターかナフコあたりにおいてあるGT-Hawkinsだかの茶色かグレーのスニーカーを履いて、長髪一歩手前の微妙な髪型を揺らし、小太り、メガネも当然のオプションとして、妙に声が籠り気味に低い声で「デュヒュヒュヒュwwwwwwww」「オウフュwwww」などと言って笑っていたあの許しがたき連中の意味における「ネ申曲(かみきょく)」では決してないことは注意しておきたい。の中には良い曲、人気曲とは別に「神曲」が存在して、ここで私のいう神曲とは、明け方、素人でさえ【世に現存するどの曲よりも遥かに美麗なるメロディを聴いている夢】を見る事があるが、作者者は夢から覚めても奇跡的にスケッチできた曲なのでは?と思うほど神降臨感半端ない曲ことである

ハイ、ここ試験に出しますよ、昨日のバス停前で「明日、オンライン授業中心だからユニバ行って授業受けるふりしようや。」とかアホな計画立ててたリア充のバ○丸出しの大学生たちよ耳かっぽじってメモをしとけ、落第ぐらいは防げるよ。

......いや、いや、そんなどうでも良いことはさておき、本当にこれは神が降臨してきたかような曲と言う趣旨のことを言いたいのであってね。

本曲は今年6月23日にリリースされたfull album「暁を泳いで」に収録されていてほんとこのアルバム、音楽好きな人が結構聴いてるから良いのはわかってたけど予想の50000000倍ぐらい良かった。

これは秋以降のシーズンにもぴったりな珠玉の名盤な趣きのアルバムである

残念ながら本曲『girlfriend』にはMVなるものが存在しないのだが、6:05ぐらいから本曲の一部が聴けるのでちょっと以下の動画で聴いてみて欲しい。


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girlfriend

girlfriend

  • 天野花
  • J-Pop
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

しかしまぁこの曲のサビの破壊力はすごい。この歌詞の一部にフォーカスすると

このまま君に手錠をかけて

この部屋に閉じ込めてしまいたい

僕しかいない世界で君は気づくだろう

愛 痛い (『girlfriend』より)

この一見偏執狂的に聞こえる本フレーズを彩るメロディーだがこれが最高に美しく響くのだと言う事実に驚気を隠せない。まぁポップミュージックにおけるサビの宿命として、ワンコーラス、ツーコーラスとサビとは繰り返しリフレインされるのだけれど、繰り返されるほどにこの曲の熱は高まり最高に沸点に達するのだ。例えばこれがラブソングだとすると、二人の間でどんなに愛し合っても埋められない距離感が切ない、そんな思いが驚くほどソウルフルな祈りに満ちた形のように心に響くのだ。

そしてその「soulfulness」なニュアンスは更に後続する英詞の部分によって更にテンションを増して響いてくる。

I think of you as more than a friend. 

What I am to you.

 Forget it. 

You are the only one. (『girlfriend』より)

(翻訳)

私は君を友達以上のものだと思っている。

君にとっての私も同じ事だと思っている。

過去の事は忘れてくれ。

もう君しかいない。

それこそ上記で挙げた動画では上の英詞から聞くことが出来るのだがこのメロディに乗せるとyou(あなた)の部とforget it(その事は忘れて)の部分がここで歌われているエモーションの度合いは文字で見るよりもはるかに高く尊く響いてくることがわかる。

そして、何度かこの曲に触れていくうちに気づいたのだが、当初この歌詞は「会いた〜い」と伸ばして歌い上げて終わるものだという勘違いをしていたのだが、実際は「愛、痛い」と歌っている事がわかる。この一節からも主人公のなんともヒリヒリした魂の告白がそこに溢れている。

もうこの歌の登場人物、というか天野花自身なのかは知る由もないが、彼女にとっての愛情の対象は肉体を持った人間ではなく魂の根源から出た独白なのだろう。

正に人間本来の持つのリビドーすら超えた何かを感じるほどに狂おしくも切ない物凄い熱量を秘めた曲である。

....と、ここまで書いておいてとある事実に気づく。

それは例えば同じ女性SSWの括りでいけば偏執狂的に聞こえる本フレーズといえば、片平里菜における『異例の人』であったり、愛し合っても埋められない距離感を歌った曲といえばAnlyにおけるDistance』というまさに天使が降ってきた美メロ曲が浮かんでくるし、そんな思いが驚くほどソウルフルな祈りに満ちた形のように心に響くといえば安藤裕子における『聖者の行進』であったりヒリヒリした魂の告白であったり狂気には至る一歩寸前の切なる思いを歌った曲ならばハルカトミユキにおける『Vanilla』が彷彿とさせてしまうのだ。

要はこの『girlfriend』も紛れもなくこれらの私が神曲として感じてきた曲達とシンクロするに値する神曲なのだ。

これらを一気にここに出しておこう、以下女性シンガーにおけるネノメタ的神曲コレクションだ。

1-a. 片平里菜『異例の人』


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1-b. 片平里菜『異例の人』session ver.


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ぱっと聞きこの曲の登場人物となる異性である「あなた」に特別な想いを寄せる片想い、というよくある歌のようではあるが、空気感が濃密で、聴き進めていくにつれ情念の強さゆえかある種の狂気すら感じつつも普遍的な子守唄のような輝きをも放つこの矛盾に惹きつけられる。もうここにポップソングのもたらすマジックの全てがあると断定して良い。

最初のコーラスから間奏のアレンジからもはや終わらない子守唄のように耳にこびりついて離れない。まさに日本のMinnie Rippertonの『Lovin'n you』的なスタンダード名曲の誕生かもしれない。

2-a. Anly『Distance』


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2-b. Anly『Distance』Orchestra ver.


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本曲に関しては他の記事で多くを語り尽くしているので今回は違う視点で言うと、オリジナル版とオーケストラ版の顕著な違いはラスサビ前の【inside〜♪】の所である。
前者は繊細な2人の声だけのアレンジにいつも息を止めて耳を澄ますのだが、後者は壮大なオーケストラが羽となり浮遊する感覚がある。
つくづく絶望の淵にいる我々を空へと誘う「天使の曲」だと思う。

あとめっちゃ細かいんだけど
2-aのオリジナルver.3:48〜3:49に至る所で息が止まる。

2-bのオーケストラver.3:51〜3:52に至る所がフワッと空を飛ぶ感覚に見舞われる。

その後の転調も見事だし、いずれにせよこのメロディーが浮かんだ瞬間って作曲者はまさに天から降ってきた感覚だったのではなかろうか?

3.  安藤裕子『聖者の行進』


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*2

安藤裕子のライブは一度2013年辺りに、森ノ宮ピロティホールで観た事があるが、本曲が始まる前の神聖というか何か儀式が始まるような空気感は独特の緊張感と期待感に包まれるものだ。どこか歌詞の感じから親元を離れて、ようやく空高く飛び立つ時を迎える凛々しい鷹か鷲の姿がまずイメージされるんだけど、とにかく最初に聴いた時の印象は「メロディの力強さと妥協のなさ」に尽きる。どこまでの広がりゆく調べはまさに「守るべきは光だけ」という一途な思いに収束されるようなカタルシス。疲れ果てたある日の夕方電車の中で初めて聞いた瞬間神曲すぎてその疲れが吹っ飛ぶような気分に見舞われた。

4-a.  ハルカトミユキ『Vanilla』


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4-b.  ハルカトミユキ『Vanilla』live ver.


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この曲は彼女らの初期のライブでも本編最後に鳴らされる事が多かったが、先の安藤裕子の『聖者の行進』同様、イントロのアルペジオが流れるとフロアは静謐かつ神聖な空気に包まれる。

このメロディー、並の音楽家だとハッピーなラブソングにでもしてしまいそうなほどものすごく多幸感溢れるサビメロなのにここでの【狂えない 狂えない 狂ってしまえない】という狂気寸前の告白を載せてくるセンスには未だに何度聞いてもハッとするものがある。確かに我々はそんな戦場と化した日常を今生きている、そう思わせられる ...とまあかなり重苦しい曲だが最後の【許してしまいたい あの頃の僕たちを】というフレーズにどこか救われる様な感覚にもなったりもする本当に不思議な曲である。

正に絶望と希望との狭間のギリギリの光景。これを神曲と言わずして何と言おう。

 

Ⅱ. 10/9ミナホ 2021 Day 2@hillsパン工場

時間軸は前後するが、なぜ私が天野花の音楽に出会ったかというと10月9日に開催されたミナミホイール2021の二日目で、ちょうど前記事にも登場した【はるかりまあこ】のメンバーであるAmamiyaMaakoさんがhillsパン工場と言うライブハウスでパフォーマンスするってのもあった。*3

そこで一日中行こうっと思って目掛けて行ったのだが、ちょうどAmamiyaさんのパフォーマンスの二つ前ぐらいに彼女もタイムテーブルに配置されていたからと言うのが主な理由なのだ。あと関東のSNSフォロワーの方々も時折口にする名前だったしってのもあるし、ぐらいの割と軽い気持ちで初・天野花のステージングを待っていたのだった。

だからこそその軽く持っていた期待を軽く超えてきたからこそこれはキタ!と心にドカンとハマったものだ。

とにかくこの日第一曲目としてパフォームされた『群青』(ぐんじょう)のまさに光に放たれたようなパアッッッッッと開けたポップソングが放たれた瞬間もうこれは間違いない、と確信したからだ


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「こんな小柄の体のどこにこんなパワフルな歌声が...」というフレーズはよく女性でも男性でも良いのだが、小柄なボーカリストにほんとによく形容される表現だが、この方もその例外ではなかった。

いや、もうそんなことどうでもいいのだ。

そう思えるくらいに直向きなパフォーマンスが心を撃った。

まるで天使が全身で矢を放つかのように、失礼ながらも小柄だからこそ普通より大きく見えるアコースティックギターを構えたパフォーマンス。

そこから放たれる次々に瑞々しい言葉と音像とのコラボレーションの瑞々しさよ。

ああ、これこそが音楽なのだ、もうそこで鳴らされる『群青』をはじめとする曲達はまるで生きとし生けるものように縦横無尽にHillsパン工場を想いのままに駆け巡って行ったよ。

個人的にはこのパフォーマンスでは『サプライズ』のどこか民族的なアレンジがツボだったし、ギター一本で鳴らされるにも関わらず鳴っていないはずの様々な音が聞こえてきた気がするのだ。これが本当今考えても不思議でしょうがない。いや、これは別にオカルトな意味ではなく(笑)曲全体の織りなすグルーヴ的な意味で何かマジックがあるのだろう。この辺りはいずれバンドアレンジのライブ等で確かめたい、と思う。

時間は変わるが、この日から約一週間後ぐらいの10月15日の「プレゼント」@代官山NOMADOでの有観客・無観客混合配信ライブにて天野花さんは最後感極まってボロボロに泣きながらのmcからの光を放つかのような「スターライト」が本当に素晴らしかったのだ。

彼女の曲は『群青』然りポップスファンの心臓ど真ん中を撃ち抜く力とセンスを秘めている。

ミナホの時ニューアルバムは購入したがあと2枚ぐらい他にepっぽいのがあったけどあれ買うべきだったわと後悔したものだった。*4

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Ⅲ.分かり合えないからこそ美しい

また『girlfriend』に話を戻そう。本曲には先ほど述べたサビと英詞以外でもうひとつ印象的なフレイズがある。

どんなにふたりで居ても

心だけが掴めない

こんなに近くに居ても 

ひとつ席の空いたままの僕ら(『girlfriend』より)

本曲はこのフレーズで幕を開け、そして幕を閉じるのだが、真っ先に浮かんだのはわずか90年台にわずか三年ほどの活動期間で3枚のオリジナル・アルバムをリリースして、解散を表明した最後の年1996年の3月の横浜アリーナでの単独公演では即日ソールドアウトになるぐらいまでにある意味大きな足跡を残した、90年代の「サマー・オブ・ラブ」とでも称されるべき、車谷浩司(ex. AIR, 現Laika Came Back)と石田ショーキチ(ex.Scudelia ElectroMotorworks)による二人組ユニットSpiral Lifeスパイラル・ライフ)による『Cheeky』の一節である。


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オーダーメイドの僕の言葉は

いつも伝わらない

言葉数少ない

僕はもうあきらめながら   スパイラルライフ『CHEEKY』より)

この曲に関しては以下のspiral楽曲について述べた以下の素晴らしいブログ記事が示唆的なので一部引用すると......

furtheralong.net

"この曲について 「CHEEKY」の悲しみはようやく「本当の世界」に目覚めた「僕」が、初めて“君”(=他人)を好きになった。しかし、人には他人を完全に理解すること、分かりあうことは所詮不可能である。 人は誰ひとりとして同じ人間ではないからだ。私たちは「オーダーメイド」の言葉しか持てない存在である。誰にでも伝わる言葉などない。 この、自分が他人が「分かりあえないこと、それを悲しく思うこと」 がこの曲、ひいてはスパイラルの魅力である。分かりあえないことは悲しくて、そして悲しいからこそ美しい

【分かりあえないことは悲しくて、悲しいからこそ美しい。】

なんと美しいフレーズではないか!!!!いやもう分かり合えない事以前にこの言葉自体を美しいと思う。世の中にはポジティブな歌が溢れていてあまりにポジティブなメッセージすぎてそれが逆に自分にとって苦痛なものでないと思うことがある。たとえ絶望を歌った歌であっても、やるせない悲しみを歌った歌であってもやはり何か光が溢れていたらそこにはポジティビティを感じるものである。

 話はやや飛躍するが、最近めちゃくちゃ思うんだけど、エンタメ系、中でも音楽系のジャーナリズムが悉く死んでしまった気がする。例えば先のspiral lifeらが活躍していた90年代のロッキンオン(ジャパン)辺りなどはかつて大合算レビューだ、40000字インタビューやらでアーティストの作品なりパーソナリティなりにカリスマ性を植え付ける為の先駆的な役割を果たしてある種のムーブメントを起こしていたと思うのだが、この所あの手の雑誌類には全く勢いどころか小学生の絵日記みたいなおべっかヘタレたレビューしか見なくなってしまった。

