NENOMETALIZED

Music, Movie, and Manga sometimes Make Me Moved in a Miraculous way.

君が笑うあの青空へ〜Who the Bitch『泣きビッチ』大妄想ディスクレビュー!

0.初めに

前回の「ビッチフェス2020」の記事でも触れた通り、Who the Bitchと言うバンドは、もうハッキリ言うがこのコロナ禍に真っ向から対峙して向かい合って戦い続けてきたもう国内では10本の指に入るぐらいと言って良い稀有なバンドだ思う。何せミュージシャン自体の活動がままならないこのコロナ禍なのにも関わらず、活動を続けていて、むしろしっかりと彼女らの音楽とはどういうものなのか、何たるかなどの本質をリアルタイムでしっかりと私のような新参者リスナーの脳内にしっかりと叩き込んでくれたからである。

具体的には、二月のコロナ全盛期にメンバー・ehiさんの「#私が知ってるライブハウス」「 #私の好きなライブハウス」のタグ運動でWho the Bitchの名を知って徐々に音源を聴き初めたものだ。そして当時そう主流ではなかった配信(ライブ・トーク含む)を重ね、ようやく緊急事態宣言が解除しかかった頃に最初のベストコレクションアルバム『攻めビッチ』がリリースされる。このアルバムの存在意義は実は大きくて既存曲が中心ではあるもののこれで何となく朧げであった初期・活動休止前・そして活動再開以後の彼女らの楽曲のありようを時系列を覆って知る事ができた。

その後、ようやく現時点で世の中に流通している『Toys』『MUSIC』『VOICE』などの全てのアルバム、ep、シングルなどの音源を聴く事ができて、MVなどもチェックして、幾度かの配信ライブで彼女らのライブスタイルを配信という形だからこそ客観的な視点で予習することができた。そうしてこれらのリスナー活動の到達点の様でもあった「ビッチフェス2020」の開催。そして、ようやく8月19日に大阪でknaveでのVanityyyとのコラボ有観客ライブにも行けるようになって....って言うこのタイミングの良さである。更に、本記事の主役であるベストコレクション・アルバム第二弾『泣きビッチ』がリリースされて、9月26日には大阪でのワンマンライブ、ってもうこの上ないタイミングなのだ。ほんとまさに自分のような「タグ運動以降」に彼女らの存在を知るようになった人たちには予習復習バッチリのフルコース堪能みたいな感じで彼女らの音源をほぼコンプリートできたって奇跡に近い事だと思う。

でも、ここで注意したいのはこれは単なる偶然ではないという点。先ほども触れた通りの、様々な有観客・無観客含めたライブ含む配信であるとか、ehiさん独自で配信しているpodcastラジオ、そしてSNSなどでも常にリスナーとの繋がりを絶やさぬようリンクし続けようとする彼女らのアティテュードがあってこそのなせる技だと思う。もっとハッキリいうと彼女らほどリスナーもスタッフも全てを引っくるめて活動を促す「バンド活動」を継続する努力を怠らない人はいないのではないか。勿論、これは特定のバンドなりを攻撃してダメ出してるわけじゃないんだが、コロナ禍以後、メジャー・マイナー問わずほんとに「君ら、活動してんの?息してる??」って心配になってくるバンドやシンガーソングライターって一般的に見ても本当に多いではないか。まぁこれはこのご時世ゆえに仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど。

そしてそうした姿勢が一つの大きなうねりを見せ形作られた象徴が先の配信による(と言う冠すら不要なのかもしれない)「ビッチフェス2020」だった。 この辺りの詳細に関しては前回の記事を参照されたい。

nenometal.hatenablog.com

そして本稿はそんなWho the Bitchと言うバンドがこの上ないタイミングでリリースした第二弾ベストコレクションアルバム『泣きビッチ』を楽曲紹介というスタイルではなく過去の幾つかのディスコグラフィーを踏まえた壮大なディスク・レビューを展開していきたいと考えている。構成は以下の通りである。

[Table of contents

1.『泣きビッチ』と『攻めビッチ』

 2.『泣きビッチ』楽曲検証

   Case1;『青い舟』に乗る『OBLIVION

   Case2;『カナリア』の『声』を聴け

  Case3; Artworks of WtB works

 3.『Bridge』の先にあるもの ]

 

1.『泣きビッチ』と『攻めビッチ』

結論から言うと、本アルバム『泣きビッチ』は、過去のライブでの代表曲であるとか、シングルなどをコレクションしたいわゆるベストアルバムという範疇を超えた、オリジナル・アルバムのような趣を成していると断言しても良い。全体的な曲構成と、本アルバムの非公式ではあるがとてもキャッチーに作られたCMは以下の通りである。 

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1.赤いレモンティー
2.Chicken Heart*1
3.sadistic
4.マシュマロ
5.怪獣とジェンガ
6.OBLIVION
7.Nebbia
8.青い舟
9.カナリア
10.Hello Again
11.声
12.始まりの証

13.的

14.Bridge

15.You’re the way 

 

 

まず、4月にリリースされたこの『泣きビッチ』と双璧をなすと言おうか、姉妹版と言おうか『攻めビッチ』とを比較してみると、あのアルバムのイメージカラーであった「赤色」に呼応するかのように、本アルバムは『赤いレモンティーでスタートを切るのは偶然にしても興味深い。

本曲で【I don't say Goodbye】という力強いフレイズで締めくくられるあの曲は活動休止前のライブで最後に歌われた「約束の歌」である事はファンの間でもよく知られた事実であるし、活動休止前と今とを結ぶ重要な意味合いを持つ本曲を最初に持ってきた意味合いの重要性も同時に知ることができよう。

更に、これも偶然なのかどうか分からないが、今回のアートワークのイメージカラーである「青色」を象徴するかのようにセレクトされたタイトル楽曲である『青い舟』がちょうど全15曲中のど真ん中である8曲目に位置している。このように何となく曲構成だけ辿っていっても両アルバム『泣きビッチ』は前回のアルバム『攻めビッチ』とは何らかの共鳴点というか、地続き感を示唆しているような気がする。


【MV】Who the Bitch『赤いレモンティー』 Official Music Video

そして、もっと重要な事に、今回アルバム内のCore(核)となるよう重要な役割を担っているのがこのコロナ禍の最中で制作され、さらには「ビッチフェス2020」のテーマ曲と化していったといっても過言ではない新たな曲『的』の存在感である。

本当にこの曲だけでも聞いてもらえればわかるが、この曲の鳴りの強さは凄まじいもので、アルバムの(もっと言えば『攻めビッチ』の曲もこれまでリリースされたオリジナルアルバム、楽曲、全て含めてのことだろうが)全曲がこの力強い以下のフレーズへと一気に収束していく様な強烈なカタルシスすら感じるのだ。

   ためらうな 人生は一度きり 

   ためらうな  がむしゃらに鼓動が今鳴る     (『的』) 

 

何とまぁ力強いフレイズなんだけど彼女らが歌うとそこに偽りや何の大袈裟感がないのだがそれも当然だと思う。このわずか短いこの二つのセンテンスの意味合いの持つリアリティは、このコロナ禍に真っ向から対峙してきた彼女らのこれまでの活動をざっと振り返ってみただけでも計り知ることができるだろう。

また、この曲の役割は以下の結論にも結びつけることができよう。この『泣きビッチ』というアルバムには人間の感傷を促す「泣く」という表現が含まれているが、単に「センチメンタル」な意味においての「泣ける曲たち」を集積しただけのアルバムではないことを教えてくれる。

そもそも、この「的」という表現は人生においてやり遂げたい事柄、例えば音楽文脈で言えば、ビッチフェスしかり、ライブ然り、アルバムリリースしかり、何か物事を達成したいというときに用いる「目的」の意味にも捉えられようし、或いは、これまでコロナ禍を皮切りに全世間からライブハウスというものが散々スケープゴートとしての「標的」にされてしまった事へのある種怒りにも似た意味をも内包されているのかもしれない。

そう考えれば、この『的』という曲の存在によってこの15年もの間音楽フィールドで常に闘争を続けてきた彼女らの培ってきた他の楽曲にも何らかの相互作用を引き起こし、新たな解釈をもトリガーする事になるであろうし、この『泣き』の中にもどこか拳を握り締めつつ浮かべるヤケクソの涙もこの中には窺い知ることができるのもあながち間違いではないように思う。

さて、次の節ではさらにオリジナル・アルバムやミニアルバム単位の楽曲をいくつか引用してこの『泣きビッチ』を詳細に検証していきたいと考えている。

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2.『泣きビッチ』楽曲検証

Case1;『青い舟』に乗る『OBLIVION

 時折、ベスト盤でもないのにこのバンド自体の活動が集大成化されていると思わせる集大成的な作品に出会う事がある。例は古いが、Flipper's Guitar『ヘッド博士の世界塔』Oasisの3rdアルバム『Be here now』Smashing Pumpkins『メロンコリーそして終わりなき悲しみ』スパイラルライフ『Flourish』などがその好例である。*2

お分かりいただけるだろうかこの単なるアバンギャルド性のみならず、もっとキャリア全部ひっくるめて提示されるこの「集大成的な大作感」。*3 でもこれは何も90年代レジェンドに限ったことではない。ここ最近では2013年にリリースされたサニーデイ サービスやソロでも多くのキャリアを残している曽我部恵一の、曽我部恵一バンド曽我部恵一バンド』であるとか、2017年にリリースされた、二人組オルタナフォークバンド、ハルカトミユキ『溜息の断面図』、そして今年はソロのシンガーソングライターの植田真梨恵『ハートブレイカー』などはまさに上記で述べたような「もうこれでキャリアまとめてこのまま終わってしまうんじゃないだろうか?」とまで思わせてくれる素晴らしいアルバム郡だと思う。

そしてここで紹介するWho the Bitchの2nd fullアルバム『MUSIC』もその例外ではない。

もしも私がリアルタイムにて本盤を聴いてたらに上記のアルバムたちにも存在する、ある種の「到達点」を確信できる系譜にあるタイプのアルバムではないかと思う。

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1.OBLIVION
2.アルゴリズム
3.TOKIO
4.blow
5.気づくもの
6.旋律のリアル
7.You’re the way
8.アウトサイダーミュージアム
9.everyday everyday
10.リンドンリン
11.青い舟
12.gift

ギューイーンと歪んだギター音に続いてメランコリックなメロディーに乗せて【目を閉じて振り返る忘却の橋】と言う印象的なフレーズで始まる一曲目OBLIVION

で、そもそもこの「oblivion」という単語これはどういう意味かと言うと、ウィズダム英和辞典によると

1 忘却(されること), 記憶の彼方(へ追いやられること)(obscurity)、忘れ去られる.
2 昏睡状態(に陥ること).

と言った具合に記憶喪失的なニュアンスで用いられることが多いようだ。

このアルバムは、もしかしたら曲目に辿っていくとするならば、

【記憶を失った1人の人間が都会にてアルゴリズム算法を叩きつけられ、魂に触れるような旋律に出会い、音楽や人の愛に触れ日々を過ごしていくも、日常生活にどこか寂しさ、限界をも感じ、再びあの忘却の橋を渡ろうとするべく旅路に出る事を決意し最終的に命尽き果て、花束という贈り物が備えられるというストーリー】

 

が浮かんだのだが、いかがだろうか。

とここまで言ってしまったからにはもっと妄想かませば、このアルバムの下地になってるのってダニエル・キイスによる小説『アルジャーノンに花束を』ではないだろうかと密かに思っているのだがいかがだろうか?

ja.wikipedia.org

あらすじをざっと引用すると以下の通りである。

 

知的障害を持つ青年チャーリイは、かしこくなって、周りの友達と同じになりたいと願っていた、大きな体に小さな子供の心を持った優しい性格の青年。

ある日、大学教授・アリスから、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。先に動物実験で対象となったハツカネズミの「アルジャーノン」は、驚くべき記憶・思考力を発揮し、チャーリイと難関の迷路実験で対決し、彼に勝ってしまう。

彼は手術を受けることを快諾し、この手術の人間に対する臨床試験の被験者第1号に選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇し、数ヶ月でIQ185の知能を持つ天才となり、知識を得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。

だが、頭が良くなるにつれ、知りたくもない事実を理解したり、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままで、突然に急成長を果たした天才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。周囲の人間が離れていく中の孤独感と苦悩の日々。

そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変が起こる。

チャーリイは一時的に知能を発達させることができたが、性格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能は、やがて失われ元よりも下降してしまうという欠陥を自ら突き止めてしまうのだ。

彼は失われ行く知能の中で、退行を引き止める手段を模索するが、知能の退行を止めることはできず、チャーリイは元の知能の知的障害者に戻ってしまう。自身のゆく末と、知的障害者の立場を知ってしまったチャーリイは、自らの意思で障害者収容施設へと向かう。

そしてあの寿命が尽きてしまったハツカネズミ、アルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージとして、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」と締め括る。

 

....と、あらすじを引用してみたけど本アルバムと『アルジャーノン』とを融合すると以下のようになる。記憶喪失者(OBLIVION)であったチャーリーは、実験によって得られる記憶・思考力の実験によって様々な算法(アルゴリズム)を取得するようになる。

ちなみに本曲中で

 エゴイズムのような落書きをして 

 傷つけてるケミカルな愛情  (『アルゴリズム』) 

って件はまさに科学的進化によって培われた知能とのバランスが取れない実験そのものを示唆しているような気がする。さらにこのOBLIVIONに加えて『泣きビッチ』のラスト曲である『You're the way』の歌詞を一部引用してみようか。

 枝分かれしたふたつの道は 時を超えて交わる いつか重なる

 その時は必ず 強がらず笑える   (『You're the way』) 

このくだりから、チャーリーによる、どこかこの「天才」として尊敬される日々が永続的なものではなく、やがてここから去っていかねばならないのではという予感と、彼がいつか生を全うしたときに来世にて新たにあのハツカネズミであるアルジャーノンとの出会いを示唆するフレーズが両曲ともどもに垣間見えるように思えるのだ。*4

  そして、『MUSIC』では更に本アルバム収録曲である『青い舟』OBLIVIONとの間には10曲ほどのインターバルを要するので時間にしてかなり長い隔たりが伴うものだが、『泣きビッチ』ではわずか間に一曲『Nebbia』しか介在していないため、割と歌詞カード的にも近距離で検証することができるが、実は両曲の歌詞世界にシンクロする点が多い事に気付く。

具体的に以下の引用を見てみよう。

OBLIVION  忘却の橋を 渡り辿っていく

    OBLIVION  僕らいつだって 口ずさんだ歌 (『OBLIVION 』)

 

前方に見えるのは何? 僕らが悩み 愛し創る時代 

 前方に進め 君に誓って歌うフレーズ (『青い舟』)

OBLIVIONで忘却の橋を渡っているこの主人公は紛れもなく舟に乗っていて、何らかの歌を口ずさんでいる情景が浮かぶ。更に同様に『青い舟』でも舟に乗った主人公が、やはり同じように何らかの歌を歌っていることが分かるだろう。

それだけではない。

他にもOBLIVIONにおける

「流れてる音楽は 懐かしい色 時を超え胸を打つ」

『青い舟』「君がくれた腕時計は何度回り続けてから僕を慰めただろう」に

更にOBLIVION』の

「自分の甘いところまだなおってません」は

『青い舟』の「やりきれない悲しみ抱いて 溢れ出すその涙も」にそれぞれパラフレーズが可能であり、同じ様に時間の経過の流れの中でこそ圧倒的に何かを失っていく事象などに対するセンチメンタリズムが表現されているという意味においてこれらの二曲は対をなしていると結論づけられる。

 *5

 

Case2;『カナリア』の『声』を聴け

では、更に楽曲検証をしていく事にする。

この中で取り上げるアルバムは3rdミニアルバム『Voice』と5thミニアルバム『Letters』内の楽曲である。

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1.声
2.Merry-go-round
3.Stand up
4.Door
5.Birthday
6.青い舟

 

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1.Lettter
2.枯れない花
3.Over the wind
4.リフレイン
5.sister
6.カナリア 

7.トオリアメ

そもそもがWho the Bitch はバンドサウンドが主体なのに「泣き」を呼ぶバンドである事は、SNSなどでの彼女らのライブに行った際のオーディエンス達のリアクションでもハッキリそういう意見が多いし、『攻めビッチ』リリース時に次なる未だタイトル未定のベストアルバム・タイトル予想として既に当てている人が多かったことからも明らかである。これには色んな要因があろうが、どんなギターサウンドやドラムが荒ぶった展開の曲であろうが、彼女らの「声」がハッキリと聴こえるからというのも大きいのではないか。それは英詞であろうが日本語であろうが同じ。

そんな彼女らの魅力を凝縮したアルバムが『Voice』であり、『泣きビッチ』収録曲はそのズバリ『声』という曲である。Who the BitchオフィシャルTwitterアカウントによれば、

「2012年のシリアのアレッポにて銃弾に打たれ亡くなったジャーナリスト山本美香さんへのレクイエムとして捧げられた楽曲で、その彼女が伝えたかった戦場に生きる"声なき声'をテーマに作られた反戦曲。内戦の地から見える空は日本の空にも繋がっている。」という事らしい。

*6

本曲には「何かを”奪われてしまった”状況から、いかに先を見据え、立ち上がるべきか。」というメインテーマがあるわけだが、比較的ポジティティに溢れた曲が多いWho the Bitchの楽曲内でもこの様な内省的な曲という観点からもう一曲、ふと思い当たる曲がある。

『泣きビッチ』では『青い舟』の次の第9曲目に収録されており、カナリアという曲である。一部を引用してみよう。

    飛べないカナリア

 誰を思い

 諦めずに

 飛ぼうとするのか  (『カナリア』)

この辺りの歌詞を見て、ストレートに思うのがおそらくは飛び立つための「翼」を何らかの要因で奪われてしまったその鳥の悲しいまでの運命である。でも、この曲の良いところは絶望に止まらずに、そこから何かを見出すべく飛び立たたんと再生をかける思いがカナリアに溢れている点なんだけれど、本曲が収録されているアルバムはオリジナルとしては最も新しい『Letters』(2018)からの楽曲であって、年数的には少し『Voice』との時間の経過隔を感じない事はないんだけれどどこかしら両曲に対する印象はかなり近距離だと思う。

もっと言えば『声』において、「争いがまだ続く街で 誰かも空を見上げている」のは紛れもなく広い青空へと自らを自由に放とうと願うあの鳥の姿であり、この中で歌われる「声なき声」というフレーズもどことなく「飛ぶことのなき翼」を有しているあのカナリアの姿がオーバーラップしてしまうのだ。そしてそうしたことを象徴するかの様に、偶然にも『Voice』のジャケットアートワークにまさに飛び立とうとしている鳥のシルエットが施されている点も尚更そのように思わせるのかもしれない。
 

Case3; Artworks of WtB works

さて、先ほどアートワークの話が出てきたが、この節では少し視点を変えてこれまでのWho the Bitchがリリースしてきたアルバムアートワークの進化過程を見ていく事によって、今回の『泣きビッチ』というアルバムがいかに位置付けられるのかを検証していきたいと考えている。

まずは、1st full アルバム『Toys』のアートワークを見てみるとパッと見一昔前に流行った『ウォーリーを探せ』の様な趣のイラストであるが、よくよく見てみるとスピーカーや楽器などもあるし、とても楽しそうな何かの音楽フェスの様な、まさにタイトル通りの玩具箱の様な言っても良い賑やかなイラストである。

次に、その混沌的なアートワークから次の❷3rd miniアルバム『Voice』を見てみると先ほども言及した様に花や植物などを模した全体像からふっと一羽の鳥の姿が浮かび上がる洗練したデザインになっている。

そして次に❸ではMacか何かのお洒落な壁紙にでも出てきそうな、色彩豊かな絵具の塊の様にも見えるし、或いはこれは「細胞」の様なイメージを抱いているのだがいかがだろうか。

そして次の❹の4th mini アルバム『UNLIMITED』ではタイトルにもある様活動再開後の光に満ちたアートワークでタイトルに準えるならまさに無限に降り注ぐ光の強さ、或いは無償の愛とも取れるその輝きは復活後の彼女らの勢いを意味しているのだろう。そして❹で全貌を表すことのなかった二人の姿が具現化した❺の5th mini アルバム『Letters』であるが、二人の周りをキラキラと煌めいている光の一つ一つが実は❹と見るべきなのかもしれない。そして今回のベストコレクションアルバムプロジェクトの『攻めビッチ』❻、そいて今回の主役である『泣きビッチ』のそれぞれのアートワークはこれまでのアートワーク❶〜❺をより統一化した印象を受けるのである。これらのアートワークには❶のカオスティックなカラフルさも、❷に見られるアート感覚も、❸に見られるどこか細胞レベルにまで見られるミクロな感じも、❹に見られるビッグバン後の宇宙の様な感覚も、❺の存在にまで拡張して最終的にフォーカスを当てる事によって完成されたイメージがある。

もっと簡潔に言えば「抽象から具体そして、更に存在へ」と接近していくこのアートワークの流れまさに音楽的なピークをアルテレベルにまで高め、一度は活動休止に至ったものの、再度活動の場を広げようとする彼女らの歴史そのものの様なまさに「死からの再生・復活の景色」そのものであると断言できよう。 この事実を踏まえ、次の3節では『泣きビッチ』における曲順とそれに関連する世界観をはっきりと定義していきたいと考えている。

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                    ⇩

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3.『Bridge』の先にあるもの

どんなアルバムにも核となる曲は存在するとは第1節でも述べてきた。アルバムコンセプト全般がその曲を軸として回転していく様な地軸の様なスタンスを持つ全体を取りまとめる役割を担う重要な曲であるが、本『泣きビッチ』ではそんな役割を担う曲は、個人的には実は二曲存在するのではないかと思っている。まず一曲目は先ほど触れた様に新曲『的』である

その証拠に本曲はアルバム全体を前方へと進めていく意味合いにおいて、『泣きビッチ』のみならず、『攻めビッチ』に収録されていても何の違和感もない所謂【攻め】の曲だと思うからだ。だから本曲は攻めビッチ』の曲も含めて、全楽曲がこの力強い以下のフレーズへと一気に収束する役割を担うのだろう。

では純粋に『泣きビッチ』をトータルアルバムとみなした場合、真の意味での核となる曲とは何かと考えた時にズバリ『Bridge』に他ならないという事に気づく。

では、それ確かめるべく本曲のMVを見てみようか。


【MV】Who the Bitch『Bridge』 Official Music Video

A.この橋を渡って 下り落ちたら

 草木茂る 道なき道でも

 本当の自分の橋を作れば

 また歩き出せるだろう

 きっとそうだろう                  

   

 B.歪んだ高架橋 免れた一羽の鳥が

  いつしか気がつけば 二羽並んで飛んでいる      (A-B『Bridge』)

とこのように『Bridge』の歌詞をサビであるAとCメロにあたるBといきなり二箇所引用しているのだが、ここでの主張がが清々しいまでに明るみになってくる。

この曲のこのフレーズの物凄い圧倒的な「"泣きビッチ"要約力」のなせる技である。

Aの【この橋】とは先ほど触れた「忘却の橋」を渡っていたOBLIVION『青い舟』での登場人物たちの心象風景とリンクするし、更に【道無き道】の道が閉ざされた状態とは「聞こえない声」であり、「飛べない翼」であるとも解釈されれば『声』であり、『カナリア』の情景ともシンクロする事であろう。

そしてそうした要約に留まらず、このアルバム全体のストーリーを感動的にも展開していく役割を担うのがBである。そう、あの飛ぶこともままならず、でもひたすら自由に青空を駆け巡ることを夢見てきたあのいつかのカナリア いつしか気がつけば 二羽並んで飛んでいるという事実に我々は気づかされるのだ

 ここでようやく青空に解き放たれた「二羽の鳥」には実はダブルミーニング備えられている事にも注意したい。ここに描かれているのは決してあの日のカナリアの姿だけではあるまい。もっと言えば【君が笑う空へ飛びたい】と願いながら高らかに歌う二人のバンドマン達の姿も含まれている様に思えてならない。

そうだ、ようやくここまで来てGrand Conclusionにたどり着いた。

ここまでの『泣きビッチ』における曲順とそれに関連する世界観を構図化すると以下の様になる。

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冒頭でも触れた通り❶において『赤いレモンティーが1曲目に位置している意味は『攻めビッチ』との地続き感と活動休止前のライブラスト曲ということとも関連するのであろう。

そうして【I don't say goodbye】を証明するかの様に割と初期の楽曲(2-5)を鏤めた❷の流れがあるのだと思う。

そしてその後アルジャーノンに花束を的展開となぞらえて分析した❸の流れはアルバム『MUSIC』の要約であると言えよう。

更に❹のパートでは9(カナリア)や11(『声』)などのう言われた光景からの立ち上がろうとする思いの様なものが感じられる。そしてそこからの再生であり、新たな始まりである❺の流れへと連動していくのだ。そしてなぜ『MUSIC』の要約パートである❷に位置するはずの15が最終曲に位置しているのかというと、まぎれもなくこれは「リスナー」の存在を意識した曲だからであろう。

つくづく思うんだけれど、我々は良い音楽に出会うと、もう単にそれだけ音楽だけににとどまらず、いろんなものに出会う事になる。

良い音楽から、良い楽曲を奏でるミュージシャン、その音楽を最良の形で提供してくれるライブとライブハウス、そしてそれらを支えるスタッフ、そしてそれらを支持するファンダムコミュニティという風にもう繰り返しになるんだけどこれらはもう一括りでバンドなんだと思う。そう、我々は何度も何度も『Hello, Again』を繰り返すのだ。それは輪廻転生の如く忘却してしまうのではなく日々の積み重ねとして何度も何度も繰り返すのだ。

そう、この『泣きビッチ』というアルバムは映画である。彼女らのこれまでの活動プロセスをドラマティックなシナリオでまとめあげられたドキュメンタリーであるのと同時に、今までの、そしてこれからのリスナーとの新たな音楽的発見を模索していく青い舟に乗って青空へと誘う壮大な未来へのファンタジーでもあるのだから

そして僕らは生きているからにはいろんなものに卒業して生きていくが、この、音楽を愛する旅だけは決して卒業できないだろう。

 では、最後にまたまた12522字を越えてしまった本ブログの締めくくりにふさわしく、エンドロールもある事だし、今回の主役であるWho the Bitchの『Hello, again』のMVにて本記事を締め括りたい。

 

Who the Bitch [Hello again] live at 2013.12.30 GARDEN

 

 

 

*1:本文では触れないがこの曲って凄い懐かしい感じがする。BridgeとかVenus peterとかあの辺の渋谷系と呼ばれたバンドサウンドを展開した様な感じがする。

*2:oasisに関しては異論があるだろうが集大成的なニュアンスはこのアルバムに色濃く感じたりする。勿論傑作として評価高いのは前の二枚何だろうけど、集大成的重さはあまり感じない。

*3:だからビートルズなども当てはまらないですよね、全て前衛的ベクトルを有していたから。

*4:この『MUSIC』=アルジャーノン説強引に聞こえるかもしれないがラスト曲『gift』というのと小説ラストにも花束が添えられるっていうのも非常にポイントが高いんだな。

*5:その意味で同じくバンド名にWhoを冠する60年代〜70年代を代表するイギリスのロックバンド、The Whoの『Tommy』を思い出す。あのアルバムも視覚・聴覚・感覚を失い立ち尽くすしかなかった少年が「君の声を聴きたい。」と心の壁をぶち破るまでを描いたロックオペラと呼称されたコンセプトアルバムだった。

44年前の映画なのに
❶トラウマと精神病
❷虐待とドラッグ
❸宗教と洗脳
という今尚人間社会で蔓延る問題を題材にしつつ、時にアバンギャルドな切り口でアートの領域にまで高めた映像表現の数々は斬新で鳥肌ものだった。

*6:このニュースはかなり当時話題になったのでその概要だけでもここに引用しておく

ja.wikipedia.org

なぜ、Who the Bitchは『ビッチフェス2020』の開催にここまで命を賭けたのか?