それに加えてミュージシャンサイドも自らのパフォーマンスや作品に対して批評されるシステムがもはやSNSしか無くなっている有様。そこで地獄なのが批判的な意見などツイートしようものならエゴサーチして吊し上げるミュージシャンも散見し、更にその取り巻きファンまでもが魔女裁判さながらにその批判者への糾弾に加担し、抹消した末にその当該アーティストを生誕祭やらなんやらどうでもいいイベントでおべっかでデコりまくって祭り上げ神格化しようとするガラパゴス化をさらに加速させるような地獄絵図が繰り広げられるのも事実。

もうそんな感じで折角の作品に対する正々堂々と立ちはだかったであろう批評的見解が次々に黙殺されている光景を何度も見ている。

更にそんな地獄絵図とは別に、割と規模の大きめなオンラインに特化したネットブログサイトを二、三個個人的に知ってるがその大半には批評的センスも欠片もなく拳を握りしめて「みんな、"Jフェス"の未来を徒党を組んで信じようぜ!」とか本気とも自惚れともつかぬ学級委員長的なスタンスを腑抜けばかりで興醒め感が半端ないのもまた事実。

そして、そんな奴らが「ロックフェスの未来」などと牛耳っているんだからタチが悪いのであって、元来そんな学級委員だのスタンスとは相反する、むしろ反体制を主体となす「ロック・ミュージック」だったんだから人の心を惹きつけてやまなかったんじゃないのだろうかと思ったりする。

それはロックでもポップスでもラップでもEDMでもなんでも良いんだけど、少し危険で、犯罪めいたヌラヌラ感があって、狂気性もあって、まるでドラッグのような常習性もあるような、バッドテイストがなければ面白くないってのもある。だから、昨今のその手の奴らの支持する最近流行りの音楽にはそういう危険性のある匂いは一切排除されていて、純粋まっすぐ君みたいな連中ばっかりである。もっと言えばどいつもこいつもそういうロックアティテュードのかけらが一切なくて、もっと簡単にいえば昨今の音楽業界の提示する良い音楽・素晴らしい楽曲というのが限りなくイタくてさむくてダサいのだ。かといってそれがそんなに圧倒的にウケがいいわけではなくて若者のほとんどがジジイと親との親子3代にわたってスピッツかサザンばっかり聴いてるようだし、あとロックを名乗っておいて事もあろうに合唱曲として教科書に載ったりするヒット曲もあるらしいし、ほんと気持ち悪いよね。それとさ...最近流行りのAd...*5おおっと、、、、、どさくさに紛れて日頃思ってることを中心に毒吐いてしまったので、限りなく本記事のテーマから飛躍しまくってる気がしてきたので、ここまでに止めといて、と...正にここで言いたいことは「分かり合えない事を無理やり"分かり合えてる"様に都合よくテメエのフィールドに持ってこようとするな」という事である。

だってこれは身もふたもない言い方になるが、先ほど神曲としてあげた片平里菜『異例の人』Anly『Distance』、安藤裕子『聖者の行進』、ハルカトミユキ『Vanilla』どれもが私がここで声高に叫ぶほど世間的に知られてる曲じゃないじゃなくて、それどころかこれだけライブでも音源でも素晴らしい曲なのに「知ってる人は知ってて熱狂的なファンもいるもののマイナーな人たちのマイナーな曲」として片付けられてしまうのは不本意、というかあり得ないし、これはハッキリ言ってこうなってしまったのは日本の音楽ジャーナリズムの怠惰だと思う。そう考えるとやはり原因の発端に「音楽系ジャーナリズムの死」と言う観点からすると完全に符合してくるではないか。

しかし2021年に、かつてのこれらの神曲達に匹敵する神曲に天野花『girlfriend』が出会ってしまった以上、私はこの曲について、そして天野花と言うアーティストについてガンガン語っていきたいと考えている。*6

もうジャーナリズムなど信用せん、自分で良い音楽を見つけて探究するのだ。

そういえばイタリアの前衛的芸術家パブロ・ピカソがこう言ってたな。

『大切なのは熱狂的状況を生み出すことだ』、と。

そう、これこそが、天野花『girlfriend』が日本のポップミュージック心臓部を撃ち抜く神曲として語られるべき理由そのものである。

と、今回はサラッとした記事書こうと思ったがこうして、またまた8739字にも及んでしまった本記事を締めくくろうと思います(笑)。 


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*1:詳しい情報等はこちらを引用させて頂く。

ja.wikipedia.org

*2:安藤裕子の曲だと『青い空』辺りも『girlfriend』辺りと近いのかもしれない。


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*3:本人も読まれたと言ってたAmamiyaMaakoさんに関する記事はこちら。

nenometal.hatenablog.com

*4:で、このあと無事にその2枚のCD通販にて購入しました。

*5:ついでに注で触れるが、某ネットブログアカウントロッキンなんちゃらが毎回Twitterアンケート取ってる「あなたのオススメの新人バンドは何ですか?」とかリプライアンケートばっかやってる坊主アカウントみたいなのやってるけどあれハッキリ言って意味あるのだろうか??奴らが記事で取り上げてるミュージシャン売れ線ばっかでガラパゴスすぎて全然参考にしてないんですけど...笑

*6:天野花と同じく東京を中心に活動しているSSWとしてエナさんという素晴らしいアーティストもいる。彼女についても過去記事で触れてるのでどうぞご参照に。nenometal.hatenablog.com

生と死の境界線、と更にその先にあるもの〜 #小川深彩 監督作『#はじめの夏』『#偽神』『#二階のあの子』を鑑賞して

『偽神』『はじめの夏』『二階のあの子』を貫くものとは?

本当に、この監督の作品とは正に運命の出会いだった。9/25(土)の夕方頃、大阪はスカイビル内にあるミニシアター「シネ・リーブル梅田」3Fにて『oasisネブワース1996』を観に行った所、当初9/26に1日かけて行う予定だったが、偶然その日は早乗りして一時間だけ行ったというチラシを配りをされていた小川深彩さんという新進気鋭の映画監督の方に直接チラシを頂いたのであった。*1

 

いや、もうこのツイート通りで付け足す言葉がない。何せ映画館の入り口付近で普通にマスクしてて若い女性がチラシ配りしてるな〜ぐらいの感じだったのだが、どこか只者じゃない感が半端なかったのだ、まさに漂うオーラとはよく言ったもので、正にこの人はエンタメを生業としてる人なんだろうなって感じが半端なかったのだ。そうこうして待ち時間の間、彼女のTwitterなどチェックして、フォローしたりしていたらその後にフォロバを頂いて、うちに帰ってプロフィールや作品群を見たりするとやっぱりこの方は只者じゃない予感が確証されたのだ。それですぐさま 9/27(月)のシネ・リーブル梅田での上映に参加する事を私の中で大決定したというわけだ。

その時のチラシがこの『偽神』である。

この作品は個人的には当初よくわからなかったが、田辺・弁慶映画祭セレクション2021という映画コンペティションの一環としての上映だと認識している。

misaogawa.com

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tokushu.eiga-log.com

Rough Story; 

神だけを信じ、幸せに暮らす正人とその家族の元に、ある日突然不気味な彫刻が現れる。愛する者の心臓を捧げるよう迫られ、追い込まれていく正人。暗い過去を必死に隠そうとする正人とそれを知りたいと願う妻。ガラガラと崩れていく日常の中で、神の御心を必死に模索しつつ、正人は決断を迫られる。


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☆小川深彩監督作品感想

当日本作を鑑賞して思ったのはホラー、スリラー、サイコ・サスペンス等のジャンルをあくまで表現手法としつつも、別にインパクトありきでそれ自体が目的としてではなく、さらにその先にある「生と死のボーダーラインとその先にあるものは何か」と言う命題へと収束していくような印象があった。

ちなみにこの「生と死のボーダーライン」と言う命題は『偽神』 のみならず併映していた『二階のあの子』『はじめの夏』と言う作品群にも一貫していたように思える。

言うなれば、生死の境界線をハッキリと分断して主人公である正人が贖罪へと向き合うことができるのかと言う主題の『偽神』、そして逆にその生と死ボーダーラインをむしろ曖昧にする事で普遍的なヒューマニティを浮き彫りにした『二階のあの子』、更にはその生と死ボーダーラインすらも消え失せたところにあるある母子の愛を描いていく『はじめの夏』と全て素晴らしい作品群だった。
あと全作共通して言えることは劇伴である。『偽神』においてあの堕天使が鎖で繋がれた箱が送りつけられた時の緊張感ある音楽などいまだに思い出すだけでもゾッとしたし、『二階のあの子』でも主人公の女の子が2階へと上がっていく時でも彼女の心理描写と音像とが密接に結びついてその切迫感たるや半端なかった。

 これは後から上映後小川監督からお聞きしたのだが、音楽の使い方には元々小さい時から舞台などにも出演していて、オペラなどにも造詣が深く、その辺りに使い方には深い拘りがあったらしいが、ものすごく納得してしまった。後余談だが『はじめの夏』の某最後のシーンとか『偽神』のポスターやどこか宗教的というか荘厳なビジュアルイメージなどからEvanescenceの影響などもあるのかなとチラッと思ってお聞きしたがそこは関係なかったようだ(笑)。なんとなく風呂場のとこかこのmvをふらっと思い出したんだけどな。


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それにしても凄い映画監督が出てきてしまった。

 9/27、シネ・リーブル梅田にて20歳にして鬼才と称すべき小川深彩その人の名が私の頭の中に刻まれた瞬間だった。

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(上から『二階のあの子』『偽神』『はじめの夏』より)

☆小川深彩監督舞台挨拶

この上映の後、『二階のあの子』に主演された山庄乃の葉さんとのトークという形で舞台挨拶が開催された。恐らくは山庄乃の葉さんの家族の方も沖縄から勢揃いで鑑賞してたりで、終始和やかな雰囲気で行われたが、割とビビったのは、山庄乃の葉さんによる「なんでこの映画(『偽神』)を撮ろうと思ったんですか?」というイノセントながら核心をついたこの質問に思わずのけぞってしまった、この人演技見てる時にも思ったけど本当天才すぎる。

あと「もう一つ質問していいですか?」と自らかって出て「どういう気持ちで映画を観てるんですか?」とかいうド直球の質問もぶつけてたしな(笑)

で、この困難極まる質問に対しては小川さんは普通は他の映画監督が組み合わせないであろうサブジェクトの組み合わせて、そこから生まれる化学反応を意識しているという。

『偽神』における「宗教」『はじめの夏』における「母の日」、そして『二階のあの子』における「女の子同志の友情」というテーマに各々ホラー、スリラー、サイコ・サスペンス等のジャンルを組み合わせることによって生まれる独自のグルーヴと言おうかケミストリーとでも言おうか、そこに彼女の映画にそこはかとなくオリジナリティを感じ取ることができるのだろう。

だから先ほど、作品群を観た感想として、生死の境界線について述べてきたつもりだがもっと彼女のヴィジョンは広くて以上述べたジャンルにそこに止まらない更なるフェイズが組み合わされた作品というのも期待できるかもしれない。そもそも「生と死」という次元に関して言えば『はじめの夏』はもうある種の極地だからな。

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と言うわけで大事な事だから二度いうが、それにしても凄い映画監督が出てきてしまった。

 2021年9/27、シネ・リーブル梅田にて20歳にして鬼才と称すべき小川深彩その人の名が私の頭の中に刻まれた瞬間だった。


 

*1:本記事は以下この『偽神』について書いたFilmarksのレビューに加筆・修正を加えたものである。まあColor Versionと言おうか(笑)

filmarks.com

ネノメタ音楽映画レビューコレクション;『#oasisネブワース1996(2021)』『オアシス:スーパーソニック(2016)』『#フィッシュマンズ(2021)』『#サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時 (2021)』

f:id:NENOMETAL:20210926202333j:plain【ネブワース1996(2021)】
予め断っておくが本作は1996年におけるネブワースでの模様2日間を丸ごと収録した、いわばLIVE体感型music video映画ではない。
というよりも、この計25万人にも上る当時参加したファンダム、いわば「歴史の目撃者」達の証言も挿入する事で当時のoasis現象の輪郭を浮き彫りにするドキュメンタリーと受け取ったほうが適切であろう。


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確かに、本作を観てなぜ曲の最中にファンやプロデューサーの声を被せたのか、純粋に曲オンリーに集中したい、などという不満な人もいるかもしれないし、事実そういう声はSNSでいくつか散見されていた。
だが、oasisのメンバーがこの作品にexecitve producerとして参加しているから、彼らにとって「ファンもoasisという巨大なバンドのメンバーなのだ」という思いの元製作されたのだと推測している。
 そしてバンドがLIVEをするという事は、そこに集いし【彼らの音楽に魅せられし熱狂している者】全てが広義で「band」と解釈できるのだと。
このネブワース1996 は演者、聴衆、音楽の神が絆で結ばれる2日間の【oasisメンバー+ゲスト+25万人からなるバンド】が結成され、熱狂と興奮の渦を巻き起こしたたという歴史的事実を証明するものとしての極めて貴重なドキュメンタリー・フィルムなのだろう。
ただこのライブをよりよく堪能し、本作に至るまでの紆余曲折の過程だとかノエル伝説のMCの真の意味を理解するには『supersonic』を観ておくのを激オススメする。
あの映画のレビューでも書いたが、彼らが本作でも言っている「全世界制覇の瞬間を観た」「最高のライブは中毒になる。」という証言からも伺える通り、何よりも覚醒を増す最高の【drag&alcohol 】のようなもんなんだろうし、ここまでやらないと世界最高の勲章を掴めない、それが世界制覇できるバンドの必須条件ということなら世の中に現存している幾多のバンドが存在意義を失うくらい断定しても良いだろう。そして『supersonic』はそんな紆余曲折な活動遍歴と栄光と挫折と苦悩とそれに収まらぬ様々な感情とが交差するような波乱に満ちたバンド活動においてひとつの頂点を極めたものがこの『KNEBWORTH1996』における二日合わせて25万規模ライブなのだという事がより説得性を持って理解できる作品だし、あの作品で前もって予習しておいたからこそノエル・ギャラガーは25万人もの大観衆に向かって放った「これは歴史だ!歴史的瞬間だ!!!」の真の意義を知ることができるのだ、って『supersonic』のレビューみたいになってるけど(笑)

でもあの2作品も彼らギャラガー兄弟ではないが言ってみれば「兄弟」みたいなもんだろうし是非ご覧になって頂ければと思う。しかしあの言葉は鳥肌モノで思わず目から感情の洪水が溢れて出てしまった。これぞロックのダイナミズムだ。正にオアシスとは怒りの音楽なのだ、言わば「アングスト」なのだ。この種の言葉はニルヴァーナマイブラ界隈でよく形容される言葉なので意外と誰も言わないがオアシスの音楽こそ最高最大最強最恐最狂のオルタナティブバンドだと思う。もう出てこねえよこんなバンド。
にしてもその後のあれこれであるとか、昨年の今頃公開されたリアムのドキュメンタリー映画『As it was』辺りであれだけギャラガー兄弟の不仲っぷりが露呈されてた訳だけど、本作では2人仲良く(と言っても実際に会ってないんだろうけど)executive producerとして関わってるという事は、ひょっとして今後...などと色々な妄想と期待が止まなかったりする自分がいるのだが実際どうなんだろうか?