 1. What is "ビッチフェス2020"?

その時、他の出演者のみならず、スタッフも、配信を見ているオーディエンスの誰もがこれまでのフェスさながらの開放的なムードから、ハッと我に返ったように息を飲むように彼女の表情を見つめていた事だろう。そう、この配信フェスの主催バンドであるWho the Bitchのギター&ヴォーカルのehi氏が、これまで彼女の中で張り詰めていたであろう緊張の糸がプツリと切れたように、もうボロボロに泣きながらこう叫んだのだ。

 

「もう新宿ロフトめっっっっちゃ好きです!!!新宿ロフトめっっっっちゃ好きです!!!

このコロナ一緒に乗り越えていくために....私たち、ちっちゃいことしかできないけれど....」

 

こう言い終わるか終わらないかのタイミングで、この感傷的な気持ちをかき消すように彼女らのライブではハイライト曲である『Colors』のギターイントロを心なしかいつも以上にあらん限り、力強く奏で始めた。そしてそのセンチメンタルな感情の波を包み込むように本曲の出だしのフレーズが重ねられていく。

 

【色や形が無くても....、 色や形が無くても.....】

 

【色や形が無いこと】.......おそらくこの曲がリリースされた当時とはまた違った意味合いでこのフレーズのニュアンスが捉えられた事だろう。というのも、この「コロナ禍の年」として後年まで語り継がれるであろうこの令和2年の今だからこそ、そのフレーズの重要性が殊更に我々の心の奥底に突き刺さったように感じられるからだ。「色や形の無いもの」ーこれこそが、この日ほぼ一日中かき鳴らされた音楽そのもののようだ、と純粋に解釈した人も多かったに違いない。

 兎にも角にも、この8月1日、午後2時から始まって8時間ぶっ通し全12アクトの、音声や画面上のトラブルなしはほぼ無しでこの配信フェスがまさに大円団を迎えようとしているのだ。

恐らくはこの配信ライブの視聴者たちは、Who the Bitchが後半戦のライブで普通にトリを飾っている、というより、もうそれ以上の「意味の重さ」を見出していたのかもしれない。もはや、1バンド単位ではなくこれまで出てきた全11バンドのパフォーマンスの一つ一つ、MCの一言一言をも全てを背負った嘘偽りなき集大成的アクトとして解釈していたことであろう。 

 ちなみにこの日の配信ライブのタイムテーブルは以下のようなものである。

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 そう、一見して分かる様にフェス以上にめちゃくちゃハードに切り詰められたスケジュール。まさに自分も含めてたけど自宅にいるはずなのに誰しもがちょっとトイレに行く事すらも憚られるようなタイトなスケジュールだったのではないだろうか(笑)。*1

このタイテを見て貰えばわかるが、主催バンドであるwho the Bitchは14:00からもうすでに前半戦のスタートアクトとして先陣を切っているのだ。この時とさっきの後半クライマックスのライブと違う点が、彼女らの衣装である。本人たち自ら「キャバクラファッション」と称するパンク系バンド女子の典型的なラメ入りの服・ミニスカート・網タイツ・ブーツと活動初期辺りに着こなしていたであろう衣装で、かなりアッパーな曲が中心の気迫のこもった演奏だったと思う。「新たな事やるってマジサイコー!!!!、こんな気持ちでステージ立ってます。」と言い放った後の『ゼロ』が放たれた開放感は夏の暑いフェス会場で時折奇跡のように吹いてくる涼しい風を浴びた時のようだった。*2

 そこでタイムラインを先ほどの後半に戻そうか。後半戦のWho the Bitchはそれ以上の盛り上がりで、一曲目が彼女らの長年の活動期間でもずっとハイライトの曲である『Superstar』から始まったんだけど、後半戦は単なる7時間前のファーストアクトの続きではない物凄い気迫が込められていたと思う。まさに(これも繰り返しになるが)この日のビッチフェス2020における 全11バンド全ライブを背負ったアクトだったと言えよう。

端的に言うと全11バンドが、全視聴者が、全スタッフがもう『ビッチフェス2020』と言う一つのバンドだったのかもしれない。

この長丁場の配信ライブは、個人的な体感時間としては大袈裟ではなくアインシュタインもビックリのE=MC2を立証した様な光速と重力と地球の回転率を掛け合わせてもお釣りがくるくらいの速度で過ぎて行った訳だが、配信ライブとかそういうものを超えたもっと別次元の「伝説のライブ・フェス」だったのではないだろうか。

 そんなことを思いながら本配信フェスがこのままSNSで膨大に流れていくであろう情報の洪水に埋れていくのは非常に勿体無いのではないかという感慨が浮かんできたのだ。

その証拠として全アクト終演翌日のehi氏の以下のツイートがもうそれを証明しているではないか。 

 

このツイートを見ていただけるとおわかりのように、これはもうこれは配信ライブを終えた、とかいう余韻の範疇を軽く超えている。これは言うなれば限りなく「本物のフェスライブに限りなく近い配信フェス・イベント」だったことがわかる。  そこで、ここに私の記憶の思い浮かぶ限りのこのライブフェスについて記録し、何故、このWho the Bitchは『ビッチフェス2020』の開催にここまで命を賭けたのかについて検証していきたい。

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*3 

Table of Contents

 1. What is "Bitchフェス2020"?

 2. Who are the "Who the Bitch"??

(A) Band history

(B)#私の知ってるライブハウス

 3. What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

 Case(1);ライブハウスとは?

 Case(2);バンドとは?

 Case(3);音楽とは?

4.This is "Bitchフェス2020"

 Focus1: Vanityyy

 Focus2: チリヌルヲワカ

 Focus3: Who the Bitch]

  

2. Who are the "Who the Bitch"??

(A) Band History

そもそもこのビッチフェス2020、Who the Bitchと言うバンドはどう言うコンセプトのもと音を鳴らしているバンドなのだろうか。本章ではそれを具体的な曲を用いて検証したい。

ja.wikipedia.org

まず、この一見危険極まりないこのバンド名の由来。Wikipedia情報ではあるんだけど、このバンド名の由来はあのオルタナティブの女王PJ Harveyの『Who The Fuck ?』という楽曲タイトルと、メンバーのehiがBitchというワード入れたいとの希望があり、2つを語呂を合わせWho the Bitchと名付けられたと言うエピソードからも分かる通りその精神的支柱としてオルタナティブな感じを受け取ることができるがいかがだろうか。*4

で、現行のメンバーはehi(Vo,Gt)Nao★(Vo,Ba)というバンド創設期メンバーともう一人のサポートドラムみずえ(元つしまみれ)という基本的に3名体制でライブを行っている。ホームページにも記載されている通り、Who the Bitchの音楽性は大きく分けて2通りに大別されると言えよう。まずは2005年の結成当初から2015年の活動休止前は音楽の楽しさのみを追求したバンドスタイルとして、パンクスピリットを煌びやかなサウンドにのせた(A)デスコ・パンク路線(*デスコは誤字じゃ無いよ)と、「生きるということ」と言う命題に焦点をあてたエモーショナルな歌詞世界の楽曲作品が多くみられるように、ロック・ダイナミズム溢れるアレンジに力強いメッセージをのせた(B)ロック・メッセージ路線に大別されよう。

まずは(A)のデスコ・パンク路線の代表曲であり今でもライブのハイライト曲でもある『Superstar』と『カリスマヒーロー』を聴いてみよう。
【MV】Who the Bitch『Superstar』 Official Music Video


【MV】Who the Bitch『カリスマヒーロー』 Official Music Video

こうして聴いてみると『カリスマヒーロー』『superstar』、そして第一弾のベストアルバム『攻めビッチ』に収録されている『PIG』辺り、プロフィールにあるようなゴリゴリのイギリスのガレージパンクがルーツというよりもむしろ英国のポップス・ロック寄りな印象を受ける。

それは個人的にはあのPrimal Screamがエレクトロ飽きた時期に、時折ロックンロール・モードに回帰する時のモードで、アルバム単位で言えば『Give out but don't give up』の辺りのあの空気感を色濃く感じたりするのだが、いかがだろうか。

 参考までにPrimal Screamの未だにライブでも演奏されるキラーチューンである『Rocks』を聴いてみようか。


Primal Scream - Rocks

Primal Screamとの共通点はどことなくギターリフやリズムがしっかりとしてるんだけどメロディも頭に残る感じとかとても近いし、ガレージロックを根本のルーツとしつつもどこかしら新しく進化した音像だとか共通する面は数多く挙げられる。とにかくWho the Bitchと言うバンド名のルーツにも言えるんだけど、どこか彼女らの音楽ルーツの背景にはオルタナティブ・インディーロックがバックグランドにもあるのだろうかと予測したりする。そういえば、ehi氏のソロ作品『Here in my song』を聴いた時に真っ先に思ったのがオルタナ感だった。

とはいえ、こちらはプライマルの様なイギリスではなくアメリカ出身ではあるがどことなくSmashing Pumpkinsにも相通ずるポップスとオルタナとの境目をいくようなあの気怠く絶妙なポップ性を感じたものだ。いずれにせよ、この辺りの感覚はかなり直感的なものなんだけど、彼女らの根底には1990sの音楽がルーツにあるのは間違いない。

 では次に、2015年の活動休止を経て、以後のここ2、3年ぐらいの(B)に分類されるメッセージ路線の曲を紹介してみようか。ここで提示する楽曲はライブハイライト曲となっている『Bridge』と『Colors』である。


【MV】Who the Bitch『Bridge』 Official Music Video

Who the Bitch LIVE colors 池袋adm ライブ 

  第一印象として、先ほど紹介した『Superstar』『カリスマヒーロー』に比べ、よりクリアでシンプルになったアレンジのもと、彼女らの伝えたい「言葉」がはっきり聞こえてくるのを感じる。MVの感じとかもよりそのサウンドに呼応してよりオーガニックなイメージへと変化して行った印象。本曲然り、もう一つのアンセム・ソングである『Colors』などは聴いていて、言葉がストレートにハッキリ一言一句伝わってくる楽曲だと思う。

そう、「言葉がはっきり伝わる」ということに関してなぜそこにこだわるのかというと私はこれまで「ガールズバンド」というカテゴリーの音楽を聴いてきて、その辺りかなりの割合ではぐらかせられ続けたからである。これまでパンクロック志向の女性だけで構成されてきたバンドは、経験上正直言って、バンドサウンドならまだしも歌詞の世界観が女子限定感満載だったり、逆に女を捨てたかのインパクト勝負のシャウト系だったり、常に肩透かしを喰らわされてきたものだ。別の言い方をすればガールズバンド達からは真っ向勝負でガチのメッセージをそのバンド達からは受け取る、ことができなかったというのが正直な感想である。

これまで私が聴いてきた限りでは、パンク精神とサウンドとを宿したガールズパンクバンドの「少年ナイフ」と「ロリータ18号」などがあげられるかもしれない。

 まずは少年ナイフロリータ18号というバンドはいずれも海外ツアーなどに出ており人気が高く、確かにグローバルニッチのきっかけを産んだパンクバンドとして素晴らしいとは思うんだけどどちらも歌詞の中にメッセージ性を詰め込むタイプのバンドではないと思うし、仮にメッセージ的な要素があったとしてもそこから【Anthem(アンセム、国家的要素)】にまで発展することはないだろうし、総合的に見れば日本人の純粋なポップスとして聴くにはかなり音楽リスニング経験値を要する部類に入るのではなかろうかという気がする。そう考えると私にとってパンク系譜のガールズバンド文脈でこれほどのメッセージ性を色濃く表現するバンドはWho the Bitchが唯一の存在ではないかと断言したい。*5

(B)#私の知ってるライブハウス

そもそも私がWho the Bitchというバンドを知ったのはいつだろう。

そう考えた時に、このコロナ禍で世間がライブハウスをスケープゴートの標的にし、散々バッシングし始めてライブというライブが次々に迫害されようとしている時に起こった、とあるSNSでのムーブメントが大きなキッカケである。

#私が知ってるライブハウス

#私の好きなライブハウス

というTwitter上でのタグ運動が起こったのは未だに記憶に新しいが、その中で最も我々の目を引いた(というかバズっていたのが)Who the Bitchメンバーehi氏の以下のツイートである。

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ここで書かれているエピソードに誰もが3重の意味で驚いたことだろう。

例を挙げると、

❶そこに書かれているmiya氏の命をかけてバンドマンとしての人生を貫いたあまりにも強靭な精神と生き様に、

❷そしてそのバンドマンとしてのアイデンティティに賛同して当然のようにサポートし続けてきたライブハウス渋谷CYCLONEの温かさと優しさに、

❸そしてご自身の辛くヘヴィなエピソードを公開してでもライブハウスの良さを、そしてバンドマンの強さを、拡散力がありつつも危険性をも伴うTwitterにて公表したehiのバンドマンとしてライブハウスを愛する者としての勇気に

と言うそれぞれ❶〜❸の事象に誰もが意外だ、と思うぐらいに非常に驚いたに違いない。

このように、日々の様々な人間の感情がダダ漏れ状態になり時に誹謗中傷や暴言や恨み辛みなど厄介なことを生み出しがちなtwitterと言うSNSツールだけれど、このehi氏のツイートは多くの人の目に留まり、尚且つ多くの人の心を打ったのは2000RTと言う数字からも明らかであるし、誰もが過剰に反応したりや誹謗中傷を浴びせたりする事なくストレートに彼女のメッセージを受け取ったようにも思われよう。「命がけで歌う。」「このステージが俺の戦場だ。」「ライブハウスには愛がある。」ライブハウスに来た者なら誰もが一度は耳にする演者の決まり文句のようなフレーズだが、これらは別に大袈裟に言われているものではなくて(中には大袈裟に言っている人もいるだろうが)少なくともこのツイート内からは本気でそれを思っている人達が存在するということを強く確証した次第。

という事でこのツイート運動にひどく心を打たれた私はその翌日に近所のタワーレコードで駆け込んで行って最近リリースされた『UNLIMITED』と『Letters』を即購入したまでである。

*6

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この二枚は、#私が知ってるライブハウス を通じて知り合ったTwitterのフォロワー様である涼さんからご教授いただいたおすすめの名盤だったのだが間違いなく両方とも素晴らしいアルバムだった。

『Letter』全体の感想は、その同タイトル曲の歌詞にもあるように【有限の海】と擬えられようこの世界で、普遍的かつストレートなうたが突き刺さるものだった。そう、「歌」ではなく平仮名表記の「うた」と言った方が適切かもしれない。ほんとにこのバンドの規模が更にもっとデカくなれば今から25年前、イギリスのマンチェスターの片田舎出身のやさぐれ兄弟が、幼い時からロックのダイナミズムだけを信じ続け、いつしかDon’t look back in Anger』というアンセムをスタジアム中に響き渡らせたように、横アリか大阪城ホールか東京ドーム辺りで『UNLIMITED』内の『Colors』というアンセムに拳をあげる日がきっと来るだろうと本気で思っている。別にWho the Bitchの二人はやさぐれてもないし、姉妹でもないんだけれど(笑)。

それだけ彼女らの奏でる音像であるとか歌や技術のみならず、あらゆるものを超えたバンドの醸し出す【ニュアンス】がいちいちカッコ良すぎると思ったものだ。

 更にちょうどこの直後の4月末にベストアルバム『攻めビッチ』もリリースされているのでこちらも紹介しておこう。

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 攻めビッチ』というタイトルや【これはもうライブじゃん‼︎】という帯文句が表しているようにこちらは紛れもなく我々がコロナ禍ですっかり疎遠になってしまったあのライブのセトリ構成を意識したような音像がここにあるのだろうし、なおかつバンドヒストリーとしてもじっくり聴ける曲構成になっている。特にライブ感を感じたのが先ほど紹介した『Superstar』で、本曲のイントロが始まればフロアの嬌声が聞こえてくるし、間奏ではメンバー紹介の声が聞こえてくるし、終盤の盛り上がりなどインプロビゼーションさながらのように聞こえる。

その意味で先日リリースされた『攻めビッチ』と呼ばれるベストアルバムを聴いてみたらいいだろう。

*7

 3. What is the "LIVE HOUSE", "BAND" and "Music"??

この章では敢えて「ライブハウス・バンド・音楽」という3点のプリミティブな議題に立ち向かって今回のビッチフェスの意義についてさらにもっと深く考察していきたい。

Case(1);ライブハウスとは?

まずはライブハウスについてで、『ビッチフェス2020』で のehi氏の「新宿ロフトめちゃ好きです!」という魂の叫びにも似たMCが印象的だったが、バンドマンにとってのLOFTって非常に大きい意味があるんだろうなと思ってた所偶然、このビッチフェス2020の翌日だっただろうか書店にて今年出版された面白そうな書籍に出会した。
 そう、ちょうどビッチフェス2020が開催された新宿LOFT中心に世界規模で「loft系イベント/ライブハウス」として展開しているライブハウス「ロフト」創立者である、平野悠氏の主に創設から今に至るまでの布石を描いたいわば「まんが道」に準えると「ライブハウス道」ともいえる青春期を主に描いた著書『定本ライブハウス「ロフト」青春期』である。

定本ライブハウス「ロフト」青春記

定本ライブハウス「ロフト」青春記

  • 作者:平野悠
  • 発売日: 2020/06/01
  • メディア: 単行本
 

この本の中でとても興味深いことが書かれているので一部引用すると、

【結局のところ、私がロフトという空間でやってきたことは、ただ一つなのだ。それはつまり、内なる感情が爆発して、とても五線譜には乗りきらない音を紡ぎ出す表現者を支持して、その歌声をライブハウスという空間でお客さんと共有し、一緒になって感動すること。ミュージシャンやお客さんとの有機的なコミュニケーションこそ日本のロックの、そしてロフトの原点がある】(p.p.304-305)

というまさにライブハウスの原点のようなことが記されているが、この一節を見てふと思い出すことがある。Who the Bitchの単独ライブ「攻めビッチ将軍」が終わった後の打ち上げ配信での一コマである。その中でehi氏は以下のように述べている。

「それぞれの生活の中から、このライブハウス を選んでくれてっていうこう言う繋がりや、肩を触れたことすら無いお客さん同士が繋がっていくと言う事を大事だと思ってて。」

ここで言うまさに平野悠氏の述べる所の【ミュージシャンやお客さんとの有機的な繋がり】とehi氏の言う【お客さん同士の繋がり】の意味とが全く同じニュアンスで発せられていると言うことに気づく。更にこれに関係して言うのだが、『ビッチフェス2020』しかり、「攻めビッチ将軍」然り、他の配信ライブでも実感してる点なんだけどWho the bitch が登場した瞬間、PCが一気にステージへと変貌していくのを感じるし、演奏は激しくなっても、ラウドなサウンド展開に埋まらずに歌詞の言葉もMCで言いたいこともシッカリ伝わってくるのだ。これは別に、2人のボーカルのバランス関係や曲間のタイミングの絶妙さという技術的な面ばかりではなく、顔面シールドやスクリーンを超えてライブ空間をオーディエンスと共に作り出そうという気概が充分に伝わっているからだと思う。十分に配信ライブでも「繋がり」は生まれるし、配信ライブにおいても Who the Bitchのアクトからはビシビシ伝わってくるものがあるのだ。だからこそ今回『ビッチフェス2020』を妥協案としてではなく真っ向勝負モードで開催できたのではないだろうか?*8

 

Case(2);バンドとは?

さて、先ほど「(有機的な)繋がり」という言葉が出てきたが、次にbandとは何か、について考察してみよう。そもそも単語としての【Band(バンド)】とはどういう意味だろうか調べてみると興味深い事実が出てきたのだ。以下のブログ記事を参考にされたい。

blog.livedoor.jp

抜粋すると以下のような記述がある。

「bond」には「結びつき」という意味がある。

そこに「band」、つまり、それらをくくりつける帯(ベルト)の意味をニュアンス的に「bond」に上乗せしたのが、「バンド」である。

つまり、バンドっていうのは、あらかじめ確立された集合体ではない。ひとつひとつの別々なものを、一人一人の別々な個人を、ただ、帯で結んでるだけの集合体なのだ
あらかじめ同じ箱に入れられるために、同じ製法で作られた商品のワンケースじゃなくて、勝手にいろいろな場所で知らず知らずに出来上がったものを、ひもでくくって一つにまとめただけなんだ。

そう考えると、bandと一口に言っても必ずしも我々が常日頃からギター・ベース・ドラムなどのいわゆる楽器や音楽的センスに秀でた集団だけを指すのではないことが分かる。例えば、あるバンドがライブをするということになれば、そこに集いし【音楽に魅せられ、熱狂する者】たち全てが広い意味で「band」という風に解釈できるのではないだろうか。これは半ば強引な結論のような気もするが、そう確証できるのがまさに今回11バンド、熱狂的なオーディエンス、そして音楽の神が絆で結ばれる一日限りの【バンド】が結成されたと断言して良い。これは「ビッチフェス2020」を体感したからこそそう強く思えるのだ

そして更にこのビッチフェスにて一人一人を結ぶ帯として機能するbandlerとは何かというと答えははっきりとしていて、勿論ehi氏が配信やMCでも時折口にしている「絆」に他ならない。

*9

 

Case(3);音楽とは?

さて、ここで音楽というテーマにぶち当たってきたがここでは1960s辺りのビートルズの出現から50年以上に渡る音楽史を述べてライブやライブハウスのあるべき姿について語り尽くそうとかやってたら多分ブログの収集がつかんと思うので(当たり前じゃw)この節では音楽リスナーとして音楽やバンドをいかに盛り上げなければならないかについてやや暴論めいたものをかましたいと思っている。

私個人の音楽遍歴を申し上げると、90年代以降、洋邦問わず、POPsを中心に皮切りにいろんな音楽を聴いてきたように思う。幼少期に聞いた童謡などを除いて初めて聴いた好きな曲は、おそらく中学校時代に英語の授業で聴いた『We are the worldで、始めた購入したCDがWham!の『Last Chistmas』などの収録されたクリスマスコンピレーションアルバムだったと記憶している。*10そして最初にドハマって購入した(俗にいうヒット曲として人につられて、ではなく)【自分のアイデンティティとしての音楽】はコーネリアス『69⚡︎96』というコンセプトアルバムである。それから世間にあふれる小室哲哉ブームが起ころうともあの辺のエイベックス系の音楽は忌み嫌っていた。自分の中ではそう流行り物などせせら笑いながらロッキンオンジャパンの提唱するサブカルロックにのめり込み、ミッシェル・ガン・エレファントサニーデイ ・サービス、フィッシュマンズAIRスクーデリア・エレクトロなどを聴きあさってライブにも行くようになり完全にメジャー方面には目もくれず、むしろ彼らが影響を受けてきた60年代〜70年代の王道ロックから90年代以降のニルヴァーナradioheadmy bloody ValentineSonic Youthなどなどイギリス、アメリカ問わずオルタナティブ・ロックもかじつつ「サブカル視点と音楽センスとを持ち合わせている音楽マニア」のまま邁進していたと自覚している。(←字面にするとホントイヤなやつ&恥ずかしい事かぎりなしw)

.....とここまで書いてきて私って今まで結構な数と種類の音楽を聴いてきているではないかということに気づかされる。しかもこれだけに留まらず、2000年代になろうとも2010年代になろうとも2020年代になろうとも未だに良質な素晴らしい音楽を発掘し続けているのだ。しかも、最近は70sのマイルス・デイヴィスのエレクトリック期にこそ最も過激なロック魂を見出したり、ここ最近かなり台頭してきたBiSHなどのアイドル勢にこそ普通のロックバンド以上にオルタナティブ性を見出したすなど独自の音楽的視点で考えたりもしている、いや、当然のように誰も反応していないんだけど(爆笑)。

でもこれは私だけの自己満足から派生した自慢だけではなく、同じような、いや私などよりももっと無限大に聴いてるミュージックフリークスって数限りなく多いと思うのだ。

にも関わらず音楽のフイールドっていつの間にかロッ◯ンオンなどのような音楽誌などが一押しの彼らが思う大名盤総合ディスクレビューなどで絶賛したり、或いは彼らの批評眼でもってマズいものはマズい、と断罪したりで賛否両論巻き起こし、ある種のムーブメントを起こしていたものだが、あの頃(1990s後半~2000s初頭)とは違って単なる広告屋に成り下がってしまった印象を受ける。そういう批評家達による真剣勝負の音源等をジャッジする機構が欠如してる今のこの状況では、音楽のレベルを著しく格下げしてしまうし、現状音楽シーンを彩っている音楽にはそういう側面も否めないのではないだろうか。

 さて、ここで暴論かまします。ガンガンインプット量の多く、決してそこに溺れることのない飽くなきまで探究心を備える音楽マニア達は「もっと大きな声で、色んなところで彼らの思う良質な音楽を本音語り尽くし、シーン全体に影響力を及ぼす実力がある」と思うのだ。

 だって考えても見てほしい。他にも趣味としてカウントされるスポーツでも、料理でも、釣りなどでも、或いは読書でも、カメラでも、絵でも良い。どの世界でもそれを生業としているプロフェッショナルとは別に「マニア」がいるでは無いか。そうしてそう行ったマニア的存在を目の前にそれらのマターに手を染め始めた所謂「ビギナー」達はその存在価値すら打ち砕かれてしまうではないか。でもそうした壁に立ち尽くし、辞めるか、粘っていくか、その人の趣味人生の有無が決定するではないか。

 それに引き換え音楽フィールドに話を移してみよう。

「音楽なんて初心者もマニアもないんだよ。」

「音楽にごたくは要らない。"好き"なものは皆平等だ。」

「音楽なんて、楽しけりゃ良いじゃんね。」

 などと、例えば途端にある曲のギターフレーズに60年代のある音楽の引用を見出すようなことを言ったらそういうトーンのようなことを返されてしまうのが関の山である。

 言い換えれば、こちらが音楽の聴き方の話をしようとしてるのに「音を楽しむ=音楽、って良いよね」というプリミティブな音楽自体の話へと引き摺り下ろされてしまうのだ。何よりもろくに音楽媒体に一円たりとも投資することがなく動画サイトのストリーミングのみしか音楽を聴いた事のない人間と、ここ何十年とiTunesデータをテラ単位+ヴァイナル何百枚と所有している人間が同じ「音楽ファン」というフィールドで並べられるのはどう考えても異常だと思う。

これは誤解してはいけないのは、これは別にマニア側が初心者にけしかけてマウントを取れと言っている話ではない。ただただ、初心者は初心者、として温かく見守り(というかほぼ無視しても良いんだけど、助けを求めて来れば手を差し伸べれば良いしね)こちらは音楽ヘヴィーリスナーとして堂々と構えていればいいだけの話。こちとら目利きの音楽マニアだ。ジャケット見るだけで、チラッと演奏シーンの動画を見るだけでそのバンドの良し悪しがすぐ分かるではないか。言っちゃあ悪いが、タイムラインで「これだよ、このバンドだよ!みんな聴いて。」って紹介してたあのビジュアル系崩れのバンド、ものの1秒で地雷だと分かったし、一生聴く事はないだろう。あと最近武道館まで行った某若手バンドのギタリストよ、君らは今でこそ、そこそこ売れているが「レッドツェッペリンばりのギターリフを彷彿とさせる、ってよく言われるんだけど全く聴いた事ないんです。」ってそれを堂々と言ってるのを聞いたことがあるがそれって無知ってことなんじゃないの? その道のプロフェッショナルの癖になぜ大先輩のレジェンドの音を聞いたことないってもう致命的ではないか。これは賭けても良いぐらいだが、多分君らはこの先5年も持たないと思う。君らよりもずっと深くインプット量の凄まじい音楽リスナー達は、すぐそう言った度量の浅さってか薄っぺらさなんてものはすぐ見抜いてしまうよ。だから音楽リスナーよ、もっと自信を持とうではないか。

もっと熱く語って、シーンに猛威をふるうべき価値はあると思う。

最高のミュージックとそれを奏でる音楽家には最高の評価をする】権利があるのだ。

だから長々と言ってきたが、この節のGrand Conclusionとしては『ビッチフェス2020』に出演している全11バンドの全てが私が辿ってきた全音楽人生の中で経験してきたライブの中で最高・最強のフェスだと結論付けられる権利があり、これから我々はここに集いし全11バンドを、今後も熱く語っていく事によって更に伝説にする義務があるのだ、ということである。

 

4.This is "Bitchフェス2020"

配信と有観客ライブっていつも天秤にかけられ比較される昨今なんだけど今回のビッチフェス2020 はそのボーダーに風穴を開けた感があると断言しておきたい。何せ全11バンド全セトリをここで載せると膨大な文字数になってしまうので今回この記事にTwitterフォロワーであり、Who the Bitch宣伝隊長・涼様のツイートを参照にさせて頂き、特に私的に印象に残った3バンドを紹介して本ブログ記事を締めようかと思う。

 

Focus1: Vanityyy

フェスや対バン形式のライブでは初めて出会すバンドとの出会い、というものが重要な要素を占めるが、今回Vanityyy というバンドとの初対面は衝撃的ですらあった。

「ババアと呼ばれた方がマシなんだよ!!!!」

1曲目、『おばさんて呼ばれるくらいなら』が解き放たれ瞬間からもう画面釘付け。これまでもこのフェスでは本当に素晴らしい演奏をするバンドが多かったのだが、個人的に彼女らはこの『ビッチフェス2020』のライブではぶっちぎりの1、2を争うアクトだった。だってチリヌルヲワカやWho the Bitchらなら音源もライブスタイルも知っているからいいライブするのは自明なんだけどほぼほぼ初めて見たバンドでここまで惹きつけるってのは圧勝だろう。この後すぐ物販ホームページ見て CD買ったし。「甲子園には魔物がいる。」とはよく言われるが「ライブの魔物」があるとしたらまさしくこの人たちに憑いてきたのだと思う。この日は全8曲演奏されたが、セトリ曲を一曲ずつ演奏して終わり、はい次の曲、っていうのではなくて一曲ずつ演奏する度に燃料投下してバンドテンションとボルテージがどんどん加速していくノンストップ・ロックンロール。彼女らも緑色の衣装であるとか4曲目の『BBAバトルロワイヤル』と言ったタイトルセンスであるとかどこか「面白さ」を追求した感触があるがそこに止まっていない狂気や熱狂度が感じられる。

1.おばさんて呼ばれるくらいなら
2.ラブNOWAY
3.びしょぬれスカート
4.BBAバトルロワイヤル
5.リトルかわいい
6.脳内tears
7.ライクアベイビー
8.夜中のミニー

 そんなVanityyyのライブを見てて思った事は、今現在もTL上では色んな人が「これ聴いてくれ!」「このバンド最高!」と次々にレコメンドされたロックバンドに溢れているが、パッと目に止まってパッと気にいるものってほぼないに等しいのだ。「お?」時に止まったバンドで聞いてみようと思ったのは僅か2~3%ぐらいだろうか。でなぜ同じようなロックサウンドなのにTLに溢れる97~98%のバンドは「心に刺さらない」のか?

それはきっと我々が日々抱えるAngst(苦悩)と共鳴するような音像の端々に怒りの衝動をブチ込めるバンドが少なすぎるからである。これだけソリッドで、演奏もしっかりしつつ、シニカルさも隠し持ちつつ、ロック衝動の怒りのドグマに満ちている凄いパンクバンドが3年も前に存在していたとは...。はっきり言うと、これは今まで無知であった私の音楽リスナー人生の恥であり、もっと大騒ぎすべきだった日本の音楽ジャーナリズムの怠惰でもあると思う。

このバンドは今後も深く掘り下げていきたい。

 

Focus2: チリヌルヲワカ

今回参加している全11バンドで最も古くから聞いているバンドであり、このようなフェスという舞台にあってもどこか孤高の存在感を放つ職人バンド、チリヌルヲワカである。

本当に音楽ファンと自覚のある者は彼らのライブに一度は足を運ぶべきだと思う。これほどロックを奏でる事のかっこよさと、ポップスを聴く事の楽しさと、プロフェッショナルとは何たるかを同時に享受できる人達はいないのかもしれない。音源を聴く限りでは狂乱と疾走感と和風要素とが絶妙の塩梅で配合されている『粋なロック』というイメージがあったが、ライブを体験するとそれが良い意味で覆されるのだ。

チリヌルヲワカとはどう言うバンドか、これを本質ズバリ言い表した言葉がヲワカライブでの大先輩である玉石さんの以下のツイートである。

これは最近彼らがリリースした楽曲に対するコメントであるが、去年から今年にかけて自分がチリヌルヲワカというバンドをこれまで何度もライブで目撃してなんとが言葉を紡ごうとしてきたが、なかなかできなかったバンドのド本質をもう余すことなく言ってくれている気がする。もう、これは楽曲論ではなくここ40年程のプログレグランジ、ガレージ、ロックなど全ジャンルのエッセンスをぶち込こむ職人技は健在だがそれが単なる「圧倒」に留まらない事をまさにタイトルと掛け合わせるわけではないが「証明」してくれている。そうした要素をヲワカ流に昇華した形で、観客を取り込む絶妙な「間」を与えてくれる余裕へと連動してくるし、もっと重要な事にどこか狂気的なニュアンスも付加されるのだ。

そして今回は特に配信でじっくり聴けるからこそ彼らの真骨頂であるミニマム編成による音構成の緻密さが際立って分かった次第である。

 今回もかつてハルカトミユキのバンドサポート時代に何度も目撃したことのある中畑大樹氏もメンバーとして演奏していたが、あの豪快さとどこか繊細さを持ち合わせたドラムもどハマまっている。最初に彼が加わったときに、もはやオリジナルメンバーとしてもカウントしてもいいのではというツイートもいくつか見られるほどどハマっている。

そう考えればチリヌルヲワカと言うバンドは、ハルカトミユキ、そしてWho the Bitchとも繋がりがあって個人的には色んなバンド同士の絆を感じさせるバンドだと思ったりする。

nenometal.hatenablog.com

1.カスガイ
2.松の木藤の花
3.空想都市
4.極楽浄土
5.怒りの筆先
6.甲と乙
7.ホワイトホール
 

 

Focus3: Who the Bitch

ここまで来て今回のビッチフェス2020トリも大トリWho the Bitchである。

この日の後半のライブのセトリは後述する通りだが、この日『的』という名の新曲が披露された。 

 

【躊躇(ためら)うな 不器用でも良いんだ 人生は一度きりだ】

 

このフレーズが聞こえてきた瞬間、誰もがWho the Bitchのメンバーがこのフェスにかける思いが最も詰まったフレーズであると解釈した事だろう。このコロナ禍におけるご時世において誰よりも早くライブハウスへの愛を訴え、誰よりも早く多くのリスナーとをつなぐ配信を継続し続け、誰よりも早く配信ライブを幾つか立ち上げ、早い段階で有観客ライブをも開催して、この日のビッチフェス開催へと駆り立てたと言っても過言ではない、最も強く光る言霊ともいうべきフレーズであるとも思うし、ビッチフェス2020のテーマソングでもあると言ってもいいだろう。

そして注目すべきはそのタイトルである。本曲の全歌詞を『泣きビッチ』リリースまでに今現在把握できないが、この『的』というタイトルから様々な光景が浮かんでくし、様々な解釈も存在するだろう。

*11まずは、この的』という言葉は人生においてやり遂げたい事柄、例えば音楽文脈で言えば、ビッチフェスしかり、ライブ然り、アルバムリリースしかり、達成したいというときに用いる「目的」の意味にも捉えられようし、或いは、これまでコロナ禍を皮切りに全世間からライブハウスというものが散々スケープゴートとしての「標的」にされてしまった事へのある種怒りにも似た意味をも内包されているのかもしれない

そして、それから『赤いレモンティー』『始まりの証』と曲を終えた後だろうか、

 

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(注)ハイ、この時点で18000を超えている超長文ブログを読んで下さった方々が奇跡的に

      もしもいらっしゃれるのであれば大変感謝いたします。

  正直「音楽とは」の節の辺り自分の言いたい事全部言いまくって暴論かましましたw

      長きにわたって色々述べて来た本記事も、これでようやく

  第1章の What is "ビッチフェス2020"?と繋がって来た次第です。

  引き続きエンディングをお楽しみくださいませ〜!

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他の出演者のみならず、スタッフも、配信を見ている誰もがこれまでのフェスさながらの開放

的なムードから、ハッと我に返ったように息を飲むように彼女の表情を見つめていた。そう、この配信フェスの主催バンド出あるWho the Bitchのギター&ヴォーカルのehi氏が、これまで彼女の中で張り詰めていたであろう緊張の糸がプツリと切れたように、ボロボロに泣きなが

らこう叫んだ。

 

「もう新宿ロフトめっっっっちゃ好きです!!!新宿ロフトめっっっっちゃ好きです!!!このコロナ一緒に乗り越えていくために....私たち、ちっちゃいことしかできないけれど....」

 

こう言い終わるか終わらないかのタイミングで、Who the Bitchメンバー、全出演者、そしてスタッフ、ライブハウスのメンバー、そして自宅でそれぞれ見守っているオーディエンスたち全てのセンチメンタルな気持ちを、全てかき消すように彼女らのライブではハイライト曲である『Colors』のギターイントロをいつも以上にあらん限り、力強く奏で始めた。

そしてその感傷の波を包み込むように本曲の出だしのフレーズが重ねられていく。

 

【色や形が無くても....、 色や形が無くても.....】

[Bitch bar]

1.Cherry
2.Hi!Jack
3.In the can
4.Telephone
5.PIG
6.野良犬レクイエム
7. Stand Up

8.zero

9.通り雨

[Bitch stage] 

1.Superstar
2.Letter
3.ベクトル〜いつの日かたどりつけるこの足で
4.的
5.赤いレモンティー
6.始まりの証
7.COLORS

8.Bridge

9.inside

 『色や形がなくても...』本曲がリリースされた当時とはまた違った意味合いでこのフレーズのニュアンスが捉えられるこのコロナ禍の年である令和2年の8月1日だからこそ、そのフレーズが殊更に我々の心の奥底に突き刺さった。『色や形のないもの』これがこの日ほぼ一日中鳴らされた音楽そのものであり、真実の形と純粋に解釈できたのは間違いない。

 兎にも角にも、8月1日、午後2時から始まって8時間ぶっ通し全12アクトの、音声や画面上のトラブルなしはほぼ無しで本配信フェスは、Who the Bitchが後半戦のライブでトリを飾っている、というより、これまで出てきた全11バンドのパフォーマンスの一つ一つ、MCの一言一言をも全てを背負った「嘘偽りなき」集大成的のアクトだったのは間違いない、と結論づけることによって2019年10月辺りから開始した本ブログでは史上最大文字数である19400字を超えてしまった本記事に、ピリオドを打ちたい。

 

  

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参照文献 『定本ライブハウス「ロフト」青春期』平野悠(LOFTBOOKS/2020)

 

*1:実際私もこの日はアルコール類とチキンナゲットのような簡単につまめる程度のものは準備していたが、それぞれの個性あふれるバンド演奏に見入ってしまい、結果的に酒類は意外と飲めなかった。たったビール6缶。あれ?結構飲んでんじゃんと思う人はこれが8時間以上の長丁場だということを注意したい、そもそも私は酒豪の部類に入るのだってどうでもいい情報でした笑

*2:あの〜拙者ライブは基本的に好きなんだけど所謂アッパーなフェスに行ったことありませんw、まぁ想像の世界でそう思ってた。

*3:この写真、ちょうど宣言しようとする章だったからこのドンピシャな写真ですよね...w

*4:アニメタイアップでもあってもおかしく無い二人の美しいコーラスワークも魅力のバンドだと言えよう。だがバンド名にビッチを模してるっていうこのギャップも面白い。コンプライアンス優先のこの業界では、子ども向けアニメでは『ビッチ』は厳しいのかもねw、ロックファンである私はむしろ大歓迎だが。

*5:Go!Go!7188 、或いはCibo mattoはパンクと言うよりJ-ポップ界隈に入る気もするので脇に置いておこう。あと最近ではボーカルであるしーなさんのキャラクターが俄然面白いあの、東京初期衝動もグングン台頭してるけど今の所は保留と言う事で。

*6:現在この名盤二枚はサブスクで聴けるがこの時は無かったのだ。

*7:細かいディスコグラフィーその他はこちらも参考にされたい。 『泣きビッチ』と呼ばれるベスト盤第二弾もリリースされる模様である。

www.whothebitch.com

*8:先日の2015年リリースされたDVD配信後、飲み会配信と化したのだが、ehi氏は興味深いことを言ってて配信ライブというスタイルにそろそろ人は飽き始めている空気を感じるらしい。そこで新たな試みが展開されなけれならない、と言っている。そういう意味ではこの人のアンテナの広さは凄いものがあると思う。

*9:ふと本題から外れるが、この「ビッチフェス2020」では様々な対バンの人達が放つ「ビッチ姐さん』「ビッチ先輩」っていう呼称ってなかなかインパクトありますよね笑

*10:英語の教科書付属のCDに『We are the world』が収録されてて九州の田舎中学生(私)は「 アメリカンはお洒落バイ!」とCDを死ぬほど聞きまくってたら、某日ラジオで流れた歌声と違う事に気づき、よくよく教科書を見てみるとトムやナンシー等の会話担当者達の歌声だったと知り激しく萎えた件を思い出す。

*11:

映画『アルプススタンドのはしの方』が令和2年の夏を代表するべき超ド級の大傑作だった件

0. 約4ヶ月ぶりの映画館

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このコロナ禍において、最後に映画を観に行ったのっていつだったろう?

個人的にはもうずっと前の真冬の最中ぐらいかと思ってたが、これが意外と中途半端に昔(笑)4月4日のパンクバンドThe Clashなどを題材としたドキュメンタリー映画『白い暴動』以来だった事がわかった。

 

にしても、あの『白い暴動」@梅田シネリーブルの時は酷かったなぁ〜。この時はかなり個人的にも歴史的に屈辱的な映画鑑賞で、まだ当時は隣の座席とのソーシャルディスタンスに関するハッキリしたルールめいたものもまだ確立されていない時期だったのか、結構隣座席の距離感って近かったのだ。というか、隣に座ってる正にクラッシュ命、パンクロック最高みたいなパンク・ファッションに固めた男が隣にいて(入場して座席につく瞬間からなんとなく嫌な予感がしてたのだが)上映間も無くカールみたいなスナック菓子を食う音がシュワシュワシュアシュワシュワ、まぁうるさい事、うるさい事!!!

 その男がその一袋のカールを消費するまでの何十分間か(いや、もっと体感的に長い気がしたなぁ、1時間とか....でもあのお菓子一袋食うのにそんな長時間かかるだろうか?)全く集中できなくって、もうこっちも何か映画鑑賞リズムみたいなものが狂わされて内容も何もぶっ飛んでしまって、もはややけくそな気持ちのまま映画も終わってしまったのだった......

というThe Clashの映画を観に行ったのに頭の中がクラッシュしたバカに付き合わされてその日は映画どころじゃなかったってお話でしたとさ

 だからこそ、だ。このコロナ禍で映画上映、リハビリ鑑賞の第一作目は素晴らしい映画でスタートしたいではないか!そんな事を常々思っていた7月25日のある日、こんな作品が公開されるという多くのツイートに出くわした。


映画『アルプススタンドのはしの方』予告編

はぁ??アルプススタンド??? 高校球児の映画??青春もの??応援もの???

元来、これらのワードに興味のかけらもないどころか、普段から甲子園とか高校野球などを土台としたスポーツ映画の取ってつけたような青春物語が大嫌いな私からするとこのキーワードだけだと完全にスルーしてた筈なのだ。

 だが、何かが違うのだ。そう言うざわめきをも感じたのは、どうにも私と同じように「高野連が推薦しそうな青春甲子園」などハナっから毛嫌いしそうなTwitter民達のリアクション達がポジティブまでに熱を帯びているのだ。それどころか、年間何百本とか作品を観てそうな、言うなれば普段から「ヒッチコックがどうたらこうたら...」とかツイートしてそうないかにもガチ映画マニアっぽい人までもが「今年見た映画では史上最高傑作ではないか。」とかツイートしてる始末。

これは何かあるぞ、、、、何かが違う、と思って調べて見ることにした....

 

❶どうにも「甲子園を舞台としつつも球児すら一瞬たりとも映らず、タイトル通りアルプススタンドのはしの方 に座った演劇部女子2人と元野球部男子と優等生女子の間で繰り広げられるテンポの良い会話劇が75分もの映画時間のほぼ大半を占めるという事らしい。

 

❷しかも主要キャストはこの4人と、セリフと演技がしっかりあるのが、たまに出てくるガチャガチャうるさいエセ熱血教師と吹奏楽団の女子人組のみ、というかなり絞ったキャスト。

 

❸そしてこの映画の土台になっているのが第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞に輝いた名戯曲を映画化した青春ドラマを舞台化した作品だという事。

 

❹そしてこのいかにもエヴァーグリーンなポスターや予告編のイメージからは想像もつかないのだが、今年の冬ぐらいに話題になった『性の劇薬』の城定秀夫監督によるものだと言う事。*1

 

いや〜でも見事にツボってるね。❶から❹まで全てが「ツボof ツボ」。これらはまさに演劇好き、その中でもアコースティックシアターみたいなシンプルなセットでの公演の類の方が壮大な冒険活劇とかよりも断然好きな私の心の導火線にモロに火をつけまくってくるではないか。しかも❹のように普段ディープな作品を撮る人が突如こう言う青春ものに振り切るこの振れ幅てのも興味深いよね。

 例えるなら、岩井俊二監督の文脈でいくと『リリイシュシュのすべて』の次作品が、『花とアリス』みたいな振り切れっぷりは大好きなのでこれは大いに期待できるぞと。*2

で、急いで公開二日目に観ようと、大阪の映画館梅田ブルク7の上映(14:00)に予約する事にしましたとさ!

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The table of contents

1. Overview of『アルプススタンドのはしの方』 

(A)ストーリー

(B)キャストたち

2. 感想と考察と妄想と...

A.偽りなき感想

B.考察と妄想の果てに

3.リモート舞台挨拶付き2回戦、観ました!!!

APPENDIX; 主題歌『青すぎる空』

 

  

1. Overview of『アルプススタンドのはしの方』 

(A)ストーリー

hp上に記載されてあるネタバレなど回避したあらすじはざっとこんな感じ。*3

 高校野球夏の甲子園大会。夢破れた演劇部員の安田(小野莉奈)と田宮(西本まりん)、遅れてやってきた元野球部の藤野(平井亜門)、成績優秀な帰宅部女子の宮下(中村守里)が、アルプススタンドの隅で白熱する1回戦を見つめていた。どこかぎくしゃくしている仲の安田と田宮、テストで学年1位の座を吹奏楽部部長・久住(黒木ひかり)に奪われてしまった宮下、野球に未練があるのか不満そうな藤野。

 試合の行方が二転三転するに従って、彼らが抱えるさまざまな思いも熱を帯びていく。

 

(B)キャストたち

で、その上記の登場人物の紹介をしておくと

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安田あすは(小野莉奈)... 演劇部。どこか物事を俯瞰で見て諦めがちなところがある三年生。

 

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田宮ひかる(西本まりん)... 同じ演劇部のあすはと仲が良いが少し気を使いがちな面もある。

 

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宮下恵(中村守里)...帰宅部の優等生。友人はいないが、密かに想いを寄せてる人がいる?

 

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藤野富士夫(平井亜門)...元野球部。どこか野球への情熱を捨てきれない思いもあるらしい。

 

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久住智香(黒木ひかり)....吹奏楽部で成績優秀なまさに誰もが憧れるリア充的存在。だが...?

 

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厚木修平(目次立樹)...茶道部顧問の熱血英語教師。その空回りっぷりが大いにイタイ(笑)

 

2. 感想と考察と妄想と...

A.偽りなき感想

一言(?)で言ってアホみたいな感想だが、「もう、めちゃくちゃ面白かった!!!!こんな笑えて泣けて、希望をもらえてほんのちょっとのセンチメンタルもあってこれほどのど直球の感動に出会すことなどあるだろうか!」に尽きる。

結論から言おう、この作品は間違いなく令和2年の夏を代表する最高傑作映画となる作品だと確信した。何せ、なんら文句のつけようがない、真っ当に素直に面白くて感動できるメインストリーム級の作品だとも言っても良い。会話のテンポの良さにめちゃくちゃ笑ったし、途中のあるシーンでもこのシーンでも思わず力が入ってしまって声を上げそうになったし(この時期それはタブーだよ)、またまた観終わった後の爽快感はまさにホームランでも打ったかのような気持ちだった。はたまた、気持ち丸ごとホッコリして形なき大事な何かを心のグローブでキャッチできた気分だったな。(バッターなのか、守ってるのかw

 いやでも、こう実際に観てみるとカメラワークは、終始アルプススタンドの隅に座っている彼女らのみではあったのももう逆に新鮮すぎる設定だ。と言うよりもはや斬新な設定ですらあった。とはいえ時々お茶を買いに行ったりとか、トイレに行くなどの時に裏の自動販売機近くのベンチのある休憩場に切り替わる事もあったりだとか、客席では久住智香らがいる客席前方の吹奏楽部が演奏している側に場面が切り替わる事があったりもするのだが、ほぼほぼ75分中8割ぐらいがその「アルプススタンドのはしの方」がメイン・ステージだったのだ。

 でもここで重要なのは不思議と狭苦しさや、単調な感じや、閉塞感などの感想は一切抱くことがなく、「甲子園の魔物」と形容されるような、むしろ見えない怪物と戦うような感覚に襲われてたんだけど、それは小野莉奈をはじめとする役者達の演技はとても上手かったからだ。お世辞抜きで全キャストの演技たるや、めちゃくちゃナチュラルで抑揚もあり間合いもあり、とても引きつけられる魅力的な演技をしていた。特に冒頭からしばらく続く安田あすはと田宮ひかるの

 

あ「ファウルボールに当たったら死ぬの?」

ひ「うちのおじさん当たったんだって。」

あ「おじさん死んだの?」

ひ「まだ生きてるよ。」

 

....みたいなもうコントのようなあの野球オンチトークなぞ、もうずっと延々眺めていたいくらいの心地よさだった。城定監督、これいずれ円盤化したら「あすはとひかる」のトーク集みたいな二人のショットのロング・バージョンを収録していただけませぬか、と切に願うよ。とにかく大袈裟ではなくもうこの前半のトーンのまま映画が終わっても良いと思ったほど心地よくこの空気感に浸ることができた、これは客席にいたほとんどの人がそう思ったに違いない。

 しかも、だ。人見知りオーラ全開で初めてフワッとしれっと登場してきたメガネっ子、宮下恵のもたらすオーラとか凄かったし、藤野富士夫のバットの振り方の微妙な下手さ加減の振り方とか違って見える人には見えてわからない人には分からない風に見せるあの塩梅が絶妙でひたすらおかしかった。あと、ああ言う空回りしがちな厚木修平先生のような存在もリアリティとコメディとのギリギリの絶妙なラインを行ってて、最初は知らない人達であっても、見終わるころには全員が魅力あるキャラクターと化していった。

こういう気持ちは上田慎一郎の映画『カメラを止めるな!』、『スペシャルアクターズ』とか『恋する小説家』などを観た後の気持ちに近いのかもしれない。

 そう言う意味でもこれ本当にまるで10年以上やっている劇団の演劇を鑑賞しているようだな、とか思ってたら別にこの話自体が高校の演劇がベースってだけではなくて、本当にキャストメインヒロイン3人が舞台で全く同じ役柄で出演していたとの事らしい。

そうか、そうか、道理でこれほど息のあった演技ができるわけだってくらい感心する訳だ。

あの一人を除いてだけど(←厚木先生、大変失礼しました💦)自分よりはるかに年下の10~20代の若手俳優ばかりなのにこれほど感情移入できる魅力ある演技できるってのは素直に感心するよね。

*4

正に、とあるクライマックスのシーンを観てる時って、自分含め他観客の多くがこんな表情だったのかもしれないですね(笑)↓

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B.考察と妄想の果てに

で、さっき「感情移入」と言うことばを使ったがふと思い当たる節がある。

この映画が自分含めた鑑賞者にドンピシャだったのは、紛れもなく今我々は「コロナ禍」と言う濃霧のような状況に侵食された状態であるこの時期に公開されたっていう事ともかなり関連づけられるのではないかと思う。

必死で目を凝らそうとしても何も見えない今のこの世の中の有り様と、メインステージの光景が決して見える事のない本作品の状況とがかなりオーバーラップしてくるではないか。

「甲子園のグランドが見えない」

「演劇の全国大会に出場できない」

「この、何もできない状況をどう乗り越えていくべきか」

というこの映画での設定や状況ひっくるめて、まさにコロナ禍とリンクしまくっているからこそ人々は共感しているのではなかろうか。

もうこれは青春物語という枠を超え時代を映し出す鑑(かがみ)のような作品なんだと思うし、我々はこの混乱の最中でいつしか「アルプススタンドのはしの方」のような世界に追いやられてしまったっていると言う事実をこの映画を通じて痛感してしまったのだ。

 あるいは、こうも考えられよう。メインストリームで起こっている野球の試合を、アルプススタンドの隅っこからワーワーと、あーでもないこーでもないこれはしょうがないこれもしょうがない奴らだあいつは馬鹿だあいつはダメだとか言いたいことを言って飽きたらそいつが死のうが生きながられようが、次のバッシング・ターゲットを見つけてまたまた集中砲火を浴びせようとするこのSNSを中心としたネット社会そのものとも共通しているようにも思えるのだ

 ハッキリ言うとこの映画を観ている我々が対峙すべき、最も近い存在は、「田宮ひかる」でも「宮下恵」でも「藤野富士夫」でも「久住智香」でも「厚木修平」でもなく、これまでの何度かの挫折を経てきたからこそ「しょうがない」を口癖として身に纏うようになってしまった主演の"安田あすは"だと思うのだがどうだろうか。

その証拠として、ポスターのタイトル文字をじっくりと見てみようか。

 

    ルプス

   スタンドの

   はしの方

 そう、上の赤文字を縦読みすると「アスは」になるではないか。これは紛れもなくこのタイトルの中に「あすは」、即ち、安田あすは の存在が隠れているという事を示唆している。

製作者、これは映画というよりむしろ舞台の脚本段階になるんだろうが、本作品のタイトルを決定するにあたって「鑑賞者であるあなた達の中にはどこか諦めがちな【安田あすは的要素】が存在してるのではないですか ?」と言うhiddenメッセージでもあるのかもしれない。 

*5

 さらに更に、この考察を妄想レベルにまであげてみよう。あのテンション的外れの熱血英語教師、厚木修平先生の存在っていうのも物語的にはコアとなるあるセリフを吐く事によって、最終的にはそれが正当的な評価を受けれられるんだけれども、あの肯定されていく過程をみるにつけ、少し恐怖を覚えたのも事実である。

 実社会でもネット社会でも何でもああ言う「声高に叫ぶ人」ってかなり同調圧力を強要する感じがあるよね。 最近「〜しよう!、皆で〜しようよ!」って声高に叫ぶ事によって得られるものってもう群れが群れをなすだけで終わるんじゃないか、って気もしている。これは具体的には、何でもいい、政治的思想を呼びかける妙に長いタグ運動でも、マイナーなシンガーソングライターや、バンドなどの曲を広めたりする時にやたら「拡散希望」うるさい人が散見されるのだが、そこで数多くの人を集めてたとしても、そこで集まった全員がそこで思考が停止していたら、それをポピュラリティと呼べるのかどうかってどうも疑問に思ったりもするのだ、とはいえこの辺りは何が正解なのかはよく分からないんだけど。

ただ、彼の言っていることは本当に真っ当な素晴らしい言葉で、「人生は送りバントである。」って言うのも「Don't let it bring you down 」だの、ただ、それを標語のように貼り付けて強要するノリは個人的には大の苦手である、端的に言えば頭悪そうな体育教師が言いそうな感じがってかこの人は茶道部で英語教師っていう体育教師要素ゼロなんだけどなぜあんなに野球応援してるんだろうか(笑)

............まぁ話がかなり脱線してしまったが、兎にも角にも、本作は、このコロナ禍で社会や人に毒を吐きがちな、ささくれだった人々の心のヒダを取り払う効果があるのは確かである。

 これに関して、公開二日目ぐらいに誰かがツイートしててめちゃくちゃ納得したのだが、『アルプススタンドのはしの方』の英語タイトルは「the edge of the seats」らしい

これだけ聞くと椅子の端って事だから直訳かと思われるだろうが、実はこのフレーズダブルミーニングだそう。

 意味的には「イスのはしに座る」から転じて→「前のめりになる」と言う意味になり、

→そこから転じて「手に汗握る」と言う意味が内包されているらしい。

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ホントだ!!