 

【オアシス:スーパーソニック(2016)】

イオンシネマ心斎橋にて、マンチェスターのアンセムバンド、oasisの話題の映画『#KNEBWORTH1996』に先駆けての過去作2週間限定上映にて『supersonic』改めて観たが壮絶すぎてため息が出た。


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兄弟喧嘩、仲間割れ、バンド内いじめ、兄弟喧嘩、ドラッグ、毒舌、問題発言、兄弟喧嘩、脱退、失踪、兄弟喧嘩.....もうこれはもう刃の上を裸足で渡っていくような、いつ崩壊するかわからぬスレスレの状況かつ人間関係の中で続けていくこのバンド活動....なんだけど、それらのネガティブな要素を超えて唯一とも言ってもいい繋ぎ止めてくれている奇跡のような唯一の希望の光が「音楽」なのだ。


しかもその光が織りなす音楽的衝動であり喜びでもある「最高の音を鳴らすこと」から得られる代償がとてつもなく大きいらしい。というのは彼らが「全世界制覇の瞬間を観た」「最高のライブは中毒のようだ。」という証言からも伺える...いやもう(経験なしだから知らんけど)何よりも覚醒を増す最高のドラッグのようなもんなんだろうし、ここまでやらないと世界最高の勲章を掴めない、それがバンドの必須条件ということなら世の中に現存している幾多のバンドが存在意義を失うだろう。
そしてそんな紆余曲折と栄光とを交差するようなバンド活動においてひとつの頂点となる『KNEBWORTH1996』のライブ。
ノエル・ギャラガーが25万人もの大観衆に向かって放った「これは歴史だ!歴史的瞬間だ!!!」これはもう全身から鳥肌が出て止まらなかった。これがロックだ。オアシスとは怒りの音楽なのだ、アングストなのだ。ニルヴァーナあたりでよく語られる言葉なので意外と誰も言わないがオアシスの音楽こそ最大のオルタナティブだと思う。
とここまで堅いトーンで綴ってきたが彼らや彼らの音楽が本当に愛されている理由の一つは本当にファンを大事にしていること。全盛期の2nd直前ぐらいの時にもアイドルのリリイベかってくらいファンの声援に応えようとし、彼らの差し出すレコードやCDにしがみつくかのように一生懸命サイン書いたりしてる姿に思わずハッとする。でそういや、2回目の『ネブワース1996』の時にも思ったんだけど、あれだけの大観衆を目の前にしときながらノエルが会場に行くことができずラジオでチューニングを合わせたりカセットのタイミングに気にかけているリスナーのことを意識していたり、リアムが演奏途中でタンバリンわとで渡すといった少年を終盤で記憶していたりだとか、この(今風にいうと)神対応っぷりにびっくりする、まぁ全て彼らの本質なのだろうし、こういうのはSNS全盛の昨今では掘り起こされなかったあろうエピソードなんだろう。音楽からフリーダムを奪ったのは我々リスナーなのかもしれない。
あと何かの賞を受賞した時にも授賞式にて兄が「こんなレコード会社のブタの勲章なんかいらねえ、嬉しいのはファンからの絶賛だ。」と最高の悪態を吐いてたしこの人達の音楽に向かう姿勢は本当誠実なのだ。
だから20年以上経とうが未だに彼らの音楽は愛され続けているのだと思う。

余談だが、このoasisの愛すべき、かつ破天荒極まりねえドキュメンタリー映画ガッツリ観たから尚更思うが、某日本人バンドがたった一度のスキャンダルでここまで世間から責められるわ、味方であるファンも傷付いただファンやめるだ嘆いてて、本当ミュージシャンにとっちゃ生きづらい時代だよねとも思ったりして。

 

【フィッシュマンズ(2021)】

この『フィッシュマンズ』はこれは音楽ドキュメンタリーであると同時に一つのバンドの中で若者達が葛藤する青春映画でもある。それと同時に90sというディケイドを駆け抜けたこの孤高のバンドのヒストリーでもあって1人の天才音楽家の話でもあって一つのバンド活動を通じて人生にとって音楽とは何か命題を見いだす人間ドラマでもある。


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98年8月、まだ全然学生だった頃、福岡ドラムロゴスというライブハウスで観た 『FISHMANS は他のミュージシャンと名乗る人達LIVEとは一線を画していて凄かった。もはや「演奏」というよりはそこで発せられる微粒子のように飛び散る音像の一つ一つからなる無限大の集積を浴びる一つの不思議な音体験だった。

しかしながらこの10年に満たないバンド史の中でも様々な脱退メンバーなどの『男達の別れ』が包み隠さず描かれていてそれに対峙する双方各々の思いが伝わってきてヒリヒリする。
 本作での佐藤伸治は幾度も幾度も商業音楽の壁にぶち当たりつつも、敢えてこそ理想音を追求し、更なる高みへと行かんとする茨の道を選ぶのだが、当時も孤高の音楽家というイメージがあったので「売れる」という俗世間の境地とは違う地点にいるイメージがあったのでその辺りは意外ですらあった。兎にも角にもこの映画、当時のメンバーや関係者、ミュージシャン仲間のインタビューや当時の貴重な映像でもって構成される176分なのだがもう全く長いとは思わなかった。

もう目を凝らすように必死に観た「もう終わり?」って印象。音楽とは何だろう、ロックとは、バンドとはなんだろう、そんなプリミティブなことを考えさせられた。

そして、その答えは無人野音会場に1人佇む茂木欣一の背中が雄弁に物語っていたのかもしれない。

 

【サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時】(2021)
「1969年」といえば、月面着陸、ウッドストックビートルズが実質最後のオリジナルアルバムを出すなど...数え上げればキリがない正に全世界のターニングポイントだった。


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しかしながら、そんな重要な出来事に囲まれてか、スティービー・ワンダー(なんと19歳!)、スライ&ファミリーストーンなど当時のR&B,Soul部門でも重要なアーティストらが出演し、更にブルース、ゴスペル、ジャズがごった煮になった正に音楽史にとって非常に重要なニューヨーク、ハーレムで30万人の黒人が集まった大規模な音楽フェス『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』が開催されたという事実はあまり知られてなかったのだ、というか敢えてられてこなかったというべきか。

本作では当時の空気感を伝え、なぜこの事実が封じ込まれてたかを紐解くと、そこにはレイシズムの壁であるとか社会的に潜む問題の数々が浮かび上がる音楽文化と社会問題とを結びつけるドキュメンタリーの傑作である。

とは言え本作は壮大なフェス体感映画でもあるのだ。今回京都のドルビーシネマにてど迫力の音で体感したがまさにここはフェスの会場にいるのではないのかと思う位に凄まじいサウンドescapeが広がる映画でもあった。特に圧巻なのがニーナ・シモン
上映後後ろにいたおばちゃん連中が「やっぱりニーナ・シモンは女神やわ!」と話してたがそれぐらいに凄まじかった。

やっぱこういう音楽ものはDolbyシネマで観ないとね。
という事でとmovix京都にて鑑賞したが大正解だった。特に現在公開中の『サマー・オブ・ソウル』辺りとはしご鑑賞とか可能であればできたら最高でしょうと言うわけでこちら。


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一言「壮絶」に尽きる。本作はアレサ・フランクリンが何億光年の彼方にいる神々に届くかのような凄まじいボーカリゼーションを放った瞬間、全聴衆が熱狂し、踊り出し、号泣する、正に生の祭典と言っても過言じゃないLIVEドキュメント。

これDolby Cinema辺りで爆音上映したら多分失神者が出るだろうな。

アレサ・フランクリン の『Amazing Grace』の歌唱は当然というべきか、単にあのメロディをなぞるだけではない。
彼女は滝のような汗を流し、声を張り上げ、まるで体内から曲を産み落とすかのように歌い上げる。観客は大熱狂&大号泣。これをLIVEの醍醐味と言い切ってしまうには彼女は圧倒的すぎる。それぐらいこの人は圧倒的なのだ。

いやこれもう全音楽ファン必見だと思う。

『#WonderWoman1984』爆裂レビュー〜The world is a beautiful place, just as it was... この世界はありのままでも美しい〜

 

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Ⅰ.11回の劇場鑑賞の果てに

2020年、全宇宙で唯一立ち上がったこのヒーローに敬意を表してこう言おう。
柔軟性と強靭性とを兼ね備えたヒーローが教えてくれた「真実の定義」にここまで打ち震え号泣する程に感動させられようとは思わなかった。具体的に言えばIMAXで5回、dolbyで4回、普通のスクリーンで2 回と合計11回劇場で観たぐらいで、公開終了して半年以上経った今も尚いまだに飽きてないのだ。


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Brief Story of『Wonder Woman 1984

スミソニアン博物館に勤める、考古学者のダイアナ(ガル・ガドット)には、最強の戦士「ワンダーウーマン」というもう一つの顔があった。1984年、禁断の力を入手した実業家・マックス(ペドロ・パスカル)のたくらみにより、世界のバランスがたちまち崩れ、人類は滅亡の危機に陥る。人並み外れたスーパーパワーの持ち主であるワンダーウーマンは、マックスが作り上げた謎の敵チーターに一人で立ち向かう。

*1

本作はタイトルが示すとおりにG・オーウェルディストピアSF小説1984』がモチーフになっているのだろう。確かにあの作品におけるディストピアをあたかも予見したかの様なネオ・ディストピア=コロナ禍に苦しむこの世界だからこそ共感と感情移入を可能にし、全人類への心の処方箋と呼称すべきステイタスを有する傑作だとも言えるのかもしれない。
或いはそのオーウェルの小説におけるディストピアも意識しているであろう、この1984以降も今なおMaciPad, iPhone, Apple watchなどを中心としたアップル製品で全世界にある種の革命をもたらしたSteve Jobsによるアップル社の創世記のCM『1984』も多大な影響を与えてるのではと思ったりもする。このCM内でのヒトラーに類した独裁者がスクリーン越しに無表情の男達に洗脳するが如く指示する様子は、まるで本作でまさに全世界を思うがままにしようとするマックス・ロードと、そしてこのCM内でその独裁者に立ち向かう女性アスリートが、本作のクライマックスで轟音と豪風に立ち向かいながらも対峙するこのワンダーウーマンことダイアナ・プリンスの姿とが完全にオーバーラップしてしまうからである。


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【それでもこの世界は美しい】
ダイアナも、そしてかつての恋人であり今作で奇跡の復活を果たしたスティーブ・トレバーもこう言った。
この言葉は偶然にしてまるでディストピアと化したコロナ禍によるこの世界の様相を予見し、更にそれでも前を見続ける事の大切さを教えてくれるかのように響いてくるのだ。

この時の場面とここで全世界の欲望に埋もれる人々に放たれるWonder Womanの通称「ありのままでも美しいスピーチ」があまりにも最高すぎるので全て羅列しよう。


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[Wonder Woman]

I never wanted anything more.

But he's gone..., and that's the truth

And everything has a price, one I'm not willing to pay.

Not anymore. 

the world is a beautiful place, just as it was...

And you can not have it all.

You can only have the truth.

And the truth is enough, the truth is beautiful 

So look at this world...and  look at what your wish is costing it

You must be the hero.

Only you can save the day.

Renounce your wish if you want to save this world. 

[ワンダーウーマン]

これ以上何も欲しくない。

しかし、彼はこの世にはいない...そしてそれは真実です

そして、すべてに価格があり、私が支払う気がないものです。

もう今は違う。

まるで世界は美しい場所です...

そして、あなたは全てのものを手に入れることはできないの。

あなたには真実しかない。

そして真実はだけで十分、美しい。

だから、この世界を見てください...そしてあなたの願いがそれを犠牲にしていることに気づいてください

あなたこそがヒーローでなければなりません。

あなただけがその日を救うことができます。

この世界を救いたいのなら、あなたの願いを捨ててください。

[Max Lord]

Why would I...!! 

when it's finally my turn?

The world belongs to me!

You can't stop me. No one can!  

[マックスロード]

なんで…!!いよいよ私が世界を制覇する番になったのに?

世界は私のものだ!

あなたは私を止めることはできん!!!!誰もできん!

[Wonder Woman]

I wasn't talking to you

I wasn talking to everyone else.

because you're not the only one who has suffered.

Who want more.

Who wants them back.

Who doesn't want to be afraid anymore.

Or alone.

Or frightened.

Or powerless.

'Cause you're not the only one who imagined a world

where everything was different.

A world where thyr were loved and seen, and appreciated.

Finally.

But what is it costing you?

Do you see the truth? 

[ワンダーウーマン]

私はあなたには話していない。私が話してるのは全世界の皆に伝えている。

苦しんでいるのはあなただけではないから。

もっと欲しい。誰がそれらを取り戻したいのか。

もう恐れたくない。

みんな孤独で。またはおびえている。

みんな無力。

何もかもが真新しい、そんな未知の世界を想像したのはあなただけではないから。

あなたが愛され、見いだされ、感謝された世界。

ついに。しかし、それにどれぐらいのコストがかかりますか?

あなたには真実が見える?

 

Do you see the truth?