でももうこのダブルミーニングってって正に見た人のみが実感できるこの話の核(コア)ではないか!タイトル考えた人も、発見した人もえらい、ってか凄い!

 先ほど「ホームランを打ったようだ」と形容したけれど、本当最後の最後のあれは本当スッキリした。正にこの映画は「the edge of the seats」にいる人たちが本当に「the edge of the seats」する事を覚えるまでのドキュメントでもあるのだろう(←何のこっちゃ)。

 まぁ深い事抜きに、この作品は設定がほぼほぼ「アルプススタンドでの会話劇のみ」ってのがすごく良いんだな。ここ最近ずっと、コロナ禍によって、映画館と言うものにしばらく遠ざかってて映画鑑賞モードへのリハビリが必要なこの時期にうってつけの作品でもある。しかも75分と言うケツも痛くなるかならないか寸前のすっきりと観れるトータルタイム。

これが壮大な一大スペクタルSF映画超大作三時間とかだったらコロナ明け久々の映画館鑑賞としてはもうかなり疲労困憊しまくる事だろうね。下手したら映画酔いどころか失神者が出てしまうかもしれないな、まして4Dの椅子が揺れまくるやつとかもう問題外ですわね(笑)。

 ま、妄想はさておき、案の定10000字を超えてしまった本ブログであるが、兎にも角にも是非是非、これは映画館で観ていただきたい令和2年の夏を代表するかもしれない超ド級の大傑作であると結論づけることによって本記事本編の幕を閉じたいと思う。

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3.リモート舞台挨拶付き2回戦、観ました!!!

....この記事を書いて早1週間、今回はリモート舞台挨拶中継付きで全国40以上の映画館で上映されるという事で2回目を見ることにした。(ってか別に舞台上映なくても観るだろw)

 

やっぱり2回目はコメディというよりも登場人物の人間ドラマに肉薄して観ることができたように思う。前半の舞台的なライブ感あるやりとりもさることながら、もう後半の盛り上がりや感情の高まりを知っているからこそ、安田あすはと田宮ひかるとのあの日の事件を境に生じた二人の心理的なズレが生じたキッカケってのも最初っから気になったし、前半の舞台的なコントなやり取りも笑ったのだけれども、そう1回目に比べ気軽にヘラヘラ観れる類のものではなかった。

という訳で、2回戦は完全に「田宮ひかる」に感情移入して観てしまっていた自分がいたものだ。1度目の時はジュース買ってきたりして割かし気の利く子だなぁとか思いつつ観てたんだけど、あの日の演劇部の挫折となった出来事以来、どこか気持ちを押し殺しつつ誤魔化しながらも、あすはとの友情はどことなく維持してても「しょうがない」という言葉にも時折打ちのめされつつようやく自己の光を見出すまでのドキュメンタリーとして観るようになった。

この日は上映後のzoomによる舞台挨拶上映で目次立樹氏も言ってたが、あのどシリアスなシーンで「ここの自動販売機高いよね。」と言ったりもする天然感はほんとに引き付けた。

で、これは舞台版の写真。ちなみに二人の配置が逆なのが興味深い↓

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更にこんなこともzoomによる舞台撮影では言っていたよね。

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*6

 

全体的には本作品は舞台演劇というのが下地にあったわけで、そこから舞台演技という枠組みから映画の演技へとどのようにナチュラルにシフトチェンジしていくかに皆苦労していたように思う。これは小野莉奈のコメントではあるが、映画撮影時、当然実際に試合が行われていたわけではないのでカメラ側では棒にボールをくくりつけたものを動かして皆の目線を合わせていたそうだ。こりゃ舞台よりも大変そうだな。*7

ただ厚木修平役の目次立樹氏だけは「舞台でも散々好き勝手やらしてもらって、で、映画でも好きにさせてもらってますけど...」という辺りもあまり説得力がない感じが面白かったな。いや、というより厚木先生の演技見てこれは完全に舞台が浮かぶよね、とか正直思ってたのだが、舞台はもっとスゴイのか、いずれ舞台化か、この時の映像とかって残してないのだろうか。いずれ舞台化が叶えばぜひ観てみたいと思う。

他にも特にどういうシーンが興味深いかというインタビューコーナーがあったのだが、

 主演の安田あすは(小野莉奈)は藤野富士夫(平井亜門)とのやり取りで勉強も遊びも恋愛も....進研ゼミじゃん!」と一緒に合わせていう所だそうだし、また田宮ひかる(西本まりん)は宮下恵(中村守里)の頬を一筋の汗が伝うシーンが大好きというのが非常にオヤジ目線 .....いや失礼!!マニアックな感じがして笑ってしまった。この西本さん多分発掘すればめちゃくちゃ面白いポテンシャルがあるんじゃないかなと思ったりした。あとは先生役の舞台挨拶で目次立樹氏も言ってたが久住智香(黒木ひかり)が宮下に対してアクエリアスかなんか差し出しつつ「塩分とった方が良いよ」と言ってるにもかかわらず、それを受け取ろうとしない宮下、という割とどシリアスなシーンで「ここの自動販売機高いから貰っといた方がいいよ。」かなんか言ってしまうこの天然ぶりというか不思議な感じもなかなかにして絶妙なキャラクラターだと思う。

 

APPENDIX; 主題歌『青すぎる空』

最後の最後にこちらも本作品の重要なファクターであるのでこれも紹介しなければなるまい。本作の主題歌を担当してるのが( ザ・ペギーズ)と言う3人組ガールズロックバンドの『青すぎる空』と言う曲である*8

この歌詞が本作のど直球なまでにシンクロしたものになっていて非常に心地いいのだ。

一部を引用すれば*9

 

❶"光る汗と響く声 戻らない日々” 

横目に帰る 音を立てた自転車

輝き方がわからないままの僕は 

面倒臭いが口癖になってた

 

❷友人は上手くつくれない 

隅っこの特等席

見逃し三振 靴紐を結び直す 

本当は君に伝えたい

 

❸ちょっとずつ前を向いて

今からでも間に合うかな

二死満塁で握らせ息を飲み込む

何かが変わる気がした

 

 

❶、❷、❸をそれぞれ見るにつけ、鑑賞者は本作ではどの登場人物に擬えることができようか、自然とパズルの埋め合わせをしてしまうのではないだろうか。

 

❶は、紛れもなく「しょうがない」が口癖の安田あすはの心情であり、或いは野球部を辞めてしまった藤野富士夫にも擬えられよう。『光る汗と響く声』演劇にも野球にも欠かすことのできないものである。

❷【友人は上手くつくれない】の件は正に宮下恵の心情そのものであるが【隅っこの特等席】にいるのは紛れもなく上記4人の登場人物の心象風景を鮮明に映し出している。

❸【二死満塁で握らせ息を飲み込む 何かが変わる気がした】もうこれは物語の最初っからそれを貫いてきた久住智香と、あと厚木修平の心情にもスパッと当てはまるではないか。

 

そして弾けんばかりのサビパートである!

 

❹この青すぎる空が僕には似合わないなんて思っていた

でも逆転するんだ

空ぶったっていい 

この青すぎる誓いを君と結びたいから

僕は僕のままで 

さぁ変わるんだ今 

恥かいたっていたら

 

 

そうだ、❹の歌詞は紛れもなく解き放たれるようなサビのメロディととも、安田あすは、田宮ひかる、藤野富士夫宮下恵、久住智香、厚木修平だけでなくもう鑑賞者全員へ向けられた私信のようなものだ!

もう正にあのシーンに対峙する彼女らの心情とリンクして鑑賞者の誰にも当てはまる歌詞ではないか!!!!!

この作品のあのシーンを目の当たりにしたもの誰しもがこの歌詞のメッセージを一心に浴び、熱い熱い何かがこみ上げるのはもはや必然の事実だと思うのだ。

ちなみに、この曲自体にはMVなるものは現時点では存在しないのだが、彼女らが2020年4月にリリースした最新アルバム『アネモネEP』の二曲目に収録されているので、彼女らの音楽性を知りたい人は本曲を含め、そのダイジェストを以下のトレーラー動画で知ることができる。

*10


the peggies 『アネモネEP』全曲視聴トレーラー映像

 

【追記】

...と言っていたがこのあと、しばらくしてPeggies ver.による物凄い映画本編との名場面とをリンクしたMVが、9月中ぐらいに発表されている。


the peggies「青すぎる空」Music Video (映画「アルプススタンドのはしの方」主題歌)

そしてこちらは本編において吹奏楽部として演奏してエキストラとしても参加しているシエロウィンドシンフォニーによるMVも、こちらは11月中辺りに発表されている。


「青すぎる空」 Cielo Ver.

 

 

 

 

*1:2月にシネマ・ロサに行ったときにかなり行列ができて気になっていたのだが【ハードなBLもの】らしいと言うテーマが何となく私を遠ざけてスルーしておりました(笑)、城定監督、これを機にぜひ今度観てみます。

*2:この作品ってもしかしたらあすは とひかるの会話シーンにどこか『花とアリス』オマージュを意識してるような気がするのだがどうなんでしょうか。

*3:

alpsnohashi.com

*4:いきなり映画から入った役者さん達はプレッシャーあったろうね。8/2の舞台挨拶でも触れていたが、この辺りの役作りなどの特に藤野富士夫(平井亜門)さんの葛藤はこちらをご覧いただきたい。


【囲み会見】今の仕方がない状況だからこその意味を持ち輝く映画『アルプススタンドのはしの方』

*5:とかさも自慢げに言ってるが筆者がこれに気づいたのはこの映画を観た翌日だったよ(コラw)

*6:最前ど真ん中席で観たので画面の歪みっぷりが半端ないのだが...w

*7:ちなみにこの映画のロケ地は甲子園球場ではないらしい。許可が下りなかったらしいのだが、この映画がたい好評を博している今、地団駄踏んでるのは甲子園側だろうよね。

*8:これだけ音楽聴いときながら、ましてや女性ボーカルなのに個人的に全く知らなかったのでここでお詫びして紹介させていただきます。

thepeggies.jp

*9:ちなみにパンフレットに本曲の全歌詞が掲載されている。このパンフレットはシナリオなども収録してたり、大橋裕之の漫画が掲載してたりとか、対談、レビュー、コラム、プロダクション・ノートとかなり充実してこれで1200円ってかなりお得だと思います。

*10:いずれこの映画が大ヒットなりして盛り上がればメンバーと映画本編シーンとがコラボしたようなオリジナルMVなんていうのも作られる事を本気で期待してたりするのだが。

リモート作品洗練の極致『GCM動画日記』爆裂レビュー〜Case3;『女の話』篇

1. Overview of『GCM動画日記』Case3; 女の話

前回の記事では『GCM動画日記』の記事では、Case1「5人兄妹の話」に焦点を絞って、世間のリモート作品はコロナ禍を意識した設定が多い幾多のリモート作品と一線を画して、その種の空気を一切感じさせず純粋にストーリーに没頭できる点などを検証して来た。

 Case1に関しては以下の記事を参照されたい。

nenometal.hatenablog.com

 ここで敢えて過去の二作品を定義付けすると、養護施設で育てられた5人の兄妹における血のつながりを超えた人間としての絆があるのか、というテーマの元、あくまで現実主義の枠組みを遵守したピュアなヒューマンドラマであったのに対して、次なる『Gahorn of the Dead』とも呼称されるCase2では敢えて前作にあったメタ構造を越えたアバンギャルドな実験作、と言ったところか。*1

そして、今回本記事に取り上げるこのCase3『女の話』は、Case1のベース上にあった現実性(リアリティ)とCase2に内在しているカオスティック要素の中間地点に位置付け、それらの両要素の所在を人間の深層心理に落とし込んだ極めて洗練性(ソフィティケイト)な境地にまでブラッシュアップされた(敢えてこそ言わせてもらうが)GCM動画日記では、いや全世界に配信しているリモート作品の中でも最高に洗練された傑作である、と定義づけたい。

 その象徴としてCase3には、主としてCase1の中では5兄妹の長女でありつつも、かつてカルト宗教に騙されかけたり妹の環に説得されたり、30歳という年齢ながら未だにスナックのホステスという職業であるゆえに健介らにも心配されたりと、色々と話のネタの多かった清水麗が再び登場していたりする。(また、Case3の作品中時折Case1-2に出て来た登場人物名も出て来たり、最終回ではなんとCase1に出演していたあの人が....敢えてここでは言わぬ....ご覧になっていただければわかります...笑)

 というわけで、この作品が存在することによってCase1-2などの過去の作品にも再び光が当てられることとなり、全Case1-3に渡って一貫したグルーヴがうねりを挙げてより、『GCM動画日記』という一つの世界観がより活性化してくるのを感じたものだ。*2

 という訳で次の章では具体的にCase3の全7エピソードを検証していきたい。f:id:NENOMETAL:20200614183504j:plain

 

2-1.『GCM動画日記』Case3;女の話 (前編)

#0;キャスト紹介

では、ここでは『GCM動画日記』Case3;『女の話』に出てくる7人の個性的な登場人物たちを紹介しよう。

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狭山佳代子...33歳。この6人の中では最年長の主婦。「ジローラモ」なる料理が得意。

 

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小保方愛民...32歳。最も新しい住民。「ラブミン」として動画を配信するYoutuber。 

 

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坂本梓...26歳。新人女子アナウンサーとして静岡から上京して来た。立花優と仲が良い。

 

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清水麗...31歳。スナックで働き、婚活に勤しむあのCase1の長女。狭山佳代子とは亀裂あり? 

 

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立花優...28歳、ショップ店員。愛民の「ラブミンチャンネル」のファン。坂本梓とは仲が良い

 

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真田恭子...28歳、夜勤交代を断れない航空会社勤務の人。深野冷子のファン。住人の中では比較的普通かも!?

 

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○○ ○○○○...Case1のいわゆるあのキーパーソンが、とある回でここでも再登場!!!!!

 

#1 6人の女たち


GCM動画日記 Case3 #1

 まずは最初見た時YouTubeにルージュか何かの化粧品広告でも入ったのかと思わず勘違いしてしまった程、お洒落なBGMだったのでこれが「GCM動画日記」なのかどうか、実際のナレーションがあるまでしばらく気づかなかった。世の多くのリモート作品は「これはリモートで撮影だ。」とか「コロナ禍を意識して作られた」というバイアス込みの視聴を余儀なくされるものだが、本作、というかこのシリーズはそういうものを全く意識せずに、自然に物語に入り込める点が素直に凄いと思う。

 全Case1-3の中では、特に本作は洗練(ソフィティケイト)と定義できる要因はそういう所ににあるんだな。そしてそうしたYoutubeの広告性にさらに追い討ちをかけるように、いや、はぐらかすようにと言ったほうが順当か、「ラブミン」と名乗る小保方愛民によるコレまた初期のYoutube配信動画のような映像が飛び込んでくるこのギャップ。 そその後、ラブミンを含め、計6人の住民の日常生活がそれぞれクローズアップされ、これから幾度となく舌戦が繰り広げられるリモート定例集会に徐々に6つの四角のスロットにそれぞれの住民たちの顔が埋められるシーンが今後の展開への期待感を煽る。

「なんなんだ、この戦いの火蓋が切って落とされた感は!」

 まさに波乱の幕開けにふさわしい嵐の前の静けさのような初回である。

.........と、ここまで見て何らリモート動画作品を見ているというバイアスは一切なし。

この日はキャスト達のカメラ目線がほとんど無いしね。もうzoom会議や飲み会にすっかり慣れてしまった日常に生きる我々にとってもすんなり見れる、遂にこの境地までリモート動画の可能性が更新されたのだな、と思ったものだ。

 

#2 ファーストセッション


GCM動画日記 Case3 #2

最初にこの動画日記をクリックした際に、仮面舞踏会に出てくるようなペルソナ(仮面)の写真が最初に目に飛び込んでくるのにお気づきだろうか。恐らくこのペルソナは6人の住民たちのリモート集会に挑む時に無意識に準備する「心の中に潜むペルソナ」なのだろう。もうこれはあらかじめ、直接会って言葉を交わす事はなくても心が通じ合ったあのCase1の5人兄妹の話とは裏腹に、ここは互いの本音を隠しつつもオープニングの写真にあるような「ペルソナの如き虚辞のような言葉のバトル」が繰り広げられる同じマンションの定例集会に挑む彼女らの戦いの場である事を暗示している。

こういう所にCase3の醍醐味があるのだと思う。

 にしても、今回のメインイベントとなっているあの清水麗と狭山佳代子のあの舌戦も「定例」となっているのだろうかと思ったりして。*3

 ちなみにこの日は正午12:00にCase1#1、午後18:00辺りにCase3#2が同時に公開されたものだ。私個人としてはCase1-3を全て観て、全てその日のうちにガチな感想ツイートを更新してきた「ガチGCM勢」として、敢えて偽りなき感想を述べるが、今日のCase3 #1-2 の流れが今まで史上最もドキドキ感があって面白かった。

でもこの感覚は「動画作品の枠を超え、次なる展開を希求するレベル」といった意味でリモート動画のハードルが上がっていることの証で、下北沢の「小」劇場やB1辺りの劇場にて公演がなされている彼らの舞台を実際に観に行くような感覚で臨んだものだ。

 

 #3 4つの伏線


GCM動画日記 Case3 #3

 前回の、あの戦場のようなマンション住人集会から解放され、各々の日常生活にフォーカスが当てられた第3回目。当然のことながら事は穏やかではなかった。

 

この日、堰を切ったように、

Youtubeサイトに晒された住所。

❸家庭内に入りかけた亀裂。

❹上の階の騒音。

 

......などなど、一気に伏線がばら撒かれることになる。

 

ちなみにこの日、遅まきながらも「チャンネル登録もありまーす!」あ、そうか!と、今回初めて小保方愛民のあの苗字の理由が分かりました(おそっw)。小保方の 「"なぐり"でぇーす!」と「これで人を◯◯せます☠️」の唐突さと、新人アナウンサー、坂本梓のカミカミっぷりに爆笑するなどコメディ要素も盛り込まれているのがシリアスとコメディとの各要素がバランスよく配合されているのはCase3ならでは。

でも、今考えてみるとこの金具である「殴り」も実は立派な伏線として機能することがわかる。そして、最初の立花の独り言とラストの騒音と❶に共通して感じる伏線的な何か... 全体的に俯瞰で見るとこの#3自体が、来るべき最終回への大きな伏線となっていることが分かる。最後に❹の騒音問題、に関しては、前回の集会の議題にもあげられたものの、初回から示唆されていたある事象がベールを脱ぎ出しそうなある瞬間に出会すものの依然正体がわからないままに物語はフェイドアウトする。 

 ある種この#3は、Case3の、あの最終回を導く醍醐味がいかんなく発揮されたキーとなるエピソード、と結論づけられるかもしれない。

 

#4 ダムは決壊した


GCM動画日記 Case3 #4

「あの....良いですか?」それはいつになくかなり青ざめた顔のラブミンの告発からこのリモート集会が幕を開けた。そう、#3の時に挙げられた4つの伏線のうちの❶、❷、❹が取り上げらられたのだ。

無人インターフォン

Youtubeサイトに晒された住所。

❹上の階で鳴り止まぬ騒音。

文字並べるだけでもこの羅列は凄い。これ、マンションの住民会議の議題というよりもちょっとした民事裁判かなんかの判例ではないかと思われるほど。

そんなことを思ってるうちに、堰を切ったようにブチ切れモードの彼女の勢いに押されて被せて真田恭子が告白するのに見ているこっちは不意打ちをくらう。更に、それを皮切りにまたまた前回のあの舌戦がまるで前哨戦かと思わせるようなさらに激しい「狭山佳代子vs清水麗」第2回戦が勃発する壮絶。圧倒。絶句。

 これは会議というより戦いだ。しかも前回より凄まじくもタチが悪い毒舌悪口誹謗中傷合戦のような。もはや、人間の醜悪な部分が更に浮き彫りにされる今回はこの住人達の理性を堰き止めるダムの堰き止めが、完全に決壊した凄まじい光景だった。

 でもよくよく最終回まで全体を目撃してしまった今となっては、とある人物の発言や仕草が微妙に引っかかってくる。これはあくまで予測だが、この動画ドラマ自体は即興芝居がベースになっているということだが、全体の指揮者である朝川優氏の頭の中でこのCase3の結末の着想というか、「この人物がキーパーソンだ。」という結論が、この時点か、或いは以前からかもうはっきり見定めていたのではなかろうかと妄想したりする。

そして、そして、上記で掲げた伏線❶〜❹を更に覆い包むようなとある事件が勃発する!!!

 

一体どうなる??

 

そんな我々の謎をはぐらかすかのように動画配信の更新が、約2週間もの間沈黙を保つことになる。*4

 

2-2.『GCM動画日記』Case3;女の話 (後編) 

#5 カメラを止めろ!


GCM動画日記 Case3 #5

という事で、2週間ものインターバルを経ての久しぶりのCase3の #5に入った。

おおっ、清水麗が電話で話している相手が、あのCase1に出てきた最もサスペンスチックな展開に苛まれた2つ下の妹、前田早苗ではないか。しかもあのポッキーゲーム未遂男である穂坂さえずり、の名も聞こえ、懐かしさというか、GCM動画日記全体を振り返るかのような気分にさせられたものだ。

それにしても狭山佳代子が冒頭で食べている料理の名前が【ジローラモ】!

これどう考えてもブラジル料理なんだろうが、こういう名の料理が世の中に存在してる事自体初めて知ったものだった(笑)。

それにしてもこの2週間というインターバルは前回までのあの火花散るリモート集会以後の登場人物達の心情を、比較的穏やかな方向へとシフトさせる意味でも、偶然にもリアルな時間間隔となったような気がする。

 それにしても、だ。今回のハイライト、とはいえ全て見た今では坂本梓と立花優との電話の会話のコンテクストの奥深さ】今考えるとゾッとする。

そしてそして、小保方愛民が、清水麗が、真田恭子が、部屋の中でのある異変に気づいていく。そして騒音問題と双璧をなすように示唆されてきた、2週間我々が疑問に思っていたあの事件、そうハッキリ言ってしまえば全マンションの住民に「隠しカメラ」が仕掛けられているのではないかという波紋が更に広がっていく!!!

さて、真実を、犯人を追求するべく、次なる舞台となる3回目のリモート集会の準備が刻々となされていく。

もう次のリモート集会が怖い...w、多分これが最後の集会だろう。

 

#6 ファイナルセッション


GCM動画日記 Case3 #6

坂本梓の呼びかけによって緊急に開かれた3回目のリモート集会。

もうコレは毎度のことながら、集会の体をなすというより毎回ながらも"戦場"さながらの緊迫感も健在だ。

 で、少し物語のコンテンツから客観的な視点から論じるが、この時の狭山佳代子の「演技をしているフリ」なのか、「演技」ではないマジモンの演技なのか、そして周りがそれを演技だと思い込んでいる演技(←【演技】ばっかりで分かりづらいだろうが、こうとしか書きようがないのだ。見れば分かるよ。)がリアルすぎてそのキャスト達の役者としての演技の巧さにほんと舌を巻いてしまった。

ほんとここ壮絶にすごいので、リピートして観る価値のあるディープな演技だと素人ながら感心する。

 そして今回のこのダイナマイトに更にニトログリセリンを打ち込むかのような展開に至る地獄絵図への最大に引き金を引いたのは、度々以前から時折、狭山佳代子から不自然な牽制球を浴びていたこのマンション住民の中では比較的大人しめだと思い込んでいた立花優、その人による、謎の突然の宣戦布告宣言である。

 いや、もうこれが私の頭の中では大人しく、少し影があってナイーブな人というイメージがあったものの、意外や意外すぎてもはやテロレベルの衝撃だった。

そこで投下される爆弾は、我々はおろか狭山と立花以外ではかじめて明かされるストーリーの数々の衝撃。

 そこで度々名前となんとなく影として出て来た「たっくん」の正体を知る!!!

分かった。もう誰が殺されてもおかしくはない。全員が拳銃を片手の銃撃戦状態である!!!

まぁ、一人だけ違う武器(「殴り」)を持ってるんだけど(笑)、これであと一回で最終回!?

いったいどう結末を迎えるのか?

 

#7 そして女たちは...  