(あなたには真実が見える?)その直後マックスは堰を切ったように「Renounce My Wish!!!!(願いを取り下げる)」と言い放ち、核爆弾に逃げ惑う一人息子アレスタを探しにいくのだがこれがアメコミヒーロー者のハイライトだとは誰が予想できたであろうか?派手に敵と闘うアクションシーンなど一瞬たりもなくただ涙を流し時に、微笑み、世界に向き合うことの意味とそれを否定することの残酷さをひたすらぶちまけ啓蒙するワンダーウーマン。この、まさに武器を持たぬ戦闘シーンにひたすら感動する。幼き日、スタジアムでレースを制することのできなかった少女・ダイアナに母は「今はただ真実に向き合いなさい。今はまだ機が熟していないのよ、いずれ分かる時が来る。」と諭すのだが、ようやくあの日の母の慈悲に満ちた瞳の意味を理解できたのかもしれない。

 

Ⅱ. 前作との比較
【I can save today You can save the world.】
前作『Wonder woman』(2017)でスティーブはハッキリとこうマニフェストする事で自分の全うすべき役割を悟り自らを犠牲にして空に散っていくことによってあの日とその後の世界を救ったものだが、今作でもサラッとこの言葉が聞かれる。といえばもうお分かりだろうがスティーブ・トレバーが蘇るのである。*2

前作は大ヒットしたのは自明なことなんだけど、個人的には前作を軽く超える大ヒットだった。前作で上がりまくったハードルをいとも簡単に軽く超えていく様は、ヘスティアの縄でジェット機目掛けそのまま上空遥か飛んでいく気高くも美しいダイアナ・プリンスの勇姿さながらだった。
そう、本作ではその優しくも強き視線を我々にも投げかけてくれるそんなラストシーンがとても印象に残った。この辺り「WW1984はアクションシーンが少ないのが地味だ。主演のガル・ガドットは非常に美しんだけど。」みたいな批判なんだかよくわからん意見が散見したがむしろアクションシーンが少ないことが素晴らしいんじゃないかとも思ったね。そういえば、改めて我らがワンダーウーマンことガル・ガドットの顔の造形の美しすぎる。確かにガル・ガドット様はギリシャ彫刻ばりのホリの深さはあるのだがクドさがないし、どこかアスリート的な爽やかさすら漂うのだ。

「爽やか・崇高・洗練・聡明」とガル・ガトットの魅力をサ行でまとめたりして...。

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話は逸れたが、むしろその種の批判が出るたびにこれはもう「じゃあ最高なんじゃないか」と思った。というより先で述べた通りあのマックスが全世界に向かって「願い事を言え!!!!」と啓蒙する最後のシーンにあえて戦うのではなくむしろ哀れみの視線をむけ「あなたは何かの欲望を満たすには代償を払うことが必要なのよ。真実に向き合いなさい、そしてrenounce my wish(=願いを取り消す)」と静かに涙を浮かべながら諭すシーンなど鳥肌ものである。過去ダイアナの少女時代に、ヒッポリタ女王の言う通り真実のみを信じ続けたダイアナの姿を垣間見た瞬間だった。
でこれには広報側にも問題があって、映画予告編などのキャッチコピーの
【人類滅亡】とか
【体感型アクション】
といったキャッチコピー考えたライターは作品どころか予告編すら観てないんじゃ無いかレベルでほぼ「ウソ」を書いているぐらい的外れなのもあると思う。

あと10回目ぐらいだろうか、前日に一作目を再見して思ったのは既に今作の構想があったのではないかと思われるシーンが一作目ラストで今作のワンダーウーマンとして初め飛翔したシーンがあるのだが、よくよく考えたら一作目でのエンディングにて彼女はもう飛んでいるのだ。さらに一作目の主題歌にが『To be human』というタイトルは「人間力を越えたヒーロー像」をfeatureした一作目より寧ろ、人間・ダイアナに焦点が当てられた今作に符号するようにも思えるのだ。 


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Ⅲ. 「ヴィラン」のステイタス〜バーバラの場合
ここでは「ヴィラン」論を述べたい。まず紹介したいのはこの演じるバーバラと言う女性。彼女は当初は、ヒールすら履いたことのないであろう冴えない勉強一筋のオタク系メガネ女子だったのだが、研究者として、スミソニアン博物館で仕事をする事になったワンダーウーマンことダイアナ・プリンスと知り合い→友人になるにつけ、彼女の洗練された美しさとか強さにある種の憧れを抱くようになるのだ。ちなみにこのバーバラのダイアナに対する「あなたは私の欲しいもの全部持ってる」的なある種の劣等感は同じくメガネ女子である『アルプススタンドのはしの方』における宮下恵の久住智香に対する気持ちと限りなく近いと思う。まぁその後、野獣に変身するか貧血で倒れるかの極端な違いはあるが...

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まあそこまではいいいのだが、やがて触れつつ自分思いを唱えれば願いを叶えられると言うあの大理石を手にし、徐々に自分力が強くなっていくのがわかるのだ。帰宅中に「お姉ちゃん、俺と一杯やらねえか?ヘイ!!!」とか強引極まりなねえあの浮浪者のオヤジに襲われそうになったものの今やガンガン蹴り飛ばしているではないか!!私はダイアナよりも強い女よ!!!!!!あの女に勝ってみせるわ、そう思ったら最後、その後美しくも邪悪な野獣チーターなるヴィランへと変貌し、とうとうダイアナをも凌駕するパワーを身につけ、とうとうダイアナの行手を阻むが如き最強のライバルとなって立ちはだかってしまう。ダイアナはいう「あなたは間違っている。あなたはpersonable(人間味の深い)のが魅力だったじゃない。Renounce your wish!*4
だが、彼女は反発する「NEVER!!!!!私のことを何も知らないくせに!!!私は誰にもなりたくない。この世界でno.1 のプレデターになりたい。」と宣言する場面がめちゃくちゃカッコよくてある種のカタルシスがあるぐらいなんだけど、考えようによっちゃあ彼女の気持ちも完全に理解できるのだ。自分と同じくらいの年齢の人がそりゃラテン語だろうが何語だろうが解読できるぐらい聡明で、豹柄のヒールもばっちりは着こなすくらいルックスも良くて、しかも痴漢に襲われそうになったのを護身術で蹴り飛ばすような強さも持っているのがいればそりゃ憧れどころか嫉妬すら抱きますよね、そして彼女を越えたいって思うのは当たり前だと思うのだ。我々誰しもが持っている他者への憧れ、そうそういう真理が具現化したのがこの作品におけるヴィラン、バーバラなのである。

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そしてもう一人、本作の親玉的ヴィランがいる。彼の名前はマックス・ロード。彼はTVショーの司会者なんだけど、若い時に会社を立ち上げ、その後石油だとかもういろんな事業に手を出しては実際は借金まみれなんだけど離婚したてで時折遊びにくる息子、アリスタに「パパは世界一になる。」だとか宣告してる手前ボロが出まいと取り繕おうと必死な毎日を送っている。そんな彼も先のバーバラ同様に同じその例の自分の願いを叶えられる大理石を手にする事によって、自ら元々持っていたであろう権力欲と周りからの承認欲にまみれ、更なる願望を叶えようとするのだ。そう、「世界制覇」と言う願望を。でここまで述べてきて思ったのだが、バーバラもマックスも心から憎めなくない??って事である。それどころかバーバラにしたってマックスにしたってモチベーションになっているのは姿に少なからず共感を覚えるから。

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前作ではその刃の矛先はいつしか本土で繰り広げられる醜き争い(戦争)を食い止めることに向けられる。だが、彼女が根絶すべき真の敵は大量殺戮ガスを撒き散らすボスを殺ることではなく【人間同士が憎み、殺し合う理由そのもの】であることに気づかされた。同様に、だからこそ今作最強の敵はマックスでもチーターでもなく我々自身の中にも潜んでいる邪悪な心なのかもしれない。

Ⅳ. 11回の鑑賞の果ての雑感

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❶ダイアナとスティーブが乗った飛行機発車した時に見上げてる男がオスマン・サンコンにめちゃくちゃ瓜二つです。本当に似てるったら似てるので是非見てほしい(笑)。

❷MAXが秘書ラクエルを呼ぶ時のラテン発音で非常に歯切れが良い。
ラクェイラッ!」な感じが潔くて良い。あとラクエルさんスタイル良すぎ。

DianaがBarbaraを痴漢から救った後「偶然通りかかってluckyだった。」の抑揚を付けた「lucky」の抑揚ジェンキンス監督の言い方と類似していた。
妄想かもだが、そんなアドリブを取り入れるほどの信頼感があってこそ #WW84 という人間味溢れる大作が成立したのだと11回目にして実感。

❹冒頭エアロビクスの女性を見る老人のエアロビクス女性のお尻をガン見するのめちゃビビる。
あと本作、同僚(男)が仕事で忙しそうにしてるバーバラに気を使って「Coffee, tea, me?」って言ってるのだが、あれ韻を踏んでるから何となくジョークとして成立してるのであって
「コーヒーにする?お茶にする?それともオレ?」って強引に和訳の字幕つけるのは無謀だと思います(笑)

❺壮絶に気づいたが本作ラスト付近で見知らぬちっちゃい女の子がお兄ちゃんらしき男の子と雪合戦しててダイアナの背中にその雪玉が当たって「 Oh, Sorry....♡💦」とか言って可愛く謝るシーンがあるのだが、よくよく見たら思っ切りダイアナに狙い定めて投げているの少し笑った。

ガル・ガドットはじめ全てのキャストの素晴らしさは言わずもがなだが、少女時代のダイアナを演じたリリー・アスペルの一切スタントマンを使わず【若きダイアナ】を演じきっていたのが驚愕だった。ワイアーのみで様々なアクションを知力と体力と直感を武器に次々にこなす様は、彼女も三人目の wonderwoman である事を裏づけた。


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そのリリー・アスペルと関連してこういう事があった。彼女があるYouTube番組に若きダイアナ役の撮影エピソードなどを披露するべく出たときに「WW84の貴重なエピソード聞いて嬉しかったよ。」的なリプライをした所、なんと返信をくださったのだ。更にその前ぐらいに11回劇場で見た趣旨のことを日本語でリプライした所なんといいねのリアクション。これって凄くないですか?全世界公開の WW84 のメインキャストがこうしてリアクションくれるって凄いよね。そもそも本作品がなぜ11回観ても飽きないのかという理由はこういう点にあって、紛れもなく国内外問わずエンタメを届けようという気合いと自信が感じられる作品だからだ。もうその強さが全てだとも思う。ここまで世界規模レベルの映画で、海を越えてのリアクション、てかこの子私今現在の100倍にあたる、1.2 万人ものフォロワーがいるんだよね(笑)✈️

もうこれだけでも『ワンダーウーマン1984』は最強の映画じゃないかと思わされる。 

 

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「付記」

思えば、今年2021年の一月に見た初夢は

10年以上ぶりぐらいに【空を飛ぶ】夢だった。

雲の上を、右手を前へ年末にビッグスクリーンで5回観た貴女のように浮上していた。

きっと貴女は私に飛翔する事で

世界を変えよと伝えてくれたのだ。

有難うダイアナ

有難うWonder Woman

そんな思いをこめて今更ながら2020年末にコロナ禍にして最初に立ち向かった唯一のヒーロー『Wonder Woman 1984』に敬意を評してこの7869字を超えてしまったこのレビューを締めくくりたい。


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*1:今現在は円盤がリリースされている。9/30まで某タワーレコードにてDVD/BD共々半額だという有益な情報をゲットした、ってとっくに持ってますが(笑)

wwws.warnerbros.co.jp

*2:一作目『Wonder Woman』(2017)のレビューは以下参照のこと。

nenometal.hatenablog.com

*3:『アルプススタンドのはしの方』に関する過去記事は以下を参照

nenometal.hatenablog.com

*4:10回も見りゃ英語の勉強にもなるもので、ダイアナがバーバラにしきりに【personable】と言ってるがあれは【魅力的な】って意味らしい。日本人の発想ではperson(人)にable(能力)くっ付けて「人間能力」とか訳してしまいそうなものを笑。実際はもっと口語的だな。

彼女達こそシンガーソングライター界の『ジャスティス・リーグ』だ!#はるかりまあこ(#HALLCA #仮谷せいら #AmamiyaMaako)のMVからLIVEから楽曲まで色々と分析しました!

1.はるかりまあこ『TERMINAL』MVの見所

今年2021年様々なアーティストが様々な形でミュージックビデオを発表しているが、その中でも特に目を引いたというか、最も気に入ってると言っても差し支えないのがこちら「はるかりまあこ」の『TERMINAL』のMVである。ちょっとこれが何度も何度も繰り返し観るに値するくらい味わい深くてとてもカッコ良い映画作品のような作りになっているのだ。*1


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これは言わずと知れた、出演アーティストはHALLCA、仮谷せいら、そしてAmamiyaMaako と言うそれぞれ独立して十分に人気を博すソロアーティスト達が一堂に会したような、言わば「ジャスティス・リーグ」或いは「アベンジャーズ」的なユニット 「はるかりまあこ」がこの3月に新たにリリースしたEP「TERMINAL」のリード曲のMVである。彼女らの結成の経緯などに関しては以下の記事がとてもわかりやすいので参照されたい。

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で、MVに話を戻そう。本MVの見所はもうたくさんあるんだけど、特に曲のタイトル出現の瞬間のタイミングのカタルシスが半端なく鳥肌ものであるということ。映像作品全般、それはミュージックヴィデオでも映画でもなんでもいいんだけど、通常タイトルとは冒頭から出現するものが多いけど、ここでは曲のトータルタイム4:32の中でちょうど中間地点の2:00辺りでタイトルが出現するのだ。これって珍しい部類に入ると思うのだけれど、でもこれしかあり得ないという絶妙な感じがあるのだ。そのタイトルが出現する瞬間に出演者たちがいるこのbus terminalからまた新たに幕が上がり。物語が始まるような錯覚を覚える。

それから間もなくこのバスに乗っている紳士と貴婦人の格好をした男女二人はダンスしながらも、タイムリープを繰り返すかのように何度も何度も同じようにバスの中で女が落とした時計を男が拾って...みたいな運命の出会いを繰り返すのだが、こういうrecursive(回帰的)な流れって個人的にはどこか演劇キャラメルボックスの人気演目である『クロノス』の展開を彷彿とさせるのだ。あとSNSでも配信でのやり取り見ててもこの3人共々元々同じグループにいたんじゃないか(いやむしろ他のアイドルやユニットなど事務所などに決められて長年同じグループにいる人達よりも仲がいいんじゃないか)ってくらい非常に仲が良い印象があるのだが、それはメイキングや日頃の配信等でも見ても自明である。しかしながら、本動画ではそう言った側面では垣間見られず、敢えてはるかりまあこの3人は男女の出会いを巡るストーリーテラーに徹して、クールに歌ってる様にギャップ萌えを感じる。そのギャップがそれがまたこのMVを引き締める効果があってカッコ良さが増すのだろう。

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.....で、キャラメルボックスの話題で思い出したんだけど、この3人とは別にこの運命の出会いを果たす男女のうちの女性ダンサーというか、肩書き的に「舞踏家」の方でカナキティ(Kana Kitty)さんという方がいて、何となく普通に1930年辺りかそれ以降の欧米諸国を思わせる貴婦人のドレスを着てて踊ってるんだけど、どこか並々ならぬオーラを感じていたものだ。そう思って調べてみたら物凄い前衛的なダンス・パフォーマンスをする方なので非常に驚いた。ということで彼女が今現在公開しているYoutubeチャンネルで最も新しい動画作品を紹介しておこう*2


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『或る聖域』とタイトルが打たれたこのイメージMVにおいて、本人が演じているであろう通勤電車に通うOLの日常の光景から、帰宅して何かに覚醒して非日常的な、アヴァンギャルドでありつつも凶器性をも併せ持ち、しかも美しくもある、もうその全てが混在しているカオスティックな姿へとトランスフォームしていくその瞬間にまず戦慄した。そして衝撃の結末にも驚いた。そう、やはりこの人から滲み出る「只者じゃない感」は本物だったと思った。ちなみに、先ほどキャラメルボックス『クロノス』の話が出たが『TERMINAL』がリリースされた当初ぐらいに感想ツイートした時に以下のリプライを頂いてるのだ。

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キャラメルボックスを出して頂けるなんて光栄」

....という彼女からのリプライはあの一見先ほどの『或る聖域』に見られるようなアバンギャルドな表現方と違う印象を受けたので、個人的には驚いた、....と同時に、でもよくよく考えれば納得できる面もあったのも事実。

何せ、キャラメルボックス的要素がバリバリに含まれてる『TERMINAL』にしても、その真逆をいくようなアバンギャルド指向の強い『或る聖域』にしても、どこかエンターテイメンナーとしてその役柄に「徹する潔さ」に満ちている気がするから。キャラメルボックスの演劇を見ていくときに、役者達はどこか個人のパーソナリティを生かしつつも「舞台にて与えられし役柄」に徹するストイックさをも感じることがあってそこがカッコいいのだけれど、そういう点とカナキティさんの姿勢とどことなく合い通ずるものを感じていたからだ。

まあこのリプライではその辺りキャラメルが彼女のルーツとしてあるのかは定かではないけれどもその辺りの真偽に関して非常に興味深い所だ。

と言うわけで本記事ではこの奇跡のユニット、はるかりまあこ(HALLCA 、仮谷せいら、AmamiyaMaako)のMVからLIVEから楽曲まで色々と分析して見たいと思っている。

 

本記事の構成は以下の通り。

 

Table of Contents

1.はるかりまあこ『TERMINAL』MVの見所 

2.はるかりまあこ festival 2days!

Day1;リリースイベント@HMV心斎橋

Day2; 北堀江club vijonJaccaPoP 12ANNIVERSARY”

Appendix1〜仮谷せいら's works

Appendix2〜HALLCA's solo performance💎

3. AmamiyaMaako@大阪南堀江knave

4. はるかりまあこに見るSSWとしての新たなスタイル

 

 

2.はるかりまあこfestival 2days!

まさにフェス(笑)、8/28-8/29は正に1日目はHMV&Books心斎橋においてアルバム『TERMINALリリースイベント、2日目は北堀江 clubvijonでの「JaccaPoP12周年記念ライブin大阪」でのライブというこの二日連続でもはや私的には7月の吉田彩花フェスと同様に私にとっては「はるかりまあこフェス」の様相を示していた。Day1, Day2そしてメンバー個々の楽曲をappendixとして順を追ってレポしていきたい。

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Day1;リリースイベント@HMV&BOOKS心斎橋

まずは初日のHMV心斎橋でのリリイベに関してレポートしていきたい。個人的には過去に、彼女らが3人でイベントとして対バンになっているライブは見たことはあっても、こうして3人揃って「一つのユニット」としてパフォーマンスするのを見るのは初めてだったのでとても新鮮だった。*3

セトリは以下のようなものである。

はるかりまあこ HMV心斎橋リリイベ・セットリスト
❶TERMINAL
❷熱帯のシトロナード
❸One Day Traveller
❹キミにギフト
❺Glitter

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以前の代官山ループ最後のライブだったかの動画配信で見たのだが、3人とも感傷的になりボロボロ泣く場面もありつつの感傷的なライブだったのだが、一曲目の『TERMINAL』の途中で仮谷せいらさんが「はるかりまあこ のライブ始まるよ〜!!!」で始まるのだが、アンコールラストで「はるかりまあこのライブ、終わっちゃいまーす!!!」と締め括るせいらさんのキャラクターのなせる技に感心していたのだが、❶のパフォーマンス中で、そのパフォーマンスを目前で見れたという意味で思わず感動し、かつ笑ってしまったし。で、❷の曲の最後は音源を聴いた人ならわかるが、多分3人で買い物かどっかに行ってるらしいシチュエーションだろう、HALLCAさんの「これいいんじゃない〜😊」という音声がフェイドアウトかってくらい小さく聞こえるのだけれどこの日はめちゃくちゃハッキリと「心斎橋、めっちゃいいんちゃうん😊」とアレンジして締めくくったのはもはや衝撃だった。何せ、あの聞こえるか聞こえんかレベルの声をガッチリアレンジするなんてなんと芸が細かいんだと。

このバランスこそがはるかりまあこのはるかりまあこたる所以なんだろう。

それにしても、シティポップ、ヒップホップ、ダンサブルポップスという各々の得意技が拮抗することなく、寧ろそれぞれが緻密な歯車となり、一つのVehicleを形成して前進していくような楽曲群とパフォーマンスがそこにあった。

さらに個人的にあのアルバムの中で一番好きな❹であるが、この3人のボーカルやコーラスなどが拮抗せずにメロディーラインが美しく交差する音像をこうして生で聞くのも勿論初めてなので、クールに歌い上げるイメージのある音源以上に、生で聴くとよりエモーショナル度が高く感じる、てか単純に言えば楽しそう。あのマイケル・ジャクソンのいた兄弟ユニット「Jackson5」じゃないがこの3人実は姉妹なんじゃないかってくらい相性が良い。

てか行く末考えたらジャクソン兄弟よりは仲がいいじゃんねというリアルな話は置いといてと(笑)

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その後、サイン会にて3人と直接話す機会があったんだけど、皆さん2年ぶり以上以来なのに結構はるかりまあこにしろ単体にしても彼女らの活動は追ってきてるので、ライブこそ参加できなかったものの、twitterでのネノメタルというアカウント名を覚えててくれてたのがなかなかにして嬉しかったな。*4

Day2; 北堀江club vijonJaccaPoP 12ANNIVERSARY ”

二日目は初めて彼女ら3人のライブを観た思い出深い長堀江vijonという所でのJaccaPoPという兵庫県出身のMIRUとSUNからなるエレポップユニットが結成12周年を迎えたということでの記念イベント。このイベント1部と2部とがあったが2部のみ参加したが、2部では3人では

かりや→まあこ→はるか

の順に個々のソロワークをパフォームし「はるかりまあこ」で〆る展開だった。

そう考えると、まるで『アイアンマン』だ、『超人ハルク』だ、『ブラック・ウィドウ』だ、個々のアメコミヒーローが集合したアベンジャーズのような豪華さってかお得感があったと思わせるタイムテーブル構成。中でも 仮谷せいら、AmamiyaMaakoいずれも今回ここで初披露となる新曲を披露したが、いずれもラップあり〜、ポップなメロディありのかなりアッパーなチューンだった。もっと言えば直感的なんだけど彼女らの新曲『one day traveller』とどこか共通する感じがして、やはり本ユニットでの活動の影響もデカいのかなと思ったりした。*5

ちなみにタイトルは仮谷さんの方は「何でもない」と言う言葉がサビで繰り返されててそう言うタイトルかと思って後で物販でその旨尋ねたがまだ未定のようだった。

また、この日のMaakoさんの新曲を演奏している途中で、CDなのだろうか、pcに予めセットしておいたバックトラックの音がバチバチハウリングのようなものを起こし一時期中断を余儀なくされたのだ。でもそれが逆に妙なフロアとの一体感を生み結果的にめちゃくちゃ盛り上がったのが印象的だった。いや、ライブって時にこういうトラブルが妙に盛り上がることがあるものだというのも、演者側にとってはたまったもんじゃないだろうけど(笑)

はるかりまあこ JaccaPoP 12ANNIVERSARY・セットリスト

❶Glitter
❷One day traveler
❸熱帯のシトロナード
❹TERMINAL

この4曲を聴いてまぁ昨日のリリイベの時も思ったんだけど、最高のLIVEとは良質なポップスがあってそれを楽しむアティテュードさえあればokなのではないだろうかと素直に思えたライブだったと思うし、仮谷せいらの振り切ったポップネスとHallcaの穏やかなメロウネスという対照的な二要素に一筋の血管を通すのはAmamiyaMaakoのクールなバックトラックである。この3人が織りなす個性が浮き立ちながらも拮抗しあうことのないケミストリーが心地よい。3人の出逢いは奇跡ではなく必然だとすら思えるほどだ。

しかも❸の最後でもまたしても、HALLCAさんは「JaccaPoP 12周年めっちゃいいんちゃう?」と昨日に引き続きあのフェイドアウトの言葉をアレンジする、とはまぁ恐れいった。

以下、仮谷せいら、HALLCA各氏の楽曲レベルにおける個人的に印象に残った点を紹介していきたい。

 

Appendix1〜仮谷せいら's works

個人的に洋邦問わずどちらかと言えばオルタナティブ傾向のあるダーク&ヘビーなロックを好んで聴いてきたせいか、仮谷せいらさんのど直球だけどほんのり切なさも残るこういうダンサブルなポップスが新鮮で仕方ない、というか昔でいえばあの元スパイラルライフ石田ショーキチが10年ほど活動していた、Scudelia Electroのエレクトロ・ポップスモードにも共通するような誰にでも刺さる普遍的な音楽だと思っている。*6

その最新のダンスミュージックながらもレトロを呼ぶ意味でも、やはり長年の音楽ライフやライブの常連であるサニーデイ・サービス曽我部恵一とのコラボレーションしてるのもよく分かる気がする。というのも、これは以前仮谷さんのTwitterアカウントで発見したものだけれど子供にゲームのマナーに関して童謡的にならず割とラップ込みのヒップホップ&ポップスが組み合わさった『ゲームのやくそく』という良曲だがこれを二人でデュエットしているのだ。この曲が素晴らしいのは単に子供向けの曲というよりもどこかネット社会に埋もれる大人社会にも相通ずる歌詞とも取れてなかなかに痛快な風刺曲だ。

 更にもう一曲どうしてもこの記事にて紹介したい曲がある。ちなみにこの日のライブでは披露されなかったが、これまで大阪、名古屋と過去2回ライブで聴いてきてハイライトとして盛り上がる『What a day!』が破格値に素晴らしいのだ。この、ポジティブだけどどこか切なさも混じるこの感じがとても気に入りまくってこれはもう名曲だと一聴して思った。確かにサウンドとか時代とか様々なものがある種対極にあるんだけれど、ABBAの音源に触れてた時にも近いダンサブルなのにどこかセンチメンタリズムを呼ぶ感じが似ていると思う。あと歌詞がメロディーにヒップホップのように心地よく乗って展開していく様も心地よい。本曲の良さはあげればキリがないが、最初の大阪での販でご本人に興奮気味に「プチョヘンザみたいな感じの曲が入ってるのどれですか?」と聞いた記憶がございます...笑*7


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Appendix2〜HALLCA's solo performance💎
この中で、HALLCA ソロパフォーマンスの件だけど彼女は動画撮影アップをOKにしてる人なので、別枠として2曲ほど撮っているのでここで紹介しよう。イベントは全体的に間髪入れず出演者がパフォーマンスするスタイルで全体的にアッパーに畳み掛けるセトリ構成が大半だった。その中でもHALLCAのソロはダンスミュージックを軸に自然に客のclapを誘導するスタイルで余裕を感じさせるパフォーマンスだったと思う。


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彼女が前在籍していたEspeciaというグルーブ時代の曲は正直あまり存じ上げないのだが、今現在リリースされている『Villa』と言うフルアルバムは本当に素晴らしいもので今でも思い出したように聞いてたりする。ダンスミュージックだけどメロウなニュアンスの曲もあったりホントジックリ聴けるアルバムである。割と気づいたことだがそのアルバムって10インチのレコード位のサイズがあってCDの割には少しでかいのだ。そして以前彼女はクラウドファンディングでレコードをリリースしていたりとかもするしそう言う指向性のある人なんだろう。

先の曽我部恵一さんにしてもそうだが、個人的にレコードをリリースするミュージシャンにハズレはないと思っているので今後ともそういうアイテムのリリースのオプションは大いに楽しみである。

にしても最近「この曲はシティポップスっぽい(orぽくない)」と定義する傾向があるが正直その基準は私には分からないし、世間的にも曖昧なんじゃないかと思ったりする。
だが『コンプレックス・シティー』をかけ「こんな感じの洗練されたポップス」と言い換えるとスッと理解が及ぶのは私だけだろうか。そして彼女のソロワークに関しては今回残念ながら披露されなかったんだけど
『Pink Medicine』がずば抜けてカッコ良いので詳細に触れたい。まずは以下4つの側面で完璧なのだ。