GCM動画日記 Case3 #7

最終回。

そう思いながら観進めて行くとCase1, Case2のそれぞれのキーパーソンである穂坂さえずり、深野玲子という過去のエピソードで登場した名前が聞こえ少し懐かしい気持ちになる。

その意味ではこのCase3の最終話は『GCM動画日記』の話全体の集大成なステイタスがあるのかもしれない。

 

.....とはいえ、明らかにCase1で最終回を迎えるあの晴れやかな気分とは明らかに異なっている。異質なまでに違う。というのは昨日のリモート集会のいや〜な残響音がこの回でも未だ響いているからだ。

そう、#6の会議は続いているのだ。徐々に「隠しカメラ」の正体が明らかになっていくにつれて、ホッとする住民達の表情と逆に、益々覆いかぶさっていくある人物の発言の真意。

まだまだ銃撃戦は終わらないのに、これってどうやって決着がつくのだろうか。

*5

その決着の付け方に関して具体的なアンサーは断定せずに、あえて演出の部分から検証したい。この最終回のオチは前の#6にサブリミナル効果として予め表現されているそうだが、これは恐らくこの6人のリモート集会のカメラの並び方にあるのかもしれない点を指摘したい。

 

それを検証するべく、過去3回ほど行われたリモート集会の6人の"並び"に注目してみよう。

 

❶ファーストセッション

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❷セカンドセッション

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❸ファイナルセッション

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 ここで過去3回にわたるリモート集会を羅列して来たが、狭山佳代子が左端にいる以外はほぼ全体的に誰がどこって感じで統一感は無いように思えるが、なんとなく気になるのが真ん中の列で小保方愛民が上、立花優が下ってのが最初の2回のセッションだったのが、ファイナルでは逆になっている。しかも小保方の手にはあの「殴り」なる金具を不自然にもずっと構えるかのように持っている点である。本当にコレは答えが公開されていないのであくまで予測であるが、小保方のこの所作が「こいつが一番やばいやつ」「この人実は真っ黒です」というのを暗示しているのでは無いだろうかと思ったのだが、実際の所はどうだろうか。そう考えると、最初見た時この最終回は、こういう結末を導く過程としては唐突すぎたかなと正直思ったものだが、あと一回ほどリモート集会戦が欲しかった気もしたものだがこのサブリミナルな暗示が事実だとするとすんなり納得できるんだな。でもまぁ「リモート集会がもっとみたい。」と思えるほどに6人の女達のそれぞれのキャラクターをもっと堪能したかった、ってのが本音なんですけどね💄。

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#8~3つのスピンオフ

さて、ここでCase3は、他のCase1-2以上に様々な形でスピンオフ作品を生んできた、という意味でもシリーズ中集大成的なニュアンスをも持つ作品だといえよう。

 

ここではその3つのスピンオフ作品を紹介していきたい。

 

❶愛♡民チャンネル

まずはマンション住民の中でも最も異彩を放つキャラクターを持つ小保方愛民(ラブミン)の『愛♡民チャンネル』である。最終回のリモート会議でも触れていた通り、「一人わんこソーメン」とその間に祭りの花火のように挿入されるコーラにメントスの模様である。

あ、コレはライブ配信ではありません(笑)


愛♡民チャンネル

 

❷シゲル・ミツヲのパンプティングTV

次に、以下二つは生放送シリーズとして実際にライブ中継として配信された。まずはアナウンサーである坂本梓が担当している番組『シゲル・ミツオのパンプティングTV』というテレビ番組の模様である。ハリウッドからの生中継というスタイルでアナウンサー役の朝川優と福永理未、そしてCase2に登場した吉田彩花が深野玲子の役で再登場している。*6


シゲル・ミツヲのパンプティングTV

*7

❸婚活サイト 縁結ビンビン物語 利用者満足度業界No.1

そして極め付けはコレ。清水麗が婚活サイトで奮闘するのだが、スピンオフの名に劣らぬリモート集会さながらの心理的な駆け引きは極めてスリリングだった。あとCase1を全通して来たフリークスとしては、麗が婚活条件にはシビアで、働いているスナックを「カフェ」と表現するなど(笑)、あらゆる点を誤魔化してたりするのだが【5兄妹の長女】とプロフィールにしてた点は、少し感動した。


婚活サイト 縁結ビンビン物語 利用者満足度業界No.1

 

3. Case3「女の話」と音楽とのリンキング

さて、今回のGCM動画日記 Case3にはいわゆるCase1の時みたいな『東京スカイツリー』に匹敵するいわゆる歌物の「主題歌」というものが存在しない。だが、全7エピソード見るにつけ何と無く個人的にドンピシャ過ぎて戦慄している曲が2 曲ほど存在するのでそれを紹介していきたい。一曲目はPrimal Screamの『Swastika Eyes』もう一曲はハルカトミユキ『近眼のゾンビ』である。

 

【リンク1】〜『Swastika Eyes』(by. Primal Scream)

www.youtube.com

私は本記事でリモート集会を「銃撃戦」というふうになぞらえたのだが銃撃戦なる言葉にはどこか思い当たる節があったんだけど、このGCM動画日記Case3の最後にかかるあのインストのテーマ曲ってどことなく、イギリスのオルタナティブロックバンドの代表格、Primal Scream*8の『Swastika Eyes』と曲の感じがすごく似てないですか?

いや、これが曲調だけではないのだ。

*9

 本曲のMVのストーリーを説明すると、女性に餓えた兵士たちが月に一度(かどうかは知らぬが)のお楽しみな【セクシーな美女達の花道狂乱ダンスショー】っていうイベントがあって、そこから次々と出てくる白、紫、赤とカラフルな格好をした主にSっけのある主に女王様タイプなどの美女が現れる中、最後の最後になってテンション絶頂に達した彼らのもとに現れたのが、それが何とガタイのでかい派手なメイクをした女装男。

 満を辞してその男は最後に持っていたライフル銃をぶっ放してその場にいる全兵士を血祭りにあげるという悲劇の結末が待ち構えているのだが、この結論は、どうにも「女たちの銃撃戦」として擬えてきた私としてはこのCase3『女の話』とオーバーラップしてしまうのだ。

思い起こせば最終回の直前、ある一人の男のような女性によるテロ行為さながらの銃口からぶっ放されるような結末が導かれるんじゃなかろうか、と予測していたのだが、今思えばなんとなくその予測は外れていないように思えるのだ。

 まぁ、最後に銃をぶっ放すのが小保方愛民さんだったらより正解に近い形になるんでしょうけどね...笑

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【リンク2】〜『近眼のゾンビ』(by. ハルカトミユキ)

そしてそして次のリンクは、女性二人組のオルタナティブ・ロックバンド、ハルカトミユキの『近眼のゾンビ』*10という曲である。 

ではこのハルカトミユキの曲中ファンの間でも人気の高い、本曲のリリックビデオなるものが存在するので、本曲の歌詞を見ながら曲を聴いてみましょうか。

 *11

www.youtube.com

ハイ、歌詞をご覧になりながらお聴きいただけましたでしょうか?

Case3『女の話』を全7エピソードご覧になった方はもうお分かりですね。

本曲の中でまさにこれ以上ないってくらい登場人物や物語の趣旨に偶然ながらもドンピシャにシンクロしてますよね。

 

それでは以下で、合計6つのフレーズを抜き出して検証してみることにする。

 

❶【他人の部屋の中 土足で上がり込んで 勝手に掃除している 手垢だらけの言葉  土産に】

→他人の部屋の中....これってまさにリモート会議での議題に挙げられていた盗撮カメラ問題をドンピシャで射程距離内に納めているではないか。まさにここでの6人がそれぞれペルソナを装ったかのような虚辞のような手垢だらけの言葉を用いながらも、他人の胸の内のうちを探るこのフレーズは本当テーマ曲のようなシンクロっぷり。

まさにこのマンション住民の、そして表には出てこないが、マンションの管理人の心理描写そのもの、と断定して良いかもしれない。

 

 ❷【匿名程度の才能で 毒にもならない名言 滲み出してる 

不幸願望】

Youtubeチャンネルを開設している小保方愛民の才能は、わんこソーメン、殴りなど、など様々な企画をして、「私のお墓の前で泣かないでください」「ありまーす」など、毒にもならない名言を繰り返し、一定数の匿名希望のファンを獲得している。その一方で、赤の他人に住所をバラされてしまったりどう見ても怪しいあの老人の小人の人形を「可愛い」と定義してしまったり、「殴り」も「ソーメン」も立花優に素っ気なくも断られた後、少ししょげてしまう姿にどうしても根はマジメで、恐らくナイーブな側面を持ち合わせているのだろう、真田恭子の苦情にも従順に対応したしね。

まさに不幸願望有り余るラブミンの様相を言い当てていると思う。

 

 ❸【ゾッとしちゃうほど正論で親切ずらしたジェラシー

脱力気取り 見えすいた煩悩】

→これはファーストセッションの時に直感的に思ったのだがドンピシャなまでに清水麗のテーマである。

時にリモート集会では全体を仕切るコメントを出しつつも、時に狭山佳代子に正論をかざしつつも牽制球を投げたファーストセッション、そしてやはり気の強そうな狭山佳代子の反撃してくる様子を見て、当然のように脱力を気取る下りがあるがセカンドセッションにあるがここの歌詞の「ゾッとしちゃうほど正論」と「脱力気取り」 まさにそれを言い当てている。

しかも、時折、婚活に励む余り「スナック→カフェ」と言い換えてしまう様子も最後のフレーズ「見えすいた煩悩」にほんとすっきりとトレースできるのだが。

 

 ❹【巧みにすり替える、好きと嫌いと善悪 

反論する気も失せて サジを投げ出す時を狙う】

→そしてさらにこちらは、❸を受けての狭山佳代子のテーマにしか思えない。よくこの人は、ファーストセッション時に清水とのやりとりを皮切りに、色んな疑惑をかけられがちな運命にあるのだが、それを否定するたびに「一体そんなことやって何のメリットがあるんですか?」と反論して来たものだ。この辺の論理のすり替えは本当巧みだ。あと【「好きと嫌い」は善悪では測れない】この下りは「たっくん事件」の本質を射当てているようで本当にドンピシャすぎるのだが。

 

❺【ショートしちゃってる愛憎でこんがらがっているイノセンス 不思議な正義感

→まさにこれある意味今回Case3;女の話における「影の主役」とも称されよう立花優のテーマそのもの。大マジで前半4回目、いやギリギリ5回目のと中辺りまで我々はすっかりこの人をイノセントなと人と誤解してしまっていたから。何せ、あの吸い込まれるような瞳の奥底まで読み取れなかった私は最終話でどん底に突き落とされるのは必然で、ある意味彼女には迷いなき愛憎があったからこそであろう。

 

 

❻【退屈しのぎで裁判ごっこ  誰かが死ぬまで裁判ごっこ

→さらにここの件は特にセカンドセッションとなるリモート集会で感じたのだが、6人の女達はどこかこの集会を心底嫌っていない、いや、ちょっと覗き見したいという深層心理があるからこそ欠席する事なく参加してしまうのではないだろうか。普通身内の不幸だ、残業だ、急用ができて、など色々事情いっときゃあ参加せずに済むはずである。多分欠席っしている他の住民などそういってるはず。清水麗と狭山佳代子との対決二回戦しかり、あと狭山と立花優との修羅場対決の模様など他のメンバーは多分内心ゾクゾク、ワクワクしながら見守っているような気がしてならないのだ。

だって、世の中には「裁判傍聴マニア」なるものが存在するぐらいだからね。「誰かが死ぬまで裁判ごっこ」これはこのマンションのリモート集会における、清水麗、狭山佳代子、坂本梓、真田恭子、立花優 ら、近眼のゾンビ達、いやもとい6人の女達に与えられた「影の議題」とも捉えてもいいドンピシャフレーズなのだ。

 

3. エンターテイメントの未来へ...

 さて、これまで論じて来たGCM動画日記#Case3が最終回を迎えた辺りぐらうだろうか。ようやく自粛が解除の趣を見せ、街ではそろそろ出かけていく人の数も増え、色んなところで「LIVE」や「演劇」が蘇生する息吹の予感がするのを徐々に感じる。それにしても、ここまでよく耐えたものだ。このコロナ禍で絶望の淵に追いやられた我々をエンターテイメントの力で救い出そうとした彼らへ最大のリスペクトを込めてお礼が言いたい。

そしてお礼、と言えばこの今こうしてまたもや13400文字を超えてしまった本ブログ記事を書くことも含まれるのだが、もう一つGahornz Creationを主催している朝川優氏が呼びかけているある意味大事な企画がある。そう、このコロナ禍において無償でエンターテイメントを届けてくれた『GCM動画日記』に関連する役者達にギャラを、といういうか切迫したニュアンスではなく、打ち上げなどで「美味しいご飯を食べさせたい」と言ったニュアンスで立ち上げられたクラウドファンディング企画である。

camp-fire.jp

微力ながら私も支援させてもらったが、望ましくは直接彼らにお礼が言いたいなというのが本音でもある。このままコロナが夏までには終息するのかどうかはかなり疑問な面はあるが、もしそうなれば、私は間違いなく8月辺りは東京に行きたいと願っている。この時期はここ何年かは、渋谷や下北沢で開かれる音楽ライブ、池袋で行われるインディーズ映画関連ののイベントなど、色んなきっかけがあるだろうが、今回はもう「GCM動画日記実写ライブ」なるものが開催されれば、もうこれだけのためにでも時間があれば上京することだろう何よりもこのGCM動画日記関連の人たちが出演している、何かライブや演劇などがあればきっとそこに向かうことだろう。

 

 

 

そう、そこにエンターテイメントがある限り...

 

 

 

 

 

GCM動画日記 Case3:女の話~全関連キャスト(50音順)

 

本編 

井上ほたてひも (as 小保方愛民,穂坂さえずり)

佐河ゆい (as 清水麗)

南貴子  (as 狭山佳代子)

廣瀬響乃 (as 坂本梓)

平間絵里香 (as 真田恭子)

堀有里  (as 立花優)

 

 スピンオフ編 

朝川優(as 伊東茂)

オオダイラ隆生(as 戸田夏生) 

吉田彩花(as 深野冷子)

福永理未(as アナ・レポーター)

向井康起(as Sany大塚)

 

 

皆様、ありがとうございます!!!!!

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To Be Continued...

 

 

*1:にしても、奇しくもこのブログ記事はゾンビの名の付く曲の検証で終わったがまだまだCase2のブログ記事も書かねばなるまい。🧟‍♀️

*2:何と無くこうなるだろうなという予感がしたのはCase2ラストのラストで環が登場し『Gahorn of the Dead』のDVDを返却しに行こうっていう場面があったから。次なるCase3ではこれまでの1-2とを統合化する流れが生まれるような気が何と無くしてたのだ。

*3:ちなみにリモート集会で、他の住人は割と日によってカメラの映り方のアングルが微妙に違ってたりするんだけど、真田恭子のアングルはいつも同じで安定してるのが個人的にとてもツボである。この事をご本人にtwitterでお伝えしたら適当な机がなかったからとの事。にしても謎の安定感がありましたよね笑

*4:ここは特に意図的に伸ばしたというのでは無さそう。

*5:この穂坂さえずり氏の存在は我々視聴者にとってストーリーテリング的な重要な役で、毎回息を飲むように探偵報告を聞いたものだった。てか、全Case出てて、全て濃いキャラクターな井上ほたてひもさんのキャラクターのバリエーションは恐れいる。愛民と共演してるのに同じ人感が一切ないのが凄い。

*6:この吉田彩花さん演じる深野玲子のキャラクター設定はガレージ歌謡バンド、キノコホテルのボーカルであるマリアンヌ東雲に非常に類似している。後に本人にお聞きしたところその意図はなかったということだが、「似てる」と言っていたw

*7:あと個人的に凄く疑問なんですけど最初のオープニング映像後にスッと出てくるこの女性

は誰だ?何と無く6人のキャストとは顔が違うし、Showroomやら、インスタライブでよく見ることが多いので似てると思った吉田彩花さんにTwitterで質問したが、違うそうだ笑

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*8:

www.sonymusic.co.jp

*9:あの曲自体Swastika Eyes(かぎ十字の目)と訳される通り、ナチを意識した政治的のものであり、また辛辣だ。 ちなみにこれ以前の作品でPrimal Screamは政治色出したものだがこの辺りは脇に置いておく

*10:

harukatomiyuki.net

*11:ちなみに、本曲の収録している『溜息の断面図』というアルバムは2017年にリリースされたアルバムの中でも大名盤である。以下はアマゾンに死ぬほど長いレビュー書いたのを書き起こしたものである。

nenometal.hatenablog.com

 

鈴木実貴子ズ、リハビリワンマン@鑪ら場レポート!〜ライブハウスの未来は何処へ〜

1.今年に入ってダメなライブ何本目...

一曲目『音楽やめたい』の最初のフレーズが、元々の意味から別のニュアンスで解き放たれた瞬間、ここ2ヶ月間存在していた蟠(わだかま)りが徐々に音を立てて崩壊していくのを感じた。

そう、あの「ライブ」が帰ってきたのだ。

体全身を振り絞るように全身で絶望も希望もないまぜにしたような全ての感情のマグマを全身全霊「うた」と言う人間だけがなせる技に託して表現するボーカリスト、鈴木実貴子、そして、その感情から芽生える息吹きの一つ一つに水をやるように、そして特にこの日はいつも以上に解き放たれたような笑顔で力強くリズムを刻む「もう一人の鈴木実貴子ズ」の「ズ」ことドラマーいさみ氏、そしてまるで電流に打ちのめされたかのように終盤では弦を切るつつも全身でギターを鳴らすサポートギター、くろおかかくむ、そしてそんなエモーショナルの極みをグルーブに課していつも以上にうねりまくる舟橋孝裕のベース。

この瞬間、純粋にあのライブが帰ってきた、ここからまた「音楽を愛することをやめたいと言っておきながらやめられない」人たちの音楽が奏でられたのだ、と強く確信したのだ、この20人限定のライブスペースで..

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かくして「みんなのリハビリワンマン2デイズ」と呼称されたライブの二日目が開催されたのは、その舞台は愛知県名古屋市吹上駅から徒歩約10分ぐらいの所にある、彼ら鈴木実貴子ズの二人で、DIYで経営している、まさにホームグラウンド「鑪ら場(たたらば)」である。

 確か個人的にここに来るのは2回目で、1回目は個人的にはまだそれほど邪悪なウイルスにここまで翻弄されるとは予測だにしていなかった、まだ冬ど真ん中の2020年2月1日の出来事だった。この時はわたなべよしくに氏とのツーマンという形で行われたが、最早懐かしい気がするので一応ここに載せておきましょう(笑)

*1 


2/1/2020 鈴木実貴子ズ、わたなべよしくにツーマン@鑪ら場(FULL version)

それから4ヶ月、この時は真ん中ど真前と言う席だったが、今回は2回目なので少し端っこからカメラも固定しやすい椅子座席へとやや余裕の構えで音楽を聴くことにした。

 ちなみに鑪ら場のライブスケジュール等の詳しい情報はこちら。

tataraba-live.com

 

 2. Overview of「リハビリワンマン」

「みんなのリハビリワンマン2デイズ」とはなんだろうか?これは最近のコロナ禍ですっかり中止に次ぐ中止の嵐で、ライブというものにご無沙汰になってしまったミュージシャンと我々オーディエンス共々の為の、「ライブの時の感覚を思い出そう!」という双方にとってのリハビリライブというコンセプトの元で開催された名称である。

 以下、当日よりわずか3週間ほど前の5/15に初めて告知された時の二人のツイートである。

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この鈴木実貴子氏の告知にある通り二日間にわたり予約ありの二十人限定でマスク着用、アルコール消毒敢行など様々な注意事項を守った上で、更に通常2時間程要するであろうワンマンライブの半分の1時間ほどで2000円というやや縮小した時間枠と、かなり抑えた入場料で行われた。

 Focus1-リハビリどころかガチな本編


鈴木実貴子ズ at 鑪ら場6/7(日)【リハビリワンマン 二日目】本編

結論から言ってしまえば、はっきり言ってこれはリハビリどころではなかった。鐚(びた)一文たりとも妥協もない真っ向勝負のライブだったと断言して良い。

ただ、これまでと違って何と無く「リハビリ」を感じたのは、演奏中に敢えてエアコンを切っていたのだが、これは彼女らがこれまでのライブの感覚を体感から取り戻したい、という意向があった事、あとこの前日のことではあるが初日にサポートギターK氏のファスナーが全開のまま本人は愚か誰も気づかずずっと演奏していたと言う(←コレコレここに書くの止めなさいwww)エピソード自体に「うわぁ、リハビリやなぁ〜😅」と実貴子氏も言及していた事と、あとはいさむ氏がステージで飲むドリンクを間違えてあまり水分を取るって感じではない「スムージー」を持ってきてしまった事ぐらいだろう。

 にしても、だ。そのような「リハビリ感」はそれぐらいのもので、それどころかこれまで過去6回ほど彼女らのライブを目撃してきたが、中でも一二を争うぐらい、いや、それ以上に気迫のこもった沸点の高いライブだったんじゃないかと思ったほど。そのことがハッキリしたのは2曲目の『夏祭り』の後で「昨日は楽しかった。今日は少し余裕があって客さんのことをあまり考えていない。昨日は来てくれるお客さんのことを考えて楽しませようという思いがあったけど、今日は自分が楽しい!!という思いがある。」という実貴子氏のMCからも絶好調ぶりが窺えたし、更にその次に放たれた『チャイム』における

コンクリート 仕事 お金 通帳 ケータイ 保険 しがらみ 支払い つきあい

...年金 けっこん 介護 ....

 

を歌い終えるや否のタイミングでの地団駄踏み倒して叫び倒す実貴子氏の歌う姿が過去最高潮勝手くらい鬼気迫るというか、凄まじ過ぎて圧倒されたことからも明らか。

にしてもこの曲には

【気付けなかったな 夕焼けが綺麗なことを】

っていうフレーズが示している通り、ここまで美しくも儚げで希望溢れる曲だったんだなと改めて気付かされたものだ、まるでこの日に、【気づけなかったなぁ ライブってこんなにも楽しかったんだなぁと気づいたこと】私自身を象徴するような気分だった。

 更に新曲『光を刺す』を披露する直前に「自粛期間中にたくさん曲を書きました。今日はこうして皆んなの前で披露する機会があってよかった...」とその時、少ししんみりとした口調で実貴子氏は言ってたが、聴いてるこちらも思わずグッと来る感じはあった。

順番は前後するが、もう一つの新曲『常識とルール』の切れ味も凄かった。

【公園のベンチでまたがって新商品の唐揚げ食べてる 

                     コーラにメントス 僕には何がいるの?】

そんなどん詰まりのような日常の風景から怒涛のような激しいアレンジが待っているのだがその直前の実貴子のどこかに潜む敵を見据えるかの如くギラッと光る眼光の鋭さは、今回のライブのハイライトのひとつだった。多分これって鈴木実貴子ズ史上最もオルタナティブな曲かも。いや、もっとミーハーな言い方をすれば鈴木実貴子ズ史上最もニルヴァーナ的な曲だとも言えるかも。あの1994年のカートコバーン 死の直前『MTV Unplugged』のラスト曲『Where Did You Sleep Last Night』で最後「シヴァーーーーーーーーー!!!!!!!!!」と叫ぶ直前に、一瞬銃弾に打たれたかのように目をハッと見開く誰もが見てもあのドキッとするあのシーンを思い出した。*2

そして、今回個人的に収穫ってかレアだったのは、ラスト曲『なくしたもん』を放つ直前の今回のアルバム『外がうるさい』の代表曲であり、MVにもなっている口内炎が治らない』 を演奏し終えた直後に「ああー!!!楽しい!!!!」とさも嬉しそうに叫んだのを聞き逃さなかった。こりゃ冒頭のMC通り心底ライブを楽しんでるんだな、本当にライブの好きな人達なんだなと思ってこちらも心の底からこのバンドに出会えた事を嬉しくて、誇りにすら思えるほど。

久々のライブ、しかも鈴木実貴子ズのライブという、人によってはかなりヘヴィかつシリアスに捉えがちなライブだったんだろう思うかもしれないが(まぁ最初は自分もそう思ったわけだけど)、逆にすっきりとした晴れやかな気分でこのライブを楽しめたっていうのが意外と言えば意外なのかもしれない。繰り返すけどいさみ氏は本当に楽しそうにドラム叩いていたな、彼のMCもいつもの自虐要素にさらに磨きがかかってたしね(←良いのかコレ?w)

 もうこれはハッキリ言えるが自粛要請解禁後の初めてのライブがこの人たちで良かったと素直に思えた。これは今現在様々なアーティストやバンドサウンドを聴き、ライブにも足繁く通っている音楽ファンとしての私だが、このような清々しい気分でライブにのぞめたのは、他のバンドやアーティストでは無理で、この人達にしかなし得ない偉業であったとすら思えるのだ。

 

Focus2-ラスト曲からアンコール怒涛の2曲


鈴木実貴子ズ at 鑪ら場6/7(日)【リハビリワンマン 二日目】本編最後〜アンコール編

しかしまぁなんと言っても本編ラスト曲「なくしたもん」に尽きる。*3本曲のラストスパートあたり、実貴子の咆哮は過去最高記録更新かと言っても過言じゃないくらい叫び倒し、そしてサポートギターが、2:30辺りでギターの弦もブチ切れてるのが確認できるだろうか。もうソニック・ユースニルヴァーナマイブラが束になってかかって来たんじゃないかってくらい凄かったわ、今日オルタナティブアーティストよく出てくるな今日の記事w。

そしてふと時計を見れば、ちょうど1時間後の7時少し過ぎたあたり。そして客席からのアンコールの拍手が起こるか起こらないかの瞬間にもはや捌けることなく「もう一曲させて下さい。」と実貴子は嘆願した。そこから放たれた「あきらめていこうぜ」はこれまで以上に更にさらに声を潜めつつも、むしろ魂が込められたかのような静かな怒りの塊の凄み。

そして完全に時間をオーバーしたものの、まだ、あと一曲、とまるで千本ノックに食らいつくように放たれたアンコールの2曲目は「うたなんて」!!!!

 その中でリフレインされるフレーズにこういう歌詞がある。

 

【うたなんてくだらないけど最高に無敵な瞬間がある】

 

これだ。このフレーズだ!!!!!!もう正にこのフレーズの中に僕らがライブハウスに足繁く通い、緊張の面持ちでフロアに駆け込み、ステージの演者の登場に感動し、日頃の生活の中で噛み締めるように聴いてきた楽曲がそこで放たれるのに歓喜し、時に狂ったように叫び、時に涙する、そんな僕らがライブへ行く本当の真理が凝縮されているのではないかと思う。

後これは私の憶測なんだけど、これはバンドで示し合わせていたのか、鈴木実貴子のみが目論んでいたのかは定かではないが、このラスト3曲の『なくしたもん』『あきらめていこうぜ』『うたなんて』は、別にアンコールで演奏するだ、突発的に最後の最後に演奏する予定だとか云々は関係なく最初からかましてやるつもりだったのではないかと私は思っている。だってもうタイトルや歌詞そのものがストレートに今の今まであらゆるライブ空間を抹消してきたコロナ禍に対峙したバンドマンとしての意地と怒りと誇りに満ち満ちているではないか。

こうして終演後も残響音が鳴り止まなかった。これがライブだったのだ、思い出したよ!

もう去年半年の間に7回目のライブとなり、その全てになんらかのサインをもらったりしてるのでもうすっかり常連の域に達してしまって物販での鈴木実貴子さん、ズさんとの何気ない会話、*4 帰りの新幹線でのサイン入りの2枚もの『外がうるさい』*5を眺めるひと時、そして家に帰り着きかけてふと見上げる帰り道の月明かりの光がいつも以上に輝いて見えたことなど、目の前にある全てがLIVE、だという全部当たり前なんだけど歴然とした真理の有難みに改めて気付けたのだった。

 これまた当然のことながら、パフォーマンスが終わるや否や、勝手にプツっと画面が途切れてしまう配信ライブでは決して体感できないものである、と言うことを認識して私としてのリハビリライブは終了したのだった。 

 

鈴木実貴子ズ at 鑪ら場 6/7(日)

【リハビリワンマン 二日目 セットリスト

*6

①音楽やめたい
②アホはくりかえす
③常識とルール
④夏祭り
⑤これでもかと
⑥チャイム
新宿駅
⑧ばいばい
⑨光を刺す
口内炎が治らない
⑪なくしたもん

en.1 あきらめていこうぜ
en.2 うたなんて

 

 

3. Bring Me To LIVE*7

そう言えば、ライブが始まる3時間ほど前に新栄駅から少し歩いて行った所に名古屋を代表する「クラブロックンロール」という正にその名の如くって感じの老舗のライブハウスがあるのだが、そこで写真展をやっているといういさみ氏のツイートを目にしたので行ってみたのだった。

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ここにあるのは、今取り戻すべき日常風景の一つのシーンとしてのライブが当たり前のように毎日毎日開催されていた日常からふと離れつつも日常を彩るステージの数々。今までの本ライブハウスでのロックパフォーマンス名演の数々を現像した写真をズラリと展示したその光景はとても壮観だ。勿論中でも今日の主役、鈴木実貴子ズの写真も4枚ほど展示してあった。*8 でもスペースでジャンジャーエールなど飲みながら、何千枚とある写真を眺めていると、ステージ上でも、フロアでもこれでもかってくらい笑顔が咲き誇っていることに改めて驚愕したりする、そういや最近人の笑い声って聞いたことないよねえとか思わずしみじみしてしまったり。

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これらの写真を見ているとこういう光景に出会すのはいつのことになるだろう、案外すぐそこまできているのだろうか、まだまだ先のことなんだろうか、正直複雑な思いも禁じ得ないものである。そういや、最近、FMラジオ番組を聴いてると、色んなミュージシャンがゲストで出演した際に「コロナが完全に終息して、LIVEができるようになったら、もう久々すぎて俺たちもお客さんとともにとんでもない感動的なステージが作れそうな気がするよ。」と言ってるのを本当によく聞く。「よく」と言ったが、この台詞は誰かがゲストに出る度にほぼ100%じゃないかってくらいの確率で耳にするフレーズだ。でも今の私にはそういう戯事には全く同意する余地がないのだ。何故ならもうこの状況で制限しながらも最高のライブをやったのを目撃してしまったんだもん。しかも、我らが鈴木実貴子ズがひょっとしたらリスクも背負いかねないこの、2000円と言う破格の入場料でそれほど利益があるとは思えないながらも、20人ものオーディエンスと向き合った真っ向勝負のLIVEを二日間連続でやってのけたのを目撃してしまったもん。

もっとハッキリ言ってしまえばそのラジオのゲストミュージシャンの言い方が、その件の【感動的なステージ】というものも、最早夢見心地に単に自分に酔ってるだけの薄っぺらいセリフにしか聞こえ無くなってしまったのだ、正直。だって考えてもみて欲しい。

もう今の状況は緊急事態宣言が発表された2ヶ月前とは全く状況が違うではないか、ちなみに東京アラートって一体あれ何だったん??

「(たとえ制限付きでもあったとしても)ライブの開催は可能」となった今現在、我々に最も必要なのはそんな安っぽい理想を語ることではない。【オーディエンスに参加したい、と思わせるミュージシャン側のこの時期にだからこそ伝えたいという強い意思を提供する場としてのライブを行うこと】に他ならないのではないだろうかと思う。

 前の記事でも書いたが、別にコロナウィルス自体はライブハウス自体から発症しているわけではなく、たまたまコロナを発症している人がライブハウスにいた事に原因があって、そう言う人が野放し状態になってしまっているシステム自体に問題があったのだから最近政府が提唱している変な新基準などガン無視してしまえばいいのだ

 

全てに万全を期して互いに信頼してやりゃあいいのだ、もうこっちは覚悟はできている。

もはや、前進あるのみ、だと思う。

ドイツの小説家であり詩人ゲーテは前進という概念に関して素晴らしい名言を放っている。

最後に、この名言にて当初3000字程度のレポにしようと思ったのだが、思いがけずというかやっぱり7537字を超えてしまった本ブログ記事にピリオドを打ちたい。

 

He who moves not forward, goes backward.
「前進をしない人は、後退をしているのだ。」

                                            −Johann Wolfgang von Goethe(1749-1832)

 

*9

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:ただここで思うのが、正直、鈴木実貴子ズに関しては特にライブが途切れたという感覚はなくてむしろ常にライブをやって来た人だと言う印象しかない。恐らく以前ライブを見たのは3月15日という緊急事態直前に京都でもギリギリ目撃してるってのも大きいのだが、4月にアルバム『外がうるさい』もリリースしているから常に何かを発信しているイメージが他のアーティスト以上にあるんだな。ちなみに『外がうるさい』に関するこの辺りの過去記事は以下を参照願いたい。

nenometal.hatenablog.com

*2:鈴木実貴子ズには無関係だが、是非このvideoは見て欲しい。Nirvanaのライブ史上最も静かなライブだが、どこか不穏な空気が流れるパフォーマンスの数々。そういや実貴子さんはNirvanaは好きなんだろうか???

*3:その割には撮影中レコーディングが止まってしまったのだが、、、これもライブの神の悪戯という事でお許しを笑

*4:ちなみに今回二人の差し入れによくTwitter上で「寝れない、寝れない」と呟いている実貴子様には入浴剤『BARTH』を、漫画好きで多少私と趣向の合うズさんには和田ラジヲがカバーした『火の鳥』を差し上げた。

*5:なぜこのアルバムに2枚サインもらったかと言えば実は1ネタがあって...それはいずれの起こりうる素晴らしいことの布石として...ってなんじゃそらw

*6:参加していないが、リハビリワンマン1日目のセトリは以下の通り...

1.限りない闇に声を

2.口内炎が治らない

3.問題外

4.常識とルール

5.アンダーグラウンドで待ってる

6.バッティングセンター

7.アホはくりかえす

8.都心環状線

9.光を刺す

10.うたなんて

11.音楽やめたい 

*7:ちなみにここはEvanescenceの大ヒット曲「Bring me to life」にかけましたとさw

*8:勿論購入しました。大きさは3パターンあったが、ドデカいのは飾るスペースが限られるのでL2版とL1版を各二枚に留めておきましたとさw

*9:そう言った意味でこの鈴木実貴子ズがこのライブに踏み切ったのはレジスタンス的意味合いでもなく彼女らは一貫してそう言う姿勢を貫き通しているからである。そういう姿勢は本インタビュー記事を読めば明らかである。

mikiki.tokyo.jp

コロナ禍配信ラッシュのパイオニア、『GCM動画日記』爆裂レビュー〜Case1篇

0. コロナ禍におけるライブ事情あれこれ

ここ最近のコロナウイルスによるライブイベントが軒並み中止になったり、マスコミにおけるライブハウスバッシングがもう目に余るほど凄まじいことになっている。別にコロナウィルス自体はライブハウス自体から発症しているわけではなく、たまたまコロナを発症している人がライブハウスにいた事に原因があって、そう言う人が野放し状態になってしまっているシステム自体に問題があるのだ。それをあたかもライブハウス自体に非があるかのようにここまで攻めるのはいささか問題はあるのは自明なんだけど、でもこれがマスコミのバッシングの矛先の向ける常套手段なんだろうという事も明るみになってくる。*1

こういう事実を目の当たりにするにつけ、ライブハウスって結構マイナーだったんだなという事実を改めて知る。

 そういや、何となく色んなLIVEイベントなんかに行ってると、ライブハウスって何か音楽とかLIVEとかに全く興味のない人からすると少し異様な雰囲気がするだろうなと今更気づく。

だって思い出してみよう。チケット持って整番でライブハウス外で並んでいる時にたまたま通りかかってこちらを見るときのあの好奇心に満ちた顔を(笑)。

決まってそういう時は学生っぽいカップルだったり、会社帰りのサラリーマン風の複数だったりするのだが(で大体客に「誰ですか?」って尋ねてくるのが外国人だったりするのは何故だ笑)、

そのプロセスを説明すると、 

❶ ちょっと長蛇の列に驚いて客層をさぁっと眺めまわす

❷ 看板にある演者の名前が書かれた黒板なりの看板を見る

❸ A「誰?」B「さぁ??」みたいな会話が繰り広げられる

こんな光景に出くわすことはないだろうか?

そこで毎回思うのがライブハウスってそれほどメジャーじゃないのね、って事だ。

 という全く本文にほぼ関係ない前置きは置いといて、コロナ禍以後、もうここ数ヶ月間以上にも及んで色々な配信ライブや配信イベントの類が行われてきたものだ。本記事では、その中でももはやtwitter界隈でオフィシャルコメンテーターだと思われているんじゃないかってくらいレビュー・ツイートしまくっている「Gahornz Creation Mobile(GCM動画日記)」についてその魅力を述べていきたいと考えている。

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 1. Gahornz Creation Mobileとは?

にしても、最近コロナ騒動を受けて様々な音楽LIVEの分野では、有料・無料問わず配信ライブが企画されてきた模様。これはAnly,  Who the Bitch, AmamiyaMaako, Hallcaなど定期的な配信を含めたミュージシャンたちのみならず、映画界でも本ブログでよく触れている上田慎一郎監督も『リモートを止めるな!』という『カメラを止めるな!』のスピンオフ的なリモート映画を撮影公開していたり、『みぽりん』を監督している松本大樹監督も『はるかのとびら』というスピンオフというよりもあの作品の全キャストを使って、もはや別作品とでも定義できるよう素晴らしい作品を配信している。*2

 そして、今回個人的に最もハマってるのが今回のテーマであるネットドラマで、基本的には役者5人(最終的には7名)を中心に各々がリモートで撮り合った動画をかき集め、一つの作品として編集してほぼ毎日10~20分ぐらいのドラマとして更新したもの。これは、朝川優さんという俳優が自ら主催しているGahornz(ガホーンズ)という演劇を中心としたエンターテイメント・プロジェクトが企画している動画ドラマ、それが、Gahornz Creation Mobile(以下、GCM動画日記)である。

ここで強調しておきたいのが数ある動画ドラマの中で、先に述べた上田慎一郎松本大樹監督らよもずっとさらに早い時期に、緊急事態宣言の後の間もない4月11日というコロナ禍で作られたリモート作品では日本、いや世界最速なのではないかと断言しても過言ではない。これが毎回怒涛の展開でペースが早い時で4月11日の開始以降、早い時で1日一回というハイペースな更新がなされていることもあったほどだから物凄いペースである。*3

これは今現在配信されているCase3に至るまで全ストーリーを観て全てツイートしまくってる私がいうのだから間違いない。だからはっきり言っておくと、今様々な分野でリモート動画が公開されているが既に4月11日からスタートしたという意味では GCM動画日記 が紛れもなくパイオニアであると断言しても良い。

 しかも中でも最初のエピソードであるCase1は、ある5人兄妹をめぐって本当の人との繋がりとは何かを奇才朝川優によってリアルに紡ぎ出された全十話の2時間近くの大作となっているのだ。

そして幾多のリモート作品と一線を画している点として、割と他の作品はコロナ禍を意識した(と言うより必然的にそうなってしまうよね。)設定が多いのに対し、その種の空気を一切感じさせず純粋にストーリーに没頭できる点が挙げられよう。

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以下のHPがその『GCM動画日記』の企画から演出指示から動画編集から出演までありとあらゆる方面でマルチな才能を発揮している朝川優氏のホームページである。

gahornz.amebaownd.com

 

1-1. Case1:五人兄弟の話(前半)

その中でも今回の記事では記念すべき第一回目を飾ったエピソード1であるCase(1) を紹介したい。

そこで出てくる七人の登場人物を紹介しよう。

【5人兄妹】

 

鈴木健介(34)...長男。愛称はけん兄。舞台で照明の仕事をしている。

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清水麗(30)...スナックで働いている長女。別名「マチルダ」。*4

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前田早苗(28)...銀行に勤務している。音楽好きらしく、バンド、メメタァのファン。

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江藤環(25)...化粧品会社に勤務している。姉妹の中で最も年下ながらもしっかりしている。

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山口雄太(20)...現役大学生としてお年玉をもらう位、最も若い、年下の末っ子

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サンライズ太陽...Rockンド、メメタァのドラマーとして本人役で出演している。 

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穂坂さえずり...探偵。清水麗の働くスナックの常連。ポッキーゲームにこだわる。

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という最大7 人のメンバーから構成される。

という事で本記事では全10エピソード(#1~#10という風に表記されているからここでもそれに準じる事にする。)を当時のツイートや全体を見た後の感想をも踏まえたコメントも混ぜてストーリーの中核となるネタは伏せてレビューしていく事にしよう。 

 

#1 ;1月1日


GCM動画日記 Case1 第一話「1月1日」

4月11日から始まったリモートドラマだけど、最初の映像から既にドンピシャでございました。岩井俊二監督作の好きな私からすると、スクリーン上で文字がカチャカチャ形成される箇所が『リリイシュシュのすべて』を彷彿とし、さらに兄妹役の役者5人が公開している動画の演技の映像が時折ブツッと切り替わる所とか花とアリス』『リップヴァンウィンクルの花嫁』をそれぞれ彷彿とさせてもうそういう映像の質感がとてもツボだったのだ。

 

当初公表された限りのストーリーのプロットをざっというと... 

「養護施設で子ども時代を過ごした5人の男女。時は経ち、そてぞれ、社会人や大学生として各々の人生を歩み出していた。そんなある日、彼らは「動画日記」で近況を報告する事に...」

という前提があるのだが、私は当時のSNS【密になれない世の中の密な絆の物語】と定義した。でもそれは「ある意味で当たりであり、別の意味では良い意味で予想が裏切られてた」と言おうか。 

...まぁここまで書くと、一見平穏無事に思える5兄弟のヒューマンドラマとでも定義しても良いように思える内容なのだが、今思えばこの第一回目で既にそんな手加減感は皆無でもはや第一回目から既に不穏な空気が漂っていたと思う。

この回はその「日常の平穏」から「波乱の幕開け」に至る過程への布石の部分を確認していただきたい。

 

#2; 1月2日 


GCM動画日記 Case1 第二話「1月2日」

「マチルダさん」とは清水麗の職場であるスナックのニックネームなんだろう。実は全編通してみたけどこのニックネームはある人物も共有していて、その人物がいう「マチルダちゃん」というニュアンスと健介のいう「マチルダのニュアンスが全く正反対なのが興味深い。あと山口雄太が正月における大学の休みを春休みと冬休みとを言い間違える場面にふとハッとしてしまう。*5

この名前はこのドラマで1回目に抱いていた印象から既に二話目から波乱の予感があったが、ここでも二重のパンチを喰らわす。それは後半も後半、この5兄妹の中で唯一こういう種の動画更新など怠りなくしっかりやってそうな(笑)銀行 勤務の前田早苗がなんとなんと動画の更新をしなかったのだ!この不在感のもたらすインパクト。

その謎を嘯くように被さって行くように主題歌『東京スカイツリー』のイントロダクション。

見た当時、これはタダものでない展開に導かれる予感がした。

ある意味その予感は大当たりだった訳だが。 

 

 #3; 1月3日


GCM動画日記 Case1 第三話「1月3日」

動画日記上の3日目。2日目、いや、前述した通り、1日目あたりから既に何と無くの予感はしてたんだけどこの全員仲の良さげな5兄妹の精神的な各々のバイオリズムに微妙な「ズレ」が生じていくのを感じる。その象徴が#2の時に泥酔状態だった清水麗が二日酔いで何と無く健介にダメ出ししている不機嫌バージョンなのに対して、逆にこの日の江藤環が酩酊状態でどこか良い意味で感傷に浸っていたりとかとにかく兄妹の精神状態がチグハグなのだ。

そして最後の最後に再び出てきた前田早苗が一人で抱え込んでいた独白の部分。

 夜中になる不在着信音の謎。不眠。

昨日の続きか、新たな今日か、どれでもない何かが始まるのか。

この辺りから完全にこの動画日記にどハマっている自分に気づいた。

 

#4;1月4日 


GCM動画日記 Case1 第四話「1月4日」

1月4日、4日目。5兄妹の中で今現在最もシリアスな状況にいる前田早苗の動画からスタートする。そして今考えれば清水健介の言う「あいつ」、清水麗の言う「気象予報士」という言葉にその後の展開に関して意味深なニュアンスが感じられる。それにしてもこの日は、前々日から示唆されていたが各々が抱え込む感情が不協和音を立てつつ錯綜していく今日の展開は【兄妹による動画フォーマットドラマ】の枠を超え、最高潮にスリリングなエピソードだったと言えよう。

今回、主題歌を担当しているメメタァのドラマー・サンライズ太陽氏が新たに出演されているのだが、注目したのはその役柄が全くそのまんまである点。彼が出演したことによって彼らの主題歌『東京スカイツリー』の挿入されるタイミングが、今後のストーリー展開に影響するようになってきたように感じられた。

 

 #5;1月5日


GCM動画日記 Case1 第五話「1月5日」

1月5、5日目。動画撮影中の早苗の元に突然鳴り出した2度もの携帯電話の音に思わずビクっとする。そしてようやく再びけたたましく鳴る着信音の所在が早苗が度々口にしている「まっちゃん」という男(というか彼氏?)の名前とがもしかして繋がっているのではないかという点に意識が集中する。この回は今思えば、これまで示唆されてきた黒い影の正体が徐々に足を忍ばせつつあるサスペンスのような展開にゾクゾクしたものだ。そしてそのサスペンシャルな色合いに追い討ちをかけるかのようにこの日、「探偵」と言う名の職業の男が現れるのである。そう、これが物語のキーを握るその名も穂坂さえずりである。

 まさかこの日「マスカキ」連発するこの男が今後のストーリーの鍵を握る重要人物になるとは予想だにしていなかった訳だけど...。

*6

 

 #6;1月6日


GCM動画日記 Case1 第六話「1月6日」

 7人の役者による即興ドラマ、6日目。
今日も今日とて衝撃の事実が幾重にも積み重なり、兄妹の感情の振れ幅の差が最大級に達する混沌的展開に震撼する。5年前と今日とを結ぶある人物との接点。

それにしても清水麗が示唆する【あの人】とは一体誰なんだろうか?

そして早苗による動画日記撮影中に突然鳴り出すチャイムにまたもや視聴者である私もビクッとする。

そして、そして、最大限に疑問なのが「五人の中で絶対ここにいないだろうな。」と思わせるような山口雄太を包むあの妙なタイムラグどころか幾分時間が経過しているように感じてしまうあの空気感..............ま、、、まさか!!!!!そういう事なのか、いや嘘であって欲しい。

でもなんとなくここで断定できることは、彼は過去にいながら現在とをリンクしている唯一のタイムトラベラー的な存在であると言う事実。(まぁはっきりとこれがどう言うことなのか、言えんのがもどかしいが、これは言ってはいかんなので、是非内容をご覧ください...笑)

あと、余談だけど、この動画を視聴している時にこの動画を鑑賞中、普段鳴りもしない自分の携帯のメール着信音が何度も鳴って思わずぎくっとした事があった。

これは当然のことながら偶然の産物なのだが、最早我々視聴者もあたかも本作品の一部に組み込まれているような錯覚を覚えてしまう...。

 

1-2. Case1:五人兄弟の話(後半) 

#7; 1月13日


GCM動画日記 Case1 第7話「1月13日」

 7人の役者による即興ドラマ、7日目。ここまで見て来て思ったんだけど5兄妹中、最もエピソードにせよ言葉にせよ、ブレを感じさせないのが一番下の妹、江頭環の存在である。

彼女はエピソード中何よりも動画日記を安定した形で更新してきたし、この中で最も一貫して「いつか兄妹全員で会いたい。」という意思を発信してきたように思う。その意味では彼女が最も安定した精神安定剤的な存在であり、年下ながらもいわば長女的な役割があるのかも知れない。あるカルト的人物に再び助けを求めようとして再びドツボにハマりそうになった姉を1日かけてサクッと救い出したし(笑)。

いずれにせよ、今回、最も重要な事は、彼ら兄弟が知っていて、我々がこれまでハッキリと知り得なかったあの衝撃の事実を叩きつけられたのだった。今まで散りばめられてきた違和感という名の伏線が徐々にその歪(いびつ)な正体を表してきた!*7

ちなみに#7では、早苗によってメメタァの主題歌『東京スカイツリー』とは別にもう一つの彼らの楽曲である『インスタントソング』がある意味今後のもう一つの主題歌的なニュアンスで登場しそうな予感がした。

 

#8;2月27日 


GCM動画日記 Case1 第八話「2月27日」

前回あの、パンドラの箱が開けられ、ようやく兄妹と同じ目線に立てたからこそクリアになった風景がある。これ以降今までのエピソード#1~7全ての意味が変わってくるし、更に初日からわだかまりの如く残っているあの謎とが共存しつつの嵐の前の静けさのような8日目である。

そして清水麗の涙ながらの告白は非常に重かった。これは別に雄太の状況に関するそれだけではなく、5人兄弟が未だに5年前にあの事件が起こったあの時の心情から変わっていないのではないかというこの事実がひたすらに重かった。

そして江頭環による鈴木健介が彼女に伝えた「貧乏旅行」という言葉のニュアンスのぼやかしっぷりの胡散臭さが半端ない。*8 今思えばこの貧乏旅行が成功するか否かで、5兄妹が本当の家族として今後も存在し得ることができるのか、と言う重要な意味合いが孕んでいることが分かる。

もう泣いても笑っても、いよいよ話は#9という動画日記Case1の最大のクライマックスへと突入する!!

 

#9;5月5日


GCM動画日記 Case1 第九話「5月5日」

「これで....全部終わり」

「動画日記」の「ナレーションもなく唐突に鈴木健介の疲労困憊ながらも解き放たれた表情から放たれたこのこの言葉から#9は幕を明ける。そして同時に健介が自分の誕生日の存在に気づいたのは山口雄太の5年の時を経てのお祝い動画の存在だった、という何とも言えない事実。*9

そして「オレや、麗、早苗、血は繋がってないですけど、あなたよりも、あなたよりも、しっかり繋がった家族がいます。雄太は最後は最期まで幸せな人生を歩んできました。」もうそう言う風にポジティブな内容のことを言っときながらも、ズダボロに泣きながら告白する健介。

そしてその後、その涙もようやく晴れ上がり、「誰と思ってるんですか?健兄ですよ!」と破顔の笑顔で語りかける彼の表情はとても無邪気で若々しい。そう、まるではにかみ笑いながら動画日記を撮り続けていたたあの雄太と本当にそっくりってくらい晴れやかな笑顔だ。

本当に彼らは兄弟なんだな、確かに血は繋がっていないかもしれないけれどそっくりな笑顔だ。

まさにこの五人が本当の兄妹になったのだと気付かされた瞬間。

「これで....全部終わり」

もうこれで全てやる事はやったのだ。もうあとは5人兄妹は本当に血の繋がりがあるのかとかどうとかは全く問題にならないくらい、5人は、真の意味での家族となったのだ。

そう言うこれまで迷いの海の中を漂いつつ過ごしてきたあの悲劇以降の5年間からの解放。

それが全て終わったのだった。

もうこれが5人兄妹各々が撮った演技の動画を繋ぎ合わせ編集した最長20分×8日分の日々の作品の集積がここまで震撼させ、驚愕させ、胸締め付けられるものになろうとは予測していなかった朝川優、恐るべし... 

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#10;9月27日

7人の役者による即興ドラマも最終回である。2022年9月26日と27日の5兄妹の、これまで史上最高に、晴れやかな表情の清水麗、前田早苗、江藤環、鈴木健.......................そして山口雄太の笑顔。

 もうこの日はもう私はひたすら彼らに拍手を送りたかった。

#9で述べてきたように、これまでの5年にもわたる長い長いそれぞれの心の中にあった蟠りにようやく光が差し込んでくるような感覚を覚えたからだ。

それにしても、この最終回では挿入歌であるメメタァの『インスタントソング』の【明日も今日と同じように続けることができたなら それが全てだ】というフレーズが心の奥底にズバズバと突き刺さる。これは別に彼ら5兄妹に対するフレーズのみにとどまらず、今、コロナで日常生活のありとあらゆるものがコントロールされ尽くして、解放的な世界を希求してやまない今現在の我々にとってもとてもとてもシリアスに響く。


GCM動画日記 Case1 最終話「9月27日」

  

2. GCM動画日記とメメタァ楽曲とのシンクロニシティ

 本曲の歌詞と物語とのリンクに関しては、#1~#2辺りぐらいまでは、「ああ、エンディングにかかる曲なのね。」ぐらいの認識程度で、それほど気に留めるほどではなかったのだが、とある登場人物の心象風景を示唆している事に気付いて以来、俄然あの印象的なイントロが鳴り始めてからはいい意味での鳥肌が立つようになっってきた。というのもこの主題歌の流れるタイミングが絶妙で、エンディングというパターンもあれば不意に中間地点だったり、序盤だったりといつ出てくるかも知れん緊張感が含まれているのだ。*10


メメタァ - 東京スカイツリー【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

ドラマの内容云々は抜きにしてこの曲の私的第一印象は久々に初期衝動に満ちたロックを聴いた、という感想だった。別にロックとはギターがガンガン鳴ってるとかシャウトだとかそういう次元の話ではなく、自分の身勝手な理想ばかり突きつけてくる大人達への静かな怒りに満ちた怒りに満ち溢れている。こういう僕らが忘れてしまったリビドーが満ち溢れている曲は本当久しぶりだ。

更に#7で早苗が彼らのリリースイベントライブに行ったという設定で「この曲を聴くと5年前の気持ちに立ち返る。」という『インスタントソング』の存在も欠かせまい。


メメタァ - インスタントソング【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

先ほど触れたように【明日も今日と同じように続けることができたなら それが全てだ】というフレーズは5兄弟の文脈に置き換えてもある意味では希望でもあると同時に、これはある意味ではとてもヘヴィーなフレイズにも見て取れる。

 いずれの曲も、山口雄太の心情のみならず、五人兄弟の心情そのものを投射しているのではないかと思う。もしかしたら偶然なのかも知れないが、いずれにしても物語と楽曲とが、#1~#7へと回を追う毎に共鳴しあってシンクロニシティを形成しているような感覚があった。

 

3. 拍手という名の花束を

いや、ここまで書いてみて思ったのだがGCM動画日記を論じるとは言っても、まだCase1のみしか書いていない事に気づく。だって既にあの奇想天外な奇譚作品である別名「Gahorn of the Dead」であるCase2の方もとっくに完結しているし、今現在継続中のCase3(これがまた珠玉の傑作なのだ!)ももうすぐ次回で最終回というのに既に10600字を超えているではないか。もうこうなりゃ目には目を歯には歯を、Case1-3にはCase1-3を、だ!!!(なんのこっちゃw)この「コロナ禍配信ラッシュのパイオニア、『GCM動画日記』爆裂レビュー」なる本記事もCase1篇という風に区分けして、さらにCase2, Case3篇へと本記事もシリーズ化してつなげていきたい、と考えている。

 とはいえ本記事のまとめ、を一応はしておきたいのが人情だ。

実はCase1が最終回を迎えた次の日あたりだろうか、全出演者へ向けてこういう拍手と花束ツイートを捧げている。

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 これは皆さん喜んでくれて、中には心強い感想をいただけて嬉しいなどのコメントもいただけた。でも、この拍手と花束の気持ちは、本当に今の自分からすると偽らざる気持ちでこの動画日記の更新は普段関西に在住して東京にある劇場等で東京の舞台役者達の演技をこうしてリアルタイムでライブ感さながら観れるチャンスは滅多にないことから出た素直なものである。

本当にこの配信を毎回まるで舞台を見にいく感覚で楽しむことができている。今回さらに本記事執筆にあたってCase1の気になったエピソードを全て見直したが、本当素晴らしい作品ってのはリモートだろうが、舞台だろうが劇場だろうが、本質が伝わるものだと実感している。それは音楽に関しても同じ。どんなに音響がしょぼくても映像がクリアでなくても伝わるものはフィルターなどぶっ壊してでも伝わっていくのだ。
ちなみに上田慎一郎監督も『リモートを止めるな!』では「次は現場で!」という言葉が最も言いたいこととおうか、最も大切なキーワードだった。

このGahornz creationに関する舞台作品も、いつの日かこの遠隔地であるネットベースでもなく、DVDなどの映像作品でもない「次は現場で!」拝見させていただくつもりである。

 

今も尚カーテンコールが鳴り止まない。

2度目のカーテンコールの拍手が聞こえるではないか!