❶イントロ

❷中間のグリッサンド奏法

❸最後の盛り上がりのコーラスとファルセットとの絶妙な組み合わせ

❹エンディング

 

これら❶〜❹までまるで精密な機械に舌を巻くような全てにおいて完璧な曲だと思う。たとえよく効くmedicineとして処方されても結局は消費され尽くして溜息と化してしまう哀しい人間の性(さが)をスリリングなコーラスアレンジで畳みかけていくこの感じはシティ・ポップというよりそういう枠組みを超えた曲として最高にスタンダードな一曲だと思う。


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更にここまでくれば、Hallca&AmamiyaMaako名義でのsg『Floating Trip』というシングルもリリースしていることも付加したい。リリース時の春は勿論、夏の到来を予感させるこの頃でも、タイトル通り季節を超えてトリップできるシティポップスの進化系となっている。


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3. AmamiyaMaako@大阪南堀江knave

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そしてそして10日ぶりの短いインターバルでの大阪南堀江knaveでの4マンのライブである。

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さて、朝ごはんを抜いてまでに臨んだあのシウマイがどうだったのか、その効果はあったのかは別として当日の気になるライブのセットリストである。

AmamiyaMaako@大阪南堀江knave『Cosmic Surfin' vol.02』

❶LUCKY パラダイム

❷Cruising Baby

❸僕らのさみしい歌

❹キミにギフト

❺City Magic

 

本当に素晴らしい神セトリライブだったと思う。確かに❶にて本人も触れているようにあのグリーンのギターシールドをぶっこぬいてしまったのはご愛嬌として(いや、またまたこれも前回の新曲の時のハプニング同様盛り上がりに転じたんだけど)❷の曲調と二人編成だったこともあってどことなくもたらされる安定感が半端なかったし、❸❹❺はAmamiyaMaako印のエモ曲3連打という流れでもう完璧だった。というかこの3曲が演奏される15~17分だかは宇宙にぶっ飛ばされる感覚に見舞われた。特に個人的なフェイバリットソングである❸の『僕らのさみしい歌』に注目しよう。本曲は、The Police『見つめていたい』やBennie Kモノクローム』に匹敵する超名曲『僕らのさみしい歌』があのグリーンのギターと共に奏でられる姿をどまん前で聴けただけでも大OK。しかも10/9~10/10に開催されるミナミホイールという大阪は心斎橋界隈で行われるサーキットフェス(略称:ミナホ)にて、半日の10/9に彼女は出演することになってて更にドラムを加えた3ピース編成でのバンド演奏だというからもう来月が既に楽しみである。

それで、ミナホと言えば実はAmamiyaさんとの最初の出会いが2年前のミナホだったんだけど、もう彼女の楽曲を聴き始めたその当時からずっと思ってたんだけどは2年前のAmamiyaMaakoさんのLIVEをミナホで初めて観て『僕らのさみしい歌』を聴く度に、2000年初期辺りに一斉を風靡した二人組ヒップホップユニットであるBennie Kのバラードヒット曲『モノクローム』とどこかしら歌詞的にも音的にもシンクロニシティーを感じてて、今日それを伝えたらbassの石岡塁さんが「‘モノクローム’で実はベース弾いたんです。」と聞いてこの偶然に鳥肌レベルで本当に驚いたのだ。いやぁ自分の感性とは何て正しくてディープなんだろうというこの冗談は置いといてこの二曲を比較してみよう。

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最後に冒頭で触れた『TERMINAL』のようにまるで一本の映画を観ているような構成もお見事な『Tiny Actor』のMVを紹介しておこう。本曲はまだどのアルバムにも収録されておらず個人的にはYoutubeライブでしか聴いたことがないのだが、ストーリーに触れると『City Magic』におけるMVと同様に「何かに気付き街を闊歩する」女の子が登場する。だが、本曲でのモチベーションはもっとシリアスで、かけがえ無き日常に潜むマジックを自ら取り戻していくリアリティがあるのが特徴だと思う。またこれもタイトルの出るタイミングが絶妙である。*10


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4. はるかりまあこに見るSSWとしての新たなスタイル

本記事にて、何度も触れているように彼女らの音楽に会ったのは2年前の10月あたりからである。それから2年たっても今もなおこうして音源などを聴き続け、ライブに通い、新たにリリースされた音源を買いなどしている、という事実から考えてみると、これはひとえに彼女らの絶え間ない努力によるところが大きいであるということがわかる。

つまりこのコロナ禍において最も重要な事は「常に配信などを続け、常にリスナーであるとかファンダムと繋がる」と言ういわばエンタメ続行宣言というか生存アピールを継続する努力する姿勢にこそあるように思う。その意味ではこのはるかりまあこのメンバー各人共々、ほぼ毎週のようにHALLCA&仮谷せいら&AmamiyaMaako というのメンバー全員がラジオやYoutubeライブなどのレギュラー的な配信機構を持っており、毎週少なくとも誰か必ず配信を続けているし、毎週のように1人には必ず会うことができるのだ。各人はソロだけどグループとしての活動として換算すると驚異的な繋がり率となる。

というのもここ最近ライブなどが中止・延期に追い込まれることが多くなって、ますます本人の活動と言うものにも支障をきたしてネットでの配信であるとかそういったライブ活動などがほぼできずに忘れられていって、思い出されるタイミングがTwitterでのあのシリアスな【大切なお知らせ】で気付かされる人たちって結構いるのではないだろうかと思ったりするのだ。そしてもう一つ重要な要素もある。

それは2019 年の12月22日、名古屋のSunset blueにて2回目の、AmamiyaMaakoさん企画の3マンでの物販の時だったが、HALLCA氏は既に2人のサインの入った私の手帳を見つけて「そこに私のサイン入れましょうか?3人揃ったら記念になりますよね?」と言って自ら志願してサインしてくれたのだ。こういう気をきかしてくれるホスピタリティのある人って日常生活でもいないぞ(笑)

 そして、同じくこれは8/29での大阪vijonでの物販での一幕だったが、仮谷せいらさんも、よく私がはるかりまあこに関してツイートしてたりするのを本当によくご存知で、見て下さってて、何がビックリしたってリリースイベント行った方のアカウントの背景写真『サマーフィルムにのって』なのを私個人が激しく納得して、はるかりまあこのメンバーのキャラクターが各々仮谷せいら=はだし、AmamiyaMaako=ビート板、Hallca=ブルーハワイのキャラクターバランスがもう驚異的に一致する」みたいなもはやあの映画を観たことのある人にしか伝わらぬマニアックな事をツイートしたところ「"仮谷せいらははだし"というツイート、あれは一体どういう意味だったんですか?」と大マジに聞かれた時だった。そう、あろうことか、彼女は私ごときのツイートをかくも真剣に読んで下さってたという(笑)、あとなかなか私の持参してきた金のサインぺんなかなか色紙に付着しないのに必死に何度も何度も書いててくださったし。*11

さらに9/8の直近のライブにてそ、Maakoさんから終了後の物販にて「大したものじゃありませんがこれよかったらどうぞ。」とどこかから「小枝・あの頃のクリームソーダ味」なるお菓子の小袋を出してわざわざくださったのだ。

そう、ここまで書いてご察しであろうか。「はるかりまあこ」並びに彼女ら一人一人のソロワークにこそあって中々他のバンドやユニットなどではなかったりする魅力の真髄とはこういう彼女らの人間性(ヒューマニティ)にもある、と思っている。

いや、世の中星の数ほどいる数多くのミュージシャンの中で、かっこいいサウンドクリエーションのセンスがあるとか、可愛いであるとかor美しいルックスを誇っているとか、楽器などの演奏が卓越してるだとか、Youtubeや配信ライブのペースがとても早いだとか、そういうテクニカルな側面もエンタメには大切な事だろう。でもそれを持ち合わせながらもそれらを更に超えて、はるかりまあこやソロワークの音楽を音源やライブ等で触れるにつれ、どこか感じる音像やパフォーマンスに触れた時に感じる心地良さのコアは、彼女らの本来持っているヒューマニティーにこそ潜んでいるのではなかろうか、と結論づけることによって、また、冒頭で触れた『TERMINAL』MVの撮影裏話動画を紹介することで、またもや12325字にも及んでしまった本ブログ記事に終止符を打ちたい。

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*1:はるかりまあこの『TERMINAL』制作&リリースに至るまでなどなど関しての3人のインタビューはこちらをご参照のこと

realsound.jp

*2:彼女は肩書きにある通りダンサーというよりも「舞踏家」と呼称した方がいいのかも知れませぬな。

www.kanakitty.com

*3:そういやインストアイベントに関して我ながらなかなか面白い考察をしてるのでここにて再喝。パフォーマンスの写真OKなのは海外バンドと演歌歌手だけだったという...。

nenometal.hatenablog.com

*4:そういやこのアカウント名、以前過去記事でも取り上げた『スーパーミキンコリニスタ』主演の高山璃子さんが「ネノメタル、覚えやすいですね〜」とおっしゃってたのを思い出す。結構定着感あるし、覚えやすいのかもしれません(笑)

*5:9/6のline liveでも本人もそうおっしゃってたのでそうなんだろう。「誰かのツイートでもいってくれたんですが...」と言ってたけどそれは私のツイートでございました(笑)

*6:そう言えば物販にてミュージカル映画、特にABBA『マンマミーア!』などを好むといった話をしたがとてもよく納得できる。音像は違えど、ダンサブルなのに感傷が残るこの感じはとてもよく似ていると思うからだ。

*7:しかしプチョヘンザつったらましのみさんですよな w

*8:ちなみにAmamiyaMaakoさんのオフィシャルサイトはとてもよくできてて見やすいので貼っておく。通販も買いやすいし。

amamiyamaako.base.shop

*9:因みに今、調べたら石岡塁さん自分と同じ九州出身で、3月6日誕生日ってうちの父親と全く同じやんけ!あの方もはや他人とは思えません😂

*10:本文ではなく注釈しておくがTHE POLICE『Every Breath You Take』も思い出すんだよね、曲調の爽やかさとは裏腹に歌詞は結構「離婚した元妻に恨みつらみを言う」的な内容らしくてヤバめなんだけど(笑)


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*11:そうこれが仮谷さんが付かないペンを必死でなぞって書いてくださったタコ型のオリジナルサイン。🐙の頭部分が二重構造になっているのが確認できようか。某たこ焼きチェーン店ではないが正にこれは「金タコ」である。

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#吉田彩花 (Saika) 名古屋Tour Three days 大成功記念〜エンタメ界の太陽、Saika曲を語り尽くせ!

 

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「“うた”はブログであるとか、写真であるとか、色んな媒体があるけど、今の私の気持ちが真空パックされると思う。今から歳をとって、何十年か後に自分の歌を聴いてどう思うのだろう。それがとても楽しみです。」ーSaika(2021/6/21)
 
1.名曲『むらさき』爆誕
 吉田彩花(Saika)がついに「名曲」を発表した。*1
そう、これまで彼女の楽曲中、個人史上最強の曲『むらさき』がついに動画公開されたのだ。
でも、こんなトーンでいえば確かに語弊があるかもしれない。だって確かに以前のブログ記事でもあるように初のソロ配信リリース作となった『余韻』収録の『余計だ』『優しく生きよう』だってそれに劣らず素晴らしいから。
その証拠として、何せ私はほぼこの二曲だけで12000文字もの記事を書いてしまってる事がそれを立証しているじゃないか(笑)

nenometal.hatenablog.com

でもちょっと断っておきたいのは、今回の『むらさき』は今までの楽曲とは濃密度・空気感などあらゆる意味で違う輝きを放っているという意味での「名曲」だと思う。
あくまでこれは予測だけれど、彼女のここ一年の活動を見ていく限り、楽曲配信、舞台の演技やプロデュース、そしてバーペガなどでのライブ、あとYouTube配信などここ最近怒涛の勢いで常に彼女の姿を目撃することがこれまで以上に多くなった事も大きく起因しているのではなかろうか。
本当にtwitter等での我がタイムラインを賑わせ続ける「エンタメは心の太陽というスローガンを掲げる人」 というよりもはや 「エンタメ界の太陽そのもの」 になりつつある彼女は今のこの忙しいモードだからこそ曲に力強い光が込められているのだろうかと思ったりする。
そしてこの『むらさき』に関し90年代後半期にまでの日本のロック界隈にまで想いを巡らせば、あの時期は、90s初期ぐらいまでの渋谷系などの海外音楽の空気感をスタイリッシュにパッケージしてた時期を超えて「普遍的な"うた"としてのポップス」が徐々にヒットチャートを賑わしてた時期を彷彿してしまう。
例えば小沢健二『僕らが旅をする理由』UA『情熱』『リズム』、あと(最近森七菜がカバーしててビックリしたのだが)ホフディランによるオリジナル曲『スマイル』などが今もなお、様々なポップスシンガーにカバーされ人々に愛されている曲が見られるが、この『むらさき』にはそういう系譜の音楽をリマインドさせるように思われる。


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少し印象に残ったフレーズを挙げてみようか。

 

高円寺には羊と翼(ペガサス)

麒麟と音楽 

ギターと言葉 いつもがなくなるいつもを過ごせば

きっと日々新しく一瞬(セツナ)を生きれるんだ

 

ここでの「高円寺」であるとか「ペガサス」とか「音楽」などのようなフレーズ群は彼女が定期的に配信ありきでのライブを行なっている高円寺のライブスペース【バーペガ】が脳裏に浮かんだりするが実際にはどうなんだろう。特筆すべきは上記のフレーズが醸し出すどこか太陽のような力強い光の眩さは言うまでもないが、ここは吉田彩花のポテンシャルの計り知れなさとして強調したいのが、本曲は単刀直入に行ってしまえば、あの「サニーデイ ・サービス」というよりも、ソロモードの時の曽我部恵一名義の作品群の空気感を体現してるのだ。本人は無意識らしいけど。いや、別にこれは歌詞にある通り【セツナ】というフレーズがあるわけではないが猛烈に曽我部恵一のこの曲をリマインドしてしまうのだ。