そして、もう一度彼らに拍手という名の花束を捧げてこの11212字を優に越えてしまった本ブログ記事に一旦この記事の終止符を打ちたい。

 

GCM動画日記 Case1:五人兄弟の話

朝川優(as 鈴木健介)

佐河ゆい(as 清水麗)

吉田彩花(as 前田早苗)*11

福永理未(as 江藤環)

斉藤陽葵(as 山口雄太)

井上ほたてひも(as 穂坂さえずり)

サンライズ太陽 

 

 皆様、ありがとうございます!!!!!

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To Be Continued...

*1:この序盤の文書いたのって結構前で1ヶ月経過した今も尚全然直してないんだけど、ほぼ状況は変わらないのでこのままにしておく。

*2:この2作品、中でも『はるかのとびら』はいずれ記事にしようかなと考えてるぐらい素晴らしい作品だったな。

*3:長さ的にも『リモートを止めるな!』『はるかのとびら』共々30分ぐらいということを考えるとCase1だけでもトータルで2時間以上ってことだけでもその圧倒的分量による凄みがわかる。

*4:そういえばこのマチルダこと清水麗は次々回作Case3『女の話』でも再登場する。このGCM動画日記はそう言うエピソード間がリンクする点も楽しみの一つだ。

*5:あとお年玉を「臨時収入」という所も地味に気になったが....でもまぁ普通に大学生はそう思うかな。と思いこの脚注に留めとく笑

*6:さらにさらにこの穂坂さえずり演じる井上ほたてひも氏がこの後連綿と続いていく全エピソードに重要な役で登場する事になろうとは予測していなかった笑

*7:その意味では物語の核のようなエピソードが盛り込まれているこの#7ってなんて濃いんだろうなと思ったりして。

*8:で更に更に思うんだが、江頭環はこれが単なる貧乏旅行ってことは鼻っから信じてないんじゃないんじゃないかという気もしてきたよこれは何となくだけど...

*9:冒頭で穂坂さえずりがタイのお土産を渡しに行こうとする件があるがこれって今思えばCase3#5でお土産を貰ったエピソードを清水麗が言っていたことと符号する。この動画はこういうリンキングも楽しい。

*10:朝川氏の週1木曜日の9時から配信しているラジオでこの件をお聞きしたが、やはり物語の展開に合わせてということだったな。

*11:このキャスト書いてて思ったんだけどそもそものきっかけの大元を辿ればこの今回のCase1最重要と言っても良い出演者の吉田彩花さんである。この辺りの記事は次なるCase2篇でも述べていきたいと思っている。

僕は今日を救う、君は明日を救え。-『ワンダーウーマン』(2017)review


WONDER WOMAN - Official Trailer [HD]

予め断っておくが、この話の主人公、ダイアナ・プリンス(ワンダーウーマン)は我々が想像するいわゆる従来の「正義のために戦うヒーロー」という範疇を軽く超えてしまっている。もはやヒーローとしての概念がもはや規格外にぶっ壊れているのだ。
なにせあの丸くデカイ「シールド」は自分の身を守る為だけに用いるのではなく、駆け抜けながら弾丸をピンポンのように跳ね返す単なるラケットと化してしまっているし、締め付けると本音を言わざるを得なくなるあの光る縄は人を痛めつける「武器」というよりもコミュニケーションの手段としてしか用いていない。そう、この人の持っている武器は必殺技としてではなく、別にあってもなくても良いオプションにしか過ぎないのである。
 さらに、(これはもっとも重要なことなのだが)、【正義】に関して、「闘うことのできない弱者を救うには正義ですら邪魔になることもある。そんなもん目障りな建前に過ぎないのだ」と一蹴してしまうのである。

はい、ここで普通戸惑いますよね。正義...が邪魔、目障り、ですと????

そう、時として何か大事な人(もの)を守るにあたって、彼女にとっては正義すら【敵】と化してしまうのである。
そんなぶっ飛んだヒーロー、ライバル会社のマー○ルとか、日本のレンジャーとかライダーとかウルトラとか、どこを探してもそんなヒーロー(ヒロイン)が他にいただろうか?

だからこそ。何もかも捨てて勇壮に何百人もの敵に仲間が引き止めようとも、立ち向かって行くその戦闘シーンが余りにも華麗すぎて、美しすぎて、かっこよすぎて、勇ましすぎてふっと目に涙が出てしまったほどのカタルシスがそこにあったのだ。
(これも断っておくが)別に私はアメコミオタではない。
むしろこれまでの人生で、アメコミ映画なぞほぼほぼスルーしてきた私がそう感じていることに一番驚いているくらいである。

で、そんな規格外ヒーローであるワンダーウーマン。いつしかその視線の矛先は本土で繰り広げられる醜き争い(戦争)を食い止めることに向けられる。
だが、彼女が根絶すべき真の敵は何百万もの敵に打ち勝つ事でも、大量殺戮ガスを撒き散らすボスを殺ることだけではなかった。そこで悟る真の敵とはまさに【人間同士が憎み、殺し合う理由そのもの】という命題であることにいつしか気づかされるのである。
 そう、そのようにして迷いながらも、苦悩しながらも困難を乗り越えていくそのリアリティは我々が常日頃生きていって行く上で幾度となく眼前に立ちはだかり、逃げてしまいたくなるあの人生の困難の壁と同じ。だからこそ、危険を顧みず、逃げもせず、まさに一人対1000人ぐらいいる敵に立ち向かおうとするワンダーウーマンことダイアナ・プリンスの勇姿に打ち震え、涙するのだ。
 因みにワンダーウーマンの【wonder】という単語には「天才」「驚異」以外にも「迷える。」「不安に思う。」のようなややネガティブな動詞の意味もあり、そこに苦悩を乗り越えながらも突き進んで行く新たなヒーロー像の姿を垣間見ることができる、というのは考えすぎだろうか。

とにかく観るべし、表題のセリフが聞こえた時、ワンダーウーマンワンダーウーマンとして存在し得る本当の理由がわかった気がした。

 

今年最強の歴史的名盤となるか?鈴木実貴子ズ『外がうるさい』全曲レビュー!!!

0.歴史的名盤とは

唐突だけど「歴史的な名盤」の基準って一体何なんだろうか?

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いや、こういう風に大それた命題を掲げてみたものの多分話はそう単純でなものではないだろう。例えば、シングルヒット曲を数多く放ったアーティストがそれらの曲を軸として、残りは新曲や未発表曲などをかき集めて10〜12、13曲ぐらいコレクションしたアルバムをリリースしたとしようか。それが、例えかつて90年代CD全盛期のような100万枚だのバカ売れの仕方をしようとも必ずしもそう呼ばれるとは限らないと思う。何というか、そういうパッケージングであるとか、周りの期待に煽られてとか、そういう前もって取って付けたようにリリースされるものではなし得ないことだと思う。

 それを何というか、もっと次元の違うものなのだ。いや、次元すら感じさせないようなスッと世の中の必然に呼び込まれて出てきたような時代の産物的なものが「名盤」としてカウントされるのではなかろうか。更に言ってしまえばもはや運命としてそうなるように決まってるんじゃないか、時代が時代を呼び込むようなもの、更に言えばむしろ時代がその作品の後に追従してしまうようなものではないだろうか。

では具体的に60年代辺りからいわゆる名盤として考えられているものを挙げてみようか。

*1

【世界の名盤クロニクル〜主に7のつく数字編】

1967 The Beatles『sgt. pepper's lonely hearts club band』

     The Velvet UndergroundVelvet Underground & Nico

1977 Sex Pistols 『Never Mind The Bollocks 』
1987 New OrderSubstance』/ U2 『Joshua Tree』etc...
1997 Radiohead 『OK computer』

   The Chemical Brothers『Dig Your Own Hole』

   Björk『Homogenic』 etc...
2001 Radiohead 『KIDA』etc...

 世の中に蔓延る、名盤ディスクガイド的に例をここで挙げるのはかなりのスペースを割いてしまうのでかなり的を絞った形でここで提示したが、まさにこれらのアルバムを見てみると驚くほど「シングルヒット」の影が少ないことに気づく。というよりもむしろ、曲単位というよりもアルバム全体として解釈されるべきものが多く、中にはリリース当時賛否両論があろうとも、或いはそれほどセールスに影響してなくても、じわじわと評価されてきたものが多いようにで見受けられる。

 これはどういう事だろうか。

話が複雑化してきたので少し方向性を変えて、映画フィールドでそれを分かりやすく説明してみようか、あの2018年度の日本アカデミー賞を制覇した万引き家族を。

あの作品の公開直後、実は世間は思うもよらぬ偶然にざわつき始めていて、実はあの作品の公開1週間前くらいの時期を狙い定めたかのように登場人物と全く同い年の女児の虐待事件が起こったのだ。映画作品ではよく観た人が話のキモをバラしてしまう、ネタバレ禁止問題が取り沙汰されたりするが、それは観たものがSNS上で撒き散らされたものではなく、現実に起こった残忍な事件自体がまるでネタをあげてしまっているというこの歪な恐ろしさよ。こういうのってもう何だか、諦めるしかないのだと思う。もうの作品が傑作であるほど必然的に時代の空気を丸ごと背負わされざるを得ない「カルマ」のようなものなのだ。

結局何が言いたいのかもう断言してしまおう。そのカルマ的名盤が生まれてしまったのだ。

今起きているこの令和2年になって間もなく、全世界を圧倒しているこのコロナという得体の知れないウイルスで包まれて、世の中の誰しもが今陥っている混沌と混乱の状態の中でインターネット、テレビ、新聞、街の噂、政府のアクションなどが飛び交うこの喧騒の中で、様々なこの騒々しすぎほどの声、声、声、声、.....に対して我々が今直感的に思っている事をものの見事に言い当てたようなタイトルを有するアルバムがこの4月頭という絶妙なタイミングで生まれてしまったのだ。

 

 

 

 

 

『外がうるさい』


鈴木実貴子ズ 2ndアルバム『外がうるさい』ティーザー

この偶然に我々は驚きを隠せないでいるのだ。本タイトルは紛れもなく折に触れて、本ブログでも大絶賛している2ピースオルタナティブロックバンド鈴木実貴子ズが令和2年4月3日にリリースしたニューアルバムに付けたタイトルなのである。*2 因みにこのタイトルは自分の記憶が確かならば、タイトルが発表されたのはまだ2月の頭くらいまだまだ新型コロナウィルスなど、それどころかそういう言葉自体もまだそれほど猛威を振るっていない頃で、ライブなども普通に行われていたある意味牧歌的とも言える時期に発表されたものだ。だから本人達がこの言葉を生み出したのは更にもっと前のことだろうということは当然察しがつく。そうだ、別に現在のようにライブハウスが疫病の諸悪の根源のような扱いをされ、世の中のライブというライブが中止延期に追い込まれている世間に対して放っているのではないのだ。だが世の中を見回してみよう。自粛だ、反自粛だ、緊急会見だ、星野源の動画問題だ、まさに世間は、世界全体が喧騒で満ち溢れている、本当に「外がうるさい」状態そのものなのである。

もうこの時代の流れに偶然にも引き寄せられているようなこのタイトルを見るにつけ、その図らずも偶然に一致しまっているという事実に驚愕と賛辞に思いをこのバンドにぶつけてしまう。本アルバムを聞いた直後の小生のツイートも興奮しきっていることがわかるw

 

 

『外がうるさい』

1. 問題外
2. 口内炎が治らない
3. 限りない闇に声を
4. 夏祭り
5. バッティングセンター
6. 音楽やめたい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)
7. 都心環状線 (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)
8. ばいばい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

Soto Ga Ulusai

Soto Ga Ulusai

  • 鈴木実貴子ズ
  • ロック
  • ¥1528

  本盤は全8曲という曲数ゆえ、パッと見、ミニアルバムの体をしているのかと思いきや、全くそういうことはなく前半は新曲を中心としたスタジオ録音と後半はライブハウスで一発録りで録ったライブバージョンとで構成されて非常に作り込んだ形となっている。前半の1〜5曲目まではこれまで時折ライブで披露されてきた新曲や、実貴子ソロで披露されてきたもののバンドスタイルでは初レコーディングとなるバンドアンサンブルを高めたスタジオversionと、後半の6〜8曲目は既存音源を更にライブハウス録音によってより実貴子のボーカルのエモーショナル度を高めた加速度LIVEバージョンという二部構成となっている。本記事では前半を1.スタジオversion、後半を2.妄想 LIVE house versionとして全曲を過去に行ったライブで実際に聞いた感想と歌詞の一部を取りあげたりして論じていきたいと思っている。

 

1.スタジオversion

❶問題外


鈴木実貴子ズ「問題外」(Official Video)

多分去年秋ぐらいからではないかと思うのだが、確信は持てぬものの、本曲は元々仮タイトル『宗教』というタイトルで鈴木実貴子ソロでもライブで披露されていた曲である。以前ライブ後実貴子ズメンバー・ズ(いさみ)氏によれば、当然のことながらこの時世に『宗教』というタイトルでは少しまずいだろうということで『問題外』に落ち着いたのだという。

以下、本曲の出だし最初と、曲全体が終わる直前のラストフレーズを上げてみよう。

宗教なんて関係ない金銭なんて関係ない

...

❷性別なんて関係ない感性なんて問題外 

宗教なんて...】から始まって問題外で曲は終わるのだから最初の言葉ではなく最後の言葉をタイトルに付けたと考えれば世の中の権力に屈しなかったなって思うとしっくりくるではないか笑。でも本曲を聴けば『宗教』という元々のタイトルだと、実貴子ソロとして切々とアコースティック・スタイルで演奏するイメージに適している感じがするが、『問題外』と言う風にタイトルが明るみに変わった事によって、一層バンドサウンドとしてのサウンドスケープがふわっと広がっていくような気がする。*3

 そしてこの曲を最初パッと聞いた時に、特にメロディー面で「鈴木実貴子ズ必殺技」と言った趣で真っ向勝負の曲だなぁと思ったものだが、その箇所は特に個人的に

【助けての声は聞こえない 雑踏の中じゃ聞こえない】

のメロディにそこをとても強く感じたものだ。もはや、この辺りのメロディって鈴木実貴子ズ特有の必殺技的な、少しフォークっぽい感じの穏やかだが耳に残るメロディだし、更に、ズ(いさみ)氏のドラムがドン、どん、とまるでワルツの様に入ってくる箇所とが合わさった瞬間に感じる絶妙な安定感がほんと2ピースバンドならではという感じがするのだ。そしてこれは1-5曲のスタジオでの前半パート全体に言えるのだが、とにかくバンドサウンドがカッコ良すぎるのだ。彼ら二人の土台を更に後押しし、畝るようにギュインギュイン入ってくるエレキ・ギターのサウンドが印象的だし、ベースにも言えるんだけど、本当によくサポートギターやベースが二人のサウンドや詞の世界をしっかりと理解して享受してそして先へ更新していってるのだと思う。それに後押しされて、鈴木実貴子のボーカルもこれまでリリースされてきた(ミニ)アルバム中で、最もライブで見せるような、腹の底から絞り出すような激しめなヴォーカリゼーションが更に導き出されているように思えるのだ。もうほんとにこのアルバムは間違いなく彼らのキャリアの中でも最高傑作に位置する、と断言して良い。

*4

 

口内炎が治らない


鈴木実貴子ズ「口内炎が治らない」(Official Video)

先ほど大人の事情を鑑みて『問題外』に修正した、と前述したが、その割には、本曲の歌詞のエッジの鋭さには狂気すら感じてしまう。よくよく見たら描写としては、ポップミュージックとして換算するには表現スレスレ感のパートが散見するのだが、もうライブ披露当時から何ら一切変更を加えていない点は凄い、もう良くやった!とさえ思う。でも鈴木実貴子ズってバンドはつくづくそういう強かさのみならず、柔軟性をも兼ね備えたバンド絵もあるということも魅力の一つであろうし、アルバムでもこの曲の持つピリッとしたスパイス感はとても重要だ。それにしても、まるで90年代のオルタナティブを象徴するバンドであるニルヴァーナの『About a girl』辺りの不穏な曲でも始まるようなイントロに続いて、

❶メンヘラ女 自信に満ちた目ん玉 左ボールペンでさして

❷嘘を重ねて商売道具を灯油をかけて燃やしたい

というフレーズで始まるこのギャップのもたらす、この何ともザマァミロな感じのカタルシスがあってとにかく小気味がいい。それにしてもライブ披露中もずっと思っていたが、歌詞にある口内炎って一体何だろう。最初にこの曲を聞いた昨年夏の終わりの明石でのライブの時からずっと個人的に思うのは、口内炎とは別に口の裏側にできるアレのことだけを言及しているだけじゃなくて、以前から【何も考えて無さそうな人】の中にも知らず知らずのうちに蝕んでいる的な、まさに今全世界を圧巻しているコロナ疫病のようなものであり、もっと抽象的な見方をすれば何か人間の根元にある感情のヒダ、のようなものだと捉えている。その意味でも本アルバム自体には『外がうるさい』という楽曲こそ収録されていないが「口内炎が治らない」というフレーズ自体が最も、その直感に近いニュアンスを持つタイトルではなかろうかとも思ったりする。鈴木美貴子ズはとにかく口内炎にしろ環状線にしろ具体的に存在するものから抽象的に自己の中にあるものへの転換する歌詞が多い。そこで歌詞を読み込んでいくと、或いはアルバム全般を聞いていくにつれ、なんとなく本曲が「外の世界」に対する批評性とそれに対する自分自身のズレという点にも終始していてシニカルに聞こえてくる。

また話は逸れるが、ここ最近、人が言語獲得する上で最も高度な表現と言われるアイロニック(=皮肉的)な響きをする表現が、音楽分野のみならず様々な面で撲滅されていっている気がしているのだが、その意味でもこの曲の存在はとても貴重だと考えている。

 

❸限りない闇に声を


3/14(土) at 京都スタジオIZ 鈴木実貴子(鈴木実貴子ズ)ソロLIVE 対バン;北小路直也(MILKBAR) 村島洋一

本曲は2019年にリリースした鈴木実貴子のソロ・アルバム『しみつく』にも収録されている。*5

あの『しみつく』と今回の『外がうるさい』とでは印象が大きく違うが、既出のアコースティック・ギターのみでかき鳴らすソロバージョンの方がより鋭利でヒリヒリ感が高く、ボーカルの声の張り具合も引けを取らない点が特徴である。これは本アルバム内では非常に珍しい現象で、この曲以外は、既出バージョンより新バージョンの方がよりストレートに訴えかける様なアレンジとボーカリゼーションが施されているのだがこの曲に関しては全くの逆現象になっていると言って良い。いやむしろ『しみつく』バージョンの方がよっぽどオルタナティブなのだ。だからこそ、本アルバムのバンド編成サウンドでは静のイメージのある前半と、サビで一気にドラマティックに展開する後半とのメリハリを感じられるアレンジの元、実貴子ボーカルが安定してバンドという母艦に乗っかって進んでいるような印象に仕上がっている。

❶限りない闇に声を 塞ぎ込む君に愛を愛を

❷我が物顔で歩く正義を壊せよ今 壊せよ今

あと因みに、9月の明石でのアコースティックライブイベントの際にも第一曲目、最初に鳴らされた時にも思ったが、声のキーの高さからすれば彼女はよくリハーサルでの声出しにはこの曲が下地にあるのではと思ったが実際はいかがだろうか。

いずれにせよ、ライブの始まりを鳴らす「闘争宣言」というイメージのある本曲も、今回のアルバムでも同様に何らかのアジテーションをなす役割を担うものとしてうまく良い味を発揮している。

 

❹ 夏祭り

ここで触れておきたいのは鈴木実貴子のライブにおける「表現力」の凄さである。鈴木実貴子ズの音楽はとかく演奏であるとかを聴き、涙ではなく心の奥底から湧き上がる感情の洪水が溢れ出る感覚に襲われるのは、演奏を超えた嘘偽りなき「表現者」としての力にも魂ごと揺さぶられるからである。

以下の『夏祭り』のライブシーンの途中映像を見てみよう。


『夏祭り』performed by 鈴木実貴子ズ 2019/11/17 尼崎TORA

 まず前提として鈴木美貴子はよくLIVE中のMCで、「死生観」について触れることが多い事を念頭において頂きたい。しかも生きる側じゃなくて、死の方へもっとフォーカスを置いた感じの死生観である。本曲が生まれたきっかけも、まさにそう言う死に直面した彼女の経験から来ていて、2019年の11/17での尼崎toraでの本曲を演奏する前に披露した「友達というより、知り合い、がいて、最近Twitterの更新がないなと思っていたら、後々知ったんだけど、その人はもう死んでしまっていて...」というエピソードに基づいてる。この映像を見て分かる通り、彼女はまるで泣きながら歌ってるんじゃないかってくらい絶叫に絶叫の限りを尽くした咆哮で、歌い上げ、ふとギターにキスをするのだがその表現力に深く感銘を受けたりするのだ。先のMCで述べた通りの、亡くなってしまったその知り合いへの惜別の感情を抱くかのようにも取れるそのアクションに、この日のライブに対峙していた私はもう何とも言えぬ胸を締め付けられるような気持ちになったものだ。彼女には驚くほど夏の曲が多いが、それも蝉の泣き声、ギラつく日差しと共に生命力溢れる夏という季節の終わりを、夏光線で尽く死んでいく蝉の姿と人の一生の儚さに重ね合わせる鈴木実貴子自身の視点にも深く起因しているように思う。*6   本曲も紛れもなくきっかけは死んでいくものに対して、生きとし生ける側からの惜別の思いのみならず、死後の世界にいるであろう側の人々の気持ちに立ったフレーズがある。

「本当はもう一回やり直せるはずだった」

このフレーズの殺傷力は字面で受け取る以上に重い。偶然だが、今死ぬべきではなかったはずなのにというこの言葉って3月末に亡くなってしまったベテラン・コメディアンを偲んで寄せられたTwitter上で寄せられた多くの言葉の数々と偶然にもオーバーラップするのはまぁ余談として置いておこう。

 

❺バッティングセンター

本曲は個人的には『夏祭り』が死というものに目を向けた曲なのに対してこちらはひたすら「生きていく事の難しさ」にひたすら向き合った曲と言う意味で相補分布的と言おうか、表裏一体の曲だと思っている。また今回、収録されていないが『名前が悪い』という彼ら2ndミニアルバムの中に『チャイム』という曲があってあれは小学校時代から17:00のチャイムで帰っていたあの頃と違って

【仕事 お金 通帳 ケータイ 保険 しがらみ 支払い つきあい...年金 けっこん 介護】

などなど様々な事情を抱える大人になってしまった今の現実に立ちはだかり

【戻れないよなぁ 分からないけどやるしかないんだろう】

と何とか生きながらえていこうとするニュアンスが非常に近いのではないかと思う。そういう意味で『バッティングセンター』は『チャイム』とシンクロすると言えるのだが、次に前述した「表現力」という文脈では本曲『バッティングセンター』でも十分それが堪能できる。これも尼崎toraで4曲目に披露された時の抜粋だが、特にこの辺りに注目して聞いてみよう。

❶今夜はバッティングセンターに行きたい

❷やるべきことを見逃してめんどくさいこと見逃して

❸今夜はバッティングセンターに行きたい

❹悲しみなんか見逃して憂鬱なんか見逃して


『バッティングセンター』performed by 鈴木実貴子ズ 2019/11/17 尼崎TORA

 特に❷❹を歌っている時の表情に注目してみよう。歌詞に合わせたように❷の箇所では誰かに嘆願するような複雑な表情、さらに❹においてはまさに悲しみに満ちた表情をしたりとまるでこの曲が演劇か映画か何かを見ているような気分になるのは私だけだろうか。何よりも、本曲の笑顔も泣き顔も希望も絶望も綯い交ぜにした表情で歌い上げるその姿はどんな映画より演劇りも感動的である。

 

2.妄想 LIVE house version

さて、後半3曲は【無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN】と称された、無人のライブハウスで演奏されたバージョンである。なぜ、ライブ版なのかは、歌詞カードに以下の記述があることに注意したい。

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【今ライブハウスにいるという妄想に浸る用】の3曲である。ここ最近ライブが中止になりまくっってるという現実問題を鑑みてこのような記述があるのだろうか。

 

❻-1 音楽やめたい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN 


鈴木実貴子ズ@京都nano『戦場のメリークリスマス-唇噛み締めて口の中血の味するやつ-』25/12/2019

確か個人的に鈴木実貴子ズ歴はこの曲から始まった。この曲はちなみにライブ最後に放たれるMVを観ていたのでラストに締め括られるイメージがあったので、11月17日の尼崎toraや12月25日の京都nanoのライブでは「一曲目」であった事に個人的に凄く驚いたことを覚えている。そしてこの曲でも❹と❺曲でも触れた「表現力」について触れておこう。

その代表的な箇所は以下のくだりである。

❶安心欲しさに否定して自分がまだまだマシだって
❷自己暗示の自信じゃ終わりがもう見えているわ

 この曲はこの下に至る少し前の「あいつと自分を比べてさ」辺りから彼女は少し笑い出す。いや、笑うというよりも、感情の高まりが高まって思わず声が震えてしまう感じといおうか、その怒りとも狂気とも何ともカテゴライズし難い何とも言えぬワナワナとした感情の高まりが沸点に来るこの中盤の最もオルタナティブに盛り上がりを見せるこの箇所で聴いてて最も力の入る箇所である。ここでの実貴子ズの「やめたい」というのはズダボロになりがらもそれでも、音楽表現者として立ち向かわなけねばならんライブステージという戦場へ立ち上がる心の持ちようを描写してて、その文脈から「(音楽)やめたい」というこの一見ネガティブに響くタイトルは、後半んへ行くにつれて実はポジティブな光を放っていく事に気づく奇跡のような曲だと考えている。そこで、今回のアルバムタイトルでもあり、タワーレコードのボーナスディスク曲のタイトルでもある『外がうるさい』の持つニュアンスと最も近いのは、本アルバムではこの曲なのではないだろうかとさえ思う。

その辺りを検証するべく、次はこの曲『外がうるさい』という曲にクローズアップして見ようか。

 

 ❻-2 外がうるさい(鈴木実貴子ソロ)

これはアルバム本盤には収録されていないが、もし、タワーレコードに行ける環境にあれば数は限られているものの是非ゲットしてもらいたい、鈴木実貴子の弾き語り書き下ろし楽曲であり、その名も『外がうるさい』が収録されているボーナス・ディスクである。

本曲のスタンスは、最近のコロナ脅威以降のネガティヴに解釈されがちな音楽というエンターテインメントの担う役割に関して、彼女自身の置かれている立場や人生観までもが綴られており、非常に興味深いものとなっている。