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夢みがちな1日にただ一瞬だけ訪れる真実

それが僕らを惑わす

いつもそれが僕らを惑わす

 
たまたま偶然なんだけど、ここでシンクロするキーワード「一瞬」とサニーデイのライブハイライト曲タイトルである「せつな」。
そもそもこのSaikaは舞台女優としての彼女がキッカケで注目しているのは以前の記事から明らかなんだけど*2実際に音楽ライブに行って彼女の作り出す音像を東京に赴いてまでも生で聴く必要があるのではないか?といつしか思うようになった。

そんなことを思っていたら以下のようなツイートが目に入った。
 

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名古屋!???しかもあの鑪ら場とな???Two days???
もう両日共々行こうじゃありませぬか(笑)
これまで2度彼女の舞台は観てるのだが、1回目はよく知らなかった幅と、2回目は『雨雨』主催のCCBは役者との面会に関しては(情勢を踏まえてか)NGというポリシーだったので、ここにきてようやく私は吉田彩花に直接挨拶することができるチャンスでもある。悲願の初面会達成!
ということでそこでここ一年彼女がここ最近公開してきた彼女の素晴らしい楽曲群をここで紹介していきたいと考えている。
 
本稿の構成は以下の通りである。 
1.名曲『むらさき』爆誕
2. Saika's Songs Collection

❶サニー

コガネムシ

❸いつか君にとって

❹気まぐれ

❺まる

❻オレンジ

❼ボーナストラック:『歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?』

3. 名古屋ツアー3Days

❶初日

❷二日目

 ❸最終日

4. エンタメよ、太陽に笑え 

 

2. Saika's Songs Collection

❶サニー


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 本曲の『サニー』とはSaikaが最も愛用しているアコギに名付けられた愛称でもある。

「サニー=Sunny(太陽の)」恐らくこのフレーズは正に彼女が常日頃スローガンにしている「エンタメは心の太陽」に由来しているのだろう。

「もう過去など笑いとばせ!そしてリズムを奏でよ!」

そんな事でも言いたげなこの血湧き肉躍るこの曲、それにしても聴いてて胸のざわめきを誘導する曲だ。本曲はここ最近バーペガなどの配信スタイルのライブでも頻繁に演奏され、それを見るたびに徐々に狂想曲のような混沌性を増していく化け物要素満載の曲である。あの『まる』が広く長く大きく普及すると大海原を巡るカモメのような広大さがあるのに対してこちらは突黒を巻いて突き進む大蛇のような(なんじゃその例えw)どちらも対照的ながらも非常に更新性の高い曲でもある。
 

喜怒哀楽ほど簡単に言葉に収めたとしても感情は余白ほど渦巻いてる

 

そしてフレーズを見て思い当たる節がある。これは以前「うぇらっぷ」というライブイベントでこのようなことを言ってたのを思い出す。

 

「人間の感情は喜怒哀楽と4つに分けられるのってとってもシンプルだけど、色んな事情でそう断言できない余計な感情が芽生える事もある。そんな時にこの曲ができた。」

 

この曲とは紛れもなく以前デジタルでリリースした『余計だ』のことを示唆し、

あの曲の「幸せは一瞬のことで僕ら余韻を生きてるんだ、よね?」という一節とも本曲とリンクするのも頷ける気がする。

どちらの曲にも言えると思うのだがそこに込められてるのは #吉田彩花(Saika)によるエンタメへの熱い思いは

僕らにマイノリティなど本当はないの

という一節にも現れてて小劇場だろうが、インディーズのシンガーであろうともエンタメにかける想いにはメジャーマイナーなどないのだという彼女なりの闘争の火蓋が切って落とされた宣戦布告感に満ち満ちたりてる曲だと思うのだがいかがだろうか。

 
コガネムシ
Saikaは『むらさき』『きいろ』など敢えて歌詞にタイトルを入れないことで曲全体で「色」を体感できる曲を歌ってきたが、今回はガラッと指向を変えた。
意に反して光に反射する色彩を放つカルマを背負ってしまった黄金虫の悲しくもどこか共感すら覚える不思議な歌詞がツボ。悲しいけどどこか惹かれる光景が描かれている。


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あと本曲に関して、全力で思うが、チリヌルヲワカ、或いはGo! Go! 7188の音楽を常日頃愛聴している人にも是非聴いてもらいたい歌詞世界である。諸行無常感もヲワカ全体の世界を凄く感じました♫何ならあのユウ氏のボーカルでも脳内再生できるし、〜0:40の「そんなつもりではなく♫」の辺りのどこかくねったメロディーに『再生可能』味を感じるのだ。彼女自身学生時代だかに、GoGo7188!のカバーしたというしこういう所にふとルーツが滲み出てるのかもしれない。

*3


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❸いつか君にとって


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5月15日「越谷イージーゴーイングス」での配信ライブにて彼女はそうMCしたのをハッキリと覚えている。 

 

「ライブハウスはいいなぁって改めて思いました。地下に下っていく感じだったり、重い扉だったり…エンタメは誰かにとって不要ではなく、気付いたらそこにある、寄り添ってくれる存在だと思っています。」

 

この中にある「エンタメ」、「不要」....という言葉たちには紛れもなくこのMCはこのコロナ禍で何度もそして誰しもが様々なエンターテイナーやオーディエンスの垣根を越えて議論し続けてきたエンタメとは果たして不要不急なのだろうか?」いう命題への彼女なりの答えを提示しているように思える。そして、本曲にもその命題に対する答えを忍ばせている。

残念ながら、現状としてはエンタメが不要のレッテルを貼られ続けている現状への怒りが滲み出た瞬間が以下のフレーズに現れている。

 

音楽なんかで泣かない 
そんなわけはないだろう
メロディはすぐ側にある 
彩ることで世界は変わる

 

未来への自分自身に対するタイムリープのようなこの歌詞を昨日のことのように懐かしむ事ができたならば、いつか世界は変わっていくだろう。という意味でこの曲はアフターコロナだからこそ生まれた曲だと確信できる。

 

❹気まぐれ


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まさに、コンビニのイメージソングに使われるべきほのぼのとした曲ではないか。

サムネイルの夕焼けの写真通りの日常の大切さを歌った佳曲である。

注目すべきは「大きく広がる夢と胃袋に 豚骨らーめん」というフレーズがあるのだが、彼女のYouTubeチャンネルである「多彩花ちゃんねる」のコメント欄にて、オリジナル曲を作成するにあたって、テーマリクエストで様々な人たちのリクエストテーマを募集してて小生のコメントにある「豚骨ラーメン」というフレイズを曲にフィーチャーして下さったものだ。

 以下、その時の私のコメントである。

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この中のガチなロックファンの親友というのがめんだこさんという方で、この歌を聴いて喜んだものだ。何せ我々は音楽ファンであるばかりでなく大の豚骨ラーメンマニアで、#とんこつbotなるタグで日々のラー活に勤しむほどの仲間である。それはともかくとしてこの『気まぐれ』の

別々の場所で同じ時を過ごして
何度も生まれ変わって今出会ったのは
偶然必然運命ではなく

 

の部分を聴くにつけ、ふと個人的に浮かぶ曲がある。

そう、松重豊井之頭五郎に扮する人気ドラマ『孤独のグルメ』にて、「ふらっとクスミ」のコーナーでお馴染み原作者、久住昌之氏のオリジナル曲『自由の筈』にある

 

生まれちゃうのは偶然 死んでいくのは必然 その間は自由 自由の筈なのに

 

というフレーズをを思い出すのだ。

どちらもこの時に混沌としてしまうこの世の中を、迷いながらも歩いていく日常の中だけども、どこか開き直りの大切さとよいうか、俯瞰生にも似た楽観性が見出せるそんな心象風景。

それにしても、若干29歳にも関わらず、久住昌之とか、曽我部恵一であるとか、ベテランのシンガーの歌う心象風景とリンクしてしまう彼女はとても不思議であり稀有な存在である。

その意味でも本当に面白いSSWだと思う。


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❺まる


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変な言い方だけど、本曲は本当に「歌」だと思う。いや、「歌」というより「うた」。

LIVEの度に、どんどんまるく初めは小さな点だったのかもしれないが、やがてひまわりの大きさとなり、そしてそんなひまわりは太陽光へと目指すべく、大きくなっていく、本当の意味での「うた」だという意味で。本来持っていたスケール感がそれこそ新緑が太陽光を浴びて芽吹くかのように更にグングン成長していくのを感じ、思わず目頭が熱くなる時がある。

そしてこの曲は【エンタメは心の太陽】をスローガンに掲げることを象徴しているかのようにSaikaの上半期のライブで最も歌われた気がする。

彼女は本曲を歌う前にこう言っていた。

偶然古道具屋の前を通って小学校の時に家にあったでっかい時計が置いてあってびっくりして家に連絡した。

というエピソード(部分的に聞き違えてる可能性あるが)を披露したが、本当に偶然すぎてビックリする。

この人は、今いろんな偶然を引き寄せる不思議な力があるという意味で、ふと『石集め』という曲を思い出した。ちなみにこの曲は、「ゆた生誕祭」と呼称されたミュージシャン・ゆた氏の誕生日である5月9日を祝って多くのミュージシャンが集ってライブをしたバーペガ配信にて初めて披露された。

石集め』という曲があるがこの中に生まれてきてくれて有難う」というフレーズが多彩なエモーションを込めて歌われたのが印象的であるが、個人的にこういうエピソードがあったのだ。

6月19日のツイキャスのライブだったと記憶しているが、ちょうどSaika氏が本曲を演奏し、まさにこの「生まれてきてくれて有難う」というフレーズが歌われた瞬間に本記事でも触れた『みぽりん』『コケシ・セレナーデ』などの松本大樹監督などでの映像作品の衣装担当もされているフリースタイリスト冨本康成氏の娘さんの誕生祝いツイートが私のタイムラインに流れてきたのだ。

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ホントこれめちゃくちゃTL的にローカルな話なので、読者の大半は「だから何?」と実感的にほぼゼロなのかもしれないが(笑)個人的にもうめちゃくちゃ驚いたのだ。ホント0.0001のジャストタイミングで同時に「生まれてきてくれて〜」が出たタイミングだったから。

でもそんな偶然を引き寄せるのが今のSaikaのモードであると考えれば妙に納得してしまう話でもある。冨本氏も聴いてくださったみたいだし良きエピソードだった。


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本動画を見れば分かるように彼女のギターサポートとして向かって右に康士郎氏というギタリストがいるが、彼のSaika曲への解釈がとても好きだ。Saikaオリジナル曲の世界の可能性を時にはジャズ・インプロビゼーションの如く、時にはサイケデリックな領域だったりとか、我々の予測もしなかった次元へ飛ばしてくれる感覚に見舞われるのだ。ミニマムな2人編成だけど、もはやバンドのような趣きすらある。何が言いたいかと言えばSaika+康士郎=(頭取って)「サイコウ」のコンビネーションである。

 

❻ オレンジ

あと最後に、Saika氏はバーペガライブ並びにツイキャスでも幾度となく披露された『オレンジ』はに関して。本曲にはポップス特有のセンチメンタリズムがいい塩梅に散りばめられている。インディロックというよりj-POPど真ん中を貫く力にみなぎっているから。 

『オレンジ』の間奏では夕焼けが眼前に広がっていく瞬間を感じる。
時間で言えば黄昏時を思わせるまさに太陽がオレンジに染まるような曲である。


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配信コメントなどで個人的に演劇などでのセンチメンタルがかったハイライトシーンのバックにかかりそうな印象があるが意外や意外。先月の鑪ら場(7/24)、バーペガでの配信ライブちゃびりはマスコット(6/26)では本曲は一曲目に演奏されることが多いが、それもバッチリハマる、考えてみればハイライトとオープニングどちらでもいける意味でとても不思議な曲である。

朝焼けが終わってしまう前に
もう一度夢を描く
ベランダのシャツが揺れている
影遊びしてるのかな
名前のない色じゃないのに
呼び名はなかった

夕焼けはあんなに儚げで
言葉すら出てこないのに
屋根の隙間から見えた色に呟いた
綺麗だなあ

こうして歌詞を引用してはたと気づく部分がある。彼女がよくMCで触れるように、まさに喜怒哀楽と言う4つの感情では決して人間の感性を推し量ることのできない、曖昧だけど、重要な余白の部分を思い出してしまう。例えば1日の始まりである朝焼けのオレンジも、1日の終わりである夕焼けのオレンジでもその意味合いは全くことなるのと同じように。ましてや同じ夕焼けの色でも日によって全く同じ色であるとは限らない。同じオレンジであっても様々なオレンジのあり方があるのだそしてその余白の部分を埋め合わせるのは紛れもなく我々の心の隙間からである感情なのかもしれない。

 

❼ ボーナストラック:

『歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?』

最後に、吉田彩花が自ら立ち上げた魂の演劇プロジェクトS-igen企画「歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?」についても触れる。 

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え??これは曲ではなくて演劇でしょ?これは曲なのかどうかという異論もあるが私は曲だと思っている。だって本人がそう言ってるもん(笑)

 

《STORY》

有名なミュージシャンである姉・若林えみに憧れ、中学からバンドのギターボーカルをしていた若林のぞみ。

のぞみが高校にあがる頃、姉は突如失踪した。

何も告げることはなく、たった一つ残されたのは

一枚の紙切れ。

書きかけの歌詞「ピエロ」だった。

『また君に会う時が来たら

君より大声で歌えるように

歌いつづけるよ また絶対に会える

だから歌ってよう』

ー 届くよ。声。届けようよ!ピエロ!

あの⽇から⽌まった時が、

きっとどこかで動き出す。

( HPより抜粋) 

 

演劇とは常々「感情のセッション」だと思ってるが、個人的にここまでセリフの一つ一つがバシッと音楽のようにキマる舞台演目は初めてだと思う。とにかく、『雨雨』でも共演した長谷川小夏演じるのぞみに対して、親友がいつまで経っても心の殻に閉じこもっている彼女に対して2人の本音ぶちまけシーンが本当にヒリヒリとした共感を呼び寄せた。それはバンドでコピーしていた「フジファブリックの曲」でもいい、映画部の部室に置かれてた『君の名は』でも良い、YouTube配信でも、個性的すぎる同級生でも良いだろう、のぞみは様々な物に囲まれつつも、いつも自分の居場所を失ってしまう。それはいつの時代も誰もが感じるであろう青春時代ならではのリアリティに溢れていた、とても見終わった後の爽快感が半端ない劇だったと思う。

 まさに、ここでののぞみの心象風景は、もしかしたら当時の吉田彩花自身の投影でもあったのかもしれない。
 とも思ったが、或いはこの話は、S-igen企画の主催者でもある吉田彩花 による、コロナ禍以降蔑ろにされがちなエンタメに内在する光を取り戻す彼女自身の心象風景を写像したドキュメントでもあるのかもしれないと思ったりもするのだ。
何せ本作を配信にて観終わった頃、この『歌えピエロ』というタイトルが彼女のスローガンである「エンタメは心の太陽」とどこかシンクロするような感覚すら覚えたものだ。
 あと去年、吉田彩花と本劇にも出演している斉藤陽葵が兄妹役だった『GCM動画日記 case1』のテーマが「人と人との繋がりとは?」だった事も影響を与えてるんじゃないかとも思ったりして。*4

ちなみに本作でも斎藤氏の役柄は「画面を通じて自分達の想いを他者へ届ける」という意味では否時役柄だし、その意味でのシンクロっぷりが個人的に楽しかった。後ヨシオさんというメガネオタ役の方も出てるのだがあの人いい味出してたなぁとか思ったり。
 
ちなみに本劇終演後、何にかした後だろうか、主演の長谷川小夏生誕ライブなるものバーペガで行われて、その時長谷川小夏は、本作の続編のような台詞を放ったのが印象的だった。
「また一つ年取った。お姉ちゃん、あなたに届きますように」
『歌えピエロ』ののぞみが降臨したかのように「姉」を語る長谷川小夏。

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それにしても、その姉が3時間前にしっとりと歌い上げた『やさしく生きよう』を青空に飛ばすようにテンポよく高く放ったのが印象的で、この時若林姉妹は笑顔で再会したのがハッキリとじぶの頭の中でもリマインドできたものだ。

ラストこの姉妹二人で『やさしく生きよう』だけでなく、姉妹共作のオリジナル曲、「きっといつか」が披露されたが、『やさしく生きよう』や『まる』と地続き感あるとてもヒューマニズム溢れる、正に初夏の風が優しく頬を撫でるような感覚に見舞われる爽やかな良曲だった。あ、ちょっとScudelia Electro(現;石田ショーキチ)『水虎の涙』を彷彿とさせる爽やかないい曲だった。
 特にこの二曲は是非いずれライブか配信などで再会できたらと願ってやまない。

 

3. 名古屋ツアー3Days

そしてそして...........第三章はもちろんこのレポも入れねばなるまい。

今回彼女にとってバンド以来5年ぶりだという名古屋ツアーである。

日は『太陽の余韻』TOURと名付けられた上前津music BAR BoBでのアクトである。

❶初日


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セットリスト

コガネムシ
②サニー
③余計だ
④まる
⑤やさしく生きよう

3日間にわたるパフォーマンスの中で最も短い26分だったんだけど、ここにある5曲をありったけの感情で全力で曲を表現する姿を見て思ったのは彼女は絶対ライブで見なければならない類の表現者であるという事マイクにふと入ったちょっとした息遣いも、ふと緊張からか、天を見あげた時のキリッとした表情も、感情が先走りそうになるMCも、全てが曲を表現する大切な要素であることがわかる。そしてこの動画見ていただいたらお分かりだろうか、確か彼女はこのツアーを始める前に「太陽は空だけにはない。きっとライブハウスにもある。」と言っていたが、確かにこのアクトでパフォーマンスする彼女の背後に終始ビカッと光っているあの太陽のような光は何だったのだろう。

『エンタメは心の太陽』をスローガンに掲げる彼女らしいライブの幕開けであったと断言して良い。

 *5

開演前物販の所にちょこんと座っているのを目撃してご挨拶させていただいたが、「ああ、本物だ!!」と思ったが向こうも「え、ネノさん??あ、本物だ!(笑)」と仰ったのは笑った。もう配信の時のあの明るい気さくなキャラクターまんまの方で東京のライブハウスの話とか東京のカレー店事情とかライブについてとか色んな話を聞かせていただいたのも本当に貴重な体験だった。 *6

 

そして次は二日目、あの鈴木実貴子ズ の本拠地である鑪ら場でのライブである。

❷二日目


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セットリスト

①オレンジ
②サニー
③イントロ
④余計だ
⑤石集め
⑥気まぐれ

「音楽で世界は変えられる、それを確認したくて聖地、名古屋にきた。」
とうとうここ、鑪ら場をホームタウンとしている鈴木実貴子ズへのアンサーソングである
③がこの地で鳴らされたのだ!

そしてこれは彼女の音楽キャリアが次のフェイズへと更にステップアップできる『イントロ』なのかもしれないと実感した。

*7

*8

ちなみに帰りがけ、吉田彩花氏をHIVEというバンド時代から知る方とお話しできたのだが、
彼女が一貫してるのは当時から常にSNSでの告知・近況報告を絶やさない事だと言う。
そういえばこの日最後の曲として演奏された『気まぐれ』も彼女を慕うファンからの
様々なテーマリクエストを一つの歌詞世界として完成させた名曲だ。*9

人間同士の出会いは奇跡だが、それをどんどん繋げれいけば軌跡にもなり得る、
人生とは「幸せへのキセキ」なのではなかろうか、そんな事を思わざるを得ない。

 *10

*11

❸最終日

そしてそして5年ぶりの名古屋ツアー最終日は、前日の鑪ら場の前に「ワンチャンあったらやるかも。」と言っていた路上ライブである。矢場駅付近の通称「噴水公園」、久屋大通公園噴水前にてパフォーマンスが行われた。あ、オーディエンスに鳩数匹もいます🐦 


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セットリスト
①まる(撮影者が録音ボタンを忘れてるのでめっちゃ終盤ですw)
②むらさき
③余計だ
④イントロ
⑤オレンジ
⑥サニー
⑦いつか君にとって
⑨気まぐれ
⑩石集め
11やさしく生きよう 

この日は以前二日間とは違って、あの『ムーミン』のスナフキンのような吟遊詩人さながら、街の景色や風を感じたりしながら、曲の中に散文詩のような物を挿入しながら歌っていく極めて自由なスタイルだった。多分この二日間のライブをやり終えて少しホッとしていたのかも知れない。彼女の通り過ぎていく鳩も、噴水の音も風の音も車の音も交差するこの公園で開放的に鳴らされた彼女の「うた」は正に我々が生きる日常生活の行間を読むように優しく、強く、しっかりと馴染んでいくのが分かる。

 ちなみにこの日配信も同時中継だったのだが公園の広場で私は真前特等席を占拠して全曲聞かしていただく人が羨む最高のライブを堪能したのだが、このライブ後ちょっと話してて思ったのだが、道ゆく人もこの路上ライブにも子供たちがチラッと近づいて行ったり、レゲエっぽい外国人のお兄さんも何の違和感もなく自然と耳を傾けては通り過ぎて行くのがとても良かったなあという点で同意した。なんというか、アイドルイベントもこの日多くあったようだし、近くの公園ではバンドライブをやっていたし、そういやアイドルっぽい人達がステージ衣装を着たままパルコ前の横断歩道を渡っているのも目撃した。名古屋はエンターテイメントに溢れている街だなあと実感したものだった。 *12

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4. エンタメよ、太陽に笑え 

ここでは彼女の掲げるエンタメ論とチャップリンピカソなどの世界の偉人たちの掲げるエンタメ・アート論との間に見られる共通点を探っていこうという章である。というのも以前Saikaはこういう事を言っているのだ。

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『人生は壮大なコント』これを聴いてふと思い当たる節がある。世界の三大喜劇王と呼ばれる、イギリス出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)が以下の名言を放っているのだ。

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Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

(人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。)

 

この言葉って以前からなんとなく頭の中にあって「人生は喜劇であり悲劇....まぁそんなもんだろうな。」ぐらいに思ってたけど世界史の一部として「コロナ禍の年」として語り継がれるであろう2020~21年をクローズアップした時にある種実感と絶望感を持ってこの悲劇をかみしめることができる。でも、同時に多少懸念もあって、いつの日かこのコロナ禍が完全に収束した時に"ロングショット"でこの2020~21年を振り返った時にこの世の中はキチンと「喜劇」として解釈されているのだろうか?と疑問に思ったりもする。

確かに去年の元総理大臣のなんちゃらマスクとか、現都知事のフィリップ芸や、今年に入ってオリンピック開催をめぐる揚げ足取りだらけのドタバタ劇はリアルタイムでも怒りを通り越して笑いの境地に入ってて、いずれコロナ収束という事態になれば「壮大なコント」として解釈されるかもしれないが、もはやそういう域に達することができるのか不安感すら感じる。

まぁ深いことは置いといてそれだけこのチャップリンの言葉には今後の全人類の運命を背負うかの様な重みがあると思うし、まさに今その悲劇と喜劇の狭間に立たされた様な2021年7月21日の現在であるし、この言葉が立証された時に希望の光が立ち昇る。

そんなことを思わざるをない。それに関連して、コロナ禍に塗れた「2021年の夏」は本当に特殊な夏として我が人生に深く刻まれることだろう。ところで、話は変わるが今度のまた吉田彩花が、脚本/演出/プロデュースを担当するS-igen企画の第二弾の演目『悲劇のアルレッキーノ11月公演のフライヤーの上部に注目してみよう。

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芸術は我々に真実を少なくとも我々が理解できる範囲の真実を見せるための嘘である。

 

これは紛れもなくスペインの前衛画家、であり吉田彩花が常日頃から尊敬しているというあのパブロ・ピカソによる名言である。*14

『芸術とは我々に真実を見せてくれる嘘』とは一体何だろう?
芸術といえば、片や、時代は違えど、同じアーティストであるかのレオナルド・ダ・ヴィンチは『その手に魂が込められなければ芸術は生まれない。』とも言っている。

前作「歌え、ピエロ〜movie by Youtu部?」で青空の下、高らかに嘘なき世界ともいえる青春を歌い上げたS-igen企画からすると意外なテーマである、嘘。

魂の込められた嘘であり真実でもあるこの芸術への答えをどう解釈するのだろう。

次なるビジョンへの期待がやまない。そしてここでこれまでの彼女の活動を見てきて、更に実際に目の前で彼女の 3つものLIVEを体感して今回確実に分かることがある。

 

あのパブロ・ピカソはこうも言った。

「大切なのは、熱狂的状況を生み出す事だ」と。

正に本名言は我々が日々享受している音楽・映画・演劇などのエンタメを盛り上げる上で重要なアティテュードだと思う。熱狂(enthusiasm)なくしては物事は盛り上がることはないのは当然のことである。とここまで書いてふと思い当たる節がある。

エンタメを提供するものもそれを享受(enjoyment)するものも、盛り上げる努力(endeavor)を怠らないことで先へ進める(encouragement)と思うのだ。

そしてここまで書いて思ったのは偶然全て頭文字enで始まる言葉たちであることに気づく。これを文章にしてみると....

 

Enthusiastic endeavor enjoys encouragement.

(熱に浮かされてるぐらいの努力を怠るな

そうすれば大きなサポートが待っている。)

 

またまた13244文字を超えることになったこの長文ブログにようやくオチをつけられたようだ(笑)。

本当に、吉田彩花(Saika)の掲げる「エンタメは心の太陽」なるスローガンが今後どこまで広がっていくかが楽しみだ。今後も彼女の演劇活動・音楽活動共々見守って行きたいと願ってやまない。*15


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*1:今回舞台俳優吉田彩花というよりミュージシャンとしてのSaikaにクローズアップしてるので名称をSaikaに統一する。

*2:

nenometal.hatenablog.com

*3:twitterフォロワーである、めんだこ(暴走機関車)様からはGo! Go!7188時代の『数え唄』がモチーフになっているというご意見も頂いた。

*4:

nenometal.hatenablog.com

 

*5:しかしsaika氏ライブで、二日間ともCDのビニールのパッケージ開け係に徹したの笑った。

自分ライブとかで人の写真撮ったり、何時に始まるか聞かれたり妙にスタッフオーラ出してしまう時あるんよねw

*6:その他の出演者はバーペガでお馴染み古群翔馬、そして名古屋で活動しているかつら、鈴木大夢の各方々。完全にオルタナティブよりのカッコイイアクトを見せてくれた。物販でも音源は購入したし今後も注目して行きたい。

*7:ちなみにこの日、Saikaではなく吉田彩花名語での出演。orange blossomも川沿クタ子さんもとても雰囲気あって全体的にアートな感じだったな。

*8:ここに脚注を書きますこのSaikaの鈴木美貴子ズとの出会いや『イントロ』ができた詳細な過程に関しては過去記事を参照いただきたい

nenometal.hatenablog.com

*9:そういや鑪ら場でのもう一人の演者さん川沿クタ子さんがmcで吉田彩花さんは女優業もやっているだけあってセリフの行間を歌に込める印象がありました。と言ってたがまさに言い得て妙だと思った。

*10:幸せへのキセキ』って映画のタイトルね。マッドデイモンとスカーレット・ヨハンソン主演の動物園で暮らして経営しながら生活する話ね、てめっちゃ関係ないけど(笑)

*11:今回のライブでもセトリ予想をやってるが鑪ら場の方はオレンジが一曲目にきた時個人的にどよめいたが(笑)当たったのは6曲中4曲だったが、初日はすごかった。実際より一曲多めに書いたんだがそれにしても全曲的中(笑)、しかも順番まで当たってる。Saika氏も驚いてたし、古群翔馬氏も驚いていたらしい(笑)

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*12:大阪とかだったらたいしてこういう音楽に興味ないのにニヤニヤ好奇心で近づく人多いもんな。音楽へのリスペクトはなくてただただ好奇心だけっていう...w。ああいうノリはちょっと違うと思う(笑)

*13:チャールズ・チャップリン - Wikipedia

*14:パブロ・ピカソ - Wikipedia

*15:そういや若宮八幡社で風鈴まつりなるものがあって願い事を書いてくくりつけるイベントがあったのだがこういうことを書いておきました(いつか世界は変わるだろう)

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