❶楽しいことたくさん抱えていたのに余分なものまでかかえて燃費が悪いわ

❷容量オーバー、オーバー30 どうかしてよね、オーバー30 どうにもならんかァ

この辺りの歌詞は「売れない芸術に価値はあるかい」と自問自答する『音楽やめたい』と凄く共通する点があるというが、本曲と『音楽やめたい』との共通点はそれだけではない。

 

❸外がうるさい 中もうるさい ボクがうるさい 文句を言うなよ

❹お前もうるさい いちいちうるさい 他人の事に口を出すなよ 放っといてくれよ

❺外がうるさい 中もうるさい 全部うるさい 最高な事かもな

そいうくだりがあり、最も注目すべきは❻の【最高な事かもな】とある意味この曲を肯定性へ導いている点である。これは『音楽やめたい』のラストで「でもそんなの音楽じゃないとも思っている」と、これまでこの曲でぶちまけてきた音楽家としての苦悩を全て肯定の光へ最後の最後に導いてきたあの感じと極めて近いように思えるのだ。

そう考えると『外がうるさい』は『音楽やめたい』とほとんど同義語のように思えてくるのだ。更に言えば前述した『口内炎がなおらない』もこれらと同義として捉えられるかもしれない。鈴木実貴子の歌は絶望と感情の根源を前面に押し出したネガティブな歌詞と捉える人もいるかもしれないが、実は最後に一筋の光明を見出すことができる音楽の希望と可能性とを示唆する側面も兼ね合わせているのだと思う。

 

都心環状線(無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

本曲は以前2016年にリリースされたファーストミニ・アルバム『キミガヨ』に収録されていたが、このバージョンは冒頭でSEやピアノ音もフィーチャーされ実貴子ズディスコグラフィティ内の楽曲では比較的穏やかな印象を持っていた。だが、今回この無人ライブバージョンではピアノ音もSEもピアノ音も排除されたゴリゴリのバンドサウンドのみで形成され、実貴子ボーカルを更にトップギアに導入する効果を生んでいるように思う。

聴きどころはもう問答無用でこの箇所だろう。

❶出口はいたるところにごろごろしとるけど僕の出口はまだ先 嫉妬してけなして

❷攻撃して負けて負けを認めても また攻撃して また攻撃して また攻撃して

❸感情線は繰り返す 感情線は繰り返す

さらに、ここで気付いたことは2016年の以前のバージョンで【出口はいたる所でグルグルしとるけど....】の箇所で多重コーラスとなっていてもう一人の実貴子コーラスが背後でユニゾン的に【都心感情線】とオーバーラップして聞こえるのだ。今回本曲のMVは2015バージョンしかないのでそちらを提示しよう。

鈴木実貴子ズ-都心環状線-

だが、本アルバムバージョンでは当然ライブ1発録りなので、当然そのようなコーラスはない。これはどういう効果があるかというと後述するが2016バージョンは【あくまで個人のみならず他人の視点も意識した世の中全般に照らし合わせた都心環状線とそれを取り巻く人々の感情】が二重に描かれていくように思う。で、逆に本バージョンは【あくまで鈴木実貴子という一人の女性にとっての人生観の象徴としての都心環状線】であるように思う。だからこそ、【攻撃してまた攻撃してまた攻撃...の箇所がより力強く聞こえてくるというか。とにかくあの「環状線」の行き詰まりぐるぐる感と我々が日常で感じる行き止まり感とがいい相乗効果をもたらしているように思える。環状線、の「グルグル回っていく電車が回る環状線から「グルグル様々な思いや衝動に駆られるんだけど結局同じところに戻ってくる感情」へと環状から感情へ同化していく瞬間が感じられる曲である。

 

❽ ばいばい (無人ライブ(なにそれ?)@今池HUCK FINN)

こちらも以前のアルバム『現実みてうたえよバカ』にも最後の曲として収録されているもはや、タイトルからしてもはや問答無用のラスト曲である。このアルバムの流れで言うと『夏祭り』において【バイバイは言わないで】と言うフレーズがあるがそれと呼応して【バイバイまたね、言わぬまま過ぎてった】と言うフレーズへとの連動も意識される意味で昨年版とこの曲のスタンスの違いが見受けられよう。また、ライブでも当然最後に披露されることも多く、以下のように長尺のライブだとアンコール明けのラストのラストで披露される、実貴子ズにしては珍しく笑顔と共に歌われる楽曲である。


鈴木実貴子ズ2/1/2020 アンコールのアンコール、鈴木実貴子ズ、わたなべよしくにツーマン@鑪ら場(FULL version)

まぁでも「笑顔と共に歌われる楽曲」とは言っても

❶こんな音楽はいらない媚びて嘘で塗り固められた歌

❷ 有名バンドと知り合いだから有名な振りばかみたい

という実貴子特有のフレーズがガッツリ入っているのが実貴子ズらしさが損なわれないのだが笑。兎にも角にもアルバムラスト曲ってどのアーティストにも言えるのかもしれまいが、エンドロールが見えるのだ。『問題外』の雑踏の中にかき消されてしまう声も、『 口内炎が治らない』の皮を被った暴力と無責任も、『 限りない闇に声を』の打破すべき我が物顔で歩く正義も、『 夏祭り』の生命力溢れるあの夏と人生の終わりの儚さも、『バッティングセンター』

大人になったからこそ見逃したい、悲しみや憂鬱、『音楽やめたい』のズダボロになりがらも表現者として立ち向かわならない思いや、それでも都心環状線でもグルグルと回ってしまう感情のありかも、そしてタワレコ特典ソロ曲『外がうるさい』でのそれらを含めて全てをポジティビティの光へと誘う感じももう、全てがこの曲の中で一斉にクレジットされていくような、そんな感覚を覚える、まさに【ラスト曲マジック】と呼称しても大袈裟ではないほどの最高の余韻を残す曲であると断言しても良いだろう。

 

3. 『外がうるさい』は歴史的名盤になるのか?

さてここまで長々と鈴木美貴子ズ『外がうるさい』のアルバム全曲レビューという形でライブや過去音源との比較という観点で論じてきたが、このアルバムは果たして冒頭で掲げたように「歴史的名盤たり得るか?」ということをこの章では検証していきたい。そもそも、先にも述べたが本アルバムのレングスは全8曲というミニアルバムの長さにも関わらずそう感じさせなないということはこれまで散々述べてきた通りだが、なぜこのような形態になったのかというとやはり昨年夏の北海道で開催されたライジング・サンロックフェスの台風による初日開催中止という出来事が大きかったのではないかと思う。あのいきなり中止という、無情な現実を突きつけられた「別に北海道に観光に来たんじゃない。私達はライブをしに来たのだ!」そう思い立って当日急遽ワンマンライブを開催してくれるライブハウスを呼びかけて、その日2度ものライブアクトをソールドアウトでやってのけたと言うあの日の出来事が下地にあるのではないかと思っている。

鈴木実貴子ズ/夏祭り(ライジングサン台風で中止になって出れなかった。悔しい。緊急ワンマンとツーマンしました。思い出映像)

あの時折角の大舞台でのライブが中止となってしまい、折角北海道まで来といて、ここでライブを行う事で音楽家としての何か、そしてオーディエンスとの新たな繋がりを取り戻した感じがあったああの2019年の真夏の出来事。あの経験から秋を経て、冬を経て、年を越して、そして令和2年になり、コロナという疫病に振り回されている今日(こんにち)までの軌跡。そういう時代の空気までもこのアルバムにコンパイルしておきたかったのではあるまいか。だからこそこういう前半はここ一年で培われてきた新曲を中心とした構成、さらに後半はライブで数多くのライブ演奏を経て強化して行った既存曲のライブパフォーマンスと言った構成になっているのだと思う。この盤がいかにこの後世の中でどのように解釈され、どのように位置付けられ、どういうステイタスを持つようになるのか、その答えへの手がかりを作り出すのは他ならぬ我々ではないだろうか。

 では、我々はこのアルバムを歴史的にいかに名盤として位置付けるべきか、ヒントとしてこの鈴木実貴子ズの根底を支えている核(コア)は何かを述べることでその可能性を検証したい。

 時は戻って、昨年の2019年11月17日20時45分頃、兵庫県尼崎市という所謂下町と呼ばれる昔懐かしい商店街が立ち並び、小さな路地裏にある小さなライブハウス「尼崎TORA」にて、我々がここ60年以上もの間考えあぐねていた、ある命題に対する一つの答えを導き出された。 

 

「ライブには色んな音楽があるから、音楽だけで嫌いを決めてしまったり、人を見ず音楽だけで好きを決めてしまったり、何が正しいのでしょうかって「?(はてな)」と思うことがあります。ただ私の中の音楽の正解・不正解は、好きになってもらおうが、嫌いになってもらおうが、伝わるか伝わらないか、だと思っていつもやっております。」

 

 そうだ。この言葉はもはや「ロックとは何か?」という60年代のザ・ビートルズの出現あたり以降で多くの人がどことなく頭をかすめつつも取り掛かってきた難題に対する一つの答えであるのだ。やれ、革新性だとか、ロック・アティテュードであるとか、アクションだとか、ムーブメントであるとかそういう一過性の現象(phenomena)に焦点が当てられることはあれど、なかなか明確な回答は導き出すことはなかったし、誰もが取り掛かってはいたものの、恐れをなしてかなかなか言語化できなかった一つのロックというものに対する一つの明快な答えをいとも簡単に鈴木実貴子は放ってしまったのだ。何故に、バンドによっては、ギタリストがソリッドかつラウドなギター音と、ゴリゴリのベースライン、そして稲妻が轟くような激しいドラム音を叩き出したとしても「ロック」のロの字も微塵とも感じなかったり、或いは逆にフォークギター一本で日常のありふれた景色を叫び出した時になぜが「ロック」精神湧き上がるシンガーソングライターの音楽があったりするのだろうかがようやくわかった。

しかも鈴木実貴子ズは、無意識のうちにそのようなはっきりとしたロックアティチュードたり得るヴィジョンを構築してし待っているというその事実を素直に祝福したい。

 では、またまたまたまた長くなってしまった。

最後に、この日のライブ映像の全パフォーマンス動画を提示する事で、本ブログでは史上最高字数である計13650文字を超えてしまった、本記事にピリオドを打ちたい。


鈴木実貴子ズ@尼崎tora 11/17/2019

 

セットリスト

1. 音楽やめたい

2. アホはくりかえす 4:10~

3. 口内炎が治らない 10:00~

4. バッティングセンター 14:31~

5. 夏祭り 19:59~

6. ばいばい 24:03~

 

*1:取り留めがなさすぎるので2001以外は、7がつく数字のものだけを羅列することにした。これだけでも十分に名盤っぷりがわかると思う。

*2:前の絶賛記事に関してはこちらを参照してもらいたい。メンバー・ズさんからは「もう、ネノメタル さん、これは褒めすぎです笑!!!」と大絶賛()をいただきましたw いやいや良いじゃないですか、だってこんなにも魂震わす世界最高のロックなんてないんだからさ。

nenometal.hatenablog.com

*3:実際に『宗教』と言うタイトルで主にソロライブで演奏していたようなのでソロではしっくりきたこのタイトルはバンドでは変えた方が良いと言う思いがあったのかもしれない。『問題外』の方がよりバンドっぽい気がする。あくまで個人の意見だけど。

*4:だから前半・後半と記事の書きやすさで今回区分けしているもののそれほどライブ版だ、スタジオ版だとか曲の持つダイナミズムに違いはないと思う。

*5:鈴木実貴子ズのその他のディスコグラフィーに関しては以下のオフィシャルサイトを参照していただきたい。

mikikotomikikotomikiko.jimdofree.com

*6:ちなみに『アンダーグラウンドでまってる』もそういう視点から生まれた曲である。

加藤昌史さんが中華そば「ムタヒロ」広報室長に!? と言う訳で大阪・福島店で食ってきました🍥

1. April come, he will...

突然演劇の話になるが、あの演劇集団キャラメルボックスのアコースティック・シアターというオリジナル演目に

4月になれば彼女は という人気演目がある。

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大雑把にストーリーをいうと

仕事でアメリカに行ってて15年ぶりに帰ってきた母と娘姉妹・あきらとのぞみの再会。「お母さんは私たちを放棄して仕事を取ったんだ。」この姉妹は、最初はなかなかその時間のブランクゆえになかなか心の隔たりを打ち破れず、一時帰宅した母とは顔合わすたびに、喧嘩ばかりの日々。でも、新聞記者でもあるのぞみは、取材対象のあるラグビー選手と息子との強く深い親子の絆に出くわすことによって、徐々には母親がいる事の大切さを感じる様になり、この15年間片時も娘たちを忘れていなかったその母親の愛情に気付いていく...と言った家族の大切さを描いた涙涙の感動的なヒューマンドラマストーリー」と言った趣の演目なのだが、

ラストシーン、再びアメリカへ旅立つ母親に向かってのぞみが「忘れてた....1番言いたかった事、あの人に」と前置きして

「お帰りなさい、お母さん!!」と叫ぶシーンがあるのだが、正にこの時はやってきた。

 

そう、1番言いたかった、あの人に....

 

「お帰りなさい、加藤さん!!」

 

そうだ!

正に4月になれば彼は、と言う訳で、4月1日にあの元キャラメルボックスの製作総指揮を担当していた加藤昌史さんが、製作総指揮からラーメン系列店ムタヒロの広報室長へと華麗なる転身をされていたのだ。

*1

spice.eplus.jp

そしてそれを象徴するのが彼の広報室長としてのTwitterアカウントなんだけどこの文章の感じがもう紛れもなくあの加藤昌史によるものだと一目瞭然でわかるのだ。

 

 あと加藤昌史さん(ver.2)と称している彼個人のアカウントがこちら。

 

いやいや何だろうこの懐かしい既視感にも似たこの感じ、、、、特に広報室長ヴァージョンのアカウントのパァッと光る感じが、あの頃のままというか、演劇時代の開演前の前説の時の上映前の告知であるとか、演目の面白さを伝えてくる感じとかを物凄く彷彿とさせる。

多分キャラメルファンの方なら名前を完全に伏せても「あれ?」って気付くのではないだろうか。

 あと少しだけ個人的に思うのはムタヒロの看板のカラフルかつ素朴なイメージってキャラメルボックスのグッズキャラクターである、「みき丸」というブタのキャラクターの絵柄と似ている気がするんだな。*2横にいてもそう違和感ない感じがする。

因みに演劇時代の彼は、演劇関連のみならず様々なコミュニケーションに関する本も出版されてて特に『10秒で人の心をつかむ話し方』いう本でいかにキャラメルボックス時代の彼が素晴らしいかを熱いレビューをアマゾンに書いたことがある。

この前の記事がのあのレビューにやや修正を加えたものである。

もし良かったらこちらの記事もご参照頂きたい。

nenometal.hatenablog.com

 

2.・大阪福島店へGO!

という訳で、この中華そば・ムタヒロには関西にも系列店舗があるという事なので、加藤昌史さんの復活を記念して行ってみました!そう、今現在住んでいる神戸からは最も近距離にある「ム・大阪福島店」Here we go!!

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その時の感想ツイートがこんな感じ↓  

 

まぁこの時、例の如くクドくもアツいツイートで、ごちゃごちゃ言ってるのだが要するに「美味かった。」ということなんだけどw、全体を通じて凄くスープの味が主張しすぎないんだけど口当たりが良くて、人に優しい味がしたと言うのが第一印象だった。

私が今回注文したのは「煮干特製そば」という正に煮干しと醤油を出汁にしたスープを主体とした東北辺りがルーツの中華そばなんだけど煮干し系スープにありがちな独特の癖の強さが緩和されて、むしろ主張しすぎず色んな具材が共存している感じだった。 あと、ラーメンは細麺文化の九州ネイティブの私にとっては、麺の太さは個人的にあまりお目にかかることはない、細目のウドンかってくらい太めの縮れ麺とあとそれをもっと平面にした一反木綿のような麺も混在していた。さらにチャーシューも豚のものと、鳥チャーシューもあったが、鳥チャーシューを食べたのはおそらく人生初。凄く滑らかな食感でクドくなくで、まるでチキンというよりお魚でも食べてるかのような柔らかな舌触りとさっぱりとでもしっかりとした歯応えのある食感が特徴である。

もうスープといい、チキンチャーシューといい、トータルでヘルシーな中華そばだと断言しても良いと思う。スープも完全にゴクゴクと飲み干したのだが、底辺にシャキシャキとした玉ねぎのみじん切りの食感もとても楽しく味わえた。あの福岡は博多か久留米ルーツの豚骨を中心とした、ギットギトのいわゆるラーメンが苦手っていう人には正にうってつけなのではないだろうか。そういえば若い女性のお客も一人で来られてたし。

後、その中にしっかりとしたワンタンがあったので、ふと、このワンタンつながりであの去年の夏を思い出す。東京は、三鷹駅を降りてすぐの所にある『みたか』の中華そばである。

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*3

まぁ、みたかの方が味の濃さを前面に出した感はあるんだけど、麺の喉越しやワンタンのしっかり感が凄く似ていたのだ。どちらもラーメンと言うよりもより【中華そば】寄りな感じがする。所謂【ロックサウンドなんだけど基本的なルーツはフォーク・ミュージックが根底にある】感じと言おうか(逆にわかりにくいわw!)。

あで、話は「ムタヒロ」に戻るが、サイドメニューとして焼き鳥を豪快にのせた丼ものも注文したのだが、こちらもまぁ絶品でございました!

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炭火で焼いたであろう、焼き鳥独特の香ばしさと個人的に大好きなネギ塩ダレがご飯に乗っかったやつでもうこの上の具だけでもビールかなんかのおつまみになりそうだ。本当に噛み締めば噛み締めるほどに味わいの深い絶品ものだったんだけどとにかく安かったよね、確か200円か150円ぐらいしかしなかったんじゃないだろうか?

 

3.幸福と空腹を満たすもの、即ち...

 あと最後にこれも付記せねばなるまい。実はこの日、私ネノメタルは、券売機で食券を購入した後もお釣りは取り忘れるわ、水は丸ごとひっくり返すわでトータルでグダグダな迷惑極まりいない客だったのだがw、店員の方のそんな私への対応がとにかく見事すぎるぐらい完璧だったのだ。券売機の時はとても丁寧に教えてくださったし、水の時はこのご時世を意識してか、周りへの気配りも忘れず、もうこれでもかってくらいテーブルをきれいにきれいにして下さって、挙句「お待たせしました」だと。いやいや私が犯した罪なのに!!!滅相もないですよ!

しかも、帰り際店を出て行く時に「先ほどはお時間とお手間おかけしました。」だと!!

いやいやお手間かけたのは私のほうですとも!!!w

しかも素早いご対応ですぐに着席できましたよ!!!ww

  特に私は(と言ってもこう言う人結構多いんじゃないかと思うんだけど)今までラーメン屋界隈では結構ぶっきらぼうな店の対応に腹を立てたことはままあるので、このムタヒロ・大阪福島店は、最上級の対応だったと思う。こちらの失敗への対応すらもサービスの一環なのだ!こんな店リピートしない手はあるまい。*4

 実は、Twitterアカウントで本店舗であるとか、広報室長のアカウントとも相互フォローなのでその件を言おうと思ったが、あえて言わずに「また来ます!」とだけ言ってこの店を後にした。また来るから言う必要はないのだ。まぁポイントカードもゲットしてるし。*5

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ふと、こう言うムタヒロ・大阪福島店の誠実かつ丁寧な対応を見て、コーヒーショップチェーンを展開するあのスタバことスターバックスコーポレーションの会長兼社長兼最高経営責任者である、ハワード・シュルツ(Howard Schultz)の名言を思い出した。

で当初サラッとしたレポで終わろうと思ってたのに期せずして4717字にものぼってしまった。もうここはしっかりと彼の名言にて本ブログの記事を締め括りたい。

*6

 

We are not in the business of filling bellies 

but filling souls.

 

私たちは空腹を満たす仕事をしているのではない。

魂をも満たす仕事をしているのだ。

 

正にこの言葉がピッタリ!

中華そばとは、幸福が空腹を満たす魂のフード、全世界の人々のソウルフードなのだ。

そんな魂の中華そば・ムタヒロに、

そして魂の広報部長、加藤昌史に幸あれ!!

 

そしてもう一度言おう、1番言いたかった、あの人に....

 

「お帰りなさい、加藤さん!!」

 

 


#182「肉中華そば ムタヒロ」ゲスト:和田まあや(乃木坂46)イチオシ肉盛り青森中華そば!【ラーメンウォーカーTV2】

*1:因みにこれが『ムタヒロ』の公式ホームページ。懐かしい感じがするんだけど店舗情報とかがあるがとても見やすい、ほんと中華そばの感じそのままで素朴だけど進化している印象。

mutahiro.com

*2:そういや「ぐれ丸」と言う悪ぶったキャラもいたがかなり中の人持て余してたよねw

*3:孤独のグルメ』原作者の久住昌之氏と仲の良い店。氏は前代の『江ぐち』という店だった頃からの常連だったらしく『孤独の中華そば「江ぐち」』と言う著書であるとか、彼自身が何年か前に出したソロアルバムにはその店の様子をノスタルジックかつコミカルに歌った『江ぐち』という曲も存在している。

*4:このブログ読まれたムタヒロ関係者さんで、上の立場の方、大阪・福島店の店員さんお二人様を多いに褒めてあげてね🍜

*5:お子様ラーメンが無料ってのが良いね!あと全店当たり付きってのもユーモアがあって良し🍥

*6:一応紹介しとこうか。ハワード・シュルツ氏はノーザン・ミシガン大学を卒業後、ゼロックス、雑貨会社を経て1982年にスターバックス社に入社。1985年独立し、エスプレッソ小売店を創業。1987年にスターバックス社を買収。シアトルの一コーヒーショップに過ぎなかったスターバックスを世界的なコーヒーショップチェーンにまで成長させた。

加藤昌史著『10秒で人の心をつかむ話し方』レビュー

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この本の著者、加藤昌史氏は日本を代表する人気劇団の一つである演劇集団キャラメルボックスの製作総指揮、いわば劇団内での総合プロデューサーを担当されている方である。
他にも劇場で使用される音楽の選曲などの音楽プロデューサーであったり、劇団会社の社長でもあったり、当初は俳優もされていたり、あとラーメン研究家(!)であったりと、そんなウィリアム・シェイクスピアウォルト・ディズニー級のマルチな才能を持つ彼が 、なんと劇団創設(1985)以来、(本書の言葉を借りるならば「責任者出てこいって言われる前に前に出てる」をモットーに)演劇が始まる前の説明係、いわば「前説」をず〜っと担当しているのだ。
 これまでの劇団創設以来32年にわたるギネス級な数を誇る前説数(なんと合計4000回!!!)の中で培われた前説の破壊力は一言で言えば、「すごい」、「圧倒的」、「もはや演目レベルのエンターテイメント性」(←最後のは一言じゃないけどw)を誇るといっても過言ではない。
 個人的にはこれまで演劇集団キャラメルボックスの舞台は『クロノス』の初演(2005)以来約10年間以上、20回ほど様々なタイプの演目を観劇してきているのだが、まだ開演前の、役者のいないセットだけの無味乾燥な無人の舞台袖から少し照明が明るくなって、彼が「どうもっ!!!、ようこそいらっしゃいましたーっっっ!!!!!!」とハイテンションな高めの声で走りながら出て来た瞬間から劇場の雰囲気がものの見事に一瞬でキャラメル色に染まっていく。そう、あの舞台を観に行かれた人ならわかると思うのだが、あのキャラメルボックスならではの「あの何かが始まるようなワクワク感・ドキドキ感溢れるあの空気」へと一気に変化するのだ。ストップウォッチで測るとすればそれはわずか10秒程度の一瞬の出来事。
 
そこでハッとあることに気付く。

このいわゆる「前説」とやらは従来我々の頭の中で考えているいわゆるお笑い芸人の漫才であるとか、イベントなどでのオープニングアクト、注意事項伝達などの種の通常我々が想像する「前説」とは全く異質のものであるということである。ましてや携帯・スマホのスイッチオフモードにしたりするためだけの時間でもない。
 もはやこの前説が始まって数十秒たった時点でキャラメルボックスの演劇を見に来た観客の大半の心が「演劇に、いやキャラメルボックスに心ワシづかまれモード」となってしまっているのだ。また、言い換えるならあの時間は、演目の一部の中でも観客と舞台との間で交わされる貴重なコミュニケーションの時間と捉えた方が適切なのかもしれない。
こうしたコミュニケーションがあってこそ、観客は皆、前説の後に続いて行く約2時間もの長丁場となる舞台に安心して集中して没頭でき、時に笑い、泣き、怒り、共鳴し、最後に役者たちに惜しみない拍手をおくることができるのだ。そればかりでなく、観客の多くはカーテンコールの際に必ず客席の先頭付近に立って(前説の時とは違って)ひっそりと客席と舞台とをしっかり見守って一礼してくれる誠実な彼にも拍手の手を向けることも忘れない。そして終演後、余韻冷めやらぬ(演目内容によっては涙止まらず!?)の数多くの観客がロビーに立って見送りをしてくれる彼と何かを伝えたくて、何かを共有したくて話しかけに行く光景が頻繁にみられるのももはや自然な流れなのだ。

 そうなってくると、そんなわずか10秒程度でここまで人の心をつかむ達人である、ミスターキャラメルボックス加藤昌史氏の脳内って一体どうなっているのだろうか、とふと疑問に思ったりする。本書は、そんな我々の素朴な疑問に答えるかのように、彼がこれまでの舞台で培ってきた前説経験を含んだ様々な舞台人生の中から、人とのコミュニケーションに必要なあれこれを、タイトル通り主に「話し方」に焦点をしぼって分かりやすく教えてくれる指南書である。

この本の構成は、第1章「声」、第2章「顔」、第3章「姿」、第4章「テクニック」など様々な側面からいかに我々が「人の心をつかむ話し方」に近づけることができるか具体的なアドバイスがなされ、さらに後半ではもっと具体的な自己紹介法や、実際に劇団内で行なわれているトレーニング法など実践の仕方までが詳細に述べられている。また、架空の若手社員、畑中トモユキさん(←どっかで聞いたことある名前だけど、まあいいか(^^;;)との「コミュニケーション人生相談」のような対談コーナーを通して、自己の話し方次第でいかに他者が心を開いていくかに関して、時に具体的に、時に加藤氏独特のユーモア溢れる表現などによってこれまたわかりやすい説明がなされているので読み物としても十分楽しめるものである。

 いずれにせよ、我々読者がこの本を読み終える頃には、例の「どうもっ!!!、ようこそいらっしゃいましたーっっっ!!!!!!」というあのハイテンションな叫びって実はテンション任せそのものではなくて彼の脳内で巧妙に練られたひとの心のど真ん中、そう某ゴルゴ氏並みに正確に心臓部を撃ち抜くバズーカ砲だったということに改めて気付かされるのだ。

 恐るべしミスターキャラメルボックス

また、本書は、最近「コミュ障」「メンヘラ気味」「非リア」「腐女子」などといったネガティブ要素を自己紹介に盛り込む人が身近でもSNSでもホントに数多く見受けられるのだが、そんな自己を自虐視しがちな最近の風潮に対して「そんなことでは人の心は掴めませんよっっ。」とゲキを飛ばしてくれるそんな現代人への「メッセージ」としても有効なのかもしれない。

で、例によって長々と綴った本レビューであるが、最も言いたいことは全て表題に集約しているんだけどね。

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